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「失礼します。」
 
 扉がノックされ、ケイティの声が聞こえた。
 
「どうぞ。」
 
 ケイティは扉を開けて入り口で優雅にお辞儀をしてから、中に入ってきた。こうしてみると昔とあまり変わっていないように見える。
 
「お客様がお見えになりました。下のフロアでお待ちいただいてます。」
 
「ありがとう。それじゃ、こちらから下に行くよ。この部屋の場所も言ってないよね。」
 
「ええ、もちろん。」
 
 返事をしたあと、ケイティはすっと私達に歩み寄り、
 
「見たところは礼儀正しい紳士よ。実を言うとね、あなた達がここに来る前に顔を出して、一人部屋と二人部屋を取ってくれって言って来た人なの。でもね、そのときはまだ満室だったから断っちゃったのよ。あの人が出て行ったすぐあとにキャンセルの連絡が入って、そのすぐ後にあなた達が来たってわけ。」
 
友人の顔で情報を提供してくれた。どうやらジャラクス氏は私達の分まで宿を取るつもりだったようだ。船を下りるときにちゃんと断ったのに、どうしてそんなことをするんだろう。単に社交辞令で遠慮してみせただけだとでも思ったんだろうか。それとも、どうしても私達に『貸し』を作らなければならないわけでもあるんだろうか。
 
「なるほどね。タイミングがよかったよ。」
 
 本当に絶妙なタイミングに感謝したいくらいだ。
 
「それじゃ、これからおいでになりますからって伝えておきます。」
 
 ケイティはまたもとの仕事の顔に戻って一礼し、部屋を出て行った。
 
「行こうか。」
 
「そうね。気になることは早く済ませちゃいましょう。」
 
 
 
 二人で階下に降りた。二階の階段の入り口からはフロア全体を見渡せる。そのフロアの隅っこに、背筋を伸ばし、緊張した面持ちで座っているのがジャラクス氏だった。見たところごく普通の人物だ。特別身のこなしがすばやいわけでもないし、あたりに油断なく気を配っているというようにも見えない。近づくと、ジャラクス氏が私達に気づき立ち上がった。
 
「お待たせしてすみません。」
 
「おお、先生方。いやなんのなんの。しかしこちらに宿を取られたのですな。先ほどは満室だったと聞いたのですが・・・。」
 
「私達がここに着いたときは、たまたまキャンセルが一組出たばかりだと言われましたよ。おかげでいい部屋に泊まることが出来ました。」
 
「なるほど、そういうことでございましたか。」
 
 ほんの少し、ジャラクス氏が悔しそうな顔をした。もしももう少し後に着いていれば、私達の部屋を取ることが出来たのにとでも言いたげだ。私達に対して金を使ってもなんの見返りもあるとは思えない。いったい何が目的なのだろう。
 
「さあ、先生方、おかけください。お食事は・・・」
 
「今食べてきたばかりですから。」
 
「では一杯・・・」
 
 正直なところ、酒を飲むなら部屋でゆっくりと妻と酌み交わしたいところだが、あんまり邪険にするのも気の毒なので一杯だけつきあうことにした。
 
「かしこまりました。では私は飲み物を頼んでまいります。」
 
 ジャラクス氏が立ち上がってカウンターに向かった。
 
「これだけはおごってもらうしかなさそうね。」
 
 妻がささやいた。
 
「あとでケイティに勘定を聞いておこう。」
 
「そのほうがいいわね。」
 
 
 酒の一杯や二杯の金を盾にして何かを要求されるとも考えにくいが、用心しておくに越したことはない。ジャラクス氏の目的がわからないからなおさらだ。そのジャラクス氏はカウンターであれこれと注文をしていたようだが、程なくして戻ってきた。彼のあとを追うように、つまみと酒のグラスを乗せたトレイを持ったケイティが近づいてきた。
 
「仕事のお話ですからな。あまり強い酒もいかがなものかと思いまして、軽いものにしましたがよろしかったでしょうか。」
 
 テーブルに置かれたグラスと私達の顔を交互に見て、ジャラクス氏は少し心配そうだ。
 
「ええ。あまり強いほうではないので。」
 
 ジャラクス氏の顔に安堵の表情が広がった。強い酒を勧めて酔わせてしまおうとしないと言うことは、私達をケムに巻こうと言う企みはないのかもしれない。もっともこんなに人のいる場所では何をしても誰かしらの目には触れてしまうだろうけど・・・。
 
「さてと、本日はわざわざお時間をいただきましてありがとうございました。」
 
 ジャラクス氏が丁寧に頭を下げた。
 
「まず改めて自己紹介をさせていただきましょう。私はジャラクス、エルバール城下町に本拠を構えますガリーレ商会の経理担当者でございます。わがガリーレ商会は200年の昔、初代国王ベルロッド陛下とともに新天地エルバール大陸へと船出した、サクリフィアの雑貨商でございました。その後城下町の発展とともに商売を少しずつ拡大し、今では王国随一の老舗として、お客様からの絶大なる信頼をいただいております。長い間にはライバル社も現れましたが、誠実かつ堅実な商売で苦境を乗り切り、今に至っております。」
 
