←前ページへ



 
 
「まさかぁ、だってここ何日かずっと晴れてるわよ。」
 
 話がとぎれたせいか、いきなりセーラさんの声が飛び込んできた。入り口にほど近いテーブルに座っている3人ほどのグループと話をしている。まだみんな若い。さっき私達が飲み始めたコーヒーの香りをかいで、自分達にも同じものをと頼んだ客だ。その客も顔見知りなのだろう、セーラさんは時折笑い声を上げながら、話し込んでいる。
 
「いや嘘じゃないって。本当に聞いたんだ。あれは絶対バカでかい雷だったよ。」
 
 客の一人が必死な顔で説明している。
 
「それじゃ晴れた空に突然雷雲でも出来たってわけ?」
 
 セーラさんがまた笑った。
 
「ひどいなあ、そんなに笑わないでくれよ。俺だって聞いたんだぜ?」
 
「俺もだよ。あれは雷って言うより、落雷だったような気がするなあ。」
 
 3人とも口々に「大きな雷」の話をしている。もしかしたら・・・。
 
「それじゃ、3人そろって同じ音を聞いたわけ?」
 
 セーラさんがやっと笑うのをやめて尋ねた。
 
「そうだよ。あれはいつだったかなあ、そんなに前じゃないよ、せいぜい2〜3日前じゃないかな。」
 
「つまり、あなた達は男3人で夜の祭り見物に出掛けていたと、こういうことよね。」
 
 セーラさんがそう言ってまた笑い出した。
 
「い、いや・・・それは・・・。」
 
 3人の若者達が赤くなって黙り込んだ。
 
「どうせ大きな花火の音でも間違えたんでしょ。そんなことより、せっかくのお祭りに女っ気なしってことのほうを気にしたほうがいいわよ。」
 
 セーラさんは『大きな雷の音』には興味がないらしい。それきり若者達の話題は、それぞれの『女っ気』についての話題になってしまったようだ。
 
(結構聞いていた人がいるみたいね・・・。)
 
 妻がささやいた。
 
(そのようだね・・・。まあ心配はいらないようだけど。)
 
 ナイト輝石の採掘再開に反対する何者かは、祭りで城下町の警備が手薄になる時を狙って攻撃を仕掛けてきた。だが、あの騒々しさがこちらにも有利に働いたようだ。今のところ、あの時の出来事はたいした噂になっていない。だが、あれだけ大がかりなことをして、思ったような効果が得られなかった場合、敵はそのままおとなしくなるのだろうか・・・。答えは『否』だと思っておいたほうがいい。あの時、敵はイルサを殺す気はなかったようだが、アスランのことはためらわずに刺した。そんな危険きわまりない連中を、甘く見るべきではなさそうだ・・・。
 
 
 
 食事を終えて、私達は『セーラズカフェ』をあとにした。せっかくここまで来たのだからと、私は『演劇学校』の場所について知っているかどうか尋ねてみた。ライラがある程度は知っていたらしく、途中まで案内してくれた。ノルティの言っていたように、貴族達の屋敷のある一角に、落ち着いた雰囲気の建物が建っている。
 
「ここみたいだね。案内をもらってくる?」
 
 ライラが言ったがもう時間がない。そろそろお昼の時間も終わりだ。ライラにも私にも王宮での仕事が待っている。
 
「いや、場所もわかったことだし、あとで来てみるよ。それとライラ、君達の父さんと母さんが泊まっているかも知れないおじさん夫婦の家ってのはどこだかわかるのかい?」
 
「実は聞いてないんだよね・・・。なんでも暮らし向きがあまりよくないらしくて、大勢で押しかけたりしたら迷惑になるって。だから父さん達の手紙にも、ずっとはいないかも知れないって書いてあったんだ。」
 
「そうか・・・。」
 
 そう言えば、ライザーさんの両親が破産状態で島に流れ着いてから、同じ事業を手伝っていたその叔父さん夫婦も仕事を失い、食うや食わずの生活だったという話を聞いたことがある。自分達の食べ物を削っても、ライザーさんにはおいしいものを食べさせていい服を着せてくれた、とてもいい人達らしい。
 
「それじゃそろそろ王宮に戻ろうか。仕事が待っているしね。」
 
「うん。」
 
 王宮へ戻るまでの間、イルサはため息ばかりつき、ライラがいろいろと話しかけていたのだが結局アスランの病室には行く気がなさそうだった。一人で外に出るわけにもいかないので、今日は本でも読んで過ごすと言うことになったのだが、そこに妻が
 
「あら、イルサ一人なら私が護衛するわよ。どこにでもついて行くわ。」
 
そう申し出てくれた。
 
「あれ?ウィロー、君は病室に来ないの?」
 
「私が行っても別に仕事はないでしょ。私は今日一日、イルサと一緒にゆっくりさせてもらうわ。」
 
「ゆっくりは昨日と一昨日でもういいんじゃなかったのかい?」
 
「あら、一人と二人じゃ全然違うわ。イルサに会ったのも久しぶりだし、少し王宮の中でも案内してもらおうかな。昔よりだいぶ建物が増えたから、今朝も迷いそうになったのよ。」
 
「そうか・・・。それじゃ任せるよ。夕方までには戻ってきてくれればいいよ。」
 
「わかったわ。ねえイルサ、いろいろ案内してくれる?」
 
「王宮の中ならわかるから、行ける場所にならどこにでも案内するわ。ふふふ、よかった。おばさんと一緒なら心強いもの。」
 
 イルサが笑顔になった。
 
 
 
 王宮について、私はまずライラと一緒に剣士団長室に向かった。ライラの仕事が終わったあと、フロリア様の手が空くようならお会いしたいと、単刀直入に申し出てみた。オシニスさんは驚いた顔をしたが、フロリア様の仕事はいくらでもあるが、話をするくらいのことなら大丈夫だという返事が返ってきた。
 
「どうせなら一緒に行くか?」
 
「ライラの仕事が終わってからでいいですよ。私は病室にいますから。終わったら教えていただければ。」
 
「わかった。それじゃライラ、準備が出来たら行くぞ。」
 
「はい。」
 
 私達は一緒に剣士団長室を出て、私は診療所に、オシニスさんとライラは執政館へと向かっていった。
 
 
 
