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「ねぇ、あの子の腕を見破った人って・・・・ライザーさんよね・・・?」
 
 妻はトゥラのことより、彼女の腕を見破った旅人について関心があるらしい。正直なところ、それは私も同じだ。トゥラのことはとりあえず考えないでおこう。私が頭を悩ませてみたところでどうにもならないことには変わりない。
 
「だと思う。あの子の腕はたいしたものだよ。あれを見破れる人はなかなかいないだろうな。」
 
「2〜3日前だって言ってたわよね?」
 
「うん・・・。今はもうここにはいないのかな・・・。」
 
「オシニスさんのところに行ってるのかも知れないわよ。」
 
「だといいんだけどね・・・。」
 
 ライザーさん達が城下町に着いてすぐにオシニスさんに会いに行ったのだとしたら、少なくとも彼が完全武装できるほどの装備で出かけた目的が悪いことであるはずがない。
 
「どうする?すぐに王宮に行く?」
 
「う〜〜ん・・・。いや、やめておこう。今日は予定通り、セディンさんの店や教会に寄って、王宮は明日にでも行ってみようよ。」
 
「そうねぇ・・・。セディンさんの病気の様子も気になるし、シャロンとフローラにも早く会いたいものね。」
 
「うん。それに、今夜はちょっとだけ夜の祭りも見に行きたいなと思って。だいぶ盛り上がるみたいだから、一度くらいは見ておかないとね。」
 
「ほんと!?そうよね、今日なら疲れてないし、明日オシニスさんの前であくびしない程度までなら、いろいろ見て回れるわね、きっと。」
 
「ははは、そうだね。それじゃ行こうか。」
 
 ライザーさんのことは気になるが、彼が確実に王宮にいるかどうかはわからない。それにひとたびオシニスさんに会えば、時候の挨拶だけすませて帰ってくるわけにもいかないだろう。島を出る前に一度は決心したはずなのに、私の心の中ではまた、オシニスさんにすべてを話すべきかどうかの迷いが生じていた。結論を先延ばしにするだけだとわかってはいても、せめて今日一日は、何も考えずに妻と二人で祭りを楽しみたい。私達は広場を出て、商業地区の入り口にあるセディンさんの店に向かった。昨夜は暗くてよくわからなかったが、店の構えは昔と変わっていない。ただ、昔とは違う色に塗り替えられた看板と、あちこちに施された補修のあとが、20年の歳月を感じさせた。
 
「こんにちは。」
 
「いらっしゃいませぇ!」
 
 中に入るとすぐに、元気のいい女性の声が響いた。店の中も昔と変わらないが、カウンターの向こうに立って笑顔で客を迎えているのはセディンさんではない。赤みがかったきれいな金髪をリボンで縛って、清潔感のある白いブラウスに濃紺のエプロンをつけた娘・・・いや、もう大人の女性だ。整った美しい顔立ちだが、小さい時の面影がはっきりと残っている。間違いなく彼女はシャロンだ。
 
「いらっしゃいませ。何をお探しですか・・・?」
 
 シャロンの笑顔に一瞬探るような表情がよぎった。
 
「・・・お客さん・・・前にうちに来られたこと・・・あります・・・?」
 
「あるよ。君はシャロンだね?」
 
「は・・・はい・・・。」
 
 シャロンの顔に現れた戸惑いの色が濃くなった。
 
「憶えてないかなぁ。もう20年も前になるけど、私はそのころ王国剣士でね・・・ここに来るたびに君にはよくお茶を入れてもらってたんだけど。」
 
「もしかして・・・剣士のお兄ちゃん?えーと・・・クロービスさん・・・?」
 
 どうやらちゃんと覚えていてくれたらしい。
 
「そうだよ。久しぶりだね。」
 
「やっぱり!フローラから聞いたわ!カインのお父さんよね!?それに・・・あの時のお姉さんね?カインのお母さんよね!?」
 
 シャロンの顔に笑顔がぱっと広がった。こんな風に笑うと、昔のシャロンそのままだ。
 
「そうよ。こんにちは、シャロン。久しぶりね。」
 
 妻がシャロンに微笑んだ。
 
「お祭りを見にこっちにいらっしゃるって聞いてます。ちょっと待っててくださいね!」
 
 シャロンは大声で叫びながら家の中に飛び込んだ。
 
「父さん!フローラ!カインのお父さんとお母さんよ!」
 
 声を受けて奥から返事があり、バタバタと走ってくる音が聞こえ・・・ガツンと鈍い音がした。
 
「いたぁい!」
 
 叫んだ声は間違いなくフローラの声だ。
 
「もう!なんであんたはそうおっちょこちょいなのよ!ほら、お茶の用意をして!すぐによ!」
 
 シャロンの大声。妻も私も笑いをこらえるのがひと苦労だった。どうやらこれがフローラの真の姿らしい。シャロンがあわてて店の奥から飛び出してくる。
 
「す、すみません・・・騒がしくて・・・。」
 
 シャロンはまるで自分が失敗したように赤くなってかしこまっている。
 
「いいよ。それより、お父さんの具合がよくないって聞いたんだけど、どうなんだい?」
 
「あ、それは・・・お店も今のところ少しは安定しているので、いいお薬が買えるんです。それで、今はなんとか小康状態を保っているんですけど・・・。」
 
「そうか・・・。今、会えるかな?もしも無理ならいいんだけど・・・。」
 
「大丈夫です。ご案内します。」
 
 シャロンが先に立って歩き出し、私達は後をついていった。店の奥の扉を入ってすぐの部屋にベッドがおいてある。
 
「父さん、カインのお父さんとお母さんよ。・・・クロービスさんとウィローさんて言ったほうが父さんにはわかりやすいわね。」
 
「あ・・・・ああ・・・・。シャロン・・・起こしてくれるか・・・。」
 
「起きなくていいよ。無理はしないで。」
 
「いや・・・そうはいかねぇよ。シャロン・・・頼む・・・。」
 
 昔いつも聞いていた張りのある大声とは、あまりにかけ離れた弱々しいしわがれ声・・・・。
 
「はい・・・。」
 
 シャロンがベッドに歩み寄り、セディンさんの体を起こして枕元にすえつけられている背もたれによりかからせた。
 
「こんにちは・・・。ご無沙汰してしまってすみませんでした。」
 
 セディンさんはすっかり痩せて、顔色もかなり悪い。自分で起きられないと言うことは病状もかなり進んでいるはずだ。セディンさんがあまり大きな声で話さなくてもいいよう、妻と私はベッドの脇に椅子を持って行って座った。
 
