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43章 未来への扉

 翌日は、朝早くからグレイの家に行くための準備を始めた。いくら患者が来ないといっても、診療所を留守にするにはそれなりの準備がいる。どうも最近はまともに仕事をしていない。麻酔薬の改良も進めなければならないのにそちらも止まったままだ。
 
「仕方ないさ。こんなに立て続けにいろいろと起きるなんて予想のしようがないんだからな。」
 
 ブロムおじさんが笑う。
 
「それはそうなんだけど・・・でも仕事を放棄しているみたいで気になるよ。」
 
「今からそんなことで、王国に行ったらどうするんだ?祭りだって日帰りと言うわけにはいかないし、あちこち回ってくれば結構時間はかかるものだぞ?それに、カナに行けば一ヶ月くらいはいてこなくちゃならんだろう。今まで20年以上も不義理していたんだから、ウィローにゆっくり母さんと話す時間を作ってやるべきなんじゃないのか?」
 
「・・・うん・・・それはそうなんだけど・・・。と言うことは、下手すれば丸2ヶ月くらいここを留守にすることになるのか・・・。」
 
「なぁに、何とかなるものさ。グレイに頼んで島のみんなに、お前が留守の間は病気も怪我もせんようにとでも言っておけ。」
 
「怪我はともかく病気はどうしようもないじゃないか。」
 
 いささか不安になって来た。大体急病人などと言うものは、一番出てほしくない時に出るものだ。私は大急ぎで頭の中の患者の情報を整理してみた。とりあえず危ない病気になりそうな患者はいない。怪我ならおじさん一人でも何とかなる。あくまでも『今のところは』だが・・・。
 
「あとでカルテの整理をしておくよ。悪くなりそうな可能性がある人は気にかけておかないとね。」
 
「そうだな。私も思い出したら書きとめておこう。」
 
「・・・いつも頼るばっかりで、私はおじさんにとっては不肖の弟子だね。」
 
「ばかを言うな。今のお前は立派な医者だ。誰にも恥じることはないぞ。」
 
 確かに医者としての仕事はそれなりにこなしているつもりだが、私は心のどこかでいつもおじさんをあてにしている。特別アドバイスを必要としないような症例でも、隣におじさんがいてくれると思うだけで自信をもって判断できる。未だにこんな調子では、おじさんが動けなくなってしまったり、万一・・・亡くなったりした時、私はどうするんだろう。考えたくなくてもいずれその時は来るのだ。そうなった時、この島の人達が信頼していたはずの医者が、実は一人で病気の判断も下せない、頼りない医者だったなんて知ったら・・・。
 
「どうした、ため息なんてついて。」
 
「え?あ、ああ・・・ごめん・・・。」
 
 おじさんは私を見てくすりと笑った。
 
「私がここにいるから、おまえは私をあてにしているような気がするのかもしれんな・・・。」
 
「いなくなったら困るよ。絶対に困る。まだまだ教わりたいことはたくさんあるんだからね。」
 
 急に不安になって、思わず強い口調になっていた。あまりにも私が頼りすぎるから、おじさんはそのことに負担を感じているのだろうか・・・。
 
「どこにも行かんよ。大体どこにも行くところなんてないぞ。お前がここに戻ってきたとき、サミルさんの研究を受け継ぎたいといってくれたとき、私の残りの人生は全部お前のために使おうと決めたんだ。それに、後継者の問題は私から持ち出したことだからな。お前の跡を継ぐ誰かがちゃんと成長するまで、出来るなら見届けたいと思ってるよ。まあそのほかにもサンドラやら・・・ダンやら、口うるさい患者が大量にいるしな。そう簡単に隠居する気はない。だから心配するな。」
 
 ダンさんは付け足しのような気がする。本当はサンドラさんのことが気にかかるんだろう。二人ともずっと独身だったのに、どうして結婚しなかったのだろう・・・。
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
 開きかけた口を、危ういところで閉じた。危ない危ない。もう少しで人の心に土足で踏み込むようなことを言うところだった。余計なことを言ってばかり私はいつも失敗する。思い出話をしながら何度そう言う場面を思い出して赤面しそうになったかわからない。
 
「とにかくこっちは心配するな。それよりそのグレイの話のほうが重要だと思うが。早く行った方がいいのじゃないか?」
 
「うん。それじゃ行って来るよ。もしも話が早く済めば、そのままグレイと話してくるかもしれない。でも出来るだけ早く帰ってくるよ。」
 
「わかったよ。」
 
 
 なんだか気がせいて、私はバタバタと自宅に戻った。別に今すぐおじさんがいなくなるわけじゃないのに・・・。リビングでは妻がもう出かける用意をして待っていた。
 
「それじゃ行こうか。」
 
「そのままいくつもり?」
 
 妻に指さされて自分の格好を見た私は、白衣を着たままだったことに気づいた。
 
「あ、ごめん、着替えて来る。」
 
 私はあわてて寝室に飛び込み、白衣を脱いで少し身奇麗な服に着替えた。診療室にいるときは、白衣の下に着る服なんてほとんど気を使わない。さすがに下着や寝間着のままと言うわけにはいかないが、せいぜい穴があいてないように気をつける程度だ。姿見の前に立っておかしな格好になっていないか確認しようとしたが、それより先に頭のてっぺんの毛がぴょこんと立っていることに気づいた。いつもなら気にしない寝癖も、今日はちゃんと直していかなければならないという気になる。長老達とはずっと前から親しくつきあっているが、今日のような大事な話し合いの場に寝癖がついたままの頭で出かけていくなんて、礼儀知らずだと思われかねない。自分だけでなく、グレイの信用まで落としてしまうことになる。
 
