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第66章 伏兵

 
−−今ここから出て行かれた方達は−−
 
−−あんたは誰だ?−−
 
−−おお、これは失礼を、わたくしは・・・・−−
 
 セーラズカフェのマスターから渡された紙切れには、マスターと『若い男』の会話が書かれていた。
 
『出来る限り奴が言った言葉をそのまま書いたが、全部憶えているわけじゃないからな。よく憶えていないことは書いてないぞ。』
 
 マスターはそう言っていたが、こうして読む限り会話の間に矛盾もないし、話がきちんと繋がっているところを見ると、会話の内容はすべて網羅されていると思って間違いないようだ。
 
「・・・何が目的なのかしら・・・。」
 
 妻が不安げに呟く。
 
「どうなんだろうなあ・・・。でも特におかしなことを聞いているわけではないんだけどね。」
 
 私の考えたとおり、『若い男』はクイント書記官だった。会話の内容としては、私達がセーラズカフェを出ていくのを見かけて、この店にはよく来るのかとか、どんなものを食べたのかとか、その程度のことをいくつか聞いていっただけらしい。
 
「今回も何かありそうな雰囲気を匂わせて終わりってこと?」
 
「それもさっぱりだよ。何が目的なのか・・・。」
 
 本人を捕まえて問いつめてやりたいところだが、特に妙なことを聞かれたわけではない。会えば丁寧に挨拶してくれるし、今のところ彼を問いつめられる材料は全くないのだ。それがすべて計算なのか、本当に邪気がないのか・・・。出来るならばいいほうに信じたいところだが、彼が私やレイナック殿と何らかの関わりがあるかも知れないことは確かだ。そしてそのことを利用して何かを企んでいると言うことも充分考えられる。
 
「この話は後で考えよう。それより、今日のことだよ。」
 
 今考えても何も浮かびそうにない。
 
「カインが来るまでにはまだ少し時間がありそうね。」
 
 妻もあきらめたようにため息をついた。
 
「そうだね。」





 この紙をもらったあと、セーラさんが用意してくれたデザートを食べて、私達はセーラズカフェをあとにした。もう一度南門を出て、まだ見ていなかったテントを覗いたり、せっかく晴れたのだからと商業地区のバザーを見て回ったりした。歩いている間中、クリスティーナはずっとライラにまとわりついていた。ライラからリボンをプレゼントされたことを、クリスティーナはとても喜んだらしい。そしてその2人を、いささか苦々しく横目で見ていたのがユーリクだ。ライラが自分の大事な妹に『手を出すかも知れない』とでも思っているのだろうか。
 
(仕方ないか・・・。妹ってのはかわいいらしいからな・・・。)
 
 言うなれば『やきもち』だ。父親が娘をかわいがるのと同じように、兄にとって妹というものは特別な存在らしい。だが、ユーリクが、あるいはライラやクリスティーナがそのことについて何か言い出さない限り、ヤボな口出しはしないでおくのがいいのだろう。
 
「うわぁ・・・・きれいな空。」
 
 イルサの声にみんな一斉に空を見上げた。いつの間にか夕方になっていた。雨上がりの夕焼けはとてもきれいで、みんな少しの間、黙ったまま空を見上げていた。それぞれがどんな思いで空を見上げていたのか、わかるような気もするし、実はまったく理解出来ていないのかも知れない。でも少なくとも、ユーリクの横顔からは朝のようなささくれ立った不安は感じられなかったし、クリスティーナもとても穏やかな笑顔で空を見ていた。この2人の顔を見ている限りでは、今日の祭り見物は成功だったと思っていいだろう。
 
「そろそろ行こうか。」
 
 今日はカインと約束した日だ。あまり遅くならないうちに宿に戻るために、私達は全員で剣士団の宿舎へと向かったのだが、なんとそこにはセルーネさんとローランド卿が待っていた。
 
「母上!」
 
「お母様!ご無事だったのですね!」
 
 ユーリクとクリスティーナがセルーネさんに駆け寄り、2人とも泣き出した。
 
「よしよし・・・心配かけてすまなかったな・・・。」
 
 セルーネさんは涙を浮かべながら、愛する我が子2人の頭を交互になでた。
 
「ここにいても大丈夫なんですか?」
 
「まあな。何とか行動の自由だけは確保出来た。」
 
 声をかけた私に、セルーネさんは照れくさそうに涙を拭きながら答えた。
 
「では疑いは晴れたと?」
 
「疑いと言えるほどのものでもなかったというのが実情さ。ラエルとチェリルが、自分達が会っていたのは私の代理だと言っているだけで、その男の人相風体も何もわからないんだ。2人の持ち物を調べても、実際に私と関係のあるような証拠品は何一つ出てこなかったそうだ。おそらくその男は、甘言を弄して自分の背後にいるのが私だと2人にうまく信じ込ませたのだろうな。信じている人間にとっては、それは紛れもなく真実だ。そりゃ間違いない、嘘などついていないと言うだろう。だが誰が何と言おうとそれは真実ではない。ところが私自身にも、潔白を証明出来るものがないのさ。何と言っても、その男にまったく心当たりがないのだからな。結局、はっきりと潔白だと信じるにはいささか心許ないが、公爵の地位にある者を謹慎させられるだけの証拠はないと言うことになったんだ。」
 
「すっきりしない言われようですね。」
 
「まあな。だが、行動の自由が確保出来たことはありがたい。せめて領地運営だけは何とかしなくてはと思っていたところだったからな。」
 
「なるほど。そちらは待ったなしでしょうからね。」
 
 セルーネさんにしても、今回の騒動が長引けばそれだけローランド卿の立場が悪くなり、ひいては『黒幕』として疑われる可能性が充分にあると言うことはわかっていたのだろう。
 
