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第59章 ライラの苦悩、ライザーの行方

 
「あーあ、外はいいなあ・・・。あ・・・。」
 
 ライラは少し伸びをしかけて、慌ててやめた。
 
「少しくらいなら大丈夫だよ。あとで病室に戻ったらもう一度診てあげるから。」
 
「そう?それじゃ・・・。」
 
 ライラは安心したように、背筋を伸ばして気持ちよさそうに深呼吸した。
 
「ハース鉱山にいるといつも地下の坑道ばかりだからね。なかなかお日様を見られる機会はないんだ。やっぱり外は気持ちいいなあ・・・。」
 
 この季節、一般人も入れる表の庭は色とりどりの花が咲き乱れているが、鍛冶場や王族専用庭への入り口があり、庭というより通り道のような扱いのこの場所には、相変わらず豪華な花はない。だが慎ましやかな野の花があちこちに咲き、風に吹かれてゆらゆらと踊っている。
 
(ここは変わらないな・・・。)
 
 庭の隅にはバケツがおいてある。今でもここの草花に水遣りをする誰かはいるらしい。
 
「ねえ先生・・・。」
 
「・・・ん・・・・?」
 
「父さんは・・・どうして剣士団を辞めたのかな・・・。」
 
「え・・・?」
 
 突然の質問に、思わず言葉につまった。ライザーさんがどうして剣士団を辞めたのか、それは、私にとってもこの20年間、心の中でくすぶり続けてきた疑問だったからだ。
 
「・・・・どうしたんだい、急に。」
 
 慎重に尋ねた。まずはライラの真意を知らなければならない。
 
「急にじゃないんだ・・・。こっちに来てからずっと考えてたんだけど、まさか本人に聞けないしね。」
 
「君の父さんなんだから、そんな遠慮なんてすることはないじゃないか。」
 
「多分ね、聞いても教えてくれないよ。」
 
「そんなことはないと思うけどなあ。」
 
「思うけどなあ、なんて言うけど、先生だってそう思ってるんじゃない?」
 
「・・・どうして・・・?」
 
 まるで心の奥を見透かされたようで、どきりとした。
 
「父さんが団長さんとコンビを組んでいたなんて、僕が聞いたのはハース鉱山に行くことを父さんが許してくれたときだったよ。イルサにも聞いてみたけど、イルサは司書としてクロンファンラに行くことが決まったときだったって。」
 
「そうか・・・。」
 
「どうしてそれまで僕らがそのことを知らなかったのか。誰も教えてくれなかったからだよね。そのことを知っていたはずの、先生も、ウィローおばさんもね。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 答えにつまった。島に戻ってきてから、ライザーさん夫婦とは友人として親しくつきあってきたが、一緒に食事しているときでも、お茶を飲んでいるときでも、剣士団時代のことを話題にすることはめったになかった。オシニスさんが剣士団長になっていることを知らなかったとは言え、昔は同じ仕事をしていたはずの友人が誰とコンビを組んでいたのかすら口に出そうとしないというのは、確かに不自然と言われても仕方がない。
 
「聞いたら答えてくれるようなことなら、ずっと黙ってる方がおかしいよ。言いたくなかったとしか思えないじゃないか。」
 
「言いたくなかったという表現が当てはまるかどうかはなんとも言えないけど、言わなかったわけはわかるような気がするな。」
 
「知ってるの?」
 
「いや、知っているということじゃなくてね。・・・君達みたいな若者には縁のない話だけど、昔北の島が『世捨て人の島』と呼ばれていた頃は、王国剣士は嫌われていたんだ。そのころからずっとあの島に住んでいる人もいるわけだから、話題にするようなことではなかったからなのかも知れないよ。」
 
「でも島の人達はみんな、先生と父さんが王国剣士だったことは知ってるよ。先生とコンビを組んでいた人が亡くなったってこともね。そりゃ自慢するようなことじゃないかも知れないけど、誰と組んでいたかとか、その人が今どうしているかくらいは、知っているなら教えてくれたってよかったじゃないか。すくなくとも、家の中でまで隠すことはないと思うよ。」
 
 ライラの口調は怒っているように聞こえる。
 
「君がそんなに突っかかるなんて珍しいね。つまり君は、君の父さんが何か後ろめたいことがあって、それで剣士団を辞めたのじゃないか、だからオシニスさんにも会いに来ないんじゃないか、そう考えてる訳か。」
 
「だってそうでも考えなきゃ、おかしいじゃないか。」
 
「それは考えすぎだよ。」
 
「うちのタンスにね、父さんの制服が入ってるんだ。」
 
「王国剣士のかい?」
 
「うん・・・。」
 
「先生も昔の制服は持っているよ。もう使うこともないものだから、本当は返してこなくちゃならなかったんだけどね。記念に持って行けって言われて持って帰ったんだ。今でもうちのタンスに眠っているよ。若いときの体格に合わせてあった服なんて、もう着れないから、本当に、ただの記念品のようなものだけどね。」
 