「するとこの国の歴史とともに歩まれてきたわけですね。そんなに長い間商売を続けると言うのは大変なものでしょう。すばらしいですね。」
 
 別にお世辞ではなく、本当にそう思う。200年の間、すべてにおいて順風満帆だったと言うわけでもないのだろうし・・・。
 
「はい。ありがとうございます。それでも50年ほど前、先々代の当主のころには一度倒産の危機にもさらされております。当時台頭してきた新しい雑貨商の当主が実に商売上手で、かなりの顧客を奪われました。」
 
 なんだかガリーレ商会の歴史の勉強でもしているみたいだが、とりあえず話を聞いておくことにした。もしもこの紳士が私達との取引を持ちかけてくるとしたら、相手のことは知っておくに越したことはない。そんな私の思惑には気づいていないのか、ジャラクス氏は滔々としゃべり続ける。自分の会社の歴史を私達がうんうんと聞いているので、すっかり気をよくしているらしい。
 
「このままわが社は消えていくのかと、先々代の当主はだいぶ嘆かれたようでしたが、そのライバル社は所詮一代で築き上げた店でございまして、当主が亡くなり、贅沢好きな二代目になったころから店の屋台骨が揺らぎ、最終的には使用人に金を持ち逃げされると言う形で店そのものが消えてしまいましたのでございます。哀れ二代目夫婦は行方知れずとなり、おかげで当社は生き残ることが出来ました。先々代は、ライバル社の末路を哀れみ、もしかしたら自分達がそうなっていたかもしれないと、常に戒めとして心にとどめ置くよう使用人達に訓示したと聞いております。」
 
「なるほど、長いこと商売を続けるのはいろいろと大変なんですね。」
 
 ジャラクス氏が一息ついた。話は一通り終わったらしい。私は一番無難と思われる言葉を返しておいた。そろそろ本題に入ってもらわないと、妻と二人でゆっくりと話す時間がなくなってしまう。せっかく旅に出ているのだから、普段なかなか話が出来ないようなことを、いろいろと話したかった。
 
「そろそろ本題に入りませんか。仕事のお話ということでしたが、どういうお話でしょう。」
 
「おお、これは失礼いたしました。先生方が実に聞き上手でいらっしゃるものですから、私としたことがついしゃべりすぎまして。」
 
 ジャラクス氏は額の汗を拭きながらすまなそうに頭を下げた。
 
「いえ、あなたを批判したわけではありませんので、お気に障ったら申し訳ありません。ただ、私としては、あなたが私達に直接話を持ってこられた目的がわかりませんので、早く本題に入っていただきたいだけです。」
 
 別に相手を怒らせるつもりはない。少し言いすぎたかと謝ってみたが、ジャラクス氏は私の言葉になぜか、うんうんと何度かうなずいてみせた。
 
「なるほど。調査どおり、穏やかでお優しいお人柄でございますな。」
 
「調査?」
 
「はい。失礼ながら、先生ご夫婦と診療所のことについては、いろいろと調べさせていただきました。あ、いや、勘違いしないでいただきたい。別に先生方の弱みを握ろうなどという魂胆ではございません。ただ、私にしてもわが社の当主にしても、先生方のことをあまりよく存じ上げていなかったものですから、調べさせていただく以外になかったと言うわけでございまして。」
 
 ジャラクス氏は悪びれる様子もない。だが知らぬ間にあれこれと調べ上げられていたと聞いては、こちらも黙ってはいられない。
 
「それでは仕事のお話を伺う前に、まずあなたの目的を教えてください。それから、私達のことを調べられたとおっしゃいましたが、どこまでご存知なのか、それも聞かせていただきたいですね。」
 
 多少口調がとげとげしくなっているなと思ったが、気にしなかった。こんなときは少し強気に出ておいたほうがいいと判断したからだ。
 
「なるほど、ごもっともでございますな。ではひとつずつお答えいたしましょう。私の目的は、先生と仕事の話をしたいということでございます。これ以外にはなんの目的もございません。ただ、その仕事の話というのが、当社から品物を入れてほしいと言う単純なものとは少し違いまして、そのためにいろいろと調べさせていただいたわけです。それからその調査によってどこまで私達が先生のことを存じ上げているかについてですが・・・。」
 
 ジャラクス氏はカバンの中から大きな封筒を取り出して、そのまま私に手渡した。
 
「その中に、先生方に関する調査報告書が入っております。ご覧になっていただいたほうがよろしいかと思いまして持参いたしました。私が先生方に関して存じあげておりますことは、まず、20年ほど前まで先生が王国剣士であられたこと、奥様がエルバール中興の祖と謳われたデール卿のご息女であられること、そして何よりも、20年前のあの騒動の折、聖戦竜と戦ってまでもこの国の平和を取り戻された、本来ならば英雄として迎えられなければならない御方であったことでございますな。当時コンビを組んでおられた剣士を亡くされたそうですが、その悲しみにもめげずに獅子奮迅の活躍でこの国に平和を取り戻されたとか。その後惜しまれながら剣士団を去り、北の島で医師としてご夫婦で活躍され、麻酔薬の発表で医学博士の称号を授与されるもこれを辞退されていらっしゃる。島では幼馴染の皆さんとそれは仲がよく、中でも薬草栽培を手がけるライザー殿とおっしゃる方とは、剣士団に在籍されていたころからのご友人とか。その方が現在の剣士団長の相方であったと言うことと、さらにそのご子息が現在ハース鉱山でナイト輝石復活に尽力されているライラ博士であると。う〜ん・・・ざっとこんなところでしょうか。」
 