「なに言ってんだ。医者として立派にやっているそうじゃないか。麻酔薬の話は俺も聞いたよ。たいしたもんだ。本当におやじさんの遺志を継いで薬を完成させたんだからな・・・。」
 
「その話・・・誰に聞いたの?」
 
 麻酔薬の発明者は私になっている。もちろんそれは事実ではないのだが、父は亡くなっていたしブロムおじさんは自分の名前を出したがらなかったしで、あとは私しかいなかっただけのことだ。でもそれも、王立医師会や御前会議など、ごく限られた一部の人達の間にしか公表されないよう頼んでおいたはずだ。
 
「剣士団の団長さんさ。あの人は、あの有名な疾風迅雷の片割れだろう?あんたがふるさとに帰ってから、あの人がちょくちょく店に来てくれてな。うちの品揃えを見て、剣士団の出入り業者のひとつにしてくれるよう上に頼んでくれたらしいんだ・・・。おかげでうちの店は、今もこうして何とかやっていけてるってわけさ・・・。そのあと団長さんになってからも、市内を見回りするときはよく寄ってくれたよ。でもそれもみんなあんたのおかげなんだよな・・・。」
 
「それはオシニスさんの考えだよ。私は何もしていないよ。もうここにいなかったし、ふるさとに戻ってからは勉強で手いっぱいで、他のこと何にも気が回らなかったんだ。」
 
 これは本当のことだ。自分の妻が妊娠していることにも気づかないほど・・・他のことを何も考えていなかった。
 
「そんなことはないさ・・・。あんたが初給料を持って買い物に来てくれてから、少しずつ王国剣士のだんながたが来てくれるようになったじゃないか・・・。『クロービスの奴に紹介されたんだけどいい店だね』ってみんな言ってくれたよ。そして王国剣士が出入りしてるって話が噂になって、他からも客が来るようになったんだ。儲けが出ればそれだけ品揃えも増やせる。だからこそ出入り業者として推薦してもらえるまでになれたんだよ。だからあんたのおかげだよ。」
 
 そのとき扉がノックされ、続いてがちゃりと開いた。フローラがお茶を乗せたトレイを持って入ってきた。
 
「こんにちは、フローラ。」
 
「こ・・・こんにちは・・・。あの・・・さっきは騒がしくてすみません・・・。」
 
 フローラは真っ赤になって頭を下げた。その途端トレイが傾き、お茶がこぼれそうになる。
 
「あー!もう!なにやってんのよ。お茶がこぼれるじゃないの!」
 
 シャロンがあわててトレイを押さえた。
 
「あ、ごめんなさい!」
 
 フローラはあせってトレイを持ち直し、私達のお茶を部屋の真ん中にあるテーブルにおいた。
 
「あの、お茶です・・・。どうぞ・・・・。」
 
 カップから立ち上る香りは、島で妻がフローラに教えたハーブティの香りだ。
 
「まあ・・・これフローラが自分で?」
 
 妻が微笑んでフローラを見る。
 
「は、はい・・・。姉さんに・・・姉に教えてもらって・・。」
 
 一口飲んでみたがなかなかの出来だ。
 
「おいしいわよ。上手になったのね。」
 
「ありがとうございます。」
 
 妻にほめられ、フローラは頬を染めて頭を下げた。そのフローラを見て、シャロンはほっとしたような小さなため息をついた。
 
「あの・・・クロービスさん、ウィローさん、私・・・母が亡くなってからずっとこの子の母親代わりをしなきゃってがんばりすぎたのかも知れないです。何にも出来ない子になっちゃって・・・すみません。向こうでフローラがご迷惑をおかけしたみたいですね・・・。」
 
「そんなことないわよ。いろいろお手伝いしてもらったわ。」
 
「もしも今度またお邪魔することがあったら、その時はもっといろいろ出来るように教えておきますから、だからフローラのことよろしくお願いします。」
 
 シャロンは一生懸命頭を下げた。きっと妹の幸せを心から願っているのだろう。
 
「そうね。うちのカインはあの通りだけど、こちらこそよろしくお願いするわ。また遊びにいらっしゃいね。」
 
「はい、ありがとうございます。」
 
 フローラも真っ赤になって頭を下げた。その姿を見て微笑んでいたシャロンが、何かを思い出したようにカーテンをあげて窓の外を見た。部屋中の窓には薄いカーテンが引かれ、外の陽射しが中に入ってこないようにしてある。こんなに弱った病人には、陽の光さえも毒になってしまうのだ。
 
「そろそろお薬の時間だわ。今持って来るから待ってて。」
 
 この家には時計がない。だいぶ小型化して普及したとは言え、時計は今でも高級品だ。雑貨屋なら売り物としては扱っているのだろうが、それを自分の家で使えるかどうかはまた別の問題なのだろう。シャロンは小走りに部屋を出て、程なくして薬の入った器を持ってきた。
 
「煎じ薬かい?」
 
 仕事の虫が頭をもたげ、私は思わず器を覗きこんだ。
 
「ええ。今はいろいろとよく効く薬品があるみたいなんですけど、かなり内臓が弱っているようなので、煎じ薬を使うようにと。」
 
 セディンさんは受け取った器を少しだけ顔をしかめて飲んだ。苦いのかもしれない。せんじ薬と言うものは、香りを嗅げばある程度成分がわかる。もちろんそんなことがわかるのは医者や、薬草を扱う商人くらいなものだが。セディンさんの持つ器の中から漂ってくる香りは、私にもなじみのある薬草が多いが、かなりの数の薬草を混ぜてある。体力増強や食欲増進の効果がある薬草まで入っているようだ。
 
(・・・・ん・・・・?)
 
