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49章 過去への旅路

 
 翌日、私達は海鳴りの祠に来ていた。昔管理人だった考古学者と再会し、彼が見聞きしてきたいろいろな話を聞かせてもらい、本物の海鳴りの祠に行って、あの小さな浜辺を散策してゆっくりと一日を過ごす・・・・・はずだったのだが・・・。
 
 今私がいるのはあの小さな裏の浜辺ではなく、昔剣士団がここを拠点としていた時に訓練場として使っていた浜辺だ。そして鎧と盾を身につけて剣を構えていた。今私の前にいるのは、昨日出会った王国剣士、リック。相方のエルガートと妻は、向かい合う私達を黙ってみている。
 
「ではお願いします。」
 
 やる気満々のリックが頭を下げる。
 
「どこからでもいいよ。」
 
「はい!では行きます!はぁっ!」
 
 大剣を構えたリックが突進してきた。





 なぜこんなことになっているのか、話は今朝にさかのぼる。朝早く私達は診療所に向かった。昨夜は誰も呼びに来なかったので、ルノーは順調に回復していたようだ。私達が病室の扉を開けた時は、リックとエルガートと、そしてテレンスに押さえつけられているところだった。予想通り、目を覚ましてすぐに起き出そうとしたらしい。
 
「何でリックさん達までいるんですか。休んでいる暇なんてないんですから離してくださいよ!」
 
 威勢の良さは相変わらずだ。だいぶ大きな声も出るようになったようだが、今飛び出されてはあっという間にベッドに逆戻りになる。
 
「どうやら君達にいてもらって正解だったようだね。」
 
 私はリック達に声をかけた。
 
「まったくです。何でこうこいつは無鉄砲なんだか・・・。」
 
 リックがため息混じりにつぶやいた。ルノーは私達に気づいてぎょっとして目を見開き、テレンスに向かって怒鳴りつけた。
 
「おいテレンス、何でこいつらがここにいるんだ!?ちゃんと拘束しておかなかったのか!?」
 
「私達は別に拘束されるようなことは何もしていないからね。今ここにいるのは君の様子を見に来たからだよ。ずいぶんと回復しているようだが、動き回るのは感心しないな。もうしばらくは安静にしていないと、いつまでたっても仕事復帰なんて出来ないよ。」
 
「・・・なんだと・・・!?いいかげんなことを言うな!盗賊の手先にそんなことを言われる筋合いはない!」
 
「ちょっと待てよルノー!この先生のおっしゃることは本当なんだ。この方は盗賊の斥候なんかじゃないよ。本物のお医者様なんだ。君も知ってるだろう。セーラがあこがれてた麻酔薬の開発者というのがこの先生なんだよ。」
 
「はぁ!?」
 
 ルノーは最初ぽかんとして、次に笑い出した。
 
「まったく・・・だからお前は単純だって言うんだよ。そんないいかげんな話を信用してるのか?有名な人間になりすませば下見もうまく行くからな。ふん!俺はだまされないぞ!」
 
「本当だってば・・・。どう言ったら信じてくれるんだよ・・・。」
 
 テレンスは泣き出しそうな顔をしてうつむいた。リックとエルガートは二人をあきれ顔で見ている。テレンスはルノーに全幅の信頼を寄せているようだが、ルノーの方はどうなんだろう。今の彼らの会話を聞く限り、ルノーはテレンスを何となく見下しているようにも見える。
 
「まったく・・・。おいテレンス、お前はどうしてそこで黙る?何でもっとがんばって説得しようとしないんだ?だからお前はいつまでもルノーに格下に見られてるんだぞ?」
 
「で、でも・・・」
 
 誰しも思うことは同じらしい。
 
「いやはや、朝から賑やかじゃのぉ。おお、クロービス来ておったのか。」
 
 ノックと共に扉が開いて、入ってきたのはデンゼル先生だった。
 
「おはようございます。さっき診療室にうかがったんですが、患者さんがいたようなので先にこちらに顔を出してたんですよ。」
 
「デンゼル先生、先生はこいつを知ってるんですか!?」
 
 ルノーがデンゼル先生に尋ねた。
 
「こいつとはエライ言い草じゃのぉ。命の恩人に対してずいぶんと無礼な態度じゃないか。」
 
「命の恩人!?まさか・・・」
 
「なあにがまさかじゃい!お前さんの怪我の手当をしてくれたのも、気を失ったお前さんをここまで運んでくれたのも、クロービス夫婦とテレンスじゃ。一言くらい礼を言うのが筋と言うものだぞ。」
 
「い、いや、でもこの二人は・・・」
 
「盗賊の手先かも知れないのにと言うわけか。」
 
「そ、そうですよ。だいたいファロシアに来る旅行者なんて・・・」
 
「ロクなのがいないからみんな盗賊の手先か。ふむ、ではわしが一人でファロシアに遊びにでも出向けば、わしも盗賊の手先か。」
 
「バカ言わないでくださいよ。先生がそんなことするはずないじゃないですか。」
 
「ほお、なぜだ?」
 
「当たり前ですよ。俺は先生のことはよく知ってますからね。」
 
「するとお前の理屈では、知り合いは問題なくて知らない奴は全部悪党なのか。」
 
「い、いや、そんな単純な話じゃないけど・・・。」
 
「けどなんじゃ?」
 
 ルノーの焦りが伝わってくる。デンゼル先生はそんなルノーを見つめ、にやりと笑った。
 
「それがお前さんの論理なら、一つ聞かせてやろう。テレンスから聞いたかもしれんが、このクロービスはな、うちのセーラがぜひ一度会いたいといつも話していた麻酔薬の開発者だ。そして20年ほど前までは王国剣士として、あの『エルバール存亡の危機』の折、この国をモンスターの脅威から救った立役者の一人でもある。わしはその頃からクロービスのことも、ウィローのこともよく知っておる。わしにとっては二人とも長年の友人じゃ。さて、これでお前さんにとってクロービスは知らない人間ではなくなったぞ?」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ルノーは黙っている。
 
「だが・・・わしがこんな話を持ち出さずとも、クロービスが盗賊の手先でないことくらい、お前さんももう納得しておるはずだ。だがそれを認めてしまうと自分の今までの考え方を否定することになるから、気がつかないふりをしておるだけじゃろうて。ま、しばらくは入院してもらわねばならんからの、その間に頭を冷やして、よく考えてみることじゃのぉ。」
 
