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「・・・ということです。残念ながらいつ心臓が停止したのか特定することは出来ません。でも、刺されてすぐに死んだわけではないようですから、可能性はあると思ってます。」
 
「成功する確率はかなり低そうですが・・・しかしどうやら傷は治ってきているようですな。いやはや、死人の傷を治すなど、とんでもないことを思いつくものだ・・・。」
 
「低くてもゼロじゃないなら、やってみる価値はありますよ。そして今、アスランの傷は多少なりとも治癒してきています。もっとも皆さんが協力してくださったおかげですけどね。」
 
「なるほど・・・。やってみる価値はあるか・・・。しかし・・・会長、あなたがこの案に賛成されるとは思いませんでしたよ。」
 
「ふん、私とて医師の端くれだ。出来ることがあるのにやらぬと言うのは罪ではないか。」
 
「なるほどねぇ。うちの弟が聞いたら喜びそうな言葉でございますな。さてと・・・。」
 
 ハインツ先生は不意に医師の顔になり、アスランの体を少し持ち上げ、何度かうなずきながら口の中で何かぶつぶつ言っていた。そしてクリスティーナに振り向き、
 
「クリスティーナ姫、飲み薬の他に、先ほど持ってきていただいた傷薬の準備もお願いしますよ。」
 
と、指示を出した。
 
「はい。」
 
 クリスティーナはてきぱきと必要な道具を取り出し、いつでも使うことが出来るように準備を始めている。
 
「ここにある傷には、蘇生が成功する前に消毒をして薬を塗っておきましょう。今の状態でこれをきれいにするのは無理でしょうからね。」
 
「そうしてくれ。包帯はまだいらぬから、ガーゼで押さえてくれればそれでよい。」
 
「かしこまりました。」
 
 ハインツ先生が、アスランの胸から剣先が飛び出していた部分の手当を始めた。
 
「そなたの弟は父上の跡を継いで開業しているのだったな。」
 
「はい。見た目は全く似ていませんので、誰も私達の血が繋がっているなんて思いもしませんがね。」
 
「だが、あの風貌なら町の人々には好かれよう。性格も、そなたよりは遙かに落ち着いていると思うが。」
 
「はっはっは!・・・と、とと・・・も、申し訳ない。笑っている場合ではございませんでしたな。」
 
 ハインツ先生は赤くなって口を押さえた。だが、彼のおかげで部屋の中の緊迫した雰囲気が少し緩んだような気がする。
 
「先生にご兄弟がいらっしゃったとは知りませんでしたよ。」
 
「腹違いですがね。私の母が早くに亡くなって、父が再婚してから生まれた弟なんですよ。そのうえ私は母そっくりですが、弟は父そっくりでして、まるで熊みたいな風貌なんで、まあ見事なほどに似ていない兄弟ですよ。仲は悪くないと私は思ってるんですがね。」
 
「・・・くま・・・・?」
 
「ええ、顔は半分ひげだらけ、腕っ節も強くてけんかではいつも負けてました。今でも子供達には『熊先生』と呼ばれてますよ。」
 
「もしかして・・・デイランド先生のことですか?」
 
「おや?どうしてご存じなんですか?」
 
 不思議そうに私を見つめるハインツ先生に、セディンさんの病気のことと、その容態を聞くために診療所を訪れたことを話した。
 
「ああ・・・あの雑貨屋の親父さんとか言う人ですかね。思ったより薬の効果が出ないので、もう少しいろいろ工夫してみようかといつだったか言ってましたよ。」
 
「そのようですね。私も心配しているんですが・・・。」
 
「ふぅむ、しかしあいつがあなたに会ったと言うことは、そのうち何かしら言ってくるでしょうな。うちの弟にとって、あなたはあこがれの存在ですからね。」
 
「そうらしいですね。なんだか気恥ずかしいですが。」
 
「いやいや、謙遜されることはありませんぞ。あなたなら立派にみんなの期待に応えて・・・」
 
「ハインツ、無駄話はそのくらいにしておきなさい。クロービス殿、もうこちらは終わりだ。後は蘇生の呪文がうまく効いてくれてからでないと、時間ばかりかかって大した効果は得られまい。」
 
「おお、これは失礼いたしました。」
 
 ハインツ先生がすまなそうに肩をすくめた。
 
「わかりました。ウィロー、始めようか。」
 
「ええ、私のほうはいつでも大丈夫。・・・オシニスさんは・・大丈夫ですか?」
 
 オシニスさんだけが休む暇がない。蘇生の呪文が効力を発するまで、アスランを包んだ気の流れを止めることは出来ないのだ。
 
「心配するな。この程度のこと、昔はしょっちゅうだった。早く始めてくれ。」
 
「わかりました。」
 
 蘇生の呪文は、当然ながらかなり大きな気を必要とする。そして患者の体の中に残っている気の流れを探り当て、その流れを道しるべとして患者に気を注ぎ込むことで、一度は止まった体の各器官を動かすのだ。だが、今回の場合は少し状況が違う。アスランの体内の傷を治すために、彼の体の中に残っている気がすでにオシニスさんの気によって増幅されていることだ。蘇生の呪文によって作り出された気がアスランの体に注ぎ込まれるとき、オシニスさんの発している気まで巻き込むことになる。自分が作った気の流れが、自分の意志とは関係なしに引っ張られ、こじ開けられるようなその感覚は、かなり使い手に負担をかけることになるのだ。
 
