「大げさなんかじゃないよ。あんまりショックでお風呂でおぼれかけてカインに引き上げられたくらいだからね。」
「お風呂で・・・?」
ウィローが笑うのをやめ、不安げに顔を上げた。
「そう。自分の体が沈んでいるってことに気づかなかったんだ。」
「そんなに・・・あなたを傷つけていたのね・・・。」
「君のせいじゃないよ。私がぼんやりしていただけさ。」
うなだれるウィローの肩を、今度は私がなだめるようにぽんぽんと叩いた。
「ごめんなさい・・・。私がわがままばかり言ったから・・・。」
「そんなことないよ。」
「私ね・・・嫉妬してたのよ・・・。」
「・・・エミーに・・・?」
ウィローは黙ってうなずいた。エミーは最初からウィローに対して臨戦態勢だったし、私自身もはっきりとした態度をとらなかったのだから、確かに嫉妬したくもなっただろう。結局は私が悪い。
「ローランの東の森で・・・。あなたが食器を洗いに森の奥に行った時、本当はあなたに謝ろうと思ってたの。ちゃんと自分の気持ちを話して、訓練のこともわかってもらおうって・・・。でもなかなか腰を上げるきっかけがつかめなくているうちにあの騒ぎになってエミーさん達が来て・・・。あの人があなたにどんな気持ちを持っているかはすぐにわかったわ。あなたはあなたで腕を組まれたりしてまんざらでもないように見えたし・・・。だから私腹が立って、わざと『個人的なことに口出したりしない』とか『訓練のことは本気だって言いたかった』とか、どうでもいいようなことばかり・・・。子供みたいよね・・・。」
「あの時の私の態度が中途半端だってことはパティにも言われたよ。どちらにもいい顔をしたいように見えたって。そのせいで君もエミーも傷つけることになってしまったんだから・・・。曖昧な態度をとっていた私の責任はやっぱり重いと思う・・・。そのせいで君が距離を置きたいなんて言ったんだとしたら、悪いのは私のほうだよ。」
「違うわ・・・!」
たまりかねたようにウィローが叫んだ。
「・・・それは・・違うの・・・。あんなことを言ったのは・・・」
「・・・・・・・・・・。」
「ただ・・・怖かったからよ・・・!」
「怖かった・・・ってどうして・・・?」
「エミーさんがあなたのことを本気で好きなんだって、私すぐにわかったわ。どんなことをしてでもあなたを手に入れたいってずっとずっと考えて、だからあんな・・・。」
ウィローが言葉をつまらせる。私への思いをひたすらに募らせて、結局エミーは自分の心に押しつぶされたようなものだ。
「私も・・・あんなふうになるんじゃないかって・・・不安だったの・・・。カナを出てから、あなたへの気持ちが日ごとに強くなっていって・・・訓練のことで気まずくなってからもずっとずっと・・・。」
いつの間にか、ウィローは私の胸にしがみついて泣いていた。不安げに震える肩を、せめてしっかりと抱いてやる。
「カインがエミーさんに何が起きたかを説明してくれた時、いずれ私もあんなふうになってしまうのかも知れないってすごく怖くなったの。このままあなたへの思いが強くなっていったら・・・・あなたのことしか考えられなくなりそうで・・・父さんのことも、果たさなければならない使命のことも・・・何もかも忘れてしまいそうで・・・。だから、あなたから離れたかった・・・。距離を置いて少しでも気持ちが落ち着けば大丈夫かも知れないって・・・。本当にそれだけのつもりだったのよ。」
「そうだったのか・・・。」
「でも海鳴りの祠についてカーナ達と一緒に寝床に案内してもらった時、カーナとステラの話を聞いて・・・。」
「・・・何か言われたの?」
急に不安になった。あの二人はおしゃべりではあるが他人の心に土足で踏み込むような無遠慮なことはしないと思っていた。
「違うの。あの時・・・。」
洞窟の中に入ってから、ステラが床に座り込んで頭を抱えちゃったの。
「あー!もうどうしよう!カインにどんな顔していればいいのよもう!」
「どんな顔してって・・・普通の顔してりゃいいじゃないの。そのうち向こうから何か言ってくるわよ。」
カーナはあきれたような顔をしていたわ。
「・・・言ってくるわよね・・・やっぱり・・・。」
「なによ、言ってきてほしくないの?」
「言ってきてほしいけど・・・言ってきてほしくない・・・。」
「そんなこと言ったって仕方ないでしょ?みんなの見ている前であんなことしたんだから、カインだって黙っているわけにはいかないじゃないの。」
「あーーー!もう!あんなことしなきゃよかった・・・。」
「今さら後悔しても仕方ないわよ。」
「だって・・・あの時はもしかしたらもう会えないかと思ったんだもの。本当なら一晩一緒に過ごしたいくらいだったわ。」
「あの状況ではそれは無理ね。向こうに行くことが決まってからはひたすら訓練三昧だったし、第一、そんなことをしようとしてもカインは手を出さないと思うわ。」
「そうよね・・・。」
私にはさっぱり話が見えなかったから、とにかく黙っていたんだけど、ここまで話を聞いていて、ステラがカインを好きなことと、南大陸に行く前に何かあったことだけはわかったわ。何となく想像はついたけど・・・。
「きっとすぐにでも何か言ってくるわよ。カインの性格からして、こういうことをそういつまでも先に延ばすとは思えないから。」
「でもきっとだめよね・・・。」
「私に聞かないでよ。わかるわけないじゃないの。」
「でも何か聞いたんでしょう?」
「・・・何をよ。」
一瞬カーナの歯切れが悪くなったわ。
「あたしがカインから離れた時、あんたカインと何か話してたでしょ。何言ってたの?」
「別に・・・。ただ、これがあなたの気持ちだからって。必ず帰ってきて返事してあげてねって言ったけど、それだけよ。」
「その時カイン何か言ってた?」
「別に・・・。必ず帰ってくるっては言ってたけど・・・。」
「そう・・・。」
「そんなに落ち込まないでよ。今からこんなことじゃいざ何か言ってこられた時にどうなるのよまったくもう・・・。」
「なんて言ってくるんだろ・・・。」
「だからそんなこと今から考えたって・・・。」
「君なんか嫌いだ、とか・・・。」
「そんな言い方しないと思うけど。」
「何とも思ってないから迷惑だとか・・・。」
「だからそんな冷たい言い方しないって。」
「何でそう言い切れんのよ?」
「だってカインの性格からして曖昧な態度は取らないと思うけど、もう少し相手の気持ちを思いやった言い方すると思うけどねえ。」
「それじゃ・・・距離をおきたいとか・・・。」
「それはないんじゃない?」
「なんでよ?」
「だってあなた達、別につきあってたわけじゃないじゃない。『距離をおきたい』ってのはね、いままで近かった距離を遠ざけよう、つまりは別れましょうってことなんだから、この場合には当てはまらない言葉だと思うわよ。」
(え・・・?)
