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「ふぅ・・・クロービス、ウィロー、今日は助かったよ。」
 
 額に浮いていた汗を拭って、グレイが本当にほっとしたように大きなため息をついた。
 
「少しは役に立てたのかな。」
 
 少なくとも、昨日の家での話し合いよりは、役に立ったという実感はある。
 
「少しどころか今回の話がまとまったのはほとんどお前達のおかげだよ。本当に助かった。ありがとう。」
 
 グレイは私達に向かって頭を下げたが、何かを思い出したように顔を上げ、
 
「そういや、アローラとティートのことでもお前達には世話になったんだよな。今までばたばたしていて礼を言うのも忘れてたよ。あらためて、ありがとう。」
 
また頭を下げた。
 
「そんなに言われると困っちゃうよ。昨日のことは私達はほとんど何もしてないようなものなんだからね。」
 
「そんなことはないよ。ラスティの奴、昨日すっかりキルシェと仲直りしたって、でれ〜っとした顔で現れたんだからな。さてと・・・おいアメリア。」
 
「なによ?」
 
 アメリアは少しむっとした顔でグレイをにらみつけた。
 
「俺はクロービス達ともう少し話があるから、お茶をいれかえてきてくれ。」
 
「・・・・・・・。」
 
 アメリアは返事もせずにぷいと部屋を出て行った。いつも笑顔の彼女が私達の前でこんな態度をとると言うことは、今回のケンカは少し深刻なのではないだろうか。
 
「まずは座ってくれよ。お前達が祭り見物に行くって話、それについて話そうじゃないか。俺にあとを頼みたいんだろう?」
 
「そうなんだけど・・・それより今はアメリアのほうが気になるな・・・。」
 
「ほっとけあんな奴!一人でへそまげやがって!」
 
「・・・君がそんなに怒るとよけい気になる。」
 
 グレイはあきらめたようにソファにもたれかかり、またため息をついた。今度のは疲れたようなため息だった。
 
「私アメリアを手伝ってくるわ。最近ずっと話してなかったから。」
 
 妻が立ち上がり、部屋を出て行った。
 
「助かるよ・・・。ここ何日かあの調子さ。シンスのことでちょっともめてな・・・。」
 
「さっき玄関で話してたのもシンスのことだよ。」
 
「どうせ武者修行に出すとか言う話だろう?あの軟弱な奴にそんなことさせたって自信喪失して帰ってくるのが落ちだよ。もうちょっと現実を見つめてほしいんだがなぁ・・・。」
 
「そんなに決めつけることないじゃないか。」
 
「ふん・・・。あいつに務まるもんか。荷物運びをやらせても続かない。ダンさんの手伝いも乗り気にならない。それじゃ何がしたいんだって言うと『なにかなぁ』だぞ!?17歳にもなって何のビジョンも持っていないんだ。そんないい加減なやつに王国剣士が務まるなんて言わないでくれよ。俺にとっちゃ王国剣士はこの国を守ってくれる頼もしい正義の味方なんだからな。」
 
「王国剣士になるかどうかはともかく、剣を習わせてみるってのはいいことだと思うよ。昔はよくカインの訓練に来ていたんだし。」
 
「あいつのはお遊びだよ。カインはあの頃から王国剣士になるっていう夢を持っていたから、本気でがんばっていたけどな。お前だってカインと同じレベルで相手していたわけじゃないじゃないか。」
 
「そりゃ始めたのが遅いんだから、同じレベルで相手したら怪我しちゃうよ。」
 
「・・・あ〜ぁ・・・。あの時無理してでもお前のところに通わせればよかったよ。そうすればいまみたいな軟弱なやつじゃなくなっていたかもなぁ。」
 
「君にはシンスに対して夢はあるの?」
 
「俺が?」
 
「うん。こんな仕事をしてほしいとか。こんなだったらいいのにとかね。」
 
「特にないよ。強いて言うなら・・・人様の役に立つ仕事をしてくれたらうれしいなとは思うがな。」
 
「さっきアメリアにも言ったんだけどね、ライザーさんに頼んでみたら?」
 
「ライザーに?」
 
「ライザーさんのほうが私より強いし、教え方もうまいよ。出かける日の朝カインの相手をしてくれたんだけど、さすがだね。見ただけでカインの弱点を見抜いちゃったし、そのあとほんの少し立会いしただけで、カインに自分の実力を悟らせちゃったよ。身内だとどうしても甘えがあるから、あの時はすごく助かったなぁ。」
 
「へえ・・・。俺も頼んでみようかな。確かにあいつの教え方はうまいよ。俺もずいぶん世話になったしな。」
 
 昔グレイが王国に出て行こうとしたとき、私とライザーさんに剣を教えてくれと言ってきた。私には医者としての勉強があったので、ライザーさんが自分でよければと請け負ってくれたのだ。その後一ヶ月ほどかけてグレイはライザーさんから一通りのことを教わった。
 
「ライザーの教え方はさ、何となくサミル先生に似てるんだよな。」
 
「そう?剣さばきは似てると思ったけど・・・。」
 
「ま、お前はサミル先生本人にずっと教えてもらってたから気づかないかも知れないけど、ずっと昔、俺とライザーが剣を教えてもらうようになった頃のサミル先生の教え方に何となく似てるなと思ったんだ。その話したらあいつ、赤くなって笑ってたっけなぁ。」
 
