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 王宮の玄関では、ちょうど夜勤の組の門番が日勤の組と交代するところだった。こんな早い時間から王宮にやってくる者がいるとは思わなかったらしく、4人とも少し驚いていたが、どの顔もここ何日かの間に見知った顔だったので、すんなりと通してもらえた。王宮のロビーはがらんとしていて、来訪者を迎える準備もこれからのようだ。受付カウンターにもまだ誰もいない。私達は診療所にまっすぐ向かった。診療所の廊下は静まりかえっていて、まだ日勤の医師達も出勤してきていないようだ。
 
「・・・あれ・・・?」
 
 アスランの病室の前に誰かいる。3人だ。・・・あれは・・・。私達の足音に気づいて、中の一人が振り向いた。
 
「父さん・・・。」
 
 息子のカインだった。あとの2人はセルーネさんの子供達、ユーリクとクリスティーナだ。2人ともアスランが怪我をした日以来見かけていなかった。
 
「ずいぶん早いなカイン。入らないのか?」
 
「入って・・・いいのかな・・・。」
 
 息子の顔は不安げだ。
 
「大声を出したりしなければ大丈夫だよ。君達も入りなさい。この間は世話になったね。あのあとなかなか会えなかったから、きちんとお礼も言えなくて申し訳なかったよ。」
 
「いえ、そんなことはありません。僕達は出来ることをしたまでです。あの・・・先生は今日一日こちらにいらっしゃいますか?」
 
「いるけど、どうして?」
 
「実はその・・・両親が先生にお会いしたいと・・・。」
 
「そうか・・・。私のほうはかまわないよ。でも君のご両親は忙しいんじゃないのかい?」
 
「この間までちょっと領地でもめ事がありまして、母がそちらにかかりきりだったんですが、昨日帰ってきたんです。」
 
 セルーネさんが私に会いたいと言うことらしい。『両親』と言うからにはローランド卿も一緒なのだろう。あの人と会うのはいささか複雑だが、ローランド卿とだけ会わないというわけにはいかない。
 
「本当はこちらから出向くのが筋なんだろうけど、思いがけず仕事が出来てしまったからね。手の空いたときにいつでも訪ねてくれてかまわないと伝えてくれるかい。さて、治療を始めるから中に入らせてもらうよ。」
 
 私は扉を開けて中に入った。中では夜勤の医師がハインツ先生に申し送りをしているところだった。私はアスランのベッドをのぞき込んだ。まだ眠っているが、昨日よりさらに顔色はよくなっている。セーラはまだ来ていない。カインが恐る恐るアスランのベッドを覗き込む。ユーリクとクリスティーナも同様だ。
 
「カイン、アスランに会うのはこの間以来初めてか?」
 
「うん・・・。本当はアスランが目覚めたって聞いてすぐにでも会いたかったけど・・・僕は父さんにアスランのことを任せたんだから、父さんに聞いてからと思って・・・。」
 
「そうか・・・。昨夜フローラに会いに行ったそうだね。シャロンから聞いたよ。」
 
「うん・・・。フローラもシャロンも心配してくれていたから、目が覚めたことだけでも伝えようと思って。」
 
「本格的な治療はこれからだ。まずは今日アスランの目が覚めてからだな。話が出来るくらいになってるといいんだけどね。」
 
「あの、わたくしお手伝いします。」
 
 クリスティーナが申し出た。彼女が抱えているバッグには、どうやら看護婦達が身につけるエプロンなどが入っているようだ。
 
「いや・・・気持ちはありがたいが、実は昨日アスランの妹さんが来てね・・・。」
 
 ローランのデンゼル医師のところで働いている医者志望の妹が、アスランの看病に来ていることを話し、こちらの人手は足りているから、クリスティーナにはいつものように他の患者の診療の手伝いをしてくれるように頼んだ。それでなくても何人もの医師がアスランにかかりきりだ。この上看護婦まで独り占めしてしまっては、他の患者の治療に支障が出てしまう。
 
