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第50章 闇に潜むもの

 
 東の森のキャンプ場所が見えてきたころには、辺りはもうすっかり暗くなっていた。いささかのんびり来すぎたかもしれない。東の森の街道もすっかり変わった。昔は人が二人なら十分に並んで通れるほどの広さだったが、道の両側に木々が迫り、かなり鬱蒼とした雰囲気だった。だが、今ではすっかり道幅が広げられ、ローラン近辺の街道同様、石畳が敷かれている。馬車が通れるようにとの配慮らしい。道の両脇にはそれほど頑丈ではないが柵が巡らされている。これはおそらくけもの達が人を襲うのを防ぐためと言うより、街道にけものが飛び出して馬車にはねられるのを防ぐためなんじゃないかと思う。私達が森に入ってまもなく、何台かの馬車が私達を追い越していった。城下町方面から来たらしい馬車も何台か行き過ぎていった。特別乱暴な御者はいなかったが、それでも馬車は速い。あの勢いで走っているところに小さなけものが飛び出してきたりすれば、馬の蹄で蹴飛ばされるか、踏みつけられるか、どちらにせよ助かる見込みはかなり少ないだろう。
 
「はぁ・・・やっと着いたわねぇ。ちょっと寄り道しすぎたかしら。」
 
 キャンプ場に入って、妻がほっとしたように言った。このキャンプ場所は元々そんなに広くない。それは今も変わらないようだ。あんなに速い馬車が通っている今、ローランと城下町の間を歩いて移動する旅人なんていないんだろう。
 
「確かにちょっとのんびりしすぎたかもしれないけど、まあいいじゃないか。しかしここは変わらないな・・・。極北の地みたいに旅人用の宿泊施設でも出来てるかなと思ったけど、考えてみればそんな大規模な施設を作ろうと思ったらこの辺り一帯の木を全部切り倒さなくちゃならないからね。さすがにそこまでは出来なかったんだろうな。」
 
「そりゃそうよ。この森は人間の領域じゃないんだもの。」
 
「そうだね。さてと、場所を決めて荷物を下ろそうか。先客は・・・いるみたいだね・・・。」
 
 入り口から少し奥まったところに、焚き火が焚かれている。テントも張ってあるようだ。
 
「そうね。ここに野営しているなんて、もしかして王国剣士さん達かしらね。」
 
「かもしれないよ。声をかけてみようか。」
 
 私達は焚き火のそばまで行ってみた。食事の用意をしていたところと見えて、おいてある鍋からはいい香りが漂ってくる。が・・・肝心の人の姿が見えない。
 
「奥の川に水でもくみに行ってるのかしらね。」
 
「でも普通、複数でここに来ているのなら一人は残るんじゃないのかな。王国剣士ってわけじゃなくて、単に私達みたいな物好きの旅人なのかな。」
 
「・・・でも変じゃない?このお皿・・・。料理を取り分けようとしていたらしいけど、なんだか中途半端で放り出したように見えるわ。」
 
 なるほど妻の言うとおり、鍋の脇には皿と器が何枚か置かれている。一つの皿には野菜が盛られているのだが、もう一つの皿にはその野菜が半分程度しか盛られていない。残りの半分が地面に散乱している。まるで料理を取り分けている最中に、何かが起きて逃げ出したみたいに・・・。
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 思わず黙り込んだ私達の耳に、叫び声が聞こえた。いや、叫んでいると言うより、誰かに呼びかけているような・・・。
 
「川のほうだわ。」
 
「行ってみよう!」
 
 川への道を走っていくと、奥に明かりが見えた。ランプの明かりのようだ。そこに人影が見える。私達に背を向けて地面にうずくまるようにして何か叫んでいた。
 
「どうしたんですか!?」
 
「な、何者かに襲われて・・・!あれ・・・?」
 
 振り向いた人影は私達を見て驚いた。そこにいたのは息子と同期の剣士だというジョエルだった。地面に誰か倒れている。
 
「君か。どうしたんだ!?」
 
「い、いま、ティナが悲鳴を上げたんで来てみたら、こいつが倒れていて・・・黒い影がいくつも森の中に消えていったんです!」
 
「クロービス、背中を斬られているわ。早く手当てしないと!」
 
 妻が倒れているティナを抱き起こして叫んだ。
 
「わかった!ジョエル、話はあとだ。まずはティナの怪我を何とかしよう。」
 
 『行く先々でこういうことがあるかもしれない』なんて、たとえ冗談でも言うんじゃなかった。本当にこんなことに二度も出くわすことになるなんて・・・。私が王国に出てきたとたんに得体の知れないけものが現れ、ルノーが大けがをした。そして今またけが人が目の前に横たわっている。自分が疫病神にでもなった気がした。
 
(とにかく手当だ・・・!考えるのはそれからにしよう!)
 
 弱気になった自分の心に喝を入れながら、ランプの明かりを頼りにティナの背中の傷を診た。これは明らかに剣で斬られたあとだ。と言うことは、森の奥に逃げていった黒い影は、けものではなかったことになる。・・・剣を使えるけものがいるなんて考えたくもない。ランプの明かりで診るかぎりでは、傷の中に異物は認められない。慎重に治療術の呪文を唱えた。血が止まり、ティナがうめいた。
 
「おいティナ!俺がわかるか!?」
 
 ジョエルがティナの耳元で怒鳴ったが、反応はない。
 
「ジョエル、ちょっと待ってくれ。とにかくここを離れよう。今血を止めたから少しは楽になっただろうけど、続きは傷の具合を見てからだ。ティナを担げるか?」
 
「大丈夫です!俺はこいつの相方ですから。先生、お願いします。ティナを助けてください!」
 
 半泣きの声でジョエルは叫び、ティナを背負った。たき火の場所に戻り、いくつかたいまつを作ってあたりを照らし、更にランプの明かりで手元を照らしながら、ティナの傷の具合を見た。右肩から背中の左下にかけて、ばっさりと斬られているが、鎧のおかげで傷はそんなに深くない。そのかわりレザーアーマーの背当てはまっぷたつだ。これがなければ、今頃ティナは生死の境をさまよっていたかもしれない。
 