「入院!?冗談じゃない!そんな暇、俺にはありませんよ!」
 
「ふん、もちろん冗談じゃない。死にたくなければ、しばらくは絶対安静じゃ。」
 
「そんな・・・。」
 
 今これだけ元気なのだから、ルノーの命の危機はすでに去ったと見て差し支えないと思うのだが、誰もデンゼル先生の言葉に異を唱えようとはしなかった。こうでも言わなければルノーはおとなしくしていないだろうと、ここにいる全員が考えたのかも知れない。そのルノーはしばらく呆然としていたが、突然悔しげな顔で私に振り向いた。
 
「くそ!あんた達さえいなければ・・・!」
 
 どうやら、怒りの矛先がこちらに向いたらしい。
 
「この先生方がいなければどうなっていたと言うんだ?」
 
 エルガートが怒りのこもった口調で口を挟んだ。
 
「そうだな・・・。クロービス先生達がもしもファロシアに行かなければ・・・お前達がギード氏の言葉を疑っている間に、ノイラ夫人と子供達はコボルドの群れとその奇妙なガーゴイルに食い殺されていたかな・・・。仮に救助が間に合って無事にけもの共を追い払えたとしても、ルノーの傷はもっとひどく悪化して、下手をすればここまでたどり着かないうちに死んでいたかも知れない。そんなところじゃないか?」
 
 リックがにやにやしながら後を続ける。
 
「うむ、まあそんなところだろう。おいルノー、今回の入院はいい機会だぞ。一度頭を冷やして静かに考えてみたらどうだ?」
 
「だ、だけど、俺がいなかったらこいつまで仕事が出来なくなるじゃありませんか。」
 
 ルノーは必死でテレンスを指さした。何とか入院しないですむ方法がないものか、考えをめぐらせているらしい。
 
「僕のことなんて気にする必要はないよ。君の体が第一だ。それに、僕も今回のことではいろいろと考えさせられることが多かったんだ。だから僕にとってもいい機会だと思ってるよ。」
 
「・・・こんなバカにつきあわされるのはごめんだから、コンビを解消したいとでも言うんじゃないだろうな。」
 
「何でそういう話になるんだよ。そんなこと考えているわけないじゃないか。」
 
「ふん・・・わかるもんか・・・。」
 
 声にすねたような響きがこもった。なるほど、何となくわかってきた。ルノーは、実はテレンスを心から信頼しているのだ。でもその気持ちを素直に表に出すことが出来ずにいる。テレンスを見下したような尊大な態度は、単なる照れ隠しのためのポーズらしい。もしかしたらテレンスは、そのことに気づいているのかもしれない。口をへの字に曲げてうつむくルノーの肩を、なだめるようにぽんぽんとと叩いている。
 
「思ってないって。僕を信用してくれよ。何年も一緒に仕事をしてきた仲じゃないか。君にとっては僕はどうにも頼りない相方だと思うけど、僕としては君以外の誰かとコンビを組むなんてこと、考えたこともないんだけどな。」
 
「ふん・・・どうだかな・・・。」
 
 ルノーはため息をつき、私達を上目遣いにちらりと見て、ばつが悪そうに目をそらした。
 
「・・・デンゼル先生の言うとおりだよ。別にこの人達が悪いわけじゃない。そんなのわかってるよ!今回のことは俺の判断ミスだ!全部俺が悪いんだよ・・・。」
 
「君だけのせいじゃないさ。僕にも責任はあるよ。みんなに助けられて、僕らは今ここにいるんだから、この次はこんなことにならないようにすればいいよ。」
 
「ふん、そんなにうまく行くもんか。・・・こんな奴につきあってたら、いつひどい目に遭うかわからないぜ?それでもいいのか?」
 
「大丈夫だよ。」
 
「何でわかるんだよ。」
 
「君のことはよく知っているからさ。君は自分がミスだと認めたことをまた繰り返すようなやつじゃないよ。」
 
「でも今まで何回も団長に怒られてるぜ。手負いのけものを深追いして東の森に入り込んだときも、ハース鉱山で若い鉱夫をからかったときも、それに・・・今回のことだってきっとこっぴどく怒られるさ。でもお前は別に悪くないのに一緒に怒られて、バカみたいじゃないか。」
 
「古い話を持ち出すなぁ。ははは、なんだか懐かしいな。確かに怒られたけど、東の森に入り込んだときの一件では僕にも責任があるよ。そう言えばあの時は副団長がキャラハンさんと一緒に取りなしてくれたっけな。あの二人も昔、東の森に入り込んでだいぶ走り回ったって言ってたっけね。ハース鉱山の一件だって、確かにあのライラって言う若い奴には負けちゃったけど、王国剣士以外でもあんなに強い奴がいるってわかっただけでもいいじゃないか。それにあの時負けた悔しさがバネになって、その後ずいぶんがんばって稽古したよな。そのおかげでかなり力がついたと思うよ。」
 
「お前は前向きだな・・・。東の森に入り込んだのは俺の責任だよ。お前が止めるのも聞かずに飛び込んだんだから。それに、ハース鉱山の一件だって完全に俺が悪い。あのライラとか言う奴、ロイ管理官のお気に入りだって聞いたから、ただのごますり野郎かと思ってたんだよ。おまけに、いやに使い込んだ剣を下げているから、管理官の権威を笠に着ていばり散らすいやな奴なのかなと思いこんで・・・。でもちゃんと話してみたらけっこういい奴だったんだよな・・・。」
 
「そうだねぇ。にこにこしてて穏やかな奴なんだけど、君と剣を交えているときの目は鋭かったっけなぁ。」
 
「まあ、あいつを本気にさせちまった時点で俺の負けだったわけさ。・・・ほんと、バカみたいだよ。はぁ・・・・。」
 
 ルノーがまた大きなため息をついた。どうやら誤解は解けたらしい。
 
「惜しいよなぁ。彼が王国剣士だったら、またいつでも相手してもらえたのにな。」
 
「ふん・・・仕方ないさ。あいつだって剣士団長には負けるだろう。やっぱり俺の目標は剣士団長さ。団長が若いときは南地方の盗賊共を震え上がらせたって話だから、あの団長を超えられるようならきっと、盗賊どもを根絶したいっていう俺の願いも叶う、そんな気がするよ。」
 