 よくもまあ調べたものだ。調査内容のほとんどは誰でも知っていることだが、英雄云々の話と、ライザーさんの話が出てきたことが気にかかる。手渡された封筒の中からその調査書をとりだし中を読んでみたが、それ以上のことは書かれていないようだ。ページを抜いていることも考えて一通り目を通してみたが、特に怪しいところは何もない。調査機関は城下町にあるらしい。こういった調査を専門に手がける事務所のようだ。その名前にも聞き覚えはない。
 
「ほかには何かありますか?」
 
「いやいや、私達が先生の人となりをよく知るためには、これで充分でしたよ。しかし実に謙虚なお方でございますな。この国の救い主として、あの当時のエルバール王家に取って代わっても遜色のない・・・」
 
「ちょっと待ってください。」
 
 私はジャラクス氏の言葉をあわててさえぎった。誰が聞いているかわからない。せっかく国内が安定していると言うのに、妙な噂を立てられたくない。
 
「この国を統治出来るのはエルバール王家をおいてほかにはありません。妙なことはおっしゃらないでください。」
 
「これは言葉が過ぎましたな。申し訳ございません。」
 
 ジャラクス氏は思ったより素直に頭を下げた。
 
「その英雄云々の話は、あなたとあなたの会社のご当主のほかにどなたがご存知なんですか?」
 
「先生との仕事の話に関しましては、当社でも極秘事項なのですよ。ですから私と当主以外には誰も知っているものはおりません。依頼した調査機関も、いつも当社で使っております事務所でございますから、そこから情報がもれるなどと言うことはありません。ご心配なく。」
 
 
「ではそんな話は忘れてください。私はあの当時ただの王国剣士でした。この国を救ったのは私などではなく、逆賊の汚名を着る覚悟で王宮を奪還した王国剣士団の剣士達です。彼らの国を思う心が、邪悪な者達に打ち勝ったのです。私一人の力などではありませんよ。」
 
「ふむ、なるほど、実に謙虚なお方だ。あの時王国剣士団の皆様が、命さえもなげうつ覚悟でこの国の歩む方向を正してくれたことは、私も存じ上げておりますよ。」
 
 ジャラクス氏は一息つき、目の前のグラスを飲み干した。そして私達をじっと見つめていたが、やがて深々と頭を下げた。
 
「申し訳ございませんでした。」
 
「・・・どういうことです?」
 
「実を申し上げますと、先生方のお人柄について少し試させていただいたわけでございまして・・・。」
 
「・・・どうしてそんな・・・・。」
 
 さっきから何かにつけ英雄だの王家に取って代わるだのと、確かに自分の野心を試されているような、そんな不快な気分だった。野心などと言うものが私の中にあるとすれば、それはすべて今の仕事に関するものだ。麻酔薬をよりよいものにするためにどんどん改良を重ねたいとか、さらにいい薬を作り出してもっといろんな病気の人達を治したいとか、そういった野心ならば大いにある。だがそれによって自分の名を上げようなどとは考えたこともない。えらそうな肩書きも名声も、私には必要のないものだ。私はただ、結婚するときに妻と約束したとおりに、あの島で、二人で仲良くいつまでも暮らせればそれでいい。
 
「先ほども申し上げましたとおり、これから先生方にご相談申し上げます仕事の話は、極秘事項でございます。そこで先生方に関していろいろと調べさせていただいたわけでございますが、やはり私は、先生方の人となりを自分の目と耳で確かめたかったのでございます。そこでまあその・・・いろいろと野心をあおるようなことを申し上げてみたわけでございますが・・・調査報告に間違いはございませんでしたな。先生方は実に謙虚で誠実な方でいらっしゃる。・・・もうお話し申し上げてもよいでしょう。仕事の話と申しますのは、薬草の栽培に関することなのです。」
 
「薬草の・・・それでさっきの調査報告の中でライザーさんの話が出てきていたんですか?」
 
「さすが先生、すばらしい洞察力でございますな。そのとおりでございます。」
 
「その薬草の栽培がどうかしたんですか?」
 
 薬草栽培は今では島の重要な産業だ。城下町の雑貨商から横槍を入れられるわけにはいかない。
 
「わが商会では、この国のあらゆる場所に品物の買い付けに出向いております。北の島も例外ではございません。実は私は北の島へ伺うのは初めてではないのですよ。村長のグレイ殿とは、薬草の買い付け価格について何度か出向いてお話を伺っております。その薬草栽培なんですが、発案者は先生だそうでございますな。」
 
「そうですが・・・。発案者と言っても、本当に発案しただけなんですよ。私は植物を育てるのがそんなにうまいわけではないので、王国剣士時代からハーブなどをたくさん育てていたライザーさんに、試験栽培をお願いしたんです。だから栽培に関する一切を仕切っているのはライザーさんだし、それをどこにどう売りさばくかについてはグレイに任せてあります。もちろん私は医者ですから、診療所のために必要な薬草は優先的に回してもらっていますが、それは王宮から出る補助金でまかなっています。もちろんほかに回すのと同じ価格で取引していますよ。」
 