「何とかなりそう?」
 
 妻が心配そうに傷をのぞき込む。
 
「・・・これなら大丈夫だよ。ウィロー、ティナが目を覚ましたら何か温かいものを食べさせてやれるように、その鍋を火にかけて食事の準備をしていてくれないか。」
 
「そうね。それじゃこっちは任せて。」
 
「え、で、でも、そこまでやってもらうのは・・・。」
 
 ジョエルが困ったような顔でおろおろしている。
 
「ジョエル、君には治療のほうを手伝ってもらうよ。君は気功か呪文は使えるのかい?」
 
「気功を少し・・・でもこんな大きな傷はまだ治したことがないんです。」
 
 ジョエルは青ざめて、少し震えている。
 
「そうか・・・。それじゃ、ここから先は専門家に任せてくれ。君の役目は、ティナの顔色をよく見て、少しでも苦しそうにしたり青くなったりしたら、すぐに私に教えてくれることだ。」
 
「・・・わ、わかりました!よろしくお願いします。」
 
 さっき一度呪文を使って血を止めたので、あと何度か簡単な呪文を使えばこの傷は完全にふさぐことが出来る。刃物の傷でよかった。もしもこれが、ルノーの怪我のようにけものの一撃での怪我だったりすると、どうしても傷の中の見えにくいところに異物が紛れ込む危険性がある。私は『大地の恩恵』を使ってみた。傷はかなりふさがり、うっすらと表面に残るのみとなった。
 
「ジョエル、ティナの様子はどうだい?」
 
 ジョエルはランプでティナの顔を照らし、
 
「眉間に寄っていたしわがなくなったから・・・よくなってると思います。」
 
「呼吸は?」
 
 ジョエルはティナの口元に顔を近づけ、確認するように何度かうなずいた。
 
「・・・荒くなってはいないと思います。」
 
「わかった。それじゃこれできれいになるな。」
 
 次は『自然の恩恵』だ。呪文を唱えると、傷はすっかりきれいになった。
 
「う・・・うぅん・・・・。」
 
 ティナがうめき、ゆっくりと体を起こして、あたりを見回し始めた。
 
「ここ・・・は・・・?」
 
「気がついたのか!?」
 
 ジョエルがうれしそうに叫んだ。
 
「ここは東の森のキャンプ場だよ。お前が悲鳴を上げたから俺が飛んでいったのさ。」
 
「・・・悲鳴・・・?」
 
「そうだよ。お前・・・覚えてないのか?」
 
 ティナは頭を強く振り、必死で何かを思い出すように頭に手をあてた。
 
「・・・さっき・・・黒い影に襲われて・・・逃げようとして・・・。」
 
「無理して思い出そうとしないほうがいいよ。まずは、服を着替えたほうがいいんじゃないかい。」
 
 ティナは不思議そうに私の声のしたほうに顔を向けた。そしてはっとして目を見開き、がばっと飛び起きようとしたが、背中を切り裂かれた上着がずるりと前に落ちてきて、あわてて前を押さえた。
 
「や、やだ!なによこれ・・・!?」
 
 ティナは上着の前を両手で抱えるようにして押さえ、真っ赤になってしまった。
 
「君は大怪我をしたんだよ。今呪文で直したばかりだから、着替えをしたら食事にしよう。体力をつけないとね。」
 
「あの・・・カインのお父さん・・・ですよね?」
 
 ティナは前を押さえた姿勢のまま訝しげに私を見た。
 
「そうだよ。このキャンプ場で野営しようと思って来たんだけど、君が怪我していたので今手当をしたところなんだ。」
 
「そ・・・そうなんですか・・・。ありがとうございます。ハ・・・ハ・・・ハックション!」
 
 ティナが大きなくしゃみをした。傷を治したばかりの背中はむき出しだ。このままでは風邪をひいてしまう。
 
「おいティナ、早く着替えてこいよ。見てるこっちが寒くなりそうだ。」
 
 ジョエルが鼻に皺を寄せながら大げさに肩をすくめた。
 
「あ・・・うん、着替えてくる・・・。」
 
 ティナは片手で服の前を押さえたまま荷物を引き寄せようとしたが、服がずり落ちそうになってうまくいかない。見かねた妻が立ち上がり、ティナの荷物を持ち上げた。
 
「あ、す、すみません。」
 
「持っていってあげるわ。あなたはとにかく、前を押さえていたほうがいいわよ。」
 
 妻は微笑んでティナにそう言ってから私に振り向いた。
 
「クロービス、あとはひと煮立ちしたら火から下ろすだけなの。見ていてくれる?」
 
「わかったよ。それじゃ君は、ティナを手伝ってきてくれ。」
 
「ええ。さ、ティナ、行きましょう。」
 
 二人はテントの中に消えた。その間に私はスープの鍋をゆっくりとかき混ぜながら、煮立つのを待っていた。
 
「先生って・・・料理もやるんですね。」
 
 ジョエルが妙に感心したように私の手元を見ている。
 
「料理に限らないよ。掃除でも洗濯でも、私には母がいなかったからね、父が仕事をしているあいだは私がやらなきゃならなかったんだ。おかげで一通りの家事は身についたよ。今は妻の手伝い程度だけどね。」
 
