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 頭を下げたセーラに、どうしたものかと考え込んでしまった。どうも今の話を聞く限り、セーラは母親との仲がうまくいってないらしい。うちに来たいというのも勉強したいからというより、自分の家から出来るだけ遠ざかりたいという思いからだろう。彼女の家庭の問題にまで口を出すのは気が引けるが、もしもこのまま北の島に渡ってしまえば、この娘はもう自分の家に戻ろうとはしないかもしれない。だが、そのままでいいはずがない。見た目の美しさもさることながら、物腰の柔らかさ、礼儀正しさ、そして一途に医療の道を進んでいこうとする意志の強さも、おそらくは彼女の親から受け継いだものだ。きっと彼女の両親は愛情一杯に娘を育てたことだろう。やはりここは一度セーラの両親に会って話を聞くべきかも知れない。だがその前に、確認しなければならないことがある。
 
「セーラ、その話について結論を出す前に、君に訊きたいことがあるんだ。まずは座ってくれないか。」
 
「はい・・・。」
 
 セーラは肩を落として椅子に座り直した。
 
「君は医者になりたいんだね?」
 
「はい。」
 
 即座に返事が返ってきた。それについて迷いはないらしい。
 
「では、今後勉強を続けて国家試験に合格した場合、君はそれからどうするんだい?」
 
「・・・え・・・?」
 
「たとえばここの診療所のように、どこかで開業するとか、それともどこかの大きな病院に勤めるとか、ある程度将来の見通しも立てておくべきじゃないかと思うんだよ。何か自分なりに考えていることはあるのかい?」
 
「将来・・・。」
 
 セーラがひとりごとのように口の中でつぶやく。
 
「君の家がある村には診療所がないそうだから、そこで開業することも出来るだろうし・・・」
 
「いいえ!」
 
 突然強い口調で返事が返ってきた。
 
「村には戻りません!村にはもう・・・」
 
「戻りたくないわけがあるの?」
 
 不意に妻に問いかけられ、セーラはハッとして口を押さえた。
 
「い、いえ・・・なんでもないです。ただ、もう村には戻らずに・・・どこか他で・・・。」
 
「ねえクロービス、一度セーラのご両親に会って、話を聞いてからにしない?うちで引き受けるにしても、ご両親の承諾をいただかなくちゃならないと思うわ。」
 
 妻の口調から察するに、セーラの面倒をうちで見ることに異存はないが、彼女がこれほどまでに頑なに両親、特に母親を嫌う理由を知らないままにはしておきたくないと言うことらしい。それについては私も賛成だ。アーニャが言っていたのはこのことだったのだろう。
 
「そうだなぁ・・・。セーラ、一度君のご両親にお会いしてからにしよう。」
 
 私の言葉に、セーラは顔を真っ赤にして叫んだ。
 
「どうしてですか!?私はもう16歳です!学校もちゃんと卒業してます。国家試験はまだ受けられないけど、自分の意志で進路を決めてもいいはずです!」
 
「確かに法的には君はもう一人前だ。でもね、君は大事なことを忘れてる、いや、忘れてるわけじゃないね。考えないようにしてるんだ。君がここまでになれたのは、間違いなく君のご両親が愛情を注いで君を育ててくれたからだよ。ひとりで一人前になれたわけじゃない。きちんと自分の進路を決めたのなら、今まで育ててくれたご両親に報告してお礼を言うのが筋というものだよ。」
 
「・・・兄さんと・・・同じことをおっしゃるんですね・・・。」
 
「君には兄さんがいるのかい。」
 
「はい・・・。兄さ・・・い、ぃえ、兄は・・・大人です。両親が私達にどれほど深く愛情を注いでくれたかわかるなら、古いことになんてこだわっちゃいけないって・・・。」
 
「・・・・・・・。」
 
 『古いこと』というのは、たぶんセーラと母親の確執の原因なんだろう。ということは、彼女の母親の過去に関することか・・・。母親の出自か・・・それとも昔していた仕事とか・・・。
 
(・・・・・・・・・?)
 
『・アスランの母さんがさ・・・。昔・・・歓楽街にいたらしいって・・・』
 
 カインはそんな話をしていたのではなかったか・・・。そうだ、アスランはローランの南に新しく出来た村の出身で、彼の妹は『ローランの診療所』で看護婦になっているとも言っていた。
 
「君の兄さんは家にいるのかい?」
 
 あやふやな知識で決めつけることは出来ない。私は慎重に言葉を選んで尋ねた。
 
「いえ・・・今は城下町にいます。兄は・・・王国剣士になったばかりなんです。だから余計に私心配で・・・。」
 
「何を心配しているんだい?」
 
「あ、あの・・・。」
 
 セーラが私から目をそらし、唇をかみ締めた。王国剣士となった身内のことでたいていの人が心配するのは『家族の身分や仕事が出世に響かないか』ということだ。
 
「王国剣士はいい仕事だよ。危険といえば危険だが、純粋に実力の世界だからね。」
 
「でもやっぱり家柄とか、学校とか・・・。その・・・家族の仕事とか・・・。」
 
 やはりそうか。私の勘もなかなか捨てたものでもないようだ。
 
「そんなものは何の関係もないよ。たとえ公爵家の娘だって、採用されれば一王国剣士だ。名前は呼び捨てだし宿舎は二人部屋。掃除も洗濯も全部自分でしなければならないんだよ。そして剣士団には階級なんてものがない。団長と副団長の他はみんな横一列だ。だが、実力をつけていけば当然重用される。危険な地方などの任務にも早く就くことが出来るようになるんだ。剣士団で重視されるのは、剣の腕とその人となりだけなんだよ。」
 
