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第64章 頑なな心

 
 外は天気もよく、人出はいつにも増して多い。出来るだけ裏通りを歩きながらセーラズカフェの前についたときには、もうお昼を少し回っていた。
 
「ほぉ、この店か。ライラがよく来ると言っていたのは。」
 
 セルーネさんがセーラズカフェの建物を見上げながら言った。
 
「入ったことはあるんですか?」
 
「いや、ここは何度も通っているから店があるのはわかっていたんだが、なかなか外で食べる機会というのはないからな。」
 
「それじゃ今日はちょうどよかったかも知れませんね。」
 
「そうだな。王宮なんぞにばかりいると、町の人達の生活が今どうなっているのかどんどんわからなくなってくる。フロリア様にも、来ていただきたいくらいなんだがな・・・。」
 
 中に入ると、相変わらず元気な声でセーラさんが迎えてくれた。そろそろ混み始める頃合いだったらしく、席は一番広い場所がひとつ空いているだけだった。
 
「このテーブルは大きいでしょ?いつも最後まで埋まらないの。ちょうどよかったわね。」
 
 満席になったことでセーラさんは上機嫌だ。私達はと言えば、こんなに混んでいる時間に来たのは初めてだったので、少し緊張した。この店の中にいる客が、全員ごく普通の人達ばかりとは限らない。
 
「えーと・・・こちらのお客様は・・・うちは初めてですよね?」
 
 セルーネさんを見て、セーラさんが遠慮がちに話しかけた。
 
「ここに店があるのは知っていたが、なかなか入る機会がなくてな。ライラのおすすめの店と聞いて楽しみにしてきたんだ。」
 
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 
 セーラさんはきょとんとして、少しの間セルーネさんを見つめていたが・・・・
 
「もしかして・・・ベルスタイン公爵様・・・・?」
 
 小さな声でそう尋ねた。
 
「私を知っているのか?」
 
「あらやっぱり?お会いするのは初めてですわ。でもそのお美しさといい、言葉遣いと言い、ふふふ・・・ライラから聞いていたのと同じなんですもの。」
 
「おいライラ、お前ここで私のことをなんて言ってたんだ?」
 
 セルーネさんが困ったような顔でライラを見た。ライラはいたずらが見つかった子供のような顔で肩をすくめている。
 
「とても美しい方で、とても優しい方だと聞いておりますわよ。お初にお目にかかります。セーラと申します。カウンターの中にいる愛想のない男が私の夫ですの。この店は二人で経営しております。これを機会にどうぞごひいきに。」
 
 セーラさんがスカートの端をつまんで優雅にお辞儀をした。
 
「丁寧な挨拶痛み入る。私はベルスタイン公爵家の主、セルーネだ。ここであまり大ぴっらに身分を言うと他の客に迷惑がかかるだろうから、申し訳ないが座ったままで挨拶をさせてもらうぞ。」
 
 私達のテーブルはフロアの一番奥にあるが、隣の席とそんなに離れているわけではないので、よほど声を潜めて話さない限り、会話は筒抜けだ。思った通り、公爵家の名前が出たとたんにぎょっとして振り向く客が何人もいた。
 
「お気遣いありがとうございます。それではご注文をどうぞ。」
 
 結局今日も『おすすめ』を注文し、食事が出来るまで少しのんびりと会話を楽しむことにした。セーラさんがカウンターの中に戻るまでの間に何度も呼び止められている。おそらくはセルーネさんのことを聞かれているのだろう。どの客もセーラさんと話したあと、ちらりとこちらを見て、また目をそらす。だが誰も席を立たないところを見ると、セーラさんはうまく説明してくれたようだ。
 
「こんなに流行っている店だったとはな・・・。看板を見落としてしまうと、普通の家のようにしか見えないんじゃないか。」
 
 中を一通り見渡して、セルーネさんが言った。
 
「そうですね。私も最初に案内してもらったときには、そう思いましたよ。もっともよく見ると扉の一部がガラスになってますから、確かに普通の家と同じ作りというわけではないんですけどね。」
 
「そうだなあ。だが、内装も落ち着いていて、居心地は良さそうだ。ふふふ・・・ローランドとユーリクに、視察の時の一休みにどうだと勧めてみるか。」
 
「今日もお二人は町に出ているんですね。」
 
「ああ・・・町の人々の暮らしを見るのも大事なことだ。生まれたときからバカでかい屋敷に住んで、大勢の使用人にかしずかれて、それが当たり前だと思っていたのでは、領地運営など出来ないからな。」
 
「いずれ公爵家を継いだときのための教育と言うところですね。」
 
「まあな・・・。」
 
 歯切れの悪い返事・・・。おそらくは王家にユーリクを養子に出すことについて、そろそろ決断を迫られているのだろう。
 
「ところでセルーネさん、違っていたらすみませんが、私達に何か用事があったのではないんですか?」
 
 セルーネさんは顔の向きを変えずに目だけで私を見、ふふんと笑った。
 
「相変わらず勘がいいな。その通りだ。ちょっとお前に相談があったのさ。」
 
 やはりそう言うことか。さっきから何か言いたいことがあるような気がしていたが、その勘は当たっていたらしい。
 
「セルーネさんにはお世話になりましたからね。私に出来ることなら何でもしますよ。」
 
「そう言ってくれるのはありがたい。相談というのは、うちの娘のことなんだが・・・。」
 
「お嬢さんの?」
 
「ああ・・・。お前とライラが今日訓練場で手合わせするとき、少し娘の相手をしてやってくれないかと言うことなんだが・・・どうだ?」
 
「それは構いませんが、何でまた・・・。」
 
 セルーネさんがため息混じりに話してくれたところによると、最近クリスティーナはかなり塞ぎ込んでいるらしい。『詳しい事情は話せないが』クリスティーナは剣の道をあきらめ、自分に出来ることを探すために医師会の診療所での手伝いを申し出た。本人としては、他の看護婦達と同じようにがんばっているつもりなのだが、看護婦仲間の女の子達とあまりうまくいってないらしい。公爵家のお姫様が気まぐれで診療所に来ている、と思われているらしいのだ。だがクリスティーナにとっても、これを一生の仕事として決めたわけではなく、何より剣の道にも未練があり、非難されても反論出来ずにいる。親としては好きな道に進んでほしいと思うが、いろいろと事情があってそう簡単に決められない状況だとのことだ。
 