「どうしてそんなにあわてているの?」
 
 あとを追ってきた妻が、寝室の姿見の前で髪をとかす私を不思議そうに見ている。私は先ほどのおじさんとの会話を話して聞かせ、なんだか気がせくからできるだけ早く戻りたいことを伝えた。急いでいるのになかなか寝癖が直らない。
 
「そう・・・。でもあんまりあせって話を進めるのはよくないわ。微妙な問題だしね。」
 
 鏡の中の妻がため息つく。
 
「それはそうなんだけど・・・。」
 
「グレイは今日もう一度話し合うって言ってたけど、長老達の意見はもう出尽くしているでしょうから、実際は私達の話を聞くだけなんでしょうね。」
 
「多分ね・・・。」
 
「考えはまとまったの?」
 
「だいたいはね。あとは長老達と直接話して、どんな不安を抱えているのかよく聞いて、それからだね。」
 
「私はライラを応援したいわ。過去にばかりこだわっていてはいつまで経っても前にすすめないもの。それに、ナイト輝石を掘りさえしなければ大地の汚染を完璧に防げるとは限らないじゃない?そもそも人間が普通に生活しているだけで自然を汚してしまうのよ。ライラの作る浄化装置が本格的に始動したら、生活排水にも利用出来るといいわね。自然を守ることにも役立つわ。」
 
「確かにせっかく浄化装置を作るんだからいろいろと応用していければいいけど、でもどんなものかなんてまだぜんぜんわからないんだから、あんまり期待し過ぎるのもよくないと思うよ。」
 
「でもオシニスさんの手紙には『でかいろ過装置を使う』とか書いてあったじゃない?」
 
「うん・・・。でも、あの廃液をろ過して、毒物だけ集めるなんて事は出来ないと思うんだけどな・・・。」
 
 手紙を読む限り、オシニスさんは廃液浄化の仕組みについてはさっぱりわかっていないという印象だった。もしかしたら、オシニスさんに会ってもあまり詳しい情報を聞き出すことは出来ないかもしれない。
 
「そうね・・・。でも不思議よね。あの毒物は精錬の時の水に含まれて出てくるけど、掘り出された原石や精錬後の加工品に触れてもなにも問題はないんだものね。」
 
「うん・・・。あの毒は呪文でも解毒剤でも消すことが出来るからね。ろ過すると言うより中和するんじゃないのかなぁ・・・。それなら出来そうなんだけど・・・。」
 
「中和出来るとなると薬品を使うのよね?」
 
「そうじゃないかと思うよ。でも私だってあの毒物について完璧に理解しているわけじゃないからね。推測だけで話すことは出来ないな・・・。」
 
「そうねぇ・・・。でも推測でしか知らないことでも、ある程度は話さないと説得しにくいんじゃない?えーと廃液が出た次の工程でろ過すると考えると、やっぱり使うのは木炭とかがいいのかしら。そのあとに薬品を投入して・・・。ねえ、そうなると使う薬品も決まってくるわよね?」
 
「そうだなぁ・・・。解毒剤に使われている薬草から、毒を分解する成分だけ抽出して集めれば・・・」
 
 真剣に考え込んでいた妻が不意に笑い出した。
 
「いやだわ、私達が研究するわけじゃないのにね。もしも気がついたことがあったら、向こうでオシニスさんに話せばいいし。ライラに会えれば一番なんだけど・・・。私も今、本気で中和剤は何があるかなんて一生懸命考えちゃったわ。」
 
 妻はこらえきれないようにまた笑い出した。確かにそうだ。私達が研究しているわけじゃない。でも持ち前の好奇心が頭をもたげ、いま私は頭の中で、ナイト輝石の廃水に毒が混じる仕組みについて、どうやったら調べられるか、中和するならどんな薬品を使ってどういう装置にするべきかなどと言うことを、真剣に考えていた。
 
「ははは・・・。確かに私達が考えることじゃないね。でもねウィロー、その装置がどんな仕組みになっていたとしても、浄化出来るからいくら水を汚してもいいと言うことにはならないよ。とくに生活排水なんてのは、出来る限り出さないようにしなくちゃならないものなんだしね。」
 
 そこまで言ったとき、やっと頑固な寝癖が直った。私はくるりと振り返り、妻に向かって尋ねた。
 
「どう?変なかっこしてない?」
 
 自分で鏡を見るより、妻に聞いたほうが確実だ。私は自分のファッションセンスをまるで信用していない。
 
「してないわよ。大丈夫。寝癖も直ったようだしね。」
 
 妻は私の寝癖に最初から気づいていたらしい。私が気づかずに出て行こうとしたら指摘してくれるつもりだったのだろう。
 
「それじゃ行こうか。長老達はもう着いたかな。」
 
 二人の長老とは、私は昔から親交がある。元々この島のそれぞれの集落は、ほとんど交流することなく暮らしてきた。だが父が島で唯一の診療所を営んでいた関係上、私はおそらく島中の集落の人達に最低でも一度は会ったことがあると思う。この二人の長老も例外ではなく、私は小さい頃、二人に頭をなでてもらったり抱き上げてもらった記憶がある。最もほとんどの場合私は大泣きして、いつも父の陰に隠れてしまっていたが・・・。
 
