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「そうか・・・。そうだな・・・。グラディスさんは誰よりも俺達のことを心配してくれていたんだ・・・。カインの奴もそうだよな・・・。」
 
「うん・・・。旅先でもずっと言ってたんだよ。君達がうまくいくといいなって。」
 
「あいつらしいけど・・・ばっかだよなぁ・・・自分は死んじまいやがって・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
「はぁ・・・なんだかしんみりしちまった・・・。クロービス、いろいろ話を聞けてよかったよ。ありがとう。」
 
「私も久しぶりにゆっくり話が出来てよかったよ。そろそろ戻ろうか。」
 
「そうだな。」
 
 2人でアスラン達の病室に戻った。病室の中には何人かの王国剣士が来ていて、賑やかに話をしている。全員ベージュのマントを着込んでいるところを見ると、これから南大陸へでも行くのだろうか。昔私達が南大陸へ向かうとき、カインはティールさんの、私はガウディさんのマントを借りて着ていった。カインの着ていたマントは、今では彼とともに遙か彼方の神話の地で眠っている。私のマントは、今では家の衣装ダンスの中だ。懐かしさで思わず眺めてしまったが、よく見ると昔のマントとは少し違うようだ。裏側に茶色っぽい布地が貼られている。裏も表も使えるようになっているのかも知れない。
 
「へえ・・・それじゃ気をつけて行ってきてくださいよ。」
 
 アスランが羨ましそうな声で言っているのが聞こえた。
 
「ああ。お前が早くよくなるように、お守りでも買ってくるか。」
 
「そうだなぁ。でもこいつには、うまいいもののほうが効くんじゃないのか?」
 
 剣士達の明るい笑い声。その後ろを通ろうとして、一人の剣士の肩にぶつかってしまった。その拍子に彼の持っていた何かが床に落ちた。
 
「あ、失礼。」
 
 慌てて拾おうとしたが剣士はそれを制し、
 
「いえ、僕の不注意ですから。」
 
 そう言って床にしゃがみ込んで、落ちた何かを拾おうとした。ちらりと見るとハンカチらしい。
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 妙な視線に気づいて顔を上げると、ベッドに起きあがり、別な剣士と話をしていたライラが顔をこわばらせている。
 
「・・・ライラ・・・?」
 
 彼の表情は青ざめ、視線は今しがた床にしゃがみ込んだ剣士の背中に釘付けになっていた。一体どうしたのだろう。妻とイルサも顔を見合わせている。今の剣士が落としたのは多分ハンカチだが、特に変わったところがあるわけでもなさそうだ。
 
「あれ?おいライラ、お前どうしたんだ?顔が青いぞ?」
 
 ライラと話していた見舞いの剣士が、不思議そうにライラの顔をのぞき込んだ。
 
「すみません・・・。ちょっと気分が悪くなって・・・。」
 
「お、それはいかんな。俺達はそろそろ出掛けるよ。ロイさんにはお前のことは伝えておくからな。」
 
「はい・・・お願いします・・・。」
 
 ライラの返事はなんだか上の空だ。アスランのところにいた剣士達も、そろそろ出かける時間だからと引き上げていった。一気に静かになった病室の中で、ハディはセーラに頭を下げている。
 
「いやまったく知らなくて申し訳ない・・・。俺はハディと言って・・・」
 
 さっきセーラを診療所の看護婦と間違え、挨拶もしなくてすまなかったとわびているらしい。律儀な性格も相変わらずだ。
 
「クロービス先生・・・・。」
 
 ライラがこわばった顔のまま私を呼んだ。
 
「ん?どうした?どこか痛いのか?」
 
「僕を・・・団長さんのところに連れて行ってくれる?」
 
「それはいいけど・・・どうしたんだ・・・。」
 
「事情聴取があるって言ってたから・・・こっちから行こうかと思って・・・。」
 
「あとで来るんじゃないのか?」
 
「いいんだ。忙しいだろうし、僕が行きたいんだよ・・・。」
 
 様子がおかしい。
 
「あ、ああ、わかった。」
 
 気分が悪いというのは、剣士達を帰すための口実だったらしい。さっきライラは、何かに気づいたのだ。それは何だろう。南大陸に行くほどだから、それなりに腕の立つ、そして入団してから3年以上は過ぎている剣士達だろう。ライラは彼らの中に、いったい何を見たのだろうか。
 