 グレイは少し笑って、でもすぐに不安げな顔になった。
 
「引き受けてくれるかなぁ・・・。いや、引き受けてもらっても、シンスの奴がやる気なしじゃ意味ないし・・・。」
 
「聞いてみればいいわ。今呼んでくるから。」
 
 突然扉が開いてアメリアが顔を出した。怒ったような顔をしながら持っていたトレイにのせてあったお茶を配り始めたが、少し冷めている。扉の外で私達の話を聞いていたらしい。アメリアのあとから入ってきた妻は自分の持ったトレイの上のポットをテーブルに乗せながら、ちらりと私に目配せして少しだけ肩をすくめた。
 
「あなたは私が何を言っても、シンスはやる気がないとか務まるはずがないとかケチばかりつけて!本人に聞いてみればいいのよ。あなたが今さらライザーに剣を習うわけじゃないわ。」
 
 グレイはむっとした顔になり、
 
「そんなに言うなら連れてこい。ここで本人に聞いてみようじゃないか。」
 
半ば怒鳴るように言うと、フンと鼻を鳴らした。アメリアはそんなグレイに冷たい一瞥をくれると、無言で部屋を出て行った。
 
「そんなに頭ごなしに言っちゃだめよ。アメリアだってシンスのことでは悩んでいるんだから。」
 
 妻があきれたようにグレイをたしなめる。
 
「俺達がいくら悩んでもどうしようもないじゃないか・・・。仕事を見つけなくちゃならないのも、将来のことをちゃんと考えなくちゃならないのも、シンス本人なんだ。親が大騒ぎしたって本人が何も考えていなくちゃどうしようもないよ。」
 
 グレイがため息をついた時、廊下をばたばたと足音がして、アメリアがシンスを連れて部屋に入ってきた。怒ったような顔の母親と、ため息をついて頭を抱える父親、それに私達までいるのを見て、シンスはかなり戸惑っているようだ。
 
「あ、あの・・・クロービス先生、ウィローおばさん・・・・こんにちは。」
 
「こんにちは。まずはみんな座ったほうがいいよ。お茶を飲んで落ち着いて、それから・・・」
 
 ムスッとしたグレイ、怒った顔のアメリア、困った顔のシンス・・・。昨日の朝も似たような状況だったような気がする。
 
「シンス、君に少し話を聞きたいね。」
 
 今日は話す順番を考える必要はない。
 
「シンスの分のカップを持ってくるわ。アメリア、さっきの戸棚、少しだけ開けさせてね。」
 
「ごめんなさい、ウィロー、お願いするわ。どこでも自由に開けていいのよ。」
 
 妻が部屋を出て行き、部屋の中は異様なまでに静かになった。シンスはどうしてここに自分がいなければならないのか、今ひとつ状況が把握できていないらしい。
 
「あの・・・僕に何か・・・。」
 
 私の顔をのぞき込み、おどおどと話し出す。
 
「用事というわけではないんだけどね、君が将来についてどう考えているのか知りたくて、ここに来てもらったんだよ。他人が口を出して悪いけど、君の父さんと母さんに頼まれたんだ。」
 
 本当は頼まれた訳ではないのだが、このちょっとした脚色にグレイもアメリアも何も言わなかった。
 
「将来・・・?」
 
 シンスは困ったような顔をした。
 
「君はまだ17歳だ。そんなに深く考える必要はない。ただ、将来どんなことをしたいとか、こんな仕事が出来たらいいなとか、たとえ漠然とした夢でもいいから何か考えていることがあるなら、聞かせてほしいんだよ。どんな夢だって、叶うかどうかは本人の努力次第だよ。」
 
「や・・・やりたいこと・・・ですか・・・。」
 
 シンスは赤くなって口ごもり、もじもじしている。先ほどのグレイの話だと、何になりたいのか聞いてもとぼけたような返事しかしないということだったのに、どうも様子が違うようだ。
 
「何かあるの!?」
 
「何かあるのか!?あるなら言って・・・」
 
 ガチャン!と音がしてグレイの声がとぎれた。妻が持ってきたシンスのカップを思い切りテーブルの上に置いたのだ。
 
「二人ともそんな大きな声を出したら、言いたいことも言えなくなっちゃうわよ。せっかくシンスが話そうとしてるんだから、少し黙って聞いてあげればいいじゃないの。」
 
 妻に一喝され、二人ともばつが悪そうに黙り込んだ。
 
「さぁシンス、あなたの父さんと母さんは、黙ってあなたの話を聞くそうよ。お茶でも飲んで、少し喉を潤してから話せばいいんじゃない?」
 
 妻はカップにお茶を注ぎながらシンスににっこりと笑いかけ、私の隣に腰を下ろした。シンスは自分の前に置かれたカップを手に取り、一口飲んでほっとしたように顔をほころばせた。少しは緊張がほぐれたらしい。
 
「シンス、今、君の心の中にあることでいいんだよ。それをそのまま聞かせてくれないか。」
 
「あ・・・あるのはあるけど・・・なれるかどうかなんて・・・。」
 
「なれるかどうかなんて・・・?」
 
「わ、わからないから・・・その・・・言いにくくて・・・。」
 
「シンス、どんな仕事だって本当になれるかどうかはわからないよ。でもまずは努力してみるべきじゃないか。そりゃ努力が必ずしも実を結ぶとは限らない。そうしたらそこであきらめて別の道を探せばいいさ。君はまだ若いんだ。今ここで歩く道を一本に絞ることはないと思うよ。」
 