 そして私が島に戻ってきて医師としてブロムおじさんに弟子入りしてからは、二人とも私を先生と呼んでくれるようになった。父と同じくらいの年齢で、小さな頃から見知っていた彼らにそんな呼び方をされるのはなんとも身の置き所のないような気持ちだったが、彼らにしてみれば『島の診療所の灯をふたたびともしてくれた』私に対して、敬意を払ってくれたということらしい。実際にはそれは私ではなくブロムおじさんだ。父が昔この島にやってきた時も、医学者として研究一筋だった父よりもおじさんのほうが、はるかに臨床経験が豊富な医師だったと昔聞いた。だがおじさんは、なにがなんでも自分の名前が表に出ることを嫌う。おかげで私は診療所の代表医師などという肩書きを背負わされてしまった。実は何の役にも立たない、見習い以前の厄介者だ。実力に見合わない肩書きがどれほど重いものか、この時から私は身をもって知ることになった。それでも自分の実力を肩書きに少しでも近づけようと必死にがんばれたことは、私にとってプラスに働いたと思う。だが自分のことにばかりかまけていて、妻の妊娠にも気づかず、挙句におなかの子を死なせてしまった。あの時ほど自分を情けないと思ったことはない。肩書きだけの医者なんて役に立たないどころか害になるだけだ。
 
 あれから何年も時が過ぎて、医師として恥ずかしくない程度の力は身につけることが出来たと思う。昔よくオシニスさんに言われていたように、自分の実力に見合うだけの自信は持つようにしている。病気を抱えて心細い思いで診療所の扉を叩く患者にとって、唯一頼れる存在のはずの医者が及び腰で首をかしげながら診療にあたっていたのでは、恐ろしいことこの上ない。
 
 
 外に出ると、相変わらず日差しは暖かい、いや、今日は暑いくらいだ。薄手のシャツにジャケットを羽織って出てきたが、シャツだけでも充分だったかもしれない。
 
「今日も暖かいわねぇ。カイン達は今ごろローランから馬車で城下町に向かっているところかしら。向こうもこんな天気なら、東の森の街道もさわやかでしょうね。」
 
 言いながら妻が目を細めて空を見上げた。今日も雲ひとつない青空が広がっている。
 
「うん。あの森は街道近辺だけなら、からっとしていて涼しいからね。」
 
 鬱蒼とした森の奥はけもの達の領域だ。湿度はかなり高いらしい。これはずっと昔、あの森を彷徨い歩いたキャラハンさんに聞いた話だ。私自身は森の奥には入ったことがない。
 
「今は街道までモンスターが出てくるなんて事はないんでしょうね。」
 
「ないだろうなぁ・・・。ローランと城下町の間を馬車が行き来してるってことは、それだけ安全なんだろうと思うよ。」
 
「そうよね。・・・でもそれも、自然が守られて、けもの達との住み分けがちゃんと出来ていればこそだって、いまの人達はわかってるのかしらねぇ。」
 
「どうなのかなぁ・・・。20年は長いよ・・・。あの当時のことを知る人達の中で、多分私達は一番若い世代にはいると思うよ。カインみたいな今時の若者達は、そんな話を聞かされてもあまり深く考えないんじゃないのかな。」
 
「それはそれで心配ね・・・。モンスターと呼ばれていた生き物がただの獣と呼ばれるようになったからと言って、その脅威がなくなったわけじゃないわ。私達は、生きとし生けるものすべてを平等に育んでくれているこの大地に、常に感謝していなければならないのにね・・・。」
 
「昔よりも暮らしはずいぶん便利になってきたけど、調子に乗って楽することばかり考えていると、思わぬしっぺ返しを食らうからね。そのあたりの話は、出来ればオシニスさんやフロリア様にも話したいな・・・。まあそこまで考えていないわけはないだろうから、よけいなことかも知れないけどね・・・。」
 
「フロリア様に会えるかしらね・・・。」
 
「・・・どうかなぁ・・・。オシニスさんの手紙を読む限り、会わないですませるのは難しそうだけど・・・。」
 
 正直なところ、いまでも気は進まない。
 
「そうね・・・。ねえ、オシニスさんはどう思ってるのかしらね。ライラのこと。」
 
「う〜ん・・・。応援はしたいんじゃないのかなぁ。手紙にはそれについては書いてないけど、ライラはライザーさんの息子なんだからオシニスさんもうれしいと思うよ。でも立場もあるから、なかなか自分の考えを言うことは出来ないのかもしれないね。」
 
「そうね・・・。」
 
「もしかしたら・・・オシニスさんは賭けてるのかもしれないよ。今回の試験採掘にね。」
 
「・・・でも危険な賭けだわ・・・。」
 
「うん・・・。でもね、もうこうなったら、むしろ出来るだけ早くナイト輝石が本格的に採掘されるようになったほうがいいんだよ、きっと。もちろん試験採掘が成功すればの話だけどね。」
 
