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「それはお前次第だよ。それにあの頃は、ちょっと町の外を歩けばモンスターに出くわすような時代だったんだから、いやでも強くなるさ。誰だって死にたくはないからね。」
 
「そ、そうか・・・そうなんだよね。僕の生まれるちょっと前まではそんな時代だったんだよね。」
 
「そう言うことだ。平和なのが一番だよ。腕を磨くにはがんばって訓練しないとね。」
 
「うん、がんばるよ。でもね、今のところ城下町の商業地区の見回りくらいしかさせてもらえないんだ。剣士団長が言うには、僕の剣の腕はまだまだだって。自分ではかなり使えるようになったつもりだったんだけど。また父さんに稽古をつけてもらおうかな。」
 
「へぇ・・・。今は自由警備なんてないのかな。」
 
「自由警備?」
 
「そうだよ。昔は、入団してから3年くらいまでは、決まった警備場所のローテーションに入るってことはなかったんだ。時々剣士団長から場所を指定されて、そこに行ったりすることはあったけどね。でも普段は、自分の実力に合わせて少しずつ警備範囲を広げていかなくちゃならなかったから、その点は大変だったよ。いつまでも同じ場所ばかり歩いていても腕は上がらないし、かと言って自分の実力に見合わない場所に迷い込んだりすると、えらいことになるからね。」
 
 実は私もそう言う経験があったが、そのことは黙っておいた。昔のことを思い出すたびに、少しずつ動悸が激しくなっていく・・・。
 
「いいなあ・・・それ。そんな規則だったら、僕はすぐにでも南地方に行っちゃうだろうな。」
 
「そう言うバカなことを考えるお前のような奴がいるから、きっと変わったんだよ。」
 
「えー?ばかにしないでよ。僕だって南のほうの警備くらいヘッチャラさ。」
 
 確かに昔ほど狂暴なモンスターはいないだろうが、モンスターの脅威が減れば旅人が増える。旅人が増えれば盗賊も増える。今のカインではおそらく、あの時の私の二の舞になるだろう。
 
「そう言う慢心が危険を招くんだよ。それに、お前はもう王国剣士として仕事をしているんだから、いつまでも父さんを基準にしてないで、剣士団の中で誰か目標になる人を決めて頑張った方がいいんじゃないのかい?」
 
「でもさ、入団試験に行く前まで父さんには全然かなわなかったんだもの。まずは打倒父さんさ!」
 
「うーん・・・お前が剣士団に入る前ならともかく、今はどうかなあ・・・。」
 
 剣士団の中で3ヶ月間もまれてきた息子の剣に、いまさら私が教えることなどあるのだろうか。もっとも私も、カインに手抜きなしで相手をしたことはなかったから、もしカインが3ヶ月間みっちりと訓練してきたならば、あとは本気の真剣勝負と言うことになるだろうが・・・。
 
「とりあえず一度手合わせをしてみればいいんじゃないの?父さんが負ければ、カインがそれだけ強くなっているってことよね。」
 
 からかうような口調で妻が折衷案を出す。
 
「え、えーと、父さんを負かせるかどうかはちょっと自信ないんだけど・・・。」
 
 カインが情けない声を出した。
 
「ははは、じゃあとで一度手合わせしてみようか。」 
 
「うん、お願いします。父さん。」
 
 カインは突然居住いを正して、私に深々と頭を下げた。息子が急に大人びて見えたような気がした。
 
「昨日・・・あれからずっと考えていたんだ。父さんが言うように、今の僕はきっとまだまだ未熟なんだって思ったよ・・・。でもやっぱり、僕はフローラを諦めるなんて出来ない・・・。だから頑張って、出来るだけ早く一人前になりたい・・・。そして・・・フローラと結婚したい・・・。フローラにそばにいてほしいし、離したくないんだ・・・。剣の腕を磨く動機としては不純かもしれないけど・・・でも、フローラのためならがんばれる。どんなことでも乗り越えられる。それに・・・シャロンのことも気になるし、何か事情があるなら、僕でも手助け出来ることがあるなら、何とかしてあげたい。僕は王国剣士なんだから、何か起こってからじゃなくて、起こる前に防ぐことも考えないといけないと思うんだ。仇だかなんだか知らないけど、シャロンが何かよくないことに巻き込まれていたとしても、何も起こらないうちにくい止めることが出来れば、問題はないはずだからね。」
 
 カインは私をまっすぐに見つめてきっぱりと言った。カインの二次試験の話で店での失態を暴露され、赤くなってもじもじしていたフローラだが、この言葉には感激したらしく、隣でそっと目頭を押さえている。どうやらカインは本気でフローラと結婚するつもりらしい。真剣な気持ちが伝わってくる。剣の腕は実際に見てみないと、果たしてどの程度になっているのかわからないが、考え方は立派なものだ。私で手助け出来ることがあるのなら、何とかしてやりたい。
 
