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67章 古の血脈

 
 つまり、こう言うことだろうか。敵はスサーナを唆して、イルサと私を引き離しにかかったように見せかける。スサーナが完璧に演じきることは出来ないだろうと、おそらく敵は踏んでいただろう。そこで二段構えにした。まず『いかにも怪しい』スサーナに不審な行動を取らせ、その窮地をシェリンに救わせ、私達を信用させる・・・・。
 
(・・・・・・・・・・・。)
 
 考えているうちに、だんだんばかばかしくなってきた。こんな陳腐な手に私が引っかかると、本当に思っているのか?私はそこまで間抜けに思われているのか・・・?いや、さすがにそこまで見くびられてはいないだろう。おそらくはこれもまた、敵が自分の存在をアピールしようとしている・・・?とすればこんなばかげた罠をしかけるのはおそらくあの男・・・。なぜだ?猫がネズミをいたぶるように、ちょっと手を出しては引っ込め、またちょっとだけ手を出してみせる。だが、敵の意図は確かに気になるが、今問題にしなければならないのは、その『陳腐な手』にスサーナとシェリンがまんまと引っかかっていること・・・。こっちのほうは大問題だ。しかも後回しには出来ない。今すぐに何とかしなければ。それにもう一つ、さっきからシェリンの発する『気』がおかしい。もやもやとした、粘つくような『気』・・・。ずっと昔感じたことのある、そしてつい最近も、この粘つくような『気』で気分が悪くなったことがあった。だが、詮索はあとだ。今はイルサを守りきらなければならない。とにかく剣士団長室までたどり着ければ何とかなる。
 
「ではスサーナを剣士団長室に連れて行ってくれないか。君には運べないかな?」
 
「そうですわねぇ・・・。私には重いですから、先生が担いでいただけると、私がイルサさんをお守りしていきますわ。」
 
 なるほど、こういう風に話を持って行けば、私にスサーナを背負わせて動きを鈍らせ、その隙にイルサを連れ去ることが可能なわけだ。
 
「そうか。だがイルサの守りを人任せには出来ないからね。王室専用庭の門にいる剣士に、応援を頼もうか。」
 
「え?」
 
 一瞬シェリンは『しまった』という顔を見せたが、すぐに取り繕って元の顔に戻った。だが、動揺している。私がそんなことを言い出すとは思っていなかったのか。
 
「で、でも、彼らも仕事中ですから、それに、人任せなんて、・・・先生は私を信用してくださらないんですか?」
 
「君を信用していないわけじゃない。ただ、私は私の責任を果たさなければならないからね。どうしてもスサーナを担いでいけないなら、仕方ない、私は一足先にイルサと剣士団長室に戻るよ。それから戻ってきてスサーナを連れて行くから、ここで君が待っているくれるとありがたいんだが。」
 
「そ、それでは時間が・・・」
 
「ん?何の時間だい?」
 
 この剣士がどこかでぼろを出すまで、どこまでもとぼけてみせようかとも思ったが、あまり時間はかけられない。この剣士はスサーナよりは冷静だが、私が思い通りに動かないとなればどんな行動に出るかはわかったものではない。
 
「あ、い、いえ、団長から、急ぐようにと・・・。」
 
「それなら、私達はいそいで行ってくるよ。イルサ、行こうか。」
 
 私は言うなりイルサの手を引っ張り走り出した。イルサはちゃんとついてくる。
 
「あの人、何だかおかしかったわ。」
 
 走りながらイルサが言う。やはりイルサも感じ取っていたようだ。
 
「ああ。とにかく剣士団長室まで走るよ!」
 
「はい!」
 
 シェリンが追ってきているのかどうかわからない。もしかしたら自分達の企みが露見したことを恐れて、姿を消すかも知れない。今までの敵のやり方は確かに手ぬるかったが、これからもそうとは限らない。もしかしたら今危険な立場にあるのはあの2人の剣士かも知れないのだ。必死で王宮の廊下を走る私達を、すれ違う人達が怪訝そうに振り返る。だが構っていられない。剣士団長室のドアをノックするのももどかしく、私は思いきり扉を開けて中に飛び込んだ。
 
