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第52章 襲撃

 
 セディンさんの店の前から、『我が故郷亭』までは一直線だ。私達は一度宿屋に戻ることにした。もうお昼時になる。商業地区の広場に戻って屋台で食べるというのもいいが、ここからまたあそこまで戻るのはさすがに疲れそうだ。そう思って宿屋に戻ってみたのだが、中はすでに大混雑だった。
 
「よぉ、お帰り!メシなら部屋に運んでやるぜ!」
 
 老マスターは叫びながら、山のような空のトレイを厨房へと運び込んでいる。今日はロージーもフロアに出て、おいしそうな食事が乗ったトレイをいくつもまとめて持ち、器用にひとつずつテーブルに乗せて行く。そして笑顔も忘れない。この娘はなかなか客商売に向いているようだ。
 
「部屋に戻って待っていてくれ!すぐに運んでやるよ!」
 
 ラドがビールのたっぷりと入った大きなジョッキをいくつもカウンターにおきながら、私達に向かって叫んだ。その間にもノルティが大きな手でまとめてジョッキを持ち上げ、テーブルへと運んでいく。今は祭りだからなのか、昼食をとる客に加えて昼からビールを飲む客がいる分、夜よりも忙しいかも知れない。
 
『おい!こっちにもビールだ!』
 
『時間がないんだ!早くメシを運んでくれ!』
 
『おい勘定!』
 
 ひっきりなしに声が飛びかい、フロアは目が回るような忙しさだ。
 
「部屋にいるから、あとでもいいよ。」
 
 ざっと見渡した限り空いているテーブルはない。だがここに立っていては邪魔になりそうなので、私達は早々に部屋へと戻った。
 
「すごい繁盛ぶりねぇ。」
 
 部屋に戻るなり、妻がつぶやいた。
 
「そうだね。なんだか戻ってきて申し訳なかったような気がするな。」
 
「やっぱり外の屋台ででも食べればよかったかしらね。」
 
「でも今から出て行くのも・・・」
 
 私が言い終わらないうちに、どたどたと廊下を走る音が聞こえ、扉がノックされた。
 
「メシを持ってきたぜ!」
 
 老マスターの声だ。扉を開けた途端に香ばしい香りが漂ってくる。
 
「あとでもよかったのに。忙しいんじゃない?」
 
「そんなことはないぜ。うちではどの客も平等に扱うのがモットーなんだ。だから飲みに来る客も飯を食いに来る客も泊まりに来る客もみんなおんなじさ。昼飯は昼時に食わなきゃな。不規則な食事は不健康の元だ!さあ、『我が故郷亭』特製のランチだ。よーく味わって食ってくれよ!」
 
 老マスターは笑顔で言って出ていった。テーブルの上にはボリュームたっぷりのランチが並べられている。味もなかなかだ。
 
「う〜ん、おいしい。今日のお昼もロージーが作ったのかしらね。」
 
「どうなのかな・・・。さっきはフロアにいたみたいだから、作ったとしても仕込みの段階だけなんじゃないかな。ラドはカウンターにいたし、ノルティとマスターもフロアにいたんだから、多分厨房にいるのはミーファだけだと思うよ。もっともこの時間だけ誰かを雇っていれば別だろうけどね。」
 
「そうね。でも特製ランチと言うだけのことはあるわよね。ほんと、おいしい。」
 
 妻はにこにこ顔だ。
 
「特製か・・・。ここの食事は朝昼晩全部特製だけど、看板に偽り無し、だね。」
 
「そうよねぇ・・・。あ〜幸せ。毎日こんなにおいしいものが食べられるなんて、本当に来てよかったわ。」
 
 ずっと昔、初めてこの店に入った時から、『特製』以外の食事が出てきたことはない。それは別に単なる宣伝文句や誇大広告と言うことではなく、本当に心を込めて作っているから自信を持って特製と言い切れるということなんだろうと思う。剣士団に入ってからはほとんど訪ねる機会もなく、あのあとこの店を訪れたのは南大陸から戻ってきた時だった。そしてその次は・・・。カインの死の知らせを聞かされたときの、マスターとラドの悲嘆ぶりが脳裏によみがえり、少し気分が悪くなった。せっかく上機嫌の妻に心配をかけたくない。気づかれないようにしないと・・・。
 
「ねぇ、午後から少し部屋で休んでおかない?」
 
 食べ終わってすっかり満足した風の妻は、何となく眠そうに見える。
 
「夜の見物に備えるの?」
 
「そうよ。夜遊びに出かけるなんて、なんだか楽しいじゃない?」
 
「そうか。それもいいね。それじゃ食べ終わったら一眠りしておこうか。」
 
 妻が笑顔でうなずいた。遊ぶために夜出掛けるなんて初めてのことかも知れない。島では夜遊びに出かけたくとも遊ぶ場所がない。そもそも夜は一番急患の出る時間帯だったので、夜出掛けると言うこと自体めったになかった。でもライザーさんの家には何度も行っている。二人の時も子供が生まれてからも、何度も食事会を開いたり、ガーデンパーティーをしたりしている。島の人達も、私達が家にいなければライザーさんの家にいるだろうとわかっていたので、妻と私にとって、ライザーさんの家は唯一、夜でも気軽に出かけられる場所だった。それは今も変わっていない。
 
 
 食事を終えて、すっかり満腹になってみると、寝るつもりがなくても眠くなる。着替えまではしないで、少し休むつもりでベッドに寝ころんだ。眠気でぼんやりした頭の中で、セディンさんの店での会話がぐるぐると踊っている。あまり気が利くとは言えず、どちらかというとおっちょこちょいの部類に入りそうなフローラだが、カインを大事に思ってくれている気持ちは伝わってくる。あの娘が他の男に心を移しでもしない限り、結婚までこぎ着けられるかどうかはカイン次第だろう。シャロンのほうは、エルガートと恋人同士と言うところまでは行ってなさそうな気がする。何気ない二人の会話の中に、シャロンが遠慮しているような印象を受けたのは私だけではないと思う。あとで起きたら妻にも聞いてみようか・・・。娘達はそれぞれ幸せをつかめそうなところまで来ているようだが、セディンさんはどうなのだろう。まだまだ若いのに、あんなに弱ってしまって・・・。本当にあの薬が何かよくないものなのか・・・。
 