「団長のコンビは疾風迅雷と呼ばれていたそうだからね。その相方の人は昔剣士団を辞めちゃったそうだけど、どんな人だったのかな。」
 
「・・・おいリック・・・こいつらなんだかエラく遠大な計画を立ててるような気がするが・・・。」
 
 エルガートがにやにやしながら、聞こえよがしにリックに囁いた。
 
「俺もそう思う・・・。団長に勝とうなんてのは俺達に勝ってから言ってほしいよな。」
 
 二人の言葉にルノーとテレンスはハッとして顔を上げ、揃って赤くなった。
 
「い、いや、それはもちろんリックさん達に勝ってからの話ですよ。でも目標は高いほうがいいわけで、その・・・。」
 
「はっはっは。わかってるよ。さて、和やかに話しているところを悪いが、おまえら、まずクロービス先生達に何か言うことがあるんじゃないか?」
 
「私達のことは気にしなくていいよ。」
 
「・・・いえ、ちゃんと謝ります。頭ごなしに疑ってかかったり、失礼なことを言ったりしてすみませんでした。」
 
 意外にも、ルノーは素直に頭を下げた。
 
「それと、その・・・助けてくれて、ありがとうございました・・・。」
 
「医者がけが人を助けるのは当たり前のことさ。それに、私も君達に謝らなきゃならない。頭ごなしに怒鳴りつけたり、いきなり麻痺させたり、よく考えるとだいぶひどいことをしたものなぁ。本当にすまなかったね。」
 
「・・・でもあの時麻痺させられなかったら、たぶん俺はあそこにいたけもの達そっちのけで、その・・・先生に・・・向かっていったと思います・・・。そうなってたらもっと大変なことになってたと思うから・・・。」
 
「・・・あなたが謝ったなら、私も謝らなきゃならないわよねぇ。」
 
 妻が私の後ろから顔を出した。
 
「気になるなら、そうしておいた方がいいと思うよ。」
 
「そうよね。二人とも、昨日はだいぶバカにしたようなことを言って、ごめんなさいね。」
 
「仕方ないです。僕達が熱くなりすぎて判断力が鈍っていたのは確かだし・・・。」
 
 テレンスがため息をついた。
 
「ふぉっふぉっふぉっ!それではこれであいこってことでどうじゃ?それで今回の件はもう終わりにせんかい。きりがないからのぉ。」
 
 デンゼル先生が大声で笑い出した。
 
「そうですね。ではテレンス、ルノー、デンゼル先生もこうおっしゃっていることだし、この話はここまでで終わりにしようじゃないか。」
 
「はい。」
 
「はい・・・いろいろありがとうございました。」
 
 わだかまりがきれいに消え去ったかどうかは何とも言えないが、とりあえずテレンス達との間に生じていた誤解は解けた。このまま旅立ちたくはなかったので、ほっとした。
 
「ではここからは、医者として言うよ。しばらくの間は安静にしていた方がいい。普通はね、感染症にかかると一晩ではなかなか回復できないものなんだ。たまたま君は王国剣士で普段から鍛えてあったし、体力もあったから今こうしていられるけど、君の体の中に入り込んだ細菌は、まだきれいになくなったわけではないんだよ。デンゼル先生は腕利きの医者なんだから、先生の指示通りにしていれば、すぐに退院できると思うよ。」
 
「ふん、持ち上げても何も出んぞ。クロービス、おぬし今日は予定があるのか?」
 
「今日こそは海鳴りの祠に向かう予定ですよ。そのつもりでケイティに弁当も作ってもらいました。」
 
「ふむ・・・すると今日はファロシアには行かんのじゃな?」
 
「・・・そうですね。セーラの気持ちがまだ固まってないみたいですから、ご両親に挨拶するのははっきりと決まってからでも遅くはないでしょう。」
 
「セーラがどうかしたんですか?」
 
 ルノーがデンゼル先生に尋ねた。
 
「うむ・・・この話はまだ本決まりではないんだが・・・。」
 
 先生はどうしたものかと首をひねりながら言葉を濁した。
 
「あれ?でも昨日セーラはこちらの先生にお世話になるつもりだって言ってましたよ。」
 
 思い出したようにテレンスが言い出した。
 
「お世話って・・・何を?」
 
 ルノーが不思議そうにテレンスに振り向いた。
 
「ああ・・・そうか。君にはまだ言ってなかったっけ。」
 
 テレンスは、昨日セーラが私を紹介するとき、この先生にお世話になって勉強するつもりだと言っていたとルノーに話した。
 
「そうか・・・。本格的に医者の道を進むってことなんだな・・・。いつから行くのかは決まってるのかな・・・。」
 
 ルノーが独り言のようにつぶやいた。そういえば彼はファロシアの出身だ。セーラを昔から知っていても不思議ではない。ただ・・・そのわりに、ルノーに薬を飲ませたときのセーラは、何となくよそよそしかった。そんなに仲がよかったわけではないのだろうか。
 
「まだそこまでは決まってないよ。私も昨日デンゼル先生から打診されたばかりでね。それに、セーラ本人がいやに早く決断してしまったから、少し腑に落ちないものを感じてはいるんだよ。私達はこれから祭り見物やら妻の里帰りやらで、島に帰るのはしばらく先のことだから、それまでにもう少し考えてもらった方がいいかと思ってる。セーラに会えたらその話をしようかと思っているんだけど、今日は忙しいみたいだから、明日の朝ローランを発つ前に一度会いに来るつもりだよ。」
 
「もしかして昨日はそれでファロシアに行ったんですか?」
 
「そうだよ。セーラの家が近くの村にあると聞いたから、海鳴りの祠に行く前に寄ってご両親に挨拶をしておこうかと思い立ったんだ。でも昨日いきなり出た話を、王国剣士とはいえ見知らぬ第三者に話すのもどうかと思ったから、昨日は黙ってたんだよ。まあそれで、君達によけいな誤解をさせることになってしまったわけさ。おまけに結局セーラのご両親とは会えなかったしね。もっとも、そっちはそれでよかったのかもしれないと思うよ。」
 
「俺はセーラは小さい頃から知ってます。セーラの兄貴って言うのが今年剣士団に入ったばかりなんですけど、二人とも小さいときはよく一緒に遊んだりしたんです。兄貴のアスランのほうはおなじ仕事だからいろいろ気にかけてやれるんだけど、医者ってのは俺にはさっぱりわからない世界だから・・・その・・・。」
 
 ルノーは口の中で何かモゴモゴと言っていたが、いきなりベッドの上に座り直して私に頭を下げた。
 
「セーラが本気で先生のところにお世話になることになったら、その時はよろしくお願いします。」
 
「預かることになれば、私達も出来る限りのことをするよ。」
 
 ルノーはセーラのことを心配しているらしい。特に仲がよくないわけでもなさそうだ。やはり年頃になったことで少し疎遠になっているのだろうか。故郷の島では男の子も女の子も、いくつになってもみんな一緒になって遊んでいたのでそれが普通なのかと思っていた。それとも私が気づかなかっただけで、アローラやイルサもそれなりにカインやライラと疎遠になったことがあったのだろうか。その時妻が私の背中を突っついた。
 
(ねぇ、カインのことも言っておいたほうがいいんじゃない?)
 