「そうね。あとは実績を積み重ねていくしかないのかもしれないわね。」
 
「そう、実績を積み上げながら、根気よくみんなを説得していくのが一番だよ。私達に出来るのはこの島の人達をどう説得するか、グレイ達の手助けをすることかな・・・。」
 
「少しでも力になれるといいわね。」
 
 
 グレイの家に着いた。玄関で声をかけるとアメリアが出てきた。
 
「あらおはようクロービス。ウィロー、なんだか久しぶりね。みんな待ってるわよ。さ、奥にどうぞ。」
 
 彼女はいつも明るい。・・・・でもちょっといつもより元気がないような・・・。気のせいだろうか。
 
「おはよう、アメリア。ほんと久しぶりよね。最近なんだかんだと忙しくてなかなか外に出られなかったのよ。」
 
「あらいいじゃないの。一人息子が見事王国剣士になって、しかもかわいいお嫁さん候補を連れて帰ってきたなんてうらやましい限りだわ。うちのシンスも何か打ち込めるものを見つけてくれるといいんだけど・・・。口ばっかりよ。あれじゃまだまだすねかじりよねぇ。」
 
「シンスはまだ若いじゃないの。これからよ。親があんまり焦って騒ぐと子供はよけいに反発しちゃうわ。」
 
「そうなのよねぇ・・・。でも黙っているといつまでたってもぶらぶらしてばかりで・・・。」
 
 アメリアは大きなため息をついた。
 
「いっそ王国に武者修行にでも出そうかなんて考えたりもしているのよ。」
 
「武者修行?」
 
「そう。あの子あれでも小さな頃は、カインと一緒になって王国剣士になるって騒いでいたじゃない?だからそのつもりで剣術指南にでも預けてこようかなんて本気で考えたこともあったわ。いえ・・・今だって思うことがあるわよ。王国剣士になるのは無理でも、剣を学ぶことで何か掴んでくれればって思うんだけどねぇ・・・。」
 
「そうねぇ・・・。剣を教えるだけならクロービスでもいいと思うけど・・・。」
 
「それはだめよ。なまくら剣法でクロービスに怪我させたりしたら、島の人達みんなに恨まれてしまうわ。」
 
「そう簡単に怪我したりはしないよ。でも時間がなかなか取れないと思うから、ライザーさんなら大丈夫なんじゃないかな。私より強いし、教え方もうまいよ。戻ってきたら聞いてみたら?」
 
「それ以前にまずは本人にその気があるかどうかじゃないの?剣なんてそれこそやる気もないのに無理矢理習わせても、怪我するのが落ちだと思うけど。」
 
 妻はいささか不安げだ。
 
「そうね・・・。聞いてみるわ。」
 
「でも本当に焦らなくてもいいと思うよ。無理して仕事を決めても、結局興味がなければものにならないと思うし。」
 
「それはそうなんだけど・・・せめて志だけでも持ってほしいと思うのよ・・・。今のままじゃだめなんだって、ちゃんと自覚してもらわないとね・・・。」
 
「おい、何もたもたしてるんだよ?こっちは待ってるんだぞ?」
 
 アメリアがもう一度大きなため息をついた時、グレイが奥の部屋から出てきた。アメリアは少し不満そうにグレイを見て、また小さなため息をついた。
 
「こっちも大事な話だったのよ。悪かったわね、ぐずでのろまで!」
 
 珍しくアメリアが口をとがらせている。けんかでもしたんだろうか。
 
「そんなこと言ってないじゃないか。・・・まったく・・・。」
 
 グレイはアメリアに向かって忌々しそうに舌打ちしたが、私達を見て少しばつの悪そうな顔をした。
 
「ごめんな、変なとこ見せちまって。長老達はもう来てるんだ。奥に来てくれよ。」
 
「わかったよ。アメリア、その話はまたあとでゆっくりしようよ。焦って今決めることでもないと思うよ。」
 
「そうよ。じっくり考えないとね。」
 
「そ、そうよね・・・。ごめんなさい。それじゃ私はお茶でも淹れてくるわ。」
 
 妻と私の言葉に、ふくれっ面をしていたアメリアも気まずそうな顔になり、ばたばたと台所のほうに走っていってしまった。
 
「まったく・・・関係ないところで八つ当たりしやがって・・・。」
 
 グレイは奥の部屋に行く間、少し口の中でぶつぶつ言っていた。
 
「お待たせしました。」
 
 グレイが先に立って部屋に入ると、東の村と川向こうの長老が立ち上がった。
 
「おお、おはようございます、先生方。お忙しいところを申し訳ございませんな。」
 
「我らだけで話を決めなければならないのに、お手を煩わせて申し訳ない。」
 
「おはようございます。いいんですよ。私達で役に立つならいつでもお手伝いします。」
 
 この二人に敬語を使われるたび、どうも調子が狂う。昔みたいに普通に話してくれてもいいと思うのだが・・・。
 
「さて、それでは私が司会を務めます。まずは昨日までの話の流れを、クロービス達に説明するところから始めようと思います。」
 
 それぞれが席に着いたのを確認して、グレイが神妙な面持ちで話し始めた。その内容は昨日私達の家で聞いた話と同じものだった。ただ、時々グレイが長老達に同意を求め、長老達が相づちを打ったり『それはこういうわけでこんな言い方をしたけれど・・・』などと話を付け加えたりすることがあった程度だ。
 