 薬草の香りに混じって、ほんのわずか・・・『薬』とは相容れない奇妙な違和感のある香りを、私の鼻が捉えた。
 
「・・・この薬は町の医者からもらってるのかい?」
 
「はい。あとはその・・・。」
 
 なぜかシャロンは口ごもる。
 
「あと?他にも何か?」
 
 仕事のこととなると私の好奇心は際限がない。シャロンが困った顔をしていると言うのに口が勝手に開いて質問を続ける。
 
「はい・・・。最近取引をしてくださるようになったお客様が、とてもいい薬草があるからと、わざわざ持ってきてくださるんです。」
 
「ふうん・・・薬草の仲買人とか・・・?」
 
「あ、いえ・・・いろいろ扱うみたいですけど、最近は薬草も高くて、なかなか手に入らないけど特別にって・・・。」
 
「へぇ、ずいぶん親切な人だね。」
 
 ひとしきりうなずいて、私はシャロンがうつむいてしまったのにやっと気づいた。
 
「ああ・・・悪かったね。職業柄、薬を見るとつい、いろいろ知りたくなっちゃってね・・・。君を問い詰めているわけじゃないんだよ。気にしないでくれないか。」
 
「は、はい・・・。」
 
 シャロンがほっとしたようにうなずいた。でも通常、医者からもらった薬に自分で薬を混ぜるなどと言うことはしないはずだ。患者の病状に一番合わせて調合される薬に、勝手に別なものを混ぜたりしたら成分が相殺されて効かなくなってしまったり、場合によっては毒になることもある。この街の医者がそんなことを黙っているはずはない。ということは、シャロンは町の医者には黙って『特別な薬』をセディンさんに飲ませていると言うことになる。そしてその薬の出所を聞かれて口ごもった。どうも妙だ。ほんの少し部屋の中に漂った沈黙を破って、表の店のほうから扉を開ける音が聞こえた。続いて
 
「こんちはぁ!あれ?誰もいないなぁ・・・。おーい!シャロン姉!フローラ!誰もいないなら勝手に持ってくぞぉ!」
 
 実に元気のいい声だ。
 
「こら!おかしなことを言うな!外を通る人が聞いたら変に思うじゃないか!」
 
 たしなめるもう一人の声。どうやら客は若い男性二人らしい。
 
「いないんじゃしょうがないじゃないか。それに、変に思われたって大丈夫だよ。制服着てるんだからさ。」
 
「だからだよ。外を通る人があわてて王国剣士でも呼んでみろ。ばつの悪い思いをするのは僕らなんだぞ。」
 
「・・・お客さんみたいだね。王国剣士なのかな・・・?」
 
 シャロンはあきれたように店のほうに視線を向け、ため息をついて少し笑った。
 
「クロムとフィリスだわ・・・。先に大声で叫んでいたのがクロムです。うちの近所に住んでいて私達とは小さいころからよく遊んでいたんですけど、6年位前に剣士団に入団して、それからずっと雑貨はうちで買ってくれてるんですよ。フィリスって言うのはクロムとコンビを組んでいる子で、とても穏やかで優しい子なんです。まったく・・・クロムってば相変わらずだわ。すみませんけど、ちょっと出てきますね。」
 
「ああいいよ。私達にかまわないでくれ。ここで話しているよ。」
 
 シャロンは部屋を出て、店に戻っていった。
 
「はいはい。そんな大声出さなくても聞こえてるわよ。ホントに王国剣士を呼ぼうかしら。」
 
 シャロンの声が聞こえてくる。
 
「あの・・・・。」
 
 シャロンが出ていったあと、フローラが遠慮がちに口を開いた。
 
「あの・・・さっきのお薬なんですけど・・・ここに少しあります・・・。これが何の薬なのか、調べていただけませんか・・・?」
 
 フローラはポケットから、薬草のかけらのようなものを取り出した。
 
「・・・どういうことだい・・・?」
 
「おいフローラ、なんでそんな・・・。」
 
 セディンさんも怪訝そうにフローラを見つめている。
 
「だって父さん・・・おかしいわよ・・・。この薬を飲む前はそんなにひどくなかったはずだわ・・・。」
 
「でもそれは・・・なかなか手に入らない薬草なんじゃないのか?それに、それを飲むようになってから調子がよくなってきて・・・。」
 
「最初はね。でもそのあと、前よりもっと悪くなったわ・・・。」
 
 フローラは不安げに父親を見る。
 
「・・・詳しい話を聞けるかい・・・?」
 
 フローラはうなずいた。
 
「あの、今度カインと一緒にお会い出来た時にお話します。ですからこれだけ・・・。」
 
 フローラは急いで私に歩み寄り、持っていた薬草を差し出した。私はすぐに受け取って懐にしまいこんだ。幸い煎じる前はそんなににおわない薬草なので、ここに持っていても変に思われることはないだろう。それにしても何の薬草なのか、いや、そもそもさっきの奇妙なにおいの元がこれなら、薬と言うべきではないのかもしれない。でも何なのかが特定できない。ブロムおじさんなら、この程度の量でも何の薬草なのか見分けがつく。もう少しよく見ることが出来ればいいのだが、カーテン越しに差し込む陽の光だけでは、薄黒く見えるだけでよくわからない。だが、たとえわかっても、ここではなにも言うべきではないのだろう。少なくともシャロンが、父親によくない影響を与えるとわかっていてこの薬を飲ませているとは思えない。その最近取引を始めた商人と言うのが何者なのかを知る必要がありそうだ。フローラが私から離れた途端、扉が開いてシャロンが顔を出した。
 
「すみません・・・。クロム達にカインのご両親が見えてるって言ったら、二人ともぜひ会いたいって・・・紹介させていただけませんか・・・・?」
 
「ああ、いいよ。フィリスって言うのはもしかして、モルダナさんのお孫さんかい?」
 
「あら、ご存じでした?そうです。フロリア様の乳母を務めておられたモルダナさんのお孫さんです。何でも昔王国剣士だった人にあこがれて、自分もそんな風になりたいって、それでこの道を目指したそうです。」
 
