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「・・・なんだか、自分がもうすぐいなくなるような口ぶりだったから少しどきっとしたけど、あれから何事もなかったから、私もあんまり気にしなかったのよね。」
 
「そうか・・・。確かに、王立医師会との交流というのは魅力だったけど・・・。」
 
 それよりも何よりも、あの時の私は、王国と必要以上に関わりたくないという思いのほうが強かった。
 
「ブロムさんとしては、医学博士のほうよりそっちのほうを重要だと考えていたのかも知れないわね。」
 
「・・・君はどう思うの?」
 
「そうねぇ・・・。多分ブロムさんはあなたのお父様と約束していたんだと思うの。もしもお父様が亡くなったら、必ずあなたを王国へ送り出して王国で暮らさせるって。でもあなたはお父様の遺志を継ぐべく島に戻ってきた。そのこと自体はブロムさんにとってうれしいことだったかも知れないけど、あなたが結局はあの島に引きこもるようになってしまったことを、ブロムさんは気にしていたんじゃないのかしらね。お父様との約束を果たすことが出来なかったんですもの。それに、ブロムさんの言うとおり、島の中にばかりいることはあまりプラスになるとは言えないかも知れないわ。」
 
「だとしても、私は王国で暮らす気なんてないよ。だいたいあのまま私達がこの町に居続けるだけで、よけいなトラブルばかり起きていたよ、きっと。」
 
 トーマス・カルディナ卿は妻をさらうというとんでもないことをしでかしたが、そこまではしなくても、妻を息子の嫁にと言ってくる貴族は他にもたくさんいたし、私にも『ぜひ娘の婿に』という話はいやというほど来ていた。妻を嫁にと言う貴族にとっては私が邪魔者だったし、私を娘の婿にと考える貴族達にとっては妻が邪魔者だった。さっさと式を挙げて正式に夫婦になれば、もう誰もお前達のじゃまはしないぞと、レイナック殿は何度も言ってくれたが、私はそれを断っていた。当時、ならず者の集団のような王国軍から見事王宮を奪還し『フロリア様を救い出した』王国剣士団は、国民からは熱狂的な拍手と喝采をもって迎えられていたが、その身分はまだ非合法で、御前会議では連日、王国剣士団を復活させるか否かについての議論が交わされていた。剣士団復活賛成派の筆頭がレイナック殿で、反対派の筆頭がエリスティ公だった。賛成派の言い分はもちろん、邪悪な王国軍から王宮を奪還した王国剣士団以外にこの国の守り手はいないというもので、では反対派の言い分はというと、国王が一度非合法としたものをまた復活させるなど、国王の言葉がくるくると変わっては政治の混乱を招く、ここは全く新しい、第三の団体を創設すべきだとの意見だった。そんな騒ぎの最中に式を挙げる気にはとてもなれなかった。あの時私は、また仲間達とこの国を守っていきたいと考えていたし、妻と二人でずっとこの街で生きていくつもりだった。せめて剣士団復活の目処が立ってからにしようと、妻と話し合っていたのだが、そんなことをレイナック殿に言ったら無理にでも御前会議の話をまとめてしまいかねない。エリスティ公の人気は相変わらずさっぱりだったが、だからといってあまりに強引なやり方は周囲の反発を招く。そんなことにはなってほしくなかった。もっとも、結局は式を挙げることがないまま、私達は半分逃げるように町を出てしまったのだったが・・・。
 
「それはそうなんだけど・・・。」
 
 妻は言いよどみ、小さくため息をついた。
 
「でも、前に出るとか出ないとかはともかく、これからはもう少しこの町の人達とも交流していこうとは思ってるよ。」
 
「そうね・・・。それがいいと思うわ。さっきのデイランド先生みたいな人もいるんだものね。」
 
「うん・・・。島に引きこもったまま医学書ばかり読むより、実際の臨床例をいろいろ聞いたほうが勉強になることが多いからね。」
 
 私が今までに勉強してきた様々な臨床例は、すべてブロムおじさんから教わったことだ。故郷の島では父が医師でブロムおじさんが助手だったが、実は医師としての臨床経験が豊富なのはブロムおじさんのほうだったのだと、私が島に戻ってだいぶ後になってから聞いた。だが・・・おじさん自身が不安に思っているように、いつまでも私がおじさんばかり頼っているわけにはいかない。私自身が積極的に視野を広げて、おじさんに頼らず勉強する努力をしなければならない。後継者を育てるのは私の役目なのだ。遅すぎたかも知れないが、今回の旅行を機に、人脈作りもして行こうと思う。
 
「そろそろいこうか。遅くなると迷惑だろうからね。」
 
 私達は腰を上げ、教会へと向かった。建物自体は変わっていない。丁寧に手入れされているのだろう、そんなに古くなったという印象も受けなかった。私は扉をそっと開けた。
 
 
 天井にほど近い場所にある円い窓を中心としたステンドグラスから色とりどりの光が差し込み、中央の祭壇ではちょうど神父様が祈りを捧げているところだった。神父様の後ろにはシスターがひざまずき、やはり祈りを捧げている。静かだ・・・。が、奥の扉の向こうから、子供の声が聞こえてくる。孤児院の子供達があの扉の向こうにいるのだろうか。私が城下町に初めて出てきたとき、ここでピアノを弾かせてもらった。その後ライザーさんが私の身元引受人のことを神父様に頼んでくれたときも、私はここでピアノを弾いた。それが元でカインと私は、夜中にフロリア様を連れ出したことを白状させられる羽目になったのだが・・・・。今になればもう『思い出』だ。そう思うとふと寂しさが募る。あのころの思い出話を、カインと語ることが出来る日は永遠にやってこないのだ。
 
 祈りの時間が終わるのを待って、私達は神父様とシスターに声をかけた。二人は少し驚き、そして昔と変わらない優しい笑顔で迎えてくれた。神父様の髪はすっかり白くなり、顔にもしわが増えていたが、やはり優しい瞳は変わっていなかった。それはシスターも同様で、慈愛に満ちた優しい笑顔は、20年の年月を経ても変わっていない。ライザーさんの話では神父様が実は剣の達人だと言うことだが、昔も今も、私にはとてもそんな風には見えない。剣の使い手は腕が上がるほどに目線の動きや身のこなしが人とは違ってくる。たとえ腰に剣を下げていなくても一目見ればすぐにわかるものだが、この神父様にはそう言った雰囲気が全く感じられないのだった。
 