「はぁ・・・でもカインは・・・あ・・・。」
 
 ジョエルが慌てて口を押さえた。何を言いたいかはわかる。
 
「カインの奴は、料理はけっこう興味を持って覚えたんだけどね、掃除と洗濯はとにかく苦手だな。この間帰ってきたときは、掃除はともかく洗濯はやらせたけどね。」
 
「ははは・・・やっぱり苦手なんですね。よくアスランの奴がカインの分まで洗濯やってるから、よっぽど苦手なんだなって言ってたんですよ。」
 
「そうらしいね。相方のアスランという剣士には大分世話になっているみたいだな。もちろん、君達にもね。」
 
「でもあいついい奴だから、みんな自分から手を出すんじゃないのかな。」
 
「カインは好かれているのかなあ。」
 
「あいつを嫌いな奴なんているのかな・・・。悪く言われているのを聞いたことはないですよ。」
 
「そうならうれしいね。」
 
 その時ちょうどスープがぶつぶつと沸騰し始めたので、鍋を火から下ろした。それを見計らったかのように、妻とティナがテントから出てきた。ティナは制服を着ていない。多分まだ一着しか支給されていないんだろう。
 
「お待たせ〜。あら、ちょうど出来たところね。」
 
 妻はスープの鍋が火から下ろされているのを見て、微笑んだ。
 
「すみません、ご迷惑をおかけして・・・。」
 
 ティナが申し訳なさそうに妻に頭を下げた。
 
「気にしないで。ここで会ったのも何かの縁よ。いつも息子がお世話になっているんだから、このくらい協力させてもらわないとね。どう?食べられそう?食欲がないなら無理しないほうがいいわ。深くはなかったけどかなり大きな傷を治したばかりだから、体力が落ちているかもしれないしね。」
 
「いえ・・・大丈夫です。いただきます。」
 
「そう?それじゃ最初は少しだけね。はい、無理しないでゆっくり食べてね。もっと食べられそうなら、遠慮なくおかわりして。」
 
 ティナはうなずき、妻から受け取ったスープをすすり始めたが、驚いたように目を見開いた。
 
「おいしい・・・。これ、さっきあたしが作ったスープ・・・じゃないんですか?」
 
「あなたが作ったスープよ。量を足して、ちょっとだけ味付けをプラスさせてもらったけど。あ、でもね、味を変えたんじゃないの。体を温めるようなスパイスを少し入れただけだから。きっとそのスパイスと、あなたの作ったスープの味付けの相性がよかったのね。」
 
「すごくおいしい!あ、あの、あたしにもこの味付け教えてください!」
 
「ええ、いくらでも教えてあげるけど、まずはあなたがちゃんと食べないとね。でも・・・ふふふ・・・この元気なら、もう大丈夫みたいね。ねえクロービス、どうかしら?」
 
「それだけ元気なら、もう普段通りに動き回っても大丈夫だと思うよ。ただ、出来れば今夜くらいはおとなしくしていたほうがいいかもしれないな。」
 
「はい、あの・・・本当にありがとうございました。」
 
「医者がけが人を治療するのは当たり前なんだから、気にしなくていいよ。しかし・・・このあたりで人にこんな怪我を負わせるような連中がいたってのは、穏やかじゃないな。」
 
「ティナ、ゆっくりでいいからお前が襲われたときのことを思い出してくれよ。ちゃんと報告しておかないとな。」
 
「私も君が怪我を負ったときの状況を知りたいから、思い出したことは聞かせてくれるとありがたいな。もちろん、差し支えない範囲でかまわないよ。」
 
「わかりました。ええと・・・・あの時は・・・・。」
 
 ティナはおかわりしたスープをすすりながら、ゆっくりと思い出したことを話してくれた。
 
 
 ティナはこのキャンプ場所についてすぐ、火をおこして食事の支度を始めた。その間にジョエルがテントを張って、夜通したき火を燃やし続けるための薪を集めてくるのがこの二人の役割分担なのだそうだ。今日の夕方、二人はちょうど辺りが暗くなり始めた頃にここに着き、いつものように野営の準備を始めた。食事が出来上がり取り分ける段になったところで、ティナは少しのどが渇いたので水を汲みに奥の川に行った。川の脇にはわき水があり、飲み水はそこからくめる。水をすくって一口のみ、器に汲んで戻ろうとしたとき、森の中がいきなりざわざわとざわめきだした。ティナは驚いて立ち上がり、森の中に目をこらした。空には月が出ていたが、月の光は森の中までは届かない。自分が水を汲んだことで何か森によくない影響が出たかと一瞬だけ思ったが、そもそもここで水を汲むのは自分達だけではない。ここで野営する王国剣士や、滅多にいないが徒歩でローランから城下町まで行く旅人だってここで水を汲む。腰の剣に手をかけてティナはしばらく森の中をにらみつけていた。森のざわめきはますます大きくなり、やがて森の中に黒い影が何体か見えた。かなりの素早さで木々の間を動いている。そのうちほんのわずかだが剣のぶつかるような金属音が響いた。まさか誰かが森の中で戦っているのか。『誰かいるの!?』ティナは思わず叫んだ。と、そのとたんざわめきがぴたりとやみ、次の瞬間何人かが自分のいる方向に向かってくるのがわかった。それも凄まじい速さで。恐ろしくなったティナは振り向いてジョエルを呼んだ。その瞬間背中に衝撃を感じて、それきり目の前が真っ暗になった。
 
「そういうことだったのか・・・。俺はお前の叫び声を聞いてここに飛んできたんだ。倒れているお前を揺さぶっているところに先生達が来てくれて・・・。」
 
「しかし妙な話だなあ。ティナ、君は確かに剣がぶつかるような金属音を聞いたんだね?」
 
「はい。間違いないと思います。」
 
 たとえば、たまたまけものが剣を拾ったとして、それを振り回すことはあるかも知れない。誰が剣など落とすんだと聞かれると困るが、可能性としてまったくゼロではない。だが、そのあたりにそうそう剣が何本も落ちているというのは考えにくい。そしてその剣を拾ったけものが他にもいて、などと考えると、これはもう想像というより妄想の域だ。もっと現実的に考えよう。剣を交えていたのは、おそらくは間違いなく人間だ。
 
