『同じ薬草なのに、買う場所によって値段が倍ほども違うなんておかしいと思いませんか?これからは薬草を煎じるだけではなく、特定の成分を抽出して薬品として使用することも増えると思うんです。そうなった時、自生している薬草を採取するだけではどうしても足りなくなり、結果として薬草の価格の高騰を招きます。お金がなくて病気を治せないなんて、こんなばかげた話はないじゃないですか。』
この私の言葉に、ライザーさんだけでなく、イノージェンも乗り気になった。イノージェンの母さんは、私が島に帰ってくる少し前に亡くなっていた。イノージェンの父親の家からはずっとお金が送られてきていたらしいが、それでも高価な薬草をふんだんに買えるほど大金ではない。あくまでも親子二人が暮らしていくためのものだ。どんな薬草でも安定した価格で手に入るなら、手に入る限りの薬草を使えばもしかしたら母さんを治せたかもしれないのに、母さんの死後イノージェンは言っていたのだ。二人が賛同してくれたことで力を得た私は、当時の長老にも頼み込み、薬草栽培のための予算を島の収入の中から出してもらえることになった。そしてライザーさんの提案で、同じ話を、妻を通してカナのドーラさんにも頼むことになった。ドーラさんもこの話を二つ返事で引き受けてくれた。実際に栽培を手がけているのはエルドらしい。こんな理由で始まった薬草栽培だが、これが始めてみるとなかなかに手間のかかる仕事だった。村の中に生えているような薬草なら、それを庭に植えて増やせばいいのだが、島の最深部にしか生えないような薬草は、村の中では枯れてしまうことが多く、ライザーさんもかなり苦労したらしい。それでも彼は根気よく取り組み続け、いまではこの薬草の栽培も島の産業として定着しつつある。
「ライラとイルサはともかく、うちはまだまだだよ。言ったじゃないか。カインはまるっきり半人前なんだ。」
ライザーさんの子供達も、うちのカインも島を出ていったいま、後継者が必要なのは私達だけではない。ライザーさん達はどう考えているのだろう。祭りから戻ったら、いや、もしも向こうで会うことが出来れば、その話もしてみる必要があるかも知れない。
「つまり、まだしばらくはのんびり出来そうにないっていうことか?」
「そういうことだよ。」
「そうだな・・・。あんまり早くのんびりし過ぎるとぼけそうだしな。」
グレイが大声で笑った。
「そういうこと。せっかく夫婦水入らずで暮らせるようになった途端にぼけたんじゃつまらないからね。」
「そうだな。で、お前達は向こうにどのくらいて来るつもりなんだ?」
「それなんだけどね・・・祭りだけじゃなくて、今回はカナにも行って来ようと思ってるんだよ。だから・・・全部で二ヶ月くらいはかかるかなぁ・・・。」
「う〜ん・・・。そうだなぁ・・・いくら交通網が整備されたからって、カナまで空をひとっ飛びってわけにもいかないしなぁ。」
カナまでではないが、『空をひとっ飛び』したことはある。でもあまり気分のいいものじゃない。
「馬車を使えれば多少は早いと思うけど、でも行き帰りはともかく、向こうについた途端に帰り支度ってわけにもいかないよ。ウィローにとっては結婚してから初めての里帰りなんだ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
グレイがいきなり真顔になって私を見た。
「・・なに・・・?」
「そうか・・。お前が帰ってきてから島を一度も出てないんだから、ウィローだって家に帰ったことなんてないんだよな・・・。」
「そうだよ。だからカナに着いたら、きっとみんなに怒られるだろうなと覚悟はしているんだ。」
「・・・みっちり怒られて来い。なに言われても文句は言えんな。」
「そうだね・・。」
「うちのアメリアみたいに、けんかするたび家に帰っちまう奴もいるけどな。」