「父さんもそう言ってた。でも記念という割には、タンスの中のすごく奥の方にしまってあったんだ。まるでもう二度と見たくないみたいに・・・。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「大事な記念だって言うなら、いつも鎧と剣を手入れするみたいに時々出して、虫干しするとかすればいいじゃないか。こっちに来てから年配の剣士さん達に会うとね、みんな僕の顔を見るなりびっくりするんだ。そして父さんのことを知ると『ああ、ライザーの・・・』って、とても懐かしそうな顔をするんだよ。みんな父さんのことを悪くなんて言わない。僕に対して気を使ってるわけじゃないことくらいはわかるよ。父さんはみんなに好かれてたみたいなのに、父さんにとってはそうじゃなかったのかな・・・。みんなすごくいい人達ばかりなのに・・・。」
 
「みんな君の父さんのことは好きだったと思うよ。特に先生達のコンビにとって、オシニスさんと君の父さんのコンビは頼れる兄貴分的な存在だった。だいぶ迷惑もかけたっけなあ・・・。」
 
 迷惑も、と言うより、迷惑をかけた記憶しか残っていないというのが情けない。
 
「君の父さんだって、みんなが自分を好いてくれていることくらいわかっていたと思うよ。剣士団でのことを話さなかったのは別に言いたくなかったからじゃなくて、特別話題として出てくる機会がなかったってことじゃないのかい?だいたい本当に剣士団のことを思い出したくないというのなら、制服なんて捨ててしまったってよかったわけだからね。辞めるときに置いてくるなり、持って帰ってしまったなら焼いてしまうなり、本当に見たくないならいくらでも方法はある。それをしなかったのは、君の父さんにとって剣士団にいた頃のことが、ちゃんととっておきたい大事な思い出だったからじゃないのかと、先生は思うよ。」
 
「それじゃなんで団長さんに会いに来ないの?」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「もうずっと前にこっちに着いてるはずなのに、いくら祭り見物が目的だってちょっと王宮に寄るくらいのことは出来るじゃないか。団長さんが父さんの話をするとき、とても懐かしそうなうれしそうな顔をするんだ。他の人も、『あの2人は仲がよかった』『親友だった』って言ってたよ。なのにどうして父さんは会いにも来ないの?それともやっぱり・・・僕がハース鉱山に行ったことをまだ許してくれてないのかな。ただ根負けしただけで・・・だから・・・僕の顔なんて見たくないから・・・。」
 
 いつの間にかライラが泣いていた。家族を泣かせてまでも貫き通したかったライラの夢。その夢への第一歩を、ようやく踏み出すことが出来る。その矢先にイルサが襲われ、巻き込まれたアスランは瀕死の重傷を負った。その衝撃も冷めやらぬ昨日、今度は自分が襲われて、自分を支援してくれているセルーネさんを陥れるための道具にされるところだった。
 
(まだ・・・ライラは20歳なんだよな・・・。)
 
 17歳の若さで単身ハース鉱山に向かってから今まで、ずっと緊張の連続だっただろうに、立て続けに起きたつらい出来事でどれほど打ちのめされているか・・・。父親のことだって、彼はきっとこんな風に考えたことなんてないに違いない。でもこれほど心細い時に、同じ町にいるはずの父親がいつまでも現れないことで、精神的に相当参っているようだ。
 
「そんな風に考えちゃいけないな。君の父さんも母さんも、君の仕事は誇りに思ってるさ。君のことと、君の父さんが昔の仲間に会いに来ないことは、全く別のことだよ。それから、君の最初の質問に答えよう。君の父さんがどうして剣士団を辞めたのか、先生も知らないんだよ。あの時海鳴りの祠で王宮奪還の機会を窺っていた仲間と、先生達は別行動をとっていたんだ。そして先生が海鳴りの祠に戻ったとき、君の父さんはもういなかったよ。誰に聞いても、その理由は教えてもらえなかった。」
 
 隠す必要のないことまで隠せば、誰だって不審に思う。ライザーさんが仲間を裏切ったと思い込んでいるなら、剣士団時代のことなど口に出したくないという気持ちがわからない訳じゃない。でも話してもいいことだってあるのじゃないか。
 
(・・・話したくなかったわけが、わからないわけでもないけど・・・。)
 
 それは自分のためと言うより、イノージェンのためだったのではないかと思う。私が妻と共に島に帰ったとき、オシニスさんから託された手紙をライザーさんに渡した。一人で手紙を読むために岬へと向かったライザーさんの後ろ姿を見つめて、イノージェンは怯えたようにつぶやいていた。
 
『ライザーは・・・行ってしまうのかしら・・・。』
 
 もしかしたら彼女はずっと怯えていたのかも知れない。ある日突然、ライザーさんが剣士団に戻ってしまうことを・・・。
 
(結局・・・私達がいつまでも昔のことを引きずっているのがよくないんだろうな・・・。)
 