「でも先生・・・カインはもう王国剣士になったんだよね・・・。」
 
「カインは君よりも年は上だよ。それにあいつはもうずっと昔から王国剣士になるんだって大騒ぎしてたからね。それ以外の道は考えていなかったみたいだ。私としては、医者になるという選択肢も残しておいてほしかった気もするけど、カインが自分でそう決めたんだから、応援するつもりだよ。」
 
「王国剣士は立派な仕事だよ・・・。それにライラはもうずっと前に島を出て、今はもう自分の夢を実現させようとしてる・・・。みんな、立派な仕事してるのに・・・僕は・・・。」
 
「シンス、君はまだ、スタートラインに立ったばかりだよ。その仕事が立派だと言われるかどうかなんて事は考えなくていいんだ。」
 
 シンスの目から涙がこぼれ落ちた。
 
「だって・・・父さんと母さんはここ何日かずっと・・・カインやライラのことをほめてばっかりで・・・そして僕を見て悲しそうな顔をするんだ。僕のいないところで『うちのシンスもあのくらいになってくれたら』ってため息つきながらしゃべってるの知ってるよ!マリアとクリスには『期待されて大変ね』なんてからかわれるし・・・。ライラやカインの仕事より立派な仕事なんてそう簡単に見つかるもんか!僕にやりたいことなんていくらあったって、父さん達はどうせ賛成なんてしてくれないよ!」
 
「だから言ってみればいいじゃないか!」
 
 グレイが顔を真っ赤にして立ち上がった。
 
「グレイ、ちょっと黙って!」
 
「だがな、こいつ何がやりたいのか言いもしないで・・・。」
 
「そんな勢いで怒鳴られたら言いたいことも言えなくなっちゃうよ。まったくもう・・・昨日のラスティといい、こういう時の反応がそっくりだ。さすがに兄弟だなあ。」
 
 グレイの隣でアメリアが吹き出した。
 
「クロービス、もっと言ってやってよ。この人ってばシンスにはいつもこの調子なんだから。」
 
「人のこと言えないと思うけど・・・。」
 
 妻がボソリと言った。アメリアがあわてて口を押さえる。
 
「二人ともシンスに期待をかけすぎよ。大体うちのカインだって・・・王国剣士は確かに人の役に立てる仕事だけど、カイン自体はまだまだ半人前なの。役に立つより、まずは人の足を引っ張らないようにすることを考えなきゃならないくらいよ。」
 
「ライラだってそうだよ。確かに人の役に立つ立派な仕事をしているけど、それはまわりのいろんな人達に助けられているからで、ライラ一人が偉いわけじゃない。このあいだライザーさんの家に行った時、二人とも口をそろえてそう言ってたよ。それにとても危険な仕事なんだ。ライラが島を出て何をしたいのか両親に話した時、二人とも何とか思いとどまってもらおうと必死で説得したって聞いたよ。」
 
「ライラのガンコさはライザー譲りだからな。」
 
「そんなのんきに言ってるけど、グレイ、アメリア、もしもシンスが王国剣士になりたいとか、ハース鉱山に行ってライラの手伝いをしたいなんて言い出したらどうするつもり?」
 
「王国剣士ならいいじゃないか。俺は応援するよ。」
 
「本当に?」
 
「本当だよ。いいじゃないか。人様の役に立てる立派な仕事だ。」
 
「確かに一人前になりさえすれば人の役に立てるけどね。ねぇグレイ、王国剣士はね、二次試験に合格すれば正式採用になるんだけど、そのときに『王国剣士の証』っていうのをもらえるんだ。長い鎖がついてる金属製のプレートで、名前と生年月日、それに性別と出身地が入っているんだ。仕事に出かけるときはね、それを首にかけるんだよ。ポケットに入れたり荷物の中じゃだめなんだ。それにこれは私も入団してだいぶ過ぎてから聞いた話なんだけど、この『王国剣士の証』というのは、その時代の一番ありふれた金属で作ることと、光らないことが絶対条件なんだそうだよ。何でだと思う?」
 
「・・・なんだよその『ありふれた金属』とか『光らない』とか。」
 
 グレイは怪訝そうに尋ね返した。
 
「『王国剣士の証』はね、認識票の役割を果たすんだ。出かけた先で生き残れるとは限らない。死んでから見つけてもらえるまで死体が原形をとどめていると言う保証もない。まあ見つけてもらえればまだいいほうなんだけどね。だから首にかけておくんだ。身元不明の死体にならないようにね。」
 
「・・・そ・・・それは・・・」
 
「そしてありふれた金属で作るのは、盗賊に持ち去られないようにという配慮さ。希少価値のある材質では、死体からはぎ取られて売り飛ばされるのが落ちだからね。光らないのはモンスター対策だよ。モンスター達は光るものに寄ってくる習性があるんだ。だからモンスターを追い払ったあと、よくゴールドが落ちていたりするんだけどね。光らなければモンスターは興味を示さないから、ちゃんと死体のそばに認識票が残るという仕組みになってるんだよ。」
 