「久しぶりですね、クロービス、それにウィローでしたね。さあお入りなさい。ライザーから聞いていましたよ。二人で祭り見物のためにこちらに来ると。」
 
 やはりライザーさんはここに立ち寄っていたらしい。私達は神父様に挨拶をして、今までの不義理をわびた。
 
「気にすることはありませんよ。便りのないのは元気な証拠と言いますからね。立ち話もなんですから、お茶にしましょうか。」
 
「それでは私が用意して参りますわ。」
 
 シスターはそう言って奥の扉に入っていった。程なく声が聞こえてくる。
 
「さあみんな、お客様がお見えなの。お茶をいれるお手伝いをお願いするわ。」
 
「あたしがやるわ!」
 
「あたしよ!」
 
「私もお手伝いするの!」
 
 主に女の子の声が次々に聞こえてくる。シスターがそれをなだめて、『では今回はあなたにお願いするわ。』というと、やっと扉の向こうは静かになった。
 
「孤児院の子供さん達ですか?」
 
「ええ、みんなとてもいい子達です。今は遊びの時間だったのでうるさかったかも知れませんね。」
 
「とんでもない。子供は元気なのが一番ですから。」
 
 神父様は笑って、私達を礼拝堂の隅にあるテーブルに案内してくれた。
 
「本当に久しぶりですね、クロービス、ウィロー、元気そうで何よりです。いつこちらに着いたのですか?」
 
「昨日の夜です。今日は少し挨拶回りをして、夜は町の外の芝居小屋でも見に行こうかと思ってるんですよ。」
 
「そうですか。このお祭りも、始まったときはどうなるものか不安でしたが、今ではすっかり定着しています。このまま平和が続いてくれるのなら言うことはないのですが・・・。」
 
「何か不安がおありなんですか?」
 
「・・・こんな小さな街の教会にいてさえ、いろいろと不安な噂は伝わってきます。一年ほど前から、ナイト輝石製の武器や防具が闇ルートで売りさばかれているという噂があり、その頃から薬草の値段が上がり始めました。」
 
「その話は私も聞きました。私の住む小さな島にまで噂は伝わっています。」
 
「そして今度はナイト輝石の採掘再開・・・。ナイト輝石の武器防具で大金を稼いだ人達には、あまりおもしろくない話だと思います。」
 
「神父様はナイト輝石の採掘に関してはどう思われているのですか?」
 
「そうですね・・・。客観的に見ても、意義のあることだと思っていますよ。確かに、未だ聖戦とナイト輝石を結びつけて考える人達もいますが、この話を進めているのが古くからナイト輝石の恩恵に浴してきた者達ではなく、平和を願う一人の若者だと言うことに、期待をかけたいですね。」
 
「その若者が誰なのかは・・・」
 
「ええ、ライザーから聞きました。そのことでは彼ら夫婦も親として大分悩んだようですが・・・息子を送り出した時点で覚悟は出来たと言っていましたよ。」
 
「そうですか・・・。」
 
「あなた達はいかがです?お二人とも、ナイト輝石についてはいろいろと思うところがあるのではありませんか?」
 
「ないと言ったら嘘になりますが・・・今はライラを信じてみようと思ってます。それに、鉱山の統括者は妻の幼なじみで、私も面識があります。彼らなら、きっとナイト輝石をこの国の発展のために使ってくれると信じています。」
 
「そうですか・・・。どうやら二人とも同じ考えのようですね。」
 
 神父様が妻に視線を向け、妻がうなずいた。
 
「ええ、私も、最初に聞いたときにはなんで今さらナイト輝石をって思いましたけど・・・いつまでも過去に囚われて、若い世代まで過去に縛りつけるようなことにはなってほしくありませんから・・・。」
 
「そうですね・・・。いや、せっかく久しぶりに会ったのに、暗い話ばかりしてもいけませんね。あなた達の息子さんが王国剣士になったという話も聞いていますよ。がんばっているようですね。」
 
「まだまだひよっこです。まずはもう少し大人として落ち着きを持ってもらわないと・・・」
 
 そのときシスターが女の子と一緒にお茶を持ってきてくれ、それからしばらくの間、私達の息子の話や、私の医師としての体験談など、様々な話に花が咲いた。とても楽しい話ばかりだったが、私の心の奥底に引っかかっていることがある。ライザーさんのことだ。神父様もシスターも、ライザーさんの来訪を何気なく受け止めているようだが、彼はどんな様子だったのか、今はどこにいるのか、聞きたいことがたくさんあった。だが、なかなか話の糸口が見つからず、私は話の途中から、半分上の空で返事をしていた。
 
「ライザーのことなら心配はいらないと思いますよ。」
 
「え?」
 
 うつむきかけていた顔を思わず上げた。今心の中にのしかかっている心配事の一つをずばり言い当てられて、心臓が飛び出しそうなほどドキンと鳴った。
 
「本当は最初にそのことを聞きたかったのでしょう?こちらの話につきあわせてしまってすみませんでした。」
 
「い・・・いえ・・・私のほうこそすみません。せっかく久しぶりにお会いしたのに・・・。」
 
 神父様は微笑んだ。
 
「そんなことはありません。ライザーはここに来たときこう言ってました、あなたのおかげで、自分の進むべき道が見えたと。彼が何をしようとしているのかまでは私にもわかりませんが、彼の目は澄んでいました。信じても大丈夫だと思いますよ。」
 
「ライザーさんは・・・どこへ行かれたんでしょうか・・・?」
 
「子供達の職場見学もしたいし、城下町の古い知り合いを訪ねて廻ると言っていました。いずれまたここに来るとも。ですが、今どこにいるのかまではわかりませんね。」
 
「そうですか・・・。」
 
 でも本当は・・・ライザーさんがどこに行くのか、神父様は知っているのかも知れない。でもそれを言わないだけのような気がした。神父様はおそらく、ライザーさんが何かを決意していることも知っている。そのためにあえて私達と連絡を取ろうとしないのではないかと・・・気づいているのだろう。私達も腰を上げることにした。そろそろ陽が傾く頃合いだ。一度宿屋に戻って休んでおかないと、ノルティの芝居を見に行けなくなってしまう。お茶を飲み終わったところで別れの挨拶をし、もしもライザーさんが来たときのために私達が泊まっている宿屋を伝えて教会を後にした。
 
「ライザーさん達、どこにいるのかしらねえ。」
 
「この町にはずっと住んでいたんだから、知り合いも多いんだと思うよ。そう言えば、昔ライザーさんが島を出るときに迎えに来てくれたっていうおじさん夫婦がこっちに住んでいるはずなんだけど、もしかしたらそこかも知れないな。」
 