 単に自分達の気持ちの問題と言うだけではなく、子供達の心にまで影を落としているとなれば、放っておくわけにはいかない。
 
「・・・そろそろ戻ろうか。もう夕方だ。」
 
「うん・・・。ごめんなさい、泣いたりして。」
 
 私は思わずライラの頭に手を乗せて、髪をくしゃくしゃとなでた。小さい頃、いつもこうして頭をなでてやっていたものだ。
 
「そんなことで謝らなくていいよ。先生にとっては、君もイルサも自分の子供のようなものさ。君の父さんと母さんがいないときは、先生に甘えたっていいんだよ。昔は君のおむつだって取り替えてあげたんだからね。」
 
「そ、それは・・・その・・・。」
 
 ライラが赤くなる。
 
「ははは・・・先生にとっては、君はまだまだ子供なんだってことさ。つまらない遠慮なんてしなくていいから、泣きたいときは泣く、それが一番だよ。」
 
「うん・・・。」
 
「もう少しここにいようか。先生でよければ、肩を貸すよ。」
 
 私はライラの前に回り、しゃがみ込んで肩に手をかけた。ライラは何度もうなずきながら、私の肩に顔を乗せて泣いた。こうして泣かせてやることはいつだって出来る。でもやっぱり、私達では親の代わりにはなれない。今ここにライザーさん達がいてくれたら、ライラだけでなくイルサだってどんなにか心強いだろうに・・・。
 
(来ないなら・・・こっちから行くしかないか・・・。)
 
 明日もう一度神父様のところに行って聞いてみよう。ライザーさん達にどんな事情があろうと、彼らの子供達が今どういう状況に陥っているかだけでもなんとか知らせたい。それにもう一箇所、行って確かめておかなければならないことがある。
 
 
 西の空が鮮やかなオレンジ色から少しずつ藍色に染まり始めた頃、私の肩で震えていたライラの頭の動きが静かになった。
 
「先生、ごめん・・・。」
 
「ほらほら、また謝ってる。先生のことなんて気にしなくていいよ。落ち着いたかい?」
 
「うん・・・。もう戻るよ。おばさんもイルサも心配してるかも知れない。」
 
「そうだね。それじゃ行こうか。」
 
 出来るだけゆっくりと車いすを押した。ライラの顔の腫れがひいてくれるように・・・。
 
 
 病室ではイルサと妻が待っていた。ハインツ先生とゴード先生ももう引き上げているので、医師は誰もいない。これからは、薬の時間やリハビリの時間だけ顔を出すことにするらしい。アスランのところにはまた別な王国剣士達が何人か来ており、賑やかに話し込んでいる。その中に息子の姿を見つけた。
 
(そう言えば・・・記憶障害の件はちゃんと調べてくれているのかな・・・。)
 
 アスランの病室で息子に会うのは、アスランが初めてはっきりと目を覚まして話せるようになって以来だ。そのあとは私も常に病室にいたわけではないので、果たして息子がここに来ていたかどうかまでは聞いていない。
 
「あ、父さん、お帰りなさい。ライラ、久しぶり!なんかひどい目に遭ったそうじゃないか。大丈夫なの?」
 
 息子は心配そうにライラを見ている。
 
「ははは、まったくね。僕もしばらく入院だよ。」
 
 ライラは笑顔で答えた。まだ少し目が赤いが、息子はそれに気づいただろうか。
 
「へぇ、それじゃここに来ればライラに会えるのか。それも良いなあ。」
 
 相変わらず、我が息子はのんきだ。だが今の場合、こののんきさが救いになっている部分もある。
 
「ライラのことは聞いたのか。」
 
「うん。勤務シフトの変更があったんだ。ライラのことで警備箇所が増えたから、昼間の警備から何人か夜勤に廻るみたいだよ。残念ながら僕は今のままだけどね。」
 
 カインの父親と聞いて、アスランのまわりにいた剣士達が振り向き、慌てたようにそれぞれ頭を下げた。笑顔で応えながら一通り見渡したが、初めて見る顔ばかりだ。ライラに挨拶をする剣士がいないところを見ると、みんなライラとは面識がないらしい。
 
「ふぅん・・・。ところでカイン、この間頼んでおいた話はどうなったんだ?」
 
「うーん・・・いまのところ特に気になる点はないなあ。あの日の昼間のことから、少しずつ遡っていろいろ聞いてみたんだけど・・・。もう少し遡ってみたほうがいいのかな・・・。」
 