「案ずるな。こいつがひっくり返るようなら、後はわしが引き継ぐぞ。」
 
 レイナック殿がオシニスさんを横目で見ながらにやりと笑った。
 
「ふん、俺の心配は無用だ。何があっても俺はこいつを助ける。じいさんの出番なんぞないさ。」
 
「それだけ憎まれ口がたたけるなら心配いらんようじゃの。ではわしはここで待機していることにしよう。」
 
 レイナック殿が椅子に座り直した。妻がイルサに歩み寄り、肩に手をかけた。
 
「イルサ、私が呪文を唱え始めたら、あなたはアスランの手の温度に変化があるかどうかを見ていて。少しでも変化があったら、すぐに教えてちょうだい。出来るわね?」
 
「私が・・・?」
 
「そうよ。今ここにいる人達の中で、それが出来るのはあなただけなの。それに、親しい人が手を握っていてくれたほうが、成功する確率は高くなるのよ。」
 
「わかった・・・。私に出来ることがあるなら何でもする。」
 
「ではよろしくね。手のひらに意識を集中して、話しかけていて。」
 
 イルサはうなずき、改めてアスランの手を握った。実際のところ、手に温かみが戻ってくるのは呪文が効いてしばらくしてからだ。でもこう言っておけば、イルサは希望を持ってアスランを励ましてくれるだろう。なんだかんだと理屈をつけても、蘇生の呪文というものは結局、人を死の淵から呼び戻す呪文だ。親しい人達の必死の呼びかけや祈りがあれば、成功する確率が高くなるのは不思議なことではないと思う。アスランの手も土気色になっていたが、指や関節の動きはまだなめらかだ。これなら蘇生の呪文が成功すれば、元通り動き回れるようになるかもしれない。蘇生の呪文が効いたかどうかは、心臓が動いたかどうかで確認する。だが人によっては鼓動がとても弱く、脈もはっきりととれないときがある。それでも呪文が成功していれば、少しずつ体の中を血が流れ始め、手や足に温かみが戻ってくる。だが心臓の動きがなかなか戻らないと、体の末端まで血液が流れるのが遅くなり、結果として手や足に麻痺が残ったり、組織の一部が壊死してしまって切断しなければならなくなったりすることもある。では出来る限りの気を集めて心臓を動かせばと思うが、いきなり強く動かしすぎると、今度は心臓そのものがその動きについて行けず、それっきりになってしまうことだってあるのだ。心臓自体が損傷してしまうと、蘇生はほぼ不可能になってしまう。そのあたりの力加減が実に難しい。
 
「ではオシニスさん、しっかりとアスランの気をとらえていてくださいね。」
 
「ああ。任せておけ。」
 
「本当は、もう一人くらい気功の使い手がいるといいんですが・・・。」
 
 呪文の使い手はこの部屋にたくさんいる。蘇生の呪文を唱えられるのも、この中では別に妻一人ではないと思う。だが気功の使い手は一人しかいない。私程度の気功の力では、今の状況では何の役にも立たない。オシニスさんほどではなくても、ある程度気功を操れる誰かがいてくれるなら、心強いのだが・・・。
 
「母がいればきっと手伝ってくれると思うんですけど・・・。」
 
 クリスティーナが残念そうにつぶやいた。
 
「君の母上は王宮内にいないぞ。さっきユーリクがそんなことを言っていた。父上と一緒に視察に出かけたんだろう。」
 
「そうですか・・・。」
 
 セルーネさんがここにいてくれたら、確かに強力な助っ人となるだろう。でも仕方ない。何とかここにいる者達でアスランを助けなければ。
 
「では始めます。」
 
 妻がアスランの体に両手をかざした。私は隣に控え、妻が蘇生のための気の流れを作り出すまで待つことになる。妻一人で作り上げた気の流れに私が作り上げた流れを合わせれば、かなり強力な呪文効果が得られる。その分オシニスさんの負担は相当なものになるが、ここを耐えてもらえなければアスランの命は戻らない。妻が呪文を唱え始めた。私には理解出来ない不思議な言葉の羅列を、小さな声ではっきりと唱え続ける。なぜこの呪文を唱えられるのか、きっかけは、昔ファイアエレメンタルの洞窟に入ったときからなのだが、なぜあの時急に唱えられるようになったのかまでは、未だにわからないという。蘇生の呪文は長い。最初から最後まで唱えなければ当然呪文効果は発揮されない。じっと待つ。やがて妻の両手から気の流れが出始め、アスランの体を包んだ気の流れの上に、ふわりと浮かんだ。
 
