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 やがて昼になり、私達は今度こそのんびりと弁当を食べることが出来た。オーソドックスなサンドイッチと肉の野菜巻き、鳥の揚げたのや、たっぷりのサラダとフルーツ・・・。宿屋で食べるのと変わらないくらい、豪華でうまい弁当だった。
 
「ふう・・・おなかいっぱい。おいしかったわねぇ。」
 
 妻は上機嫌だ。
 
「うん。これだけの食事を出せるってのはあの宿屋の強みだね。また泊まろうと思うよ。」
 
「そうね。もしも帰りに部屋が取れたら、また泊まりたいわ。あーぁ、イノージェンも一緒だったらよかったのに。」
 
「帰りか。そうだね、帰りもここに泊まれるといいな。その頃には祭りは終わっているだろうからそんなに混まないと思うけど。・・・ライザーさん達と向こうで合流出来るといいんだけどな。あ、でも私達は城下町からカナに向かうけど、イノージェン達が一緒に来るかどうかはわからないか。」
 
「言ったら絶対行きたいって言うと思うわ。カナの話はいろいろ聞きたがっていたし、母さんから届いた野菜を持って行くと、いつも『この野菜を取れたてで食べてみたい』なんて言ってるもの。それにライラの職場見学に行くつもりなら、南大陸へは行くんでしょうしね。」
 
「それもそうだね。それじゃ、向こうで会えたら誘ってみようか。ライザーさんがなんて言うかわからないけど、イノージェンさえ乗せることが出来ればきっと反対なんてしないと思うし。」
 
「そうね。そうしたらみんなでカナに行って、帰りは潮騒亭に泊まって、ドーソンさんのところにもみんなで挨拶に行けるわ。よし!決まりね!」
 
 そのライザーさん達は今頃どこにいるのだろう。我が故郷亭はライザーさんもよく知っているはずだから、城下町に行ったならたぶんあそこに宿を取ると思うのだが・・・。
 
 
 
 そして午後・・・リックとエルガートはやってきた。私の伝言に気を遣ったのか、午後に入ってしばらくしてからのことだ。私達は剣を抜いてもあまり人目に触れない場所を探して、昔訓練場に使っていた浜辺までやってきた。
 
「ふぅ・・・ここに立つといつも身が引き締まる思いです。我々の大先輩達が逆賊の汚名を着せられても、王国剣士としての職務を全うすることだけを考えてひたすらに訓練を積んでいた場所だと思うと・・・。」
 
 リック達は神妙な面持ちで浜辺に立った。
 
「その精神は君達に受け継がれているんだよ。今も昔も、王国剣士の仕事はこの国の人々を守ることじゃないか。」
 
「確かにそうですが・・・今はすっかり平和になってしまって、いささか気が緩んでいる部分がないとは言えません。昨日のルノーとテレンスがいい例です。二人とも実力はあるのですが、あの頑固な性格と状況判断の甘さが足を引っ張っているのです。さっき病室をのぞいたら二人でいろいろ話し合っていたようなので、少しずつでもいいから変わってくれるとうれしいんですけどね。」
 
「きっと大丈夫だよ。」
 
「そうですね・・・。そう信じたいです。では先生、剣を見せていただけますか?」
 
 私は腰の剣を抜いた。陽をはじいて輝く刀身を見つめて、リックとエルガートが息をのむのがわかった。
 
「・・・すばらしい剣ですね・・・。」
 
「持ってみるかい?」
 
「え・・・い、いいんですか?」
 
「かまわないよ。伝説だなんだと言われていても、剣は剣さ。ものでしかないんだ。気にすることはないよ。」
 
「では・・・。」
 
 遠慮がちに、というより恐る恐るリックが手を出した。
 
「あ、あれ・・・?軽い・・・。」
 
「その剣は軽いよ。だから私のような体格には扱いやすいんだ。私の体格は剣士団の中でもかなり細身なほうでね、実際大剣を振り回せるだけの力がある剣士達より、体力もなかったんだ。がんばりすぎて倒れてしまったこともあるしね。」
 