「ライラ、私達も行っていい?」
 
 妻の問いにライラは黙ったままうなずいた。出来れば自分で歩かせたくはない。車いすを借りてライラを乗せ、団長室へと向かったがオシニスさんはいなかった。
 
「執政館かな。」
 
「かも知れないわね。行ってみましょう。」
 
 執政館の門番に話をしたところ、快く通してくれた。執務室に着くまでの間、ライラは一言もしゃべらず、唇を噛みしめたままだった。
 
 
「おお?どうしたんだ。車いすなんて・・・何か後遺症でも出たのか!?」
 
 執務室に入るなり、オシニスさんが立ち上がった。ちょうど会議は終わったあとだったらしく、中にいたのはフロリア様とレイナック殿、それにリーザとオシニスさんだけだ。私はライラの手のしびれの件を伝え、しばらく経過観察のために入院手続きをとってもらったと話した。
 
「そうか・・・。それは気が抜けんな・・・。ところで、そんな状態なのになんでここに来たんだ?ちゃんと寝てなくちゃだめじゃないか。」
 
「そうですよ。ライラ、無理をしないで寝ていてくださいね。」
 
 フロリア様も心配そうだ。
 
「お気遣いありがとうございます・・・。団長さん、昨日事情聴取をすると言われていたので伺ったんです。」
 
「こっちが終わったら行くつもりだったんだ。病室で話を聞くからもう戻れ。」
 
「いえ、ここで大丈夫です。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 ライラの様子がおかしいことに、みんな気づいたようだ。オシニスさんは眉間にしわを寄せて、『何かあったのか』というように私をちらりと見た。私は黙ってうなずいた。
 
「そうか・・・。それじゃ一通りお前の話を聞かせてくれ。クロービス、ウィローもイルサも空いてる椅子に座ってくれ。」
 
 ライラは昨日私達にしてくれたのと同じ話を繰り返した。しゃがみ込んでいた人物の服の色については、妻達が聞いたように、何色かの色の話をしていた。それ以外は、私が聞いたときと特に変わったところはないように思える。だがライラは、話し始めてからもずっと、顔をこわばらせたままだ。
 
「なるほど・・・。そうすると、お前をさらうために敵は最低でも2人の人間を用意していたわけか。お前を足止めさせる役と、後ろから殴る役と・・・。」
 
「昨日セルーネさんがつかまえた男はどうなんです?」
 
 多少なりとも事情を知っていそうだが・・・。
 
「いや・・・どうもあいつは違うらしい。奴も一味であることは間違いないんだが、ライラをベルスタイン家の部屋で発見させる第三者を捜すために、見張りについていただけみたいだな。」
 
「と言うことは、ローランド卿が気配を感じたというもう一人と合わせると、最低でもライラの件には3人の実行犯が関わっているわけですね。・・・ローランド卿が気配を感じたという一人がライラを掠うときにもいたかどうかで、もう一人増える可能性があるわけか・・・。」
 
「そうだな・・・。敵は自分のしていることがどんなことなのかは、充分理解しているだろう。それを考えれば、関わる人間は少ない方が都合がいい。もしかしたら、ライラを掠ったときに後ろから殴った奴と、セルーネさんが捕まえた男を見張っていたらしい奴は同じ奴かもな。あの男の取り調べは今日も始まっているはずだから、今頃エリオンさんがもう少し詳しい話を聞き出しているかもしれん。そうすればまた、新しい手がかりがつかめるかもしれないな。」
 
「団長さん。」
 
「ん?」
 
「その手がかりなんですけど・・・」
 
「・・・何かあるのか?」
 
「はい・・・。僕が見かけた、床にうずくまっていた人物なんですが・・・。」
 
「ああ、その、ベージュだか茶色だか水色だかの、珍妙な色の服を着たやつか。」
 
 確かにそのすべての色の入った服を着ていたとしたら珍妙としか言いようがないが、ライラは最初に茶色だったと言い切った。ベージュだ水色だという話はそのあとに出てきた話だ。ということは、茶色い服の中、あるいは袖口などがベージュや水色だったことに気づいたのか・・・・。
 
(ベージュに・・・・水色・・・?)
 