(それもそうか・・・。)
 
 こうして誤解も解けた今、黙っているほうが不自然な話ではある。
 
「ルノー、君はアスランと幼なじみだと言ったね。すると君達はアスランのコンビを面倒見てくれているというわけか。」
 
「は、はい・・・。」
 
 『面倒見てくれている』という言い回しにルノーは妙な顔をした。隣でテレンスが小さく『あ』と声をあげる。
 
「す、すみません。カインのことはまだこいつには・・・。」
 
「いや、誤解が解けないうちにそんな話をしても、かえってこじれるだけだっただろうからね。」
 
「カインて・・・アスランの相方のカインか?何でここにあいつが出てくるんだ?」
 
 ルノーはきょとんとしてテレンスを見ている。
 
「そのカインはね、私達の息子なんだよ。」
 
「・・・は・・・?」
 
 ルノーはぽかんとして私を見、『え?』というように首をひねり、少し間をおいて『えー!?』と声をあげた。
 
「えーとその・・・麻酔薬の開発者で・・・昔は王国剣士としてあの『エルバール存亡の危機』を救った立役者と言われてて・・・それに・・・剣の腕は昨日見せてもらいましたけど・・・確か昨日は風水術も使っていたような・・・そんな人がカインの・・・親父さん・・・?」
 
 ルノーはすっかり驚いた顔で口をぱくぱくさせている。かなり脚色されている部分もあるが、確かにルノーの言うことは間違っていない。でもそういう話をさっきから聞いていてもそれほど反応を示さなかったのに、どうして私がカインの父親だと聞いてこれほど驚くのだろうか。
 
(何となく想像はつくけど・・・。)
 
 ため息が出そうになる。
 
「ずいぶん驚くなあ。」
 
 テレンスが笑い出した。
 
「そりゃ驚くよ。そんなすごい親父さんがいるのになんでカインの奴はあの程度の・・・」
 
「ウォッホン!」
 
 リックが慌てて咳払いをしてみせた。
 
「あ、いやその・・・・。」
 
 ルノーは焦ってまた赤くなった。
 
「昨日詰所に行ったときにティナとジョエルと言うカイン達の同期の剣士に会ったんだけど、最近カインは妙な構えに凝っていたそうだね。」
 
「入ってきたときはけっこういい腕してると思ってたんですけど・・・どんどんへたくそになって行くもんだから・・・。まあ呪文のほうはかなりのものだって言われてるみたいだけど、俺は呪文はからっきしだからよくわからなくて・・・。」
 
「確かに休暇で家に帰ってきたときはひどかったよ。こっちで先輩達の実力を目の当たりにして圧倒されすぎたみたいだね。やたらと攻撃にばかりこだわっていたな。」
 
「でもあの時ライザーさんが相手してくれなかったら、あんなに早く自分の欠点に気づかなかったかもしれないわね。」
 
「そうだなぁ・・・。確かにああいう時は、他人が相手してくれたほうがありがたいよ。教え方も私より遙かにうまいしね。」
 
 妻の言葉に私もうなずいた。あのタイミングでライザーさんが通りかかってくれたことを、天に感謝したいくらいだ。
 
「あなただって別に教えるのが下手なわけじゃないわよ。でも親子だとどうしても甘えが出るものね。何より、あれだけの腕の人に相手をしてもらえるなんて幸運、なかなかないわよね。」
 
「・・・先生がお住まいの島には、先生の他にも剣の使い手がいらっしゃるんですか?しかも今のお話だと、かなりの腕前のような・・・。」
 
 すこし驚いたように尋ねたのはリックだ。
 
「・・・いるよ。私より上だろうな・・・。」
 
 島に戻ってから、ライザーさんとは何度手合わせしても勝負がつかなかった。でも私は、彼と自分が互角だとはどうしても思えない。ライザーさんは南大陸へは行ったことがなかったが、それでもくぐり抜けてきた修羅場の数は私達の比ではないだろう。そう考えると、やはりライザーさんは私とは格が違うと思ってしまう。
 
「ふむ・・・そういや、ライザーの奴はお前さんと同郷だったのぉ。元気にしておるのか?」
 
「元気ですよ。私達より一足先にこちらに来ているはずなんですけど、ドーソンさんのところにもよらなかったそうですから、まっすぐ城下町に行ってしまったんだと思います。」
 
「なんと、あの男もこちらに来ておるのか。」
 
「ええ、夫婦で祭り見物と・・・子供達の職場見学だそうです。」
 
「・・・なるほどな。」
 
 デンゼル先生は神妙にうなずいた。
 
「あの騒動の折、剣士団を辞めたとは聞いていたが、こちらに来ておるなら顔くらい出してくれても良さそうなものだが・・・まあ愚痴は言うまい。もう20年も前のちょっとした知り合いにまで顔を出していたのではきりがないだろうからのぉ。それに、職場見学と言うことは南大陸まで足を伸ばすのかもしれんし、今はそちらのことで頭がいっぱいかもしれんからの。」
 
「デンゼル先生はライラのことはご存じなんですね。」
 
「うむ、先日のナイト輝石試験採掘の一件でドーソンから聞いた。なかなか無鉄砲な息子らしいから、だいぶ悩んだろうにのお。」
 
 この会話に、テレンスとルノーが驚いて顔を上げた。
 
「あの・・・ライラって・・・。」
 
「君がからかって負かされたという、ハース鉱山の鉱夫だよ。もっとも、今では地質学者だけどね。カインが島に帰ってきたときに剣の相手をしてくれたのは、そのライラの父親なんだよ。」
 
