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第65章 敵か味方か

 
 翌日も晴天だったが、昨日までの雲一つない空とは違い、あちこちに雲がわき出している。晴天が続いてもうかなりの日数になる。そろそろひと雨くるのかも知れない。少し早めに宿を出た。今日は一日祭り見物に充てる予定だが、まずはタルシスさんのところに顔を出すつもりだったからだ。タルシスさんは仕事中なのだからのんびり昔話をすると言うわけにはいかないだろうが、まずは一度挨拶をしておいて、あとでまたゆっくりと訪ねればいいだろう。
 
「この道も久しぶりねぇ。」
 
 鍛冶場への道を歩きながら妻が言った。昔、剣士団が王宮に戻ってから、タルシスさんはすぐに鍛冶場へと戻ってきた。出るときに持ち出した大量の武器防具の在庫を抱えて。その中にあった私の父のレザーアーマーは、預けたときよりきれいになって無事私の元に戻ってきた。鍛冶場は思ったほど荒らされてはおらず、タルシスさんが元のように仕事が出来るようになるころには、妻も私もよくこの道を通って会いに行ったものだ。建物に近づくにつれて槌音がはっきりと聞こえてきた。
 
「おはようございます。」
 
 中には昔と違い、何人かの職人がいた。今のように王国剣士が増えたことで、さすがにタルシスさん一人ですべての剣士の武器防具の修理をすると言うわけには、行かなくなったのだろう。
 
「おはようございます。失礼ですが・・・。」
 
 鍛冶場の一番手前にいた若い職人が立ち上がった。私達は自分の名前と身分を名乗り、特に予約していたわけではないが、もしも会えるようならタルシスさんに会えないかと話してみた。
 
「おお、あなたがあのご高名なクロービス先生でしたか。これは失礼いたしました。」
 
 若い職人は丁寧に頭を下げて、すぐにタルシスさんを呼んできてくれた。
 
「おお!クロービスか!それに、ウィローだな。ほお、何だか昔とあんまり変わらんなあ。俺はすっかり歳をとって、どこからどう見ても『老人』になっちまったがな。」
 
 奥から出てきたタルシスさんは、私達の顔を見るなりそう言って大声で笑った。タルシスさんの髪にはかなり白いものが混じり、皺も増えていた。だが身のこなしは昔と変わらず、とても『老人』という呼び方にはそぐわない。
 
「ご無沙汰しています。私達も歳をとりましたよ。」
 
「はっはっは!そんなことはないだろう。しかし久しぶりだなあ。祭りの見物に来たのか?」
 
「ええ、それと、息子の仕事ぶりも見たいと思いまして。」
 
「おお、そうだったな。聞いてるぞ。なかなか元気な若者だそうじゃないか。」
 
「元気なのだけが取り柄なんですが、なかなか仕事のほうはうまく行ってないようです。」
 
「はぁっはっはっは!おいおい、それが当たり前なんだぞ?入って何ヶ月かの若い者がそこそこ活躍できるようでは、剣士団の未来が心配じゃないか。」
 
「・・・それもそうですね。」
 
 言われてどきりとした。そうだ、息子はまだ入って何ヶ月かしか過ぎていない。そんなことはとっくに解っていたはずだったのに、いつの間にか『息子が役に立ってない』ことにやきもきしている自分がいた。『もっとがんばって早く1人前にならなきゃ』なんて、私までが焦っていた。そんな甘いものではないと、昔自分もいやと言うほど思い知らされたではないか。
 
『最初は出来なくて当たり前、うまく行かなくて当たり前。そう思ってもらえているうちがチャンスなんだぞ。当てにされない分、確実に力をつけるための訓練を積むことが出来るんだからな。』
 
 そう言ってくれたのは誰だっただろう・・・。もしかしたら、それは他ならぬタルシスさんだったかも知れない。息子に会ったら、もう少し優しい言葉をかけてあげようか。まあ・・・調子づかない程度にだけれど・・・。
 
「まあ座ってくれ。お茶くらいは出せるぞ。」
 
 鍛冶場の隅に案内してもらい、しばし思い出話に花を咲かせた。だがその間にも若い職人がいろいろと質問に来たりしている。あまり仕事の邪魔になってもと、早々に腰を上げることにした。
 
「すまんな。ゆっくり出来なくて。」
 
「飛んでもない、私達は遊びに来てるんですからお気遣いなく。」
 
「また来いよ。」
 
「はい、また来ます。」
 
 鍛冶場を出たころには陽が高くなっていた。この時間から外に出れば、祭りを一巡りするにはちょうど良いかもしれない。東翼の宿泊所の管理人は今では顔なじみになり、快く通してくれた。ライラの部屋を訪ねるとイルサもそこにいて、私達が来るのを待っていたようだった。
 
「それじゃ行こうか。明日あたり雨が降るかも知れないから、今日は夕方までしっかりと見て回ろう。」
 
「わーい!やっとお祭りを見に行けるのねぇ。」
 
 イルサはうれしそうだ。アスランと一緒の時に襲われて以来、祭りどころか自由に外へ出ることも出来なかったのだから無理もない。それはライラも同様で、ここに来てからずっと王宮の中にばかりいた。セーラズカフェに食事に出掛けたときくらいしか外に出ていない。
 