「う〜〜〜ん・・・。盗賊か何かが森の中で演習でもしていて、ティナに見られたから口封じのために斬りつけた・・・。と言うことになるのかな・・・。」
 
 ジョエルはそう言ったが、言った本人もその説に確信が持てないようで、しきりに首をかしげている。盗賊の演習かどうかは何とも言えないが、口封じのためにティナを殺そうとしたというのは当たっているだろう。だが、声を聞いただけで口封じをしようと考えるような連中が剣を交えていた目的が、ろくなものじゃないこともまた確かだと思う。
 
「あたしが・・・逃げたりしないであそこで踏みとどまっていたら・・・。敵に背中を見せるなんて、王国剣士として最低だわ!」
 
 ティナはにじみ出た涙をぬぐった。かなり悔しそうだ。だが、森の中でそれほど素早く動き回れる連中を相手に、この新人剣士達が善戦できるとは思えない。ましてや一人ならなおさらだ。
 
「いや、逃げようとして正解だったと思うよ。君が倒れたから相手は引き上げたけど、もしも立ち向かっていたら、本当に息の根を止められていたかもしれない。ほら、君のレザーアーマー、背当てがこれだからね。」
 
 私はまっぷたつになったティナのレザーアーマーを見せた。当のティナもジョエルも青ざめ、レザーアーマーを見つめている。
 
「同じ一撃を正面から受けていたら、体の損傷は同程度かもしれないけど、君の首のほうが胴体から離れていたかもしれないよ。」
 
「く・・・首が・・・。」
 
 ティナが真っ青になって自分の首を押さえた。隣のジョエルが生唾を呑み込む音がはっきりと聞こえた。
 
「君達を怖がらせたいわけじゃないんだ。傷を見れば相手の腕の程度もわかる。この程度ですんだのは、本当に運がよかったとしか言いようがないんだよ。」
 
「そ、そんなに・・・すごいんですか・・・。」
 
「そうだね・・・。単なる盗賊とも思えないな・・・。だいたい盗賊というのは集団で行動するから、一人一人の腕はたいしたことがないんだよ・・・。それに、この森の中に私は入ったことがないけど、入ったことのある人に聞くと、かなり入り組んでいて鬱蒼としているらしいんだ。その中を素早く動き回りながら剣を交えるなんて、並の腕じゃ出来ないと思うな・・・。」
 
「このあたりにこんな物騒な連中がいるなんて、僕も聞いたことがないです。はぁ・・・ちょっと読みが甘かったかな・・・。」
 
「あたしもよ。あ〜ぁ・・・これじゃせっかく外に出るのを許可してくれた剣士団長に顔向けできないわ・・・。」
 
「しかし妙な話だね。このあたりは城下町も近いし、ローランへの旅人も多いから、昔から獰猛なモンスターはいなかったし、そんな凶悪な盗賊もいなかったんだ。今のように王国剣士が始終巡回しているにもかかわらず、こんな連中がこのあたりにいるって言うのは・・・どういうことなんだろうな・・・。」
 
 思わず考え込んで、はっと気づいた。こんなことを私が考えても仕方ない。
 
「とにかく、この件は報告書にまとめて、急いでオシニスさんに知らせたほうがいいよ。」
 
「そうですね・・・。おいティナ、明日はまっすぐ城下町に戻ろう。お前の鎧も何とかしなくちゃならないからな。鎧無しで仕事は出来ないぜ?」
 
「はぁ・・・そうよね・・・。明日のうちに鍛冶場で鎧を調達しておきたいわ。」
 
「私達も明日はまっすぐ城下町に向かうんだけど、寄り道しなくていいなら一緒に行こうか?」
 
「いいんですか?」
 
「もちろん。ティナの鎧がないことを考えると、二人で歩いていても実際に戦えるのはジョエル、君だけだろう?まあティナが呪文とか飛び道具が使えればいいんだけど、そっち方面はどうなんだい?」
 
 ティナは残念そうに首を振った。
 
「呪文はさっぱりです。飛び道具も全然・・・。はぁ・・・でも少しは覚えたほうがいいんでしょうか。こんな時なんの役にも立てないなんて悔しいですよ・・・。」
 
「まあ、仕方ないのかもしれないよ。そもそも鎧をまっぷたつにされることまで想定して訓練しているわけじゃないだろうからね。飛び道具に関しては、誰か先輩に相談してみたほうがいいかもしれないよ。君達の相手をよくしてくれる人なら、いろいろとアドバイスしてくれるんじゃないのかな。」
 
「そうですよね・・・。よし!明日鍛冶場に行ったら、タルシスさんに聞いてみよう。」
 
「何でタルシスさんなんだよ?」
 
 ジョエルが怪訝そうにティナに向いた。
 
「だって・・・タルシスさんなら、王宮中のこと何でも知ってるもの。どの先輩に聞けばいいか、きっとアドバイスしてくれるわ。」
 
「なるほどな。確かにタルシスさんは物知りだよ。・・・あ、そうだ、先生もタルシスさんとはお知り合いなんですよね?」
 
「忘れられていなければね。私もずいぶんと世話になったんだ。まだお元気なのはうれしいな。こっちにいるうちに会えるといいんだけど、鍛冶場には一般人は出入り出来ないから無理かな。」
 
