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「そうおっしゃっていただけると助かりますわ。今人を呼びに行ってますから、近くの詰所で事情を聞かせていただきます。」
 
「助かるよ。こちらもあまり時間はかけられないのでね。」
 
「一つお尋ねしてよろしいでしょうか。」
 
「なんだい?」
 
「クロービスさんとおっしゃいましたわね。腰には立派な剣を下げておられるようですが、どうしてそれを抜きませんでしたの?」
 
「町中で剣を抜いたりしたら、他の人にも迷惑がかかるじゃないか。攻撃をかわすだけなら特に剣はいらないからね。」
 
「そ・・・それは確かにそうですけれど・・・。」
 
 スサーナは少し驚いた顔をし、そして私のマントからのぞいた鎧に目をとめて少しだけ眉をひそめた。
 
「実を言うと、串刺しにされそうになったときはさすがに焦って抜こうとしたんだが、その前に君が彼を止めてくれたんだよ。どうもありがとう。」
 
 正直な気持ちだった。あのタイミングで彼女達が現れてくれなければ、ラエルとこの路地で剣を交える羽目になっていただろう。そうなれば私もただではすまなくなるかも知れない。
 
「い、いえ、お気になさらずに。わたくしは王国剣士ですから、民間の方達を守るのが仕事です。失礼ですが、クロービスさんのお仕事は・・・。」
 
「私は医者だよ。」
 
「まあお医者様でしたの。この町の方ではありませんわよね。」
 
「違うよ。家は北の島にある。妻と一緒に祭り見物に出てきたんだが、妻が熱を出してしまったので・・・」
 
「あのぉ・・・。」
 
 突然背後で男の声が聞こえ、私の話は遮られた。変なところで遮られたので、おそらくスサーナは『妻が熱を出して休んでいるのをいいことに、娼館通いをして朝帰りをするような男』だと、私のことを思っているのだろう。普段なら、自分のことを誰がどんな風に思おうと自分にやましいところがなければ堂々としていられるが、この状況ではそれがかえって裏目に出ることもある。
 
「あら、あなたはどなたですの?」
 
 スサーナが私の後ろに視線を移し、少しだけ眉をひそめた。
 
「えー、あたしはこのシエナの店の用心棒でしてね。こいつが外に行くってんで護衛のためについてきたわけですが・・・どうしても事情聴取に行かないとまずいですかねぇ。」
 
 トゥラの店の用心棒と名乗ったその男は、背はそんなに高くない。加えて妙に腰をかがめてしゃべるので、何となく卑屈にさえ見える。
 
「なるほど・・・。あなたのお立場からすれば、剣士団の詰所なんて望んで足を踏み入れたい場所ではございませんでしょうけれども、こちらも仕事ですの。とにかく一度はおいでいただきますわ。」
 
「はぁ・・・まあ仕方ねぇな・・・。それでは、お供させていただきますよ。」
 
 用心棒は観念したようにため息を漏らした。
 
「ご協力感謝します。・・・来たようですわね・・・。」
 
 私達はスサーナの視線の先を見た。通りの先の角を曲がって近づいてくる一団がいる。王国剣士の制服の色が確認できた。先ほど駆けていったシェリンと、クロムとフィリスのようだ。二人は走ってきて、まずはラエルを見、トゥラを見、そして私に視線を移して同時に顔を引きつらせた。
 
「思いもかけないところで会ったようだね。」
 
「い、い、いや・・・そ、その・・・。」
 
 二人とも、なんとも言えない表情で私を見つめている。無理もない。後輩カインの父親が、朝から娼婦にしがみつかれ、その娘を巡ってラエルともめ事を起こした、たぶん彼らの目にはそう映っているのだろう。どうも状況がどんどん悪い方向に転がっているような気がするが、すべて誤解なのだ。卑屈な態度は避けなければならない。
 
「あら?クロム、フィリス、この方とは知り合いなの?」
 
「あ・・・ああ・・・。えーと・・・その・・・・。」
 
 二人は顔を見合わせて、口の中で何かもごもごと言っている。
 
「なんなの?はっきりしてよ。」
 
 シェリンが二人をにらんだ。
 
「君達、この二人がラエルを運んでくれるなら、まず詰所に移動しようじゃないか。そこでこのもめ事の顛末を説明するよ。まあ知っているところからだから、その前についてはこのトゥラに聞いてもらうしかないんだけどね。」
 
「あら?最初からご一緒だったわけではありませんでしたの?」
 
「違うよ。宿屋を出てからここを通ろうとして曲がったときにぶつかったんだ。」
 
 この言葉を聞いて、ほんの一瞬クロムとフィリスが目配せし合ったのに気づいた。二人ともさっきよりはほっとした表情をしている。「娼館からの朝帰り」でないことは理解してもらえたらしい。私のほうも少しほっとした。
 
「そうでしたの・・・。それではまず詰所に移動しましょう。クロム、あなた一人でラエルを担げる?」
 
 シェリンが尋ねる。
 
「こいつ一人なら何とかなるさ。ただ、荷物や剣は担いで歩くのに邪魔になるからフィリス、お前が持って行ってくれよ。」
 
「わかったよ。それじゃ行こうか。」
 
 二人ともまだ少し気まずい表情のまま、クロムはラエルを担ぎ、持っていた剣と荷物をフィリスが担いだ。幸いすぐ近くに剣士団の詰所はあったのだが、そこに着くまでが異様に長く感じられ、詰所についたときにはなんだかとても疲れていた。もう陽は高くなっている。早く王宮に向かいたいが、まずはここで誤解を解くことが先決だ。
 
「あら?誰かいるみたいね・・・あ!」
 
 先頭に立って詰所に入ったスサーナが声を上げた。
 
「どうしたの・・・?あ!だ、団長!」
 
 スサーナの後ろから詰所を覗き込んだシェリンが声を上げた。同時に扉が大きく開かれ、中からオシニスさんが姿を現した。
 
「おう!お前らか。夜勤明けだってのにご苦労だな、なんかあったのか?」
 
 そう言ってから、オシニスさんは私に気づき、私の背中にしがみついているトゥラに気づき、少し驚いたような顔をした。だが私にとってはありがたい。オシニスさんがここにいるなら、王宮に行くのが多少遅くなっても、アスランの今朝の容態は聞くことが出来そうだ。
 