「よし、今日は君達の行きたいところどこにでも行くよ。芝居小屋でもバザーでも何でもありだ。」
 
「ほんと!?ねえ先生、それじゃ私、マダム・ジーナのお店に行きたい!」
 
「知ってるのかい?」
 
「ええ、前に一度行ったことがあるんだけど、その時は灯台守のリガルトさんと一緒だったのよ。リガルトさんが奥さんにおみやげを買うのにつきあっただけだから、あまりよく見てこれなかったのよねえ。」
 
「へえ、それじゃそこにも行こうか。あ、そうだ、それならこの間行きそびれた演劇学校にも行きたいんだけどいいかな。」
 
「シンスのためなら、僕らもつきあうよ。今度こそ自分の行きたい道を見つけてくれたならいいんだけどな。」
 
「そうよねぇ。いつまでもふらふらしていたら、それこそグレイおじさん達の夫婦の危機になっちゃうわ。」
 
 シンスの将来のことでグレイとアメリアがよく言い争いをしていたことは、ライラもイルサも知っている。
 
「ははは、そうだね。それじゃ、先に祭りのバザーに行くかい?それともマダム・ジーナの店が先かな。」
 
「そうねぇ、それじゃ、先にマダム・ジーナのお店に行きたい。あと演劇学校も行ってきましょうよ。」
 
「僕はセーラズカフェに行きたいんだけど、イルサ、君は?」
 
 ライラは少しだけ不安そうだ。そんなライラを見てイルサはくすりと笑った。
 
「私も行くわよ。大丈夫、あのお店の食事はおいしかったもの。また行きたいと思ってたのよ。あ〜ぁ・・・アスランが元気になったら、また行こうかな。今度こそちゃんと食事をごちそうして、謝らなきゃねぇ・・・。」
 
 イルサがため息をついた。
 
「カインのことはもう大丈夫なの?」
 
 ライラはまだ心配そうだ。
 
「そうねぇ・・・・変に距離を置いてしまったことが悪い方に転がったような気がする。今はもう平気よ。昔と同じように友達として話せるわ。・・・でも・・・うーん・・・昔と同じってのはまだ無理かも知れないけど・・・」
 
「そんなにビシッと切り替えが出来なくてもいいのよ。少しずつで。」
 
 妻も心配そうだ。イルサが元気をなくしている原因が私達の息子にあることがはっきりしているのだから、私としても気がかりなことではある。
 
「そうよね・・・。でも、前みたいにウジウジしてないなってのは自分でもわかるの。だからきっと大丈夫よ。」
 
 イルサが笑った。せっかく本人が吹っ切ろうとしているのだ、まわりがあまり不安そうに見ていたのではイルサのほうが気を使ってしまう。
 
「イルサはちゃんと考えているんだから、いいじゃないか。それより行こうか。そろそろ出ないと、ゆっくり見て回る時間がなくなってしまうよ。」
 
「そうよね。行きましょうよ。」
 
 イルサが先に立って歩き出した。王宮のロビーにはたくさんの人が見学に来ていて、案内嬢が2人ほどいて必死に応対している。その人混みを抜けて外に出ると陽射しはもう大分強く、気温もかなり上がっていた。私達はまっすぐ商業地区に向かって歩き出した。ピンと張りつめた空気を感じる。これは妻の、そしてライラとイルサのものだろう。この人混みの中から、彼らを、あるいは私を狙って何者かが躍り出てこないとは限らないと、考えたとしても不思議ではない。だが・・・・実のところ、もうこの2人が襲われることはないのではないかと、私は考えていた。敵はアスランとイルサを襲った。そして間髪を入れずライラまでも・・・。彼らは迷わずアスランを殺そうとしたが、ライラとイルサを殺す気は最初からなさそうだった。いや・・・本当なら、アスランのことだって本気で殺す気はなかったのじゃないか、そう思うことさえある。そしてこの考えには根拠がないこともない。それは、アスランの傷の位置だ。最初に見たとき、あの傷はアスランを一撃で殺すために刺したものの、手元が狂って左上の肺に突き抜けた、そう考えていた。だが、冷静に考えるとおかしいことがある。手元が狂ったことにかわりはないだろうが、あの位置に剣を刺して、うまくいったとしても果たして心臓を貫くことは出来ただろうか。スティレットと呼ばれているあの細長い剣を、あの位置からまっすぐ差し込めば、骨に当たる可能性のほうが高い。斜めに差し込んでその途中にある心臓を貫くためには、かなり緻密な計算が必要になる。そしてその計算どおりにことを遂行するには、相当な腕が必要とされるだろう。アスランを刺した敵が女だったかも知れない、そしてそれが・・・もしかしたらシャロンだったかもしれないという突飛な発想はまだ誰にも話していない。だがもしも本当にシャロンだったとしたら、いかに店を守るためとは言え、彼女は人殺しに手を貸すだろうか。それに、フローラが言っていたように、シャロンが謎の行動を取るようになったのはせいぜい3ヶ月ほど前からの話だ。いくら厳しい訓練を積んだとしても、たった3ヶ月でそこまでの腕を身につけられるというのは考えにくいし、そこまでの腕があったなら、今頃はもうアスランの葬式まで済んでいたことだろう。それに、その『女』がシャロンでなかったとしても、プロでないことにかわりはなさそうだ。そう考えると、私には、どうしても敵が本気を出しているとは思えない。ラエルのことだってそうだ。彼をだまして私を襲わせたところで、私がむざむざと彼に殺されることはないだろうと、敵が踏んでいたような気さえする。もしかしたら、敵の行動を統率している何者かは、一人ではないのかも知れない。手ぬるく思えることさえあるのは、もしかしたらその指揮系統が複数いて、反目し合っているか・・・・。もしもそうならば、そこにつけ込む隙が出来る。敵の陰謀を暴くことも出来るかも知れない・・・。あのクイントという書記官は、その指揮系統の一人なのか、それとも・・・。
 