「おお!?な、なんだよいきなり!?」
 
 オシニスさんもライラもきょとんとして私達を見ている。イルサはさすがに息を切らせて床に座り込んだ。私は扉をしっかりと閉め、内鍵をかけた。
 
「・・・どうした?追われてるのか!?」
 
 不穏な空気を感じ取ったらしく、オシニスさんが立ち上がって剣の柄に手をかけながら扉の前に立った。
 
「・・・スサーナとシェリンが敵の手に落ちています。」
 
「なんだと・・・?」
 
 中庭での出来事を手短に説明し、すぐにでも2人の身柄を確保出来なければ、彼女達の命が危ないかも知れないと付け加えた。
 
「・・・・・・・・。」
 
 ほんのわずかの間オシニスさんは考え込んだが、すぐに懐から鍵を取り出した。
 
「クロービス、お前、ライラとイルサと一緒にここに立てこもってくれ。」
 
「オシニスさんはどうするんです?」
 
「俺が直接あの2人を捕まえる。お前はここに残って、俺以外の誰の声が聞こえても絶対に扉を開けるな。」
 
「わかりました。」
 
「万一扉をぶっ壊すような荒っぽいやつが来たら、この場所で応戦してくれ。剣を抜いても構わん。」
 
「はい。」
 
 オシニスさんは部屋を出ると外側から鍵をかけた。内側の鍵がカチャリと動いて、扉はしっかりと閉まった。
 
「先生、どう言うことなの?」
 
 ライラは首をかしげているが、それでも外していた剣帯を身につけ、いつでも応戦出来るように立ち上がっている。この若者の腕は当てに出来る。イルサも腰につけた剣を確認し、いつでも抜ける体勢を取った。以前ラエルに襲われて以来、いつ何時でも鎧を身につけていたことが、こんな時に役に立つとは思わなかった。
 
「聞いての通りだよ。敵は新たな手先を手に入れて、君達を捕まえようとしているってことさ。」
 
 ・・・本当にそうなのか・・・・?
 
 何となく自分の中で声が聞こえたような気がした。あの男の狙いはこの2人なのか?2人を捕まえて、ナイト輝石の採掘再開に水を差し、世論を煽って再開中止に追い込む、そしてフロリア様の不手際を責め立て、自分の主人を王位に就けて・・・・。
 
(・・・・・・・・・・・・。)
 
 あの男は、本当に自分の主人を王位に就けるつもりなのだろうか・・・・。ならばもっと早い時点で、もっと効果的なやり方などいくらでもあったろうに。今回の一連の騒動にしても、どれをとっても中途半端で決め手に欠ける方法ばかりだ。何かが違う。それはなんだ?
 
「剣士団長室の扉を壊して入ろうとする人なんているの?」
 
 イルサが不安げに言った。
 
「大丈夫だと思うよ。ここの扉は頑丈だからね。」
 
 今は考え込んでいる場合じゃない。もうこうなったら、誰が敵なのか味方なのかさっぱりわからない。でもオシニスさんだけは信じたかった。フロリア様の治世を脅かす一連の騒動の黒幕を、彼が許すとは思えなかったから。一時的にとは言え、私をフロリア様のおそばになどと、とんでもないことまで考えるような人だ。フロリア様のためになると思えばどんなことでもやってのけそうな危うさはあるものの、逆に言えば、フロリア様の害になるようなことを見逃すはずがない。だからこそ、今は信じられる。
 
「失礼します。」
 
 扉がノックされた。なんとカインの声だ。
 
「・・・・・・・・・。」
 
 黙っていた。扉の鍵は閉まっている。誰も返事をしなければ剣士団長は留守だと判断して、立ち去るはずだ。
 
「おかしいなあ・・・。どこに行ったんだろう・・・・。」
 
 自分の息子くらいは信じたい。だがこの扉の向こうにいるのが息子一人かどうかわからない。ライラとイルサの視線が私に注がれるのを感じたが、あえて私は目線を合わさず、扉を見つめていた。やがてカインの足音が遠ざかる気配がした、が・・・・・。
 
「あらカイン、どうしたの?」
 
 この声は・・・・シェリンだ。オシニスさんはどうしたのだろう。もしかしたら、オシニスさんが中庭に向かったところを確認して、ここにやってきたのか・・・。
 
「あ、はい。団長に用事があってきたんですが、何だか出掛けてるみたいです。」
 
「そう。団長なら中庭に向かったわ。そっちにいると思うわよ。」
 
 やはりそうか・・・。私達がここに来ることなど、お見通しだっただろう。おそらくスサーナは中庭に置き去りだ。あそこにいた王室専用庭の門番に、見張りでも頼んでおけば逃げられる心配もない。あれだけ完璧に麻痺の気功に絡めとられていれば、動きたくても動けないはずだ。オシニスさんは今頃、スサーナを捕まえていることだろう。今のシェリンにとって、スサーナが『邪魔者』であることは何となくわかった。そしてこの娘から発せられている『気』の正体も見当がつく。
 
「中庭?」
 
「ええ、さっき見かけたから。」
 
 シェリンの口調は『さっさと行け』と言わんばかりだ。要するにここにカインがいては邪魔だと判断したらしい。少しホッとした。出来るだけこんな騒動に息子を巻き込みたくない。だが・・・・
 
「シェリンさん、どうしたんですか?」
 
 息子が尋ねる。シェリンの様子がおかしいことに息子が気づいたのか・・・。
 
「どうしたって・・・何が?」
 
「何だか変ですよ。落ち着かないって言うか。何かあったんですか?」
 
「・・・別に何でもないわ。」
 
「何でもないならいいんですけど・・・。あれ?そう言えばシェリンさんはなんでここに?団長はいないって知ってるのに?」
 
「それは・・・・。」
 
「あ、それにスサーナさんもいないですね。2人ともいつも仲がいいのにどうしたんです?」
 
「・・・仲がいい・・・・?」
 
 シェリンの声音が変わった。今の一言は明らかに彼女の神経を逆なでしたようだ。扉の向こうで、あの異様な『気』が一気にふくれあがる気配がした。
 
「ふふ・・・仕方ないわね・・・。そんなにここにいたいのなら、しばらくいてもらおうかしら。」
 
 さっきよりずっと邪気を含んだシェリンの声がして、『う!』と息子のうめく声がした。まさか・・・!?
 