「ええ!?」
 
「そしてその男は、20年前までは、剣士団長オシニスの相方だった。疾風迅雷の疾風のほうじゃよ。もっともそんな話をオシニスにすると、若気の至りだと大笑いするがの。」
 
「昔もよく言ってましたよ。盗賊につけられた二つ名などで呼ばれるのは何とも落ち着かないって。もっとも、そのうち開き直って笑い話にしていましたけどね。」
 
「ぶわっはっは!そうじゃろうのぉ。しかしオシニスは変わらんぞ。相変わらずやたらと若く見えるから、今でもその通り名が似合いそうじゃ。」
 
 ルノーとテレンスはぽかんと口を開けたまま固まってしまった。リックとエルガートは驚いて顔を見合わせている。しんと静まりかえった病室の中に、デンゼル先生の笑い声だけが響いた。
 
(やっぱりこんな話、しないほうがよかったかなあ・・・。)
 
 あまりにも驚かせすぎたかもしれない。それにライザーさんの本当の目的もわからないというのに、彼が王国に来ていること話してしまってよかったのかどうか・・・。
 
「あの・・・クロービス先生?」
 
 おずおずと声を出したのはテレンスだった。
 
「なんだい?」
 
「それじゃライラは、その親父さんに稽古をつけてもらってたんでしょうか。」
 
「島を出る前まではずっと訓練していたと思うよ。うちのカインのように王国剣士になると言う話も聞かないのに、ずいぶんと熱心にやってるなと思ってたんだけど、南大陸に一人で渡ろうって言うなら、いくら稽古してもしすぎるってことはなかっただろうね。」
 
「はぁ・・・なるほどなあ・・・俺が負けるわけか。気合いが違うよなぁ・・・。」
 
 ルノーが大きなため息とともに肩を落とした。
 
「そうだなぁ。ライラがハース鉱山に初めて行ったときの話はシドさんに聞いたけど、なんだかものすごい執念だったみたいだからな。確かに僕らとは気合いの入れ方が違うよ。・・・見た目はすごく優しげでなかなかのハンサムだから、賄いのおばちゃん達からも大人気らしいけど、芯が強い奴なんだねぇ。」
 
「ははは・・・いくらもてても相手がおばちゃんばかりじゃなぁ。」
 
「もてないよりはいいじゃないか。でもあいつ、なんだか女にはあんまり興味がなさそうだよな。」
 
「おいおい、あまり勝手なことを言うもんじゃないぞ。もうすぐ試験採掘が始まるからな、女どころじゃないんだろう。」
 
 エルガートがたしなめるように口をはさむ。でもそう言いながら笑っていた。彼らもライラとは顔見知りなんだろう。
 
「試験採掘はいつからなんだい?」
 
「祭りが終わってからの予定です。採掘が始まるときは、フロリア様が直接ハース鉱山に出向かれて、現場を見学されるそうです。」
 
「そうか・・・。それじゃ今頃は最終調整で鉱山にいるのかな。」
 
「どうでしょうねぇ。この間ハース鉱山から戻ってきた奴の話だと、あまり緊迫した様子はなかったらしいですが。」
 
「そうか・・・。それなら少しは安心だな。」
 
 失敗したときどうするかとか、責任をどうとるかなどの重圧よりも、夢に一歩近づけることの方がうれしくて仕方ないんだろう。そのくらい大きく構えていた方が、成功する確率は高くなると言うものだ。相手にしているものは全く違うが、研究者としては私のほうに一日の長がある。今度会ったら、何かしら相談に乗ってやれることがあるかもしれない。
 
「それじゃ私達はそろそろ出かけることにするよ。ルノー、デンゼル先生の言うことをよく聞いてくれ。無理は禁物だからね。」
 
「はい・・・。」
 
 一応返事はするものの、入院という事態には、ルノーはまだ納得していないらしい。
 
「大丈夫ですよ。僕がこいつを見張ってます。おいルノー、今回だけは君の言い分は聞かないぞ。何が何でも君をベッドに縛りつけておくからな。」
 
「なんだよ、お前やけに強気だな。」
 
 いつもと違うテレンスにルノーは少しとまどっているようだ。
 
「ああ、今度からは強気で行くぞ。今回のことでは僕もいろいろと考えさせられるところが多かったんだ。僕は今まで自分の意志が弱いことに気づかないふりをしていた。そして君の言うことを聞いていれば悩まずに進んでいけると虫のいいことを考えていたのさ。でもそのおかげで君を失いかけた。今回ほど自分の情けなさが身にしみたことはなかったよ。だから、僕も変わろうと思う。その手始めとして、先生の許可が出るまで君をこの部屋に閉じこめておく。何を言われても聞かないからな。」
 
「ちぇっ・・・仕方ないな。わかったよ、ちゃんとよくなるまでおとなしくしてるよ。」
 
 この二人のことはもう心配いらないようだ。いきなり変わることは出来なくても、今の状況に甘んじていてはいけないのだと言うことに、少しずつ気づき始めている。きっと彼らの力はもっとずっと伸びるはずだ。病室を出たあと、妻に頼み込んで時間をもらい、少しだけデンゼル先生に話を聞くことが出来た。先生は手製の薬のレシピなどを快く伝授してくれ、さらに今後の私の研究にプラスになるかもしれないと、何冊かの本をくれた。
 
「別にさっき持ち上げられたからと言うわけではないが、お前さんが持っていたほうが有効に活用できるじゃろうと思うての。荷物を増やしてしまってすまんが、帰りはどうなるかわからんじゃろうからな。」
 
「とんでもない。ありがたくいただいていきます。」
 
 家にあるような分厚い医学書ではなく、どの本にも表紙には何も書いてない、本と言うよりノートのようだ。一番上にあった一冊を開いてみると・・・中に書いてあるのは活字ではない。
 
「先生、これはもしかして先生の研究ノートですか?」
 
「うむ、わしの字は何とか人類の文字になっていると言われるくらい汚いが、どうじゃ?読めそうか?」
 
「だいじょうぶです。充分ちゃんと読めますよ。それより先生、先生ももしかして私と同じテーマを・・・。」
 
「ふむ、だいぶ前になるが、お前さんと同じところに着目していろいろと調べたときのノートじゃ。今も研究を続けてはおるのだが、他にもいくつかテーマを抱えとるし、入院施設を作ってからは研究だけに没頭しているわけにもいかなくなってきてのぉ。将来有望な若手医師がいれば引き継いでもらいたいと思っとったのじゃ。昨日のお前さんの話を聞いて、今朝引っ張り出してきてみたというわけさ。」
 
