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「そうはいかない。私はここで君に殺されるわけにはいかないんだ。」
 
 全身を脂汗が流れていく。刺された脇腹は業火にさらされているかのごとく熱を持ち、ラエルが手をふりほどこうと動くたびに刀身が動いて痛みが走る。今足の力を抜いて倒れたら、どんなに楽だろう、そんな考えが頭をよぎる。だがそれは出来ない。今私がしなければならないことは、ラエルにダガーの刀身を捻らせないこと、そして何より、彼をここから外に出さないことだ。
 
−−シャラン・・・・−−
 
 不意に私の耳がかすかな音を捉えた。妻が鉄扇を抜こうとしている。
 
「ウィロー!だめだ!」
 
「いやよ!この人を何とかしなきゃ!」
 
「私のことはいいから!外に出て、誰か王国剣士を呼んできてくれ!」
 
「だ、だけど、あなたの傷が・・・。」
 
「いいから!早く行ってくれ!」
 
 言葉を発するのもつらい。それでも出来る限り平静を装って、私は声を荒げて見せた。妻が私を気遣ってくれるのは何よりうれしいが・・・今はとにかく、この若者をここで取り押さえることが先決なのだ。妻は半泣きの顔で飛び出していった。
 
「離してください!」
 
 ラエルは必死で手をふりほどこうとする。
 
「離せと言われてはいそうですかと離せるもんか!君をここから外へも出さないぞ!」
 
  叫んだだけで息が切れる。ラエルがもう少し冷静だったなら、私が消耗していることに気づいたかもしれない。だが彼は、ダガーが刺さったままの状態で自分の動きをぴたりと封じてしまった私に対して、恐怖を感じ始めたらしい。彼の目にはもう先ほどまでの殺意はない。泣き出しそうな顔で、必死に手をふりほどこうとあがき続ける。
 
「僕はあなたを殺して、もう2人の間に障害はなくなったんだと、トゥラに知らせに行くんです。トゥラはもうあなたにおもちゃにされなくてすむんだ!離して・・・離してください!」
 
「おい!さっきからなんなんだ!何を騒いでるんだ!?」
 
 ラエルが半泣きの声を上げた時、奥からラドが大声で怒鳴りながら飛び出してきた。
 
「喧嘩ならよそでやれ!商売の・・・なんだよクロービスあんたか?いったい何を・・・・うわ!おい!?あ、あんたクロービスに何をしてるんだ!?」
 
「ラド!この男を取り押さえてくれ!出来れば腰の剣も取り上げて、動けないように!」
 
「よし、おいミーファ、ロープを持ってこい!おいお前、ちょっと手伝え!こいつを押さえろ!」
 
「は、はい!?」
 
 ラドは奥に向かって怒鳴りつけたあと、入り口近くのテーブルに座っていた客の腕を掴んで引っ張った。若い男の客は慌てて立ち上がり、後ろからラエルを羽交い締めにした。その隙にラドが腰の剣をはずし、そこにミーファが奥からロープを持って飛び出してきた。
 
「は、離せ!僕は王国剣士だ!王国剣士が正義を遂行するのをあんた達は邪魔するのかぁ!?」
 
 ラエルが大声でわめき立てる。だがラドも、その若い客も、耳を貸そうとはしなかった。
 
「こいつで手を縛って・・・と・・・。クロービス、その手を離しても大丈夫だぜ。こうやって縛っておくと、指一本動かせないんだ。」
 
 ラドはミーファが持ってきたロープでラエルの両手を縛った。そっと手を離してみると、ラエルの手は力なくダガーの柄を離れた。緊張が解けて一瞬足下がふらついたが、ちょうど後ろにあったテーブルに寄りかかれたので、とりあえず立っていることは出来た。傷を押さえた手のひらがどんどん血で濡れてくるのがわかる。ダガーが栓の役目をしてくれているので大量出血は免れているが、傷から少しずつ血がしみ出し、シャツにも上着にも、そしてズボンにまで広がっていた。ラエルを羽交い締めにしてくれていた客は、律儀に自分の役割を守り、ラエルを押さえつけている。
 