カーナのこの言葉で、心臓が飛び出しそうになったわ。
「あ、あの・・・。」
カーナもステラも私に気づいてなんだかばつの悪そうな顔してた。
「あらやだ、ごめんなさい。こんな話聞いてもつまらないわよね。ちょっとステラ、ウィローがびっくりしてるからこの話はもうやめましょ。とにかく待つしかないんだから。」
「いえ、その・・・つまらなくなんてないわよ。あ、もちろん面白がったりしないけど、そうじゃなくて・・・。」
「なに?」
「その・・・『距離をおきたい』って言うのは・・・別れの言葉なの・・・?」
「そうねぇ・・・。言葉通りに受け止めればただ単に少しだけ離れたいとか、そう言う意味なんだろうけど・・・たいていは体よく相手を振るために使われているわね。だからそんなことを言われたら、もう相手の心は自分にないものと思ったほうが間違いないと思うけど・・・。」
「そ・・・そう・・・なの・・・。」
私は・・・ただ言葉通りの意味であなたに距離をおきたいって言ったつもりだったけど・・・そんな意味にも受け取れるんだって聞いて・・・あなたはいったいどう受け取ったんだろうと思ったら急に怖くなって・・・。
「・・・ウィロー、まさかと思うけど、クロービスに『距離をおきたい』なんて言ったとか・・・。」
「い・・・言ったわ・・・。」
「えー!?いきなり別れちゃったの!?」
「ち、違うの!あ、あのちょっといろいろあって・・・。」
それで、その・・・エミーさんのこととか、訓練のこととか話したら・・・二人ともすごく心配してくれて・・・。その時ちょうどあなたがカーナを呼ぶ声が聞こえたのよ。
「あれ、今の声、クロービスじゃない?」
「へえ、めげずにウィローをデートに誘いに来たとか?」
「まさか・・・。」
「とにかく行ってくるわ。多分あなたを呼んでくれってことなんだろうとは思うけど。」
カーナが出て行って、あなたとカインが私とステラを呼んでるって聞いて、それで出て行ったの・・・。
「あの時・・・私はずっと、あなたに何か言われるんじゃないかと思ってたわ。私があなたと別れたつもりになっているって思われたらどうしようとか、そんなことばかり考えてすごく不安だったの。なのにあなたの態度は変わらないどころか、やけどを治してくれたりすごく優しくて・・・あなたがなにを考えているのかよくわからなくなって・・・。」
それであんなに探るような目で見ていたのか・・・。
「でも次の日からは、もう何も考えている余裕はなかったわ。覚悟していたこととは言え、訓練はとても厳しかった。でもここで泣き言なんて言いたくなかった。絶対に力をつけるんだって、私の力をあなたに認めさせるんだって自分に言い聞かせてがんばったのよ・・・。でもやっぱりあなたが来てくれないかと何度も道のほうを眺めたりして・・・。」
「私がへそを曲げてこっち側の浜辺にいた時、訓練場のほうで歓声が上がるのを何度も聞いたよ。君ががんばってるんだなって思うとうれしかったんだ。なのに、どうしても見に行く気になれなかった。今思うとバカみたいだよ。つまらない意地を張って・・・。」
「バカは私よ。あなたはちゃんと私を応援してくれていたのに。訓練のことも、私が訓練を受けられるかどうかはあなたが決めるって聞いたから、なかなか受けさせてもらえないんじゃないかなんて疑ってたけど・・・でもあなたはちゃんと私がもう大丈夫だって報告してくれてたし、わざわざ朝早起きして薬を作ってくれたり、カインに私の様子を毎日聞いていたのも知ってたのに・・・。なのに、一人ですねて、あなたを傷つけて・・・。」
「こんなふうにちゃんと話をしていればすぐにわかり合えたのにね。」
「そうよね・・・。」
ウィローは私の胸に顔を押しつけて少し黙っていた。私も何も言わなかった。泣いているわけではないらしい。何か考え込んでいるようにも見える。
「クロービス・・・。」
「ん・・・?」
「聞いていい?」
「なに?」
「ユノさんて・・・あなたの・・・何?」
聞きたかったことと言うのはそれか・・・。
「何って・・・先輩だよ。フロリア様の専任護衛剣士ですごい槍の使い手なんだ。副団長が言ってたじゃないか。俺だって負けることがあるって。そのくらいすごいんだよ。南大陸に発つ前、ずっと訓練してもらったんだ。・・・聞きたいことってそのことだったの?」
ウィローは黙ったままうなずいた。
「・・・それじゃもしかして、ずっと気にしてたの?」
「うん・・・。あなたがあんなにムキになって、ステラと喧嘩してまでかばってたから・・・。あなたにとっては大事な人なのかなって・・・思ったの・・・。」
「大事な人には変わりないよ。大事な先輩であり、剣士団の仲間だ。でもそれだけだよ。それ以外の感情は持ったことがない。」
「本当に?」
「本当だよ。・・・まだ気になる?」
ウィローが黙ってうなずく。
「・・・もしかして・・・妬いてる?」
「妬いちゃだめ・・・?」
「だめっていうんじゃないけど・・・。」
正直言うと、多少妬かれるのはうれしいかな、なんて思ったりもしている。でもその相手がユノでは・・・。そんな話がユノに知れたら鼻先で笑われそうだ。ユノにとって私など子供みたいなものなんじゃないだろうか。ユノにだって好きな人くらいいるんだろうけど・・・。
「妬かれるようなことは何もないからね。会ったこともないのに、どうしてそんなに気にするの?」
「だって・・・あなたはみんなみたいにユノさんに『殿』づけもしないし、さんもつけないし・・・。なんだかあなただけその人とすごく親しそうなんだもの。それに、あの次の日の訓練の時、オシニスさんが言ってたのよ。あなたが大声で喧嘩するのを見たのはカインとの喧嘩以来だけど、よっぽど腹が立ったんだろうなって。」
あのころ剣士団の中で私とユノのことやエミーのことは噂になっていて、二股の疑いまでかけられていた。それを考えればウィローが気にする気持ちもわかる。
