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第53章 駆け引きの始まり

 
 やっと王宮に着いた。診療所の場所は確か王宮の奥だ。私は止まらずに走り続けた。
 
「早く!クリス、先生をご案内して!」
 
 ユーリクが背後で叫び、クリスティーナが私の後を追ってきて隣に並んだ。
 
「私はここに泊まっているんだから通ります!みんな私の知り合いですから!おばさん、行きましょ!」
 
 イルサの怒った声が聞こえた。イルサと妻もどうやらついてきているようだ。
 
「誰か団長を呼んでこい!ユーリク殿、これはどういうことです!?どうしてアスランがあ、あんな・・・!」
 
「それは直接団長さんに説明します!」
 
 背後ではまだもめている。あの門番はどうやら死体を見たことがないらしい。少なくともこんなに近くでは。そのアスランの死体を背負って『怪我を治す』と言い張る私を、彼らはもしかしたら頭がおかしいとでも思っているのかも知れない。
 
「運が悪かったですわ。あの方は融通が利かないんですの!さ、医師会の診療所はこちらです。とにかく病室に運びましょう!」
 
 クリスティーナは走りながら、悔しそうに言った。
 
「空いてる病室があるかどうかわかるのかい?」
 
「わたくし、ときどきここの診療所で看護婦さん達のお手伝いをしているんですの。だからわかりますわ。」
 
「それじゃ案内してくれ。それから君は、医師会の当直医を呼んできてくれないか。渋るようなら私の名前を言ってくれ。話のタネに顔を見ようくらいの気は起きると思うよ。」
 
 ユーリクから話を聞けば、オシニスさんは必ずやってくる。そしてオシニスさんはレイナック殿もつれてきてくれるはずだ。レイナック殿の呪文なら、おそらく妻と私を合わせたよりも遙かに強力だし、オシニスさんの気功なら呪文よりも早く回復させることが出来る。だが、よしんばそれでアスランの命を取り戻せたとしても、いきなり元のように元気になれるわけじゃない。そこから先に頼れるのは王立医師会だ。医師会には最新鋭の医療技術がある。
 
「わかりました。首に縄をつけてでも連れてきますわ!」
 
 クリスティーナが案内してくれた病室に飛び込み、空いていたベッドにアスランを寝かせた。背中のダガーが抜きやすいよう、うつぶせに寝かせ、顔を横に向けた。土気色に変わり果てた顔は、なぜか少し微笑んでいるように見える。その顔に、突然血の海の中で微笑むカインの面影が重なり、鳥肌が立つ。ここにいるのは私の相方だったカインではなく、息子の相方のアスランなのだと、何度も自分に言い聞かせる。他のことに気をとられている場合じゃない。クリスティーナが当直医を呼びに行ってくれている間に、やっておかなければならないことがある。それは、背中に刺さったダガーが体の中のどこを通っているかを調べることだ。心臓が傷ついていたら、もうどうしようもない。
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ダガーと言うよりは細く長いその武器は、アスランの右側の背中から左側の肺に向かって刺さっていた。レザーアーマーには大きな穴が空いていたが、この鎧のおかげか、刃は心臓の位置から大きく外れ、左胸の上方部分に切っ先がほんの少し飛び出していた。どうやら串刺しというほどにひどい状態ではなかったようだ。そして幸運なことに、まだ死後硬直が始まっていない。これならまだ間に合う。助かる可能性は残っている。アスランの鎧をはずして服を切り裂いている間に、イルサと妻が部屋に飛び込んできた。二人はアスランの顔色を見、彼が今どんな状態なのか悟ったようだ。いや、妻は多分気づいていただろう。アスランを見てやってくれと言ったあと、しばらく脈を測ったりしていたが、容態についてはなにも言わず、ただイルサに状況を聞いていただけだった。
 
「アスラン・・・。」
 
 イルサは呆然とベッドの脇に座り込み、アスランの体に取りすがって泣き出した。
 
「私のせいだわ・・・。こんなことになるなんて・・・。ごめんなさい・・・ごめんなさいアスラン!」
 
 可能性を見い出すことが出来たなら、あとはすることはひとつだ。私は荷物の中から往診用の道具一式を引っ張りだし、仕事着の白衣に着替えはじめた。『一応念のため』持ってきたはずの仕事着が、島を出てから何度必要になったことだろう。よくよく仕事とは縁が切れないらしい。でも別にそれを煩わしいなどと思ったことは一度もない。目の前に助けるべき命があるのならなんとしても助ける、今までずっとそうしてきた。これからもそうするだろう。それが、カインの命を奪ったことに対する贖罪なのか、自分の医師としての信念なのかはよくわからない。
 
「まっすぐ王宮に来るとは思わなかったわ。」
 
 妻は少し意外そうだ。無理もない。今日の昼間まで、王宮に足を踏み入れる時間を出来るだけあとにずらしたいなどと言うことばかり考えていたのだから。
 
「アスランを助けるためにはここに来るのが一番だと思ったんだ。どんなに少しでも可能性は高いほうがいいからね。」
 
 このときの私は、目の前の命を救うことが出来るなら、たとえフロリア様だって引っ張り出すくらいのつもりだった。会うのは気が重いという気持ちに変わりはなかったが、こんな時に自分のわがままを言ってはいられない。
 