「アメリアは行動的だね。ご両親は健在なの?」
「いや、両親はもうだいぶ前に亡くなったよ。向こうにいるのは妹さ。アメリアが酒場で働きながら学校を出したんだ。仲のいい姉妹だよ。おかげでアメリアが怒ると妹から必ず手紙が届くんだぜ?どうせ昨日あたりも妹に手紙を出したはずだから、あと一週間もすれば俺宛に怒りの手紙が届くんだろうな。」
グレイは肩をすくめてため息をついた。でもそんなに仲のいい姉妹がいるというのは、きっと楽しいんだろうな・・・。
「あれ?そう言えば、お前手紙は受け取ったか?」
「手紙?」
「ああ。昼にグラッツがうちの荷物を届けに来てくれたんだが、今日の午前中に着いた船の荷物の中に、お前の家あての荷物と手紙があったって言ってたぞ。お前がうちにいると思って来たらしいんだが、また持って帰ったか、お前の家に届けに行ったかもな。」
グラッツというのは船着場で荷物運びをしている若者だ。川向こうの村の生まれで、船着場で働きながらお金を貯めて、いつか王国に出て行って一旗揚げたいのだそうだ。今の時代にそんな夢を持つ若者がいることに少し驚いたが、スケールの大きいいい夢だと思う。どんなかたちで『一旗揚げる』のかまでは聞いていないが、がんばってほしいものだ。ファーガス船長あたりはグラッツの夢を応援しているらしく、船着場でたまに二人が話しているところを見かける。一度だけ、二人の横を通り過ぎようとした時、
『夢を叶えたいなら、どんなに時間がかかってもまっとうな金を稼いで叶えろよ。』
ファーガス船長がそう言っていたのが漏れ聞こえてきた。ファーガス船長の経験から来る、重みのある一言だった。グラッツは今の仕事を『一生の仕事』と決めているわけじゃない。『一旗揚げる』までのつなぎのようなものだ。だが、朝早くから夕方最後の船の荷物の整理が終わるまで、一生懸命働いている。立派なものだと思う。
「手紙か・・・。そう言えばそろそろカナからの定期便が来る頃かな・・・。だとすると荷物もそうかも知れないな。診療所あての荷物は昨日来たばかりだから、今日届く予定のものはないからね。」
「どこから来たかまでは聞かなかったな。」
グレイも首をかしげている。定期便と言っても別にこの島とカナを結んでいる便があるわけじゃない。妻のところに月に一度程度届く、カナの村からの手紙と荷物のことだ。
「まあいいよ。家に戻って届いてなければ、グラッツに聞きに行けばいいしね。」
「そうだな。話を戻すか。まずはお前が留守にする間、何に気をつけておけばいいか、万一急病人がでた場合の対処法なんかも教えてくれよ。治療はブロムさんに任せればいいけど、一人じゃ対応しきれない場合もあるだろうからな。」
「そうだね・・・。助手が必要な時は、サンドラさんかアローラに頼もうかと思ってるんだ。医療関係の仕事は素人がいきなり連れてこられても戸惑うこともあるだろうから。」
「それもそうだな。アローラには言ったのか?」
「いや、さっき訪ねた時はいなかったし、ラスティとは今朝のナイト輝石の話になっちゃったから話しそびれちゃったんだよ。」
「何か新しいことでもわかったのか。」
「今市場に出回っているナイト輝石製の武器防具の値段はわかったよ。ラスティが商人から聞いた話をメモしておいたんだ。」
「へぇ。あいつもけっこうやるじゃないか。すっかり商売人だ。」
「そうだね。とにかくすごい値段だったよ。あんな値段で買える人なんてまずいやしないよ。たいていは貴族達のコレクションになっちゃってるみたいだけどね。でも20年も前の品物があんな値段で売れるとなれば、確かによからぬことを考えそうな連中が出て来てもおかしくないよ。向こうに行く時は、来ている鎧がナイト輝石製の装備だって知られないようにしたほうがいいかもしれないな。」
「そうだなあ・・・。まあお前とウィローなら追いはぎにとられる心配はしなくていいだろうが、宿屋に泥棒が入る危険性もあるからなぁ。」