「くそぉ!あんたもこいつらの手先か!?」
 
「うるさいやつだなあ。あんた王国剣士のくせにこんなことしていいと思ってんのか?」
 
「う、うるさい!この町には正義はないのか!君は正義を行うことを邪魔するのか!?」
 
「町の中で刃物を振り回すやつの正義なんぞ知らねぇな。俺の目にはどう見たって、あんたが悪党に映ってるぜ。」
 
「おい、もう手を離していいぞ。足も縛ったからもう動けないだろう。ついでに口も押さえておくか。」
 
 ラドはラエルの口をタオルで塞ぎ、若者はやっとラエルから体を離した。
 
「ふぅ・・・びっくりしたけど、そっちのお客さん大丈夫すか?」
 
「あんまり大丈夫じゃなさそうだがな。おいクロービス、歩けるか?部屋に連れて行くぞ?」
 
「ああ、ありがとうラド・・・。そちらの君も助かったよ。すまなかったね、つきあわせて・・・。」
 
「い、いや、俺は暇っすから別にいいんですけどね、な、なんか顔が青いっすよ。医者呼んだほうがいいんじゃあ・・・。」
 
「いや・・・まずはこの男を王国剣士に引き渡さないと・・・。私のことはそれからなんとでもなるさ・・・。」
 
 その時外から『どいてくれ!』『道を空けてください!』と叫び声がして、中を覗き込んでいた人々の壁が二つに分かれた。
 
「クロービス!」
 
「クロービスさん無事ですか!?」
 
「ラエル!なにやらかした!?」
 
 同時に三人分の声が聞こえて、人影が三つ、フロアに飛び込んできた。妻が呼んできたのはクロムとフィリスだった。
 
「ああ、君達か。よかった・・・。ラエルを・・・頼・・む・・・・よ・・・・。」
 
 そのまま意識がすぅっと遠のく。だが今度は自分の番だ。この傷を治さなければならない。今はまだ、気を失っている場合じゃないんだ。
 
「ラド、悪いが部屋に連れて行ってくれないか。傷を治さないと・・・。」
 
「あ、それなら僕が呪文を使います。」
 
 申し出てくれたのはフィリスだ。
 
「いや、君達はラエルを王宮まで連れて行ってくれ・・・う・・・・・!」
 
 一言発するたびに、傷がずきんと脈打つ。
 
「それなら俺1人で充分です。フィリスはここに置いていきますから。・・・よっと・・・。」
 
 クロムがすっと片手をあげ、一瞬気の流れが見えた。次の瞬間には、ラエルはもうぴくりとも動くことが出来なくなっていた。
 
「うぉぉぉ!?す、すげぇ!い、今の気功っすか!?」
 
 若い客は大興奮ではしゃいでいる。
 
「おい、気功って・・・今の気の流れが見えたのか?」
 
 驚いたのはクロムとフィリスだ。
 
「気の流れ?ああ、そっちの剣士さんの手からなんかブワーってもやみたいなのが出て、こいつの体の回りに流れていくところは見たけど・・・あれ?それって、気の流れって言うんですか?」
 
 クロムとフィリスが顔を見合わせた。この若者は特に意識しているわけではなさそうだが、気の流れを見ることが出来るらしい。呪文か気功に適性があるのだろうか。
 
「俺達はそう呼んでる。あんたは?見たところ剣も持ってないし・・・。」
 
「こいつはうちの客さ。たまたまここにいたんで、この若い奴を取り押さえるのに手を貸してもらったんだ。こいつは仕事なんてしていないのさ。毎日ブラブラしては店に顔を出して、昼間っからビールを飲んでいく、怠け者だな。」
 
 ラドが呆れたようにため息をつきながら言った。
 
「マ、マスター、それはないっすよぉ。俺はですねぇ、何か自分に向いてる仕事を探して日々歩き回っているわけで・・・。」
 
「つまり今は何もしていないんじゃないか。確かに今は助かったが、すぐ後ろであの騒ぎを聞いていたなら、もう少し早く手が打てたと思うがな。」
 
「い、いや・・・だってこわいじゃないすか・・・。このにいちゃん、変に冷静な声で『死んでください』なんて、頭がおかしいのかと思ったんですよ・・・。」
 
 確かに普通の感覚なら、誰かに対してあんなに冷静に『死ね』などとは言えない。つまり、それほどまでにラエルは私を憎んでいると言うことだ。だがどうして・・・。
 
「あー、わかったわかった。確かに、普通は刃物を振り回す奴なんて誰だっておそろしいもんだ。おいクロム、こいつを連れて行くなら早いところ連れて行ってくれ。そろそろ昼時だし、クロービスの傷も早いところ治さないとな。」
 
「は、はい。おいフィリス、後は頼んだぞ。おいそっちのあんた、暇ならこいつを連れて行くのを手伝ってくれるか?」
 
「あ、ああ、いいけど・・・俺が行っていいのかなあ。」
 
「たまたま近くにいて手伝ってくれた民間人だ。胸を張ってくれていいよ。王宮の中を堂々と見学するチャンスだぜ?」
 
「それじゃお伴させてもらうかな・・・。ところでこいつの服、このままだとまずくないんすかね?王国剣士が縛り上げられて運ばれていくってのは、やっぱりちょっと外聞が・・・・。」
 
「それもそうだな・・・。マントでくるんでおくか。」
 
 クロムは自分のマントをはずしてラエルをぐるぐると巻いた。王国剣士の服は完全に隠れて、見ただけではわからない。もっとも、さっきの騒ぎを聞きつけた誰かが、とっくに町の中で噂を広めているかも知れないが・・・。
 
「クロム、気をつけていけよ。」
 
「ああ、そっちは頼んだぞ。」
 
 クロムと若者はラエルを担ぎ上げて、開いたままの扉から出て行った。こわごわと中を覗き込んでいた人々は慌てて後ずさり、自然とクロム達を通せるだけの道が出来たが、彼らが行ってしまうとまたその道は自然とふさがれ、人々は扉の中を覗き込み始めた。
 
「おい、怪我したのか?」
 
「今のはなんだ?通り魔か?」
 
「王国剣士って聞こえたぞ?」
 
 ざわめきが少しずつ大きくなる。今の出来事が町中に広まるのもそう遠くはないだろう。
 
「ああ、おかしなやつが飛び込んできたが、王国剣士が連れて行ってくれたよ。ほらほら、まだ昼には早いぜ。もう少ししたらちゃんと開けるから、いったん戸を閉めさせてくれよ。」
 