「団長こそ、どうしてこちらに・・・。」
 
「ああ、ちょっと王宮で人を待ってたんだが、なかなか来ないからもしかしたらこのあたりで騒動に巻き込まれていそうな奴がいるかと思って来てみたのさ。どうやら正解だったようだな。」
 
 私の顔を見て、オシニスさんがにやりと笑った。
 
「おはようございます。今ここでお会い出来て、本当にうれしかったですよ。アスランの具合はどうです?」
 
「相変わらずだ。今朝は医師会の主任医師が何人かで今後の治療方針を話し合うそうだ。お前にも早いとこ来てほしいと言っていたのになかなか顔を出さないから、俺が探しに出たわけさ。何せ剣士団で一番暇なのは俺だからな。」
 
「そ、そんな!団長は忙しすぎるじゃありませんか!」
 
 さっきの冷静さはどこへやら、ほんのり頬を染めたスサーナが必死な顔で言った。
 
「そんなことはないぞ?警備のローテーションにも入っていないし、夜勤もない。やってることと言えば、一日会議や書類整理ばかりだ。そんなもの王国剣士の仕事のうちに入らんさ。それよりクロービス、ウィローはどうした?一緒じゃないのか?」
 
「熱を出したので宿で寝てます。宿のおかみさんが見ていてくれるのでお願いしてきたんですよ。アスランのほうをほっとくわけにはいきませんからね。」
 
「熱・・・?やっぱりこの間のことが原因か・・・?」
 
「かも知れないです。この間レイナック殿にも言われましたよ。呪文を唱えたことでの疲れは他の呪文で癒やすことは出来ないって。薬は作っておいてきましたから、一日飲めば夜にはだいぶ落ち着くと思います。」
 
「そうか・・・・。」
 
「団長、この方をご存じですの?」
 
 赤い顔をしてもじもじしているスサーナに変わり、シェリンがオシニスさんに声をかけた。
 
「ああ、よく知っている。俺の昔なじみだ。お前達の大先輩でもあるぞ。」
 
「え・・・・?」
 
「オシニスさん、その話はいいですよ。20年も前にほんの少しの間いただけなんですから。」
 
「ということは・・・以前は王国剣士であられましたの?」
 
 スサーナが、幾分落ち着きを取り戻した声で尋ねた。
 
「ああ、昔ね。」
 
「そうでしたか・・。それで・・・。」
 
「医者がナイト輝石の鎧を身につけているなんておかしいと思ってたかい?」
 
「はい。あ、あの・・・い、いえ、その・・・失礼いたしました。」
 
 スサーナはますます真っ赤になった。
 
「まあ、王国剣士を経験したものにとっちゃ、町中で武装するのは習慣みたいなものだからな。」
 
 オシニスさんが笑った。
 
「そうですね。別に王宮に行くのに鎧も剣も必要ないかとは思ったんですが、何となく習慣でつい身につけてきてしまいました。君達、誤解を招くようなことをして申し訳なかったね。」
 
「とんでもありません。祭りの間は町の中も治安が悪くなりますから、武装していただいたほうが危険は少なくなるかも知れませんわ。」
 
 先ほどと変わらぬ冷静さを保ったシェリンが、話に割って入った。スサーナは真っ赤になって何か言おうとしているが、うまい言葉が見つからないといった顔で口をぱくぱくさせている。
 
「たしかに、この鎧と剣のおかげでさっきも冷静でいられたかも知れないね。とにかくことの顛末について説明させてくれないか。」
 
 これ以上ここで時間を無駄にしたくはない。こうしている間にアスランが良くなっているのか悪くなっているのか、その判断がつけられないからよけいに気がせく。
 
「わかりました。わざわざお越しいただいたのに手間取ってしまって申し訳ありません。団長、今ちょっとした騒動がありまして、この方には事情聴取のためにお越しいただいたところですの。団長のお知り合いなら、身元の保証はしていただけますの?」
 
「騒動?何だ、お前また何か騒ぎに巻き込まれたのか?」
 
「ええ。まあちょっとした行き違いなんですけどね。」
 
「ほお。行き違いでも何でも、騒動が起きたのならまずはそっちの手続きが先だな。始めていいぞ。俺はここで聞いてる。そのあとでこいつの身元を保証する必要が出来たなら、俺がいつでも引き受けてやる。」
 
「わかりました。では皆さん、椅子におかけください。皆さんのお名前からお伺いします。」
 
 シェリンが机の上のノートを開き、一人ずつ名前を聞いては書き込んでいった。そのあと今回の騒動の発端から聞かれ、私はさっきと同じく、宿屋から出て王宮方面に向かう近道を通ろうと路地に踏み込んだところでトゥラとぶつかったことを話し、その後ラエルがやってきて私に斬り込んできたことを伝えた。
 
「なるほど・・・。ラエルはあなたに向かって剣を抜いた理由を言ってましたか?」
 
「・・・言ってはいたが・・・トゥラ、君がずっとあの家の隙間に隠れていたなら、ラエルが私に何を言っていたかわかるね?」
 
「わかるわ・・・。」
 
「そのことをここで話していいかい?」
 
「いいわ・・・。だって全部誤解なんだもの。巻き込んじゃってごめんなさい・・・。」
 
 トゥラがまた流れ出た涙をぬぐった。
 
「そんなことはいいよ。別に怪我をしたわけでもないんだし。それじゃ説明するよ。」
 
 私の上着を掴んで離さないトゥラの頭をなでてやりながら、私はラエルが私をトゥラの客と間違えて斬り込んできたのだと話した。トゥラと一緒に祭りに行っていたのが自分でないことを証明するために、夜の祭りを見物に出掛けた夜、妻と一緒にいてトゥラを見かけ、そのすぐあとにアスランとイルサが襲われているところに出会ったことを話し、ラエルが彼女を見かけたのがその時ではないかと、少しだけ自分の意見も付け加えた。
 