「準備は出来たわ。お願い。」
 
「了解。」
 
 浮かんでいる気の集まりを引き寄せ、自分の作り出した気と合わせる。ずっと昔、『夢見る人の塔』のシェルノさんに言われたように『波長が合う』私と妻の気は、何の抵抗もなく解け合い、大きなうねりとなった。ここからが問題だ。オシニスさんが増幅させたアスランの気を道しるべに、彼の体の中にこの気の固まりを流し込む。まずは心臓に、そして少しずつ体の中に広げていく。
 
「くぅっ・・・・・。」
 
 オシニスさんの顔が苦しげにゆがんだ。
 
「団長殿、大丈夫ですか?」
 
 ハインツ先生が心配そうにオシニスさんの顔を覗き込む。
 
「いや・・・大丈夫だ。なかなか手応えがあるなと思っただけさ。」
 
 そういう割りには苦しそうだったが、オシニスさんの作り上げた気の流れは揺らいでいない。まだ大丈夫だ。慎重に、妻が気を操る。多すぎず、少なすぎず、アスランの体をもう一度動かすための気を、ゆっくりと流し込んでいく。
 
「・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 誰もが妻の作り出した気の流れを見つめている。ハインツ先生は呪文の適性がないらしく何も見えないらしいが、それでも部屋の中の緊張につられて息をつめていた。
 
「細いわねぇ・・・・。」
 
 妻が残念そうにつぶやく。
 
「うまく入らないわ・・・。」
 
 妻がアスランの体に向けた気の流れが、行き場を失ったようにふわふわと浮かぶ。アスランの体に残っていたもともとの気が少ないために、こちらで作り出した気をうまく流し込むことが出来ないらしい。
 
「もう少し広げるか・・・。」
 
 オシニスさんが小さく言い、アスランの気を増幅させようとした。
 
「いや、広げるのは待ってください。アスランに負担がかかりすぎるかも知れない。こちらをもう少し細くしてみます。ウィロー、もう少し細く、鋭い感じに何とかイメージできないかな。」
 
「やってみる。」
 
 妻が気を細くしようと試みる。これほどストレスのたまる作業もない。大きな気をどんと流し込むほうがよほど楽なのだ。妻の額に脂汗が滲み、苦しげに顔がゆがむ。私も一緒に細くしようと念じていたが、気の量を調節する主導権は呪文を唱えた者にある。妻がうまく出来なければどうにもならないのだ。
 
「勢いを止めてはだめだよ。細く、鋭利に、針の先ぐらいにイメージして・・・。」
 
 この時、私の脳裏にはなぜか『クリムゾンフレア』を操っている若い頃の自分の姿が浮かんでいた。ガウディさんの傷を治すために、傷の表面にびっしりとついたナイト輝石の細かいかけらを切り離すために、あの力を針のように細く、思い通りに操ろうと必死で練習していた頃の姿を・・・。あの時のように、もっと気を鋭く、細く、思い通りに動かせれば・・・。
 
 
「あ。」
 
 妻が小さく声を上げた。
 
「入ったか!?」
 
 オシニスさんが声をあげる。
 
「ああ・・・うまくいったわ・・・。」
 
 妻が安堵のため息を漏らし、瞳から涙が一筋落ちた。アスランの体が、私達の流し込んだ気の流れをうまくとらえたらしい。ここまでくれば、蘇生の呪文は9割方成功したも同じだ。あとは少しの間、アスランの体が目覚め、活動を再開するまで待つ。だが、あとの1割で失敗することだってある。まだ気を抜くことは出来ない。それでも妻にも私にもまだ余裕がある。あまり考えたくはないが、今の呪文が失敗してもあと何度か唱えることは可能だ。だがオシニスさんのほうが心配だった。
 