「薬・・・?」
 
 黒い薬草のかけらを思い出し、眠気がいっぺんに吹き飛んで私は飛び起きた。
 
「どうしたの?」
 
 妻が怪訝そうに見ている。
 
「薬だよ。さっきフローラから預かった・・・。」
 
「あ!そういえば!今見たらわかるわよね!?」
 
 妻も飛び起きた。
 
「どうかな・・・。とにかく明るいところでもう少し見てみるよ。」
 
 壁に掛けた上着のポケットを探り、フローラから預かった『薬草』のかけらを取り出した。窓辺の明るい場所に移動してよくよく見てみたが、やはり色は真っ黒だ。さっきセディンさんの部屋で受け取ったとき黒く見えたのは、あの部屋の薄暗さのせいばかりではなかったらしい。おそらくあの時フローラは、シャロンの目を盗んで、急いでこの薬草をポケットにしまい込んだのだろう。かけらばかりで元の形がわかるほど大きなものはない。後は匂いで判断するしかなさそうだ。鼻を近づけて匂いをかいでみたが・・・これは・・・。
 
「・・・どう・・・?」
 
 妻は不安げに私を見上げている。
 
「・・・これは・・・薬じゃないよ。」
 
「どういうこと!?」
 
「正確に言えば、病気を治すことが目的の薬草ではないと言うことさ。」
 
「まさか・・・毒!?」
 
「毒ではないけどね・・・・。」
 
 これがなんなのかはわかったが、それを口に出すのがためらわれて、私は思わず言葉を濁した。
 
「はっきり言ってよ。わからないわ!」
 
 妻が口をとがらせた。
 
「ごめん・・・。これは、麻薬の一種だよ。」
 
「う、嘘!?そんな・・・。」
 
 妻は呆然としている。一般には絶対に出回らない薬草だが、医者に限っては扱うことが出来る。だがこんなものを必要とするのは、病気でもう助からない患者だけだ。せめて死ぬまでの間は痛みで苦しまなくてすむようにと、投薬することはある。つまり患者が近いうちに死ぬことが前提になるので、私自身は使ったことはない。
 
「嘘だったらいいんだけどね、セディンさんの病気が最初よくなったのに、だんだん前より悪くなっていったというのが引っかかっていたんだけど、これが麻薬ならわかるよ。飲み始めたときは痛みも和らげてくれるし、目覚めも爽快になったように感じるんだ。でも本当は少しずつ体の中をむしばんで、やがてはこれなしではいられないようになる、とにかくこれは、治すための薬と呼べるようなものじゃない。」
 
「それじゃ・・・セディンさんは中毒になってるってこと?」
 
「さっきの状態を見る限りではそこまでは行ってないと思うけど・・・今のままでは時間の問題だと思うよ。」
 
「そうね・・・。でもこのお薬を持ってきてくれるお客さんて、もしかしたらフローラが言っていた気味の悪い客のことじゃない?確か2ヶ月ほど前に来て、それからずっと取引してくれているとか。もしも飲み始めたのがその頃からなら・・・そろそろ中毒になり始める頃じゃないかと思うんだけど・・・。それとももっとかかるのかしら。」
 
「そうだなぁ・・・。確かにその薬草の仲買人とか言う客とフローラが言っていた客というのは、同じと考えて間違いないだろうな。2ヶ月というのは微妙な時期だから・・・もしかすると・・・。」
 
 この手の薬を2ヶ月の間朝昼晩と飲み続ければ、多少なりとも中毒症状が出てもおかしくない。だが、さっきシャロンが薬の時間だと言って部屋を出たあとも、セディンさんの状態は変わらなかったし、薬を飲むときも苦そうに顔をしかめていた。今のところ、中毒症状は出ていないと思っていいだろう。となると考えられるのは、町の医者が出している薬の中に、この麻薬の毒性を打ち消すような効果を持つものが存在するのかもしれないということだ。
 
「ウィロー、この町の診療所に行ってみないか?」
 
「セディンさんがかかっているところ?」
 
「うん。その診療所で出している薬の中身を知りたいんだ。もしも信頼できそうな先生だったら、この薬のことも聞いてみるつもりだよ。」
 
「なるほどね、でもどこだかわからないのに、どうするの?」
 
「ラドかマスターに聞くさ。よし、それじゃ、昼の客がひくまで少し休もう。それから降りていけば迷惑もかからないだろうし。」
 
「そうね。」
 
 それからしばらくの間、私達はさっきのようにベッドに寝転がってしばらく目を閉じていた。眠気はすっかり飛んでしまっていたので、眠ってしまう心配はない。どのくらい過ぎたのか、廊下を歩く音が聞こえ、扉がノックされた。
 
「失礼します。器を下げにうかがいました。」
 
 丁寧な声はノルティだ。私達は扉を開けて、食器を渡した。
 
「ごちそうさま、とてもおいしかったよ。」
 
「ありがとうございます。あの・・・今日の夜は祭り見物のご予定はおありですか?」
 
 ノルティは少し遠慮がちにそう尋ねてきた。
 
「今日の夜は見て回ろうと思ってるよ。大規模な芝居小屋や見せ物小屋はみんな街の外にあるそうだから、楽しみにしているんだ。一晩で全部見るのは難しいんだろうね。」
 
「そうですねぇ・・・。かなり数がありますから・・・。」
 
「おすすめはあるかい?もっとも君はずっとここで働いているんだろうから、よくは知らないかな。」
 
「おすすめと言うことでもないんですが・・・よろしかったらこれを・・・。」
 
 ノルティがやっぱり遠慮がちに差し出したのは、芝居の券だった。
 
「これは・・・。」
 
「あの・・・実は僕が芝居に出ることになっているので・・・よろしければと思いまして・・・。」
 
 ノルティは少し照れくさそうだ。それでさっきから何となく遠慮がちに話していたのか。
 
「ほお、君は役者だったのか。」
 
「まだまだ駆け出しです。今回の祭りは劇団の腕試しのようなもので、比較的若手をたくさん起用してくれるんです。劇場での本公演には僕はまだまだ出してもらえそうにないんですが、今回の芝居でがんばれば、もしかしたら端役程度はもらえるかも知れないんです。」
 