「それじゃ、一つずつ説明するよ。まず呼び方のことだけど、私も最初はみんなと同じように『殿』付けしていたんだよ。でもいつだったか敬称なんてつけなくていいって言われて、それ以来普通に呼んでるだけなんだ。ユノにしたら誰からも殿付けなんてされたくないんだろうけど、そういう話をしようにもみんなユノに近づこうとしないからわからないだけだよ。それからステラとの喧嘩のことだけど、ステラはユノをあまりよく思ってないんだ。」
私は王宮の中庭でのユノとの出会いや、南大陸へ行くための訓練の時、ユノとステラとの間に起きた諍いの話を簡単に話して聞かせた。
「そう・・・。だからステラはあんなに怒ったのね。」
「ステラの気持ちもわからないわけじゃないから、一方的にステラを責める気にはならないけど、やっぱり裏切り者だなんて言われたら私だって黙っていられないよ。」
「その中庭での姿がユノさんの本当の姿なのかしら・・・。」
「私もそう思うよ。でもなかなかみんなにはわかってもらえないんだ。」
「ロゼさんを助けてくれたのもそのユノさんなのよね。」
「そうだよ。でもその話も、ロゼのことを考えればそうそうみんなに話していいことでもないしね。」
「そうね・・・。それに、そのユノさん本人が、自分のことをみんなにわかってもらおうとしていないような気がするわ。」
「君もそう思うの・・・?」
「話を聞いただけだから断言は出来ないけど、何となくそう感じたの。・・・いつか会ってみたいわね・・・。」
「剣士団が王宮に戻れればきっと会えるよ。」
「そうね・・・。」
もっとも、今の状況ではそれがいつのことだかまったくわからない・・・。思わずため息が出た時、ウィローがもぞもぞと動いた。見るとあくびをしている。
「眠い・・・?昼間あれだけ動いたんだからかなり疲れてると思うよ。もう戻ろうか?」
ウィローは私の胸に顔を押しつけたまま首を振った。
「もう少しだけ・・・あと2日分・・。」
「2日分・・・?それじゃ今までのは何日分?」
「う〜んとね、今までのは9日分。」
「計算が合わないよ。」
「いいの。・・・今までの10日間は・・・私には20日分くらいだったんだもの・・・。」
「そうか・・・。それじゃ、あと9日分残ってるんだね。」
「そうよ・・・。だから・・・。」
またあくび。でも今度は口を押さえて必死に隠そうとしている。
(・・・まあいいか・・・。このまま寝ちゃっても抱えて戻れないことはないし・・・。)
「じゃあもう少し、こうしていようか。」
私はもう一度ウィローをぎゅっと抱きしめた。
「・・・ねぇクロービス・・・。」
かなり眠そうな声でウィローが囁いた。
「なに?」
「・・・もう一つ聞かせて。カインと喧嘩って、喧嘩なんていつしたの?」
「そのことか・・・。」
南地方に迷い込んでオシニスさん達に助けられた日の夜、私の見た夢のことでカインと大喧嘩をした。今となっては懐かしい思い出だ。
「あ、あのね・・・別に答えたくなければいいんだけど・・・。でもあなた達すごく仲がいいから、喧嘩なんてしたのかなって思っただけなの。」
「入団して一ヶ月目かな・・・。南地方に迷い込んで、オシニスさん達に助けられてね。その時だよ。夜の夜中に大声で怒鳴り合ったんだ。外だったからよかったけど、あれをもし宿舎の中でなんてやってたらみんなに怒られただろうな。」
「ふぅん・・・。あなた達でもそんな喧嘩したのね。」
「そう。お互い気を使いすぎてね。」
「気を使いすぎて・・・。ふふっ・・・なんだか今までの私達みたいね。」
「そうだね・・・。気を使いすぎて、言いたいことも言えなくて、聞きたいことがあるのに口に出せなくて・・・そう考えると、本当に今の私達と同じだな。」
「・・・・・・。」
「・・・ウィロー・・・?」
すやすやと寝息が聞こえる。ウィローは眠ってしまったらしい。
「寝ちゃったか・・・。」
もう戻ろう。このままここにいてはウィローにまた風邪をひかせてしまう。眠っているウィローにお休みのキスをして、マントにくるめたまま立ち上がった。クッションを肩に引っかけて、念のため忘れ物はないかと辺りを見回す。ここに神様が祀ってあろうとなかろうと、汚していけない場所であることにかわりはない。
(大丈夫みたいだな・・・。)
ウィローの頭をぶつけないように気をつけながら、『海鳴りの祠』を出た。月はもうすぐ真上にかかるところだ。この時間では女性剣士達の部屋ではみんな眠っているかも知れない。すでに満潮の時間は終わり、潮が引き始めていた。祠から浜辺への道がまっすぐに伸びている。浜辺から海を見ると、打ち寄せる波に月の光が映し出され、きらきらと踊っている。静かな夜だ。
洞窟の中に入り、女性剣士達の寝床へと足を向けた。中が見えないぎりぎりまで近づいて小声でカーナを呼ぶと、驚いたことにすぐに出てきた。
「寝てなかったの?」
「あなた達が戻ってくるかも知れないと思って、もう少し待ってみようと思ったのよ。みんな寝袋に潜り込んではいるけどまだ起きてると思うわ。ウィローのことが心配なのは私だけじゃないから。・・・もしかして、眠っちゃったの・・・?」
カーナは私に抱きかかえられているウィローの顔をのぞき込んだ。
「ついさっきね。かなり疲れてたんだと思うよ。」
「ふぅん・・・こんなに幸せそうな顔で眠っているってことは、うまく仲直り出来たみたいね。」
「おかげさまでね。」
カーナが笑い出した。
「それならなによりだわ。・・・でもどうしよう。私じゃウィローを抱えられないし・・・。」
「そうだね・・・。出来れば寝袋まで連れて行きたいんだけど・・・だめかな・・・?」
「そうね・・・。ちょっと待ってて。聞いてくるから。」
カーナは一度奥に引っ込み、すぐに戻ってきた。