 デンゼル先生の言っていた話は、どうやら本当らしい・・・。あこがれられるほど大した者ではないのだが、せっかく前途ある若者が慕ってくれているのだから、あまり情けないことは言わないようにしなければならないようだ。
 
「そうか・・。その二人はカインの先輩にあたるわけだね。ぜひ挨拶させてもらうよ。うちの息子をもっとびしびし鍛えてやってくれと頼もうか。」
 
 妻と私は立ち上がり、店に出ていった。カウンターの向こう側に、二人の青年が立っている。昔と変わらぬ空色の上着に茶色のズボンを身につけ、着ているのはレザーアーマーだ。この出で立ちの王国剣士はローランでも城下町でもたくさん見ているはずなのに、この店の中で見ると何となく感慨深いものがある。二人は笑顔で頭を下げ、そのうちの一人が私に歩み寄った。
 
「初めまして。カインのご両親ですね。俺はクロムと言います。シャロンやフローラとは幼馴染で、剣士団に入団して6年になります。」
 
 クロムが右手を差し出し、私達は握手を交わした。
 
「カインの父です。いつも息子がお世話になってます。」
 
 続いてクロムは妻にも手を差し出し同じように挨拶をした。
 
「うちの息子は役に立ってます?まだまだ半人前にもならないでしょうけど、びしびし鍛えてやってくださいね。」
 
 妻の言葉に、クロムはいたずらっぽい笑顔を私達に向けた。
 
「はい。任せてください。おやじさんとおふくろさんの承諾をもらったからには、がんがん鍛えてやりますよ。」
 
 クロムが大声で笑った。ひとなつっこい笑顔だが、いささか喧嘩っ早そうな感じがする。この青年はおそらくオシニスさんのような突っ走るタイプだ。そしてそれを抑えるのが隣に立っている相方の青年なのだろう。
 
「カインのおやじさんは、昔は剣士団に在籍されていたそうですね。カインの奴がいつも言ってますよ。『うちの父はすごく強いんです』って。今度一度お手合わせ願えますか?」
 
「昔の話だからね。今、現役の王国剣士にかなうかどうかはなんとも言えないけど、機会があればだね。」
 
「はい、ぜひ!」
 
 あいまいに言葉を濁したつもりだが、クロムは期待のこもった目で私を見た。本気で私と手合わせしたいと思っているようだ。海鳴りの祠でリックからは何とか一本とることが出来たので、この二人が超弩級の強さとでも言うのでない限り、入団10年のリックよりは勝てる見込みが高いかも知れない。とはいえ、二人まとめて相手をしてくれなどと言われたら、いかに私とて勝てるかどうかわからない。もし王宮にいるときに再会したりしたら、それこそオシニスさんが率先して私と彼らを手合わせさせようとするかもしれない。無様に負けることだけは避けたいものだ。私はクロムの隣に立つ剣士に目を向けた。やはりそうだ。小さい頃の面影が、今でも少しだけ残っている。
 
『おにいちゃん達、いつもたいへんそうだねぇ。』
 
 無邪気に笑って私達を見つめていたあの小さな男の子は、立派な王国剣士となって今私達の前に立っていた。
 
「君がフィリスだね。」
 
「は・・・は・・い・・・。」
 
「おいフィリス、お前なにぼんやりしてるんだよ?」
 
 クロムが怪訝そうに声をかけた。フィリスはそれには答えず
 
「あの・・・お久しぶりです・・・。僕のことを、覚えていてくださったんですね・・・。」
 
そう言って、泣き出しそうな顔で手を差し出し、私達は握手を交わした。
 
「もちろん覚えているよ。久しぶりだね、フィリス。あの時君はまだ5歳だって言ってたから、もう忘れられているかと思ったよ。憶えていてくれてありがとう。君はすっかり大きく・・・いや、大きくなったなんて言い方は失礼だな。本当に立派な王国剣士になったよ。」
 
 ずっと昔、私の剣士団での二次試験で世話になった縁で、ローラン方面に足を向けたときには必ずモルダナさんの家に顔を出すようになった。そこにはたいていフィリスが一緒にいた。フィリスの両親は当時王宮の司法局に勤めていたので家も城下町にあったのだが、聖戦の噂が大きくなって来た頃から城下町の治安が悪化し、心配した両親が父親の実家であるローランの家にフィリスを預けておいたのだ。私はすぐに小さなフィリスと仲よくなった。泊まっていってくれとせがまれたこともある。あの時の小さな男の子が、今ではたくましく成長し、立派な王国剣士としてこの国を守っている。なんだか胸が熱くなった。
 
「忘れるわけないです・・・。でもカインのお父さんが・・・あなただったなんて・・・。」
 
「驚かせてしまったみたいだね。息子がいつもお世話になってます。」
 
「いえ、そんなこと・・・。カインが入団してきたとき、名前を聞いてとても懐かしく思ったものです。・・・やはりあのカインさんから、息子さんに名前をつけられたんですか?」
 
「そうだよ。あのカインのように、強く、優しくなってくれるようにと言う願いが込められているわけなんだけど、本人はあの通りだからね。君達にも迷惑をかけていたりしないかい?」
 
「そんなことはありません。カインはいい奴ですよ。少し前まではおかしな構えに凝っていて伸び悩んでいましたけど、最近はまた素直な剣さばきに戻ってきました。先が楽しみであると同時に、いつ追い越されるかひやひやしてますよ。」
 