「・・・以上で昨日までの話は終わりです・・・。クロービス、ウィロー、二人の意見を聞かせてくれないか。」
 
「まずみなさんが私達にどんなことを聞きたいのか、それを教えていただけますか。昨日グレイから簡単な話は聞きましたが、出来れば長老達からもう一度直接お聞きしたいんです。」
 
 長老二人は顔を見合わせ、うなずきあって川向こうの長老が立ち上がった。
 
「その前に一言だけ言わせてくださらんか。クロービス先生、ウィロー先生、お二人には孫のことでいろいろとご尽力いただきましてありがとうございました・・・。」
 
「いいんですよ。私達は特に何かしたわけではありません。うまくまとまって何よりでした。」
 
「うむ・・・。まあ・・・まだまだ若輩者ですから、これからですがの・・・。」
 
 咳払いを一つして、川向こうの長老は元の椅子に座り直し、また話し始めた。
 
「ではまず私から、こたびのナイト輝石の件について・・・。」
 
 そのあと尋ねられたのは、やはりナイト輝石の毒性についての不安だった。浄化すると一口に言うが、そんな恐ろしいものが本当にきれいになるのかどうか、ろ過された毒はそのあとどうするのか等々・・・。
 
「わかりました。ではまず廃液の毒性について・・・」
 
 私は自分の知る限りの知識を総動員して説明を始めた。ただし推測でしか知らないことはあまり大げさにならないよう、そしてあくまでも推測であって確実ではないことを付け加え、さらに詳しく知っていてもそのまま伝えては衝撃が大きそうな話は、過小評価にならない程度に話を軽めにして一通りの説明を終えた。
 
「なるほど・・・。すると浄化は可能であると言うことですかな。」
 
「毒の中和の呪文で消せるのですから、解毒剤などの薬品を使って毒性を中和することは可能なはずです。」
 
「ほほぅ・・・。するとたとえば木炭などを使って毒物だけ集めるなどというわけではないのですな。」
 
「浄化の仕組みについて詳しい話は私も知りません。ですがあの廃液を『ろ過』するというのは現実的ではないと思われます。それでは木炭などに引っかかった毒物が残ってしまいます。ただ・・・もしもろ過が可能だったとした場合、引っかかった毒物を一箇所に集めて、それを薬品で中和すると言うことは考えられます。どちらにせよ、廃液をもとのきれいな水に戻すことは出来ると思います。それにもう一度念を押しますが、廃液が手についたらそこから腐るとか、臭いをかいだだけで即死すると言うことは間違いです。ですからその廃液を扱うライラに対して、偏見を持たないようみなさんに話していただきたいんです。」
 
 話が終わったあと、長老二人はしばらく考え込んでいた。
 
「いかがでしょう?ここまでの話でわかりにくいところはありませんでしたか?」
 
「いや、実にわかりやすくて丁寧な説明でした。」
 
「うむ、まったく。おかげでナイト輝石の廃液について、いささか考え方が変わりましたわい。」
 
「そうですか・・・。ではいまの私の説明で、多少なりとも今回の王宮の発表に対する不安は取り除かれたのでしょうか。」
 
「うむ・・・確かに、今までよりはな・・・。」
 
「わしもじゃ・・・。さすがに専門家の話は説得力があるのぉ。」
 
「私は専門家では・・・」
 
「いやいや、確かに廃液の専門家ではないだろうが、中和が可能だとか、呪文で毒が消せるという話はわしらも知らなんだ。これで村人達への説得のタネが増えたのは確かじゃが・・・。」
 
「・・・まだ不安がおありなのですね。」
 
 長老達は顔を見合わせ、今度は東の村の長老が話し出した。
 
「ナイト輝石の毒性について、わしらが聞いていたほど物騒なものではないと言うことはわかった。だが、わしにはもう一つ疑問がある。・・・ウィロー先生、これはぜひあんたにお聞きしたいことなのだが、答えてはいただけますかな。」
 
