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「ほら左ががら空きだ!相手が目の前にいるからって、攻撃も前からばかり来るとは限らないぞ!」
 
 こうして見ている限りでは、オシニスさんとライラの手合わせは・・・いや、これはもう訓練だ。多分以前にも何度か訓練をしているはずだ。初めて手合わせしただけで、ここまで的確な指導が出来るとは考えにくい。対するライラも真剣だ。オシニスさんが何か言うたびに『はい!』と大きな声で返事をしながら、瞬時にその指導を受け入れる。ライラの動きは始めたばかりのころより遙かによくなってきていた。だが・・・・
 
(疲れてきたかな・・・・。)
 
 ライラはつい先日まで入院していたのだ。そしてさっきまでクリスティーナの相手もしていた。ライラはもう自分が病み上がりだなどと言うことをきれいに忘れ去っているようで、必死でオシニスさんに食らいついていく。だが、そろそろやめさせなければならない。それを察したのか、オシニスさんの動きが速くなった。やがてオシニスさんの渾身の一撃が振り下ろされ、受けきれずにライラが足を滑らせたとき、その小手にもう一度剣が叩きつけられ、勝負がついた。
 
「そこまで!」
 
 私の声で張り詰めていた訓練場の空気がゆるんだ。周りで見ていただけの剣士達が一様に額の汗をぬぐっている。それほどに張り詰めた立合だった。私はすぐにライラに駆けより、たった今叩かれた腕を見た。腫れてはいないようだが、あとでもう一度診察をしなければならないだろう。
 
「よし、怪我はしていないな。それでは挨拶をしてあとは休んでおきなさい。」
 
 ライラは頷き、オシニスさんに『ありがとうございました』と礼をすると、大きなため息をつきながら剣を拾い上げてイルサと妻のいるところに戻った。
 
「はぁ・・・団長さんはやっぱり強いなぁ・・・・。」
 
「そりゃそうよ。団長さんがライラに負けるわけないじゃない?」
 
 イルサは当然のようにうなずいている。
 
「はっはっは!今俺がライラに負けたら、団長の仕事はライラに任せるよ。」
 
 オシニスさんが笑いながらライラの元にやってきた。
 
「手は痛まないか?」
 
「大丈夫です。お忙しいのに相手をしてくださって、ありがとうございました。」
 
「なあに、滅多にこんな機会は持てないんだから、気にするな。」
 
 そしてオシニスさんは、セルーネさんとクリスティーナに振り向いた。
 
「クリスティーナ、どうだ?今のライラはあれで全力だ。病み上がりであることを差し引いても、ずいぶんと力をつけてきている。君の鎧はナイト輝石製だから、ライラのアイアンブレードがまともに当たっても、斬られる心配はないだろう。だが、衝撃まで軽減されるわけじゃない。ライラが本当の本気で君と向かい合っていたらどうなっていたか、君の母上がさっき言ったことが大げさではないと、納得出来たか?」
 
「はい・・・・。」
 
 クリスティーナは悔しそうに頷き、また涙をこぼした。
 
「だけど・・・今日で最後にするつもりだったのに・・・ライラさんに手合わせしていただいて、最後にいい思い出にするつもりでいたのに・・・。」
 
「思い出としてしまい込むには、その道をあきらめることを自分自身が心から納得しなきゃならない。お前にそれだけの決心があるとは思えなかったから、ライラ達に頼んだんだよ。」
 
 クリスティーナは、今日を最後に剣の道への未練を断ち切るつもりだったのだ。そのクリスティーナにとって、王国剣士達からも一目置かれるライラとの手合わせは、『いい思いで』とするには充分なものに思えたのだろう。だがそれでクリスティーナが剣の道を本当にあきらめられるとは、セルーネさんは思っていなかったようだ。そしてその考えは正しかったらしい。
 
「でも・・・かえって自分がどれほど剣の道に進みたがっているか気づかされただけでした・・・。お母様、わたくし、まだ剣を置きたくありません・・・。もっとこの道を歩いていきたい。納得の行くところまで行ってみたい・・・。」
 
「お前はお前の行きたい道を行きなさい。父様も母様も応援するよ。」
 
「だけど・・・だけど・・・。」
 
 クリスティーナの言いたいことがわかるような気がした。
 
「他のことは何も考えなくていい。父様と母様の願いは、お前達が自分の行きたい道を迷わずに進んでいくことだ。あとのことは大人の仕事だ。お前達は気にする必要はない。」
 
「お母様・・・・。」
 
「つらい思いをさせて、すまなかったな・・・。」
 
 セルーネさんがクリスティーナの頭をなでた。
 
「あの・・・。」
 
 遠慮がちな声に振り向くと、ライラが申し訳なさそうな顔で立っている。
 
「あの・・・確かにさっきは君に合わせていたんだけど・・・最初の一撃で、君が強いんだってことはわかったんだよ。だから、君に合わせていたけど手を抜いてはいないよ。それを言いたくて・・・。」
 
 クリスティーナは涙を拭いて微笑んだ。
 
「さっきは失礼しました。わたくし、自分の力不足を棚に上げてあなたを非難するなんて、なんて情けないことか・・・。でもライラさんのおかげで、自分の進むべき道が見えたような気がします。ありがとうございました。」
 
 クリスティーナが丁寧に礼をして、ライラはすっかりかしこまってしまった。
 
「あ、あの、それでその・・・君の着ている鎧なんだけど・・・それを見せてもらえないかなと・・・・。」
 
「ははは、やはり気になっていたか。お前がナイト輝石製のものを見逃すはずがないからな。クリスティーナ、ライラに鎧を見せてあげなさい。」
 
「はい。」
 
 クリスティーナは鎧の胸当てを外し、ライラに渡した。
 
「ちょっと借りてもいいかな。よく見たいんだ。」
 
 ライラの顔はもう『研究者』の顔だ。
 
「はい。他のもごらんになってくださいな。」
 
 クリスティーナは笑顔になって、訓練場の隅っこで鎧を外した。ライラはひとつずつ手に取り、穴が開きそうなほどの真剣な目で眺めている。そこにオシニスさんがやってきた。
 
「ライラ、こいつも見てみちゃどうだ?」
 
 そう言って差し出したのは、自分のナイトブレード・・・・。
 
「団長さんの・・・剣ですか・・・・。」
 
「ああそうだ。お前の剣と俺の剣、アイアンブレードとナイトブレードの違いを、よく見ておくのもいいかと思ってな。」
 
 ライラが不安げな顔でオシニスさんから剣を受け取る。このやりとりの持つ意味を考えてみた。もう作られないはずのナイト輝石の鎧・・・。そしてもう作られないはずのナイトブレード・・・。だが、本当にこれらの武器防具は・・・今の時代に必要ないものなのか・・・。
 