「なんだよ?お前カインの親父さんと知り合いだったのか?そんな話は聞いたことがなかったけどなあ。」
 
 クロムが首をかしげる。
 
「言ったことがないからね。そもそもカインのご両親がこのお二人だったなんて、今初めて知ったんだよ。」
 
「そうか。でもどこで知り合ったんだ?」
 
「ローランだよ。僕が小さな頃おばあちゃんのところにいつも預けられていて、指輪の二次試験に協力していたって話をしたことがあるじゃないか。その時さ。」
 
 あの時のフィリスの演技力は、なかなかのものだった。
 
「ああ・・・なるほど。あれ?てことは、カインの親父さんもあの指輪の研修を受けた・・・んですか?」
 
「そうだよ。あの当時は、今とは内容が違っていたけどね。」
 
「フィリスから聞きましたよ。何でも当時は剣士団長が二次試験の試験官で、盗賊や山賊をやらせたら右に出るものはいなかったという話だったようですね。」
 
「こらクロム、僕はそこまで言ってないぞ。」
 
「ははは、その話はランドさんから聞いたのさ。昔と同じ指輪の二次試験を最後に受けたのは、確かリックさん達だったよな。」
 
「らしいね。そのころはもう僕は城下町の家にいたから、よくは知らないよ。そのあと剣士団から、試験の内容を変えるからその時にはおばあちゃんが城下町に来てくれるようにって要請があったんだってさ。」
 
「へぇ、その頃お前は、もう剣士団に入るつもりで勉強してたのか?」
 
「その頃はそうだけど、剣士団に入ろうと思ったのはもっとずっと前だよ。あこがれてた王国剣士さんがいてね、その人みたいになりたいなって思ったんだ。」
 
「つまりその人ってのが、ここにいるカインの親父さんだってことか。」
 
「そうだよ。僕は、カインのお父さんと、あの時コンビを組んでいたカインさんに会って、王国剣士になろうと思ったんだ。」
 
「その話は、ローランでデンゼル先生に聞いたけど、私はそんな風に思ってもらえるほどたいした者ではないよ。」
 
「そんなことはありません。あのころ・・・僕はまだ小さくて、周りで何が起きているのかもよくわかっていなかったけど、少しずつ大きくなるにつれて、あなた達がどんなつらい目に遭っていたかわかるようになったんです。でも、そんな状況の中でも、皆さんがいつも前向きにがんばっていた姿がよく思い出されて・・・いつの間にか、自分もどうせ仕事を持つなら、そんな風に何があっても胸を張っていられる仕事をしたいと思うようになりました。そう考えたとき、やはりそれには王国剣士になるしか道はないように思えたんです。」
 
「そうだったのか・・・。でもこの仕事は危険な仕事だよ。今の時代、モンスターと呼ばれるような獰猛なけものはいないだろうけど、その分凶悪な盗賊はそこいら中に蔓延っているようだからね。」
 
「そうですね。実際、本格的に自分の道を決めなければならないときになって、僕も迷いました。両親は自分達と同じように王宮勤めの官僚になることを勧めてくれましたし、自分としても、王国剣士になりたいという気持ちは、実は単なる感傷のようなものでしかないかもしれない、そんな気持ちではとてもこの仕事を全うすることなんて出来ないって・・・。だから本当は、もう一度あなたに会いたかった。会って話をしてみたかったんです。でも祖母もあなたのふるさとがどこにあるのかまでは知らなかったし・・・やっぱり自分で決めるしかないんだって思って、結局自分の希望を押し通してしまいました。でもそれでよかったと思ってます。あなたとはもう会えないものとあきらめていたけど、うれしいです・・・。今日会えて・・・。」
 
 フィリスは話しているうちに流れてきた涙をぬぐい、妻に向き直った。
 
「ウィローさん・・・でしたよね。ご無沙汰しています・・・。昔、歌っていただいた子守唄は、今も覚えてますよ。」
 
「久しぶりね、フィリス。あの時あなたは、私達と一緒に寝るんだってきかなかったのよね。私の歌で眠ってくれて、うれしかったわ。」
 
 妻が笑顔で応えた。
 
「あの歌はカナでよく歌われている歌だったんですね。初めてカナに赴任した時、あの歌を歌っている人がいたのですごく懐かしかったです。」
 
「そうね・・・。私がカナにいた頃はよく歌われる歌だったけど、今もそうなのね・・・。」
 
「里帰りはされていないんですか?」
 
「ふふ・・・。今回初めての里帰りをする予定よ。診療所の仕事が忙しくて、いつの間にか20年も過ぎてたわ。だから楽しみにしてるの。」
 
「そうだったんですか・・・。僕達は半年前まで向こうに赴任していたんですよ。不思議な村ですよね。僕達はここに住んでいるはずなのに、カナにいくとなぜか『ああ、帰ってきたなぁ』って気になるんです。」
 
「カナはいいところだよな。」
 
 クロムもうなずいた。
 
「そう・・・。そう言ってくれるとうれしいわ。」
 
 妻がうれしそうに微笑んだ。
 
「モルダナさんは、どうなさってるの?ローランの家を訪ねたんだけど、今はこちらにいらっしゃるみたいね。体調を崩されたと聞いてるんだけど・・・。」
 
 妻が尋ねた。
 
「ええ、たいしたことはないんですが、もう高齢なので大事をとって今はこちらの家に一緒にいるんです。本人はローランに帰りたがっているので、もう少し体調が戻ったらまた向こうにいくと思いますけど。」
 
「そうだったの・・・。大事にしてあげてね。」
 
「はい、ありがとうございます。」
 
「おどろいたわ・・・。クロービスさんがフィリスの憧れの王国剣士さんだったなんてね・・・。」
 
 シャロンはすっかり驚いている。
 
「それだけじゃないぜ。俺だってカインのおやじさんには少なからず影響を受けてるんだ。直接じゃないけどな。」
 
「そうよねぇ。」
 
 シャロンがうなずく。
 
「でも私は君に会ったことはないと思うよ。誰か他の人のことじゃないのかい?」
 
 私はクロムに尋ねた。セディンさんの店には何度も足を運んだが、近所の子供達に出会った記憶はほとんどない。
 
「会ったことはないと思いますよ。でも、シャロンがしょっちゅう『昔店に来ていた王国剣士のおにいちゃん』の話を聞かせてくれたんです。」
 
「シャロン、君はそんな話をしてたのかい?」
 
 なんとも照れくさい話だ。シャロンは頬を赤らめながら小さくうなずいた。
 
「だ、だって・・・あの時、私の目にはクロービスさんもカインさんも、すごく強くて頼もしく見えて・・・私、あの時お二人がどんな目に遭っていたか、ちゃんとわかってたんです。でもそんな逆境を感じさせないほどお二人ともお店では明るかったし、だから、その・・・クロムにもそう言う話を・・・。」
 