「そうですか・・・。」
 
 クリスティーナがいささか残念そうにそう言ったところに、セーラが現れた。
 
「おはようございます。・・・あの・・・。」
 
 セーラはまたしても兄の病室に集まっている、見知らぬ若者達を見てとまどっている。私はセーラをまずユーリク達に紹介した。
 
「あ、あの・・・公爵様の?」
 
 セーラがあわてて跪こうとしたのを押しとどめた。
 
「そんなにかしこまらなくていいよ。年も近いし、友人としてつきあえるんじゃないのかい?」
 
「そうですね。セラフィさんだね、僕はユーリク、こちらが妹のクリスティーナ、よろしく。」
 
 セーラは真っ赤になりながら二人と握手を交わしていた。クリスティーナは、セーラが看護婦をしており将来は医師志望と知るとかなり興味を持ったようだ。
 
「もう一生の仕事を決めてらっしゃるのね・・・。わたくしもそんな仕事を持ちたいものだけど・・・。」
 
 クリスティーナがため息をついた。ユーリクが次期国王として王家の養子となれば、必然的に公爵家を継ぐのはクリスティーナだ。公爵家の当主が仕事を持ったとしても、領地運営などでなかなか思うに任せない状況になるだろう。王位継承問題は、この若い兄妹の未来にも影を落としている。
 
「君達はまだ若いんだ。今からそんなに焦る必要はないよ。セーラ、こっちにいるのが、君の兄さんの相方だ。そして、私の息子でもある。」
 
「はじめまして。セラフィです・・・。カインさんのお話は、いつも兄から伺ってます・・・。」
 
 セーラは丁寧に挨拶をした。礼儀正しい娘だ。しつけが行き届いていることを感じさせる。この娘を見る限り、両親も立派な人物なのだろうと思うのだが、名乗るときにいつも一瞬だけ声をつまらせるところを見ると、未だに母親との確執はあるらしい。
 
「はじめまして・・・。アスランからいつも聞いてるよ。今度の祭りに呼ぶつもりだから紹介するって言われてたんだ。こんなところで会うことになるとは思わなかったけどね・・・。でも、アスランが助かってよかったよ。」
 
「はい、ありがとうございます・・・。」
 
 セーラの瞳に涙がにじんだ。
 
「父さん、今日はアスランと話が出来るかな。」
 
「目が覚めてみないとなんとも言えないな。」
 
 少なくとも昨日と同じような状態ではまず無理だろう。もう少しはっきりと『目が覚めた』とわかる状態になってくれないと・・・。
 
「うーん・・・昨日目を覚ました時間から考えるに、今日もそろそろ目を覚ます頃合いですがねぇ。」
 
 ハインツ先生が私の隣でアスランの顔を覗き込んだその時、
 
「ん・・・・・。」
 
聞こえた声に誰もが耳を澄ませた。
 
「アスラン!」
 
 カインが叫ぶ。アスランが目を覚ましたのだ。『大きい声を出さなければ』なんて約束は、声を聞いた瞬間に息子の頭の中から吹き飛んだらしい。
 
「・・・カ・・・カインか・・・。」
 
 息子の目にみるみる涙があふれ、ハインツ先生を押しのけるようにしてアスランの顔を覗き込んだ。
 
「そうだよ!僕だよ!アスラン、目が覚めたのか!?」
 
 カインの声を認識している・・・。この分だと、心配したほどの記憶障害は起きていないかも知れない。
 
「アスラン、目が覚めたのか?」
 
 私は出来るだけ穏やかに声をかけた。アスランは昨日よりもはっきりと目を開けていた。声がいささかしわがれ声になっているのは、久しぶりにしゃべったからだろう。
 
「クロービス、私、イルサを呼んでくるわ。アスランに会わせてあげなきゃ。」
 
 昨日のセーラとイルサの会話を昨夜妻には話したのだが、その上で妻はイルサをここに連れてくるつもりらしい。この件は妻の判断に任せよう。
 
(なるほどね・・・。確かにこの辺のもめ事は、ウィローのほうがうまくさばけそうだよな・・・。)
 
 妻が『他にもいろいろと』と言っていたのはこのことだったのだろうか。
 
「頼むよ。ライラも気にしていたようだから、二人ともつれてきてくれるとありがたいな。」
 
「ええ、わかったわ。二人ともどこに泊まってるのかわかる?」
 
「あ、わかりますよ。診療所の廊下の突き当たりから左に曲がると、東翼の宿泊施設へ着きます。お二人ともそこに泊まっていますから、受付に声をかけると話を通してもらえますよ。」
 
 ハインツ先生が答えてくれた。息子に押しのけられたハインツ先生はいやな顔一つせず、さっさと後ろに下がってアスランとカインを見守っていた。当然ながらゴード先生がいやな顔をしてカインを睨んでいたが、当人は全く気づいていない。頭痛の種が増えないといいのだが・・・。
 
