午後からグレイの家に行くのは私だけになった。妻は急患に備えて診療所に残ることにしたのだ。祭りに出かける間のことを話すだけなので、私一人でも問題はないだろう。途中で思い立ち、私はラスティの店に寄った。中ではちょうどラスティ本人が店番をしていたので、昨日の荷物の一件についてお礼を言った。
「ああ、あの夜逃げ荷物一式か。あれを担いでいくのは相当大変だろうと思ったから、ファーガス船長に頼んでおいたんだ。役に立ったなら何よりだよ。」
「あれでも小さくなったほうなんだよ。帰ってきた時は天井まで届くほど大きな荷物だったんだ。」
「それが全部洗濯物だったのか?」
「そうだよ。あそこまでためられるのが不思議なくらいだったよ。」
「ぶぁっはっはっは!ま、男なんてそんなもんさ。お前みたいにまめなやつばかりじゃないよ。」
「そりゃそうだけど・・・。そう言えばアローラは?午後から勉強があるとかで会えないからって、ティートが早々と帰っちゃったみたいだけど。」
「本格的に助産婦の勉強をしたいって言い出したのさ。昨日から、午後はサンドラさんのところに行ってるよ。島で勉強出来ればいいんだが、王国で学校に入ったほうがいいんじゃないかって話が出たらしいぞ。」
「専門学校があるのかな。」
「最近出来たらしいよ。まあどうしても学校に行かなきゃならないってわけじゃないから、俺としては島で勉強してくれたほうが安心だし安上がりなんだがな・・・。」
「イノージェンが戻ってくるまで待ってたほうがいいんじゃない?」
「俺もそう言ったんだ。で、イノージェンが戻るまでは、とりあえずサンドラさんに頼んで、基礎的なことをもう一度さらっておくことにしたらしいよ。」
「ふぅん・・・。」
「ま、あのわがまま娘が大進歩だよ。ティートとのことでこれだけ成長したなら、あいつにもちょっとは感謝してもいいかもな。」
素直にティートをほめる気にはならないらしい。
「そうだね・・・。ところでラスティ、今朝グレイから聞いたんだけど・・・。」
私はグレイの話に出ていた王国の商人のうわさ話について尋ねてみた。
「その話か・・・。妙な話だよな。こんな辺境の島ならともかく、城下町あたりではライラのことが噂になっていたとしてもおかしくないから、最近になってそう言う商品が出回り始めたならわかるんだよ。俺にその話を教えてくれたやつも、在庫を持ってるからこれから売りに出すつもりだって言ってたよ。でも最初に出回り始めたのは一年前からだろう?その頃はまだナイト輝石なんて『物騒な鉱石』でしかなかったと思うんだよな・・・。」
「大体どの程度の金額で売られているの?」
「えーと・・・ちょっと待ってくれ。その話を聞いたときに記録しておいたはずなんだ。」
ラスティは店の奥に行き、ノートを持って戻ってきた。
「へえ。さすがに商売人だね。」
ラスティは私の言葉に少し照れたように笑った。
「へへっ、まあな。この島でナイト輝石製の武器防具と言えば、ライザーとお前が持っているだけだ。誰も売りに出したりしないし、買う人だっているはずがないだろうな。でも直接扱わない品物の値段が、市場の動向を決めたりすることだってあるんだ。だからどんなことでも、商売に関することなら俺はきちんと記録を残しておくのさ。」
ラスティは口の中で『え〜と・・・このあいだの話の記録は・・・』などと言いながらページをめくっていたが
「お、あったあった。」
そういって開いたページを私に向けて見せてくれた。
「ほら、ここ見てみろよ。ナイトメイルが・・・昔の価格がこっち側に書いてある。900Gだ。で、いまの価格が1500G。」
「せ、せんごひゃく!?」
「すさまじい値段だろ?900Gだってバカ高いってのに、この値段をつけたやつは頭のネジが飛んでるとしか思えないよ。」
「で、でもそれで買う人なんているの・・・?」
「そりゃいなきゃ商売にならないからな。どこかにはいるんだろうなぁ。」
「ちょっとよく見せてくれる?」
「ああ。納得の行くまで見てくれよ。」
