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 さっきのライラの話を、妻に一通り話して聞かせた。ライザーさんが剣士団を辞めた理由をとても知りたがっていたこと。オシニスさんに会いに来ないことを責めるような言い方をしていたこと。でもつまるところ、初めての実験を成功させなければという重圧、自分達を狙う何者かへの恐怖と不安を、城下町に出てきているはずなのに昔なじみの前に姿を現そうとしない父親に、すべてぶつけてしまっているのかも知れないと・・・。
 
「不安になることばかりなのね・・・。かわいそうに・・・。」
 
「カインの脳天気さを分けてやりたいくらいだよ。」
 
「ふふ・・・あの子が病室に来て大騒ぎしてくれれば、ライラも少しは気が晴れるかもね。」
 
「明日も来るようなことを言ってたからね。アスランのほうはもう、見舞いの制限も要らないくらいなんだけど、イルサのためにはもう少しこのままのほうがいいのかなあ。」
 
「そうねぇ・・・。もうお任せしてしまったんですものね。あのハインツ先生って、かなり細かいところまで考えてくれているみたいだから、案外そこまで気を使ってくれたのかもね。」
 
「そうか・・・。そうかも知れないな・・・。」
 
 アスランの入る部屋にライラが入った時も、そのことを心配してくれていた。やはりよけいなことは言わずに、全面的に任せることが一番いいようだ。私は私のすべきことをしよう。
 
「明日のことなんだけどね。午前中、ちょっと寄り道してくるよ。」
 
「あらどこに?」
 
「教会と、この間のコーヒーショップさ。」
 
「教会はわかったけど・・・・どうしてあの店に?」
 
「あの店のマスター夫婦は、ライラとかなり親しいみたいだ。当然、よほどの機密事項でもない限り、ライラがあの夫婦にいろいろと仕事のことを話している可能性はある。」
 
「・・・疑ってるの・・・?」
 
「疑うべきか信じるべきか、それを見極めてくるよ。」
 
 どこにも安全な場所などない。だが、作ることだって出来るはずだ。あの夫婦がライラの敵に回る危険性がないのなら、ある程度今後のことを頼んでおくことが出来るかも知れない。もちろん、彼らがいやでなければの話なのだが・・・。裏世界と関わりそうなことになど首をつっこみたくないと言われても、それは仕方のないことだ。
 
「そう・・・。私はてっきり、さっきのアスラン達の話の確認にでも行くのかと思ったわ。」
 
「今更聞いても仕方ないさ。もう昔のことだよ。正直言って、かなりびっくりしたけどね。」
 
「・・・そうね・・・。子供達が偶然に出会うなんてね・・・。」
 
「でもうれしかったことも確かだよ。あの人もやっぱり、元気であの町を出て幸せになっているんだなって思ったからね。」
 
「そうね・・・。これで2人か・・・。あとの2人はどうしているのかしらね・・・。」
 
「聞けそうなら、そのうちセーラさんに聞いてみようか。」
 
「そうね。それじゃ私は、明日はずっとライラの病室にいることにするわ。イルサも一緒にいると思うし。」
 
「うん。私も護衛を引き受けた責任があるから、イルサを迎えに行って一度病室に顔を出すよ。それからオシニスさんに話をして出掛けようと思ってる。」
 
「ええ、わかった。さ、それじゃ明日に備えて、たくさん食べなきゃ。」
 
「そろそろ食事が届くかな。」
 
 混んでいるせいなのか、今日はいつもより届くのが遅い。
 
 
「ごめんなさ〜い。遅くなっちゃった!」
 
 扉がノックされ、ミーファが食事を入れた大きな箱のようなものをぶら下げて駆け込んできたのは、それから少し過ぎた頃のことだった。
 
「下がもう忙しくて、本当にごめんなさい!おなかすいたでしょう?」
 
「大丈夫だよ。食べられればいいんだから。」
 
「ふふふ、優しいのね。はい、いつもの特製ディナーよ。」
 
 そこにまた扉がノックされ、ノルティが駆け込んできた。
 
「はい、遅くなったお詫びです!『我が故郷亭』自慢のビールをどうぞ!食事に合わせてハーフサイズのジョッキにしてありますので、もの足りなければ遠慮なくお代わりしてくださいね。」
 
「なんだかかえって申し訳ないな。そんなに気を使わなくてもいいのに。」
 
「いえ、お客様は平等にがモットーなのに、結果的に後回しにしてしまったわけですから。当店からの気持ちです。」
 
「ありがとう、遠慮なくいただきます。今日は芝居には出ないのかい?」
 
「僕の出番は明日からです。あの、先日は芝居を見に来てくださってありがとうございました。先生からお客さんの感想を聞いて、すごくうれしかったです。」
 
「先生?」
 
「受付で切符を切っているのは演劇学校の先生なんです。生徒や団員の関係者に配るチケットで見に来てくださったお客様には、それとなく感想を聞いて、あとで教えてくれます。たいていの皆さんは相手が先生とは知らずに本音で感想をくださるので、すごく勉強になるんですよ。」
 