「・・・ありがとうございます・・・。」
 
 デンゼル先生の温かい心にふれ、熱いものがこみ上げそうになった。今の私には、何よりもうれしい贈り物だ。このノートの中には、分厚い医学書よりももっと大事な、「人の手で調べた生の情報」が載っている。もう今すぐにでも島に戻り、このノートを隅から隅まで読みつくしたい衝動に駆られたほどだ。
 
「お前さんはまだまだ若い。そろそろ空の上からばあさんに呼ばれそうなわしより、ずっと有意義にこのノートを活用してくれることじゃろう。だが、焦りは禁物じゃ。自分の代で完成させることが無理かもしれないと思ったら、潔く次の世代に譲り渡す勇気も必要じゃぞ。」
 
「はい、お言葉、肝に銘じます。」
 
 これで安心して海鳴りの祠に行ける。私達は診療所を出ようと玄関に向かった。そこにはリックとエルガートが待っていてくれた。
 
「これから海鳴りの祠に向かわれるのですか?」
 
「そのつもりだよ。昨日はいけなかったから、今日こそはゆっくりと観光したいと思ってね。」
 
 追われる身としてではなく、ただの観光客としてあの浜辺をぶらついたり、洞窟を歩いたり、そんな風にして一日をのんびりと過ごすつもりでいたのだ。
 
「そうですか・・・。」
 
 リックは少し躊躇する様子を見せ、次に思い切ったように口を開いた。
 
「先生、一つ先生にお願いがあるのですが・・・。」
 
 その『お願い』は、ドーソンさんの予想通り、私の剣に関することだった。伝説の剣と言われる代物を、ひと目見せてほしいというのだ。
 
「いきなりこんなことを申し上げるのが失礼なことだとは思うのですが・・・お聞き届けいただくことは出来ますでしょうか・・・。」
 
「見せるのはかまわないけど、ここでは抜けないよ。町のど真ん中だからね。」
 
「そうですよね・・・。それではその・・・海鳴りの祠で、少しだけお時間をいただけませんか。」
 
「それはかまわないけど、君達はこの町の常駐剣士だろう?大丈夫なのかい。」
 
「午後のちょっとした時間だけティナ達に代わってもらいます。ぜひ、お願いします!」
 
 期待のこもった目で頼まれたら、いやだとは実に言いにくい。それに、そもそも単に見せてくれと言うだけのことを断る理由はない。いや、使わせてくれと言うなら使わせてもかまわないのだが、この剣は私以外の誰かが持っても、その本領を発揮することはない。だから使わせてしまったら、かえってがっかりさせることになるかもしれない。この剣が私を見放すまで、あるいは私が死ぬまでは、この剣は私にしか使えないのだ。
 
 それじゃ午後に海鳴りの祠でと約束をして、私達はローランを出た。今日こそはケイティに頼んで作ってもらった弁当を、景色のいい場所で食べることが出来そうだ。昨日作ってもらった弁当は、結局診療所でばたばたと動きながら食べたので、味がさっぱりわからなかった。
 
「ふう・・・昨日はもったいないことしたわねぇ。今日こそはじっくり味わって食べたいわ。」
 
 妻も楽しみにしている。ローランから海鳴りの祠までの道も、昔のような自然に出来た道ではなく、きちんと石畳が敷き詰められた街道が出来ている。道の両隣にはかがり火が設置されていて、その間には色とりどりの花が植えられていた。草が伸び放題だった周りの土地もきれいに整備されて、あちこちに屋根付きのベンチがおかれている。散策の途中で一休みできるようにとの配慮なんだろう。
 
 
 海鳴りの祠に着いて、私達はまず管理棟を訪ねた。そこには新しい管理人がいて、隣に本に埋もれているあの考古学者がいた。山のような本はほとんどが古文書で、この考古学者が小さな町や村から遠い離島まで歩き回って集めたものらしい。集めた古文書は一通り解読し、王宮に持ち込むのだという。今では王宮から多少の補助金も出ているので、大規模な発掘事業などを行わない限りは、研究費用には困らないとのことだった。
 
「こんな研究三昧の日々が送れるなんて、あのころは想像もしていませんでしたよ。それもこれも、あなた達とあの当時の王国剣士さん達のおかげです。本当に感謝しているんですよ。」
 
「王国剣士達はともかく、私達はたいしたことはしていませんよ。それより、研究は進んでいるんですか。」
 
「ええ、なかなかおもしろいことがわかってきました。たとえば、エルバール以前にあったとされるサクリフィアのさらに昔、もっとずっと栄えた王国がこの地にあったらしいとかね。」
 
「そういえば昔そんな話をされてましたよね。遺跡とかは見つかったんですか?」
 
 考古学者は残念そうに首を振った。
 
「残念ながら、その点についてはあのころからそんなに進歩がありません。それこそ大規模な発掘調査でも行えればもっといろいろとわかることがあると思うのですが、今のところ手がかりといえばここの海鳴りの祠だけですからね。せっかくの観光名所を掘り返すにはそれなりの根拠と下準備と・・・それにお金が必要なんですよ。今私が持っている情報だけでは、なかなかそこまでは出来ないですね・・・。ま、気長に進めていくつもりでいます。今度は管理人の仕事はしなくていいですから、時間はたっぷりあるんですよ。」
 
 彼は調査自体が楽しいように見えた。好きなことをして毎日過ごしていけるなんて、きっと夢のような日々なんだろう。
 
「本当は、文書館の本を自由に見ることが出来れば、解決する問題もあるかと思うんですが・・・はぁ・・・・許可を取るだけでなかなか大変ですからね、あそこは。」
 
「でも昔みたいに何が何でもだめと言われるよりはいいんじゃないんですか?」
 
「ふむ・・・確かにそうですね。いやはや、人間の欲とはきりがないものですね。あのころは一目見られればいいと思っていたのに、それが叶えられると今度はいつでも見たくなり、やがては好きなときに好きな本を好きなだけ見ていられればなどと考えてしまう・・・。あまり欲を出すととんでもないことになりかねませんねえ・・・。ふぅ・・・少し考え直さねば・・・。」
 