「君はいくつだい?」
 
「もうすぐ19歳です。学校を出てから、両親は長男の僕に宿屋を継いでほしかったらしいですけど、僕はどうしても役者になりたくて、無理を言って劇団の養成学校に入れてもらったんです。」
 
「学校というのは何年間行かなくちゃならないんだい?」
 
「学校は2年間です。演技の基礎的なことから、体力作りのためにランニングをしたりします。・・・もしかしてどなたか役者を目指してるとか?」
 
 ノルティが不思議そうに尋ねた。ここまでしつこく聞けば確かに疑問を持つだろう。別に隠すことは何もない。ここは一つ、シンスのためにいろいろ聞いておくことにした。
 
「友人の息子さんが役者志望でね。今17歳なんだけど、今からでもその学校には入れるのかな。」
 
「年齢に制限はないですよ。僕の同期にも30歳くらいの方もいましたし。でもある程度の年齢になると、考え方とか価値観が固まってくるから、なかなか大変だってことは聞いたことがあります。それに、実を言うと僕は今回初めて祭りの公演に出してもらえることになりましたけど、もう10年くらい祭りにしか出してもらえない人もいるんですよ。それでもその人は来年こそはって言いながら毎日がんばってますけど、いつまでも本公演に出してもらえなくて、辞めていった人達もたくさんいます。」
 
「・・・なるほどね。がんばったから必ず芽が出るとは限らないわけだ。」
 
「そうですね・・・。この間も、今まで祭りの公演にしか出してもらえず、今年はそれにも選ばれなかった人が3人ほど辞めていきました。劇団の演出家達も『気の毒だけど実力が伴わない者を出せば劇団自体の価値が下がってしまう』って、後味が悪そうでしたね・・・。」
 
「そうか・・・。実力の世界だから仕方ないんだろうね。それじゃ、この券はありがたくいただくよ。どのあたりで興行しているんだい?」
 
「そうですね・・・。南門から出てすぐに大きなテントが3つほどあるんですが、その一番左側です。」
 
「わかった。それと、君の出た学校なんだけど、そこの劇団が運営している学校なんだね?」
 
「はい。うちの劇団は、演劇好きの貴族達が何人かお金を出し合って作られた劇団なので、学校もその方達が出資しておられます。なんでも本当は王立の劇団と養成学校を作りたかったらしいんですが、ものになるかどうかもわからないと、その時点では許可が下りなかったそうなので、実績を作っていずれは王国に運営を委譲したい考えのようですよ。」
 
「ふぅん・・・。今の時期は学校はやっているのかな。出来れば案内書がほしかったんだけど。」
 
「祭りでも学校は関係なしです。王宮に隣接する貴族達のお屋敷がある一角の外れに学校が建ってますので、そちらの受付に話せばすぐにもらえると思いますよ。一人でも優秀な生徒を集めて、未来の大スターを生み出すのが学校の目標ですから。」
 
「なるほど、大スターか。ありがとう。今日の夜は楽しみにしているから、がんばってくれよ。」
 
「ありがとうございます。お待ちしています。」
 
「あ、それともう一つ、この近くに診療所はあるかい?」
 
「この店の2本ほど裏の通りにありますが、どうかされたんですか?」
 
 ノルティが少し顔を曇らせた。
 
「いや、包帯などの医療用具を手に入れるのに、どこかに専門店があるか聞こうと思ったんだけど、君は知らないよね?」
 
「そうですねぇ。専門店となると、僕らにはわからないですね。診療所はデイランド診療所と言います。先生の名前も同じですから。僕も小さい頃は風邪をひくたびにお世話になりました。とてもいい先生ですよ。パッと見たところ熊みたいなんですけどね。」
 
「く、くま?」
 
 思わず聞き返した私に、ノルティはいたずらっぽい笑みを見せて肩をすくめた。
 
「はい。背の高さは・・・そうですねぇ、お客さんと変わらないくらいだと思いますけど、なんて言うのかな、体つきががっしりしていて顔も半分ひげで隠れているので、なんだか熊みたいに見えるんです。」
 
「ははは。そうか、いろいろありがとう。引き留めてすまなかったね。」
 
「とんでもない、お役に立てたなら何よりです。では失礼します。」
 
 ノルティは笑顔で頭を下げて、食器を持って出て行った。
 
「さてと・・・これでシンスへの手みやげは出来たね。」
 
「ふふふ・・・そうね。でもかなりの努力と運に恵まれないと、相当難しそうね。シンスが地道な努力をずっと続けられればいいんだけど。」
 
 妻の口調は何となく『シンスには無理かもねぇ』と言ってるように聞こえる。
 
「そうだなぁ・・・。問題はそこだね、やっぱり。」
 
 どうやら想像以上に役者への道は厳しいらしい。『地道な努力』という言葉とはどうにも縁遠いような気がするシンスが、果たしてどこまでがんばれるのだろうか。
 
「それじゃあとで忘れないように案内書をもらってくることにして、まずはその診療所だね。」
 
「そうね。でも・・・ふふふ・・・うまい聞き方したわねぇ。専門店だなんて。」
 
「ははは。どこも悪くないのに医者の場所を尋ねるにはそれがいいかなと思ったんだ。」
 
「でもノルティが専門店の場所を知っていたらどうするつもりだったの?」
 
「そしたらその店に行って診療所の場所を聞くさ。こちらも医者なんだから、理由は何とでもつけられるしね。」
 
「なるほどね。それじゃ行きましょうか。」
 
「そうだね。」
 
 
 階下のフロアでは、昼の喧噪が大分おさまっていた。ビールで景気づけをしていたらしい団体はみんな祭りに繰り出していったようだし、昼食の客はとうに引けている。ロージーがテーブルの上を拭きながら、食器を片付けていた。ノルティの姿が見えないところを見ると、彼はもう夜の公演の準備で出掛けたのだろう。カウンターにいたラドに出掛けてくることを伝え、もしも遅くなるようならそのまままっすぐ夜の祭り見物に出掛けるからと伝えた。
 