「だ・・・だけどそんなのは、昔の話じゃないか・・・。お前が向こうにいた頃は確かに物騒な世の中だったけど今は・・・。」
 
「いまはそんなに凶暴なモンスターはいないらしいよ。でも盗賊はいるんだよ。そしてそういう連中は、人を殺すことなんてなんとも思っちゃいない。」
 
「・・・・・・・。」
 
 グレイもアメリアも顔をこわばらせて黙り込んでしまった。
 
「ライラの仕事の危険性については、君は充分に知っていると思うからわざわざ言わないけどね。」
 
「で・・・でもウィロー、そんな危険な仕事だってわかってて・・・カインを行かせたの?たった一人の息子じゃないの。もしも何かあったら・・・。」
 
 アメリアが青い顔で妻に尋ねた。妻は寂しそうにふふっと笑ってお茶を口に運んだ。
 
「そうねぇ・・・。私は結婚する前からクロービスとずっと一緒に旅していたから、王国剣士の仕事の危険性については、多分他の人よりよく知ってると思うわ。でもカインが決めたことだから、反対なんて出来なかったわよ。カインが試験を受けに家を出て行ってからは、合格してほしい気持ちが半分と、落ちて戻ってきてほしい気持ちが半分・・・。落ちても恥に思うことはないと思ったわ。がんばった結果なんだし、それに、ここに戻ってきたなら診療所を継ぐという仕事もあるしね。でもカインは合格して、先輩剣士や同期の剣士達に助けられながら何とかやってるみたいだし、多分もうここには戻ってこないでしょうけど、私としては応援したいわ。」
 
「そう・・・。でも寂しいわね・・・。」
 
「そうね。でも寂しがって老け込んだ頃に『孫の面倒を見てくれ』なんて言われたら困るから、ちゃんと体を鍛えておこうって、さっき二人で話してたのよ。」
 
「孫かぁ・・・。そうよねえ。子供が大きくなればそっちの楽しみも出来るのよねぇ。」
 
「ウィロー・・・話がそれてるよ。孫の話よりまずはシンスの話だよ。」
 
「あ、あらやだ。そうだわ。シンス、ごめんなさいね、話をそらしちゃって。」
 
 妻が慌てて口を押さえながらシンスに微笑んだ。
 
「別にいいよ・・・。」
 
 シンスは素っ気なく答える。
 
「確かに・・・どんな仕事にも危険はつきものだよ。俺の認識が甘かったと思う・・・。シンス、悪かったな。知らないうちにお前に重荷を負わせていたんだな・・・。カインやライラの話を聞いて、父さん達ちょっと舞い上がっていたかも知れない。だからあらためて聞くよ。お前のやりたいことってのは何なんだ?」
 
「こ・・・ここで言うの・・・?」
 
「私達に聞かれたくないなら席を外そうか?君のご両親もだいぶ落ち着いたようだし、これなら他人の出る幕はないと思うけど。」
 
「いやでもせっかく来てもらったんだし。」
 
「あ、あの、先生。」
 
 シンスが突然顔を上げて私に話しかけた。
 
「ん?」
 
「先生もおばさんもここにいてよ。聞いてほしいんだ。」
 
 シンスは決意のこもった目で私達を見ている。妻と私は浮かしかけた腰をもう一度ソファに下ろした。
 
「そうか。それじゃここにいるよ。」
 
「あ、あとね、父さん、母さん、僕の話を聞いて絶対に怒ったり笑ったりしないでくれる?」
 
「怒ったり・・・?」
 
「笑ったり・・・?」
 
 グレイとアメリアはさっぱりわからないというように首をかしげている。
 
「君の父さんはもう怒らないと思うよ。それに子供の夢を笑ったりする親はいないよ。シンス、話してごらん。」
 
「あ、あのね、ぼ・・・僕はその・・・」
 
 シンスはもじもじして、なかなか続きを言おうとしない。でも今度はグレイもアメリアもちゃんと黙って聞いている。もっとも今にも何か言いたそうだけれど・・・。
 
「せ・・・先生になりたいんだ・・・。」
 
「・・・先生って・・・学校の・・・?」
 
「うん・・・。その先生だよ。・・・やっぱりみんなびっくりするよね・・・。僕なんかが先生になりたいなんて・・・。」
 
「そんなことはないよ。ただ、先生はね、君がどちらかと言うと椅子に座っているより体を動かしているほうが好きなんじゃないかと思っていたんだ。だからびっくりしたんだよ。」
 
「お・・・おいシンス、お前が・・・先生だと!?アメリア、お前知っていたのか!?」
 
「私だっていま初めて聞いたわよ。シンス、本気なの?本気で学校の先生になりたいなんて・・・。」
 
「僕だって将来のことを何も考えていなかったわけじゃないよ。でも・・・カインみたいに『何が何でもこの仕事』って言うほどなりたい仕事があったわけじゃないから、なんとなく言いにくかったんだよ。」
 
 普通はそうなんじゃないかと思う。私だって17歳の頃は将来のことなんて何も考えていなかった。ただ漠然と、自分はいずれ父の跡を継いでこの島で医者になるんだろうなと思っていただけだ。具体的にその仕事につくための勉強をしていたわけでもない。そして父は自分から医者の仕事について私に教えようとはしなかった。
 
「だけどお前は・・・あんまり勉強が好きじゃなかったし・・・・。」
 
 グレイとアメリアは、息子が何かしらの夢を持っていたことへの喜びよりも、驚きと戸惑いのほうが大きいらしい。
 
「学校に行っていたときは・・・別に目的があって勉強しているわけじゃなかったし・・・でもね、クロービス先生がたまに来て話をしてくれるときは楽しかったんだよ。」
 
 この島で昔勉強を教えていたのは、当時の長老だった。自分の家に子供達を集めて、読み書き計算や、島の歴史などを教えてくれた。そのほかある程度の年齢になると、島の大人達が入れ替わり立ち代わりやってきて、生活していくために必要なことなどを一通り教えてもらった。その中にはもちろん性教育も含まれていたのだが、それはサンドラさんの担当だった。でもサンドラさんの講義があった日は、決まって帰り道でダンさんとドリスさんが待ち伏せしていた。
 