「・・・どうかしら・・・。」
 
 みんな息を詰めて、アスランの顔を見つめている。まだ何の変化も見られない。
 
「イルサ、心臓のあたりに耳をあててみてくれ。背中からでも鼓動は感じられるはずだ。」
 
 自分で確かめたいところだが、今の状態では私も集中力をとぎれさせることは出来ない。イルサはうなずき、まだ刺し傷が生々しく残るアスランの背中に、迷わず耳を当てた。
 
「冷たい・・・・。」
 
 イルサの瞳にまた涙がにじむ。
 
「・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 しばしの沈黙。
 
「・・・・あ・・・・。」
 
 イルサが小さな声を上げて目を見開いた。
 
「何か聞こえるかい?」
 
「聞こえる・・・ような気がする。まって、もう少し・・・・。」
 
 イルサが目を閉じ、アスランの背中に耳を押しつけた。部屋の中はまるで、この世から一切の音が消えてしまったのではないかと思えるほどに静かだった。
 
「聞こ・・・える・・・。」
 
 イルサの目からにじみ出た涙が、アスランの背中を濡らした。
 
「弱いけど・・・でも・・・でも聞こえます!」
 
 その言葉に、部屋にいた全員の口から安堵のため息がもれた。
 
「やりましたな、クロービス先生。」
 
「まずは一安心だな。」
 
 ハインツ先生もドゥルーガー会長も、ほっとしたように汗をぬぐった。
 
「これで第一段階は成功じゃの。オシニスよ、どうだ?無理はするでないぞ。お前に倒れられたら、困るのはフロリア様じゃからの。」
 
 レイナック殿が、オシニスさんに声をかけた。でも言葉の割には、口調はあまり心配しているように感じられない。
 
「わかってるよ。だが、俺の出番はまだ終わっちゃいないんだ。クロービス、あとどのくらいだ?」
 
 オシニスさんはと言えば、口調は元気だが額には脂汗が滲んでいる。だがここで『もういいです』と言うことは出来ない。
 
「もうしばらく持ちこたえてください。体全体に温かみが戻ったら、残りの傷の治療を行います。蘇生だけでもアスランの体にはかなりの負担がかかっています。出来るだけ傷は治さなければなりません。ただ、もう少し気を緩めても大丈夫です。今、アスランの体から発せられる気が少しずつ強くなってきていますから、それに合わせて徐々にゆるめてください。」
 
「よし、任せておけ。」
 
「ウィロー、君は休んでいてくれ。あとは私が傷を治すよ。」
 
「私もまだ大丈夫よ。」
 
「いや、君は休んでくれ。治療が終わってから今度は経過観察があるからね。」
 
「わかった。でも無理しないで。」
 
「わかってるよ。」
 
 治療はもう次の段階に移った。このあとは、体の組織の修復と、さっきかろうじて治すことが出来た刺し傷のさらなる治療だ。
 
「うーん・・・薬を飲ませられるのは、もうしばらくあとになりそうですなぁ。」
 
 ハインツ先生がアスランの顔を覗き込み、難しい顔で言った。
 
「そうですね・・・。体の組織が動き出すまでどのくらいかかるか、あとはそれにかかってます。オシニスさん、アスランは体力はあるほうですか?」
 
「そうだなぁ・・・。お前の息子よりは体格もいいし力はあると思うが・・・。なんと言ってもまだ18歳だからな。少年から青年に変わる微妙な時期なんだ。何とも言えんな・・・。」
 
「そうなると・・・・今日明日がヤマというところですね・・・。」
 
 ファロシアで怪我をしたルノーのように、見た目の体格よりも体力があれば、あるいはもう少し早く危機を脱することが出来ると思うのだが・・・。
 
「そうだな・・・。しばらくは目を離せん状態が続くだろう。クロービス殿、この患者は貴公が連れてきた患者だ。このあとどうするかの指示を出してもらいたい。」
 
「・・・わかりました。」
 
 やはりそうか・・・。私の名前を聞いてドゥルーガー会長が来たときから、そんな予感はしていた。オシニスさん、レイナック殿、ドゥルーガー会長にハインツ先生・・・。この人達がここに来た理由、もちろんそれはアスランを救うことが第一目的ではあろうが、もう一つの目的は、私の実力がどの程度かを試すことだったのだ。特に医師会にとって私は、田舎医師の分際で医学博士の称号を辞退した変わり者だ。傲慢、偏屈、自分がそんな形容詞で呼ばれていたであろうことは想像に難くない。私の名前を聞いたとき、ドゥルーガー会長は思ったことだろう。『なぜ今になってここに来たのだ』と。医師会を頼るつもりならば、どの程度の腕を持っているかくらいは見せてもらってもいいだろうと、考えたとしても不思議ではない。レイナック殿がアスランを見て、すぐに蘇生しようと言い出さなかったのも、おそらく似たような理由からだろう。とは言え、万一私の腕が及ばなければアスランは助からない。そこでいち早くアスランの体に残る気を探り当て、増幅させておいたのだ。私が失敗すれば自分の手で助けられるように・・・。
 
「そうですね・・・。それでは・・・。」
 
 死んですぐに蘇生の呪文を唱えたのであれば、今頃アスランは起きあがってあくびをしているかも知れない。だがまだ、やっと心臓の鼓動が大きくなってきて、体の部分に温かみが戻って来たところだ。まずは傷の治療の続きが先決だ。
 
「この傷をもう少し治します。今少しずつアスランの発する気が大きくなってきていますから、一般的に呪文を使わなくても治せる程度まで治して、あとは消毒して包帯を巻いていただけますか。それから、飲み薬の準備なんですが・・・。」
 
「用意はしてありますが、薬品は使えないかと思いまして、薬草を別々に煎じたものを用意しておきました。どう組み合わせますかねぇ。」
 
 ハインツ先生は、蘇生のあとに飲ませるための薬を、混ぜずに一種類ずつ煎じていてくれた。これならば患者の状態に合わせてちょうどいい薬が作れる。
 
「そうですね・・・。それじゃ、これと・・・これを・・・ひと匙ずつ合わせてそれをお湯でといて・・・」
 
 今の状態では、薬がまともに飲み込めるかどうかもわからないが、気付の呪文を使うのもまだ危険だ。
 
「あ・・・少しあったかくなってきた・・・。」
 
 イルサの声に全員が振り向いた。
 
「指先?」
 
「ううん、手のひら。さっきみたいに冷たくない・・・。」
 
 イルサはアスランの手を握ったまま、また涙をぽろぽろとこぼした。まだ安心は出来ない。温かくなったのが体の機能の回復によるものなのか、オシニスさんの気が体中に行き渡っていることに寄るのか、まだ判断できないのだ。
 