「お詳しいんですね・・・。」
 
「私も昔そうだったからね。」
 
「あ・・・・・。」
 
「なんだ、忘れとったのかセーラ。クロービスの奴は、昔王国剣士としてこの村にも何度か顔を出してくれたんじゃぞ。前に話したじゃないか。」
 
「す、すみません・・・。」
 
 またセーラの顔が赤くなる。間違いない。この娘はアスランの妹だ。となれば、黙っているわけにもいかない。
 
「ついでに言わせてもらうと、私の息子も王国剣士なんだ。今年入ったばかりのね。」
 
「え・・・・・?」
 
「知らないふりをするのも意地が悪いね。私の息子はカインというんだ。君はアスランの妹さんだね?」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 赤い顔のまま、泣き出しそうな顔でセーラが少し後ずさった。
 
「なんだ、クロービス、お前さんセーラの兄貴を知っとるのか。」
 
「ええ。うちの息子の相方なんですよ。まだ会ったことはありませんけどね。そのアスランという剣士の妹さんがローランの診療所に看護婦として働きに出ているって聞いていたんです。でも今でもローランの診療所がここ一軒だけかどうかわからなかったから、黙ってたんですけどね。」
 
「なぁるほどのぉ。何とも奇遇な話じゃ。だが、おかげでセーラを預けやすくなったわい。」
 
 セーラが少しだけホッとした顔をした。私が自分の母親の過去について知ったわけではないと思ったらしい。今は黙っているべきだろう。その話は妻もまだ知らない。だがあとできちんと話しておかなければならないようだ。
 
(カイン・・・母さんに話すからな。)
 
 妻には内緒のはずのことを、息子に黙って話してしまうのは気が引けるが、この際仕方ない。私は心の中で息子に謝った。
 
「君の家はこの村の南にある村だと言ったね。名前はなんと言うんだい?」
 
「あ・・・あの・・・ファロシアと言います・・・。」
 
「ファロシアかぁ・・・・。私達がここにいたときにはなかった村だからね。ぜひ一度行ってみたいと言ってたんだよ。」
 
「・・・何もないところです・・・。わざわざ出掛けていくようなところじゃありません・・・。」
 
「ここからは遠いのかい?」
 
「いえ、そんなには・・・。海鳴りの祠に行くのとあまり変わらないと思います。」
 
「そうか・・・。ウィロー、どうする?」
 
「そうねぇ、同じくらいの時間で行き来できるなら、午後から両方まわってみましょうか。」
 
「本当に・・・両親とお会いになるんですか?」
 
「君がうちにくるのでなければ別に会わないよ。だが、さっき君は私達の診療所で勉強したいと言ったじゃないか。それならば挨拶くらいはしておかないとね。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「セーラ、お前さんはどうしたいんじゃ?両親から逃げるために北の島へ行くか?それともクロービス達が両親に会いに行くのがいやだからやめるか?」
 
「・・・・・・・。」
 
 セーラは答えない。
 
「どんなに逃げても、お前さんはあの両親から生まれた、その事実は変えられん。それに、逃げ続けているうちにお互い歳をとるものじゃ。両親に会いたいと思ったときにはもうこの世にいないなんてことにならないよう、今のうちに和解しておくのが一番だと思うが。」
 
「・・・そんな・・・先生だってわかってくれたと思っていたのに・・・。」
 
「何をだ?お前さんが母親を嫌っていることか?そんなことをわかったりしてはおらんぞ。ただ、しばらく落ち着くまで黙っておっただけじゃ。他人が横から騒ぎ立てるようなことではないからの。」
 
「・・・君がお母さんを嫌っている理由は、教えてもらえないかい?」
 
 セーラはびくっと肩をふるわせた。
 
「そ・・・それは・・・。」
 
 涙がぽろぽろとこぼれる。直接聞き出すのは無理らしい。
 
「そうか・・・。」
 
「セーラ、お前さんが本気で医師としての勉強をしたいと思うなら、クロービスのところへ行ったほうがいいと思う。お前さんがあれほどあこがれていた麻酔薬の開発者の元で勉強できるんだからな。得るものは大きいはずだ。だが、決めるのはお前さんだ。わしも無理強いはせんよ。」
 
 知らないところであこがれられていたとはなんとも妙な気持ちだ。デンゼル先生が言うほどに、私の下で勉強することがセーラにとってプラスになるものか、なんとも言えないというのが正直な気持ちだった。でもブロムおじさんの元で勉強するのはこの娘にとって絶対にプラスになる。
 
「私・・・麻酔薬を開発された先生にお会いできるなんて思ってもみなくて、だからデンゼル先生とアーニャ先生の元でがんばっていこうと思ってました。でも・・・もしもクロービス先生が受け入れてくださるなら、私・・・先生の元で勉強したいと思います。」
 
「うむ・・・そうじゃな。なあクロービスよ、お前さんは・・・やっぱりセーラの両親に会わないでは、セーラを引き受けてはもらえんのじゃろうなあ。」
 
「デンゼル先生は会われたことはないんですか?」
 
「わしは会ったことがあるが、患者としてじゃ。風邪をひいてここに来たことがあるんじゃよ。あの村が出来たことでうちの診療所が忙しくなったんじゃ。あの村で開業する医者がいればいいんだがのお。だが言うのは簡単だが、開業してやっていくのは大変じゃからな。」
 
「たとえ跡継ぎがいないからといっても簡単に閉められませんしね。」
 
「うむ、ここはアーニャが継いでくれるようだからいいがの。」
 
「息子さんはどうするんですか?」
 
「わしはあいつにファロシアで開業しろというとるんじゃ。なにもみんなしてローランに集まる必要はないからの。あとは息子しだいじゃよ。わしが地盤を築いた場所を継承するか、自分で新しく開拓するか、どうしてもということなら、わしがファロシアに行ってもいいんだがな。」
 
「先生がここからいなくなったら大変じゃないですか。」
 
「みんなそう言いおるんじゃ。困ったもんじゃて・・・。ところでクロービス、お前さんの跡継ぎはいるのか?」
 
「診療所のですか?」
 
「そうじゃ。息子が王国剣士になってしまったといっても娘とかはおらんのか。」
 
「うちは一人息子なんですよ。ですから、自分の子供に継いでほしいというのは無理ですね。」
 
「一人か。そりゃさびしいのぉ。なあに、お前さんがたはまだまだ若いじゃないか。なんなら、これから2〜3人作って跡取りにすればいいわい。」
 
「い、いや、そう簡単なものでは・・・。」
 
「ちょっとおじいちゃん、おかしなこと言わないの。今はセーラの話でしょう。」
 
 アーニャがあきれたようにデンゼル先生を突っついた。
 
「おお、そうじゃそうじゃ。ちと話がそれてしまったの。セーラ、クロービス達の意見は今聞いたな。それでも北の島に渡りたいというからには、彼らがファロシアに行くことについては異存はないのだな。」
 