「我々もそんなときがありましたよ。入団したばかりの頃はひたすら強くなりたいとばかり考えて、休みの日は全部訓練に充てるなんて言う無茶なことをやってましたからね。」
 
「そのあたりは今も昔も変わりなしか。もっとも、そのくらいの気持ちがないと王国剣士としてはやっていけないのかもしれないな。」
 
 今も昔も、死と隣り合わせの仕事であることに変わりはない。
 
「そうですね・・・。しかし・・・う〜ん・・・。」
 
 リックは剣を陽にかざしたり、軽く振ったりしながらうなっている。
 
「おいリック、ほどほどにしておけよ。いくら眺めていても、その剣がお前を選ぶってことはあり得ないんだからな。」
 
 エルガートがからかうようにリックに声をかけた。
 
「そんなことわかってるよ。でも剣士として身を立てるつもりなら、こんなすばらしい剣に選ばれるくらいの腕になってみたいものじゃないか。」
 
「まあそれはそうなんだが・・・。」
 
 エルガートがあきれたようにため息をついた。リックはしばらくの間剣を眺め回していたが、やがて名残惜しそうに私に差し出した。
 
「ありがとうございました。一生の間に見ることさえかなわないかもしれない剣をこの手に持てるなんて感激です。」
 
「いや、このくらいのことは別にかまわないよ。」
 
「あの・・・先生、もう一つお願いをしてもいいでしょうか・・・。」
 
 リックがおずおずと口を開く。
 
「おいリック、それはやめておけって・・・」
 
 エルガートが慌てたように口を挟んだ。
 
「いいからお前は黙っててくれよ。先生、私と一度だけ、手合わせしていただけませんか?」
 
「手合わせって・・・君とかい?」
 
 すっかり驚いてしまった。彼らは入団して10年になるいわばベテランの王国剣士だ。当然ながら毎日訓練を積んでいる。彼らの剣に私の腕が通用するとは思えないのだが・・・。
 
「だめでしょうか・・・。」
 
「い、いや、しかし・・・私が剣士団にいたのはもう20年以上も前の話だよ。現役の王国剣士の相手としては不足しすぎじゃないかって気がするんだけど・・・。それに、この剣は確かに私以外の人間が使ってはその本領を発揮することは出来ないけど、だからといって、剣が勝手に攻撃をかけてくれるわけじゃないんだ。かえって君達をがっかりさせることになりそうな気がするんだけど・・・。」
 
「そんなことはありません。お願いします、一度だけその剣の攻撃を受けさせていただけませんか。」
 
 こんな風に真摯な態度で頭を下げられてしまっては、これ以上いやだとは言いにくい。どうもリックは頼み上手なようだ。ここは肚をくくるしかないらしい。
 
「わかったよ・・・。まあ軽く手合わせと言うことなら・・・。」
 
 リックの顔がぱっと輝いた。
 
「本当ですか!?ありがとうございます!」
 
「ふぅ・・・とうとう粘り勝ちか。お前ってほんと、図太いよなぁ。」
 
 エルガートがまたあきれたようにため息をついた。
 
「ふん、お前だって一度手合わせしてほしいようなことを言ってたじゃないか。」
 
「それは、もしも城下町で再会出来たらっていう話さ。」
 
「ここの常駐剣士は、昔みたいに同じコンビがずっとやるわけではないんだね。」
 
「今は町と町との間の行き来も昔より遙かに安全になりましたからね。今ではどこの町にも常駐剣士がいまして、北大陸の町ならだいたい一ヶ月から二ヶ月、南大陸や離島になると三ヶ月から半年の周期で交代しています。我々がここの常駐剣士として赴任したのは先月の今頃ですから、そろそろ城下町に戻る予定なんです。ただ、私は祭りの間休みを取って妻と子供を祭り見物に連れて行く予定なので、もしもこのあと先生と城下町でお会いすることが出来ても、なかなか手合わせをお願いすることは出来ないと思うんですよ。」
 
「なるほど、そんな話を聞いてしまってはなおさら、今相手をしなければならないようだね。」
 
「ありがとうございます!」





 そんなわけで、私達は向かい合っている。リックの持つアイアンブレードはナイトブレードより重い。だがリックの剣さばきを見る限り、そんな重い大剣であるとはとても思えない。戦闘スタイルとしては、オシニスさん達に近いだろうか。エルガートとのコンビネーションを見てみたい気もしたが、さすがに現役王国剣士を二人同時に相手にできる自信はないので黙っていた。突進してきたリックの剣をはじいてかわし、一歩下がる。続けて攻撃してくるかと思ったがリックもまた下がる。だが隙が出来ないところを見ると、今の一撃は様子見と言うところか。
 
「ふぅ・・・まるで団長のナイトブレードではじかれたようでしたよ。見た目は細くて持てば軽いのに、何とも強靱な剣ですね。」
 
 和やかに話しながら、リックは一気に間合いを詰めて次の一撃を繰り出した。危ういところでなんとかかわせた。彼はかなりの腕前だ。
 
「材質は特にいいものを使っているわけではないらしいよ。表面のルーン文字に秘密があるらしいけど、製法については私は素人だからよく知らないんだ。」
 
 よけるばかりでは能がない。攻撃をはずされて体勢を立て直そうとするリックにこちらも攻撃を仕掛けた。リックはかろうじてはじき返し、体勢を立て直した。動きに無駄がない。
 