「どのくらい前の話をしたんだい?」
 
「えーとねぇ・・・祭りが始まる一ヶ月くらい前の話かなあ。」
 
「そうか・・・。まあ、思い出したときでいいよ。そんなに丹念でなくても、どっちかというと確認みたいなものだからね。」
 
「うん、わかった。」
 
「ちぇっ、カインはいいよなぁ。俺なんかそうそう当りくじが引けるわけじゃないから、次はいつここに来れるかわからないよ。」
 
 アスランと話していた剣士が一人、振り向いて羨ましそうに言った。
 
「そんなこと言ったって仕方ないじゃないか。頼まれたのは僕なんだから。」
 
「お前は毎日来てたのか?」
 
「うん、いつも父さんはいなかったよね。僕もちょっとだけ顔を出して、ちょっとだけ話して、すぐに仕事に戻っちゃったから。」
 
「仕事中に?」
 
「うん。団長にその話をしたら、仕事の最中でもちょっとだけ戻ってきていいって言われたんだ。おかげでみんなから恨まれてるよ。」
 
 カインは肩をすくめてみせたが、何となく楽しそうだ。この『特別扱い』が気に入っているらしい。
 
「うーん・・・それはみんなに悪いことをしたな。そのくじ引きで、一度に見舞いに来れるのは何人なんだい?」
 
「今は5人かな。前は3人だったよ。僕がまともにくじ引きなんてしてたら、いつ来れるかわからないよ。くじ運ないしね。」
 
「そうか・・・。」
 
 もうそろそろ見舞いの人数制限も必要ないと思えるのだが、ハインツ先生にお任せしますと言ってしまった手前、ここで勝手に何人来てもいいとは言えない。あとでそれとなくハインツ先生に話しておこうか・・・。
 
「あーあ・・・早く誰でも見舞いに来てよしって言われるといいなぁ。なんか心配でさぁ。」
 
 さっきの剣士が声をあげた。
 
「何言ってんだ。俺より自分の心配しろよ。」
 
 アスランが笑いながら言った。誰も敬語を使ってないところを見ると、今来ている剣士達はどうやらみんな息子達と同期か、せいぜい1〜2年くらいしか違わないらしい。まだ起きあがれないが、アスランはもう普通の病人と変わらない。多少賑やかなくらいの方が回復も早まるだろう。心配なのはライラのほうか・・・。しばらくは治療を続けないと、ずれた部分がきちんと戻らなくなってしまう。
 
「さてと、ライラ、あとはちゃんと寝ていてくれよ。君の場合、食事は普通のが食べられるから、せめてたくさん食べて、英気を養ってくれ。」
 
「そんなに動いてないはずなのに、お腹空いたな・・・。まずいなあ。太りそうだ・・・。」
 
「もう少しくらい肉が付いても大丈夫だよ。君達はまだまだ成長途中なんだから、よくなってから訓練でもすればすぐに贅肉が筋肉に変わるさ。」
 
 手を貸して、ライラをベッドに寝かせた。本当なら今日くらいは寝たままにしておいてほしいのだが、さすがに食事を食べさせてもらうというのは抵抗があるだろう。今夜だけは食事が終わるまでいて、患部の状態を確認してから帰ったほうがいいかもしれない。
 
 
「失礼しますー。お食事持ってきましたぁ。」
 
 ノックと共に扉が開き、香ばしい香りが鼻をついた。
 
「食事?患者の食事は診療所でまとめて運んでくるんじゃないのかい?」
 
 こんな形で食事が届くところを見たのは初めてだ。
 
「あれ?チェリル。なんで君が食事の配達なんてしてるんだ?」
 
 息子が不思議そうに振り向いた。
 
「あ、あらカイン、いたの?」
 
 チェリルと呼ばれた娘は顔を赤らめた。なるほど、この娘が宿舎の食堂で働いているというチェリルか。栗色の髪をきちんと束ね、淡いブルーグレーの瞳が恥ずかしそうにカインを見つめている。活動的なズボンをはいて、上から長めのエプロンをつけていた。特に美人と言うほどではないが、笑顔はなかなかかわいらしい。フローラとはかなりタイプの違う娘のようだ。
 
「あー!こらチェリル!先に診療室に声をかけてからと言ったじゃないか!」
 
 チェリルの後ろから駆け込んできた人影がある。初めて見る顔なのだが、どこかで見た覚えがあるような気がした。
 
「あ、マレック先生、す、すみません。つい・・・。」
 
「いきなり君が食事を持って現れたら、おかしいと思われるじゃないか。・・・おや、あなたは・・・。」
 
 名前を聞いて合点がいった。どうりで見たような気がしたわけだ。デンゼル先生に似ているのだ。そっくりというわけではないが、パッと見た瞬間の表情がとてもよく似ている。マレック先生はぽかんとしている私を不思議そうに見ていたが、
 
「もしや・・・あなたはクロービス先生ではございませんかな?」
 
「そうですが・・・あなたがマレック先生ですか。デンゼル先生の息子さんの・・・。」
 
 どうして私の顔を知っているのかはともかく、私もこの先生にはずっと会いたいと思っていた。
 
「はい、父がだいぶお世話になったそうですな。いずれ一度はお会いしたいと思っておりました。今回この若者の食餌療法のプログラムを作ってほしいと、ハインツ先生から頼まれましてね。これを機会にぜひ先生にお話を伺えたらと考えておったのですよ。」
 