「そうね。ここなら確かに助かる確率は高そうだわ。」
 
 妻は微笑んで、自分も白衣を着はじめた。
 
「正直に言うなら、絶対大丈夫だとは言えない。いつの時点で心臓が停止したのか、それが特定できないからね。でも可能性はまだあるよ。ただし蘇生の呪文が必要だ。それは君に頼むしかない。大丈夫かい?今かなり走ったから、すぐには無理だと思うけど。」
 
「あのくらいでバテたりしないわ。いつでも大丈夫よ。でも傷がだいぶひどそうだわ。どうするの?」
 
「見た目はひどそうだけど心臓を外れているし、出血もそんなにひどくない。でもまずは、その背中に刺さっているダガーを抜かないとね。イルサ、泣くのはまだ早いぞ。アスランが刺されたとき、君は何か呪文を使ったのか?」
 
「・・・光の癒し手を唱えたわ。とにかく血だけでも止めようと思って・・・。私には『光の癒し手』が精一杯なの。ライラは『虹の癒し手』も楽に唱えられるのに・・・。こんなことになるなんて・・・もっともっと呪文の勉強をしておくんだったわ・・・。」
 
 イルサはがっくりと肩を落として、アスランを見つめたまま力なく答えた。
 
「そうか。それならダガーを抜くのはそんなに大変じゃないかも知れないな。傷を治すのはまた別問題だけどね。」
 
 出血が少なかった理由がイルサの呪文のおかげなら、もしかしたらアスランの心臓が止まったのはそんなに前のことじゃないかも知れない。それならば死後硬直がまだ始まっていないわけもわかる。
 
「アスランは助かるの・・・?」
 
 泣きはらしてうつろになった目で、イルサが振り向く。
 
「可能性はないわけじゃないが、確約は出来ない。今はそれしか言えないな。」
 
 必ず助けると言えたならどんなによかったことか。でも今は、下手に希望を持たせるようなことは言えない。
 
「わかった・・・。先生お願い、アスランを助けて。私がお手伝いできるなら何でもするから、助けて。お願い・・・。」
 
 イルサはそう言うとまた泣き出した。まさか息子の相方の若者と、イルサが一緒に祭り見物をするほどの仲だとは知らなかった。もっともそんなことがなくても、目の前にけが人がいるのだからなんとしても助けたい。私の頭の中には、アスランを助けるための手順がある程度浮かんでいた。もちろん、必ず助かるかどうかはわからない。だが、この状態から助けることが出来るとすれば、この方法しか考えられないのだった。
 
「失礼します!連れてきましたわ!」
 
 ノックと共に扉が開き、クリスティーナが飛び込んできた。
 
「失礼するぞ。」
 
 クリスティーナのあとから、年配の男性が入ってきた。
 
「君がクロービス殿か。」
 
「そうです。あなたは・・・もしかしてドゥルーガー会長ですか?」
 
 普通に白衣を着てはいたが、ただの医師とは思えない風格がある。会うのは初めてのはずなのに、なぜか私はこの医師が、王立医師会のドゥルーガー会長であると直感した。
 
「いかにも。お初にお目にかかる、王立医師会の会長を務めるドゥルーガーだ。本来なら、お会いできたことを天に感謝して、貴公の今までの偉業について讃えたいところだが、それは後回しにしよう。怪我人がいるそうだな。今手当の用意をさせているが・・・その若者か?」
 
 ドゥルーガー会長は、ベッドに寝かされているアスランを見て眉をひそめた。
 
「ここよりも礼拝堂のレイナック殿を訪ねるべきではないか?然るべき祈りを捧げて天に送ってやるのが筋だと思うが。」
 
「彼を助けたいんです。ご協力いただけませんか?」
 
「助ける・・・?」
 
 ドゥルーガー会長は怪訝そうに私を見た。
 
「はい。」
 
「本気で言っておるのか?」
 
「そうです。お願いします。」
 
「この者は死んでいる。」
 
「それはわかっています。」
 
「それではどうするつもりなのだ!?死んだ者をどうやって助ける!?」
 
「方法はあります!お願いします!」
 
「ではどうするのか教えてもらおう!死んですぐならばいくらでも方法はあろう。だがすでに死んでからしばらく時間が過ぎておるのではないか。これでは薬どころか呪文もなにも・・・」
 
 私はさっきから考えていた、アスランを助けるための方法をドゥルーガー会長に話した。
 
「うむむ・・・しかしそんなことがうまく行くとは・・・。」
 
「私にもそれはわかりません。でも出来ることがあるのにあきらめてしまったら、私はもう医師としては失格です。お願いします!」
 
 ドゥルーガー会長は少しの間私を見つめ、そしてうなずいた。
 
「わかった。私も医師だ。貴公の言われるとおりにしよう。だが、腕のいい気功の使い手もいないとその方法は・・・」
 
「俺が手伝う。気功の腕は鈍っちゃいないぞ。」
 
 開いたままの扉の外から懐かしい声が聞こえ、オシニスさんが入ってきた。後ろにユーリクが立っている。オシニスさんは相変わらず若い・・・ような年相応のような・・・でも、剣士団長としての風格が備わって、すっかり落ち着いて見える。
 