「なるほど、そういうことでしたか。となると・・・島から王国へと出荷される薬草についての価格設定は、グレイ殿が全部お決めになっているのですか?」
 
「そうですね。たまに助言を求められたりしますが、最終決定はグレイです。もともとこの薬草栽培は、季節や場所を問わずに、いつでも安定した価格で薬草を流通させたいと言う考えの下に始まっていますから、よほど不作だったとか、初めて作る種類ですごく手間がかかったとかいうことでもないかぎり、つけられる値段はほぼ一定のはずですよ。」
 
「ふむ・・・なるほどなるほど。」
 
「それが私に話したいことだったんですか?」
 
 でもこんな話は、私に聞いてもどうにもならない。第一グレイと面識があるなら、直接グレイに話せばすむことだ。
 
「いえ、これは言わば確認事項とでも申しましょうか。では本題に入らせていただきましょう。ご存知のように、薬草に限らずこの国の物流の基本は、ほとんどがわが社のような卸商が産地から品物を買い付けて、それを小売商などに売りさばくという方法をとっています。昔のように王宮がすべて買い付けてそれを民間の商人に分配するなどと言う形を取っているものは、今ではもうほとんどございません。すべて民間の店に任せて、市場を活性化させようというのが狙いなんですが・・・何と言いますか、いささか活性化しすぎたようなところがございまして・・・。」
 
「活性化しすぎた・・・?」
 
「はい。最近になりまして・・・と申し上げましてももう一年近く前のことなのですが・・・市場に出回っております薬草の値段が少しずつ上がり始め、最近になって倍近くにまでなっているのです。」
 
「・・・倍って・・・・どうしてそんな・・・。」
 
「最初に値が上がり始めたのは、一年近く前にたちの悪い風邪が大流行したときでした。いつも北の島で買い付けている薬草のほぼ全種類が値上がりを始めたのですが、この時は需要が増えて供給が追いつかなくなったための一時的なものだろうと、誰も気にとめなかったのです。ところがしばらくすると今度は西側の離島で産出される薬草類があがり始め、さらにしばらくすると南大陸の、と言うように、さまざまな種類の薬草が少しずつ少しずつ、上がり始めていたのです。」
 
「・・・そういうことですか・・・。それで、供給源のひとつであるうちの島で、誰かが暴利をむさぼるようなことをしているのではないかと疑いをもたれたわけですね。」
 
「さようでございます。ですが勘違いしないでいただきたいのは、我が社ではこの島だけを疑っているのではないということです。他の薬草の生産地にも私が出向きまして、念入りに調査をして参りました。最初は西の離島に、次は南大陸に、北東の島々にも産地がございましたのでそちらにも渡りました。そして最後が北の島となったのです。そして先ほども申し上げましたように、北の島は私にとって見知らぬ土地ではございません。何度も足を運び、グレイ殿とは薬草に限らず材木などの買い付け交渉も何度かさせていただいております。私にはグレイ殿がそのような企みをなされているとは思えませんでした。そこでその・・・。」
 
 ジャラクス氏が口ごもった。
 
「・・・たとえば薬草栽培の発案者である私か、栽培を仕切っているライザーさんが何か策を弄しているのではないかと考えた、つまりはそういうことですね?」
 
 ジャラクス氏は汗を拭きながら何度も頭を下げ、
 
「は、はい・・・。先生を前にしてまことに失礼かとは存じますが、私はその・・・先生にもライザー殿にも面識がございませんでしたし、その・・・ライザー殿のご子息の件なども聞きましたので・・・・何と言いますか、ナイト輝石の件とつい結び付けて考えてしまいまして・・・。」
 
 邪悪の象徴のようなナイト輝石を復活させようなどと考える若者の親ならば、二心あったとしてもおかしくはないとでも考えたのだろうが、さすがにそこまでは口に出しにくいらしい。
 
「先ほど、この件は極秘とおっしゃいましたが、あなたが島に来られたのは、ガリーレ商会のご当主とあなたの、お二人だけのお考えだったのですか?それとも万一島の誰かが策を弄して不正に金儲けをしている可能性を考えて、王国剣士団に知らせるなどしてそちらからの依頼とか・・・。」
 
「剣士団への報告は考えました。ですが・・・ライザー殿も先生方も、現在の剣士団長オシニス様のご友人であられますからな。確たる証拠もなしに話せることではございませんでした。むろん、今回北の島で何かしら陰謀の証拠が出た、などということになれば、そのときは迷わず王宮に出向く所存でございましたし、たぶん先生方にこのような話をすることもなかったでしょう。」
 
「なるほど。確かにそうですね・・・。」
 
「それに我が社では、現在のベルスタイン公爵閣下にも懇意にしていただいております。ライザー殿も先生方も、あの方のことは私よりよくご存じでしょう。証拠もなしにそのような話を私どもがしたなどということがあの方の耳に入ったら、どんなことになりますか・・・。」
 
 ジャラクス氏は本当に恐ろしそうに身を震わせた。確かに、セルーネさんがそんな話を聞いたりしたら、どんな雷が落ちることか・・・。でもそれはあくまで、内容がいいかげんなものである場合だ。
 
「セルーネさんは曲がったことは大嫌いですからね。確かにいいかげんな話ならお怒りになるでしょうけど、事実ならきちんと受け止めてくださる方ですよ。・・・でもあなたの話を聞く限り、セルーネさんもお元気そうですね。お子さんはいらっしゃるんですか?」
 