 握手を交わしながら、マレック先生は愛想よく話してくれた。
 
「お世話になってるのは私のほうです。初めてローランに行ったときからずっと、デンゼル先生にはお世話をかけ通しですよ。私のほうこそ、先生には一度お会いしたいと思っていました。ハインツ先生にうかがったらとても忙しいとのことでしたので、もう少ししたらご都合を聞いてみようかと考えていたところです。」
 
「おお、そうでしたか。それはうれしいですな。麻酔薬の開発者と直に話が出来る機会など、そうそうあるものではございませんからな。」
 
「ところで先生、このお嬢さんが食事を持ってこられたのは、先生のご指示でしたか。」
 
「おお、そうなんですよ。この娘はチェリルと言いまして、剣士団宿舎の食堂で働いているんですがね、料理の腕はなかなかでして、病人食の時は時々この娘に頼むんですよ。みんな混ぜてどろどろですからな、せめて味くらいはいい物をと思いましてね。しかしチェリル、君が直接ここに来るとは思わなかったぞ。今回に限って何でまた・・・。」
 
「あ、あの・・・冷めちゃうかなー・・・・なんて・・・。」
 
 要領を得ない返事をしながら、チェリルは赤い顔のままもじもじしている。何となくだが、この娘がなぜこんな行動に出たかわかってきたような気がした。カインの相方であるアスランに、自分を売り込んでおくのが目的か、そして見舞いでカインがいたら顔も見ることが出来る、そんなところだろう。
 
『将を射んとすればまず馬を射よ』
 
 元々砂漠地帯の騎馬民族に端を発するという、サクリフィアのことわざだそうだ。馬に乗った敵の将を討ち取りたければ、まずは将を乗せている馬を倒す。当然敵の将は落ちるので、そこを叩くと言うことらしい。我が息子は将というには貫禄はないし、馬にされたアスランはいい迷惑かも知れないが、この娘なりに必死なのだろう。カインの同期の王国剣士ティナは、あれからこの娘に何か指南をしたのだろうか。マレック先生はやれやれといった風に頭を振りながら、アスランのベッドをのぞき込んで話しかけた。
 
「アスランだったね、しばらくはチェリルが食事を運んでくると思う。宿舎の食事との都合上、多少食事の時間が前後するかも知れんが、君もこの娘の食事がうまいことは知っているだろうから、その辺は理解してくれないか。」
 
 今までアスランを囲んでいた若い剣士達は、今のマレック先生と私の会話でひそひそと話し始めている。
 
『麻酔薬って・・・おい、カインの親父さんてそんなすごい人だったのか』
 
『おいカイン、なんで黙ってたんだよ』
 
『そ、そんなこと言われたって・・・』
 
 息子も返事に困っているらしい。息子にとって、私が麻酔薬の開発者となっていることは、それほど大事なことではないらしいのだ。それよりも、剣士団にいたことのほうが遙かに大事なことだと考えているらしい。
 
「俺はかまいませんよ。動けないから腹も減らないし、チェリルのメシがうまいのは知ってますから。」
 
 アスランの声はもうすっかり普通の声に戻っている。動けないことを除けば、普通の怪我人と何ら変わりない。
 
「うむ、ではもしも食事について何か要望があれば、チェリルに直接伝えてくれていいよ。ただしチェリル、アスランの要望があったときは、必ず私に報告してくれ。君の判断で量を増やしたり、固さを変えたりしてはいけない。病人食というものは、ちゃんとその患者に合わせて作るものだからね。」
 
「あ、は、はい!」
 
 チェリルが妙にすっとんきょうな声で返事をした。
 
「そんなに焦って返事をしなくていいよ。ちゃんとわかったのかい?」
 
「あ、はい・・・えーと・・・。」
 
 チェリルはなぜか上の空のようだ。そして彼女の注意が、どう考えても自分に注がれていることを感じる。特に変な格好はしていないはずだし、顔も洗ったから汚れてはいないはずだし・・・などと考えているうちにハタと思い当たった。
 
(そうか・・・好きな相手の親が来ているとなれば気になるだろうな・・・。)
 
「もう一度説明するよ。頼むからちゃんと聞いてくれ。君らしくないな。せっかくアスランの食事作りを君に頼んだのに、君がちゃんとやってくれないと、私はクロービス先生に顔向けが出来ないよ。アスランを死の淵から救ってくれたのは、クロービス先生と奥様なのだからね。」
 
 マレック先生はため息をつきつき、さっきと同じことをもう一度繰り返した。
 
「はい!わかりました!」
 
 チェリルの意識が私を外れてマレック先生に戻った。アスランの件に私達が関わっていると聞いて、かなり張り切っているのがわかる。だが彼女の本当のお目当てであるはずのカインは、ほとんど彼女を見てはいない。
 