「そうか。それじゃ、今のうちに呪文を唱えるから、君はそのままでいてくれるかい。」
 
 イルサはうなずき、さっきよりは笑顔になってアスランの手を握りながら何か話しかけている。
 
「アスラン、ごめんなさいね・・・。あんなこと言ったのに、私をかばってくれて・・・。」
 
 土気色だったアスランの体が、少しずつ色を取り戻していく。彼にイルサの声は聞こえているのだろうか。アスランの背中の傷は、まだ赤黒い空洞となったままだ。慎重に、アスラン自身から発せられている気をとらえ、呪文を唱える。一番軽い呪文『自然の恩恵』だ。そして傷を調べ、また呪文を唱える。何度もそれを繰り返しながら、少しずつ傷を治していく。
 
「ふぅ・・・これでいいか・・・。」
 
 表面はまだ変わりないが、体の中の傷はもうだいぶよくなった。とは言え、たとえ今すぐアスランが目を覚ましても、動き回れるようになるのはだいぶ後だろう。私は額の汗をぬぐった。
 
「ほお、よくなりましたなあ。では残りは普通に消毒をして、包帯を巻きましょうかね。」
 
「そうですね。」
 
 ハインツ先生は、ほんの少しだけ手当を先回りして口にする。まるで私が迷わないように手助けしてくれているようだ。もしかしたら、私が試されていることを気づいていて助けてくれているのだろうか。だとすれば、彼は私自身の腕をどう評価しているのだろう。
 
(いや、今はよけいなことは考えるな!)
 
 私は頭の中を切り替え、アスランの背中に耳を当てた。鼓動はだいぶはっきりとしてきている。手に温かみが戻ったのなら今度は足だ。ズボンをめくりあげてみたが、膝のあたりまではずいぶんと色がよくなってきていた。足の関節や指の動きを確かめてみた。こうして動かしている分には問題なく動いている。あとはアスランが今までのように自分の意志で普通に動かせるかどうかだ。そうしていろいろと調べているうちに、アスランの体から発する気がだいぶ大きくなってきたことに気づいた。
 
「オシニスさん、どうですか?」
 
「だいぶ元気になってきたようだな。まあ・・・気功学の観点からって言う注釈つきだが。あとは目を覚ましさえすれば、普通のけが人と変わりなくしていられるだろう。」
 
「そうですか。それではそろそろ気功をやめていただいても大丈夫ですよ。」
 
「よし、わかった。」
 
 アスランを包んでいた気が、すぅっと消えた。そのころには、ハインツ先生によって背中の傷に丁寧な手当が施され、アスランはうつぶせから仰向けに寝かされた。顔色もよくなり、呼吸も安定してきている。どう見ても普通のけが人にしか見えない。
 
「オシニスさん、ありがとうございました。負担をかけてしまってすみませんでした。」
 
「気にするな。こいつは俺の部下だ。助けるのはあたり前・・・うっ・・・!?」
 
 不意にオシニスさんの体が傾き、やっとの事で壁により掛かった。顔色が悪い。さっきからずっと休みなしで気功を使い続けたのだ。こうならないほうが不思議なほどだ。
 
「オシニスさんも休んでください。しっかり疲れをとらないと、仕事に差し支えてしまいます。」
 
「気にするな、このくらい気合いで・・・」
 
「馬鹿者!気合いで何とかなるわけがなかろうが!」
 
 レイナック殿が怒鳴り、呪文をオシニスさんに向かって唱えた。聞いたことのない、不思議な呪文だった。そして呪文を唱え終わったときには、オシニスさんはふうっとため息をひとつついて、背筋を伸ばしていた。
 
「ふぅ・・・。悪いな、助かったよ。これしきのことで足下がふらつくとは、まだまだ修行が足りないかな。」
 
「勘違いするでない。今の呪文は、とりあえずお前が自分の部屋まで歩けるようにしただけだ。これから仕事をしようなどと考えれば、廊下の途中でひっくり返るぞ。さっさと部屋に戻って休め。このことの報告はわしからフロリア様にしておく。」
 