「・・・わかった。お前にそれだけの覚悟があるなら、父さんもそのつもりで相手をするよ。でも明日はちょっと無理かもしれないな。カイン、お前いつまでこっちにいられるんだい?聞いてなかったような気がするんだけどね。」
 
「あ、そう言えば言ってないや。」
 
 カインはけろりとしている。
 
「えーとね。二週間もらってきたけど行きと帰りがあるから、ここにはうーん・・・一週間くらいならいられるかな。」
 
「一週間か・・・。そうだな。王宮からローランまで二日かかって、それからこの島まで船で一日かかってるんだから。でも余裕を持って少し早めにここをでたほうがいいかもしれないな。城下町の中はますます人が出ているだろうから、間に合わなかったりしたら大変だよ。父さんのほうは・・・そうだな。明日の午後か、明後日くらいなら時間がとれると思う。」
 
「そうだね。休暇明けまで遅刻してたんじゃ笑われちゃうからなあ。それじゃ父さんの時間が出来るまでは、僕は一人で稽古してるよ。」
 
「その前にちゃんと洗濯はしておきなさい。一人前の剣士が洗濯も出来ないようじゃ恥ずかしいわよ。」
 
 忘れちゃ困るとばかりに妻が口を挟んだ。
 
「わかってるよ。でも明日は母さんがやってくれるんだったよねー。」
 
「明日はね。でもこのときとばかりにたくさん出したりしないでよ。少しだけだからね。」
 
「はーい!」
 
 カインはにこにこ顔だ。
 
「カインちょっと待て。今『休暇明けまで遅刻してたんじゃ』って言わなかったか?」
 
「え・・・?あ、あの、それは・・・。」
 
 思いがけない私の言葉にカインはかなり焦っている。聞いた時にすぐに尋ね返そうとしていたのだが、妻が口を挟んだので黙っていたのだ。
 
「あらやだ。カイン、あなたそんなにしょっちゅう遅刻してるわけ?」
 
 妻もカインを睨んでいる。
 
「えー・・・その・・・さてと、そろそろ寝ようかな。」
 
 この期に及んでとぼけ通そうとしている息子の顔を見て、私は思わず吹き出してしまった。そんな私を横目で見ながら妻が、
 
「あきれた・・・。あなたねえ、仕事に遅刻するってことがどういうことなのか判ってるの?そう言うのを無責任て言うのよ!」
 
そう言って大きなため息をついた。
 
「カイン、剣士団は相変わらず寝起きの悪さは気にしないのか?」
 
 私は笑いをかみ殺しながら尋ねた。
 
「えーと・・・ちょっとは・・・気にしてるみたい・・・。」
 
「それじゃがんばって規則正しい生活をしなさい。剣士団での生活ペースは出来るだけ乱さない方がいいよ。でないと向こうに戻った時に大変な目に遭うからね。それでなくても遅刻王ならなおさらだ。」
 
「遅刻王・・・。はーい・・。わかったよ・・・。それより、ねぇ父さん、父さんの話聞かせてよ。さっきから聞いてるのに、何かうまく話をはぐらかされているみたいでさ。」
 
「はぐらかしてるわけじゃないよ。父さんや母さんとしては、自分の話をお前に聞かせるよりもお前の話を聞きたいんだよ。お前が一人で王国に出ていって、どんなことをしていたのか、そっちのほうが遙かに気になるじゃないか。一緒について行くって母さんが言ったのに、お前が一人で行くって言い張ったから行かせたけど、ずっと心配してたんだよ。」
 
「僕のほうは・・・昨日の話のとおりだよ。」
 
「昨日の話って・・・昨日お前が話してくれたのは、剣技試験での話だけじゃないか。」
 
「そうだよ。別に他に話すことなんてないよ。その前って言ったら、王国に出ていってから父さんに言われたとおり、城下町の『我が故郷亭』に泊まって、落ち着いた頃に試験を受けに行って・・・。」
 
「それで試験中に壁に激突して鼻血出したわけね。」
 
 妻が横からまぜっかえす。
 
「そ、それは・・・緊張しちゃってたから焦っちゃって・・・。もう!いいじゃないか、そんなこと。」
 
 失敗談を蒸し返されてカインが赤面した。
 
「とにかく!!今は王国剣士として大活躍中!!・・・の予定さ。」
 
「予定か・・・。いつまでも予定のままで終わってしまわないようにね。ところで『我が故郷亭』はどうだった?今もマスターはいるのかな・・・。」
 
「僕が行った時にカウンターにいたマスターは・・・多分父さんと同じくらいだったような気がする。そんなに歳取ってなかったよ。だから父さんが知ってるマスターとは別な人かもね。」
 