「・・・情けないなあ、全く・・・。」
 
 病室を開けるなり飛び込んできたのはアスランの声だった。声はまだ少し嗄れていたが、会話にはもうなんの問題もない。
 
「しょうがないでしょ。まだスプーンも持てないんだから。」
 
「そりゃそうだけど・・・。あー、いいってば!口の周りを拭くくらいなら・・・・う・・・もう少し・・・ふぅ・・・・どうだ、ちゃんと拭けたぞ。」
 
「そうね。それじゃ、口を拭くのは自分でやってね。」
 
「言われるまでもないよ。・・・しかしこの程度のことが出来ないなんて・・・。まいったなぁ・・・。」
 
 アスランのため息が聞こえた。
 
「食事をしたのかい?」
 
 私はベッドを覗き込んで声をかけた。アスランはまだ寝ていて、ベッドの隣にしつらえられた台の上には食事が乗ったトレイが置かれている。セーラが器をかさねてスプーンを置いていた。食事が終わったところらしい。
 
「あ、先生、はい、ドロドロの病人食だったけど、全部食べちゃったんです。お代わりさせろってまで言ったけど、さすがにそれはだめだって。」
 
 セーラが笑い出した。アスランはばつの悪そうな顔で私を見上げている。
 
「ははは。食欲があるのはいいことだが、いきなり大量に食べるのはよくないからね。でも夜はもう少し量を増やしてくれるように頼んでおくよ。」
 
「お願いします・・・。あ〜ぁ・・・・たっぷり食って早く体力をつけたいんだけどなぁ。」
 
 アスランが情けない声で言った。
 
「君は瀕死だったんだよ。体力はかなり落ちている。そして食べたものを栄養として体に取り込む能力もね。今そんなにたくさん食べたら、消化しきれなくて腹をこわすのが落ちだな。そんなことになったらますます仕事復帰が遠のいてしまうよ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 アスランが真顔になって私を見上げた。
 
「どうしたんだい?」
 
「俺・・・一度死んだんですね・・・。」
 
「誰に聞いたんだ?」
 
「さっき医師会の会長さんが来て、説明してくれました。カインの親父さんとお袋さんのおかげで生き返ったって・・・。」
 
「別に私達のおかげってことはないよ。呪文を使ったのは確かにカインの母親だけど、みんなが協力してくれたからこそうまくいったんだ。」
 
「・・・ありがとうございました・・・。寝たままじゃしまらないけど、ちゃんと起きられるようになったら改めてお礼を言わせてください。」
 
「いまの言葉で充分だ。それに助けた側から言えば、君が回復してまた王国剣士としてやっていけるようになってくれることが一番うれしいよ。そのためには焦ってはいけないよ。」
 
「わかりました・・・。」
 
「ほら言ったでしょ。たくさん食べたからって早くよくなるわけじゃないって。看護婦の言うことはちゃんと聞くものよ。」
 
 セーラは我が意を得たりとばかりに胸を張ってみせる。
 
「わかったよ。そんなに偉そうに言うなよ・・・。」
 
「いやいや、妹御のおっしゃるとおりですぞ。」
 
 ハインツ先生が食事の終わるのを待って薬を持ってきてくれていた。
 
「セーラさんの看護の仕方は的確ですからね。さすが、デンゼル先生のところで働いていられるだけのことはあります。きちんと言うことを聞いて、養生してくださいよ。まずはこの苦い薬を飲んでいただきましょうか。」
 
 アスランは顔をしかめたが、目をつぶって必死な顔で薬を飲み干した。そのあとはいつものように手足の動きを調べたり脈を測ったりしていたが、ここまで回復してしまえばそんなにやることがあるわけではない。
 
「お茶でもいかがですか。」
 
 ハインツ先生に声をかけられ、私は病室の一角にあるテーブルの椅子に座った。
 
「やっと落ち着きましたね。」
 
 ハインツ先生がお茶を入れながら言った。
 
「そうですね。あとはリハビリと食事と・・・医師会の皆さんにお任せできそうですね。」
 
「医師会は人手だけはありますからな。」
 
 ハインツ先生はお茶をすすり、ほっと一息ついた。
 
「・・・医師会への誘いを断られたそうですね。」
 
「ご存じだったんですか。」
 
「会長が残念がっていましたよ。あなたほどの腕前の医師を医師会に招くことが出来ないのは損失だと。」
 
「ははは。おおげさですね。それに、今回のことは私よりハインツ先生の功績だと思いますよ。」
 
「ゴードに何か言われましたか。」
 
「いえ何も。私がそう思っているだけです。」
 
「そうですか?それならいいんですが・・・。」
 
 ハインツ先生は少し不安げだ。
 
「ハインツ先生がいろいろと教えてくださったおかげで、アスランの治療もうまくいきました。今考えると、私は昔からハインツ先生にいろいろと教えていただいていましたよね。」
 
「そんなこともありましたかな・・・・。」
 
「きっかけは、私の父が作った薬草茶のレシピを先生が聞きに来られたことでしたが、先生との交流は私にいろいろな知識をもたらしてくれました。本当に感謝しています。」
 
「・・・そんな言い方をされたら、白状しなければなりませんなぁ・・・。」
 
「え?」
 
「あなたが作った薬草茶が、相方の剣士の風邪を見事短期間で治した。この噂が広まったとき、実は私はいささか悔しい思いをしていたんですよ。あなたがそれまでに他の医師達に薬草学についていろいろと聞きに来ていたことは聞いていましたが、それだけでそんなにいい薬を作れたのかと思いましてね。それでまあその・・・その剣士を私も一度見てみようかと、どちらかというと興味本位で行ってみたわけなんですが・・・。」
 
 ハインツ先生はそこまで言って、くすくすと笑い出した。
 
「どんな鼻っ柱の強いインテリ剣士が出てくるのかと思ったら、なかなかの好男子ではありませんか。でもなんというかおとなしめで、本当にこの若者が王国剣士なのかと我が目を疑ったくらいでしたよ。とても剣を振り回しそうには見えませんでしたからな。」
 
「そ、そうだったんですか・・・。」
 
「ま、それですっかり毒気を抜かれてしまいましてね、ほんの口実のつもりだった薬草茶のレシピを教えていただいたというわけですよ。でもそれでかえってよかったと思っています。あのレシピは実によくできていました。医師会では誰も考えないような大胆な組み合わせに驚いたものです。その後のあなたとの交流は、私にとっても楽しいものでした。だから、私のほうこそあなたに感謝しているんですよ。私のつまらないプライドをきれいさっぱりぶち壊してくれたわけですからね。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「今でこそだいぶましになりましたが、あのころの医師会はひどいもんでしたからなぁ。せっかく最先端の技術を学びにきたのに、派閥争いに巻き込まれたり、呪文にばかり頼って医療技術を学ぼうとしないものがいたり・・・。そんな中であなたとの出会いは、私にとって実に衝撃的だったわけです。」
 