 その組み合わせを・・・たった今見てきたばかりじゃないか・・・。
 
「僕も今ひとつ記憶が定かでなかったので、思い出した限りの記憶を並べてみたんですが・・・その色がなんなのかわかったんです・・・。」
 
「本当か!?それはどんな色だ!?」
 
 オシニスさんが身を乗り出した。まさかライラが言おうとしているのは・・・。
 
「どんな色と言うより・・・・・・正確には・・・誰が来ていた服だったのか、さっき病室で思い出したんです。」
 
「・・・病室で?」
 
「はい・・・。茶色はたぶんマントの色だったと思います。背中全体を覆ってあったんですが・・・ベージュは多分・・・そのマントの裏地か何かかも知れません。」
 
「マントか・・・裏地がベージュ・・・」
 
 オシニスさんの声がとぎれた。さっき病室で見かけた剣士達は、剣士団から支給されるベージュのマントを着込んでいた。昔は丈夫な布の一枚織りで作られていたが、さっきの剣士達が着ていたマントには、茶色の裏地が付けられていた。茶色を表にして身につけ、体全体を覆っていれば、確かに茶色の服を着た人物がうずくまっているように見える。
 
「ちょっと待て。」
 
 オシニスさんの顔がこわばった。
 
「まさか水色ってのは・・・。」
 
 ライラはうなずいた。
 
「王国剣士さんの制服の色です・・・。」
 
「・・・・・!?」
 
 ピシッと音をたてて、部屋の空気が凍りついたような気がした。部屋中の誰もが息をのみ、ライラを食い入るように見つめた。ライラが見かけた『床にうずくまっていた人物』が、彼の注意をまわりから逸らし、背後から近づきやすくするための囮であったことは容易に想像がつく。その役目を果たしたのが、まさか王国剣士だった・・・?
 
「・・・見間違いだってことは・・・・ない・・・のか・・・?」
 
 呆然としたまま、オシニスさんがやっとの事で口を開いた。
 
「見間違いだったらよかったのにと、思います・・・。ずっと考えていました。自分の目がおかしくなっただけなんじゃないのかと。でも・・・違うんです・・・。」
 
「・・・その時のことを、もう少し詳しく話してくれないか・・・。」
 
「最初にうずくまっていた人を見たとき、背中が茶色に見えたのは確かです。動かなかったから気分でも悪いのかと思って、僕もかがみ込んで声をかけたんです。『どうかしたんですか』って。その瞬間、頭にガツンと衝撃を受けて・・・かすみそうな目の前に水色とベージュが見えて・・・それっきりです。」
 
「それがなぜ、王国剣士の制服だと思ったんだ?病室にいた連中の服の色を見て、似たような色だからと勘違いしたと言うことはないのか?」
 
「殴られた瞬間目に入った色が、ずっとどこかで見た色のような気がしていたんです。それがどこで見たのか思い出せなくて・・・でもさっき、アスランのところに見舞いに来ていたカーラットさんが、床にしゃがみ込んだときの背中を見て・・・。」
 
「カーラットが?」
 
 さっきの剣士はカーラットというのか。
 
「はい。」
 
「あいつがどうかしたのか?・・・まさかお前を陥れた奴がカーラットだったとか・・・。」
 
「い、いえ!違います!」
 
 ライラはあわてて否定した。私は話に割って入り、さっきハディとの話を終えて病室に戻ったとき、見舞いに来ていた剣士の一人にぶつかって、彼がハンカチを床に落としたこと、そしてそれを拾おうと床にしゃがみ込んだ剣士の背中を見ていたライラが、顔をこわばらせたことを説明した。
 
「そういうことか・・・。それで奴の背中を見ていたら、自分が殴られたときうずくまっていた奴の背中を思い出したと、こういうわけなのか?」
 
「はい。」
 
「しかし・・・最初に茶色に見えたはずの相手の背中が、何で途中でベージュだの水色だのに見えたんだ?」
 
「それは・・・。」
 
 ライラが言いよどんだ。
 
「そこまでは憶えてないか・・・。」
 
「倒れる寸前に見た記憶は確かにあるんですけど、それがどういう状況で現れたのかとなると・・・。」
 
 殴られて意識を失う直前に見たことを、憶えているだけでも大したものだ。さすがにそれ以上を望むのは無理というものだろう。正しい答えを導き出すには、その『うずくまっていた人物』を探し出す以外にないが、ある程度推測することは出来るはずだ。それがその人物を捜し出す手かがりにはなるかも知れない。
 