「まだ小さい頃、俺が王国剣士になりたいって言ったら、シャロン姉が俺をバカにして言うんですよ。『剣士のお兄ちゃん達みたいに腕が立たなくちゃなれないのよ』なんて。」
 
「そりゃそうよ。当たり前じゃない?王国剣士さん達は、毎日私達の生活の安全を守ってくれているのよ。」
 
 シャロンが口をとがらせる。
 
「わかってるよ。だからがんばったんじゃないか。そういえば、カインのおやじさんの相方の剣士は亡くなったそうですね。その人もかなりの使い手だったとか。」
 
「・・・そうだね・・・。」
 
「そんなすごい使い手でも命を落とすことがあるんだから、王国剣士ってのは確かに危険な仕事だと思います。でもだからって誰もやらなきゃこの国が丸腰になっちまう。だったらそれをやるのは俺だっていいんじゃないかって思ったんですよ。」
 
 頼もしい発言に思わず微笑んだ。前向きで明るくて、いい若者達だ。彼らのような若い力がこれからこの国を引っ張っていくのだろう。
 
「カインとはもう会われたんですか?」
 
 フィリスが尋ねた。
 
「いや、昨日の夜こっちに着いたんだけど、まっすぐ宿屋に行ってしまったからね。今日は朝から商業地区の市場に行ってみたんだけど見かけなかったな。せっかくだから仕事振りも見たいんだけど、どのあたりにいるのかわかるかい?」
 
「う〜ん・・・もしかしたら商業地区の奥のほうかもしれないな。市場ってのは人が多いから結構たくさん見回りがいるんですよ。でも奥のほうになると、人が少ないから手薄になりがちなんです。そのあたりを歩いているかもしれませんよ。」
 
「手薄な場所と言うより、時間が来たらさっさとあがれるようなところを歩いてるんじゃないのかな。カインもアスランも、今日の夜デートだとかぬかしやがっていたからな。」
 
 クロムがにやりと笑った。
 
「おいクロム、そんな言い方するなよ。あいつらだってがんばってるんだぞ。それにカインはともかく、アスランはただ『友達と出かける』としか言ってなかったはずだぞ?勝手に脚色するなよ。」
 
 フィリスがあきれたように口を挟む。
 
「だって相手はあの彼女だろ?」
 
「だろうね。」
 
 フィリスがうなずく。
 
「ならデートじゃないか。あいつが『友達』なんて言うのは照れ隠しだよ。」
 
「お前が勝手にそう思っている分にはいいさ。でも本人の前でそれを言うなよ。なんだか気にしてるみたいだからさ。」
 
「そうなんだよな。別にいいじゃないか、からかわれるくらい。」
 
「まあ・・・今のところ本当に友達なんだろうな。だから彼女に気を使ってるんだよ、きっと。」
 
 フィリスが肩をすくめた。どうやら今夜、カインとフローラは出掛ける約束をしているらしい。そして相方のアスランと言う若者も、女の子と約束しているようだ。
 
「まあ、そうなんだろうな。なあシャロン姉、フローラは今日カインと一緒なんだよな?」
 
「そうみたいよ。クロービスさん、聞いてます?今日の夜はカインとお会いにならないんですか?」
 
 シャロンが振り向いた。笑顔は昔と変わらず明るく屈託がない。ここに来てからずっとシャロンを見ているが、この娘が何か人に言えないようなことをしているかもしれないなんて、とても思えない。ポケットに忍ばせた薬草のかけらが、妙にずっしりと重く感じられる。これがただの『薬』ならいいのだが・・・。
 
「いや、私達はまだ具体的にいつ会うかまでは話してないんだよ。いつこっちに着けるかわからなかったから、一度会ってから決めようってことになっているんだ。今日は、二人でゆっくり見て回ろうかと思ってるよ。祭りはまだ始まったばかりだからね。」
 
 素知らぬふりで私は答えた。とりあえず今だけは、薬草のことを頭から追い出しておこう。
 
「そうですね・・・。ちょっとクロム、人のことをからかっている場合じゃないでしょ?あんたはどうなのよ。あのお姫様とはどうなってるの?」
 
(お姫様・・・?)
 
 クロムはばつの悪そうな顔でシャロンを見た。
 
「どうもならないよ。あいつは相変わらず団長にご執心さ。俺みたいな若造なんぞ眼中にないよ。」
 
(・・・え・・・?)
 
 あまりに驚いて、私は危うく声をあげるところだった。彼らが団長と呼ぶのはオシニスさんしかいない。ご執心とは当然オシニスさんに思いを寄せていると言うことで・・・。でもまさか・・・。
 
「そんな言い方しないの。大体それ本当の話なの?団長さんて、あのお姫様より20も年上じゃないの。」
 
「歳なんて関係ないんだとさ。それに、団長のことがなくてもあいつは伯爵令嬢で、しかもベルスタイン公爵閣下の姪だぞ?その辺の一般庶民の俺とじゃ不釣合いもはなはだしいじゃないか。」
 
「伯爵令嬢だろうが公爵閣下の姪だろうが、関係ないよ。スサーナは今王国剣士だ。僕らとなんら身分の違いはないんだ。」
 
 フィリスがぴしゃりと言い放つ。なんだか怒っているようだ。身分の話をした時のクロムの顔が少し卑屈にゆがんだのを、見逃さなかったのだろう。
 
(なるほどね・・・。)
 
 なんとなく話が見えてきた。クロムが恋する相手は王国剣士だが、どうやら伯爵令嬢で現在のベルスタイン公爵の姪に当たるらしい。ということは、セルーネさんの姪か。すぐ上の姉君が伯爵家に嫁いでいると言う話を聞いたことがあるから、その家の娘なのだろう。だが、性格は叔母にあたるセルーネさんに似たらしい。セルーネさんの娘も私兵相手に剣の稽古をしていると言うことだから、ベルスタイン家の血をひく娘達は、どうやらみんな剣に興味を持つようだ。
 