「へぇ・・・すっかりだまされたな。」
 
 あの如才ない切符きりは、あの先生の『演技』だったのか。きっと彼自身もすばらしい役者なのだろう。
 
「もしよろしければまた見に来てください。ではごゆっくり。」
 
 
 いろいろなことが起きた一日だったが、多少なりともうれしい出来事もあった。明日はもっと、うれしい出来事があるだろうか。
 
 
 
 翌日、私は一人で商業地区の奥に来ていた。今朝一度王宮に出掛け、イルサを迎えに行ってまっすぐライラの病室へと送っていった。ライラの具合を診て、もう一度治療をしておいた。首を回したり、腕を引っ張ったりしている横で、セーラが落ち着かなげに見ていた。デンゼル先生は整体はしないらしい。この治療に力は必要ないのだが、体は使う。昔は多少やっていたような記憶があるが、さすがにあの歳では無理があるかも知れない。ライラの手のしびれは少しとれてきたらしい。異常を感じてからすぐに対処したのがよかったようだ。昨夜はアスランといろいろと話をしたそうで、すっかり仲良くなったらしい。午後からもう一度きちんと診療することにして、妻とイルサを病室に残し、一人剣士団長室に出向いた。
 
 
「・・・コーヒーショップの夫婦?」
 
「ええ、ライラから聞いたことはないですか?」
 
 相変わらず机の上に山と積まれた書類をうんざりと眺めていたオシニスさんは、私の訪問を笑顔で迎えてくれた。どうやら私は、書類仕事をさぼるための理由にされるらしい。
 
「あるぞ。なんでも昔歓楽街にいた娼婦と、その店の用心棒だった男が所帯を持って始めた店だとか。ライラの奴はだいぶ気に入ってるようだな。」
 
「そのようですね。いい店ですよ。」
 
「・・・そのいい店に、何か怪しい動きがあるってことか?」
 
「怪しい動きが起きてからでは遅いかと思いましてね。」
 
「・・・まあそれもそうだな・・・。だがあの店の夫婦はお前の知り合いだったって話じゃないか。昔助けてもらったとか。それでも疑うのか?」
 
「私としても疑いたくはありませんが、今の状況では安易に信じることも出来ない。もう少し詳しく調べて信頼するに値するとわかれば、少なくともライラはあの店にいるときだけは、安心していられるようになるかと思うんです。」
 
『あのコーヒーショップの夫婦について少し調べたい』
 
 私はそうオシニスさんに言った。教会でライザーさんの行方を尋ねるつもりだと言うことは言わなかった。
 
「なるほどな・・・。ま、俺としてはお前にそこまでやらせていいものかどうかという迷いがあるのも確かなんだが・・・実のところ、今の状況で自由に動けるのはお前だけだからな。無茶さえしないでくれればいい。」
 
「わかりました。病室にはウィローがいますが、くれぐれも警備のほうはお願いします。」
 
「ああ。二度と昨日のような不始末は起きないようにするよ。」
 
「誰なのかはわかったんですか?」
 
「いや、まだだ。昨日執政館勤務だった連中のリストアップが終わったからな。これからそいつらに聞いてまわる予定だ。」
 
「怒った顔で聞かないようにしてくださいよ?」
 
「なんだそりゃ?」
 
「団長が眉をつり上げて質問してきたら、言いたいことも言えなくなってしまいますからね。」
 
「ふん・・・まあせいぜい笑顔でも作るさ。」
 
 言いながらオシニスさんは笑顔を作ってみせたが、笑いたくもないのに作る笑顔は見事にひきつっている。
 
「それもどうでしょうねぇ。」
 
 この顔で質問されたらかえって恐い。
 
「・・・どうしろってんだよ・・・。」
 
「普通にしていればいいんじゃないですか?笑ったり怒ったり、あんまり表情を表に出すと、変に思われますよ。」
 
「難しい注文だな・・・。まあいい、なんとかするさ。」
 
「今日の夕方には成果が出ることを期待してますよ。」
 
「だといいがな。」
 
 
 
 今私がいるのはセーラズカフェの前。まだ店は始まっていない。だがこの時間なら、すでに今日の仕込みが始まっているはずだ。扉を押すと開かない。鍵はまだかけてあるらしい。木製の扉の真ん中には厚手の飾りガラスがはめ込まれており、扉の向こう側が多少は見える。人影は見えないが、カウンターの中にいるかも知れない。木の部分をとんとんと叩く。応答はない。もう少し強く叩いてみた。少しして、ガラスのゆがみの向こう側で動くものが見えた。どんどん扉に近づいてくる。背格好からしてマスターだ。マスターは扉を少しだけ開け、ギロリと私を睨んだ。
 