「ああ。それに、自由に動けると言うことは、私の名前を騙った者の首根っこを捕まえることも出来ると言うことだ。」
 
 言いながらセルーネさんは、左手の手のひらに右手の拳をぶつけて見せた。『パン!』と大きな、痛そうな音がした。こんな光景を以前も見たことがあったような、ぼんやりとした記憶を頭の隅でたどりながら、『セルーネさんの名前を騙った者』の正体を考えた。それが本当にセルーネさん本人でないのなら、一体誰なのだろう。こんな中途半端な罠をしかけるのは・・・。
 
「だが、それは明日からすることにして、今日はもう帰ろう。久しぶりにみんなで食事をしようじゃないか。」
 
「ああ、それがいいな。2人とも、母上にたっぷり甘えていいぞ。」
 
 ローランド卿にも笑顔が戻った。すっきりしないとはいうものの、濡れ衣にもかかわらず拘束されたりしなくて何よりだった。
 
「クロービス、ウィロー、それにライラとイルサ、お前達にも世話になったな。」
 
 セルーネさんが頭を下げたので、ライラとイルサはすっかり慌ててしまった。
 
「ぼ、僕達は特に何も・・・。でも公爵様が謹慎させられるようなことにならなくてよかったです。」
 
「私も・・・その・・・ちょっと余計な口出ししちゃったかなと思ったけど・・・でも2人ともとてもいい子達でしたわ。昨夜は楽しかったんですよ。いろんなおしゃべりして。」
 
「ライラさんとイルサさんにはとてもお世話になりました。すごく楽しかったです。」
 
 クリスティーナが無邪気な笑顔でそう言った。
 
「僕も楽しかったです。機会がありましたら、またお話しさせてください。」
 
 いささか堅苦しいとも思える口調でユーリクが頭を下げた。そんな息子をセルーネさんもローランド卿も、『やれやれ』と言った風に見ている。こんな時はもう少し砕けてもいいと思う。実際さっきまで、ライラやイルサに対してユーリクが取っていた態度とはまるで違う。やはり両親の目を気にしているのだろうか。自分が次期公爵としてふさわしいと認めてもらえるように。言い換えるならば、王家に養子になど入らなくてもいいように・・・。
 
 
 一家が去ったあと、ライラをオシニスさんの元に、イルサを東翼の宿泊所へと送り届けて、私達は今日の重要な目的地である、ハインツ先生の元に向かった。ハインツ先生は診療所の一番奥にある、薬草を保管している部屋に一人でいて、何か考え事をしているようだった。
 
「おや何だかご無沙汰ですね。」
 
「ははは、そうですね。・・・この部屋は初めて入りましたが、すごいですね。一大薬草庫と言った雰囲気だ・・・。」
 
 別にお世辞でも何でもなく、部屋の壁は一面保管庫で覆われている。扉はすべてガラス張りで、中に何の薬草があるのか、すぐにわかるようになっていた。ここにない薬草なんて、何一つないんじゃないだろうか。
 
「王国中で生産される薬については、すべて集めてありますからな。そしてこの保管庫には壁に秘密がありまして、後ろから風を通して中の薬草がかびたりしないように工夫がされているのですよ。」
 
 ハインツ先生が言いながら、手近にあった保管庫の一つを開けて、中の薬草を取り出して見せてくれた。なるほど保管庫の背面は風を通すようになっていて、どうやら外まで繋がっているらしい。
 
「この部屋が診療所の隅っこにあるのは、この仕掛けのためでしてね。」
 
 この『仕掛け』の正体はおそらく、カナの村のドーラさんの薬草庫と同じだと思う。だがもっと精密に出来ている。
 
「当然ながら薬草泥棒には気を使ってますよ。かなり厳重だと思っていいでしょう。」
 
 ハインツ先生はいつもと変わらぬ笑顔で話してくれているが、何だか疲れているようにも見えた。さっき考え事をしていたことと関係あるのだろうか。だが余計な口出しをするわけにも行かない。まずは自分の目的を果たすべく、ラエルとクリフのことを尋ねてみた。オシニスさんに聞けば早かったのは確かだが、ライラの用事を優先させてもらうべきだと考えたのだ。でないとまた話が長引いて、ライラの用事は明日、などと言うことになりかねない。
 
「ふむ・・・確かに号泣していましたねぇ。『僕がバカだったんだ』と何度も言いながら、何だか聞いているこっちまで涙が出そうでしたよ。」
 
 そう言いながら、ハインツ先生は小さなため息をついた。
 
「あの2人の会話は、それほど気の滅入る内容だったんですか?」
 
 ハインツ先生はハッとして顔を上げ、慌てて首を振った。
 
「あ、いや、これは申し訳ない。そうではないのです。内容としては、ラエルが自分の不甲斐なさをわびて、クリフがラエルを慰めるという感じでした。これでラエルも嘘をついたりせず、本当のことをすべて話してくれるだろうと、剣士団長殿は期待していたようです。私が今ため息をついたのは、別のことなんですよ。」
 
「別のこと・・・ですか・・・。」
 
 ハインツ先生はまた一つため息をついて、立ち上がった。
 
「少しお時間はありますか?クロービス先生に、ぜひ聞いていただきたいことがあるんですが。」
 
「構いませんよ。」
 
 ハインツ先生は戸棚に向かい、いくつかの小さな袋を取り出して私達の座っていたテーブルの上に置いた。
 
「これですよ。」
 
 テーブルの上に置かれた袋・・・。よく見ると・・・・これは!?
 