「伝説の剣が存在すると言うことを知ったとき、矢も楯もたまらずタルシスさんに話を聞きに行ったことがあります。その剣の製法は今では伝わってないそうですね。」
 
 私をまっすぐに見据えて攻撃しながら、彼はなおも和やかに話し続ける。その集中力もたいしたものだ。
 
「そうらしいよ。伝わっていて量産できていれば、伝説になんてならなくてよかったのにと思うんだけどね。」
 
「ですが、その剣が伝説の剣なればこそ、先生も伝説の剣士として語り伝えられていくのではありませんか?」
 
「別に私が語り伝えられているわけではないよ。」
 
「そんなことはありません。伝説の剣を持つ剣士もまた、伝説となるものですよ。」
 
「私は剣士じゃない。まだまだ勉強中のただの医者にすぎないんだ。そんな肩書きはじゃまなだけだよ。」
 
 話しながら攻撃を受ける。
 
「伝説の剣士になりたくなどなかったと?」
 
「君はなりたいと思うかい?」
 
「一生に一度くらいはなってみたいものだと思いますけどね。」
 
「一生に一度だけなって、すぐにやめられるならいいが、一度なったら死ぬまで降りられないんだ。別にいいものじゃないよ。」
 
「なるほど・・・では・・・そろそろ行きます!」
 
 軽く手合わせなどとんでもない。リックは本気も本気、持てる力のすべてを私に向かってぶつけてくる。戦闘スタイルはオシニスさんに近いかと思っが、剣を片手で持つと言うことはしない。アイアンブレードが重いと言うこともあるのだろうが、なによりもそんな技術はリックには必要ないと思える。体格は細身といわれるほどではないと思うが、そんなに大きいわけでもない。だが剣にうまく体重を乗せて遠心力を利用しての斬り込みが当たると、おそらく相当なダメージを受けるだろう。しばらく続いた打ち合いから、リックが一歩下がり、大きく振りかぶった。本気の一撃がくるのだろう。が・・・あの構えからではどうしても両脇に隙が出来る。おそらくいつもならそこをエルガートがカバーするのだろうが、今はリック一人だ。どんな一撃が来ようと充分はじき返せる余裕はあるが、私はあえて避ける道を選んだ。リックがひらりと飛び上がり、剣が唸りを上げて振り下ろされる・・・その瞬間、私は迎撃するふりをして体をかがめ、リックの脇をすり抜けて後ろに回った。リックは渾身の一撃を避けられてバランスを崩し、慌てて振り向いて構え直そうとした。だが彼が構え直すより、私の剣が彼の小手にたたきつけられるほうが一瞬早く、リックの剣は彼の手を離れ、音もたてずに足下の砂の上に落ちた。
 
「それまで!」
 
 エルガートの声が響く。
 
「はぁ・・・負けてしまいましたか・・・。」
 
 リックはため息をつきながら自分の剣を拾い上げた。左手で拾い上げて鞘に収め、右手首をさすっている。今の一撃はかなり効いたらしい。
 
「ふぅ・・・さすがに現役の王国剣士の相手はきついな。実を言うとね、二人で相手をさせてくれと言われたらどうしようかと思ってたんだ。」
 
「本当は私もそう言いたかったんですけどね、リックの奴がやる気満々だったのであきらめました。先生達はこのあと城下町に向かわれるんですよね?」
 
「明日にはローランを発つ予定だよ。ルノーの怪我もよくなってきたし、そろそろ行かないと宿が取れなくなりそうだからね。」
 
「王宮に行かれる予定はありませんか?」
 
「オシニスさんに挨拶はしようと思ってるよ。久しぶりに顔を見たいし、息子が世話になってるからね。」
 
「ではそのときにお会いできたら私も手合わせさせていただけますか?」
 
「それはかまわないが、がっかりさせることにならないといいね。」
 
「がっかりなんてとんでもない、リックのあの一撃をかわして瞬時に後ろに回り込むなど・・・いやぁ・・・先生はすごいですよ。」
 
「はあ・・・さっきの一撃をかわせる人は他にもいますが、いきなり後ろに回り込まれたときには焦りましたよ。でもどうしてあの時後ろから斬り込まなかったんですか?」
 
「・・・死ぬか生きるかという状況なら私は迷わず斬り込んでいただろうけど、これは訓練じゃないか。それに、君達が身につけているのはレザーアーマーだ。あの状況で君の背中を切りつけたら、今頃君の鎧は背中がまっぷたつになってるよ。当然着ている人間も無事では済まない。私は君を傷つけるのが目的じゃないんだから、剣を落とせばそれで十分だと判断したのさ。だから君が振り向いて、剣を構え直そうとするまで待ってたんだ。」
 
「ということは・・・先生はさっきのあの瞬間にも、まだ精神的に余裕があったんですね・・・。」
 
「精神的にということならどうかなぁ。ただ、私が君の後ろに回ってから君が振り向くまでの間は時間があったから、その点では余裕があったと思うよ。慎重に君の小手にねらいを定めることが出来たからね。」
 
「う〜むむむむむ・・・・・」
 
 二人とも唸ったきり黙り込んでしまった。私はと言えば、とりあえず無様に負けることだけはしなくてほっとしていた。
 
 
「はぁ・・・この10年自分なりにがんばってきたつもりでしたが、まだまだ修行しなければならないようです。先生、城下町に行かれたら、ぜひオシニス団長と手合わせしていただけませんか。団長が相手だとどれほど迫力のある立合になるか、実に楽しみです。」
 
「簡単に言うなぁ。オシニスさんの相手は大変だよ。それに忙しいんじゃないのかい?団長ともなれば、特に祭りの期間は寝る間もないくらいだと思うけど。」
 
「そうですね・・・。祭りは昼間より夜のほうが事故が起きる確率が高いので、団長も夜遅くまで団長室に詰めていらっしゃるんです。昼間は少しでも仮眠をとっていただくようにはしているんですが・・・。」
 