「はははは、私はそんなたいそうな者ではありませんよ。・・・そう言ってあなたの弟さんを怒らせてしまいましたけどね。」
 
「兄の私から言うのもなんですが、あいつはいい奴なんですよ。ですがどうにもお節介でしてねぇ。すぐにいらぬ説教をしてしまうのが玉に瑕と言うところでしょうか。先生がお気を悪くしてないといいんですが・・・。」
 
「気を悪くなんてしていませんよ。私のほうこそ、この国の中で自分の置かれている立場というものを理解していなかったようです。」
 
「あなたはもっと前に出ていい方ですよ。その点では、私も弟と同じことをあなたに申し上げたいところですな。」
 
「そう言っていただけるのはありがたいのですが・・・私としては、前に出るよりも技術をたくさん学んで、いずれ呪文に頼らなくてもすべての命を救えるようにしたいと、考えているんですよ。今の時点では夢のまた夢ですけどね・・・。」
 
「そうですなぁ・・・。しかし呪文と張り合っても仕方ありませんからな。呪文との共存というのも一つの選択肢であるとは思いませんか?」
 
「共存ですか・・・・。」
 
「そうですよ。私は呪文のほうはさっぱりですが、たとえば怪我をした場合、傷を消毒して薬を塗るより、呪文でたちどころに治すことが出来る。ま、いろいろと条件があるのはわかっていますが、瀕死の怪我などの場合、呪文でまずある程度傷を治し、残りは手当という分業がすでに確立されているではありませんか。」
 
「それはそうですが・・・。」
 
『私達の仕事と呪文は別物よ』
 
 妻もそう言っていた。呪文に頼らず・・・結局はそれも私の単なるこだわりなのだろうか・・・。
 
 
 そんなことを考えたとき、いきなり病室の扉が開いた。
 
「おいクロービス、アスランになにか・・・!あれ・・・?」
 
 オシニスさんが飛び込んできて言いかけたが、のんびりとした病室の雰囲気にとまどったような顔をした。
 
「どうしたんですか?フロリア様への報告は終わりですか?」
 
「終わりですかって・・・とっくに終わったからライラを呼びに来させたのに、お前が来る気配がないからアスランに何かあったのかと思って焦って来たんだよ。なんだよ、何もないならさっさと来てくれりゃいいじゃないか。・・・ライラはどこだ?」
 
「ライラって・・・ここには来ていませんよ。」
 
「来ていない・・・?」
 
「この病室はこれだけの広さしかありませんからね。誰かが入ってくれば奥にいたって気づかないなんてことはないですよ。セーラ、君はライラが来たのに気づいたかい?」
 
 セーラはオシニスさんの勢いに驚いていたが、あわてて首を振った。
 
「い、いえ・・・。さっき先生が来られてから、そのあとはどなたも・・・。」
 
「・・・ライラが執務室を出たのはだいぶ前だ・・・ま、まさか!?」
 
 ある一つの可能性に気づいて、オシニスさんは顔をこわばらせ、病室を飛び出した。私もハインツ先生に後を頼み、オシニスさんの後を追った。
 
「くそっ!俺の鼻先でこんなことをしやがるとはいい度胸だ!おいクロービス、イルサはウィローと一緒だったな!?」
 
「そのはずです!」
 
「お前はまずそっちの無事を確認しろ!俺は執政館からライラの足取りを追う。イルサの無事が確認されたら、ウィローも一緒に俺の部屋に来てくれ!」
 
「わかりました!」
 
 迂闊だった。どこにも安全な場所などなかったはずなのに、私は王宮の中だと言うだけで安心していた。護衛の任務を引き受けたのなら、もっと気を配らなければならなかったのに・・・。
 
(いや、今は後悔してる場合じゃない!)
 
 東翼別館の場所はすぐにわかった。昔は何もなく、ただ荒れないようにだけ手入れされていた場所だ。別館の入り口には受付がいて、部屋の割り振りなども行っているらしい。そこに声をかけると、すぐにイルサの部屋に案内してくれた。
 
「あらクロービス、どうしたの?」
 
 部屋から出てきた妻はきょとんとしている。
 
「イルサは?」
 
「中にいるわよ。入ったら?」
 
 私達の会話を聞いて、受付の男性はほっとしたように戻っていった。こういった場所の受付に男性が配置されていると言うことは、やはり宿泊施設に不審人物を入れないためなのだろう。私は礼を言って部屋に入り、扉をぴたりと閉めた。
 
「あら先生、いらっしゃい。」
 
 部屋の奥からイルサが笑顔で出てきた。
 
「ライラがいなくなったんだ。」
 
「え・・・?」
 
 二人の顔色が変わった。
 
「どういうこと?一緒じゃなかったの?」
 
「ライラの定時報告の時はオシニスさんと一緒だったんだ。そのあとライラが私を診療所に呼びに来たらしいんだが、病室には来ていない。」
 
「つまりライラは王宮の中で誰かに掠われたって言うこと?」
 
「もしくは自分で出ていったかだ。」
 
「でもあの子が、頼まれた用事を放り出して勝手に外に出て行ったりするとは思えないわ。」
 
「私もそう思うよ。今オシニスさんがライラの足取りを追っている。君達の無事が確認されたら、剣士団長室に行くことになってるんだ。一緒に来てくれないか。」
 
「わかった。行きましょう、イルサ。」
 
「う、うん・・・。」
 
 イルサは真っ青になって震えている。
 
「イルサ、しっかりして。まだライラに何かあったと決まったわけじゃないんだから!」
 
 妻に揺さぶられ、イルサは青い顔のままうなずいた。
 
 
 剣士団宿舎のロビーはいつもと変わりない。ライラの失踪はまだ公にされてはいないらしい。私達はロビーを抜け、剣士団長室へと向かった。ノックをしたが返事がない。まだオシニスさんは執政館でライラの足取りをおっているのだろうか。
 
