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「・・・まあよい。ではクロービスよ、もしもあの時、ウィローという存在がなければお前はあの話を受けていたか?」
 
「仮定の話は意味がありません。それに、今さら妻のいない人生なんて想像も出来ませんよ。」
 
「ふむ・・・まあそれもそうじゃのぉ・・・。」
 
「レイナック殿。」
 
「ん?」
 
「私などより、フロリア様を誰よりも思いやっている方がいるじゃありませんか。レイナック殿が気づいてないはずはないと思いますが。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 私の問いかけには、レイナック殿は答えない。その表情からは、この方が何を考えているのか読み取ることは出来ない。ならば、言葉で尋ねるしかないか・・・。
 
「今になってあんな昔の話を蒸し返すようなことをおっしゃるより、今までずっとフロリア様のおそばに仕え、これからもフロリア様の治世を支えてくれるであろうあの方にこそ、フロリア様をお任せするのが順当ではないかと思うのですが。」
 
「まあそれも・・・一つの手ではあるのだが・・・。」
 
 レイナック殿の返事は煮え切らない。
 
「大昔の『救国の英雄』などより、現在剣士団長として実績を積み重ねてこられたオシニスさんなら、どこからも文句はでないと思いますけどね。」
 
「お前は麻酔薬の開発者だ。それを大々的に宣伝すれば文句を言う者はおるまい。」
 
「それだって昔の話ですよ。それに何より、私にはその気が全くありませんから。」
 
「はっきり言うてくれるな・・・。」
 
「そりゃはっきり言いますよ。こんなことを曖昧にするわけにはいかないですからね。」
 
「確かにお前には妻も子もあるし、フロリア様が他の女の亭主を寝取ったとか、妻子ある男に籠絡されて意のままになっているなどという醜聞が流れるのは困るが・・・。今のフロリア様が置かれている状況を考えるに、せめてしっかりとあの方を支えてくれる夫の立場に、誰かしらいてくれればと思うてしまうのだ・・・。」
 
「それならばなおのこと、オシニスさんのほうが・・・。」
 
「やけにあやつの肩を持つのぉ。まさかと思うが、オシニスの奴が自分をフロリア様の夫として推挙してくれとでも・・・。」
 
「まさか。ただ、今までずっとフロリア様のおそばでフロリア様のために働いてきた方ですから、フロリア様の夫としては一番ふさわしいのではないかと思っただけです。」
 
「そうか・・・。」
 
 レイナック殿は、なぜか落胆したようにため息をついた。
 
「レイナック殿はいかがです?オシニスさんがフロリア様の夫となることに反対されますか?たとえば身分が違うとか・・・。」
 
「いや、そんなことはないぞ。この国は初代国王陛下が元は冒険者だと言うこともあって、建国の時分より身分にはあまりこだわらぬからの。ま、貴族の中にはかなりこだわっておる者もいるにはいるが、フロリア様の結婚話に影響が出るほど多いわけでもない。一番大事なのは相手の身分でもなければ地位でもない、フロリア様のお気持ちじゃ。無論相手の気持ちもだが・・・どちらもうまく折り合うのならば、それが誰であろうと反対はせぬ。そりゃまあ・・・犯罪者などでは困るがな。そういう者達とフロリア様が知り合う機会はないだろうから、それほど考えなくても良さそうなものだが・・・。」
 
「・・・つまり、特に障害があるわけではないのに、フロリア様の気持ちがはっきりしないとか・・・?」
 
「そうだな・・・。もっとも、もし相手の気持ちだけでも固まっておるならば、説得のしようもあるのだが・・・。」
 
 確かに、オシニスさんがこんな話に乗り気になるとは思えない。
 
「その気がないというのに無理強いするわけにもいかぬからな・・・。」
 
「まあ、それはそうですが・・・。」
 
「のぉクロービスよ。お前ならどうだ?仮定の話ばかりしておっても意味がないのは確かだが、少し現実的な話に置き換えて、お前の考えを聞かせてくれ。たとえばだ、フロリア様の立場にウィローがいたとしたなら、お前は一も二もなくあの話を受けたのではないか?」
 
