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第40章 あてのない旅路へ

 
 洞窟の中に戻ると、みんながハディを取り囲み、質問攻めにしているところだった。カインが私に気づき顔をあげた。
 
「遅かったな。」
 
「ちょっとね。」
 
 カインは一歩進んで私に近づき、声を落とした。
 
(ウィローと会うのか?)
 
 私は黙ってうなずいた。
 
(そうか・・・。きっとうまくいくさ。)
 
 そう願いたいものだ。でも・・・ウィローがどんな決断を下しても気をしっかりと持てるよう、心の準備だけはしておかなくてはならないかも知れない。
 
「お、クロービス、水浴びに行こうぜ。」
 
 ハディがやっと私に気づき、腰を上げた。他にも何人か一緒に行こうと言い出し、結局6〜7人で水浴びに出掛けることになった。
 
 
「あれ?君達水浴びかい?」
 
 浜辺に向かう途中、ハリーさんが私達に気づいて声をかけてきた。
 
「だいぶいい汗かきましたからね。あとはさっぱりして眠れれば最高だなと思って。」
 
 ハディが笑顔で答える。
 
「ふぅん・・・。俺達も水浴びしたいくらいだけど、明日の朝は熱い風呂に入れるから我慢しなくちゃなぁ・・・。」
 
「そういやハリー、さっきウィローが風呂のことで何か言ってなかったっけ?」
 
 キャラハンさんが思い出したように口を挟んだ。
 
「ん?あ、そう言えば・・・。」
 
「ウィローが・・・?」
 
 私は思わず聞き返した。
 
「うん。洞窟の中から飛び出してきて、外にいたセルーネさんと何か話してたんだけど、風呂がどうのこうのって言っていたような気がするなぁ。とぎれとぎれにしか聞こえなかったからよくわからないんだけどね。泣きそうな顔してたけど何かあったのかな。クロービス、聞いてる?」
 
「いえ、別に聞いてないです。」
 
 少しだけ不安になる。
 
「キャラハンさん、ウィローはきれい好きなんですよ。多分風呂に入りたかったんじゃないのかな。さっきのクロービスとの立合では相当汗をかいたはずですからね。」
 
とカイン。
 
「あ、そうかぁ・・・。なるほどね。そう言えばそうだ。うん、納得納得。」
 
 キャラハンさんはうれしそうにうなずいた。
 
「なるほどね・・・。きれい好きにここの生活はきついよなぁ。まったく・・・こんなところにいるんじゃなきゃあ・・・今頃は宿舎の風呂でゆっくり出来たのになぁ・・・。」
 
 ハリーさんがため息をつく。
 
「ま、しかたないさ。あの広い風呂場を取り戻すためにも、今はしっかり警備しないとね。」
 
 珍しくまじめなことを言うキャラハンさんに、シルフィさんが近づいてきた。
 
「そう思うならこんなところで突っ立ってないの。裏の浜辺も見てきてよ。あのあたりは断崖絶壁だから敵が入り込むとは思えないけど、用心はしないとね。」
 
「それじゃ俺達はあのあたりの巡回ですか?」
 
「巡回はしなくていいわ。今の時間に見てきてもらえればあとは大丈夫よ。これからの時間は洞窟の中にも人がたくさんいるしね。敵が入り込んでくるならかえって好都合よ。とっつかまえて締めあげてやるわ。」
 
 シルフィさんは両手で首を絞めるような仕草をしながら、片頬だけでニッと笑った。私は心の中でほっと胸をなで下ろしていた。キャラハンさん達にしょっちゅう巡回されていたのでは、落ち着いて話なんて出来やしない。
 
「はぁい。ハリー、行こう。それじゃ君達、風邪ひかないようにね。」
 
 ハリーさん達と別れ、浜辺の隅にある浅瀬に着いた。海に入り汗を流すのは、これはこれで気持ちいい。それにこのあたりの水はそんなに塩辛くない。近くに極北の地を流れる川の河口があり、そこから淡水が流れ込んでくるかららしい。『汽水』と言って、そう言う場所には珍しい生物が育つらしいのだが、この闇の中ではわからない。少なくともここの水はきれいだから、突然変異を起こすようなことはないだろうけど・・・。
 