「すべて・・・麻薬ですね・・・。」
 
 ハインツ先生が黙ってうなずいた。
 
「これは一体・・・。」
 
 私達がここを訪ねた目的の一つはラエルとクリフとのことだが、もう一つはまさにこの『麻薬』のことだ。その話題を、まさかハインツ先生のほうから出されるとは思わなかった。
 
「先生はお使いになったことはありますか。」
 
「いえ、私はありません。この薬を使うと言うことは、患者に対して死の宣告をしたと同じことですからね。」
 
 またハインツ先生のため息が聞こえた。
 
「おっしゃるとおりです。私も出来る限り使いたくはない、だが、使わなければならないこともある、それが現実です。」
 
「それは私も理解しているつもりです。私の場合、たまたま今までは使わずにすませることが出来た、と言うことなんだと思います。」
 
「しかし、痛みで苦しむ患者もいたでしょう?そう言うときはどうなされたのです?」
 
「私の師の方針で、薬だけで痛みを和らげるのではなく、通常より少し強い痛み止めを投与しながら、マッサージなどでしのいできました。内臓の痛みでも、背中をさすったりすればある程度は違いますからね。」
 
「なるほど・・・。マッサージですか・・・。」
 
 ハインツ先生は今ひとつ乗り気でなさそうな声で呟いた。
 
「こちらの患者達にも通用するかどうかと聞かれるとなんとも言えませんが、私の島の患者には効果がありましたよ。」
 
「ああ、いや・・・マッサージそのものについての効果を疑っているわけではありません。的確な方法でマッサージをすることで痛みを和らげることが出来るというのは、私も理解しています。ただ、そう方法をとろうとすれば、人手が必要なのではありませんか?」
 
「それはほとんど私の役目なんです。」
 
 妻が答えた。死期の近づいた患者が体の痛みを訴えるようになった場合、薬を少し強くして妻やブロムおじさんがマッサージを担当してくれる。たまに私もマッサージをするが、たいていの場合、私がその日やってくる患者達に対応し、ブロムおじさんが妻と2人で患者につきっきりになるということが多い。診療所には入院の施設はないので、ほとんど一日、場合によっては徹夜で患者の家に行ったきりになることもある。今までそれでやってくることが出来たのは、昔より人が増えたとは言え、所詮は小さな島でのこと、それほどの大病を患う患者が今まで出なかったというのが、大きな要因だと思う。だが、たとえば重い病気で苦しむ患者が出たとしても、その苦しみを和らげるためとは言え、そう安易にこんな薬を使うべきでないことに変わりないのではないかと思う。医師会の診療所の患者達の中にも、助からないとは言え、そんなにひどい症状ではない患者達もいるはずだ。この薬を投与されさえしなければもう少し長生き出来るかも知れないのに、治療のために命を縮められるなんて、そんなばかな話があるものか。だが、医師会でうちの診療所と同じことをしようと思えば、まず人を雇って技術を憶えさせて、となるのだろうから、かえって大変なのかも知れない。ましてやその『技術』を伝授できる人材さえ、ロクにいないという状況ではなおさらか・・・。
 
「ううむ・・・それは我々にとってはかなりの負担ですが・・・しかし、そう言う手もありますね・・・。最初から薬に頼ることを考えるよりは・・・人手を増やして・・・。うむ・・・やはり・・・いや、でも・・・」
 
 ハインツ先生の声は途中でとぎれ、重苦しい沈黙が少しずつあたりを支配し始めた。
 
「これを近々誰かに投与する予定なんですね。」
 
 ハインツ先生は考え込んだ姿勢のまま、目だけを私に向けて小さくうなずいた。
 
「ええ、先ほど話の出た、クリフにですよ。」
 
「・・・え・・・?」
 
「ラエルに会わせたいと剣士団長殿から話があったとき、一番心配したのはクリフが途中で苦しみ出したりしないかということでした。友のそんな姿を見てしまったら、ラエルがかえって自暴自棄になってしまう可能性もありますからね。」
 
「クリフはそれほどまでに悪いのですね・・・。」
 
「正直なところ、ラエルとあんなに普通に会話出来たのが奇跡とも思えるくらいです。彼の体の中はもうボロボロです。いつ意識を失ってもおかしくないし、そうなればもう、目を覚ますことはないでしょう。」
 
「そうですか・・・。」
 
「だが、もはや助からないとわかっている患者相手でも、この薬の投与は勇気が要ります。私ごときに、一つの命の終わりを宣言するなどという大それたことが許されるのかどうか、いつも迷っていますよ。」
 
「・・・・・・・。」
 
 命に線を引いて、ここまでで終わりだ、などと・・・誰だって言いたくはない。お前は医者だろうと言われたところで、人としてそれが許されるかどうかという迷いは常に心の奥にある。
 
「そんなことを考えて迷っているときにあの2人の会話を聞いたので、余計に考えすぎているのかも知れませんが・・・・。何とか使わずにすませることは出来ないものかと・・・。」
 
 言ってからハインツ先生はふふっと小さく笑った。
 
「こんなことばかり言っているから、いつも会長から自覚が足りない、なんて言われるのでしょうねぇ・・・。」
 
「誰でも同じだと思いますよ。もしも私がハインツ先生の立場なら、なんと言われようと使えないかも知れません。」
 
「そうかも知れませんが・・・。はぁ・・・それでもどこかで決断を下さなくてはならないのでしょうね・・・。」
 
「マッサージが必要ならお手伝いしますわ。」
 
 妻が言い出した。
 
「いや、そこまでお手を煩わせるわけには・・・。」
 
「煩わしくなんてありませんわ。ハインツ先生のお悩み、私も理解出来ます。誰だって患者さんにはよくなってほしいのに、それが叶わないんですもの。それだけでもつらいのにその上・・・死を前提にした薬を使う決断なんて、そう簡単に下せないと思います。どこまで出来るかわかりませんけど、せめて少しでもクリフが穏やかに過ごせるように、私にも手伝わせてください。ねえクロービス、いいわよね?」
 
