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 翌日の朝は少し早めに宿を出た。この時間だと、道を歩く人々もそんなにはいない。王宮のロビーは人影もまばらで、掃除係らしい作業服を着た人達が床を拭いていた。二人で東翼の宿泊施設に赴き、妻をライラとイルサの元に残して、私は一人レイナック殿の部屋に向かった。すでにレイナック殿は身支度をすませており、どうやら朝の祈りもすませていたらしい。
 
「ずいぶんと早いな。」
 
 私は出来るだけ午後から時間をとって、ライラの相手をするつもりだと言った。
 
「ほぉ、それはいいことだ。あの年頃の若者が、王宮の中にばかり押し込められていたのでは気も滅入るだろうからな。」
 
「そうですね。これからは出来るだけ外に連れて行こうと思ってます。」
 
「うむ、それがよい。では行こうか。」
 
「その前にひとつお聞きしたいことがあるのですが。」
 
「ん?何だ?」
 
 私は夕べ宿屋に現れたエリスティ公付きの書記官について尋ねてみた。
 
「・・・あの若者がおまえと同じ力を持っていると・・・?」
 
「はい。おそらく間違いないと思います。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 レイナック殿はしばらく考え込んでいたが・・・・
 
「ふん、なるほど、それで合点がいったわい。」
 
そうつぶやいた。
 
「お心当たりがあるのですか?」
 
「たいしたことではないがな。あの男が書記官として赴任した日、王宮中の貴族や官僚達に挨拶をして回ったのだが、わしの部屋に来たときは、なぜかわしに近寄ろうとはしなかった。エリスティ公が珍しく上機嫌で紹介したというのに、部屋の隅に立って頭を下げているばかりだ。なぜかと問うても、最高神官の前では恐れ多くてそばになど近づけぬなどと抜かしておったが、なるほどそういうことならば話はわかる。わしの近くに寄れば、自分の腹の中を見透かされてしまうかもしれぬとおそれたのであろう。」
 
「ということは、何かよくない考えを持っている可能性があると・・・。」
 
「よからぬかどうかを今の時点で決めつけることの出来る材料はないが、その可能性も考えておくべきだろうな。オシニスにはそれとなく注意を促しておいたのだが、今までは特に目立った行動をとることはなかった。だが、これからは気をつけねばならぬようだな。」
 
「しかしあの若者が独断で行動するというのは、ちょっと考えにくい気もしますが・・・。」
 
「・・・普通に考えれば、あの男がエリスティ公に操られているということかもしれぬが・・・。」
 
「そうは思っておられないと・・・?」
 
「うむ、逆もあり得ると思わぬか?」
 
「逆とは・・・まさか・・・。」
 
「おまえだって我らの会話から気づいておっただろう。今回の一連の出来事は、どう考えてもエリスティ公の差し金だとしか思えぬ。だが、あのお方一人でこれほどの計画を考えるなど、とうてい無理なことだ。となれば、代わりに考える者がそばにいるだろうという結論が出たとしても、それほど驚くようなことではあるまい。」
 
 なるほど、みんな私と同じ考えにはとっくに行き着いていたようだ。もっともエリスティ公の普段の様子を考えればそれ以外に考えられないかもしれない。
 
「そうかもしれませんが、どうして私に・・・。」
 
「それは考えるまでもなかろう。おまえがファルシオンの持ち主だからだ。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「その剣は、あの若者のような連中から見れば、のどから手が出るほどにほしいものだからな。そしてその剣に認められているおまえ自身もな。」
 
「しかしそれを、エリスティ公が承服するとは思えませんが・・・。」
 
「おまえをどう利用するかの構想でも練っておるかもしれぬ。エリスティ公の望みは王位に就くこと、その一点だ。そのためならばどんな手段でも講じよう。なんと言ってもあのお方には先がないのだからな。だが、それはあくまで我らの推測。何の証拠もないし、あの書記官の真意もまだわからん。窮屈かもしれぬが、おまえもなお一層慎重に行動してくれ。」
 
「今のところは、それしか方法がなさそうですね。」
 
「そういうことだ。さて、行くとしようか。ドゥルーガーも待っておることだろう。」
 
 二人で医師会に向かい、ドゥルーガー会長に夕べの件を報告すると、ドゥルーガー会長はほっとしたような顔を見せた。
 
「そうであったか・・・。私の思い過ごしであるならば、これほどいいことはない。最近は顔色も悪く、しょっちゅうふさぎ込まれておいでだったからな・・・。お悩みを聞いて差し上げたくとも、私では役には立つまい。クロービス殿、突然の申し出を快く受けてくれて感謝する。」
 
「とんでもありません。私は自分に出来ることをしたまでです。それに、今のところは何ともなくても、将来的に見て、フロリア様の置かれている状況がこのまま変わらなければ、あまりいい方向に行くとも思えないのです。」
 