「ん・・・・?おお、あんたか。すまんな。こんな時間に来る奴らってのはろくなもんじゃないもんでね、なんか用かい?」
 
「ええ、ろくなものかどうかは何とも言えませんが、とりあえず中に入れていただけませんか。」
 
 彼らの受け取り方によっては、私の提案が『ろくなものじゃない』と評価される可能性はある。
 
「店はまだやってないぜ。」
 
「そうでしょうね。やってない時間を狙って来ましたから。」
 
「・・・てことは今のあんたは客じゃない。客じゃないなら用件が先だな。とりあえず、入れてもいいと思えるほどの用件で来たなら入れてやるよ。」
 
「・・・ライラのことでお話があります。」
 
「・・・あいつがどうかしたのか?」
 
「それは中に入れていただけたらお話しします。」
 
「・・・わかったよ。入ってくれ。」
 
 やっとマスターが扉を大きく開けてくれたので、私は中に入った。マスターは私の背後で扉をばたんと閉じ、がちゃりと鍵をかけた。
 
「カウンターに座ってくれ。コーヒーでいいか?」
 
「淹れていただけるんですか?」
 
「金は取るぞ?」
 
「もちろんお支払いします。」
 
 マスターは不意に笑い出した。
 
「あんたも変な奴だな。まあいい。ライラの話と聞けば、聞かざるを得ないからな。セーラの奴もいたほうがいいのか?」
 
「お忙しくなければ。」
 
「忙しいと言えば忙しいが、手が空かないほどってわけじゃないさ。ちょっと待ってな。」
 
 第一段階、まずは中に入れてもらうことには成功した。さてどう切り出したものか。疑うべきか信じるべきか、結局は気持ちの問題だ。いきなり疑ってかかるようなことを言えば話し合いにはならないし、相手の本音を探ることも出来ない。だが手の内をすべて見せてしまうのは危険だ。
 
(苦手なんだよな、こういうこと・・・。)
 
 駆け引きなんて元々得意じゃない。だが今はやらなければならない。ライラのために。この国のために。でも何より私が、卑劣な手口でこの国の未来をつみ取ろうとするような連中に負けたくはない。まずは情報収集か・・・。この夫婦が何をどこまで知っているのか、それを知ることが先決だ。
 
「いらっしゃい。どうしたの、こんな早い時間に?」
 
 店の奥からセーラさん顔を出した。奥からはいい香りが漂ってきていた。思った通り、今日の仕込みの最中だったらしい。
 
「少しお聞きしたいことがありまして。」
 
「なにかしら?」
 
「ライラとはどういう経緯で知り合われたんですか?」
 
「経緯って・・・・そんな大げさなものじゃないわ。この店のお客さんよ。ある日そこの扉が開いて、若い男の子が恐る恐る顔を出したの。『ここって食事は出来るんですか』って。」
 
 セーラさんは私の隣の椅子に腰掛け、マスターに向かって『あたしのも淹れてよ』と頼んだ。
 
「だからどうぞと言って中に入れてやったのさ。ま、金を持っていなかったらすぐに叩き出そうかとも思ったがな。ライラの奴もなんだか怯えたようにきょろきょろしていたから、なんかやらかして追われているのかと思ったよ。」
 
 マスターは言いながら、慣れた手つきでコーヒー豆をはかり、ミルに入れて挽き始めた。カリカリと音が響き、香りがフロアに広がっていく。
 
「町の中を探検してたら道に迷ったって言ってたわよね。それでおなかがすいて、食事が出来るところを探していたみたい。でも、城下町のお店っていろいろだから、まともな店かどうかわからなくて、それで腰が退けてたみたいよ。まあ気持ちはわかるわ。あの子が初めてここに来たとき、まだ子供だったもの。」
 
「それからここに来るようになったんですか?」
 
「ああそうだな。俺のコーヒーをうまいうまいって飲んでいたが、あんな小僧に俺のコーヒーの味がわかるもんなのか、ちょいと疑問だったね。だがうれしそうにコーヒーを飲む笑顔がなぜか憎めなくてなぁ。不思議な奴だよ、あいつは。」
 
 そう言われれば、うちに来たときにもたいていライラはコーヒーを飲んでいた。イルサはほとんど紅茶だったが、ライラに勧められて何度かコーヒーを飲んでいたこともあった。『悪くはないけど私は紅茶のほうが好き』イルサがそんなことを言っていたのを聞いたような気がする。私も島の人々すべての嗜好を知っているわけではないが、特に『コーヒー好き』と言われるほどの人がいたかどうかとなると定かではない。もしかしたらライラは、ここで『同好の士』を見つけたのかも知れない。ここのマスターは昔から、コーヒーにはかなりのこだわりを持っているらしかった。
 