「そうか・・・。それじゃマスターは引退したのかな・・・。今は誰がやっているんだろう・・・。」
 
「あ、そういえば、奥の方から『おーいラド』って声が聞こえてたなぁ。その時マスターが返事してたよ。」
 
「へぇ・・・。それじゃあのマスターは店をラドに譲ったのか・・・。」
 
「あの店のマスターと父さんは知り合いなの?」
 
「いや・・・。知り合いって言うんじゃないよ。ただ、父さんも王国に出ていった時、最初にあの宿屋に泊まったんだ。とても感じがよかったし、食事もおいしかった。それに部屋も清潔で鍵もしっかりしていたからね。あの店は城下町でも、誠実な商売をしている店として評判のいい店だったんだよ。だから、あの店なら田舎者が一人で泊まっても大丈夫かなと思ったんだ。最も父さんが泊まってからもう随分過ぎているけど、あの店のマスターは、きっとおかしな人間を後継者にしたりしないって思ってたんだよ・・・。ラドなら納得だな。」
 
「ふぅん・・・。それだけ?」
 
「それだけだよ。どうしてそんなことを聞くんだ?」
 
「だって、僕が父さんの名前出した時、あそこのマスターすごく懐かしそうにしていたからさ。だからてっきり昔からの知り合いなのかと思ってたよ。」
 
「まぁ・・・王国剣士になってからも、何度か世話になったことは確かだけどね・・・。」
 
「それじゃさ、その頃の話聞かせてほしいなぁ・・・。駄目なの?」
 
「いや、駄目ってわけじゃないけど・・・どうしてそんなことを聞きたいんだ?今は時代が違うんだから、今さら20年も昔の話なんて参考になるとは思えないけどね。」
 
 一昨日妻に昔話をした時は、何となく話す気になれないというだけだった。だが今は、昔のことを思い出そうとするたびに、脳裏に浮かぶ凄惨な光景が鮮明さを増していく。頭の奥が痛み出して背筋が寒くなる。冷や汗が背中を流れていく・・・。出来ることなら、これ以上何も思い出したくはない・・・。カインは私のそんな気持ちを知るはずもなく、にこにこしながら私に期待のこもった視線を投げかける。
 
「だってさ、父さんが王国剣士だったのは・・・えーと・・・今から20年くらい前だっけ?」
 
「そうだね・・・。そのくらいかな・・・。」
 
「そっか・・・。その頃ってさ、よく『エルバール王国存亡の危機』って言われてた時だよね。」
 
「そうだね・・・。」
 
「考えてみるとすごい時代だったんだよね・・・。そんな時代に父さんは王国剣士だったんだから、当時のことを色々知ってるよね。僕が剣士団に入る前は父さん何にも話してくれなかったし、僕もそんなに気にしなかったんだけど、昨日父さんが南大陸に行ったって言う話聞いたら、もっとその頃のこといろいろと知りたくなったんだ。今自分がいる剣士団て言う場所がどういう場所で、今までどんな歴史を歩んできたのかとか・・・。。」
 
「そうか・・・。お前は昔から、いろんな歴史が好きだったからね。でもそんな話なら、王宮の図書室にある歴史の本でも読めば判ることじゃないか。一通りは読んだんだろう?」
 
「そりゃそうだけどさ・・。やっぱり実際に体験した人達の話を聞きたいよ。それにね、僕が入団したあと、古くからいる人達はみんな僕を何か感心したような目で見るんだよね。最初は成績優秀で期待されてるのかなー、なんて思ってたけど、あれってよく考えると父さんのことをみんな知ってたからなのかなって思ってさ。」
 
 カインは得意げにへへっと笑ってみせる。
 
「成績優秀・・・そんな思い込みが出来るってのも一種の才能なのかな・・・。まあいいか・・・。お前にそのころの話はしたことがなかったっけ・・・。」
 
「いいじゃないか、それで自信がつくなら・・・。とにかく!教えてよ。僕の名前を貰ったっていう相方だった人のことだって全然教えてくれなかったし。」
 
 ズキンと胸の奥が痛む。私は深呼吸して、前に座る息子を見た。『カイン』という名の王国剣士がここにいる・・・。希望に満ちて輝く瞳で私を見つめている・・・。あの頃、私もこんな瞳をしていたのだろうか・・・。
 
「それは自信と言うより『慢心』というんだよ・・・。仕方ないな。それじゃ、少し話してあげようか。思い出しながらね・・・。」
 
「ほんと?やった!父さんが島にいる時のことは、外を歩けば色々と教えてくれる人はいたよ。おじいちゃんのこととかもね。ダンおじさんなんて、父さんは聖戦竜と戦ったんだなんて言ってたけど、夢でも見たのかな。すごい夢だよね。でも王国に出ていってからの話は誰もしてくれないもの。それに、母さんと知り合う前までの話は父さんが教えてくれなきゃわからないよ。だから、その辺の話を聞きたいな。」
 