「フロリア様が昔のことを、どれほど気に病まれているかは私も理解しているつもりだが・・・。王宮の中では、あの頃のことはある意味禁忌事項なのでな。そう簡単に口に出せることではないのだ・・・。」
 
「そうであればなおさら、フロリア様と気さくに交流出来て、何でも話せる友という存在がほしいところですね。」
 
「ふむ・・・貴公にそうたびたび来てもらっていたのでは、ブロムにも叱られそうだしなぁ。」
 
「ブロムさんはそんなことで怒ったりしないと思いますが・・・ただ、私もそろそろ診療所の後継者を考えなければならない身ですから、いつまでもブロムさんを当てにしているわけにも行きません。」
 
「そう言えば貴公の子息は、すでに王国剣士としての道を歩み始めているのだったな・・・。」
 
「ええ。息子に継いでもらうのは無理なようですから、誰か有望な人材がいれば、診療所ごと譲ることも考えているんです。」
 
「なるほど・・・後継者か・・・。」
 
 ドゥルーガー会長は、半分独り言のようにつぶやいた。もしかして、そろそろ自分の後継者も、本格的に考えなければならないと思っているのかもしれない。
 
「クロービス殿、フロリア様のことは我々も考えてみるが・・・この町にいる間だけでも、出来るだけ話し相手になって差し上げてくれぬか。いきなり誰かを連れてきてさあ仲良くなろうと言われても、困るだろうからな。」
 
「はい。こちらにいる間は、出来るだけのことをさせていただきます。」
 
 少し安心したように小さくため息をついて、ドゥルーガー会長は今度はレイナック殿に振り向いた。
 
「レイナック殿、あなたはどうお考えなのです?」
 
「フロリア様のことか。」
 
「ええ、私個人としての意見では、やはり今からでも剣士団長殿を説得されるのがいいかと思われるのですが、いかがですかな。」
 
「だが、奴は一度縁談を蹴っておる。公ではないにしても、わしが私的にあやつに話を持っていったことも、奴がその話を蹴ったことも、知らぬ者は王宮中探してもおるまい。王家にも体面というものがある。ましてやオシニスは平民だぞ?いかにこの国では身分が重要視されないとは言え、国王からの申し出を蹴るなど、本来ならば言語道断!その場で牢にぶち込んでくれてもよかったほどだ!」
 
「だいぶお怒りのようですが・・・団長殿はそれほどひどい断り方をしたのですかな?」
 
 話しているうちにレイナック殿が怒り出したので、ドゥルーガー会長もすっかり驚いている。
 
「オシニスの奴め、わしの話を聞いたあと大声で笑い出して、こう抜かしおったのだ!『じいさんがそこまでぼけてるとは思わなかったぞ。わざわざここまで来なくとも、途中の廊下で考えただけでわかりそうなもんだ。そんな馬鹿な考えはさっさと捨てて、今朝の会議で出た議題の復習でもしててくれよ。』とな!」
 
「そ、それはまた・・・だいぶ厳しい物言いでございますな・・・。」
 
 そう言いながら、ドゥルーガー会長は笑いを押し殺している。
 
「ふん・・・笑い事ではないわい。冗談と思われたらしくて相手にされなかったと、フロリア様に伝えねばならなかったわしの気持ちを考えてみてくれ!」
 
 それでフロリア様は『オシニスは笑い飛ばしたそうです』と言っていたのか・・・。
 
「おお、これは申し訳ございません。ですがレイナック殿、それは本当に剣士団長殿の本心なのでしょうか。」
 
「・・・正直なところ、わしにはそうは思えぬ。だが、本人がそれが本心だと言い張る以上、無理矢理引きずってきて大公の座に据えるわけにもいくまい。」
 
「ふむ・・・王国剣士としても剣士団長としても、申し分のない実力と実績を備えているし、見た目もなかなかの好男子でございますからな。フロリア様の御夫君としては申し分ないと思われるのですが・・・・残念でございますな。」
 
「残念ではあるが、仕方あるまい。クロービスがこっちにいる間に、何か策を講じねばならん。ドゥルーガーよ、そなたも考えておいてくれ。」
 
「かしこまりました。」
 
 
 その後医師会を出て、レイナック殿と別れた。そのままオシニスさんの部屋に行き扉を叩くと、中から開けてくれたのはなんとリーザだった。
 
「あれ?どうしてここに?」
 
「あらちょうどよかったわ。私も今来たところなの。」
 
「クロービスか。入れよ。」
 
 中からオシニスさんの声がした。
 
「遅かったな。都合が悪いなら無理しなくていいんだぞ?」
 
 オシニスさん自身も、今日の事情聴取は気が進まないようだ。
 
「いえ、そんなことはないですよ。遅くなったのは、レイナック殿と一緒にドゥルーガー会長に昨夜の報告をしてきたからなんです。」
 
「ドゥルーガー会長?」
 
 どうやら会長からの依頼も、オシニスさんの耳には入ってなかったらしい。私は昨夜フロリア様の部屋に向かう際、レイナック殿を通して『医師としてフロリア様の状態を分析してくれるように』と、ドゥルーガー会長から依頼を受けたことを話した。オシニスさんはかなり渋い顔をしていたが、とりあえずは黙ってうなずいていた。多分今日のうちに、レイナック殿は執務室から引っ張り出されることだろう。
 