「ライラ、君は殴られた瞬間どっちの方向に倒れたか憶えてるか?」
 
「どっちって・・・。」
 
「人間というのは、身の危険を感じれば本能的に防御しようとする。体が倒れそうになれば、例え意識が朦朧としていても、自分の体が一番安全な場所に倒れようとするんじゃないかと思うんだ。でも君は目の前の誰かに向かって体を屈めていた。その状態で殴られれば、たいていの場合前に倒れると思うんだが、どうだ?」
 
「そうだなあ・・・。そう言われれば・・・。」
 
「誰だってそうするだろうな。おいクロービス、それがどうしたんだ?」
 
 オシニスさんが不思議そうに尋ねた。
 
「ライラをおびき寄せた人物は、自分の背中にライラが倒れ込んできたらどうするでしょうね。」
 
「どうすると言われても・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんはしばらくぶつぶつと口の中で何か言っていたが、ニッと笑って顔を上げた。
 
「そうか・・・。俺にも何となく、お前の言いたいことがわかってきたぞ。ちょっとここで実演して見せないか?その方がライラも思い出しやすいだろう?」
 
「そうですね。」
 
「よし、では俺がその不審な奴の役をやってみるか。おいライラ、よく見てくれよ。」
 
「はい。」
 
 ライラが真剣な目でうなずいた。オシニスさんは部屋の中の何もない広い場所にしゃがみ込み、自分のマントで体をすっぽりと覆ってみせた。
 
「おそらくそいつは、こうやってマントで体を覆っていたんだろう。これなら中に何を着ていようと、お前の位置からは全くわからない。敵はこの状態でお前が来るのを待っていた。お前は思ったとおりうずくまっている誰かを不審に思い、体を屈めて声をかけた。そしてお前の後ろに潜んでいたもう一人が、計算通りにお前を殴って気絶させた。」
 
「ではライラの役は私がやりましょうか。」
 
「そうだな。」
 
「では殴る役も必要ね。」
 
 妻が立ち上がって、鉄扇を取り出した。なんだか楽しそうに見える。
 
「本当に殴らないでよ。」
 
「どうしようかなあ・・・。でも迫力は出るわよね。」
 
「そんなもの出なくていいよ・・・。えーと、ライラ、君はこんな風にして声をかけたのかい?」
 
 私はオシニスさんの背中に向かって体を屈めて見せた。私の位置からは、オシニスさんの背中はマントの色一色だ。もっとも剣士団長の着るマントは鮮やかな若草色に金糸の刺繍が施してあり、見た目も美しく豪華なものだが。
 