 妻が私の顔をのぞき込んだ。少しだけ心配そうだ。
 
『勝手に言い出してごめんね』
 
 妻の目がそう言ってる。でも何となく気づいていた。クリフの話をここまで聞いてしまって、妻がただ黙っていられはしないだろうと言うことを。
 
「もちろんだよ。ハインツ先生、いかがです?ただ、私達はクリフの容態がどの程度なのかはわかりません。だからもしかしたら、マッサージや強めの薬程度ではどうにもならないかも知れない。でも、もしも出来ることがあるのなら、ぜひ手伝わせてください。」
 
「もちろん大歓迎ですよ。ま、また会長に小言を言われそうな気もしますが、ぜひお二人にご協力をお願いします。はぁ・・・多少なりとも希望が見えてきたような気持ちです。先生、奥さん、よろしくお願いします。」
 
 ハインツ先生に頭を下げられ、私達はすっかり恐縮してしまった。
 
「それじゃ今日はもう遅いですから、明日にでも、ハインツ先生のご都合に合わせてどうするか決めましょうか。ハインツ先生、私はライラとイルサの護衛があるので、2人で協力と言うことは出来ないかも知れませんが、出来る限りの手伝いをさせてください。ウィロー、それでいいよね?」
 
「ええ、もちろんよ。ライラとイルサのことはあなたに任せるわ。私は、クリフの治療のお手伝いをするから。」
 
「そうだね。そうしよう。」
 
「本当にありがとうございます・・・。では、これはいったんしまいましょう。使わずにすませることが出来るなら、それが何よりですな。」
 
 ハインツ先生が麻薬の袋を戸棚に戻そうとしたとき、私は思いきって、ここの薬の管理について尋ねてみた。さっき『厳重だ』と聞いたばかりだが、果たしてどこまで『厳重』なのか。そして一般に出回るはずのない物が実際には出回っているという事実も・・・。ハインツ先生がこの件に関わっているのかどうかも判然としない今の時点で、危険な賭けかも知れなかったが、それでも私はこの人を信じたかった。何もかも信じられずにいたのでは、いつまでも先に進めない、そんな気がしたのだ。さすがにどこの誰が持っていたという話までは出来ないので、『とある患者の薬に紛れ込んでいる』ということにして、麻薬にまつわる話を一通り話した。
 
「何と・・・そんなことが・・・。」
 
 青ざめたハインツ先生の様子からは、取り繕っているような様子は感じられなかった。
 
「しかし、先ほども申し上げましたが、ここの薬の管理は厳重です。取り出した薬の数も補充した薬の数もすべて記録されていますし・・・。だ、第一・・・医師会の中にこんな危険な薬を横流しする者がいるとは・・・・。」
 
「医師会の方とは限らないと思います。それに、ここの薬の管理が徹底されているのならば、出所と目される場所が一つ減ったことになります。」
 
 『麻薬』がおかれているとはっきりわかるのが診療所だ。城下町の診療所の数は、昔よりは大分増えただろうが、数え切れないほどではないはずだ。医師の職業が免許制となっている今では、いつの間にか開業医が増えている、などと言うことはあり得ない。
 
「つまり・・・どこかから盗まれた物が出回っている・・・と?」
 
「盗まれるという可能性もなくはないですが、実を言いますと私が疑っているのは、どこかの医師が報酬に惹かれて、薬の横流しを手伝っているのではないかと言うことです。同業者を疑いたくはないのですが、この薬を全く別のルートから手に入れるよりは、手っ取り早くすむのは確かですからね。」
 
「ううむ・・・・確かに、産地で生産された薬がすべて医師会に届くとは限りませんからな・・・。医者ならば扱える薬ですから、当然城下町の医師達や、その他南大陸や離島に至るまで、様々なところに運ばれるでしょうから・・・。」
 
 ハインツ先生はまだ動揺している。
 
「クロービス先生、この話を弟にしても問題はないでしょうか。あいつはあいつで他の町医者達と懇意にしているはずですから、それとなく探ることも出来るかも知れません。」
 
「それは願ったりですが、もう少し待ってください。実はこの話は、剣士団のほうにもまだ話していないことなんです。まずは剣士団長に話をしてみます。もしかしたらこの件について、すでに情報を掴んでいるかも知れません。」
 
「なるほど・・・。薬の性質を考えれば、たとえ情報を掴んでいたとしても、そう簡単に漏らせないでしょうからな。」
 
「おっしゃるとおりです。」
 
「しかし先生、先ほど話に出た患者というのはどちらの・・・。」
 
 ハインツ先生は言いかけてハッとし、顔をこわばらせたまま小さくうなずいた。
 
「・・・なるほど・・・・そう言うことでしたか・・・。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 私がこの街に来て関わった患者は、セディンさんとアスランだけだ。ハインツ先生ならば気づくだろうなとは思ったが、それでも私の口からはっきりと言うことは出来ない。それを察してくれたようでホッとした。
 
「いや、これでいろいろとわかりました。そんな物が入っていたのではよくなるはずがない・・・。」
 
「・・・はい・・・。」
 
 セディンさんの症状が思った程よくならない、それは他ならぬ麻薬のせいだ。シャロンが、おそらくそうとは知らずに飲ませている・・・。
 
「ううむ・・・一体この街では何が起きているのでしょう・・・。おかしなことばかりだ・・・。」
 
 ハインツ先生がまたため息をついた。





 翌日の再会を約束して、あまり遅くならないうちに、私達は宿へと戻ってきた。そして今度はセーラズカフェのマスターから渡された紙切れを、読み返してはため息をついていたというわけだ。
 