「気をつけるよ。」
「そうだな。あとは何か気になることはあるか?ブロムさんはどうだ?特別何か気にかけておいたほうがいいこととかは・・・。」
「今のところはないんだけど、歳も歳だからたまに診療所を覗いてくれるとありがたいな。」
「そうか。わかったよ。それも気をつけておく。でも、お前達がいない間はたぶんサンドラさんがいろいろと世話を焼きそうな気がするぞ。」
「うん・・・。でもサンドラさんも最近あんまり調子がよくないみたいだからね。張り切りすぎて無理されると、そっちの方が心配だな。」
「そういえば最近、あんまり外を歩いてないよな。たまに見かけるときもなんだか足を引きずっているような感じで歩いているし。」
「サンドラさんはブロムおじさんと同じくらいの歳だけど、助産婦さんもかなり力を使う仕事だからね。そろそろつらいのかもしれないな・・・。」
「そうだなぁ。あ、そうだ。サンドラさんが無理できないとなるとブロムさんのメシはどうするんだ?いままではいつもウィローが作っていたんだろう?」
「そうなんだけどね。食材は置いていくから大丈夫だと思う。」
「食材って・・・・。あ・・・ああ・・・そういえば、お前が小さいときはサミル先生の留守中はブロムさんがお前にメシを食わせてたんだっけ・・・。なるほど、心配するほどのことはないか。それじゃたまにうちのメシに誘ったり、アメリアに見に行かせたりする程度でいいか?」
「うん。それで充分だよ。それじゃグレイ、留守中よろしくね。」
「わかった。お前もすっきりして帰って来いよ。向こうでライザーに会ったら、土産話を楽しみにしてるとでも言っておいてくれ。」
「うん、それじゃ。」
「何か気がついたことがあったら、あとでもいいから遠慮なく言って来てくれよ。」
「ありがとう。」
グレイの家を出て、このまま家に戻ろうかとも思ったが、思い直してサンドラさんの家へと足を向けた。中に入るとアローラがサンドラさんの前で紙に何か書いている。
「おやクロービス、ここに来るなんて珍しいね。何かあったのかい?」
サンドラさんは言いながらしきりに腕をさすっている。まだ痛むのだろうか・・・。
「いや、うちで今度祭りに出かけるから、留守をお願いしようと思ったんだよ。」
「おやそうかい。それじゃアローラの試験が終わるまで待っとくれ。」
「試験?」
「なに、ちょっとした問題を出したのさ。助産婦として本格的に勉強したいっていうから、それじゃいままでにどの程度のことを憶えたかと思ってね。それによってあとの勉強の内容も変わって来るんだよ。」
「へぇ。それじゃ奥で待たせてもらっていいかな?」
「ああ、いいよ。」
「先生、挨拶もしなくてごめんなさいね。いま私必死なの。」
アローラが手元の紙から目を離さずに言った。
「気にしなくていいよ。君はその試験に集中しなさい。」
「うん。あとでね。」
真剣に問題を解いているらしいアローラの鼻先に、でんと座っていたのではうっとうしいだろう。私はサンドラさんの家の奥の部屋に入った。奥といってもそんなに広いわけじゃない。ただ、入り口からは見えないのでこちらもゆっくりとくつろいで待つことが出来る。だがそれほど過ぎずに試験が終わったらしく、アローラの大きなため息がここまで聞こえてきた。
「先生、さっきはごめんなさい。やっと終わったわぁ。」
「おつかれさん。君も一生の仕事を見つけたようだね。」
「ええ。そう決めたらなんだか力が湧いてきて、私いま勉強が楽しくて仕方がないの。学校にいっていた頃は勉強なんて進んでやりたいと思わなかったのにね。」
「目的もなしに勉強するのはつらいよ。がんばればその先に自分が手に入れたいものがあると思えば、誰だって本気になるよ。」
「さてお茶でも入れようかねぇ。」
サンドラさんが入ってきたが、やっぱり腕をさすっている。
「腕、痛む?」