「ねえオシニスさん、少し訓練場借りていいですか?」
 
 妻の声に振り向いた。
 
「ああいいぞ。お、イルサと手合わせか。」
 
「ええ。せっかく来たんだし、軽く動いてみるのもいいかと思って。」
 
「そうだな。それじゃそのあとクロービスに相手してもらうかな。」
 
「本当にやるつもりですか?」
 
「そりゃそうだ。いいじゃないか、軽く手合わせするくらい。」
 
「オシニスさんの『軽く』は当てになりませんからね。私達とは基準が違うようですし。」
 
 オシニスさんが大声で笑った。その間に妻とイルサが体を動かし始めている。
 
「少し二人の立合でも見ているか。」
 
 イルサはドリスさんが作ってくれた短めの剣を両手に持って立っている。対する妻は鉄扇を構え、どちらかというと積極的に攻撃を仕掛けていく。アスランのいるはずの場所をちらりと見ると、顔をこわばらせたままイルサの動きを食い入るように見つめている。ライラの剣は防御のためのものだが、もっと防御力を重視したのがイルサの剣だ。短めの剣は攻撃に使うが、ほとんどは長めの剣で攻撃を跳ね返すことに重点を置いている。跳ね返して下がる、また攻撃、また跳ね返して下がる。単調とも思える動きを続けたところで、相手の脇をかすめて背後に回り、そのまま距離を取る。
 
「そこからならうまく逃げられるわね。」
 
 妻が笑った。
 
「ええ、私の剣はかわして逃げるのが一番の目的だもん。だから攻撃力はないのよね。家でライラの相手をしていたときは、追いかけっこみたいだっていつもライラが怒るのよ。」
 
「だってちっとも当たらないし、どんどん距離を広げられるんだからイライラするじゃないか。」
 
 自分へ向けられた言葉だけは聞こえたのか、ライラが振り向いた。
 
「あら、そう言う敵だっているかもしれないじゃない?私だけじゃないと思うな。」
 
 妻の鉄扇の攻撃をヒラリヒラリとよけながら、イルサは笑っている。妻も特に本気を出しているわけではないので、これは本当に『ちょうどいい運動』だ。イルサの場合はこれでいいのだろうと思う。イルサの仕事は司書であり、剣士ではない。
 
「そうかもしれないけど・・・ほら、おしゃべりしながら動いていると、前みたいにひっくり返るよ。」
 
「そ、そんなこと今ここで言わないでよ・・・・きゃっ!」
 
 イルサが足をもつれさせたのかしりもちをついた。
 
「あーもう!言ってるそばから・・・・。」
 
 ライラがずっと手に持って眺めていたクリスティーナの鎧を床に置き、立ちあがってイルサに駆けよった。
 
「だから君はもっと慎重に・・・・」
 
「今のライラにそう言われても説得力ないわよーだ。」
 
 起き上がりながらイルサはライラを横目で見てにやりと笑った。
 
「そう言う言い方はないじゃないか。せっかく人が心配しているのに・・・。」
 
 ライラは口をへの字に曲げ、ぶつぶつ言いながら元いたところに戻った。そんな二人のやりとりを見て、オシニスさんが笑い出した。
 
「兄妹げんかはそのくらいにしておいてくれ。さてと・・・おいクロービス、行けるか?」
 
「どうしてもやるんですか?」
 
「ここまで来たんだからいいじゃないか。それにお前だって少しは体を動かした方がいいだろう。旅に出てうまいものばかり食ってると、帰った頃にはずっしりと腹が出てるかもしれないぞ。」
 
「おいしいものはたくさん食べてますが、のんびりごろごろしている時間がありませんからそんなに太ったりしませんよ。・・・わかりました、お相手しますが、本当に『軽く』にしておいてくださいよ。」
 
「はっはっは!わかってるよ。『軽く』な。」
 
 思い切り本気の目でそう言うオシニスさんの言葉は、全く説得力がない。私達が立ち上がって位置についたことで、見学していた剣士達の間にどよめきが起こった。
 
(おい、団長の立合だぞ。)
 
(向かい合ってるのは確か、カインのオヤジさんだよな?)
 
(カインのオヤジさんて医者だろう?剣なんて扱えんのか?)
 
(バカ!昔は王国剣士だったんだぞ。凄腕だったって聞いてるぞ。)
 
 ざわめきの間からそんな会話が漏れ聞こえてくる。どうも妙な噂が先行しているようだ。そう言えばエルガートは黙って見ている。海鳴りの祠では、城下町で会ったら是非手合わせをと言っていたのだが、さすがにオシニスさんと向かい合っているこの状況で『先に自分と』とは言いにくいのかもしれない。
 
「それじゃ私が合図を出すか。ふふふ・・・久しぶりだな、こういうのは。またここでお前達の立合を見ることが出来るとはな。」
 
 言いながらセルーネさんがうれしそうに立ち上がった。
 
「夜になればここも混んでくるだろうから、無制限というわけにもいかんな。適当なところで止めるから、それまでは好きに打ち合え。」
 
「ずいぶんとおおざっぱですね。」
 
「多分夜中までかかっても勝負はつくまい。つくとしたらそれはどちらかの集中力がとぎれたときだろう。体格だけで見ればクロービスのほうが不利だが、オシニスのほうが歳をとってる分、五分五分と言うところかな。」
 
「反論できないところが悔しいですね。確かに、この年になると5歳の違いってのが結構大きいんですよ。」
 
 そう言うオシニスさんは笑っている。本当は歳のことなんて全く意に介しちゃいないんだろう。
 
「圧倒的に私のほうが不利ですよ。そもそも私は王国剣士ではないんですから。」
 
「ま、リックを負かしたそうだから、そうそう腕は鈍っていないだろう。それに、お前が負けたところで相手は剣士団長だ。お前の腕を見くびるような愚か者はここにはいないはずだ。」
 