「ノルティの奴が券を渡したって言ってたけど、もしも見てくれたら、ありのままの評価を聞かせてやってくれないか。間違っても、心にもないことを言って持ち上げたりしないでくれよ。ムシのいい頼みだとは思うけど、あいつのためにならないようなことはしてほしくないんだ。」
 
「わかったよ。しっかり見てくるからね。」
 
「ああ、頼むよ。俺も1回くらい行きたいところなんだが、この時期はさすがに俺がいないと店がまわらないからな。」
 
 ラドだってきっと息子の初舞台を心配しているに違いない。演劇にはあまり詳しくないが、それでもしっかりと見てこよう。
 
 
 
 
 外の通りは、午前中より大分人通りが少なくなっていた。
 
「人通りも一段落ってところかしら。」
 
「そうだね。今頃の時間帯だと、みんなそれぞれ見たいところを廻っているんだろうな。」
 
「歩きやすくていいわね。えーと、この店の2本裏の通りだったわよね?」
 
「うん。行ってみようか。」
 
 
 ノルティに聞いたとおりに歩いていくと、すぐに診療所の看板が見えてきた。歓楽街の一歩手前の場所だ。夜はさぞ賑やかなことだろう。このあたりは昔何度か歩いたことがあるが、ここに診療所があったという記憶はない。私がこの町を出てから開業したのなら、ここの医師はそんなに歳をとっていないのかもしれない。でもその割には看板が古ぼけているような気がする。あまり儲けているとは言えないようだ。本来医者と『儲ける』という言葉との取り合わせは実に危険だ。普通に診察しているだけでは、とりあえず食べるには困らないかなという程度のお金しか入らない。どうやらここの先生は、誠実ないい先生のようだ。
 
「セディンさんもここに通ってるのよね。」
 
「そこまではわからないなあ。まあ近くだから可能性は高そうだけどね。」
 
「それじゃ違ってたらどうするの?」
 
「また別な診療所の場所を聞いて訪ね歩くさ。」
 
 妻が笑い出した。
 
「あなたらしいわね。まあいいわ。とにかく聞いてみてからよね。」
 
「そういうこと。」
 
 シャロンかフローラに聞けばどこの診療所に通っているかわかるのだろうけど、単に病状を聞くだけなら、本人に聞けばすむことなのにと思われるだろう。シャロンに不審がられるわけにはいかない。
 
「こんにちは。」
 
 診療所に入ると、中は静まりかえっている。患者はいないようだ。今日あたりはよほどの急病でもない限り、医者にかかりに来る人なんていないのかもしれない。そう言えば島に大道芸の一座が来たときなどは、来てもらわなければ困る患者までが診療所には来ず、興行を一日中見ていたなんてことが何度もあった。どこも同じなんだろう。今の私達には、かえって都合がいい。
 
「はい、どうされました?」
 
 受付には女性が座っていて、笑顔で声をかけてくれた。
 
「こちらの先生はいらっしゃいますか?」
 
「はい、おりますが・・・どちら様でしょうか?」
 
 受付の女性は怪訝そうに私達を見ている。私はまず、雑貨屋のセディンさんがここに通っているかどうか尋ねた。思った通り受付の女性は『患者さんのことには答えられない』と言ったが、私は自分の名前と職業を伝え、久しぶりに再会したセディンさんが寝込むほどに弱っていたのでとても心配している、もしここに通っているのなら、どんな病状なのかだけでも教えてもらえないかと頼み込んだ。同業者が自分の患者の病状を知りたがるなど、あまり気分のいいものではないと思う医師もいるだろう。いやな顔をされるかと思ったが、受付の女性は笑顔を崩さず『少しお待ちください』と言って席を外した。しばらくしてバン!と派手な音を立てて診療室の扉が開き、体の大きな男性が満面の笑みで顔を出した。
 
「いらっしゃいませ!さあどうぞお入りください!」
 
 どうやら歓迎されているらしい。きっとこの医師には私の名前に聞き覚えがあるのだろう。今回ばかりは自分の名前が知れ渡っていることに感謝したい気分だった。
 
 
「お忙しいところ申し訳ありません。」
 
 私達は診療室に入り、改めて名乗った。
 
「いやいやとんでもありません。しかし・・・感無量ですなぁ・・・・。あの麻酔薬の開発者の先生とこうして直にお話が出来るなどとは・・・。」
 
 医師は笑顔で私と握手をし、続いて妻にも手を差し出した。
 
「いやぁ、お美しい奥様ですなぁ。確かすばらしい呪文の使い手とか。この診療所を運営しております、デイランドと申します。以後お見知りおきください。」
 
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします。」
 
 妻は何となく楽しそうだ。にこにこと愛想のいいこの医師が、ノルティの言ったとおりの風貌をしていたからかも知れない。背の高さは私とそんなに変わらないが、がっしりとした体つきでたくましい。口ひげとあごひげを生やしているので、なるほど『顔半分がひげ』に見える。確かに、ぱっと見たところ熊のように見えてしまうかも知れない。だが彼の笑顔には邪気がない。遠目に姿形だけを見たら怖そうに見えるかもしれないが、ノルティが言っていたように、きっととてもいい先生なのだろう。
 
「雑貨屋の親父さんの病状でしたな?さあ、何なりとお聞きください。」
 
「ありがとうございます。私はセディンさんとは昔なじみなんですが、久しぶりに訪ねたらかなり弱っているようなので、どんな具合なのかと思いまして。」
 
「う〜〜〜む・・・そうですなぁ・・・・。」
 
 デイランド先生は、難しい顔で腕を組んで考え込んだ。
 
「私もあの親父さんを昔から知っているんですよ。あの場所に店を構えた頃は、なかなか固定客がつかなくて苦労していたのを覚えています。その後王国剣士が出入りするようになって、剣士団の出入り業者になれてからはだいぶよくなっては来たようなんですが、それまでの無理がたたったんでしょうなぁ。おかみさんが風邪をこじらせてあっけなく亡くなってしまって、それで娘のシャロンがあわてて父親をうちに引きずってきたんですよ。どこか悪いところはないか検査してくれって。」
 