「大丈夫よ。せっかくあなたの腕の中で眠ったのに、私達が何人もかかって担ぎ上げたりしたらせっかくの余韻が台無しだろうからって。」
カーナはくすくすと笑っている。私は曖昧に笑みを返し、なんとなく抜き足差し足で奥に入った。みんな寝袋から起きあがって私達に注目している。何ともきまりが悪い。
「ウィローの寝袋はこっちよ。」
カーナが案内してくれた先に、寝袋が一つ広げられている。その隣にはステラが起きあがっていた。
「・・・一晩いてくればよかったのに、あんたって変なとこで真面目なのよね。あそこなら風邪ひいたりしないでしょ?」
言ってからステラがしまったというような顔をした。カーナもいかにも『まずい』と言った顔をしている。が、私はかまわずに答えた。
「そんなわけにいかないよ。あそこはね、この時間になれば結構冷えるんだよ。」
私はふと思い立ち、肩にかけていたクッションを下ろして寝袋の下に敷いた。
「足許が寒かったみたいだから、風邪ひかないようにね・・・。」
誰に言うともなく言いながら、その上にウィローを寝かせた。マントもそのままにしておいた。せっかく温まっているのにわざわざ取ることはない。このマントを私が必要とするのはあと何日かあとのことだ。寝袋の中の毛布を引き上げて掛け、留め具をとめて風が入らないようにした。ウィローはすっかり気持ちよさそうに眠っている。これなら明日の朝は爽快に目覚めることが出来るだろう。
「・・・なんで黙ってんの?」
立ち上がりかけた私に、ステラが怪訝そうに尋ねた。
「なにを?」
「さっきあたしが言ったこと・・・その・・・なんであんた達があそこにいたの知ってるのかとか・・・。」
「だってみんなして洞窟の出口にいたんじゃないか。」
「あ、あたし達がいたってわかったとか・・・?」
「誰がいたかなんてわかるもんか。でも何人かいたのはわかったよ。今君がそう言ったから、君がいたのは今わかった。君がいたならカーナもいたんだろうなってこともね。他にも何人かいたんだろうけど、別にいいよ。みんなが心配してくれてるのはわかってたから。」
「あなたってホントに勘がよくなったわね。南大陸に行くとみんなそうなるのかしら。」
カーナが感心したような顔をしている。
「南大陸に行くとじゃなくて、こいつらの訓練のたまものだ。お前達だってそうなれるんだぞ。ちゃんと地道に訓練を積めばな。」
セルーネさんが口を挟んだ。セルーネさんは私の力のことは知っているはずだから、きっと助け船を出してくれたわけなんだろう。
「う〜ん・・・がんばってるつもりなんですけど・・・。」
「ある程度は個人差がある。それは仕方ないだろう。今考えたところでどうにもならん。もう寝たほうがいいぞ。クロービス、お前もだ。明日もウィローの訓練にはつきあってくれるんだろう?」
「そのつもりです。」
「それじゃもう行け。明日は私もお前達の訓練を見学に行くつもりだからな。」
「はい。それじゃみなさん、こんな夜中にすみませんでした。あ、カーナ、明日の朝ウィローに朝食を一緒に作ろうって言っててよ。その話をする前に寝ちゃったんだ。」
「了解。ちゃんと言っておくわ。きっと明日の朝のウィローはにこにこね。」
「だといいけどね。」
そう言ってはみたが、明日の朝はウィローの笑顔が見られるだろうと私も思っていた。やっといつもの状態に戻れる。そう思うとなんだかうれしくて、にやけ笑いを何とか押し隠しながら自分達の寝床に戻っていった。
中はしんと静まりかえっている。みんな眠っているように見えるが、何人かはタヌキ寝入りらしい。わざとらしいいびきが聞こえてくる。おそらく私の足音が聞こえて慌てて眠ったふりをしているんだろう。それでもそっと中に入り、自分の寝袋にたどり着いた。
(・・・遅かったな・・・。)
思った通りカインは寝ていなかった。
(つい話し込んじゃってね・・・。)
(・・・てことはうまくいったってことか・・・。)
(うん・・・。今までいろいろと気を使わせてごめん・・・。もう大丈夫だよ・・・。)
「本当だな!?」
「うわぁ!」
いきなり後ろから怒鳴られ、私は思わず大声を上げた。
「おお!?なんだなんだ!?敵襲か!?」
みんなびっくりして飛び起きた。誰かが寝ぼけていきなり走り出して転んだ。怒鳴ったのはエリオンさんだった。
「び・・・びっくりさせないでください!ああ・・・心臓が止まるかと思った。」
本当に心臓が止まるかと思った。まだどきどきいってる。
「な、なんだよ、脅かすなよまったくもう・・・。」
転んだ誰かがぶつぶつ言いながら戻ってきて、また寝袋に潜り込んだらしい。静かにはなったが、今の大声でタヌキ寝入りの人達はみんな起きあがっている。顔ぶれはと言えば、ほとんどがさっき洞窟の入口にいたと思われる人達ばかりだ。もっともタヌキではなく今の声で起きた人もいるらしい。そう言う人達は大きな口をあけてあくびをしているからすぐにわかる。
「なんだよエリオン・・・。まったくうるさい奴だなぁ・・・。あ〜〜ぁ・・・せっかく気持ちよく寝ていたのに・・・。」
ガレスさんも今起きた一人らしい。大きなあくびをしながら目をこすっている。エリオンさんはかまわず私の腕を掴んで、ギロリと睨んだ。
「本当にもう大丈夫なんだろうな。二度とウィローを泣かせたりしないか?」
「しませんよ。今回のことは反省してます。ちゃんと謝って許してもらいました。」
ウィローが自分が悪いと言っていたことなど話せば、また話が長くなるので黙っておいた。
「心配事がなくなったんだからいいじゃないか。もう寝ないと明日起きられないぞ。」
ティールさんがやはり目を擦りながらあきれたようにエリオンさんに言った。
「わかってますよ・・・。クロービス・・・それならよかったよ・・・。俺はもうウィローのあんな悲しそうな顔を見たくないんだ。よろしく頼むぞ。」