「なるほどな。それじゃ少し待ってくれないか。リーザが話があるってたった今来たばかりなんだ。」
 
「構いませんよ。私が聞いてはまずい話なら席を外しますが。」
 
「リーザ、そのほうがいいか?」
 
 オシニスさんがリーザに尋ねる。
 
「いいえ。出来ればクロービスにも聞いてほしいんですが・・・。」
 
「そうか。クロービス、そう言うわけだからこっちに座ってくれ。」
 
「わかりました。」
 
 座ったところでリーザがお茶を入れてくれた。
 
「さてリーザ、おまえの話を聞かせてくれ。」
 
「はい・・・。」
 
 リーザは緊張した面持ちで小さく深呼吸をして、口を開いた。
 
「実は・・・そろそろ私の後継者を考えていただけないかと思いまして・・・。」
 
「・・・後継者?」
 
「はい。」
 
「それはつまり、お前がフロリア様の護衛をやめると言うことか?それとも剣士団を辞めるつもりなのかどっちだ?」
 
「剣士団を辞めるつもりはありません。でも私ももうこの年齢です。そろそろ若い世代と交代することも考えないと、いざというときにフロリア様を守りきれないなんてことになっては困ると思うんです。」
 
「・・・そうか・・・。年齢的に衰えが来るほどの歳ではないと思うが、言い分としてはわかる。だがそれだけか?それとも、ほかにも何か理由はあるのか?」
 
 リーザは少しもじもじしていたが、
 
「私・・・もう一度ハディとのことを考えてみようと思って、それで・・・。」
 
「ほお、そういうことか。いつ一緒になるとか決めているのか?」
 
 そう尋ねるオシニスさんの目が優しくなった。きっとこの人も、ハディとリーザのことはずっと気にしていたに違いない。
 
「いえ、昨夜久しぶりにいろいろと話をして、もうそろそろ前に進むことを考えようって。もう一度きちんと向かい合って、やり直せるとお互いが思ったら結婚しようって・・・だからまだ、何も決めてないんです。ただ、いきなり結婚しますなんて言い出したら、仕事にも支障がでると思って。」
 
「そうだな。前に進むか・・・。前にも言ったが、お前とハディがグラディスさんのことで責任を感じる必要はないんだ。もっと早く決断してもよかったのにと、俺はずっと思っていた・・・。だが他人が口出し出来ることでもないからな。」
 
「心配かけてしまってすみません。でも、やっぱりあの時のことは私とハディの責任です。王国軍の手から王宮を奪い返すために立ち上がったというのに、私達は心のどこかで浮かれていたんです。王国軍などならず者の集まりだから、そう苦戦することもないだろうという油断もあったと思います。ほんの一瞬、私達は敵と自分達との力量差の判断を見誤りました。あの時私達が迷わずひいていたら、あるいは違った結果になっていたかも知れない、そう思うと私もハディもただ自分の甘さと不甲斐なさが悔しくて・・・。」
 
 リーザが涙を拭って、少し冷めたお茶を一口飲んだ。
 
「あれから私達は、それぞれが自分のしなければならないことをしようと言って別れてしまったけど・・・つまりは自分に罰を科したかったんだと思います。自分の幸せなんて考えてはいけないと、心のどこかで思っていたのかも知れません・・・。」
 
「・・・そんなことはないさ。お前達には、充分に幸せになる権利がある。」
 
 オシニスさんがカップを口に運びながらぽつりと言った。同じような話を昨夜も聞いたばかりだ。フロリア様もハディもリーザも、みんな自分の幸せなんて考えてはいけないと思っている。おそらくはオシニスさんも・・・・。
 
「あれから私達はそれぞれ自分がすべきことを探し、私はフロリア様の護衛剣士に志願し、ハディは訓練場の専任訓練担当官という形で後進の指導に当たることになりました。ハディはほかにも自分の故郷を再建すると言う目的を果たすべく、一緒に村を出た人達の家を回って協力してくれるように呼びかけて、とうとう村の再建に漕ぎつけました。」
 