「ありがとうございます。」
 
 妻が笑顔でうなずき、病室を出て行った。イルサと聞いてセーラの眉間にしわが寄っている。こちらも頭が痛い問題だが、私が下手に口を出してこじらせてもまずい。やはりこちらも妻に任せよう。とにかく、私の仕事は患者の治療だ。
 
「イル・・・サ・・・。」
 
 アスランがうわごとのようにイルサの名を何度か繰り返した。そしていきなり飛び起きようとした。
 
「お、おい、どうしたんだ!?」
 
 息子があわてて押しとどめる。
 
「イ・・・イルサさんは・・・どこだ・・・!?」
 
「イルサなら今来るよ。母さんが呼びに行ってくれてるから・・・。」
 
「・・・生き・・・てるの・・・か・・・?」
 
 アスランが必死でしゃべるが、声の嗄れがひどくなってうまくしゃべれない。私はベッドに歩み寄り、アスランの布団の上からぽんぽんと叩いた。アスランの目はかっと見開かれ、恐怖で震えている。まずは落ち着かせなければならない。
 
「落ち着きなさい。無理にしゃべってはいけない。声が元に戻らなくなってしまうよ。イルサは無事だ。君のおかげでかすり傷一つなく、元気でいるよ。」
 
 アスランの体から力が抜け、目が涙であふれた。
 
「よ・・・かった・・・。」
 
 アスランの手が震えながら動き、顔を覆った。自分の意志で腕を動かすことも出来ているようだ。そして自分達が襲われた経緯も覚えている。いまのところ、刺される直前までの記憶ははっきりしていると思って間違いない。そんなアスランを、複雑な目で見ているのはセーラだ。彼の目には、すぐ目の前にいるはずのセーラが映っていないのだ。そして自分の命よりもイルサの安否を気遣っている。
 
「おにいちゃん・・・・。」
 
 せっかく目が覚めた兄に取りすがるタイミングを逸して、セーラは悲しげにアスランを呼んだ。そこで初めてアスランがセーラを見た。
 
「セーラか・・・・。」
 
 アスランがセーラを見つめて笑った。
 
「おにいちゃんのばか!」
 
 セーラはアスランのベッドに突っ伏してわっと泣き出した。アスランはそんなセーラの髪をゆっくりとなでながら、
 
「心配かけたんだな・・・。ごめんな・・・。」
 
 何度もそう言った。そしてカインを見あげ、
 
「カイン・・・俺は・・・どうなったんだ・・・?」
 
そう尋ねた。
 
「君は・・・。」
 
 息子が口を開くが、うまく説明できないらしい。
 
「カイン、ちょっと場所を変わってくれ。」
 
 私は息子が座っていた場所に座り、アスランの顔を覗き込んだ。
 
「アスラン、私の顔を覚えているか?」
 
 昨日目覚めたときの記憶がはっきりしているかどうか、調べなければならない。アスランは少し考えていたが、
 
「お医者さん・・・ですよね・・・。」
 
小さい声ではあったがはっきりと言った。
 
「ああそうだ。気分はどうだい?疲れたかい?」
 
「いいえ・・・。体が・・・ちょっと重いけど・・・。」
 
「そうか。腹は減っているかい?」
 
「はい・・・。すこし・・・。」
 
「それじゃ今日は少しだけ食事も出来るようにしよう。」
 
「あの・・・俺は・・・。」
 
「君は大怪我をしたんだ。それからずっと眠りっぱなしだったから、ずいぶんと心配したよ。でももう大丈夫だ。」
 
「賊に・・・襲われたんです・・・。飛びかかられて・・・剣でなぎ払ったと思ったら・・・背中が熱くなって・・・それで・・・。」
 
「無理に思い出そうとしなくていいよ。少し休んだほうがいい。」
 
 アスランはうなずき、目を閉じた。だが昨日のようにすぐに眠ってしまいはしないようだ。
 
「助かったんだ・・・。イルサさんが・・・よかった・・・。」
 
 目を閉じたまま、アスランはそう何度も繰り返している。
 
「人のことなんていいわよ!自分のこと考えてよ!」
 
 セーラが叫ぶ。
 
「そう・・は・・・いかないよ・・・。」
 
「そんなに・・・好きなの・・・?」
 
「・・・・・・・・。」
 
 アスランが黙り込む。
 
「セーラ、君の兄さんは目が覚めたばかりなんだ。あまり一度にいろいろ言ったら混乱してしまうよ。君も少し落ち着いて。看護をするほうがそんなに取り乱していては、患者の気が休まらないじゃないか。」
 