「イルサ!無事か!?」
 
 どうしようかと考えたところに背後から声が聞こえた。オシニスさんが戻ってきたのだ。
 
「私は、大丈夫です・・・。あの・・・ライラは・・・。」
 
 イルサの声は震えている。
 
「まだ見つからん。とりあえず中に入ってくれ。」
 
 中に入り、私達は朝と同じ場所に座った。
 
「何かわかりましたか。」
 
「ああ・・・全く妙な話だ・・・。」
 
「妙・・・・?」
 
 オシニスさんが語ってくれたところに寄ると、私がイルサの無事を確認するために東翼の宿泊施設に向かってから、オシニスさんは一度執務室に戻り、フロリア様に事の次第を伝えた。そこから改めて診療所に行くためにライラがたどったであろう経路を歩きながら、警備にあたっている剣士や受付嬢などにライラを見かけたかどうか尋ねて廻ったらしい。フロリア様の執務室から診療所へと来るには、執政館の廊下を抜けていったん王宮本館のロビーに出なければならない。執務室の前で警備をしている剣士達は、オシニスさんがライラに私を呼んでくるよう頼んだとき、間違いなくライラが部屋を出ていったと証言した。そのほか、執務室と同じ階にある御前会議の大臣達の部屋を警備する剣士達にも聞いてみたが、少なくともロビーへと向かう通路にいた剣士達は、全員ライラを見かけたと言っていたそうだ。だが、ロビーに出たところで執政館への入り口を守る剣士に尋ねたところ、ライラを見かけてはいないという返事が返ってきた。そこから先は、受付嬢、診療所へ向かう通路の前の剣士、診療所への通り道にある礼拝堂の入り口にいた神官にも聞いてみたが、そちらも知らないとの話だった。
 
「どういうことです?まさかライラは執政館の中で消えたっていうんでしょうか・・・・。」
 
「状況から考えるとそうなる。ちくしょう!俺はなんて間抜けなんだ!王宮の中なら安全だなんて、思い込んでいた。俺がいるんだからってな・・・・。は!お笑いぐさだ!」
 
 オシニスさんは自嘲気味にそう言って、腹立たしげにテーブルを叩いた。王宮の中ではそう簡単に剣を抜けない。王国剣士を打ち負かせるほどの腕を持つライラの動きを封じるには、騒々しい町の中よりこの静かな王宮の中のほうが効果的だと、敵は知っていたのだ。そして私達が常に彼らにくっついていては手を出すに出せない。ライラ一人になるところを狙うために常に見張っていたのだとしたら・・・。
 
「そんなにご自分を責めないでください。」
 
 私にも責任がある。護衛を引き受けた以上、オシニスさん任せにしてのんびりとお茶を飲んでいる場合じゃなかった。絶対に一人にならないよう、警告を出しておくべきだったのに・・・。
 
「我が身のバカさ加減に嫌気がさしただけさ。俺は敵にとって最良の状況をわざわざ作り出してやったわけだ。」
 
「しかし・・・ライラが自分でついて行ったのでもない限り、白昼の王宮から人一人連れ出すのは容易なことではないでしょう。」
 
「そりゃそうだ。・・・つまり・・・・まだ中にいると言うことか!?」
 
「その可能性は高いと思いますよ。無理矢理連れ出したりすれば人目について仕方がないし、仮に眠らせたり気絶させたりして運びだそうとしても、ライラの体はそんなに小さくないですからね。隠して運び出すというのは難しいでしょう。」
 
 ライラの背は私とそう変わりない。ずいぶんと大きくなったものだと、さっき並んで歩いていて驚いたほどだ。鉱夫生活を経験しているせいか、肩幅も広くなり昔よりしっかりとした体つきになってきたような気がする。おそらく力もあるだろうと思う。でも父親譲りの優しげな顔立ちのせいか、全体的に受ける印象は『細身』なのだから不思議なものだ。もしかしたら、敵はその思いこみで外に連れ出そうとしたかも知れないが・・・。いや、よしんば外に連れ出せたとしても、そのままは連れ歩けない。運び出すために馬車を用意したりすれば、それだけ関わる人間が多くなり、どこからほころびが出るかわからないのだ。そんな危険を冒すなら、かえって王宮の中に隠しておいた方が『安全』というものだ。
 
「・・・なるほどな。」
 
「先生、団長さん、ライラは・・・・無事なのかしら・・・。」
 
 イルサは半泣きだ。ついこの間は自分にあんなことがあって、今度はライラだ。どれほど心細く思っているか、その心中は察するにあまりある。
 
「・・・わからん・・・。」
 
 オシニスさんは苦しげにつぶやいた。
 
「・・・とにかく一度執政館に戻ろう。フロリア様がイルサのことも心配してるんだ。元気な顔を見せてやらないとな。」
 
 
 
「失礼します。」
 
 執務室の中は異様な静けさだった。青い顔のフロリア様が私達を待っていたように立ち上がった。
 
「ライラは・・・見つかったのですか?」
 
「残念ながら、まだ・・・。」
 
 オシニスさんが悔しげに首を振る。
 
「そうですか・・・。でも・・・イルサ、あなたは無事だったのね。あなたにまで何かあったら、わたくしはあなた達兄妹にどう償えばいいのか・・・。」
 
 フロリア様が顔を背け、ハンカチで涙をぬぐった。
 
「フロリア様、今までの調査で、ライラが消えたのはどうやら執政館の中のようだと言うことがわかりました。」
 
「なんだと!?フロリア様のおわすこの建物の中で、白昼堂々誘拐が行われたというのか!?」
 
 レイナック殿が驚愕の声を上げた。ライラは執政館の中で掠われた。これは間違いないと思っていいだろう。では、ライラは『なぜ』掠われたのか・・・。イルサの誘拐未遂は、はナイト輝石の採掘再開推進派を脅すためだと言うことがはっきりしている。でもここで同じ目的のためにライラを掠うというのは考えにくい。そこまで手間をかけるなら、最初からライラに的を絞って掠ってもよかったはずだ。しかもわざわざ『ここで掠いましたよ』とはっきりと私達に知らせている。
 
「でも廊下は王国剣士が見張っているわ。どうやって・・・!?」
 
 リーザも青ざめている。
 
「見張っていると言っても、本館ロビーからここに繋がる通路の前、各部屋の入り口、そのほかフロアの端や窓際、王国剣士がいる場所って言うのは限られているよ。あらかじめ警備の配置や交代の時間帯なんかを調べておけば、どうにでもなりそうだけどな。」
 
「ふん・・・そう言われちまうと身もふたもないが・・・お前の言うとおりだ。この場所の警備配置ってのは、敵が入り込む危険性のある場所、敵を入り込ませないようにしたい場所に限られる。不審人物が入り込んだらその場で取り押さえるのが目的であって、ここにやってくる連中の一挙手一投足まで見張っているわけじゃないからな。そこを突かれたわけか・・・。」
 
