「・・・まず、シャロンの本当のお父さんというのが、レクターという人物であることは多分間違いないんだろう。そして、その人物について、君のお母さんが20年ほど前、何か王宮に頼み事をしたらしい。そして王宮から、デールさんを殺した人物だという返事が来ている。これについては私達もハース鉱山の鉱夫達から聞いたけど、真相は未だわからない。そして2ヶ月ほど前、謎の人物がシャロンを訪ねて来て、シャロンに父親の仇を討たせてやると言った。それ以来シャロンがどこかに出掛けるようになった。判っているのはこれだけなんだ・・・。」
「そうか・・・。でも・・・それだけではやっぱり何も判らないようなものだね・・・。」
カインがため息をつく。
「そういうことだね・・・。まずは、王宮でおかみさんを応対したのが誰だったのか、そして調査をしてくれたという人物が誰だったのか・・・。その人物は、もしかしたらシャロンの父さんがデールさんを殺したという、決定的な証拠でも握っているのかも知れないし、また、全然そうじゃなくて推測だけなのかも知れないし・・・。それに店に現れた人物は、どうしてシャロンに仇を討たせてやると言ったのか。仮にシャロンの父さんが誰かに殺されたのだとして、その殺した犯人は誰で、なぜ殺したのか。そのあたりのことが判らなければ、これ以上は調べようがないな・・・。」
「でも・・・王宮で調査してくださったことが実はまるっきり憶測だけだったなんて・・・考えられません・・・。」
私の言葉にフローラが不安そうに顔をあげる。
「それは確かにそうなんだけどね・・・。」
でもそれを確かめる方法が、今は何もない。
「とにかく・・・先走らずに、落ち着いてよく考えてみることだよ。」
「そう・・・ですね・・・。」
20年前・・・王宮の受付にはパティがいた・・・。彼女に聞くことが出来れば、もしかしたらわかるかも知れない。受付に現れた客に関してのパティの記憶力は驚異的だった。一言二言しか言葉を交わさない相手でも、しっかりと憶えている。おかみさんの人相風体を話して、昔その女性が誰を訪ねてきたのか聞くことが出来れば・・・。だが、王宮に今パティがいるとは思えない。多分もう結婚しているだろう。その相手が誰であるのかは想像がついたが、万一別な相手だったりしたら、人の家庭に波風を立てることにもなりかねない・・・。そう考えると、パティの消息をカインに尋ねるわけにはいかないかも知れない・・・。
考え込んでしまった私を、カインとフローラが心配そうに見ている。隣の妻もそんな私の顔を覗き込んでいたが、小さなため息を一つつくと、みんなのカップにもう一杯ずつお茶を注ぎながら、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ねえ、フローラ・・・。あなたはとても優しい子だわ・・・。あなたがシャロンを思いやる気持ちは解るのだけど・・・。でもね、もう昔のことなの・・・。あなた達が生まれるよりもっと前のことよ・・・。そんなことで・・・今の時代を生きるあなた達が苦しまなければならないなんておかしいわ・・・。それにね・・・仮に父を実際に手にかけた人物が誰なのか、今さらわかったとしても・・・もう父は戻ってこないのよ。・・・誰も憎むつもりはないわ・・・。だからあなたはもっと自分のことを考えなさいな・・・。あなたはまだ若いのよ。」
妻はお茶を注ぎ終えると、自分のカップを口に運んだ。瞳には涙が少しだけ滲んでいたが、その表情はとても静かだった。
「そういうことだ・・・。君は君だよ。フローラ、君のご両親に私はとてもお世話になったんだ。立派な方達だということはよく知っているよ。そして君の話を聞けば、君の姉さんも優しく思いやりあふれる女性に成長しているのだろうと私にはわかる。きっと何か事情があるんだよ。だから、そのことで君が気に病む必要は何もないと思うよ。それに、王国剣士の採用基準は家族でも家柄でもない。その人物の剣の腕と人となりが試されるんだ。カインはとてもそうは見えないかも知れないけど、一応実力で試験を突破したはずなんだから、カインの仕事のことまで君が考えてやる必要はないよ。もしクビになることがあるとしたら、それはこいつの実力がたりなかったと言うことだ。」
「と、父さん・・・その・・・『とてもそうは見えない』とか『一応実力』とか、何か僕がすごいマヌケで、やっとこさ受かったみたいな言い方しないでよ。」