「だといいんですが。」
 
「ははは、まあ久しぶりだからな、軽く打ち合ってみろ。用意はいいか?」
 
「はい。」
 
「お願いします。」
 
 深呼吸した。本気でも軽くでも、気を抜けないことに代わりはない。
 
「始め!」
 
 ライラとの立合では相手の出方を見ながら動かなかったオシニスさんだが、セルーネさんの声と共にすごい勢いで向かってきた。『軽く』どころか最初から本気の立合だ。振り下ろされた剣を真横になぎ払い、反対側に移動しながらこちらも攻撃をかける。下がればその分間合いを詰められるだけなので、こんなときは横に動いたほうがいい。はじかれては動き、またしかける。
 
「ふん、相変わらず食えない動きをする奴だ。」
 
「それは褒め言葉と受け取っておきますよ。」
 
 こちらも必死だ。剣士団長と張り合って勝てるとは思ってないが、あまり無様な負け方をしたくないというのは、やはり自分の剣士としての本能なんだろうと思う。王国剣士を辞めたときから、自分はもう剣士ではない、医者なのだと、ずっと自分に言い聞かせ続けてきた。だが今は違う。今さら剣の道に邁進しようとは思わないが、それでもこうして剣を振るっているときだけは、やはり自分は剣士なのだと素直に思えるようになった。20年ぶりに島を出てからまだそれほどの時間が過ぎているわけでもないのに、私の中で何かが確実に変わりつつある。
 
「まったく、防ぎにくさは相変わらずだな。よく一人でここまでの力を維持出来たもんだ。」
 
「医者にも体力は必要なんですよ。私が倒れたら、島の人達の病気を治す人間がいなくなってしまいます。」
 
 立ち合いを始めてから、すでにかなりの時間が経過しているような気がした。お互い何度か相手に攻撃を当てているのだが、どちらもまだ動きも乱れないし息も上がらない。自分でも不思議なほど、こうしてしゃべるだけの余裕さえある。絶え間なく動き、剣を振り、飛び上がり、時には相手のわきをすり抜けて後ろに回る。だが回ったと思った瞬間振り向かれる。隙など微塵も感じられない。訓練場の中は、ライラとオシニスさんの立合の時より遙かに静まりかえっていたのだが、そのことにさえすぐには気づけないほど、この時の私は目の前の『敵』に集中していた。ひらひらと踊るナイトブレード。青みがかった刀身が誘うように目の前を駆け抜ける。誘いに乗れば敵の術中にはまる。乗る振りをして引く。だが敵もそう簡単には誘いに乗ってくれそうにない。
 
(あのときも・・・・こんな風だったな・・・。)
 
 こんな風に集中した立合を、ずっと昔したことがある。南大陸へと向かう前、剣士団長がやっとの事でフロリア様を説得してくれて、3日間だけ猶予をもらったときのこと。その間に、少しでも早く腕を上げなければ、少しでも先輩達に追いつかなければと、ただひたすらに剣を振るい続けた。私達も必死だったが、稽古をつけてくれる先輩達も必死だった。あの時はオシニスさんとライザーさんとランドさんが私達の前に立っていた。カインと2人、なりふり構わず向かっていった。次々に繰り出される攻撃を必死で避けて、相手の懐に飛び込む。カインがオシニスさんに手痛い一撃を浴びせる。
 
『やった!当たった。』
 
『ばぁか!当たったくらいで喜ぶな!』
 
 ほんのわずかでも油断すれば容赦なく叩かれた。今はライザーさんもランドさんもここにはいない。そして私の隣にいたカインも・・・
 
−−−ここにいるぞ−−−
 
(え・・・?)
 
 突然頭に中に響いた声。その時ゆらりと空気が揺らめいた。剣を振りあげ、私の前に立ちはだかったその顔は・・・!?
 
(・・カイン・・・!?)
 
 次の瞬間ブンと風がうなり、振り下ろされた剣がカインの幻影を切り裂いた。一瞬の気の迷いは私の動きを鈍らせ、攻撃をやっとの事で受けることは出来たものの、気がつくと片膝をついていた。そうだ、今はオシニスさんとの立合の最中だ。すぐに次の一撃が来る。この体勢からでは避けることも受けることも出来ない。これで勝負はついた・・・・はずだったのだが・・・・
 
「やめ!」
 
 セルーネさんの声が訓練場に響き、期せずして拍手が起った。
 
「もう少し見ていたいところだが、そろそろ時間だ。日勤の剣士達が戻ってくれば、ここも混んでくるだろう。このあたりでお開きとしようじゃないか。」
 
 セルーネさんはちょっとだけ残念そうに笑いながらそう言った。
 
「そろそろ時間か・・・。あーあ、もう少しで一本取れたかも知れないのにな。」
 
 オシニスさんも残念なのは同じようだったが、私は今のタイミングでとめてくれたセルーネさんに感謝したい気持ちだった。
 
「もう勝負はついてますよ。完敗です。さっきの体勢からでは、私に反撃の機会はありませんでした。」
 
 出来る限り心の動揺を悟られないよう、さりげない振りをしてみたが、向かい合っていたオシニスさんには私の迷いがはっきりと見えたことだろう。もしかしたら、セルーネさんも私の動きが鈍ったことに気づいたのかも知れない。
 
「何を言ってる。あの一撃をきっちり受けておいて『完敗だ』なんて言われても、ちっとも勝った気がしないぞ。」
 
 確かに受けることは出来た。だが本当に『かろうじて』だ。さっき頭の中に響いた声は、間違いなくカインの声だった。でもそれを聞かせたのは、おそらく私自身・・・。心の奥底に未だくすぶり続けるカインへの負い目が、聞かせた声なのだろう・・・。だがなぜこんなときに・・・。
 