「着いたわよ。」
 
 妻の声で我に返った。そこは商業地区の中程にあるおしゃれな店の多い通りで、確かこの通りを一番奥まで行くとセーラズカフェの前にある広場に着くはずだ。
 
「ここがマダム・ジーナの店かい?」
 
 店の作りは思ったより落ち着いていた。客がほとんど女性ばかりと聞いていたので、もっとカラフルでかわいらしい作りの店かと思っていたが違ったようだ。
 
「そうよ。かわいい小物から、落ち着いたデザインのものまでいろいろと揃ってるわよ。」
 
 イルサは言いながら先に立って扉を開けた。
 
「いらっしゃいませぇ。」
 
 元気な、でもあまりうるさくない程度の声で店員が迎えてくれた。中の作りも落ち着いていて、いい年の男が入ってもそれほど浮いて見えそうにないようでホッとした。とは言え、それほどたくさんいるわけでない客の中には、私と同年代の男性客は皆無だったのだが・・・・。
 
「いらっしゃいませ、ようこそ当店へ。ごゆっくりご覧になってくださいね。」
 
 店の奥から年配の女性が出てきた。美しい顔立ちで、シワや白髪があるわけではないのだが、若いという印象は受けない。落ち着いた物腰、柔らかな笑顔、もしかしたらこの人がマダム・ジーナだろうか。その女性はイルサに目を留めて微笑んだ。
 
「あら、しばらく前にいらしてくださったお嬢さんね。いらっしゃいませ、またおいで下さいましてありがとうございます。」
 
「まあ、マダム、憶えていてくださったんですか。」
 
 イルサは驚いている。
 
「ふふふ・・・私は一度お店に来てくださったお客様のお顔は忘れませんわ。ようこそ皆様。私がこの店の主、ジーナでございます。」
 
 マダム・ジーナは優雅にお辞儀をした。
 
「あの時はいろいろアドバイスしてくださってありがとうございました。おかげさまでいい買物が出来たって、リガルトさんがとても喜んでましたわ。奥さんにも好評だったみたいです。」
 
「まあ、それはようございました。あれからまたいろいろと新しい商品を揃えておりますの。お気に召すものがあればいいのですけれど。」
 
 店の中には、フロリア様の部屋に飾られたテーブルクロスと同じものが飾られていた。一点物というわけではなかったらしい。そのほかにもかわいらしいカーテンやクッション、ハンカチなど、そんなに高くない値段で揃えられそうなものばかりだ。これなら妻にプレゼントが出来そうだが、さてその妻が気に入りそうなものはあるだろうか。
 
「ふふふ、今日はゆっくり見たいと思って、楽しみにしてきたんです。」
 
 イルサはうれしそうだ。意外なことに、ライラが商品を手にとっては熱心に眺めている。誰かにプレゼントするあてがあるのだろうか。
 
「あら、ねえライラ、誰かにあげるの?まさか自分で使うわけじゃないわよね?」
 
 イルサがからかうようにライラに尋ねた。ライラが今手にしているのは、髪を束ねるのにちょうど良さそうな幅広いリボンだ。濃いめのピンク色で、どちらかというと、プラチナブロンドの髪に合いそうな色だ。イルサの髪はイノージェン譲りのブロンドだが、もう少し薄い色とのほうがぴったり合うかも知れない。
 
(プラチナブロンドというと、セルーネさんの髪がそうだけど・・・・そう言えばクリスティーナも同じ色だったな・・・。)
 
