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「で?話ってのはなんだ?」
 
 剣士団長室について、オシニスさんは扉をぴたりと閉めて鍵をかけ、さらに用心するかのように、扉から一番遠い場所に座って私を招き寄せた。
 
「厳重ですね。」
 
「誰にも聞かれたくない話なら、扉の外で立ち聞きする奴にも用心しないとな。」
 
「そのお心遣いはありがたいです。出来るだけ内密に進めたい話ですので。」
 
「お前がそんな言い方をするってことは、よほど重要なことなんだろう。とにかく聞かせてくれ。」
 
「はい・・・。」
 
 この人が相手では、うまくぼかすとか、言いたくないことを省く、などという小手先の技は通用しない。この件についてわかっていることをすべて、包み隠さずに話した。
 
「・・・というわけで、この件について剣士団の協力をお願いしたいんです。もしかしたら、アスラン達が襲われた件についても何かわかるかも知れませんし・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんは黙っている。私も黙っていた。その表情からは、果たして剣士団が今回の薬についての情報を、多少なりとも掴んでいたのかどうかまではわからない。
 
「・・・今度は麻薬か・・・。」
 
 しばらくして、オシニスさんが小さな声で呟いた。そして天上を見上げてほぅっと大きくため息をつき、しばらくそのまま動かなかった。
 
「クロービス。」
 
「はい。」
 
「そのシャロンの母親が王宮を訪ねた件で、パティと話をしたか?」
 
「したかったんですが、話の内容が内容ですからね。パティと話したければランドさんにまず話さなければなりませんし、さてそう簡単に話していいものかどうか、決めかねて今まで来てしまったと言うところです。」
 
「・・・まあそうだろうな・・・。パティの記憶は並みの人間とは思えないくらい正確だが、出来れば巻き込みたくないところだ。あの当時でも王宮への訪問者は記録に残されているはずだから、そっちから調べたほうがいいかも知れん。いつ誰が誰宛に訪ねてきたか、応対は誰がしたかくらいのことは記録として残っているはずだ。」
 
「すぐにわかりますか?」
 
「20年前の記録だからな・・・。古い文書はすべて文書館に保管されているから、文書管理官に頼んで出してきてもらうのが一番だろう。それは俺が頼んでくるよ。どうせしょっちゅう顔を出しているんだからな。」
 
「出来るならばお願いします。」
 
「よし、それで、あの雑貨屋のおかみが誰と話をしたかわかれば、あのシャロンという娘に今接触してきている、商人という奴のことも多少は絞ることが出来るかも知れん。・・・しかし麻薬とはまた・・・飛んでもないものを引っ張り出してきてくれたもんだ・・・。」
 
「と言うことは、他にその手の話はなかったと言うことですね。」
 
「今のところはな。もっともあくまでも『表面的には』だから、もしかしたら水面下では何かが起きているという可能性もある。」
 
「・・・出来れば何も起きてほしくないところではありますね・・・・。」
 
「まったくだ。ただ、今起きていると確実にわかることに対しては、それなりの対処をしなくちゃならん。まずは雑貨屋の親父さんの件だな。とにかくこれ以上そんな物騒な薬を飲ませないようにしないと。」
 
「その件で、ハインツ先生が弟さんと相談したいそうですよ。」
 
「ううむ・・・一般人を巻き込むのは気が引けるが・・・今のところそれしか方法はなさそうだな・・・・。」
 
「とにかく出所だけでも特定出来れば、そのあとの対策も立てやすくなりますからね。」
 
「わかった。だが、くれぐれも内密にな。特に、そのハインツ先生の弟という医者に危険が及ぶなんてことがないようにしてくれよ。」
 
「わかりました。では記録の件はお願いします。」
 
「よし、それじゃ2人でライラとイルサを迎えに行くか。」
 
「そうですね。」
 
 
 東翼の宿泊所に向かう道すがら、私はクリフの治療についての話をしてみた。
 
「マッサージか・・・。しかしなあ・・・その程度のことで何とかなるものなのか?」
 
 オシニスさんは首をかしげている。麻薬を投与しなければならないほど緊迫した容態なのに『マッサージ程度で何とかなるとは考えられない』、本当はそう言いたそうだ。
 
「もっともな疑問ですね。正直言いまして、何とかなるかどうかは微妙なところです。」
 
「・・・はっきりしない話だな・・・。それじゃそのマッサージとやらは、一体何の役に立つんだ?」
 
「あくまでも希望を残すための手段ですよ。」
 
「・・・希望だと・・・?もう死を待つ以外に何もない病人に何の希望がある?」
 
「・・・ではお聞きしますが、もう死を待つ以外にないのなら、今痛みを取り除ければいつ死んでも構わない、そう言う考えはどう思われますか?」
 
 オシニスさんは突然立ち止まり、私を横目でギロリと睨んで・・・すぐに顔を背けた。
 
「麻薬を投与するというのはそう言うことなんです。だからハインツ先生は悩んでいたし、私は使おうと思ったこともありません。」
 
「・・・・・・・。」
 
「ただし、決めるのは患者です。クリフは自分の死期が近いことを知っています。今痛みを取り除ければそれでいいというならその通りに、たとえ死期が近くても、最期まで少しでも長らえたいと思うのならばその通りに、ハインツ先生が判断するでしょう。」
 