「はぁ・・・久しぶりにいい汗かいたな・・・。セルーネさん、ありがとうございました。」
 
 オシニスさんがセルーネさんに頭を下げた。
 
「なに、お前達の立合をまた見ることが出来て、私はうれしいよ。ふふふ・・・家にいい土産話が出来たが、ローランドは悔しがるだろうな。」
 
「きっと兄様もです。自分も見たかったのにって、ふくれっ面でぶうぶう言うんですよ。こーんな顔して。」
 
 言いながらクリスティーナは両方の人差し指で、自分の眉毛の両端を持ち上げてみせた。
 
「君達は仲のいい兄妹なんだね。」
 
 ライラが笑った。
 
「ふふふ・・・ライラさんとイルサさんも仲がいいんですね。」
 
「うーん、どうかなあ。」
 
 ライラがちょっと照れたように頭をかいた。
 
「ライラがえらそうに私にいろいろ指図しなければ、仲良いわよね。」
 
 イルサが言った。そのイルサはさっき妻との『訓練』のあと、ライラとクリスティーナのところにやってきていろいろ話をしていたようだ。
 
「君がそういう言い方をするから・・・」
 
 と、ライラがふくれっ面になり、イルサが笑い出す。その2人をクリスティーナは笑顔で見つめている。どうやら仲良くなれたらしい。
 
 
「いやぁ、すばらしいものを見せていただきましたよ。」
 
 そう言いながらずっと拍手をしていてくれたのはハインツ先生だ。隣のゴード先生はなぜか毒気を抜かれたような顔で、呆然と私を見ている。セーラもすっかり驚いた顔をしている。だがいささか心配なのは、車椅子のアスランが顔をこわばらせたまま固まったように動かないことだ。
 
「いやお恥ずかしい。この歳になってあんな大立ち回りは体にこたえますよ。」
 
「とんでもない。昔も何度かあなたの立合を見せていただいたことがありましたが、当時より一層技の切れがよくなっているのではありませんか。」
 
「そんなことはありません。私も歳をとりました。」
 
「うーむ、歳をとってなおあれだけの力をお持ちとは・・・。実は先生をもう一度医師会にお誘いしようかと考えていたのですが、なんだか誘いにくくなってしまいましたよ。すぐにでも剣士団からお声がかかりそうですね。」
 
「まさか。今の私は旅行者です。旅が終われば、また家に帰ります。島の老人達が、私の師を困らせていないかと心配ですからね。」
 
 ハインツ先生がまた笑った。
 
「なるほど。それではしかたありませんな。さてアスラン、そろそろ帰りましょうかね。いささか長居しすぎたかも知れません。」
 
「は・・・はい・・・。」
 
 アスランの返事は上の空だ。
 
「あ、ゴード、私は少しクロービス先生と話をしてから行くから、先に2人と一緒に病室に戻っていてくれないか。薬の準備は出来ているのだろう?」
 
「・・・わかりました。」
 
 こちらも呆けたような顔のまま、ゴード先生はセーラを促し、3人は病室へと戻っていった。
 
「・・・いささか刺激が強すぎたかも知れませんねぇ。」
 
 ハインツ先生が心配顔で言う。
 
「アスランですか?」
 
「ええ。訓練場の空気を吸いたいというので、見学だけなら問題はないかと連れてきてみたんですが・・・。」
 
「いつからあの調子に?」
 
「司書のお嬢さんと、先生の奥方が打ち合いをしていたでしょう?あれを見ているうちに顔がこわばってきたのですよ。先生、何かお心当たりはありませんか。」
 
「ああ・・・やはりそうですか・・・。」
 
「おや、すでに原因はおわかりですか?」
 
 私は、イルサが実は父親からしっかりと『防御のため』の剣を教え込まれていたこと、2人が襲われたとき、もしもアスランが剣を抜かずに逃げることを選んでいたら、あるいは無事で済んだ可能性があることを話した。
 
「ほぉ・・・そう言うことでしたか・・・。若いながらも彼は優秀な剣士のようですから、先ほどの立合を見ていてそのことに気づいたのでしょうか。」
 
「だと思います。くれぐれも無理しないように、気をつけていていただけませんか。」
 
「わかりました。そう言うことならゴードにも話をして、なんとか落ち着かせる努力をしましょう。せっかくここまで順調に来たのです。今無理をしたり、逆にやる気を無くされたのでは元も子もありませんからね。」
 
「よろしくお願いします。」
 
 
『私の剣はかわして逃げるのが一番の目的だもん。だから攻撃力はないのよね。家でライラの相手をしていたときは、追いかけっこみたいだっていつもライラが怒るのよ。』
 
 それほど詳しく見ていたわけではないが、島にいたころから2人で訓練をしていたことは知っていた。ライラの本気の攻撃からイルサがどこまで逃げられるか、カインとアローラが賭けをしていたこともあった。さっきアスランは、ライラとオシニスさんの立合も見ていた。おそらくライラの腕がどの程度のものかはわかっただろう。そのライラとイルサは何度も手合わせをしていた。しかもライラが苛立つほどに、イルサは逃げるのが上手だったらしい。そこまで考えが及べば、祭りの夜の出来事が自分の判断ミスに寄るものだと、アスランが気づくのはそう難しくはないだろう。もちろんすべてが彼の責任だなんてことはない。たとえばアスランがイルサを連れて迷わず逃げることを選んだとしても、結局は追いつかれていたかも知れないし、あの場所で襲われたのでなかったら私達の助けは間に合わなかったかも知れない。だがアスランがそこまで深読みして『仕方なかったんだ』と考えられるとは思えない。アスランはおそらく今頃ベッドの上で、悔しさと情けなさで頭を抱えているだろう。それがいい方向に向かうのならば、無理を諫めればすむことだが、やる気を無くされるのが一番厄介だ。ハインツ先生とゴード先生がうまく言ってくれるといいのだが・・・・。
 