この程度の質問なら、世間話の延長程度に思ってもらえるだろう。
 
「はい、お二人いらっしゃいます。男のお子様と女のお子様、お二人の兄妹でございます。ご子息は父親のローランド卿にそっくりの美男子で、学術院での成績も優秀でございましてな。若いながら貴族の姫君達に絶大な人気です。下の姫のほうはこれがまたセルーネ卿そっくりの美貌で、非常に賢い姫なのですが、その・・・性格のほうも母君に似られたようでございまして・・・。」
 
「・・・もしかして男装して剣の稽古でもしてるんですか?」
 
「はぁ・・・・。」
 
 ジャラクス氏は困ったように、大げさなため息をついた。セルーネさんをそのまま子供にしたような性格なら、出入りの商人もそうとう神経を使っていると言うことなんだろう。でも私達は、笑い出したくなるのをこらえるのが一苦労だった。
 
「なるほど、と言うことは、いずれそのお嬢さんは王国剣士団に入られるわけですか。」
 
「う〜む・・・いかがでございましょうなぁ・・・。まだ15歳であられますから、先のことは・・・。」
 
「そうですね。」
 
「では話を戻させていただきましょうか。先生方もライザー殿も何もご存じないとなると、あとは市場に出回ってからのことになりますなぁ。」
 
「他の産地ではどんな状況だったんですか?」
 
「はぁ・・・実を申しますと、北の島と似たような状況でございました。生産者も町の責任者も、どんなに調べてもなにも出てきません。あとは我が社から売られた商品の行方を追うくらいしか手はないかも知れません・・・。」
 
「それは出来ないんですか?」
 
「出来るならばそうしたいところでございますが・・・私どもと取引しているお店の数は膨大でございます。城下町の中卸商のような大きいところならいざ知らず、小さな店もあれば遠く離島の雑貨屋にまで販売しておりますから、とてもとてもそこまでは・・・。」
 
 ・・・おそらくは、市場に出回った薬草を誰かが買い占めているのではないだろうか。それも少しずつ種類を絞って、まるで自然に値段が上がったように見せかけている・・・。いきなり大きく買い占めたりすれば、誰が仕掛けているかすぐにわかる。だが、不自然なほど価格が上がっていることに誰もが気づいたころには、もう最初に価格の操作を始めたのが誰かなんてわからなくなっている。実に巧妙な手口だ。
 
「ではやはり、剣士団長に相談されたほうがいいですよ。もしかしたら王宮でもこの件については何か情報をつかんでいるかもしれませんしね。」
 
「ふむ・・・やはりそれが一番よろしいのでしょうな。では私はそろそろ宿に戻ります。先生方、お手間を取らせてしまいまして、申し訳ございませんでした。」
 
「いえ、お役に立てなくて申し訳ないです。」
 
「とんでもございません。先生方のお人柄を知る機会が持てましたこと、非常にありがたく思っております。」
 
 ジャラクス氏はぺこぺこと頭を下げながら出て行った。
 
「・・・部屋に戻ろうか。」
 
「そうね。」
 
 そろそろフロアの中はうるさくなってきている。この喧騒にまぎれて私達の話を聞いていた誰かがいないかどうか、少しの間周りに神経を張り巡らせてみたが、それらしき思念は感じ取れなかった。ケイティに礼を言って部屋に戻った。部屋の中の静けさにほっとする。
 
「・・・妙な話ねぇ。」
 
 妻が首をかしげる。
 
「あの人の話を聞く限り、島からあの店に渡るまでにはごく普通の値段で取引されているらしいし・・・。」
 
「グレイやライザーさんが自分の利益のために不正をはたらくとは思えないからね。それにほかの店に売った品物が、必ずしもそのまま店頭に並ぶってわけではないみたいだから、そのあとなんだろうね。」
 
「オシニスさんはこのことを知っているのかしら。」
 
「情報としてはつかんでいると思うなぁ。どの程度調査が進んでいるかはわからないけど。」
 
「でもオシニスさんとしては複雑よね。島の薬草栽培の責任者はライザーさんの名前に・・・」
 
 いきなり妻が黙り込んだ。
 
「なに?」
 
「もしかして、ライザーさんはこの件でオシニスさんに手紙をもらっていたのかなって・・・。」
 
「それで調査に行ったとか?」
 
「・・・違うのかなぁ・・・。ふとそんな気がしたのよね。」
 
「君の勘はよくあたるからね、ライザーさんがオシニスさんに何か頼みごとをされて、それで王国に出向く気になったんだとしたら、安心できるんだけどね。」
 
「そうよね・・・。う〜ん・・・もしかしたら私の願望が入ってるかもしれないわよ。そうであってほしいって、思ってるから・・・。」
 
「きっと当たるよ。それより、疲れたから風呂にでも行こう。」
 
「そうね。ふふっ、家以外のお風呂なんて久しぶり。」
 
 妻の顔がパッと明るくなった。
 
 
 