「どこだかわかる?」
 
「そこまでは聞かなかったな。商売をしているわけではなさそうだったから住宅地区のどこかなんだろうけど、さすがにこの町の中から探し出すのは無理だろうなあ。」
 
「そっかぁ・・・。あ〜ぁ、イノージェンに会いたかったなあ。」
 
「まあそのうち会えることもあるかも知れないよ。案外祭り見物中にばったりとかね。」
 
「それもそうね。」
 
 ここにいるうちに一度も会わずに終わることはないと思えた。出来るなら王宮で、オシニスさんやランドさん達と一緒に再会したいが・・・。
 
「ふう・・・さすがに歩き回ったから疲れたな。一度戻ろう。出来れば一眠りして、ノルティの芝居をしっかり見てあげないとね。」
 
「そうね、それじゃ戻りましょうか。」
 
 『我が故郷亭』では、この時間は一番静かかも知れない。食事の客もいないし、ビール目当ての客もまだ来ないようだ。だが、厨房では今夜に備えて仕込みが始まっているらしい。カウンターの向こう側では、ラドにミーファ、ロージーとマスターが、厨房とカウンターのなかを出たり入ったり大忙しだ。私達はカウンターに声をかけて、一休みしたらすぐに出掛けるから食事は要らないと伝えておいた。部屋に戻ってベッドに横になり、今日一日起きた出来事を改めて考えてみた。広場のバザールで出会った若い娼婦トゥラ。あんな少女が、歓楽街の娼館にはまだまだたくさんいるのだろう。この20年、技術は驚くほどに進歩し、人々の生活はかなり楽になったと思えるのに、あんな形で売られてくる女達はまだまだ多い。何かが、どこかが、間違っている気がする。でもそれが今は合法であり、あの街へ行く男達もたくさんいるのだ。セディンさんの店は貧しかったが、セディンさんは娘達を売ってまで糊口をしのごうなどとは考えたこともないだろう。だが・・・一概に、娘を売る親を責めることが出来ないことも確かだ。
 
(私が考えたって仕方ないんだけどな・・・。)
 
 それでも気にはなる。王宮ではどう考えているのか、一度くらいオシニスさんに聞いてみてもいいかもしれない。そして次に向かったセディンさんの店で出会ったクロムとフィリス。頼もしい若者達だ。それなりに年頃の悩みを抱えているようだが、なんとかうまくいってほしい。そしてシャロンも・・・エルガートはいい若者だと思う。だがシャロンには、何となく彼に遠慮しているところがあるような気がする。それはフローラの言っていたシャロンの謎の行動に関わるものなのか、それともあの麻薬に関することなのか・・・。もしもシャロンが、自分の行動がよくないものだと認識しているとしたら、あるいはエルガートとの間に距離を置こうとするかも知れない。だがそんなことを本人に聞けるはずもない。なんとかその『親切な商人』が何者なのかわかるといいのだが・・・。
 
 
 
「・・・クロービス・・・。」
 
「クロービス、起きて。もう夜よ。そろそろ出掛けましょう。」
 
 体を揺さぶられて目を開けた。いつの間にか眠り込んでいたらしい。
 
「君は眠らなかったの?」
 
「少し寝たわ。おかげですっかり目はぱっちりよ。これが島にいるなら、急患が飛び込んできても余裕で徹夜できそうだわ。」
 
「ははは。ここでは急患は来ないから、それじゃのんびり祭り見物に行くとしようか。」
 
 二人で階下に降りた。フロアではすでに昨夜と同じ喧噪が始まっている。ノルティがいないので今日はラドがフロアに立ち、カウンターの中には老マスターがいる。出掛けてくるからと声をかけて、私達は外に出た。通りは賑やかだ。この時間になると夜の出し物目当てに出掛けていく人達がたくさんいるのだろう。私達はノルティに聞いたとおりに南門から出た。お目当てのテントはすぐにわかったが、開演までにはまで少し時間があるという。席を取れるか聞いたが、取っておいても勝手に座る客などもいるので、何とも言えないとの返事だった。それなら中に入って待っていたほうが良さそうだ。ノルティからもらった券を手渡したところ、受付の男性が少し驚いた顔をした。
 
「劇団員のご家族ですか?」
 
 一般に売られる券と劇団員が持っている券はデザインが違うらしい。
 
「家族ではないんだけどね、家族が忙しくて来られないからかわりに見に来たんだよ。」
 
「ほうほう、それはそれはようこそおいで下さいました。今の時間ならまだ前のほうが空いてございますよ。軽い飲み物は中で販売しておりますから、ごゆっくりお楽しみください。」
 
 私達はパンフレットをもらって中に入った。幕はすでに下ろされているが、その向こうから話し声や歩き回る音が聞こえてくる。最後の準備に入っているらしい。前のほうの席に着き、もらったパンフレットに目を通した。最初に劇団の沿革が書かれてあり、理事であるグレンフォード伯爵の挨拶が載っていた。劇団の歴史はそんなに古くないらしい。20年ほど前に創設されたとあるので、おそらく私達がこの街を出て行った頃だろう。理事の挨拶の中には、構想としてはもっと前からあったと書かれている。街と街との行き来のたびにモンスターに怯えていたような状態では、街の外から人を呼ぶことが出来ないので、なかなか実現させることが出来なかったと言うことだ。この伯爵は、確か妻への求婚者の一人だった。もっとも本人の気持ちがどうだったかまではわからない。だいたいこの伯爵は私達よりも10歳も上で、貴族の子息がその年まで独身なのは何かあるからじゃないか、などと陰口をたたかれていた人物だった。だが、載っている挨拶文は立派なものだ。演劇にかける情熱がひしひしと伝わってくる。代筆者によって書かれたものでないことを祈りたいものだ。
 
「飲み物はいかがですかぁ。」
 
 売り子が近づいてきた。冷たい飲み物を売っているらしい。ふたつ買って、飲み始めたときに開演の鐘が鳴った。
 
(ノルティってどんな役なのか聞いてる?)
 