「だ、だって・・・こんな目に遭ったのに・・・!」
 
 セーラが悔しげに唇をかんだ。気持ちはわかる。アスランはこんな目に遭ってまでもイルサのことばかり心配しているが、当のイルサはアスランに対する気持ちすらはっきり言おうとしない。だがここは診療所で、アスランは瀕死の・・・いや、死の淵からようやく救い出されたばかりの怪我人だ。
 
「セーラ、君の気持ちがわからないわけじゃない。でもそのことは、君の兄さんとイルサの問題だ。今は看護婦として、いつも患者に接しているように君の兄さんを看病してくれないか。君の兄さんがよくなったら、その時に改めて話すといいよ。」
 
「イルサさん達は、先生のお知り合いなんですよね・・・。」
 
 セーラは、『だから彼女の肩を持つのか』と言いたげだ。
 
「ああそうだよ。イルサとライラは私の友人の子供達で、カインにとっては兄妹同様に育った幼なじみでもある。」
 
「え・・・?そ、そうなんですか・・・?」
 
「あ、ああ・・・そうなんだ・・・。」
 
 急に話の矛先を向けられ、カインがあわてて答えた。アスランの思う相手がイルサだったことについて、カインは未だに動揺しているらしい。そのカインを見て、セーラはしばらく黙っていたが・・・
 
「わかりました。私は看護婦として、兄を看病します。」
 
 きっぱりと言い切ったセーラの顔は、ローランで最初に出会ったときの看護婦の顔に戻っていた。
 
「夜は夜勤の先生方が交代してくれるから、君は昼間の看護をお願いするよ。君の兄さんに今まで施した治療については、ハインツ先生に聞けば何でも教えてくれると思う。」
 
「おや、クロービス先生が教えるわけではないんですか?」
 
「わかることは教えますけど、ハインツ先生の説明のほうがわかりやすいと思いますよ。私はどうも説明が下手で・・・。」
 
 これは嘘じゃない。
 
「そうですか。ははは、まあ私でお役に立てるなら、喜んでお教えしまょう。セラフィさん、よろしくお願いしますよ。」
 
「は、はい・・・。こちらこそよろしくお願いします・・・。」
 
 セーラが頭を下げた。・・・これでいい。アスランの回復次第では明日か明後日くらいには、私はこの治療から手を引くことが出来る。行きがかり上とはいえ関わりすぎたかも知れない。またこの間のように医師会に入れなどと持ちかけられないうちに、ハインツ先生にすべて任せてしまおう。ドゥルーガー会長の言うとおり、この人こそ明日の医師会を背負って立つべき人物だ。
 
「失礼します。」
 
 ノックと共に扉が開いた。妻がイルサとライラ、それにオシニスさんを連れて戻ってきたのだ。
 
「おはようございます。」
 
 いささか気まずい思いで挨拶をしたが、オシニスさんはいつもと同じだった。少なくとも表面上は・・・だが・・・。
 
「おはよう。いきなりウィローが団長室に来たときは驚いたぞ。」
 
「すみません、びっくりさせてしまって。でもせっかくアスランが話せるほどになったんですもの。早く呼んでこようと思って。」
 
「その心使いは感謝してるよ。クロービス、今日は話して大丈夫か?」
 
「大丈夫ですよ。ただ、あんまり長くは話さないでくださいね。」
 
「わかった。イルサ、ライラ、ほら、一緒に来い。」
 
 オシニスさんはさっきから入り口に立ちつくしている二人に振り向き、追い立てるようにしてアスランのベッドに歩み寄った。
 
「アスラン、俺がわかるか?」
 
「団・・・長・・・・?」
 
「そうだ。気分はどうだ・・・?」
 
「団長・・・すみません・・・迷惑かけて・・・。」
 
「ばかやろう!そんなことを気にする奴があるか。お前は俺の大事な部下だ。何があったって俺が引き受けてやる。だからお前は・・・よくなることだけを考えろ!」
 
 途中からオシニスさんの声が涙声になっていた。
 
「アスラン・・・。」
 
 イルサははっきりと目を開けてオシニスさんと話すアスランを見て、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
 
「イルサさん・・・無事でよかった・・・。俺、ちゃんと護衛するなんて言ったのに・・・先にやられるなんて・・・かっこ悪いですよね・・・。」
 
「そんなことないわよ!あなたは私をちゃんと守ってくれたわ。あなたが目覚めなかったらどうしようって、毎日そればかり心配してた・・・。昨日、あなたが目を開けたとき、私ここにいたのよ。すごくうれしかった・・・。」
 