「な・・・なんでこんな・・・。」
 
 絞り出すような息子の声・・・。さっきのスサーナと同じだ。息子が麻痺の気功をかけられたのだ!早く助けなければ・・・。だが!?
 
「あら、あなたがここにいたがったからよ。せっかくだから、囮にでもなってもらうわ。」
 
「お・・・おとり・・・って・・・。」
 
「私はね、この中にいる人達に用事があるのよ。」
 
「で・・・でも・・・団長は・・・」
 
「ふふふ、団長じゃないわ。この中にいるのは、あなたのお父様と、幼なじみのライラとイルサ。」
 
「え・・・・?で、でも・・・いまノックしたけど誰も・・・・」
 
「それはそうよ。あなたのお父様はね、あなたを犠牲にしてでもライラとイルサを守るでしょう。ライラはこの国にとってなくてはならない存在。妹もほっておけばどんなことに利用されるかわからない。でも、あなたはねぇ・・・・ふふふ・・・新人の王国剣士なんて、いくらでもかわりはいるわ。」
 
 この言葉が、シェリンの本音でないと思っても、怒りがこみ上げてくる。だがどうする!?いまここでこの扉を開け放てば、それこそシェリンの思うつぼ・・・。ライラとイルサを危険にさらすことになる。だが今のままでは息子がどんな目に遭うかわからない。シェリンが全て自分の意志で動いているとは思えないが、いま彼女を信じることは出来ない・・・。その時、ライラが扉の取っ手に手をかけた。
 
(ライラ・・・!?)
 
(開けるよ、先生。)
 
(だが・・・・)
 
(今の僕は1歳の子供じゃないよ。自分とイルサを守るくらいのことは出来る!)
 
 ライラの固く悲壮な決意が胸を打った。このままここで私が黙っていたとして、それで自分が助かったところでこの若者は決して自分自身を許そうとはしないだろう。それはイルサも同じだ。私も肚を括らねばならない。
 
(わかった・・・。いつでも剣を抜けるようにだけしておいてくれ・・・。)
 
(はい・・・。)
 
(いいわよ。コソコソ隠れてても埒があかないわ。)
 
 イルサもすでに迎え撃つつもりでいる。私は鍵を開けて、大きく扉を開いた。
 
「・・と・・・うさ・・・!?」
 
 カインが驚いた顔で私達を見た。だが麻痺させられた状態では、うまく言葉を発することが出来ないらしい。
 
「やっと出てきてくださいましたのね・・・。あまり手間をかけさせないでくださいな。」
 
 口元を歪ませて不気味に笑うシェリンの顔は真っ青だ。あの異様な『気』はシェリンの回りを取り囲み、昏く妖しい光を放っている。昔見たエミーの『気』と似ているが、これは明らかに誰かの手によって増幅されている。今助けなければならないのは、この娘のほうだ。
 
「カイン!無事か!?」
 
 団長室から飛び出したライラとイルサがカインの前に立った。ライラはいつでも抜けるように剣の柄に手をかけ、イルサは護身用の長いダガーだけを抜いて構えている。
 
「あなたの用事は僕がいれば済むのでしょう。カインの麻痺をといてください。」
 
 ライラが怒っているのがわかる。穏やかな顔立ちだが、父親と同じあの激しさを内に秘めているこの若者を怒らせたらどうなるか、シェリンは見くびっているのかも知れない。
 
「ふふふ・・・素直で助かるわ。でも、こちらとしても手数は出来るだけ減らしておきたいの。さあ剣を捨ててくれる?そちらのお嬢さんと、先生、あなたもですわ。」
 
「それは出来ないな。みすみすライラを君に渡すわけにはいかない。いや・・・多分君の依頼主は、ライラを必要としてはいないと思うよ。」
 
「・・・どういうことですの?」
 
 シェリンの顔色が変わった。詰めの甘い攻撃、すぐにばれるような陳腐な罠、手ぬるくいいかげんにさえ思える一連の攻撃が、いったい何を意味していたのかやっとわかった。だが確信があるわけではない。もう少し、この娘から何か聞き出せないものか。『彼』がこの件に関わっているという証拠がつかめれば、あるいは任意で呼び出すことも可能になる。
 