 相変わらず知識欲が旺盛な人だ。だがそれがなくなったら、もう学者としてはやっていけない。文書館への立ち入りと蔵書の閲覧は、昔のように何が何でも国王と文書管理官しか出来ないというわけではなくなった。申請して許可が下りればいいということになってはいるのだが、なかなか許可が下りないらしい。私が王国を去る前、フロリア様は文書館への出入りを一般人にも自由にさせてはどうかという話をしておられたのだが、レイナック殿がかなり強硬に反対していた。その妥協案が「理由を明記して申請された者に対して許可を出す」ということだったのだ。だがあの場所に保管されている蔵書の中身を考えれば、そう簡単に誰にでも許可を出すのはなかなか難しいのだろう。
 
「でも20年で多少なりとも変わってきたのですから、焦らなければきっと道は拓けますよ。」
 
「そうですね。うむ、それを期待して、今は目の前の古文書の山と格闘することにしましょうか。」
 
 考古学者が笑った。
 
「がんばってくださいね。」
 
 あまり研究のじゃまになってもと、私達は管理棟を出た。あたりを見渡してみたが、ここは20年前とほとんど何も変わっていない。変わったことがあるとすれば、人が歩くことを想定している場所がすべてきれいに整備されていることくらいだろうか。私達が訓練場として使っていた浜辺に向かう道も、昔は砂が踏み固められた程度の道だったのに、外の街道同様、ちゃんと石畳が敷かれている。私達が寝床にしていた洞窟群に向かう道も同様だ。洞窟の中は以前と同じように、迷いやすい細い通路は閉鎖されている。そんなに奥の深い洞窟ではないのだが、小さな子供が迷い込んだりすると、出られなくなってしまうおそれがあるからだろう。
 
「相変わらずの海鳴りねぇ。あのころはよくこんな場所で寝泊まりできていたものだわ。」
 
 洞窟中に響き渡る波音を聞きながら、妻が笑った。
 
「そうだねぇ。島の静けさに慣れてしまったから、もうここでは寝られないだろうな。もっとも・・・ここで寝る羽目になるような目にも、もう二度と遭いたくないけどね。」
 
「そうよね。毎日温かい布団でゆっくり眠れる幸せは、失いたくないわ。」
 
 うるさいほどの『海鳴り』が響く洞窟群を抜けて、私達はあの小さな浜辺に出た。心地よい海風が頬をなでて、あのころを思い出させる。とんでもない遠回りをして、やっと妻と仲直りできた思い出の場所・・・。二度と離すものかと誓った場所・・・。この場所は変わらないのに、あの時一番私達のことを心配してくれていたカインはもういない。あの笑顔をもう二度と見ることは出来ないのだと思うと、また胸が痛む。
 
「・・・こんな風にのんびりとこの景色を眺められる日が来るなんて、あのころは想像も出来なかったわね。」
 
「うん・・・。」
 
 言いようのない切なさがこみ上げてきて、返事をするのが精一杯だった。妻もそれを察してくれたのか、そのまましばらくの間二人でぼんやりと景色を眺めていた。
 
 
 
「・・・そろそろ祠に入ってみようか。」
 
「そうね。道が沈んでしまうと裸足にならなきゃならないから厄介だわ。」
 
 このままぼんやりと過ごすのも悪くはないが、今の私達がここにいられる時間は限られている。そろそろ動き出さなければならない。私達は立ち上がり、海鳴りの祠へと向かった。幸い観光客は誰もいない。昔と変わらず心地よい波音が響いて、幻想的な雰囲気を醸し出している。
 
「静かねぇ・・・。この場所はあのころと何も変わってないわ・・・。」
 
「私達が歳をとっただけだね。」
 
「いやねぇ・・・。でも、確かにその通りなのよね。」
 
 妻があきらめたようなため息をついた。私は、昔と変わらない柔らかな光の中に立った。ここまで歩いてきた疲れがとれ、体が軽くなるような気がした。この光の持つ不思議な力は、今でも変わらないようだ。
 
「この光も変わらないね。疲れがとれるよ。」
 
 妻は私の隣に立って光を見上げ、うなずいた。
 
「そうねぇ・・・。この光・・・私には相変わらず金色がかった白に見えるけど、あなたにはどう見えるの?」
 
「昔と同じ白に見えるよ。」
 
「ふぅん・・・それじゃ歳は関係ないのね。」
 
「関係ないんじゃないのかなぁ。ただ・・・そうだな・・・呪文や気功を操る力が衰えたりしたら、あるいは変わるのかもしれないね。」
 
「そっか・・・。でもそんなのが本当かどうかなんて、試せるようになりたくないわねぇ。」
 
 妻が笑い出した。
 
「まあそうだね。世の中が一切呪文に頼らずに何でも出来るようになるまでは、力が衰えたら困るからね。」
 
「そうね・・・。ねえ、この光、奇跡の光だとかいってかなり話題になったらしいけど、ドーソンさんの話だと、それも一時的なものだったみたいね。」
 
「疲れ程度ならすぐに回復してくれるけど、この光だけで病気を直すにはかなりの時間がかかるからね。ローランあたりに滞在して、何度か通わないと無理だからかもしれないよ。」
 
「ふふふ・・・おとぎ話に出てくるみたいに『たちどころに病気を治せる』くらいの大きな力を期待してきた人達は、がっかりするわよね。」
 
「病気って言うのは毎日の生活である程度は防げるものなんだけどな・・・。そんな都合のいい力を望むより、毎日地道に健康管理した方がいいんだよ。」
 
「そりゃそうだけど、それが出来ないからみんな病気になったり怪我したりするのよ。」
 
「そりゃそうなんだけどさ・・・。」
 
 もっとも、誰しも規則正しい生活を心がけたいと思いつつ、つい流されてしまうものだということは私にもわかるつもりだ。
 
「そろそろ出ようか。こんなところに来てまで健康について論じていたんじゃ、ムードぶちこわしだよ。」
 
「あっはっは!そうね。他の観光客も来るかもしれないし。」
 
 祠の出口に来たところで、道の反対側からやってくる一団と出会った。昨日ローランの詰所で出会った王国剣士、ティナとジョエルだ。彼らの後ろには品のいい老婦人と、活発そうな若い娘がいる。観光客を案内してここまで来たらしい。
 