エリオンさんは少し寂しげに微笑んで、私の肩をバンバンと叩くとさっと寝袋に潜り込んだ。少しだけ鼻をすする音が聞こえた。
「おやすみ。」
「おやすみなさい。みなさんも・・・ご心配かけてすみませんでした。」
私はここでもみんなに向かって頭を下げた。みんな笑顔でうなずいてくれて、私はやっとゆっくりと眠ることが出来た。明日の朝は笑顔のウィローに会える。早く夜が明ければいいのに・・・。
翌朝、そんなに眠っていなかったのに目覚めは爽快だった。やはり夕べのことがあるからだと思う。みんなも何もなかったかのように起き出して、またいつもの一日が始まろうとしていた。でも私にとってはもう『いつもの一日』ではないのだ。ここにいられるのもあと1日か2日程度だ。まずは副団長にその話をしなければならない。
外に出て行くと、浜辺ではもう思い思いに食事の支度が始まっていたが、ウィローはまだ来ていなかった。カインと一緒に薪を拾い集め、焚き火を熾して支度を始めた頃になってやっとウィローがカーナ達と一緒に現れた。
「・・・おはよう・・・。」
ウィローはカーナ達に押されるようにして私の隣に立ち、なぜか泣きそうな顔をしている。
「おはよう。ちょうど今始めたところなんだけど、何が食べたい?」
「ねぇクロービス、私達も一緒でいい?」
カーナとステラがウィローの後ろから顔を出した。
「いいよ。一緒に支度しよう。」
「それじゃねぇ、私達も食べ物持ってるから・・・」
カーナとステラが自分達の食材を荷物から引っ張り出している間、ウィローがもじもじしている。ふと不安になった。まさか夕べのことはみんな夢で、私とウィローの間には未だに溝が出来たままでいるんじゃないだろうか・・・。
「どうしたの?夕べよく眠れなかった?」
ウィローは私の隣にしゃがみ込み、小さな声で言った。
(・・・怒ってない・・・?)
(なにを・・・?)
(私・・・途中で眠っちゃって・・・。)
(なんだ、そのことか。怒ってるわけないじゃないか。久しぶりに君の寝顔が見られてうれしかったよ・・・。)
ほっとした。夕べのことは夢じゃない。ちゃんと仲直り出来ていたんだ。
(そ・・・そうなの・・・?)
ウィローが赤くなった。
「それより風邪ひいてない?」
「大丈夫よ。起きたらマントでぐるぐる巻きだったし・・・これ・・・ありがとう。すごくあったかかったわ。」
ウィローが持っていた私のクッションとマントを差し出した。
「それならよかったよ。もしも寒いようなら今日の夜も貸してあげるよ。」
「大丈夫よ。」
ウィローは私の隣で食事の支度を手伝い始めた。
「おい、クロービス。」
顔を上げるとオシニスさんが立っている。
「今日のウィローの訓練なんだけどな。午後からにしてくれ。今日はちょっとローランまで行ってこなくちゃならないんだ。そろそろ剣も鎧も修理時だからな。ウィロー、そういうわけだから、今日の午前中はゆっくり休んでいてもいいし、自分で訓練していてもいい。ただし午後からはみっちりやるから、覚悟はしておいてくれ。」
「わ、わかりました。」
ウィローが少し緊張気味に返事をした。
食事を終えて、カインと私はウィローと一緒に管理棟へと足を向けた。
「オシニスさん達が出掛けてくれてよかったね。ここに来るのに訓練を遅らせてもらう言い訳をしなくちゃならないところだったよ。」
歩きながらカインに声をかけた。
「二人とも俺達のことは気づいてるよ。多分今日の午後からはウィローだけじゃなくて俺達も訓練の対象になると思う。みっちり仕込んでくれるつもりで武器と鎧の修理をしに行ったのかもな。」
「・・・なるほどね・・・。そうかもしれないね・・・。」
「昨日みんないろいろ言ってたものね。」
ウィローが口を挟んだ。
「うん・・・。君とクロービスのことが何とかなるまで何も言わないでおくつもりだったから、適当にごまかしてたんだけどな・・・。夕べクロービスが外に出て行ってから、オシニスさんにはズバリ言い当てられたからな。とっさになんて返していいのか思いつかなくて黙りこんじまったから、あれじゃその通りですって言ったようなもんだ。まあ隠しておけるとも思ってなかったから、仕方ないかもな・・・。」
管理棟について、副団長のいる会議室に向かおうとした時、セルーネさんが出てくるのが見えた。
「なんだみんな揃って。」
セルーネさんはいつものように笑顔で話しかけてきたが、何となく、いつもと違うような気がした。
「ええ・・・副団長にお話があって・・・。」
曖昧な返事だと思ったが、セルーネさんはそこには触れず
「そうか。訓練はどうしたんだ?」
「午前中はオシニスさん達がローランに出掛けるそうなので、午後からになったんです。」
「それじゃ私も午後から顔を出すか。久しぶりにお前達と手合わせしてみたいからな。」
「ははは・・・楽しみですね・・・。」
「ああ、楽しみだな。何ヶ月ぶりになるのかな。それじゃ、覚悟をしておけよ。」
セルーネさんはにやりと笑って管理棟を出て行った。会議室の扉をノックすると、すぐに返事があった。中では副団長が椅子に座ってこちらを向いている。まるで私達の訪問を予期していたようだ。
「おはようございます。少しお話があるんですけど、今大丈夫ですか?」
「ああ、いいぞ。クロービス、夕べは大変だったようだな。」
副団長はくすくすと笑っている。
「まさか副団長まであそこに・・・。」
「バカ言うな。俺はそんなことはしないぞ。ただ、ぞろぞろと出掛けていった奴らがいたようだとランドに聞いてね、ほどほどにしておけと伝言はしてやったがな。」
「ぞろぞろですか・・・。」
そう表現したくなるほど大勢の人達があの出口の陰に潜んでいたと言うことか・・・。どうやら私の『力』は実に正確らしい。
「まあ気を悪くしないでくれよ。みんなお前達のことが心配なのさ。飛び出していったりするバカはいなかったんだろう?」