『サンドラの話なんぞ真面目に聞いていたら、男は女とつきあう時にいちいち土下座でもしなきゃならなくなるぞ』
 
とか、
 
『あいつは変なところでくそ真面目だからな。俺達がうまく女を口説ける方法を教えてやる』
 
などと言っては私やラスティを自分の家に連れて行っていろいろと話してくれた。でもたいてい最後には自分の自慢話になってしまうのだが、どこまで本当なのかはわからない。そしてダンさん達の家を出ると、そこにはサンドラさんが仁王立ちで待ちかまえていて、ダンさん達を怒鳴りつけるのだ。いつもこの繰り返しだった。あれから時が過ぎ、いま、この島には立派な学校がある。先生もちゃんといる。でも今になっても、ダンさんとドリスさんは学校からの帰り道にいて、性教育を受けるような年頃の男の子達を家に招いて話を聞かせているらしい。それもまた彼らの楽しみなのだろう。
 
 学校が出来たのは20年前、この島への定期便就航と同じ頃だった。学校の建設費用や先生の採用などは、すべて王宮が手配してくれた。貧富の差に関係なく、誰でも一通りの教育を受けられるようにという政策の一環だったらしい。学校の校舎建設はダンさんが指揮を執った。
 
『こんな大事なことを王国の連中に任せておけん』
 
と言うのがその理由だったのだが、なぜか王宮ではそのダンさんの言い分を聞き入れて、校舎建設に関する一切の権限を快くダンさんに委任してくれた。ダンさんの製材技術が王国で認められているのは知っていたが、ダンさんはどうやら建築技術においてもかなりの腕前らしい。そして校舎が完成したあと、王国から何人かの先生が派遣されてきた。最初はみんな寒さがつらくて大変だったらしいが、いまではすっかり島になじんでいる。みんな熱意のあるいい先生達だ。その先生達は、昔、島の大人達がそれぞれの得意分野について子供達に話をして聞かせたことを知ると、ぜひそれを継続していこうと言い出した。子供達に、自分が住んでいる場所について学ばせることはとても大事だと言うことだった。そこで私やダンさん、そしてサンドラさんなど、島で仕事をしている人達が時々臨時講師として学校に講義をしに行っているのだ。私はと言えば、今の医療について説明したり、健康に留意すべき点などを話したりしていただけだ。さて何か面白いことを言ったりしたことがあったかどうか・・・記憶にはない。大体人にものを教えるなんてこと自体が、苦手だ。
 
「面白かったとか、そういうことじゃないんだ。人の体の仕組みとかさ、授業とはまた違う見方で話してくれたのが楽しかったと思うんだよ。あのときまでは、先生の仕事は病気や怪我を直すことだけだと思ってたからよけいに新鮮な感じがしたのかもね。」
 
「そんなものなのかな・・・。」
 
「でもお前は医者になりたいわけじゃなくて、先生になりたいんだろ?」
 
 グレイが不思議そうに尋ねる。
 
「そうだよ。僕がお医者さんなんて無理じゃないか。」
 
「おい待てよ。それじゃお前はどう思ってるんだ?無理とか無理じゃないとか、そう言う考えを取っ払って答えてくれよ。お前は学校の先生になりたいのか、医者になりたいのか。」
 
「う〜〜〜ん・・・。」
 
 シンスは考え込んでしまった。
 
「いま、この国で医者になりたければ、自分で勉強して、王立医師会に試験を受けに行くだけだよ。当然すごく難しい試験だけどね。それに合格すればフロリア様の署名入りの医師免許がもらえる。それでもう立派な医者だよ。」
 
 医師の資格取得に関して、昔は明確な決まりがなかった。だからみんな独学で薬草学や治療術などを学び、医師の看板を出していた。父がこの島に来てすぐに医者として開業できたのも、免許などいらなかったからだ。だが免許がいらないということは、極端な話、自分が医者だと宣言すれば素人でも開業出来るということになる。昔は金儲け目的のとんでもない怪しげな医者もいたらしい。そこで王宮では、王立医師会を基準として医師免許の国家試験制度をつくり、そこでみんな必ず試験を受けるようにと国中に布令を出した。今この国で開業している医師達の中で、その試験を受けていないのはもしかしたら私とブロムおじさんだけではないかと思う。
 
 私が父の研究を受け継ぐとき、誰か師事できる医師や医学者はいるのかと聞かれたが、その時はまさかおじさんが島にもどっているとは思わなかったので、父の遺した書物で勉強してみるとだけ答えておいた。だがその後おじさんに再会して、私はすぐに弟子入りさせてもらえるように頼み込んだ。どうしても父の研究を受け継ぎ、この薬を世に出したいと必死だった。その後国家試験制度の連絡が島にも届いたが、私が師事している医師の名前を王立医師会に連絡したところ、『受験の必要はないので師の指示に従って精進してください』と言う内容の手紙と、二人分の医師免許までが届いてしまった。当時私はまだ見習いでしかなかったというのに。
 
 医師会に自分の名前を出すことを、おじさんは例によってとても嫌がったが、自分のことでなく私の医師としての将来にかかわることである以上仕方ないと、渋々承諾してくれた。それにしてもおじさんの名前が医師会でそれほど重みを持つものだとは思わなかった。おじさんは未だに過去を語ろうとはしない。なぜ父と知り合ったのか、なぜ幼い私が『家来』だなどと言いたくなるほど、父に従順だったのか・・・。不思議に思うけれど私から聞くことは出来ない。別に知らなくても何の問題もないのに、知りたいと思うだけのことだ。自分の好奇心を満足させるためだけに、人の心に土足で踏み込むようなことはしたくない。
 