「大体スサーナは団長に片思いしているだけじゃないか。団長のほうはぜんぜん相手にしていないんだぞ?お前が気にすることなんてないと思うけどな。」
 
 なるほどそれなら話はわかる。オシニスさんが今になって他の女性に心を移すとは思えない。
 
「相手にしていなくたって関係ないんだろうさ。だいたいスサーナはな、あのセルーネ卿の血を引いてるんだ。思い込んだら一直線さ。」
 
 クロム達はセルーネさんの性格もよく把握しているようだ。
 
「セルーネさんはどうしてるんだい?」
 
「ご存じないんですか?」
 
「姉君ご夫妻が亡くなって爵位を継いだという話は、ローランでドーソンさんから聞いたよ。ただ、私達も20年もの間故郷に引きこもっていたからね、今どうしているのかは知らないんだ。元気なのかい?」
 
「元気というか・・・とにかくあの方は力強いですよ。」
 
 クロムが言いながらあきれたようにため息をついた。
 
「力強いってのは女性の形容詞としては不適当だと思うけどなぁ。」
 
 フィリスも笑いをこらえながら、おどけたように首をかしげて見せた。まあつまり・・・相変わらずと言うことなのだろう。
 
「普通の女ならな。あの方は別格だ。」
 
「爵位を継いだのでは、忙しいんだろうね。今では御前会議にも出席しているらしいけど、一度くらいは会いたいものだなと思って。」
 
「王宮に行けば会えると思いますよ。祭りの間はたいてい執政館の執務室におられますから。それ以外の時は領地の視察などもありますし、なかなかお忙しいようですけどね。」
 
「そうか。一度会いに行ってみるかな。そう言えば、セルーネさんの娘さんも剣の稽古に励んでいると聞いたけど、姪御さんまでとはね。そのスサーナという子は君達と同期なのかい?」
 
「ええ、僕達より、2ヶ月ほど後に入ってきたんです。腕のほうはたいしたものだと思いますよ。剣と一緒に鞭まで使いますからね。」
 
「鞭?あの猛獣使いが持つような・・・。」
 
「そうです。左手で鞭を操って、右手で剣を使うんです。二刀流のようなものですから、攻撃力はかなりのものですよ。」
 
「本当に猛獣使いでもやってたんじゃないかって言った途端、耳元を鞭の先がかすめていったものなぁ。あれは凄まじかった。」
 
 クロムがちょっとだけ遠い目をしてつぶやいた。
 
「それで君はスサーナに一目惚れしたんだものな。」
 
「ふん・・・あいつがまさか、そんないいとこのお嬢さまだなんて知らなかったんだよ。」
 
「別に君を非難しているわけじゃないんだ。そんな言い方をするな。さっきから言ってるだろう?今のスサーナは一王国剣士なんだ。身分だの何だのとばかり言ってると、今度は耳元をかすめるだけじゃすまなくなるぞ。」
 
「バカ言うな。あいつと俺の腕はそんなに違わないんだ。そんな情けないめには遭わないさ。」
 
「腕についてはそれほど自信があるのに、どうして身分にこだわって卑屈になったりするんだ?そんな君を見ているのは一番いやだ。」
 
 フィリスは完全に怒っているようだ。スサーナという娘の話になった途端、さっきまであんなに自信に満ちていたクロムがすっかりいじけてしまっているのを見て、腹を立てているらしい。
 
「ふぅん・・・ベルスタイン家って言うのは、身分や地位にこだわらない家風だと思ってたけどな。セルーネさんが跡を継いだのならなおさらそうだと思うんだけど・・・。それともそのスサーナという女の子の家がこだわる家なのかい?えーと・・・確かレンディール家だったかな・・・。」
 
 身分の話などを持ち出しただけでセルーネさんは怒り出すだろう。もっともセルーネさんの姉君達がどんな人なのかまでは知らないので何とも言えないが・・・。クロムは黙ったまま小さくため息をついた。
 
「いえ、クロービスさんのおっしゃる通りですよ。こいつは一人で卑屈になってるだけなんです。」
 
 フィリスがクロムを横目で睨みながら答えた。
 
「スサーナのお母さんはセルーネ卿と同じ考えのようです。スサーナ本人の気持ちしだいだって。もっとも今のところ彼女は団長に夢中なんですけどね・・・。団長が結婚でもしてくれれば話は違うんでしょうけど、未だに独身ですから・・・。怒るとすごく怖いのに不思議と人を引きつけるところがあって、確かに、男の僕らから見ても魅力的な方ですよ、団長は。スサーナが好きになる気持ちもわからないではないんですけどねぇ・・・。」
 
 フィリスがため息をつく。クロムもため息をつく。この手の問題に明確な解決方法などありはしない。ただひとつわかっていることは・・・もちろん私がわかっているだけのことだが、オシニスさんがこの先誰とも結婚しないだろうと言うことだけだ。
 
(フロリア様となら・・・可能性はゼロじゃないんだろうけど・・・。)
 
 ゼロでないとは言え、もちろんそう簡単にいく話とは思えない。ではフロリア様が別の誰かと結婚されたとしたら、オシニスさんはそのスサーナという娘との結婚を考えるだろうか。それはないような気がする。たとえフロリア様がどこかの貴族の子息とでも結婚して世継ぎをもうけたとしても、オシニスさんは今までどおり、剣士団長としてフロリア様の治めるこの国を守っていくだろう。だが今になってさえ、フロリア様が結婚される気配がないということは、フロリア様にもこの先結婚する気はないのかもしれない。結婚ばかりが女の幸せと言い切るつもりはないが、フロリア様がご結婚なさらない理由がもしも、今でもカインのことを引きずっているからだとしたら・・・。愛というにはまだまだ幼すぎたカインへの思いを胸の奥に閉じこめたまま、ずっと今まで生きてきたのだとしたら・・・それは何とかしなくてはならない。そろそろお世継ぎ問題も本格的になるだろう。フロリア様はどう思われているのだろう。
 