「先生、お疲れ様でした。」
 
 エルガートが声をかけてきた。
 
「君と手合わせが出来なくて申し訳なかったね。」
 
「私はあとでも構いません。迫力のある立合を見ることが出来てうれしかったです。」
 
「ところでまだ休み中だというのにこんなところにいるなんて、シャロンは誘えなかったのかい?」
 
「今日ここに来る前、少しだけ一緒に祭りを見てきました。でも夜はだめだそうです。」
 
「そうか・・・。忙しいんだろうね。」
 
「そうですね・・・。そうは思ってもつい愚痴りたくなって、自分が情けなくてここに来たというのが真相なんです。少し汗を流せばすっきりするかなと思って。」
 
 待つと決めたものの、やはり煮え切らないシャロンの態度には疑惑の念がわき起こる。エルガートはそんな自分を恥じているようだ。
 
「でも、先生と団長の立合を見ていたらなんだかやる気が湧いてきましたよ。今度お会いできたら、必ず手合わせしてくださいね。」
 
「そうだね。でもその『今度』は何日かあとにしてくれるとありがたいな。明日こそは祭り見物に行きたいからね。」
 
「わかりました。」
 
 エルガートが笑った。
 
 
「おつかれさま。」
 
 妻がイルサと共に後ろに立っていた。
 
「クリスティーナとは仲良くなれたみたいだね。」
 
「私よりライラのほうが仲良くなったみたいよ。いい雰囲気だから、そっと離れてきたの。」
 
 イルサはふふふと笑って、ライラとクリスティーナのほうを横目で見た。ライラはクリスティーナに鎧を返し、何やら楽しそうに話をしている。
 
「もう夕食の時間よ。そろそろ宿に戻りましょう。」
 
「・・・そうだね・・・。」
 
 一度東翼の宿泊所に行き、ライラの診察をした。うつぶせに寝せてゆがみを調べるだけなら、別に診療所まで行かなくても行うことは出来る。
 
「うん、特に問題はないな。でもあれだけ激しい運動をしたんだから、今日と明日くらいは静かにしていてほしいな。」
 
「はい。」
 
「へへへ、私もいい汗かいちゃった。お風呂行ってこよっと。」
 
 久しぶりに体を動かして、イルサも上機嫌だ。やはりいつまでも王宮の中に閉じこめておくのはよくない。明日こそは外に連れ出してあげよう。
 
「それじゃ先生達は帰るよ。明日こそは祭り見物に行こう。」
 
「はい、また明日。」
 
「行きたいなー。何事もないようにお祈りしておこっと。」
 
 2人と別れて私達は宿泊所の外に出た。
 
「オシニスさんのところに寄っていこうか。」
 
「そうね。訓練場を貸してくれたお礼を言わなきゃ。」
 
 2人で剣士団長室に行ったとき・・・
 
「その話は何度も聞きました!」
 
 またスサーナの声だ。
 
「そんなこと、わたくしは気にしません!」
 
(もめてるみたいね・・・。)
 
 妻が囁く。出来れば入らずに立ち去りたかったが、挨拶くらいはしておきたい。また私はわざとらしく大きくノックをした。中に入るとやはり泣き顔のスサーナだ。どうしてこうもまずいタイミングで会うのだろう。ここに妻がいてくれてよかった。2人でならば昼間とは状況が違う。
 
「おお、さっきはご苦労だったな。」
 
「お疲れ様でした。挨拶に伺ったんですが、お取り込み中のようですのですぐに帰ります。」
 
「別にいいじゃないか。スサーナ、この話は終わりだ。お前が何度ここに来ても俺の返事が変わることはない。もう出ていってくれ。」
 
 スサーナは昼間と同じ泣き顔のまま、それでもきちんと礼だけはして部屋を出て行った。
 
「なんともタイミングの悪いときばかり来てるみたいですね。すみません。」
 
「お前のせいじゃない。気にしなくていい。」
 
「一日のうち2度も泣き顔を見せられれば、気にしたくなくても気になりますよ。」
 
「2度?」
 
 妻が聞き返した。
 
「昼間も会ったんだよ。訓練場に入るのに許可をもらおうと思って来たときにね。」
 
「なるほどね。それは気になるわね。」
 
「ウィローまでなんだよ・・・。ま、見苦しいところを見せたのは悪かった。これは俺の個人的なことだ。忙しさにかまけてちょっとばかり処理が遅くなったので、それでもめているだけさ。」
 
「それならいいんですが、あの娘のような女性は、こじらせるとあとが厄介ですよ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 一瞬オシニスさんはきょとんとしたが、次の瞬間怒りの表情になった。
 
「おい、じいさんはお前になんて言ったんだ!?」
 
「レイナック殿がどうかしたんですか?」
 
「とぼけるな!お前にレンディール家の縁談のことなんぞ吹き込むのは、あのクソじじいくらいのもんだ!」
 
「縁談?」
 
 ここはなんとしてもしらを切り通さなければならない。黙っていればよかったのだが、以前レイナック殿に聞いた話を思い返した限りでも、あの娘が手段を選ばずオシニスさんを手に入れようとしているのは明白だ。正式に話を断っていたとしたら、あの娘のことだ、自分が納得のいく説明をされるまで、何度でもここに来るだろう。もっとも・・・あの娘の『納得のいく説明』はおそらく一つだ。オシニスさんが前言を撤回して自分との縁談を承諾するという・・・。元がどんなに冷静でも、頭に血がのぼるととんでもない大胆な行動をしかねない、何となくアローラに似たような、いささか厄介な性格の持ち主らしい。そんな女性がこのまま易々と引き下がるとは思えない。こじらせてしまうと大変なことになりそうな、そんな予感がしていた。
 
「とぼけるな!その話を知らないなら、なんであいつのような女が厄介だなんて言い方をするんだ!?」
 
「町の中で会ったときから、多少は気がついていましたよ。あの娘がオシニスさんを見る目は、どう見ても恋する女性の目でしたからね。そして昼間も今も、ここまで訪ねてきて泣きながら『納得いかない』とか『そんなことは気にしない』とか言っているのを聞けば、ある程度その理由は推測がつくと言うものでしょう。ま、私は男女の仲については全くの不調法ですが、それでも若いころより多少は鼻が効くようになりましたよ。」
 
 オシニスさんはぐっと言葉につまり、フンと鼻を鳴らして大きくため息をついた。
 
「それにもう一つ、あの娘がオシニスさんを好きだという話を聞いたんですよ。この町に出てきたばかりのころ、王宮を訪ねる前にね。もちろん、レイナック殿以外の人物からです。」
 