 妻が囁いた。
 
(いや・・・。でもここからなら顔を見ればわかるんじゃないかな。)
 
 そう言えばどんなところで出てくるのかまで聞かなかった。俳優達は役に合わせてかなり派手な化粧をする。さてちゃんとノルティの顔がわかるだろうか。
 
「皆様、お待たせいたしました。開演でございます。」
 
 緞帳の前にいつの間にか紳士が立ち、優雅に挨拶をした。グレンフォード伯爵だ。
 
「今宵は当劇団の特別公演においでいただきまして誠にありがとうございます。この特別公演では、大劇場での本公演とは違い、若い役者を多く配しております。これから当劇団を担う若者達の熱演を、どうぞお楽しみくださいませ。」
 
 伯爵が挨拶をしている間に、徐々に会場内は暗くなった。そして伯爵が舞台の裾に下がったところで、緞帳がするすると上がった。演目は、サクリフィア滅亡からエルバール王国建国までの出来事を描いた物語だ。エルバール王家の初代国王陛下を英雄扱いするこの演目は、何人もの作家が小説を書いている。特に王家で販売を後押ししているわけではないが、どの本もなかなかの売れ行きらしい。芝居でも確か何度も演じられているはずだ。島に来る観光客達がそんな話をしているのを聞いたことがある。そんなことを考えている間に舞台は進行していく。
 
 英雄ベルロッドが見事聖戦竜率いるモンスター達を撃退し、サクリフィアに平和が訪れる。だが、町中を焼かれてすむ場所を失ったり、愛する家族を失った民衆は疲れ切っていて、とても平和を喜ぶことが出来ない。民の心を一つにまとめようにも神殿の巫女は力を失っており、彼女もまた絶望の縁にあった。それを慰めて生きる気力を取り戻させたのがベルロッド陛下で、やがて二人は愛し合うようになる。
 
 さてこのあたりのくだりは史実なのだろうか。サクリフィアと言う国を統治していたのは国王だが、実際に国を動かしていたのはサクリフィア神殿に仕える巫女だったと聞いている。強大な力を持ち、彼女だけが聞くことが出来ると言われた神の声に従って国王に助言をする、国王はその助言に従い国を治める。民に慕われていたのは国王よりもその巫女であり、極端な言い方をするなら、国王は巫女の傀儡に過ぎない。サクリフィアが滅亡し、エルバール王国が誕生するときに、この2国の間に争いごとはなかったらしいが、新しい国を作るからと一介の冒険家が民を引き連れて新大陸を目指すなどと言う話を、当時のサクリフィアの人々はどう考えたのだろう。力を失ってはいても、民の心はまだ神殿の巫女の元にあったのではないだろうか。その巫女を妻にすることで、自分が新しい王であることを人々に印象づけようとした・・・。ベルロッド陛下に、そんな計算があったのではないかと、つい考えてしまう。穿ちすぎだとは思うが、根拠がないわけでもない。巫女が進んでこの国にきたのなら、もう少しこの国に宗教が浸透していてもよさそうなものだ。だが実際には、王宮の礼拝堂も街の教会も、そこを心のよりどころにする人はいるにはいるが、それほど民に愛されているとは思えないのだ。
 
 やがて場面は変わり、宮殿の一室で若い娘が嘆いているシーンへと移った。そこに登場した若者は・・・ノルティだ。
 
『やはり行ってしまうのか・・・。』
 
 若者は悲しげに娘に話しかける。
 
『仕方がないの。あのお方は、わたくしが母とも姉とも頼むお方・・・。あんな遠い国に、お一人で旅立たせるなんて、出来ないわ・・・。』
 
『だがベルロッド様がおられるじゃないか。あの方はこの国を救ってくれた。そして巫女姫様も、あの方が慰めたことで生きる気力を取り戻されたと言うじゃないか。』
 
『だけど・・・だけど、不安なの。ベルロッド様がいい方だと言うことはわかっているわ。だけど巫女姫様は本当にベルロッド様とご結婚されるつもりなのか・・・。』
 
『でも僕は行けない。父は死に、母はすっかり気弱になって、今も伏せったままだ。母を置いて君と共に行くことは・・・。』
 
 この若い娘は、力を失った神殿の巫女の侍女らしい。彼女がベルロッド陛下と共に新大陸へわたると聞き、ついて行こうとしている。若者はこの侍女の恋人で、一緒に行きたいが父親はすでになく、聖戦のショックですっかり弱った母親を見捨てていくことが出来ず、どうするべきか苦悩している。この物語の主役はもちろんベルロッド陛下と、後に王妃となる巫女姫のシャンティア姫で、この侍女と若者の恋物語は、住み慣れた国を出て行く人々の中ではこんな物語がいくつもあったのだと、それを著すシーンのようだ。等身大の役柄だからか、二人の息はぴたりと合っていて、なかなかの名演技だ。芝居だとわかっていても、二人の悲しみが胸を打つ。やがて二人が抱き合って涙を流すところで舞台は暗転し、また別のシーンへと移る。『血湧き肉躍る』と言うわけでもないのに、飽きさせず惹きつける。えらそうに評価できるほど演劇について詳しいわけではないが、メリハリのきいたいい舞台だと思う。
 
 結局、二人の嘆きを知った巫女姫が侍女を説得し、二人はサクリフィアに残ることになる。ベルロッド陛下は民の前に立ち、この国で生きたい者は残ればいい、無理に行く必要はないと説得し、自ら新天地に行くことを決めた者達と共に船出することになるのだった。ラストは、港から船をだし、手を振り続ける人々を見ながら、ベルロッド陛下と巫女姫が寄り添うシーンで幕を閉じた。私達はノルティの出てくるシーンを重点的に見ていたが、そのほかにも名シーンはたくさんあったように思う。ベルロッド陛下の冒険者仲間で王国剣士団創設の祖と言われているイーガン卿と、民間伝承に通じ、罠の解除や鍵開けなども得意としたアニータ嬢との恋物語や、あらゆる魔法を使いこなし、文書館の創設者でもあるディード卿がさりげなくベルロッド陛下に助言するシーンなど、みんな若手俳優とは思えない、堂に入った演技だった。史実にも登場する彼らが本当にこんなにいい人達ばかりだったのかどうか、さてそこまではわからないが、芝居としては実におもしろい芝居だった。
 
 緞帳が下りたあと、またグレンフォード伯爵が出てきて挨拶をした。それを合図に会場内は明るくなり、ぞろぞろと観客が帰り始めた。出口はかなり混んでいるだろう。少し遅れて、私達は最後のほうに会場を出た。出口にはさっき受付にいた男性が立っていて、帰る客達に感想を聞いたりしている。
 
「いかがでございましたかな?」
 
 私は芝居を見ながら考えたことを簡単に話した。男性は笑顔でうなずき、『ありがとうございました、またぜひおいでくださいませ』と、丁寧すぎるほどのお辞儀で送り出したくれた。
 
 
 他のテントではまだ興行中らしく、客がぞろぞろと出たのは私達がいたテントだけだったらしい。だが、テントの外を歩く人達はかなり増えている。ぼんやり歩いていたら、それこそスリの餌食になりそうだ。そう思ってるそばから、背後に近づく影がある。懐をねらっているようだが、こんなところでスリを捕まえて騒ぎ立ててみても、また新手が近づいてくるだけだ。
 
(後ろからスリが来るよ・・・。移動しよう・・・。)
 
 さりげなく懐をかき合わせるふりをしながら、私は妻にささやいた。妻はうなずき、大げさに私の腕に自分の腕を絡めて、
 
「さあ、次はどこに行こうかしら。」
 
わざとらしく大声で言った。背後の気配がびくっと立ち止まる。そのまま私達はその場を離れ、南門の前を通り過ぎて東側の海岸沿いに向かって歩き出した。
 
(あれ・・・?)
 