 妻は少しだけ顔をこわばらせたが、すぐに元の表情に戻った。
 
「・・・はい。私に答えられることでしたら。」
 
「うむ・・・。今のクロービス先生の説明を聞く限り、先生はどうやら採掘再開には賛成らしい。それもかなり積極的と見た。間違いありませんかな?」
 
「はい。私は賛成したいと思っています。」
 
 私は間をおかずに、出来るだけきっぱりと答えた。ここで返事につまったり自信なさげな声を出してしまったら、説得力がなくなる。東の村の長老はうんうんとうなずき、
 
「だがウィロー先生はどうじゃ?ご夫君の考えとは別にあんたにはその・・・」
 
言いかけたがぐっと言葉をつまらせた。そして咳払いを何度かして
 
「・・・持って回った言い方は苦手じゃ。ずばり聞こう。あんたは・・・ナイト輝石の採掘再開に賛成しておるのか?」
 
妻を探るような目で見つめた。
 
「・・・私は・・・賛成したいと思っています。」
 
 長老の視線に少し後ずさりながら、それでも妻もきっぱりと返事をした。そしてさっき私に言っていたのと同じ事を、二人の長老に話して聞かせた。
 
「ふむ・・・過去にとらわれていてはいけないか・・・。確かにそうだが・・・本当にそこまで割り切れておるのですかな?」
 
「それはどういう・・・。」
 
「・・・ライラの父親のライザーは、クロービス先生とは剣士団で一緒だったと言う話を聞いておる。それにわしが昔この集落を訪れた時、まだ小さかった先生がライザーにまとわりついていつも一緒に遊んでいたのをよく見かけたものだ。ライザーだけでなく、あの賑やかな細君ともいつも一緒だったのぉ。」
 
 東の村の長老は遙か昔に思いを馳せるように、少し遠い目をして微笑んだ。
 
「それは・・・そうですが・・・。」
 
 実のところライザーさんに遊んでもらったという記憶は、ぼんやりと思い出すのがやっとという程度で、覚えていないのとあまり変わらない。
 
「そして今でも、あんた方ご夫婦はライザー夫婦とかなり深い親交がある。そういった気遣いから、先生がたが本当の気持ちを言えないのではないかと、実はわしらはいささか疑っておるのだ。ここで聞いた話を口外したりしないと誓いをたててもよい。本当のところを聞かせてもらうわけにはいかぬものだろうか・・・。」
 
 なるほどそういうことか・・・。長老達二人は、私達が心からこの話に賛成しているのかどうか疑っていたのだ・・・。
 
「ではお二人は・・・今回の情報開示以前に、採掘再開そのものに反対なのですか?」
 
 二人の長老はまた顔を見合わせ、そろってため息をついた。なんとなく複雑な、どうしていいかわからないと言った感情が二人を包んでいるのがわかる。
 
「さてそこじゃ。正直言うて、そんな物騒なものは出来れば掘り出してほしくないと思うておった。今のあんたの説明で少しは不安が少なくなったが、それでも諸手を挙げて賛成とは言いかねる。だが、これはもう決まったことだ。王宮からの知らせでは、この話を村人達に話すか話さぬかの選択を我らに委ねてはおるが、賛成か反対かなどと言うことは訊いてはおらん。」
 
「・・・でも長老、決定事項ではあるが、意見は聞くと言ってるんですよ。」
 
 グレイが口を挟んだ。
 
「ふむ・・・意見を言っても取り上げてもらえなければ無駄骨じゃ。正直なところ、この島で生まれ育ったわしらには王国を嫌う気持ちはないが、かといって何の恩義も感じてはおらん。王国領と言われながら地図にすら載ることもなく、いつの間にか世捨て人の島にされてしもうた・・・。不名誉な名前を払拭してくれたのは他ならぬクロービス先生、あんたじゃ。王国は何もしてはくれなんだ。」
 
 東の村の長老は、そこで一つため息をついた。自分が今言ったことを後悔しているような、そんなため息だった。
 
「すまんの・・・。こんな愚痴を言うつもりではなかった。こんなことは先生方やグレイ殿には何の関係もない事じゃ。だがまあ・・・そんなわけでわしらは王宮に対して少々懐疑的になっておるのだ。そこで先生方の本音を聞かせてほしいと思った訳だが・・・。」
 
「・・・ライザーさんやイノージェンにお世話になったことは事実です。でもそのこととは別に、私はライラを応援したいんです。わずか17歳で単身王国に出て行き、ここまでの成果を上げるためにはどれほど苦労したかと思うと、あの子の夢を何とか叶えてやりたいんです。」
 
「ふむ・・・ウィロー先生、あんたはどうじゃ?」
 
「昔・・・私の父は・・・自分の命と引き換えにしてもナイト輝石の生産を中止しようとしました。でも志半ばで殺されてしまった・・・・。3年もうち捨てられていた父の遺体を見つけたのが娘の私だったことに必ず意味があると信じて、私は廃液を止めようと決心しました。あれからもう20年が過ぎます・・・。そろそろ私達は新しい一歩を踏み出すべきではないかと思うのです。でもそれがすなわち自然を破壊すると言うことではなくて、自然を守り、私達を育んでくれる大地に感謝しながら、自分達の力に見合っただけの進歩を遂げていく・・・そうありたいと思っています。試験採掘はそのはじめの一歩だと思います。ライラには、自分の夢に向かってしっかりと大地に足をつけて進んでいってほしいんです。だから私は賛成します。でももしもライラが・・・自然をないがしろにし、性急に本格採掘を目指そうとするようなら、私はハース鉱山に乗り込んででもやめさせます。」
 
 静かだった・・・。話が始まった頃にお茶を持ってきたアメリアがそのまま立ち去らずにずっと話を聞いている。グレイも何も言わなかった。6人も人がいるというのに、部屋の中では物音一つしない。
 