「・・・そうでしたの・・・。アスランを助けてくださったお医者様がカインのお父様だということは聞きましたが、それがあなただったのですね。大変失礼いたしました。アスランを助けてくださったこと、改めてお礼申し上げます。」
 
 シェリンとスサーナがそろって頭を下げた。
 
「医者として当然のことだよ。それに、君達とは初対面だからね、私のことを知らなくて当たり前だ、気にしないでくれないか。」
 
「はい・・・。では、これからクロービス先生とお呼びさせていただいてよろしいんですわね。」
 
「好きなように呼んでくれてかまわないよ。」
 
「では先生、先生がトゥラさんのお客でないことはわかりましたが、そもそも知り合われた経緯はお聞かせ願えますの?」
 
「ああそれは・・・・。」
 
 トゥラが私の上着を掴む手に力がこもった。
 
「しばらくぶりに城下町に出てきたもので勝手がわからなくてね、商業地区に出ていたバザーでうろうろしていたときにこの子とぶつかってしまったんだよ。派手にぶつかったから怪我させてしまったかと思っていろいろ聞いたからね、それで覚えていたんだ。」
 
 別にこれは嘘ではない。ぶつかった経緯をほんの少し隠しているだけだ。
 
「そうでしたの・・・。ねえあなた、それで間違いはないのね?」
 
 スサーナのトゥラに対する口調は、私に対するそれとは明らかに違う。トゥラをあまり快く思っていないことがはっきりとわかった。対して相方のシェリンは実に冷静だ。心の中でどう思っているかは何とも言えないが、少なくとも表情には何の変化も見られない。多少のいらだちめいた感情が時折揺らめいているが、それはどちらかというと、嫌悪感や感情を表に出してしまう相方のスサーナに向けられているようだ。
 
「ま・・・間違いないわ。おじさんの言う通りよ。」
 
 トゥラが私の上着を掴む手にますます力がこもる。同時に、トゥラの中でおびえよりも少しずつ怒りの感情がふくれあがっていることにも気づいた。スサーナの口調に非難めいた響きがこもっていることを、トゥラも感じ取っているのだろう。
 
「そう・・・。つまり、こういう事かしら。あなたはラエルに別れ話をするために今日呼び出したの?」
 
「ちがうわ・・・。呼び出してなんかいないわ。」
 
「どういうこと?」
 
「あたし・・・今日はちょっと買い物に出ようと思って、それでお店の裏口を出たらラエルがいたのよ。話があるって。だからあたしも、いい機会だから・・・・そろそろ別れましょうって言ったらすごく怒り出して・・・それで・・・。」
 
「それで?」
 
 苛立たしげにスサーナがあとを促した。トゥラは唇をぎゅっと噛みしめて、小さく深呼吸してからまた話し出した。
 
「あたしの肩を掴んで、あたしが誰かのおもちゃになるなんてこれ以上耐えられないから、あんな店さっさとやめて自分と結婚しようって言うんだもの。だからあたし言ったのよ。あたしにはすごい借金があって、それを返さなければやめることは出来ないって。そうしたらそんなの返さなくたって二人でどこか遠くに逃げれば、すぐにでも一緒になれるからそうしようって言い出して、あたしの腕を掴んで今にも連れて行きそうだったから怖くなっちゃったの・・・。それで逃げ出して、途中でおじさんにぶつかったのよ・・・。」
 
「それで今朝からラエルの姿が見えなかったのね・・・。」
 
「はぁ・・・夜勤明けは自由行動だけど、制服を着て歓楽街のお店の裏口にずっといたなんて・・・。営業妨害だって苦情言われても文句言えないわよねぇ・・・。」
 
 二人の女性剣士はそろってため息をついた。
 
「俺達がもう少しよく見てればよかったかなあ・・・。今朝王宮に戻るまでは一緒だったんだが、中に入ってからは気にしてなかったからなぁ・・・・。」
 
 ずっと黙って聞いていたクロムが、ため息混じりにそう言った。クロムとフィリスの顔はもう引きつってはいない。何とか誤解は解けたらしい。
 
「仕方ないわよ。まさか夜勤明けにすぐ出掛けるなんて誰も考えないし。」
 
 シェリンが言いながらまたため息をつく。
 
「でも最近、ラエルの仕事が上の空だってみんな言ってたのよね。だから今回もわざわざ夜勤のローテーションに入れたのよ。夜のお祭りの警備はかなり大変だから、忙しくしていればよけいなことも考えないかと思ったんだけど、裏目に出たようね・・・。」
 
 スサーナが少し怒ったような口調でそう言い、一瞬トゥラを射るような目で見た。
 
『あなたが客と祭りになんて出かけなければこんな事にはならなかったのよ』
 
 スサーナの目はそう言っている。トゥラが気づいたかどうかはわからない。でもそれは八つ当たりだ。このことについてトゥラは何も悪くない。だが元々トゥラを快く思っていないスサーナには、そうは思えないらしい。
 
「ローテーションも考え直した方がいいのかしらねぇ。」
 
 シェリンがまたため息をついた。
 
「それじゃあの日は、ラエルもあのあたりにいたんだね。」
 
「はい・・・アスランが襲われた日の夜、私達も夜勤に出掛けてましたの。その時ラエルも連れて行ったのですけれど、途中で見失ってしまって、あわてて探したんですのよ。たぶんその時、ラエルはトゥラさんを見かけたのだと思いますわ。」
 
「そうか・・・。」
 
「でもそのあと、悲鳴が聞こえて様子を見に行ったら誰かが襲われていたから、もうそっちのほうで手一杯になってしまって、ラエルを見つけたのはだいぶ後でしたの。」
 
「ということは・・・君達もあの時助けに来てくれていたのか。」
 
「はい。ラエルを探しているうちにクロム達と会って、一緒にいたユーリクとクリスティーナが何か聞こえるというものですから、見に行ってみたんですの。あの時先生がいてくださらなかったら、アスランもあの一緒にいた司書の子もどうなっていたかわかりませんわ。本当にお世話になりました。」
 