「クロービス、久しぶりだな・・・あれ・・・?」
 
 オシニスさんは不意に後ろを振り向き、ユーリクに『来てるのか?』と声をかけ、廊下に顔を出した。
 
「おいじいさん、早く来いよ。だから俺がおぶってこようって言ったのに。」
 
「ばかを申せ!わしはまだ自分の足で充分に歩けるわい。」
 
「だったらもっと早く歩けよ。こっちは急いでるんだ!」
 
 廊下から聞こえたのはレイナック殿の声だ。
 
「レイナック殿を連れてこられたのか?」
 
 ドゥルーガー会長が声をかけた。
 
「ええ、連れてきましたよ。怪我がひどそうなら手伝ってもらおうかと思いましてね。クロービス、この際挨拶は後回しだ。アスランはどこだ?気功だろうがなんだろうが、何でもやるぞ。」
 
「アスランはそこです。」
 
 私はアスランを寝かせたベッドを指さした。オシニスさんはアスランを一目見て、ぎょっとして顔をこわばらせた。
 
「・・・・・・・。」
 
 無言のまま、握りしめた拳がみるみる白くなり、怒りで震えている。
 
「なんで・・・こんなことに・・・。」
 
「団長さん、ごめんなさい。私のせいなの・・・。」
 
 イルサが泣きはらした顔を上げた。
 
「ユーリクから少し聞いたが・・・?どういうことなんだ?」
 
「あ、あの人達が追いかけてきて、アスランが私をかばって・・・・・。」
 
 イルサの言葉は今ひとつ要領を得ない。まだ気が動転しているようだ。
 
「オシニスさん、事情を聞くのはアスランが助かってからにしませんか?」
 
「助けるだと?どうやって!」
 
 オシニスさんが腹立たしげに怒鳴る。
 
「方法はあります。手遅れだったなら、ここに来ないでさっさと教会にでも行ってますよ。」
 
 
「その方法を聞かせてもらおうか。」
 
 ユーリクに伴われて、レイナック殿が部屋に入ってきた。そしてアスランをちらりと見やり、悲しげに眉をひそめた。
 
「クロービスよ、久しぶりだな。ユーリクからだいたいのことは聞いた。ふむ・・・少し待っておれ。」
 
 レイナック殿はそう言うと、両手をアスランに向かってかざし、呪文を唱え始めた。
 
「ほぉ・・・この若者はまだ完全に死んではおらぬようだ。」
 
「なんだと!?生きてるのか!?」
 
 オシニスさんが叫んだ。
 
「いや、死んでおる。」
 
「・・・おいクソじじい、こんなときにからかいやがると承知しねぇぞ!」
 
 部屋に入ってきたときは冷静に見えたオシニスさんも、アスランの姿を見てすっかり頭に血が上っている。
 
「うるさい奴じゃのぉ。少しは落ち着け、全くいくつになっても進歩のない・・・。わしが言うたのは、治療術の観点から見れば、この若者に完全な死は訪れておらぬと言うことじゃ。たとえばお前なら、人の死をなんと定義する?」
 
「・・・定義だと?死は死だ。定義もくそもあるか!」
 
「通常、人の死は心臓の停止を以て判断いたしますな。我ら医師の間では、でございますが。」
 
 ドゥルーガー会長が答えた。
 
「うむ。心臓が停止すれば、そのほかの臓器もすべて動きを止める。だが、その状態でも体の中に流れる気は残っておるものだ。死の要因さえ取り除くことが出来れば、蘇生の呪文でその者はすぐにでも生き返る。この者の心臓は停止してから少し時間が過ぎておるようだが、それでも同じ手順を踏めば生き返らせることが不可能ではない。この若者の死の要因はこの怪我のようだな。これさえ治すことが出来れば・・・いや、せめて致命傷と言えない程度まで回復させることが出来れば、まだ可能性はあろう。とりあえず、残っておる気の流れは引き出しておかねばなるまい。時間が経てばそれだけ弱くなっていくからな。」
 
 レイナック殿がまた呪文を唱えた。そしてアスランの体からゆっくりと気の流れが立ち上り、見る間にふわりとアスランの体全体を覆った。
 
「だが死んじまってるのに、どうやって怪我を治すんだよ!?」
 
「それについてはクロービスが考えておろう。だからさっき方法があると言ったのだ。人の話をちゃんと聞かんか。さてクロービス、ここから先の手順をこの馬鹿者に説明してやってくれぬか。」
 