「うん、そんな感じ。その時はそこにいた人が着ていた服は茶色にしか見えなかったんだ。」
 
「茶色のマントでこんな風にすっぽり服を覆っていれば、確かに茶色一色に見えるね。で、そこに誰かが近づいて殴ったわけか。」
 
「こうね。」
 
 妻の振り上げた鉄扇は、私の後頭部にパシッと音を立てて当たった。
 
「痛!」
 
 思わず叫んで体を起こした。軽く振り下ろされたことはわかるが、それにしても痛い。
 
「結構いい音がしたぞ?ウィロー、本気で殴りたくなるような亭主なのか、こいつは。」
 
 オシニスさんはうずくまった姿勢のまま笑いだした。
 
「あ、あらそんなことはないです。その・・・やっぱり迫力が出ないとその時の状況はわからないかなあ、なんて思って・・・。痛かった?」
 
 妻は上目遣いに私を見ている。いたずらの現場を押さえられておどおどしている子供みたいだ。なんだかおかしくなった。
 
「痛かったよ。鉄の板で叩かれたんだから。でもまあ、雰囲気は出たかな。」
 
「ふふふ、それじゃよかったわ。」
 
 別に何がいいということもないのだが・・・。妻の笑顔に向かって怒る気にはなれない。
 
「ライラ、ここからなんだけどね、君はこんな風に、前にしゃがみ込んでいる誰かに向かって倒れたんじゃないのかい?」
 
 私は本当に倒れたりしないようにバランスをとりながら、オシニスさんの背中に向かって体を倒して見せた。
 
「うん、そんな感じだったと思う。その時にベージュと水色が見えたような気がしたんだけど・・・。」
 
「そうか。オシニスさん、こんな風に後ろから誰かが倒れてきたら、オシニスさんならまずどうします?」
 
「そうだな、まず振り向きながら、右腕で倒れてくる相手の体を・・・・こう・・・・押しのけようとする・・・。どうだ?」
 
 オシニスさんは振り向きながら、右腕をあげて私の体を押し戻そうとした。その拍子にマントがめくれ、オシニスさんの制服の袖と、マントの裏地が見えた。
 
「あ!」
 
 ライラが叫ぶ。
 
「ここでマントの裏側の色と、制服の色が見えたと思うんだが。クロービス、お前が言いたかったのはこういうことじゃないのか?」
 
「その通りです。おそらくその誰かは、当然ながら制服を隠していたわけでしょう。制服のままでうずくまっていたら、ライラにすぐわかってしまいますからね。」
 
「ところがライラが自分のほうに倒れ込んできたことで、あわてて押しのけようと腕を出してしまった・・・。だからライラの記憶には、最初茶色しか残らず、落ち着いてくるにつれて意識を失う直前に見た色がよみがえってきたわけか。」
 
「そうだ・・・。さっきカーラットさんがしゃがみ込んだとき、右腕でマントを後ろにはねのけるような仕草をしていたんだ。それで見えた制服とマントの色を見てぎょっとしたんだ・・・。」
 
 ライラの記憶が少しずつはっきりしてきたらしい。
 
「おそらく、君がマントの裏地と制服の色を見たのはほんの一瞬だったんだろうね。多分その剣士も、まさかそこまで見られているとは気づいてなかったと思うよ。」
 
「倒れた相手の意識があったかどうかなんて気にしないだろうからな。・・・しかし・・・・。」
 
 オシニスさんは立ち上がり、ため息をついた。
 
「いったい誰なんだ全く・・・・。」
 
 その時の状況を検証して行くにつれて、この件に王国剣士が関わっていたことは疑いようもなくなってきた。オシニスさんにしてみれば、誰一人として疑いたくないはずだが、そうも言っていられない。
 
「早めに見つけておかないと、次の手が打たれる可能性がありますね。」
 
「・・・セルーネさんが捕まえた男だな?」
 
「そうです。その男がたとえライラを殴った犯人ではなくても、この件に王国剣士が関わっていることを知らないとは言い切れません。穿った見方をすれば、敵は失敗したときのことを想定してわざわざ王国剣士を巻き込み、あの男が厳しい尋問の末にこの件をしゃべることまで計算しているということも考えられます。」
 
「・・・そうだな・・・。リーザ、悪いがランドのところに行って、昨日までの勤務表を借りてきてくれないか。」
 
「わかりました。」
 
「・・・いや・・・結論を出すのはまだ早いぞ。もしかしたら剣士団の制服を着て、王国剣士になりすました者だったかも知れん・・・。」
 
 レイナック殿が、あきらめ切れなそうな声で言った。
 
「それはないな。」
 
 即座に答えたのはオシニスさんだ。
 
「オシニス・・・。」
 
「じいさんの気持ちはわかる。俺だって自分の部下がそんなことに手を貸したなんて思いたくないさ。だが考えてもみてくれ。確かに制服を手に入れることは出来るかも知れん。マスターキーの件もあるし、敵が王宮内部を自由に動ける手駒を持っているのなら、不可能だとは言い切れない。しかしそれだけで王国剣士になりすませるわけがないじゃないか。執政館に入ってくるには必ずロビーからでないと入れない。ロビー以外の場所からここに出入りできるのはフロリア様だけだ。そのフロリア様が通られる通路も、ロビーから執政館に入れる通路も、みんな王国剣士が見張りについている。いくら制服を着ていたって、見たこともない顔の奴を通すほどあいつらはバカじゃないぞ。そんなマヌケが執政館の警備に就けるわけがないんだ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 レイナック殿は黙り込んだ。多分ご自分でもそう思っているのだろう。
 
「となると・・・その何者かは、ライラを陥れたあと何食わぬ顔で執政館の警備についていたということですか?」
 
 フロリア様の声も厳しい。
 
「その可能性もありますが・・・そうとは限りません。入団して3年が過ぎている者ならば、基本的に執政館への出入りは自由です。もちろん警備以外で入るときには、門番に対してその用向きを明確に伝えなければなりませんが・・・。そう言った場合、その用向きのほとんどは緊急の場合です。果たしてそれが真実かどうかまで、その場で調査していたのでは間に合わないようなことばかりです。考えたくはないことですが、その者は嘘をついてここに入り込んだのかもしれないのです。」
 