「フロリア様からお召しがあれば何をおいても出かけていくからなぁ。まあそうでもなければ剣士団長など務まらないのかもしれないが、俺は団長の体のほうが心配だよ。」
 
 エルガートが困ったように笑いながら言った。
 
「そうだよな・・・。どうせしょっちゅうフロリア様の執務室に出向かれるんだから、執政館の中に団長室を作ったらいいのにって言ったら怒られたっけ。」
 
 リックが肩をすくめる。
 
「お前そんなこと言ったのか!?」
 
「だってその方が効率がいいと思うぜ。団長ってさ、フロリア様に呼ばれて出かけても、用事が済めばすぐに戻ってきちまうだろう?そしてまた呼ばれたら出かけて行くの繰り返しなんだから、ずっと執政館にいれば出かける手間は省けるし団長も少しでも体を休められるじゃないか。」
 
「お前って・・・普段はそうでもないのにいきなり大胆なこというのなぁ。げんこつは食らわなかったのか?」
 
「ああ、なぜか怒られただけですんだよ。」
 
「フロリア様はオシニスさんを頼りにしているんだね。」
 
「噂好きの侍女達の間では、二人がいつ結婚するのかなんて話まで飛び出していたそうですよ。」
 
「結婚!?」
 
「こらリック、それ以上しゃべるなよ。ティナ達に小言を言うところがなくなっちまうぞ。」
 
「おっと、そうだな・・・。口の軽さはほめられたもんじゃない。妙な話をお聞かせしてしまってすみません。あくまで若い娘達の噂ですので、気になさらないでください。」
 
 二人はばつが悪そうに言葉を濁した。
 
「そうか。もっともフロリア様のご結婚ともなれば、そんな簡単な問題じゃないだろうしね。ところで、君達はそろそろ戻らなくちゃならないんじゃないのかい?」
 
「そうですね・・・。名残惜しいですが、我々はローランに戻ります。ティナとジョエルが退屈をもてあましていそうですからね。先生、今日は本当にありがとうございました。奥様、せっかくのご旅行なのに先生をお借りしてしまって申し訳ありませんでした。」
 
「そんなことないわ。楽しかったわよ。」
 
「私も今日は楽しかったよ。私達は明日の朝ローランを発つから、その前に挨拶に寄れると思うよ。」
 
「はい。では失礼します。」
 
 
 
 リック達が海鳴りの祠を出たあと、私達はまたあの小さな裏の浜辺に戻ってきていた。最後にもう一度ここを見てからローランに戻るつもりだった。
 
「疲れた?」
 
 妻が尋ねた。
 
「少しね。」
 
 歩くのがやっとなほどではないが、あれだけの腕の剣士を相手にしたのは久しぶりだ。最後の一撃をまともに受けていたら、今頃腕がしびれていたかもしれない。
 
「ライザーさんとどっちが強かった?」
 
「ライザーさんとは戦い慣れているけど、それでもライザーさんのほうが上だろうなぁ。たとえばさっきみたいな時、かわしてすぐに後ろに回り込むなんて、相手がライザーさんだったら通用しなかったと思うよ。」
 
 素早さにかけてはライザーさんは私よりも上だ。しかもナイトブレードを両方の手で自在に操る。
 
「あの二人、入団して十年て言ってたわよね。」
 
「うん。私が入団した頃の十年目のベテランというと、ティールさんとセルーネさんなんだよ。あとはドーソンさんかな。そのほかにも何人かいたけど、みんな腕の立つ人達ばかりだったよ。」
 
「ふぅん・・・。セルーネさんか・・・。どうしてるのかな・・・。」
 
「城下町に行ったら聞いてみようか。爵位を継いだなら忙しいだろうからそう簡単に会えないかもしれないけど、こっちにいるうちに一度くらい会いたいね。」
 
「そうよねぇ。ねぇ、カーナやステラはどうしてるのかしらね。リーザはフロリア様の護衛剣士をしているって聞いたけど、他の女性剣士達は結婚して辞めた人もいるでしょうね。」
 
「そうだね・・・。どうしてるんだろうなぁ・・・。」
 
「ふふふ・・・そろそろ戻りましょうか。ここにいるといろんなことを思い出して、聞きたいことばかりどんどん増えそうだわ。オシニスさんに話を聞くだけで一日つぶれてしまうかもね。」
 
 妻が笑い出した。
 
「そうだね。思い出に浸るのも悪くないけど、私達が島で20年間生きてきたのと同じように、みんなもここで同じだけの時間を生きてるんだから、みんな変わっていて当たり前だよ。」
 
「そうよね。さあ行きましょうか。たぶんローランに戻る頃には夕方だから、あのにぎやかな通りでも歩いてみたいわ。」
 
「それもいいね。行こうか。」
 
 私達は一度管理棟により、あの考古学者に挨拶してから海鳴りの祠を出た。太陽はそろそろ西に傾き始め、日差しが柔らかくなってきている。あちこちにけもの達の気配があるが、敵意は全く感じられない。同じ大地に、一時はモンスターと呼ばれたけもの達と人間が共存できるようになるなんて、昔は考えも及ばなかったことだ。あのころは不殺の誓いなど、甘い理想論でしかなかった。でもフロリア様はとうとうその信念を貫かれ、この国を平和へと導いてこられたのだ。確かにフロリア様は名君と呼ばれるにふさわしい君主だと思う。国民に愛されて、国王としてはとても幸せなんだろうと思うのだが・・・一人の女性としてはどうなんだろう。結婚ばかりが女の幸せだとは思わないが、妻が以前言っていたように、愛する人と結ばれてその人の子供が産めたらと言う願いは、女性なら誰でも一度は思うものではないだろうか。
 