「そうか・・・。」
 
「ところでオシニスさん、ライラと話をするときに、イルサがいてはまずいですか?」
 
「いや、別に機密事項ではないから構わんが・・・」
 
「それでは少しの間イルサをお願いできませんか。一度クリフの病室に顔を出してきたいので。」
 
「・・・わかった。様子を見てきてくれ。」
 
「はい。」
 
 オシニスさんと途中で別れ、私は直接診療所へと向かった。この棟の最上階にある『助かる見込みのない患者達の部屋』へと階段を上がる。クリフの治療がうまく行けば、助からないからとすぐに麻薬を用いるような、短絡的な治療法が少しでも減るかも知れない。
 
 
 最上階の病室はどこも日当たりがよく、開け放たれた窓からはさわやかな風が抜けていく。そして強い陽射しを遮るための対策も忘れない。クリフの病室はすぐにわかった。ノックをすると中からハインツ先生の声が聞こえた。中では治療が始まったところらしい。
 
「おやクロービス先生、ライラ博士のほうは大丈夫なんですか?」
 
「今日は剣士団長と話があるそうですから、イルサも一緒にいてもらうことにしてこちらの様子を見に伺ったんですが・・・いかがです?」
 
 ベッドの上には若者がうつぶせになっていた。その背中を妻がゆっくりとさすっている。見た目には『軽くさすっている』ようにしか見えないのだが、実はかなり力のいる作業だ。
 
「どう?痛みが少しは治まったかしら?」
 
「・・・はい・・・。少しだけですけど・・・。」
 
 苦しそうな声で返事があった。若者は顔を入口の反対側に向けているのでどんな顔なのかはわからないが、寝間着から出た手や足はやせ細り、とても王国剣士の体格とは思えないほどだった。この若者が病に倒れてから、まだそんなに長い時が過ぎているわけではないはずだから、それほどまでに病状がよくないと言うことなのだろう。
 
「・・・すみません・・・ずっとマッサージしていただいているのに・・・。」
 
「何を言ってるの。患者が遠慮なんてするものじゃないの。正直に言ってくれなければ治療なんて出来ないんだから。」
 
「はい・・・。」
 
 なんとも律儀な若者だ。マッサージをしている妻の傍らで、ゴード先生がノートに何か書込んでいる。ゴード先生は少しだけ顔を上げて頭を下げたが、またすぐにノートに視線を戻した。そしてその姿勢のまま
 
「奥さん、それでは今度は右脇腹のほうをもう少し強くお願いできますか?」
 
「はい。」
 
 妻は言われたとおりの場所をマッサージし始めた。なるほど今のところは資料作りの段階のようだ。マッサージと言ってもただ闇雲に揉めばいいと言うわけではない。効果を最大限にあげるためには、患者ごとの『一番効果的なやり方』を探さなければならない。
 
「しばらくかかりそうなんですよ。今日一日奥方をお借りすることになりそうですが、構いませんか?」
 
 ハインツ先生がすまなそうに言った。
 
「妻もそのつもりだと思いますから、私は構いませんよ。ところで少しお話をする時間はありますか?」
 
「はい。ではちょっと外に出ましょうか。」
 
 廊下に出て、私はオシニスさんとの話し合いの結果を伝えた。
 
「なるほど・・・。では弟のほうには今日のうちに連絡をしておきます。その計画についても話しておいたほうがいいでしょうな。」
 
「お願いします。」
 
「わかりました。こちらのほうはゴードに任せて、私が直接出向くことにします。へたにメッセンジャーなど使えませんからな。」
 
 話が決まり、中に戻ると妻が少しだけ顔を上げた。
 
「クロービス、ごめんなさいね。私しばらくここでがんばってみたい。ブロムさんに教えてもらったことがどこまで生かせるか、やってみたいの。」
 
「わかってるよ。ライラとイルサのことは心配しないで。」
 
 妻にしても、おじさんがいない場所でこの治療をするのは当然ながら初めてだ。これは不謹慎な言い方かも知れないが、自分の腕を試すチャンスでもある。
 
「申し訳ありませんな。」
 
 ハインツ先生が頭を下げた。そしてここで驚くべきことが起きた。ゴード先生が私の前にやってきて、いきなり頭を下げたのだ。
 
「クロービス先生、奥さんのマッサージの腕前は素晴らしいです。安易に強い薬を用いないというこの治療法を確立させるために、ぜひ奥さんのお力をお借りしたいのです。よろしくお願いします。」
 
「こちらこそお世話になります。よろしくお願いします。」
 
 ゴード先生との間にあった大きな壁が少しは崩れたような気がして、私もうれしかった。別に気に入られたかったわけではないが、同じ道を志す者同士、解り合えないのは悲しい。
 
 
 少しだけ温かい気持ちで、私は診療所をあとにした。ここでは私の出番はない。ハインツ先生の指示の元、ゴード先生と妻がクリフの治療にあたっているのだ。私がすべきことは他にある。そのすべきことのために、もう一度剣士団長室に戻った。中ではライラとオシニスさんが仕事の話をしていて、ちょうどイルサがお茶を淹れているところだった。
 