「ちょっと冷たいけど気持ちいいなぁ。」
 
 ハディは喜々として泳いでいる。確かにハディの泳ぎはすばらしい。フォームもきれいだしスピードもある。でもこんな暗闇の浅瀬でフルスピードで泳いでいる姿は、ちょっと奇妙に見える。
 
「こんな浅瀬で力一杯泳ぐ奴も珍しいよな。」
 
 カインも笑っている。
 
「きっと久しぶりなんだろうね。」
 
「そうだな。」
 
 すっかりさっぱりとして、でも少し寒いなと感じながら私達は洞窟に戻ってきた。中ではもうみんな寝袋を並べていた。すでに眠っている人もいたし、ランプを灯して本を読んでいる人もいる。私はみんなと同じように自分の寝袋を広げ、鎧も武器も置いた。制服は脱いで何枚か下着を着込み、その上に自分の上着を重ね着した。そしていつも不寝番の時に持って行く巾着だけを腰につけた。ウィローが来るかどうか、来るとしてもそれがいつなのかわからない。夜は冷える。もしも長く待つことになりそうなら、火を熾してお茶の一杯くらい飲めるようにしておいたほうがいいかもしれない。
 
「・・・・・・・?」
 
 誰かが後ろから私を見ている。誰かまではわからないが、確かに視線を感じる。後ろには何人かが寝袋を広げているが、こんなに鋭く私を見ている人物がいるとすれば多分・・・。
 
「武器は持たなくていいのか?」
 
 不意にカインに尋ねられ、私の意識は自分の背後からそれた。とりあえず敵ではないのだから気にはしないでおこう。それに、それが誰なのかは多分あとでわかるだろう。
 
「大丈夫だよ。いざとなったら『天地共鳴』でも使うから。みんなを起こしちゃうけどね。」
 
「ははは、お前には風水があるからな。敵襲の知らせと攻撃を一度に出来るからいいんじゃないか。」
 
「そうだね、手間が省ける。」
 
「冷えないようにしろよ。」
 
「うん、少し多めに着込んだし、マントも持って行くよ。」
 
「何か敷く物も持って行ったほうがいいんじゃないか。腰を下ろせるようにな。」
 
「あ、そうか。うっかりしていたよ、ありがとう、カイン。」
 
 私は不寝番の時に使うクッションを荷物から引っ張り出して肩にかけた。
 
「備えはあったほうがいいからな。気をつけて行けよ。」
 
「それじゃ、行ってくるね。」
 
 
「おいクロービス、どこに行くんだ?」
 
 洞窟を出て行こうとする私にオシニスさんが気づいた。
 
「ちょっと外で風にあたってきます。」
 
 その答えにオシニスさんはやりと笑った。
 
「そうか。敵が潜んでるかも知れないから用心しろよ。」
 
「はい。」
 
「それから外ではやめとけ、風邪ひくからな。」
 
「何をですか?」
 
「だから、外で服を脱ぐのは・・・いて!」
 
 オシニスさんが言い終わる前に、ライザーさんのゲンコツがオシニスさんの頭に炸裂した。かなり大きな音がしたから相当痛いだろう。
 
「だからどうして君はそう一言多いんだ・・・?」
 
 ライザーさんは拳を振りあげたままの姿勢で、オシニスさんを睨んでいる。
 
「おーいててて・・・殴る前に一言断ってからにしろ!」
 
「断ったら逃げられるじゃないか。」
 
「当たり前だ!はいそうですかと殴られるバカがどこにいる!?」
 
「君がよけいなことを言わなければ、僕だって殴らなくてすむんだ!」
 
「俺は忠告しただけだ。」
 
「よけいな忠告だ。まったくもう・・・。」
 
 ライザーさんが拳を下ろしてため息をついた。そして私に視線を移し、
 
「クロービス、ここは気にしなくていいから、早く行ったほうがいいんじゃないのか?」
 
 言いながらやはりニッと笑った。
 
「あ、はい。」
 
 私がこれからどこに行くか、誰と会うのか、みんなわかっている。
 
(覗かれないといいんだけどな・・・。)
 