 ラドが大声で言いながら、やっとの事で扉を閉めた。外のざわめきはまだ静まらないが、今はそのことを気にしている場合ではなさそうだ。もう立っているのもやっとで、刺された脇腹はすでに感覚がなく、自分が今どこにいるのかも認識できなくなりそうなほど、頭の中がぼんやりとしていた。それでも、これ以上傷を放置すれば命に関わるだろうと、妙に冷静に今の状況を受け止めている自分がいる。
 
「おいクロービス・・・・まずいな、フィリス!2階に運ぶぞ!」
 
「はい!」
 
 すでに歩いて階段を上がれるだけの力は残っていなかった。ラドとフィリスが2人がかりで私を部屋に運んでくれた。そしてすぐに、ダガーを抜く作業が始められた。
 
「僕が呪文をかけます。ウィローさんは、ダガーを少しずつ抜いてください。」
 
 フィリスがそう言ってくれた。妻はうなずいて、落ち着こうとするかのように何度か深呼吸した。
 
「わかった。お願いするわ。」
 
 妻の声が震えている。今にも泣き出しそうなのをやっとの事でこらえているようだ。
 
「ウィロー、傷はそんなに深くないから、落ち着いて、フィリスの呪文と呼吸を合わせて抜いてくれ。」
 
「・・・はい。」
 
 傷を押さえていた手が、シャツににじみ出た血に貼りついてなかなかとれない。さっきよりもかなり出血しているらしい。このままではそれこそ『蘇生』の呪文も効かなくなってしまう・・・。
 
(あとどのくらいで、効かなくなるのかな・・・。)
 
 ともすれば遠のきそうになる意識の奥底で、ぼんやりとそんなことを考えた。
 
「俺は下に戻るぞ。普通どおりに営業しないと、野次馬ばかり増えそうだからな。フィリス、あとは頼んだぞ!?」
 
「はい!」
 
 ラドはうなずいて部屋を出て行った。
 
「では始めます。」
 
「クロービス、始めるわよ。痛かったら言ってね。」
 
 返事の代わりにうなずいた。声を出せばそれだけ体力を使う。フィリスが呪文を唱え始め、妻が少しずつダガーを抜いていく。刺されたばかりのダガーはそれほど苦もなく抜けていくが、抜けるときの痛みはかなりのものだ。呪文の効果で多少軽減されているとは言え、相当歯を食いしばらないと耐えられない。だが痛みがあれば気を失わずにすむ。
 
「ふぅ・・・・これで終わりです。きれいに治すことは出来ましたが、まだ動かないほうがいいと思いますよ。」
 
 どのくらい過ぎたのか、歯を食いしばるための力さえ使い果たしてしまいそうになった頃、フィリスが額の汗を拭きながら言った。傷に触れてみたが、もう何も残っていない。この若者の呪文の腕はかなりのものだ。彼がいてくれた偶然に感謝しなければならない。痛みはすっかり消えたが、凄まじいまでの疲労感に襲われ、ベッドから体を起こすことが出来ない。私は寝たままでフィリスに礼を言った。
 
「ありがとう。本当に助かったよ。でも、自分がいつも患者に言っていることを言われるってのも妙な気分だな。」
 
「フィリス、ありがとう。あなたがいてくれてよかったわ。私1人ではきれいには治せなかったかも知れない・・・。」
 
 妻が真っ赤になった目のまま、安堵したように微笑んだ。まだ顔が青い。切り傷よりも厄介なのが刺し傷だ。切られた傷は、異物さえ付着していなければそれほど苦労せずきれいにすることが出来るのだが、刺された傷というのは、体の内部のどこまで傷が達しているか、それによって傷つけられている内臓はないか、などいろいろと調べなければならないことが多い。仕事柄それをよく知っているだけに、妻がどれほど不安だったのかわかるような気がした。
 
「礼には及びません。役に立ててよかったです。」
 
 フィリスが少し恥ずかしそうに笑った。その笑顔に、彼の小さな頃の面影が重なる。
 
『お兄ちゃん達、いつも大変そうだねぇ。』
 
『お兄ちゃん、遊ぼう!今日は泊まっていってくれる!?』
 
 無邪気にまとわりついてきたあの小さな子が、本当に立派になったものだ。
 
「ところで君達は、どうしてあそこにいたんだい?うまい具合にいてくれて私としては助かったけどね。」
 
「さっきね、外に飛び出したときにフィリスとクロムが走ってくるのが見えたの。あの時は本当に神様に感謝したい気持ちだったわ。フィリス、本当にありがとう。」
 
 妻がフィリスに頭を下げた。
 
「僕達はこれが仕事なんですから、お気になさらないでください。実は僕達、今日は非番だったんですよ。だから本当なら祭りにでも出掛けるか、連日の警備で疲れた体を休めるか、どっちにしようかなんて話を昨夜食堂でしていたんですが・・・。」
 
 
 そこにハディがやってきて、剣士団長室に連れて行かれたのだそうだ。2人とも特にまずいことをした記憶はないが、やはり団長室に呼ばれるというのは緊張する、いささか落ち着かない気持ちで出掛けていったそうなのだが・・・。
 
『単刀直入に言おう。お前らに、仲間を見張ってもらいたい。』
 
 剣士団長は疲れた顔をしていた。アスランが襲われてからこっち、ほとんど寝る間もないのだと聞いてはいたので、2人とも心配になったが、いきなり言われた一言にすっかり驚き、心配もどこかに飛んでしまったような気がしたと言うことだ。だがそれにしても、『仲間を見張れ』とは穏やかではない。
 