 私自身は執政館の警備経験がない。執政館の警備体制の弱点については、昔聞いたことがあるだけだ。しかもそれを教えてくれたのは、なんとハリーさんとキャラハンさんだ。いつも冗談ばかり言い合っていたが、あの二人の洞察力はすごいと思う。ここに来てから一度も会ってないが、どこかに出掛けているのだろうか。
 
「・・・とにかく、ライラを見つけ出さなければなりません。今頃どんな目に遭っているかと思うと・・・。」
 
 フロリア様は涙を浮かべている。
 
「フロリア様、ライラは私が必ず探し出します。どうか執政館のすべての部屋を調べるための許可をお願いいたします!」
 
 オシニスさんがフロリア様に深く頭を下げた。フロリア様が許可を出せば、それはいわゆる『勅命』だ。勅命を以て大臣や貴族達の部屋を強制的に調べる・・・。ライラが見つかった場所の部屋の持ち主はどうなるのだろう。当然ながら、かなり厳しい追及を受ける。事の次第がはっきりするまでは謹慎状態になるだろう。でも、その程度のことを、敵が読んでいないとは思えない。
 
「・・・・・・・・・・・・・。」
 
 
「わかりました。オシニス、あなたに執政館全体の調査をする権限を与えましょう。それがわたくしの部屋でも中を調べてかまいません。」
 
「ありがとうございます!」
 
「ちょっと待ってください。」
 
 立ち上がり、今にも部屋を飛び出しそうな勢いのオシニスさんに声をかけた。これはそんな単純な誘拐ではないような気がする。それを考えると迂闊に行動すべきではないような気がしたのだ。
 
「なんだ!?」
 
「ライラを探すのはちょっと待ってください。」
 
「なんだと!?お前正気か!?今この時もライラがどんな目に遭ってるかわからないって言うのに!?」
 
「それはそうですが、少し落ち着いて状況を整理してみませんか。闇雲に探し回ってもいい成果が得られるとは思えません。」
 
「ふむ・・・クロービスの言うことも、もっともじゃ。よし、では少し、それぞれの持っている情報と考えを出し合って、状況を整理してみようではないか。ほれオシニス、お前も落ち着いて座れ。気がせくのはわしとて同じだが、焦ったところで早く解決するとは限らんだろう。」
 
 レイナック殿に促され、やっとオシニスさんが椅子に座った。私達もそれぞれ空いている椅子に座らせてもらうことにした。いつもなら大臣達が座る椅子だ。さすがに緊張する。
 
「さてクロービスよ、お前は妙に落ち着いておるが、何か腹案があるのかの?」
 
 レイナック殿が尋ねた。
 
「正直申し上げて、はっきりと『これだ』と言えるほどの根拠があるわけではありません。ただなんと言いますか、あまりにもわかりやすすぎると思いませんか?」
 
「わかりやすすぎる?」
 
 オシニスさんが首をかしげる。
 
「そうです。執政館では誰もがライラを見かけた。でもロビーでは誰も見ていない。ライラを掠った場所は執政館でございと、敵がわざわざ手がかりを残していったようなものですよ。そうなれば誰だって執政館の中を必死で探すと思いませんか?」
 
「そりゃそうだ。それしか手がかりがないなら、なおさらな。」
 
「それに、考えてもみてください。今ライラを掠って、誰が得をします?」
 
「決まってるだろう。ナイト輝石の試験採掘を快く思わない連中しか考えられないじゃないか。」
 
「でも果たしてそれが、その人達の益になると思いますか?」
 
「ライラは今回の試験採掘のいわば立役者だ。あいつがいなくなることは、連中にとって願ったりかなったりだと思うが?」
 
「今オシニスさんが言われたように、誰だってそう思いますよね。だったら、掠うなんて回りくどいことをせずに、ひと思いに殺して死体を転がしておく方がよほど効果的だと思いませんか?」
 
「そ、そんな・・・!」
 
 イルサが悲痛な叫び声を上げた。
 
「あなたの言いたいこと何となくわかってきたけど・・・。」
 
 妻がいささかあきれ気味の声を上げた。
 
「もう少し言葉を選んであげないと、イルサがかわいそうよ。イルサ、心配しないで。おばさんにも、先生の言いたいことがわかってきたわ。ライラはきっと無事よ。」
 
「イルサ、これはあくまで仮定の話だ。先生は、ライラが殺されていたりすることはないと思うよ。」
 
 推理に夢中になって、いささか露骨ないい方をしてしまった。まずかったなと思ったが、謝るのは後回しだ。
 
「・・・確かにそうだ。俺が一番恐れているのはその点だ。だが、お前はそう思っていないという。その根拠はなんだ?」
 
「ライラを消してしまうことで今回の試験採掘を止めるつもりなら、敵にチャンスはあったと思いませんか?連れ去ることが出来たのなら、その場で殺すことも可能だったはずです。でも敵は連れ去ることを選んだ。しかも『ここで掠いましたよ』と私達にはっきりとわかる方法で、です。」
 
「・・・つまり目的は他にあると?」
 
「ええ。仮に、ですが、ライラが今殺されてしまったとする、むろん、蘇生もかなわない状態で、です。そうなった場合、オシニスさんならどうします?これ以上犠牲者を出さないようにと、試験採掘を中止してナイト輝石の鉱脈を元のように封印しますか?」
 
「バカを言うな!そんなことになったら、あいつの遺志を継いで何が何でも試験採掘を成功させてやる!」
 
「フロリア様、レイナック殿はいかがです?」
 
「わたくしも・・・オシニスと同じ気持ちです。万一そんなことになったら、必ずや試験採掘を成功させ、ナイト輝石を復活させてみせます。」
 
「うむ、フロリア様の言われる通りじゃ。そのような卑劣な手段に屈したりなどするものか。」
 
「しかし何でそんなことを聞く・・・・?・・・あ・・・・。」
 
 オシニスさんがはっとして顔を上げた。
 
「そうか・・・。今ライラを殺しても、かえって俺達の結束を強めるだけだ。それは敵にとってマイナスにしかならない・・・。」
 
「そう言うことですよ。皆さんがライラの弔いのつもりで一丸となって動き出したら、もう止めようがないですし、世間の声もライラに同情的になるでしょう。もしかすると新聞社あたりが、美談の主として祭り上げるかも知れない。そう考えると、ライラを殺すことは、敵にとっては自分の首を絞めることと同じだと思います。」
 