 オシニスさんは悲しげに眉根を寄せている。執政館に出入り自由となるには、入団して3年たたなければならない。その間に、人となりを見極め、間違いない人物であることを確認する。そもそも嘘をついて執政館に入り込もうと考えるような者は、絶対にいないはずなのだ。
 
「一刻を争うときに用向きの信憑性なんて、調査している余裕はありませんからね。」
 
「そういうことだ。・・・そういや昔、お前がクロンファンラで怪我したときも、俺とライザーが青くなって執政館に駆け込んだが・・・。もしもあの時それが本当かどうかなんて言われても、調べるには誰かがクロンファンラまで行って戻ってこなくちゃならない。そんなことをしていたら、ハース城の一件だって手遅れになっちまってただろうな。」
 
 セントハースと初めて対峙したときの記憶がよみがえった。
 
(『怪我をしたとき』か・・・。)
 
 まさか『聖戦竜と戦ったとき』とも言えなかったのだろう。
 
 
「団長、勤務表を借りてきました。」
 
 リーザが戻ってきた。
 
「ありがとう。これを元に、昨日一日執政館にどんな奴が出入りしたか聞いて廻ろう。」
 
「オシニスさん。」
 
「ん?」
 
「ライラを陥れた何者かが王国剣士だったとして、勤務中に一人で歩き回るのは難しいんじゃないんでしょうか。」
 
「・・・そうだな・・・。もちろん、二人とも共犯の可能性というのもあるわけだ。もしかしたら、ライラを後ろから殴った何者かも、王国剣士だったかも知れん。」
 
「だとすると、二人で持ち場を離れていたことになりますよね。それでは目立ちすぎやしませんか?」
 
「確かにそうだが・・・元々執政館の勤務ってのは、それぞれの警備位置が離れているからな。二人で口裏を合わせて姿を消して、ライラを公爵家の部屋に押し込めてさっさと戻ってくれば、ばれやせんだろう。」
 
「でもその間に、誰かがそこを通りかからないと言い切ることは出来ないと思いますよ。それに、オシニスさんがさっきおっしゃっていたように、執政館内部の警備についている剣士ではなく、嘘をついて執政館の外から入り込んだコンビだっだとしたら、なおさら持ち場を離れているところを見つけられる可能性は高くなるんじゃないでしょうか。」
 
「確かにそれは言える・・・。つまり、今回の件に関わった剣士が仕事中とは限らないと言うことか・・・。ということは、非番の剣士も対象として考えなければならないってことだな・・・。」
 
「非番の剣士もそうですし、今休暇中で城下町にいないはずの剣士、それに、そんなにいないとは思いますが謹慎中の剣士など、聞き込みをするときに最初から枠を作るようなことは、考えないほうがいいんじゃないかと思いますね。」
 
「早い話が、全王国剣士が疑惑の対象と言うことだな・・・。はあ・・・まあ仕方ない。やるしかないな。」
 
「情けない話だのぉ・・・。もっとも信頼できるはずの仲間を疑わねばならんとは・・・。」
 
 レイナック殿がため息をついた。
 
「まあまあ、そうくさるなよ。起きちまってからいくらため息をついても仕方ないさ。部下の不始末は俺の不始末でもある。とにかく今はそいつが誰なのかを確かめることが先決だ。この件が片付いたら、いくらでも俺を処分してくれていいから、嘆くのは後回しにしてくれ。」
 
「それはだめじゃ。」
 
 レイナック殿が強い口調でオシニスさんの言葉を遮った。
 
「なんでだよ、この件が明るみに出れば、俺がお咎めなしってわけにはいかないぞ?」
 
「ふん・・・それはそうじゃ。だが、一口に処分というてもいろいろある。そうだな・・・半年ばかり給料を少なくするとか、それとも食事のお代わり禁止でもいいのぉ。お、トイレ掃除半年ってのもなかなか厳しいぞ。」
 