 カインは身を乗り出してくる。色々と教えてくれる人というのは、多分ダンさんだけではないだろう。ドリスさんもサンドラさんも、カインが聞けば自分の知っていることは・・・いや、知らないことでもそれらしく脚色して、話してしまいそうなほどだ。イノージェンだってライザーさんが隣にいなければ、きっといくらでも私のことを話しそうな気がする。誰も父や私の悪口を言う人はいない。それは判っているが、自分の知らないうちに、自分の昔のことがすっかり息子に知られているというのも、何となく奇妙なものだ。それならばせめて私の口から、あの頃の出来事をきちんと伝えておくべきかも知れない。それが親としての・・・いや、私自身の義務なのかも知れない・・・。そう自分に言い聞かせ、息子と、隣にいる妻とフローラの顔をゆっくりと見渡した。
 
「そうだな・・・。それじゃお前が興味ありそうな話だと、多分父さんの採用試験の話あたりからかな。」
 
「うん!!聞きたい聞きたい!!」
 
 カインは大はしゃぎだ。
 剣士団の入団試験・・・。あの階段を上がった時から、私の人生は大きく変わった。もしもあそこで引き返していたら、私は剣士団に入ることはなく、きっと数々の悲しい出来事には遭わずにすんだ。だが、妻にも出会うことはなかっただろう。そうしたら私は、今頃どうしていたのだろう・・・。何かの商売でもしながら、都会の片隅で今も細々と暮らしていたのだろうか・・・。それほど悲しい出来事にも出会わないかわりに、たいした喜びにも出会うことはなく、ただ毎日を生きていたのだろうか・・・。いや・・・きっと私には、他の選択肢などあり得なかったのだ。
 
 せめて・・・この話を息子に話し終えるまで、めまいや動悸がしませんように・・・。背筋を伸ばして話し終えることが出来ますように・・・。そう祈りながら、再び私は記憶を辿っていった。









 階段を上がるとカウンターがあるのが見える。そこが試験の受付らしかった。だが、一歩踏み出して申し込みをするための勇気がまだ少したりない。それでも何とか自分を奮い立たせて声をかけた。
 
「あ、あのぉ・・・ここは・・・。」
 
 言い終わらないうちに、窓口に座っていた私より5〜6歳くらいは上かと思われる青年が立ち上がって私に微笑みかけた。よく見ると青年は剣士団の制服を着て、その上に青みがかった光沢のある鎧を身につけている。この人も王国剣士らしい。
 
「はい、ここでは王国剣士団に入団するための試験を行っています。入団希望者ですか?」
 
「あ、あの、それで、その・・・。」
 
 受けようかどうしようか、決めかねている私の言葉は今ひとつ要領を得ない。
 
「・・・一通りの武装はされているようですが・・・肝心の心のほうがまだ決まっていないと言ったところですね。」
 
「・・・・・・・。」
 
 ズバリと言い当てられ、私は黙り込んでしまった。受付の剣士はそんな私を見つめながら、笑顔を崩さず言葉を続ける。
 
「・・・王国剣士は・・・危険な仕事です。生半可な覚悟では務まらない、きつい仕事です。そう言う世界に身を投じるだけの覚悟がないのなら、私に背を向けて、今昇ってきた階段を降りていくのがいいでしょう。決めるのはあなたです。試験自体は特別難しいわけではありません。採用担当官に剣の腕を見せる、つまり私と剣を交えていただければいいのです。剣の腕が認められますと、仮入団と言うことで、剣士団の宿舎で生活することになります。その後研修期間を無事に終了することが出来れば、正式入団となるのです。まあ準備もあるでしょうし、決心がついたらいらしてください。新人剣士の募集は常時受け付けておりますから、いつでも構いません。」
 
 剣士団に入ることが出来れば、とりあえずの衣食住には困らなくてすむ。とはいえ、そんな理由で入団しようとするのはとても不純で、情けなく思えた。さっき出会った王国剣士、ティールさんとセルーネさんは、この王国を護るために自分を盾にして頑張っているというのに・・・。こんな私に、試験を受ける資格があるのだろうか・・・。
 そんなことを考えていた私の脳裏に、さっきの母子連れや宿屋のラドの顔が浮かんだ。モンスターに脅かされ、自由に外へも出ることが出来ない生活・・・。息を切らせて追いかけてきてくれたセディンさんの顔・・・。父の遺した楽譜・・・。そして、イノージェンの顔・・・。次々と浮かんでは消えていく。
 
(この試験を突破することが出来れば・・・少しずつでもこの世界を変えていけるかも知れない・・・。)
 