私はラスティのノートを手にとってよくよく眺めてみた。 ナイトブレードは昔870Gだった。いまはなんと1800G。倍以上の値段がついている。ナイトシールドは・・・昔の値段が720G。いまは・・・1200Gか・・・。盾は使う人も使わない人もいるので、それほど需要はないのかもしれない。私は盾と言えばドリスさんが作ってくれた腕につける盾しか使ったことがない。あの盾は今でも重宝している。でも別にそんな高価な金属を使ってあるわけではない。ごく普通の鋼を使っているらしいが、ナイトブレードの重い一撃にも充分耐えられる強度を備えている。つまりそれだけ、あの盾を作ったドリスさんの腕が確かだったと言うことだ。武器防具の出来が最終的に鍛冶屋の腕の善し悪しに依存するのなら、ナイト輝石製だと言うだけでありがたがる必要はないような気もするが、それほど腕のいい鍛冶屋がそんなに大量にいるとも思えないので、やはり確実に防御力を稼ぎたければその材質に重きを置くことになるのだろう。それにしてもこの常軌を逸しているとしか思えないような値段でも買う人がいるなんて、この国はいったいどうなっているのだろう。
「でも・・・今の時代に、ナイト輝石の装備でなければ立ち向かえないような強力なモンスターはいないと思うけどな・・・。」
「モンスターはいないかも知れないが、盗賊はいるじゃないか。そいつらがもしもナイト輝石製の武器を持っていたら?」
「・・・・・・・。」
「ま、盗賊に立ち向かうのは王国剣士の仕事だろう。この値段を見る限り王国剣士に手が出そうなものはひとつもないな。」
「今だってそんなに高い給料はもらってなさそうだからね。」
「あとは金と暇をもてあましている貴族様方が、コレクションとして集めているってことも考えられるぞ。ぴかぴかに磨いて家の広間にでも展示して、客に見せびらかそうってな。」
「それは・・ありそうだね・・・・。」
「つまり、どんなに高い値段がつこうと、買うやつはいるってことさ。兄貴が何か言ってただろ?ライラのことで。」
「うん・・・。こんな暴利をむさぼるような連中が、ライラの命を狙うかもしれないって。」
「可能性はありそうだからな。今日は長老達がお前とウィローの話を聞きに来るって聞いたから、その話をしておいたのさ。」
「長老達は急いで自分の集落に戻ったよ。明日にも今回の件を村のみんなに話すって言ってたよ。」
「それが一番だろうな。この島には元泥棒も元詐欺師も元相場師もいるわけだから、せっかく平穏に暮らしているのに外から怪しげな話を持ち込まれたくないからな。」
ラスティもグレイと同じことを考えたらしい。
「それと一応言っておくけど、お前の鎧も盗まれないように気をつけろ。お前の家にナイト輝石製の防具があるって話は、島の連中なら誰でも知ってるからな。外から来たやつに知れたら狙われるかもしれないぞ。」
「そうだね。気をつけるよ。」
「あとはライザーか・・・。あいつは武器防具一式持って出かけたのかな。お前、何か聞いてるか?」
「出かける日の朝、カインの相手をしてくれたんだけど、そのとき持っていたよ。だから今この島にはないと思うよ。」
「そうか。なら安心だな。あ、そうだ。お前祭りに出かけるんだって?アローラのやつが何か売りつけたいなら今のうちだとかぬかしていたが、必要なものはあるのか?」
「あるんだけど、まだまとまってないんだ。今日のうちにまとめて、夕方までにはたのみに来るよ。」
「そうか。それじゃ待ってるよ。」
ラスティの店をあとにして、グレイの家へと向かった。歩きながらぼんやりと、ライザーさんが持っていたナイト輝石製の武器と防具について考えていた。ラスティの話を聞いたあとでは、あの鎧と剣がいまこの島になくてよかったと思う。でもこんな話が出ることを見越して持っていったとは思えない。そして私に耳打ちした言葉・・・。
『クロービス・・・。一つだけ忠告しておこう。王国に出向くのなら、装備は今君が着ているフル装備で向かうことだ。』
今ごろどこにいるのだろう・・・・。あの時の言葉どおりにイルサとライラの職場見学にでも行っているのか、それとも・・・。
「あれ・・・?」
職場見学といっても、イルサはともかくライラは・・・。南大陸まで足を伸ばすつもりなのだろうか。それともライラが北大陸に来ることになっているのか・・・。可能性としては後者のほうが高いような気がする。祭りの始まりに合わせて行けば、私達もライラに会うことが出来るかもしれない。そしてライザーさん達にも・・・。向こうで会えれば、もしかしたらあの時の言葉の意味を聞きだすことも出来るかもしれない。