「・・・それでまあ・・・一度思い切り剣を振り回してみて、本当にあきらめられるのかどうか、自分に問うてみろと言ったわけなんだが、身内が相手ではどうしても甘えが出るからな・・・。」
 
「それで私達に、ですか・・・。」
 
「そういうことだ。どうだ?引き受けてもらえるか?」
 
「私は構いませんが、どうせなら、ライラと手合わせしてみたらどうです?」
 
「え!?な、何で僕と!?」
 
 急に話の矛先を向けられ、ライラが声を上げた。
 
「君は剣の腕も立つし、何より小さなころから自分の進みたい道を決めていて、とうとう実現させたじゃないか。年も近いし、一度軽く手合わせをしてみて、そのあとにイルサと一緒に話を聞いてあげれば、少しはクリスティーナの気持ちも軽くなるかなと思ってね。セルーネさん、いかがです?」
 
「なるほど、お前の言う通りかも知れんな・・・。ライラ、それにイルサだったな、ふたりとも少し話を聞いてやってくれるとありがたいな。もちろんお前達の気が進まないなら無理にとは言えんが。」
 
「話をするくらいなら構いませんが・・・・僕達で役に立つでしょうか。」
 
「こういう事はかえって他人の方がいいのかも知れん。身内ではお互い甘えのようなものがあるからか、なかなか冷静に話し合いが出来ずにいるというのが正直なところなんだ。だからってお前達にクリスティーナの人生相談をしてくれなんて言うつもりはない。たとえば親の悪口の言い合いになってしまっても構わないから、少し面倒をみてやってくれるとありがたいな・・・。」
 
「そうですね・・・。イルサ、君はどう?」
 
「私は構わないわよ。病室に食事を運んできてくれた時に会っただけだけど、素直そうないい子だなと思ってたから。公爵様、クリスティーナさんはおいくつなんですか?」
 
「この間15歳になったばかりだ。お前達から見ればまだ子供だろうから、あんまり話は合わないかもしれんがな。」
 
 イルサがくすりと笑った。
 
「ふふふ・・・15歳ならもう大人です。島では15歳になればもう学校も終わりですもの、みんな働きに出るんですよ。」
 
 この言葉にセルーネさんがハッとしたように目を見開いた。
 
「そうか・・・・。そうだな・・・イルサ、お前の言うとおりだ。親からすれば子供でも、ちゃんと大人として扱ってやるべきなんだな・・・。」
 
「私では剣の相手にはならないと思うけど、きっといろいろお話しできます。なんだか楽しみだわ。」
 
 イルサの顔からは、『公爵様』と会話しているという緊張感は消えて、いつもの表情になっている。
 
「15歳というと、学校はもう卒業したんですか?」
 
「いや、上の息子が卒業したばかりだから、娘のほうはまだあと少しある。だが、実は三ヶ月ほど前から休んでいるんだ。それで診療所の手伝いをしているもんだから、よけいに看護婦仲間の娘達の目には、遊び半分に見えてしまうのかも知れないな。」
 
「ローランド卿はなんと?」
 
 セルーネさんは私を横目で見て、呆れたように肩をすくめて見せた。
 
「このことに関してはローランドの手は当てに出来ない。まったく・・・父親と娘ってのは、どうしてああも仲が悪いんだろうな。」
 
「なるほど・・・。」
 
 年頃の娘と父親というものは、なかなかうまく意思の疎通が図れなくなるものらしく、確かイルサも家を出る前は父親の愚痴を言いにうちによく来ていた。そこにアローラが合流したりすると、愚痴が悪口になり、しゃべり続けて気がついたら夜だった、なんてこともよくあった。それを思い出したのだろうか。ライラとイルサが笑いをこらえている。
 
「学校を休むと言い出したとき、ローランドは一応話を聞こうという姿勢は見せたんだ。だが、最初から学校を休むことに対する批判的なことばかり言うもんだから、娘のほうも怒り出して、結局はそれ以来この件については、二人とも一言も話し合いをしていない。」
 
「つまりお嬢さんのことについては、父親が下手に出て行かない方がいいと?」
 
「そういうことだ・・・。」
 
 セルーネさんがまたため息をついた。
 
「わかりました。今日の午後お嬢さんが訓練場に来られるようでしたら、ライラに軽く手合わせしてもらいましょう。ライラ、そのあとでちゃんと先生が相手するから、頼まれてくれるかい?」
 
「わかりました。お役に立てるかどうかは自信がないんですけど・・・。」
 
「堅苦しく考えないでくれ。お前達なら歳も近いし、一度手合わせをして、もしも機会があればちょっと話を聞いてくれるだけでいいんだ。よろしく頼む。」
 
 セルーネさんが頭を下げたので、ライラはあわてて立ち上がった。
 
「あ、あの、お顔を上げてください・・・。僕に出来ることなら何でもしますから・・・。」
 
「ライラは剣の相手担当ね。私はおしゃべりを担当するから。」
 
 イルサが言った。
 
「君だって剣は使うじゃないか。」
 
「私が相手をしたらクリスティーナさんが疲れてしまうわよ。」
 
 イルサが笑い出した。
 
 
 その後出てきた食事は相変わらずおいしく、セルーネさんはこの店をだいぶ気に入ったようだ。そしてセーラさんも、王国一の名門公爵家の当主に気に入られたことで、すっかり上機嫌だ。帰り際、セーラさんが妻と何かを手渡し合っていた。あとで聞いたところ、どうやら以前約束した料理のレシピらしい。妻はカナの家庭料理を、セーラさんは店の料理やドレッシングなどのレシピを、それぞれ交換したとのことだった。
 