「それはどこのどいつだ!」
 
「そんな怒った顔のオシニスさんには絶対に言いません。私が聞いた話も噂のようなものでしたから、まさか縁談まで出ているとは思いませんでしたが。」
 
「・・・・・・・。」
 
 オシニスさんは黙ったまま、しばらく私を睨んでいたが・・・
 
「ふん!まあいい。どうせもう断った話だ。」
 
「断ったんですか?」
 
「当たり前だ!」
 
「そんなに怒らないでくださいよ。私達は事情も知らないんですから。断ったと言うことは、つまり正式に縁談が来ていて、それを断ったと言う解釈でいいんですか?」
 
「・・・まあな・・・。」
 
 オシニスさんは少しだけばつの悪そうな顔でうなずいた。
 
「ところがあの娘はそれを納得していないから、一日に何度もここに来ては理由を問いただしている、こんなところでしょうか。」
 
「・・・そういうことだ。だがあいつが納得しようがしまいが、俺の気持ちは変わらん。20も年の離れた女と結婚する気はない。」
 
「巷の男性は、女房は新しければ新しいほどいいそうですけどね。」
 
「それじゃお前は目の前に若い女がいれば、まよわずその女を手に入れるのか?」
 
「私にはウィローがいます。何十年一緒にいても古さを感じたりすることはあり得ませんのでご心配なく。」
 
 このやりとりに笑い出したのは妻だ。
 
「まったく何を言うのかと思えば・・・。クロービス、そんなことわざわざここで言わなくても・・・。オシニスさんすみません。」
 
 でも言葉とは裏腹に、妻がちょっとうれしそうなのには気づいていた。
 
「別にいいよ。確かに、ここで怒っていても仕方ない。この話はやめだ。さて、今日はご苦労だったな。うちの連中にもいい刺激になったようだ。」
 
「一番の刺激はライラの存在でしょう。『学者剣士』はある意味幻の使い手だったわけですが、今日はみんなの前に堂々と姿を現したわけですから。」
 
 この話題の転換には素直に乗ることにした。私がオシニスさんの縁談のことを気にしても仕方ない。今後何事も起らないことを願うだけだ。
 
「ふふふ、まあそうだな。俺はライラがこっちに来るたびに、たいてい一度は相手をしていたんだ。もっともなかなか時間が取れないから、いつも夜中に少しの間だけだったがな。あんなに大勢見ている前で相手をしたのは初めてさ。」
 
「やはりそうでしたか。さっきの指導ぶりは、どう見ても初手合わせには見えませんでしたからね。」
 
「南大陸で仕事をする者にとって、剣は今でも身を守る一番の武器だ。そして鎧もな。腕を磨いておくに越したことはない。」
 
「それはわかりますが・・・さっきどうしてライラにナイトブレードを見せたんですか?」
 
「あれか・・・。そうだな・・・。ナイト輝石で武器防具を作らないと言うことについて、お前はどう思う?」
 
「うーん・・・いきなり聞かれると返答に困りますねぇ。」
 
「別に気の利いた返事を期待しているわけじゃない。ただ、俺としては王宮の外から見た意見を聞きたいわけさ。」
 
「そうですねぇ・・・・。」
 
 私はさっきオシニスさんとライラの剣を見比べながらふと考えたことを、そのまま口にした。
 
「・・・だから、オシニスさんはナイト輝石で武器防具を作ることを、反対してはいないのかなと思いましたよ。」
 
「俺は別に反対しちゃいないさ。確かに、ライラが最初に『ナイト輝石を復活させたい』と言ったと聞いたときは、このバカ何を考えているんだと思ったがな。聞けばきちんとした計画もあるし、奴自身の考え方もしっかりしている。特に問題はないと思ってるよ。」
 
「しかし武器防具を作らないだろうと言う話は手紙にも書いてありましたよね。あれはオシニスさんのと言うより、フロリア様のお考えだったのですか?」
 
「ああそうだ。フロリア様がライラの考えに賛同したのは、あいつとご自分の考えに共通点を見いだしたからだろう。確かに今のこの時代、そんなに強い武器防具は必要ない。武器の力を己が力と勘違いするバカ者が現れないとは限らんし、その力が正義のために使われるとも限らない。だが、今だって武器防具の製造自体は以前と同じように行われている。その材料にナイト輝石を使おうが使うまいが、作ることそのものをやめないのであれば結局は同じことだと思わないか。それならば堂々と作ればいいんだ。何よりナイト輝石は、鉄より軽く、鉄より硬い。力の弱い女子供が身を守る装備としては、未だにこれ以上のものは出てきていないんだ。ナイト輝石を封印して20年が過ぎてるっていうのにな。それはつまり、まだこの国にナイト輝石の装備が必要であることを示唆していると俺は思う。」
 
「なるほど・・・。それに、ナイト輝石の装備がまた世に出ることになれば、昔の製品が飛んでもない値段で取引されたりすることもないでしょうしね。」
 
「・・・おい、それを誰から聞いた?」
 
 オシニスさんの瞳に厳しい光がよぎった。
 
「島の幼なじみですよ。今では雑貨屋の店主ですが。」
 
「雑貨屋の・・・?」
 
 私は島を出る前にラスティから聞いた『ナイト輝石の装備が高騰している』という話を、一通りオシニスさんに話した。島にやってきた卸商から聞いたという現在のナイト輝石の装備の取引価格も、覚えている限り伝えておいた。
 
「ふん・・・そんなところまで話が伝わっていたか・・・。」
 
 オシニスさんが忌々しそうにつぶやいた。
 
「飛んでもない値段になっているようですね。聞いて驚きましたよ。」
 
「まったくだ。ばかげた話だよ。ナイト輝石製の装備は、今でも十分通用するものだ。そもそも武器も防具も、使われてこそ、その真価を発揮する。見せびらかすためにわざとらしく飾っておくようなものじゃないはずだ。だが、どんなにすばらしいものでも、使い方ひとつで伝説の品にもガラクタにもなりうる。そして、陰謀のタネにもな。」
 
「陰謀があると考えてるんですか?」
 
「いまのところ、あるという確たる証拠はないが、ないと言い切れるだけの証拠もない。だが、今までさんざん忌み嫌っていたはずのナイト輝石の装備品を、貴族達がある日突然家に飾って見せびらかそうなんて考えること自体は不自然だ。そこに何者かの意思が働いているかも知れないと、お前だって考えたんじゃないのか?」
 
「それは確かに・・・。」
 
「その何者かがどんなことを考えているのか、それは俺にもわからん。ただ自分でもナイト輝石の装備をほしくなって、自分だけでは非難されるかも知れないから他の連中を唆した、そんなところかもしれんしな。」
 