「先生なら団長に頼めば大丈夫なんじゃないですか?」
 
「それはどうかなあ。本来はだめなんだから、団長が率先して規則を破るわけにはいかないと思うよ。」
 
「う〜〜〜ん・・・。確かに団長って変なところでまじめだから・・・。」
 
「そうなのかい?」
 
「ええ、何となくそんな気が・・・あ、あの、団長には黙っててくださいね。」
 
「ははは。言ったりしないよ。それより、そろそろ寝たほうがいいね。不寝番を決めようか。」
 
「え?い、いや、一般の方に不寝番をしていただくわけには・・・。」
 
「でも君一人で一晩中起きているわけにはいかないだろう?」
 
「あの、でも後番なら私も鎧なしでも出来ますから・・・。」
 
 確かに後番は夜中から朝までなので、モンスターには遭いにくいと言われる。だが・・・
 
「ティナ、君はやめたほうがいいと思うよ。さっきの連中がまた襲ってこないとは限らない。鎧無しでは今度こそとんでもないことになりかねないからね。」
 
「で、でも・・・。」
 
 ティナはなおも自分でやると言い張ったのだが、顔が青ざめている。ジョエルがティナをちらりと見て、
 
「おいティナ、お前はやめとけ。先生の言うとおりだよ。そんな腕の立つ連中がまた襲ってきたりしたら、本当にとんでもないことになるぞ。」
 
そう言った。
 
「それじゃどうするのよ。あなた一人で一晩中起きているつもり?」
 
「それしかないだろう。何とかなるさ。」
 
「それは無理ってものだよ。私も不寝番をするから、交代ということにしよう。」
 
「え?で、でも、本当にいいんですか?」
 
「もちろんだよ。もしもここで君達に出会わなかったら、不寝番は私達が交代でするつもりだったんだ。別にそれでもいいんだけど、君は人任せにはしたくないだろうからね。」
 
「・・・わかりました。よろしくお願いします。」
 
 彼らの悔しい気持ちはわかるが、ティナを襲った連中が夜中に襲撃をかけてこないとは限らない。私がいたところで防ぎ切れるものかはいささか不安だが、ここにいるのに彼らに任せきりで隠れているというわけにもいかないだろう。
 
「あらクロービス、私も一晩中寝てていいの?」
 
「かまわないよ。何かあればどうせ起こすんだから。」
 
「ふふふ、それもそうね。ねえ、それじゃ私達のテントも出しましょうよ。一つに私とティナが寝るわ。残りの一つをあなたとジョエルが交代で使えばいいじゃない?」
 
「そうだね。それじゃ私達のテントもここに張らせてもらおうかな。」
 
 私は荷物の中からテントを引っ張り出した。ジョエルも手伝ってくれたので、あっという間にテント張りは終わった。ジョエルは実に手際がいい。
 
(カインもテント張りはうまかったよな・・・。)
 
 ふとカインの面影が脳裏をよぎったが、出来るだけ考えないようにした。カインの夢を見たりしたらうなされて飛び起きることになりそうだ。そんなことになったらジョエル達を不安がらせてしまう。
 
「それじゃ、僕が最初にやりますから。先生は後番をお願いします。」
 
「わかった。先に休ませてもらうよ。何かあったら遠慮せずたたき起こしてくれ。絶対に一人で解決しようとしちゃいけないよ。」
 
「はい。わかりました。」
 
 たき火のそばにジョエルを残し、妻とティナが隣のテントに引き上げたのを確認して、私も寝袋に潜り込んだ。こんなところで眠るのは20年ぶり、いや、もっと過ぎるかもしれない。温かい乾いたベッドで眠ることに慣れてしまっていてなかなか眠れないのではないかと思ったが、私はあっという間に眠ってしまったらしい。呪文を何度か続けて使ったので、それなりに疲れていたのかもしれない。
 
 
 
 夜半・・・どうやら夢は見ずにすんだ。起き出したとき、ジョエルは寝る前と同じようにたき火のそばに座っていた。
 
「交代だよ。何か変わったことはあったかい?」
 
「いえ、特に何もありませんでした。実を言うとひやひやだったんですよ。ティナを襲った連中が襲ってきたらどうしようって。」
 
「あの一撃でティナが死んだと思ったのかもしれないよ。」
 
「・・・僕もそれを考えていたんです。つまりそいつらは、完全にティナを殺すつもりで襲ってきたってことですよね。」
 
「その可能性はあるだろうね。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 ジョエルは黙り込んでしまった。不安、恐怖、悔しさ、そんな感情が彼を支配しているのがわかる。
 
「・・・怖い・・・なんて言ってられないんですよね・・・。」
 
「怖いと思うのが普通じゃないのかい?」
 
「だけど!だけど・・・そんなことを言ってたら王国剣士なんて出来ませんよ。何があっても怖いと思わないようにならなくちゃ・・・。」
 
『あれだけの数の盗賊に囲まれて恐怖を感じないというなら、そいつは人間として大事な何かが欠けていると俺は思う。』
 
 ふいに、ずっと昔に聞いたオシニスさんの言葉がよみがえった。あの時、調子に乗って南地方に迷い込んでしまったカインと私を助けてくれたオシニスさんとライザーさんに、『あんなに大勢の盗賊に囲まれて怖くないのか』と私が尋ねたときのことだ。私はこのときの話を、簡単にジョエルに話して聞かせた。もちろん『団長には内緒だよ』という条件付きで。
 
「団長がそんなことを・・・。」
 
 ジョエルは心底驚いているようだ。
 
「君達にとって、オシニスさんはたぶん不死身で、無敵で、とてつもなく大きな存在なんだと思うよ。でも誰だって最初からそうなれたわけじゃない。少しずつの積み重ねが大事なんだ。君達はまだ入ったばかりなんだから、そんなに焦らなくても大丈夫だと思うよ。入団してどのくらいになるんだい?」
 
「僕達は二ヶ月くらいですよ。実を言うと、今年入団の剣士の中では一番入ったのが遅いんです。僕達のあとはなかなか合格者が出ないらしくて・・・。」
 
「そうか。そう言えば君達が城下町の外に警備に行けることになったとき、だいぶ騒ぎが起きたってリック達から聞いたよ。同期入団の剣士達から何か言われたりしなかったのかい?」
 
「・・・みんな気のいい奴なんですよ。だから、僕らには気を遣ってくれて何も言いませんでした。その分みんなして団長室に押しかけたりしちゃったんですけどね・・・。城下町の外でがんばりたくても許可が出なくて悔しい思いをしている奴らもいるんだから、僕達はその分までがんばらなきゃって思ってたのにいきなりこんなことになっちゃって・・・。」
 