「ウィローだったなら、ですか・・・。」
 
 なかなかに痛いところをつく方だ。妻がカルディナ卿の屋敷に監禁されたとき、あのままもしも会えなかったらと思うと背中が凍りつきそうなほどに恐ろしかった。何が何でも妻を離したくない、あの時私はその思いだけでカルディナ卿の屋敷に向かった。その妻が、デール卿の娘ではなく『前国王の娘』であり、現在の国王陛下だったなら・・・。
 
「どうだ?」
 
「どうでしょうね・・・。身分にこだわらないというのは、高い身分にある方達だからこそ言えることですよ。身分の低い者にとって、女王陛下との結婚を望むと言うことは、すなわちこの国の男として一番の権力を手に入れることを望むのと同じことです。二の足を踏んでしまうほうが自然ではないかと思いますけどね。」
 
「ではやはり断っておったか?」
 
 そう言われると自信がない。あのまま妻をあきらめて、独り故郷に帰るなんて・・・
 
「・・・・・・・・。」
 
 きっと出来ない。
 
「そうですね・・・もしかしたら、連れて逃げたかも知れませんよ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 レイナック殿は一瞬きょとんとして私を見たが、
 
「ふふふ・・・ふっふっふ・・・。うぉっほっほっほ!」
 
 不意に大声で笑い出した。
 
「こりゃ一本取られたのぉ。なるほどその手があったか。・・・つまり、ウィローはほしいが、大公の地位はいらんと言うことか。」
 
「最初からそんなものに興味はありませんよ。とは言え、本当にそんなことをすれば一生逃げ続けの人生になってしまいます。女王陛下が掠われたとなれば、いかに北の島に逃げたとは言え、ほっておくわけには行かなかったでしょう。レイナック殿、先ほどの話に倣って、私も仮定の話で答えましょうか。あの時の話が、もしも私が誰よりも愛する女性との結婚であったなら、そのあとどんな苦難が待ちかまえていようと逃げ出すようなことはしませんでしたよ。」
 
 これだけは言い切れる。無論今私の頭の中には妻の顔が浮かんでいるからだが、私がもしも本当にフロリア様を心から愛していたなら・・・どんなに望まない地位でも、そのためにどんなそしりを受けようとも、あえてその座に座っただろう。
 
「ふむ・・・さすがに『一も二もなく』受けられるほど、お前は図太くはなかろうしの。そんなに簡単に割り切れるものではないということか・・・。」
 
「そうですね・・・。さんざん悩んで、それでもあきらめきれなくて結局受ける、私ならばそんなところではないかと思います。」
 
「なるほどな・・・。だが、受けることには違いないのだな?」
 
「ウィローを他の男に渡すくらいなら、どんな苦労だって背負い込んだと思いますよ。」
 
「ふむ・・・そうだな・・・。この国には、そこまでの強い気持ちでフロリア様を思うてくれる男はおらぬと言うことか・・・。」
 
 レイナック殿が寂しそうに笑った。
 
「レイナック殿はどう思われるのです?オシニスさんは、本当にフロリア様のことは何とも思ってないんでしょうか。」
 
「そうだな・・・。にくからず思うてはいるが、お前が今言うたほどの覚悟はない・・・そんなところかのぉ・・・。実際、剣士団長をフロリア様の夫にという話が出たとき、奴は笑っておったからの。」
 
「具体的に話が出たことがあるのですか?」
 
「正式にではないが、あやつが団長に就任して間もなく、大臣の1人がそんな話をしたことがある。年の頃もちょうどよし、出身は平民でも、その時の地位と実績には申し分ない。何よりも、独身だ。しかも一度も結婚をしたことがない。あのころですでにフロリア様は30代半ばだった。そのお歳で釣り合う年頃の男となると、ほとんどが一度は結婚し、離婚したり、妻に先立たれたりしたものばかりだった。だからこそ、皆フロリア様の結婚を性急に進められずにいたのだ。たとえば離婚歴のある男が大公になった場合、前妻との子を王位継承者として認めるかどうかという問題が必ず出てくるからのぉ。あの時、オシニスの剣士団長就任で、『これでフロリア様のご結婚も決まるだろう』と考えた者は、少なくはないと思うぞ。」
 