「今にも飛び出していきそうだった人はいましたけどね。」
カインが答えて、副団長は大声で笑い出した。
「なるほどね。まあ想像はつくが、とにかく無事仲直り出来たようで何よりだな。」
「ご心配かけてすみませんでした・・・。」
「あとはもう喧嘩なんてしないでくれよ。」
「もうしないわ。グラディスさん、心配かけてごめんなさい・・・。」
ウィローと私は、副団長に向かって頭を下げた。
「うむ・・・。さて、3人で俺に話したいことってのはなんだ?椅子に座って、落ち着いてちゃんと最初から聞かせてくれよ。」
この口ぶりから察するに、副団長も話の内容は推測がついているのだろう。私達は近くにあった椅子に座り、ここを出て行くことと、その理由などを話した。
「そうか・・・。お前達がそう言い出すのは時間の問題だと思っていたが、やはりな・・・。」
副団長は腕を組み、眉間にしわを寄せて小さく頷いた。
「このままここにいたら・・・みなさんに迷惑をかけてしまいますから・・・。」
「どこか行くあてはあるのか?」
「いえ・・・。」
「実はな・・・今セルーネが来ていたんだが・・・。」
「ここに来た時会いましたよ。」
「そうか・・・。あいつは、もしもお前達がここにいたいなら公爵家の私兵を動かしてもいいと言ってきたんだ。」
「公爵家の・・・?」
セルーネさんがまったく違和感なく剣士団にとけ込んでいるので普段は誰も気にしていないが、セルーネさんの家であるベルスタイン公爵家は2代目国王陛下の王弟殿下が開祖とされる、エルバール王国の貴族達の中でも最高の家柄の古さと格式の高さを誇る。なんと言っても公爵家第1号なのだ。加えて現在のベルスタイン公爵は、ものの道理をわきまえた賢人であると聞いている。他の貴族達の人望も厚いし、領地に赴けば領民達にも慕われている。当然王家としては敵に回したくない家である。その家が私兵、つまり自分の家で独自に雇っている護衛兵士達を動かすなどと言うことになれば、確かにフロリア様も私達に手出しは出来ないかも知れない。でももしも、それでも強硬に私達を殺そうとすれば・・・・王国を二分する戦乱にまで発展しかねないのだ。
「それは危険すぎます・・・。気持ちはうれしいですけど・・・。」
副団長はうなずき、小さくため息をついた。
「そう言ってくれて、正直俺はほっとしてるよ。俺もさすがにその申し出を受けるのはまずいと思ったんだが、セルーネの奴もそう簡単に引き下がらないからな。とにかくお前達の意見を聞くからってことにしてあるんだ。」
「そうですか・・・。セルーネさんが納得してくれるといいんですけど・・・。」
ベルスタイン家の私兵は王国剣士にも匹敵するほどの腕を持つと聞く。セルーネさんが剣士団の中でも精鋭中の精鋭に数えられているのだから、それは当然かも知れない。公爵家の『姫君』より腕の劣る私兵では頼りにならない。数はそんなに大勢いるわけではないが、公爵家が兵を動かせば賛同する貴族はかなりいるはずだ。今のフロリア様のなさりように眉をひそめているのは一般国民だけではないのだから。でもそうなってくると、もう剣士団だけの問題ではなくなってしまう。セルーネさんだってその危険は百も承知のはずだ。
「そうだな・・・。ただ、お前達を出来れば行かせたくないという気持ちは、俺も同じなんだ。何か方法はないものかと考えてはいるんだが・・・。」
「私達も出来るならここにいたいと思います。せっかく帰ってきたのにまた出て行くなんて本当はいやです・・・。でも・・・。」
エルバール王国きっての名門であるベルスタイン公爵家の権力を利用するなど、セルーネさんが最も嫌っていることだ。その信念を曲げてでも私達を助けてくれようとするその気持ちはうれしいが・・・こんな話を聞いてしまってはなおさらここにはいられない。
「もう決めたんです。私達はここを出て行きます。」
「だが・・・あてもなく出て行っても・・・まあ金ならモンスター達を倒せば何とかなるだろうが・・・。旅から旅の宿無しなんて・・・ウィロー、お前はそれでいいのか・・・・?」
ウィローが顔を上げて、微笑んだ。
「私はね、クロービスと一緒ならどこでもいいの。私だけここに残っても、結局はみなさんに迷惑をかけるわ。だからクロービスのそばより安全な場所なんてないと思うわよ。」
「なるほどな・・・。確かにそうかも知れない・・・。」
副団長は大きくため息をつき、体を椅子に沈み込ませた。
「情けないな・・・。何かしてやりたいのに何も出来ん・・・。国民の間からは日増しに剣士団復活を願う声が上がってきている。レイナック殿が毎日フロリア様に掛け合っているという情報もあるが、フロリア様は難色を示されているらしい。もう俺達を王宮に呼び戻すつもりはないのかもしれんな・・・。」
「副団長、俺達はフロリア様を何とか元に戻すことが出来ないものか、少し調べてみようと思ってるんです。」
突然のカインの言葉に、副団長が驚いて顔をあげた。
「元に戻す?どういうことだ?」
「カイン、その話は・・・?」
私も驚いていた。初めて聞く話だ。
「クロービス、ごめん、急にこんなこと言いだして。前に言ったよな?俺が何を考えているのか、まとまったら必ず言うって。」
「それがその話なの?」
「ああ・・・。お前、クロンファンラの図書館で読んだ本のこと憶えているか?」
「何冊か読んだけど・・・。」
「神話の話さ。」
「あ・・・。あの悪魔に魅入られた王の話?」
「そう、あの時はただのおとぎ話だと思っていたけど・・・。どうも今のフロリア様の状態に符合するところが多くて・・・。でもあんまり突飛な発想だからな。それでいろいろ考えていたんだ。そしてこの間ロゼから話を聞いて・・・カナの村でロイが言っていたような偽者説は、なくなったと思っていいと思うんだ。」