「ねえクロービス。」
 
 隣を歩く妻が話しかけてきた。何となく遠慮がちに。
 
「なに?」
 
「さっき・・・あの剣士さん達が最後に言ってたこと、気にならない?」
 
「フロリア様とオシニスさんの結婚話か・・・。」
 
 まるでたった今私が考えていたことが妻にも伝わったようだと、少しだけどきりとした。
 
「気にならない訳じゃないけど、でも私達が気にしても仕方ないよ。国王陛下のご結婚なんて、簡単に進められる話じゃないからね。」
 
「でもいいじゃない。お似合いだと思うわ。」
 
「それについては否定しないけど、誰でもいいってわけじゃないんだから慎重にならざるを得ないんじゃないかな。」
 
「だって結局は好きか嫌いかよ。そんなに複雑に考えるようなことじゃないわ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 どこかで聞いたせりふだなと、私は思わず妻を見た。
 
「なに?」
 
 妻は不思議そうに見つめ返している。
 
「いや・・・そんなことを言っていたのは当のオシニスさんだったよなと思ってさ。」
 
「フロリア様のことで?」
 
「まさか。違う話だよ。」
 
「あなたに言ったの?」
 
「いや、あれは・・・」
 
 まずいことを口走ってしまったと、今になって気がついたがもう遅い。言いよどんだ私を、妻は不信の目で見つめている。
 
「あれは確か・・・ライザーさんとオシニスさんがけんかしていたときだと思う。たまたま聞いちゃったんだ。」
 
「ふぅん・・・オシニスさんがライザーさんにそんなことを言ってたってことか・・・。」
 
「そういうこと。」
 
「てことは、それってやっぱりイノージェンのことよね?」
 
「たぶんね。」
 
「ふぅ〜ん・・・。」
 
 妻の瞳に宿る不信の色はますます濃くなってくる。
 
「なに?」
 
 内心どきどきしながら、でも出来るだけさりげないふりをして尋ねた。
 
「まだ聞いてない話がたくさんありそうね・・・。」
 
「あるよ。」
 
「否定しないのね。」
 
 妻の口元がぐいっとへの字に曲がった。私があまり平然と認めたので気を悪くしたらしい。だが仕方ない。言わなかったのにはそれなりの理由がある。
 
「自分のことじゃないからね。簡単に話せないじゃないか。でもオシニスさんとライザーさんのけんかの話は、前にしたと思うけどな。まあ一部始終ってわけじゃないのは認めるけど。」
 
「いつ?」
 
「ずっと昔だよ。私達がフロリア様を元に戻す手がかりを見つけるために、島に戻ってきた頃のことさ。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 妻はしばらく考えていたが、はっとして目を見開いた。
 
「・・・あの時の話ね・・・。」
 
「そう。だから簡単に話せないんだよ。君が誰かに話すなんて思ってる訳じゃないけど、一度でも口に出せば、やっぱり言わなかったことにしようなんて出来ないんだ。だから君に隠したいわけじゃないけど、どうしても必要に迫られない限り、出来れば話したくない。」
 
「そうね・・・。それについては、仕方ないわね・・・。」
 
 『それについては』という条件つきなのが気になるが、他に白状しなければならないようなことは何もない。どちらかというと、妻がこの旅に乗り気でなかった理由を聞きたいのはこちらなのだが、その話だけは実にうまくはぐらかされてしまう。
 
「いいわ。その話を聞くのはあきらめる。それよりオシニスさんよ。あの人は、フロリア様のことどう思ってるのかしら。20年もずっとずっとそばにいるのに、どうして何も言わないのかしら。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 オシニスさんの性格を考えればその理由は察しがつくのだが、妻が怒る気持ちもわかる。実のところ私も、オシニスさんの考えには賛同する気になれない。フロリア様にはそばで支えてくれる人が必要なんじゃないかと思う。仕事を離れてもしっかりと支えてくれる誰かが。とはいえ、頼まれもしないのに私がそんな話をオシニスさんにするのは、これは全くのお節介だ。だが・・・オシニスさんの『用事』の内容によっては、その話もしなければならなくなるかもしれない。
 
(いずれにせよ、難問だな・・・。)
 
 そんなお節介、しなくてすむなら何よりだ。レイナック殿あたりはどうお考えなのだろう・・・。
 
 
 
 
 ローラン最後の夜は、町の中を歩き、外で食事をすることにした。潮騒亭の食事はおいしいが、一度くらいは他の店の食事を食べてみるのも悪くない。思い切ってケイティに相談すると、
 