 レイナック殿は冗談めかして言い、笑い出した。
 
「あのなじいさん、子供のお仕置きじゃないんだぞ?そんなぬるい処分で国民が納得するか!」
 
「納得してもらいます。今あなたを団長職からはずすようなことだけは出来ません。」
 
 突然ぴしゃりと言い放ったフロリア様の声に、部屋が一瞬しんとなった。
 
「ですがフロリア様・・・。」
 
「オシニス、あなたがたとえ一時でも剣士団長の職から離れるようなことがあれば、それに乗じてあの者達が台頭してくるでしょう。彼らにとって、あなたはいわば目の上のこぶ、つけいる隙を与えるわけにはいかないのです。」
 
「ですが、この一件が立件されれば、彼らも黙ってはいないでしょう。」
 
「確かにそうです・・・。でもオシニス、今は祭りの時です。この国の誰もが、警備を司るあなたを信頼しています。民に動揺を与えないよう、この件については祭りが終わってからと言うことにしましょう。それまで、そんな悲しいことは言わないでください。」
 
「フロリア様・・・。」
 
 フロリア様は悲しげな瞳でオシニスさんを見つめている。フロリア様を見上げたオシニスさんの目には、苦しげな光が宿っていた。
 
『民に動揺を与えないよう』
 
 それは本当に、民のことだけなのか、それとも・・・。いや、今は考えないでおこう。まずはライラのことだ。ライラをおびき寄せた王国剣士が誰なのか、それを突き止めることが先決だ。
 
「・・・オシニスさん、これから現場検証に行きませんか?」
 
「現場検証?」
 
 オシニスさんが振り向き、部屋の中に張りつめていた緊張の糸が緩んだ。
 
「ええ。今のライラの話で、敵がどういう手口でライラを陥れたのか、だいたいわかりましたからね。今度はそれを、実際にライラが襲われた現場に行って再現してみようと思うんですが。」
 
「そうだな・・・。よし、行ってみるか。おいライラ、お前も来てくれ。」
 
「ライラの車椅子は私が押していきますよ。」
 
「そうだな、頼む。」
 
「先生、ごめん・・・。」
 
「気にするな。君はあんまり体を動かさないようにね。本当は治してすぐにこうやって動き回るのもよくないんだから、病室に戻ったら安静にしていなくちゃだめだよ。」
 
「はい・・・。」
 
 妻とイルサが執務室に残り、オシニスさんとライラと私が部屋の外に出た。廊下をまっすぐ歩き、途中の曲がり角を曲がる。そこからロビーへ出る為の通路になるのだが、ここがけっこう長い。そして途中にもまた曲がり角があり、そこを曲がると今度は上の階への階段がある。
 
「ここだな?」
 
「はい。」
 
「そのうずくまっていた奴ってのはどのあたりにいたんだ?」
 
「えーと・・・そっちの・・・」
 
 ライラが指さした方向に車椅子を押していく。
 
「このあたりです。さっき団長さんが再現してくださったと同じような感じで、こちらに背を向けていました。」
 
「なるほどな・・・。ここは上の階に向かう階段からも、執政館の他の部屋の門番達の目からも、ちょうど死角になるんだ。うまい場所を考えついたもんだ。しかも今の時期、上の階に向かう階段には誰もいない。」
 
「普段はいるんですか?」
 
「祭りの時期以外はな。上が無人でも、階段のところだけは警備しているんだが・・・。まったく・・・。」
 
 オシニスさんはライラから説明を受けるたびに、悔しげにぶつぶつと言っている。もう一度さっきの手順でその時の状況を再現してみた。今度は妻がいないので殴られることはない。ライラが敵に気がついた位置、声をかけた位置、倒れた位置など一通り検証してみたが、やはり先ほどのような手順でライラが襲われたことは間違いなさそうだった。
 
「こんなところか・・・。よし、一度執務室に戻ろう。」
 
「はい。」
 
 執務室に戻り、フロリア様に検証の結果を報告した。フロリア様は眉根を寄せたまま、悲しげにうなずいていた。
 
「ご苦労だったな、ライラ。お前はもう病室に戻って安静にしていろ。お前に何かあったらロイに怒鳴り込まれそうだ。」
 
「これから、その誰かを捜すわけですね。」
 
「そうだな・・・。気の重い仕事だが、そいつが本当に敵側の奴なのか、何か考えがあって敵に与しているのか、見極めることが先決だ。」
 
「脅されていることも考えられますね。」
 
「そうだな・・・。」
 
 オシニスさんの横顔は、傍で見ていてもはっきりとわかるほど疲れ切っていた。それでなくても毎日祭りの警備の統括で忙しいというのに、自分の部下に裏切り者がいるかも知れないなんて、考えただけでどれほどつらいことか・・・。
 