「は・・・・・はい・・・・。」
 
 セーラはこわばった顔で、やっと返事をした。不安、恐れ、悲しみ・・・セーラからはそんな感情が途切れ途切れに伝わってくる。母親の過去を私達が知ったら、手のひらを返すのではないかと恐れている、そんな気がした。この娘がアスランの妹なのだということは、つまり彼女の母親は昔娼婦だったことになる。多感な年頃の娘がそんな話を聞いたら、確かに平静ではいられないだろうし、母親に対して嫌悪感を持ってしまうこともあるかも知れないとは思うが、あの町に来る女性達には、一人一人にどうしてもこの道を選ばなければならなかった理由がある。娼婦だったと言うだけで最愛の娘にこんなに嫌われるなんて、セーラの母親はどれほど悲しんでいることだろう。
 
「それじゃ、これから行きましょう。お昼は潮騒亭でと思ったけど、お弁当作ってもらって、外で食べない?」
 
「それもいいね。それじゃセーラ、君のご両親に会って話を聞いてくるよ。まずはそれからだね。」
 
 さてブロムおじさんにはどう説明するか・・・。とりあえずここにいるうちに手紙を出しておこう。確かファーガス船長の船は今日の夜北の島に向かって出発するはずだから、渡してもらえるよう頼んでおけばいい。とにかく一度宿屋に戻ることにした。
 
 
 
「あのセーラという子が、カインの相方の子の妹さんだったなんてねぇ。」
 
 宿屋に戻り、ケイティに弁当を作ってもらえるよう頼み込んだ私達は、出来上がるまでの間部屋に戻っていることにした。妻は話をしながら窓の外を眺めている。窓から見える海は陽をはじいてきらきらと光り輝き、さわやかな風が部屋の中に入り込んでくる。
 
「話を聞いているうちにもしかしてとは思っていたんだけどね、思いきって訊いてみてよかったよ。黙ったままでいたのでは意地が悪いかなと思ってね。」
 
「そうね。ねえ、あのセーラって子、どうしてあんなにお母さんを嫌うのかしら。ただのケンカではなさそうだし・・・。」
 
「違うと思うよ。」
 
 妻が不思議そうに振り向いた。
 
「いやに確信的な言い方ね。・・・もしかしてカインから何か聞いてた?」
 
「聞いてたよ。」
 
「教えてくれないの?」
 
 妻は今度は首だけでなく体ごと私に向けた。窓を背にして立ち、少し怒ったような顔で椅子に座る私を見下ろしている。
 
「これから教えるよ。どうして今まで君に黙っていたのかもね。だからこっちに来てくれないか。そんなに怒った顔で見下ろされていると落ち着かないよ。」
 
 妻が私の隣の椅子に座るのを待って、私はカインから聞いたアスランの母親の話を、話して聞かせた。がんばって思い出しながら、出来る限りカインの言ったとおりの言葉で。聞き終えた妻の顔からはやっと怒った顔が消えて、私に向かって微笑んでくれた。
 
「なるほどね・・・。カインとしては、私よりフローラに聞かれたくなかったのね。」
 
「だと思うよ。それにせっかく君達に聞かれないように外で話したんだから、黙っていてやるべきだろうなと思ったんだ。」
 
「そうね・・・ふふふ・・・怒ったりしてごめんなさい。」
 
「そんなことはいいよ。でも・・・何とかならないものかな・・・。」
 
「難しいわね・・・。多分あの子もわかってはいるのよ。でも素直に納得する気になれないんだと思うわ。」
 
「アスランのほうはわかっているみたいだね。」
 
「そうね・・・。でもすんなり受け入れられたわけではないと思うわ。・・・本当は、ご両親に会う前にアスランから話が聞けるといいんだけどね・・・。」
 
「そのほうがいいかもしれないなぁ。」
 
「そのほうがって、それじゃ午後からファロシアには行かないの?」
 
「う〜ん・・・。正直なところ、いきなり私達だけで会いに行くって言うのはどうかなあと思ってはいたんだ。誰か面識のある人が一緒に行ってくれないと、私達が単なる嘘つきだと思われる可能性もあるじゃないか。」
 
「そうねぇ・・・。それじゃ、とにかくその村までは行ってみましょうよ。えーと、お父さんの名前が確かダンテスさんだったわよね。お母さんの名前も訊いてくればよかったかしら。」
 
「でもダンテスさんの家って訊けばわかるんじゃないかな。」
 
「そうよね。」
 
 そこにケイティが出来上がった弁当を持ってきてくれて、私達はまず、ファロシアの村に向かうことにした。村の外に出るということで、鎧と武器を身につけて行くことにしたが、それが外から見えないように、マントで隠すことも忘れなかった。
 
 
 
 
 
 
 もうずっと昔、海鳴りの祠を出た私達は、この道を西部山脈の麓に広がる原生林に向かって歩いていた。あのころは道と言っても旅人が踏みしめて草が生えなくなったと言うだけのもので、まわりの草地とあまり区別がつかなかったが、今はきちんとした街道が出来、道の両脇にはかがり火が置かれている。夜になれば火がつけられ、暗い時間帯も安全に通行が出来るようになっているのだろう。見渡す限り何もなかった草原地帯には、今では畑があちこちに作られ、農場らしき建物も建っている。
 
「あのころとは変わっちゃったけど・・・これが本来の人々の暮らしよね。」
 
「そうだね・・・。このあたりには広くていい土地がたくさんあるのに、昔はみんなモンスターに怯えていたから、村を離れて一軒だけ家を建てるなんてとても出来なかったものな。」
 