「ああ・・・やっぱりイルサさんだったんだ・・・。俺・・・暗いところからいきなり外に出たような感じで・・・でも俺の名前を呼んでくれる誰かの顔が見えて・・・ああ・・・イルサさんだって、思った記憶はあるんです・・・。そのあと・・・お医者さんだって言う人としゃべって・・・そのあとはよく覚えてなくて・・・。だから夢だったのかと思ってました・・・。」
 
 夢うつつながらも、アスランはイルサの顔をちゃんと認識していた。私との会話も覚えている。あとは・・・怪我をする以前の記憶だ。オシニスさんの顔をちゃんとわかるのだから心配はないかも知れないが、一通りの確認は必要だ。これは私達がやるより、近しい誰かに頼んだ方が早い。常に一緒にいる息子に頼むのが一番だろう。
 
「カイン。」
 
「なに?」
 
「アスランが怪我をした日の昼間まで、お前は一緒に仕事してたんだったな。」
 
「そうだけど・・・なんで?」
 
 私は、アスランの記憶障害がないかどうか、ある程度までさかのぼって質問してくれるように頼んだ。もちろん今日一日ですべてと言うことではなく、これから何日かかけてゆっくりとでいいということも付け加えておいた。昼間は仕事のはずだから、それを放り出させるわけにはいかない。
 
「わかった・・・。ちょっとずつ聞いてみるよ。ねえ父さん。」
 
「ん?」
 
「アスランのこと、フローラに話してあげていいかな。」
 
「かまわないよ。回復は今のところ順調だからね。だけど、仕事に復帰できるようになるのは、どんなに早くても一ヶ月は先だな。」
 
「うん・・・。わかってる・・・。その間に僕はちゃんと仕事もするよ。」
 
「今朝シャロンに会ったんだけど、心配してたよ。後で行って教えてあげなさい。ところでお前はそろそろ仕事なんじゃないのか。」
 
「あ、そうだ。団長!みんなにアスランのこと教えてあげてもいいですか!?」
 
 カインがオシニスさんに振り向いて尋ねた。
 
「ああ、いいぞ。ただし、束になって見舞いに来たりするなと言っておけ。来たければくじ引きでもして順番を決めて、せいぜい一度に3人くらいずつだな。でないと他の患者にまで迷惑がかかる。そうだな・・・ランドにもそう伝えておいてくれ。あいつのことだ、本気でくじ作りでも始めるかもな。」
 
 オシニスさんが笑った。昨日より少しだけ、晴れやかな笑顔だった。
 
「はい!それじゃ、父さん、母さん、アスラン、行ってくるね!」
 
「ああ、いってらっしゃい。」
 
「いってらっしゃい。気をつけてね。」
 
 家にいた頃いつもそうしていたように、私達はカインを送り出した。カインはすっかり笑顔になって病室を飛び出していった。
 
「ちぇ・・・いいな・・・仕事に出られて・・・。」
 
 アスランが小さくつぶやく。
 
「君の当面の仕事は自分の体を治すことだ。王国剣士として復帰するには、最低でも一ヶ月程度は要するからね。」
 
「・・・一ヶ月・・ですか・・・?」
 
「ああ、すべてがうまくいって、一ヶ月だ。」
 
「・・・つまり俺次第・・・ですか・・・。」
 
「そう言うことだよ。」
 
 勘のいい若者だ。しゃべるごとにはっきりとした受け答えをするようになってきた。元々体力があったと言うこともあるのだろうが、やはりこれはフロリア様の呪文のおかげか・・・。今は素直に感謝しよう。
 
「とりあえずは薬ですなぁ。目が覚めたとなるとかなり苦い思いをしてもらわなくてはなりませんが、これも治るための試練ですよ。」
 
 いつの間にか、ハインツ先生が煎じ薬を持って立っていた。この人の手際の良さにはいつも驚かされる。
 
「薬・・・ですか・・・。」
 
 アスランが顔をしかめる。
 
「そうですよ。まずは薬。あとは今日の昼から病人食を手配しておきますからね。セラフィさん、あなたがお兄さんに食べさせてあげてくださいよ。」
 
「はい。」
 
 セーラが笑顔で答えた。
 
「お、おい、俺は自分で食うよ。お前の世話には・・・。」
 
 アスランがあわてて起きあがろうとしたが、途中でまたどさりとベッドに倒れ込んでしまった。
 
「まだ起きあがれるほどではないようだね。無理をしてはいけないよ。君次第で早く治るとは言ったが、それは君が無理をすればってことではないんだ。そこを間違えちゃいけない。」
 