「・・・その言葉は、アスランが目覚めてからにしてくれないか。」
 
「し・・・失礼いたしました。申し訳ありません・・・。」
 
「いや・・・気に障ったのならすまないが、アスランがあの状態では、果たして助けたと言えるのかどうか・・・。」
 
 思わず本音が漏れた。礼を言われるたびに胸が痛い。
 
「しかしさっきから聞いていると、このラエルという剣士は君達と一緒に仕事をしていたようだが、相方はどうしてるんだい?」
 
「それについては俺から話そう。」
 
 そう言ったのはずっと黙って聞いていたオシニスさんだった。
 
「あいつの相方は今入院中なんだ。もう半年くらいになる。いつまでも一人でいないで誰か別の奴とコンビを組むことも勧めたんだが、ラエルの奴はそいつが元気になるまで待ってるってきかないんだ。最初は一人でも何とかするって、他の奴らにくっついて仕事に行ったりしてがんばっていたんだがな・・・。そろそろ本格的に何とかしなくちゃならないと思ってたところだ。ま、この件については俺の判断ミスだな。もう少し早く手を打つべきだったよ。そうすればこんな騒ぎは起きなかったかも知れない・・・。」
 
「つ・・・つまりあたしが悪いってことなのかしら・・・。」
 
 トゥラがまた泣き出しそうな声を上げた。
 
「別にそんなことは言っとらんさ。男と女なんてのはな、どんなに状況が変わったところで、出会うときは出会っちまうもんだ。お前が気に病む事なんて一つもないぞ?」
 
 オシニスさんがトゥラに向かって微笑んだ。優しい笑顔だった。
 
「そうなの・・・?」
 
「ああ、そうだ。ただ、一つ訊きたいんだが、答えてくれるか?」
 
「・・・・・・・。」
 
 トゥラは返事をせず、上目遣いにオシニスさんを見ている。
 
「どうした?」
 
「ラエルは・・・剣士団長さんて言うのはすごく怖い人だって言ってたわ・・・。だから本当は、さっきここで会ったときすごく怖かったの。でも・・・なんだかすごく優しい目をしてるんだもの・・・。」
 
 ずっと私の上着の裾を掴んでいたトゥラの手は、いつの間にか離れていた。
 
「ほお、優しいというのは初めて言われたな。」
 
「オシニスさんは怖いというのは昔からの定説ですからね。」
 
「ふん、お前も言うようになったもんだ。俺が昔怖いと言われてたのはみんなライザーのせいだぞ。あいつがもう少し闘争的な奴だったら、そんなに目立たなかったかも知れないんだがな。」
 
「ははは。てことは、ご自分が怖いと言うことは自覚してたんですね。」
 
「俺はいつも怒り役だったからな。だいたい考えても見ろよ。ライザーの奴があの風貌でちょっとばかり怒ったってちっとも効果はないじゃないか。だからってあいつが本気で怒ったりしたら、たぶん俺なんぞより遙かに怖くなっちまうし、結局俺が貧乏くじを引くしかなかったのさ。」
 
「なるほど。まあ、だからこそコンビとしてはぴったりだったと思いますよ。」
 
「ぴったりか・・・。ま、それはそうなんだがな・・・。」
 
 ふとオシニスさんの顔によぎった寂しげな表情に、よけいなことを言ってしまったかも知れないと後悔した。
 
「まあ昔話はあとでゆっくりするとしよう。えーと、お前の名前は、トゥラというのは本名なのか?」
 
「そうよ。」
 
「ではトゥラ、俺が怖くなるのは、犯罪者を前にしたときだけだ。お前は別になにも悪いことをしていないのだから、堂々としていていいぞ。」
 
「怒らないの?」
 
「何で怒る?犯罪と言われるようなことを何かしたのか?それなら怒るぞ。」
 
「・・・それは・・・。」
 
「君は別になにも悪いことをしていないよ。そんなにオシニスさんを怖がる必要はないんだよ。」
 
 黙り込んだトゥラに声をかけた。おそらくはスリのことを言うべきかどうか迷っているに違いない。だが以前働いたスリのことなんて立証できるかどうかもわからないし、少なくともイノージェンも私も被害には遭っていないのだから、何もわざわざここで言うこともないように思えたのだ。それがこの娘のためになるかどうかは何とも言えないが、私からそのことをここで言うつもりはない。
 
「それじゃ・・・ラエルのことは?」
 
「そのラエルのことについて聞きたかったのさ。改めて聞くが、お前はラエルを好きなのか?」
 
「・・・好きなんだと・・・思う・・・。でも・・・」
 
「でも・・・?」
 
「今は・・・なんだかわからなくなっちゃったわ・・・。」
 
「どうしてだ?」
 
「あたし・・・ラエルに結婚しようって言われてたの・・・。それはとてもうれしかったんだけど・・・あんな怖い顔して何もかも捨てて一緒に逃げようだなんて、そんなこと出来るはずないのに、今にもあたしを連れて町を出てしまうんじゃないかって思ったら怖くなったわ。」
 
 トゥラの目から涙が落ちた。
 
「だがうまく逃げおおせればお前達は一緒に暮らせるんだぞ?仕事なんぞしなくてよくなるんだ。一緒に逃げようとは思わなかったのか?」
 
「だって!うまく逃げられるかどうかなんてわからないじゃない!必ず追いかけてこられるわ。いつまでもどこまでも追いかけてこられて、いつも後ろを気にしながらびくびくして暮らすのよ?そんなのいやよ!ちゃんとお仕事をしていれば、住むところも食べることも心配しなくていいのよ!」
 