「あの時のハディの努力には頭が下がったよ。村人達はもうほとんどがクロンファンラで生活基盤を築いてしまっていたから、なかなか移住を承諾してくれなかったそうだな。それでも地道に説得を続けて、とうとう村としての機能が果たせる程度の人口を確保しちまった。暮らし向きはそんなによくないが、昔のように漁で生計を立てられるようになったようだな。」
 
「ええ・・・昔ほどの活気はないそうですけど、それでも故郷に帰れるようになったって、すごく喜んでいました。それで・・・もしかしたらこれはうぬぼれなのかも知れないけど、私達はこの20年である程度すべきことをしたんじゃないかって。もちろんまだまだこれからもやらなきゃならないことはあるけど、一度ここまでで一区切りとして、少しは自分達のことも考えてみようかなって・・・。」
 
「・・・ハディもお前もよく頑張ったよ。うぬぼれなんかじゃない。おまえ達はすべきことをした。胸を張っていいぞ。20年も間があいてしまうとなかなか素直になれないもんだが、お前達が無事結婚出来るように祈ってるよ。」
 
「ありがとうございます。昨夜2人で約束したんです。『照れくさくて意地を張ったりするのは絶対にやめよう』って。この先の人生がどのくらい続くのかわからないけど、意地を張りっぱなしで終わってしまったら悲しいですから。」
 
 リーザが笑った。
 
「はっはっは!そうだな。よし、お前の話はわかった。ハディは何か言ってたか?」
 
「あとで話しに行くと言っておいてくれって。もしも結婚すれば今の仕事も専任ってわけにいかなくなるかも知れないけど、訓練担当官なら候補者はたくさんいると思うからって。でも私のほうは、すぐに見つかるかどうかなんとも言えませんから。」
 
「そうだなぁ・・・。フロリア様の護衛となれば、執政館の警備に入ったばかりの奴にも任せられないし・・・。リーザ、お前からみて後継者にふさわしそうな人材はいるか?女と限定するとちょっと難しいかも知れないが、護衛とは言え、フロリア様の部屋に男を入れるわけにはいかないからな。」
 
「そうですねぇ・・・。実を言うと、フロリア様の護衛剣士には、これからは一人でなくて複数割り当てたほうがいいように思うんです。」
 
「複数?なぜだ?」
 
「私は独身ですから、ずっと乙夜の塔に泊まり込みで問題ありませんでしたけど、これから護衛剣士となる人がいずれ結婚しないとも限りませんから。でも結婚するたびに交代ではフロリア様の身辺が落ち着かなくなって、それこそフロリア様によけいな心配をおかけすることになると思うんです。」
 
「そうだな・・・。うーん・・・確かにそうかも知れんな・・・。お前が独身であることに、俺のほうも甘えていたのかも知れない。それは検討すべきことだ。リーザ、ありがとう。その線でじいさんとも相談してみるよ。具体的な候補者はいるか?いれば聞いておくぞ。」
 
「スサーナとシェリンはどうでしょう?あとは・・・キャシィとニノとか・・・。」
 
「あいつらか・・・。そうだな、スサーナ達は6年、キャシィ達は9年、それぞれ実績もあるし、腕もかなりのものだ。うーん・・・・。」
 
「どちらか一組でなく、二組で交代でって言うのも良いかもしれません。昼間と夜で別な人とか、4人で回せばそれぞれの負担は軽くなります。もちろん、フロリア様と仲良くなれないと困りますから、まずは試験的に昼間だけ任務に就かせるというのもいいかなと思うんですけど・・・。」
 
「なるほどな。・・・一つ聞くが、お前からみてフロリア様は、話しやすい相手か?」
 
「ええ、とっても。もしも国王陛下と王国剣士という立場でなかったら、いいお友達になっていたと思います。」
 
「今からでもお友達ってわけにはいかないのかい?」
 
 仕事の話に口を挟むのも気が退けたが、ちょうど今し方、フロリア様の友人として気さくにつきあってくれる存在についての話をしてきたところだったので、思い切って尋ねてみた。
 
「なれるものならなりたいと思うけど・・・普段お茶を飲んだりおしゃべりをしたりっていうくらいなら、今だってしているわ。それ以上仲のいい、たとえば親友的な存在には、私はなれないと思う。」
 
「どうして?」
 
「・・・なんていえばいいのかしら。フロリア様は、私達と親しく話していてもどこかで一歩退いてるのよ。国王陛下なんだからそれが当たり前なのかも知れないけど、でもそれを感じてしまうと、私のほうもどうしても踏み込んだ話は出来ないわ。」
 