「あら、別に遠慮しないでよ。それならこの店の次においしい店を紹介してあげるから。」
 
と言って、ケイティの友達夫婦が経営しているというレストランを紹介してくれたのだ。
 
「へえ、ここの次にってことはかなりおいしいんだね。」
 
「そうよ。でもその店のシェフにその話をすると、きっと『いや、うちが一番だ』って言うわよ。」
 
 ケイティが笑い出した。どうやらよきライバル同士らしい。その店はすっかりにぎやかになったメインストリートのはずれにあり、表通りの喧噪から少し離れて、ゆっくりと食事を楽しむことが出来た。さすがケイティの推薦なだけあって、実においしい食事だった。なるほどどちらが一番とは決められない。そのあと軽くワインを飲んで宿に帰るために店を出た頃には、もう月が高く昇り、相変わらずにぎやかな通りを歩く人達の間には、ちらほらと派手な服の女性や、その女性達に絡む酔っぱらいなどが増えてきていた。でもどんなに町が変わっても、海から吹いてくる夜風の心地よさは昔と変わらない。だがぼんやり歩いているとスリにでも遭わないだろうかと少し心配になったが、途中でなんと王国剣士とすれ違った。制服を着てきちんと武装している。あたりを油断なく見渡しているところからすると、遊びに出かけてきたわけではなく、夜の町を巡回しているらしい。リック達ではなかったので、港を警備している剣士達が交代で回っているのかもしれない。
 
「王国剣士さん達も増えたのねぇ。これなら夜道も安全よね。」
 
「そうだね・・・。ドーソンさんの話を聞く限り、今では年数に関係なくいろんなところの警備に入るみたいだね。」
 
「あら、昔は決まってたの?」
 
「いや、厳密な規定があった訳じゃないけど、ある程度の年数になると、外回りをやめて執政館専門になったり、牢番になったり、出歩く人は少なかったな。その意味ではセルーネさん達やドーソンさんは珍しいかもしれないよ。」
 
「へぇ・・・。でもティールさんやドーソンさんはともかく、セルーネさんが中にこもりきりってのは想像つかないわね。」
 
「まあね・・・。」
 
 すぐにストレスがたまって怒り出しそうだ。
 
「あ〜ぁ・・・ローランも今夜で最後ね。明日は城下町かぁ。」
 
「明日着くのは無理じゃないかな。歩いていくつもりなんだよね?」
 
「当然よ。せっかく来たんだもの。」
 
 普通なら『せっかく来たのだから馬車に乗っていく』と言いそうなものだが、我が妻はどうやらその手の『普通』には当てはまらないらしい。
 
「それじゃ、明日は東の森のキャンプ場所に一泊だね。」
 
「ふふふ、そうね。それも楽しみだわ。」
 
 
 
 
 
 翌日、日の出前に目を覚ました。今日もどうやら天気は上々らしい。窓を開けると気持ちいい風が入り込んでくる。こんなにいい部屋に泊まれたことだけでも、今回の旅は幸運だったと思う。帰りもこの部屋に泊まりたいものだが、いつになるかわからないのに予約も出来ない。またどこかの誰かがうまい具合にキャンセルしてくれるのでも当てにするとしようか。その話を妻にしたら笑われた。
 
「いやぁねぇ。それってケイティ達が迷惑を被るのを当てにしているようなものじゃない。キャンセルが出たあと私達がうまい具合にここに来ればいいけど、次も同じことが起こるとは思えないわ。」
 
「まあそうだろうとは思うけどね。でもこの部屋からの眺めはイノージェンが喜びそうじゃないか。」
 
「そうなのよねぇ。ま、次回もタイミングがぴったり合うことを、神様にお祈りでもしておきましょ。」
 
「ははは。まああとは神頼みだね。」
 
 荷物をまとめて階下に降りた。フロアは夜の賑わいが嘘のような静けさだ。ケイティの息子が椅子とテーブルをフロアの隅に片付けていて、広くなった場所を娘が掃除している。ケイティはカウンターの中にいて、何か書き物をしていた。出発を告げると、ケイティはとても残念そうな顔をした。
 
「久しぶりに会えたんだから、なんだかもう少しいてほしいくらいだわ。」
 
「ははは、そうもいかないじゃないか。今夜からはまた新しいお客さんが来るんじゃないのかい?」
 
「そうなのよねぇ。ねえ、これから城下町に向かうとして、帰りはいつ頃になるの?」
 
「南大陸まで足を伸ばす予定だからね。しばらくあとになるかもしれないな。」
 
 私は今朝妻と話していた、帰りの部屋の話を半分冗談のつもりでケイティに話した。が、案に相違してケイティは乗り気なようだ。
 
「こんなに混むのは今だけよ。祭りが終われば静かになるわ。そうしたらあの部屋も空きが多くなるのよね。眺めがいいから年配の方の旅行や新婚さんには評判がいいんだけど、そういうお客さんがそんなにたくさんいるわけじゃないし、空いてる可能性のほうが高いわよ。」
 