「あら先生お帰りなさい。ちょうど良いところよ。お茶を淹れたから先生もどうぞ。」
 
「ははは、お茶に惹かれて戻ってきたみたいだね。」
 
「おばさんは?今日は一日ハインツ先生のお手伝いなの?」
 
「そうだね。さっき様子を見てきたけど、しばらくかかりそうだったよ。」
 
「そっかぁ・・・。それじゃ今日は、久しぶりにアスランの病室に顔を出してこようかな・・・。ねえ先生、一緒に行ってくれる?」
 
「いいよ。これからでもいいけどどうする?」
 
「それじゃ、お茶を飲んでから!」
 
 イルサは笑って、お茶を飲み始めた。
 
「・・・それじゃこっちも一休みするか。」
 
 オシニスさんの声が聞こえて、2人が奥の机のそばからお茶のカップを持って、私達のいる来客用のテーブルにやってきた。
 
「クロービス、クリフのほうはどうだった?」
 
 私はさっき見てきたことをそのまま伝えた。新しい治療を始めたからと言っていきなり容態がよくなるわけではない。いや・・・もはやあの状態から『よくなる』ことはない。せいぜい『悪くなるのを遅らせる』事しか出来ない。
 
「なるほどな・・・。あいつは我慢強い奴だが、こうなってみるとその我慢強さが痛々しく思えるよ・・・。」
 
「痛い痛いとあまり喚かれるのも困りますが、何も言わないのはもっと困りますよ。今回の治療では、患者に素直になってもらうというのも一つの目的のようですね。」
 
「死期が近くなるとみんな痛みがひどくなるってわけではないんだよね?」
 
 ライラが尋ねた。
 
「それは病気によるさ。痛みも何もないのに少しずつ確実に体が動かなくなっていくという病気もあるしね。」
 
「それじゃ痛まなければもう少し穏やかに死を迎えられるってこと?」
 
「そう言う考え方もあるけどね。ただ、痛みというのは、言わば体の意思表示だ。どこが悪いのかを特定する手がかりにもなる。痛みがあればわかるのに痛まなかったばかりに手遅れになると言うことだってあるんだから、痛みがないことが必ずしもいいことではないんだよ。もちろん、患者が苦しまなければならないというのはつらいことだけど。」
 
「ふぅん・・・。」
 
 ライラがため息をついた。
 
「鉱山の賄いのおばさんのことかい?」
 
「・・・うん・・・。まあその・・・別に死ぬような話にはなってないと思うけど・・・でも心配だな・・・。いつも腰をさすっているから、せめて痛まなければなあと思うけど、痛まないことが必ずしもいいことじゃないって聞くと・・・。」
 
「確かにどこが痛いのか言ってもらわないと、マッサージも出来ないし薬も塗れないからね。ただ、そのおばさんを診療出来るのは、まだしばらく先のことになりそうだけどね・・・。」
 
「僕も当分帰れそうにないからな・・・。心配だなあ・・・・。」
 
「そのおばさんとやらは、お前のほうを心配しているようだぞ。」
 
 オシニスさんがカップを口から離してくすりと笑いながら言った。
 
「え・・・?」
 
 ライラが驚いて顔を上げた。
 
「さっき、手紙が来たばかりだと言ったろう?その中に書いてあったのさ。ロイやそのデボラさんという人の見ていないところで、お前がまた無茶をしているんじゃないかとね。」
 
「そ、そうですか・・・。ははは・・・まだまだ僕は頼りないのかな・・・。」
 
 ライラが赤くなって頭をかいた。イルサが何か言いたげに顔を上げたが、いたずらっぽく笑っただけで、またお茶のカップに視線を戻した。
 
「ま、その人にとっちゃお前は孫のようなものらしいから、いつまでたっても心配なんだろう。近いうちに返事を出すから、その人のことを気にかけておいてくれるように頼んでおくよ。」
 
「よろしくお願いします。」
 
 
 お茶の時間が終わったところで私とイルサは腰を上げた。アスランの病室に顔を出すという私達に、オシニスさんは『少しアスランを元気づけてやってくれ』と言った。やはりこの間のことでアスランは意気消沈しているのだろうか・・・。
 
 
「ねえ先生、アスランのリハビリはうまく行ってないの?」
 
 歩きながらイルサが言った。
 
「いや、そういう話は聞いてないけどね。ただ、先生もしばらく顔を出していないから、最近の様子はわからないな。」
 
「この間は訓練場に顔を出していたのにね。」
 
「そうだね・・・。」
 
「さっき団長さんがあんなこと言うから、何だか気になって・・・。」
 
「これから行ってみればわかるさ。」
 
「それもそうね。」
 
 診療所について、病室に近づいたとき・・・・
 
「いい加減にしなさいよ!」
 
 扉の向こうから突然怒鳴り声が響いてきて、思わずノックをする手がとまってしまった。
 
「ほっといてくれよ!」
 
 これはアスランの声だ。これだけ大きい声が出せるなら、回復の度合いは問題なさそうだが・・・
 
(何だかもめてるみたいね・・・。)
 
 イルサが囁いた。
 
(立ち聞きするわけにも行かないから、とにかく入ろう。)
 
 思い切りノックをした。扉の向こうでハッと息をのむ音が聞こえたような気がして、『どうぞ』と小さな声で返事があった。
 
「まあ先生・・・イルサさんも・・・。」
 
 出迎えてくれたセーラの顔には、明らかに困惑の色が見える。
 
「取り込み中のようだけど、どうかしたかい?病室で怒鳴り合うのは感心しないな。」
 
「も、申し訳ありません・・・・。」
 
 セーラは慌てて頭を下げた。
 
「でも今聞こえた言葉だけを聞く限り、何だかセラフィさんがアスランを怒っていたみたいだったわ。何かあったの?あ、その・・・私が聞いてもいいことなら、だけど・・・。」
 