「なるほどね・・・。人の心の問題だから、難しいね。」
 
 なんとも言いようがなくて、私はあいまいに言葉を濁した。
 
「ははは・・・。初対面だっていうのに情けない話聞かせちまってすみません。いくら好きでも振り向いてもらえないと思うと、あいつと俺の間に立ちはだかるものには何にでも腹が立ってつい・・・。確かに、身分なんて関係ないんですよね・・・。」
 
 少しさびしげにクロムが笑った。フィリスがいたわるような視線をクロムに向ける。
 
「そろそろお昼よ。もう宿舎に戻って、夜に備えて寝たほうがいいんじゃない?ほらクロム、そんな情けない顔してたら、夜の警備なんて務まらないわよ。」
 
 シャロンが沈んだ雰囲気を盛り上げるように元気な声で二人に声をかけた。
 
「そうだなぁ・・・。余計なことは考えずにぐっすり寝るか。フィリス、行こう。」
 
「そうだな。それじゃシャロン、またね。」
 
「あ、フィリス、モルダナさんには会えるかい?ぜひ一度お会いしたいんだけど、体調がよくないのではかえってご迷惑かな。」
 
「迷惑だなんてとんでもない。ぜひおいでください。祖母も喜ぶと思います。」
 
 フィリスは笑顔でうなずき、自分の家までの簡単な道順を教えてくれた。
 
「ありがとう。必ず伺うよ。」
 
「はい、お待ちしています。」
 
 
「ちわぁっす!シャロン、いるか!?」
 
 フィリスとクロムが入口の扉を開けようとしたとき、何となくぎこちない、そして聞き覚えのある声とともに突然扉が開いた。
 
「あら、エルガートさん、いらっしゃい。」
 
 入ってきたのはなんと、ローランで知り合った王国剣士、エルガートだった。
 
「今日はずいぶん賑やかだな。おおクロムにフィリス、来てたのか・・・あれ・・・?」
 
 エルガートは私達を見て、なぜかばつ悪そうにぺこりと頭を下げた。今の彼は、落ち着いた王国剣士というより、ごく普通の若者の顔をしている。そう言えばリックとエルガートは祭りのあいだは休みだと言っていた。制服も着ていないところを見ると、私用で買い物に来たのだろう。
 
「こんにちは。久しぶりというほどでもないね。休みに入るのはもう少し後のような話だったけど、もう入ったのかい?」
 
「は、はい。実は先生達がローランを出られた日から一応休みに入ってはいたんですけど、交代要員が着くまでは待っているつもりだったんです。そしたらそいつらが結構早く着いたんで、昨日馬車でこっちまで戻って来たんですよ。警備をかねて歩いてこようかと思ったんですけど、リックの奴が早く家族に会いたいって言うもので・・・。」
 
 エルガートが話している間中、なぜかクロムとフィリスはにやにやしながら彼を見ている。シャロンを見ると頬が少し赤い。この二人はもしかして・・・。
 
「へぇ・・・エルガートさんがシャロン姉に早く会いたいからじゃないんですか?」
 
 クロムがからかうようにエルガートに話しかけた。
 
「こ、こら!大人をからかうな!」
 
「ふぅ〜〜〜ん・・・大人ねぇ・・・。」
 
 なおもにやにやしているクロムを、エルガートはギロリと睨んだ。
 
「くそっ!お前ら覚えてろよ。休み明けは一日訓練場につきあわせてやるぞ!」
 
「ひぇ〜〜、恐い恐い、おいフィリス、俺達はさっさと退散しようぜ。シャロン姉!夜の警備は俺達がしっかりやるから、存分にエルガートさんと遊んで来いよ!」
 
「バカ!大人をからかうもんじゃないわよ!ほら、買った物!忘れないでよ!」
 
 シャロンは真っ赤になりながら、クロムとフィリスが買い込んだ雑貨を大きな袋に入れて手渡した。
 
「はいはい、それじゃエルガートさん、しっつれいしまぁっす!」
 
「それじゃ、クロービスさん、ウィローさん、失礼します。夜の祭り見物は気をつけてくださいね。」
 
「ありがとう。またね。」
 
「お前らさっさと出てけ!まったくもう・・・。」
 
 クロムとフィリスは笑いながら店を飛び出し、エルガートが二人の背中に向かって怒鳴った。顔が真っ赤だ。
 
「はぁ・・・す、すみません。お騒がせして。」
 
 エルガートはまだ赤い顔のまま、吹き出した冷や汗を拭っている。
 
「そんなことはないよ。しかしエルガートとシャロンがそう言う仲だったとは知らなかったな。」
 
「あ、あの・・・私達そんなんじゃ・・・。」
 
 シャロンも赤い顔のまま必死で弁解する。その言葉を聞いたエルガートの顔が少しだけ曇った。
 
「なあシャロン、今日の夜出られないのか?」
 
「う、うん・・・ごめんなさい。フローラが出掛けるみたいだから・・・私は店を・・・。」
 
「ふぅ・・・。仕方ないか。それじゃ・・・その次でも・・・」
 
 どうやら私達も邪魔な存在のようだ。
 
「それじゃ私達もそろそろ失礼するよ。昼間の祭りもなかなか楽しいけど、今日は夜も見て歩くつもりだから、もう少し露店を見て回って、あとは宿屋で休もうか。」
 
「そうね。それじゃセディンさんとフローラにもう一度挨拶してから行きましょう。」
 
 私達はセディンさんの部屋に戻り、挨拶をして店を出た。シャロンとフローラが店の前に並んで見送ってくれた。シャロンの後ろでエルガートが、まだばつの悪そうな顔で頭を下げている。なんだかいたずらが見つかって焦る子供みたいに見えた。フローラの話といいさっきの薬草の件といい、シャロンには、何か人に言えない秘密があることは確かなようだ。あの薬草が、本当に『薬』と呼べるようなものではないとしたら、シャロンは何か、重大なことに巻き込まれている可能性もある。セディンさんの病状も心配だし、場合によってはシャロンを問いたださなくてはならなくなるかも知れない。いろいろと不安なことはたくさんあるが、シャロンを大事に思ってくれている若者がちゃんといたことがうれしかった。エルガートは信頼できる若者だと思う。このままうまくいってくれればいいのだが・・・。
 

第52章へ続く

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