「だといいね。あの部屋と同じ部屋って言うのはないの?」
 
「廊下をはさんで向かい側に同じ作りの部屋があるわよ。どちらも海が見えるいいお部屋なの。でもどうして?」
 
 私はライザーさん夫婦ともしも合流できたら一緒に来るかもしれないことを話した。ただし、かなりの不確定要素があるので、必ずとは言えないと付け加えておいた。そもそも城下町に行ったところで会えるかどうかもわからない。ライザーさんが何かよからぬことを企んでいるとはとても思えなかったが、何をするつもりであれ、私達と行動をともにしたくない理由があるかもしれないと、私は何となく考えていた。むろんなんの確証もないことなのだが・・・。
 
「へぇ!?ライザーさんてオシニスさんの相方だった人よね?こっちに来たなら顔くらい出してくれればよかったのに。ねえねえ、奥さんてどんな人?美人?歳は同じくらい?名前はなんて言うの?」
 
「おいおいかあさん、いい加減にしてくれよ。お客さんが困ってるじゃないか。お客さん、すみません。母がうるさくて・・・。」
 
 ケイティの息子はすまなそうに頭を下げた。
 
「いやいや、気にしないでくれ。君の母さんとは昔からの知り合いだからね。ここに初めて泊まったときから友達みたいに接してくれているから、今回の旅も君の母さんに会えて話が出来てうれしかったんだよ。」
 
「あれから20年なんて、早いわよねぇ。ねえクロービス、教えてよ。ライザーさんの奥さんてどんな人なの?」
 
 息子だけでなく娘も困ったような顔をしているが、ケイティはけろりとしている。きっと普段は仲のいい親子なんだろう。
 
「美人だよ。優しい感じでね。ウィローとは仲のいい友達だから、君もきっとすぐに仲良くなれるよ。」
 
「へぇ、それじゃ向こうで会えたら、絶対連れてきてね。」
 
「わかったよ。努力はするよ。それじゃそろそろ出発するから、精算してくれる?」
 
「はい、かしこまりました。少々お待ちくださいませ。」
 
 ケイティはあっという間に仕事の顔に戻り、伝票を計算し始めた。あんなにいい部屋に泊まれておいしい食事を食べて、その割に高くない値段だったので少し驚いた。
 
「別にサービスとか考えてくれなくていいよ。ちゃんとした値段で払うから。」
 
「あら、これがうちの通常料金よ。あの部屋に泊まってもらったのは、たまたまキャンセルが出たからなんだし、普通の部屋と同じでいいわ。その代わり、次にあの部屋を指定して泊まりに来てもらったときは、ちゃんとその料金をいただくから。」
 
 それで商売が成り立つものか少し心配になったが、たぶん素人が口を出すことじゃない。礼を言って『潮騒亭』を出ようとした時、カラカラとベルが鳴って扉が開いた。
 
「いらっしゃいませぇ!・・・って今頃お客様?」
 
 叫んでからケイティはきょとんとしている。まだ朝早い。開いた扉の向こうに人がいるのはわかるのだが、その人影はなかなか入ってこようとしない。
 
「俺が見てくるよ。」
 
 ケイティの息子が進み出て、扉の向こうをのぞき込んだ。
 
「あれ?どうしたんだい、こんな時間に。」
 
 人影が何か言っているがここまでは聞こえない。
 
「なんだそういうことか。それじゃとにかく中に入ってくれよ。これじゃ不審人物だぜ。」
 
 ケイティの息子が笑いながら扉を大きく開けた。そこに立っていたのはなんとセーラだった。
 
「おはようございます・・・。すみません、こんな早くから・・・。」
 
「あらいいわよ。どうしたの?」
 
 ケイティが不思議そうに声をかけた。
 
「あの・・・クロービス先生達が出かけられる前にと思って・・・。」
 
「わざわざ訪ねてくれたのか。これから診療所に顔を出そうと思ってたんだよ。」
 
「あらそれじゃ、クロービス達もこの子に用事があったの?」
 
「そうだよ。」
 
「ふぅ〜ん。それじゃ部屋で話したら?ここでもいいけど私達がうろうろしてちゃ落ち着かないでしょうし。」
 
「でも部屋の片付けがあるじゃないか。」
 
「大丈夫よ。それにそんなに長い時間じゃないでしょう?確か今日は、東の森のキャンプ場まで行くのよね?」
 
「まあね。それじゃセーラ、ケイティのご厚意に甘えて、部屋で話そうか。」
 
「すみません、これからお出かけなのに・・・。」
 
「気にしなくていいよ。」
 
 私達は3階の部屋まで戻ってきた。一度閉めた窓を開けると、涼しい風が一気に入り込んでくる。
 
「この間はすみませんでした。私・・・考えもなしにお世話になりたいなんて言って・・・。」
 
 椅子に座るなり、セーラは頭を下げた。
 
「まだ考えは固まってないんだね?」
 
「はい・・。」
 
 母親への反発から出来るだけ家から遠ざかりたかったこと、勢いで行くと言ってしまったはいいが、いざ単身北の島へ渡ることを考えると急に不安になってきたことなど、セーラはぽつりぽつりと話してくれた。
 