「クロービス先生、食餌療法のプログラムですが、ご覧になりますか?」
 
「いえ、専門の先生が作ってくださったのですから、お任せします。」
 
 専門家のすることに、私が口を出す筋合いはない。
 
「そうですか。ではお任せいただきましょう。彼の食事は私が責任を持って管理します。」
 
 自信に満ちた答えに安心した。全体的な治療と投薬はハインツ先生に、リハビリはゴード先生に、そして食事のほうはマレック先生が請け負ってくれた。どうやらアスランのことは、もう私が心配する必要はないようだ。今日帰る前にでも、ドゥルーガー会長に話を通しておこう。ここに私は必要ない。
 
「よろしくお願いします。」
 
「こちらの患者は、怪我での入院ですか?お知り合いのようですが・・・。」
 
 マレック先生がライラに振り向いた。私はライラをマレック先生に紹介し、ライラの今の状態と、ハインツ先生に入院手続きをとってもらったことを話した。
 
「ほぉ、あなたがハース鉱山の地質学者殿でしたか。お若いとは聞いていましたが・・・いや失礼、仕事に歳など関係ございませんな。私はマレック、王立医師会の主任医師の一人で、食事による病気の治療について長年研究しておる者です。」
 
 丁寧な挨拶に、ライラが慌てて飛び起きようとしたが、マレック先生がそれを制した。
 
「おっといけませんな。あなたは今ここの患者です。怪我を治すのが最優先ですよ。そのままでいてください。」
 
 ライラは仕方なく、寝たままの状態で挨拶を交わしていた。
 
「クロービス先生、彼は普通の食事でかまいませんな?それとも、整体治療には何か特別なメニューが必要ですか?」
 
「いえ。普通のけが人と一緒ですから、こちらで出していただけるもので問題はないです。」
 
「なるほど。しかし・・・整体もこなされるとは、いやはや、先生は博識ですなぁ。」
 
「私の師が得意としていましてね、私の住む島では怪我人なども多いので、必要に迫られて覚えたようなものです。」
 
「ほぉ、すばらしい。ぜひうちの医師達にもご教授いただきたいものです。」
 
「専門医がいらっしゃらないという話はゴード先生からも聞きました。お役に立てることがありましたら、いつでも手伝わせていただきますよ。」
 
 指導者として祭り上げられるのはこまりものだが、専門家の育成と言うことでなら多少手伝えることはあるだろう。今回のことではだいぶ医師会に世話になった。そのくらいの恩返しはしなくてはならない。
 
「父さん、ライラの怪我はひどいの?」
 
 整体と聞いてか、息子が心配そうにライラを覗き込んだ。整体の治療がどういうものか、その治療を受けに来る患者がどんな状況にあるかは、息子もよく知っているからだろう。
 
「そんなでもないよ。殴られたときの傷はもうきれいにしたしね。ただ、気を失うほどの衝撃を受けて、体が完全に無事かどうかというのは、もう少し調べてみないと何とも言えないってことさ。」
 
「そうか・・・。ライラの顔が見られるなんて単純に喜んじゃって悪かったな、ライラ、ごめん。」
 
 息子がライラに頭を下げた。
 
「そんなこと気にしなくていいよ。僕も君と会えるのは楽しみだけど、さっき言ってたくじって何?」
 
「ああ、それか・・・。」
 
 カインが、アスランの見舞いについて一度に多人数で行くのはよくないからと、ランドさんがくじを作って当たった者だけが見舞いに来れるのだという話をして聞かせた。
 
「へぇ・・・おもしろいことを考えつくなあ。」
 
 ライラが笑い出した。
 
「元々はオシニスさんの発案だよ。アスランがまだ目覚めたばかりの頃に、くじでも作って交代で来るようにって言ってたんだ。」
 
 まさか本当に作るとは思わなかったが。
 
「あの・・・。」
 
 遠慮がちな声に振り向くと、チェリルがまだそこに立っていた。
 
「なんだい?」
 
「あのーこちらの患者さんにも、食事を作ってお持ちしましょうか?」
 
「いや、ライラは別に食事の制限はないからね。ここの入院施設の患者さん達と同じもので充分だよ。」
 
「そ・・・そうですか・・・。」
 
 チェリルは残念そうだ。なるほど、ライラがカインの知り合いだと知って、こちらにも売り込んでおこうという作戦か。まさかと思うが、これはティナの立てた作戦だろうか。単にカインをうまい料理で釣るのではなく、カインの友達にも、自分の料理上手を印象づけておこうという・・・。
 
(穿ち過ぎかなあ・・・・。)
 