 あの娘なら、このかわいらしい色のリボンがよく似合いそうだ。
 
「ま、まさか!これは、その・・・クリスティーナに似合いそうだなと思って・・・。」
 
 なるほど、誰しも考えることは同じらしい。が・・・何でまたライラが・・・・。
 
「へぇ・・・そう言えばそうねぇ。あの子の髪は私よりもう少し薄い色だから、こんな濃いめの色で結んだらとてもきれいだわ。ふふふ・・・プレゼント?」
 
 照れたようにほおを染めたライラに、イルサの瞳がいたずらっぽく光った。
 
「そんなんじゃないよ。鎧を見せてもらった時に、あの鎧の出自についていろいろ教えてもらったんだ。そのお礼にと思ってさ。」
 
「あれはセルーネさんが若いときに使っていたものだそうだね。」
 
 イルサのからかう気満々な視線に困ったような顔をしていたライラは、私の問いかけにホッとしたように振り向いた。
 
「うん。本当は、ナイト輝石のものなんて身につけるのいやだったそうなんだけど、こだわりよりも腕を上げるほうが先決だって、それで使うことにしたそうだよ。」
 
(こだわりよりも・・・か・・・・。)
 
 何となく、自分のこだわりに対してチクリと針を刺されたような気分だった。ライラの横顔も複雑だ。彼自身も自分のこだわりに対して思うところがあるのかも知れない。
 
「あの・・・。」
 
 ずっと黙って立っていたマダム・ジーナが口を開いた。
 
「お客様のお話に割って入るなど大変失礼なのですが・・・・皆様は・・・ベルスタイン公爵様とお知り合いなのですか?」
 
「構いませんよ。マダムはセルーネさんをご存じなんですね。」
 
「ええ、それはもう。もう大分昔になりますが、公爵様の姉君のウェディングドレスを仕立てたことがございますのよ。もっともそのころ、私はまだお針子に過ぎませんでしたから、デザインなどはすべて、私の師であるマダム・セルフィーヌのものでしたけれど。その時に公爵様と、すぐ上の姉君にもお会いしましたの。どのお方もお美しくて、先が楽しみですねと先代の公爵様に申し上げたことを、今でも覚えておりますわ。」
 
「そうでしたか・・・。」
 
「その時の縁で、公爵様のご結婚の時は、私がドレスのデザインを手がけさせていただきました。初めてお会いしたときから男性のようなズボンとシャツ姿しか拝見したことがありませんでしたが、ドレスがとてもお似合いでしたわ。」
 
「黙って立っていれば、実に美しい女性なんですけどね。」
 
 最初に会ったときから王国剣士の制服と鎧を身につけていたので、実のところセルーネさんがあんなにきれいな女性だったんだと、ちゃんと気づいたのは大分後だったが・・・・。
 
「まあ、ご冗談を。お話もとても楽しくて、お優しい方ですわ。」
 
 マダム・ジーナは笑い出した。
 
「最近は大分お忙しいそうで、ほとんどお顔を合わせることもなくなってしまいましたが、お元気なら何よりですわ。お客様が今度公爵様に会われる機会がございましたら、よろしくお伝えいただけませんか?」
 
「わかりました。」
 
 話をしている間に扉が開き、客が入ってきたようだった。
 
「あれ?こんにちは。」
 
 背後でライラたちがあげた声に振り向くと、そこには明らかに『しまった!』と思っているとはっきりわかる表情で、エルガートが立っていた。
 
「おや君か。買物かい?」
 
「は、はい・・・あ、あ、あの・・・・せ、せん・・・先生達はどうしてこちらに・・・。」
 
 エルガートはすっかり動揺している。若い女性が客のほとんどをしめるこの店にひとりで来たことを、多分彼は誰にも知られたくなかったに違いない。だがこうやって顔を合わせてしまってからそっぽを向いて知らぬ振り、と言うわけにも行かない。出来るだけさりげなく、話しを続けた。
 
「イルサ達がこの店を見たいって言うんでね、私もこの間リーザからこの店のことを聞いて、ちょっと来てみようと思ってたんで一緒に来たんだよ。」
 
「そ、そう・・・ですか・・・。」
 
「プレゼントかい?」
 
 『シャロン』という名前は出さずにおいた。エルガートは複雑な顔をしていたが、『はい。』と言ってうなずいた。
 
「でも、いざ入っては見たものの、何がいいのかさっぱりなので・・・。」
 
「あら、恋人へのプレゼントですか?私がお手伝いしますわ。」
 
 マダム・ジーナが笑顔でエルガートに近づいた。
 
「は、はあ、その・・・・」
 
「そんなにかしこまらないでくださいな。私はこの店の主、ジーナでございます。ご心配なく。そんなに高価なものはこの店にはおいておりませんの。」
 
「そ、そうなんですか・・・。」
 
 エルガートの緊張が少し緩んだような気がした。やはりエルガートの不安はそこが一番だったか。だが、かえって私達が口を出さないほうがいいのかも知れない。マダム・ジーナはさりげない会話をしながら、シャロンのイメージをつかみ取り、どんなプレゼントがいいのか的確なアドバイスをしてくれているようだ。
 