「・・・君達は君達だよ。人の分までよりも、自分達の分をしっかりとがんばればいいんじゃないのかなぁ。あんまり肩肘張らないで、自然体でいるのが一番だよ。」
 
 とは言え、若いときほど肩肘張ってがんばりすぎてしまうものだが。
 
「ふぅ・・・そうですね・・・。なんだか愚痴みたいになっちゃってすみません。僕はそろそろ寝ます。何かあったら起こしてくださいね。」
 
「わかったよ。お休み。」
 
「はい、お休みなさい。」
 
 
 ジョエルがテントに引き上げて、一人になった。森の中は静かだ。生き物達はすべて寝静まっているのだろう。
 
「しかし・・・どういうことなんだろうな・・・。」
 
 一人になって思わずつぶやいた。ファロシアの近くに現れたガーゴイル、凶暴化したコボルド、そして森の中でおそらくは『訓練』していた黒い影の集団。そして・・・必ず事件の起きたその場に居合わせた自分・・・。
 
「まったく・・・ルノーじゃなくとも疑いたくなるような話だな・・・。」
 
 剣が危険を知らせるために私がその場に行くように仕向けているのか。それともけもの達が私の剣に引き寄せられてくるのか・・・。
 
「伝説の剣なんて・・・好きで持っているわけじゃ・・・。」
 
 言いかけて口をつぐむ。20年前カインにあきれられるほど何度も言っていた言葉を、未だにぶつぶつとつぶやいている自分が情けない。父が残してくれたこの剣を使って、王国剣士になろうと決めたのは私。この剣でセントハースの瞳を刺し貫こうと考えたのも私。その後医師の道を志した後も、剣の修行を続けてきたのも私自身だ。この剣はすでに私の一部になっていて、息子が王国剣士を志したときも、いずれは渡さなければと思いつつ、結局は未だに渡すことが出来ないでいる。
 
「はぁ・・・さっぱり進歩がないなぁ・・・。そんなことより、これからどうするかを考えなきゃな・・・。」
 
 ファロシアでの一件は、リック達が報告書を作って他の剣士に届けてくれるよう頼むような話をしていたので、もう王宮に届いているだろう。さっきの出来事もティナとジョエルが明日の夕方にはオシニスさんの元に報告書を届けているはずだ。その報告書のどちらにも出てくる医者夫婦を、オシニスさん達はなんと思うだろう。もちろん私はなんの関わりもない。だが潔白を証明できるかと言われたら、それは難しいかもしれない。たとえば昔のよしみでオシニスさんが信じてくれたとしても、はっきりと無関係だと言い切れる証拠として提示できるものが何もない限り、かえって迷惑をかけてしまうことになる。
 
「まいったなぁ・・・・剣のことで愚痴を言っている場合じゃないな・・・。疑われないためには・・・さっさとオシニスさんに会いに行くか・・・でも何も言われていないうちから弁解じみたことをわざわざ言いに行ったりしたらかえって怪しさ倍増か・・・。とすると、逆に少し時間をずらしてから何事もなかったように会いに行くか・・・。」
 
 どうするのが一番怪しくないか、そんなことをあれこれと考えていた時、森の木々が突然ざわめきだし、私の思考がとぎれた。それははっきりとわかるほど大きくではなく、ほんの少し風が強いときのように、ざわざわと揺れだしたという程度だったが、今夜はほとんど風がない。何かが森の中にいるということか。そしてその何かは、少なくともいつも森にいるものではないということだ。それはさっき、ティナを襲った黒い影だろうか。
 
(判断するのは早計だな・・・。もう少し・・・様子がわかればいいんだけど・・・。)
 
 私はそのままの姿勢で、森の中に意識を飛ばしてみた。はっきりと思考が受け取れるわけではないが、それでもそこにいるのがけものか人かくらいの判断はつく。
 
(・・・・・・・・・・・。)
 
 けものがいる・・・。複数・・・。今の時間帯に起きていると言うことは、夜行性のけものだろうか・・・。
 
(・・・・・?)
 
 けものだけじゃない、人の思考も感じられる。それも複数だ。もう少し集中すれば考えていることまで多少はわかるかもしれないが、万一襲われたときのために余力は残しておかなければならない。とりあえず、あまり感じのよくない思念波であることはわかったが、どうやらみんな遠くにいるらしい。すぐそこの木々の間から、ここのキャンプ場所を伺っているというわけではなさそうだ。
 
「こんな夜に森の中にいる人間なんて、ろくなものじゃないんだろうなぁ・・・。王国は見た目ほど盤石じゃない・・・か・・・。どうやら、確かにその通りみたいだな。」
 
 この森は、城下町とは目と鼻の先だ。こんなところに怪しげな集団が潜んでいることを、オシニスさんはどの程度まで知っているのだろう。
 
(・・・・・・・・・。)
 
 しばらく神経をとぎすませてみたが、思念は少しずつ遠ざかり、やがて感じ取れないほどに小さく消えていった。もしかしたら彼らは、ティナの件で中断された『訓練』を再開して、今まで続けていたのだろうか。それにしても妙だ。さっき私達がここに着いたとき、森の中が特にざわついていたようなことはなかった。昔ハリーさんとキャラハンさん達がこの森に迷い込んだとき、森に住む当時の『モンスター』達はみな侵入者に怒り、また怯えていたというのに・・・。
 
(つまり・・・普段森にいるものではないが、この森の中を歩き回る為に守らなければならないことをちゃんとわきまえている何者かと言うことか・・・。)
 
 ティナが『突然森がざわめきだした』と思ったのは、単にその何者かが訓練を始めた音だったのかも知れない。
 
(・・・・・・・・・・・・・。)
 