「あ、あの、カインのお父様なんですよね?」
 
 チェリルはなおも話しかけてくる。やはりさっき私を気にしていたのは、私がカインの父親だと知って、どうやって知り合おうかいろいろと考えを巡らせていたかららしい。
 
「そうだよ。そっちにいるのがカインの母親だ。君は剣士団宿舎の食堂で働いているそうだね。」
 
「は、はい!チェリルです。よろしくお願いしますっ!」
 
「こちらこそ。息子が世話になっているそうね。これからもよろしくね。」
 
 妻に笑顔で挨拶され、チェリルは顔を真っ赤にしている。
 
「ねえチェリル、今日の夕メシ何?」
 
「今日の夜はチキンのワイン煮込みと野菜サラダ、スープはキチンのコンソメよ。それに焼きたてパンと紅茶。あ、ライスもあるわ。食前にちょっと飲みたい人にはキールがお勧め。ほかにローダおばさんが作ったポトフもあるから、好きなの選んでよ。もちろん、いつもみたいに全部ってのもありよ。」
 
 チェリルはカインに話しかけられてうれしそうだが、息子の興味はどうも料理だけのようだ。相変わらずかなりの量を食べているらしい。
 
「う〜・・・聞いてるだけでうまそうだ・・・。くそぉ、早く食えるようになりたいよ・・・。」
 
 ため息と共にアスランが悔しそうに言った。
 
「早くうまい食事が出来るようになるためにも、今はこの食事をきちんと食べておとなしくしていることだね。」
 
 マレック先生が笑いながらアスランに声をかけた。
 
「さて、私はそろそろ戻ります。ではクロービス先生、また後日にでも。」
 
「はい、アスランのこと、よろしくお願いします。」
 
 
 そこにちょうど、患者達への食事の配達が始まったらしく、いい匂いが廊下から漂ってきた。
 
「さてと、俺達もメシを食いに行くか。」
 
 アスランの見舞いに来ていた剣士達が腰を上げた。
 
「おい、お前は明日から夜勤だろう?しっかりやれよ。」
 
「う、それを言うなよ。緊張してるんだからさ。」
 
「お前が緊張して震えて仕事にならないって言うなら、俺達の組がいつだって代わってやるぜ。」
 
「ふん!そうはいくか!」
 
「へへっ、それならがんばれよ。どれ俺達は、今のうちに団長に売り込んでおくかな。」
 
「それじゃアスラン、またくじが当たったら来るよ。」
 
「おとなしくしてろよ。」
 
 剣士達はみな明るく、屈託がない。夜勤を命じられた剣士達は、初めての大役にいささか緊張しているようだ。この仕事をきちんと勤め上げれば、おそらくは新しい警備場所への任務を与えられる可能性もあるのだろう。
 
「うるさいな。さっさと行けよ。俺の分までがんばってこいよ!」
 
 アスランも楽しそうだ。剣士達は、冗談を言い合い、笑い合いながら病室を出て行った。見ると息子がまだいる。
 
「カイン、お前も食事なんじゃないのか?」
 
「あ、うん。僕も行くけど、ねえ父さん、こっちに来たらみんなで食事しようって言ってたじゃないか。いつがいいかなあ。」
 
 こっちに来るなりごたごた続きで、その話もすっかり忘れていた。
 
「そうだな・・・。父さん達のほうはいつでもいいよ。ライラの怪我は2〜3日でよくなるだろうし。」
 
「そっか・・・。それじゃあとはフローラの都合か・・・。」
 
 カインの言葉に、部屋を出て行きかけたチェリルの足が止まってしまったことに、カインは気づいていない。
 
「その話は明日にしよう。父さん達は明日またここに来るから。どうせ今日は無理なんだから、明日ちゃんと話を決めようじゃないか。」
 
「そうだね。それじゃ明日の昼か夜にでもここに来るよ。それじゃアスラン、僕は行くよ。早くよくなって、また一緒に仕事に行こうな!」
 
「ああ、それまで腕を上げておけよ。」
 
「へへん、君なんて足元にも及ばないくらいになっててやるよ。」
 
「ふん、すぐ追いつくさ。」
 
「その意気だよ。じゃあね、セラフィもまたね。」
 
「は、はい。また・・・。」
 
 まるでずっと前からの知り合いだったかのような息子の口調に、セーラはきょとんとしている。カインはそんなことにはお構いなしに、今度はライラのベッドによった。
 
「ライラ、今度またこの間の店に行こうよ。あそこの食事うまかったよねぇ。またゆっくり話したいな。」
 
「実は昨日行ってきたんだよ。先生達と一緒にね。」
 
「えー!?残念、仕事がなければ僕も行けたのに・・・。」
 
「そのうちまた行けばいいさ。なんなら、フローラと一緒に食事をするときあの店に行ってもいいんじゃないか?」
 
「あ、そうか!父さんあったまいー!」
 
「お前にほめられるってのも複雑だな。ほら、もう行きなさい。」
 
「はーい、それじゃまったねー!」
 
 カインは病室を出て行きかけて、入り口にチェリルが立っていることに気づいた。
 
「あれ?チェリル、もう忙しくなる時間じゃない?」
 
「あ、そ、そうよ。えーとその・・・。」
 
「食堂に行くなら一緒に行こうか。僕も腹ぺこだよ。」
 
「う、うん!行こう!」
 
 うれしそうなチェリルの声に続いてぱたぱたと足音が聞こえ、やがて静かになった。廊下では、かたかたと食事を乗せたワゴンを押して歩く、看護婦達の姿が何人か見られるだけだ。病室の前の剣士達は黙ったまま、何事もなかったかのように立っている。
 