「君が今していることには、何の意味もないと言うことさ。剣を捨てなければならないのは君のほうだ。今ならまだ間に合う。王国剣士として、これからもやっていけるよ。」
 
「ふふ・・・ふふふふ・・・あっはっはっは!」
 
 シェリンが笑い出した。狂気じみた、どこか異様な笑い声に、背筋がぞっとした。
 
「私は望むものを手に入れるんです。そうすれば剣士団なんてどうでもいい。」
 
「君の望むものとはなんだ?君はこの『仕事』と引き換えに、どんな褒美を約束されたんだい?」
 
「・・・先生、どういうこと?」
 
 怪訝そうなライラの声と、私に注がれる視線。だが私からは何も言うことが出来ない。
 
「ふふふ・・・それは先生には関係のないことですわ。私ならスサーナよりはずっとうまくやれると思いますわよ。」
 
 さっきから気になっていたもう一つのことがある。それはシェリンの口調だ。この娘は普段こんなしゃべり方をしないはずだ。どちらかというと、こんな口調で話すのはスサーナのほうだろう。
 
「うまくやれるとは?誰か別な人とコンビを組むとか?」
 
「まさか!私は・・・と一緒に・・・」
 
 シェリンの声がとぎれとぎれに聞こえた。だが声は出なくても、口だけがぱくぱくと動き、声にならない言葉を発している。
 
「あ・・・え・・・・?」
 
 突然声が出なくなってぎょっとしている・・・。その言葉だけを言えないように、暗示をかけられているのか・・・。なるほど、この娘がこんな大胆な行動に出たわけがわかった。一連の行動はこの娘の意志ではない。操られているのだ。と言っても別に妖しげな魔法でも何でもない、おそらくは『催眠術』・・・。
 
(私のほうも・・・彼を見くびっていたと言うことかな・・・。)
 
 この娘がそれほど精神的に脆いとは思えない。なのにここまで強力な暗示にかけられていると言うことは、よほど心の奥底の弱い部分を突かれたのだろう。
 
(若い娘の弱みというと・・・やっぱり好きな男のこととか・・・)
 
『スサーナよりはうまくやれる』
 
(・・・・え?)
 
 さっきこの娘は、確かにそう言った。
 
 スサーナよりはうまくやれる・・・・。その言葉を何度か心の中で繰り返すうちに、見えてきたものがある。だが、今はまだ悟られてはならない。
 
「君の目的がなんなのか知らないが、早いところ息子の麻痺をといてくれないかな。こんなことをしていたら、本当に王国剣士としてやっていけなくなってしまうよ。」
 
「・・少ししゃべりすぎましたわ。さあ、こちらのお二人には私のところに来ていただこうかしら。あまり待たせてはおけませんから。」
 
 シェリンは取り繕うような笑顔を作り、ライラに手を伸ばそうとした。その瞬間凄まじい気の固まりを身近に感じて、私はとっさにライラとイルサの前に飛び出し、思い切り壁に向かって突き飛ばした。ライラが麻痺させられたままの息子にぶつかり、息子が石像のように転がった。その上にライラとイルサが倒れ込んだが、気にしてはいられない。
 
「ひぃぃっ!」
 
 次の瞬間、空間がねじ曲がりそうな衝撃が背中をかすめ、人の声とは思えない悲鳴をあげたシェリンが背後の壁にぶつかり、そのまま倒れて動かなくなった。私はと言えば、何とか直撃は免れたものの、背中をかすめていった気の固まりの衝撃で、前のめりに転んだ。ライラ達の上に倒れないように体をひねるのが精一杯だった。
 
「せ・・・先生、今の・・なに?」
 
 一番早く立ち上がったのはライラだ。次に息子が立ち上がった。どうやらもう麻痺は解けたらしい。
 
「いたたたたた・・・・こっちは動けないってのに・・・・」
 
 息子はあちこちさすりながら顔をゆがめている。
 
「麻痺は解けたのか?」
 
「うん・・・。倒れた瞬間動くようになった。」
 
「いったぁい!もう!何なの一体!?」
 
 やっとイルサが起き上がった。お尻をさすっているところを見ると、ちょうどしりもちをつく格好で仰向けに倒れたらしい。痛いところがはっきりしているようだが、さっきの衝撃はどこに影響が出るかわからない。あとで全員診察しなければならないようだ。
 