「さすが、当代きってのファッションデザイナーねぇ。」
 
 妻が耳元で囁いた。
 
「そうだね。へたに口出ししないほうが良さそうだよ。エルガートも顔見知りには会いたくなかったようだし。」
 
 もしもエルガートが私達にプレゼントの相談をしていたなら、おそらくマダム・ジーナは黙って立っていたのだろう。
 
「そうね・・・。あの薬のこと、どうする?」
 
「今日の夕方、医師会に顔を出して聞いてみるよ。あと、都合がよければ明日の夜あたり、カインとフローラと食事をしようかと思ってるんだ。」
 
「そうね・・・。大分先延ばしになっちゃったものね。」
 
「うん。一度ゆっくり話したいしね。」
 
「そうね・・。」
 
 そんな会話をしているうちに、イルサもライラも買うものが決まったようだ。そう言えば妻にも何か買ってあげようと思っていたのに、話に気を取られて忘れていた。
 
「君は何かほしいものないの?」
 
「私?」
 
 妻はなぜか驚いたように顔を上げた。
 
「そうだよ。せっかくきれいな小物があるんだから、一つくらい買ってあげたいなと思ったんだけど・・・。」
 
「い、いいの・・・?」
 
「すごく高いものばかり売っていたら、目の保養で終わっていただろうけどね。私の財布の中身でもなんとか買えそうなものばかりだから、君の好きなものを何でも買っていいよ。」
 
「ほんと!?うわぁ、それじゃちょっと待ってね。」
 
 妻は笑顔で品定めし始め、髪留めと長いリボンを選び出した。
 
「これ・・・2つは、ダメかな。」
 
「2つでもいいよ。今までプレゼントなんて買ったことなかったからね。いくつでも。」
 
 妻が笑い出した。
 
「そんなにたくさんじゃなくていいわよ。ふふふ・・・きれいな髪留めとリボンがほしかったの。ありがとう、クロービス。」
 
 そしてまたくすりと笑ってこう言った。
 
「プレゼントなら、前にもらったことがあるじゃない?ほらこれ。」
 
 妻が少しだけ襟元をあけて、何かを引き出した。それは確かに私がずっとずっと前に買ってあげた、ネックレスだった。
 
「それ、まだ持ってたんだ・・・。」
 
「当たり前でしょ。ずっと持ってるわよ。これからもね。」
 
 思いがけない場所で見つけた、ハース聖石のネックレス・・・・。私のほうが忘れていた。人間の記憶というものがそもそも曖昧なんだと言うことはわかっているつもりだが、それにしてもどうしてこんなことまで忘れてしまっているものか。オシニスさんと話をする前に、もう一度昔の記憶をよく思い出しておいたほうがいいんだろうか・・・。いや、そう言う問題じゃなくて、妻へのプレゼントのことをきれいさっぱり忘れていた、そのことをこそ憂えるべきか・・・。
 
 
「はい、それではこちらでございますね。」
 
「は、はい・・・お願いします・・・。」
 
 神妙な声に振り向くと、エルガートが財布を出しているところだった。シャロンへのプレゼントは決まったらしい。品の良い包装紙にくるまれたそのプレゼントを、エルガートは大事そうに抱えている。
 
「決まったみたいだね。」
 
「はい。なんとか・・・。」
 
 恋人へのプレゼントを買ったというのに、エルガートの顔は相変わらず冴えない。
 
「今日は訓練場に顔を出すのかい?」
 
「いえ、今日はこれを届けて、あとはまたその辺をぶらぶらしてみようかなと・・・。」
 
 うまく誘えればシャロンと一緒に祭りを見て回りたいのだろうけど・・・・。
 
「そうか。私達はもう少し見ていくから、これで。」
 
「はい、失礼します・・・。」
 
 エルガートはずっと不安そうだった。せっかく買ったプレゼントを、シャロンが受け取ってくれないのではないかとでも思っているのかも知れない。
 
(とにかく・・・あの薬のことがわからないうちはなんともしょうがないな・・・。)
 
 買物が終わったところで、私達も外に出た。昼にはまだ間があるが、少し早めにセーラズカフェに向かった。早く着いたならコーヒーも飲めるし、早めに食事をして祭りを見に行くことも出来る。
 
 
「久しぶりだからなあ・・・マスターに怒られたりして。顔も出さないで、なんてね。」
 
 歩きながらライラがつぶやく。ちょっとだけ心配そうだ。マスター夫婦にはライラの身に降りかかった災難について一通り話してあるが、取りあえず黙っておいた。店について中に入ると、やはりまだ昼には間があるらしく、客の数もまばらだ。このくらいのほうが、客の動向を掴みやすい。
 
「久しぶりね。大分忙しかったのかしら。」
 
 奥のテーブルに座った私達に、セーラさんは以前と変わらぬ笑顔で声をかけてくれた。
 
「ごめん、いろいろあって・・・忙しかったから・・・。」
 
 ライラの返事も歯切れが悪い。ライラの立場からすれば、あんなことがあったなんて、誰にも言いたくないだろう。
 
「あら、別に怒ってるわけじゃないのよ。そんな顔しないの。」
 
 セーラさんが笑った。
 
「おいセーラ、ライラをからかうな。ライラも気にするなよ。まるっきり遊びに来ているわけじゃないんだから、そう毎日顔を出すってわけにもいかんだろうからな。」
 
「うん・・・ごめんね、心配かけて。」
 
「こら、客が謝ってどうする。今日もおすすめにするなら、とびっきりうまい食事を用意するぞ。」
 
「あ、それじゃ僕はそれがいいな。・・・みんなは?」
 
「先生もそれがいいな。セーラさん、私もそれで。」
 
「あら、それなら私も。」
 
「じゃ私も。」
 
 結局みんな『とびっきりうまい食事』に惹かれておすすめを頼み、しばらくして運ばれてきたおいしい食事を食べながら、とりとめのない話をしていた。こんな風に笑いながら他愛のない話をしたのは、一体いつのことだっただろう。イルサやライラとも久しぶりに会ったというのに、こうして話すのは何だか再会してから初めてのような気がする。でもこうして話していてさえ、ライラとイルサが緊張しているのがわかった。彼らが心から寛げる日が来るのはいつのことになるんだろう・・・・。
 