 風呂から上がって部屋に戻った頃、ケイティがサービスとしてワインを一本持ってきてくれた。よく冷えたワインを飲みながら、妻ととりとめのない話をする・・・。
 
「急患の心配も明日の診療の予定も、何も考えなくていいってのも変な感じね。」
 
 妻が笑った。
 
「そうだね。おじさんはどうしているかなあ。」
 
 ブロムおじさんのことが気になって少し胸が痛んだが、こんな風に考えること自体おじさんに失礼なんだろう。そもそも私は、医師としての基本をすべておじさんから教わったのだ。私などがいなくてもあの診療所は充分やっていける。心配事があるとすれば、おじさんの体調だ。今までなんでもなかったからって明日からもなんでもないとは限らない。でもそのあたりは、本人が気をつけてくれると信じたい。私が戻るまでちゃんと診療所を守ってくれると約束してくれたのだから、無茶はしないと思う。・・・多分・・・。
 
「明日はローラン散策ね。」
 
 妻はうれしそうだ。
 
「そうだね。やっぱり、まずはドーソンさんの家かなあ。」
 
 キリーさんの家は城下町にあったが、ドーソンさんは元々ローランの出身で、私達がこちらにいた当時はもう結婚していて、子供もいた。
 
「そうよねぇ。今はどうしているのかしら。」
 
「この近辺を警備する王国剣士は大分増えたみたいだしね。クロンファンラみたいに常駐剣士をおかなくても、警備には充分なくらいだと思うけど、どうなんだろうな。」
 
「そうねぇ・・・それじゃ、ドーソンさんの家によって、それから?」
 
「あとは・・・デンゼル先生の診療所にも顔を出したいし、モルダナさんにも会いたいね。」
 
「今もお元気なのかしらねぇ。」
 
「ブロムおじさんより少し上なんだよね。元気だといいんだけどな・・・。」
 
「ケイティに聞いてみればよかったわね。」
 
「明日にでも聞いてみようか。」
 
「そうよね。今どうしているか程度なら、世間話の範囲内で聞けると思うわ。」
 
「そうしよう。それじゃ、明日に備えて早く寝ないとね。」
 
「ふふふ・・・そうね。明日が楽しみだわ。」
 
 妻はとても機嫌がよさそうだ。これならばずっと前から訊きたかった、『なぜこっちに来たくなかったのか』と言う疑問をぶつけられそうな気もしたが、結局せっかくの笑顔がもったいなくて、言葉は喉元で止まってしまった。明日にでも、訊いてみようか・・・。でも明日は明日で訊けないような気がする。もう何日もこうやって先延ばしにしている自分が情けない。妻とは何でも話し合えると思っていたのに、どうしてこんな簡単なことが訊けないんだろう。
 
 
 
 翌日の朝、カーテンを開けて驚いた。窓から海が一望に見渡せる。ちょうど陽が昇ったところで、水面がきらきらと輝き、港へと向かう船がゆっくりと湾の中に入ってくるのが見えた。北の島からこの時間に着く船はないはずだから、きっとほかの離島から来た船なんだろう。
 
「うわぁ・・・すてきねぇ。」
 
 朝の風は少し肌寒かったが、妻は窓を開けたままため息をつきながら景色に見とれていた。
 
「ここからの景色がこんなにきれいだなんて、知らなかったなぁ。」
 
 この宿屋に泊まったのはもう何十年も前のことで、あの時は二階だったし海とは反対側の部屋だった。もっとも、たとえばあの時ここに泊まることができたとしても、当時の私達に景色を見る余裕があったとは思えない。
 
「もう少し見ていたいけど、食事しなきゃね。」
 
 言いながら妻が腹のあたりをさすった。
 
「それじゃ、朝は下に降りて食べようか。」
 
「そうね。」
 
 海を見ながらの食事も捨てがたいが、毎回部屋まで料理を運んでもらうのもなんだか気が引けて、階下へと降りてテーブルに着き朝食を頼んだ。。ほかの泊り客や朝早くから港で働く労働者達が周りのテーブルで食事を始めている。おいしそうな香りがフロア中に漂っていて、余計に空腹を感じる。妻を見ると、なんだかとてもうれしそうだ。
 
「どうしたの?」
 
「だって・・・食事をただ待ってるだけでいいなんて、なんだか楽しいじゃない?」
 
「・・・そうか・・・。」
 
 家では基本的には妻が作らなければ食事は出てこない。もちろん私も作ったことはあるが、そう言われるとなんだか妻にすまないような気がしてくる。
 
「そんな顔しないの。ここ何日かはブロムさんが作ってくれたこともあったし、あなたはよく作ってくれたりしたけど、いつも申し訳ないなあって思ってたのよねぇ。でもここでは何にも気にしなくていいでしょ?こういうの、久しぶりだからなんだかうれしくなったの、それだけよ。」
 
 妻はなだめるように言って笑った。きっと今の私は情けない顔をしていたんだろう。やがて運ばれてきた朝食のメニューは、焼きたてのパンと一目で作りたてとわかるミルク色のバター、それに甘さ控えめのイチゴジャムがついている。そしてスクランブルエッグと新鮮な野菜サラダ。飲み物は牛乳だ。注文するとき、牛乳がいいかオレンジジュースがいいかと尋ねられたので、牛乳と答えたのだ。牛乳が苦手な客もいるので両方用意しておくのだそうだ。食後のコーヒーは必ずつくらしい。特に変わったころがあるメニューではないのだが、焼きたてのパンはあったかくていい香りだし、新鮮なバターはパンにつけるとすぐにとろけて香気がたつ。サラダも新鮮で、野菜はかむたびに甘みを感じるほどだ。妻はかけられているドレッシングに興味をもったらしく、何とかケイティにレシピを教えてもらわなきゃと張り切っている。確かにおいしいドレッシングだ。しっかりと味がついているのに、野菜の味を殺さず引き立てる。でもプロの味をそう簡単に教えてもらえるとは思えないので、ほどほどにしておいてよと声をかけた。
 