「そうだったんですか・・・。」
 
「いやあの時のシャロンの剣幕の凄まじかったこと。診療所まで来ても親父さんは『どこも悪いところなんてない。お前達を嫁に出すまでがんばらなくちゃ。』って言って帰ろうとしていたんですが、シャロンが『父さんの命を縮めてまで嫁になんて行きたくない』って怒鳴って泣いて・・・やっと親父さんも検査を受ける気になったようですよ。シャロンはいい娘ですな。いつも妹を優先させてしまって自分は店番ばかりしていたので、いくら店が心配でもそろそろ嫁入り先を見つけないとなあ、なんて心配していたんですが、最近はいい人が出来たようなので、一安心と言うところです。」
 
 エルガートとシャロンの仲は、本人達の思惑はともかく、傍目には仲のいい恋人同士に見えているらしい。
 
「そのようですね。私も先ほど会いましたよ。」
 
「ほぉ、そうですか。なかなかいい青年でしょう?王国剣士としてもベテランの域に達しているし、あの男なら安心してシャロンを任せられるというものです。・・・おっと、シャロンの話ばかりしゃべりすぎました。申し訳ない。親父さんの病状でしたな。まあそんなわけで不承不承、親父さんは検査を受けてくれたんですが、特に『ここが悪い』と言うところは、その時点では確かになかったんです。ただ、内蔵がだいぶ弱っていて・・・何かちょっとした病気、たとえばおかみさんのように風邪をひいただけでもひどくなる可能性が高いから、体力増強と、弱っている内臓を強くするための薬を飲み始めたのが・・・そうですね・・・おかみさんが亡くなって、少ししてからですから・・・もう10年近く前になりますか。」
 
「ではそれからずっとあの薬を・・・?」
 
「いえ、半年ほど飲んで、一度はよくなってきたんですよ。ただ、あの親父さんのことですからな、よくなっては無茶をしてまたシャロンがここまで追い立ててくるの繰り返しでした。今飲んでいる薬は・・・そうですなぁ・・・1年ほど前からになりますか。」
 
「今飲んでいる薬と、昔最初に飲み始めた薬というのは同じなんですか?」
 
「多少は変わっています。なんと言っても最初の頃とは年齢が違いますから、薬品は強すぎて使えませんね。自然治癒力も歳とともにあてに出来なくなりますから、今処方しているのは、出来るだけ内臓、特に胃に負担をかけないような刺激の弱い薬草ばかりです。それを、高温で一気に煮出すのではなく、弱火で沸騰させたまま少し煮込むようにして煎じてくれと伝えてあります。」
 
「そうですか・・・。あの・・・大変ぶしつけなお願いなんですが・・・・。」
 
 私は思い切って、セディンさんに処方している薬のレシピを教えてもらえるよう頼んでみた。もちろん断られても文句は言えないと思ったが、デイランド先生は快く応じてくれ、今診療所においてある薬草も出してきて見せてくれた。
 
「すみません、図々しいことをお願いして。」
 
「とんでもない。このくらいのことはお安いご用です。世の中には自分の薬のレシピを出し惜しみする輩がいますが、私は反対です。医師は人の命を救うのが仕事ですからな。医師同士が連携していろいろと情報交換をしていかないと、いつまで経っても医学の発展などあり得ないと思っとるのです。さてと、さあどうぞ。これがセディンの親父さんの処方箋と、使用している薬草類です。」
 
 テーブルの上に並べられた薬草は、どれも管理が行き届いており、かびくさくなったり変色していたりするものは一つもない。私は処方箋を見ながら一つずつ手に取り、頭の中でそれぞれの薬草の効能を思い出していた。単独ではそれほど『効果てきめん』というほど効くものは入っていない。どれもありふれた薬草ばかりだ。だが、この組み合わせが絶妙だった。これならば内臓の弱った患者の体力増強にはもってこいだし、体に負担をかけずに解毒もしてくれる。セディンさんが二ヶ月もの間麻薬を飲み続けても全く正気を保っていられるのは、まさにこの薬のおかげだったのだ。
 
「あの・・・何かおかしいところがありますか?組み合わせが間違ってるとかよくないとか・・・。」
 
 デイランド先生は不安げに、薬草を手に取ったまま黙り込んでいる私の顔をのぞき込んだ。
 
「とんでもない。この組み合わせは絶妙ですよ。参考にさせていただいてもいいですか?」
 
「先生がですか?」
 
 デイランド先生は目を丸くして私を見た。
 
「はい。私の住む島には老人が多いんですよ。自分に都合のいいときだけ年寄りになるような元気な人達ばかりなんですが、気持ちがいくら若くても体力はいずれ追いつかなくなりますからね。」
 
「わぁっはっはっは!都合のいいときだけ年寄りですか。なかなか元気な方々がたくさんいらっしゃるようですなぁ。」
 
 大きな口を開けて笑うその姿は・・・やっぱり熊みたいだ。でも本物の獰猛な熊じゃなく、おとぎ話に出てくるような、優しい熊だ。
 
「まったくです。いつまでもそのくらい元気でいてほしいですからね。この組み合わせだと、そんなに高価な薬草はないようですから、飲み続けるにはちょうどいいでしょうね。」
 
「う〜ん・・・それなんですが・・・。」
 
 デイランド先生の顔が曇った。
 
「どうなさったんですか?」
 
「いや・・・確かに先生のおっしゃるとおり、この薬草はみんなありふれたものばかりだし一年中手に入るものなので、高いものではないんです。本来ならね。」
 
「・・・本来なら・・・?」
 
「最近は・・・そうですね・・・これと・・・これと、これ・・・かな・・・。この種類の薬草が値上がりしてるんですよ。うちの場合ストックが充分なので、今のところは以前と同じ価格で処方できるんですが、これ以上上がると、補充するときにバカ高い値段で買う羽目になるかもしれないんです。」
 