グレイの家が近づいてきた頃、道の向こうからアメリアとシンスがやってくるのが見えた。
「あらクロービス、うちに来てくれたの?」
「うん。君達はこれからクレイドル先生のところ?」
「そうなのよ。とりあえず話を聞くだけだから、先生がいなくても他の先生に聞いて来ようと思ってるの。だからうちにはいまグレイしかいないんだけど、あなたのこと待ってるみたいだから遠慮しないで来てね。」
「わかったよ。それじゃ気をつけてね。」
シンスが教師を目指すことに、アメリアは賛成しているらしい。たいていの親はそうだろう。教師と言えば人の役に立てる立派な仕事だ。
(・・・でもなんだかシンスのほうが・・・乗り気じゃないような気がするなぁ。)
シンスは本当に教師を目指したいのだろうか。応接室に入ってきて最初に『やりたい仕事』を聞いた時、なれるかどうかわからないからと不安げに言っていたわりには、先生を目指したいなとけろりとして言う・・・。今時の若者の考えはよくわからない。
(それだけ歳をとったのかな・・・。)
そう思うといささか寂しい気もするが、今そんなことを考えてみても仕方がない。
グレイの家では、玄関の前でグレイ本人が待っていてくれた。いや、別に私を待っていたのではなく、アメリアとシンスを見送っていたのだろう。なんとなく落ち着かない表情をしている。
「気になるなら一緒に行けばよかったのに。」
「お前が来るってわかってるんだから、留守にするわけにはいかないじゃないか。」
「私の用事は明日でもいいんだよ。」
「いつまでも先延ばしには出来ないよ。お前らだってせっかく祭りに行くんだから一番にぎやかで楽しいところから見たいじゃないか。」
「始まりが一番だってアメリアが言ってたね。」
「ああ、そうだよ。俺達が向こうにいた頃はまだ祭り自体が始まったばかりだったけど、王宮公認で大騒ぎできるってのがうけたんだろうな。最初の年こそそんなに盛り上がらなかったんだけど、どんどん派手ににぎやかになって言って、いまじゃ城下町の外にまで興行用のテントや市場があふれてるって話だぜ。」
「聞いてるだけで楽しそうだね。」
「ああ、楽しいぞ。とにかく中に入ろう。こんなところで立ち話もなんだしな。」
中に入ると、グレイは午前中に話し合いをした応接室に案内してくれた。お茶の用意が出来ている。
「ウィローは来なかったのか。」
「最近診療所を空けっぱなしだからね。今日は残ってもらったんだ。急患が出た時にブロムおじさんが走って呼びに来るってのも大変だし。」
「そうだな・・・。ブロムさんも歳だしなぁ・・・・。」
ため息をつきながら、グレイがお茶を入れてくれた。
「・・・実を言うとね・・・後継者について考えておいてくれって言われてるんだ。」
「後継者って・・・お前のか?」
「カインがここを継ぐ可能性はなさそうだからね。でも私の代で診療所は終わりってわけにいかないじゃないか。」
「そうだなぁ・・・。で、候補者はいるのか?」
「いや、まだ全然決めてないよ。東の村のエディがアルバイトをすることになってるくらいかな。」
「後継者としてか?」
「そう言うわけじゃないよ。おじさんがミレルに頼まれたんだって。」
「ふぅん・・・。俺はエディってやつはよく知らないけど、ライラと仲がよかったらしいってのは聞いたことがあるよ。ライザーから聞いたんだか・・・いや、イノージェンからだったかな・・・。何で知り合いなのかまではわからないんだけどな。」
「そうらしいね。とりあえず私達が戻ってきたらアルバイトとしてきてもらおうかと考えているんだよ。」
「お前達が留守にするならその間も頼めばいいじゃないか。」
「そうは行かないよ。役に立つか立たないかわからない人間をおじさんに預けるわけにはいかない。」
「なるほど、それもそうだな・・。ところで、予定としてはいつ発つつもりなんだ?」
「そうだね・・・。2〜3日中にはと思ってるんだ。カインにはそのくらいのうちにこっちを発つからって言ってあるしね。向こうに行けばちゃんと剣士団の人達にも挨拶して来なくちゃならないし・・・。」
「お前の知り合いはまだいるのか?」
「いるみたいだよ。」
「ふぅ〜ん・・・。」
なぜかグレイは感慨深げに私を見ている。
「なに?」
「いや・・・お前もやっと重い腰をあげる気になったんだなと思っただけさ。」