「ところが決まらなかったわけですね。」
 
「うむ・・・こういうことはお互いの気持ちが大事だ。正式に話を決める前に、まずはその話をオシニスにしてみようということになって、わしが持ちかけたのだが・・・あやつめ本気にしておらなんだのか、笑い飛ばしおったわい。」
 
「でもその大臣は・・・もちろんレイナック殿も冗談でおっしゃったわけではないのでしょう?」
 
「当たり前じゃ。そんなこと、冗談で口に出せることではないわい。」
 
「ではオシニスさんが笑って、それでおしまいですか?」
 
「まあそういうことになる。奴の言い分としては『自分はフロリア様の臣下だ。臣下が主君と結婚など出来るはずがない』ということだったな・・・。心のどこかで、わしはあやつがそう言う返事を返して来るであろうと思うておった。だが・・・気になったのは、奴のそのあとの言葉だ。」
 
「そのあと?」
 
「うむ・・・あやつめ、その時つぶやくように言いおったのだ。『俺なんかじゃ代わりになれない』とな。多分わしが聞こえてないと思っとったのだろうが、ふん!耳は若いときより遙かによく聞こえるわい。」
 
「レイナック殿はどう思われます?そのオシニスさんの言葉を。」
 
「さっぱりわからん。強いて言うなら、以前にフロリア様に求婚した、並みいる名門貴族の子息達の代わりにはなれんと言うことかとは、思うたがな。あやつでもそんなことを気にするのかと、少し意外だったが・・・。」
 
「そうですか・・・。」
 
「ま・・・つまりは覚悟がなかったのだろう。いくら思うていても、自分からそんな苦労を背負い込んでまで結婚したいとは思わない・・・そんなところだろう・・・。」
 
 さっきレイナック殿が落胆していたわけがなんとなくわかった・・・。この方はもしかしたら、密かにオシニスさんとフロリア様が結ばれてくれないものかと考えていたのではないだろうか。だが、オシニスさんがレイナック殿と軽口をたたき合えるほどの仲だと言うことは、誰もが知っている。レイナック殿が表だってそんな話を進めたりすれば、王宮の権力を陰で掌握しようとしているなどという噂が立つかも知れない。だが、今では地位も実績もあるオシニスさん本人からフロリア様を妻にと言う話が出れば・・・あるいは事態は変わるかも知れないと、期待していたのではないだろうか。しかしそうなると、オシニスさんから聞いた話とは大きく違ってくる。どういうことだ?オシニスさんははっきりと言った。私をカインの代わりにフロリア様のおそばに置きたいのだと、そしてレイナック殿も同じ考えだと。ではこの話は、私を油断させるための罠か・・・。フロリア様を訪問したとき、その罠は発動するのか・・・。それともレイナック殿は、実はそんなことを全く考えていなくて、オシニスさんが私に嘘をついたのか・・・。どっちだ?
 
「どうしたクロービス?疲れたか?」
 
 レイナック殿が、黙り込んだ私の顔を心配そうに覗き込んでいる。
 
「いえ・・・。」
 
 探ってばかりでは埒があかない。そろそろ勝負どころか。
 
「レイナック殿。」
 
「ん?」
 
「私の相方だったカインを憶えていますか?」
 
「カインか・・・。もちろん憶えておるぞ。いい若者だった。最初はお前と組ませていいものかどうか迷ったと、パーシバルが言うておったのぉ・・・。剣士団に入ったばかりの頃のお前は、誰が見てもとても剣を振り回しそうには見えなんだからな。だが、ランドの目は信頼に値する。まずは研修で様子を見ることにしたと、お前が採用試験に合格した日の夜だったか、そんな話をしておった・・・。」
 