「あ!シェリンさんは!?」
 
 息子が叫び、シェリンに駆け寄った。そこに駆け込んできたのは、オシニスさんとスサーナだった。
 
「みんな無事か!?」
 
「・・・さっきの『気』はオシニスさんだったんですね・・・。」
 
 なるほど、あれほど大量の気の固まりを操れる気功の使い手など、そうそういるものではない。
 
「ああ、大分離れていたから、届くかどうか不安だったが・・・なんとか間に合ったようだな・・・。さてこいつをどうしたもんだか・・・・。」
 
 倒れているシェリンは、あの時のエミーと同じく眠っているようだ。しかもかなり『穏やかな』寝顔で。
 
「まったく・・・こっちは大変だったというのに、天下泰平な寝顔だこと!起きたらみっちり文句を言ってやりますわ!」
 
 スサーナはふくれっ面だが、目が真っ赤だ。この剣士からは怒りの感情を感じ取れない。
 
「君がされたことについては怒ってないのかい?」
 
 スサーナは少し暗い顔になったが、しっかりとうなずいた。
 
「シェリンはわけもなくこんなことをする人ではありませんもの。まずはそれを聞いてからですわ・・・それに・・・・」
 
 ふと、スサーナが目を伏せた。
 
「どうしてシェリンがこんなことをしたのか、多分わたくしにはわかりますの。彼女の気持ちに気づかなかったわたくしが迂闊だったんですわ。そのことについては、わたくしのほうが許してもらわなければならないことですもの。わたくしに、シェリンを怒る資格などありません・・・・。」
 
 その会話を渋い顔で聞いていたオシニスさんが、シェリンを担ぎ上げた。
 
「クロービス、医師会の病室を借りられないか。」
 
「大丈夫だとは思いますが、オシニスさんが直接行かれたほうがいいですよ。私はちょっと用事が出来たので、ライラとイルサもお願いしていいですか?」
 
「なんだよ、この大変なときに用事ってのは。」
 
「シェリンの起こした行動が、全て彼女の意志だと思いますか?」
 
「・・・・なに?」
 
「確信はありませんが、心当たりがあります。」
 
 オシニスさんは黙ったまま、少しの間私を見つめていた。何か・・・とても複雑な感情が、彼を支配していることだけはわかった。
 
「こいつらを助けられるか?」
 
「団長!わたくし達のことなど、お気にかけないでくださいませ。わたくし達にそのような資格は・・・。」
 
 スサーナが声を詰まらせた。
 
「俺は剣士団長だ。何があっても部下達を守りたい。クロービス、お前の心当たりで、こいつらを助けることは出来るか?」
 
「相手の目的が私なら、おそらくこの2人が今回のことで罪に問われない程度のことは、種明かししてもらえるでしょう。ただし、それで全て解決するとは思えませんけどね。」
 
 それも私の推測が当たっているのならば、だが・・・。
 
「つまり、2人の潔白は証明出来る可能性があるが、それで敵を一網打尽というわけにはいかないってことか。」
 
「おそらくは。」
 
 この騒動の黒幕があの男なら、そう簡単にしっぽを出すとは思えない。
 
「・・・わかった。それでもいい。こいつらのことが何とかなる可能性があるなら、頼む・・・。」
 
 もう少し何か聞かれるかとも思ったのだが、オシニスさんは何も言わなかった。もっとも、ここには息子もいればライラとイルサもいる。余計な話を聞かせることになりかねない。だが、おそらくはあとで質問攻めだろう。オシニスさんからも、息子からもライラ達からも。まあそのくらいのことは、覚悟しておこう。
 
「団長・・・申し訳ございません・・・・。」
 
 スサーナが涙声でオシニスさんに頭を下げた。
 
「お前はこれから事情聴取だ。カイン、お前は事情聴取に立ち会え。ライラ、イルサ、非常事態だ。悪いが今日は宿泊所の中にいてくれないか。」
 
「わかりました。」
 
 ライラとイルサがうなずいた。カインだけが不安げに立ちつくしている。
 
「どうした?こんな事情聴取に立ち会うのは気が重いか?」
 
 オシニスさんが息子に振り向いた。
 
「いえ・・・。」
 
 返事も歯切れが悪い。
 
「どんな事情聴取だって、晴れ晴れとした気持ちで立ち会えるやつなんぞいないさ。ま、ここに居合わせたのも何かの縁と思って、立ち会ってもらうぞ。」
 
 こんな気の重い仕事も、これからますます増えてくるだろう。どんなに荷が重いと思っても、やり遂げる以外に道はない。何か一言声をかけようかとも思ったが、ここに父親の出番はないようだ。剣士団長と部下の剣士の会話に、私が口を挟む筋合いはない。あとで何か声をかけてやろう。だがまずは『彼』に会いに行かなければならない。今回の一件の首謀者だと言うことを、簡単に認めはしないだろう。だが、せめてシェリンとスサーナが操られていたことだけは、証明したい。
 
「ライラとイルサはどこか行きたいところはあるかい?先生の用事はそんなにかからずに終わるはずだから、あとで迎えに行こうか。」
 
「どうしようかな・・・。特に用事はないけど、先生が戻ってくるのを待ってるよ。」
 
「そうか。わかった。」
 
 
 私はそのまま玄関に向かって歩き出した。頭の中で、スサーナとシェリンの一連の行動を思い返してみる。最初に私達がいたのは中庭だ。そこにスサーナはやって来て、剣士団長が呼んでいると言った。そしてイルサは自分が連れて行くから、私はここにそのままいていいと言っていたと・・・。あの場所に私達がいることを、オシニスさんが知っているはずがないのだ。イルサが行きたいと言い出して、私達はあの場所に向かったのだから。ではなぜ、彼女は中庭に来たのか?考えられるのは、彼女を操っていた誰か・・・おそらくは『彼』が、私達の様子を窺っていたと言うこと。診療所から中庭へと向かうには、ロビーを通る。あの場所に誰がいようと、普段はまったく気にしない場所だ。
 