「そうか・・・。」
 
「フロリア様にこそ、しっかりと支えてくれるだんな様が必要なのにね。」
 
 リーザの言葉に、オシニスさんがカップを口に運ぶ手が一瞬だけ止まった。
 
「それは縁だから、なんとも言えないね。」
 
 縁があると思える唯一の人は、私の隣で素知らぬふりでお茶を飲みながら、さて何を考えているものやら。
 
「そうよね。それは私が考えても仕方ないわ。でもねクロービス、たとえば私が護衛剣士を辞めることになっても、王国剣士を辞めるわけではないし、フロリア様とは今までどおりにおつきあいさせていただくつもりよ。」
 
「話し相手がいるってことは大事だからね。侍女達は年が離れているし、年の近い君のような存在は実は貴重なんだよ。出来るだけ話し相手になって上げてほしいな。」
 
「そうね。でも最近は大分ふさぎ込まれておいでだったから、ちょっと話しかけづらかったこともあったほどよ。昨夜はどうだったの?フロリア様はお元気になられたの?」
 
「ずいぶんと元気になったよ。それで、さっきレイナック殿とドゥルーガー会長と話していて、話し相手がいるってことは大事だなっていう結論になったのさ。」
 
「あらそういうことだったの。ふふふ・・・親友同士にはなれなくても、お友達としてなら、いつでも話し相手になるつもりよ。」
 
「そうだね。医者として私からもお願いするよ。」
 
「それじゃリーザ、近いうちにお前とハディの結婚報告が聞けることを楽しみに待ってるよ。お前の後任についてはじいさんやフロリア様とも相談してみる。」
 
「はい、よろしくお願いします。フロリア様にはこのことをお話ししてもいいですか?」
 
「お前も自分の口から報告したいだろうから構わんぞ。ただし、後継者の名前などは伏せておいてくれ。今のところはまったく白紙の状態なんだからな。」
 
「わかりました。それじゃ私は失礼します。クロービス、またね。」
 
「うん、また。」
 
 リーザが剣士団長室を出て行った。
 
「よかったですね。」
 
「ああ、まったくだ。」
 
「実は今日は、少し気が重かったんですが、朝からいい話を聞けてよかったですよ。」
 
「ふふふ・・・そうだな。ハディの奴も、ずいぶんと大人になったもんだ。」
 
「そりゃそうですよ、40過ぎてるんですからね。」
 
「それもそうだな。」
 
 オシニスさんが笑い出した。
 
「そろそろ出掛けましょうか?今日行くと言ってあるんでしょうし、あまり遅くならないほうがいいでしょう。午後からはライラと手合わせしてあげたいので、出来るだけ午前中に終わらせたいんです。」
 
「そうだな、行くか。」
 
 ロビーに降りると、そろそろざわめきが始まったところだ。受付嬢があわただしくカウンターのセッティングをしている。玄関を出ようとしたところでチェリルと出会った。
 
「おいチェリル、今出勤か。」
 
 チェリルは声をかけられて一瞬とても驚いた顔をした。が、すぐに笑顔になって汗を拭きながらうなずいた。
 
「はい、ちょっと寝坊してしまって・・・。」
 
 言いながらチェリルは私に気づき、恥ずかしそうに頭を下げた。
 
「へぇ、珍しいな。ローダさんが焦って走り回っているだろうから、早く行ってやれよ。」
 
「は、はい!すみません!」
 
 チェリルはあわてて食堂へと駆けていった。
 
「ははは、あの娘が今頃出勤では、ローダさんはきっと青くなってメシ作りをしているところだろうな。」
 
「今は一番忙しい時間ですよね。」
 
「そうだなぁ・・・。まあ昼よりはまだいいほうだと思うぞ。朝なら宿舎の連中がまずメシを食って、そいつらと交代で夜勤明けの連中がやってくるからな。」
 
「なるほど。するとお昼は、昨日見たときよりもっと大変なんですね。」
 
「昼時は、みんなほとんど同じ時間帯にやってくるからな。昼休みが決まっているわけじゃないが、朝飯を食った時間から計算すれば腹が減る時間帯なんてみんな似たようなもんだ。だから食堂勤務の連中は、昼時には手洗いにも行けないくらい忙しいらしいな。」
 
「そうでしょうね。あれ・・・?」
 
 ふと感じた疑問に思わず立ち止まった。
 
「ん?どうした?」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 昨日、私がライラの病室にいると息子に教えてくれたのはチェリルだった。あの時息子はこう言った。
 
『さっき食堂に行こうとしたら、父さんが来てたってチェリルが教えてくれたんだ。』
 
 『食堂に行こうとしたら』と言うことは、つまり行く前に会ったことになる。息子は食堂の『外』でチェリルに会った・・・。一番食堂が混む時間帯に・・・。
 
(いや、ただの偶然かも知れない・・・。結論を出すのは早い。チェリルがその時間帯に外に出ていた可能性は、ほかにもあるはずだ。)
 