 人混みの向こうにかがり火が焚かれていたのだが、その前に立っている男性と女性が、ふと目にとまる。男性のほうは知らない顔だが・・・女性のほうは今朝広場で会ったトゥラによく似ていた。
 
「どうしたの?」
 
 私はトゥラらしき女の子を見かけたことを話した。
 
「恋人と来ていたのかしらね。一緒にいたのは若い人?」
 
 妻には見えなかったらしい。
 
「いや、多分私くらいじゃないかな・・・。」
 
 おそらくは客の一人が祭り見物にでも連れてきたのだろう。私が気にすることでもなさそうだ。背後の気配はまだ消えない。私達は歩き続け、城壁の端あたりまで来たとき、背後の気配がやっと消えた。立ち止まって振り向くと誰もいない。こんなに人通りの少ないところまで来てしまっては、さりげなくすれ違ってスリを働くと言うことが出来ない。それであきらめたのだろう。昔ならこのあたりは、夜になると真っ暗だった。今は祭りだからなのか、あちこちにかがり火が燃やされ、王国剣士の姿もちらほら見かける。かなり広範囲にわたって警備をしているようだ。
 
「うまくやり過ごせたみたいね。」
 
「そのようだね。しかしこのあたりまでこんなに明るくしてあるなんて、このかがり火を用意するだけで大変そうだね。」
 
「そうねぇ。昔はなんにもなかったのにね。」
 
 もしかしたら今だって何もないことに変わりはないのかも知れない。ここまで来ると祭りの喧噪もだいぶ遠ざかっている。かがり火の置かれている間隔も、大型テントがひしめく城壁近辺よりはだいぶ間遠になり、涼しい風が吹きすぎて炎を揺らす。空には月がかかり、明かりがなくても歩くには十分なほどの明るさだ。カインと一緒にフロリア様を連れて漁り火の岬に向かったのもこんな夜だった。季節は少しずれているが、城下町近辺は、元々そんなに天候の移り変わりが激しくない。だからこそ、ここを都と定めたのだろうけど・・・。
 
−−・・・・!−−
 
「え?」
 
 何かが聞こえた。
 
−−・・・・!?−−
 
 誰かが争っているような声。
 
「何か聞こえた?」
 
 妻も怪訝そうに辺りを見回している。
 
−−・・・ざ・・・るな!−−
 
−−だ・・が・・・も・・・か!−−
 
 祭りで飲み過ぎてけんかが起きるなんてことはいくらでもあるらしい。その類かも知れないが、聞こえてしまうと気になってくる。なにもすすんで騒動に首をつっこむことはないと思うのだが、私達は聞こえてくる声を頼りに、少しずつ移動していった。その時!
 
−−きゃああああぁぁぁぁ−−−
 
 先ほどの言い争いとは明らかに違う悲鳴、しかも女性の悲鳴だ。
 
−−・・・して!?どう・・・んな・・と・・・の・・・!−−
 
 争う声が女性の声に変わった。酔っぱらいがカップルにちょっかいを出して争っている、でなければ、若い女性がならず者にでも絡まれているのか・・・。祭りで気が大きくなると、普段考えもしないような大胆な行動に出る者も少なくない。今の悲鳴も気にかかる。とりあえず声の主を突き止めておいたほうが良さそうだ。
 
「この先はかがり火もないわ。女の子がおかしな連中に連れてこられたのかしら。」
 
 妻が不安げにつぶやく。城壁から遠ざかってくると、もうかがり火は焚かれていない。風に乗って聞こえてくる声がどこから来るのか、それを見極めながらゆっくりとすすんでいく。やがて少しずつ声のする方角が絞られてきた。
 
「こっちだ!」
 
 私達は走り出した。やがて人の気配が近づいてくる。何人かいるらしい。月光に照らされた草原の真ん中に、人影が見えてきた。気づかれないよう、私達は一度立ち止まり、体をかがめて少しずつ進んでいった。近づくにつれて、前方に何人もの人間が立っているのがはっきりと見えてきた。真ん中にいるのは・・・女性のようだ。立ってダガーを構えている。彼女の足下には誰かが倒れているように見える。もしや最初に聞こえた声の主が、あの倒れている人物だろうか。二人を囲むようにして、何人もの人物が立っている。月光に照らされてなお、彼らの姿は闇にとけ込み、よく見えない。全員黒装束をつけているらしい。・・・この連中の発する気配は・・・これは・・・。
 
「あなた達の目的はなんなの!?」
 
 真ん中の女性が叫んだ。ここまで来ればもうはっきりと会話の内容が聞こえる。さすがに顔まではよく見えないが、若い女性だと言うことはわかった。着ている白っぽいドレスが月光に照らされて浮き上がって見える。スカートの部分があちこち黒く見えるのはまさか・・・。
 
(あの女の子のドレス、血が付いてるんじゃない・・・?)
 
 妻がささやいた。やはりそうか。女性が体のどこかを押さえているように見えないところを見ると、あの血は足下に倒れている誰かのものだろうか。
 
「お前だ。お前がおとなしく言うことを聞かないからその男は死ぬ羽目になったんだ。さあ、今度こそおとなしくしないと、お前もその男と同じ目に遭うぞ。」
 
 黒装束の一団の中の一人が不気味な声でそう言った。死ぬ羽目に・・・!?では彼女の足下に倒れているのは・・・・。よく見ると足下の人影に、何かが刺さっているように見える。だが死んでいるとは限らない。もしかしたら間に合うかも知れないが、それにはあの場所から彼らを救い出してこなければならない。どうやら一刻の猶予もないようだ。
 
(私が飛び出すから、様子を見て援護して。)
 
(わかった。気をつけてね。)
 
 妻の返事を確認して、私は飛び出した。闇の中からいきなり飛び出した人影に、その場にいた誰もがひるんだ隙に、私は女性と黒装束の一団の間に割って入り、剣を抜いた。こんなとき、私の剣はまったく光らない。闇の中で輝けば、私を危険にさらすことになるとわかってでもいるようだ。
 
「怪我はないか!?」
 
 剣を構えて前を見たまま、背後の女性に話しかけた。
 
「私は大丈夫です!でもアスランが、刺されて・・・」
 
 女性の声は震えている。が・・・なぜかこの声に聞き覚えがある。
 
(アスラン・・・?)
 