 オシニスさんは恨めしそうにレイナック殿を睨みつけたが、レイナック殿は素知らぬふりをしている。
 
「まったく・・・わかったよ、一眠りはする。くそっ、不親切なじじいだ・・・・。どうせならきれいさっぱり疲れをとってくれりゃいいものを。」
 
「ふん、贅沢を言うでない。部屋までわしが付き添うから、ほら行くぞ。」
 
「バカ言うな!付き添われなくたって一人で行ける。」
 
「途中で執政館に向かおうなどと考えぬようにだ。ほれ、さっさと歩け。」
 
「レイナック殿、私が付き添いますよ。」
 
「しかしお前も疲弊しておろう。無理は禁物だ。もう昔のように若くはないのだからな。」
 
「そうですね。でも、オシニスさんを部屋に連れて行くくらいは出来ますよ。執政館には足を向けさせないように、剣士団長室まで連れて行けばいいんですよね。」
 
「ふぉっふぉっふぉ、ようわかっているようではないか。ではクロービス、オシニスを頼む。寄り道をしようとしたら襟首をつかんで引きずって行ってもかまわんぞ。」
 
「わかりました。」
 
「おい、何二人して勝手に話をつけてんだよ。俺は一人で行けるぞ。」
 
「まあまあ、皆さん心配しているんですから、行きましょうか。」
 
「ちぇっ・・・わかったよ。」
 
 私は妻にしばらく休んでるように言い、さらにハインツ先生にアスランの経過観察を頼んだ。今からオシニスさんと剣士団長室に行って、戻ってくるまでの間に何事も起きなければまた一つ助かる可能性が高くなる。だが、まだ安心できないことはある。イルサのいるここでそれを口に出すべきかどうか、それがどうしてもためらわれて、結局その点については何も言わず、私はオシニスさんと一緒に病室を出た。
 
 
 廊下に出て、二人で歩き出した。オシニスさんの顔色はあまりよくない。
 
「すみませんでした、無理をさせてしまって・・・。」
 
「気にするな。悪いのはお前じゃない。アスランとイルサを襲った奴らだ。くそっ・・・いったい何の目的で・・・。」
 
「今は剣士団長室で休まれるんですよね。」
 
「ああ、だがちょっと執政館の執務室に・・・」
 
「だめですよ。レイナック殿と約束したんですから。」
 
「ちょっと書類をとってくるだけだ。」
 
「だめです。そんなことばかり言っているなら、アスラン達を襲った連中のことを話すのやめますよ。」
 
 オシニスさんの足がぴたりと止まった。
 
「だから送っていくなんて言い出したのか。」
 
「早いほうがいいですからね。それにもう一つ、アスランのことで言っておかなければならないこともありましたし。」
 
「なんだ?」
 
「部屋についたらお話しします。」
 
「ここで言え。」
 
「だめです。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんは私をしばらくじっと見つめていたが、
 
「ふん、それじゃ部屋に戻るしかなくなっちまったじゃないか。まったく・・・結構策士になったもんだな、お前も。」
 
 そう言って歩き出した。
 
「ほめ言葉と受け取っておきましょう。」
 
 剣士団長室は剣士団の宿舎にある。一度ロビーに出たが、さっきの門番は外にいるようで、ロビーの中は静まりかえっていた。
 
「門番の奴らともめたそうだな。ユーリクが怒ってたっけ。」
 
「仕方ないですよ。彼らは死体には慣れていないようでしたから。」
 
「そうだな・・・。怪我なら自分で治す、逆に言うなら、自分で治せないような怪我をしそうな場所へは行かない、そんな奴らもいる。」
 
「どうしてそう言う考えの人達が合格したんですか?」
 
 今でも採用担当をしているランドさんの考え方が変わったとは思えない。
 
「あいつらだって、最初はみんなこの国を守ろうと希望に燃えて入ってきたんだ。だが実際に仕事を始めてみると、町の中を巡回してスリを捕まえたり、けんかの仲裁をしたり、使いっ走りみたいな仕事ばかりだ。別に恐ろしいモンスターが現れるわけじゃない、盗賊だって王国剣士を襲うほどバカじゃない。どんなに剣の腕を上げようと精進したところで、せいぜい剣士団の先輩を負かせるかどうかと言うところだ。そのうち自分が何のためにこの仕事を選んだのかわからなくなってくる。がんばったって意味がないと思い始める。それなら適当に仕事をこなして、危ないところへは行かないで、毎日何とか過ごしていれば給料が入る。」
 
「そんな・・・。そんな考えでは・・・。今が平和だって、いつ何が起こるかなんてわからないじゃないですか。」
 
「その通りだ。まあそんなことを考えているのは、ごく一部だけだがな。他の連中は昔と変わらず、一生懸命がんばっているさ。」
 
「なるほど。私はたまたま、そのごく一部の剣士に当たってしまったわけですね。」
 
「そう言うことになる。そう言えば、お前クロムとフィリスにも会ってるよな?」
 
「セディンさんの店で会いましたよ。オシニスさん、セディンさんの店のこと、ありがとうございました。」
 
「礼を言われるようなことじゃないさ。あのころは剣士団の体制立て直しが急務だったんだが、とにかく物資が足りなくてな。それまでモンスター対策に充てていた金が少し回せるって話だったから、やすくて品揃えのいい店を探す必要があったんだ。あの店にはお前と一緒に何度か行ったことがあったが、親父さんは誠実だし、品揃えは豊富で、しかも値段も良心的だ。ここならいいだろうと思って、フロリア様に頼んだのさ。」
 
「そうだったんですか・・・。」
 
「あの店はいい店だよ。クロムが入ってきたときによくよく聞いたら、あの店の娘達の幼なじみだって言うし、世間てのは案外狭いもんだな。」
 
「そうですね。それに、フィリスが王国剣士になっていたとは驚きでした。」
 
「ははは。お前にあこがれていたらしいからな。もしも孫が剣士団の試験を受けに行ったら、遠慮なく叩いてやってくれってモルダナさんに頼まれていたんだが、本当に来るとは思わなかったよ。」
 