 レイナック殿は少しの間、懐かしそうに微笑みながら、その時のことを話してくれた。
 
「懐かしい名前が聞けてうれしいが、あのカインがどうかしたのか?」
 
「フロリア様が、カインに思いを寄せていたかもしれないと言ったら、レイナック殿はどう思われます?」
 
「・・・・な・・・なんと!?」
 
 レイナック殿は驚いて身を乗り出したが・・・不意に納得したように小さくうなずき、椅子に座り直した。
 
「・・・さもありなん。フロリア様とカインの出会いは強烈だったからのぉ。」
 
「その時のことをご存じなのですか?」
 
 これには私のほうが驚いた。
 
「うむ・・・あれは・・・そうだな、フロリア様が即位されてより4年の月日が流れたころだったか・・・。わしはフロリア様のお供で城下の視察に出掛けた。視察と言っても、フロリア様が出掛けられたなどと言うことが知れれば、町を挙げての大騒ぎになってしまう。それでは民の本当の暮らしぶりはわからぬからの。フロリア様には出来るだけ地味目のドレスを着ていただいて、わしも神官の服は脱いで普通の神父の服を着て、2人でこっそりと出掛けたのだ。貴族の娘と教育係の神父という設定でな。」
 
 カインからフロリア様と彼の出会いの話を聞いたとき、わずか10歳のフロリア様が、お忍びとは言え貧民街に1人で現れたことに妙な違和感を憶えたものだが、そういうことだったのか・・・。
 
「フロリア様は、今まで城の中から時折見かけることしかできなかった民の暮らしぶりを間近で見ることが出来て、大変喜ばれた。2人であちこち歩き回って、貧民街の近くまで来たとき、わしはためらった。ここにフロリア様をお連れすべきかどうか。無論あの町もこの国の一部だ。あの町の中に暮らしている人々もこの国の国民だ。だが・・・廃材をかき集めて作られた粗末な家々や、ツギだらけの服を着て走り回る子供達をみて、フロリア様が平静でいられるかどうか、その方がわしには心配だったのだが・・・。」
 
 レイナック殿は、遠目に貧民街を見せるだけに留めようかと考えたのだが、当のフロリア様は頑として受け入れず、この町の中を歩くのだと言い張った。仕方なくレイナック殿はフロリア様を連れて貧民街に入り、しばらく歩いたころ・・・
 
「恥ずかしくないのか?お前は泥棒の子供なんだぜ!」
 
 突然耳に飛び込んできた大声に、レイナック殿もフロリア様も思わず立ち止まった。声のするほうを伺うと、何人かの子供達が赤い髪の少年を取り囲んでいる。子供達は口々に少年に罵声を浴びせているが、少年は黙ったまま何も言い返さない。
 
「なんてひどいことを・・・!」
 
 駆け出そうとしたフロリア様を、レイナック殿は慌てて押しとどめた。子供達とフロリア様の距離はかなりあったのだが、その位置からでさえ、少年達がまるでおもちゃで遊ぶように笑いながら、赤い髪の少年を殴ったり蹴ったりしているのがはっきりと見える。ふと気づくと、レイナック殿が押さえているフロリア様の両肩が悔しげに震えていた。そのうちに赤い髪の少年がこづかれて転び、打ち付けた膝を抱えてうめき声を上げた。その瞬間、フロリア様はレイナック殿の手を振り切って走り出した。が・・・・
 
「走り出したまではよかったのだが、さすがに子供達のところまで一気に駆け寄る前に足がすくんだようじゃった。わしはもう一度押しとどめようと歩きかけたのだが・・・そこで立ち止まった。」
 
「どうして止めなかったのです?」
 
「どんなに幼かろうが、フロリア様はこの国の国王であり、子供達はいわばフロリア様の臣下だ。むろん、赤い髪の少年もな。その臣下が全く理不尽な理由で傷つけられているならば、王は守らねばならぬし、無辜の民を理不尽な理由で傷つける臣下があらば、王はその者を諫めねばならん。それが1人でも100人でも同じことだ。当時のわしはまだ若かったからの、万一フロリア様に危害が及ぶようなことがあれば、すぐに飛び出すことは可能だった。そこでわしは見守ることにした。フロリア様が果たして、あの子供達を見事諫めることが出来るのかどうかをな。」
 