 
 幸いなことにこの日は何事もなく、私達は食事を終えて外に出た。歩きながらライラが首をかしげている。
 
「どうしたんだい?」
 
「うん・・・何だかマスターとセーラママの様子がおかしかったような気がして・・・。」
 
「どういう風に?」
 
「なんて言うのかなあ、緊張してたような・・・」
 
「ふぅん・・・ケンカでもしてたのかな。」
 
 さすがにライラは鋭い。あまり詮索されないうちにととぼけて見せたが、ライラは笑い出した。なんとかごまかしきれるだろうか。
 
「かも知れないけど、あの2人がケンカするなんてしょっちゅうだよ。今日のはそんなんじゃないと思うな・・・。」
 
「でも態度が変わったわけじゃないだろう?先生にはいつもと同じに見えたよ。緊張してた原因が何だか知らないけど、特に気にするほどのことはないと思うな。」
 
 言いながら冷や汗が出る。私の『へたくそな嘘』がライラに通じたかどうか。
 
「うん・・・そうだね。あんまりいろいろ気にすると怒られるからなあ。」
 
「ははは、2人とも君を息子みたいに思ってるみたいだからね。」
 
「あ、それは前にも言われたよ。・・・そうだね、気にしても仕方ないや。」
 
 さてライラが納得したのかどうかわからない。だが取りあえずこの話題を続ける気はなさそうだった。説明してもよかったのだが、今のライラにそんな話をすれば、また自分のせいで誰かを危険に巻き込んでしまったと考えるかも知れない。それは出来れば避けたかった。だが・・・・
 
「それじゃちょっと演劇学校に寄ってから祭りを見に行こうか。」
 
「あ、そうだね。でも・・・シンスが役者なんて、ちょっと意外だなあ。」
 
「昔からそんな話をしていたわけじゃなかったんだね。」
 
「聞いたこともなかったよ。だから本当に最近考えるようになったのか・・・あんまり考えたくないけど、またいつもの思いつきか・・・・。」
 
「・・・・・・。」
 
 確かに、そう思われても仕方のない状況だった。
 
『役者になりたい』
 
 あれは本当にシンスの本心なのだろうか・・・・。ここでもらった入学案内が島に届くころには、シンスの熱もすっかり冷めているのかも知れない。とは言え、彼は私に本気で役者になるつもりだからと言っていたし、グレイもそのつもりで学校について調べて来てくれと言っていた。とにかく、案内書をもらって先に送っておこう。まずは目を通して、それから考えても遅くはない。
 
 
 演劇学校の中は賑やかだった。祭りの間公演をやっているので、昼間は若手達が稽古をしているらしい。受付に声をかけて用件を告げると、中にいた女性が笑顔で分厚い案内書を持ってきてくれた。
 
「ずいぶん厚いですね・・・・。」
 
 思わず本音が出た私に、女性が笑いながら言った。
 
「はい。でもこれは単なる案内書ではありませんのよ。中にはこの学校に入学するための心構えから、どんな活動をしているかがすべて書かれています。それに、実際に入学するための申込書なども入ってますの。一通り目を通していただければ、この学校のことはよくわかるようになってますわ。」
 
 礼を言って学校をあとにした。だがこんな分厚い案内書を抱えたままでは歩き回れない。いったん宿屋に戻って、グレイ宛に案内書を送る用意をした。『シンスがこの案内書を見て何を言っても怒ったりしないように』と一筆添えて・・・。
 
「さて、これでシンスとの約束は果たせそうだね。これを送ったら、祭りを見に行こう。」
 
「やる気を出してくれるといいわねぇ。」
 
「今回のことが思いつきでないならだけどなあ・・・。」
 
 イルサとライラはまだちょっと不安そうだった。おそらくこの2人のほうが、シンスの性格をよくわかっているのだろう。今はただ信じるしかない。階下に降りてラドに声をかけ、この近くで荷物を送れる場所を聞いてみたが、それならばいつもやってくる運送業者に頼んでやるからと、預かってくれることになった。
 
「いいのかい?」
 
「かまわんよ。急ぎだって言えば早めに届けてくれるが、どうする?」
 
「いや、別に急がないよ。それじゃよろしく。」
 
 これで一つ、用事が終わった。あの案内書が、親子げんかの新たな火種とならないことを祈るしかない。
 
 
 そろそろざわついてきた『我が故郷亭』をあとにして、まずは商業地区の広場にあるバザーを覗くことにした。相も変わらずテントがひしめき合っている。いや、どちらかというと以前私達がここを見に来たときよりも増えているような気がする。
 