「確かにね・・・。」
「だから・・・あの神話の話について、図書館でもう少し調べてみたいんだよ。」
「ちょっと待て。何なんだ、その神話だの悪魔だのと・・・。」
きょとんとしている副団長に私は、初めてクロンファンラに行った日、王立図書館で読んだ本の話をした。
「なるほど・・・。確かに今のフロリア様と符合することは多いが・・・だがいくら何でも魔法なんて・・・。」
「俺も魔法なんて信じているわけじゃないですよ。でも魔法じゃなくたって誰かに脅されたりとか、言うことを聞かざるを得ない状況に追い込まれてるってことだって考えられるじゃないですか。あの本が王立図書館にあったってことは、その誰かがあの本を読んでわざとそれになぞらえたってことも考えられるし・・・。」
副団長は、大きくため息をついた。
「確かに・・・俺だって今王宮にいらっしゃるフロリア様がいつものフロリア様だとは思いたくないさ・・・。だからって偽者なんかであるはずもない・・・。俺は王宮を出る前に何度かフロリア様と話したが、間違いなくあのお方は本物のフロリア様だった。」
「偽者ならもっと話は簡単かも知れません・・・。本物を探し出すことが出来れば解決するわけですから。でも今副団長がおっしゃったように、今王宮にいらっしゃるフロリア様が偽者だとは思えません。そんなに同じ顔の人間が二人もいるとは考えにくいし、もしも偽者なら、もうずっと長い間みんなをだまし続けていたことになります。」
「・・・一発勝負でだますなら簡単だが、長い間だまし続けるってのはかなり難しいからな・・・。」
「はい・・・。だとすればあとは、フロリア様が何らかの原因で変わってしまったと考えるのが自然です。」
「そしてその原因が、その神話の中にあるかも知れないと、そういうことか・・・。」
「信じられないとしても仕方ないと思います。でも俺は調べてみたいんです。フロリア様が以前のフロリア様に戻るための手がかりを、何とかして探したいんです。フロリア様が元に戻りさえすれば、もうこんなところにいる必要はなくなる。王宮に大手を振って戻れる日が来るんです。俺達だって逃げ回る必要もなくなるし、言うことないじゃないですか。」
「・・・そうだな・・・。どんな可能性でも、あるならそれに賭けてみるしかないのかも知れないな・・・。いずれは王宮を取り戻さなくてはならない。だが・・・フロリア様に弓引くなど今の剣士団の連中には出来ないだろう・・・。何とか穏便に済ませることが出来れば・・・。」
副団長は少しの間、頭をガリガリ掻きながら首をひねっていた。思案している時の副団長のくせなのだが、これもまた当分見納めか・・・。
「だが、今の話は俺一人の胸に納めておくよ。誰かに言っても笑い飛ばされるか、あきれられるのが落ちだ。」
副団長の言葉を聞いて、カインの顔に落胆の色が浮かんだ。カインはもしかしたら、本当にフロリア様が魔法にかかっていると思ってるんじゃないだろうか。『魔法なんて・・・』といって見せたのは、きっとそんなことを真剣に話しても誰も信じてはくれないからそう言っただけで、カインの目的はその魔法が何なのかを調べて、それをとく方法を突き止めること・・・。そう考えるとつじつまが合う。この結論にたどり着くまでカインがあんなに長い間考え込んでいた理由もわかる。副団長はもしかしたらカインの話をまともに受け取ってはいないかもしれない。でもそれも仕方ないと思う。フロリア様の豹変の理由を大昔のおとぎ話に見出そうなどと言う考えそのものが、無謀としかいいようのないものだ。
「それじゃ・・・そうだな・・・。今日の夕方、偵察の連中が戻ったときにお前達のことをみんなに話そう。それまでは出来るだけこの話を避けていてくれ。」
「わかりました。」
「クロービス・・・。」
「はい。」
「俺は今、カナの村長の気持ちがいたいほどわかるぞ。」
「・・・・・・・・・・。」
「正直なところ、俺はウィローをお前と一緒に行かせたくないと思ってる。」
「グラディスさん、それは・・・!」
ウィローがあわてて身を乗り出した。
「まあそうあわてるな。そうは思ってもな・・・お前の言うとおり、この世界のどこにいたって安全な場所なんてありそうにない。強いて言うならそれはクロービスのそばなんだろうと思うよ。だから非常に複雑な心境なのさ。」
「グラディスさん・・・。」
ウィローが泣きそうに顔をゆがめた。
「お前ももう立派な大人だからなぁ。いつまでも知り合った頃のおてんば娘のようなつもりでいちゃならないんだろうとは思うんだが・・・。とにかく無茶はしないでくれよ。三人ともだ。」
「わかりました・・・。」
「今日の午後は俺もお前達の訓練に付き合うか。ここにいると体がなまって仕方ないよ。」
「そう言えば副団長はここからずっと動きませんよね。」
カインが尋ねた。元々副団長は剣士団のまとめ役として、現場の剣士達と一緒にいることのほうが多かった。でも今はほとんど管理棟にこもりっきりで、めったにみんなの前に姿を現さない。
「そりゃそうさ。指揮官がうろちょろしていたら現場の連中はやりにくくてしょうがないじゃないか。俺が今までしょっちゅうお前らと一緒にいたのは、俺がトップじゃなかったからだ。以前の俺の役目はあくまで団長の補佐だった。団長が団をまとめやすいように俺が動く。もちろん俺一人では難しいが、ティール達も協力してくれていたから、それでうまくいってたんだよ。だが、もう団長はいない。新団長選出は俺達が王宮に戻ってからのことになるだろう。とりあえず今は俺が指揮を執るしかないんだ。しかし・・・いささかうんざりしていることも確かさ。俺はトップには向かないよ。」
副団長は大声で笑ってみせた。でもその笑顔にも影が見える。副団長だけじゃなく、みんな疲れてきている。私達はここに来て10日だが、みんなはもっと前からいるのだ。しかも王宮からは反逆者扱いされて、城下町を制服を着て歩くことすら出来ない。家に帰るにもこそこそと隠れながらでなければならない・・・。