 街道をしばらく歩くと、ファロシア村の入口はすぐに見えてきた。思っていたより大きい村だ。
 
「セーラの言うような『何もないところ』ではなさそうだね。」
 
「あの子は私達に来てほしくなかったでしょうから、そう言ったのよ、きっと。」
 
 妻がつぶやいた。町の中は、なんだか昔のローランのようだった。広場ではたくさんの人達が思い思いの場所でおしゃべりをしたり本を読んだりしている。広場のまわりを囲むようにして、コーヒーやサンドイッチなど、その場で食べられるものを売る屋台が並んでいた。その広場の一角に王国剣士らしき二人連れが立ち止まって、何事か話している。彼らの前には大きな木箱が乱雑に積み上げてあり、こんなのどかな憩いの広場には不釣り合いな眺めだ。二人の王国剣士はその木箱の山のことで何か文句を言っているらしい。彼らは常駐剣士なのだろうか。広場を抜けると商店街に出る。雑貨屋、本屋、それに野菜や肉などの食材を売る店、様々な店が並んでいる。出来てからまだ20年ほどしか過ぎていないというのに、もうすっかり一つの村としてこの場所に定着しているようだ。
 
「町の造りはローランを参考にしたのかしらね。昔のローランそっくりだわ。」
 
 妻も同じことを考えていたらしい。
 
「ここに診療所があればそっくり同じかも知れないね。」
 
「そうねぇ。開業するってことはお店を開くのと似たようなものだから、ゼロから始めるのは大変なんでしょうね。」
 
「医療施設って言うのは必要なんだけど、王宮で人を派遣してくれるわけではないみたいだからね。」
 
 せっかく町が出来たのだからそのくらいの面倒を見てほしいものだが、そうなると国中の町や村すべての面倒を見なければならなくなる。結局は誰かが診療所を建ててくれるのを待っているということなんだろうか。
 
「でもいいところね。もう少し小さな村を想像してたんだけど、これだけの規模の村に診療所がないのは困るわね。いくらローランが近いとは言っても、住んでいる人の数を考えたら一つはあってもいいと思うわ。」
 
「そうだね・・・。」
 
 デンゼル先生の息子さんは果たしてここに開業することになるのだろうか。とてもいい人らしいと言う話は、昔聞いたことがある。デンゼル先生はあんなことを言っていたが、本当は息子さんがここで開業してくれることを期待してるんじゃないだろうか。でなければ息子さんがローランを継いで、アーニャがここに来るか・・・。
 
(いずれにせよ、ここでも後継者問題か・・・。)
 
 どこに行っても、20年という時の流れをまざまざと感じさせられる。
 
 
「あの・・・。」
 
 背後からかけられた声に振り向くと、王国剣士が立っていた。さっき広場の隅で何か話していた二人連れだろう。どちらも年の頃は24〜5歳と言ったところだろうか。見知らぬ顔だ。もっともこのくらいの歳なら私がこっちにいた頃にはまだ小さな子供だったはずだから、王国剣士として知っているはずはない。なのに私は、この制服を見るたびに見知った顔ではないかと一瞬考えてしまう。
 
「失礼ですが、村の外から来られた方ですね。」
 
「今着いたばかりだよ。」
 
「われわれはこの村の警備を担当している王国剣士です。失礼ですが、今日は観光で来られたのですか?」
 
「ええ、昔このあたりに来たことがあったから懐かしくて。だいぶ変わったわね。昔はこの村もなかったし、あんな立派な街道もなかったわよね。」
 
 妻の言葉に、剣士の表情が少し緩んだ。怪しい人物ではないと判断してもらえただろうか。
 
「そうですね・・・。昔はこのあたりにも狂暴なモンスターがたくさんいたんですが、気候がいいので、彼らがおとなしくなってから少しずつ家を建てて住む人達が増えたんですよ。それで王宮でも本格的に町造りに乗り出しまして、ローランの町を模してこのファロシア村が出来たんです。名前の由来はファルシオンという古代の言葉から来ているそうですよ。」
 
「そうなんですか・・・。」
 
 似たような名前だと思ってはいたが、やはりそうなのか・・・。
 
「その名前はフロリア様がつけられたんですか?」
 
「そう聞いてます。なんでもファルシオンというのは、持ち主を自ら選ぶと言われている伝説の剣だそうですよ。そんなすごい剣が本当にあるなら、ぜひ一度拝ませてもらいたいものですね。」
 
 まさかその剣が、目の前にいる旅人の腰に下がっているとは思うまい。剣の話が出てどきりとしたが、持ち主の話までは伝わってないらしい。少しホッとした。話しているうちに、王国剣士の青年はすっかり打ち解けた笑顔になった。後ろに控えている相方の剣士は黙って聞いているふりをしているが、視線がさりげなく私の腰のあたりに落ちている。マントの下に剣を下げていることに気づいたらしい。どうやらまだ警戒を解いてはもらえないようだ。背負っている弓は隠しようがないが、けもの達への威嚇を目的として弓を背負って歩く旅人は、ローランにもたくさんいた。だが長剣を下げて歩く人はほとんどいない。まわりに無用な不安を与えないほうがいいかと見えないようにしておいたのだが、『密かに剣を隠し持っている』と思われたかも知れない。仕方がない。何事もなければ『単なる不審人物』として報告されるだけですむだろう。背後の剣士の視線に気づかないふりをして、私は笑顔を向けてくれているほうの剣士にセーラの家を訊いてみた。剣士は快く教えてくれたが、私達がその家を訪ねる理由を言わなかったので、後ろにいた剣士はますます警戒を強めたようだった。この二人はこれでバランスが取れているのだろう。一人は人懐っこく相手に警戒心を抱かせない、そして一人が気を緩めず、相手の正体を探り当てようと神経を研ぎ澄ませる。
 
(うまい組み合わせだな。これもランドさんの考えなのかな・・・。)
 