 デイランド先生が指さした薬草のうち、2種類はうちの島で栽培しているものだった。ある程度気温が低い場所であれば育てることはそんなに難しくなかったために、かなり早い段階で栽培に成功したものの一つだ。島の中の何箇所かに畑を作り、季節によって栽培個所を変えることで、一年を通じて安定供給が可能になっているし、ここ数年は天候にも恵まれているので値上がりする理由はどこにもないはずなのだが・・・。
 
「どういうことですか?この薬草は、全部どこででも手に入るものですよね?私も昔旅するときは荷物に何束か入れておきましたよ。疲れたときに飲んだりするのにちょうどいいんですよね。」
 
「そう言えば、クロービス先生は昔、王国剣士であられたのでしたな。」
 
「ええ、本当にずっと昔の、若いときの話ですよ。でも、よくご存じですね。」
 
「それはもちろん。麻酔薬が発表されたとき、私はまだ勉強中の身でしたが、あんなすごい薬を発明したのが私と10歳も違わない若い医師だと聞いて、衝撃を受けたものです。そしてその方がどんな人物なのか知りたくなりましてね。医学院の教授に頼み込んで、あなたの経歴を教えてもらったんです。もちろんあまり個人的なことは教えてもらえませんでしたが、先生が王国剣士時代に成し遂げられた功績は、一通り教えてもらいましたよ。」
 
「そうですか・・・。」
 
 名前が知れ渡っていることは仕方ないとしても、そんなことまで・・・。
 
「お気を悪くされたら申し訳ありません。ですが、先生のような方はもっと前に出るべきですぞ。この国の医学の発展に、なくてはならぬお方ですからな。」
 
「私一人の力なんてたかがしれてますよ。私などより・・・」
 
「それはそうでしょう。一人の力なんて小さなものです。ですが、みんながみんなそんなことばかり言っていたら、いつまで経っても何も変わらないじゃありませんか。」
 
 デイランド先生の顔から笑みが消え、語調が強くなった。
 
「いいですか?先生。先生は間違いなく、この国の医療を変えていける方達の中の一人なんですよ。先生がとても控えめな方だと言うことは、医学博士の称号授与の件でもよくわかりました。でも『自分なんて』という言い方をされては困ります。先生は、これから医学の道に進む者達の目標なんですよ。麻酔薬の開発者に追いつけ追い越せと、医学院では今若い医者の卵達が猛勉強中なんですから、もっと堂々としていただきたいものですな!」
 
 一気に言ってデイランド先生は急に真っ赤になってしまった。
 
「あ、そ、その・・・申し訳ない!」
 
 デイランド先生は、顔が床につくんじゃないかと思えるほどに頭を下げた。
 
「いやお恥ずかしい。他人様にえらそうに説教をたれるなど・・・その・・・つい興奮してしまって・・・。」
 
 デイランド先生はなおもぺこぺこと頭を下げ、吹き出す冷や汗をしきりにぬぐっている。
 
「いえ・・・全くおっしゃるとおりです。私のほうこそ軽々しく『自分なんて』などと言うべきではありませんでした。」
 
 なんとか笑顔を崩さずにそれだけ言うのがやっとだった。頭の中が真っ白だ。それは別に、出会ったばかりの人にいきなりこんなことを言われたからじゃない。デイランド先生の言葉が、私の心の奥深くにざっくりと突き刺さっている。なぜこんなに衝撃を受けたのか、自分でもよくわからなかった。
 
「いやいやいや、本当に失礼しました。はぁ〜・・・女房にもよく言われるんですよ。あなたはすぐにえらそうに説教をたれるのが悪い癖だと・・・。それこそ私などの力のほうがたかが知れているというのに・・・。しかしこの歳までこの性格で生きてきましたからなぁ。なかなか直るものではありません。先生、どうかお気を悪くなさらないでください。本当に申し訳ない!」
 
 デイランド先生はまた頭を下げた。すっかりしょげかえって、大きな体が妙に小さく見えた。
 
「とんでもない。私が悪いのですからお気になさらないでください。それに、先生のお力がたかが知れているなんてことはありませんよ。先ほど先生がおっしゃったように、医師同士が連携してどんどん情報交換していくために、まずは先生と私が連携しませんか?」
 
「クロービス先生と・・・私がですか?」
 
 デイランド先生はまだ赤い顔で、驚いたように私を見上げた。
 
「はい。私もずっと島に引きこもっていましたから、王国全体が今どういう状況にあるか今ひとつよくわかっていないのです。いろいろ教えていただけるとありがたいです。薬のレシピや様々な症例など、話し合えることはたくさんあると思いますよ。」
 
「は・・・はい!こちらこそよろしくお願いいたします!」
 
「ありがとうございます。これで、一人が二人になりましたから、力が強くなりましたね。」
 
 思いがけない展開になったが、『医師仲間』と呼べる相手がほとんどいない私にとって、この診療所と連携していろいろと情報交換が出来るという話は、願ってもないことだ。
 
「は、はい!まったくです!私も医師仲間の何人かに声をかけてあるので、すぐに増えますよ。・・・よし!この際だ、王立医師会も巻き込みましょう。」
 
 デイランド先生はすっかり元気を取り戻し、大張り切りだ。
 
「医師会ですか?しかしあそこはなかなか難しいところがあるとか・・・。」
 
「はっはっは!確かにおっしゃるとおりです。会長のドゥルーガー殿はこの業界の重鎮なので力はあるのですが、いかんせん頭が固くてなかなか新しいことを始める許可をいただけないようです。ですが、私の兄が医師会におりますので、そちらから攻めてみましょう。」
 