その言葉にフローラがクスリと笑った。フローラの笑顔を、カインは嬉しそうに眺めている。
「やっと笑ったね。君はやっぱり、笑っている時が一番かわいいよ。」
フローラはくすくすと笑いながら涙を流していたが、やがて涙をためたままの瞳でカインを見あげた。
「私・・・あなたのそばにいていいのかしら・・・。」
「当たり前じゃないか。」
「でも私・・・きっとあなたに迷惑をかけてしまうわ。」
「そんなことないよ。」
「それに・・・姉さんがいつもどこに出掛けていくのか判らない・・・。」
「きっと何か事情があるんだよ。もう少し様子を見よう。」
「でも・・・私・・・私・・。」
「君のことは、必ず僕が守るよ・・・。君の姉さんも父さんも・・・。僕が王国剣士になったのは、別に出世したいからなんかじゃないんだ。自分の大事な人達くらいちゃんと守れなくちゃね。」
「大事な・・・人・・・?そう言ってくれるの・・・?」
「そうだよ。今の僕には君が一番大事だよ。あ、父さんと母さんは別格さ。でもね、息子の僕が言うのも何だけど、父さんは僕より遙かに強いんだから、僕が守る必要なんてないんだ。母さんには父さんがいるしね。だからやっぱり僕にとって一番大事なのは君だよ。」
カインは愛おしそうにフローラを抱き寄せた。
「・・・ありがとう・・・。」
そのままフローラは両手で顔を覆った。肩が震えている。カインがその肩をしっかりと抱きしめ、フローラはカインの腕の中で声を立てずに泣いている。昨夜は男として実に情けない一面を見せてくれたが、こうしてみると我が息子もなかなか捨てたものではないかも知れない。結婚まで漕ぎつけられるかどうかはともかく、今これほど慕い合っているのなら、何とかこのままうまく行ってほしいものだが・・・。隣をみると、妻はそんなカインを目を細めて見ている。少しだけ寂しそうに・・・。父親のことを思いだしてなのか、子供だと思っていた息子の思いがけない成長を見てなのか・・・。
妻は私の視線に気づき、微笑んでみせると立ち上がった。
「さてと、お昼ゴハン作らなくちゃね。」
もういつもの元気な笑顔に戻っている。
「手伝おうか?もうお昼になりそうだよ。午前中の診療もそろそろ終わるから、午後から向こうに行けばいいし。」
「あ、あの・・・食事の支度なら私がお手伝いします。」
不意にフローラが叫んだ。その瞳はまだ赤く腫れていたが、もう涙は乾いている。
「そうね。お願いするわ。」
妻はそう言うと、フローラに向かってにっこりと笑って見せた。フローラと妻が台所に姿を消し、カインと私が残された。
「・・・父さん、ありがとう。」
「ん?別に礼を言われるようなことはしてないよ。」
「でも嬉しかったんだ。フローラのこと認めてくれて・・・。シャロンのことだって・・・。」
「フローラはいい娘だと思うよ。シャロンの父親のことは・・・まだなにもわからないんだ。いろいろとよく考えてみないとね。それに・・・もう昔のことだよ・・・。みんな昔の・・・。」
言いながら胸が締めつけられていくのがわかる。背中を冷たい汗が流れ落ち、脳裏には懐かしい『カイン』の顔がまた浮かぶ・・・。私は一体どうしてしまったのだろう。3ヶ月前、奇妙な夢を見たのは何となくわかる。元々私がもっていた不思議な力のせいなのだろう。だがあの声は一体なんだ・・・!?なぜ・・・間違いなく起きている時に聞こえてきた・・・あの声・・・。あれからずっと・・・昔のことを思い出すたびに、血の海に沈むカインの姿が浮かび上がる・・・。まるで私を責めるように・・・。
「父さん・・・?どうしたの?」
怪訝そうなカインの声。せめて子供達がこの家にいる間、私の心の動揺を気づかれるわけにはいかない。
「なんでもないよ。お前があんまりフローラに偉そうなことを言うから、なんだかおかしくてね。」
「僕だってこの3ヶ月間ダテに過ごしてきたわけじゃないからね。」
カインは胸を反らしてみせる。
「ぜひそう願いたいものだ。」
その時奥から妻の声が聞こえた。
「ねぇ!クロービス!!ブロムさんを呼んできてよ。お昼だからって!!」
「わかった!!」
返事をして部屋を出ようとすると、
「僕が行くよ。父さんここにいていいよ。」
カインがそう言って部屋を出ていった。一人になった途端、また背中を冷たいものが流れていく。私は深呼吸をして、食堂への扉を開けた。