「・・・じゃないのか・・・・?」
 
 突然グレイの声が耳に入ってきて私は我に返った。
 
「あ、ごめん・・・。なに?」
 
「学校のことさ。」
 
「えーと・・・・先生の学校だっけ・・・?」
 
「そうだよ。もしも医者になるなら、たとえばお前に弟子入りさせてもらって見込みがあるかどうかを見極めることから始めなくちゃならないよな。見込みのないやつが医者になって人の命を預かるなんて考えたくもない。だが学校の先生となるとそうはいかないじゃないか。何か決まりがあるんじゃないのか?」
 
「うん。確か先生の養成学校みたいなところがあるはずだよ。そこで5年くらい勉強して、最後に試験を受けて合格すれば先生になれると思う。そのあたりは実際に学校の先生をしている人達に聞いたほうが確実だよ。」
 
「それもそうだな・・・。」
 
「でもシンスは?君はどう思ってる?別に医者や学校の先生だけが君の選択肢じゃないんだからね。」
 
「僕としては学校の先生を目指したいな。」
 
「それなら王国に出て行かなきゃならないよ。この島には教員の養成学校はないからね。」
 
「そうだね・・・。ねぇ父さん、うちってお金はあるの?学校に行くのだってお金がかかるじゃないか。」
 
「・・・痛いところをついてくるな・・・。とにかく先生に会って聞いてみよう。どのくらいかかるのかもな。」
 
「確か卒業した学校の先生から推薦してもらえれば、奨学金も受けられるはずだよ。もっともそれなりの成績じゃないとだめだけどね。」
 
「う〜ん・・・。」
 
 今度はシンスが考え込んでしまった。
 
「成績かぁ・・・。」
 
 グレイまでが頭を抱え込んでいる。
 
「ふたりとも今からそんなに悩まないでよ。そうだなぁ・・・・クレイドル先生に相談してみたら?シンスは確かクレイドル先生によくなついていたんじゃないか?」
 
 クレイドル先生というのは、昔この島に学校が出来た当時一番最初にやってきた先生だ。歳は私より3歳ほど上で、見た目はどちらかというとひ弱そうな青年という印象をうけたので、寒いから帰るなどと言い出さないかと島の人達は心配した。ここの寒さはエルバール王国の極北の地よりも遙かに厳しい。だが、実は北方の離島の生まれで寒さには強いそうで、島の生活にもあっという間にとけ込んでしまった。そしてどんなに大雪が降った日でも、朝からブリザードが吹き荒れていても、学校のある日は絶対に休んだことがない。彼のおかげで、あとからやってきた先生達がかなり島になじみやすくなったのではないかと思う。この島が『世捨て人の島』と呼ばれて犯罪者や人生に失敗した人達ばかり住んでいるという話を知っていて、赴任当初は及び腰だった他の先生方も、クレイドル先生が積極的に島の人達と先生方との交流の機会を作ってくれたおかげで、今ではどの先生方も島になじみ、中には島で結婚してここに腰を落ち着ける決意をした先生もいる。
 
「そうか・・・。明日にでも相談に行ってみるか・・・・。おいシンス、お前は本当にそれでいいのか?」
 
「今はいいと思う。」
 
「・・・その『今は』って言うのがどうにも引っかかるんだがな・・・。」
 
「だっていまいきなりここに連れてこられて、将来の仕事を決めろって言われたって無理があるじゃないか。先生になりたいなとは思っているけど、勉強してみて他に興味のある分野に出会うことだってあるよ。どうしていま決めなくちゃならないの?カインやライラと僕は違うよ!」
 
 シンスは怒った顔でそっぽを向いた。
 
「グレイ、まずは話を聞いてみなくちゃ。君の今の言い方では、すぐにでも先生に推薦を頼みに行きそうな感じだったよ。」
 
「だって学校に行くなら早いほうがいいじゃないか。」
 
「本当に行きたいと思ってるならね。でも今すぐに決めなくてもいいって気がするな。大体君も私も、17歳の頃なんて何も考えていなかったじゃないか。」
 
「俺はともかくお前はおやじさんの跡を継ぐつもりだったんじゃないか。」
 
「漠然とそう思ってただけだよ。父さんのほうはその気がなかったみたいだし。だから私が聞けば何でも教えてくれたけど、自分から医者の仕事について何か教えてくれることはなかったんだよ。父さんが私に熱心に教えてくれたのは呪文や剣のほうばかりだったからね。でもそれは、私が将来生きて行くうえで困らないようにって言う理由からだったと思う。昔はモンスターもたくさんいたからね。」
 
 そのときシンスが小さな声でつぶやいた。
 
「何だよ・・・父さんだって僕の歳にはぶらぶらしていたんじゃないか・・・。」
 
「なんだと!?」
 
「グレイ!落ち着いてってば。シンス、君もそう言う言い方をしちゃいけないよ。君の父さんはあの頃この島の長老と一緒に住んでいたから、自分の仕事と言うより、長老の仕事を手伝ったりすることのほうが多かったんだ。それに、昔は今と違って、この島の人達には生活力のある人が少なかった。だからダンさんが先頭に立って島の森林資源を活用することで、島全体としての収入を得て生活していたんだ。この島では男はみんなその仕事を手伝っていたんだよ。私の父みたいに自分の仕事を持っている人は別だったけどね。」
 