「調査はしているんですね。」
 
「しているが、いまのところこの件に携わっているのは俺やじいさんだけだ。じいさんが自分の密偵を使って探らせているようだから、そのうち何かしらわかるだろう。」
 
「なるほど・・・しかし迷惑な話ですね。ナイト輝石はただそこにあるだけなのに、みんなしてよってたかって利用してもうけることばかり考えているなんて。」
 
「ははは、確かにそうだ。まったく迷惑な話だが、どんな優れたものでも使うのは人間だ。どうしても欲得が絡む。なかなか難しいもんだよ。」
 
「だからこそライラは、ナイト輝石で武器防具を作らないことにこだわっているんだと思います。」
 
「ライラは自分がナイト輝石を平和のために利用したいんだとわかってほしいから、そのことを強調しているんだと思う。だが、一つの方向性のみを完全否定するのもどうかと思うわけさ。こだわりはそれなりに大事なことだが、行き過ぎれば自分を縛り、視野を狭める危険性もはらんでいる。あいつはこれから、この国でますます重要な役割を担うことになるだろう。もっと大局に立って物事を判断出来るようにならないと、隙につけ込まれて利用されたりする危険もある。」
 
 『こだわりは自分を縛る』
 
 オシニスさん自身も、『フロリア様の臣下である』ことにこだわることで、自分を縛ってわざと動けないようにしてるんだろうか、ふとそんなことを考えた。
 
「つまり、そんな陰謀のタネにされる前に、またナイト輝石製の武器防具を生産してはどうか、と言うことですか?」
 
「まあな。もっとも、ライラの考えるナイト輝石の利用目的以外にも使えるほど、良質のナイト輝石が採れるのなら、考えてみてもいいかなと言う程度さ。昔みたいに、一番上質なナイト輝石を最優先で武器防具の生産に回さなければならないと言うことはないだろうが、さっきのクリスティーナだって、あの娘があれだけ身軽に動けるのはあの鎧のおかげだし、身軽に動けるからこそ、あれだけの腕を身につけることが出来たと思う。技術の進歩のおかげで、剣は鉄鉱石を使っても軽く強く作れるようになったが、鎧だけはある程度防御力を稼ごうと思うと、どうしても重くなる。ナイト輝石製の鎧と同じ作りだとどうしても防御力が落ちる。なかなか難しいらしいよ。タルシスさんがそんなことを言っていたな。」
 
「タルシスさんはお元気なんですね。」
 
「・・・あれ?お前まだ会ってないのか?」
 
「まだです。会いたいんですが、なかなか時間が取れなくて。」
 
「そうか・・・。お前達のことを話したら懐かしがっていたから、明日あたり会いに行ってやってくれるか?」
 
「そうですね。明日は一日ライラ達と祭り見物に充てるつもりだったんです。その前に一度会いに行ってきます。」
 
「祭りか。そうだな・・・。ライラとイルサもなかなか祭りに出掛けて遊んでくると言うことが出来ずにいるようだから、連れて行ってやってくれ。」
 
「わかりました。ところで、さっきのようなナイト輝石に対する考え方を、フロリア様に話してみたことはあるんですか?」
 
「いや、言っても聞いてはくださらないだろう。」
 
「どうしてです?」
 
「言ったろう?フロリア様は、ご自分と同じ考えを持つライラを気に入ったんだ。逆に言うならば、ご自分と同じ方向に向いていない人間の言うことを、素直に聞いてくださるとは思えん。」
 
「・・・・・・。」
 
『フロリア様は誰の意見も聞こうとなさらない』
 
 セルーネさんもそう言っていた。自分の思いだけに凝り固まり、ひたすらそれを押し通そうとしているのか・・・。なるほど、オシニスさんとフロリア様との間にある溝のがどんなものか、少しずつ見えてきたような気がする。そして、フロリア様の中の闇に潜んでいるものも・・・。
 
「私は政治の世界には無縁ですが、君主が自分に反対する者の意見を聞かないというのは、よくないことだと思いますが。」
 
「ほかのことに関しては、フロリア様は常にまわりの意見を取り入れて政治を行っておられる。だが、20年前のことに絡む話になると、途端に頑なになるんだ。気持ちがわからないわけじゃないんだが・・・。」
 
「確かにフロリア様の心情としては、無理のないことではありますね。でもそんなときこそ臣下の出番ではありませんか。私としては、オシニスさんが思いきってフロリア様に進言してみてくれるとありがたいんですけどね。」
 
「俺でなければならんと言うこともないだろう。たとえばお前がフロリア様に進言してくれた方が、聞いてくださると思うがな。」
 
「いいえ、私ではだめですよ。もちろんほかの誰でもね。誰かがオシニスさんの言葉を代弁するのではなく、オシニスさん本人が自分の言葉でフロリア様に進言することが大事なんですよ。フロリア様には、正面切ってはっきりと意見を否定してくれる誰かが必要なんです。」
 
「誰かなら誰だっていいじゃないか、なんで俺なんだ。まさかお前、まだこの間みたいなことを考えているんじゃないだろうな?」
 
 この間のこととは、フロリア様とオシニスさんを結婚させると言う話だろう。こんなときにその話が出てくるなんて、ずっと気にしていたのだろうか。
 
「そんなことは考えていませんよ。少なくとも、私が考えることではありません。オシニスさんが妙なことを言わなければ、私だってよけいなことを言わなくてすんだんです。」
 
「それは悪かったよ。あのあとちゃんと撤回したじゃないか。」
 
「そうですね。その話はもう終わりにしましょう。」
 
「だが、今の話は別だぞ。なんで俺でなければならないんだ?」
 
「フロリア様がおっしゃってたんですよ。オシニスさんを剣士団長として推したのは、オシニスさんの歯に衣着せぬ物言いに期待したからだと。」
 
「フロリア様が?」
 
「そうです。」
 
「・・・歯に衣着せぬって・・・・しかし、俺はそんなことを一度も言われたことはないぞ。」
 
 なんだかオシニスさんは戸惑っているようだ。
 
「・・・しかたありませんね。本当は患者との話を勝手に誰かに話すのは許されないんですが、少しだけお話ししましょう。」
 
 フロリア様と言いオシニスさんと言い、相手の心を思いやりすぎて、と言うより勝手に思いこんで先回りしようとしているように見える。そもそもしっかりとわかりあえてさえいないのだから、友人どころか君主と臣下としてさえうまくいくはずがない。私はフロリア様との話し合いの中で、フロリア様がオシニスさんを剣士団長に推した理由と、アスランの病室での出来事でフロリア様がとても心を痛めていたことだけ、話して聞かせた。
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんは黙ったままだ。
 