「そして、フロリア様は立派に国王としての役目を果たされたわけですね。」
 
「ふぉっふぉっふぉ。ま、『立派に』までは届かんかったがの。」
 
「でもいじめっ子達は逃げていったわけですよね?」
 
「ふむ、あれはまあ、気迫負けであろうな。フロリア様は必死だった。とにかく、何が何でも、赤い髪の少年を助けなければという思いだけで動いておられた。立ち止まった場所から、彼らに声をかけられる位置までの距離はいくらもなかったが、フロリア様はそこに着くまでにだいぶかかった。もしもあの時、フロリア様が最初の勢いで彼らに声をかけていたら、あの赤い髪の少年は、あんなにひどく殴られなくてすんだかも知れん。ま、今更言っても詮無いがの。」
 
「いじめていた子供達は貴族の子弟だったようですね。」
 
「うむ。いじめておった子供達の1人が、とある伯爵家の息子であることにわしは気づいておった。王宮ではだいぶ神妙に振る舞っていたが、その分外では子分を引き連れてあんなひどいことをしておったのかと、いささか複雑な気持ちだった。おまけにいかに地味なドレスをお召しだったとは言え、相手がフロリア様だと気づきもせんかった。情けない話だ。」
 
「カインを助けたあと、フロリア様はどうされたのです?」
 
「顔をこわばらせてわしのところに戻ってこられたフロリア様は、涙一つ見せずにこう言われた。『視察を続けましょう。この町のことを、もっとよく知らなければなりません。』とな。そしてそのまま視察を続け、夕方王宮の私室に戻られた時じゃ、やっとわしにしがみついて泣き出したよ。もっと早く助けてあげたかったと。そして王としてこの国を統治していながら、貧民街のことなどきちんと考えたこともなかった、なんと情けない王であることかとな。」
 
「カインがフロリア様に投げつけた言葉は、それほどまでにフロリア様を深く傷つけていたんですね・・・。」
 
「そうだな・・・。だがその一方で、フロリア様が王としてなすべきことのひとつを教えてくれたわけだ。フロリア様は翌日、早速御前会議に議題を提出された。『貧民街の救済』について。今までのように、貴族の婦人達の奉仕によってやっと成り立っている施し中心のものではなく、誰もが等しく清潔な暖かい家に住み、継続的に仕事をして収入を得、子供達がきちんと学校に通えて、貧民街に住んでいるからとバカにされたりすることがないよう、法や経済の整備をしていきたいと。」
 
「他の大臣達は驚かれたでしょうね。」
 
「ふふふ、ケルナーが目を丸くしておったわ。あやつの驚いた顔を見るのは気分がよかったのぉ。」
 
「その後フロリア様はカインのことは・・・。」
 
「一言も口にはせなんだ・・・。わしが次にカインのことを聞いたのは、まさに奴が新採用の王国剣士としてフロリア様に謁見を許された日だった。謁見のあと、フロリア様が頬を紅潮させてのお・・・。『レイナック、あの少年よ!わたくし達が出会った、あの貧民街の少年よ。間違いないわ!』あんなに興奮されたフロリア様を見るのは初めてだったかもしれん。『よかった。あの時はとてもすさんだ目をしていたから、どうしているのかずっと心配だったの。昨日パーシバルから貧民街出身の若者ですって言われて、もしやと思っていたけどやっぱりそうだったわ。ああうれしい・・・。』そう言われてな・・・。年頃の娘らしくはしゃぐその姿を見て、心の中でカインに感謝したものだ。」
 