「ではそろそろ戻ろうか。」
 
 ライラに声をかけた。ライラは少し考えていたが、
 
「先生、今日だけ、少しでいいから外に出たいんだけどだめかな。」
 
「外の空気が吸いたいのかい?」
 
「へへへ・・・まあね。」
 
「まあ今日だけならかまわないよ。ただし、先生がつきあうからね。」
 
「はーい。」
 
 ライラがうれしそうに笑った。
 
「それじゃ、表玄関の脇から入れる庭にでも行こうか。人通りは多いけど、先生がちゃんと君を守るよ。」
 
「いいよ、どこでも。空気がきれいなほうがいいな。」
 
「あそこはいろんな花がたくさん咲いてるから、きっと空気はいいよ。」
 
「クロービス、それなら中庭のほうがいいのではありませんか?」
 
 フロリア様が言い出した。確かに人通りは少ないし、王族専用の庭への門や鍛冶場などがある場所なので、警備も多い。外側の庭よりは安全であることは確かだが・・・。
 
「いや、でも中庭には私は入れませんから・・・。」
 
 王国剣士時代なら無論出入り自由だったが、今の私があの場所に入るには、事前に許可を取って、さらに王宮内部の誰かが同行することが条件となる。
 
「ふふふ・・・入れるように取りはからいましょう。レイナック、昨日準備しておいたものを、クロービスとウィローに渡してください。」
 
「はっ!」
 
 レイナック殿は執務室の奥に行き、棚から書類を入れたトレイを取りだして私達の前に進み出た。
 
「クロービス、ウィロー、フロリア様のお計らいだ。受け取ってくれ。」
 
 レイナック殿はそう言って、妻と私の前にそれぞれ一枚の紙を置いた。
 
 
通行許可証
 
下記の者に王宮内部の通行と、自由行動を許可する
 
 
北の島の医師  クロービス
クロービスの妻 ウィロー 
上記の者に同行する者
 
エルバール王国 国王フロリア
 
 
「これは・・・。」
 
「この許可証は、アスランやライラを救ってくれたあなた達を、王宮が歓迎しているという証です。王宮内部を自由に歩ける通行証のようなものですから、どこでも歩いてかまいません。乙夜の塔に来てくだされば、お茶くらいはごちそうしますよ。あ、でも、執政館の上の部屋はほとんど貴族や大臣に与えられた部屋ですから、そこだけは入らないでくださいね。」
 
 フロリア様は笑顔でそう言われた。妻が少し驚いた顔で私に視線を送ってきた。私は黙ってうなずき、ありがたく受け取ることにした。特別扱いとも受け取れるこの計らいを、本当ならば辞退したいところだが、ライラとイルサのためには、何よりの息抜きになるだろう。
 
「お心遣いありがとうございます・・・。それじゃライラ、行こうか。ウィロー、イルサ、君達はどうするんだ?」
 
「そうねぇ・・・。イルサ、一度あなたの部屋に戻りましょうか。中庭には、あとで行くことにするわ。」
 
「そうか・・・。それじゃ夕方、ライラの病室で会おう。2人とも気をつけてね。」
 
「了解。イルサ、行きましょう。」
 
「ウィロー、あとでゆっくり話したいわねぇ。」
 
 ばたばたともめ事ばかり起きて、ちっとも話をする機会が持てないリーザが残念そうに言った。
 
「そうねぇ・・・。私のほうは時間を合わせられるから、あなたの都合がついたときにでも声をかけて。」
 
「わかったわ。それじゃね。」
 
「では失礼します。」
 
 一緒に執務室を出て、妻とイルサは東翼の宿泊所に、ライラと私は中庭へと向かった。ライラが突然外に出たいと言い出したわけが、単に『外の空気を吸いたい』だけでないことはなんとなくわかった。妻もそれを察したのだと思う。多分妻は妻で、イルサからアスランのことについていろいろと聞き出すつもりでいるのかも知れない。どうやら今夜宿屋に戻ったら、お互いの情報交換と言うことになりそうだ。
 

第59章へ続く

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