 もう一度思念波を探ってみたが、もうまったく感じ取れない。人の思念も、そしてけものの思念も・・・。森の中には静けさが戻っている。いろいろと考えてみたところで結局は推測の域を出ない。明日・・・城下町までティナ達と行動を共にしてみて、何者かに襲われたりでもすればはっきりするのだろうけれど、そういう事態には出来るだけなってほしくないものだ。
 
「・・・まああんまり・・・考えても仕方ないか・・・。」
 
 私は焚き火の上でわかしておいたお湯を使ってコーヒーを淹れた。考えすぎて眠気が出ても困る。今、私は20年ぶりに『不寝番』をしているのだ。
 
「今の私の仕事は・・・火を絶やさないことと、眠っているみんなの安全確保・・・と・・・。ははは・・・なんだか久しぶりだ、こんなの・・・。」
 
 それから夜が明けるまで、もう森がざわめくことはなく、何事も起きなかった。
 
 
 
 朝食のあと、ティナとジョエルと私達は連れだってキャンプ場所を出発した。朝日が差し込む東の森の街道はさわやかで心地よい。もうしばらくすると、ローランと城下町をそれぞれ出発した馬車が行き交い、いささか騒がしくなるのだそうだ。
 
「こんなに静かでさわやかなこの道を歩けるのは、この時間帯限定なんですよ。」
 
 ジョエルが言いながら笑った。隣を歩くティナは、鎧を着ていないことでかなり心許なさそうな顔をしている。何事もないことを祈りながら歩き続け、私達が城下町の西門を望む街道に出たのは、空一面を色鮮やかに染めていた夕焼けが半分ほど藍色の闇に変わり始めた頃だった。
 
「はぁ・・・何事もなかったなあ・・・。」
 
 ジョエルは額の汗をぬぐい、安堵のため息を漏らした。もしも何事かあれば、おそらくジョエルはティナを守りながら戦うつもりでいたのだろう。そのティナもほっとしていた。彼女は彼女で、敵に襲われても満足に戦えないことをずっと心配していたのだと思う。
 
「無事で何よりだよ。暗くなる前に町の中に入ったほうが良さそうだから、急ごうか。」
 
「そうですね。」
 
 だが、昔私が初めて城下町に出てきたときのように、街道から一本道を歩けばすぐに門にたどり着くというわけにはいかなかった。なんと言っても城下町の周りには、たくさんのテントが張られ、芝居小屋や大道芸人の小屋の呼び込みが大声で叫んでいるのだ。あちこちの屋台からは肉の焼ける香ばしいにおいが漂ってくるし、すでに酔っぱらって大騒ぎしている連中もいる。
 
「いやはやすごいな・・・。町の外でこれでは、中は凄まじいことになっていそうだな・・・。」
 
「祭りは夜のほうが盛り上がりますからね。盛り上がるってことはスリやかっぱらいも昼間より格段に増えるってことなので、僕らみたいな下っ端は夜の警備はまださせてもらえないんです。」
 
「そうらしいね。でも夜の警備ってのも楽じゃないだろうから、今楽している分、何年かしたら忙しくなるんじゃないのかい。」
 
「ははは、そうですね。」
 
 
 城下町の西門には、門番の王国剣士が二人立っている。そのうちの一人がこちらに気づいた。
 
「おい、今帰りか?」
 
「はい、ローラン一帯と東の森を巡回してきました。」
 
「そうか、ご苦労だったな・・・・ん・・・?おいティナ、お前なんだその格好は?」
 
「あ、あの、鎧を斬られて・・・制服も・・・。」
 
「鎧を斬られたぁ?お前何を寝ぼけて歩いてるんだ?まったく・・・だからまだ外に出すのは早すぎるって言ったんだよ。」
 
「おい、今さら何言ってんだよ。決めたのは団長だ。文句言うなよ。」
 
 門の反対側にいた剣士がそのままの姿勢で顔だけ振り向いた。
 
「俺だって文句をつけたくなんてないよ。だがな、出したとたんにこのざまだぞ?おいジョエル、お前もだ。二人して何を考えて歩いてるんだ?」
 
 ティナは泣きそうな顔でうつむいている。ジョエルも口を真一文字にひき結んだまま、黙り込んでいる。
 
「ちょっと待ってくれ。この二人だって黙って鎧を斬られたわけじゃないし、ティナは大怪我もしたんだ。理由も聞かないでその言い方はあんまりじゃないのかい?」
 
 王国剣士にたてつく気はないが、それにしても彼のこの言い様はあまりにも一方的だ。門番の剣士達は二人とも、それなりの経験年数は積んでいるように見える。今年入り立ての新人剣士では、なかなか思ったことも言い返せないだろう。
 
「あなたは・・・?」
 
「私は北の島から祭り見物に来た医者だよ。ローランでこの二人と知り合ってね、夕べ東の森のキャンプ場所で会ったから、ここまで一緒に歩いてきたんだ。ティナが鎧を斬られた時に居合わせたわけではないけど、理由は知っているよ。でもここで話し込んでいては君達の仕事のじゃまになるだろうから、後でこの二人からちゃんと事の次第を聞いてやってくれないか。」
 
 門番の剣士はばつが悪そうに何度か咳払いをして
 
「は、はあ・・・確かに・・・・。旅の方に不快な思いをさせて申し訳ありませんでした。おいお前ら、怪我ってのは・・・どの程度なんだ?」
 
「背中を斬られたんですけど、こちらのお医者様に治していただきましたから大丈夫です。」
 
「自分で治せなかったのか?まあ怪我をしたお前はともかく、ジョエル、お前も気功は一通り使えるだろう?」
 
「・・・僕の腕では治せないほどひどい怪我だったんです・・・。」
 
 ジョエルは悔しそうだったが、はっきりと答えた。
 
「お前の腕ではって・・・そんなにひどかったのか・・・?」
 
「剣で斬られた傷だったから、呪文で治ったけどね。確かに基本の気功だけで治そうとしたら、ジョエルのほうが倒れてしまっていたかも知れないよ。」
 
 門番の剣士はまたしてもばつが悪そうに私を見た。心の中ではむっとしているかも知れないが、今はそんなことにかまっていられない。
 
「そ、そうですか・・・。お世話になりました。おいお前ら、その一件は団長に報告するんだろう?」
 
「は、はい・・・。」
 
「それじゃ俺達もそろそろ夜勤の連中と交代だから、後でメシでも食いながら教えてくれ。お前らは一番遅く入って一番先に外に出ることを許可されているんだから、行動には細心の注意を払えよ。」
 