この日の昼食はやっと賑やかなものとなった。すっかり元気になったカインが一人で喋りまくっていたからだ。私は午後から診療所に顔を出した。少し疲れてはいたが、努めて平静を装って椅子に座った。
「・・・何とかおさまったようだな・・・。」
ブロムおじさんがぽつりとつぶやく。
「・・・そうだね・・・。あのままうまく行くならそれはそれでいいんだけど・・・。どうなのかな・・・。」
カインのことだ。いつまたあの調子で強引に出て失敗しないとも限らない。
「なるようになるさ。しかしあのやんちゃ坊主がそんな歳になったのか・・・。うれしさ半分、寂しさ半分だな。」
「・・・そうだね・・・。カインももう18だからね。」
「18か・・・。お前がこの島を出たのは確か20歳の時だったな・・・。」
ブロムおじさんも遠い目をする。
父が亡くなってこの島を出て、王国剣士としてエルバール王国で暮らし、またこの島に戻ってきた。あれから20年・・・いや、もうすぐ21年が過ぎる・・・。その間、平穏無事とは行かなくても、妻と二人、この島で生きてきた・・・。その毎日が足下から崩れてくるような恐怖・・・。奇妙な夢・・・。不気味な声・・・。まぶたの裏に焼きついたまま、私を責め続けるかのような血まみれの友の姿・・・。それらは何を意味しているのだろう・・・。そして私は・・・どうすればいいのだろう・・・。
この日の夕食のときには、カインもフローラもすっかり元気になっていた。食事のあとお茶を飲みながら、カインが剣士団の採用試験にまつわる話を披露してくれた。試験で名前を呼ばれて、返事をしようとしたら焦って声がひっくり返ってしまって笑われた話や、剣技の試験で勢い余って壁に激突して鼻血を出してしまい、試験が中断しそうになった話など、カインが身振り手振りを交えて大熱演をしてくれたので、みんな時間の経つのも忘れて聞き入っていた。
「いやぁ、こんなに笑ったのは久しぶりだ。やっぱりカインがいるとにぎやかだな。」
ブロムおじさんは本当にうれしそうだ。
「私もこんなに楽しかったのは久しぶりだよ。おじさん、今日はもう遅いから泊っていってよ。」
もう夜も更けていた。いくらすぐ近くに住んでいるとはいえ、こんなに夜遅くに一人で夜道を帰らせるのは不安だった。
「そうだな・・・。久しぶりに泊めてもらうことにするか。」
普段、ブロムおじさんはここには滅多に泊らない。夕方まで診療所にいるのだから食事はいつも一緒だが、食べ終わると必ず自分の家に帰っていった。だが、昨日とは違って今日はすんなりと私の申し出を受けてくれたと言うことは、カインが元気になったのがよほどうれしかったのだろう。カインがずっとここにいたら、あるいは一緒に暮らしてくれるだろうか。ふとそんなことを考えた。
毎日夕食のあと、いつも私は家の玄関に立って、家路につくおじさんの後ろ姿を見送っている。私が物心ついた頃にはおじさんはもう父の助手をしていた。そして父の死後、危険を冒して私をエルバール城下町まで連れて行ってくれた。私がこの島に戻ってきてからもずっとそばにいてくれた。おじさんの歳などそれほど気にしたことは今までなかったが、もう60を過ぎるくらいの歳にはなっているはずだ。いくらすぐ近くに住んでいるとは言え、やはり心配だった。20年前、城下町の西門の手前で別れる時、おじさんは私を息子のように思っていたと言ってくれた。私にとってもそれは同じだった。父が亡くなってから、おじさんはずっと私にとっては父のような存在だった。
今私達が住んでいる家には部屋などいくらでもある。以前は診療室が一つあっただけで、あとは自分達の眠る部屋と食事をするための部屋、それに風呂と台所があるだけのとても簡素な家だったのだが、妻と私がこの島に戻ってきた時、私がここで父の跡を継ぐという話を聞いたダンさんがとても喜んでくれて、結婚祝いだと言って家を増築してくれた。一体どれほどの大家族が住むんだろうと思われるほど部屋をいくつも作って、二階建てにもしてくれた。さらに診療室のまわりにいくつかの部屋を作り、患者が休めるくらいの設備がおけるようにとしてくれて、診療所の玄関も別に作ってくれた。あまりにも規模の大きい建物が出来てしまって、おじさんも妻も私も驚いたものだ。おじさんにこの家に来てもらって、一緒に暮らすことが出来れば、毎日こんな風に心配することはないのかも知れない。妻にしても同じ気持ちだったが、本人はどうしても首を縦に振ってはくれなかった。 でも今日は安心して眠れる。カインの話で、久しぶりに心から笑うことが出来、この日はそれぞれが幸せな気持ちで眠りにつくことが出来たと思う。