「・・・・どういう意味・・・・?」
「お前だけじゃない。ライザーのやつもそうだ。お前ら島に戻ってきた時、自分がどんな顔をしていたかわかるか?ライザーは今にも死にそうな顔してたし、お前は新婚だって言うのに嬉しそうどころか人生に絶望したような顔をしていたし・・・。」
「向こうでいろいろあったからね・・・。でも私はともかく、ライザーさんもそんな顔してたのか・・・。」
「ああ、あの時、たまたま俺はサンドラさんの家にいたんだ。船で届いた荷物を、長老に頼まれて届けに行ったのさ。そのときあの裏の井戸からあいつが出てきたんだ。」
サンドラさんの家に荷物を置いて、俺は家に帰ろうとした。そのときサンドラさんが不安げな顔で俺を呼びとめたんだ。
「なんだい?何か手伝いが必要なら・・・。」
「そうじゃないんだよ・・・。裏の井戸から何か聞こえるんだ。誰かが井戸の底にいるみたいな・・・。今日はダン達も洞窟の見回りをしてないし、ちょっと見てきてくれないかい?」
井戸の底にいるのがもしも人間なら、足場を捜しているんだろう。井戸の中にある足場は、普通の人が見ただけではなかなかわかりにくい。でもある程度時間をかければ見つけられないわけじゃないから、いずれそいつは上ってくるだろう。俺だって怖かったけど、サンドラさんはここに住んでいるんだから、万一島を襲撃するつもりの奴が現れれば一番先に狙われる可能性がある。俺はサンドラさんが護身用に家に置いておく木刀を借りて、そっと井戸に近づいて行ったんだ・・・。
迂闊に近づくわけにはいかないが、井戸から出てきた奴の顔が見えないほど離れているわけにはいかない。そのぎりぎりのところで俺は立ち止まって耳を澄ませた。確かに井戸の中から上に上ってくる音が聞こえる。どうやらそいつは足場を見つけることが出来たらしい。そのうち井戸の中から手がにゅっと出て、ふちに手をかけたんだ。何者かわからないうちにつき落とすわけにはいかないから、俺は木刀を構え、いつでも突進できる体制で相手の顔が出てくるのを待った。やがて井戸の中から出てきた奴は、俺を見て少しだけ笑った。その顔に見覚えがあったんだ・・・。
「・・・グレイ・・・?」
出てきた男は、俺の名を呼びながらゆっくりと近づいてきた。背の高い立派な体格の男だったが、顔だけは死人みたいに青かった。俺は一瞬、本当にこいつは幽霊なんじゃないかと疑ったくらいだ。声には聞き覚えがなかったけど、でも確かに知っている顔だ。ずっとずっと昔から・・・忘れたくても忘れられない・・・懐かしい・・・。
「・・・まさか・・・・。」
「グレイ・・・だよね・・・?」
俺の前に立って、男は少し不安げに俺を見下ろした。顔を間近で見て、俺はそいつが誰なのか確信したよ。
「ライザー・・・・なのか・・・・。」
「憶えていてくれたんだね・・・。」
俺は思わずあいつの肩をつかんで顔を近づけた。はっきりと確認したかったんだ。本当に、この立派な奴があのひ弱だったライザーなのかどうか・・・。
「本物・・・だよな・・・?昔俺と一緒にこの島で育ったライザーだよな・・・?」
あいつは微笑んでうなずいたけど、なんだかとても弱々しいほほえみで、ますます俺はこいつが幽霊じゃないかと疑りたくなった。
「そうだよ、久しぶりだね。」
「なんで・・・お前がここに・・・。」
いいかけて俺は口をつぐんだ。そんなこと聞くまでもない。こいつはイノージェンとの約束を果たすために帰ってきたんだ。
「イノージェンを・・・連れに来たのか・・・?」
俺の問いにあいつはさびしげに笑って答えた。
「グレイ、僕はこの島に帰ってきたんだよ。ここを出てから16年もの間一度も戻ってこなかったけど、この島は僕のふるさとなんだ・・・。だからもしもみんながよければ、また僕をここに置いてもらえないか。」
「だがお前は王国剣士じゃないのか?向こうに戻らなくていいのか?」
俺の問いにライザーは悲しげに微笑んだ。
「グレイ・・・王国剣士団はね、もうないんだよ・・・。」
「ないって・・・それじゃあの噂は本当だったのか・・・。剣士団が解散させられて、エルバール王国軍とか言う新組織が出来たってのは・・・。」
「そうだよ。剣士団の団員達は全員帰郷するようにとフロリア様から命令が出てるんだけど、僕が帰れる故郷はここしかないんだ。でももしも、僕がいることでみんなに迷惑をかけるなら、少しの間だけいさせてもらえればいい。そうしたらすぐにここを出て行くよ。」