「・・・だが、山は越えたと思っていいんだよな?」
 
 オシニスさんが尋ねた。
 
「そうですね。これからまた悪くなるという心配はいらないと思います。あとは食事とリハビリのプログラムなんですが・・・ハインツ先生、こちらにはその方面の専門医はいらっしゃるんですか?」
 
「そうですねぇ・・・。食餌療法について詳しいのはマレック先生ですかね。ローランのデンゼル先生の息子さんですよ。あとリハビリなら、若いですが知識の豊富なのがここにいるゴードですな。」
 
 ランドさんはゴード先生を『ろくな技術もない』と言っていたが、案外そうでもなかったらしい。
 
「そうですか。それではそれぞれの先生方にプログラムを作っていただくことは出来ますか?」
 
「ゴードはごらんの通りこちらのチームですから問題はありません。マレック先生は・・・そうですなぁ。今の時期ならそんなに忙しくないでしょうから、一度アスランを診てもらいましょうかね。」
 
「そうしてください。ゴード先生は、いかがです?アスランのリハビリのプログラムを作成していただけますか?」
 
「私がですか・・・?」
 
 ゴード先生は怪訝そうだ。この人の感覚だと、もしかしたら私が何か企んでいるとでも思っているのかも知れない。
 
「リハビリに関しては私は専門外なんですよ。島でも私が師事しているブロムさんに頼り切りでしてね、医師としては情けない限りでお恥ずかしいですが、そんなわけでぜひゴード先生のお力を貸していただけたらと。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ゴード先生はしばらく黙っていたが・・・・
 
「専門外とはいえ、まるっきりの素人というわけでないでしょう。一度先生が作ってみてください。私はそれをみせていただいて、足りないところがあれば補足すると言うことにしましょう。」
 
そう言った。ゴード先生が何か企んでいるのか、単に私の力量を試したいのかはわからないが、今はこの人の医師としての良心を信じてみよう。
 
「わかりました。明日にでも作ってお持ちしますので。」
 
「それじゃ私は、マレック先生に頼んでおきますよ。もし手が空くようなら早速午後からでもここに来てもらいましょう。」
 
 ハインツ先生がそう言って、病室を出て行った。
 
「・・・医師会に入られるんですか?」
 
 ハインツ先生が病室の扉を閉めたとたん、ゴード先生が鋭い口調で尋ねてきた。
 
「いえ。どうしてですか?」
 
「お誘いはあったわけでしょう。」
 
「ありましたけど、私にはその気はありませんよ。」
 
「なぜです?」
 
 この人は、私が今更医師会に入るなんて絶対に反対すると思っていたのだが、この口ぶりだと私が断ったことを非難しているようだ。
 
「私は北の島でずっと今までやってきました。これからもずっと、あの島で生きていきたいと思ってます。ただ、医師会に入らなくても、今後の医療技術発展のためには相互協力は欠かせないと思いますから、いろいろと情報交換はさせていただくつもりでいますよ。」
 
「本当にそれだけですか?」
 
「そうです。これからの医師会は、ハインツ先生のような力のある方が背負って立つべきですよ。私などが今更入ってみたところで、大して役に立つとは思えません。だからお断りしたのです。納得していただけましたか?」
 
「・・・なるほど、筋は通っている。今はそのお言葉を信じておきましょう。ではリハビリのプログラム、楽しみにしていますよ。」
 
 言葉とは裏腹に、全く信じていないような口ぶりだった。かなり疑り深い人のようだが、ここでこの人と事を構えるつもりはさらさらない。何とか穏便に済ませたいものだ。うまくいけば明日には、アスランの回復に向けて治療の準備が整うことになる。
 
「おいクロービス。」
 
 しばらくアスランと話していたオシニスさんが立ち上がった。
 
「はい?」
 
「お前は今日一日はここにいるんだな?」
 
「そうですね・・・。セルーネさんが来られるような話もありましたから。」
 
「ああそうか。ユーリク、クリスティーナ、君達はどうするんだ?」
 
「僕達はやっと今日から動けるようになったので、午後から父と一緒に市内の見回りに出掛ける予定です。」
 
「やっと放免されましたから、今日からまたここでお手伝いさせていただきますわ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 やっと動けるとか放免とか、この二人は何を言ってるんだろう。オシニスさんはそれを知っているようで、くすくすと笑った。
 