 突然、トゥラの口調が激しくなった。
 
「つまり・・・恋人より自分の暮らし?」
 
 はっきりと非難しているとわかる口調でスサーナが尋ねた。その言葉にトゥラが顔を上げてスサーナをにらんだ。さっきのような怯えた目ではない。明らかに憎悪の目だ。
 
「そうよ!悪い!?小さいときはどんなに寒い日でも薄い服一枚で物乞いをしてたわ。そのほうが同情してもらえるからって、ストール一枚かけてもらえずに毎日外に出されてた。物乞いでろくな稼ぎがなければ食事もさせてもらえなかったわ!スリの親方に拾われてからも、稼ぎがなければ食事どころか、たとえ雪の降る日だって外に放り出された・・・。お腹がすいてつらくて、がんばって仕事をしようとして、失敗して袋だたきにされたことも何度もあったのよ・・・。それを考えたら今は天国なの!お仕事をしていればあったかい部屋で眠れて、あったかい食事が出来るの!毎日きれいな服を着て当然のようにおなかいっぱい食べていた人達にそんな言い方されたくないわ!」
 
 怒りを爆発させてトゥラがわっと泣き出し、スサーナが青ざめて口をつぐんだ。あの町にいる女達が抱えているそれぞれの『事情』について、貴族の娘として何不自由ない暮らしをしてきたスサーナには想像がつかなかったとしても無理はない。詰所の中の空気が凍り付き、シェリンが立ち上がって口を開きかけたが、片手をあげてそれを制したのはオシニスさんだった。
 
「トゥラ、俺の部下の言い方が気に障ったのなら、謝ろう。すまなかったな。」
 
 オシニスさんがトゥラに向かって頭を下げた。
 
「だ、団長!」
 
 半泣きの顔でスサーナが叫んだ。
 
「あ、あたしのほうこそごめんなさい・・・。大声出して・・・。仕方ないわよね。誰だってあたし達みたいになんてなりたくないものね。」
 
 トゥラが赤くなって、また私の上着の裾を掴んだ。
 
「そんな言い方をしてはいかんな。お前はまだ若いんだ。これからどんな人生だって送れるさ。」
 
「そう・・・なのかな・・・。」
 
「ああ、そうだ。お前は19歳だと言ったな。俺の歳の半分以下だ。今のお前の仕事がお前の望んでいるものでなくても、あきらめずに信じていればいずれは自分の希望が叶う日が来ると思うぞ。」
 
「そうねぇ・・・。そうだといいなあ。あたしね、家族がほしいの。あたしが仕事しなくても、あったかい家であったかい食事を食べるの。あ、もちろん食事を作るのはあたしよ?優しいだんな様とかわいい子供がいたらいいなって・・・。」
 
 トゥラが不意に声をつまらせた。
 
「ラエルに会ったとき、この人とならその夢が叶うかもって思ってたけど・・・夢が叶うのはまだまだあとのことみたいね・・・。ふう・・・今はがんばって借金を返すことを考えないとね。」
 
「オシニスさんの言うとおり、君は若いんだよ。まずは焦らないことだね。」
 
「へへへ・・・そうよねぇ。団長さん、おじさん、ありがとう。それと・・・そっちの王国剣士のおねえさん、怒鳴ったりしてごめんね。」
 
「あ・・・わ、わたくし・・・。」
 
 スサーナの顔が青から真っ赤になり、大粒の涙がこぼれて落ちた。
 
「あの・・・わたくしのほうこそ、ごめんなさい・・・。」
 
 確かこの二人はクロム達と同期だったと聞いたような気がする。このスサーナという剣士も、最初に会ったときの応対は的確で冷静そのものだった。だが、どうもこの娘は感情に流されやすいようだ。もっともそれがいつものことなのか、オシニスさんの前でだけなのか、それについては何とも言えない。
 
「さて、俺達もそろそろ腰を上げないとな。シェリン、事情聴取のほうはどうだ?だいたい終わりか?」
 
「そうですね・・・。こちらは一通り事の顛末もわかりましたし、あとはラエルをどうするかについては私達の権限外ですので、団長にお任せします。」
 
「よし、わかった。トゥラ、今ラエルと話をするか?」
 
「・・・どうして?」
 
「別れ話の続きをするのかどうかってことさ。お前は今回の件ではクロービスの奴と同じく被害者だからな。お前がもうこれ以上あいつと会いたくなければ、このまま帰ってくれ。二度とお前の店にもお前の身辺にも、ラエルをうろつかせるようなことはしない。おい、用心棒のあんた、そうなれば協力はしてくれるんだろう?」
 
「へっへっへ。団長さんに協力してくれなんておっしゃられちゃあ、いやだなんて言えませんや。こちらとしても、あんまりしつこいようだと商売に差し支えますんでね。喜んで協力させてもらいますぜ。」
 
 用心棒の男は相変わらず卑屈なまでに腰をかがめ、口元をゆがめて愛想笑いをした。店としても、自分のところで使っている女性に『悪い虫』がつくのを避けたいと考えているのだろう。
 
「・・別れなきゃだめ・・・?」
 
 トゥラがまたさっきの怯えた目に戻って、オシニスさんを上目遣いに見た。
 
「いいや。」
 
 オシニスさんが微笑んだまま首を横に振った。
 
「そんなことまで俺が口を出す権利はない。だが、せめてラエルの奴が、もう少し仕事に身を入れられるようにだけはしてやりたい。正直に言うが、最近奴の評判はよくないんだ。いつも上の空だし、いきなりいなくなっちまうこともある。俺はそれがお前のせいだなどとは言わんが、そんな噂をする奴がいないわけではないんだ。だから一度きちんと話し合って、これからどうするかを決めておいたほうが、お前にとってもラエルにとってもいいんじゃないかと思ったのさ。」
 
「そうね・・・・。」
 
 トゥラは寂しそうに目を伏せた。別れましょうとは言ったものの、本当にきれいさっぱり別れてしまいたくはない、小さくなったトゥラの肩がそう言っているような気がした。
 
「団長、よろしいでしょうか。」
 
 突然口を開いたのはシェリンだった。
 
「なんだ?」
 
「この二人が別れるかどうかにかかわらず、私は、一度直接話をしてみたほうがいいと思います。」
 
「お前もそう思うか・・・。」
 
「はい・・・。」
 
「どうして?このまま会わないほうが、どちらにとってもいいのじゃなくて?」
 
 スサーナが、納得いかなそうな顔で口を挟んだ。彼女はたぶん、トゥラとラエルがこれを機会にきっぱりと別れれば、もうこんなもめ事は起こらなくてすむと思っていたのだろう。
 