「ハインツ先生の言葉じゃないけど、一体この街で何が起きているのかしら・・・。本当におかしなことばかりだわ。」
 
「とにかく、出来ることから何とかしていくしかなさそうだね。まずはカインとフローラか・・・。」
 
「あの薬のことがわかるまでにはもう少しかかりそうね・・・。」
 
「ハインツ先生には話したし、あとはオシニスさんかな。こっちはちょっと厄介だな・・・。」
 
「シャロンのことを伏せて置くわけにも行かないものね。」
 
「うん・・・。ねぇ、ウィロー・・・。」
 
「・・・なに・・・・?」
 
 声の調子で私の不安を感じ取ったのか、私が座っていたベッドの隣に妻が来て座った。私は思いきって、オシニスさんとの立合の前に浮かんだ突飛な考え・・・シャロンが敵の一味ではないかという・・・ことを妻に話してみた。
 
「・・・・・・。」
 
 妻は案に相違して、黙ったまま考え込んでいる。てっきり驚いて否定されるかと思ったのだが・・・。
 
「もしかして、君も同じことを考えていた?」
 
「・・・同じってわけではないけど・・・・シャロンが巻き込まれていることがあるとしたら、その候補の中に今回の騒動が入っていてもおかしくないとは思ったわ・・・。あの黒装束の連中の中にいたかどうかは、なんとも言えないけど・・・。」
 
「なるほどね・・・・。」
 
「でもそんなことフローラには言えないわ。」
 
「もちろんだ。まだ私達の推測の域を出ない話だしね。今日のところは、ハインツ先生に薬の話を聞いてみたことと、明日にでもオシニスさんに話してみるってことだけに留めておこう。」
 
「そうね・・・。」
 
「クイント書記官のことも、今日だけは考えないでおこう。楽しく食事したいからね。」
 
「そうよね・・・。うん、頭を切り換えましょ!」
 
「そうそう。」
 
 
 やがてミーファに案内されて、カインとフローラがやってきた。
 
「へぇ、いい部屋だねぇ。」
 
 カインは入るなりきょろきょろと部屋の中を見渡した。その後ろでフローラは相変わらず緊張している。
 
「いらっしゃい。今日はシャロンは店番なのかい?」
 
「あ、あの・・・こんばんは。は、はい・・・姉は、その・・・今日は店番で。」
 
「そんなに緊張しないで。せっかくのおいしい食事が喉を通らなくなってしまうわよ。」
 
 妻が笑い出した。
 
 
 しばらくして食事が運ばれてきた。ミーファとロージーが2人で、部屋の中央におかれているテーブルにテーブルクロスをかけて、ワゴンに乗せられた料理を並べていく。
 
「あ、あ、あの・・・お手伝いを・・・」
 
 慌てて立ち上がったフローラを、妻が制した。
 
「フローラ、これはお店の人の仕事なの。お客が手を出してはいけないわ。」
 
「え?でも・・・」
 
 さて今度はシャロンに何を言われてきたものやら。立ち上がったまま腰を下ろすにおろせず、フローラはきょろきょろしている。
 
「お嬢さん、ウィローさんのおっしゃる通りよ。この仕事は私達の仕事。そしてあなたはお客様。ここではのんびりと、食事が出てくるのを待っていてくださればいいの。」
 
 ミーファが笑顔でフローラに声をかけた。
 
「は・・・はい・・・。」
 
 ずっと前の島での失敗を、ここで何とか取り戻そうと考えてのことか・・・。その心掛け自体はいいのだが、そんなに必死に点数を稼ごうとしたところで、この娘に対する私達の評価が変わるわけではない。いや、そもそも『評価』などしようと考えたこともないのだ。一度それをはっきりと話しておいたほうがいいのかも知れない。しかしなんと言うべきか・・・。
 
(へたな言い方をして泣かれても困るしなあ・・・。)
 
 そしておそらく、私は『へたな言い方』しか出来そうにない。
 
「ではごゆっくり。もう少ししたら、また御用を伺いに参ります。」
 
 ミーファとロージーが部屋を出て行った。テーブルの上にはおいしそうな料理が並べられている。だがどうもこれで全部ではないらしい。ワゴンの上に乗せられているのはどうやら次の皿だけだ。
 
「次の皿を並べたところを見計らって、また次の料理が運ばれてくる、と言うことみたいね。」
 
 妻がワゴンをのぞき込みながら言った。
 
「ここの食事はおいしいよね。早く食べようよ。僕はもうお腹ぺこぺこだよ。」
 
 我が息子はいつでものんきだ。これが彼の長所であることは確かなのだが、場合によっては短所にもなりうる。
 
「その前に、一つだけあなた達に言っておくわ。」
 
 妻が少し緊張した声で話し出して、息子とフローラが慌てて居住まいを正した。
 
「ど、どうしたの・・・?急に改まって・・・。」
 
 少しだけカインの声がうわずっている。
 
「よく聞いてね。フローラ、あなたがずっと私達のお手伝いをしてくれようとしていることはわかります。その気持ちはとてもうれしいの。でもね、物事は『時』と『場所』と『場合』をきちんと考えないと、思わぬところで誰かを傷つけたり、仕事を邪魔してしまったりするものよ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 フローラは泣き出しそうな顔で聞いている。
 