「もしかしたら・・・宿から見張られていたのかな・・・・」
 
 私達夫婦が『我が故郷亭』に泊まっていること、そしてライラとイルサの護衛を引き受けたという話は、当然『彼』は知っているはずだ。それならば、宿屋を出るところから見張っていれば、私達の行動は把握できる。あの男の『力』は、どうやら自分の気配を自在に操る方面に長けているらしい。人通りの少ない場所だったら、そううまくは行かなかっただろうが、あの人混みの中なら、完璧に気配を消してあとをつけることなど、朝飯前だろう。そう言った方面の能力については、私はあまり高くはない。いや、もしかしたら、単に目覚めていないだけなのかも知れないが、そんな能力は私の毎日の生活の中で必要のないものだ。
 
「王宮の中に入れば、あとは東翼の宿泊所に行くことも当然計算できるだろうしなあ・・・。」
 
 だが・・・そこまでわかっているのなら、最初からスサーナとシェリンを東翼に向かわせ、オシニスさんか私の代理だと言うことにしてライラとイルサを連れ出すことは可能だったはずではないのか。それとも、さすがにそれでは2人とも信用しないと考えたか。ではここからは仮定の話で考えてみよう。まず私達を監視して、イルサと私が中庭に向かうところまで確認したとしよう。そこで中庭にスサーナを向かわせて、私を言いくるめてイルサを連れ出そうとする・・・。そこで疑問なのが『スサーナはどこへ行こうとしていたのか』ということだ。
 
『剣士団長が呼んでいる』
 
 彼女はそうとしか言わなかった。言わないように言われていたのか、それとも、『彼』がスサーナに指示していたのは、そこまでだったと言うことか・・・。場所の説明をする前にシェリンを、いかにも慌ててスサーナを追いかけてきたように見せかけて登場させる・・・。それならば、スサーナが実際にイルサを連れてどこかに行く必要はない。言い換えれば、『彼』は本気でイルサを連れ去ろうとしていたわけではないと言うことになる。では『彼』の目的はなんだ?私をおびき出すこと?いや、それだけならば、こんな大がかりな仕掛けは必要あるまい。どちらかと言えば、問題を起こすことが一番目で、それで私がまんまと釣れれば、というところだろうか。となるとその『問題』とはどう言うものかだ。まず考えられるのは、スサーナにあそこで剣を抜かせて騒ぎを起こさせ、剣士団長の責任問題にすること。だがそれでは、シェリンの出る幕がない。かえってシェリンが出てきては都合が悪い。ではシェリンの登場は予期せぬハプニングだったのか?いや、それは違う。シェリンがスサーナを止めようとして彼女を追いかけて来た時点で、シェリンは操られていたはずだ。ということは、このシナリオの中でシェリンの役どころは決まっていたはず・・・。スサーナを止めて、そのあとは?私達がシェリンの提案を聞かずに走り出すことまで『彼』が予想していたとは思えない。それにシェリンがスサーナを止めようとして、いきなり麻痺の気功をかけることまで、予測できていただろうか。それとも、あれもまた『彼』の指示か?
 
「・・・・・・。」
 
 いつの間にかロビーまで出ていた。私が一人であれこれ考えてみたところで、他人の考えていることをすべて理解出来るわけじゃない。そう、本人に聞くのがいちばん確実なのだ。もちろん真実を話してくれれば、の話だが、なんとしても話してもらわなければならない。スサーナとシェリンが、犯罪者として剣士団から除籍されないために。
 
「しかし・・・どこにいるんだ?」
 
 あの男がどこにいるのかなんて、わかっていてここまで来たわけではない。『彼』はおそらく、私と正面切って会うことはしないだろう。どこにいてもこの近辺では、込み入った話など出来ようはずもない。シェリンの話に出てきていた、王宮の裏手から牢獄へと向かう道とて同じことだ。外で話していることなど、それこそ誰に聞かれるかわかったものではない。となると・・・・
 
(・・・・・・!?)
 
 突然気づいた。『彼』は、まさかこの力を使って私と話すつもりか・・・・?この力ならば、誰にも聞かれる心配はない。だが・・・この力を使って話をしたことなど、おいそれと他人に信じてもらえるはずがない。よほど私のことをよく知っている人物にでもなければ・・・・。となると話は変わってくる。最初から、『彼』が素直に自分のしたことを白状したりすることはないだろうと思ってはいたが、それにしてもこの方法では、オシニスさんやレイナック殿に信じてもらえるのがせいぜい・・・・!?
 