「・・・ということは、考えられるのは、ライラが自由を奪われた状態でどこかに隠されている、そういうことか。」
 
「私はそう思います。ただし、だからといってオシニスさんがフロリア様の権限で執政館中探し回るのは危険です。」
 
「なぜだ?」
 
「執政館の中にある各部屋は、それぞれの貴族なり大臣なりに与えられているんですよね?」
 
「そうだ。管理も全部その持ち主がすることになっている。」
 
「ということは、ライラが見つかった部屋の持ち主が真っ先に疑われるわけですよね?剣士団長がフロリア様の勅命を受けて探すわけですから、その場で穏便に済ますと言うことは出来ないのではありませんか?」
 
「それはそうだ。しかるべき手続きをとって取り調べを受けてもらうことになる。・・・・・・?」
 
 そこまで言って、オシニスさんの眉間にしわが寄り、小さく『なるほどな』とつぶやいた。
 
「・・・つまり、それが敵の中の誰かとは限らないと言うことか。」
 
「執政館を調べるためには、剣士団長だけの権限では不十分です。オシニスさんがライラのために、迷わずフロリア様に勅命を賜ろうとすることくらい、敵は読んでいると思います。極端な話、剣士団長室の奥のクローゼットあたりにライラが押し込められていたとしたら、しかるべき手続きで取り調べを受けるのはオシニスさん本人ですからね。」
 
「・・・くそ!全く陰湿な手口だ!・・・だがクロービス、お前の説には一つ欠点があるぞ。」
 
「なんでしょう?」
 
「執政館の貴族達の部屋は普段は鍵がかかっている。そこに怪しげな連中が入り込むためには、入り口を開ける誰かが必要だと言うことになる。だが推進派と反対派は普段も仲の悪い連中がほとんどだ。明らかに人間とわかるような大荷物を担いできた奴に、はいどうぞと扉を開けるとは思えんが。」
 
「鍵を管理しているのは王宮ですか?」
 
「マスターキーはあるがそのほかは各貴族達の管理下にある。マスターキーを盗み出したとしても、すぐにばれるだろうな。」
 
「マスターキーを盗み出すというのも一つの方法ではありますが、それが手に入らなくても、それぞれの部屋の鍵を管理する者を抱き込むか、でなければ、盗賊などを雇って鍵を開けさせるか、方法はいくらでもありますよ。」
 
「ふう・・・全くお前って奴は・・・いろいろと考えつくもんだ・・・。ふん・・・本来なら、俺が気づかなきゃならんことなんだがな・・・。」
 
「私のように、王宮の外から来た人間のほうが、常に中にいる方達より客観的にものを見ることが出来るのかも知れませんね。」
 
「そうだな・・・。確かに、常に中にいると、外からここを見た場合にどう見えるのかってのは気づきにくくなるのかもな・・・。」
 
 オシニスさんはため息を一つつき、とんとんと額を叩いている。この人が落ち着こうとしているときの癖だ。
 
「いやいや、そればかりではないぞ。わしから見て、オシニスよりクロービスのほうが遙かに落ち着いておる。頭に血が上った状態では、あらゆる可能性を考慮して理論を組み立てるという作業はなかなか難しいものじゃて。それでなくともオシニスは、普段から頭に血が上りやすいんじゃ。ちとクロービスを見習ってほしいもんだのぉ。」
 
 レイナック殿がにやにやしながら言った。
 
「ふん、勝手なこと言いやがって。よし、では整理してみるか。」
 
 もういつもの冷静なオシニスさんに戻っている。この切り替えの早さはさすがだと思う。
 
「まず、俺がライラにお前を呼びに行かせた時、敵はこの時とばかりにライラを連れ去った。剣が使えなくたってあいつがみすみす捕まるとは思えないから、不意をついて殴り倒したか、だまして睡眠薬でも嗅がせたか、そんなところだろう。そうやってあいつの自由を奪っておいて、試験採掘推進派の誰かの部屋に放り込む。無論そこの鍵は調達済か、あるいは鍵を無理矢理開けるか、その方法についてはあとから検証するとしてだ。ライラが戻ってこないことに気づけば、俺があわててフロリア様に願い出て、国王陛下の勅命を受けて各部屋を捜索することはクロービスの言うとおり計算済みなんだろう。すると試験採掘推進派の誰かの部屋でライラが見つかり、その部屋の持ち主は当然疑われて取り調べを受けることになる。その間、その人物は身動きがとれなくなるし、俺達はそいつを疑うだろう。実は敵に与していたのかとな。こちらの結束にひびを入れ、勢いをそぐには実に効果的だと、敵がそう考えたというわけか。」
 
「敵が残したあからさまな手がかりをつなぎ合わせると、そう言うことになると私は思いますね。だから、オシニスさんが先頭に立って執政館中の部屋を調べたりするのは逆効果になりかねないと考えたんです。」
 
「とにかく問題は部屋の鍵だな。マスターキーの管理がどうなっているのか調べてくる。」
 
「私が行きます。オシニスさんはここにいてください。」
 
 リーザが申し出てくれた。
 
「わかった、頼む。」
 
「任せてください。」
 
「リーザ、もしマスターキーが無事だったら、出来るだけ鍵に触れないようにしてここに持ってきてくれないか。」
 
「どういうこと?」
 
 リーザが不思議そうに振り向く。だが私も、今は言葉でうまく説明できない。
 
「いや、もしかしたら、鍵を手に入れるためにもっと他の方法があるかも知れないからさ。」
 
「リーザ、こいつの言うとおりにしてやってくれ。俺が借りたいと言っていたと言えば、貸してもらえるだろう。ま、盗まれていなければの話だがな。」
 
 
 
 程なくしてリーザが戻ってきた。大きな箱を抱えている。
 
「はい、執政館のマスターキー、これで全部よ。盗まれたりしたものは一つもないって。毎朝数を確認しているし、今も借りてくるときに確認してもらったから、それは間違いないそうよ。」
 