「ああ・・・そうだねぇ。何かいい方法はないものかねぇ。まだ動けなくなるわけにいかないからねぇ。」
「そうだなぁ・・・。こういった節々の痛みに関してはブロムおじさんのほうが詳しいんだよ。家に戻ったら聞いておくよ。足のほうは大丈夫なの?」
「ああ、足のほうは何とかね。走ったりは出来ないけど、普通に歩く分には特に支障はないよ。」
「ちょっと手を出して。」
差し出されたサンドラさんの腕に手をかざし、治療術の呪文を唱えた。出来ればあまり呪文は使いたくないのだが、一人暮らしのサンドラさんは何でも一人でやらなければならない。少しの間でも痛みが取れれば楽になるだろう。でも呪文ではこれが限界なのだ。
「ああ・・・ありがとう。楽になったよ。これで、今日一日は何とかなりそうだね。」
「無理はしないでよ。痛みっていうのはね、そこが悪くなっているから痛むんだ。呪文は痛みをとって、少しは悪いところも治してくれるけど、完全に治るわけじゃないんだから、やっぱり薬で根気よく治療していくしかないんだよ。この間の薬は飲んでる?」
「飲んでるよ。あの薬のおかげでこの程度になったんだよ。前はもっとひどかったからね。それよりクロービス、祭りに行くっていつからだい?その話をしに来たんだろう?」
「うん。でもまずはサンドラさんの腕だよ。・・・飲み薬だけでは間に合わないとなると・・・。おじさん特製の湿布薬かな・・・。」
「あの真っ黒い練り物かい?」
サンドラさんはいやそうな顔で尋ねた。ブロムおじさんは湿布薬も自分で作る。私も教えてもらっているが、薬草やらハーブやらの配合が微妙で、なかなかおじさんと同じようには出来ないでいる。見た目は真っ黒で、まるで炭の粉を練ったようにしか見えない。確かにあんなものを体に塗るのはごめんこうむりたいと誰もが考えるのだろう。でも効きめは天下一品だ。
「効くのはわかってるんだよ。前もあの薬で治してもらったしねぇ。でもあの色が・・・炭を削って水で練ったような色なんだもの。匂いもねぇ、臭いって言うほどじゃないんだけどかなり強烈だから・・・でもまあ・・・それは自分が我慢すりゃいいか・・・。ただ、困るのはつわりのひどい妊婦が来たときだね。あんな匂いさせてたら、家に入るなり吐かれそうだし・・・。」
「そうだなぁ・・・。それじゃあの匂いを何とか出来ないものか聞いてみるよ。」
「もしも何とかなるならそうしてほしいねぇ。多少効きが悪くなっても仕方ないよ。飲み薬と一緒に使えば今よりはよくなるだろうし。」
「そうだね。出来たら持ってくるよ。」
「忙しいところすまないけど、よろしく頼むよ。イノージェンがいない間、アローラにちゃんと基礎を教えておかなきゃならないし、まだまだ隠居するってわけにいかないからね。さて、これでこの話は終わりだ。今度はあんたの話をしようじゃないか。祭りに行くなら当然ウィローも連れて行くんだろう?」
「うん・・・そのことなんだけど・・・。」
私は祭りのあとに南大陸まで足を伸ばすことを伝えた。ウィローを20年振りに里帰りさせるので当分は向こうに滞在する予定であること、その間ブロムおじさんが一人になってしまうので時々覗いてやってくれないかとサンドラさんに頼みこんだ。
「なるほどねぇ・・・。やっとあんたも重い腰をあげる気になったってことか・・・。ライザーもあんたも、今はいい顔してるよ。ここに帰って来た時はそろいもそろって死にそうな顔してたのにね。」
「グレイにも言われたよ。」
「へぇ、先生とライザーおじさまって剣士団に一緒にいたのよね?」
いつの間にかお茶を用意してくれたアローラが、興味深げに私達の話を聞いている。
「そうだよ。私達がここに戻ってきた時は、ちょうど剣士団の解散やら再結成やらといろいろともめてた時期だからね。死にそうな顔をしたくなるくらい、いろいろなことがあったんだよ。」