 当時のことを思い出したのか、レイナック殿がなつかしそうに目を細めた。
 
「フロリア様はきっと、最初の出会いからずっと、カインのことを心に留め置かれたんですね・・・。」
 
「おそらくはな・・・。この国の女王陛下と聞けば、誰もが膝を折り、ひれ伏し、許しがあるまで顔も上げぬものだ。頭ごなしに怒鳴ってくれる者など、フロリア様のまわりには誰もおらんかった。かえってそれが、新鮮に映ったのかも知れんな。だからといって、そのころからフロリア様がカインに思いを寄せていたとは思えんが。」
 
「そうですね・・・。確かに、それはちょっと考えにくいかも知れません・・・。」
 
「うむ、そういう変化が起きたとすれば、カインが採用されてからのことであろうな。だがこればかりは、ここでわしらがあれこれ言ってみても、推測の域を出ないのぉ。今更お尋ねするわけにもいかぬし・・・。」
 
 それに、フロリア様がカインに何かしら特別な感情を持たれたとしても、それが果たして恋愛感情と言えるものであったかどうかも、何とも言えない。レイナック殿は頭をかき、ため息をついた。
 
「わしらはフロリア様に、自分の知る限りの様々な事柄をお教えしたが・・・愛というものだけは教えることが出来なんだ・・・。もっともケルナーなどはのんきなものでな、そんなのは年頃になれば何となくわかってくるものだ、むさ苦しいおやじが教えるようなことではないと言うておったが・・・。ま、確かにあやつの言うとおりだ。しかもケルナーには妻がおったが、わしなどはそっち方面は全くの不調法だったしのぉ・・・。モルダナにはそれとなく話してみたりもしたが、彼女は彼女で『好きな殿方が出来れば、女は自然にきれいになるものだ』と言うておったし、つまるところ、この手の話はまわりが騒ぎ立てるようなことではないと、そういう話で決着がついてしまったわい・・・。」
 
「普通はそうだと思いますよ。でもフロリア様が置かれていた環境は、普通とは言えないような気がしますが・・・。」
 
「そのとおりだ・・・。常に『王』であることを義務づけられ、同世代の娘達とおしゃべりすることもままならなかった。侍女達とは多少話をされたようだが、フロリア様がいくら仲良くなりたいと仰せられても、侍女達のほうが尻込みしてしまってな・・・。なかなか『友人』と呼べるまでには至らなかった・・・。」
 
『女の子らしい遊びも覚えず、友人を作ることも出来ず、この18年間をずっとそうやって過ごしてきました。同じ年頃の人達と話すことさえ滅多にないのですよ。』
 
 漁り火の岬で、そう言いながら寂しそうに肩を落としていたフロリア様の姿が浮かんだ。
 
「今はリーザがおるから、いい話し相手になっておるようだが・・・。そうだな・・・。あの頃フロリア様の護衛をしていたユノが、もう少しフロリア様と親しくしてくれていたら、事態は変わっていたかも知れんが・・・。」
 
 レイナック殿は言葉を濁し、ため息をつきながら頭を振った。
 
「ふん・・・今さら何を言うても始まらぬ・・・。クロービスよ、たとえばフロリア様がカインに思いを寄せていたとしても、もう昔のことだ。まさかお前はフロリア様が、20年も前に死んだ、契りおうたわけでもない男に操を立てて、それで今でも独り身でおられるのだとでも言うつもりか?」
 
「私にもそれはわかりません。ただ・・・」
 
「ただ?」
 
「・・・ただ、そうなのではないかと、思いこんでいる方はいるようですけどね。」
 
 それとも、そう思い込もうと必死で努力しているのか・・・。
 
「思いこんでいるとは・・・一体誰が・・・」
 
 言いかけてレイナック殿はハッとして顔を上げた。
 
「まさか・・・オシニスの奴が・・・。」
 
「はい。」
 
 私は、オシニスさんが私を『カインの代わり』としてフロリア様のおそばに近づけようとしていることを話した。
 
「なんということを・・・。」
 
 レイナック殿は呆然としている。
 
「なるほど、あやつがつぶやいた『代わり』というのは、自分ではカインの代わりにはなれぬと言うことであったのか・・・。なんとバカなことを・・・。人間誰しも、他の誰かの代わりになどなれぬ。いや、代わりになど、しようと考えてはいかんのだ。カインはカイン、お前はお前だ。そしてオシニスの奴とて、誰の代わりでもないあやつ自身ではないか。しかし・・・何で今さら、やつはそのような愚かなことを考えたのだ・・・。」
 