 
「ほぉ、するとあの店では南大陸の料理も出すつもりでいるのか。」
 
 帰り道、歩きながらセルーネさんが妻に尋ねた。
 
「そうみたいよ。でも勉強しに行こうにもお金がかかるから、どうしようかと思ってたんですって。」
 
「カナかぁ・・・・。もう何年も行ってないな・・・。みんな元気なのか?」
 
「ええ。元気よ。みんなに会えるのが楽しみなの。」
 
「のんびりしてくるといいぞ。なんならクロービスだけ先に帰しちまえ。」
 
 セルーネさんの冗談に妻が笑い出した。
 
「いやあねぇ。そんなわけにはいかないわよ。」
 
「はっはっは、それもそうか。」
 
 ひとしきり笑ったあと、セルーネさんが私に声を落として尋ねた。
 
「・・・ところでクロービス、お前、医師会の名代としてフロリア様を訪ねたというのは本当なのか?」
 
 それを聞いた妻が
 
「イルサ達とおしゃべりしながら行くわ。」
 
そう言って私からすっと離れた。自分がいては話しにくいこともあるのかも知れないと気遣ってのことだろう。
 
「医師会の名代というのは、フロリア様の部屋に向かう直前に聞いた話ですけどね。」
 
「なるほどな。で、フロリア様はどうだ?ドゥルーガー殿がえらく心配をしていたのは聞いてるが、どこかお悪いと言うことはないのか?」
 
「どこも悪くありませんよ。至って健康です。ただ、いろいろと心労が重なっておられるようですから、どなたか仲のいい友達でもいればと言う話は出ましたけどね。」
 
「そうか・・・。お元気なら何よりだ。」
 
「セルーネさんは、フロリア様とはよく話をするんですか?」
 
「積極的に尋ねていくわけではないが、会えばお茶を飲みながら話をすることはよくあるぞ。もっとも、フロリア様が私に対して気を遣っているのがわかるから、なかなか気さくに友達同士としてってわけにはいかないんだがな。」
 
「・・・気を遣っている?」
 
「ああ・・・20年前のことを未だに気に病んでおられるようだ。そして、今では世継ぎの件でもな・・・。」
 
「そうですか・・・。」
 
『昔の話だと割り切ってしまえるような、軽いことではありません。あのとき、どれほど大勢の命が失われたことか。それらは皆、わたくしが殺したようなものです』
 
 20年前、カインがハース城についての報告を持ち帰ったとき、あの時点で剣士団の南大陸遠征を許可していれば、当時の剣士団長パーシバルさんが死なずにすんだのは間違いないと思う。そのことを、フロリア様が未だに気に病んでいるのは、この間話をしただけでもいたいほどに感じることが出来た。結局のところ、フロリア様の心の傷は、ただ一時的にふさがれているだけのようだ。だから時折開いてそのたびに悲鳴を上げる・・・。それでも今までは、何とか何事もなくすんでいた。それはフロリア様の強靱な精神力によって押さえられているからだ。でもこれからもこのままでいられるとは限らない。
 
「世継ぎの件はともかく、昔のことでそんなに気に病まれることはないんだがな・・・。あの時は確かに悲しかった。一人で生きていける自信さえなかったこともあった。だが今、私は夫と子供達に囲まれて、幸せなんだ。私はあの頃のことは、大事な思い出として胸にしまっておきたい。だが、フロリア様は今でもそのことで傷ついたままでおられる。そしてそんなフロリア様とお会いするにつけ、私も否応なしに昔のことを思い出させられる・・・。」
 
「フロリア様が、ご自分の幸せを考えてくださるといいんですが・・・。」
 
「そうだな・・・。統治者が自分のことを一番後回しにするべきではないと思う。確かにフロリア様にとっては国民の幸せが第一なのだろうが、逆のことも言えるわけだ。フロリア様が幸せになられれば、それもすなわち国民の幸せとなる。どちらかが一方的に面倒をみるのではなく、お互いが助け合って一緒に幸せになるという方がいいと思うんだがな・・・。」
 
「その話をフロリア様にしたことはないんですか?」
 
「私では説得力がない。気を遣って無理矢理言っているんだろうと思われてしまうだろう。そう言う意味では、フロリア様は誰の意見も素直に聞こうとなさらない。悪く言えば、自分の思いだけに囚われておられる・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「だからお前がフロリア様と話してきたと聞いて、どんなご様子だったのか聞きたかったのさ。」
 
「それで私の誘いに乗ってくれたんですね。」
 
「ま、ライラご推薦のうまいメシというのも気になったしな。」
 
 セルーネさんが笑った。
 
 
 
 王宮のロビーでセルーネさんと別れた。これから診療所に行って、訓練場にクリスティーナを連れてきてくれるとのことだった。
 
「私も見学しようかな。」
 
 イルサが言い出した。
 
「ライラが訓練場に行くなら、私一人で出歩けないし、一緒に行っていい?」
 
「いいよ。なんなら君も体を動かしてみる?」
 
「もう訓練らしい訓練なんてしてないから、久しぶりにやってみたいけど、いいのかなあ。」
 
「隅っこを借りるだけだから、問題はないと思うよ。オシニスさんも見に来るから、聞いてみようか。」
 
「それじゃ着替えてくるわ。さすがにスカートじゃ動きにくいもの。」
 
 イルサは着替えに一度宿泊所に戻ることになり、妻がついて行くことになった。ライラも準備のために宿泊所に戻ると言ったので、訓練場の入り口で待ち合わせることにして、私は先に剣士団長室に向かい、準備が出来ているので訓練場に入ってもいいかどうかを聞こうと思ったのだが・・・・
 
「どうしてですの!?」
 
 ぴたりと閉められた剣士団長室の扉の向こうから、大きな声が聞こえてきた。思わずノックをする手が止まる。
 
「・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんが何か言っているようだが、こちらはなんと言っているのかわからない。
 