「大変だったのねぇ。でも今は二人ともこの島になくてはならない人だわ。向こうに行ったきり居ついちゃったりしないでね。」
アローラは私達の身の上に起きた『いろいろなこと』にはあまり興味がないらしく、屈託のない笑顔でお茶を飲んでいる。興味を持たれずにすんで私もほっとしていた。
「そんなことにはならないよ。必ず帰って来るよ。でも今も言ったように、カナにはしばらくいてこなくちゃならないから、君はその間サンドラさんと一緒に、診療所のこともいろいろと手伝ってほしいんだけど大丈夫かい?」
「わあ、先生、私をあてにしてくれるの?」
アローラの顔がぱっと明るくなった。
「もちろんだよ。病気はともかく、怪我なら人手は必要だからね。でも素人がいきなり連れてこられてさあ手伝ってくれと言われても、かえって困るじゃないか。」
「そうよねぇ。その点私達ならお産の時の手当とかで慣れてるものね。」
「あたしはこのとおりだからどの程度出来るかわからないけど、アローラと一緒に行って指図するくらいは出来るからね。それともアローラ、一人でやってみるかい?」
「う〜ん・・・。まだちょっと自信ないな・・・。お産の介添えだって私じゃまだまだだし、ねぇ、サンドラさんも一緒に来てよ。」
アローラが情けない声を出した。さすがにまだそれほどの自信は持てないらしい。最もここで『任せておいて』とドンと胸を叩かれてもこちらとしては不安なので、この程度謙虚なことはいいことなんだろう。
「おやおや、それじゃあたしも出来るだけ手伝うよ。クロービス、ウィローにも心配しないように言っておくれ。20年ぶりに思いっきりお母さんに甘えてくるといいよってね。」
「ありがとう。よろしくお願いします。あ、アローラ、あとで君の家に必要なものを書き出して持って行くよ。手伝いのことはそのときに君の父さんと母さんにも話すからね。もしも自分に許可なく君に直接こんなことを頼むとはけしからんと言ったら、文句は先生に言ってくれと言ってくれていいよ。」
ラスティの娘への溺愛ぶりが、ティートとの結婚話を機に消えたわけではない。ラスティは怒るかもしれないな・・・。
「まさかぁ。父さんはそんなことで怒ったりしないと思うわよ。」
アローラは大きな声で笑った。
「あのぉ・・・・。」
いつの間にか玄関に誰かが来ていた。お腹が大きいところを見ると診療に来たのだろう。
「おや、うるさくてごめんよ。入っておくれ。」
「それじゃ私は失礼するよ。二人ともよろしくお願いします。」
妊婦の診療には、医者とは言え男の私がいては邪魔なだけだ。それにもう陽が傾き始めている。そろそろ家に帰る頃合いだろう。
外に出ると、もう昼間の暑さは和らいで、涼しい風がほほをなでていった。歩きながら、ここ何日かのあわただしさをあらためて考えてみた。カインの帰省から始まった騒動は、今日でやっと一段落と言うところだろうか。グレイにもサンドラさんにも留守を頼んだし、明日は妻と二人で訓練が出来るだろう。何日か前のライザーさんとの立会いで、自分の体がまだそれほどなまってはいないなと確認できたが、あとは持久力の問題だ。今は馬車もあるし、昔のようにどこに行くにも歩くしかなかった頃よりは、はるかに楽に旅は出来るだろうが、たとえばローランから城下町に向かうまでの道のりで動けなくなったりしたら情けない。
家に着いて、私はまず診療室に顔を出した。いたのはおじさんだけだった。
「ただいま。ウィローは?」
「ああ、お帰り。ウィローならさっきカナから荷物と手紙が来てたから、ゆっくり読めるように家に戻らせたぞ。」
「カナからだったのか・・・。」
「何だ、手紙のことを聞いたのか?」
私はさっきグレイの家で聞いた話をおじさんに話した。
「ああ、そう言えばグラッツがそんな話をしていたな。あいつもたいしたものだよ。今の仕事は腰掛けだなんて言ってるが、あの仕事が性に合ってるんじゃないのかなぁ。」