「わかってないわね。このまま別れて、二度と会わせないなんて言ってご覧なさい。ラエルのことだから、この子のお店に殴り込みくらいかけかねないわよ。普段は穏やかだけどかなり思いこみが激しいみたいだから、冷静なうちにきちんと話し合いをして、今後のことを決めておくべきだと思うわ。」
 
 この提案には私も賛成だ。町の中で迷わず剣を抜くようなことをもう二度とさせないためにも、お互いの気持ちをはっきりと確認しておくべきだと思う。
 
「つまり、今すぐにどうするかの結論を出さなくてもいいからってこと・・・?」
 
「そうだな。まずは、これからどうするかだ。今みたいに仕事をさぼってお前に会いに行ったりしてばかりいては、ラエルだけでなくお前の評判まで落とすことになる。今どうするか決まったら、それから今後のことを考えればいいさ。お前達は若いんだからな。どっちに転んでもやり直しはきくってもんだ。どうだ?」
 
 トゥラは考え込んでしまった。黙ったまま、ぴくりとも動かずにうつむいていたが、やがてすぐ隣にいた私でなければ気づかないほど小さくため息をついて顔を上げた。
 
「あたし・・・このまま帰るわ。」
 
「そうか。理由は聞かせてくれるのか?」
 
「うん・・・。最初に会った頃は、ラエルってとてもいい人だと思ってた。ううん、そうじゃない。今だっていい人だって思ってる。でも・・・今のラエルはあたしを見てないわ。一緒に逃げようって言うのも、なんだかあたしのことより自分がそうしたいだけって気がして・・・だから・・・。」
 
 トゥラは一息ついて、流れ出た涙を拭った。
 
「だから恐くなったの。それで逃げだして、おじさんとぶつかったとき、おじさんが神様に見えたわ。夢中で助けてって言っちゃったけど、そのせいでおじさんにも迷惑かけて・・・。あたしどうしたらいいの・・・?ラエルのことは好きよ。でももうだめな気がする・・・。あたし・・・ラエルの気持ちを信じられないの・・・。」
 
「そうか。わかった。今の言葉、俺からラエルに伝えていいか?」
 
「うん・・・。団長さんのことだって、恐い人だってばかり言ってたけど、こんなに優しい人だってわかったし。だからお願いします。あたし・・・完全に別れる決心はつかないけど・・・でも今はもう会えない。」
 
「よし、では事情聴取も終わったことだし、帰っていいぞ。おいそっちのあんた、店のまわりには気を配ってくれよ。こっちもしばらくは外に出さないで頭を冷やさせるからな。」
 
「はいはい、かしこまりましたよ。団長さんにそこまで頼まれるとはねぇ、こっちも頑張りがいがあるってもんですぜ。おいシエナ、行くぞ。旦那に今回のことは報告しておかないとな。」
 
 用心棒はうれしそうだ。彼にとっては『厄介の種』が一つ消えることに他ならないのだから、まあ当たり前と言えるかも知れない。
 
「わかった・・・。ねえおじさん。」
 
「ん?」
 
 トゥラはさっきより少しだけ落ち着いた目で私を見上げた。
 
「おじさんてお医者様なのよね。」
 
「そうだよ。」
 
「他の人みたいに先生って呼んでいい?」
 
「君の呼びたいように呼んでくれてかまわないよ。」
 
 正直なところ、おじさんよりは先生のほうが慣れているのでありがたい。
 
「それじゃ先生、先生に何かお礼をしたいけど、お店には来てくれないのよね・・・。」
 
「それは出来ないな。」
 
「でも奥さんは今いないみたいじゃない?」
 
「今一緒にいなくても同じだよ。歓楽街に遊びに行こうとは思わない。それに、お礼なんて考えなくていいよ。私は別になにもしていないんだからね。」
 
「そっかぁ・・・。残念。でもいいわ。今度会ったらまたお話ししてね。」
 
「ああ、そうだね。」
 
「ではみなさん、お手間を取らせて申し訳ありませんでした。」
 
 用心棒の男は、不必要なほど頭を下げながら、トゥラと共に詰め所を出て行った。居心地の悪い場所からやっと解放される、彼の背中がそう言っているような気がした。
 
「さてと、このあとはこっちの問題だな。お前達、4人もいればラエルを王宮まで連れてくることは出来るな。」
 
 オシニスさんが振り向いて、4人の王国剣士達に向かって尋ねた。
 
「出来ますが・・・いっそ気を失ったままで連れて行きましょうか?」
 
 シェリンが言った。下手に起こしてまた騒がれたら、いや、また逃げられたりしたら大変なことになる、そう言いたげだ。
 
「ふむ・・・まあそれでもいいか。それではお前達に任せるから、なんとしてもまっすぐに王宮までラエルの奴を連れてきてくれ。王宮に着いたら起こして、俺のところに連れてくるようにな。俺に引き渡すまでは絶対に目を離すな。そのあとはもういいから、充分休んでおけ。今日の夜も仕事だからな。」
 
「わかりました。」
 
「あ、あの、団長はどちらに・・・。」
 
「俺はこいつと一緒に一足先に王宮に戻る。こいつがいかないとアスランの治療方針が決められないんだ。」
 
「あ、そ、そうですね・・・。」
 
 スサーナはまた赤くなり、うつむいた。
 
「ではよろしく頼むぞ。夜勤明けにこき使ってすまんな。」
 
「そんなことないですよ、団長も無理しないでくださいよ!」
 
 クロムが笑顔で声をかけた。オシニスさんはみんなに好かれているようだ。
 
 
 
「迷惑をかけたな。」
 
 詰所を出て、しばらく歩いた頃オシニスさんがぽつりと言った。まだ午前中なせいか、祭りの見物客はそんなにたくさんいない。おかげで人とぶつからず、話をしながら歩くことが出来た。
 