「あの子カインのこと好きなのね・・・。」
 
 イルサが口を開いた。この病室に入ってきてから、イルサの声を初めて聞いた。アスランの見舞いに来た剣士達に『アスランの彼女』として声をかけられないよう、かなり神経を使っていたのかもしれない。
 
「どうして?」
 
 まさか以前にティナ達に聞いていたとも言えず、素知らぬふりで尋ねた。
 
「すぐわかるわよ。カインと話すたびに真っ赤になって・・・。でもカインは全然あの子のことは見てないみたいね・・・。」
 
 赤くなったというなら、受付嬢の娘もそうだ。物怖じせずに誰にでも話しかけて誰とでも仲良くなる。それは間違いなく息子の長所だと思うのだが、こうなると何とも言いようがない。
 
「どうなのかしらね・・・。」
 
 妻も素知らぬふりで返事をする。そこに食事が運ばれてきた。持ってきてくれたのはセルーネさんの娘、クリスティーナだった。
 
「食事の配達もするのかい。」
 
「はい。出来ることは何でもさせていただくことにしておりますの。」
 
「この仕事が好きなんだね。」
 
「ええ・・・。でも、いつまで続けられるかはわかりませんから、せめて今だけでもいろいろ覚えておきたいんです。」
 
「そうか・・・。そう言えば、君は確か、母上と同じく剣をたしなむと聞いたんだが、そっちのほうは今はやってないのかい?」
 
「それは・・・その・・・・。」
 
 なぜかクリスティーナは口籠もってしまった。
 
「あ、まずいことでも聞いたかな・・・?申し訳ない。気にしないでくれ。」
 
 クリスティーナは慌てて頭を振った。
 
「い、いえ、そうではございませんの。わたくしの剣など・・・子供のお遊びのようなものですもの。そんなことより、ここで皆さんのお役に立ってる方が・・・・。」
 
 クリスティーナは不意に言葉をつまらせ、一瞬だけきゅっと唇をかんだ。
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 クリスティーナは多分、本当は剣の道に進みたいのだ。だが兄が王家に養子に入れば、自分が公爵家を継がなければならない。自分の代で200年以上続いてきた公爵家を断絶させるわけにはいかない。好きな仕事に就けるというのも幸せか・・・。私にとって王国剣士は、別に好きな仕事でもなければ、どうしてもなりたい仕事でもなかった。だが、王国剣士として生きたあの一年間は、私にとってかけがえのない充実した時間だった。もしも・・・今更言ってみたところで詮無いが、もしもあの時、フロリア様に何事もなければ、王国剣士団が解散などと言う事態にならなければ・・・私は妻と出会うこともなく、カインも死ぬこともなく、もしかしたら今でも2人で、王国剣士としてこの町で生きていたかも知れない。誰かと知り合って結婚して、若い剣士達の面倒を見ながら・・・。
 
「あの・・・ライラさんですわよね?」
 
 クリスティーナが遠慮がちにライラにかけた声で我に返った。
 
「そうだよ。君達とはあまり会ったことがなかったけど、覚えていてくれたんだね。」
 
 ライラが寝たままで返事をした。
 
「それはもちろん、覚えておりますわ。ナイト輝石採掘再開の立役者ですもの。ふふふ、うちの母はライラさんのお父様のことも知っているらしくて、時々その方の話も出ますのよ。」
 
「・・・へぇ・・・それはぜひ聞きたいな。」
 
 ライラの顔に、一瞬だけ複雑な表情がよぎったが、すぐに笑顔に戻った。
 
「とても優しい方だったそうですね。でも剣を持つと人が変わるんですって。剣士団長様のコンビと立合をした時には、何度も負けたことがあると、今でも悔しそうに申しますの。ライラさんのお父様はとても強い方だったのですね。」
 
「そうだね・・・。」
 
「わたくし、自分がなることは出来なくても王国剣士さん達の話を聞くのは好きですのよ。母に伝えておきますわ。ライラさんにお父様のお話をいろいろしてあげてくださいって。」
 
「ははは・・・そのうちね。」
 
「はい。・・・あ、あら、申し訳ございません。無駄話をしてしまって。それではわたくし、他にもまわらなければならないお部屋がありますので、これで失礼いたします。」
 
 クリスティーナは扉の前で、スカートの端をつまんで優雅にお辞儀をした。その瞬間、他の看護婦達と同じ地味な色の木綿のスカートが、極上の絹で出来たドレスのように見えた。もしもこの娘が爵位を継いでも、きっと立派な公爵閣下となるに違いない。もっとも本人は、それを望んではいないようだが・・・。
 

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