 だが一度引っかかるとどうしても追求したくなる。偶然ならばそれでいいが、そうでない可能性もある。
 
「おいクロービス、気分でも悪いのか?それなら無理に今日行かなくても・・・。」
 
「オシニスさん、少しだけ待っててください。すぐ戻りますので。」
 
「あ、ああ、それは構わないが・・・。」
 
 オシニスさんの返事を背中で聞いて、私は医師会に向かって駆けだしていた。確率は半分。これから向かう場所で、その確率がどちらかに、願わくば『ただの偶然』の方向に傾きますように・・・。
 
 
 幸いにもマレック先生は部屋にいた。私は昨日の時点でチェリルに病人食を頼んでいるかどうか尋ねた。
 
「いいえ、今のところは誰の分も頼んでいませんよ。」
 
 マレック先生は少し驚いた顔をしていたが、笑顔で答えてくれた。
 
「アスランはもう普通の食事が出来ますし、ほかに病人食が必要な患者はいますが、それほど重病人はいませんからね。チェリルに頼むのは、本当にどろどろの病人食しか食べられない患者の食事だけなんですよ。柔らかめのパンがゆなどが食べられる程度に回復したら、診療所の食事に戻します。食堂の仕事も大変のようだし、その上こちらの手伝いまでさせては気の毒ですからね。」
 
「そうですか・・・。」
 
「しかしどうしたんです?もしやどなたか食餌療法の必要な患者でもいるとか?」
 
「ああ、いえ、そう言うわけではないんです。もしも今マレック先生のほうの仕事がないのなら、チェリルに病人食のレシピを教えてもらおうかなと、思ったものですから。」
 
「おお、そういうことでしたか。あの娘は気さくで優しい娘ですから、頼めばいつでも教えてくれるでしょう。」
 
「そうですね。申し訳ありません、お忙しいのに。」
 
「なんの。また何かありましたらいつでも声をかけてください。」
 
「ありがとうございます。」
 
 礼を言って部屋をでた。これで確率の天秤の均衡が崩れた。私の望まざる方向へと。だがまだわからない。いくら忙しくても、腹の調子が悪くて手洗い、などということもある。ロビーに戻るとオシニスさんがロビーのソファで待っていたくれた。
 
「すみません、お待たせしました。」
 
「別にいいさ。で、何をつかんだ?」
 
「わかりますか?」
 
「あたりまえだ。お前のさっきの様子を見ていればな。」
 
「それなら、ちょっと話を聞かせてください。ただし、これから話すことはあくまで私の推測です。」
 
「・・・よし、それなら歩きながらのほうがいいだろう。ここでは誰に聞かれてもおかしくないからな。」
 
「そうですね。」
 
 王宮の玄関を出て、門番にも私達の声が聞こえなくなったと思われるころ、私はチェリルに関して持った疑問について話した。
 
「・・・なるほど、この間のクロム達の話か・・・。」
 
 オシニスさんは難しい顔で考え込んでいる。
 
「はい。クロム達が思わず目に留めるほど、チェリルはラエルの世話を焼いていたそうです。彼らには、謹慎を食らって落ち込んでいるラエルを元気づけているように見えていたのでしょう。私も最初に聞いたときはそう思いましたが・・・それがラエルを操っている相手との連絡を取るためだったとしたら、すべての辻褄が合います。謹慎の延長を言い渡されてから翌日までの間に、ラエルはチェリル以外の人物と接触していないんですよ。なのに翌日、彼はまるで予定されていたかのように王宮を出て、私を刺しに来ました。出掛ける前に診療所を一巡りしていたのも、私を捜すためでしょう。」
 