「あなたが島に遊びに来てくれたとき、お手伝いをしてくれるというあなたの気持ちはとてもうれしかった。だから、もしもここが私達の家だったなら、さっきのあなたの申し出を喜んで受けていたわ。」
 
「・・・はい・・・。」
 
 フローラの目に涙がにじんでいた。助けを求めるように息子が私を見たが、『黙っていなさい』と私も目で返した。妻は別にフローラに文句を言っているわけではない。多分さっきの私と同じことを考えて、そして私よりも遙かに優しい言い方で諭すつもりでいるのだ。少なくとも、私達がフローラに、助け船を出さなければならないような状況になることはないだろう。
 
「でもここはお店で、私達は客。私達がここでするべきことは、お店の人の仕事に手を出すことではなく、出てきた料理を楽しんでおいしく頂くことよ。」
 
「・・・私・・・余計なことを・・・。」
 
 フローラが小さな声でそう言って、こぼれた涙を拭った。
 
「今、あなたがとしようとしたことは、お店の人にとっては余計な手出しということになるわね。でも、あなたが心から役に立ちたくてあんなことを言ったと言うことはわかるつもりだし、そこまで一生懸命になるわけも、よくわかっているつもりよ。だからはっきり言うわ。あなたとカインのことは、あなた達の気持ち次第。あなたがお手伝いをしてくれたから認めるとか、うまく行かなかったから認めないとか、そんなことは一切ないの。だからもう、無理しないで。あなたはあなたのままで、自然な飾らないあなたを見せてくれた方が、私達もうれしいわ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 フローラは黙って聞いていたが、小さくうなずいた。
 
「私・・・ずっと不安だったんです・・・。島にいたときは全然役に立てなかったし、せっかくうちに来てくださったときも失敗ばかりで・・・。」
 
「そんなことはないわよ。」
 
「だから、今日こそはって・・・・。」
 
 フローラは流れた涙を拭って、ふぅっと小さなため息をついた。
 
「でも・・・変に力ばかり入って・・・空回りしてたんですね・・・。」
 
「そんな風に思わなくていいのよ。あなたがそばにいてくれることで、息子ががんばれるのだとしたら、それが私達には何よりうれしいことだわ。ね?クロービス?」
 
「そうだね。」
 
 突然同意を求められて焦ったが、何とか答えることが出来た。まったく妻の言うとおりだ。家事が出来ようが出来まいが、そんなことを息子の結婚相手の判断基準になど考えたこともない。フローラの家事能力が高くて得をするのは息子ぐらいのものだ。だが、このお調子者を甘やかすと、本当に何もしなくなってしまいそうだ。出来ないくらいの方がちょうど良いのかも知れない。
 
「さ、それじゃいただきましょうよ。せっかくの食事が冷めてしまうわ。」
 
 その後、食事をしながらしばらくは他愛のない話が続いた。フローラは食べ始めのころこそしょんぼりしていたが、おいしい食事に徐々に元気を取り戻していった。絶妙なタイミングでミーファとロージーは次の皿を運んできてくれる。食後のコーヒーを飲み始めたころには、フローラにも笑顔が戻り、話題はシャロンとエルガートのことに移っていた。
 
「・・・だから昨日はずっと私が一人でお店番だったんです。でも途中でカインが来てくれて、一緒にいてくれて・・・うれしかったです。」
 
 フローラは『うれしかった』のところでちょっと頬を染めた。隣でカインが情けないほどにやけた顔で『へへへ』と笑っている。
 
「と言うことは、昨日の夜、シャロンとエルガートはずっと出掛けていたんだね。」
 
 やはりエルガートは昨日、シャロンを誘いに行ったようだ。ちょうどフローラがいたときだったのだが、案の定シャロンは店のことを理由にあまり良い返事をせず、そこでフローラが、自分は明日出掛けられればいいから、今日は2人でのんびりしてきてくれと言って、やっとシャロンが首を縦に振ったと言うことらしい。
 
「シャロンはいろんなことを気にしすぎだよね。エルガートさんてすごくいい人なんだから、もっと頼ってもいいと思うんだけどなあ。」
 
 カインもシャロンとエルガートのことは心配しているらしい。
 
「そうなのよね・・・。だからね、姉さんが奥に着替えに行った隙に私、エルガートさんに言ったの。『私がいるときに姉を誘ってくれた方が、私をダシに断られることはないですよ』って。」
 
 言いながらフローラはくすりと笑った。きっとフローラにそう言われたとき、エルガートは複雑な顔をしたのだろう。
 
「あはははは!その時エルガートさんがどんな顔をしたのか、想像がつくよ!」
 
 息子が笑い出した。
 
「姉さんが父さんや私のことを心配してくれる気持ちはわかるんだけど・・・結婚したってお店は続けられるはずだし、やっぱり姉さんが気にしているのは、姉さんの本当のお父さんのことなんだと思うの・・・。」
 
「僕もそう思うな・・・。父さん、そのことは何かわかった?」
 
「残念ながら、まだだよ。それとフローラ、この間のことなんだけど・・・。」
 
 フローラはハッとして顔を上げた。カインも少しだけ顔をこわばらせた。
 
「そうだ、フローラの父さんが飲んでる薬のことは?そっちは何かわかったの?」
 
「まあね・・・。」
 
 フローラから預かった薬を調べたところ、それが麻薬だったこと、そしてその薬は本来医師以外に扱えるものではないことを話した。フローラはすっかり驚き、その薬が持つ毒性を聞いて震え上がった。だがその毒性が、デイランド医師の薬によってかなり押さえられていると聞いて、少しだけ安堵したようだ。とは言え、それで事態が解決したわけではない。
 