 さすがのイルサも、今この病室の中に流れる重い空気に戸惑っている。
 
 セーラはちらりとアスランのベッドを見やり、少しだけふくれっ面になった。
 
「ええ、もちろん大丈夫です。お兄ちゃんはすねてるだけなの。思い通りにならないからって、すねて、ふてくされて、八つ当たりして、リハビリもさぼってるんですから。」
 
「余計なことを言うな!」
 
 ベッドからアスランの怒鳴り声が聞こえた。
 
「余計なことかも知れないが、リハビリをさぼっていると聞いては黙っていられないな。何があったんだい?」
 
 私はアスランのベッドをのぞき込んだ。アスランはばつの悪そうな目を私に向けたが、すぐに背中を向けてしまった。
 
「すみません・・・。ちょっと苛ついてて・・・何でもないんです。少し寝ますから。」
 
「また逃げるの?」
 
 セーラの鋭い声が飛ぶ。
 
「うるさいって言ってるだろ!いいんだよ、俺は怪我人なんだ!体を休めて何が悪い!?」
 
 アスランは言うだけ言うと毛布を頭からかぶってしまった。
 
「・・・・・・・。」
 
 セーラはむっとした表情のまま、しばらくベッドのほうを見ていたが・・・
 
「こうなったらもう話も出来ないんです。私もすることがないから、お茶でも飲みに行くんですけど・・・。」
 
 セーラは言外に『少し話を聞いてくれ』と言っているようだ。
 
「仕方ないね。それじゃ私達も引き揚げようか。」
 
 そう言いながらイルサに目配せをした。イルサは気づいたようで
 
「そうね・・・。仕方ないわね・・・。」
 
 そう言って、セーラの肩にそっと手をかけた。
 
 
 私達は東翼の喫茶室にやってきた。ここならばアスランに話を聞かれる心配なしに、セーラと話が出来る。
 
「最近はずっとあんな調子なのかい?」
 
「はい・・・。」
 
 セーラは悔しそうに唇を噛みしめた。
 
「でもリハビリは順調だったんじゃないの?どうして急にあんな・・・」
 
 イルサはすっかり驚いている。無理もない。つい数日前まで、アスランは希望を持ってリハビリに取り組んでいたし、日一日と効果は現れてきていたのだ。
 
「それが・・・。」
 
 セーラが言いにくそうにしているところをみると、やはり原因はこの間のイルサとライラの訓練か・・・。
 
「セーラ、君が考えていることを、ここで言ってくれて構わないよ。」
 
「で、でも・・・。」
 
 セーラが気遣わしげな視線をイルサに向けた。以前のような鋭さも敵意も感じられない。少なくともセーラ自身は、兄の変貌を『イルサのせい』と思っているわけではないようだ。
 
「・・・どういうこと?先生もセラフィさんも、アスランがどうしてあんなになってしまったのか知っているの?」
 
「ああ、知っているよ。セーラは言いにくそうだから私から言おう。」
 
 そして私の口から語られた、『アスランの変貌の原因』を聞いたイルサはすっかり驚き、肩を落とした。
 
「私の・・・・せい・・・?私とライラのあの訓練が・・・・。」
 
「君のせいじゃない。もちろんライラのせいでもね。」
 
「・・・先生のおっしゃるとおりです。イルサさんのせいじゃないんです。お兄ちゃんは自分を責めてるの。責めている間は、逃げてる自分にいいわけが出来るから。」
 
 なかなか手厳しい。
 
「アスランは君を守れなかったことをとても悔やんでいた。でも敵の手数の多さと腕を考えれば、それは仕方ないことだった。今まではそう納得していたんだ。そう言う意味では何の問題もなかったんだ。アスランはすでに自分の力不足を認めていたし、体が回復したらその不足分を埋めるために、すぐにでも動き出すつもりでいただろう。ところが、実はあの時、もう一つの選択肢があったかも知れないと、君とライラの訓練を見ていて彼は気づいたんだと思う。」
 
「もう一つの・・・あ!あそこで止まらずに逃げ切るって言う?」
 
「そういうことだよ。君の足は速い。アスランだって王国剣士として鍛えてある。囲まれた時点で迷わずに逃げることを選んでいれば、2人で相手の攻撃をかわしながら、東門までたどり着くことは充分可能だったはずだ。」
 
「でも・・・そんなにうまく行ったかどうかなんてわからないじゃない・・・。」
 
「もちろん。それに、君達が逃げている途中で囲まれてしまったら、あの場所で私達が君の悲鳴を聞くこともなかっただろう。そうしたらアスランは本当に殺されていたかも知れない。」
 
「それじゃ・・・やっぱりどうしようもなかったんじゃない!」
 
「そうだよ。」
 
「もう!先生そんなに落ち着いていないでよ!」
 
 イルサがじれったそうに声をあげた。
 
「さっきの先生の話はあくまでも一つの可能性だ。だが、これしかないと考えて選んだはずの道が、実は他にも選択の余地があったかも知れないとか、そっちを選んでいたらこんなことにならなかったかも知れないとか、そんなことを考えてしまうと、人間てものは悩んでしまうものさ。」
 
「でも悩んだままでいたら、いつまでもリハビリが進まないわ。」
 
「その通り。だからセーラは何とかアスランの気持ちを奮い立たせようといろいろと試みているようだけど、今のところ効果は上がっていない、そんなところかな?」
 
 セーラがうなずいた。
 
「ずっと順調だったのに、あの訓練を見た翌日から、頭が痛いとか気持ちが悪いとか言ってリハビリに行かなくなって・・・。そのくせ食事はおかわりするほどなんだからこれは仮病だって、ハインツ先生もゴード先生も気づいたみたいです。でもこの治療は無理矢理やらせても効果は出ないから、しばらく様子を見ようってことになって・・・。」
 