「うーん・・・・。」
 
 オシニスさんは少し首をかしげながら唸った。
 
「しかし、いくら忙しいといっても人間だ。どうしても我慢出来なくて手洗などと言うことも考えられる。」
 
「確かにそうです。私も自分の説が絶対正しいとは言うつもりはありません。ただ、可能性としては限りなく高いと、そういうことです。」
 
「そうだな・・・。だがへたにチェリルに聞けば、この話も相手に筒抜けということになるかも知れない・・・となると・・・。ラエルにカマをかけるか・・・。」
 
「実はそれをやってみようかなと考えているんですよ。」
 
「だが今日は、お前とラエルが会う予定はないぞ?今日はあくまでもお前の話を聞くために来てもらうわけだからな。」
 
「直に頼んではどうです?」
 
「お前が頼めば多分大丈夫だろう。俺が頼んだのではダメかも知れないがな。」
 
 オシニスさんは今、ラエルのことでは相当難しい立場に立たされているようだ。
 
「わかりました。頼んでみます。」
 
「せめてラエルの奴が、本当のことをちゃんと話す気になってくれさえすればいいんだがな・・・。」
 
 半分はため息のような声で、オシニスさんがつぶやいた。
 
 
「なあクロービス。」
 
「はい?」
 
「フロリア様はお元気になったんだな?」
 
 会話がとぎれ、しばらく黙ったまま歩き続けたところで、多分私の顔を見たら一番に聞きたかったことを、オシニスさんはやっと口に出した。
 
「ええ、もうだいぶ元気になられましたよ。今日はまだ会ってないんですか?」
 
「今朝は会議がなかったからな。お元気になったなら一安心だ。」
 
「あまり安心出来る状況でもないんですけどね。」
 
「・・・どういうことだ?」
 
 不意に空気が揺らめいて、オシニスさんから不安に満ちた『気』が流れ出す。私は先ほどのレイナック殿とドゥルーガー会長と交わした会話を、手短に話して聞かせた。
 
「つまり、今よくなっているのは一時的だってことか?」
 
「よくなるも何も別に病気ではありませんよ。ただ精神的なものですから、今のままの生活を続ける限り、また同じようなことが起きる可能性があると言うことです。」
 
「それでさっきリーザに言っていた『話し相手』の話が出たわけか。」
 
「そういうことです。」
 
「それなら簡単じゃないか。お前がその『話し相手』になってくれればいいんだ。」
 
「そうは行きませんよ。私だってこっちに・・・・」
 
 言いかけて不意に、同じ会話をついこの間交わしたことを思いだした。
 
「こっちに、なんだ?」
 
「この間もオシニスさんと同じ話をしたところだと、思い出したんですよ。」
 
「ああ言った。その時こうも言ったはずだ。『俺は本気だ』とな。」
 
「本当に本気ですか?」
 
「そうだと言ったらどうする。」
 
 オシニスさんはわざとらしく肩をすくめ、とぼけたようにあらぬ方を向いてみせる。私は立ち止まった。
 
「そんなことを本気でおっしゃるなら、本当に怒りますよ。」
 
「本当に怒ったとしたら、おまえはどうするんだ?」
 
 オシニスさんも立ち止まり、振り向いた。
 
「事情聴取に応じません。」
 
「・・・本気か?」
 
 さすがにオシニスさんも不安げに私を見た。ここまで私が強気に出るとは思っていなかったのかも知れない。
 
「オシニスさん次第です。」
 
 オシニスさんはしばらく私を見つめていたが、やれやれといった風に首を振り、ため息をついた。
 
「わかったよ。悪かった。もう言わん。」
 
「言わないだけで考えているのなら同じことですよ。」
 
「わかったわかった。そんなことは考えないよ。」
 
「本当でしょうね。」
 
「本当だ。そのくらいのことわからないのか?」
 
「わかるわけがないじゃないですか。」
 
 身近な誰かが何を考えているかなんて、そんなことがわかるはずはない。よほど強い思いを感じたときか、昨日のように私と同じ力を持つ誰かが意図的に私に思念を送ってくれば別だが。この間から、オシニスさんは何かと私の『力』にこだわる。ことある毎に『おまえはフロリア様と同じ力を持っているのだから』という。昔は私を気遣ってそんなことは口にも出さずにいた人が何で今更と、ずっとオシニスさんの真意を図りかねていたが、少しずつ肚の内が読めてきた。やはりこの人は、本気で私を『カインの代わり』にしたいなんて考えている訳じゃない。
 
(20年も過ぎると、なかなか素直になれない、なんて他人には言うのにな・・・。)
 
 そこまでわかっているのなら、自分でももう少し素直になる努力をしてほしいものだが・・・。
 
 
「・・・そう言えばウィローはどうした?またどこか悪いんじゃないだろうな?」
 
 少し遠慮がちに、オシニスさんが話し出した。話題を変えようという試みらしい。こちらも黙ってムスッとしたまま歩くのも何なので、この歩み寄りはありがたい。無論この場だけの歩み寄りだろうけれど。どうせオシニスさんとはあとでじっくりと話し合わなければならないだろう。
 
「王宮までは一緒に来ましたよ。至って元気ですからご心配なく。ウィローはライラとイルサの護衛です。いくらなんでも牢獄までライラ達を連れて行くわけにはいきませんから、今日の午前中はウィローに2人を任せました。」
 
「そうか・・・。そうだなぁ・・・。正直なところ、ライラとラエルを会わせれば、ライラの襲撃についてもはっきりとした話を引き出せそうな気がするんだが、ライラの負担が大きくなりすぎるか・・・。」
 
「出来ればライラをこれ以上騒動に巻き込みたくないですよ。ところで今のラエルの様子はどうなんです?」
 
「相変わらずらしい。おまえを悪し様に罵っては、あの娘に会わせろと騒ぎ立てているようだ。捕まってから今までの間にあいつが素直にしゃべったことと言えば、王宮を出てからおまえを刺したところまでの話だけだな。」
 