翌日の朝も、やはりあの夢を見ずに目覚めた。頭の中がすっきりしている。だが起きていれば、きっとまた背筋を流れる冷や汗と、つらい記憶に苦しめられるのだろう・・・。ベッドから出てカーテンを開けると、日の出前の空は澄みきっていた。今日も晴れそうだ。
「おはよう、クロービス。」
後ろから妻の声がした。
「おはよう。」
「ゆっくり眠れたみたいね。昨夜も夢は見なかったの?」
「うん、不思議なことにね。昨夜大笑いしたせいかな。」
昨夜のカインの話を思い出しながら、私は思わず笑いだしてしまった。
「そうねぇ。あれでよく剣士団の試験に合格したものだわ。昔カナの村に来ていた王国剣士の人達は、みんな頼りになってかっこよく見えたのにねぇ。私があなた達に初めて会った時だって・・・。でも今って・・・あんな感じなのかしら。」
妻が笑いながらもため息混じりにつぶやく。
「ははは。外に出ればそれなりに見えるのかもしれないよ。実際フローラはずいぶんカインを頼りにしているみたいだし。」
「そういえばそうね。」
納得しかねるように首を傾げながら、それでも妻は一応頷いて見せた。
「でも・・・あの時私達のことをかっこいいなんて思ってたの?そんな風には見えなかったけどなぁ・・・。」
「あらそう?ふふ・・・かっこよかったわよ。あなた達もね・・・。」
「そうかなぁ・・・。だって君言ってたじゃないか、私のことを静かそうで変わってるって。」
「そうだっけ・・・?ああ・・・そうね。そんなことを言ったかも知れないわ。だって・・・そう見えたんだもの。」
妻は私の顔を窺うように上目遣いに見ている。
「ほら、やっぱりね。静かそうで変わってるって言うことと、かっこいいって同じ意味に聞こえないよ。」
私はまた笑い出してしまった。昨夜の大笑いの余韻がまだ残っているのか、昔話をしても一昨日のように冷や汗は流れてこなかった。
「かっこよかったって言うなら・・・カインの方だろうな。私よりも背が高くて、肩幅も広かったし。剣の腕だって私よりもずっと上だったし・・・。君が砂漠に出たばかりの時にモンスターに襲われた時、君を助けたのはカインだったじゃないか。」
「・・・そうね・・・。でもそのモンスターを追い払ってくれたのはあなただわ。」
「そう。あの時はとにかく君を、モンスターの前から連れてこなくちゃならなかったから、力のあるカインが行ったんだよ。その間に私がモンスターを追い払おうってね。私が君を助けに行って、重くて持ち上がらなかったりしたら大変だからね。」
「いやぁねぇ!私そんなに重くなかったわよ!!」
妻も笑い出してしまった。カインがかっこよく見えたんじゃないのかと私が言った時、妻の顔がほんの少し翳った気がした。あの時カインの腕にしっかりと抱きかかえられて、妻が赤くなっていたことを憶えている。そんなことを気にしているわけではないのだろうが、カインのことを思い出すのは、妻にとってもつらいことに違いなかった。
「さてと、それじゃ今日はうちのカインの洗濯物の量をよく見てこようかな。昨日はそれどころじゃなかったけど、ちゃんと洗わせないと、カインが帰るまでに洗濯が終わらなくなっちゃうわ。」
妻は笑いながら腕まくりをして見せた。
「すごい量だよ。びっくりしないでくれよ。」
一昨日の荷物の大きさを思い出し、私も笑いながら妻に念を押した。決心したように妻は立ち上がると、素早く着替えをすませて寝室から出ていった。私が着替えを終えて食堂に顔を出した頃には、ブロムおじさんはもう来ていて食卓に座っていた。台所から音が聞こえる。妻はもう朝食の支度をはじめているらしい。
「ウィロー、カインの洗濯物はどうだった?」
私はからかうような口調で妻に声をかけた。
「もうびっくりよぉ!どうやったらあんなに溜め込めるの!?こっちから持っていった服や下着だけじゃなくて、向こうで支給された制服から何からみーんな詰まっているの。さすがにあきれちゃったわ。今頃必死で洗っているわよ。」
「へぇ、結局全部自分で洗わせることにしたの?」
「ううん、少しだけ私が引き受けることにしたわ。カインたら何も言わなくても花壇の水撒きを全部やっていてくれたのよ。だからそのご褒美ってことにしてね。」
これは意外だった。あのねぼすけの息子が、誰にも言われないのに早起きをして水撒きまでしてくれたとは。
「へぇ・・・あいつが自分からねぇ・・・・。」