「でも・・・納得いきません!」
 
 これはあのスサーナという剣士の声だ。まずい。このままでは盗み聞きになってしまう。昔と同じ過ちを繰り返さないために、私はわざとらしく思いきりノックをした。
 
「開いてるぞ。入れ。」
 
 返事を待って扉を開けた。思った通り、椅子に座ってむすっとしたまま腕を組んでいるオシニスさんの前に立っているのは、泣き顔の王国剣士、スサーナだった。
 
「スサーナ、すまんがあとにしてくれ。これからこいつと用事があるんだ。」
 
 オシニスさんの言葉にスサーナは肩を震わせ、一礼すると団長室を飛び出していった。
 
「何だかすごくまずいところに来てしまったようですね。」
 
「たいしたことじゃない。気にするな。」
 
 あの娘が泣いていたと言うことは、オシニスさんが縁談を正式に断ったと言うことか・・・。
 
「外まで声が響いてましたよ。廊下には誰もいませんでしたけどね。」
 
「聞いてたのか?」
 
「ノックしようとしたら、スサーナが『どうして』と叫んでいるのが聞こえてきました。それより前の話は知りません。」
 
「そうか・・・。」
 
「準備が出来たんですが、訓練場に入っても構いませんか?」
 
「お前はフロリア様からの書状をもっているだろう。あれがあれば、わざわざ俺に断る必要はない。」
 
「わかりました。あとさっきセルーネさんから頼まれたんですが・・・。」
 
 クリスティーナを訓練に参加させてくれと言われたことを話すと、オシニスさんは微笑んで『構わんぞ』と言った。
 
「あの娘は小さいときから知っているが、俺の顔を見るたびに『採用試験を受けに行ったら相手をしてくれ』と言っていたっけな・・・。」
 
「いろいろ悩んでいることがあるようですから、少し体を動かして、すっきりするといいですね。」
 
「そうだな・・・・。」
 
 オシニスさんにも、クリスティーナの悩みの内容は見当がつくのだろう。二人で訓練場の入り口についたときには、妻達はまだ来ていなかった。
 
「中で場所だけ確保しておくか。ハディには頼んでおいたんだが・・・」
 
 中に入ると、思ったより人がいない。祭りで半分近い王国剣士が休暇を取っている今の時期は、日によってこんな風に人が少ない日もあるのだそうだ。
 
「今の時期でよかったかもな。でないと昼間はたいてい混んでいるんだ。」
 
 つまりそれは、訓練場に積極的に通う剣士が今も大勢いると言うことだ。少しほっとした。やがてやってきた妻とライラとイルサは、恐る恐る訓練場に足を踏み入れ、辺りを見回している。
 
「おいウィロー、もっと堂々と入れよ。君だって王宮の中はどこでも出入り自由なんだぞ。」
 
 オシニスさんが笑いながら言った。
 
「だって・・・さすがに久しぶりなんですもの・・・。」
 
「私は初めて入るわ・・・。へえ・・・訓練場ってこんな風になってるのねぇ。」
 
 イルサは興味津々で訓練場を眺め渡している。そこにハディがやってきた。
 
「団長、遅くなりました。場所を確保しておこうと思ったんですけど、今日はこの通りですからね。どこでも使えますよ。」
 
「そのようだな。それじゃ・・・」
 
 オシニスさんは訓練場の中をぐるりと見渡し、
 
「よし、そこの一番広い場所を使わせてもらうか。」
 
そう言って指差した先は、遠い昔、カインと私が南大陸へと向かう前にみんなと訓練をした、あの場所だった。
 
「懐かしいですね。」
 
「ふふふ、まったくだ。またここでお前と向かい合えるとはな。」
 
「・・・今日はライラの訓練なんですが・・・。」
 
「ほお、ライラの訓練だけですむと本気で思っていたか?」
 
 オシニスさんが見に行くと言い出したときから、おそらくはそう言う腹づもりなのだろうと予測してはいたが・・・。
 
「へぇ、先生と団長さんの手合わせが見られるの?」
 
 私の複雑な気持ちをよそに、ライラが目を輝かせた。
 
「先に君だよ。オシニスさんだって、先生が疲れているときより、元気なときの方が手合わせするにはいいだろうから、状況次第だね。」
 
 そこにセルーネさんとクリスティーナがやってきた。
 
「今日はまたずいぶんと空いてるな。」
 
「しょっちゅうここに来てるような連中の半分は休みですからね。」
 
 オシニスさんが笑いながら答えた。
 
「それもそうか・・・。」
 
 セルーネさんも笑って、後ろにいたクリスティーナに振り向いた。
 
「クリスティーナ、どうだ?やってみるか?」
 
 クリスティーナは少し緊張気味に辺りを見回していたが
 
「はい・・・。」
 
 小さな声でうなずいた。
 
「そんなに緊張しなくていいよ。まずは体慣らしに、少し素振りでもしよう。」
 
 そう言ってそれぞれが剣を抜いて素振りを始めた頃・・・・
 
「あれ?なんだお前。まだ休みは残ってるよな?」
 
 オシニスさんの声に振り向くと、そこにいたのはなんとエルガートだった。
 
「はあ・・・その、まずいですかね・・・?」
 
「いや、まずくはないが、今日は夕方までここにいるのか?いるならランドに申告して来いよ。」
 
「実はもうしてあります・・・。」
 
「そうか。だったら何でそんなに腰が退けてるんだ?お前は王国剣士なんだから、ちゃんとした手続きを踏んでここにいるのなら、もっと堂々としていろよ。」
 
「い、いやその・・・まさか公爵閣下がいらっしゃるとは・・・・。」
 
「今日はライラが娘の稽古の相手をしてくれるというのでね。お前達にとっては窮屈かも知れんが、しばらくいさせてもらうぞ。」
 
「いや、窮屈だなんてとんでもない。失礼いたしました。ここにおいでになるとは珍しいなと思っただけですから、お気になさらないでください。ところで・・・私も見学させていただいて構いませんか?」
 
「構わんぞ。」
 
 オシニスさんが答えた。妙にかしこまったエルガートの姿を見て、笑いたいのをこらえているようだった。それにしても、まだ休みも終わらないというのにエルガートはどうして一人でここにいるのだろう。以前に相談を受けたときは、シャロンを祭りに誘っているがなかなか一緒に出掛けられないと言っていたが、あのあと二人で出掛けることは出来たのだろうか。
 
(うまく誘えたなら、今頃こんなところには来ないだろうな・・・・。)
 
 この何日かラエルのことに気を取られてそのままになっていたが、あの薬のことも調べなければならない。私が持っている分には特に怪しまれることはないので、あとでハインツ先生にでも聞いてみようか。シャロンがあの薬を麻薬と知っていたら、セディンさんに飲ませたりするはずがない。シャロンは、あれが『特別ないい薬』だと信じているはずだ。シャロンをだましてセディンさんに麻薬を飲ませ、高騰しているはずの薬草を安く卸す・・・。セディンさんがいずれ中毒になって、あの薬なしではいられなくなれば、シャロンはその薬を得るためにどんなことでもしようとするかも知れない。そして薬草の価格が高騰している今、安く仕入れて以前と変わらない値段で売れるというのは、あの店の大きな強みとなっているはずだ。オシニスさんはあの薬草の高騰について一般庶民がそれほど気にかけていないと言っていたが、そうは言っても台所を預かるおかみさん達からすれば、出費は少しでも抑えたいところだろう。となれば、突然その薬草が元の値段で仕入れられなくなったら・・・。
 