「・・・では私達はそろそろ失礼します。明日はここに寄ることはないかと思いますが構いませんか?」
 
「ああ・・・。明日はのんびりして来いよ。」
 
 オシニスさんの返事は半分上の空だ。でもいい。今夜はじっくりと、自分の中の本当の気持ちと向き合ってもらおう。
 
「はい、では。」
 
 
 外はもうすっかり暗くなっていた。だが通りは松明やかがり火で明るく照らされていて、たくさんの人々が歩いている。王宮から南門へと続く道だけは通行の制限があるらしいが、住宅地区から商業地区へと向かう人々や、南門の外に出ている見せ物小屋や芝居小屋へと向かう人々がひっきりなしに行き交い、あまり制限の意味はなさそうだった。
 
「やっとのんびり出来そうね。」
 
 妻の声は少しはしゃいでいる。
 
「そうだね。」
 
 返事をしながら、私の思考はさっきのオシニスさんとの立合に飛んでいた。突然現れたカインの顔、それを切り裂いたオシニスさんの剣、あと一呼吸動くのが遅ければ、膝をつく間もなく私は吹っ飛ばされていたか、最悪肋骨を折っていたかも知れない。
 
 
 宿に戻ると相変わらずの混雑ぶりで、食事は部屋で食べるからと伝えると、風呂が沸いているから先にどうだと勧められた。祭りに出掛ける客が一通り入り終わって、今なら静かに入れるだろうとのことだった。いつもは楽しい酒場の喧噪も、今の私にはなんだかとても煩わしく感じられて、部屋に戻ってすぐに風呂へとむかい、熱いお湯に体を沈めたところでやっと一息つくことが出来た。王宮を出てから風呂場の前で別れるまで、妻とはほとんどしゃべらなかった。不審に思ったことは間違いないだろう。
 
「まったく・・・情けないな・・・。」
 
『ここにいるぞ』
 
 なつかしい声。もう一度聞きたかった、でも2度と聞けないはずの声を聞いた。それは耳からではなく頭の中に直接響いてきた声だったけれど、でも、それでも私は・・・とてもうれしかった・・・。
 
(カイン・・・。君は本当に、私達の近くにいるのかな・・・。)
 
 死者の声が聞こえるなどという話は聞いたことがない。たとえ魔法だってそんなことは出来やしないだろう。あれは私の心が聞かせた幻聴なのだ。そう思っているはずなのに、カインがすぐ近くで私達を見つめているような気がしてしまう。カインの目には、今の私はどう映っているのだろうなどと考えてしまう。昔のことに決着をつけるためにこの町に出てきたのに、私はちっとも前に進めていないような気がして、やりきれなさが募った・・・。
 
 
 部屋に戻ると妻は先に戻っていて、食事も届いていた。
 
「遅かったのね。疲れは取れた?」
 
 笑顔で尋ねる妻を、思わず抱きしめていた。
 
「どうしたの・・・?」
 
 少しだけ驚いた声で妻はそう言ったが、それでもしっかりと抱きしめ返してくれた。
 
「・・・何かあったの・・・?さっきの立合の時、様子が変だったわ・・・。」
 
「カインがいたんだ・・・。」
 
 妻の肩がびくっと震えた。それが私達の息子を指しているのでないことは、妻にもすぐに理解出来たらしかった。
 
「どこに・・・いたの・・・?」
 
「私の・・・目の前にいたよ。『ここにいるぞ』って言いながら・・・。」
 
「・・・そう・・・。」
 
 声を聞いたこと、オシニスさんがいつの間にかカインに見えていたこと、そしてその幻影をオシニスさんの剣が切り裂き、おかげでやっとの事であの攻撃を受けることが出来たことを、すべて話した。
 
「・・・なんだかちっとも前に進めていない気がして、少し情けなくなってね・・・それでお風呂に潜って考えてたんだ。」
 
「前に進めてるわよ。」
 
 妻の声は慰めようとして無理を言っているようには聞こえない。
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「島にいたときにも、あなたはカインの幻影を見たわよね。あの時は半狂乱になっていたけど、今はとても落ち着いているわ。」
 
「・・・君も今日は、声なんて聞こえないって言わないんだね・・・。」
 
「言わないわ。本当にあなたには聞こえたんだと思うから。それに、そんなことがあったのに、あなたは例えかろうじてだとしても、オシニスさんの攻撃をちゃんと受け止めて、そのあとも冷静にみんなと話をしていたわ。だから、あなたは前に進めていると思う。」
 
「・・・そうか・・・。」
 
 20年前、妻と私はカインの死を嘆き悲しんだが、彼が『なぜ死んだのか』という事実からは目を背け、心の奥底にしまい込んで忘れたふりをしていた。でも今は違う。カインが死んだのは、私が殺したからだ。それを理解できたのだから、もう一歩前に進まなければならない。それは・・・
 
「さあ、とにかく今は食事をしましょう。ミーファさんがサービスだって言ってワインを一本とチーズの盛り合わせを置いていってくれたの。食事のあとにいただきましょうよ。」
 
「へえ、この間のワインとはまた違う銘柄みたいだね。」
 
「ええ。チーズの盛り合わせもこの間とはちょっと違うわ。何でも今朝届いたばかりだそうよ。ふふ・・・楽しみね。」
 
「そうだね。いただこうか。」
 
 妻が私を見上げて微笑んだ。
 
「一度にすべて解決するはずなんてないもの。落ち着いてゆっくり考えていきましょう。そして確実に前に進んでいきたいわ。」
 
 私には妻がいてくれる。そう、焦らずにゆっくりと考えよう。この先私が本当に向かい合わなければならないのは、フロリア様でもオシニスさんでもなく、私自身なのだから・・・。
 

第65章へ続く

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