「ま、これに懲りてあんまり羽目を外すのは控えるんだな。君達の母上はやると言ったらやる人だ。手加減なんて言葉が通用しないことくらいは、親子だったらわかるんだろう?」
 
 ユーリクとクリスティーナは顔を見合わせて肩をすくめた。
 
「わかってはいましたが・・・ダンタルがあんなに大騒ぎするとは思っていなくて・・・。」
 
「それだけ君達を大事に思っているのさ。確かダンタル殿は、セルーネさんの父上の時代からベルスタイン家に仕えているんだったな。」
 
「はい。」
 
「あの人にとっては君達は孫も同然なんだ。相手が悪かったな。」
 
「オシニスさん・・・アスランが怪我をした日のあと、この二人に何かあったんですか?」
 
 オシニスさんは私を見、また笑った。
 
「ユーリク、大筋だけでもこいつに話してやったほうがいいんじゃないのか。君達の母上がこいつに会えば、どうせばれることだぞ。」
 
「は、はぁ・・・実は・・・。」
 
 赤くなりながらユーリクが語ってくれたところに寄ると、私達がアスランを助けたあの日、ユーリクとクリスティーナは夕方から祭り見物に出ていた。だが実はその時二人だけではなく、公爵家に仕える護衛が一緒だったというのだ。その護衛がダンタル殿というらしい。二人を大事に思ってくれていることは確かなのだが、厳格な人物で、というよりかなりのカタブツで、この護衛がいると祭りを楽しむことも思うに任せないと、ユーリク達は一番賑やかな通りにわざと護衛殿を連れ出し、そこにおいたまま逃げ出してきたらしい。その途中でクロム達と出会い、私達に協力してくれることになったとの話だった。つまり二人が厳格な護衛殿から逃げ出してくれたおかげで、私達は彼らに助けられたわけなのだが、そのころ失意のうちに屋敷に戻った護衛殿が、二人を見失った責任をとって自害してお詫びすると言い出したことで、公爵家は大変な騒ぎになってしまった。その後事情を聞いたセルーネさんとローランド卿は、人助けをしたとは言え、護衛殿に大変な迷惑をかけたと言うことで、二人に謹慎を言い渡したそうだ。それがやっと今日からとけたらしい。
 
「本当なら、一週間は家に閉じこめられるところだったんですが、先生達に協力した話を団長さんが両親にしてくださって、おかげでこの程度ですみました。」
 
 そう言えば昔、セルーネさんが『うちのじいやは頭が固くてなぁ』と言っていたことがあったっけ・・・。それがおそらく、その護衛のダンタルさんという人なんだろう。きっとユーリク達を大事に思ってくれているのだろうけれど、若者にはあまり受けのよくなさそうな人物らしい。
 
「なるほどね。あれ以来君達が姿を見せなかったから心配していたんだけど、そういう事情だったのか。」
 
「全く無茶をするよ。そのあたりは親譲りかもな。」
 
 オシニスさんが笑った。
 
「さて、俺は部屋に戻る。クロービス、今ちょっと時間を作れないか?」
 
「あまりかからなければ大丈夫ですよ。」
 
「そうか、それじゃウィローも一緒に俺の部屋に来てくれ。あ、あとライラ、イルサ、君達もだ。」
 
「僕達二人共ですか?」
 
「そうだ。ちょっと話があるんだ。」
 
 私はゴード先生に、ハインツ先生が戻ったらあとはお任せしますと頼んで病室を出た。私がハインツ先生をあてにするようなことを言うたび、ゴード先生は何となく皮肉っぽい笑みを浮かべる。どうにも居心地の悪い話だが、今はほっておくしかなさそうだ。
 
 
 