 さすがにレイナック殿だ。私が考えていることなどお見通しらしい。その上でもう治療の前準備を整えてくれた。
 
「はい。ご助力感謝します。挨拶はあとで改めさせていただくことにして、その方法を説明しましょう。」
 
 私はさっきドゥルーガー会長に話したのと同じことをもう一度話した。
 
「そんな方法が・・・。それじゃ、それでこいつは助かるんだな?」
 
「可能性は限りなく低いですが、全くないわけではないとしか今は言えません。そしてこうしている間にも、その可能性はどんどん少なくなっていくんです。」
 
 オシニスさんはぐっと言葉を詰まらせた。オシニスさんの怒りのエネルギーは、このあとの気功に注いでもらわなければならない。
 
「オシニスよ、怒っている場合ではないと言うことだ。なるほど。可能性は低いがゼロではない。そしてこの方法は、呪文と気功だけではどうにもならぬ。ドゥルーガー、そなた達医師会の者達にも協力してもらわなければならぬぞ。」
 
「今クロービス殿の提案に同意したところです。私とて医師の端くれ、この状況で見て見ぬふりは出来ませぬし、しようとも思いませぬ。」
 
「ふむ、よい心がけだ。ウィローよ、蘇生の呪文を使うのはそなたか?」
 
「はい。もう準備は出来ています。」
 
「うむ、王宮にいた間は毎日呪文の訓練をしていたものだが、診療所など営んでおれば、その腕はますます上がったことであろうの。」
 
 レイナック殿は少し目を細めて、妻を見た。剣士団が王宮を取り戻してからこの町を出るまでの間、私達は二人で毎日礼拝堂に通って呪文の訓練をしていた。私達はカインを助けることが出来なかった。彼が死にゆくのを見守ることしか出来なかった。だから、あの時助けられなかった命を、いつかどこかで必ず助けられるよう、訓練を重ねていた。そのあとライラの命を救い、そのあとも何人もの命を死の淵から生還させた。でも消えゆく寸前の命を前にしたとき、私達はいつも思う。『今度こそ助けなければ』と。そして今も、まさにその時なのだ。
 
「あがったかどうかはわかりませんが・・・アスランはかならず助けます。私の夫が助かる可能性があると判断したのですから、必ずアスランは助かります。」
 
 妻はきっぱりと言い切った。
 
「では早速始めたほうがいい。時間が経てばそれだけ、可能性は低くなろうというものだ。オシニスよ、少しは頭が冷えたか?」
 
「とっくに冷えたさ。クロービス、指示を出してくれ。俺は何をすればいい?」
 
 こうなれば話が早い。
 
「わかりました。まずは気功の回復術を使う準備をお願いします。戦闘中ではないのですから、万全の準備で望みたいのです。」
 
 オシニスさんは深呼吸を何度かし、額をとんとんと叩いた。
 
「ふぅ・・・。よし、俺のほうの準備は出来たぞ。次は何だ?」
 
 本来治療術で傷を治すときは、患者自身が発している気の流れを使う。呪文を媒介にして気の流れを集め、回復力を飛躍的に高めることにより傷を治す。無論今のアスランには自分で気を発することは出来ないが、それでも彼の体の中にほんのわずかでも気が残っていれば、気功の回復術を使ってそれを引き出し、増幅させて回復力を高めることが出来ないかと考えたのだ。さっきレイナック殿がアスランの体の中に残った気を探り当て、一時的に増幅させてくれたことで、もう次の段階に移ることが可能になった。ただ、気を増幅させるという技については、実は呪文より気功のほうが向いている。念じるだけで操る気の大きさを変えられるので、微妙な調整が容易なのだ。私は今レイナック殿がしていることを、オシニスさんの気功で引き継いでくれるように頼んだ。
 
「その状態で、このダガーを抜きます。イルサが『光の癒し手』で血を止めてくれたようなので、抜くこと自体はそんなに難しくありませんが、一気に抜くとかえって他の部分まで傷つけてしまいかねないので、少しずつ抜きながら、抜けた部分の損傷を治していくことになります。私が呪文を使いますので、ドゥルーガー会長にはダガーを抜く役目をお願いします。ダガーを抜いて傷を治すことが出来れば、妻が蘇生の呪文を使いますが、一度の呪文で成功するかどうかは何とも言えません。」
 
「こいつが助かるなら俺はなんだってする。前途ある若い奴らが、こんなことで死んでたまるか!よし、早速始めよう。おいじいさん、こいつの気の流れを俺に渡してくれ。」
 
「傷を治す間くらいならこのままでもよいぞ。大変なのは蘇生の呪文が始まってからのことだろう。」
 
「俺の心配より自分の心配をしろよ。もう歳なんだからな。」
 
「年寄り扱いするでない。いかに老いたりと言えどもこのレイナック、神官としての腕まで衰えてはおらぬぞ。」
 
 この二人は相変わらず仲がいいらしい。
 
「うまく行けば、蘇生してからあとは医師会にご協力をお願いします。それから先は呪文だけではうまくいきません。」
 
 ドゥルーガー会長はうなずき、
 
「もとよりそのつもりでここに来たのだ。まずは蘇生が成功したあとの薬だな。」
 
「そうですね。」
 
 成功すればの話だが・・・。
 
「うむ。それについてはすぐに用意させよう。」
 
「よろしくお願いします。」
 
「クリスティーナ姫、すまんが当直医のハインツに、蘇生のあとに飲ませる薬を用意してくれと伝えてくれませんかな。そう伝えていただければわかるはずです。それと、先ほど用意していた怪我の手当用具も一式持ってくるようにと。」
 