「私もそんな気はするんだけどね。あ、おじさん、今日は誰か来て行った?」
「ああ、何人か来たが、みんな定期的な診察と、いつもの薬を渡した程度だ。」
おじさんは手元にあったカルテを私に見せてくれた。そこに書かれている人達は島の老人達がほとんどで、毎月診察に来て、そのつど薬をもらっていく、そう言う人達ばかりだった。
「特別悪くなりそうな人はいないみたいだね。」
「うむ、歳を考えずに無茶したりしなければな。」
一番無茶しそうな人が私の目の前にいるのだが、本人にその自覚はないらしい。
「もう夕方だ。お前も家に戻っていていいぞ。誰か来たら呼ぶからな。」
「わかったよ。それじゃお先に。」
自宅へ戻ったが、応接室には誰もいない。リビングを通って食堂に行くと、食堂のテーブルの上にドテッと大きな荷物がおいてある。
「なにこれ・・・。」
カインの洗濯物にはさすがに負けるが、それでもかなり大きな荷物だ。これをグラッツは一人で運んできたのだろうか。
「あらクロービス、お帰りなさい。カナから届いた荷物よ。今の時期はいろんな作物がとれる時だから、母さんてば張り切って送ってきたみたい。」
荷物の中を覗いてみると、南大陸でしかとれない色の濃い野菜が大量に入っている。
「またいつものようにおすそ分けしましょ。今回はたくさんだから・・・あら、そう言えばイノージェンがいないのよね・・・。仕方ないわね、保存できるものだけとっておいてあげましょうか。」
ふるさとからの荷物に、妻はうきうきしている。
「手紙も来てたって聞いたけど、読んだ?」
「まだなのよ。まずこの荷物を何とかしなくちゃね。でもすごいわよねぇ・・・。カナから送られた野菜がこんなにみずみずしいうちにここまで届くんだものね。」
確かにこの中の野菜類は、まだ青々としてとてもみずみずしい。カナから北大陸に送られる荷物は、もっぱら船の輸送に頼っているが、以前はカナから船に荷物を積むには山を迂回してハース渓谷を抜けるしか道はなかった。カナから渓谷の入口まで一週間、渓谷を抜けるのに一日、さらにハース城近くの湖にある船着場まで半日かかる。そこまで来てやっと船に乗せても、北大陸につくまでにさらに二日だ。しかもこの日数はすべての道程がスムーズに行けばの話で、途中で砂嵐に遭ったり、万一モンスターに襲われたりすればまた何日か遅れることもある。そこまでして北大陸に荷物が着いても、さらにこの島まで届くには何日もかかる。昔モンスター達がおとなしくなった頃、カナの村では昔のように北大陸へカナの特産物などを売り込もうという話が持ち上がった。だが今のままでは野菜などの農産物はとても流通ルートにのせることが出来ない。そこで、山道を抜けてハース渓谷へと向かう道が作れないものかという話がまとまり、王宮の協力を得て本当に山越えの道を作ってしまった。元々はカナの人達が山に分け入るときに使っていたけもの道のような細い道だったのだが、周りの木々を少しだけ伐採して、急な傾斜にならないように調整しながら、馬で荷物を運べるルートを確保することが出来たのだ。この道を通ればハース渓谷の中ほどに出る。おそらく私達が昔キャンプをはったあたりなのだろう。あの辺は湿気もそれほど強くなく、比較的さわやかな場所だ。あそこからならハース渓谷は半日で抜けられる。山越えにかかるのが1日程度らしいので、一週間もかけてハース城に向かっていたあの頃からは、想像もつかないほど便利になった。
「手伝うよ。地下倉庫に置いておけば当分大丈夫だからね。」
この島では、どこの家にも地下倉庫がある。外に出入り口がある家もあるし、家の中に作っておく家もある。地面を深く掘って、そこに野菜などを入れて置くのだ。夏といっても倉庫の中はひんやりとしていて寒いくらいだ。もっと深く掘ればもっと寒くなる。深めに掘って冬の雪を保存しておく家まであるが、夏の盛りにどの程度残っているのかまでは確かめたことはない。うちの倉庫は台所の裏手に入口がある。裏手といっても屋根続きになっているので家の中に入口があるのとあまり変わらない。