「お兄さんも医師になられているんですか。」
 
「ええ、うちは医者一家なんですよ。元々この診療所は親父がやっていたんです。ところが兄は医師になったものの、町医者よりも王立医師会で力を試してみたいと家を継がなかったんです。そのうちに親父は死んで、何年かはこの診療所も閉めてあったんですが、末っ子の私が医者になったときに兄からここを継いでくれと頼まれまして・・・。まあ勝手な言い分だとは思いましたがね。さすがに継ぐ者もないまま診療所を閉めることになってしまったことを、兄も悔やんでいたようなので引き受けました。でも今になってみればよかったと思ってますよ。兄は最新鋭の医療技術を好きなだけ学べますが、あそこは言うなればエリートの世界です。元々王族の病気を治すことを目的として作られた組織ですからな。ですが私は、この町でいろんな人に出会えるほうが遙かに楽しみですよ。ま、こんな仕事は暇なのが一番なんですがね。」
 
「そうですね。でもいくら暇でもなくすわけにもいかない仕事ですからね。」
 
「うむ、全くその通りですな。」
 
「ところでデイランド先生、早速情報交換といきたいところなんですが、先ほど薬草が値上がりしているとおっしゃってましたよね?」
 
「は、はあ、目立ち始めたのはここ半年ほどの間ですが、薬草の市場全体での値上がりは、一年近く前から起きているようですよ。」
 
「先ほどお聞きした薬草のうち、これと・・・これはうちの島でも栽培しているものです。先生は私の住む島で薬草栽培が行われていることはご存じですよね?」
 
「無論です。おかげで季節によってばらつきのあった薬草の値段が安定しましたからな。先生には大感謝ですよ。」
 
「確かに発案者は私なんですが、実際に栽培の苦労をしたのは私ではありません。これだけははっきりと申し上げておきます。長年苦労して安定供給までこぎ着けたのは、私の古くからの友人ですから。私は植物を育てる方はさっぱりですよ。まあ枯らすことはないと言うだけのことです。」
 
「ほぉ、すると先生は栽培自体にはほとんど関わっておられないと?」
 
「ええ、家の庭も一時は提供しましたが、私自身はほとんど手を出していないんです。」
 
「すると栽培されているご友人という方が、価格などもすべて決めておられるわけですか?」
 
「いえ。今となっては薬草栽培は私の島の重要な産業ですからね。栽培者が勝手に値段を決めたりしませんよ。高い価格で取引されることがあるのは、よほど栽培が難しかったり、限られた土地でしか育たない薬草くらいです。でもそれも、栽培に成功して、それがある程度軌道に乗ってから出荷するようにしているので、少なくとも王侯貴族しか買えないような値段に設定するようなことはまずありませんよ。」
 
 デイランド先生の口ぶりから察するに、ガリーレ商会のジャラクス氏と同じく、今回の薬草の値上がりの原因が栽培の中心人物にあるのではないかと疑ってかかっているようだ。
 
「ふぅむ・・・なるほど確かに・・・。しかし困ったものですな・・・。こんなありふれた薬草がこんなに値上がりするとは・・・。」
 
「お互いもう少し情報を集めませんか?先生には医師会のほうをお願いします。私は城下町に古い友人が何人かいますので、そちらを当たってみましょう。」
 
「うむ、そうですな。ここで唸っていても仕方ない。出来るだけのことはしてみましょう。ではよろしくお願いします。」
 
 近いうちの再会を約束して、私達はデイランド診療所をあとにした。妻と二人で歩き始めてみると、先ほどのデイランド先生の言葉が心に重くのしかかってきた。なぜこんなに動揺しているのか、自分でもよくわからない。
 
「・・・疲れてるんじゃない?」
 
 妻が遠慮がちに話しかけてきた。
 
「かも知れないな・・・。少し休める場所がないかな。」
 
「カインから聞いたコーヒーショップに行ってみる?」
 
「う〜ん・・・そうだなぁ・・・。」
 
 カインの言ったとおりの場所にあるとすると、ここからその店までの一番の近道は商業地区の広場を突っ切っていくことだ。でなければ裏通りを何本も通っていくことになる。今の広場の状態ではかえって裏通りを通ったほうが良さそうだが、それにしてもここからでは遠い。それに今の時間では、広場からあふれた人々がそこいら中の通りにいるので、細い裏通りではまっすぐ歩くのも困難だ。あまり乗り気な返事をしない私を見て、妻はまた別な提案をしてくれた。
 
「それじゃねえ、教会の横の休憩所は?あそこなら住宅地区のはずれだからここよりは静かだと思うし、お墓参りも出来るわよ。それに、教会には今日のうちに行っておいた方がいいでしょう?」
 
「そうだね。コーヒーショップはいつでもいいけど、神父様には今日のうちに会っておきたいから、行ってみようか。」
 
「きまりね。それじゃ行きましょ。」
 
 不安げだった妻の顔がやっと笑った。
 
「ごめん。そんなに気を遣わなくてもいいよ。」
 
「だってあなた今、すごく暗い顔してたわよ?さっきの先生に言われたことがそんなにショックだったの?」
 
「別にそんなひどいことを言われたとは思わないんだけど・・・なんだかすごくずしっと来たというか・・・。やっぱり疲れてるのかな・・・。」
 
「そうかもね。それじゃお墓参りをして少し休んだら神父様に会って、後は夜まで宿屋に戻っていましょうよ。やっぱり少しは休んでおかないとね。それとも・・・今日の夜はやめておく?」
 
「いや、行こうよ。それで疲れたら、明日一日宿屋でごろごろしていればいいさ。」
 
「やぁねぇ、ごろごろだなんて。でも・・・ふふふ、それもいいかもしれないわ。何もしないで一日ゆっくり出来るってのも、楽しいかも知れないわね。」
 
「きっと楽しいよ。たまにならね。」
 
 他愛のない話をしているうちに、鉛を呑み込んだような重い気持ちが少しずつ軽くなっていた。妻はいつもこうして私を助けてくれる。でもいつも助けてもらうばかりで、私はいったい妻に何をしてやれるんだろう。
 
 
 
 
 住宅地区に着いた。ここからはもう教会はすぐそこだ。やがて着いたその場所は、以前とそんなに変わってはいなかった。木立に囲まれてさわやかな風が吹き、昔と同じく無名戦士の墓が建っている。でも『墓』というわりにはあまり暗い雰囲気はない。ここは街の人々の憩いの場所だ。一般の人達の墓場はもっと奥の、教会の裏手に位置しているのでここからは見えない。
 