(もしかしたら・・・シャロンは二重の罠にはまっているのかも知れないな・・・。)
 
 そしてその相手が、シャロンに要求していることとはいったい何だろう。フローラが聞いた『仇を取らせてやる』という言葉・・・。そのために何を・・・。
 
『多少失敗の確率が高まっても、その場限りで誰かを雇うか脅すかして、働かせるか。』
 
「・・・え?」
 
 思わず剣を振る手が止まった。今、私は何を考えた?シャロンのことを考えていたはずだ。シャロンが何者かにだまされて、何かを要求されているのではないかと考えていたはずなのに・・・どうして、何日も前に聞いたオシニスさんの言葉など思い出したのか・・・。
 
『脅して働かせる』
 
 脅すのではなく、弱っていく父親を助けるための薬と店を守るための安価な商品・・・。アスランを襲った連中の中にいたかも知れない『女』の存在・・・。
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 あの日、店の明かりは消えていた。祭りが盛り上がっているようだから、少しだけ見に行ったのだとシャロンは言っていた。それを疑いもせずにいたが・・・・。
 
(いや、でもまさかそんな・・・。)
 
「クロービス、どうした?」
 
 気づくとオシニスさんが怪訝そうに私の顔をのぞき込んでいる。
 
「ああ、いや・・・。」
 
 何度か深呼吸して、今の突拍子もない考えをとりあえず頭の中から追い出した。こんな状態でオシニスさんに手合わせしろなどと言われたら、あっという間に吹っ飛ばされてしまう。だがその一方で、自分の頭に中にこんなとんでもない考えが浮かんだときは、たいてい当たっていることも自覚していた。だが・・・まさかそんなことが・・・。
 
(いや、今は考えないでおこう。)
 
 訓練が終わったら、クロム達の報告書にどんなことが書かれていたか、聞いてみようか。
 
「素振りをしていたら私のほうが緊張してきてしまいましたよ。」
 
 とりあえずもっともらしいことを言ってみた。オシニスさんとセルーネさんが大声で笑った。この場所で聞く、この二人の笑い声も久しぶりだ。少しだけ気が晴れた。
 
「人一倍図太いくせにな。さぁて、まずはライラとクリスティーナだな。ふたりともどうだ?」
 
「僕は大丈夫ですけど・・・。」
 
「わたくしは、大丈夫ですわ。」
 
 そう言いながらもライラは何となく不安そうだが、それはクリスティーナも同じようだった。
 
「ふたりともそんなに堅くならないで、ちょうどいい練習相手くらいに考えればいいさ。」
 
「そういうことだ。ほら、位置につけ。始めるぞ。」
 
 オシニスさんが立ち上がったので、ふたりとも位置について向かい合った。
 
「降伏するか逃げ出すか・・・・と言いたいところだが、無制限一本勝負というわけにもいかんだろう。適当なところで俺が合図するから、しばらく打ち合ってみればいいさ。行くぞ・・・?始め!」
 
「お願いいたします!」
 
 声とともにクリスティーナの体が宙を舞うようにライラに斬り込んだ。鋭い音を立ててその剣をはじき返したライラの顔からは、たった今までの戸惑いの色は消えている。
 
(本気になったみたいだな・・・。)
 
 今の音を聞いただけでも、クリスティーナの腕が『お姫様の遊び』程度のものでないとすぐわかる。まだ子供らしいあどけなさの残るクリスティーナを見ただけでは、こんな力を秘めていることなどライラには想像もつかなかったのだろう。
 
(怪力も母親譲りだったりして・・・。)
 
 セルーネさんのげんこつの痛さは、オシニスさんのげんこつの比ではなかった。ドーソンさんやジャラクス氏あたりは、クリスティーナの性格がセルーネさんと似てるようなことを言っていたが、剣が好きという以外はそれほど似ているところはなさそうに見える。顔立ちは確かに似ているが、私が見た限りでは、それもそんなに『そっくり』と言うほどでもない。
 
「おいクロービス、何をにやにやしている?」
 
 セルーネさんが呆れたように私を横目で見ている。
 
「いや、お嬢さんの着ている鎧がナイト輝石だなと思って。」
 
 慌ててたった今思いついたことを口にした。まさか『娘さんも怪力ですか』と聞くわけにも行かない。それに、クリスティーナの華奢な体を包む鎧が気になっていたのも確かだ。夜のように深い藍色は、ナイト輝石以外ではあり得ない。
 
「あれは私が若いときに使っていた奴だ。剣士団にいた頃着ていた鎧は、娘には少し大きくてな。今の時代にナイト輝石の鎧は必要ないかも知れんが、せっかくあるのだからと思って、じいやにサイズ調整をしてもらったんだ。何よりも軽いし、身につけやすさ、サイズ調整の容易さ、小さくたたんで荷物にしまえるところなど、鉄鉱石の鎧ではなかなかこうは行かない。レザーアーマーも、あれで意外にかさばるし重いんだよな。」
 
「そうですね。それじゃあの剣もですか?」
 
 クリスティーナの使っている剣は、セルーネさんが昔使っていた大剣ではない。私と同じような細身の剣だ。
 
「あれはアイアンソードだ。もっとも普通の剣よりかなり軽く作ってあるがな。最初は私の剣を持たせてみたんだが、うまく扱えなかったんだ。何も無理して親と同じものを使うことはないから、娘の体格に合うようにあの剣を作ってもらったのさ。」
 
「そうですか・・・。なかなかの腕前ではありませんか。やめてしまうのはもったいないですね。将来どんな道を選ぶかはともかく、今は好きなことをやればいいと思うんですが、若いとなかなかそこまで柔軟には考えられないものなんでしょうか。」
 
「私もそう思うんだがな・・・。娘は自分も私のようになるのではないかと思っているのさ。」
 
「セルーネさんと?」
 
「お前、さっきフロリア様の話で私が『世継ぎの件で』と言ったとき、聞き返さなかっただろう?」
 
「ああ、そういえば・・・・。」
 
 前の日に聞いたばかりの話だったので、初めて聞く振りをすることも忘れていた。だが私の下手な演技など、セルーネさんには通用しそうにない。くさい芝居をしないでおいてよかったようだ。
 
「ま、誰かがお前に話したとしても不思議ではない。フロリア様からユーリクを養子にと言う話が出ていることは確かだが、私はまだ返事をしていないんだ。ローランドもいい顔をしていない。何より、ユーリク本人が嫌がっているからな・・・。」
 