「そうねぇ・・・。それじゃ、新聞紙にくるんで、うち用とお裾分け用と別にしておくわ。」
妻が新聞紙に野菜をくるんでいき、箱を二つに分けてそれぞれに詰めた。一つずつだとそんなに重くはない。
「倉庫には私が入れてくるから、君は手紙を読んだら?久しぶりなんだからゆっくり読むといいよ。」
「あらそう?私も持って行くから一緒に・・・。」
「いいからいいから。」
私は箱を持ち上げてさっさと家の裏手に出てきた。手紙は今回もロイからだろう。イアンやジョスリンから届く時もあるし、たまにエルドがよこす時もある。でもロイからの手紙が一番多い。妻は一緒に読もうと言うが、宛先は妻になっているので私はいつもあとから読ませてもらうことにしている。箱を倉庫の中にしまい、戻ってくると妻がちょうど涙を拭いているところだった。
「何かあった・・・?」
急に不安になった。やっと里帰りさせてやれるのに、カナで何かよくないことでも起きたのだろうか・・・。妻が私に気づいて顔を上げ、微笑んだ。
「違うわよ。そんな不安そうな顔しないで。」
「いや、でも・・・。」
「ふふ・・・。みんな変わりないみたいよ。もうすぐ会えるんだって思ったらうれしくなって・・・。」
「そうか・・・。」
ほっとした。私達がカナに向かうまで何事も起きませんように・・・・。
「鉱山のことは何か書いてあった?」
「ええ。ナイト輝石のことももちろんだけど、ライラのことも書いてあるわ。あんまり頑固だから、出身地を聞いた時、私の息子かと思ったんですって。」
「それだけ君の頑固さが筋金入りだってことじゃないか。」
「あら、でもあなたのことも書いてあるわよ。『クロービスもずいぶん頑固だったけど、寒いところで育つとみんなこうなるのかな』って。」
「ずいぶんな言われようだなぁ。でもロイだって今じゃ似たようなもんじゃないか。最近はテロスさんからデールさんをしのぐ頑固統括者だって言われたとか、前の手紙に書いてあったような気がするけどな。」
「それもそうね。」
妻が笑い出した。今、ロイはハース鉱山の統括者として働いている。しかも鉄鉱石の仲買人などからは『手強い統括者』として恐れられているらしい。怠け者の面影はもうみじんもない。昔彼がそう呼ばれていたなど、今誰に言っても信じてもらえないだろう。それほどロイは変わった。
「でもロイに悪いことしちゃったかしら・・・。」
「なんで?」
「私ね・・・ロイの言ったこと、全部信じていたわけじゃなかったのよね・・・。」
昔、王国剣士団の再結成が決まったあと、私達は城下町を出て、妻の母さんに二人の結婚の許しをもらうためにカナへと向かった。その時ロイは、ハース鉱山が再開したらもう一度鉱山で働くつもりだと言っていた。自分なりのやり方でデールさんの遺志を継いでいくよと、胸を叩いてみせてくれたのだ。
「う〜ん・・・まああのころは、まだ以前のことが引っかかっていただろうからね・・・。」
「そうねぇ・・・。だから、とにかく真面目に鉱山で働いてくれればいいなと思ってたわ。オルガおばさんを泣かせるようなことをしないで、ちゃんと結婚して孫の顔を見せてあげたらいいのにって。でも・・・」
妻はまたにじみ出た涙を擦った。
「本当に父さんの遺志を継いで、鉱山をしっかり管理してくれているんだものね・・・。今度会ったら謝らなくちゃね・・・。ふふふ・・・。」
「ははは・・・。そんなことを言っても本人はきっとどこ吹く風だよ。恐い統括者になっても、ロイはロイだからね。」
「そうよね・・・はい、読んでいいわよ。イアンとジョスリンのことも書いてあるわ。」
妻が手紙を差し出した。
「ありがとう。あの二人がどうかしたの?」
「おじいさんとおばあさんになるんですって。」