「何者だ。」
 
 さっきと同じ不気味な声に尋ねられ、一瞬頭に浮かんだ疑問は吹き飛んだ。おそらくは声音を変えているのだろう。なかなか効果的な演出を心得ているようだが、この程度のことで私は動揺しない。もっとずっと恐ろしい声を聞いたことがある。
 
「何者でもいい。私は人殺しを黙って見過ごす気はないんだ。あんた達こそ何者だ!?」
 
「お前の足下に転がっている死体と同じ目に遭いたくなければ、その女を渡せ。大事な人質だ。傷はつけんさ。」
 
「人質とはなんだ?この子の家から身代金でも奪おうというのか?」
 
「答える必要はない!」
 
 中の一人がひらりと飛び上がって攻撃してきた。思い切り剣をはじき返す。おそらく一刀のもとに私を切り捨てるつもりだったらしい相手は、真横に剣をなぎ払われて地面にひっくり返った。
 
「バカ者!なんというざまだ!」
 
 先ほどの声が怒鳴った。今の手応えなら、このまま戦闘を続ければおそらく全員追い払える。だがそんなことをしていたら、足下の怪我人の命が危ない。もっとも、まだ生きていればの話だが・・・。私は思いきって風水術『百雷』を唱えた。爆音と共に稲妻が空を切り裂き、黒装束の連中を照らし出す。ざっと見たところ5人ほどだ。続けてもう一度唱える。今度は彼らの背後に向かって。思った通り、そこにも3人ほど黒装束の連中が潜んでいた。立て続けに稲妻と爆音に脅かされ、彼らの苛立ちが一気に募ったのがはっきりとわかった。今の音を聞きつけて、近くを巡回している王国剣士達が来てくれないだろうか。この連中を彼らに任せることが出来れば、怪我人の治療に取りかかれる。時間が経てば、助かるものも助からない。だがその焦りを敵に悟られればこちらが不利になる。
 
「くそっ・・・呪文使いか・・・。」
 
 敵の中から忌々しそうな舌打ちが聞こえた。焦っているのは向こうも同じだ。ふと妻が心配になって、妻が潜んでいるはずの草むらをうかがった。特に動いた様子はない。機会をうかがっているのか、それともうまい具合にここを離れて助けを呼びに行けたか・・・。どちらにせよ、妻は一番いいと判断した行動を取るだろう。今は任せるしかない。敵はじりじりと間合いを詰めてくるが、先ほどのように飛びかかっては来ない。多分充分近づいたところで一気にけりをつけるつもりだ。どうする?誰かが来てくれるまで待つべきか?ここからそう遠くない場所を巡回しているはずの王国剣士達が、せめて一組でも駆けつけてくれれば・・・。倒れている若者は、先ほどからぴくりとも動かずうめき声一つあげない。
 
(手遅れかも知れない・・・。)
 
 言いようのない不安が胸を締めつける。確かアスランと言っていた・・・アスラン・・・
 
(アスラン!?)
 
「君の連れは王国剣士のアスランか!?」
 
 私は敵を見据えたまま背後の女性に尋ねた。
 
「は、はい・・・!どうしてご存じなんですか!?」
 
「彼は私の息子の相方なんだ!」
 
「相方って・・・ま、まさか・・・先生!?クロービス先生なの!?」
 
「え!?」
 
 今度はこちらが驚く番だった。
 
「君は誰だ!?」
 
「私よ!イルサよ!」
 
「イルサ!?」
 
 聞き覚えがあったわけだ。こんなところで再会するとは・・・。
 
「先生、お願い、アスランを助けて!私をかばって刺されたの!」
 
 イルサは安心したのか、わっと泣き出した。
 
「落ち着きなさい!泣くのはまだ早い!とにかくここを切り抜けるんだ!」
 
「は、はい・・・!」
 
 背後でイルサがぐっと息をのむのがわかった。
 
「ふふふ・・・無駄だ・・・。お前達がここを切り抜けることはない。永遠にな・・・。」
 
 不気味な声でしゃべっているのは、どうやら私の真ん前に立っている男らしい。その両側に、さっきまでは後ろのほうに隠れていた連中も加わって、じわじわと近づいてくる。間違いない。この連中はローランの東の森にいた謎の集団だ。全部かどうかはわからないが、あの時感じたのと同じ気配を確かに感じる。だが、今はそれを口に出すべきではなさそうだ。言えばおそらくこちらの命はない。とにかく、今は彼らの足を止めることを考えなければならない。さっきの風水術の音が王国剣士達の耳に届いていれば、もうすぐやってくるだろう。もしも来なかったら・・・その時は囲みを突破して逃げるしかないか・・・。イルサ一人なら逃がすことは出来る。だがイルサはアスランをおいて一人逃げたりしないだろう。彼が生きていても死んでいても、だ・・・。
 
「どうした?怖じ気づいたか?今ならその女をおいていけば貴様の命は助けてやってもいいぞ。」
 
「その約束を守るくらいの人物なら、そもそもこんな卑劣はことはしないだろうな。あんた達の目的はなんだ?この娘の家は、別に金持ちでもなんでもないんだ。なのに人質と言ったからには、身代金をせしめようってわけでもなさそうだな。もしかして、この子を盾に、誰かしら脅そうとでもいうのか?」
 
「ふん、それを知ればお前はここから生きて帰ることは出来ん。それでも聞きたいか?」
 
「あんたが何者か私は知らないが、あんたと戦って負けると思われたなら、ずいぶんと見くびられたものだな。」
 
 私は出来るだけ自信満々にそう言ってみせた。この際、はったりでも何でも、時間を稼ぐことを第一に考えなければ。
 
「ほぉ、それでは試してやろうじゃないか。」
 
 男はせせら笑いながら、だらりとおろされていた剣を振りあげた。その瞬間、私は男達の足下に向かって風水術「炎樹」を唱えた。
 
「あちちっ!」
 
「うぉ!」
 
「ひぃっ!」
 
 口々に叫び、彼らの注意がそれた。思った通り、頭らしい男はかまわず向かってくる。
 
「これしきのことで俺を足止め出来ると思ったら大間違いだ!」
 
「そんなことは先刻承知だ!」
 
 この男一人なら相手に出来る。振り下ろされた剣をはじき返した瞬間、剣が輝きだした。
 
「おお!?こ、これは・・・!?」
 
 さすがに男は驚いて後ずさった。
 
「奇妙な術を使いやがって!」
 
 剣は勝手に光り出したのだが、これも私の風水術だと思われたらしい。まあ訂正するのはやめておこう。ちょうどいい威嚇になったようだ。
 
「くそ・・・よくもここまでコケにしてくれたな!野郎ども!こいつらをたたんじめぇ!」
 
「おぅ!」
 
「合点だ!」
 
 手下らしい男達は口々に叫んで飛びかかろうとしたが、次の瞬間、男達の約半分が腕や肩を押さえて地面に転がることになった。突然のことに、他の連中も何が起こったのかわけがわからず、動きが鈍った。
 