「今の若いやつは恵まれてるよ。シンス、父さんは確かにお前と同じ歳の頃何も考えていなかったと思う。でもそれは別に遊んでいたからじゃないぞ。考える暇なんてなかったからだ。長老の代わりに東や川向こうの集落に届け物をしたり、商人船が来た時に荷物を運んだり、材木商と値段の交渉をしたこともある。もちろんダンさんの仕事を手伝ってもいたよ。それにな、これでも父さんは、クロービスの用心棒として薬草摘みに同行したこともあるんだぞ。」
 
 グレイがちょっとだけ胸を反らしてみせた。
 
「父さんが用心棒!?クロービス先生のほうがよっぽど強いじゃないか。先生は元王国剣士だよ!?」
 
「シンス、それは先生が王国に出て行く前の話だよ。君の父さんが同行してくれたおかげで、先生は安心して薬草摘みが出来たんだ。あの頃はいまほど薬品が普及していなかったから、病気を直すのでも何でも、基本の薬はみんな煎じ薬だったからね。とても助かったよ。」
 
「へぇ・・・。」
 
 この国の子供達は、小さな頃一度は王国剣士にあこがれる。男の子ばかりじゃなく、女の子の中にも『夢は王国剣士』と言う子供がいるらしい。それはこの島の子供達についても同じだ。カインのようにそれを夢として持ち続けて実現させる子供もいれば、夢は夢として、成長するにつれて『なりたい職業』ではなく『なれる職業』に目標を変更する場合もある。でも変わらないのは、子供達にとって王国剣士は『正義の味方』だということだ。だから島の子供達はライザーさんや私を憧れの目で見る。見られるほうにとってはこれほど居心地の悪い話はないのだが、子供達の夢を壊す気にはなれないので我慢するしかないんだろうなと思う。シンスも小さい頃は、カインと一緒になって王国剣士になるんだと大騒ぎしていた。頼まれてちょっとだけ剣を教えたこともある。そのシンスにとっては、自分の父親が、王国剣士であった私の『用心棒』になったことがあると言う話はかなりの驚きだったらしい。
 
「父さんて・・・強いんだね。」
 
 シンスの父親を見る目の輝きが、少しだけ増したような気がした。
 
「ふん・・・・。今頃気がついたか。」
 
「何いばってるのよ。シンス、午後からでもクレイドル先生のところに行ってみましょう。詳しい話を聞いて、それから決めればいいわ。」
 
「おいアメリア、俺だって行くぞ。」
 
「あなたはクロービス達の話を聞いてあげたら?出かける時のことを頼みたいって言って来てるのに、あなたってば自分の頼み事ばっかりじゃないの。」
 
「あ、そうか・・・。クロービス、ごめんな。その話をちゃんとするわけだったのに、いつの間にかまたシンスのことで助けてもらっちまったな・・・。」
 
「グレイ、私達のことなら気にしないで。話は明日でもいいよ。」
 
「いいえ。だめよクロービス。明日に延ばせばそれだけ出かけるのが遅れてしまうわよ。お祭りはね、始まった時が一番おもしろいのよ。ふふっ・・・私も行きたいけど、今年はもう無理ね。来年でも連れて行ってたもらおうかしら。」
 
「ちぇっ・・・。勝手なことばかり言いやがって・・・。クロービス、もう昼だからお前の話は午後から聞くよ。ずっと先延ばしにしてて悪かったよ。メシのあともう一度来てくれないか。」
 
「あら!?もうお昼になるの!?」
 
 妻が驚いて声をあげた時、昼の鐘が鳴り響いた。
 
「大変!早く帰らないとブロムさんがお腹をすかせているわよ!」
 
「それじゃ午後からまた来るよ。」
 
「ああ、今度こそちゃんと話をしようぜ。」
 
 
 早く家に戻りたいのは私のほうのはずだったのに、帰り道は妻が焦って先を急いでいる。とりあえず診療室に顔を出したがおじさんがいない。
 
「どこに行ったのかな・・・。」
 
「食べるものがないから自分の家に戻ったのかしら。」
 
 とりあえず家に戻って食事を作るという妻と一緒に自宅への扉を開けた。
 
「・・・・・・・。」
 
 何か聞こえる。しかも台所のほうから。ジャーッと言う音。これは炒め物をする時の音だ。
 
(・・・泥棒・・・?)
 
 妻が声を潜めてささやく。
 
(この島に泥棒なんていたっけ・・・?)
 
 この島には、昔泥棒だったなんて人もいるにはいる。でもここで『仕事』をしたなんて話は聞いたことがない。逆に言えば、プロの泥棒が住んでいる場所で素人が盗みをはたらくなんてことは出来っこないのだ。あっという間に捕まってこってりと絞り上げられる。
 
(で、でも・・・誰かが台所にいるわよ・・・。)
 
(料理をする泥棒なんて聞いたことがないよ・・・。私が先に立って行ってみるから・・・。)
 
(・・・気をつけてね・・・。)
 
(大丈夫だよ・・・。もしも泥棒だったら、『炎樹』でお尻に火をつけてやるさ・・・。)
 