「セルーネさんはどうお考えです?フロリア様が今からでもご結婚されて、実子をもうけて世継ぎとしたほうがいいという話も出ているようですが。」
 
「うーん・・・お歳もお歳だからなぁ・・・・私よりは若いんだから可能性はあるだろうが、難しいのも確かだと思わんか。お前も医者ならばわかるだろう。」
 
「それは確かにそうなんですが・・・。」
 
「フロリア様がご結婚されて、世継ぎが出来るのならば何も問題はない。だが出来なかった場合は、結局ユーリクが養子に入らなければならない。無論それはクリスティーナでも問題はないのだが・・・王家に産まれたわけでもないのに、私は子供達にそんな苦労をさせたくはないというのが本音さ。」
 
「本人が嫌がっているというならなおさらですね。」
 
「そうだ・・・。ユーリクは、自分は公爵家の嫡子なのだからこの家を継いで守っていくべきだというわけだ。そして自分は国王の器ではないとも言っている。」
 
「しっかりした考えを持っているようですね。それはいいことではありませんか。」
 
「ふふふ・・・。あいつは何より、うちの領地の領民達との繋がりを絶ちたくはないんだろうな。小さい頃から視察には必ず連れて行っていたんだが、どこに行ってもすぐに領民達と仲良くなってしまうんだ。領地の子供達とは、一緒になって泥だらけで遊んだりもした。フロリア様からの養子の話を伝えたとき、『国王であるより、一貴族として、あの優しい人達の生活を守っていきたい』とはっきり言っていたよ。そして我が公爵家が分をわきまえて王家に忠誠を誓うことこそが、この国の礎を磐石とするのではないかとね。」
 
 この国で最古の家柄を誇るベルスタイン公爵家は貴族達からの信望も厚く、それ故に王家への対抗勢力にもなりうる。ベルスタイン家の行動次第では、王国を二分する戦争にまで発展しかねない危険性もあるのだ。セルーネさん達は、行動には常に細心の注意を払わなければならない立場にある。
 
「断ると言うことも出来なくはないんですよね。」
 
「出来ないことはない。ただ、世継ぎ問題が宙に浮くだけさ。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「まったく・・・今更言っても詮無いが、やはりケルナー卿の頼みなど父が蹴っていてくれたらと思うよ・・・。」
 
「ケルナー卿が?」
 
「・・・お前、この国の国王に世継ぎがない場合の取り決めは知っているな?」
 
「一番家柄の古い公爵家の子供達からと言う話ですよね。それでユーリクをという話が出ていると言うことだと解釈していましたが。」
 
「その取り決めが出来たのが、実はそんなに昔じゃないと言うことは?」
 
「建国からの決まりではなかったんですか。」
 
「建国以来王家の在り方のよりどころとなるべき王室典範には、最初から『公爵家の最古の家系』などと書いてあったわけではない。以前は『爵位を持つ家の中で最古の家系から』だったんだ。そこに『公爵家』なんて言葉が加わったのは、そうだな・・・いまから30・・・4年か・・・いや、もう35年くらい前の話だな。」
 
「ずいぶんと新しい話だったんですね。でもどうしてその話にケルナー卿が関わってくるんです?」
 
「ケルナー卿は私の父である先代ベルスタイン公爵に傾倒していたらしい。人当たりがよくて気さくなレイナック殿と違い、ケルナー卿は厳格で近寄りがたい風情があったせいか、私もそんなに話をしたことがあるわけではないが、かなり徹底した実力主義者だったことは覚えている。政治も統治も、身分よりもまず優秀な人物が執り行うべきだというわけだ。私が言うのもなんだが、我が公爵家の家系には確かに優秀な者が多かった。ケルナー卿はそこに目をつけたのだろう。だが国を治めるには求心力が必要だ。どんなに優秀でも、国民に支持されない王では統治はうまくいかない。ということは、国民に支持されるためにはどんなに気に入らなくとも、ある程度は身分の問題も考えなければならない。その点ににおいて、公爵家とは代々の国王の兄弟姉妹であるから、国王の血筋に一番近い。ベルスタイン家と同時に創立されたハーシアー家はその頃すでに消滅していたから、現在の国王の家系に万一のことがあれば、ぜひベルスタイン家の子供達の誰かに跡を継いでほしい、そのために『公爵家の最古の家系』という一文を王室典範に入れたいので賛同してくれと、ケルナー卿が私の父に頼み込んだんだ。」
 
「それを先代の公爵閣下が承諾したと言うことですか。」
 
「承諾したと言うより、押し切られたと言ったほうが正しいようだがな。当時フロリア様はまだ10歳そこそこ、あと4〜5年もすれば縁談が持ち上がると思われるお歳だった。それに、エルバール王国200年の歴史の中で、王家が世継ぎを失って他の貴族から養子を取って跡を継がせたなどという前例はなかったから、実際に公爵家の子供を養子に出すような事態にはならないだろうと考えたとしても不思議ではない。だから父を責めるわけにはいかないのだが、こうなってみるとどうしても『やはりあの時断っておいてくれたら』などと考えてしまうのさ。」
 
「正式に決まりとして存在する以上は、無視するわけにも行きませんしね。」
 
「まったくだ・・・。だからよけいに頭が痛いんだ。クリスティーナは、自分が今好きな道に進んでも、いずれは爵位を継がなければならなくなり、剣の道も中途半端で終わってしまうかも知れない、それならばさっさとあきらめてしまおうと考えたようなんだが、結局はあきらめきれずにいるというわけだ。理由が理由だけに、私もなんと助言すればいいのか思いつかなくてな。」
 
 クリスティーナは自分も母親の歩んだのと同じ道をたどることになると言うことをおそれているのか・・・。それならば最初からあきらめて、と言う考え方はいかにも若者らしいが、好きな道をそう簡単にあきらめきれるのなら、誰も苦労はしない。
 
「セルーネさんも悩まれたんでしょうね。」
 
「そうだな・・・。爵位を継ぐべきかどうかさんざん悩んだ。剣の道もあきらめたくはなかった。迷って迷って、結局は爵位を取った。公爵家には、家の運営に関わる人々の生活すべてを守る義務がある。私一人のわがままで、それらすべての人を路頭に迷わせることは出来ないと思ったんだ。」
 