 他人が聞いたら、笑うかも知れない。昨日や今日王国に出てきたばかりの田舎者が、何を身の程知らずなことを言うかと思われるだろう。実際私自身にも自信など全くなかった。しかしここで背中を見せたら、私はこのエルバールの地でこれからずっと、何事にも背中を向けて暮らしていくことになるだろう。泊まる場所や食事などなら、どんな仕事についても何とかなるかも知れない。でもこの世界を変えたいと本気で思うのなら、選ぶべき仕事はこの仕事しかない・・・そんな気がした。
 
(もう故郷には戻れない・・・。ここで生きていく場所を見つけなければ・・・。)
 
 勇気を振り絞り、受付の剣士に向かって声をかけた。
 
「あの、ぜひ今・・・受けさせて・・・ください・・・。」
 
 言葉の最後は消え入りそうだった。自分としては必死で言ったつもりだったのだが、いかにもとってつけたような言い方になってしまった。
 
(こんな弱腰じゃ、受けさせてももらえないかも・・・。)
 
 私はいささか不安になった。しかし私の予想に反して、
 
「わかりました。では剣技の試験の説明をします。あなたの左手にある扉を入って、進んできてください。それだけです。荷物などはこの辺りに置いていただいて構いませんよ。こんなところまで泥棒が入り込んだりはしませんからね。」
 
その剣士は、カウンターの左隣にある小さなドアを指さしながら説明してくれた。
 
「それだけ・・・ですか?」
 
 私はきょとんとして聞き返した。
 
「それだけです。あ、そうだ。自己紹介がまだでしたね。私としたことが失礼しました。私はランド。王国剣士団の採用担当官です。私自身も王国剣士で、入団して5年になります。」
 
 言われて初めて、自分の名前を名乗っていなかったことに気づいた。
 
「あ、私こそ、失礼いたしました・・・。私は・・・。」
 
 名前を言いかけた時、
 
「おお、久々の新人か。」
 
 汗を拭きながら近づいてきたのは、ランドさんよりもかなり年上に見える剣士だった。太い槍を携え、やはり青みがかった光沢のある鎧をつけているが、着ている制服の色がランドさんの着ている物とは少し違う。
 
「おや、副団長めずらしいですね。ここで訓練なさるとは。」
 
「ははは。ここならいくら汗をかいてもすぐに風呂に入れるしな。いつもいつもロコの橋近くで砂埃ばかり浴びていると、汗で砂が体中に貼りついて、動くたびにじゃりじゃり言うんだ。」
 
 副団長と呼ばれた人は、大声で笑った。が、ふと私に視線を移し、
 
「この若者が新人剣士候補か。ふーむ・・・。」
 
 そう言うと私をじろじろと無遠慮に眺める。しかし不思議と嫌な感じがしない。副団長と言うからには腕の方は当然相当なものなのだろうが、それにもまして何か人を引きつけるものがある、そんな印象を受ける人物だった。
 
「あ、あの、クロービスと言います。よろしくお願いします。」
 
 何か言わなくてはまずいかと、思わず自己紹介した私を見て、副団長は一瞬きょとんとしたがまた大声で笑い出した。
 
「わぁっはっはっは!そうか、お前はクロービスか。俺はグラディスだ。さて、自己紹介したからには合格してくれよ。」
 
 そう言って私の肩をボンと勢いよく叩くと、笑いながら階段を降りていった。
 
「いやぁ、副団長に試験を受ける前に自己紹介したのはあなたが初めてですよ。」
 
 ランドさんも笑いをこらえている。私は恥ずかしさで真っ赤になってしまった。
 
「あ、あの・・・こんな時には黙っていてもいいものなんでしょうか・・・。私は・・・黙っているのは失礼な気がして・・・。」
 
 ランドさんは慌てたように私の言葉を遮り、
 
「あ、いや、そう言うことではありません。ただ、試験を受けに来る若者達は、みんなかなり緊張しているんです。誰に話しかけられても、返事をする余裕さえないものなんですよ。それなのにあなたが丁寧に自己紹介までしたものだから、私も驚いてしまいましてね。そう言うわけですから、あなたの行動が間違っていたなどと言うことはまったくありません。それどころか、今時の若者にしては、とても礼儀を心得た方だと私は思いますよ。」
 
にっこりと微笑んでくれた。
 
「さあ、では改めて、準備が出来たらどうぞ。クロービス。」
 
 ランドさんの穏やかな微笑みに、幾分緊張がほぐれたような気がした。
 
(この人は受付向きみたいだな・・・。)
 
 そんなことをちらりと考えた。もっともすぐあとに、私はこの認識がいかに甘いものであったか思い知ることになるのだが・・・。
 
 とにかく準備をと思ったが、武器は持っているし、さっき町の武具屋で鎧は修理してもらった。特別足りないものはない。ただ、間違っても室内で風水の呪文など唱えないようにしないと大変なことになる。剣技の試験と言うからには当然接近戦だろうから、弓も使えない。頼りは父の形見の剣のみ。もっとも父の形見の剣自体は立派なものだ。その剣を操る私の腕が一番の問題か・・・。
 