「そんなことはないですよ。単なる勘違いですし。」
 
「さっきのラエルの話な・・・あいつの相方は、実はもう助からないんだ。」
 
「・・・え・・・?」
 
「何でも胃袋の中に何か出来ているらしくてな。何度か手術をして取ったんだが、取っても取ってもまた新しく出来る。いたちごっこらしい。これ以上手術をすれば、あとはもう体中を切り刻む以外にないって話だ・・・。」
 
「その話は、ラエルは知っているんですか?」
 
「いや・・・。あの通りの奴だからな。強いようで脆いんだ。なんとかうまく話が出来ないものかなんて考えているうちにこの騒動さ。お前にもあの娘にも、悪いことをしたよ。」
 
「そんなことはないですが・・・でも気の毒ですね・・・。まだ若いんでしょう?」
 
「確か23歳だったかな・・・ラエルと同じ歳だからそうだな。全く不公平な話だよ。生きたくても生きられない奴がいる一方で、生きていても何の役にも立たない奴がのうのうと生きてる・・・。」
 
 オシニスさんは一つため息をつき、頭を振った。『何の役にも立たない奴』が誰のことを指しているのか、この時の私には判断がつかなかった。
 
「お前に愚痴るようでは俺もまだまだ修行が足らんな。暗い話ばかりですまん。」
 
「愚痴ぐらいいつでも聞きますよ。今の私に出来ることと言えばその程度ですからね。」
 
「そんなことはないさ。お前でなければ出来ないことはいくらでもある。アスランの件だってそうだぞ?」
 
「目を覚まして障害が残らないことさえ確認できれば、あとは医師会の皆さんに任せた方がいいですよ。私のような田舎医師が首をつっこむことを、よく思わない人もいるでしょう。」
 
「そんな奴らは無視すりゃいいさ。」
 
「そうはいきませんよ。」
 
「医師会の奴らの中にも、ちゃんと話のわかる奴はもちろんいるが、頭が固いだけの権威主義者もまだまだいる。お前がそんな奴らの心配をする必要はないよ。そんなことより、フロリア様には会ってくれるのか?」
 
「・・・そうですね・・・。」
 
 曖昧ながらもそう返事をした。ここまで来て会いたくないとは言えない。あの夢の原因を探るためにも、そして・・・私自身の過去に決着をつけるためにも、会って話をしなければならないと言うことはもう納得していることだ。気が重いことに変わりはないんだけれど・・・。
 
「昨日お前達の話をしたら懐かしがってたよ。いつでも会いに来てくれと伝えるよう言われてるんだ。手が空いたら会いに行って差し上げてくれ。」
 
「わかりました。」
 
 王宮に着いた。ロビーは昔と変わらず賑やかだ。一般の見学者や、遠くから陳情にでも来たのか年配の男性達が正装で話し込んでいる。受付に座っているのは当たり前だが見知らぬ娘だ。人波を縫って王宮の奥に向かう。医師会の診療所の廊下では何人かの医師にすれ違った。みんなオシニスさんには挨拶をしていくが、私のことはちらりと見ただけで素通りしていく。どちらかというと胡散臭い目で見られているようだ。
 
「さてと、だいぶ遅くなったから、ドゥルーガー会長殿はご立腹かな。」
 
 オシニスさんが肩をすくめながら、アスランの病室を開けた。
 
「クロービス先生!」
 
 中に入ったとたん、私が気づくより早く、誰かが駆け寄ってきた。
 
「ライラ!」
 
 そこにいたのはライラとイルサだった。イルサは赤い目で、一目で泣いたとわかる顔をしていた。ライラは青ざめていて、アスランのベッドの隣には息子のカインが、やはり青い顔で座っている。
 
「遅かったではないか。団長殿、待ちくたびれたぞ。」
 
 立腹と言うほどではないが、いささかむっとした口調でそう言いながら、ドゥルーガー会長が立ち上がった。
 
「申し訳ありません。ここに来るまでにちょっとトラブルが起きてしまいましてね。」
 
 オシニスさんが少し大げさに肩をすくめながらそう言った。
 
「ふむ・・・まあよい。過ぎたことをあれこれ言っても始まらぬ。クロービス殿、アスランの容態について話し合いをしたいのだが、よろしいか?」
 
「はい。遅れて申し訳ありません。」
 
 トラブルが起きようと、それを言い訳にしてはならないのが医師の仕事だ。ドゥルーガー会長はすぐに何人かの医師を呼び集め、アスランの今までの経過についての報告書を開いて、今後のことについて話し合った。だが、結局のところ容態に変化が見られたわけではなく、『今後も継続して経過を見る』程度の話で終わってしまった。
 
「薬を変えてみましょうかねぇ・・・。」
 
 ハインツ先生が難しい顔で腕を組み、半ば唸るように言った。
 
「ふむ・・・内蔵などの器官もだいぶ回復してはおるようだしの。クロービス殿、いかがかな?」
 
「そうですね・・・。でも薬品はまだやめておいたほうがいいですね。ハインツ先生、いかがですか?」
 
「いやぁ・・・まだそれは危険ですな。蘇生が成功したあとに飲ませた薬を少し濃くして、もう一種類くらい混ぜたものを飲ませるか、濃さをそのままで量を増やすか、まあ出来るとしてもせいぜいそのくらいでしょう。問題は何を混ぜるかですが・・・。」
 
 その薬については多少心当たりがあったので、思い切って提案してみた。北の島ではどちらかというとありふれた種類の薬草だが、体力をつけるにはなかなか重宝するものだ。が・・・
 
「うーむ、確かにそれならば何とかなりそうですが・・・。」
 
 ハインツ先生の隣にいた医師が頭を掻きながら首をかしげている。
 
「何か問題がありますか?あれば教えていただけると・・・。」
 
「いやいや、薬自体に問題があるわけではありません。副作用もないし、効果も充分に期待できるでしょう。ですが、最近その薬草が高騰しておりましてなぁ。あまりふんだんには使えないかも知れないと思いまして・・・。」
 
「高騰・・・?」
 
 まただ。この薬草についても価格が上がっているという。以前聞いた他の薬草同様、最初は少しずつ上がっていたので誰も気にとめなかったが、値上がりは止まらず、今では以前の倍近くまで上がっているということらしい。
 