 
 団長室について、オシニスさんはもう今日の仕事をあきらめたのか、マントと鎧をはずした。
 
「ベッドに横になっていてください。話は寝ていても聞けるじゃありませんか。」
 
「はいはい、わかったよ。」
 
 オシニスさんは団長室の次の間にあるベッドルームに入り、ベッドの上にごろりと横になった。
 
「しばらく休んでいてくださいね。疲れはちゃんととらないと。」
 
「わかってるって。それよりその、アスランを襲った奴らのことについて教えろ。」
 
「わかりました。オシニスさんが約束を守ったんですから、私も守りましょう。」
 
「お前自身がどう思っているかはともかく、お前はこの国ではけっこうな有名人だからな。その有名人が約束を守らないってのは困るだろう。」
 
 オシニスさんが笑った。
 
「ははは。そうですね。・・・ここ何日かの間に届いた報告書の中に、私のことが出てくるのはご存じでしたか。」
 
「ファロシアのガーゴイル出没と、ローランの東の森の一件だな。お前には世話になりっぱなしだ。改めて礼を言うよ。」
 
 オシニスさんが起きあがろうとした。
 
「だめですよ、寝ていてください。」
 
「ばか、俺はお前に礼を言うんだぞ?起きなきゃ・・・」
 
「いいですよ、そんなこと。昔はオシニスさんにさんざんお世話になったんですから。ちゃんと寝ていてください。」
 
「わかったよ。・・・寝たままってのはどうもしまらないな・・・。」
 
 オシニスさんは渋々起こしかけた体をもう一度横たえた。
 
「オシニスさんは私のことを疑わなかったんですか?」
 
「知らない奴だったらまず疑われる立場にいたよな。まるで予測していたかのように騒動の起きた場所に居合わせてるんだから。」
 
 オシニスさんはくすくすと笑った。
 
「俺個人としてはお前を疑おうなんて気は起きないが、剣士団長としては、知っているからって簡単に信用することは出来ない。どうしたものかと思っているうちに、リックの奴がお前と手合わせをしたって聞いてな。奴にいろいろと聞いてみたんだ。その時のお前の様子をな。」
 
「・・・・・・・・・・・・・。」
 
「そこで俺はリックとエルガートの二人に尋ねた。お前のことを信用できるかどうか、とな。」
 
「あの二人に・・・?」
 
「実を言うと、あの二人は俺の後継者候補なんだ。」
 
「ということは・・剣士団長として、のですよね。」
 
「そうだ。どっちがとはまだ決めていない。だが、二人とも候補であることは確かなんだ。そこであいつらの意見を聞いてみたが、二人とも信用できるだろうと言っていた。ルノーの一件ではドーソンさんもいろいろと助言をしてくれたらしいが、最終的に、自分達の目だけで判断しても、お前は信用するに足る人物だとな。」
 
「そう・・・ですか・・・。」
 
「そこで、まず一連の報告書の件では、お前を信じて剣士団の協力者ということにしておいた。でないと他の大臣どもがうるさいからな。あとは俺が会ってから決めればいいと思ったのさ。」
 
「なるほど、それで?オシニスさんは私をどう見てますか?」
 
 オシニスさんはベッドから私を見上げ、にやりと笑った。
 
「正直なところ、変わったなとは思ったよ。今のお前は立派な医者だ。医学博士だろうが主席医師だろうが、何だって出来ると思うぞ。」
 
「そんな気はありません。ずっと昔に断った話ですからね。そんな話を蒸し返すのはやめてください。」
 
「ははは、わかってるさ。で、お前が関わった一連の騒ぎと、今回の件と、どう関係してくるんだ?」
 
 私はローランの東の森で夜中に感じた気配と、イルサとアスランを襲った連中に同じ気配を感じたことを話した。また、アスランの背中の傷が、かなり低い位置から刺されていること、それを考えるとあの連中の中には女が混ざっていたのではないかと、私自身の見解も合わせて伝えてみた。
 
「なるほどな・・・。妙な位置から刺されているとは思っていたんだが、なるほど、これが女の仕業ならあり得るかも知れん。」
 
「アスランはレザーアーマーの上から刺されていますが、男の力ならその気になれば、心臓をひと突きすることも出来たと思います。でもあんな妙な位置から刺して、しかも上に向かって刺されている。背の低い女の暗殺者が、手元を狂わせて刺したか、心臓を狙うつもりがうまく刺さらなかったか、そんなところのように思えますね。」
 
「貴重な情報だな。助かるよ。先日のティナの一件で東の森周辺の調査を進めているんだが、あの森の中に入るのにはそれなりに準備が必要だから、なかなか調査が進まずにいるところなんだ。お前の情報があれば、おそらく話を進めることが出来るだろう。」
 