 
 
 食事を終えて、私達はローラン散策に出かけることにした。そのころにはもう気温が上がって、風も暖かくなっていた。20年前はのどかな村だったローランは、今ではすっかり大きな町になっていて、宿屋も『潮騒亭』だけではないし、女性向けの洋品店やコーヒーショップなど、町のメインストリートはすっかりおしゃれに変身していた。そういえばずっと昔、『洋品店』といってステラに笑われたっけ・・・。
 
『洋品店!?オヤジくさい言い方ねぇ。あんたいったいいくつよ!?今はね『ブティック』って言うの。そのくらい覚えておかないと、彼女も出来ないわよ』
 
 島ではそんなしゃれた呼び方をすることがなかったので、その時の私は素直に感心してしまった。だが『へえ、よく知ってるね』と答えてしまい、ますますステラにあきれられたことをなぜか今思い出した。
 
「すっかり変わっちゃったわねぇ・・・。」
 
 妻が大きなため息をついた。
 
「まあねぇ・・・。20年は長いよ。でもあちこちに昔の町並みが残ってるね。」
 
 私が小さなころ住んでいた家は、まだあるのだろうか。20年前、タルシスさんが『潜伏先』として選んだ家はあのあとどうなったのか・・・。
 
「えーと、ドーソンさんの家はこっちだったと思うんだけど・・・。」
 
 妻が曲がり角の前で立ち止まり、通りの奥を覗き込んでいる。変貌したのは町の中心部がほとんどで、少し外れに来るとまだ昔の町並みが残っていた。たぶん迷わずにドーソンさんの家まで行けるだろう。最も本人がいるかどうかはわからない。今も現役の王国剣士ならば、今日あたりは仕事に出ているんじゃないだろうか。いくつか角を曲がり、少し広めの通りに出たところで足を止めた。通りの右側には、昔と変わらぬたたずまいでドーソンさんの家が建っている。玄関で声をかけると、なんとドーソンさん本人が出てきた。私達を見て驚いた顔をしている。
 
「おはようございます。あの・・・」
 
 『覚えていますか』と問う前に、ドーソンさんの顔がぱっと笑顔に変わった。
 
「クロービスじゃないか!ウィローも一緒か!?いやぁ二人ともすっかり立派になって、見違えたぞ!?」
 
「ご無沙汰しています。今日はお仕事じゃなかったんですか?」
 
「私は古株だからな。祭りにあわせて休みがとれたんだ。もっとも、子供達はそれぞれ友達と祭りに行くそうだから、夫婦二人だけなんだけどな。」
 
 精悍な顔立ちは変わらないが、以前よりしわが増え、それが表情をかなり柔和に見せている。髪にも白いものが混じり、あらためてあれから20年が過ぎているのだなあと感じた。
 
「しかしお前達は若いなあ。私はこの通り、すっかり老けてしまったよ。」
 
 ドーソンさんは大声で笑って、自分の髪を指差してみせた。
 
「そんなことはありませんよ。私も40を過ぎましたからね。だいぶ歳をとりました。」
 
 私の父はかなり早くから白髪頭になっていたが、私はこの歳でもまだ白髪がほとんど出ない。そのあたりはたぶん母親の系統に似たんだろうと、勝手に思うことにしている。髪が黒いと若く見られるらしい。
 
「はっはっは。お互い仕方ないさ。なんと言っても、20年前は影も形もなかったお前の息子が、立派に王国剣士としてやっているんだからな。」
 
「・・・そう言っていただけるのはうれしいんですが・・・まだまだですよ。浮かれてばっかりで・・・。」
 
「う〜む・・・そういやそんな話をオシニスから聞いたな。もっと腰をすえて訓練に取り組めばすぐに力はつくのにって、こぼしてたぞ。」
 
「やっぱりそうですか・・・。」
 
 思わずため息がもれる。誰に対しても、どこにいても、我が息子はあの調子で浮かれているらしい。一体誰に似たものやら・・・。
 
「まあそんな顔をするな。今年の新人剣士にはみんなその傾向があるんだ。最初は役に立たなくて当たり前、立合だって負けっぱなしで当たり前なんだから、今のうちにいろいろと技を吸収して基礎を固めていかなくちゃならないんだが、どうも目先の実績にばかりこだわる奴らが多くてな。ハディの奴はよく訓練場で怒鳴ってるよ。『俺みたいな奴が今年はやたらいやがる』なんてぶつぶつ言ってたな。」
 