「ええ!?」
「エリスもそんな歳になったのねぇ・・・。私達が歳をとるわけだわ。ふふふ・・・。」
鍛冶屋のイアンとジョスリンが恋人同士だということは、私はずっとあとになってから聞いたことで、カナにいたときはぜんぜん知らなかった。最も別に隠していたわけではないらしく、誰でも知っていることだからわざわざ外から来た私達に話そうとは思わなかったということらしい。私達がカナについた頃には結婚話も出ていたらしいのだが、村の鉱夫達が戻らなくなったことと、テロスさんまでが行方不明になってしまったことから、それどころではないと延び延びになっていたらしい。その後結婚した二人の間には、エリスという娘が一人いる。イアンとしては男の子が出来れば自分の仕事を継がせたかったと思うのだが、その後なぜか子供に恵まれなかった。その点ではうちと似たようなものだったので、イアンは何となく私達夫婦に仲間意識のようなものを感じているらしい。
「でもエリスって確か・・・カインと一つくらいしか違わないような・・・。それに結婚したなんて話聞かなかったと思うけど?」
「そうね、聞いてないわよ。順番が逆になっちゃったみたい。」
「はぁ・・・なるほどねぇ・・・。イアンはショックだろうなぁ・・・。」
「かも知れないわね。でも仕方ないわ。子供はいずれ親の手を離れていくものよ。」
「まあ・・・そりゃそうなんだけど・・・。それじゃ読ませてもらうよ。」
「ええ、どうぞ。」
妻が私に手紙を渡す時、にやりと笑った。いたずらをしかけて、相手がびっくりするのを待つような、そんな顔だ。この手紙の中には、どうやら私がもっとびっくりするような話が書かれているらしい。私は受け取った手紙を開いて読み始めた。
読み終えたあと最初に私の口から出たのは、大きな大きなため息だった。
「まったく・・・なんでこんな無茶をしてまで・・・。」
ハース鉱山の地下はかなり寒い。夏も冬もそんなに温度は上がらないのだ。そこに一ヶ月近くも座り込むなんて・・・。
「まったくねえ・・・。目の前にいたら思い切り怒るところだわ。」
「ライザーさん達は知っているのかな。こんな無茶なことをしてるって。」
「あの子のことだから言ってないと思うわよ。採用されてから『無事採用してもらえました』とかいう手紙を書いて終わりのような気がするわ。」
「向こうに行った時に会えるといいな。」
「ライザーさん達にもね。どうせなら一緒にお祭りを見たいわ。」
「そうだね・・・。もう少し早く知っていたら一緒に行けたんだけどな。」
「言いにくかったのかも知れないわよ。うちはそう簡単に留守にできない仕事だし。」
「そうだね。まあおなじ場所に行くんだから会えることを祈ろうか。あ、そうだ。ウィロー、出掛ける時に必要なものを書いてラスティのところに持って行くって言ってたんだ。何かある?」
「そうねぇ・・・。そんなにたくさんじゃないけど、さっき書きだしたものがあるから、それにあなたが書き足して持って行ってくれる?」
私は妻からメモを受け取り、自分が必要なものを書き足して出掛けた。外はもう薄暗かったが、ラスティの家まではそんなに遠くない。
店はまだあいていた。中に入るとアローラが店番をしている。奥からラスティも出てきて、私はメモを渡して、揃ったら取りに来るよと言い残して店を出た。もう空には星が瞬いている。明日は朝から訓練をしようか。明日一日でどの程度動けるようになるかで出発日を決めよう。
(半日でへばったりしたら、当分出発できないなぁ・・・。)
ついそんな情けないことを考えてしまう。今から弱気になっていたのではどうしようもない。
「久しぶりに、気合いを入れてがんばるかな。」
小さくつぶやき、私はすっかり暗くなった家への道をたどり始めた。
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