 それでハインツ先生の手が空いたので、最近とみに病状が悪化しつつあるクリフに、最後の手段を講じるかどうか思案していたということか・・・・。どっちを向いてもつらい決断ばかり迫られる、昨日のハインツ先生のため息は、そんなやるせなさも含んでいたのかも知れない。
 
「そういうことだったのか・・・。しかしこのままにしてはおけないな。少しアスランと話をしてみよう。今いきなり前向きになることは出来なくても、もう少し落ち着いて考えてもらうように説得してみよう。」
 
「すみません・・・。先生のお手を煩わせて・・・。」
 
 セーラがすまなそうに頭を下げる。
 
「煩わしくなんかないさ。最初から関わってしまった患者だからね。今は手を離れたとは言え、やはり回復が思わしくないというのは気にかかるよ。今から行ってみようか。」
 
 3人で喫茶室を出て、アスランの病室の前に着いた。ノックをしようと手をあげかけた瞬間に中から聞こえてきたのは、『いてっ!』と言う声と共に何かがぶつかる音、そして『ふざけるな!バカやろう!』という怒鳴り声だった。よくよく怒鳴り声に縁のある日だ。しかしこの声は・・・。
 
「・・・先生の出る幕はなくなったかも知れないな・・・。」
 
 言いながらつい笑みがこぼれた。最後に聞こえた怒鳴り声の主が、我が息子カインの声だと気づいたからだ。だがここで聞いていては立派な立ち聞きだ。中に入って堂々と聞くべく、私はノックして扉を開けた。
 
「何が俺さえいなければだ!?君がいなければ、イルサはすぐにでも掠われていたかも知れないじゃないか!?」
 
「俺がいなければイルサさんは逃げられたさ!あれだけの腕であれだけ足が速くて、相手の隙を突くのも抜群にうまいじゃないか!俺さえいなければあんなことにはならなかった。みんなを巻き込むこともなかったし、俺だってこんなリハビリなんてしなくてすんだんだ!」
 
「いい加減にしろ!」
 
 怒りに満ちた叫び声と共に振りあげられた息子の腕をつかんで『やめなさい!』と叫んだ。気持ちがわからないわけではないが、患者をこれ以上殴らせるわけにはいかない。息子は腕を掴まれてぎょっとして振り向き、初めてそこに私達がいると気づいたらしい。そして私の隣に立っているイルサの顔を見て、また驚いて後ずさった。
 
「気持ちはわかるが、まずは落ち着いてくれ。」
 
「父さん・・・。」
 
 息子が腕の力を抜き、私は息子の手を離した。殴られて床に倒れたアスランは、本能的に手近な棚に掴まって立ち上がろうとしている。手を貸そうとしたセーラを手で制し、私はそのまま息子に話しかけた。
 
「仕事はどうしたんだ?」
 
「今日は休みなんだ。さすがに連続一ヶ月休みなしってわけにはいかないからね。でもローテーションの状況次第だから、わりと不定期なんだよ。今日の休みも昨日の夜聞いたばかりなんだ。」
 
「ずいぶんと急だな。でもそれならしっかり体を休めておくのも一つの方法だよ。」
 
「うん・・。それで病室に来たら何だかこいつが・・・・」
 
 アスランに振り向いた息子の声がとぎれ、私達もそちらを見た。そこには、アスランが『立っていた』。何にも掴まらず、何にも寄りかからず、立って・・・そして『自分が立っている』という事実に、アスラン本人が一番呆然としていた。
 
「どうやら、リハビリは順調のようだね。」
 
「・・・先生・・・・俺・・・・。」
 
「頭は冷えたか?2人とも。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 2人はお互いにばつの悪そうな顔を向けた。
 
「冷えたよ。今はね。」
 
 カインはムスッとした顔のまま答えた。何事にも素直で、いくらカッとなっても、頭が冷えればたいていの場合すぐに『ごめん』と謝る息子だが、さすがに今回はそうすぐに頭を下げる気にはなれないようだ。それはアスランも同様らしく、カインと目を合わせられずに顔を背けている。
 
「お兄ちゃん、足・・・ずっと立ってて大丈夫なの?」
 
 セーラが不安げにアスランの足元を見た。
 
「あ、ああ・・・。なんて言うか・・・怪我する前の時と同じような感じかな・・・。」
 
「今までのリハビリでも少しは歩けたようだね。」
 
「はい・・・。」
 
「では歩いてみてくれ。もちろん、何にも掴まらずだ。だが無理はしなくていいよ。さあみんな、扉の前まで下がってくれ。」
 
 そんなに広い病室ではないが、歩けない患者にとってベッドと扉の距離は、とてつもなく遠く感じるものだ。私達は扉の前まで下がって、そこにアスランが歩いてくるのを待った。アスランはどうやら立っていることは出来るようだが、そこから一歩を踏み出すことに躊躇している。
 