 礼を言って二人と別れたが、彼らはおそらく私達を監視しているだろう。聞いた以上はセーラの家を訪ねなければならない。でないと単なる不審人物ではなく、『町の中ををかぎまわる不審人物』にされかねない。
 
「伝説の剣ですって。それじゃさしずめあなたは伝説の勇者ってところかしらね。」
 
 妻がおかしそうに言い出した。
 
「バカなこと言わないでよ。でもほっとしたよ。なんだかすごい剣みたいに思われているらしいから、持ち主の名前まで知られていたら下手に名乗れなくなるからなぁ。」
 
「そうよねぇ。本人だと信じてもらえればいいけど、伝説の勇者をかたる偽者!なんて言われる可能性のほうが高そうだわ。」
 
 妻がまた笑った。
 
「何が勇者なもんだか。昔はただの王国剣士だったし、今はただの医者だよ。だいたい他人事みたいに言ってるけど、君だってなんと言われてるかわからないじゃないか。」
 
「あらそうかしら。」
 
 妻はけろりとしている。自分は蚊帳の外だと思っているらしい。
 
「あの後ろにいた剣士さんなら、そのくらいのこと考えているかもね。」
 
「腰の剣に気づかれたみたいだよ。最近は剣を下げて歩く人なんていないみたいだから、変に思われたかも知れないな。」
 
「そうねぇ。すると私達は武器を隠し持つ不審人物ってわけね。でもあの剣士さん、なんだか最初から私達のこと警戒していたみたいよ。」
 
「この村にわざわざ観光で来る旅人なんていないんじゃないのかな。村としての機能はある程度整ってはいるけど、観光の目玉になるような場所はなさそうだしね。」
 
「ふふ・・・ま、仕方ないのかも知れないわね。今時の王国剣士さんは、モンスターよりも盗賊に警戒しなきゃならないみたいだから。何も起きなければそこまでで終わりでしょ。オシニスさんに報告が行った頃には私達が顔を合わせていると思うわ。えーと・・・こっちを曲がるって言ったわよね・・・。」
 
 セーラの家は少し町外れにあるらしい。思ったより町の規模は大きいらしく、結構奥行きがある。たどり着いたところは、住宅街だった。外で子供達が遊んでいる。目指す家はすぐにわかった。こじんまりした何軒かの棟続きの家の一角らしい。扉を叩いて声をかけたが返事がない。
 
「そのおうちのおばちゃんはね、おかいものにいったわよ。」
 
 道端で遊んでいた女の子が声をかけてくれた。
 
「出かけたばかりなのかい?」
 
「そうねぇ、すこしまえかしら。」
 
 女の子は少し気取った声で答えた。まだ4〜5歳くらいだろうに、一人前に首をかしげ、大人がするように頬に手を当てて考え込んでいる。きっと自分の母親かだれかを真似ているのだろう。
 
「そうか。ありがとう。」
 
 留守では仕方ない。私達は来た道を戻ることにした。
 
「せっかく来たのに残念ねぇ。」
 
「いきなりだから仕方ないよ。」
 
 私達はまたさっきの商店街に戻ってきた。
 
「お店でものぞいていきましょうか。」
 
「いや、今日はよそう。それより海鳴りの祠に行かないか。せっかく弁当もあることだしね。」
 
「それもそうね。ねえ、あの管理人さん、じゃなかった考古学者さんにも会いに行かなきゃね。」
 
「いろいろ歩いてきたみたいだから、またおもしろい話が聞けるかも知れないね。」
 
 やっと本業の考古学者に戻って、嬉々として文献を読みあさっているかも知れない。
 
 
 
 私達は広場に戻ってきた。王国剣士達はまた広場の隅にある箱の山の前にいて、誰かと言い争っている。いや、彼らが一方的に怒っているようだ。
 
「だから!何度言ったらわかるんだ!?ここはあんたの店の物置じゃないんだぞ!?」
 
「そ、そうおっしゃられましても・・・。私もここに置くよう言われているだけでして・・・。」
 
「店の当主はどこにいるんだ!?」
 
「それがその・・・出かけておりまして、そろそろ戻る頃合いなんですが・・・。」
 
「どうしたんですか?」
 
 少し迷ったが、声をかけてみた。先ほどの人懐っこい剣士が振り向き、相変わらずの笑顔で答えてくれた。
 
「この箱の山ですよ。この男の店が勝手にここに置いておくんです。こんな人の集まるところに置かれては危ないからと何度も注意したのに、また積み上げようとしてたんで怒ってるんです。」
 
「おいテレンス、余計なことまでしゃべるなよ。」
 
 この人懐っこい剣士はテレンスというらしい。彼の背後にいる相方の剣士は、相変わらず私達を警戒しているようだ。さっきより視線が鋭い。
 
「いいじゃないか。こんな話は誰でも知っていることだぞ。とにかく、この箱はさっさと撤去してもらわないとな。」
 
「し、しかし・・・だんな様の許可がなければ私にもどうしようもないことでして・・・。」
 
 どこの店の人かは知らないが、すっかり困り果てている。
 
「それじゃあんたの店の当主が戻るまでここを見張っているしかないじゃないか。まったくもう・・・。」
 
「も、申し訳ございません・・・あ!来た来た。だんな様! 」
 
 王国剣士に向かって汗を拭き拭き頭を下げていた男は、村の入り口から入ってきた男性を見てほっとしたように声をかけた。だがその『だんな様』の様子がおかしい。顔は真っ青で、半分転びそうになりながら走ってくる。
 
「た、た、た・・・助けてくれぇ!馬車が、馬車がおかしなモンスターに襲われて、女房と子供がぁ!」
 
「モンスターだとぉ!?この辺りにそんなおかしなのはいないはずだぞ!?」
 
「あんたこの箱の話をごまかそうとしてそんな与太話をしてるんじゃないだろうな!?」
 
「ち、違う!早く、早く何とかしてくれ!」
 
 このあわてようが演技とは思えない。
 
「場所はどこです!?」
 
「む、村の東側です!原生林の入り口近くの街道に、な、なんだかよくわからない、見たこともない・・・あれはモンスターだ!昔このあたりを荒らし回っていた、モンスターだ!」
 