 5人で廊下を歩いている途中、先頭を歩いていたオシニスさんが振り向いた。
 
「お前ら昼メシはどうするんだ?宿舎の食堂で食うなら、俺がおごるぞ。」
 
「それはありがたい話ですが、どうしようかなぁ・・・。」
 
「団長さん、せっかくですが僕は遠慮します。今日のお昼はセーラズカフェに顔を出さないと・・・。」
 
「ああ、あのコーヒーのうまい店ってところか。」
 
「はい。いつもならここに来て最初に行くんだけど、今回は今までそんな余裕なかったから・・・。」
 
「ま、アスランも一番危ない状況は脱したようだからな。そうか、わかった。クロービス達も一緒に行くのか?」
 
「いや、特に打ち合わせていたわけじゃないんですけど、カインからコーヒーも食事もうまいって聞いていたんで、行ってみようって話はしていたんですよね。」
 
「あ、それなら僕が案内するよ。カインとは前に一度行ったんだ。すごくうまいって喜んでいたから、先生達も連れて行けたらなあって思ってたんだよ。」
 
「・・・本当?よかったぁ。ずっと行きたいと思ってたのよ。」
 
 ライラの提案に喜んだのは妻だった。
 
「ねえクロービス、私行きたい。この間行こうって言ってたのに結局行けなかったじゃない?」
 
「そうだね。それじゃ案内してもらおうかな。」
 
「うん。イルサ、君も行くだろ?」
 
「わ、私は・・・。」
 
 イルサがとまどっている。その店に何かあるのだろうか。
 
「お、それじゃイルサには、俺が食堂のとびきりうまいメシでもごちそうするかな。」
 
「え?あ、いえ、その、あの・・・わ、私もライラと行きます・・・。」
 
「ははは。それがいいよ。せっかくクロービス達とも会ったんだし、積もる話もあるだろう。ま、実を言うと俺も給料前だからな。大盤振る舞いはまた今度にしよう。」
 
「す、すみません・・・。」
 
 イルサが赤くなって下を向いた。久しぶりに会ったライラとイルサ、その2人ともっと久しぶりに会った私達がゆっくりと話が出来るようにとの、オシニスさんの心遣いだった。
 
「へえ、それじゃあと一週間もすれば、オシニスさんの大盤振る舞いに預かれるというわけですか。」
 
「ああ、何でも好きなものを食っていいぞ。ただし、宿舎の食堂だけどな。」
 
「ははは、でもなかなかうまいという話じゃないですか。」
 
「ほぉ、そのあたりの情報もすでに入手済みか。」
 
「ティナとジョエルに聞いたんですよ。料理上手の女の子がいるらしいですね。」
 
「はっはっは。チェリルのことか。あの娘の作るメシは確かにうまいよ。ティナとは仲がいいみたいだな。今度ごちそうするよ。」
 
「楽しみにしていますよ。」
 
 我が息子の心を料理で射止めようとがんばる娘の腕前は、果たしてどの程度なのだろうか。
 
 
 ロビーに出て、剣士団宿舎への階段を上がる。昨夜と違って今日は、何人もの王国剣士達とすれ違った。ライラとイルサがたまに彼らと会釈を交わしているところを見ると、2人とも王国剣士達との交流はあるらしい。オシニスさんはすれ違う剣士達に時々声をかけながら先頭を歩いていく。しかしなんの用事だろう。ライラとイルサを呼び出したのは、たぶんこの間頭を抱えていた護衛の件だろうと思うが・・・。この二人を本当に『守れる』ほど腕の立つ剣士のあてがついたということか。
 
(まさか昨夜の話をするつもりじゃないよな・・・。)
 
 一瞬だけ浮かんだ考えを、私は即座に否定した。ライラ達がいるところでそんな話を持ち出したりはしないだろう。少なくともオシニスさんは自分の気持ちを誰にも知られたくないはずだし、フロリア様に不思議な力があることも知られてはいけない事実だ。そしてもちろん、オシニスさんの真意も。
 
『俺は本気だ』
 
 まさかとは思っていたが、本当にそんなことを考えていたとは思わなかった。でもそれが何の解決にもならないことくらいわかっているはずだ。私はカインじゃない。カインのかわりにはなれない。そして、フロリア様のそばにいるのが『カインのかわり』ではだめなんだ。
 
(でも・・・私の昔話を聞いたら、そんな考えは吹っ飛ぶだろうな・・・。)
 
 フロリア様にとってカインがかけがえのない相手だった、それは間違いない。その相手を殺した人間をそばに置きたがるものか。20年前、すべてが終わって剣士団はひとまず王宮へ戻ることが出来た。それから島へ帰るまでの間、フロリア様とは何度か言葉を交わしたが・・・2人きりで話をしていたときでさえ、フロリア様はカインの死について一言も口にしようとしなかった。おそらくは、すべて自分の責任として抱え込んでいるのだ。そして20年も過ぎた今になって、カインという王国剣士の出現で抱え込んでいた悲しい記憶が呼び覚まされた・・・・。あの夢はそんなところではないかと思う。
 
(・・・フロリア様に会おう。)
 
 会って話さなければならない。出来るならオシニスさんに昔話をする前に、一度フロリア様の気持ちを確認しておきたい。
 
 
 剣士団長室についた。
 
「さあ入ってくれ。お茶くらいは出せるぜ。」
 

第57章へ続く

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