「・・・・・・・・・。」
 
 誰も何も言わなかった。ただアスランが歩き出すのを、誰もが息を殺して待っていた。やがて・・・・。
 
 一歩。
 
 アスランの足が前に出た。片足を前に出そうとすれば、その瞬間だけはもう片方の足一本で体を支えなければならない。健康な人間なら誰でも意識せずにやっていることだが、今のアスランにはそれさえも大きな負担となる。以前50歩ほど歩いたときはリハビリ専用の部屋で、バランスを崩せばすぐに掴まれる場所に手すりのついている場所だったはずだ。今、彼の両脇には、支えてくれそうなものは何もない。また一歩。次の足が前に出る。踏み出した先の床の感触を確かめるかのように、アスランは慎重に歩き始めた。その姿を見ている息子の横顔には涙が流れている。それはセーラもイルサも同様だった。やがてアスランは扉の前にいる私達の元にたどり着いた。それを待っていたかのように息子が両腕を差し出し、アスランは迷わずにその腕の中に倒れ込んだ。
 
「歩けたぞ・・・。カイン・・・・誰の手も借りずに、やっと・・・。」
 
 アスランの顔も涙で濡れていた。
 
「見てたよ・・・。なんだよ、歩けるじゃないか・・・。へそ曲げてすねてふて寝する必要なんて・・・どこにも・・・。」
 
 息子の声が涙でつまる。
 
「だよなぁ・・・。ははは・・・もう一生歩けない気がしてたんだ・・・。リハビリのたびにみんな励ましてくれたけど、今まで当たり前に走ったりしてたのに、まっすぐ歩くだけですごく時間がかかって・・・本当は、自信を無くしかけてた・・・。」
 
 『絶対がんばる』と公言してしまった手前、そんなつらい胸の内を誰にも話せずにいたのか・・・。そこにイルサとライラの訓練を見てしまって、すっかり自信を失ってしまった・・・そう言うことだったらしい。
 
「殴ってごめん・・・。でも、あんな君を見ているのがつらくて・・・。」
 
「謝るのは俺のほうだ。ふてくされていたのは本当だよ。俺は真っ先にやられて、未だにまともに歩くことすら出来ずにいた・・・。でもイルサさんが本当はあんなに強いってわかって、俺なんて役に立たないどころか、足手まといだったんだって思っちまったんだ・・・。俺さえいなければ、何もかも丸く収まっていたような気がして・・・。」
 
「もう大丈夫だよな・・・・?」
 
「ああ・・・・!またがんばる。俺が仕事に復帰できたら、お前の夢も俺の夢も、これから・・・また叶えていけるよな・・・?」
 
「あったり前じゃないか!またいっしょにがんばろうよ!」
 
「・・・たまには、喧嘩もいいもんだな・・・。」
 
「・・・ははは・・・たまにならね・・・。」
 
 
 喧嘩しなけりゃ本音を言えないなんてのは、たぶんまだまだ本当の信頼関係を築けていないからだ。でも二人はまだ18歳なのだ。あの日、この同じ場所で出会ったカインと私よりも、ずっと若く、幼い・・・。そして出会ってまだほんの何ヶ月かしか過ぎていないのだから、今はこれでいい。信頼も絆も、そう簡単に築けるものではないが、きっと今回のことがいいきっかけになる。
 
「お兄ちゃん・・・ごめんね・・・。」
 
 兄とその相方のやりとりを黙って聞いていたセーラが、頭を下げた。
 
「ん・・・なんだよ?」
 
 アスランが息子から体を離し、セーラに振り向いた。ゆっくりとならば、立ったまま体の向きを変えることも出来るようだ。
 
「お兄ちゃんの気持ち、わかってあげられなかった・・・。これじゃ看護婦失格だわ。」
 
「ばぁか。そんなこと言うな。悪いのは俺の方だよ。おまえが一生懸命気遣ってくれているのに、へそ曲げて素直になれなかったんだから。」
 
「だけど・・・これがお兄ちゃんじゃなくて他の患者さんだったら、やっぱり気持ちをわかってあげられないって言うのは・・・。」
 
「おいこら、おまえいくつだ?」
 
「な、何よ、急に?16歳よ。妹の歳を忘れちゃったの?」
 
 セーラが口をとがらせる。
 
「そんなんじゃないよ。俺が言いたいのは、おまえの歳で人の気持ちを何もかもわかってやれるなんて言われたって、かえって嘘くさいってことさ。」
 
「・・・そう・・・・?」
 
 セーラはちょっとだけ不安げに、兄を上目遣いに見ている。
 
「そうだよ。それにさ、別に今完璧でなくたっていいじゃないか。これからなればさ。」
 
「へへへ・・・そうかな・・・。」
 
「そうだよ。そんなこと気にするな。」
 
 アスランは妹の額を、人差し指で突っついて笑って見せた。そして今度はイルサに向き直った。
 
「イルサさん、ごめん・・・聞いたと思うけど俺・・・。」
 
「わかってるわよ。でもこれだけ言わせて。私、あのときアスランに守ってもらって本当に感謝してるって。」
 
「・・・ありがとう・・・。」
 
「いやぁね、お礼を言うのは私の方よ。それに・・・。」
 
 イルサはアスランと息子の顔を交互に見て、いたずらっぽくニッと笑った。
 
「2人の『男の友情』を見せてもらったし。」
 
「そ、そんなことを改めて言われると、すごく照れるんだけど・・・。」
 
 息子が赤くなった。
 
「そ、そうだよな・・・。ついさっきまで大喧嘩だったし・・・。」
 
 アスランも赤くなって頭をかいた。
 
 若者達の微笑ましいやりとりを聞いている間、以前私が作ったアスランのリハビリ計画書を思い出してみた。順調にいけば今頃は、何もない場所での歩行訓練がちょうど始まっているころだったはずだが、少し間があいたことで、計画が後戻りしているかも知れない。あとでハインツ先生とゴード先生に確認しておこう。もしも今の時点での一人歩きが『無理』な状況だったのであれば、ちゃんと謝って置かなければならないし、もう一度計画を練り直さなければならないかも知れない。だが今は、そのことは私一人の胸に納めておこう。
 