『見張ると言うことは、そいつが何かやらかすのを待って報告しろって事ですよね。』
 
 クロムが明らかに不満な顔で言った。
 
『そうだ。もっとも、何もやらかさないならそれに越したことはない。』
 
『そりゃそうでしょうけど、今の団長の言葉は仲間を裏切れってことと同じ意味ですよ。どういうことなんです?』
 
 クロムが怒っているのは明らかだ。フィリスにしても、あまりに奇妙な依頼にとまどっているのは同じだが、ここで団長に不満をぶつけても仕方がない。
 
『落ち着けよクロム。団長、まずは誰をどういう理由で見張らなければならないのか、それを聞かせてください。』
 
『聞けばもう引き受けてもらう以外になくなるぞ?断るなら今のうちだ。』
 
『・・・・・・・・・。』
 
 団長自身、気が進まないらしい。誰だって仲間を見張ってその行動を報告するなんて言う役目を負いたくはないものだし、命令するのだっていやなはずだ。そして、自分達が断れば、団長は他の誰かにその任務を頼むだろう。フィリスは肚を括ることにした。
 
『わかりました、引き受けますから聞かせてください。』
 
『おいフィリス!』
 
 クロムが振向いてフィリスを睨んだ。
 
『僕らが断れば、団長はおそらく他の誰かに頼むだろう。ここで断るってことは、その誰かにいやな役目を押しつけるってことだよ。僕はそっちのほうがいやだ。でも君がいやなら無理に受けなくていいよ。僕一人でも何とかなるさ。』
 
『・・・わかったよ、俺だってお前1人にいやな役目を押しつける気はない。団長、2人で動きますから、話を聞かせてください。』
 
『わかった。それでは話すぞ。お前達に見張ってもらいたいのは、ラエルだ。』
 
『ラエル?あいつは謹慎中ですから、見張るとなると王宮の中であいつをつけ回すことになってしまいますが・・・。』
 
『そうとは限らないから、お前達に頼みたいのさ。』
 
『どういうことなんです?』
 
 そこで2人はオシニスさんとハディから詳しい事情を聞くことになった・・・・。
 
 
「・・・まったくびっくりしましたよ・・・。ラエルにライラ襲撃の実行犯としての嫌疑がかけられているなんて・・・。だけどその一方で『あいつならもしかしたら』と思えるような面もあったんです。うまくいかないことを何もかも誰かのせいにして、人の忠告に耳も貸さなくなってしまったあいつなら、うまく丸め込んで操るのは難しくないと・・・。だから逆に言えば、あいつが自発的に1人でライラを襲ったとは考えにくいんです。それについては、団長とハディさんも同じ考えのようでした・・・。」
 
 
 昨日の夜、オシニスさんとハディは昼間の打ち合わせどおり、ラエルに謹慎期間の延長を言い渡したらしい。そして、どうせしばらくは仕事にならないのだから明日、つまり今日はゆっくり休んでおくようにと付け加えた。ここでラエルが『話が違う』と黒幕に連絡を取るようなことがあれば、一連の事件の背後にいる何者かの正体に近づける。だが果たしてラエルが黒幕と接触するのがいつなのか。夜のうちに接触してくれれば話は早いが、そううまくいくとは限らない。それに夜は夜で通常どおりの訓練を行うことになっている。そこでクロムとフィリスに翌日の朝からラエルを見張ってもらい、現場を押さえようという話だった。オシニスさんからは、せっかくの非番のところすまないが、そこを何とか頼むと頭を下げられたそうだ。オシニスさんにとっても苦渋の選択だったのだろうと思う。今休暇中の剣士を除けば、口が堅く、状況判断が的確で、更に腕も立つとなるとなかなかいないのではないだろうか。あのスサーナとシェリンと言う2人組も、クロムとフィリスにひけはとらないと思うが、あのシェリンと言う剣士はともかく、スサーナのほうはいささか感情に流されやすい。仲間を見張るというつらい役目に、耐えられるかどうか不安なところだ。もしここにリックとエルガートがいれば、まずは彼らに声がかかったのだろうけれど・・・。いささか不謹慎な言い方ではあるが、次期団長としての力量を見るにはもってこいの話だ。
 
「団長が僕らに頭を下げるなんて、よほどのことだったんだと思います。引き受けて良かったと思いましたよ。」
 
「そうか・・・。しかし君達が今朝から外に出ていたと言うことは、ラエルは昨日のうちにその何者かと連絡を取ろうとはしなかったんだね?」
 
「ええ・・・。話を聞いた後、訓練場に行ってみたんですが、相変わらずやる気のなさそうな稽古を続けてましたよ。相手をしていた奴が怒ってましたからね。」
 
「昨夜はずっと中にいたのかい?」
 
「はい。ハディさんが、訓練の相手をしてくれてた奴に、便所の中まででも見張れと言っておいたそうですから、そいつも大変だったと思いますよ。」
 
 フィリスが笑った。
 
「それは見張る方も大変だな・・・。」
 
「まったくです。そいつの話によると、昨夜は食事も同じ時間帯に食堂で食べたそうですが、ラエルのやつは1人でぽつんと離れたところで食べていたそうですよ。同情でもしたのか、チェリルがテーブルまで食事を運んでくれてたそうですからね。」
 
「あの娘は面倒見が良さそうだからね。」
 
「そうですね。元気で明るくて、いい子ですよ。」
 
(・・・・・・・・・?)
 