「では・・・どうすれば・・・。」
 
 私は、王立医師会でも内々に調べてくれることと、これから剣士団にも話を通してみるつもりだと言うことまで話した。今の時点でわかること、話せることは全部話してやらないと、この娘がずっと思い悩むことになってしまう。
 
「・・・剣士団に・・・ですか・・・。」
 
 思った通り、フローラは暗い顔をした。
 
「これ以上調べようとすればそれしか方法はないよ。だが、剣士団に話すとなれば、『どこかの誰かが薬を持っているらしい』ではすまなくなる。もちろん、君の姉さんが麻薬と知っていて意図的に仕入れたというのでないと言うことはわかるだろうから、その商人がどこの何者かを特定する必要があるだろう。でも君が内緒で私に薬をくれたことを話しておけば、おそらくよほど事態がはっきりするまで君の家に剣士団が事情聴取に出向く、なんてことはないと思うよ。」
 
「・・・そうですか・・・。でも・・・何でそんな薬を父さんに・・・。」
 
 フローラの目から涙がこぼれ落ちた。
 
「君の姉さんは良い薬だと信じているんだろうね。」
 
「だ、だけど・・・・!あんな状態で父さんがよくなっているなんて、とても信じられません!なのに姉さんは・・・・」
 
「これは私の全くの推測だけど、君の姉さんだっておかしいと思ってるはずだよ。多分その疑問を、その商人にぶつけていると思う。だがもしその時『一時的に体力が落ちたように見えるけど、その後すぐに回復する』とか言われると、それ以上は突っ込んで聞けないのかも知れない。本当に良い薬だとしたら、相手を怒らせて『もう売らない』なんて言われたら大変だと思うだろうからね。もちろん冷静な時ならそんな手に引っかからないとは思うけど、君の姉さんは、おそらく誰よりもお父さんの病気について心を痛めているはずだ。そんなときに甘い言葉を囁かれたら、心がぐらつくこともあると思うよ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 心当たりがあるのか、フローラは小さくうなずいてうつむいた。
 
「私が・・・もっとしっかりしていたら・・・。父さんも母さんも、いつまでも元気なつもりでいたんです・・・。母さんが亡くなってからも姉さんに頼りきりで、何もしないでいて・・・ちょっとばかりお店を手伝ったくらいで役に立っているつもりで・・・。」
 
 うつむいたフローラの目から、ぽとりぽとりと涙が落ちる。
 
「フローラ、今君が自分を責めてもどうにもならないよ。君まで弱気になってちゃだめじゃないか。」
 
 カインが心配そうにフローラの顔をのぞき込んだ。
 
「だって・・・!こんなことになってさえ、私、自分がどうすればいいのか思いつかないの・・・。」
 
「フローラ、君が何かしたいと思うなら、私の話を聞いてくれないか。」
 
 フローラは涙に濡れた顔を上げて私を見た。その瞳からは、必死の思いが痛いほどに伝わってくる。その思いに応えるために、私はちょっとした提案をした。まず、フローラはこのまま何事もなかったかのように振る舞うこと。そしてシャロンに内緒で、デイランド医師のところから新しい薬をもらってくること、最後に、セディンさんと相談して、シャロンに用事を頼んで外に出てもらい、その間はフローラがもらって来た薬、つまりシャロンの用意した『特別な薬』の入っていない薬を飲んでみること。
 
「で、でも・・・そんなことがうまく行くかどうかは・・・。」
 
「確かにそうだ。だが、やってみなければわからない。それに、今のところ君のお父さんを助けられる可能性があるのは、君だけだ。君が自分を信じて動けなければ、この作戦はうまく行かない。」
 
「私が・・・・。」
 
 フローラは小さな声で呟き、少しの間考え込んでいたが・・・。
 
「やってみます。」
 
 きっぱりとした声でそう言った。
 
「父さんは必ず助けます。そして姉さんも・・・そんなおかしな薬を持ってくるような人と早く縁を切ってほしい・・・。」
 
「もしかしたら、その商人は正規のルートではないところから薬を仕入れている可能性もある。もしもそうなら、剣士団に頼んで拘束してもらうことも出来る。それに、もしも正規のルートで仕入れていたとしても、麻薬そのものだけを一般人に渡して使わせるのは、それだけで違法なんだよ。あの薬は、本来処方して患者に渡せるようなものではないんだ。だが、それは調べを待たなければならない。いま君がすべきことは、その商人の正体を暴くことではない。それは危険すぎるから、絶対にそんなことを考えてはいけないよ。」
 
「はい・・・。」
 
 その後、私達は詳しい『作戦』を練った。まずデイランド医師に薬をもらいに行くのは、私がまずオシニスさんと話をして、次にハインツ先生から話を通してもらって、それからにすること。デイランド医師が不審がって、シャロンに話を聞きに行ったりすればすべては水の泡だ。次にシャロンをうまく外に誘い出せない時は無理をしないこと。怪しまれてしまっては元も子もない。そして一番大事なのが、その商人が訪れた時にフローラがいつもと態度を変えないこと。
 
「私はたいてい奥にいるので、顔を合わせることはないと思います。」
 
「なるほど。ではもう一つ、その商人とシャロンとの会話を、立ち聞きしようなんて考えてはいけないよ。扉に近寄ったりするのもよくない。その商人が来ている時は出来るだけ離れていたほうがいいよ。」
 
「・・・どういうことですか・・・?」
 
「まあ、私の勘みたいなものだよ。たとえば君が扉の陰にいる時に、不意にシャロンが扉を開けるかも知れない。君がその商人について不信感を持っていることは、シャロンだって気づいているだろう。だからこそ、警戒させるような態度を取ってはいけないんだ。どう?出来るかい?」
 