「へぇ、新しい店がたくさん出てるじゃない?」
 
 あの時一通り見て歩いた妻には、変化がよくわかるらしい。
 
「あれ?おばさん、もうここに来てたの?」
 
「ここに来たばかりの時にね。さて、それじゃ見て回ろうかな。クロービス、ライラ、あなた達は?」
 
「私は遠慮するよ。ここで見てるから、3人で行ってくるといいよ。」
 
「僕もいいよ。買うものがないのに見るだけ見て歩くって言うのは、何だか落ち着かないから。」
 
 イルサと妻が笑い出した。
 
「それじゃ、2人ともここにいる?それとも二手に分かれてここで落ち合う?」
 
「それじゃ一巡りしたらここで待ち合わせだね。どこかに見に行きたくなったら私達も動くよ。」
 
「はーい、それじゃイルサ、行きましょ。」
 
 2人は人混みの中に紛れていった。
 
「大丈夫かなぁ・・・・。」
 
 ライラが不安げにつぶやく。
 
「大丈夫だよ。イルサだってまわりの気配には敏感だし、おばさんもついてるんだからね。」
 
「うん・・・・。」
 
 私達は広場の隅に置かれているベンチに腰掛けた。ここからはいつもなら広場全体が見渡せそうだが、いまは林立するテントと人混みで、ほとんど見通すことが出来ない。この間トゥラとぶつかったのは、確かここの反対側にある路地の入口だった。
 
「・・・それよりライラ、君に謝らないといけないことがあるんだ・・・。」
 
「僕に・・・?」
 
 不思議そうに顔を上げたライラに、私はセーラズカフェのマスター夫婦に『頼み事』をしたことを話した。黙っておくつもりだったのだが、ライラの勘の鋭さは半端ではない。変に隠し立てして、時が過ぎてから知れてしまったらかえって気まずくなるかも知れない。それならば今言ってしまったほうがいい。
 
「・・・そう言うことだったのか・・・・。」
 
 話のあと、少ししてライラが小さくつぶやいた。
 
「君が気にするかと思って言わなかったんだけど、どうやら君の目はごまかせないみたいだから、言っておいた方がいいかと思ってね。」
 
「・・・何だかたくさんの人に迷惑をかけちゃうね・・・。」
 
 やはりそう来たか。そう思われるのが一番不安だったのだが・・・言ってしまったことを元には戻せない。とにかく説得あるのみだ。
 
「迷惑だと思ったら、マスターもセーラさんも引き受けたりしなかったと思うよ。あの2人にとって、あの店は何より大事なものだと思う。でもそれよりも、君のほうが大事だって、そう思ってくれたから引き受けてくれたんだよ。君がそんな風に考えることのほうが、あの2人に失礼だよ。」
 
「うん・・・でもね先生、今でも時々思うんだよ。僕の歩いてきた道は本当に正しかったのかなって・・・。ただの夢として持っているうちはよかったけど、実際に実現しようとした途端に、たくさんの人を巻き込んで・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・・。」
 
「ナイト輝石のせいで不幸になった人だってたくさんいる。それを復活させようなんて、恨まれても仕方ないのかなって思うこともあるよ。」
 
「でもあきらめたくはないんだろう?」
 
「何度もあきらめようと思った。でもそのたびに思い出すのが、父さんと母さんと・・・イルサの顔なんだよ。」
 
「君の父さんは大分反対したんだね。」
 
「うん・・・。僕がハース鉱山に行きたいと言い出したときから、ずっとケンカばかりだった。いつもは優しい父さんが毎日怒鳴って、母さんはいつも泣いていて、イルサはそんな父さんと母さんと、そして僕の顔を順番に見て、いつも泣きそうな顔で黙り込むんだ。そんな日がどのくらい続いたかもわからないくらいだった。みんなにあんな思いをさせてまで家を出たのに、ここでやめたらみんなの涙が無駄になるような気がして・・・・。」
 
「・・ナイト輝石は、一つ扱いを間違えば飛んでもない災厄を引き起こすものだ。それは間違いない。でもね、正しく使えばきっとたくさんの役に立つよ。」
 
「正しくか・・・・。ねえ先生、その『正しく』の中に武器防具の作成は入る?」
 
「・・・君はどう思うんだい?」
 
「僕は・・・・。」
 
 ライラの声がとぎれた。かわりにため息が聞こえてくる。
 
「・・・初めて見たナイト輝石の鎧はとてもきれいで、キラキラしていた・・・。戦う道具になってさえあんなきれいなんだから、もっと違うことに使ったらって・・・・ずっとそう思ってきたんだ。でも、さっきクリスティーナの鎧を見せてもらいながらいろいろと話を聞いて、団長さんの剣を見せてもらって・・・。」
 