「ではお願いします。」
 
 私は腹を決めた。
 
「どうぞ。」
 
 ランドさんは相変わらず穏やかに微笑んでいる。 余分な荷物を降ろし、ドアを開ける。中は細長い通路が奥まで続いているだけだった。
 
(どうなっているんだろう・・・。)
 
 念のため剣を抜いて奥まで歩いていったが、私は狐につままれたような気持ちだった。すると突然目の前が開け、明るく広い場所に出た。正面に扉が一つある。
 
「ここは・・・!?」
 
 どうやらここが剣技の試験場らしいと気づいたその時、扉から先ほどの採用担当官ランドさんが入ってきた。
 
「剣士を志す者!!その力を見せろ!!」
 
 そう叫ぶと、まっすぐに私に向かって突進してくる。最初の一撃を、抜いておいた剣で辛うじてかわす。すぐさま下がって間合いをとり、向かい合う。ランドさんの顔から先ほどの穏やかさは消え失せ、眼光鋭く私を見据えている。すごい気迫だ。それなのに、構えはまるで流れる水のようにとらえどころがない。どこを攻めればいいのか判らないでいるうちに、ランドさんの剣はどんどん私を追いつめてくる。やっとの思いでかわしながら少しずつ後ろに下がる。もうあとがない。私は今度は横によけた。負けるかも知れない。やはり私には荷が重い挑戦だったのだろうか。少しずつ不安が心の中に広がっていく。
 
「言い忘れましたが、ここで降伏していただいても一向に構いませんよ。あなたが参ったと言えば、その時点で私は攻撃をやめます。当然不合格ですが、無理はしないのが一番ですからね。」
 
 ランドさんは涼しい顔で言いながら、なおも攻撃をかけてくる。体の真ん前に振り下ろされた剣をギリギリのところではじき返して、また右によける。降伏したほうがいいのだろうか・・・。私の剣の腕など、所詮剣士団で通用するほどのものではなかったと言うことか・・・。真剣を持ったのなど、ついこの間のことだ。父と剣の稽古をする時はいつも木刀ばかりだった。
 
(父さん・・・。)
 
 ふと・・・父の顔が浮かんだ。
 
 診療の合間を縫って、父が教えてくれた剣。真剣を使うわけには行かないからと、成長する私の体格にあわせた木刀を何本も用意して、父は熱心に教えてくれた。グレイもラスティも教えてもらっていたが、あの二人は護身用程度でいいからと、成長してからはあまり父の元には通わなくなった。だが父は、私には厳しいけれど優しく根気よく教えてつづけてくれた。
 あの島で他に剣を使う人などいなかったから、父の剣の腕がどの程度なのか、私にはわからない。そして自分自身も、果たしてちゃんと使えるようになっているのかさえ、よくわかっていなかった。相手の動きを見ること。見切ること。先を読むこと。攻撃の仕掛け方。攻撃のかわし方。大剣を振り下ろされた場合の防御。時には逃げも必要だからと、相手の剣先からするりと抜け出す方法等々・・・。
 
 小さなころから父と稽古を続けてきて、私は父の教えをちゃんと自分のものに出来たのだろうか。もっともっと教えてほしかった。まだまだ聞きたいことがあった。なのに父はもういない。父が犯したという大きな罪・・・。本当にそんな罪を犯していたのだろうか。私に剣を教えてくれていた時の真剣な眼差し。どんな時でも私の目をまっすぐに見て話をしてくれた、優しかった父・・・。
 
(父さん・・・。私は信じないよ。父さんが罪人だなんて・・・。)
 
 何があっても、父を信じよう。そして父が教えてくれた剣の腕を信じよう。そう心に決めた瞬間、ふっと視界が広がったような気がした。心の中に広がっていた不安はいつのまにか消え、勇気が湧いてきていた。
 
 父に教えられた剣の基本・・・。
 
「クロービス、まずは相手の動きを見ることだ。そして見切ることができるようになったら、次は先を読む。」
 
「先を読むなんてできるの?」
 
 私の質問に父は、
 
「訓練を積めばできるようになるよ。そうだな・・・。山に入った時に、動物達の動きをよく見てみなさい。動物達の動きには無駄がない。そして生きるために必死だ。そう言う動物達の動きを見切ることができるようになればたいしたものだ。そうすれば、その先を読むこともだんだん出来るようになるよ。」
 
笑顔でそう教えてくれた。見切ること・・・。ランドさんの動きは速い。そしてよどみがない。だがさっきよりずっとよく見えるような気がする。私はじっと止まったまま剣を構えて、ランドさんの次の動きを追った。そしてあたりをつけてその先に剣を繰り出す。だが軽くはじかれてしまった。
 