「じっくりと時間をかけて・・・新しい一歩か・・・。どうも年寄りは先が短いせいか性急でいかんな。」
 
 沈黙を最初に破ったのは川向こうの長老だった。
 
「まったくだ・・・。若い者には時間がある。かけるべき時間をきちんとかけて、実力に見合わない無茶をしないなら、確かに賭けてみるべきなのだろう・・・。」
 
「だが、若い者ほど性急で、若い者ほど無茶をしたがる。」
 
「さっきの話と合わんじゃないか。」
 
「おお、それもそうだ。」
 
 長老二人はふふっと笑って、部屋中を覆っていた緊張が解けたような気がした。
 
「なあ先生方、わしらもライザー達の息子ライラをよく知っておる。物静かでいい若者じゃ。孫のティートもあの若者の博識なことによく驚いていたものだ。どちらかというとひ弱そうにさえ見えるのに、あの細い体のどこにそんな強靱な意志力を秘めていたものか・・・。」
 
「まったくじゃ。うちの村のエディはライラに傾倒しておってのぉ。今回の件を聞けば、きっと飛び上がらんばかりに喜ぶだろう・・・。」
 
「でもミレルのお父さんはハース鉱山で・・・。」
 
「おお、知っておられたかの。あの廃液騒ぎの何年か前に大規模な落盤事故が鉱山であったそうなのじゃが、それで亡くなられたそうじゃ。」
 
「そうだったんですか・・・。」
 
 なぜか私はほっとしていた。落盤事故で亡くなったと言うことは、私達がハース鉱山から逃げる時に飛び越した地下室の遺体の中には、ミレルの父親はいなかったと言うことになる。
 
「だが、エディにとっては顔も知らない祖父よりも、仲のいい友人の成功のほうが遙かにうれしいだろう。それは仕方のないことだと思う・・・。無論、ミレルがどう思うかは別問題だがの・・・。」
 
「東の長老よ、わしは決めたぞ。グレイ殿に賛同して、今回の出来事のありのままを村のみんなに伝えようと思う。実を言うと、みんなに話す時にクロービス先生達の名前を使わせてもらおうかと思うとったが、やめじゃ。長老としてわしは今まで、村のために尽力してきた。今回のことだってわしの力でみんなを納得させるべきじゃ。人の名前を借りて責任逃れしながらでは、何を言っても説得力がないわい。」
 
「うむ、わしも決めた。先生方、グレイ殿、やっと決心がつき申した。お手を煩わせて申し訳なかった。あんたがた若い者がこれから歩もうとする道を、もう歩いて来てしまったのがわれら年寄りじゃ。どこが危なくてどこが安全だったか、いまになれば全部見渡せる。だからこれから歩む者には少しでも安全な道を教えてやろうなどと考えてしまうから、臆病になってしまうのだろうなぁ・・・。だが、あんたがたの話を聞いてわしらも思い出しましたわい。石につまずこうが水溜りがあろうが、自分の信じた道を歩いていくのが一番だと言うことを・・・。」
 
 長老達が私達の話を聞きたがったのは、村人達を納得させる材料を探したかったからではなく、自分達の背中を押してくれる何かがほしかったのかもしれない。
 
「皆さんにはいつ話されるのですか。」
 
「そうじゃなあ・・・。今日はもう間に合わんから、明日にでも話そうかと思うておる。どちらにせよいつまでも隠しておくことは出来まい。いまはこの島の者達も王国で発行されている新聞を読むことが出来るし、船に載ってやってくる王国の人々や、いま祭りに出かけておる者達が帰ってきたときなどに情報が入ってくることもあろう。妙な噂話になってしまわぬうちに、正確な情報をみなに伝えるのもわれらの役目じゃからのぉ。」
 
「うむ、明日がいいじゃろう。」
 
「長老方、明日の早いうちにお願いできませんか。昨日弟からちょっと妙な話を聞いたもので・・・。」
 
 不安げに口を挟んだグレイにみんなが振り返った。
 
「妙な話?」
 
「ああ・・・。一週間ほど前、ラスティの店に品物を卸している商人が妙なことを言っていたって聞いたんだ・・・。」
 
 グレイが聞いた話をまとめるとこうだった。一年ほど前からナイト輝石製の武器防具が市場に出回り始め、しかも値段が高騰していると言う。20年前ナイト輝石の供給が止まってからは、どこの店でもナイト輝石製の武器防具を扱わなくなった。ナイトメイルやナイトブレードを店頭に並べておくだけで『死の商人』などと陰口をたたかれ、ハース鉱山の乗っ取り犯の手先のように言われたのだ。あの当時、ナイト輝石は災厄の象徴として忌み嫌われていた。20年以上過ぎた今でも、ナイト輝石に対する恐れと憎しみを捨てきれない人達はいると思う。ではなぜナイト輝石製の武器防具類が今ごろになって市場に出回り始めたのか・・・。
 
「試験採掘の話をかぎつけた人達が、今まで眠らせておくしかなかった在庫をこの機会に何とかさばこうと考えているのかな。王宮がナイト輝石の採掘再開に乗り出したってことは、ナイト輝石に対する考え方も変わって来ているってことだからね。」
 