「武器防具を作らないことが、必ずしも正しい道かどうか迷っている、そんなところかな。」
 
「うん・・・。」
 
「ナイト輝石が封印されてもう20年以上が過ぎるというのに、未だにこの国で最高水準の武器防具はナイト輝石製のものだ。この国におけるナイト輝石の役割は、まだ終わっていないのかも知れないよ。」
 
「役割か・・・・。」
 
「でも、今はまだそこまで考えなくてもいいんじゃないのかな。まずは試験採掘がどうなるかだよ。試験採掘が始まれば、また新たな妨害があるかも知れない。それで失敗すれば敵の思うつぼ、成功すれば敵の攻撃の手は一層厳しくなるだろう。君はその中心にいるんだ。まずは出来ることをする、出来たら次を考える、それでいいんじゃないのかな。」
 
 ライラは黙ったまま考え込んでいる。ずっと持ち続けてきた信念が今揺らいでいるのだ、そう簡単に答えは出せないだろう。
 
「クリスティーナとはどんな話をしたんだい?」
 
 少し話題を変えてみよう。一つのことに考えが行ってしまうと他のことが何も聞こえなくなる、これは研究者にはよくあることで、私自身もそうだ。だが今は仕事をしているのではなく、祭りを見に来ているのだ。何もこんな喧噪の中で頭を抱えることはない。
 
「うん・・・最初は鎧の話ばかりだったよ。あの鎧は公爵様が若いときに着ていたものらしいんだけど、作られたのはもっと古いみたいだね。」
 
「へえ。それは知らなかったな。」
 
「なんでも先代の公爵様が、ご自分の子供達の護身用にって、一人に一つずつ作らせたそうだよ。」
 
「てことは、セルーネさんのお姉さん達も一着ずつ持っているってことか。」
 
「うん。もっとも、本当に鎧を着るような仕事をしていたのは公爵様だけだから、お姉さん達はみんなお父さんからの贈り物として持っているだけってことらしいけど。まあ今では・・・一番上のお姉さんの鎧は、副葬品として墓に納めてあるそうだけどね・・・・。」
 
「そうか・・・・。」
 
「昨日クリスティーナがちらっと言ってたんだけど・・・」
 
「なんて?」
 
「・・・いや・・・」
 
 ライラが黙り込んだ。
 
「もしかして、誰にも言わないでって言われていたことだったとか?」
 
「う・・・うん・・・。でもちょっと気になったもんだから。」
 
「先生も誰にも言わないよ。気になるなら話してごらん。」
 
「うん・・・実は・・・・。」
 
 ライラの話を聞いて驚いた。昨日、クリスティーナはライラに、いずれ腕を上げて、『伯母さま』つまり亡くなったセルーネさんの一番上の姉君の、死の真相を探りに行きたいと言っていたというのだ。
 
「クリスティーナがそんなことを・・・。」
 
「その時一緒に聞いたんだけど、ユーリクが王家に養子に入る話があるそうだね。」
 
「そんなことまで言ってたのか。」
 
「もしもそうなれば自分が公爵家を継がなくてはならないって。そうなったら剣の道はあきらめることになるけど、今まで積み上げて来たものをなんとか領地運営に生かしたいって言ってたよ。」
 
「でもそれはもうずいぶんと前の話だろう?クリスティーナどころかユーリクだって生まれるずっと前の話だよ。それに、その真相を探ることが剣の腕を領地運営に生かすことだとは思えないけどなぁ・・・・。」
 
「僕もそう思ったよ。その伯母さんが亡くなったから公爵様が跡を継ぐことになったってことなんだろうけど、もう昔のことだし、そもそもそのことと領地運営は全く別の問題だと思う。」
 
 ドーソンさんは、セルーネさんの姉君夫婦の死を『奇妙だ』と言っていた。話を聞いた限りでは私もそう思う。だがどれほどつらいことでも、もうすでに過去のことだ。セルーネさんは起きた事態を受け入れて、納得して、自分の意志でローランド卿との結婚を決めた。そして爵位を継いだのだ。今さらそんな昔のことをほじくり出して、それで事の真相がわかったところで、それが一体誰を幸せにする?
 
「何となくだけど・・・・クリスティーナは、本当は爵位なんて継ぎたくないんだろうなと思ったよ。でもきっとそう言うわけにはいかないから、なんとか自分を納得させようとしてたみたいだね。僕と手合わせするって言ったのも、最後の思い出にするつもりだった、なんて言ってたしね。」
 
「結局あきらめきれなかったみたいだけどね。」
 
「向かい合っていて、あの子が剣を好きなんだってことが痛いほどに伝わってきたんだ。もったいないよね。先のことなんてわからないのに、あんな風に決めつけちゃうなんて。」
 
「なるほど。先のことはわからない・・・。だから今決めつけてしまっていいものかと、君も悩んだわけか・・・。」
 
「うん・・・。」
 
 ライラは少し眉根を寄せてうつむいたが、すぐに顔を上げた。
 
「でもね、焦らないことにしたよ。僕にはクリスティーナほど時間はないだろうけど、少なくとも、もう少し考えるだけの時間はありそうだから。」
 
「先生もそう思うよ。」
 

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