 リーザが重そうな箱を私の前に置きながら言った。
 
「毎朝やっているのは数の確認だけかい?取り出して眺めたり磨いたりとかは?」
 
 リーザが笑い出す。
 
「いやぁねぇ。管理してる人は、別に鍵をコレクションしてるわけじゃないのよ。」
 
「朝確認したらあとはいつ?」
 
「朝だけだそうよ。マスターキーなんて普段使わないもの。朝確認したらあとは翌日の朝までしまいっぱなしですって。」
 
「てことは、朝以外は一日中誰も注意を払わないってこと?」
 
「そう言うことになるわね。でもこの箱がおかれている場所には、常に人がいるわ。朝部屋の鍵を開けてから夕方出るまで、絶対に無人になることはないって。」
 
「なるほどね。でもたぶん、これでわかると思うな。」
 
「おいクロービス、お前何をする気だ?」
 
「まあおまちください・・・・。」
 
 鍵はいくつかにまとまって、大きな鉄の環に通されている。その鍵の一つ一つに誰の部屋かが書かれた札が取り付けられ、一目でわかるようになっていた。それを端から順に、丁寧に見ていく。
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 部屋の中の誰もが、私の行動を奇異の目で見ていた。だが今は気にしていられない。ライラを早く見つけ出さなければ、誰かがあらぬ疑いをかけられる。そうならなくても、ライラが自由を奪われているとしたら、怪我くらいはしている可能性だってある。でも今は急げない。急いでいるときほど慎重に、確実に行動しなければ。鍵はどれもピカピカに磨き上げられている。リーザが言ったように、マスターキーなんて普段は使うものじゃない。何かがあったときのために、予備として置かれているようなものだ。誰も使わないもの・・・・。だから朝確認すれば、あとは次の日の朝までこの箱は開けられない。管理人が朝確認した箱から、目的の鍵を取り出して夕方戻す。執政館の施設を管理する部署の人間なら、誰だって可能なことだ。鍵箱の中からあらかたの鍵が取り出され、最後に残るのがあと二つほどの束になったとき、それは見つかった。見つかってみて初めて、自分が何を探していたのか気づいたような、奇妙な感じがした。
 
「これだ・・・。」
 
「なんだ?なにか見つかったのか?」
 
 苛立ちを隠せない様子でオシニスさが身を乗り出す。念のため、ほかの鍵も全部確認してみたが、他は特に変わったところはなかった。いくつかあった場合どうするべきかとも思ったが、さすがにそこまで手を回すことは出来なかったというわけか。こちらにとっては好都合だ。
 
「この鍵を見てください。・・・そうですね・・・。こちらの、同じくらい立派な鍵と並べてみると違いがわかるかと思うんですが・・・。」
 
 私は二つの鍵を並べてテーブルに載せた。どちらも大きくて美しい鍵だ。かなり立派な部屋の鍵であることは一目でわかる。両方ともきれいに磨き上げられている・・・・はずなのだが・・・。
 
「・・・こっちの鍵と比べて、こっちは光ってないな・・・。」
 
 オシニスさんは慎重に鍵の束をつまみ上げ、光にかざして見ている。
 
「そうですね。おそらく粘土のような、柔らかくて型を取りやすいものに押しつけたあとだと思いますよ。」
 
「型を・・・あ!?」
 
 オシニスさんが叫んだ。
 
「合い鍵を作ったと言うことか!?」
 
「おそらくは。この鍵はどれも美しい装飾が施されていますが、曇っているのは鍵の部分だけです。汚れて曇ったのなら全体的に曇っていないと変ですからね。」
 
「確かにな。それに、部屋を開けるだけなら、鍵の部分だけあれば充分目的は果たせるわけだ。」
 
 オシニスさんは、もう一度二つの鍵を見比べ、忌々しそうに舌打ちをした。
 
「それでマスターキーを持ってきてくれなんて言ったわけ?」
 
 リーザが尋ねた。
 
「そうだよ。もしも盗まれていたら敵はそれを使ったのだろうし、盗まれてもいなくてこの鍵にも一点の曇りもなかったとしたら、他に鍵を持っている誰かを脅すなり買収するなりしたか、でなければ鍵開けの名人でも使ったか。いずれにせよ、手口が絞られてくるかなと思ったんだ。でもこれではっきりしたね。王宮内に、もしかしたらこの鍵を管理する部署の中に、この誘拐に荷担する者がいるってことさ。」
 
「くそ!ふざけやがって!それを探すのは俺の役目だ。何が何でも探し出して、首根っこを押さえてやる!」
 
「その前にライラを助けに行きましょう。この鍵で開く部屋の持ち主は、ベルスタイン公爵家ですよ。」
 
「合い鍵まで用意していたと言うことは、今回の誘拐はあらかじめ計画されていたってことになるのか・・・?」
 
「いずれ陥れるつもりで合い鍵だけ準備しておいたというのも考えにくいですから、おそらくはイルサの誘拐に失敗した場合を考えて、そこまで周到に準備しておいたんではないんでしょうか。いずれにせよ、ベルスタイン家の部屋の鍵は交換した方が良さそうですね。」
 
「そのようだな・・・。全くよりによってセルーネさんを狙うとは、バカな奴だ。あの人を怒らせたらどんなことになるか、一度身をもって知ってもらうしかなさそうだな。」
 
 オシニスさんはおかしそうに笑った。私もそう思う。何もわざわざあの人を怒らせなくてもと思うのだが・・・。
 
「貴族達の中でも一番の家柄ですから。一番効果的だと考えたのでしょうね。」
 
「・・・ふん、セルーネさんが失脚すれば、ユーリクの件も白紙に戻るだろうからな。いろいろと好都合というわけだ。」
 
「オシニス、それを言うてはいかんぞ。」
 
 レイナック殿がたしなめるように言い、オシニスさんが悔しげにそっぽを向いた。オシニスさんの今の言葉は『敵』にあてられたものだ。・・・もしかして・・・。
 
「ま、敵が狙ったのがセルーネさんなら、俺達の結束にひびを入れるという敵のもくろみは、その時点で外れたも同然だな。公爵家の部屋でライラが見つかったところで、俺達がセルーネさんの裏切りを疑うなんてことはまずあり得ん。」
 
「なるほど、確かに敵は人選を誤ったようですね。」
 
「ああ、そうだ。ではライラを助けに行こう。」
 
「みんなしてゾロゾロ行くのもなんですから、ウィローと私で部屋を訪ねてみましょうか。」
 
 ふと感じた疑問の追求は後回しだ。いずれ尋ねる機会もあるだろう。今はライラを見つけ出すことが最優先だ。
 
「・・・そうだな・・・。お前らのほうがさりげなくていいか・・・。」
 
「ユーリクから、今日会いに来られるという話は聞いていましたからね、もしも公爵家の私兵などに尋ねられても、時間が空いたからこちらから出向いたと言うことにすれば、特に変に思われることもないでしょうし。」
 