「それじゃその時に、彼がハース鉱山で働いていることも聞いたんですか?」
 
「そうだな。何でも鉱夫としてやっていたんだが、仕事が認められて鉱脈の調査とかをすることになったから、毎月報告に王宮に来ることになったってのは聞いたな。その記念すべき第一回目の定時報告がそのときだったらしい。で、調子に乗って町の中に探検に出掛けたら道に迷ったと、まったく子供なんだか大人なんだかよくわからない奴だったよ。」
 
 その時のこと思い出したのか、マスターが笑い出した。子供なのか大人なのか、多分どちらも彼の中に同居している。地質学者だなんだと言われて、国家的プロジェクトを背負ってはいても、彼はまだまだ、いろんな意味で成長途上の若者だ。
 
「さて、これであんたの質問には答えたぞ。で?あんたはわざわざ俺達とライラの出会いの物語を聞きに来たってのか?」
 
「いえ、これはいわば確認事項のようなものです。ライラはそのあと毎月こちらに来るようになったんですね。」
 
「そうねぇ。それ以来定時報告に来たときは、必ず寄ってくれるようになったわ。いつもこっちにいるのは2〜3日らしいけど、お昼に必ず1回と、あとは午後のお茶の時間に合わせて来てるわね。毎回帰るときに「また来月ね」って言って帰るから、あたし達もいつの間にか、あの子が来るのが楽しみになってたわ。あたし達には残念ながら子供がいないし、あの子も息子の一人みたいなものね。」
 
「ふん、それを言ったら俺達の息子や娘は何十人になるだろうな。みんな手のかかる奴らばかりだよな。」
 
 彼らの言う『息子や娘』はおそらく、この店にやってくる客達なのだろう。過去を隠さず、いつも明るく振る舞うこの2人と話したくて、やってくる若者達は大勢いるに違いない。いつの間にかコーヒーは出来上がっていて、カウンター越しにマスターがカップを置いてくれた。豆を挽いていた時とはまた違う、かぐわしい『コーヒーの香り』が鼻をくすぐる。
 
「おいしいコーヒーですね。確かに、あの時よりも数倍上ですよ。」
 
「ほぉ、ま、そう言われて悪い気はしないが、代金はもらうぞ。ほめられるたびにタダにしてたんじゃ、うちは商売あがったりだ。」
 
「ははは、ちゃんと支払います。別にコーヒーをタダで飲ませていただくために伺ったわけじゃありませんからね。」
 
「ならなんのためだ?」
 
 マスターの眼光は鋭い。『うまくごまかそうったってそうは行かんぞ』と言っている。
 
「それをお話しする前に、もう少しライラの話を聞かせていただけますか?あの子がナイト輝石のことを調べていると、最初に言ったんですか?」
 
「いや、最初は単に鉱脈を調べたりしてるとしか言わなかった。その話を聞いたのは・・・そうさな・・・うちに顔を出すようになって・・・おいセーラ、その話を聞いたのはいつ頃のことだったかなあ?」
 
「そうねぇ・・・。うちに来るようになって半年くらいかしらねぇ。あなたが聞いたんじゃないの?『毎日鉱脈の調査ばかりしてるのか』って。」
 
「ああ・・・そうか・・・。うんうん、そうだ、そしたらあいつ、『それだけじゃなくていろいろ実験もやってる』って、そう言ったんだ。それでなんの実験なのか聞いたんだっけ・・・。」
 
「驚いたわよねぇ。ナイト輝石を復活させたいなんて、あんな若い子が考えているとは思わなかったわ。」
 
「お二人はナイト輝石について、どうお思いです?」
 
「昔の仕事をしていたときならいざ知らず、今の俺にとっちゃ、別にあろうがなかろうが関係ない。そう言ったらライラの奴、むっとした顔になってなぁ、あの石を人々の生活に役立てないのは大きな損失だと、俺達の前で演説をぶちやがったんだぜ?細っこくて子供みたいな顔した奴が、そんな壮大なことを考えていたとは思わなくて、そっちのほうが驚いたよ。」
 
「そうねぇ。あたしにとっても、ナイト輝石なんてあってもなくても同じものだったわ。ま、ハース鉱山が昔みたいに活性化すれば、一般庶民の懐も暖かくなってお店も繁盛するかも知れない、そういう意味では関係大ありってことなのかも知れないけどね。」
 