「はい・・・すみません・・。」
 
「いや、俺も言い過ぎた。悪かったな。ほら、もう早く行け。」
 
 追い立てられるようにして、二人は門の中に駆け込んだ。門番の剣士は私達に向き直り、
 
「失礼しました。お二人は城下町は初めてですか?」
 
「いや、昔住んでいたんだけどね、20年ほど前に田舎に引っ込んでしまって、それから出てくるのは初めてなんだ。だいぶ祭りも盛況だそうだから、一度くらい見てみるのも悪くないかと思ってね。」
 
「そうですか。20年前というと、モンスターがおとなしくなってきた頃ですね。あのころから比べると、城下町の治安は格段によくなりました。ですが・・・今はこの状態ですからね。」
 
 剣士は門の前で繰り広げられている大騒ぎを目で指し示した。
 
「荷物と懐には十分気をつけてくださいね。」
 
「わかったよ。いろいろありがとう。」
 
「ではお気をつけて。」
 
 門をくぐると、ティナとジョエルはまだそこにいた。
 
「待っててくれたのかい?」
 
「はい、ちゃんとご挨拶してからと思いまして。」
 
「それじゃ私達も商業地区まで行くから、王宮に向かう道まで一緒に行こうか。」
 
「はい。」
 
 さすがに住宅地区はそんなに騒がしくはない。だが、あちこちに仮装をした大人や子供の一団がいて、大きな声で話をしては笑いあっている。これから祭りに繰り出すのだろう。
 
「祭りはすっかり定着しているみたいだね。」
 
「そうですね。僕も子供の頃から楽しみにしていますよ。年々派手に賑やかになってきて、ただ見ているだけの頃は楽しかったけど、自分で警備するとなると話は別ですね。」
 
 ジョエルが笑った。
 
 
 やがて住宅地区と商業地区をわける交差点の前までやってきた。
 
「では僕達は王宮に戻ります。いろいろお世話になりました。」
 
「いや、こちらこそ世話になったね。それじゃ。」
 
「はい、また。」
 
「あの、いろいろありがとうございました。」
 
 ティナが頭を下げた。
 
「体調はどう?痛むところとかはないかい?」
 
「はい、大丈夫です。」
 
「呪文だけで怪我を治した場合、かなり体力を消耗するからね。今日はゆっくり休んだほうがいいよ。明日からは仕事なんだろう?」
 
「はい。それじゃ、失礼します。」
 
 二人は王宮への道を歩いていった。遠くに王宮の玄関の明かりが見える。20年前、私もカインと一緒にこの道を毎日歩いたものだ。
 
「懐かしいわね。」
 
「君もそう思う?」
 
「そりゃそうよ。短い間だったけど、ここで剣士団の人達と過ごした時間は、とても楽しかったわ。」
 
「そして今は自分達の息子がここで暮らしているのか・・・。なんだか不思議だな。」
 
「そうね・・・本当に・・・不思議だわ・・・。」
 
 妻は少しまぶしそうに目を細め、少しの間去ってゆく二人の若い剣士の背中を見つめていた。
 
 
 
 商業地区の入り口には、セディンさんの店がある。入り口はまだ開いていたが、今日は寄らずにまっすぐ宿屋に向かうことにした。やがて見えてきた『我が故郷亭』の建物は、昔と変わっていない。だが、多少あちこち直されたようなあとはある。扉の外まで客の笑い声が聞こえてきた。
 
「やっぱりいっぱいかしらねぇ。」
 
「ま、とにかく聞いてみよう。だめならだめでその時また考えればいいさ。」
 
 扉を開けると、思ったよりも混んではいなかった。外まで聞こえてきた声は、フロアの一角に陣取った6人ほどの客達の笑い声だった。大きなジョッキでビールをぐいぐい煽り、冗談を言い合っては笑いあっている。祭りへ繰り出す前の景気づけと言うところだろうか。
 
「いらっしゃい!『我が故郷亭』へようこそ!」
 
 元気のいい声が出迎えてくれた。カウンターにいたのは・・・やっぱりラドだ。さすがに20年が過ぎて、昔よりも落ち着きを感じさせる。だが入ったときに聞こえた声はラドのものではない。もっと若い声だ。見るとビールがなみなみと注がれた大きなジョッキをいくつも両手に持ったウェイターらしき青年が、こちらを見てにこにこしている。
 
「カウンターでよろしければどうぞ。お食事ですか?当店自慢の自家製ビールもありますよ。」
 
「おぅ!こっちビールないぞ!早く持ってきてくれよ!」
 
 先ほどの団体客から声が上がる。
 
「はい!ただいま!」
 
 若いウェイターは笑顔を崩さず、たくさんのジョッキを難なく運び、空になったジョッキをまた両手いっぱいに持ってカウンターに戻っていった。私達もカウンターに座った。ラドが振り向き、口を開けかけて『あれ?』という顔をした。
 
「こんばんは。ラド、久しぶりなんだけど、私達のことは覚えてないかなあ。」
 
「・・・あんた・・・カインの友達だった王国剣士・・・だよな?」
 
「そうだよ。久しぶりだね。」
 
 ラドがぱっと笑顔になった。
 
「ああ、久しぶりだな。いつこっちに来たんだい?」
 
「さっき着いたばかりだよ。もう暗くなるから、今日はまっすぐ宿を取ろうと思ってきたんだ。でも空いてなさそうだね。」
 

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