「フローラも一緒にいたから、いいとこ見せたかったんでしょ。」
「なるほどね。そう言うことか。わかるような気がするな。」
恋人を連れて帰ってきたのに親にたたき起こされていたのでは確かに情けない。だが、どんな理由であれ、我が息子は確実に大人になりつつあると言うことなのだろう。私は、昨日のブロムおじさんの『うれしさ半分寂しさ半分』と言う言葉を思い出していた。
「クロービス、そろそろ朝食の支度が出来るから、カイン達を呼んできてくれる?」
妻の頼みをきいてカインとフローラを探しに外に出ると、花壇の隣にある物干し台のほうで話し声がする。
「そんなシワくちゃのまま干したらだめよ。ほら、こうやってシワを伸ばしてね。」
「うーん、一枚一枚全部するの?めんどくさいなあ。」
「あなたがやらなきゃ誰がやるの?自分の着たものなんだからちゃんとしなきゃ。」
どうやらフローラが、カインに洗濯物の干し方を教えているらしい。しかしこの3ヶ月はどうやって干していたのだろう。剣士団宿舎には食堂のおばさんがいるだけで、特別世話係の人などはいなかったはずだから、そこまでの面倒は見てくれるはずがない。洗いっぱなしでシワだらけのまま干していたのか・・・。そのくらいのことはカインならやりかねない。制服などは専門の洗濯業者に頼んでいるだろうから、中に着るものなど気にしたこともなかったのだろう。それとも同室の相方の剣士が引き受けてくれているのだろうか・・・。そういえば、私もよく二人分の洗濯をしていたっけ・・・。
ズキンと胸の奥が痛む。昨夜の大笑いの余韻はもう消えてしまったらしい。こんなところでべそをかいているわけにはいかない。私は自分の気持ちを奮い立たせるつもりで、カインをからかってやろうと、そっと二人の背後から近づいた。
「こら!!カイン!何をやっとるか!!」
いきなり後ろから怒鳴られてカインは飛びあがらんばかりに驚いた。
「は、はい!!申し訳ありません。剣士団長!」
この言葉に驚いたのは私のほうだった。
「・・・お前、まさかしょっちゅう勤務中に団長に叱られてるのか!?」
私の声に振り向いたカインは耳まで真っ赤になり、
「と、父さん、驚かせないでよ!」
「驚かなくてすむように、もう少ししっかりしてくれ。」
不意にフローラが笑いだした。かわいらしい笑顔の中に、亡きおかみさんの面影が重なる。フローラはなおもこみあげてくる笑いをこらえながら、
「すみません・・・でも、カインたらおかしくて・・・・。」
「フローラ、こいつはこう言うやつなんだ。お調子者で、変なところは要領がいいのに肝心なところで抜けている。君はきっと苦労するよ。」
私はそう言って笑ってみせた。その時台所のほうから美味しそうな香りが漂ってきた。
「お、そうだ。忘れていたよ。食事の用意が出来たから君達を呼びに来たんだった。」
「え?しょ、食事の用意!?まあどうしましょう、私ったらお手伝いもしないで。」
フローラははじかれたように台所に向って駆け出していった。一昨日会ってからいままでの印象でおとなしい娘だと思っていたフローラの、どこにそんな勢いがあったのかと目を丸くしている私の横で、カインがあくびをしながら、
「見ただろ?フローラだってあういうやつなんだよ。けっこうおっちょこちょいでさ。初めて会った時だって、店に並べるはずの品物をつまづいて床にぶちまけちゃってて、ちょうどそこに僕が入っていったから拾うのを手伝う羽目になったんだ。」
そう言って大げさに肩をすくめてみせる。
「へぇ『羽目になった』なんて迷惑そうな言いぐさじゃないか。でもそのおかげでお前達は知りあえて、今ここに一緒に来ているんじゃないのか。」
カインは頭をかきながら、
「ま、そういうことだね。」
さりげなさを装って返事をしてみせる。昨日までのあの騒ぎなど、カインの頭からはすっかり消え去っているようだ。
(この調子で、また同じ失敗を繰り返したりしないといいんだけどなあ・・・。)
「とにかく食事だ。また母さんに叱られるぞ、早く行こう。」
思ったことは口に出さず、カインを促し家の中へと戻った。食卓にはもう妻とフローラ、そしてブロムおじさんが座っている。フローラがしきりに妻に向って頭を下げていた。
「どうしたの?」
私が尋ねると妻は困ったように
「それがね、フローラが食事の用意を手伝えなかったからって。気にする事ないのよ、本当に。あなたがカインと一緒にいてくれるおかげでカインの世話をしなくてすむんですもの。とても助かっているわ。おかげで早く食事の用意が出来たもの。」