 ドゥルーガー会長は心なしか優しい顔になって、クリスティーナに頼んだ。愛らしい公爵家の娘は、王宮でも人気者らしい。
 
「わかりました。すぐに行ってきます。」
 
 クリスティーナは軽やかに部屋を飛び出した。蘇生の呪文は、かけるほうも大変だがかけられるほうも大変だ。蘇生させたあとは絶対安静で、体の機能がある程度回復するまでは食事もとれない。その間に体力が落ちないように、また、抵抗力が落ちて風邪をひいたりしないように、いささか苦い薬をしばらくの間飲み続けなければならないのだ。無論ライラが溺れたときのように、小さい子供の場合はそれなりに味を調えてやるが、大人にはそのまま飲んでもらうことになる。王国剣士のように常に鍛えてあればそんなに長い間絶食しなくてもいいとは思うが、アスランはまだ18歳で、入団してからも4ヶ月程度だ。彼の体力と抵抗力に、過大な期待はかけられない。
 
「今夜の当直はハインツさんですか。」
 
「うむ。怪我人が出たと聞いて手当の準備をさせていたのだ。貴公の名前を聞いて喜んでいた。ぜひあとで話してやってくれ。」
 
「・・・わかりました。」
 
「うーむ・・・わずかだが切っ先が胸から飛び出しておる。血止めの呪文が間に合わなければ、この若者は今頃手の施しようがなかっただろうな。イルサと言ったか、そなたは王立図書館の司書だな。よく機転を利かせてくれた。だがクロービス殿、この状態からでは、内臓の損傷修復が精一杯であろう?なんと言っても一度生き物としての機能を停止した体をもう一度動かそうと言うのだからな。」
 
 ドゥルーガー会長はアスランの体を起こして覗き込んだ。
 
「そうですね。完治させられるかどうかは何とも言えません。とにかく蘇生の呪文が効く程度までは回復させなければなりませんが・・・。」
 
 もとより、死んでから傷を治すなどという発想自体が無謀なのだ。外側の傷なら蘇生が成功してからでも何とかなるが、内臓の損傷だけは出来る限り治しておかないと、蘇生させること自体が出来ない。
 
「私なんて・・・まだまだです・・・。もっと力があったなら、もっと強い呪文が使えたらよかったのに・・・。」
 
 イルサはまだぽろぽろと涙をこぼしながら、アスランを見つめたまま独り言のようにつぶやいた。
 
「イルサ、そんなに自分を責めたら、アスランが悲しむよ。まだ冷たいだろうけど、君はアスランの手を握って励ましてやってくれないか。今は聞こえなくとも、君が彼を思う気持ちが伝われば、アスランもがんばると思うよ。」
 
「思う気持ち・・・。」
 
 イルサが独り言のように繰り返した。
 
「そうだよ。」
 
「・・・こんなことになるなら、嘘でもいいから・・・。」
 
 イルサは言いかけて、そしてまた泣き出した。
 
「でもきっと・・・わかっちゃうわよね・・・。」
 
 今ひとつ話が見えないが、どうも今回の騒動の前、二人の間に何かあったらしい。
 
「クロービス、こっちの準備は出来たぞ。はじめてくれ。」
 
 アスランの体を包む気の流れは、今はオシニスさんが操っている。イルサはアスランの傍らから動かず、彼の手を握って不安げに治療の様子を見ている。妻はイルサの背後に椅子を持ってきて座り、経過を見守っている。その隣にレイナック殿が座った。疲れた様子は見えない。この方は今でも、この国で最高の治療術師なのだ。
 
「わかりました。では・・・。」
 
「待たれよ。」
 
 ドゥルーガー会長が、呪文を唱えようとした私を手で制した。
 
「どうしました?」
 
「呪文は私が唱えよう。貴公は剣を抜く役をしてくれぬか。」
 
「ですが・・・。」
 
 医師会に協力を頼むのは、あくまでも薬が必要になってからと考えていた。今の段階ではドゥルーガー会長に剣を抜いてもらい、私が傷を治すつもりでいたのだが・・・。
 
「蘇生の呪文を貴公の奥方が唱えるのなら、貴公はその時に力を使うべきだろう。蘇生の呪文は長く苦しい呪文だ。しかも一度で効力が発揮されるとは限らぬ。貴公ほどの腕の持ち主が手伝えば、奥方の負担はそれだけ軽減される。ここは私が呪文を使おう。さすがにレイナック殿には遠く及ばぬが、それでも呪文の使い手としてはそれなりに自信がある。」
 