「それじゃライラは、それからお二人に仕事のことなんかはいろいろ話してるんですか?」
 
「そうねぇ・・・。ま、ナイト輝石に対してあたし達が特に悪い感情を持ってなかったってのはうれしかったみたいね。この人がどうでもいいって言ったのは気に入らなかったみたいだけど。なんでも、ナイト輝石の調査を王宮に願い出たとき、危うく危険分子として処刑されるところだったらしいから。バカみたいよね。話も聞かないでそんなことを言い出すなんて。」
 
「まったく、臭いものにはふたをしてあとは知らんぷり、そんなことを考えるような大バカ者が大臣の職にあるなんぞ、情けない話だ。もっとも、聞く耳を持った人達もいたからこそ、今ライラはがんばって仕事をしていられるんだけどな。」
 
「でも仕事の話って・・・そんなにはしてないわよ?まあ、そうねぇ・・・何でもナイト輝石の毒性を排除するためにいろいろ実験しているらしいんだけど、少しずつ規模を大きくしていく必要があるって話だったわ。で、そのたびにいちいち王宮に出向いて、許可を取ってるとか・・・。」
 
「ああ、そういやそうだな。ほとんどは『王宮で正式決定してくれた』ってうれしそうに話してくれるから、ちゃんと決まった話なら、いろいろしてくれるぜ?確か今回の試験採掘の話もそうだったぞ?なあセーラ?」
 
「そうよ。なんでもかなり遠くの離島にまで使者を出して、採掘再開についての理解を求めるとか、そんな話が発表されたあとのことだったんじゃない?だから2人で話してたのよね。『きっと次に来るときは、にこにこしてるわね』って。」
 
「そうですか・・・。」
 
 ライラはこの2人にも仕事のことは一通りのことしか話していないようだ。おそらくこの町でライラが気を許せる数少ない人達の中にこの2人も入ると思う。うまく誘導すれば、表に出せないような内部事情でも聞き出すことが出来ないわけではないと思うのだが、この2人の話を聞いている限りでは、そう言った意図は感じられない。
 
(信じてみるか・・・・。それともまだ、決断を下すのは早いか・・・。)
 
「おいあんた、そろそろ、あんたの本音を聞かせてくれてもいいんじゃないか?」
 
 マスターは腕を組み、カウンター越しに私を見据えている。『もう逃がさんぞ』といった雰囲気だ。
 
「あたしはちょっとスープの具合を見てくるわ、そろそろみたいだから。」
 
 セーラさんはすっと立ち上がり、奥に消えた。
 
「あんたがここに来てることを、ライラの奴は知ってるのか?」
 
「いえ。ライラは全く知らないことです。」
 
「ふん・・・あんたがここでライラのことをなんだかんだと嗅ぎ廻るようなことをしていたと、あいつが知ったら悲しむと思うぞ。なんといっても、島の診療所の先生夫婦はあいつにとっては大恩人だそうだからな。」
 
「あの子がそんなことを言っていたんですか。」
 
「ああ、なんでもあいつが小さい頃、川でおぼれかけたときに、あんたの奥方がすごい呪文で助けたそうじゃないか。しかもそのせいであんたらの最初の子供がだめになっちまったとか・・・。」
 
「そこまで話したんですね・・・・。」
 
「そうよ。島の先生達にはとても感謝してるって、しょっちゅう言ってたわよ。」
 
 いつの間にかセーラさんが奥から戻ってきていた。そこまで話を聞いていても、それを利用してライラから仕事上の機密事項を聞き出そうなんてことは、この2人は考えていなかったと言うことか。
 
「そうですか・・・。ライラがここに来るとき、いつ来るとかははっきりわかっているんですか?」
 
「いや、はっきりと何日って予定を立てるのは難しいって話だったな。とは言え、定時報告はだいたい一月に1回だそうだから、予定を把握する気なら出来るだろうな。はっきりといつ来るかわかっていれば、うまいものを用意したりしてやることも出来るだろうが、あいにく俺達も、そこまでしてあいつの予定を把握しておけるほど、時間に余裕があるわけじゃないんでね。そろそろかなあ、なんて話が出た頃にひょっこり顔を出すってのがいつものパターンさ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 手元のコーヒーがいつの間にか冷めかけている。一口飲むと、ほっとした。このマスターが凄腕の用心棒だった頃でも、彼の入れてくれたコーヒーを飲んだ時とてもほっとしたものだ。見た目は実に迫力があったが、案外いい人なんだろうな、などと考えた記憶がある。信じるべきか、疑ってかかるべきか・・・。決断を先延ばしには出来ない。今は自分の勘を信じよう。
 