 男性はかなり動転しているらしく、尋ねた私を不審がってはいないようだ。だが王国剣士達はなかなか動こうとしない。もしかしたらこの男は、今までもこういった手口で彼らを煙に巻いているのかもしれない。だが今まではともかく、今の話も嘘だとは限らない。
 
「行こう。」
 
「了解。」
 
 王国剣士達にかまわず、私は妻と二人で村の入り口に向かって走り出した。背後からテレンスの声が飛んできた。
 
「どこへ行くんですか!?」
 
「その人の家族を助けにだ!嘘かどうかは行って確かめればいい!まずは行動を起こすべきじゃないのか!?」
 
 言うだけ言って、後はもう振り返らずに村の外に飛び出した。村の入口から街道を南東に向かう途中に、本当に馬車があった。
 
「・・・なんだあれは・・?」
 
 そこにいたのは、近年すっかりおとなしくなった『けもの』ではなく、間違いなく『モンスター』と呼ばれるべき生き物だった。狂暴な目、真っ黒な大きな翼。どう見ても、ずっと昔南大陸で出会ったガーゴイルにそっくりだ。その周りに、血走った目つきの小さな生き物がいて、馬車を取り囲んで扉を叩いたり車輪を壊そうとしている。あれはコボルドだ。エルバール建国の遥か昔から、この大陸の主に南部に生息しているらしい体の小さな種族で、知能は低くかなり獰猛な性格をしている。彼らが北大陸北部に足を伸ばし始めたのは、聖戦のうわさが国中で囁かれていた20年ほど前のことだ。だが・・・彼らも今ではすっかりおとなしくなったはずなのだ。事実ローランからここに来るまでの道でも彼らに出会ったが、私達を見てもまったく興味を示さず、そのまま通り過ぎていってしまった。なのに今はどうしてこんなに闘争心をみなぎらせているのだろう。
 
「な、なんだ!?なんでこんなところにガーゴイルがいるんだ!?」
 
 背後でさっきの王国剣士達の声が聞こえた。私達の後を追ってきたらしい。
 
「でもガーゴイルと少し色が違うわ!ガーゴイルの体毛は灰色よ!あんなに真っ黒じゃないわよ!」
 
 妻が叫んだ。確かにその通りで、南大陸で以前よく見かけたガーゴイルという生き物は、ネズミのような灰色の体毛に覆われていてコウモリのような翼で空を飛ぶ。昔は何度も襲われたが、あれはナイト輝石の廃液のせいでモンスター達がとにかく狂暴化していたせいだ。普段はそんなに獰猛な生き物じゃないはずだ。
 
「よくご存じですね。」
 
 何となくとげのある口調は、テレンスの相方の剣士だ。私達はますます怪しまれているらしい。でも今はそんなことはどうでもいい。
 
「さっきの人はここに奥さんと子供がいると言ってたな。とするとあの馬車の中か。」
 
 車輪が片方はずれて、馬車は傾いている。コボルド達が思い切り揺すったり叩いたりしているので、中にいる人達は生きた心地がしないに違いない。
 
「だからあのコボルド達は中に入ろうとしてるんだわ。クロービス、行きましょう。」
 
「そうだね。ここで見ていても埒があかない。とりあえずあいつらを追い払おう。」
 
「簡単におっしゃいますね。とにかくあなた方は離れていてください。我々が追い払いますから。」
 
 テレンスの相方の剣士はむっとしているらしい。素人がよけいな口出しをしないでくれとでも言いたげだ。
 
「しかし・・・こんなにたくさんいては近づこうにも・・・くそっ!何だってこんなことに・・・!」
 
 テレンスが忌々しそうにつぶやいた。
 
「あの中には怪我人がいるかもしれないんだ。だとしたら早く手当てしないと大変なことになる。それじゃ君達、あの連中の注意をこちらに向けるから、追い払うのは任せてもいいか?」
 
「注意をこちらに向ける?どうする気です?」
 
「方法はどうにでもなる!やるのかやらないのかどっちだ!?」
 
 二人の身のこなしなどを見る限り、どちらもかなり腕は立ちそうなのだが、どうも理屈っぽい。くだらないプライドが邪魔をして、どんどん対応が後手に回っている。だんだん腹が立ってきて、私は思わず二人を怒鳴りつけた。
 
「言われるまでもありません!我々は王国剣士なんです!」
 
「わかった。それじゃ頼む!」
 
 私は深呼吸して、20年ぶりの風水術『慈雨』を唱えた。自分で思っていたより呪文の効果は大きく、突如降ってきた鋭い水滴にコボルド達が浮き足立ち始め、とりあえず馬車への攻撃はやんだ。だがこちらにはまだ気づいていない。次に妻が矢を一本取りだし、真っ黒い翼のけものめがけて放った。狙い通りに矢はけもののこめかみらしき部分をかすり、悲鳴と共にそのけものは真っ黒な翼を開いて飛び上がった。それを機にコボルド達が一斉に振り向き、私達に気づいて押し寄せてきた。馬車のまわりががら空きになった。今がチャンスだ!
 