 フィリスの口調に、何となく優しい響きがこもったような気がした。
 
(チェリルのことを気に入っているのかな・・・。)
 
 もっともそれが恋愛感情とは限らないし、私はよけいな口を出せる立場にない。チェリルがカインを好きだという事実は、おそらくフィリスも知っているだろう。こんな時は黙っているのが一番だ。
 
「・・・結局昨夜は、ラエルはどこにも出掛けなかったそうです。王宮の外へはもちろん中でも、訓練場、食堂、自分の部屋、あとは風呂くらいですね。かえって面食らったくらいですよ。団長達の話では、いつ飛び出すかわからないと言うことでしたから。」
 
 そして翌朝、つまり今朝のことだ、フィリスとクロムは早めに食堂に顔を出し、ラエルが来るのを窺った。程なくしてラエルは現れたが、相変わらず離れた場所にぽつんと座り、チェリルに食事を運んでもらっていたと言うことだった。
 
「ラエルのやつはさっさと食事を済ませて食堂を出ました。僕らはすぐにでもあいつが外に飛び出すんじゃないかと、同じ方向に行く振りをしてあとをつけたんですが・・・。」
 
 ところがなかなか外に出ようとはしない。ではおとなしく訓練場にでも顔を出すのかと思えば、そちらには行くそぶりすら見せず、ラエルはまっすぐに医師会の診療所に向かった。そして診療所の廊下を一巡りしたあと、今度は食堂に戻り、コーヒーを飲み始めた。
 
「・・・またチェリルが運んでくれていたとか?」
 
「そうなんですよ。やたらと面倒を見ているものですから、もしかしてチェリルはラエルの奴を気に入ったのかなんて考えたんですが、でもチェリルのやつはカインが好きなはずだし、おかしなこともあるもんだなと思ってたんですよ。でもラエルが相方の病気でまともに仕事をすることが出来ずにいるのはみんな知ってますからね。ぽつりとしていれば、チェリルのことだからほっとけないんだろうな、なんて思ってたんですが・・・。」
 
 コーヒーを飲み終えたラエルは、なぜかもう一度診療所に行き、また廊下を一巡りしてから今度は東翼の別館まで足を伸ばした。だが入るそぶりは見せず、外から眺めただけでロビーに戻り、特にためらう様子もなくごく自然に王宮を出た。
 
『あのやろう・・・謹慎中に王宮の外に出るってことがどういうことなのか、わかってないのかよ・・・。』
 
 クロムが呆れたように言った。フィリスも同感だったが、あそこまで堂々と王宮を出たからには、何かしらの目的があるはずだと、2人は人混みに紛れてラエルのあとをつけ、様子を窺うことにした。
 
『今頃ハディさん、歓楽街に着いたかな・・・。』
 
『今朝早く出るって言ってたからな。待ちくたびれているかも知れないぞ。』
 
 今朝もしもラエルが外に出たときのために、ハディは朝早くからトゥラの店に向かい、もしもラエルが現れたらそこで捕まえるつもりでいると言っていたそうだ。暴れられたとしても、3人がかりなら何とか取り押さえることは出来るはずだ。だが・・・王宮を出たラエルは歓楽街に向かおうとはせず、祭り見物の人々が溢れて歩きにくいことこの上ない大通りを抜けて、『我が故郷亭』の前をうろうろしていたらしい。
 
「僕らも、なんであいつがこんなところをうろうろしているのか、わからなかったんですよ。女を連れに行くにしては、何をするわけでもなくただブラブラしていた時間が長すぎる。どうしようかって、クロムと話していたところに宿屋の扉が開いて、クロービスさんが出てきたのが見えました。その途端ラエルがクロービスさんに突進していくのが見えて・・・。」
 
 フィリスは悔しそうに唇をかんだ。
 
「僕らのいた位置からは、何が起きたかわかりませんでした。でもウィローさんが飛び出してきたとき、あいつが何をしたのかすぐにわかったんです・・・。僕らがもう少しラエルの近くにいたら、すぐに取り押さえられたかも知れないのに・・・クロービスさん、ウィローさん、本当に申し訳ありませんでした。」
 
「なるほどね・・・。君が謝る必要はないよ。君達が悪いわけではないんだからね。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 フィリスはなおも悔しそうにうつむいた。あの時、外は人で溢れていた。あまりラエルの近くにいては、尾行がばれてしまう。それなりの距離を保ってしまうと、あの人混みの中ですぐに取り押さえるなどと言うことは出来そうにない。
 
「君はこのあと王宮に戻るのかい?」
 
「はい。団長にも報告しなければならないですし。多分今頃は、クロムがハディさんに連絡しに言ってるでしょうから、僕はまっすぐ戻るつもりです。」
 
「それじゃ、レイナック殿に伝言を頼まれてくれないか?」
 
「レイナック様に?」
 
「うん。今日の夕方は、予定どおり伺いますと。それでわかってくれると思うから。」
 
「夕方って・・・でも大丈夫なんですか?確かに傷はもうきれいになりましたが・・・今日一日くらいはゆっくりと休まれた方が・・・。」
 
「いや、もう大丈夫だ。君のおかげで傷はきれいになったし、特に立ち回りをしたりするわけではないから、心配は要らないよ。レイナック殿も忙しい身だ。せっかく時間を作ってくださったのに、こちらの都合でまた明日というわけにも行かないからね。」
 