「うちの息子が採用されたときから、フロリア様の様子がおかしくなったと聞きました。原因はそのあたりにあるのではないかと思いますが・・・。」
 
「その話を誰から聞いた?」
 
「オシニスさんですよ。まあ正確に言えば、オシニスさんからの手紙でですけどね。」
 
「手紙?」
 
 レイナック殿が顔を上げた。
 
「ええ、うちの息子が預かってきたんですよ。ご存知なかったんですか?」
 
 今思えば、あの手紙もオシニスさんの『企み』の一つだったと言える。だが考えを同じくしているはずのレイナック殿が、そのことを知らないのだろうか。それとも、知らないふりをしているのか・・・。
 
「いや、わしは知らんぞ。これは本当だ。神に誓って、全く知らなかった。・・・なんと書いてあったか、聞いてもいいか?」
 
「かまいませんよ。そうですねぇ・・・。」
 
 私も手紙の中身すべてを憶えているわけではないが・・・多分レイナック殿が知りたがるであろう、フロリア様とカインのことを聞いていたことと、ライラの話が書かれていたことは話した。
 
「・・・ふむ・・・なるほどフロリア様とカインのことか・・・。確かに、フロリア様の様子がおかしくなられたのは、お前の息子が入団の挨拶をしに来た頃からのことではあるのだが・・・しかし、それは断じてお前の息子のせいではないぞ。」
 
「お気遣いありがとうございます。うちの息子と言うより、フロリア様は『カインという名を持つ王国剣士』に出会って、それで昔のことを思い出されたのではないかと思います。」
 
「うむ・・・フロリア様としても、気にかけておられた剣士を結果的に自分の手で死に追いやったようなものだから、そのことをずっと気に病まれておいでなのだろう。なるほど、それであれ以来お元気がないとなれば納得は出来るが、だが、それにしても・・・。」
 
「・・・オシニスさんは、何とかフロリア様に元気になってほしいんだと思います。」
 
「それはわしとて同じだ。だからこそお前を・・・・」
 
「私をフロリア様の話し相手として推薦してくださったわけですね。どうやらこの件に関しては、お二人の考えは一致しているようですが?」
 
「うむ。お前が城下町に出てくるという話をオシニスから聞いたとき、それならば最近元気をなくしておられるフロリア様の、話し相手になってもらってはどうかと言うたのはわしのほうだ。久方ぶりに会って昔話にでも花が咲けば、フロリア様の気分もよくなるのではないかと期待してのことだ。あの時奴はこう言った。『俺も同じことを考えていた』とな。だから、確かにわしらの考えは一致していると言える。だが・・・わしはいくらなんでも、お前をカインの代わりになど、考えたこともないぞ。カインは死んだのだ。どれほどつらい出来事であろうと、それを受け入れて前に進まねばならぬ。過去に囚われていたのでは・・・」
 