「君達、頼んだぞ!ウィロー、行こう!」
 
 私は剣を抜き、妻は扇を開き、向かってくる小さなモンスター達を飛び越え、時になぎ倒しながら馬車までたどり着いた。
 
「風水術があんなに効くとは思わなかったな。」
 
「ふふ、もうずっと、呪文と言えば治療術ばかりだものね。」
 
 馬車の扉はゆがんでいたが、引っ張るとガタンと外れた。もう少しモンスター達の注意をそらすのが遅かったら、扉は破られていただろう。中では女性が子供を抱きかかえたまま青ざめて震えている。声も出ないらしい。その子供達のうち一人がぐったりとしている。もう一人は母親にしがみつき、やはり声も出せず、恐怖に顔をひきつらせていた。隣には御者の服を着た男がダガーを持ったまま倒れている。
 
「大丈夫ですか!?」
 
 女性はただ必死でうなずくだけだ。
 
「もう大丈夫ですよ。さっきのモンスター達は王国剣士が追い払ってくれますから。怪我はありませんか。」
 
「は・・・はい・・・。あの、あなた方は・・・。」
 
 やっと声が出たようだ。大分落ち着いてきたらしい。
 
「私は偶然ファロシアを尋ねていた医者です。子供達はどうですか。」
 
「あ、あの・・・あまりの怖さに気を失ったみたいで・・・。私、何も出来なくて・・・。」
 
 女性の震えはまだ止まらず、泣き続けている。
 
「お母さん、落ち着いて。子供達は大丈夫ですから。」
 
 妻がなだめるように女性の肩を叩いた。気を失っている女の子を診ようと手を伸ばしたとき、外で叫び声が聞こえた。けもの達のものではない。王国剣士のどちらかが怪我をしたのだろうか。
 
「ウィロー、君に任せていいかい?外のほうが苦戦しているみたいだから、手伝ってくるよ。」
 
「ええ、今の声は多分さっきの剣士さん達だわ。怪我したのかも知れないわよ。大丈夫、ここは任せて。まずこの御者さんに起きてもらうわ。」
 
 妻は倒れていた御者に気付の呪文を唱えた。御者はぼーっとした顔で起きあがり、頭を抑えて目をしばたたかせていたが、突然ハッとして、
 
「奥様!」
 
這うようにして女性に近づいた。そして私達に気づいて持っていたダガーを振りかざし、
 
「あ、あなた方は何者です!?このお方に指一本でも触れたら・・・」
 
 そう叫んで私達の前に立ちはだかった。
 
「トラス、待ちなさい。この方達は私達を助けてくれたのです。武器をおろしなさい。」
 
 女性にたしなめられ、トラスと言うらしい御者は慌てて武器をおろした。
 
「そ、そうでございましたか。申し訳ございませんでした。なるほど、あなた方はどう見てもコボルドには見えませんな。大変失礼いたしました。」
 
「気にしないでください。それより、あなたは怪我をしていないのですか?気を失っておられたのは、どこかぶつけたからではありませんか?」
 
「は、はあ・・・実はけもの共に襲われたとき、私はすぐに馬を切り離し、奴らがそちらに気を取られている隙に奥様とお子様方をお守りすべく武器を持って中に入り、扉を閉めたのでございますが・・・うちの馬は足が速いので追いつけなかったのでしょう。奴らはすぐに戻ってきて馬車を揺すったり叩いたりしはじめて、その時の衝撃で私は転び、頭を打ってしまったのでございます。そこまでしか覚えておりませんから、その時に気を失ったのでしょう。まったくお恥ずかしい限りでございます。」
 
「それじゃ傷の手当てをしなくちゃならないわ。どのあたりをぶつけたんですか?」
 
「私より奥様とお子様の手当をお願いいたします!ああ、坊ちゃま、おかわいそうにこんなに震えて、お、お嬢さまは、お嬢さまはどうなされました!?まさか・・・!?」
 
 ぐったりとした女の子を見たトラスの顔が青ざめた。
 
「私と子供達は大丈夫です。メリナは恐くて気を失っているだけよ。先生、どうかトラスの傷を見てあげてください。」
 
 トラスの頭を一通りみたが、大きなたんこぶが出来ている程度で血は出ていない。私は念のため、傷に手をあてて神経を集中させてみた。これである程度中の様子がわかる。
 
「・・・・・・・・。」
 
 骨が折れたり中で出血している様子はない。これなら簡単な呪文で治すことが出来る。私は傷の様子に気をつけながら、呪文を小さく唱えた。
 
「これで大丈夫ですよ。まだたんこぶが少し残ってますから、それはよく冷やしておけばすぐになくなります。」
 
「ありがとうございます。なんとお礼を申し上げたらよいのか・・・。」
 
「気にしないでください。私は医者ですから、これが仕事なんです。それより外のけもの達を追い払ってくるまで、ここでこちらのご婦人と子供さん達を守っていてください。私の妻も手伝いますから。ウィロー、それじゃ頼むよ。」
 
「了解。気をつけてね。」
 
 妻に馬車の中を任せて、私はテレンス達の元にとって返した。コボルド達はともかく、あのガーゴイルによく似たけものに二人は苦戦を強いられている。
 
「いや・・・やっぱりガーゴイルだな・・・。」
 
 確かに体毛の色は違うし、元々あの獣はこんなに狂暴じゃない・・・でも逆に言うなら、それ以外に相違点を見つけられないほどよく似ているのだ。まさか今になって新種が現れたのだろうか。そのガーゴイルは一匹だけだが、足下にまとわりつくコボルド達のせいで、テレンス達は思ったように動けないらしい。まずはこのコボルド達を追い払えるといいのだが、どんなに鼻先で剣を振り回されてもなぜか彼らは逃げだそうとしない。どうも奇妙だ。
 
「くそ!こいつらチョロチョロしやがって!ええい、邪魔だ!」
 
 苛立たしげな叫び声は、テレンスの相方のほうだ。コボルド達は、まるでガーゴイルをかばうようにテレンス達の手や足にまとわりつき、攻撃の邪魔をする。見るからに手こずっているようだが、加勢をしようと声をかけてもどうせ断られるだけだ、それなら黙ってここから風水術でも使おうかと思ったが、妙なことに気づいた。テレンスの相方の剣士の足元がふらついている。左腕が真っ赤だ。腕から血を流していることが遠目でもはっきりとわかる。さっきの叫び声は彼だったのか。ガーゴイルの爪は鋭く長い。この爪がとんでもないくせもので、ナイトブレードでさえ一撃で切り落とすことが出来ないほど硬いのだ。しかもその爪の先にはたいていゴミや砂や、エサの食べかす(当然ながらその辺の小動物だ)などがついているので、その爪で切り裂かれると時々やっかいな病気を引き起こすことがあると、昔聞いたことがある。そう、昔の話だ。この若い王国剣士達に、『モンスター』との戦闘経験などあるかどうかも疑わしい。
 