(見えてもダメージを与えられないんじゃ、意味ないか・・・。)
 
 急いで下がってまた間合いをとる。
 
「なかなかやりますね。あそこに剣を繰り出してくるとは。」
 
 ランドさんも後ろに下がりながら、感心したようにつぶやく。ランドさんの動きはまるでダンスのステップのように軽やかだ。私の剣は何度か彼に当たったものの、なかなかダメージを与えるところまでは行かない。
 
「不思議な剣さばきですね・・・。鋭さは感じられないのになぜだか防ぎにくい・・・。」
 
 不思議な剣さばき・・・。それもまた、私が父から受け継いだものなのだろうか・・・。が、ランドさんが次の瞬間、風のように素早く私の目の前に近づき、
 
「しかし・・・まだまだ未熟だ!」
 
そう叫んで振り下ろした剣が私の脇腹に命中した。
 
「・・・!!」
 
 痛みで声も出ない。視界がぐらりと揺れ、思わず膝をつきそうになるのをやっとの思いでこらえた。
 
「そんな痛みはこれから日常茶飯事ですよ。一つ間違えば待っているのは死です。今負けを認めて帰れば、痛い目にも遭わず死の恐怖も味わうことなく、穏やかな一生が送れる。」
 
 言いながらランドさんはひらりと後ろに下がる。
 
(穏やかな一生・・・?) 
 
 父を亡くしたその日から、すでにそんなものとは無縁な生活を余儀なくされてきた。父の死を悲しむ暇もなく、故郷の島をでて海底洞窟へと踏み出したあの日・・・。そしてこの地についてなお、素性を隠して生きていかなければならない・・・。尊敬する父の、最愛の父の名前を隠して・・・生きていかなければならない・・・。
 
「穏やかな一生など・・・私にはないんです・・・。」
 
 食いしばった歯の間から、思わず本音がこぼれ出た。
 
「ほぉ?穏やかな人生は、誰の上にも平等にあるものです。それに手を伸ばすかどうかはその人次第ですがね。」
 
 ランドさんは挑発するように私の言葉尻を捉える。
 父の顔、イノージェンの顔、ブロムおじさんの顔、そして島の人達の・・・顔、顔、顔・・・。
 様々な顔が頭に浮かぶ。もう戻れない。私には先に進む道しか残されてはいない・・・!
 
「そんなものがほしいのなら・・・最初からここには来ません・・・!!」
 
 そう叫んだ私の内側から、何か得体の知れない力がわき上がってくるような気がした。その衝動のままに私は剣を振り上げ、ランドさんの真ん前に躍り出ると思い切り剣を振り下ろした。
 
「それまで!」
 
 その声で我に返ると、ランドさんが握手を求めてきた。もう最初に会った時の穏やかな表情に戻っている。
 
「おめでとう、合格ですよ。」
 
 握った手の肩口から手のひらにかけて血が滲んでいた。
 
「あ、す、すみません。手を出してください。」
 
私はランドさんの肩口に手を当てると、治療術の呪文を唱えた。ゆっくりと血が止まっていく。傷は塞がったのだろうか・・・。
 
「ほお、あなたは治療術の使い手でしたか。」
 
「え、ええ、父に手ほどきを・・・。」
 
 言いかけて、しまった!と思った。父のことは伏せて置くはずだったのに。何か聞かれるかとヒヤヒヤしたが、ランドさんは私の父の話には興味を示さず、
 
「剣士団の中でも治療術の使い手はなかなかいないんですよ。」
 
そう言うと、不思議そうに自分の肩をなでている。
 
「まだ覚えたてなんです。だからちゃんと直らなかったかも知れません。すみません・・・。」
 
「とんでもない。助かりましたよ。ありがとう。」
 
 ランドさんはにこやかに答える。
 
「でも私は本当に合格したんですか?全然攻撃が効かなかったのに・・・。」
 
 何度攻撃を仕掛けても、簡単にかわされてしまっていた。当たった時だって、ランドさんは顔色一つ変えずに攻撃を続けていた。
 
「私は丈夫な鎧を着けていますからね。それに、私の動きにあそこまでついてこれる人間はなかなかいませんよ。何度ひやりとしたことか。採用担当官がこてんぱんにやられてしまっては示しがつきませんからね。」
 