「そういうことか・・・・。」
 
 会えばおそらく、『彼』は嘘をつくことはすまい。ついてみたところですぐにばれるからだ。どんな形で話をしようとも、相手が嘘を言ってるかどうかはすぐにわかる。別に意識しなくてもだ。と言うことは、本当のことは言うが、それで捕えられるのはごめんだと言うことか・・・・。まあそれは当たり前だろう。進んで牢獄送りになりたい人間などいるはずがない。
 
(まったく・・・厄介な役目を押しつけてくれたもんだ。)
 
 『彼』は私に、事の真相をオシニスさん達に告げる役目を負わせようという肚らしい。だが一歩間違えば、すべて私の自作自演だと思われかねない。下手をすれば、実はすべての黒幕が私だったなどという疑いまでかけられかねないのだ。つまり、真相は話してやるが、それで自分が疑われたら、自力で潔白を証明して見せろ、と言うことか・・・。もっともそれでシェリンとスサーナを助けることが出来るならば、私はこの役目を負うことを拒否したりはしない。・・・そこまで考えているのだろうか。あの2人の立場を悪くするようなことをするつもりはないと、私にわからせようとしている・・・?
 
 ロビーの中程に来たところで、妙な気配を感じた。『彼』か・・・。どこだ、どこにいる?『彼』は意識的に思念を出しているが、私がこの位置で感じ取っていることは感知出来ないだろう。そう確信出来るほど、その思念は遠くから発せられていた。慎重に辺りを見回し、真っ直ぐに私に向かって送られてくる、かすかな思念を頼りに歩き出した。
 
「・・・ここか・・・・。」
 
 たどり着いたそこは、図書室だった。うまい場所を考えたものだ。いつまでいても誰にも怪しまれず、誰が入ってきても誰も気に留めない。しかし他の利用者がいては話が出来ない。さて、それでは『彼』のお手並み拝見と行こうか。いくら厄介な力とは言え、同じ力を持つ者が、どうやってそれを操っているのか、それについては興味がある。いつの間にか好奇心がわき上がっていた。
 
 
 図書室の扉を開けた。中は静かで、思ったほど人はいない。さて『彼』はどこにいるのだろう。図書室の中はなかなか広い。だが書架が立ち並んでいるので、その陰に隠れていたりすればなかなか見つからないかもしれない。だが、私の心配は杞憂だったようだ。
 
−−やっとおいでいただけましたね・・・−−
 
 声は頭の中に直接響いてくるのだが、『どこから』その思念を発しているのか、私にはわかった。図書室の入口を入り、本を読むためのテーブルがずらりと置かれている、その隅っこに『彼』は座って本を読んでいる。いや、正確には『本を読んでいる振り』をしている。私は『彼』に近づいた。
 
「おお、これはクロービス先生ではございませんか。」
 
 『彼』・・・・クイント書記官は、私が近づいたことにたった今気づいたかのように、自然に顔を上げて笑顔を作った。
 
「書記官殿でしたか。今日はお休みですか?」
 
「ははは、私の務めに休みなどあってなきようなもの。ですが本日は、殿下がお屋敷で休まれておられるので、私も少しお時間を頂いて、ここに本を読みに来たところです。」
 
「そうですか。お忙しいとは思いますが、お体は大事にしてくださいね。私よりは大分お若いようですが、だからと言って無理をされればやはり体は壊れるものです。」
 
 我ながら白々しいが、会話の流れとしては悪くないだろう。
 
−−先生が私に向かって心で話しかけてくだされば、私には先生のお声を聞くことが出来ます。お聞きになりたいことを、どうぞお話しください・・・−−
 
 なるほど、つまり、こちらが意識的に彼に向かって話しかけようとしなければ、彼には私の心の中の声を聞くことは出来ないと言うことか。
 
「これはこれは、過分なお言葉痛み入ります。私もこの歳で倒れたくはございませんから、用心するといたしましょう。」
 
「ぜひそうしてください。では私も本を借りてきますので。このあたりに座らせていただいていいでしょうか。」
 
「どうぞどうぞ。先生とご一緒出来るなど、なかなかある機会ではございませんから。」
 
 クイント書記官の顔は笑っているが、いつもの穏やかな笑みとは違う、どこか油断のならない雰囲気を感じさせる。私はその場をいったん離れ、適当な冒険小説を何冊か持ってきた。昔一度は手に取ったことのある本ばかりだ。そう言えば息子もこの本を小さいころ読んでいたはずだが、さて今はどうなんだろう・・・。そんなことを考えながら、私はクイント書記官の向かい側のテーブルを選び、座った。
 