「ふぅ!久しぶりだったから当たるかどうか不安だったけど、何とかなるものねぇ。」
 
 背後から聞こえてきたのは妻の声だった。
 
「ここまで移動してたのか。」
 
「へへっ。あの人達があなたに気をとられていたみたいだったから、ゆっくりとここまで来たの。イルサって聞こえたんだもの。ほっとけないわ。」
 
「ウィローおばさぁん・・・。」
 
 イルサがまた泣き声になる。
 
「そこに倒れているアスランを見てやってくれ。マントか何か身につけているか?」
 
「何もないわ。今夜はそんなに寒くないから置いてきたって言ってた。」
 
 イルサが鼻をすすりながら答えた。
 
「それじゃこれを使って。」
 
 私は自分のマントのひもを片手でほどき、背後にばさりと落とした。
 
「わかった・・・。イルサ、落ち着いて、アスランをくるむのを手伝ってちょうだい。それから何があったのか教えて。」
 
「はい・・・。」
 
 二人が背後でアスランの体をマントでくるみ始めた。助かる確率を少しでもあげるために、体温が下がるのを防がなければならない。
 
「ほぉ、女か・・・。」
 
 闇の中でも、頭の男がにやりと笑ったのがわかった。
 
「貴様ら俺を完全に怒らせちまったなぁ。もうこけおどしは通用しねぇぞ。ひっひっひ・・・その小娘はともかく、そっちの女はなかなかじゃねぇか。まあちっとばかし歳はくってるみてぇだが、せっかくだから後でゆっくり楽しませてもらうとするか。」
 
 下品な笑い声をたてながら、頭の男が改めて剣を振り上げようとしたとき、今度は彼の後ろにいた手下が突然倒れた。
 
「おい!貴様らの相手はこっちだぞ!」
 
 続いて誰かが叫ぶ声。
 
「な、何だと!?」
 
 さすがに背後から聞こえた声には動揺したのか、頭の男が振り向いた瞬間、私は彼の背中に向かって思い切り剣を振り下ろした。もちろん殺す気はない。男のレザーアーマーの背中がまっぷたつに切り裂かれ、背中に傷がつく程度だ。ローランの東の森でティナが受けた傷を、少し少なめのダメージで返したと言うところだ。
 
「く、くそっ!」
 
 男はあわてて私に向き直ろうとしたが、そのとたん鎧の背あてがずり落ちた。その間に男の周りにいた手下達の中に、王国剣士らしい人影が何人か飛びかかっていた。
 
「そこの人!無事か!我々は王国剣士だ!こっちは任せて早く逃げろ!」
 
「君達の仲間が怪我をしたんだ!アスランという剣士だ!」
 
「ア、アスラン!?あいつがそこにいるんですか!?」
 
「ここで倒れている!心配するな!私が王宮まで連れて行く!君達はそいつらを頼む!」
 
「そう言うことなら僕が先導します!」
 
「わたくしも行くわ!」
 
 男達に襲いかかった王国剣士の中から、二人の人影がこちらに向かって走ってきた。二人とも制服は着ていない。それにかなり若そうだ。
 
「君達は何者だ!?」
 
 この恰好では敵か味方かわからない。
 
「怪しい者ではありません。僕はベルスタイン公爵セルーネが一子、ユーリク・ベルスタイン、こちらは妹のクリスティーナです。」
 
「セルーネさんの息子さんか!?」
 
「母をご存じなんですか!?」
 
「知っているが、その理由は後回しだ。では王宮まで先導してくれ。一刻の猶予もないんだ!」
 
 私はそう言いながらアスランをおぶった。ぐったりとした体はぞっとするほど冷たい。鼓動があるのかどうかもわからない。もしかしたら、本当にもうだめなのかも知れない。だがここであきらめたら、私は医者の看板を下ろさなければならなくなる。何か、必ず出来ることが何かあるはずだ。
 
「わかりました。クリス!行くぞ!」
 
 先頭をユーリクが走り出した。背後の戦闘はまだ続いている。
 
「逃がすな!追え!」
 
 頭の男が叫んだ。
 
「ユーリク!そこの人!アスランを頼むぞ!」
 
「わかりました!クロムさん達も無理はしないで!」
 
 さっきの声はクロムだったのか。
 
「クロム!私だ!カインの父親だ!アスランは私が預かる!君達も無理はするな!」
 
「クロービスさん!?」
 
 この声はフィリスだ。
 
「わかりました!アスランをお願いします!おらおらおらおらぁ!貴様らの相手はこっちだぁ!よそ見してるとパンツの紐を切っちまうぞぉ!」
 
 威勢のいいクロムの怒鳴り声を後に、私達は東門に向かって走った。鎧越しでさえ、アスランの体の冷たさが伝わってくる。息も感じられない。
 
(くそ!もう少し早く駆けつけていれば・・・!)
 
 目の前で命が失われようとしているのに、今私に出来るのは彼を背負って王宮へと向かうことだけだ。早く、一刻も早く王宮へ。驚いている東門の門番に、ユーリクが叫んだ。
 
「ユーリク・ベルスタインです!怪我人を王宮に運ぶので通ります!」
 
「了解しました!人混みには気をつけてください!」
 
 私達は門から町の中へ飛び込んだ。町の中はもう人であふれかえっている。芝居小屋や見せ物小屋の興行が一段落して、ちょうど客が出てきたばかりらしい。みんな商業地区の広場で買い物をしようとやってきたようだ。
 
「僕が道を作ります。ついてきてください!」
 
 ユーリクは人混みの中にほんの小さな隙間を見つけては、そこにすいすいと入り込んでいく。なるほど、これほど大量に人がいても、不思議と人一人が通れる程度の隙間はあるものだ。
 
「クリス!ついてきてるか!?」
 
 ユーリクが振り向かずに叫んだ。
 
「大丈夫よ!わたくしどんなところにだってついて行きます!」
 
「ウィロー、イルサ、大丈夫か!?」
 
 私も振り向かずに叫んだ。この状態では振り向こうとすれば立ち止まるしかない。だがそんな余裕は残ってないのだ。
 
「大丈夫よ!イルサもついてきてるわ!」
 
「私も大丈夫よ!それよりアスランはどう!?大丈夫なの!?」
 
「わからない!とにかく王宮に急ごう!」
 
 本当はもう、背負っているのがアスランの『骸』であるとわかっていた。鼓動も息も、生きている証であるぬくもりも、何一つ感じられない。ここから彼を救うことが出来るとすれば、妻の使える蘇生の呪文以外にない。出血がひどいとこの呪文は使えないが、イルサのドレスについた血の量を見る限り、それほどひどくはなかったようだ。背負ったアスランの背中には、まだ細く長めのダガーが突き刺さっている。このダガーが栓の役目をして、出血を防いでくれていたのだろうか。あるいはイルサが血止めの呪文を使ったか・・・。だが、血は止まっていても、このダガーは彼の内蔵を傷つけている。果たしてそれがどの程度なのかだ。おぶったときに、鎧の背あてにカチンと当たるものがあった。それがダガーの切っ先だとすれば、アスランはおそらく、背中から串刺しにされたのだ。蘇生させるのなら、まずは彼の命を奪った原因であろう内臓の損傷を何とかしてからでないと、呪文の効果は得られない。ではこの状態で果たして治療術が効くのかどうかとなると、それについては何とも言えないというのが正直なところだった。
 