「・・・やります。出来ないなんて言ってられません。父さんの命と、もしかしたら・・・姉さんの命まで危険にさらされているかも知れないのに・・・。」
 
 これで話は決まった。くれぐれも無理をしないようにと念を押して、フローラは帰っていった。カインはフローラを送って、そのまま寮に戻るとのことだった。
 
 
「・・・その商人がクイント書記官だと思ってるの?」
 
 カイン達が部屋を出てしばらく過ぎたころ、妻が尋ねた。
 
「本人かどうかはわからないけどね。」
 
「・・ということは・・・あなたと同じような力を持つ人が他にもいるってこと?」
 
「いるかどうかまでわかるわけじゃないけど、可能性は考えておくべきだと思ったんだよ。」
 
「だとしたら、扉から離れているくらいで大丈夫なのかしら。」
 
「力の及ぶ範囲は人によって様々らしいよ。でも、多分・・・・」
 
 あまり言いたくない言葉を、ため息に混ぜてやっとのことで唇まで引っ張りあげた。
 
「私より強い力の持ち主はなかなかいないだろうから、そのくらいで大丈夫だと思うな・・・。」
 
 吐き出された言葉のかわりに、口の中に苦い思いが広がる。
 
「そう・・・・。」
 
 妻が小さな声で返事をした。
 
 
 
 翌日、私達はまっすぐに医師会に向かった。今日はゴード先生も一緒にいて、クリフの治療について詳しい打ち合わせをすることになった。そこにドゥルーガー会長がやってきた。
 
「クロービス殿、久しいな。元気でやっておられるようで何よりだ。今日からまた世話になるとハインツから聞いたが・・・。」
 
 私がというより妻が手伝いをするのだと言うことを伝え、それがブロムおじさんの発案だと言うことを聞くと、ドゥルーガー会長の顔に笑みが浮かんだ。
 
「なるほど・・・あやつめ・・・すでに実現させていたのか・・・。」
 
「え・・・・・?」
 
「あ、いや、余命幾ばくもない患者の苦しみを和らげるために、薬にばかり頼らずマッサージなどをしてはどうかという発案は、ブロムが昔から言っていたことだった。だが、そもそもマッサージ自体が医療技術として認められていないころのこと、ほとんどの医師が一笑に付したものだ・・・。『その程度のことでどうなるものでもないだろう』と・・・。まあその後いろいろあってな・・・。その話をあやつ自身が口にしなくなり、その後立ち消えになったという経緯があったのだ。そのことを、やつが憶えていたのがうれしくて、ついな・・・。」
 
「そうでしたか・・・。」
 
「ま、他愛のない昔話だ。ハインツよ、そなたは昨日のうちにクロービス殿の提案を聞いていたのだから、当然そなたなりの考えをまとめてきたのだろうな。」
 
「もちろんですよ。あとはゴードとクロービス先生の奥さんにお手伝いしていただくだけです。もっとも、患者本人が望まなければどうしようもないわけですが・・・。」
 
「あの若者ならば、おそらく嫌とは言うまい。よろしく頼むぞ。人手が必要なら遠慮なく声をかけなさい。」
 
「今さら遠慮などしませんよ。」
 
「ふふふ、それもそうだな。」
 
 会長が出ていき、ハインツ先生とゴード先生は、妻と一緒にクリフの病室に移動することになった。私はライラとイルサを迎えに行かなければならないので、あとは夕方ここに戻ってくることを伝え、診療所をあとにした。
 
 
 東翼の宿泊所に行くと、何とオシニスさんが来ていた。
 
「おはようございます。どうしたんですか?」
 
 こんなところに剣士団長たる人物がいると、何となく不穏な感じがする。
 
「いや、実は昨日ライラとの話が終わらなくてな。今日はその続きでもと思ってきたんだが、お前のほうは何か用事があるのか?」
 
「いえ、特には。ただ、護衛を引き受けた以上は、彼らの身の安全が保証されるまで離れるわけには行きませんよ。」
 
「ま、それはそうだな・・・。」
 
 言葉の最後はため息と共に吐き出された。顔色も冴えないようだ。
 
「その表情では、あれ以来進展はなさそうですね。」
 
「ああ、まあな・・・。ラエルが拘束されたし、チェリルには監視がついた。敵と接触する手だてがないのだから、仕方ないのは仕方ないんだが・・・・。」
 
「だからと言って泳がせるわけにも行きませんしね。」
 
「ラエルだけならそれも出来なくはなかったが、へたに奴を泳がせれば、今度はあのトゥラという娘の身の安全が保証出来なくなる。」
 
「なるほど・・・。なかなかうまく行きませんね。」
 
「ふん、まったくだ。」
 
「ところでオシニスさん、私もオシニスさんに話があるんですが。」
 
「ん?そうか。ライラがいても構わなければいいが、いないほうがいいなら、そっちを先に聞くぞ。」
 
「時間のほうは大丈夫なんですか?」
 
「ああ、今日はな。セルーネさんの件も昨日で一区切りついたし、たまった雑用も片付けなきゃならん。何日かは自由に動ける日を確保したのさ。」
 
「そうですか。では、出来ればライラのいない場所で話を聞いてください。もちろん他の誰も。」
 
「・・・わかった。」
 
 オシニスさんは何となくその『話』の重要性について理解してくれたようだった。結局ライラとイルサにはしばらく宿泊所から出ないようにしてもらうことにして、オシニスさんか私のどちらかが必ず迎えに来る、それ以外では誰がどんな使いを出そうがここから出ないようにと念を押し、2人で剣士団長室へと向かった。
 

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