「そうですか・・・。わかりました。伝えておきます・・・。」
 
 フィリスが大きなため息をついた。
 
「でもラエルの奴・・・昨夜は特に何も変わったところがなかったそうなんですけど・・・どうして急にクロービスさんを刺すだなんて・・・。」
 
 私はトゥラと知り合った経緯・・・もちろんスリのことは伏せて・・・を簡単にフィリスに話し、さらにラエルの謹慎の直接の原因となった騒動の時にも、たまたま居合わせたことを話した。
 
「・・・だから、彼にとって、私は諸悪の根源なのかも知れないよ。すべては私のせい、私さえいなければすべては丸く収まるとでも、思っているのかも知れないね。」
 
「そんなことがあったんですか・・・。申し訳ありませんでした。もっとあいつの面倒をちゃんと見てやれればこんな事にはならなかったかも知れないんですが・・・。」
 
「ほらまた謝ってる。君のせいじゃないよ。本当に気にしないでくれ。」
 
 そう言ったところで扉がノックされた。
 
「失礼します。王国剣士さんが見えているんだけど、通していいかしら?」
 
 顔を出したのはミーファだった。
 
「誰が来てるの?」
 
 少しだけ怯えた声で、妻が尋ねる。
 
「クロムよ。そこにいるフィリスの相方のね。ウィローさん、そんな顔しないで。クロービスを刺した犯人は捕まったんでしょ?もう誰も、あなた達を傷つけたりしないわよ。」
 
 ミーファは妻に向かっていたわるような笑みを見せた。
 
「それじゃ入ってもらって。」
 
 妻がほっとしたように小さくため息をつきながら言った。
 
「失礼します・・・。先生、大丈夫なんですか?」
 
 クロムは入ってくるなり青い顔で私のベッドに駆け寄った。
 
「ああ、フィリスが治してくれたよ。今は呪文のせいでだるいだけだから、しばらく休めばよくなるさ。」
 
「そうですか・・・。よかった・・・。」
 
 ほぅっと大きなため息をついて、クロムが額の汗をぬぐった。
 
「そんなに深い傷ではなかったからね。内臓の損傷も最小限ですんでいたようだし、なによりあの時、ラドとあの若い客がすぐに彼を取り押さえてくれたから、ダガーが刺さったままだったのが幸いしたよ。」
 
「そうか・・・。抜いたりひねったりしていたら・・・。」
 
「そうだね。多分今頃、妻の蘇生の呪文でうまく生き返れたかどうかと言うところだろうな・・・。」
 
 ダガーの抜かれていく感覚で、自分の傷の深さがどの程度なのかは何となくわかった。時間をかけるつもりなら、呪文がなくてもおそらくは助かっただろう。だがもしもあの時、ラエルの手を押さえるのが一瞬でも遅れていたら、そしてラドがあのタイミングで飛び出してきてくれなかったら、そう思うとぞっとする。ラエルははっきりと『死んでください』と言った。確かに彼にとって私は邪魔者かも知れないが、トゥラの客、と言うだけならそれこそ星の数ほどいるだろう。しかも私はその客ですらないのだ。なのにどうして彼は、それほどまでに私を憎むのか。いや、憎むようになったのか・・・。それもまた、何者かの差し金なのだろうか・・・。
 
「僕はさすがに蘇生の呪文は使えません。そんなことにならなくてよかったです・・・。」
 
「俺もお前に任せて外に出たはいいけど、傷がどの程度なのかずっと気になってたんだ。でもあそこでお前が残ったのがよかったみたいだな。俺の気功よりお前の呪文のほうが効果はでかいからな。」
 
「傷はきれいになったけど・・・でも少し焦って強い呪文を使いすぎたかも知れない・・・。クロービスさん、気分が悪くなったりしていませんか?」
 
「いや、大丈夫。この程度の疲れなら休めばよくなるから、心配しなくていいよ。」
 
「うーん・・・ちょっと待ってください。」
 
 クロムが私に手をかざし、ふわりと柔らかな『気』に包まれた。まるでベッドに羽交い締めにされたようなだるさがすぅっと消え、驚くほど体が軽くなった。
 
「こんなところかな・・・・。この程度ならあとは少し休めばよくなるはずです。」
 
「ありがとう。君達には本当に世話になりっぱなしだね。」
 
「気にしないでください。俺達は王国剣士です。これが仕事なんですから。」
 
 クロムが笑った。
 
「そうですよ。僕の呪文で誰かを助けられるなら、それが一番うれしいんですから。それよりクロム、ラエルはどうしたんだ?」
 
「・・・さっきハディさんが地下牢に連れて行ったよ・・・。」
 
「・・・そうか・・・。」
 
 重苦しい空気が流れる。地下牢に連れて行かれたと言うことは、ラエルはもはや王国剣士ではないと言うことだ。王国剣士に必要なのは、剣の腕とその人となりだ。たとえ身内に犯罪者がいてもまったく考慮されないが、本人が罪を犯した場合は問答無用で身分を剥奪される。もちろん『嫌疑』でしかないうちは審問や裁判という手続きがあり、罪が確定してからの話になるのだが、今回のように現行犯の場合は、その限りではない。
 
「仕方ないさ。ここで剣士団がラエルをかばえば、御前会議での団長の立場が悪くなる。それでなくても最近起きた一連の騒動で、だいぶ大騒ぎしている大臣がいるって話だぜ?」
 