「・・・ライラは今日、ここには来れないんです。」
 
「ほお、忙しいのか?」
 
「あら残念ねぇ。また南大陸の土産話でも聞かせてもらおうかと思ってたのに。明日なら大丈夫かしら。」
 
「いや・・・一週間は無理ですね。今入院してますから。」
 
「入院!?」
 
 2人が同時に声を上げた。
 
「入院て、どこが悪いんだ?まさか変な病気じゃないだろうな!?」
 
「だとしても、あなたが治してくれるのよね?ライラがとても信頼してるお医者様なんだから!」
 
 口先だけで心配している振りをしていれば、多少なりとも感じ取ることは出来る。だが2人は明らかに動揺している。この夫婦が、ライラのことを本気で心配してくれていることは、すぐにわかった。
 
「違います。専門的に言うと少々難しくなるんですが・・・出来る限り簡単に言うと、後頭部を殴られたことによる怪我の経過観察と、首筋の骨がずれて手にしびれが出ているのでその治療のためです。」
 
「こ・・・後頭部って・・・そりゃ後ろから殴られたってことだよな?」
 
「そうですね。」
 
「な・・・なんだってまた・・・ライラが後ろから殴られなきゃなんねぇんだよ?」
 
 マスターは訳がわからないといった風に、複雑な表情をしている。
 
「何言ってるの!後ろから殴られたってことは、つまり襲われたってことでしょう!?誰よそんなことしたのは!?」
 
 セーラさんが叫んだ。こういう場合、女性のほうが冷静だ。
 
「誰かはわかりませんが、ライラが襲われたのは王宮の中です。」
 
「・・・・・・・・・・・!?」
 
 2人は呆然として、私を食い入るように見つめている。
 
「なんだそりゃ・・・・?」
 
 マスターの唖然とした顔が、怒りの表情に変わった。
 
「王宮の中で襲われたって・・・そりゃどういうこった!?」
 
「どういうことなのかは私達も知りたいくらいです。ライラは王宮の中で、後頭部を殴られて気絶させられ、縛り上げられて、とある貴族の私室に放り込まれてました。」
 
「貴族の私室?何でまたそんなところに・・・。」
 
「ライラを掠ったのがその貴族であるかのように、装うためでしょうね。」
 
「装うって・・・つまり、あいつはどっかの貴族を陥れるための材料にされるところだった、そういうことか?」
 
「おそらくは。」
 
 マスターは『信じられない』といった風にため息をつき、肩を落とした。
 
「なんてこった・・・。」
 
「なんなの、その話?何か政権争いでもやってるの?だとしたら冗談じゃないわよ。そんなくだらないことで、なんの関係もないライラが巻き込まれるなんて!」
 
 セーラさんのほうは怒り心頭だ。
 
「さすがにそこまではわかりませんけどね・・・。」
 
 政権争いなんて、ずっと昔から変わらずに続いているようなものだ。さすがにそこまでは口に出せないが、私は思いきって、アスランとイルサの身に降りかかった災厄についても一通り話した。2人は更に驚愕し、そして青ざめた。
 
「くそ・・・!なんなんだ、その話は!俺の知ってる裏世界の奴らだって、もうちっと仁義ってものを心得てるぜ!」
 
「あのアスランて子・・・・あんなに一生懸命ライラの妹さんのこと慰めてたのにねぇ・・・。」
 
「まったくだ・・・。自分の母親のことなんぞ、話したくはなかっただろうにな・・・。一生懸命自分の両親の話をして、あの娘を励ましていたってのに・・・。ライラといいあのアスランて若い奴といい・・・真面目にやってる若い連中が、なんだってそんな目に遭わなきゃなんねぇんだ!?」
 
「犯人は今、必死で剣士団が追っています。」
 
「もしかして・・・あんた、その捜査に協力しろとか言うんじゃないだろうな?」
 
「まさか。マスター達は今はこの店のオーナーご夫妻です。そして私は一旅行者。そんな話を私がする筋合いはありませんし、私にもその気はありませんよ。」
 
「それじゃ俺達に何をしろって言うんだ?ここまでもったいつけるからには、それなりに危険を伴う話を持ってきたってことなんじゃないのか?」
 
 さすがに鋭い。
 
「危険を伴うかどうかは何とも言えないというのが正直なところなんですが・・・。でもそう言うわけではないんです。」
 
「じゃどういうわけだよ?さっきからどうもすっきりしなくて、背中のあたりがむずむずするんだ。とっととあんたの手の内を見せてくれ。」
 
 私はこの2人を信じたい。昔助けてもらった恩もあるし、マスターの入れるコーヒー、セーラさんの作る料理の味、どれ一つとっても、二心ある人物に作れるものとは思えない。だが・・・今回のことは私の問題ではなく、ライラの問題だ。彼は私にとって大事な友人夫婦の子供であり、生まれたときから知っていて、そして・・・妻がおなかの子のみならず、自分の命までかけて救った子供だ。更にライラは、私に全幅の信頼を寄せてくれている。自分の思いこみだけでライラを危険にさらすようなことは出来ない。そんなわけで、無礼を承知でのらりくらりとはぐらかしながら2人を試したのだと、正直に話した。
 