「もうすぐ王宮への道に出ます!あとは一本道ですから、もう少しです!」
 
 ユーリクが叫んだ。道に出る前、セディンさんの店の前を通ったが、不思議と明かりが消えていた。今夜はフローラがいないから店番だとシャロンは言っていたが、もしかしたらエルガートと一緒に出掛けたのだろうか。
 
(いや・・・今は他のことは考えるな!)
 
 私は自分を叱咤し、王宮への道を走った。この道だけは人通りが少ない。王宮に通じる道なので、通行を制限しているらしい。よけいなことを考えまいとするのに、走りながら、ずっと昔の忌まわしい思い出が脳裏によみがえってくる。20年前、こんな風に冷たい体を背負って、私と妻は泣きながらムーンシェイの集落への道を歩いていた。あの時私には何も出来なかった。ただカインが死にゆくのを黙って見ていることしか・・・。唯一出来たことは、せめてカインの体をきちんと埋葬してやることだけだった。アスランの命を救うことが出来なければ、あの日の私と同じ思いをするのは、私の息子なのだ。友達になれそうだと、とてもいいやつなんだと、息子は言っていたじゃないか!私も会うのを楽しみにしていた。私はアスランの顔さえも知らないのだ。なんとか・・・なんとか助けたい!がんばってくれ!
 
「こんなときに失礼ですけれど、あなたはどう言う方ですの?母のお知り合いですのよね?」
 
 私の隣を走るクリスティーナという娘が、話しかけてきた。
 
「君達の母上とは、昔王国剣士時代に世話になったんだ。今は北の島で医者をしているクロービスという者だ。後ろにいるのが妻のウィロー、襲われていたのは私の友人の娘さんでイルサだよ。君達はアスランを知っているようだけど、彼の相方のカインは知っているのかい?」
 
「ええ存じてますわ。とても楽しい方ですわね。」
 
 楽しいか・・・。まあ確かに、場を和ませるのは得意なんだが・・・。
 
「そのカインが私の息子だ。もっとも、あそこで襲われていたのがイルサとアスランだったなんて、ものすごい偶然だけどね。」
 
「まあ、カインさんのお父様とお母様でしたの!それではあとで落ち着いたら、改めてご挨拶させていただきますわ。今はとにかく王宮に向かわなければなりませんわね。」
 
「君達の母上は王宮にいるのかい?」
 
「この時間ですとわかりません。もしかしたら父と一緒に巡回に出ているかも知れませんわ。今日は兄と二人で祭り見物に出たところでしたの。空が晴れているのに稲妻と落雷のような音が聞こえたので、近くを歩いていたクロムさん達と様子を見に行ったんですのよ。」
 
「君達のおかげで助かったよ。あのままでは今ここを走っていられたかどうか・・。」
 
 その時前を走っていたユーリクが立ち止まった。そこは王宮の玄関口の前だった。
 
「王宮に着きました!僕が門番に話します。クロービスさん、いえ、先生ですね。ご高名はうかがっております。クリス、お前は先生を医師会の診療所にご案内して!僕は母上と剣士団長を捜してこのことを知らせる!」
 
「わかりました!」
 
 クリスティーナがうなずいた。
 
「お待ちください!こんな時間に王宮に何のご用ですか!?」
 
 門番が私達の前に立ちはだかった。
 
「僕です。ユーリク・ベルスタインです!アスランが怪我をしたので連れてきました。一刻を争うんです。通してください!」
 
「アスランが!?しかし・・怪我程度なら自分で・・・。」
 
 門番の剣士はどうしたものかと思案している。こんなところで時間をとられるわけにはいかない。
 
「自分で治せるくらいなら背負ってきたりしないんだ!一刻を争うんだからさっさと通してくれ!」
 
 私は門番に向かって怒鳴った。
 
「あ、あなたは何者です!?」
 
 門番の態度が変わった。明らかに私を疑っている。
 
「この方の身分は僕が保証します!問題が起きたならベルスタイン家にお越しください!早く!通してください!」
 
 さすがにユーリクもいらだって叫んだ。
 
「し、しかし、ここはフロリア様のお住まいがある場所です。どこの何者かわからない方を通すわけには・・・。」
 
 まあ彼らの役目を考えたら、ここで『はいそうですか』と通せないのはわかるが、怪我なら自分で治せるとはあまりにも認識が甘すぎる。城下町に来たときの西門の門番も似たようなことを言っていた。瀕死になるような怪我など、彼らにとってはおそらく『あり得ないこと』なのだ。当然そんな危険な目に遭ったこともないに違いない。どうも危機に対する心構えが甘い。後でオシニスさんに文句を言っておこう。それはともかく、今ここでグズグズしていられない。私は深呼吸して自分を落ち着かせた。
 
「わかった。私が背負っているのが王国剣士のアスランだと証明できればいいわけだね?」
 
「アスランが怪我をしたのが本当なら、お通しします。しかしこの状態では・・・。」
 
 アスランの体はマントで顔までくるまれている。背中に刺さったダガーを隠すためと、出来る限り体温の低下を防いで、少しでも蘇生の可能性を残すためだ。
 
「わかった。ではマントを少しどけて顔を見てやってくれ。君達がいつまでも私を通してくれなければ、彼の顔を見るのもこれが最期になるからね。」
 
「・・・・・・。」
 
 門番はマントをめくり、アスランの顔を見た途端
 
「ひっ!」
 
と叫んで後ずさった。
 
「ど、ど、どうして・・・こ、こんなことに・・・。」
 
「それはあとで説明してやる。通すのか通さないのかどっちだ!?」
 
「と、通しますが、あなたは何者なんですか!?」
 
「私が何者か知りたいなら、剣士団長に『クロービスが来た』と伝えてくれ!それでいいだろう!通るぞ!」
 
 私はもたもたと思案している門番を押しのけてロビーに飛び込んだ。
 

第53章へ続く

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