「あれ?カインの親父さんじゃないですか。観光ですか?」
 
「うん。ちょうど出るところだよ。」
 
「そうですか。こちらの方達はこれからそこに行くところなんですよ。さてと、おばあちゃん、足下に気をつけてくださいね。この道は滑りやすいですから。」
 
 この道は細い一本道なので、人が二人並んでは通れない。老婦人はジョエルの言葉に笑顔でうなずき、一人で歩き出したが、どうにも足下がおぼつかない。私は進み出て、老婦人の手を取って支えた。
 
「あらあら、すみませんねぇ。」
 
「いえ、お気になさらないでください。この道は潮の満ち引きによって沈んだり現れたりしますから、どうしても滑りやすいんですよ。転ぶとびしょぬれになってしまいますからね。」
 
 ゆっくりと老婦人は道を渡り終え、私に向かって何度も頭を下げた。
 
「ありがとうございます。歳をとると足下がおぼつかなくなって・・・本当に情けないですわ。」
 
「足がお悪いんですか?」
 
「ええ、歩くのは何とか出来るんですけどね、どうしても転びやすくなって・・・。この祠の噂は以前から聞いていたのですけど、モンスターがうようよいた頃はとてもとてもここまで来ることなんて出来ませんでしたわ。やっと望みが叶って、今日来ることが出来たんですのよ。」
 
「そうですか。」
 
 老人の足の痛みも、あの光にあたれば治らないことはないのだろうが、一度や二度では無理というものだ。
 
「あなた方はお若いようだけど、どこかお悪いの?」
 
 老婦人が不思議そうに尋ねた。
 
「いえ、昔ここに来たことがあったので、20年ぶりに訪ねてみたんですよ。ここは変わらないですね。」
 
「まあそうでしたの・・・。あ、あらあら、いつまでも寄りかかっていてすみません。」
 
 老婦人は赤くなって私の手を離した。
 
「いえ、かまいませんよ。お一人で大丈夫ですか?」
 
 そこに若い娘とティナ達もやってきた。娘は私に向かってすまなそうに頭を下げた。
 
「すみませーん。おばあちゃんの面倒を見てくれてありがとうございました。」
 
「君はお孫さんかい?」
 
「ええ。どうしてもここに来たいって言うから、付き添いのわけなんですけどねぇ・・・。ねえおばあちゃん、本当にこんなところで足がよくなるの?」
 
 この娘はどうやら老婦人の孫娘らしい。ここに来るのはあまり乗り気ではないようだ。
 
「すみません、カインの親父さん・・・じゃなくて、クロービス先生でしたね。護衛は我々の仕事なのに・・・。」
 
 ジョエルがぺこりと頭を下げた。
 
「ここは滑りやすいからね。若い人なら特に気にすることもないと思うけど、年配の方には気を遣ってあげたほうがいいと思うよ。」
 
「はい、ありがとうございました。さてと、では中に入りましょう。」
 
 彼らが祠の中に入ってから、私達は一本道を歩いて浜辺に戻ってきた。
 
「まるっきり寂れているわけでもないのね。」
 
「治らない病気とか、今のおばあさんみたいに歳をとってあちこち痛むようになった人達は、一度くらいは試してみたいと思うものかもしれないよ。」
 
「そうよね・・・。治らない病気か・・・。この世の中の治らない病気っていうのは、少しずつでも減っているのかしらね。」
 
「・・・・・・・。」
 
 昔なら治らなかった病気も、麻酔というシステムが出来たことで手術をすれば治るようになった。でもそれは全部じゃないし、新しい病気も次々見つかっている。
 
「はぁ・・・私達ってどうしてこう仕事から離れられないのかしら。」
 
「ははは・・・。旅に出たとたんにけが人に出くわしたりしてるんだから、こうなると行く先々でこういうことがあるかもしれないよ。」
 
「ふふふ・・・。まあ仕方ないかもね。せめて今日は一日、のんびりしましょうよ。」
 
 そして私達は、また浜辺に腰を下ろした。まだここを立ち去るのは惜しい気がしていた。
 
 
 
「すみませんでした。」
 
 突然背後から声をかけられて、はっとして振り向いた。ティナとジョエルが立っている。後ろにはさっきの老婦人と孫娘がいた。
 
「あれ?祠詣ではもう終わりかい?」
 
「ええ、一度あの光にあたったくらいでは、せいぜい今痛いところが痛くなくなる程度ですからね。ここは岩場の上だから冷えるし、一度に長い時間はいられませんよ。」
 
「そうだね。無理はしないで、何度か通うほうがいいと思うけど。」
 
「通えば治るんですか?」
 
 いきなり話に割って入ったのは先ほどの孫娘だ。
 
「あの光の力は今でも解明されていないんだ。確約は出来ないけど、何度か通えば今よりはよくなると思うよ。」
 
「へぇ〜。そうなんですか?ねえねえおばあちゃん!何度か通えば治るかもしれないって!」
 
 孫娘がうれしそうに老婦人に向かって叫ぶ。
 
「そのつもりですよ。一度や二度で走り回れるようになるなんて思っちゃいないもの。」
 
「おばあさん、光にあたるのはいいんですが、足を動かしたりして少しでも運動をしておいたほうがいいですよ。今はローランに滞在されているのですか?」
 
「ええ、昨日からローランに泊まっています。」
 
 私はデンゼル先生の診療所の場所を説明し、相談してみることを勧めてみた。よけいなことかとも思ったが、神頼みに来るくらいだからきっといい医者にもかかれていないのではないかと思ったのだ。老婦人は喜んで、早速今日行ってみますと言ってくれた。帰り際、ジョエルがリックからの伝言を伝えてくれた。昼食のあと一休みしたら、ここに来るというのだ。ティナとジョエルは、午後からリック達の代わりに詰所にいることになっているらしい。
 
「そうか。伝言ありがとう。ゆっくり来てくれていいよと言っておいてくれるかい?」
 
「わかりました。失礼します。」
 
 リックもエルガートも、どうしてここで私に会うのかを彼らには伝えていないようだ。少しほっとした。私の持つ剣の由来は、息子も知らないことだ。だがいずれは・・・私の口から真実を伝えて、この剣をカインに託さなければならない。カインがこの剣を使おうが使うまいが、それは私の義務なのだ。
 

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