「まあ元々が安価なものですが、それでも倍近くとなれば無視できませんからね。」
 
「しかも奇妙な話なんですよ。生産地から買い付けされてくるときは全く正規の値段なのに、市場に出回る頃には上がっているのです。」
 
 薬草の価格高騰の話になったとたん、今まで寡黙だった他の医師達までが饒舌になった。
 
「これこれ、その件については剣士団長殿が調査をされているところだ。お任せしようではないか。我らの仕事はあくまでも患者の命を救い、元の元気な体に戻してやることなのだから、今はアスランの件についてだけ考えようぞ。」
 
 いささかあきれ顔で、ドゥルーガー会長が医師達をたしなめた。
 
「調査はしていますがね。どこで値が上がるかをたどっていくと、必ずどこかで糸がとぎれるんですよ。同じところで切れてくれればそこが怪しいということになるんですが、毎回切れる場所がいろいろでね。この件についてもしも黒幕がいるとしたら、そいつはよほど巧妙な奴でしょうなあ。」
 
 オシニスさんの言い方は、話の内容とは裏腹に、何となくのんびりとしている。
 
「全くけしからんですなぁ。いったいどこの何者が・・・。」
 
「人の命を助ける薬を何と心得ておるものか・・・。」
 
 医師達は口々に、その『薬草の価格を操る何者か』を非難し始めた。これが彼らの本心だと思いたいものだが、表面上は怒る振りをしながら、その実、陰でその『何者か』と通じていないとは限らない。
 
「ま、今のところ、皆さんに話せるのはこれだけです。調査は我々に任せて、今はアスランのことをよろしくお願いします。」
 
 オシニスさんが丁寧に頭を下げたので、医師達は思わず口をつぐみ、あわてて頭を下げ始めた。
 
「い、いや、それはもちろん。ではクロービス先生、先生のご指示通りに、もうしばらく観察を続けましょう。」
 
「よろしくお願いします。」
 
 話し合いの中で私が作ったメモは、いつのまにかアスランの治療についての『指示書』になっていた。それを元に医師達はそれぞれの持ち場に戻り、私はもどかしそうに話が終わるのを待っていたライラとイルサのそばに行った。二人は息子と共にアスランのベッドの傍らにいて、青い顔でアスランを見つめている。特にライラの青ざめようはただごとではなく、まるで自分の命が危険にさらされてでもいるかのようだった。
 
(仲のいい兄妹だからな・・・・。イルサが襲われたと聞いてどれほど驚いたことか・・・。)
 
 ふとそう思った私の頭の中で、何かが「カチリ」とはまったような気がした。
 
−−ナカノイイ・・・キョウダイダカラ・・・・−−
 
 仲のいい兄妹、そうだ、ライラとイルサは兄妹だ。もしも自分の家族が襲われたと聞けば、誰もが平静ではいられない。ましてや掠われたとなれば、何としても助けようとするだろう。
 
(もしかしたら・・・。)
 
 ライラの仕事は今、大詰めを迎えている。今回の実験が成功すれば、本格的なナイト輝石採掘再開の目処が立つ可能性が高い。そうなれば、ナイト輝石の装備がとんでもない高い値段で売られる日はもう来ないかも知れない。たとえライラやフロリア様が、『もうナイト輝石で武器防具を作ることはない』と宣言したとしても、だ。今とんでもない値段で売られているナイト輝石の装備が、あっという間に値崩れするとしたら・・・。それで困るのは誰だ?最初に考えられるのは、在庫としてナイト輝石の装備を抱えていた武器防具屋・・・。確かに彼らも困るだろうが、一軒の武器屋で抱えている在庫などそれほど多いわけじゃない。おそらくほとんどの武器屋は、ナイト輝石の装備が市場に出回り始めた一年前に在庫を放出し、利益を得ているはずだ。となるともっと大きな組織・・・。ガリーレ商会のような大手の卸売商なら、それなりの在庫を抱えているかも知れない。では彼らがこの事件の黒幕なのだろうか。いや・・・そう結論づけるのは早計というものだ。そもそも市場での値が高騰するのは、とりもなおさずそれだけナイト輝石の装備に対する需要が大きいからだ。しかもほとんどが貴族達のコレクション。『忌まわしい鉱石』で作られたナイト輝石の武器防具を、一年前に突然貴族達がコレクションとして飾りたいと考え出したなんてとても思えない。では、いったい誰が最初に考えたのだろう。その誰かが、ナイト輝石の装備を身につけるのではなく『コレクション』として飾ることを貴族達に吹き込んだとしたら・・・おそらくは、それこそがこの事件の黒幕だ。その黒幕はおそらく、この件で莫大な利益を得たに違いない。その金が入ってこなくなるかも知れないとなれば、人さらいだろうが人殺しだろうが何でもやるかも知れない。イルサを『人質』に取って脅しをかける相手はおそらくライラ、鉱山の統括者であるロイ、そしてこの件を推進してきたレイナック殿とオシニスさんと・・・・。
 
(フロリア様・・・なんだろうな・・・。)
 
 敵の目的がほんの少し見えた。莫大な金をほしがる、いや、もしかしたら『どうしても必要としている』誰か・・・。その何者かの手は、まずイルサにのびた。その企みは失敗したが、イルサをかばって刺されたアスランの意識は未だ戻らない。次は誰だ・・・。今回の件を見ても、その黒幕が手段を選んでいるとは思えない。ナイト輝石の採掘再開を阻止するためにはどんな卑劣なことでもやってのける、そんな恐怖を抱かせるほどの容赦のなさだ。私は深呼吸した。結論を急いではいけない。少し落ち着いて考えてみよう。少なくともその誰かは、ライラとイルサが家族であることを知っている。では誰か身近な者なのか・・・それとも、身近ではなくともライラの事情を知りうる者だとしたら・・・。
 
 背筋がぞくりとした。その誰かの手は、もう私達にも届いているのかも知れない。ゆっくりと、しかし確実に、私達を闇の中へと引きずり込もうとしているのかも知れない・・・。
 

第55章へ続く

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