「ははは。ハディの言葉だと重みがありますね。」
 
「ああ、まったくだ。おっと、いつまでもこんなところで立ち話させてすまんな。お茶を飲めるくらいの時間はあるのか?」
 
「ええ、今日一日はローラン散策にあてるつもりなんです。それで最初にドーソンさんのところと思って・・・。」
 
「ほお、私の家を真っ先に訪ねてくれたとはうれしいな。まあ上がってくれ。少し昔話でもしようじゃないか。」
 
 
 だが、私達がお茶をご馳走になりながら話したのは、昔話というより今の話だった。妻がセルーネさんのことを真っ先に尋ねたからだ。
 
「セルーネか。そうだなぁ・・・。ん?その話は誰に聞いた?」
 
「ロイの手紙に書いてあったのよ。ライラのことと一緒にね。王宮では囚人みたいな扱いだったらしいわ。」
 
「おお、あの怠け者か。いやいや、そんなことを言っちゃいかんな。今では王国中の鉱石仲買人が恐れる手強い統括者だ。」
 
「そうね。もう昔の面影はないわよ。あんなに働き者になるなんてね。」
 
「まあな。だが、それでもやっぱりロイはロイさ。気さくで明るくて、王宮に行ったときに何度か会ったことがあるが、相変わらずだよ。」
 
「そうね・・・。ロイのことはいいのよ。あとから会いに行くんだから。」
 
「おお、里帰りもするのか。それじゃもしもロイに会えたらよろしく言っておいてくれ。私はもう南大陸への赴任ローテーションから外れて大分になるからな。たまにあの砂だらけの風景が懐かしくなるよ。」
 
「ふふ・・・そうね・・・。それよりドーソンさん、セルーネさんのこと教えてよ。」
 
 妻はじれったそうにドーソンさんを睨んだ。
 
「教えるのはかまわんが、そんなに気にしてたのか?」
 
 ドーソンさんは微笑んで妻を見た。幼いころから見知っているドーソンさんの前では、妻はすっかり『おてんば娘のウィロー』の顔に戻ってしまっている。ばつが悪そうに上目遣いでドーソンさんを見ながら、少しだけ口を尖らせて妻が答えた。
 
「だって・・・セルーネさんが家を継いだってことは、誰かしらと結婚しなくちゃならないってことだわ。好きな人と結婚してセルーネさんが幸せならいいけど、でも・・・。」
 
 ドーソンさんはうんうんとうなずき、少し考え込むように視線を宙に移した。
 
「相手がローランドでは、いまひとつ落ち着かないってことか。」
 
「そ・・・そうね・・・。」
 
「まあお前の気持ちとしてはそうだろうな。だが、私が見る限りではローランドはセルーネをそれは大事にしているし、子供にも恵まれて、あいつは幸せなんじゃないかと思うよ。実を言うとな、セルーネが子供を産んだということを聞いて、私は改めてあいつが女だったんだなあと気づいたんだ。」
 
 ドーソンさんは大声で笑った。セルーネさんのおなかが大きいところをどうしても想像出来ずにいたのは私も同じだ。もちろん、別に想像する必要はないのだが・・・。
 
「そう言えば、ドーソンさんとローランド卿って知り合いだったのよね。」
 
「ああそうだな。ティールほどではないが、あいつのことはよく知っているよ。」
 
 もうずっと昔、この話は聞いたことがある。ドーソンさんは19歳くらいの頃に一度剣士団入団を志し、ティールさんとローランド卿が通っていた城下町の剣術指南にしばらく弟子入りしていたことがあるのだそうだ。だがその時は、剣を習ううちに自分の今後の人生についていろいろと考え過ぎてしまい、採用試験を受けずに帰ってきてしまった。その後ローランの中でいろいろな仕事をしてみたが、最終的に初志貫徹をするべきだと考えたのがそれから3年近く過ぎた頃だったと言うことだ。そして無事採用試験に合格し、ティールさんとの再会を果たすのだが、てっきりもうずっと前に剣士団に入団していて自分の先輩になるのだろうと思っていたティールさんは、なんとついひと月ほど前に入ったばかりだった。実はティールさんはティールさんで、ローランド卿に剣士団より自分と一緒に政界を目指さないかと誘われ、大分思い悩んでいて入団が遅くなったらしい。
 
「ティールさんとローランド卿は親友だそうですからね。」
 
「あいつらは仲が良かったよ。私は二人して剣士団に入るんじゃないかとさえ思ったほどだ。だが、ローランドはあのころからずっと、強引で自分の利益を最優先する父親のやり方に疑問を持っていたんだ。だから父親とはまったく違うやり方でこの国を動かしたいと考えていたんだろう。そのためには剣士団より、王宮勤めの官僚になって実績を作るほうが手っ取り早いからな。その甲斐あって、トーマス卿が失脚したあと自分の力で御前会議の大臣に任命されたんだから、私としてはあいつを応援したいと思ってるよ。」
 
「失脚?」
 
「ああそうだ。・・・ん?そういえば、そのころお前達はもうこっちにいなかったんだな。ウィローのあの事件が御前会議で問題になったんだ。」
 
「そ、そんな。どうして!?だってあの時は・・・。」
 
 妻がぎょっとして声をあげた。この話は初耳だ。確かにあの時、妻がカルディナ家に招かれたことは誰でも知っている。カルディナ家の使いは、王国剣士がみんなしてお茶を飲んでいた食堂に現れたのだ。その後いつまでも戻らない妻を心配して、私が単身カルディナ家に向かったことも、私を心配してセルーネさんが王宮を飛び出し、さらにそれをティールさんが追いかけていったことも、みんなが知っていることだ。だが、それを御前会議に申し出て公にしようなどとは考えたこともないし、そんなことをしそうな人にも心当たりがない。妻は無事に私の元に戻ってきたし、トーマス卿の処遇についてはローランド卿に一任したはずだった。いったいどういうことなんだろう・・・。
 

第47章へ続く

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