「あらいいじゃない。喧嘩なんて誰だってするわ。それより、そろそろベッドに戻ったほうがいいんじゃない?」
 
「そうね。お兄ちゃん、今度は私に掴まって。まだ無理はしないほうがいいわよ。」
 
 アスランはうなずいて、素直にセーラに掴まってベッドに戻った。
 
「あとでハインツ先生と会うから、今のことは報告しておくよ。明日からはまた、リハビリを再開すると言うことでいいんだね?」
 
「はい・・・お願いします。、あの、先生・・・。」
 
 ベッドの上に体を起こして、アスランはすまなそうに私を見た。
 
「ん?」
 
「さっきは・・・すみませんでした。八つ当たりの勢いで失礼な態度取って・・・。」
 
「ああ、そんなことか。気にすることはないよ。誰だってイライラするときはあるものさ。それより、今日は一日静かにしていたほうがいいかも知れないな。カイン、お前は今日はずっとここにいるのか?」
 
「そのつもりで来たんだ。ずっと忙しかったからここに来るのも久しぶりなんだよ。今日はゆっくりアスランと話をしたいなと思って。」
 
「そうか・・・。イルサ、君もここにいるかい?」
 
「私はもう行くわ。アスランが順調に回復してるってわかったし。」
 
「そうか・・・。それじゃ、引き上げようか。」
 
 カインとアスランが一緒にいるところに、ずっといたくはないのかも知れない。そう考え、私はイルサを連れて病室を出た。そのまま最上階に足を伸ばし、クリフの病室に行ってみると、クリフは眠っているようだ。そして部屋の片隅に置かれたテーブルに、ハインツ先生と妻とゴード先生が座り、何やら小声で話し込んでいる。私がさっきの出来事を伝えると、ハインツ先生はホッとした表情を見せた。
 
「やる気を出してくれましたか・・・。いやよかった・・・。クロービス先生のご指摘どおり、あれ以来まったくやる気を無くしてしまって、我々もどうしたものかと思案していたんですよ。せっかく事前にご忠告いただいたのにまったく生かせず、申し訳ありませんでした。それに結局お世話になってしまったようで・・・。」
 
「とんでもない。今回のことは、カインの機転ですよ。私の息子ではありますが、そのことは関係なく、カインはアスランの相方として、一生懸命説得してくれたんです。」
 
 いささか乱暴なやり方ではあったが・・・。
 
「ううむ、男の友情ですか。美しいものですなあ。」
 
 ハインツ先生は感慨深げに呟いた。私は、今後アスランがやる気を無くすことはないだろうと言うことと、しばらくリハビリが出来ていなかった状態で今日一人歩きしたことが、今後のリハビリ計画に何かよくない影響を及ぼすのではないかと心配していることを、隠さずに伝えた。
 
「ご心配には及びませんよ。」
 
 出会ったばかりのころとは別人のように柔らかい物腰で、ゴード先生が答えた。
 
「休んでいたのはほんの何日かのことですから、大きな影響が出ると言うほどではありません。今日は一日静かにして、明日からはもう、何もない場所での歩行訓練に移っても問題はないでしょう。」
 
「それを聞いて安心しました。ではよろしくお願いします。」
 
 病室を出た。さてこれからどうしよう。もう一度剣士団長室に戻るか・・・。
 
「イルサ、君はこれからどうする?」
 
「あのねぇ・・・先生はここの中庭に行けるのよね?」
 
「行けるよ?君も行ってみるかい?」
 
「うん、ちょっと見てみたいなって・・・。」
 
 それが本当の理由でないことはわかる。さっきアスランに謝られたときには気にしていないそぶりだったが、やはり自分のせいでアスランがやる気を無くしたというのはショックだったんだと思う。もちろんそれは、断じてイルサのせいなどではないのだが・・・。
 
 
 中庭は相変わらず静かだ。清楚な草花が咲き、さわやかな風が吹きすぎていく。その片隅に座り、イルサは大きくため息をついた。
 
「あの訓練がアスランを傷つけていたなんてねぇ・・・。」
 
「君が気にすることじゃないよ。君のせいじゃない。」
 
「そうは思うんだけど・・・・やっぱり悲しかったわ。あんな風に思われていたなんて・・・。」
 
「多分アスランは今頃、君の何十倍も自己嫌悪に陥ってるよ。そしてそれをセーラとカインが慰めてる、そんなところかな。」
 
 この想像は多分、当たらずとも遠からずだろう。イルサが笑って流してしまったことで、アスランはあれ以上その話題を続けられなくなった。本当なら、もっともっと、何度でも謝りたかったに違いない。
 