「らしいな・・・。くそっ!ラエルだってもしかしたら、誰かに操られているのかも知れないのに・・・。」
 
「どうなのかな・・・。さっき団長室で麻痺をといてやったけど、起きあがりもせずに泣き出しちまったよ。もうおしまいだって何度も繰り返して・・・。操られていたと言う表現が適当かどうかは何とも言えないが、もしかしたらまた何かエサをまかれて、カインの親父さんを殺すのを引き受けたのかも知れないな・・・。」
 
「なんだってそんなバカなことを・・・・でもおかしいじゃないか。昨夜はあいつ、一歩も外に出ていないんだぞ?そんな話をいつ出来たんだろう?」
 
「ハディさんが地下牢で審問官の取り調べに立ち会ってくるそうだから、今日の夜には詳しい話が聞けるんじゃないか?ここまで関わったんだ、俺達だって少しは話を聞かせてもらえると思うぞ。」
 
「そうだな・・・。あれ?おいクロム、さっきの人はどうしたんだ?」
 
「ん?あのにいちゃんか?あいつなら、団長に預けてきたぞ。」
 
「団長に?」
 
「ああ、いきなり「王国剣士として修行を積んでみたい」とか言い出したもんだから、多分今頃はランドさんに叩きのめされているかな。」
 
「うへぇ・・・いきなり採用試験を受けたのか・・・。度胸があるって言うか・・・。」
 
「どっちかって言うと、何も考えていないって感じだったけどな。たとえば剣のほうが何とかなったとしても、問題は中身だ。どうかなあ・・・。悪い奴じゃなさそうだったけど・・・。」
 
「でも妙って言えば妙だよな。」
 
「まあな・・・。団長があいつの申し出をすんなり受けたのも、そのあたりを確かめるつもりがあったからじゃないのかな。」
 
「ここのマスターの知り合いらしいけど、彼が敵の手のものじゃないとは限らないからね。」
 
「ああ、こうなると誰も信用出来なくなりそうだよ。あのにいちゃんも、いろいろと手助けしてくれたし、ラエルが王国剣士だってことが極力ばれないように気を配ってくれてはいたんだが・・・。」
 
「ま、あの人のことについては団長に任せよう。それより・・・これからクリフのところに行かないか・・・。」
 
「・・・そうだな・・・。」
 
 2人の表情がいっそう暗くなった。
 
「・・・クリフ?」
 
「はい、ラエルの相方なんです。もうずっと入院中でして・・・。」
 
「らしいね。王宮の診療所にいるのかい?」
 
「診療所の一番上の階です。日当たりがよくてさわやかな風が抜けていく、いい部屋ですよ。クリフのことはお聞きになってるんですね。」
 
「少しね・・・。」
 
「そうですか・・・。あいつは自分の命が長くないことを知ってるんです。でもラエルのことが気がかりで、見舞いに行くたびにラエルのことを聞いてきます。だけどラエルは・・・日に日にやつれていくクリフを見るのがつらくて見舞いにも行きゃしない。でもなんだってあんなに弱い奴になってしまったのか・・・。以前そんなことはなかったんですが・・・・。」
 
「・・・逃げ場が見つかったのかも知れないな・・・。」
 
「逃げ場?」
 
「そう、そのクリフが入院してからだいぶ過ぎるという話を聞いたよ。最初はがんばろうと思っていても、長引けばその分だけ不安は募る。ともすればくじけそうになる気持ちを奮い立たせてやっとの事で自分を保っていたのに、ある日突然かわいい女の子に声をかけられて調子のいいことを言われたら、誰だって舞い上がるし、夢中になるさ。だからってトゥラが一方的に悪いわけではないと思うけどね。」
 
「うーん・・・がんばれとか一生懸命やれとか、そんな言い方をしたのがかえってよくなかったのかなあ・・・。」
 
 クロムがため息と共に言った。
 
「でも周りはそれしか言えないじゃないか。」
 
「そりゃそうだけどなぁ・・・。あいつは元々責任感の強い奴だったんだ。クリフが入院したとき、自分だけでもがんばらなきゃって思い込みすぎてたのかもしれないよ。だけど、がんばっていればクリフは戻ってくると信じていたのになかなか戻ってこない・・・もしかしたら、あいつもクリフの病気がもう治らないってことは気づいていたかも知れないぜ。でも誰にも聞けずにいて、1人で悩んでいたときにあの女に会った・・・そんなとこじゃないのかな。」
 
「誰にも聞けずか、か・・・。だとしたら、僕らは仲間として失格だな。あいつを1人で悩ませてしまうなんて・・・。」
 
「そうだな・・・。だが起きちまったことはしかたない。そろそろ行くか。いい加減体を休めておかないと、明日からまた夜勤だ。」
 
「そうだな・・・。」
 
「せっかくの休みなのに、こんな騒動に巻き込んでしまってすまなかったね。私はもう大丈夫だからって、オシニスさんにも伝えてくれるかい?」
 
「先生のせいじゃないですよ。それより、俺の気功はほんのちょっと疲れをとっただけですから、ちゃんと休んでくださいよ。」
 
「それじゃ失礼します。くれぐれも無理はしないでくださいね。」
 
「わかってるよ。2人ともありがとう。」
 
「気をつけてね。今日は本当に助かったわ。それじゃ。」
 
 クロムとフィリスが扉の向こうに消え、足音も遠ざかった頃、妻が突然私にすがりついて泣き出した。
 
「ウィロー・・・。」
 
「よかった・・・。あなたが助かってくれて、本当によかった・・・。」
 
「心配かけてごめん・・・。」
 
「あなたが悪いんじゃないわよ・・・。悪いのはラエルを操っている誰かだわ・・・。でも悔しい・・・!さっき私、何も出来なかった・・・!」
 
「クロム達を呼んできてくれたじゃないか。」
 
「だけど、刺されたあとじゃ・・・。」
 
「ラエルがぶつかってきたタイミングは絶妙だったよ。まさかあんなところで襲われるとは考えていなかったし、回避できなかったのは私自身のせいだよ。感覚もだいぶ鈍ってるみたいだな・・・。」
 