「出てどこに行くんだ?」
「そうだな・・・・。どこに行こうかな・・・。」
「バカを言うな。お前のふるさとはここだ。お前がここに帰って来ることに反対する奴なんて誰もいないさ。」
「だといいんだけどね・・・。それじゃ、とりあえず長老のところに行くよ。まだあの家に住んでいるのかい?」
「ああ、変わってないよ。ただその・・・お前の家なんだが・・・・。」
「僕が昔住んでいた家に今は君が住んでいるそうじゃないか。クロービスに聞いたよ。大丈夫だよ、しばらく長老の家に泊まらせてもらって、いずれはどこか適当な空き家にでも住まわせてもらうようにするから。」
「なあライザー・・・」
「ん?」
「イノージェンとの約束は果たしてくれるんだろう?」
「・・・約束は果たすよ。僕は必ず帰って来ると言ったんだ。だから・・・」
「そのあとはどうするんだ?」
「・・・・・・・・・・。」
「おい、何とか言えよ。」
「帰ってくると、約束したから、それは果たすけど・・・あとは・・・。」
「昔みたいにままごとをして一緒に遊びましょうってわけにゃいかないんだ。当然結婚するつもりでいるんだろうな・・・?」
「グレイ、僕は・・・僕にはそんな資格は・・・。」
「結婚なんてお互い好きか嫌いか、それだけだ。資格もくそもあるか・・・。」
ライザーはまた、少しさびしげに笑った。
「グレイ、あれからもう16年が過ぎるんだ。僕達はもう10歳と8歳の子供じゃない。大人の男と女として、もう一度最初から出会わなきゃならないんだよ。そのときイノージェンが僕をどう思うのか、それはわからないよ・・・。」
「・・・・・・・・・。」
ライザーは気づいていたんだ。イノージェンの中では、ライザーはまだ10歳の子供のままなんだ。あいつが待っているのは、こんなに立派に成長した大人の男じゃないんだ・・・。でもこいつは・・・ライザーのほうはイノージェンのことをどう思ってるんだろう・・・。
「お前はどうなんだ?」
「僕にもわからないんだ・・・。僕は今の彼女の顔さえ知らないんだよ。」
俺はライザーに向かったまま、岬を指差した。
「イノージェンは岬にいる。毎日毎日、あの突端に立って王国の島影を眺めているんだ。いまのイノージェンがどんな顔でどんな姿をしているか、自分の目で確かめろよ。そして・・・もしももう一度出会ってあいつを好きだと思ったら・・・必ず幸せにしてやってくれよ・・・。」
「グレイ・・・でも君の気持ちは・・・。」
「・・・クロービスの奴・・・何かよけいなこと言いやがったのか・・・。」
「いや、クロービスは何も言ってないよ。ただ、君のことを聞いているうちにそうじゃないかと思ったんだ。」
「俺のことを気にする必要はないよ。とにかくお前はまず岬に行け。俺は長老の家に行って、お前が帰ってきたことを知らせておく。泊まる場所のことも伝えておく。だからお前はまず、イノージェンとの約束を果たしてくれ。」
「・・・・・・・・・。」
ライザーは無言でうなずき、ゆっくりとした足取りで岬に向かって歩き出した・・・。
「・・・君のことは・・・言葉で言ったつもりはなかったけど、話の流れで気づいたんだと思うよ。ちゃんと隠して話せればよかったんだろうけど、あの時はいろいろとあって気が動転していたから、そこまで気が回らなかったんだ。・・・君には悪いことをしたな・・・。」
「別にそんなことはいいよ。よけいなことなんて言ったのは、あいつに気を使わせたくなかったからさ。あの時俺は、ライザーにイノージェンの居場所を教えるべきかどうか一瞬迷ったんだ・・・。勘違いしないでくれよ。別に二人の仲を邪魔しようとしたわけじゃない。あんな幽霊みたいな顔した奴を、岬になんて行かせたくなかったのさ。あの時イノージェンがいたのが自分の家だったなら、俺は迷ったりしなかった。でもあいつはいつも岬にいて、王国の島影を眺めていたんだ。ライザーの奴が岬なんぞに行ったりしたら、そのままあの断崖から飛び降りるんじゃないかとさえ思えて・・・。でも結局は教えちまったけどな。」