「やっぱり変わってないなぁ。」
 
 そう言ってから、昔はなかったベンチがいくつか置かれているのと、入り口の近くに花屋と屋台のコーヒーショップがあることに気づいた。コーヒーショップの看板にはサンドイッチなども描かれているので、ちょっとしたおやつを食べながらここでゆっくりしてはいかがですかと言うことらしい。
 
「でも時代に合わせての変化はあるみたいね。こういう変わり方なら大歓迎だわ。」
 
 妻は楽しそうにそう言って、他に何か変化はないものかと辺りを見回している。ずっと昔、城下町に出てきたばかりの時にここで休んだことがある。エミーに初めて出会ったのがこの場所だ。初めて出会った旅人に、親切にこの国についていろいろと教えてくれたというのに、私は彼女を詐欺師ではないかと疑ってしまい、あげくにそれを彼女に見破られてしまった。ローランでつらい別れをしたままどうしているのかわからないが、彼女は今、幸せなんだろうか・・・。
 
「はい、お花。」
 
 私がぼんやりと思い出に浸っている間に、妻は花束を二つ、買ってきていた。
 
「まずはお墓参りね。そのあと、飲み物でも買って一休みしましょ。」
 
「そうだね。」
 
 私達はまず、無名戦士の墓の前に花を供えて手を合わせてから、その隣に建てられている少し小さめの石碑の前に立った。美しい大理石で造られたその石碑は今、『王国剣士の碑』と呼ばれている。20年前、この石碑の除幕式の前の日に私達は城下町を出たので、見るのは初めてだった。石碑の前面にはこう彫られていた。
 
 
『王国の盾となって勇敢に戦い、散っていった4人の剣士をここに祀る』
 
 そしてその下に、20年前の政変の折に命を落とした王国剣士の名と共に、フロリア様の誓いが記されていた。
 
『パーシバル、グラディス、ユノ、カイン あなた達の犠牲を無駄にはしません。何があっても、この国の平和を守り抜くことを誓います。』
 
 最後にフロリア様の筆跡を忠実に再現したと思われる文字で『エルバール国王フロリア ここに記す』と彫られている。
 
「ふぅん・・・けっこう立派なのを建てたのね・・・。4人とも、こんな立派な石碑なんて建ててほしいと思ってなかったような気がするけど。」
 
 妻はあまりこの石碑をよく思っていない。死んでしまってから何を建てたところで、本人達にとってはなんの意味もないからだ。
 
「国民へのアピールもあるからね。国王の考えを国民にわかってもらうには、多少大げさなことをするくらいでちょうどいいんだよ。」
 
「それはそうなんだけど・・・この碑はフロリア様の人気取りのために建てられたわけではないはずでしょう?」
 
 なかなか手厳しい。
 
「でもほら、こんなに花が供えられているんだから、きっとみんなお参りしてくれているんだよ。これはいいことじゃないか。」
 
 石碑の前にはたくさんの花が供えられている。国全体が祭りで浮かれているこんなときでさえ、この碑に詣でて手を合わせてくれる人達がこんなにもいるのがうれしかった。妻はまだ少し複雑な表情だったが、花束を石碑の前に置き、二人でしばらくの間手を合わせて祈った。
 
 
「住宅地区はさすがに静かねぇ。」
 
 墓参りのあと私達は飲み物を買い、ベンチに座って少し休んだ。ゆったりとした時間が流れ、さわやかな風に頬をなでられていると、やっと落ち着いてきた。
 
「うん。でも道を歩く人達はさすがに派手だね。」
 
 仮装行列のような一団が、何度か道を歩いていった。思い切り派手におしゃれをして、祭りに繰り出していくらしい。きっと本人達にとっては、別に仮装しているつもりはないんだろう。
 
「ねえクロービス。」
 
「ん?」
 
「どうしてあの薬のこと言わなかったの?いい先生だったじゃない?」
 
「いい先生だからさ。」
 
 あの薬が一般的なルートを通ってシャロンの手に渡っているとは思えない。そんなことに何も知らない町医者を巻き込んでしまっていいものかどうか、それがどうしても引っかかって私はデイランド先生に何も言えなかった。
 
「そうね・・・。もう少し調べてみてからのほうが、いいかもしれないわね・・・。」
 
「うん・・・。」
 
「あの先生が言ったこと、まだ気にしてる?」
 
「すこしね・・・。」
 
「あの話と同じような話をね、ブロムさんからも聞いたことがあるのよ。」
 
「・・・おじさんから・・・?」
 
「そうよ。『控えめなのはいいんだが、もう少し前に出ることを考えないとな』って。」
 
「それいつの話?」
 
「・・・あなたがね、医学博士の称号授与を断ったとき・・・。」
 
「・・・・そう・・・。」
 
「あなたが断りの手紙を王宮に出してきたってブロムさんに報告した後、お茶を持って行ったときにそう言ってたの。」
 
「おじさんは・・・私に医学博士になってほしかったのかな・・・。」
 
「そう言うわけでもないみたいだけど・・・。」
 
「他に何か言ってた?」
 
「うん。私聞いたのよ。『クロービスに医学博士になってほしかったんですか』って。そしたら・・・。」





「私の希望というなら、特に『どうしてもなってほしい』とは思わんよ。だが、今回の件はあいつに対する正当な評価だ。受けておいてもいいのになと思っただけさ。それに、この島にこもってばかりではどうしても視野が狭くなる。王立医師会との交流は、あいつにとってプラスになることも多いと思う。だがあの連中と交流するとしたら、ある程度の肩書きは必要だよ。あいつらはプライドはやたら高いからな。自分より格下だと見るとろくな挨拶もしなくなるような連中が多いんだ。」
 
「そうですね・・・。確かに王立医師会との交流が出来るという点ではいいことなのかも知れないけど・・・。」
 
「だが、決めるのはクロービスだ。最初から乗り気ではなかったようだから、仕方ないさ。その分私がもっといろいろと教えておかないとな。」
 

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