「それだけは素直にしゃべったんですね。」
 
「おまえを刺したのは自分であると、なんだか偉そうだったぞ。あんな悪党は死んで当然だとか何とか。」
 
「ずいぶんと嫌われたものですね。彼を操っていた黒幕のことは何か聞けたんですか?」
 
「それもさっぱりだそうだ。あのエリオンさんが手こずっているという話だから、相当頑固らしいな。」
 
「エリオンさんが牢番ですか。なんだかもったいないですね。」
 
「まったくだ。採用担当官にスカウトしようと思ったのに逃げられちまった。エリオンさん達が来てくれれば、ランド一人に負担がかかることも少なくなるんだがな・・・。あいつの後継者もそろそろ考えておかないとな。」
 
 どこに行っても後継者問題か。私達の世代になれば、誰もが考えなければならないことなのかもしれない。
 
 
(あれ・・・?)
 
 歩いている途中で、道が違うことに気づいた。
 
「場所が変わったんですか?」
 
「ん?ああそうか。おまえは知らないんだったな。建物が古くなったから、建て直すついでに場所も変えたんだ。もう8年くらいになるのかなあ。以前の地下牢があった場所は、今は王宮の敷地として更地になってるよ。犯罪者のいる場所が王宮に近いのは問題だって言う話も出ていたしな。」
 
「そうなんですか・・・。」
 
 確かにそうかもしれない。昔何度か、こそ泥を捕まえて牢獄に連行していったことがあるが、牢獄が王宮の隣というのも妙なものだと思った記憶がある。
 
「あれが門だ。今じゃ地下牢はごく一部で、ほとんどの囚人はあの建物の上の部屋に収監されている。犯罪者と言えども人間だからな。あんまり非人道的な扱いは出来ないというわけさ。」
 
 遠くに見えてきた壮麗な門を指差して、オシニスさんが言った。門は美しい装飾が施されているようだが、かなり高く大きい。おそらく相当分厚いのだろう。その向こう側に見える建物は、思ったほど高さはない。だがこのあたりは以前は、城壁の外側にあった場所だ。広さは十分にあるので、そんなに高い建物は必要ないのかも知れない。門に近づくにつれて、門番の剣士の姿も見えてきた。以前は地下牢の門番も巡回も王国剣士の仕事だったが、今門に立っている剣士達の制服は、王国剣士のものとは異なっている。
 
「今は専任の護衛剣士がいるんですか?」
 
「いや、ここを警備しているのは今も昔も王国剣士なんだが、外から仕事でやってくる連中と区別出来るようにって、ここの勤務の連中はあの制服を着るのさ。門番や中の巡回はだいたい一ヶ月で交代だ。エリオンさん達のように審問官達の補助として取り調べをする剣士は、昔と変わらずある程度年数を重ねた王国剣士だけだ。彼らはほとんどの場合ここの専任になるが、それでも犯罪者との馴れ合いを防ぐために、半年程度は外の勤務に回ることもある。」
 
「いろいろと変わってるんですね。」
 
「そうだな。ま、これも時代の流れって奴さ。」
 
 門の前で立ち止まった。門番の剣士が進み出てくる。
 
「おはようございます。お名前とご用件をどうぞ。」
 
「王国剣士団長オシニスだ。元王国剣士ラエルの傷害事件の件で、被害者の医師クロービス殿を事情聴取のため案内してきた。話は通っているか?」
 
 門番の剣士は二人で頷きあった。
 
「伺っております。審問官達がお待ちですので、中に入られましたら管理棟へどうぞ。受付の者が取り次いでくれます。」
 
「わかった。ご苦労だったな。クロービス、行くぞ。」
 
「はい。」
 
 思った通りに分厚い門が開き、私達が中に入ると同時にまたぴたりと閉ざされた。昔のような簡単な木戸ではなく、鉄で出来たかんぬきと錠前で管理されていて、ああここは町の中であって町の中でない、まさしく『牢獄』なのだと改めて思い知らされる。
 
「オシニスさんに殿付けされると落ち着きませんね。」
 
「仕方ないさ。これは決まり事だ。牢獄に用のある者は、まず門番の前で自分の名前と身分、それに用件を述べる。相手が俺でもじいさんでも、たとえフロリア様でも同じだ。そして同行者の名前を告げて門を開けてもらうんだ。いくら俺と顔見知りと言ってもおまえは被害者として足を運んでもらうんだから、ぞんざいな扱いをするわけにはいかないのさ。これから先出会う連中にはまず俺が紹介するから、それまでは黙っていてくれ。」
 
「わかりました。」
 
 いささか形式張っていて窮屈な気もするが、こういった決まり事があるということは、法治国家として当たり前のことなのかもしれない。
 

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