「でも・・・わたし・・・。」
フローラはフローラで、はいそうですかと簡単に引き下がれないのだろう。
「そうね、じゃあ、後かたづけから毎回お手伝いをお願いするわ。」
妻の出した妥協案にやっとフローラは納得したらしい。
「僕の世話をしなくていいからってのが何か引っかかるけど。でも手伝いなんて気にしなくていいんだよ。今、君はこの家のお客様なんだから、デーンと構えていればいいのさ。」
いかにも手がかかるように言われたカインが、むっとしながら口を挟む。
「カインの言うとおりよ。でもカイン、あなたまでデーンと構えていないでちょうだいね。あなたはお客様じゃないんだから。」
思いがけない母親からの逆襲に、カインはやぶへびだとでも言うように首をすくめて見せた。
「わ、わかってるよ。ちゃんと洗濯してるじゃないか。」
「夕方になったらちゃんと取り込んでたたんでおくのよ。フローラに手伝わせたりしないでね。フローラはお客様なんだから。フローラ、あなたもカインを甘やかしちゃだめよ。すぐ図に乗るから。」
妻がしっかりと釘を刺す。
「ちぇっ、4ヶ月ぶりに帰ってきたって言うのに、父さんも母さんも二人して言いたい放題じゃないか。もう少し歓迎してほしいよ。まったく。」
カインは口をへの字に曲げてドスンと椅子に座った。
「いいじゃないか。こんな軽口を叩けるのも家族ならではなんだから。」
私は息子が少しだけ気の毒になって助け船を出した。
「物は言いようだよね。ああ、もう腹ぺこだよ。食べてもいいよね。」
旗色が悪いと見たか、カインは話を逸らそうとしている。妻はクスリと笑うと
「そうね。冷めてしまうわ、さあどうぞ。」
やっと朝の食事が始まった。
朝食のあと、私はブロムおじさんと二人、いつものように診療所に定期的にやって来る島の老人達のために、薬をつくっていた。今日来る予定の患者は5人。ほとんどは老齢によるめまいや節々の痛みを和らげるためのものだ。それでもどんなところに病気が隠れているのかわからない。あまり一度にたくさん渡すことはせずに、最低1週間に一度は診察に来てくれるように伝えてあった。その時とんとんと診療室のドアをノックする音が聞こえた。まだ早い時間だが、もう患者が来たのだろうか。
「どうぞ、入ってください。」
私の声に答えて中に入ってきたのは、患者ではなくカインだった。
「何だお前か。ここは診療室だ。何か用なのか?今日の分の洗濯はちゃんと終わったのかい?」
「うん、ちゃんときれいに干したよ。あとは夕方取り込むだけだよ。」
煩わしい洗濯からやっと解放されたのがよほどうれしいのか、カインはにこにこしている。
「なるほどね。それでそんなに晴々とした顔をしているというわけか。フローラはどうしたんだい?」
「フローラは母さんの部屋で服の品定めだよ。母さんたら張り切っちゃってさ。若いときから大事にしまっておいた服をみーんな出してくるから、なんてもう大はしゃぎだったよ。今頃二人でファッションショーでもやってるんじゃないかな。」
私は一昨日の妻の言葉を思いだしていた。
『あんなかわいい娘が出来るなら、それはそれで大歓迎なんだけど・・・。』
妻にしてみれば、器量のいい娘が突然出来たようで嬉しいのだろう。
「そうか。で、お前は暇つぶしに父さんのところへ来たという訳か?残念ながら父さんはお前のように暇ではないんだ。用がないなら出ていってくれよ。」
「おいおい、クロービス、4ヶ月ぶりに帰ってきたんだからそんなに邪険にしないでやってくれよ。」
ブロムおじさんがとりなす。
「そうじゃないよ。父さんに用事があってきたんだよ。」
「用事?」
その時、また診療室のドアを叩く音がした。
「おーい、クロービスいるかぁ。薬をもらいに来たぞぉ。」
この声はダンさんだ。とても病人とは思えない元気な大声で叫んでいる。
「おお、なんだ、ダンお前も来てたのか。」
ドアの外でさらに別な声がする。この声はドリスさんだ。カインと話をしている余裕はなさそうだ。
「カイン、すまないがあとにしてくれないか。患者さん達が来てしまったよ。」
カインはちょっとがっかりしたようにドアのほうに目をやったが、
「わかった。じゃ今日の夕食後でいいよ。そのほうがゆっくり時間を取ってもらえるよね。」
「そうだな。その時なら母さんも一緒に話が聞けるだろう。あ、それから、今日のうちにおじいちゃんのお墓にはちゃんとお参りしてきなさい。」