「・・・わかりました。ではよろしくお願いします。」
 
 迷っている場合ではない。私は会長の申し出をありがたく受けることにした。ドゥルーガー会長はうなずいて、呪文を唱え始めた。何度か唱えては傷を見、また唱える。使っているのは『大地の恩恵』。この時点であまり強い呪文は使えない。
 
「ふむ・・・さすがに頑固な傷だ。さてクロービス殿、ゆっくりと、ダガーを抜き始めてくれ。」
 
私はアスランの背中に突き立てられたダガーに手をかけた。これはダガーというより剣の部類に入るようだ。ダガーよりは長く、そして細かった。レイピアという剣がこんな風に細いが、あちらは長剣と同じくらい長い。この剣はそれともまた違う。柄は湿ってべっとりとしていた。刺したときに流れ出たらしい血と・・・もしかしたら刺した側の汗だろうか・・・。
 
「変わった武器ですね。」
 
「その剣は暗殺者が好んで使うものだ。スティレットと呼ばれている。本来は、多少剣の使える貴族の婦女子が護身用に持ち歩く、どちらかというと優美な雰囲気のある武器なんだが、ダガーより長いのに刀身が細く軽いので、いつの間にか暗殺者達に好まれるようになった、ある意味悲運の剣だな。この剣を相手の体にまっすぐ差し込んでひねってやれば、体の中に空気が入り込み、相手は声も立てずに死んでいく。」
 
 オシニスさんが気功を操りながら答える。
 
「・・・・・・・。」
 
「だが、アスランは幸運だったようだ。こいつの体に刺さっているこの剣は、まっすぐではなく斜めに刺さっている。このほうが抜きやすい。そしてひねってないので体の中に空気が入っていない。・・・プロの暗殺者ではないのかも知れないな・・・。」
 
「プロではない・・・?」
 
「誰かを殺そうとしたり、さらおうとしたりする場合、その黒幕の選択肢は二つだ。手駒を使って確実に目的を達成するか、多少失敗の確率が高まっても、その場限りで誰かを雇うか脅すかして、働かせるか。イルサをさらおうとした奴らが前者であったなら、おそらくどうがんばってもアスランの命はなかっただろう。だが、この『仕事』を見る限り、後者の可能性があるってことさ。くそっ・・・どこのどいつだ。そんな回りくどいことをしやがった奴は・・・!」
 
「イルサを襲った連中について、少し心当たりがあります。後で話を聞いていただけますか?」
 
「・・・なんだと?」
 
 オシニスさんの顔色が変わった。アスランを包む気の流れがゆらりと揺らめく。
 
「そいつらを知っているのか?」
 
「まさか。でも多少なりとも、情報を提供できると思いますよ。」
 
「どうしてそんなこと知ってるの・・・?」
 
 イルサが尋ねた。顔中に不安を滲ませている。無理もない。彼らの狙いはアスランではなく、自分だったのだから・・・。
 
「先生達はね、城下町に来る前にローランに何日か滞在していたんだ。その時にいろいろと情報を仕入れたのさ。もっとも、進んで集めたわけじゃなくて、情報のほうから勝手に飛び込んできてくれたんだけどね。でも君は何も心配することはないよ。君を危険な目に遭わせたりしないよ。」
 
 おそらくライザーさん達は、イルサの身に迫った危険のことなど何も知らないに違いない。私があの時イルサの悲鳴を聞きつけたのも、偶然とはいえ不思議な巡り合わせだ。なんとしても、あの連中からイルサを守り抜かなければ・・。
 
「ありがとう、先生・・・。でも私は大丈夫。私のことより、アスランを助けてあげて・・・。」
 
 イルサはそういうと、また涙をぽろぽろとこぼした。この娘はごく普通の娘だ。なぜこの娘がそんな物騒な連中に狙われたものか・・・。『人質』とは、いったいどういうことなんだろう・・・。
 
「イルサ、君を襲った奴らのことは気にするな。何が何でもふんづかまえてこの償いをさせてやる。今日君と出かけるのをこいつは楽しみにしていたんだ。それを台無しにしやがって、まったく・・・。」
 
「どうして・・・?団長さんまでそんなこと知ってるなんて・・・。」
 
「ああ、俺の耳にまで届くほど、こいつが浮かれていたらしい。もっとも、面と向かって聞かれると『ただの友達だから』って言ってたみたいだがな。」
 
 オシニスさんの顔に、ほんの少し笑みが浮かんだ。部下である若い剣士と親友の娘との恋の行方を、きっとオシニスさんも案じていたに違いない。
 
「クロービス殿、どうだ?」
 
 ドゥルーガー会長が一息つきながら話しかけてきた。
 
「大丈夫です。順調に抜けてきていますよ。」
 
 思った通り、剣はほとんど抵抗なく抜けていき、抜けた部分の傷がゆっくりと修復されていくのがわかった。私の考えは間違っていなかったのだ。完全に治すことは今の段階では無理でも『致命傷』となるほどの傷でなければ、蘇生は可能になる。そしてそれがうまくいけば、本格的に傷の手当てが出来るようになる。
 