「怪我したのか!?」
 
「はい!ルノーが・・・」
 
「おいテレンス、余計なことを言うな!こんなのかすり傷だ!」
 
 この剣士はルノーというのか。こうまであからさまに不審がられるのも困るが、今はとにかく彼の怪我が心配だ。ここから見てもとてもかすり傷には見えない。それでも必死で踏ん張って剣を振り回しているが、すでに左腕は使えないらしく両手持ちのアイアンソードをほとんど片手で振っている。あの剣はナイトブレードより重い。それを片手で振り回そうとすること自体が無謀だ。あのままではすぐに右腕も疲れて使えなくなる。
 
「ルノー!後ろに下がるんだ!」
 
 私は大声で叫んだ。あんな状態で剣を振り回しても足手まといなだけだ。
 
「俺に指図しないでください!あんたは何者なんですか!?」
 
「私は医者だ!医者として言うんだ!これ以上動いたら取り返しのつかないことになる!後ろに下がれ!」
 
 私は彼らに向かって走りながら、コボルド達をなぎ払った。追い払うまでは出来ないが、とりあえず草むらに転がして時間を稼がなければならない。ふらついているルノーの足元に、コボルド達がまとわりつき始めている。足元をすくわれたりすれば、また厄介なことになる。だが当然ながらこの男は、『不審人物』たる私の言うことなど聞きはしない。
 
「下がれと言ったんだ!今の君はただの足手まといだ!いまどきの王国剣士はその程度の状況判断も出来ないのか!?」
 
 言うより早く私はルノーの剣をもぎ取り、強引にテレンスの後ろの草むらに引きずって行った。かなり抵抗はされたが私を振り切れるほどではなかった。王国剣士がこの程度の体力しかないわけはない。本気で傷からの感染症を疑わなければならないようだ。これ以上動けないように縛り上げておきたいところだが、そう都合よくロープなどあるはずがない。仕方がないので久方ぶりの気功を試してみた。まさかここで私が気功を使うとは思っていなかったのだろう。麻痺の気功は実によく効き、ルノーは草むらに寝転がされたままの状態で動けなくなった。
 
「く、くそ!麻痺を解け!おいテレンス!何とかしろ!」
 
 叫び声を聞きつけてテレンスが駆け寄ってきた。当然彼の後ろからぞろぞろとコボルドがついてくる。
 
「何をしたんですか!?あなた方は何者なんです!?」
 
 テレンスの剣先が私に向いた。すでに彼の意識からは背後の敵の存在は消え、私に対する不信感で一杯らしい。相方が怪我で身動きがとれないと言うことは、自分の肩に二人の命運が掛かっているということになる。なのにどうして敵を退けることだけに集中しようとしないのだろう。この状況でこのけもの達を甘く見ているのだろうか。
 
「私が何者かなんてのは、この危機を脱したらいやでも教えてやる!そんなことよりそっちの連中を追い払うことを考えてくれ!いつまでかかってるんだ!?ルノーの腕の怪我は重傷だ!はやく手当てをしないと大変なことになるんだ!」
 
 こんな会話をしている間に、私がなぎ倒したコボルド達まで起き上がって押し寄せてきた。このままでは身動きがとれなくなってしまう。それを確認したかのようにガーゴイルは高く舞い上がり、テレンスめがけて急降下を始めた。
 
「テレンス!来るぞ!」
 
 テレンスが慌てて剣を構え直し、私が風水術の呪文を唱えようとしたとき、
 
−−ギャッ!−−
 
突然ガーゴイルはどさりと地面に落ち、コボルド達の何体かが押しつぶされて悲鳴を上げた。ガーゴイルの翼には矢が突き刺さっている。馬車の前で、妻が手を振っていた。ガーゴイルもコボルドも、突然のことにどこから矢が飛んできたのかわかっていないらしい。下手に声を上げればモンスター達の注意はまた馬車に向かう。私は黙ったまま妻に向かってうなずき、起き上がってテレンスに飛びかかろうとしたガーゴイルの翼に思い切り斬りつけた。
 
−−ギェーッ!−−
 
 ガーゴイルが悲鳴を上げた。翼は真ん中を切り裂かれてもはや飛び上がることは出来ない。今の悲鳴でコボルド達がやっと逃げ出し始めた。そのあとをガーゴイルがヨタヨタとついていく。このけものは空を飛ぶのは速いが、その分足は未発達なので歩くのは実に遅い。今ならとどめを刺すことも可能だったが、そこまでする気はなかった。今は一介の医者に過ぎないとは言え、遠い昔、フロリア様の前で立てた不殺の誓いを二度と破ろうとは思わない。そう・・・『二度と』・・・。
 
 
 けもの達は遙か先に見える原生林の入口へと向かって逃げていった。もしかしてあそこがモンスター達の温床になっているのだろうか・・・。いや、あの森は確かに珍しい植物がたくさん生い茂っているが、けもの達が獰猛になる原因となるようなものはないはずだ。単にあの薄暗い森が、ねぐらとしてはちょうどいい場所なのだろう。とすると、彼らがこれほどまでに猛り狂って人間を襲ったのはなぜか。まず昔のようなナイト輝石の廃液が原因であることは考えられない。ナイト輝石の廃液は、今は一滴も流れていないのだ。ロイもライラも、その点には細心の注意を払っているはずだ。あの二人を疑う余地はない。しかもデールさんの時のように、紙に書かれた報告だけを信じているわけではなく、ライラは一ヶ月に一度は王宮に報告に行っているそうだし、ハース鉱山には王国剣士達も大勢赴任している。そして何より、ついさっきこの村に来る途中で出会ったコボルド達は、草むらでエサを探すことに夢中で、私達を見ても何の興味も示さなかったのだ。
 
「はぁ・・・。やっと追い払えた・・・。まったく、何で今頃ガーゴイルなんて・・・。」
 
 ホッと一息ついてルノーの手当をしようと振り向いた私の鼻先に、再びテレンスの剣先が突きつけられた。
 

第48章へ続く

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