「うん、わかった。おじいちゃんにもフローラを紹介してくるよ。」
カインが外に出ようとした時、ちょうど診療室のドアが勢いよく開いた。
「おお、カイン帰ってたのか。久しぶりだなぁ。」
「カインじゃないか。何だよ、水くさいな。帰ってきてるなら声をかけてくれればいいのに。」
ダンさんとドリスさんが、かわるがわるカインに声をかける。
「今日行こうと思ってたんだ。あとで顔を出すつもりだよ。父さんまたあとでね。」
「ああ、わかった。」
「なんだかカインは逞しくなってるんじゃないか?」
ダンさんがカインの後ろ姿を眺めてつぶやいた。
「お前もそう思ったのか?俺もなんだよ。なんて言うかこう、ひとまわり大きくなったような・・・。」
ドリスさんが同調する。
「ははは、褒めすぎだよ。さてと、まずダンさんからでいいですか?」
息子を褒められて、なんだかくすぐったいような気持ちだった。
「おお、俺が先だからな。」
ダンさんは私の前にある患者用の椅子にドスンと座った。
「じゃ、俺は外にいるよ。こいつが終わったら呼んでくれ。」
そう言い残してドリスさんは廊下に出ていった。診療室のドアがぱたんと閉まると、ダンさんは身を乗り出してきた。
「カインはどうなんだ?王国剣士の仕事はうまくいってるのか?」
「何とかやっているみたいだね。まだクビにはなっていないみたいだから。」
冗談交じりに答える。みんながカインのことを気にかけてくれていることが嬉しかった。
「どこか痛いところや、おかしいなと思うところはないですか?」
「いや、いつもの通りだ。少し頭痛がするのと、あとは肩のあたりが痛むくらいかな。」
ダンさんの背中に手を置いて治療術の呪文を唱える。私の手を通して、ねばつくような熱い空気がすぅっと体の外に出ていく。
「おぉー、いつもながら気持ちいいねぇ。たいしたもんだよな、この治療術って奴は。」
ダンさんは上機嫌だ。
「私やウィローが使う治療術は所詮対処療法だからね。病気の大元を絶つことまでは出来ないんだ。はい、これが1週間分の薬草だよ。ちゃんと分けてあるんだから、この間みたいにおおざっぱにまとめて飲んでしまったりしないでくださいね。」
しっかりと念を押してダンさんに薬草の入った袋を手渡した。前回渡した薬草を、ダンさんは面倒くさがってまとめて煎じて一気に飲んでしまっていたのだ。それほど強い効果のある物ではないとは言え、副作用の心配が全くないわけではない。一度くらいならともかく、何度もそんなことを続けていれば、どうなるかなど誰にも判らないのだ。
「判ってるよ。ちゃんと飲むよ。お前さんは呪文を唱えるたびにいつもそう言うが、傷なんかはこの呪文で簡単に治せるんだろう?」
「ちょっとした痛みを取り除いたり、小さな傷を治すくらいなら簡単だけど、精神力を消耗するからね。大けがや重病などは難しいよ。それに呪文でなんでも解決するなら医者も薬も要らないよ。でもそう言うわけにはいかないからね。」
「そういや、サミル先生もそんなこと言ってたっけな・・・。でも昔、お前のかみさんがライザーの子供を助けたじゃないか。ありゃほとんど死んでたぜ。まあ、あのときはお前の子供と引き替えになったようなもんだが・・・。」
「ダン・・・!」
隣で黙って聞いていたブロムおじさんが、鋭くダンさんを制した。調子に乗って言いすぎたと思ったのか、ダンさんは慌てて口を押さえた。
「い、いや、すまん。こんな事を言うつもりはなかったんだ。勘弁してくれ。」
「ん・・・過ぎたことだから・・・。それよりも忘れないでよ。薬草は1週間毎日だからね。きちんと飲んで、また来週来てください。」
平静を装ったつもりだったが、声が少し震えていたかもしれない。いくら過ぎたこととは言え、やはり思い出すのはつらい出来事だ。
「わ、わかった。じゃ、俺はこれで帰るよ。世話になったな。」
ダンさんは脱いでいたシャツと薬袋をつかむと、そそくさと診療室を出ていった。
「おいダン、なんだよ慌てて。」
廊下でドリスさんの声がする。ダンさんが小声で何かしゃべっていたが程なくして
「このばか!よけいなこと言いやがって!」
ドリスさんの叱責が聞こえてきた。二人とも声を殺して喋っているつもりなのだろうが、扉一枚の向こうでの会話など、すべてこちらに筒抜けだ。
「クロービス、気にするなよ。もう終わったことだ。」
ブロムおじさんが手元の本に目を落としたまま気遣うように言う。