「ふぅ・・・・。」
 
 またしばらく過ぎて、ドゥルーガー会長が大きくため息をついて額の汗を拭った。
 
「代わりましょうか?」
 
「いや、大丈夫だ。これしきで参るほど腕は鈍っておらぬ。しかし貴公も大胆な発想をするな。普通の医師なら考えもしないこんな方法を思いつくとは、さすがはブロムの直弟子なだけある。麻酔薬についてはサミル殿の仕事を継承しただけだと言う理由で医学博士の称号を辞退されたようだが、そんなことはない、医師としての腕にもっと自信を持ってほしいものだ。」
 
 ドゥルーガー会長がつぶやいた。
 
「父とブロムさんをご存じなんですね。」
 
「サミル殿はいつも研究棟にいたからあまり話したことはなかったが、ブロムはよく知っておる。ブロムの直弟子なら、医師の国家試験など受けるには及ばぬとフロリア様に進言したのは私だ。おそらくブロムは、私が彼と顔を合わせたくないからそんな超法規的な措置をとったと思っているだろうが・・・そんなことではないと、わかってはくれぬのだろうな・・・。」
 
 ドゥルーガー会長は、少し寂しげにため息を一つついた。今回この方が足を運んでくれたことに驚いたが、ブロムおじさんだけでなく、父のことを知っていたのも少し意外だった。もっとも昔、父は王立医師会の研究機関に籍を置いていたし、ブロムおじさんは将来を嘱望された医師会の主任医師の一人だったと聞いたことがある。当時この方はブロムおじさんの上司だったらしいが、そのころのことについては、私は未だにおじさんから詳しく聞いたことはない。だが、医師としても呪文の使い手としても、すばらしい腕の持ち主だと言っていたのだけは覚えている。この方はどうやらブロムおじさんに対して何か負い目があるらしい。ここまで私に協力してくれるのはそのせいなのか。でも・・・今はどちらでもいい。私の突飛な提案に、これだけの人達が協力してくれて、アスランを救おうとがんばってくれている。そのことに対して素直に感謝しよう。
 
「とにかく今はこの若者の治療だ。さすがに生きている者とは違って治りは遅いが、少なくとも、心臓が動いた途端に血が噴き出すようなことはないだろう。剣士団長殿、少し気の流れをゆるめてもよいぞ。この傷さえ何とかなれば次は蘇生の呪文だ。貴公の腕が必要なのは、むしろそちらのほうだからな。」
 
「俺は大丈夫です。会長のほうこそ、お年なんですから無理はしないでくださいよ。」
 
「ふん、相変わらずの口の悪さだな。まだまだ若い者には負けぬよ。」
 
 オシニスさんは思ったことをずばりと言うが、腹に一物あるような嫌みな感じがしない。レイナック殿と同じように、オシニスさんはドゥルーガー会長とも仲がいいように見える。
 
「ぬけました・・・。」
 
 アスランの体から抜き出された剣が、とうとうその全貌を現した。確かに、たおやかと言う言葉が似合いそうなほど優美な刀身だ。元々はコレクション用の剣なのかも知れない。それが貴族の婦女子の護身用となり、やがて暗殺者の道具となりはてた・・・。何とも数奇な運命をたどったものだ。
 
「そうだな・・・。クロービス、その剣は大事な物証だ。出所がわかるかも知れないから、そのままそっちの布に包んでおいてくれ。」
 
「わかりました。」
 
 私はそのまま剣をそっと布で包んだ。さすがに緊張が続いていたせいか、思わずため息が漏れる。
 
「先生、僕に出来ることはありませんか。何かお手伝いしたいんです。」
 
 少しじれったそうに、ユーリクが話しかけてきた。彼は私達のやりとりをずっと見守っていたが、自分だけが何も出来ないことを悔しがっているように見える。
 
「それじゃ少し頼まれてくれるか。」
 
 オシニスさんがアスランを向いたまま話し出した。
 
「はい。」
 
「頼みは二つだ。まず一つはアスランの件をランドに報告して、こいつの家に連絡を入れてくれるよう伝えてくれ。うまくいけば元気な姿を見せてやれるが、万一だめだった場合、遺体を引き取りに来てもらわなきゃならん。」
 
「は・・・はい・・・。」
 
 ユーリクの顔が青ざめた。
 
「それからもう一つ、これが大事だ。アスランの一件をカインの奴が聞きつけたら、すぐにでもここに駆けつけてくるだろう。あいつがこの部屋に飛び込んでくる前に止めてくれないか?」
 
「え?で、でも、彼もきっと心配でしょうから・・・。」
 
「それはわかってるさ。だがな、蘇生の呪文は長くてデリケートだ。その詠唱中にバターンと扉が開いて、「アスランは!?」と大声で叫ばれたらどうなると思う?」
 
「そ、それは・・・確かに・・・。」
 
「蘇生の呪文は魔法ではないんだ。唱えた途端に効果を発揮するわけじゃない。失敗すれば唱える側も消耗するし、2度目の呪文が効く確率も下がる。そうだな、クロービス?」
 
「そうですね・・・。」
 
 さすがに剣士団長として、オシニスさんはカインの性格をよく把握している。実を言うと私もそのことを心配していた。友人の危機に、あの息子が落ち着いていられるはずがない。
 