 突然レイナック殿は言葉を切り、自嘲気味に笑った。
 
「ふふ・・・わしがフロリア様にそのような説教をする筋合いのものではないな・・・。」
 
「そんなことはありません。レイナック殿は誰よりもフロリア様の幸せを願っているのでしょう?」
 
「うむ・・・だからこそ、オシニスがそんな愚かなことを本当に考えているとすれば、何が何でも止めねばならぬが・・・しかし妙な話だ。クロービスよ、そうは思わぬか?」
 
「妙とは?」
 
「考えてもみてくれ。そんな話にわしが荷担していると言ってみたところで、お前がわしと直に話をすればすぐに嘘がばれるわけだぞ?」
 
「それは確かに・・・。」
 
 あんな話を聞いたら、私がレイナック殿に事の真偽を確かめようとすることくらいオシニスさんにはわかっていたはずだ・・・。
 
「あとでオシニスの奴と話をしてみるか・・・。最近忙しくて、腹を割って話すことがなかなか出来ぬ。いい機会かも知れぬな・・・。」
 
「そうですね・・・。でも、この件についてだけは、私にまかせてくれませんか?」
 
「お前に?いや、お前ならばうまくやれるであろうが、どうするつもりなのだ?」
 
「まずはフロリア様と、2人で話をさせていただけるとありがたいのですが。」
 
「2人でと言うことは、伴をつけずに2人きりでか?」
 
「私を信じてくださるのであれば、そうしていただけるとありがたいですね。20年前、フロリア様の身に何が起きていたのか、本当のところを知っているのは、私と私の妻の他には、レイナック殿だけかも知れません。オシニスさんもすべてを知っているわけではないと思います。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 レイナック殿が、不意に私をじっと見つめた。
 
「・・・なにか?」
 
「おそらく、わしもすべては知らぬのだろう。そうではないのか・・・?」
 
「・・・・・・・・。」
 
「フロリア様の身に何が起きていたのか、それはわしもお前から聞いた。聞いた以上のことは知らぬ。そしてお前もウィローも、わしにすべてを話したわけではないはずだ。」
 
「・・・申し訳ありません。」
 
「ふむ・・・やはりな・・・。」
 
 レイナック殿は小さくため息をついた。
 
「お前をフロリア様と2人きりにしたところで、何か間違いが起きるとも思えぬし、問題はないだろう。明日の夕方時間を作ってある。リーザも侍女達も下がらせるから、じっくりと話をするといい。」
 
「ありがとうございます。」
 
 レイナック殿はふぅっとため息をつき、ソファに寄りかかった。
 
「しかし・・・やはり正攻法が一番だったようだな・・・。」
 
「え?」
 
「お前にフロリア様のことを頼むのに、さてなんと言って頼もうかといろいろ思案しておったのだ。この20年間、お前が王国に出て来たがらなかったのは明白。その理由があの時持ち上がった結婚話だけではないにせよ、お前がフロリア様と喜んで話したいとは思っておらぬだろうと、わしは考えたのだ。ではどうやってフロリア様と話してもらうか。正面から行くか、脅しをかけるか、はったりをかますか、怒らせて言葉のあやで約束を取り付けてしまうか・・・とまあ、いろんな可能性について、検証してみたというわけだ。」
 
「・・・正攻法で話していただいて、よかったと思いますよ。もしも何か策を弄されたら、それこそ何かよからぬ意図があるのかと勘ぐってしまいますからね。」
 
「ふむ・・・全くだ。わしには他意はない。ただ、フロリア様に元気を取り戻していただきたい。そのためにお前に話し相手になってもらいたい、それだけだ。よろしく頼むぞ。・・・今となっては、お前だけが頼りだ・・・。」
 
「わかりました。出来るだけのことはします。」
 
 
 レイナック殿の部屋を出て、病室へと戻った。もう夕方だ。食事の配布が始まっている。ちょうど配られた食事をテーブルに置きながらセーラが、少し前にカインが来ていったことを教えてくれた。
 
「私もちょうどいなかったのよ。打合せはあとにしようって言ってたそうよ。仕方ないわね。忙しいみたいだし。」
 
 妻もたまたまイルサとお茶を飲みに病室を出たあとだったらしく、カインには会えなかったそうだ。そんな話をしながら、妻は私と目を合わせようとしない。
 
「そうだね、そのほうがいいかもしれないな。」
 
 祭りの裏で進行している陰謀に備えて、休暇中の王国剣士にも招集がかかり始めているらしい。当分は厳戒態勢が続きそうだが、祭りを中止するわけにも行かず、王国剣士達にとってはかなり厳しい状況下での警備となりそうだ。私はいつものようにライラの診察をして、妻と一緒にイルサを送ってから宿へと戻った。王宮から宿までの間、妻は一言もしゃべらなかった。
 

第61章へ続く

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