「一日も早く犯人を捕まえてくださいね。」
 
「任せておけ。それで、もう一つのアスランの件て言うのは何だ?」
 
「それなんですが・・・。」
 
 蘇生の呪文は成功した。あのまま体中の組織が動き始めれば、いずれ意識は戻るだろう。手足を動かせるようになるにはおそらくそれなりのリハビリが必要だろうが、それでも元通りにならないと言うことはないと思う。だが問題は、脳だ。血液が通わない状態でどのくらい過ぎたのか、それが特定できないので何とも言えないが、記憶の一部が飛んだり、最悪の場合、幼児のようになってしまう可能性も考えておかなくてはならない。
 
「・・・つまり、目が覚めれば万事元通りってわけにはいかないってことか・・・。」
 
「いくかも知れません、でもいかないかも知れません。脳にはたくさんの血管が集まっています。神経もそうです。正直なところ、脳の組織についてはほとんど何もわかってないと言うのが現状なんですが、蘇生の呪文で助かった人達の中には、記憶がほとんどなくなっている人や、赤ん坊のように何も出来なくなってしまう人もいるんです。」
 
「そうか・・・。」
 
 オシニスさんは大きなため息をつき、苦しげに眉根を寄せた。
 
「治療術で何とかならないのか?」
 
「多少は改善させることは出来ると思いますが・・・。」
 
「では気功ならどうだ?」
 
「基本的に、治療術と気功は同じです。治療術で出来ることなら、気功でも何とかなるはずです。」
 
「・・・つまり、治療術を使うのとたいして変わらんと言うことか・・・。」
 
「そう言うことになりますね。」
 
「そうか・・・。」
 
 オシニスさんは目を閉じ、何か考えを巡らしているようだったが、不意に目を開け、私をまっすぐに見つめた。
 
「なあクロービス。」
 
「はい・・・?」
 
「・・・じいさんの法力なら何とかなると思うか?」
 
「レイナック殿の治療術なら、私などより遙かに強力ですから、確かにある程度の改善は見込めるかも知れませんね。」
 
「そんな意味じゃない。じいさんの持っている力を使えば、何とかなるのかと聞いているんだ。」
 
「・・・え・・・?」
 
 この質問には虚をつかれて、思わず言葉に詰まった。そんな私を見て、オシニスさんはニッと笑った。
 
「じいさんの力が本当はどんなものなのか、今は知っている。ついでに言うなら、お前が持つ剣の力と、その役割もな。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「団長になったとき、じいさんから聞いた。まあそんなわけで、俺の前でじいさんのことを隠す必要はない。」
 
「そうですか・・・。」
 
 レイナック殿のことは、もしかしたら知っているかも知れないと思っていたが、私の持つ剣の本当の力と役割までも、やはりこの人は知っていた。今の話で確信が持てた。オシニスさんが私に手紙をよこした本当の理由。それがなんなのかを。
 
「・・・レイナック殿ならおそらくは治せるでしょう。ただし、その力を行使することをレイナック殿が承知するかどうかはわかりません。」
 
「そんなのは俺が何とかするさ。」
 
「・・・では私は病室に戻ります。アスランが目を覚ますまで、経過観察が重要ですから。オシニスさんはちゃんと寝ていてくださいよ。私が部屋を出たとたんに起き出したりしないでください。」
 
「麻痺の気功でもかけてみるか?」
 
 オシニスさんがいたずらっぽい目でそう言った。
 
「私の気功がオシニスさんに通用するわけないじゃないですか。」
 
「ルノーには効いたじゃないか。」
 
「きっと油断していたんですよ。」
 
「ふふふ・・・まあそうだろうな。だが、通りすがりの旅人だからってそうそう見くびっていては、いつ命を落とすかわからん。あいつらはもうすこし精神的な修行が必要だ。」
 
「そうですね。でもそれを考えるのはあとにしてください。今はとにかく眠って、体力を回復させることを考えないと。もう若くないんですから。」
 
 オシニスさんは大声で笑い、布団を引っ張り上げた。
 
「わかったよ。それじゃ、アスランを頼む。」
 
「はい。」
 
 剣士団長室からでて、扉をそっと閉めた。出るときに目についた『立ち入り禁止』の札をドアノブにかけて、剣士団長室に背を向ける。
 
『お前が持つ剣の力と、その役割もな。』
 
 オシニスさんの言葉が、耳の奥でこだまのように何度も響いていた。私の持つ剣『ファルシオン』・・・。持ち主を選ぶ伝説の剣。古代の秘宝。だが・・・本来この剣を持つ者には、ある重大な使命が課せられていた。そのことを知る数少ない一人がレイナック殿だ。そしてレイナック殿自身もまた、とある大きな秘密を持っている。それを知っているんだぞと私に伝えることで、オシニスさんは最初のカードを開けた。もう駆け引きは始まっている。彼が次に出すカードはなんだ?そして私は、それに勝てるだけのカードを持っているのだろうか。
 
(いや・・・勝たなければならないんだ。たとえなんの手も持っていなくても・・・。)
 
 ロビーに出た。もう明かりも消されている。昔と変わらぬ時を刻む大時計の針は真夜中を指していた。アスランはあれからどうなっただろう。一つため息をつき、鉛を飲み込んだような重い気持ちのまま、私は病室へと歩き出した。
 

第54章へ続く

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