「ということだ。引き受けてくれないか?」
 
「わかりました。では玄関に詰めていることにします。」
 
「出来るだけここには人を近づけないでほしい。損な役目で申し訳ないが、頼んだぞ。」
 
 ユーリクはうなずいて部屋を出て行った。彼の背中からは、何が何でもこの仕事を遂行しようという気概が伝わってくる。きっと息子の暴走を止めてくれるだろう。
 
「ふぅ・・・カインには悪いが、仕方ないな。」
 
 オシニスさんが額の汗を拭った。
 
「大丈夫ですか?」
 
「心配するな。それより、そろそろ治療は終わるんじゃないか?ドゥルーガー会長、どうです?」
 
「うむ、そうだな・・・。」
 
 ドゥルーガー会長がうなずいたとき、
 
「失礼しますよ。」
 
扉が突然開いた。
 
「これ!ノックくらいせんか!まったくいつまでたってもそなたは粗忽者で困る。」
 
 ドゥルーガー会長が振り向かずに怒鳴った。そこに立っていたのはハインツ先生だった。後ろからクリスティーナが何かの箱を抱えてついてきていた。いつの間にか看護婦達が身につけるエプロンをつけている。
 
「おお、これは申し訳ありません。クロービスさんがおこしだと聞いてもううれしくて、ついつい忘れてしまいました。お許しください。」
 
 ハインツ先生は丁寧に謝罪の言葉を述べながら、実はいたずらが見つかった子供のようなおどけた顔で肩をすくめてみせていた。
 
「ハインツよ、そなたが今どんな顔をしているかなどお見通しだわ。薬は用意できたのか?」
 
「はい、ここに用意してございます。・・・怪我人とはその若者でしたか・・・。」
 
 昔から、どんな時にも飄々としていたハインツ先生だが、土気色に変わったアスランの顔を見て、さすがに青ざめた。
 
「今傷を治しているところだ。蘇生の呪文が成功するまではそなたの薬の出番もない。よい機会だから、クロービス殿の考えた方法を見学しておくがよいぞ。」
 
「それはぜひ見せていただきたいものですが・・・しかし会長、どういうことです?この若者はどう見ても死んでからある程度時間が過ぎてしまっているようだ・・・。この状態から蘇生の呪文で助けることが出来るのですか?しかも傷を治すとは・・・説明くらいはしていただけるのでしょうな。」
 
 ハインツ先生はきょとんとしている。ドゥルーガー会長は呪文を唱え続けながら、ふぅっとあきれたようなため息をついた。
 
「クロービス殿、こちらはもう少しだ。貴公の出番の前に、ハインツに今回の方法を説明してやってくれぬか。こんな時に不謹慎だとは思うが、この男にはいずれ医師会を背負って立ってもらわなければならぬ。どんなことでも学ばせてやりたいのだ。」
 
「はぁ?」
 
 ハインツ先生はきょとんとした顔のまま、大きな口を開けてドゥルーガー会長に視線を移した。
 
「会長、悪い冗談ですよ。医師会を背負って立つというなら、このクロービスさんが一番の適任ではありませんか。」
 
「私は今、北の島の医師です。医師会と交流したいとは思ってますが、背負って立つことは出来ませんよ。時間的にも力量的にもね。」
 
 これだけははっきりと言っておかなければならない。一度は断った医師会の主席医師の地位に、今頃になって色気を示しているなどと思われたのではたまらない。
 
「ご謙遜を。あなたがこちらにいらっしゃったと聞いて、私は密かに期待していたんですよ。とうとう医師会にあなたを迎えることが出来るかとね。」
 
「残念ながら、ご期待に添えることは出来ませんよ。」
 
「しかしですね・・・。」
 
「ハインツ、そのくらいにしておきなさい。クロービス殿は今では北の島で医師としてなくてはならない存在となっておる。だが、そなたは医師会の人間なのだから、いずれは医師会を背負って立つのが当たり前だ。」
 
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!会長、からかわないでください。私は呪文もろくに使えないんですよ!?」
 
「呪文は医師に必須の技術ではない。それならばわざわざ医学院など建てずとも、礼拝堂で修道している神官でも連れてきたほうがよほど手っ取り早いわ。医師に必要なのはそんなものではない。そなたは全くわかっておらぬな・・・。」
 
「い、いや、それはそうかもしれませんが・・・。」
 
 ハインツ先生はすっかりとまどっている。
 
「まあよい。とにかく、今はクロービス殿に今回の件についてよく聞いておきなさい。」
 
「わ、わかりました。クロービスさん・・・いやいや、今は先生でしたな。御無沙汰しております。いったいあなたは何をしようとしているのです?」
 
 私は、ハインツ先生に今回の方法について簡単に説明した。ハインツ先生は興味深げに何度もうなずき、聞き終えたときにはぽかんと口を開けて、ただ私をじっと見つめていた。
 
 

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