 ランドさんはおどけたように肩をすくめて見せた。
 
「あ、ありがとうございます。」
 
 私はやっとほっとした。この世界を変えるなどと言う大それたことが、自分に出来るとは思えないが、少なくともこれで可能性はゼロでなくなったことは間違いない。それに・・・必死で追いかけてきてくれた雑貨屋の親父さんにも顔向けができる。そして王宮の中にいれば、もしかしたら、父の遺した楽譜のことも何かわかるかもしれない・・・。
 その時、私は自分がほとんど傷ついていないことに気がついた。先ほどの脇腹の痛みも今は遠のいている。相手にほとんど傷を負わせずあれだけ圧迫感を与えられるとは・・・。私は終始不利な体勢で戦っていたような気がして、ずっと精神的に追いつめられていた。父のことを考えたおかげで精神的圧迫から逃れられたのかも知れない。
 人の剣の腕を計れるほど剣術に長けているわけではないが、それでもこのランドさんという人がかなりの腕なのだと言うことはよく判った。そして私に合わせて手を抜いていたであろうことも・・・。入団5年でこれだけの実力なら、さっき会った副団長の腕前は、そして団長は・・・。
 
(とんでもないところに来てしまったのかもしれない・・・。)
 
 いまさらながら不安になった。
 
「さて、クロービス、仮入団の手続きをしますのでこちらへどうぞ。」
 
 そういうとランドさんは私を試験場の外にあるテーブルに連れて行き、自分は隣のロビーのほうで誰かと何事か話していたが、すぐに戻ってきて自分も腰掛けた。
 
「まずは出身地を教えてください。」
 
「北の・・・島から・・来ました。」
 
「北の島?名前は何というのですか?」
 
「名前は・・・。」
 
 あの島に名前などない。『世捨て人の島』と呼ばれてはいたが、それは単なる通称だ。それを言うわけにも行かないだろう。
 
「名前は・・・。」
 
 言い淀む私に事情を察したのか、ランドさんはそれ以上聞こうとしなかった。
 
「まあいいでしょう。形式的なものですからね、こんな質問は。北の、島・・・と・・・。」
 
 聞いたままの名前を書類に書くランドさんの手許を見ながら、私はほっとした。私自身は故郷に対して何一つやましさなど感じたことはなかったが、ブロムおじさんが王国までの道すがら『島のことなど忘れてしまえ。』と何度も言っていたのが気にかかっていた。
 
「では、ご両親は?」
 
 両親・・・。父のことは言うわけにはいかない。しかしこの場合まるっきり嘘をつくというわけにもいかないだろう。
 
「私の母は・・私を産んですぐに亡くなりました。父は・・先日亡くなったばかりで・・・。」
 
「先日・・・?」
 
「はい・・・。10日ほど前です・・・。」
 
「そうですか。つらいことを聞いてしまいましたね。するとあなたのご家族は他には?」
 
「いません。」
 
 家族同様というならブロムおじさんだが、王国に来ることが出来ないとあんなにつらそうに言っていた人の名前を、ここで出すわけにもいかない。私は改めて、自分がこの王国の中で天涯孤独なのだと思い知った。
 
「なるほど・・。しかし困ったな。王国剣士には、誰かしら身元引受人が必要なんです。万一のことがあった時に遺体の引き取り手がいないのでは困りますからね。まあ遺体が残ればの話なのですが・・・。縁起でもないことを言うと思うでしょうが、それが現実でね。」
 
「あの・・・。」
 
 私はこの時、王宮に足を踏み入れてから実はずっと迷っていたことを、思いきって尋ねてみることにした。
 
「誰か心当たりがありますか?」
 
「あの、剣士団にライザーさんという方は・・・。」
 
「ライザー?ああ、いますが・・・あなたの知り合いですか?」
 
「あの・・・同郷なんです・・・。」
 
「あなたが・・・?ライザーと?」
 
「はい・・・。」
 
「ちょっと待ってください。」
 
 ランドさんは怪訝そうな顔をしたものの、隣にあるロビーに出ていくと、
 
「おい、ライザーをちょっとここまで呼んできてくれないか。」
 
 誰かに頼んでいるらしい。そう言うとまた戻ってきた。
 
「ちょうど休憩時間のようですから。ここに来るように伝えましたよ。」
 
「・・・はい。」
 
 私はもう後悔していた。私はライザーさんの顔を覚えていない。ライザーさんも私のことなど判らないだろう。へたに父の名前でも出されてしまったら・・・。うなだれて考え込んでいた私の耳に足音が近づいてきて、私の後ろで止まった。
 
「ランド、何か用か?」
 
 少し低目の涼やかな声。
 
「ああ、ライザー、休憩中だってのにすまないな。」
 
「いや、それは構わないけど・・・。何か用事だったのか?」
 
「実はたった今、めでたく仮入団扱いになったこちらの彼なんだがな。身元引受人がいないらしい。お前の同郷だというので来てもらったんだが、知っているか?名前はクロービスだ。」
 
 私はおずおずと振り向いた。
 そこに立っていたのは・・・明るい栗色の髪を掻き上げながら、優しい瞳で不思議そうに私を見つめる、長身の青年だった。

第7章へ続く

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