「それでローランド卿との結婚を決意されたんですか。」
 
「父が倒れて、父の仕事を代わりにするようになってから、私はしばらく剣士団を休んでいたんだが、私がいなければ仕事にならないからと、ティールがローランドをつれて手伝いに来てくれていたんだ。半年間がんばった。ある程度仕事の流れがわかれば、剣士団の仕事をしながらでも何とかなるかと考えていたんだが・・・甘かったな・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「剣士団を辞める決意をして、私はティールとローランドに爵位を継ぐと伝えた。二人は一度帰ったんだが、あとでローランドが一人で戻ってきてな。爵位を継ぐのならば結婚しなければならないはずだからと、まあその・・・改めて結婚を申し込まれたわけだ。」
 
 セルーネさんの声に照れたような響きがこもった。
 
「だが彼はカルディナ家の嫡男でもある。・・・トーマス卿の話は聞いてるのか?」
 
「ドーソンさんから聞きました。」
 
「そうか・・・。あの頃は御前会議のリーダーシップを誰が取るかで、大臣達が醜い争いをしていた頃だったからな・・・。やったことは悪いことだから仕方ないんだが、当事者のお前達がもう城下町にいないというのに、何で今更と思ったのは私だけではないだろう。ローランドが私に結婚を申し込んだという話が知れ渡ったとき、消滅寸前に落ちぶれた家を再興するために、彼が公爵家の財産をねらっているという噂が立って・・・・それでローランドは今でも公爵家の領地運営には一切手を出していないんだ。その代わり、そのほかのほとんどの仕事はやってくれているがな。」
 
 ローランド卿は誠実な人だ。本当に今のセルーネさんは幸せそうに見える。本人が言うように、パーシバルさんのことは遠い昔の思い出として、セルーネさんの心の中ではすでに決着がついていることなのだろう。だがそのことを、フロリア様は未だに心の傷として抱え込んでいる・・・。
 
「そろそろ疲れてきたかな・・・。」
 
 セルーネさんがつぶやいた。手合わせを始めた頃、クリスティーナの勢いはよかったが、どことなく迷っているようだなと思いながら見ていた。だが今はもうすっかり集中している。ライラの相手もなかなかだ。受ける、よける、攻める、うまくバランスを取りながら、クリスティーナの力が存分に発揮できるように動いている。だがやはりライラはもう20歳の大人の男であり、クリスティーナは15歳の少女だ。持久力の違いが見た目にも現れてきた。息が上がり始めている。そう考えたのと、『よーし!止め!』というオシニスさんの声が聞こえたのが同時だった。肩で息をしながら、クリスティーナは悔しげな顔で元の位置に立った。対するライラは手合わせを始めたときとほとんど変化が見られない。お互いが礼をして、顔を上げたとたん、クリスティーナがぽろぽろと涙をこぼした。
 
「え?ま、まさかどこか怪我した!?」
 
 ライラが慌てて駆けより、クリスティーナの顔をのぞき込んだ。そのとたんクリスティーナが顔を上げ、ライラを睨んだ。
 
「わたくしが怪我をしないように、気を遣ってくださったんですの?」
 
「え?い、いや、そう言うわけではないんだけど、怪我をさせるほどの一撃は当たってないはずだなと・・・。」
 
「本気で相手をしてくださったわけではありませんのね?」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ライラは困ったようにクリスティーナの顔を見ていたが、やがてうなずいた。
 
「手を抜いていたわけじゃないよ。ただ、君に合わせていたことは認めるよ。」
 
「わたくしが公爵家の娘だからですか!?だから気を遣って・・・」
 
「やめなさい!」
 
 クリスティーナの言葉はセルーネさんの怒鳴り声でとぎれた。
 
「だってお母様!わたくしは全力を・・・!」
 
「お前が全力を出していたのはわかる。だが、ライラもお前に対して全力で相手をしていたら、おそらく今頃お前は診療所に運び込まれていただろう。肋骨の2〜3本も折られてな。」
 
「・・・そ、そんな・・・!」
 
 クリスティーナは明らかに納得いかない顔をしている。セルーネさんは小さくため息をついた。
 
「クロービス、悪いがライラと手合わせしてみてくれないか。『本気』でな。」
 
「・・・構いませんが、お嬢さんに見せてあげるのなら、私よりオシニスさんのほうがいいんじゃないですか?」
 
「ええ!?」
 
 ライラが驚いて声をあげた。クリスティーナの言いたいことはわかる。納得してもらうためには、実際に見せてみるのが一番なのだが、相手が私では説得力に欠けそうだ。
 
「・・・それはそうかもしれんが・・・オシニス、お前はどうだ?」
 
 セルーネさんがオシニスさんに振り向いた。
 
「俺は構いませんよ。クロービスより、俺が相手した方が比較しやすいかも知れませんしね。」
 
「そのほうがいいでしょう。クリスティーナ、オシニスさんは剣士団長だ。ライラとの立合なんてなかなか見られないと思うから、よく見ておくといいよ。」
 
「は・・・はい・・・。」
 
 クリスティーナは緊張した面持ちでうなずいた。
 
「というわけだ。ライラ、続けていけるか?」
 
「大丈夫だけど・・・不安だなあ。」
 
 ライラが珍しく情けない声をあげる。
 
「君のお父さんを相手にすると思って向かっていけばいいさ。実力は同じようなものなんだし。」
 
「そうかなあ・・・。父さんのほうが弱そうだけど・・・。」
 
 この言葉を聞いたオシニスさんが笑い出した。
 
「今の言葉をあいつが聞いたら怒るぞ。ま、お前の親父は俺とはタイプが違うから、それをお前がどう感じるかはなんとも言えんが。それじゃクロービス、合図を出してくれ。適当なところで止めてくれよ。」
 
「わかりました。それじゃ位置についてください。」
 
 いつの間にか、訓練場にいた剣士達がみんな私達の訓練場所を取り囲んでいた。現役の王国剣士を打ち負かしたと評判のライラと、剣士団長オシニスさんの手合わせなど、見たくて見られるものじゃない。静まりかえった訓練場の中で、合図を出そうとした私の耳に何かが聞こえた。これは車椅子の音だ。程なくしてハインツ先生の声が聞こえてきた。
 