「うん・・・大丈夫だよ。それより、ドリスさんは先週おじさんが診てくれたんだったよね。」
「ああ、そうだな。少し内蔵が弱っているみたいでな。とにかく私が診てみるから、必要なら治療術を施してやってくれないか。」
「そうだね。じゃ入ってもらおう。ドリスさん、どうぞ入ってください。」
呼ぶより早くドリスさんは中に入ってくると、私の前の椅子に座りいきなりしゃべりはじめた。
「おい、クロービス。お前のところに誰か客が来てるのか?」
「客?」
「いや、今ダンの野郎がだいぶ馬鹿なことを言いやがったらしいが、そのことを廊下で話していたら、いつの間にかすごいべっぴんさんが廊下の隅に立っていて、俺たちの話を聞いていたんだよ。まだ若い娘だっだぜ。俺たちが声をかけようとしたら、ぺこんと頭を下げてお前の家の中に入って行っちまったんだが。」
「ああ、きっとフローラだね。カインが連れてきたんだよ。」
「なに?カインが!?」
ドリスさんは目を丸くした。
「連れてきたって言うのは・・・その・・・。彼女ってことか・・・?」
「まあ・・・そうだろうね。だって何とも思ってない相手の家に泊まりに来るなんて、おかしいじゃないか。」
「ま、まあ・・・確かにそうだよな・・・。そうかぁ・・・。俺はてっきり、カインはライザーんとこのイルサといい仲なんだと思ってたんだがなあ。イルサが王立図書館で司書とかになるってんでこの島を出たのが1年前だから、カインが王国剣士になるなんて言いだしたのはイルサを追っかけるためなのかと思ってたよ。そうじゃなかったのか?」
「どうなのかな・・・。私にはそこまでは判らないよ。そもそも縁なんてどこに転がっているか判らないものだと思うしね。」
「それはまぁ・・・そうだな・・・。そのいい例がお前達夫婦だもんなぁ・・・。」
「え・・・?そ、そうかな・・・。」
「そうだよ。お前この島を出るまではすごくおとなしかったしなぁ・・・。ちゃんと相手を見つけられるのかどうか、心配していたくらいだ。そのお前が、まさか島を出て一年くらいの間に、嫁さんを見つけて帰ってくるとは思わなかったよ。ウィローは本当にいい嫁さんだよな。お前にゃもったいないくらいだよ。ただな、俺たちみたいにずっとこの島で暮らしている者にとっちゃ、やっぱりこの島で育った者同士が所帯を持ってくれたりすると嬉しいもんなのさ。ライザーとイノージェンだってそうだろう?もっともライザーがこの島を出たのはまだ小さい頃だったから、まさか戻ってくるなりイノージェンと結婚するとは思わなかったがな。俺は、イノージェンはお前と結婚するのかと思ってたよ。お前らけっこう仲良かったじゃないか。」
「そうだけど・・・。でもイノージェンにとって私は弟のようなものだったと思うよ。いつもライザーさんの話ばかり聞かされていたからね。」
「へぇ、そうなのか。どうも俺の見立ては当てにはならないみたいだな。・・・しかしカインがねぇ。あいつもそんな歳になったのかねぇ。俺たちがジジイになるわけだよなぁ。」
「とんでもない。ドリスさんもダンさんもまだまだ若いよ。気持ちが歳をとったら一気に老け込むんだからね。」
「そ、そうか?へへへ、俺もまだ捨てたもんじゃねぇかな・・・。しかし・・・そうすると、ますますまずいことになっちまったかなあ・・・。すまん、クロービス。うっかりここの廊下なんかで妙な話しちまって・・・。」
ドリスさんは頭をかきながらぺこりと頭を下げた。
「いいよ、気にしないでよ。あの娘がこのままカインとつきあっていくなら、いずれは判ることだと思うしね・・・。」
「ドリス、別にあんたが言い出したわけでもなかろう。それに一度口に出したものを引っ込めるというわけにもいくまい。それよりもう話は終わったか?あんたは私の受け持ちだ。ほら、診てやるからちょっとこっちに来てくれ。」
ブロムおじさんにぴしゃりと言われ、ドリスさんはばつが悪そうに場所を移りブロムおじさんと向かい合った。
この日訪れた患者は結局この二人だけだった。あとはみんな娘や孫が薬を取りに来ただけである。出来るだけ本人に来てくれるようにと念を押して薬を渡し、一日の診療が終わった。夕食が終わったあと、ブロムおじさんにもう一晩泊っていくことを勧めたが、家のほうが気になるからと、明るいうちに帰っていった。
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