管理棟を出たところで、ハディとリーザに出会った。私達が出てくるのを待っていたらしい。
「今日の訓練は午後からだそうだな。さっきオシニスさんに聞いたよ。それまで軽くやらないか?」
ハディは言いながら剣の柄をぐいっと引っ張ってみせた。
「そうだな・・・。クロービス、お前行ってこいよ。俺はちょっと休んでおくよ。」
カインが私の肩を叩いた。傍目にも沈んでいるとはっきりわかる表情だ。
「何だよ、元気ないな。どこか悪いのか?前みたいに風邪ひいてるのに全然気づかなかったなんて言うんじゃないだろうな。」
「そんなんじゃないよ。」
ため息をつくカインを、ハディは心配そうに見ている。カインはすまなそうに片手をあげると、洞窟の向こう側へと歩いていった。
「ねえ、二人とも私の相手をお願い出来ない?午前中は自由にしてていいけど午後からはみっちりだぞって今朝オシニスさんに言われたから、あんまりゆっくりもしていられないと思って。」
カインの後ろ姿を心配そうに見つめるハディ達に、ウィローが声をかけた。
「あら、それじゃこちらこそお願いしたいわ。今度こそウィローから一本取りたいから。」
「おい、それじゃ体慣らしにならないじゃないか。午後になる頃にはウィローがばててるんじゃ何にもならないぞ。」
「あら大丈夫よ。そのくらいちゃんと考えてるんだから。」
口をとがらせるリーザと、あきれ顔のハディを訓練場へと押しやりながら、ウィローが振り向いてカインの背中を指さした。ウィローの気遣いを素直に受けることにして、私はカインの後を追った。
洞窟を抜けると、カインは浜辺にぼんやりと立ちつくしていた。
「カイン・・・。」
「・・・訓練に行かないのか・・?」
「ウィローがハディ達に相手してもらうって。」
「そうか・・・。」
「みんな心配してたよ。」
カインは横目で私を見て、ふっと自嘲気味な笑みを漏らした。
「バカだと思うか・・・?フロリア様が魔法をかけられているかも知れないなんて、俺は本気で考えてるんだ。」
「・・・・信じてないって言ったのは方便か・・・。」
「そうさ・・・。いきなりそんなことを本気で言い出したりしたら、頭がおかしくなったと思われるのが落ちだ。そうでなくても副団長が言ったように『笑われるかあきれられる』のがせいぜいさ・・・。」
「本気で調べるつもりなの?」
「・・・ばかげてると俺だって思うよ。たまたま読んだ神話の話が今起きてることと似てるからって、そんなものを信じて調べてみようなんて・・・。でもそれしかないんだ!どんなにばかげていても、可能性があるなら俺はそれに賭けてみたい・・・。今のまま、何も出来ずにただ逃げ続けるなんて俺はごめんだ!」
カインは叫びながら両手を握りしめて海の彼方を睨んだ。悔しさが痛いほどに伝わってくる。
「わかったよ。それじゃ、旅の最初の目的地はクロンファンラだね。」
「・・・本当にいいのか?」
「いいに決まってるじゃないか。君の行くところ、どこだって一緒に行くよ。」
「お前は魔法なんて信じてないんだろう?」
「信じてないよ。」
「それなら何で俺と一緒に来るんだ?」
「君と別行動をとる理由がないからだよ。南大陸では王国剣士が私達二人だけだったから仕方なく別々に動いたけど、ここにはたくさんいるじゃないか。」
「お前にはウィローがいるじゃないか。俺になんてかまわずに、二人でどこかに行けばいいんだ。どこか遠くで結婚して、幸せに暮らすことだって出来るじゃないか。」
「そんな無責任なことは出来ないよ。それじゃ一生逃げ続けの生活になっちゃうじゃないか。それに、剣士団はもう私の家も同然なんだ。剣士団長に『共にエルバールを守って行こう』と言われたときから、ここが自分の居場所だと信じてここまで来たんだよ。今は出て行くけど、いつか必ず帰って来る。そのためにも、今出来ることがあるならどんなことだってしたいんだ。」
「自分が信じてもいないことでもか?」
今日のカインはいやに突っかかる。でもそれは、きっと不安だからだ。カインも同じなんだ・・・。
「私が信じていないことでも、その中に真実が絶対にないとは限らないよ。それにフロリア様が変わってしまったのは事実なんだから、そこに何かしら理由があるはずなのは確かだよね?さっき君が言ったように、誰かに脅されていることだって考えられるし、魔法がなくても操る方法があるかも知れない。」
「魔法以外に何があるっていうんだ?」
「そこまではわからないよ。でも、私達が今知っていることがこの世のすべてってわけじゃないんだから、丁寧に情報を集めて調べれば、もしかしたら・・・いや、きっと何か手がかりが見つかるよ。」
「・・・・・・。」
黙りこんだカインは、うつむいて唇を噛みしめている。目の縁に涙がたまり、みるみるうちに大きくなって頬を伝った。
「お前を巻き込みたくなかったんだ・・・。せっかくウィローと仲直りできて、これからいくらでも幸せになれるってのに・・・。なのに・・・お前が一緒に来てくれるって聞いて・・・すごくうれしいんだよ・・・。俺と一緒に逃げていたらお前はいつまでたってもウィローと結婚も出来やしない、幸せになんてなれないってわかってるのに・・・。俺は一人じゃないんだって思ったらうれしくて・・・。俺は・・・なんて勝手な奴なんだろうな・・・。」
カインは流れ出た涙を何度も拭った。拭っても拭ってもそのたびに涙は溢れて頬を濡らし続ける。その姿が夕べの私と重なる・・・。これからの生活が不安で、怖くて仕方なくて、ウィローにしがみつくようにして泣いていた私の姿に・・・。
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