この話は初めて聞く話だ。20年前、カインを失い、失意の中で彼との約束を果たすために、私達は謎の手がかりを求めてこの島に立ち寄った。そのときグレイは『二人は結婚した』とだけ言っていた。グレイの気持ちを思うと、私もそれ以上のことを聞き出そうとは思わなかった。ライザーさんの顔を見たとき、頭の中には数え切れない『どうして』がひしめいていたが、その中のたった一つさえも私は口に出して尋ねることが出来なかった。その後妻と私がこの島に帰ってきたあと、ライザーさんが私に対して何か負い目のようなものを感じていることには気づいていたが、お互いその気持ちを隠し続け、一番聞きたいことを聞けないまま、仲のよい隣人同士としてこの島で生きてきたのだ。20年と言う長い間・・・。
「・・・それから・・・? 」
「それから・・・俺が長老と話しているところに一人で戻ってきたよ。イノージェンを家に送り届けて、イノージェンのお袋さんとも話をしてきたと言っていた。そのあとしばらくあいつは長老の家にいたんだ。」
「帰ってきてすぐに結婚したわけじゃなかったんだね・・・。」
「そうだな・・・。あいつが帰ってきたあとも、イノージェンはいつも岬に行っていた。ライザーもいつも一緒に行っていた。あいつがイノージェンにつきあって岬に行っていたのか、自分が王国の島影を眺めたくて行っていたのか、俺にはわからない。そのままあいつらは別々にこの島で暮らしはじめたんだ。それから・・・どのくらい過ぎたかな・・・。2週間・・・いや、もう少し過ぎた頃かもしれない。イノージェンの母さんの容態が悪くなって、俺が岬に二人を呼びに行ったことがあるんだ。あいつは取り乱すイノージェンを励ましながら、母さんが持ち直すまでそばにいるよと言いながら家にもどって行った。そのあと俺が自分の家に戻ったところに長老がやってきて言ったんだよ。ライザーの荷物をイノージェンの家に運んでくれってな。」
「・・・なんで・・・?」
「俺もそう聞いたよ。長老は最初は答えなかった。でもなんとなく、俺に気を使っているように見えたから、俺はもうとっくにイノージェンにふられてるんだから、気にしないで教えてくれって言ったんだ。それで聞きだしたんだけど、イノージェンのお袋さんはライザーが帰ってきたとき、長老に頼んで自分の家にライザーを住まわせようとしたらしい。でも二人の気持ちを考えてやってくれと長老に言われて、その時はあきらめたそうなんだ。たぶん自分の死期が近いことに気づいていたんだろうな。だから二人を早く結婚させようとしたんだと思う。」
「その望みが図らずも自分の容態が悪くなったときにかなったわけか・・・。」
「そういうことになるな。でもライザーにとっては、逃げ場がなくなっただけじゃないかって気がするよ。一緒に住んじまえば、もう結婚したも同然だからな。」
「イノージェンの母さんにはそう言うもくろみがあったのかな・・・。」
「あの時ライザーをイノージェンの家に移らせようってのは、どうやら長老が考えたことらしい。イノージェンのお袋さんがもしもあのまま死ぬようなことになった時、二人が結婚しないままでは死んでも死にきれないだろうから、せめて願いを叶えてやろうとしたんじゃないのかな。でもその時は何とか持ち直したんだ。そのあとライザーはあの家を出ようとしたらしいけど、それを止めたのがあのお袋さんなのか、長老なのかは聞いてないな。もっとも、そのあとしばらくしてあいつらの結婚式が挙げられて、二人は晴れて夫婦になったわけだから、今となってはもうどうでもいいことだけどな。」
グレイはそこまで話して一つため息をつき、お茶を口に運んだ。
「ライザーは王国で何があったのか何も言わなかった。けど、かなりつらいことがあったことだけはわかったよ。だから誰もあいつにそんな話はしなかったんだ。この島の連中だって似たようなもんだからな。あれから20年も過ぎた今、あいつが王国に出て行く決心をしたってことは、ライラとイルサの職場見学のためだけじゃないと思うよ。何かよほどのことがあるからなんだろうと俺は思ってるんだ。」
「・・・よほどのことか・・・。」
「そうさ。それが何なのかはわからないけど、昔のことなんてさっぱりと吹っ切って、晴れ晴れとした顔で帰ってきてくれることを祈ってるよ。」
「そうだね・・・。」
「・・・お前もな・・・・。」
「・・・・・・・・。」
「お前も似たようなもんだろう?初めてウィローと一緒にここに来た時、なんて言うか・・・お前も変わったなぁと思ったんだよ、あの時。」