−−では聞きましょう。あの娘達を唆したのはあなたですか・・・?−−
 
−−唆したとはいささか語弊がございますが、概ねその通りだとお答えしておきましょう。・・・−−
 
−−スサーナはうまく言いくるめたのでしょうが、シェリンには催眠術をかけましたね?−−
 
−−さすが、先生はお気がつかれましたか。あの娘は冷静です。自分の感情を御することがちゃんとできている。あの娘の心の奥底がちらりと見えたとき、おそらく言葉で操ることは不可能だと考えました。それほどまでに、あの娘は完璧に自分の心を押さえ込んでいます。それで、少し意識を眠らせて、私の暗示を聞いてもらったのです。−−
 
−−なぜそんなことをしたのです・・・?−−
 
−−そうですね・・・。先生にお会いしたかったから、では答えになりませんか?−−
 
−−なりませんね。私に会いたければ直接来られればいいではありませんか。−−
 
 思わず声に出して怒鳴りそうになるのをやっとのことでこらえた。本当にこの男は、そんなばかばかしい理由であれだけのことをしでかしたのか!?
 
−−私が先生にお会いするために出向いたとしても、先生は私と会ってくださいましたか?−−
 
−−先日もお会いしてます。なぜそんなことをおっしゃるのです?−−
 
−−・・・・・・・・・。−−
 
 不思議なもので、『聞こえない』のか、『黙っている』のかちゃんとわかる。こんな力を持つ他の誰かと、こんな形で話したことなどなかったので、自分の頭のどこかが、妙に冷静に今の事態を受け止めていた。
 
−−私は先生に、一つだけ謝らなければなりません。−−
 
−−なんのことです?−−
 
 これ以上いったい何があるというのだ?
 
−−あのラエルという若い剣士のことです。−−
 
−−彼もあなたが操っていたのですか?−−
 
−−いえ、私は少しばかり彼の背中を押しただけです。恋人と幸せな暮らしをしたいのなら、ほんの少し勇気を出すことも必要だと。ところがそれが効き過ぎまして・・・まさか本当にあなた様に刃を向けるとは・・・−−
 
−−私を殺せば恋人と一緒になれると言われれば、彼は迷わずそうしたでしょう。彼はそれほどまでにあの娘に焦がれていたし、精神的に追い詰められてもいた。今さら『まさか本当に』などと言われたところで、信じられませんよ。−−
 
−−そう・・・で・・・ございますね・・・−−
 
 明らかな落胆の色がうかがえる。本当にこの男は、『そんなつもりはなかった』のか?いや、惑わされてはいけない。つもりがあろうとなかろうと、ラエルがトゥラほしさに私を刺して、王国剣士としての資格を剥奪されたことは事実だ。
 
−−とにかく、スサーナとシェリンをどうやって操ったのか、それは教えていただけるのでしょうね。−−
 
−−そうですね・・・。−−
 
 その後彼が語った(もちろん頭の中で)話によると、彼は最初からスサーナを標的にしていたようだ。感情に流されやすいスサーナが、たまたまオシニスさんとのことで心を乱していたところを、通りすがりに感知したのだという。もちろんその感情はクイント書記官に向けられたものではなかっただろうが、強い感情ならば近くにいるだけで受け取ることが出来るというのは、私と似たようなものらしい。違うのはその『距離』か・・・。だが彼が必死で強調していたのは、『最初はシェリンまで操るつもりはなかった』ということだった。オシニスさんの件をエサにスサーナを唆し、ライラかイルサを掠わせる、そしてフロリア様の『敵』が執拗に脅迫を仕掛けていることを印象づけようとしていたという話だった。そしてもしも私がスサーナの言葉を信じなかった場合には、その場で剣を抜いて脅しをかけさせ、剣士団長の責任問題にする、と言うシナリオまで用意していたらしい。なるほど、二段構えの策だったわけか。この男らしい周到さだ。ところがスサーナと話しているところを、相方のシェリンに見られた。シェリンは不審な『ローブ姿の人物』と話している相方の剣士を見かけ、彼女のあとを追う前にまずはその不審人物を見極めようと、彼に近づいたらしい。その時、もしかしたらシェリンは少しだけ気が緩んでいたのかも知れない。自分の回りには誰もいない、ほんの少しだけ、普段は絶対に表に出すことの出来ない、心の奥底に閉じこめたほのかな愛情に、思いを馳せていたのかも知れない。その一方で、シェリンは『ローブ姿の人物』に意識を向けていた。クイント書記官にとって、声が聞こえるほどに近づいてくる相手の意識が自分に向いてさえいれば、その心の奥底を覗くことは容易だったのだろう。相手が同じ力を持ってでもいればそううまくはいかないのかも知れないが、シェリンは普通の娘だ。・・・それにしても、これほど長い間この力とつきあっているというのに、この力がどう言うものなのか、はっきりとわかっていることはほとんどない。せいぜい、私より強い力の持ち主はこの世にはいないだろうと言うことくらいだ。例外があるとすれば聖戦竜くらいのものだろう・・・。そう考えただけで気が滅入ってくる。だが、今ここで我が身を嘆いても始まらない。とにかく一度オシニスさんのところに戻ろう。
 

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