「まだ決めなくてもいいと思うよ。私達もこれから祭りを見て、妻の実家がある南大陸まで足を伸ばす予定だからね。帰りにもう一度寄った時に返事を聞かせてくれてもいいし、それでも決められないようなら、そのうち気持ちが固まったら連絡をくれてもいいわけだしね。君さえよければ、仕事抜きで一度遊びに来るといいよ。全く知らない場所にいきなり住むために行くのは不安でも、何度か行くうちに慣れてくるかもしれないしね。」
 
「それじゃまずは冬に来てもらわないとね。あの島の寒さは並じゃないもの。」
 
 妻が笑いながら言った。
 
「なるほど、それもそうだな・・・。あの島の寒さは初めての人にはこたえるからね。」
 
「ま、私はあなたと一緒にあちこち歩いてから行ったから、そうでもなかったけど。ねえセーラ、焦ることないわ。ゆっくり考えてみて。そしてやっぱりデンゼル先生の元で勉強したいと思ったなら、それでもいいのよ。私達に気を遣う必要はないわ。」
 
「わかりました。ありがとうございます。」
 
 セーラは最後まで、母親との確執の原因については何も言おうとしなかった。でもそれは仕方ない。もしもこの話が本決まりになれば、あるいは話してくれるかもしれない。
 
「それじゃ失礼します。道中お気をつけて。」
 
 ここに来たときよりは幾分明るい表情で、セーラは診療所へと戻っていった。私達は部屋を貸してくれたケイティに改めて礼を言い、帰りの再会を約束して『潮騒亭』をあとにした。
 
 
 
「なんだか申し訳ないような気がするわね。」
 
 歩きながら妻がぽつりと言った。
 
「なにが?」
 
「代金のことよ。あんないい部屋に泊まれておいしい食事を食べて、しかも上げ膳据え膳よ!?」
 
 妻は大げさに肩をすくめてみせた。
 
「それはそうだけど、ケイティの言うことは筋が通っているからね。無理矢理お金をおいてくるわけにもいかないよ。その分次にちゃんとお金を払って泊まればいいさ。」
 
「そうねぇ・・・。こうなったら、絶対にライザーさん達を見つけ出さなきゃ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 そうだねと言いかけて、思わず黙り込んでしまった。別に私達から逃げたりはしないだろうけど、ライザーさんにはライザーさんなりの目的があるとすれば、顔を合わせたくないとは思っているかもしれない。
 
 
 
「・・・寄っていくんでしょ?」
 
「え?」
 
「ここ、ここ。」
 
 妻が立ち止まって指さしているのは、剣士団の詰所だ。そう言えば、昨日リック達に明日の朝寄れると思うよと言ったことを思いだした。私達が顔を出したとき、リック達はちょうどお茶を飲んでいるところだった。のんびりとした雰囲気が漂っているところを見ると、今朝のローラン地方は平和らしい。私達は挨拶を交わし、エルガートからは城下町で再会したらぜひ一度手合わせをと念を押されてしまった。
 
「まったく・・・お前も結構しつこいじゃないか。」
 
 リックがあきれ顔でいいながらお茶をすする。
 
「ふん、お前よりはましさ。」
 
 エルガートがリックを横目で見ながらにやりと笑う。昨日はたまたま勝つことが出来たが、もしかしたらそれはあの砂浜のせいかもしれない。足場の悪い砂地で剣を振るうのは慣れている。昔ずっとあそこで訓練していたからと言うともあるが、私がライザーさんとよく手合わせをした島の岬も、足場があまりよくない場所だ。二人とも何度も滑ったり転びそうになったりしながら手合わせをしていたので、どんな体勢になっても瞬時に立て直せるように動く癖がついているのだ。もしも設備の整った王宮の訓練場で手合わせをしたら、リックに限らずきっとエルガートももっと力を発揮できるのではないかと思う。今度こそ勝てないかもしれない。
 
「君達が城下町に戻るのはいつ頃なんだい?」
 
「あと2〜3日あとですね。」
 
「そうか。それではそのときにもしも再会できたら、だね。」
 
「そうですね。そのときはよろしくお願いします。」
 
 私達は詰所を出て、まっすぐに村の入り口に向かった。診療所にも寄ってみようかと思っていたが、さっきセーラには会えたし、デンゼル先生達とは挨拶がすんでいる。気にかかるのはルノーとテレンスのことだが、ルノーの容態に関してはデンゼル先生とアーニャがついていればなんの心配もいらない。用もないのに顔を出したところで、彼らに気を遣わせるだけかもしれない。そう考え、このまま村を出ることにした。
 
「なんだか変な感じねぇ。ここを出るのに、いつでもここに戻ってこれるなんて。」
 
「あの時はもしかしたら二度と戻れないかもしれなかったからね。それじゃ行こうか。今からだと、東の森のキャンプ場に着くのは夜になっちゃうかもしれないよ。」
 
「今は昔より安全なようだし、ちょっとくらい暗くなっても大丈夫よ。のんびり、景色を楽しみながら行きましょうよ。誰からも追いかけられる心配はないんだしね。」
 
 妻が笑った。
 
「ははは・・・。それもそうだね。」
 
 さわやかな風が吹きすぎる朝、私達は出発した。過去へ、そして未来へと繋がる旅路へ。
 

第50章へ続く

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