「変わったって・・・どんなふうに・・・?」
「なんて言うかなぁ・・・。昔、サミル先生が元気だった頃みたいに、お坊ちゃん的な幼さはきれいさっぱり消えていたな。どん底に落ちてはい上がってきたような、そんな雰囲気だったんだが・・・。」
「どん底か・・・・。」
確かにどん底だ。あれ以上堕ちられるところなんてありはしないだろう・・・・。
「でもそれだけじゃないかもな。」
グレイは意味ありげににやりと笑った。
「ウィローと一緒に調べ物があるとか言って戻ってきた時さ、ウィローとはもうそういう仲だったんだろう?」
「どうでもいいじゃないか、そんなこと。」
「そりゃそうだけどさ、それなら答えたっていいじゃないか。どうなんだ?」
「・・・君の想像に任せるよ・・・。」
私は曖昧に言葉を濁した。いくつになってもこの手の話は苦手だ。それが自分のことならなおさら。グレイはしつこくからかったりしないからまだいいほうなんだけれど・・・。
「うまく逃げたな。別に今さらそのことでお前をからかおうってんじゃないよ。ただ、女を知れば、男のほうだって大なり小なり何かしら変化はあるってもんだから、そう言う意味からもあの時お前が変わって見えたんだろうなと思っただけさ。」
「・・・そうだったとしても、そんなの自分じゃわからないよ。そんなことより、それほどひどい顔してた?」
グレイはその時のことを思い出すように宙を見つめ、少し首をかしげた。
「そうだな・・・。二人で仲良く故郷に戻ってきたって言うのに、なんでこいつらはこんな地獄でも見てきたような顔をしているんだろうって、あの時は不思議だったよ。でもそんなことをたとえ冗談でも口に出せないほど、お前らがせっぱ詰まっているように見えたから、黙ってたのさ。」
妻はカインを救えなかったことをずっと悔やんでいた。まるで、私が彼を殺してしまっても自分が蘇生させることさえ出来れば、私の罪が雪がれるとでも思っているようだった。でももしもあの時カインの蘇生に成功していたら・・・私はカインと今まで通りにつきあっていくことが出来ただろうか・・・。かけがえのない親友を、一度はこの手にかけたことを、忘れて生きていくことなど出来るのだろうか・・・。ではカインは死んでしまった方がよかったのか。そんなはずはない。カインかあの時生きていてくれたら・・・何にも代え難い喜びだったはずだ・・・。
(ああ・・・まただ・・・。)
カインのことを考えると、いつも堂々巡りになってしまう。そして答えの出ないことに疲れ果て、考えること自体をやめてしまう。そしてやがて記憶の片隅に押し込めて、私はカインのことを忘れたように生きてきた。ずっと・・・ずっと長い間・・・。
「いろいろあったからね・・・・。」
私はまた同じ言葉を繰り返した。とても一言で言い表せないほど、本当にいろいろなことがあった。
「ふん・・・。あの時俺は、王国って言うところはよっぽどとんでもないところなのかと思ったよ。帰ってきた奴らが揃いも揃って、地獄巡りでもしてきたような顔してたんだからな。」
「でもその王国に君も出て行ったじゃないか。地獄巡りどころか、アメリアみたいなきれいな奥さんとかわいい子供を連れて帰ってきただろう?」
「ところが今じゃ、そのかわいい子供が悩みの種さ。まったくあいつ、何を考えているんだか・・・。」
「本当に先生になりたいのかな・・・。」
「さぁね・・・。」
「信用してないみたいな言い方だな。」
「信用してないってわけじゃないけど、今そう思ってたってすぐにまた話が変わるかも知れないじゃないか。」
「変わったらその時はまたその目標に向かっていけばいいさ。」
「でもそんなことをいつまでも続けていたら、歳をとっちまうじゃないか。今17歳だからって、10年後も17歳なわけじゃないぞ?『いずれ自分に合う仕事が見つかるさ』なんてのんびり構えていたら、いつの間にかじいさんになってたなんてシャレにもなりゃしない。」
「だからって焦ることはないよ。君だってまだ元気なんだし、せめて20歳を過ぎるまではそんなに騒がなくてもいいんじゃないのかな。」
「20歳か・・・。まあそのくらいまでなら焦ることはないのかもな・・・。」
「そうだよ。シンスにはシンスの『時』があるじゃないか。まわりばかり気にして煽りたてたらかわいそうだよ。」