 扉を開けてからラエルがぶつかってくるまで、誰かが自分を狙っているかも知れないなんて考えもしなかった。油断をするべきではないという教訓か・・・。
 
「だからって刺された方が悪いなんてことがあるわけないじゃないの!」
 
「そんな怒らないで。助かったんだからいいじゃないか。それより、これからのことを考えないと。」
 
「これからの?」
 
「うん・・・。私よりラエルのほうが心配だよ。地下牢に収監されていると言うことは、もうすでに彼は王国剣士ではないんだ。自暴自棄になったりしなければいいんだけど・・・。」
 
 こんなことになる前に何とかしたかったのだが・・・・今となってはもう遅い。
 
「彼の目には、あなたはどう映っているのかしらね・・・。」
 
「多分、大悪党だろうな。自分とトゥラの間を引き裂こうとしているわけだから。」
 
「ええ!?そんなつもりだったの?」
 
「まさか。そんな気はないし、第一そんなことをする筋合いはないよ。でも、この間の騒ぎでトゥラは真剣にラエルとのことを考え始めたと思うんだ。自分にのめり込んでどんどん周りが見えなくなっているラエルを見れば、不安にもなるさ。だからしばらく会わずに、お互いちゃんとこれからのことを考えよう、そう思ったんだと思うよ。でもラエルにはそれが伝わっていない。彼にとって私は、ひたすらに愛情を注げる相手・・・言い換えれば居心地のいい逃げ場を取り上げた大悪党なのさ。そう思っていれば自分は傷つかないからね。トゥラがあんなことを言い出したのが、自分のせいかもしれないって言う事実からも目を背けていられる。彼はそうやって自分を守ってきたのかも知れないけど・・・。」
 
 いつまでもそんなことを続けられるはずがない。
 
「少し眠るよ。君は食事をしたら?」
 
 その言葉がまるで聞こえたかのように、扉がノックされていい香りが廊下から漂ってきた。
 
「お食事でーす。それと替えのシーツね。クロービス、ちょっと汚れたシーツを替えちゃうわね。」
 
 ミーファは食事を乗せたワゴンを中にいれ、つづいてシーツを乗せたかごを運び込んだ。
 
「ありがとう。下は大丈夫なの?」
 
「今のところ一段落よ。はい、ウィローさん、食事はここに置くわね。あとは・・・そうねぇ、クロービス、少し右側の体を起こせる・・・?そうそう、まずこっちを引っ張って・・・。」
 
 私はベッドに寝たまま、少しだけ右と左に体をずらしただけで、あっという間にシーツの交換が終わってしまった。そして掛けてあった毛布も、真っ白なカバーのついた新しいものに替えてくれた。
 
「はいおしまい。怪我はもう大丈夫なの?」
 
「大丈夫だよ。今はちょっと呪文の疲れが残っているくらいだから。休めばよくなるよ。」
 
「そう・・・よかったわ・・・。」
 
 ミーファが安心したように微笑んだ。多分この宿屋のみんなが心配してくれていたに違いない。
 
「それより、シーツを汚してごめん。」
 
「何言ってるの。けが人がよけいな気を使うものじゃないわ。それに、あなたのせいじゃないじゃない。犯人も捕まったみたいだし、あとはゆっくり身体を休めないとね。」
 
「下はどう?騒ぎは静まってる?」
 
 ミーファは少し声を落として話しだした。
 
「・・・お昼に開けたときは野次馬ばかりだったわ・・・。おかげで売上はいつもの倍だったけど・・・。あなたを刺した人が王国剣士さんだって話もどこからか伝わったみたいでね、町の中では噂になってるみたい。みんなショックを受けてるみたいよ。そりゃあれだけの人数がいるんだから、いろいろな人がいてもおかしくないけど・・・悪いことをした人をつかまえる立場の人が、白昼堂々刃傷沙汰なんてって・・・。」
 
 やはりそう言う話になっていたか・・・。
 
「かなり特異な例だと思うよ。他の剣士達はみんな信頼できるんだから。」
 
「ふふふ・・・。それはわかってるわ。うちの酒場でそんな噂が出たら、ちゃんと否定しておくわよ。でも、噂ってなかなか静まらないものなのよねぇ。」
 
「それは言えるね・・・。しばらくは騒がしいだろうな・・・。」
 
 祭りにまで影響が出ないといいのだが・・・。
 
「でも今はそんなことを心配しないで、ゆっくり休んでね。ウィローさん、食器はあとから取りに来るから、ワゴンごと外に出しておいてくれればいいわ。」
 
「ええ、ありがとう。」
 
「じゃあね。」
 
 ミーファが部屋を出て行った。
 

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