「おやおや、何かやっているようですよ。ちょうどよかったかも知れませんねぇ。」
 
「くれぐれも言っておくが、見るだけにしてくれよ。今無理したら元も子もないんだから。」
 
 これはゴード先生の声。
 
「わかってますよ。俺はただ、訓練場の空気を吸いたいだけですから。」
 
 やがて姿を現したのは、セーラが押す車椅子に乗せられたアスランだった。訓練場の空気が一気にアスランに向かって流れる。
 
「おい!?大丈夫なのか?」
 
「なんだなんだ、おとなしく寝ていられないのかよ。」
 
 剣士達は口々にアスランに声をかけたが、みんなうれしそうに笑っていた。一時は死の淵にあった彼が、今は元気な笑顔を見せている。きっとみんなうれしいのだろう。
 
「ほぉ、ちょうど良いところに来たようだな。」
 
 オシニスさんがにやりと笑った。
 
「おいみんな、アスランに道を空けてやれ。おいアスラン、これから俺とライラがちょっとした手合わせをするから、よく見ておけよ。」
 
「は・・・はいっ!」
 
 アスランの顔が一気に緊張した。
 
「では行きますか。2人とも準備はいいですか?」
 
「おう。」
 
「はい。」
 
 2人がうなずいたのを確認して、叫んだ。
 
「始め!」
 
 ライラは剣を構えたが、すぐには飛び込んでいこうとしない。相手の隙を窺っているのか、攻める場所を見極めているのか、対するオシニスさんも剣を構えたまま動かない。ライラの出方を窺っているのだろう。やがてライラが動いた。オシニスさんのある一点を見定め、まっすぐに攻撃をかける。対するオシニスさんは構えた姿勢のまま、まるで剣だけが伸びるように振り上げられ、ライラの剣をはじき返した。刃と刃のぶつかり合う音が静まりかえった訓練場に響いた。最初の一撃を交わされることはライラとしてももちろん予測していただろう、すぐに後ろに下がって体制を整えたが、かなりの衝撃だったようだ。ここに来るぞとわかっていても、あの重い一撃を受け止めるには相当な力がいる。
 
「なかなかいい一手だな。だが体勢を立て直すまで敵は待っていてくれないぞ。ほら次だ!」
 
 再び繰り出されるナイトブレードの刃が、鋭い風切り音とともにライラに向かって振り下ろされ、ライラは今度もかろうじてはじき返したものの、バランスを崩しそうになって一歩下がった。ライラの持っているアイアンブレードは、ナイトブレードより重い。あの剣をうまく使えばオシニスさんに手痛い一撃を食らわせることも可能なのだが、それも『当たれば』の話だ。今のライラでは、オシニスさんの隙を突くところまでは行かないだろう。それにもともと、ライラの剣は自分の身を守るためのものだ。危険な目に遭ったとき、身を守りながら安全な場所まで逃げおおせるための・・・。積極的に人を攻撃すると言うことに、ライラ自身が慣れていないのかも知れない。
 
「お前の剣は護身のためのものだと言ったが、相手の攻撃を受け止めるにも力は必要だ。そして威嚇の意味も含めて、ある程度は攻撃することも考えなければならん。守る一方では埒があかないぞ。俺から逃げおおせるには俺を打ち負かすつもりでかかってくることだ。」
 
 オシニスさんも同じことを考えたらしい。そのオシニスさんは、ライラの剣を受けながらまだまだ余裕がある。ライラの目の色が変わった。立合の時のライザーさんにそっくりのあの目だ。人を攻撃すると言うことに対する迷いが消えたのか、動きも少し変わった。そして対するオシニスさんも、ただ立っているだけだったのが素早く動き始める。ライラの剣を左でかわし右ではじき、こうしてみるとまるで、ライザーさんとオシニスさんとの立合を見ているようだ。ライラは昔よりずいぶんと腕を上げた。攻撃の仕方も多彩になってきている。対するオシニスさんの剣は・・・・以前と少し変わったような気がする。2人で行動するのが当たり前だったころなら、いつもひたすらに攻撃をしかける役目だったが、今はどっしりと構えて、攻撃をしかけてもすぐに元の体勢に戻れるよう計っているようだ。だがこうして見ている限り、攻撃力は変わっていない。
 
「オシニスさんの攻撃スタイルは変わりましたね。」
 
 私は隣にいるセルーネさんに話しかけた。
 
「ほぉ、すぐに気づくあたり、お前の目はまだまだ鈍っていないようだな。」
 
「ははは、それはどうでしょうね。でもオシニスさんとは何度も手合わせしてますから、昔と違うと言うことはわかりますよ。以前のように積極的に前に出るというより、相手の動きを推し量ってそれに合わせようとしているように見えます。やはり一人で戦うための動きなんでしょうか。」
 
「そうだな・・・。戦闘中に自分の背中を預けられる相手は、自分の相方をおいてほかにない。オシニスが前に出ればライザーがその背中を守り、ライザーが前に出ればオシニスが奴の背中を守る。何も言わなくてもぴたりと息が合っていたものだ。オシニスにとって、ライザー以外の相方は考えられなかったんだろうな。だからライザーがいなくなってから、あいつは誰ともコンビを組むことはしなかった。そして剣士団再建のための激務の合間を縫って、いつもここで訓練をしていた。一人での戦闘を想定して、効率的な動きを研究していたんだろう。」
 
「そうですか・・・。」
 
「ライザーは相変わらず姿を現さないな・・・。お前はこっちに来てから会ってないのか?」
 
「はい。もしも会っていたら、今頃とっくにここに連れてきていますよ。子供達が危険な目に遭っているのに、親がそのことを知らないなんて話はないですから。」
 
「それもそうか。あいつは・・・まだ剣士団にわだかまりがあるのかな・・・。」
 
「ライザーさんがどうしていなくなったのかはご存じなんですよね。」
 
「私もその場にいたからな。いや、あの時海鳴りの祠にいた連中は全員いた。お前は奴から何も聞いていないのか?」
 
「・・・はい・・・ローランでドーソンさんにも尋ねたんですが、本人が言わないのならそれは私に知られたくないのだろうと・・・。」
 
「・・・なるほど。それはそうなのかも知れん。そのことをお前に話せる奴がいるとすれば、ライザー本人か、でなければオシニスだけだろうな。奴には聞いたのか?」
 
「教えてくれと頼んではありますが、なかなか話をする機会がなくてそのままになってますよ。」
 
「そうか・・・。」
 

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