「そうだな・・・。なあクロービス、お前は王国で王国剣士になった時、その仕事をずっとやっていくつもりだったのか?」
「あの時は・・・そう思ってたよ・・・。」
そう・・・。あの時、ライザーさんから『共にエルバールを守っていこう』と手を差し出された時、決めたんだ。なんとしても2次試験に合格して、正式に王国剣士になろうと。そしてみんなと一緒に王国を守っていこうと。でもライザーさんも私も、一度は一生の仕事として決めていたはずの王国剣士をやめてしまった。
「だろうな・・・。さっきのお前の話を聞く限り、生半可な覚悟で選べるような仕事じゃないしな・・・。ライザーは・・・王国剣士になろうと思った時、もしかしたら向こうで死ぬかも知れない、そうなったらもうイノージェンに会えないってことを考えたことはなかったのかな・・・。」
「・・・どう・・・なのかな・・・。」
ライザーさんはカレンさんと別れたあと、ほぼ丸一年の間何も手につかずにいた。その後彼を立ち直らせたのはイノージェンとの約束だ。その約束を果たすまで、何があっても死なないようにがんばって訓練をしていたんじゃないだろうか・・・。
「でも最初から死ぬ気で王国剣士になろうと思う人なんていないよ。きっと絶対に死んだりしないぞって思ってたんだよ。」
「なるほどな・・・。お前もか?」
私は、採用試験に合格した日にライザーさんと交わした会話のうち、剣士団のことに関する部分だけをグレイに話して聞かせた。
「へぇ・・・。それじゃ、お前はライザーのおかげで決心がついたってわけか。」
「そう言うことになるね・・・。」
「そぅかぁ・・・。ま、今となっては遠い昔の話だな。今、お前は医者として立派に身を立てているし、ライザーはもうダンさんの仕事にはなくてはならない存在だし、薬草の栽培も順調だし、どちらも子供達はもう独立して、あとは夫婦の時間を思い切り楽しめるってわけか・・・。」
ライザーさんはこの島で、今は二つの仕事を掛け持ちしている。一つはダンさんの手伝い。でも木こりとして手伝うわけじゃない。木の切り出しは年に何回か、きちんと計画を立てて行うのだが、山の最深部まで分け入ることも少なくない。最深部まで行けば大型動物もかなりいるので、彼の仕事は木こり達の護衛だ。興奮した動物達を追い払ったり、怪我をした木こりの手当をしたりすることもある。東の村のラヴィが怪我をした事故の時も、ライザーさんは同行していた。彼の呪文のおかげで、ラヴィは今あの程度の怪我ですんでいるのだ。
そしてもう一つの仕事が薬草の栽培だ。これは私がライザーさんに頼んだ。私がこの島に帰ってきて、本格的に医者としての修行を始めた頃のことだ。島の中に自生している薬草は、ほとんどが寒い場所でしか育たないものだ。だからここでは日常的に使える薬草も、南大陸あたりに持って行くとかなりの値段がつく。当然その逆もあって、暑い地方でしか育たないものはこちらでは高価だ。そこで私は、自生している薬草を採取するだけでなく、人の手で栽培できないかと考えた。ある程度まとまった量を確実に作ることが出来るようになれば、価格はかなり安定する。そうなれば暑い地方の人達でも、このあたりでしか育たない薬草を気軽に使えるようになる。だがここでひとつ問題があった。その栽培を『誰がやるのか』ということだ。自分でやろうかとも考えたのだが、私は植物を育てるのがあまりうまくない。とりあえず枯らすことはないというだけだ。やはりここはその分野に明るい人に手がけてほしいと考えたとき、最初に私の頭の中に浮かんだのはライザーさんだった。剣士団の宿舎の中で、ライザーさんは鉢植えのハーブをいくつも育てていたのだが、どれも生き生きと葉を茂らせていた。その葉を摘み取り、天日で干してハーブティにするのもライザーさんが自分でやっていた。カインと私が海鳴りの祠を出る時手渡してくれたハーブティーも、そうやって彼が自分で作ったものだ。植物を育てるのがうまいというのはうらやましい。ライザーさんに言わせれば、これもまた私の父から教わっただけだと言うことだが、きっと向いていたのだと思う。その腕を見込んで、私は彼に薬草の栽培を試してもらえるように頼み込んだ。
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