「ふん・・・そう言われちゃ怒るに怒れねぇな。で、その頼みってのはなんだ。」
 
「ライラにとって、この店を安心できる場所にしてほしいんです。」
 
 ここまで来たら、もう持って回った言い方をする必要はない。単刀直入に、私は2人に頼み込んだ。今のライラにとって、安心できる場所などどこにもない。だが、せめて安心してのんびり出来る場所を作ってやりたいのだと。
 
「安心できる場所か・・・・。」
 
「ライラにとって安心できる場所であっても、マスター達には危険が伴う可能性もありますから・・・。」
 
「うーむ・・・たとえば扉を蹴破って悪党どもがライラを殺しに来るとか、そんな可能性だって絶対にないとは言い切れないってことだよな・・・。」
 
「そうですね・・・。」
 
 さすがにマスターは考え込んでしまった。
 
「ちょっと。」
 
 声に振り向くと、セーラさんがいつの間にかカウンターの中に入り、両手を腰に当ててマスターを睨んでいた。
 
「な・・・なんだよ?」
 
「なんだよじゃないわよ!なんなの!?今の、いかにも腰が退けてますって言う返事は!?」
 
「あのなあ、この店は俺達が苦労して建てた店だぞ!?元の仕事のことでいろいろと偏見の目にさらされながら、何とかここまで繁盛させてきたんじゃないか。お前の夢だったこの店を守りたいって・・・そう考えちゃ悪いのかよ!?」
 
「壊されたら直せばいいじゃないの。」
 
「直せばって・・・お前なあ、簡単に言うなよ!」
 
「簡単に言うわよ!だいたいねぇ、お客は別にこの建物を眺めに来るわけじゃないのよ?あんたのコーヒーとあたしの料理を食べに来るの。建物が壊れたら直せばいいし、直すのが無理なら屋台だっていいわ。あたし達が生きてる限り、この店はなくならない。でももしかしたら、ライラは殺されるかも知れないのよ!?あの子が死んだら、ナイト輝石を世の中に役立てたいって言うあの子の夢はどうなんのよ!?どっちが大事かなんて、考える必要もないわ!歓楽街じゃあちょっとは名の知られた『ヘブンズゲイトのザハム』が、年寄りみたいに守りに入ってどうすんのよ!?まったく・・・情けないったらありゃしない!」
 
「女って奴は・・・なんでそうクソ度胸だけはあるんだよ・・・。」
 
 マスターは言いながら呆れたようにため息をついた。
 
「ふん!あんたが腰抜けなだけじゃないの!」
 
「あ、あの・・・セーラさん、危険を伴うことですから、マスターの気持ちも・・・」
 
「あなたは黙ってて!」
 
「は、はい・・・。」
 
 もはや私が口出しできる状況ではないらしい。
 
「まったく・・・ちょっと待っててくれ・・・。」
 
 ザハムさんはあきらめたような表情で奥に消え、少しして戻ってきたときには長い杖を持っていた。
 
「へぇ、少しはやる気になったみたいね。」
 
 セーラさんはずっと立ったまま、今度は腕を組み、マスターを見据えている。マスターのほうが遙かに背が高いのに、なぜかセーラさんのほうが何倍も大きく見えた。
 
「お前がそこまで言うのに、俺がぐずぐずしていられんからな。」
 
 マスターは杖を両手で持ち、その手を右と左に引いた。すると杖の右側が途中でぱっくりと割れて・・・いや、別に割れたわけではないのだが私にはそう見えた。中から出てきたのは見事な剣・・・。ほんのわずか湾曲した、珍しい片刃の剣だった。
 
「これは剣だったんですか・・・。」
 
「俺が昔使っていた得物さ。これを担いでいれば、誰も剣を持っているとは気づかない。俺はこれを担いだまま女達の動向を見張っていたのさ。ちょっかいを出してくる奴らを脅しつけ、言い寄る奴らに金がなければ町から叩き出し、ま、そんな仕事をしていたわけだ・・・。普段は杖のまま使っていたが、危険な奴らやしつこい奴らには、これを抜いて鼻先に突きつけてやったもんさ。今になってこいつを使うことになるとは思っちゃいなかったが、セーラの言うとおりだな・・・。ふふふ・・・守りに入るのはまだ先でいいか・・・。」
 