「そうかな・・・。」
 
「・・・そうだよ。」
 
「・・・ねえ先生、私、どうすればいいのかなあ・・・。」
 
「どうって、何を?」
 
「おばさんから聞いた?私とアスランのこと。」
 
「すこしね。」
 
「・・・たまたま図書室で出会って、たまたまお手伝いしてもらうことになったから、食事でもって思っただけなんだけど・・・」
 
 イルサは言いかけてやめ、ふふっと笑った。
 
「はぁ・・・嘘ついちゃいけないわよねぇ・・・。本当は、カインのことを聞きたかった・・・。カインが今どんななのか、昔と変わりないのか、彼女とか出来たのか、なんて、気になることを聞き出そうとしてたんだわ。私がそんなずるいことを考えていたのを知っていて、アスランはまっすぐな気持ちをぶつけてくれた・・・。」
 
「でも受け入れることは出来なかった?」
 
「だって・・・私が嘘つきだったんだもの。そして、アスランに対してそう言う気持ちを持ってないのを承知で『はい』なんて言ったら、嘘の上塗りよ。そんな卑怯なこと、いくら何でも出来ないわ・・・。」
 
「と言うことは、もう答えは出てるんじゃないか。」
 
「そうなんだけど・・・・だけど・・・!こんなことになって、それでもアスランが私を気遣ってくれているのがわかるんだもの・・・。」
 
「先生は残念ながら、その手の相談にはほとんど役に立てないんだけどね、これだけは言えるよ。どんな時でも、自分がどうしたいかは自分で決めるしかないんだ。」
 
「そうよね・・・。」
 
「君達は若いんだから、今出た答えが全てでなくてもいいんじゃないのかな。これから先もアスランと交流があるとするなら、また違った答えも出るかも知れないよ。」
 
「でも変わらないかも知れないわ。」
 
「それならそれでいいじゃないか。これから先のことなんて、誰にもわからないよ。」
 
「・・・自分でもわからないんだものね。」
 
「そういうこと。先生だって明日のことなんてわからないよ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 イルサは黙ったまま宙を見つめている。イノージェンにそっくりな淡いすみれ色の瞳。その瞳にこの先映るのは、アスランなのか、他の誰かなのか・・・。
 
 その時、不意に頬を撫でていたさわやかな風がとぎれ、誰かが私達の前に立つ気配がした。顔を上げると、そこにはなぜかスサーナが立っている。剣士団長室から泣き顔のまま飛び出した、あの日以来会うのは初めてか・・・。だがなぜここにいるのだろう。
 
「君か。どうしたんだい?」
 
「イルサさん、剣士団長がお呼びですわ。」
 
 この娘は感情に流されやすいが、礼儀正しい娘だ。なのに声をかけた私を無視して、イルサに声をかけた。これはおかしい。
 
「私を?どうしてですか?」
 
 イルサは不安げだ。
 
「そこまでは聞いておりませんの。クロービス先生、ここから剣士団長室まではわたくしに護衛をするようにと命じられておりますから、先生はこのままここにいらっしゃってよろしいそうですわ。」
 
 この言葉で、この剣士の嘘がわかった。だがここで騒ぎ立ててはまずい。
 
「いや、私にも護衛としての責任があるからね、一緒に行こう。」
 
 イルサと一緒に私も立ち上がった。
 
「い、いえ、本当にわたくしが命じられておりますから、先生のお手を煩わす必要はないと・・・。」
 
 少しずつスサーナの歯切れが悪くなってくる。
 
「別に嘘だなんて言っていないよ。ただ私にも責任があるから、君にその責任を押しつけて知らぬ振りというわけにはいかないんだ。」
 
「で、ですが・・・。」
 
 スサーナは私と目を合わせようとしない。
 
「さあ、行こうじゃないか。イルサ、さっきの話はまたあとでしよう。」
 
「え、ええ・・・そうね。」
 
 イルサは勘の良い娘だ。私とスサーナの間に流れる、不穏な空気を感じ取ったらしい。
 
「い、いいえ!わたくしが命じられておりますの!ですから・・・!」
 
 スサーナは半ば叫ぶように言って、何と剣の柄に手をかけた。思わず身構えたが、スサーナは次の瞬間『うっ!』と呻き、恐怖でひきつった顔で、中庭の入口を見た。
 
「こんなところで剣の柄に手をかけて、いったい何をするつもりだったの?」
 
 そこに立っていたのは、息を切らせたシェリン。スサーナの相方だ。
 
「あ・・・あなたが・・・なぜ・・・こんなことを・・・」
 
 スサーナの目から涙が一筋こぼれた。だが体は動かない。そうか・・・。たった今シェリンは、スサーナに麻痺の気功をかけたのだ。
 
「・・・それはこっちの台詞よ。私のほうこそ聞かせてほしいわ。何であなたがあのおかしなローブ男と話をしていたのかをね。」
 
「それは穏やかじゃないな。どういうことなんだい?」
 
 スサーナの態度はあまりにもおかしいが、こうもタイミングよく現れたシェリンも信用出来ない。嘘をついているのはどっちだ?スサーナか?シェリンか?もしかしたら両方か・・・。
 
「さっき、私見てたんです。」
 
 シェリンが麻痺の気功で動けなくなったままのスサーナに近づきながら、悲しげに言った。
 
「スサーナが顔までフードで隠したローブの男と話をしていたのを。」
 
「どこでだい?」
 
「王宮の塀の裏側です。牢獄に行く途中の道で、王宮の門からも牢獄の門からも死角になる場所があるんです。それであとをつけてきたら・・・。」
 
 その場所ならば心当たりがある。先日牢獄に出向いたとき、オシニスさんと私がチェリルの件で話をしたあたりだろう。だが・・・これで確信できた。この娘もまた嘘をついている。
 

第67章へ続く

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