 抜き足差し足で、二人で台所へと向かった。そっと扉の取っ手に手をかけてさっと開いた私達が見たものは・・・・。
 
「おお、お帰り。もうすぐ食事が出来るぞ。」
 
 なんとエプロンをつけて食事の支度をしているブロムおじさんだった。
 
「お・・・おじさん・・・なんでまた・・・。」
 
「ん?お前達が遅いようだから、腹を減らして帰ってくるかと思ってな。作りながら待ってたのさ。」
 
 テーブルの上には、すでに出来上がった料理がいくつか並べられている。それを見ているうちに、ぼんやりと小さい頃の記憶がよみがえってきた。
 
 父が王国に出かける時、私の面倒を見ていてくれたのはいつもイノージェンの母さんだった。でもいつだっただろう・・・父が出かけたあとイノージェンの母さんが風邪をひいて寝込んでしまった時があった。看病はサンドラさんが引き受けてくれたのだが、イノージェンと私は風邪がうつらないようにと、私の家でブロムおじさんが面倒を見てくれることになったのだ。その時作ってくれた食事がこんな感じの料理だったと思う。何日かいたのでその間全部同じものだったわけではないが、今テーブルの上にのっている料理を、私はどれも一度は食べたことがある。
 
「す、すみません。あとは私がやりますから。」
 
 慌てて手を出そうとした妻を、私は手で制した。
 
「せっかくおじさんが作ってくれるんだから、ごちそうになろうよ。おじさんの手料理なんて何十年ぶりかな。」
 
「そうだなぁ・・・。多分エレシアが風邪をひいて寝込んだ時くらいだろうから、もう30年以上は前かもしれんなぁ・・・。」
 
 出来上がった食事を食べながら、昔話に花が咲いた。私の小さな頃の話が始まると、妻が興味を示しておじさんにいろいろと聞いていた。カインが帰ってしまってからずっと元気がなかったおじさんだが、今日はいつもより明るい。私も何となくうれしかった。
 
 
 食事が終わって、妻がどうしても後かたづけはさせてくれと頼み込んだので、おじさんは一足先に診療室に戻っていった。妻を手伝いながら、あの時もやっぱり後かたづけはイノージェンと私がやったんだっけ、などと思いだしていた。イノージェンが姉さんぶって私にいろいろと指図していたが、まだ二人とも小さな頃のことだったので、水で服をびしょびしょにしたり、皿を割ってしまったりと失敗ばかりしていた。でもおじさんは黙って見てくれていた。私達がいくら子供とはいえ、やると言い切った以上途中で手を出すべきではないと考えていたのだと思う。最後にはぬれねずみになってやっとの事で後かたづけを終えた私達の前に、おじさんは乾いた着替えとふかふかのタオルを差し出した。
 
『ほら、早く拭いて着替えなさい。風邪がうつらないように預かったのに、ここで風邪をひかせるわけにはいかんからな。』
 
 あのむすっとした顔でそう言って、自分はテーブルに座って本を読み始めた。
 
(ブロムさん怒っちゃったね・・・。)
 
 泣きそうなイノージェンの耳打ちに
 
(大丈夫だよ。全然怒ってないよ。)
 
 そう言って励ましていたことを覚えている。
 
「ブロムさんがこんなに料理が上手だなんて知らなかったわ・・・。いつも私の料理を文句一つ言わずに食べてくれていたけど・・・。なんだか恥ずかしいわ。」
 
「おじさんは出された食事に文句をつけるような人じゃないよ。」
 
 成長してからは私がおじさんに食事を作ってあげるようになったが、最初は失敗の連続だったし、とりあえず食べられる程度のものが作れるようになっても、自分が食べて『おいしい』と思えるような味つけはなかなか出来なかった。それでもおじさんは何も言わずに食べてくれて、感想を聞けばいつも『以前よりうまくなっているよ』と答えてくれた。でもにこりともせずにそう言うので、イノージェンはそんなおじさんを見て
 
『ブロムさんておいしいものを食べてうれしいって感じることがないのかしら。』
 
などと言っていたが、私にはわかった。それがおじさんなりの心遣いであり、精一杯のほめ言葉だと言うことを。
 
 
「あれからもう30年も過ぎるのかぁ・・・・。あのころ子供だった私がいつの間にかいい年になって、自分の子供達の将来の心配しているなんてなんだかおかしな話だな・・・。」
 
「そうねえ・・・。私・・・30年前なんて何してたかしら・・・。きっと遊んでばかりいたわよ。」
 
「子供の時なんてみんなそうじゃないか。遊びが仕事なんだよ。そして成長するに連れていろいろと将来のことを考えていくようになるんだよ。」
 
「そうよねぇ・・・。この島で育った子供達は、どんな未来を歩んでいくことになるのかしらね・・・。」
 
「どんな未来でも、せめて後悔しない人生を歩んでいってほしいな・・・。」
 
「それが一番よね。」
 
 すでに一生の仕事に巡り会えたらしいライラ、カイン、イルサ・・・。ラヴィもそうだ。きっとダンさんの跡を継いで立派な木こりになるだろう。そしてアローラもティートとの結婚話を機に、助産婦としての勉強を本格的に始めたようだ。シンスもとりあえずではあるが、教師という目標を持って動き出そうとしている。過去を忘れてはいけない。でも私達は今と未来に生きている。子供達が押し開こうとしている未来への扉の向こうに、輝かしい日々があることを祈りたい。
 
 
 
 カイン・・・。君は今、遠い空の上にいるんだろうか・・・。君の目には、今の時代はどう見える・・・?そして、過去に決着をつけて未来へと歩き出そうとしている私を・・・君はどんなふうに見てるんだろう・・・・。
 

第44章へ続く

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