「さすが、あたしの亭主ね!守りに入るのなんて、あたし達がヨボヨボになってからでいいわよ。」
 
「けっ!さっきまでぼろくそに言ってたくせに・・・!」
 
「ふふん・・・そりゃそうよ、自分の亭主があんな情けない男だなんて思いたくないわ。それに、それを使うと決まったわけでもなければ、この店が壊されたりすると決まったわけでもないんだから。」
 
「まあそうだな。とりあえずうちの店の役どころは、ライラが安心してここでくつろげるよう、周りに目を光らせるってところか?」
 
「そうですね。それに、仮にライラを狙って敵がこの店に踏み込んできたとしても、少なくともマスターが一人で奮闘する必要はないと思いますよ。ライラの腕は彼の父親の直伝ですから、充分あてに出来る水準です。」
 
 マスターの持った剣が、ぱちんと音を立てて鞘に収まった。もう普通の杖にしか見えない。その杖を傍らに置き、マスターはいささか複雑な表情でため息をついた。
 
「ふん・・・ライラの親父か・・・。」
 
「マスターは確かご存じなんですよね?」
 
 マスターの両目がぎょっとしたように見開かれた。
 
「あんた・・・知ってんのか・・・・?」
 
「一通りは。」
 
「・・・それじゃあの、アスランという若い奴のことも・・・。」
 
「アスランが彼の妹と、自分達の母親のことについて話しているのを聞いて・・・あとは昔聞いた話をいろいろ考え合わせて、その結論にたどり着いたわけですけどね。」
 
「なるほどな・・・。また奇妙な巡り合わせもあったもんだよな・・・。なあ、ライラの親父は、俺のことを恨んでいるのかねぇ・・・。」
 
「そういう話は聞いていませんね。それに、そのころはそれがマスターの仕事だったんでしょう?」
 
 ライザーさんの心に引っかかっていることがあるとすれば、それは何よりもカレンさんが幸せかどうかだろう。本人から聞いたわけではないが、マスターのことを忘れるはずはないにしても、今更彼を恨んでいるとも思えない。
 
「・・・まあそれはそうだ・・・。いくら恨まれたって、俺は仕事をこなさなきゃならん。だが、俺の話を聞いた後の奴の目がな・・・この世のすべてを失ったような絶望的な目をしていたわけさ・・・。最初に引き離しておけば、あんな思いさせなくてよかったのにと、あのころの俺でさえ思ってしまうほどにな・・・。」
 
「でもそれは、仕方ない話だったんじゃないの?あなたが神父様と約束したって言ってたじゃない。」
 
 セーラさんが心配そうに口をはさむ。
 
「好きで約束したわけじゃねぇよ。あの神父は凄腕だぞ?あれだけの腕を持っていれば、多少なりとも身のこなしや目線の配り方にそれが現れるもんだが、あの神父には全く何も感じられないんだ。なのに抜いた剣が元の鞘に収まった頃には、俺の腕はばっさりと斬られていた・・・。しかもそのあとにこにこしながら『呪文がなくても手当をすればすぐに治る程度にしておきましたよ』と抜かしやがったんだ。その状況で『2人をそっとしておいてやってくれ』と言われたら、はいわかりましたと引き下がるしかねぇじゃねぇか。俺だって命は惜しいからな。」
 
「へえ・・・あの神父様がねぇ・・・。」
 
 セーラさんの口調は、何となくマスターの言葉を半分しか信じていないような口調だった。
 
「ふん・・・信じてねぇな・・・。ま、いいさ。もうずっと昔の話だ。俺もあの『若造』も、今じゃ立派なオヤジになって、時代はもう次の世代が担い始めている。今更そんなことにこだわってみても始まらんだろう。それぞれ幸せに暮らしているならなおさらな。」
 
「そうですね。それぞれ子供達も立派に育っているようですし。」
 
「まったくだ。さてと、話がそれちまったが、ライラのことは引き受けたぜ。あいつの腕も見てみたいもんだが、ここであいつと一緒に立ち回りをする羽目にならないことを、祈っていてくれよ。」
 
「そうですね・・・。お二人にご迷惑をおかけするのは心苦しいんですが、ライラのこと、よろしくお願いいたします。」
 
「ええ、この人がその気になったなら大丈夫よ。安心してね。」
 
 話が終わった頃には、もう開店時間になっていた。私は2人に礼を言って店をあとにした。すれ違いに店に向かっていく若いカップルが何組かいる。私が出てきたところを見ていたのか『あれ?今日は早いね』などと言いながらすれ違っていった。
 
「さてと、次だな・・・。」
 
 次に行く場所はあの教会だ。いささか気が重いが、もうこのままにしてはおけない。あの神父様には私の小手先の駆け引きなど通用しそうにない。正攻法で正面からぶつかるしかなさそうだ。誠意を持って話せばきっとわかってくれるだろう。
 

第60章へ続く

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