「そうだな。だが、用心は怠るな。もしかしたら敵は罠を張っているかもしれんぞ。第三者が目撃者になってくれれば、これほど都合のいいことはないからな。」
 
「そうですね。でもうまく行けば、敵の手先くらいはつかまえられるかも知れませんよ。」
 
「怪しい奴がいたら遠慮なくふん捕まえてこい。偵察だけならそんな手練れではないだろうし、お前の気功でも麻痺させられるだろう。」
 
「ははは、そううまく行くといいですけどね。」
 
「クロービス、ウィロー、無理をしてはいけませんよ。くれぐれも気をつけてくださいね。」
 
 フロリア様は心配そうだ。
 
「ご心配には及びません。では行って参ります。」
 
 妻と二人で廊下に出た。二人とも実は走り出したい。でも出来るだけさりげなく、のんびりと歩き出した。
 
「はあ・・・リーザと挨拶をする暇もないわね・・・。いろいろ話したいことはあるんだけど・・・。」
 
「あとで話せばいいよ。時間はいくらでもあるさ。」
 
「アスランの治療はどうするの?いつ頃引き継ぐつもり?」
 
「明日リハビリのプログラムを持って行って・・・・食事のほうはハインツ先生が話を通してくれたようだから、こちらでは気にしなくてよさそうだし、うまくいけば明日か明後日いっぱいかな。少し関わりすぎたよ。」
 
「まあ、最初から関わってしまったしね・・・。今後は一見舞客として、たまに顔を見に行くことにしましょうか。」
 
 執政館の廊下を抜けて、階段を上がる。上の階は大臣達の執務室兼宿泊施設だ。また階段を上がる。ここはこの国の中でも有力な貴族達の部屋がある。そしてその更に上の階からは各公爵家の部屋が並んでいる。並んでいるといっても一部屋の占有面積が広いので、そんなにたくさんあるわけではない。ベルスタイン公爵家の部屋はもっと上の階だ。そのまた上の階となると、そこはもうフロリア様の執政館での居室になる。つまりベルスタイン家の上には国王しかいない、そういうことらしい。この配置を考えたのがレイナック殿の盟友ケルナー殿だという話は昔聞いた。
 
『ケルナー卿のおかげで、王室に次ぐ家として祭り上げられてしまったわけさ。父はいい顔をしていなかったらしいが、ケルナー卿の強引さにはさすがに根負けしたらしいよ。』
 
 セルーネさんが昔そんな話をしていた。あれは私達が島へと帰る前、一度くらいはお茶につきあえと、ベルスタイン家の部屋に招かれたときのことだった
 
「はあ・・・昔来たときも思ったけど、ほんと、ここは無駄に広いわねぇ。」
 
「まあまあ、そう言ってはおしまいだよ。」
 
「だってこんな広い場所にこんな豪華な部屋があっても、みんな普段は鍵がかかっているわけじゃない?しかも御前会議に参加していない貴族の部屋なんて、1年のうちにせいぜい一週間くらいしか使わないって聞いたわ。もったいない話よね、全く。」
 
 妻は昔ここに来たときも、同じことを言って怒っていた。確かにこんなに広い豪華な部屋を年中閉め切りにしておくのなら、もっと他にお金の使い方があったような気がする。もっともそんなことを考えるのは、一般庶民だけなんだろうけど。
 
「ここの一番奥よね。」
 
「そうだね。」
 
 ベルスタイン公爵家の部屋は、フロアの一番奥にある。フロア全体の3分の1くらいは占有しているらしい。普段誰もいないこの場所には、王国剣士達も配置されていない。ここを使う貴族達が私兵を配置することもあるが、通常使用するときには王宮に届け出て、その時だけ警備を増やしてもらうことになる。絨毯が敷き詰められた豪華な廊下を進んでいくと、曲がり角に誰かいる。どこかを伺っているように落ち着きがない。その誰かは私達の足音に気づき、振り向いたとたん顔をこわばらせた。だが、私達には見覚えのない顔だ。
 
「どうかしましたか?」
 
 怪しいとは思ったが、私がここで『何者だ』などと聞く筋合いのものではない。あまり背の高くない男・・・。歳は私達よりだいぶ上だろうか。着ているものはごく普通の服だ。そう、ここが王宮の執政館で、しかも公爵家の部屋があるような場所だと言うことを考えると、何かとても不釣り合いだと感じるほどの『ごく普通の服』だった・・・。
 
「い、いえ・・・。」
 
 男は私達と目を合わせようとせず、体を屈めてこそこそと通り過ぎた。
 
「セルーネさん達いるかしらねぇ。」
 
 妻がいきなり大きめの声で話しかけてきた。それがさっきの男に聞かせるためのものであることはすぐにわかった。
 
「どうかなあ。いるといいんだけどねぇ。」
 
 私も調子を合わせる。思った通り、背後にいる男の注意がこちらに向いたようだ。
 
(・・・釣れたね・・・。どうやら当たりみたいだな。)
 
(そうね、でももう少し確実な証拠がほしいわね・・・。)
 
 私達は公爵家の部屋の前に立って、扉を叩いた。中からはなんの返事もない。
 
「やっぱり留守か・・・。どうするかな・・・。」
 
「困ったわねぇ。せっかく来たのに。」
 
 こう言うとき、妻の演技はなかなか堂に入ったものだ。
 
「あの・・・。」
 
 思ったより早く、男が声をかけてきた。
 
「何か・・・?」
 
 さりげなく尋ね返す。
 
「公爵様にご用ですかな。」
 
「ええ、古い知り合いなんですが、どうやらお留守のようですね。仕方ない、出直します。」
 
「い、いや、中に入ってお待ちになりませんか?」
 
「中に?しかし主が不在だというのに勝手に入るわけには・・・。」
 
「いやいや、実は、その・・・私はここの管理を任されておりまして、今鍵を開けますので、どうぞ中に入ってお待ちください。」
 
「しかしそう言うわけには・・・。」
 
 なおも固持してみる。すると男は懐から何か取り出した。
 
「さあ、今開けますからどうぞ。」
 
 鍵だ!見たところ装飾は何もない。マスターキーを元にして作った合い鍵だろう。男が扉に手をかけて鍵を差し込もうとしたその時、
 
「その鍵の出所を聞かせてもらおうか。」
 
 とても懐かしい、少し低めの女性の声がした。
 

第58章へ続く

小説TOPへ 第51章〜第60章のページへ