「・・・それだけならいいんだけどな。でも試験採掘がうまくいって、本格的に採掘再開になれば当然昔の武器防具の価格なんて暴落すると思わないか?」
 
「新しく掘り出したナイト輝石でまた武器防具を作るなら、そりゃ暴落するだろうけど王宮ではナイト輝石の武器防具を作る考えはないみたいだよ。」
 
「・・・なんでそんなことがわかるんだよ。」
 
 グレイが怪訝そうに私を見た。
 
「王国剣士時代に一緒だった人が、このあいだ手紙をくれたんだ。カインの父親が私だって聞いて懐かしくなったんだって。」
 
「へぇ・・・。その人は王宮に近しい人なのか?」
 
「王国剣士だから近いって言えば近いだろうね。王宮の中にいれば、いろいろ情報は入ってくるんじゃないのかなぁ。」
 
 この程度の情報なら話しても大丈夫だろうが、その出所が剣士団長だなどと知れたら話が何倍にも大きくなってしまう。グレイ達が私の話を信用してくれたようでほっとした。
 
「ふぅん・・・。俺達は武器防具を作らないなんて話は聞いてないぞ。」
 
「正式な声明として発表してるかどうかは私もわからないよ。ただ、そう言う動きがあるって事なんじゃないのかな。」
 
「それじゃ意味がないじゃないか。俺が心配しているのは、ナイト輝石の採掘再開で金づるを失うと思いこんだ連中が、ライラの命を狙うかも知れないってことだ。」
 
「あ・・・・・!」
 
 迂闊だったとしか言いようがない。私はそこまで思い至らなかった。最初にこの話を知らせてくれたのが、王国の治安を担う剣士団長たるオシニスさんだったことで、私はすっかり安心していたのかも知れない。
 
「俺が考えたのはこうさ。ナイト輝石製の武器防具は、今だって王国最高の水準を誇っている。聖戦騒ぎから20年が過ぎて、倉庫に眠らせておくしかなかった商品をまた売り出してみようと考える商人がいても、それはおかしくないと思う。」
 
「たしかにね・・・。」
 
 試験採掘の話はつい最近決まった話だ。一年ほど前からナイト輝石製の武器防具が市場に出回り始めたのなら、今回の話と直接関係はないことになる。
 
「思った通り、商品には高値がつき、お荷物でしかなかった大量の在庫は宝の山に化けたってわけだ。ところがそこにナイト輝石の採掘再開の報が飛び込んできた。一番のネックになっていた廃液を何とか出来るめどがついたということは、いずれ前のように大量に採掘されるようになる。これを聞いて『ああ仕方ないな』なんて簡単にあきらめるようじゃ商売人じゃないよな。当然いろいろと調べる訳だ。今は南大陸も昔に比べりゃ安全だって言うし、キャラバンを組んで南大陸に行商かたがた調査に出かけたとしてもおかしくない。そこで聞いた話が、なんとたった一人の若者がハース鉱山に乗り込んで、とうとう採掘再開に漕ぎつけたと言う話だったら?普通の奴ならそこであきらめるかも知れない。だが悪どい奴ならこう考えるかもな。『それじゃそいつさえいなければこの話はお流れになるな』とね。」
 
「確かに・・・そう言う愚か者達があの若者の命を狙う危険はあるやも知れぬ・・・。」
 
 長老達もグレイの話を聞いて難しい顔で考え込んだ。
 
「だから長老達には出来るだけ早くみんなに話をしていただきたいんです。今のこの島は、昔のように世捨て人ばかりが住んでいる島ではないですが、昔盗賊だった人もいるし、金銭トラブルでここに逃げ込んできた人だっています。今までは平穏に暮らしてきたけれど、今回のことで『儲け話』と称して、昔の仲間がよくない相談を島の人達に持ちかけてこないとは限りません。その時に正しい知識を持っていれば、妙な話に乗る人はいなくなると思います。もちろんそれでライラの安全が保証されるわけじゃないですが、不安のタネは少しでも取り除いておきたいですからね。」
 
「うむ・・・。うちの村にもそういう者はおる。せっかく心安らかにまっとうな暮らしを営んでおるのに、おかしな話を持ちかけられてはこまるからのぉ。」
 
「まったくじゃ。我らはこの島の人々を守る義務がある。よし、早速村に戻って話し合わねばならぬ。グレイ殿、先生方、あわただしくて申し訳ないが失礼させていただきますぞ。」
 
 東の村の長老は席を立ち、足早に部屋を出て行った。アメリアが見送りのために後を追っていく。
 
「わしもおいとませねばならぬな。ティートには悪いが今日は早めに帰ってもらうとするか。」
 
 川向こうの長老が立ち上がった時、玄関のほうでアメリアの声がした。
 
「あらティート、早いのね。もうデートは終わり?」
 
「お孫さんが迎えに来られたようですよ。」
 
 程なくして部屋の扉がノックされ、アメリアに続いてティートが中に入ってきた。
 
「おおティート、すまんが今日はもう引き上げるぞ。」
 
「いいよ。それじゃ行こうか。」
 
「お前、アローラとはいいのか?」
 
「アローラは今日は午前中店番して、午後から勉強したいことがあるからって。大丈夫だよ。これからはいつでも会えるんだし。」
 
「そうか。では行くか。みなさん、これにて失礼いたす。」
 
 二人が部屋を出て行ったあと、妻がぽつりとつぶやいた。
 
「アローラの勉強って・・・助産婦の勉強かしらね。」
 
「かも知れないね。」
 

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