 別に隠すつもりはないし、もちろん外で服を脱ぐようなことをするつもりはない。でもだからといって物陰から覗かれるのは勘弁してほしいものだ。
 
(『海鳴りの祠』に行けばその心配はないか・・・。)
 
 それにあの光がウィローにはどう見えるのか知りたい。あそこに連れて行って、あの大きなハース聖石を見せてあげよう。
 
 
 浜辺に着いた。ウィローの姿はまだない。少しほっとした。呼び出したほうが遅れたのではみっともない。少し背中がぞくりとした。体が冷えてきているらしい。ウィローは来るか来ないかわからない。でも私は一晩でも待つつもりでいる。
 
(火を熾そうかな・・・。)
 
 ふとそう考えたが、とりあえずやめておくことにした。何枚か着込んできたし、剣士団のマントも羽織っている。もう少しこのまま待とう。
 
 今夜は満月ではないが、月がとても明るくあたりを照らし出している。ぼんやりと月を眺めながら、私はウィローと初めて出会った時のことを思い出していた。カナの村の展望台で突然現れた女の子・・・。子供っぽい笑顔がかわいいと、つい思ったことをぽろりと口に出してしまい、口がうまいと言われたこと・・・。でもそのあとそんなことを言ってごめんなさいと笑顔で謝ってくれた。自信たっぷりに治療術が使えると言ったのに、実は『自然の恩恵』しか使えなかったこと。でも呪文があてに出来ないとわかったあとも、私はウィローを連れて行くのをやめようとは思わなかった。あの時から・・・私はずっとウィローに惹かれていたんだ・・・。自分でも気づかなかった。そして気づいてからも、自分の気持ちを押し殺してカインとウィローの仲を取り持とうなどと考えていた・・・。でもカインと別れる前の晩、自分の気持ちをはっきりと自覚して私はカインに殴りかかった・・・。この手に、カインが吹っ飛ぶほどの力を込めて・・・。
 
−−・・・・・・−−
 
 あの時カインを殴り飛ばした自分の右手を見るともなしに見ていた私の耳に、洞窟の中から足音が聞こえてきた。そして振り向いた時、洞窟の入り口にウィローが立っていた。月明かりに照らされているがその表情まではわからない。
 
「ウィロー・・・・。」
 
「クロービス・・・!」
 
 ウィローはまっすぐ私の腕の中に飛び込んできて、そのまま泣き出した。しっかりと抱いてなだめるように背中を撫でていると、うれしくて私まで涙がにじみそうになった。こんなふうにウィローを抱きしめるのはいったい何日ぶりだろう。すぐには思い出せないほどだ。
 
「・・・ウィロー、こうして来てくれたってことは・・・距離を置くのはもう終わりにしていいってことだよね・・・?」
 
 ウィローの肩がびくっと震えた。
 
「まだ・・・だめかな・・・?」
 
 急に不安になってそう囁いた。ウィローが慌てたように首を左右に激しく振った。
 
「よかった・・・。実を言うとそろそろ限界だったんだよ。君とこれ以上離れているなんて、耐えられなくなりそうだったんだ。・・・よかった・・・。」
 
 心からほっとして、私はウィローを抱く腕に力を込めた。
 
「・・・ごめんなさい・・・。」
 
「君が謝ることなんてなにもないよ。」
 
「でも私・・・あなたにひどいこと言ったわ・・・。」
 
「君は何も悪くないよ。悪いのは私のほうなんだ。」
 
「違う・・・私が悪いのよ。私がろくに考えもしないであんなこと言ったから・・・。」
 
「君にはそうしなきゃならない理由があったんだ。なのに私は・・・君の気持ちも考えずに自分の気持ちばかり押しつけて・・・。慣れない土地に来て心細かったはずなのに、つらい思いばかりさせてごめんね・・・。」
 
「そんなことないわ・・・。私が悪いの・・・。わがままばかり言って・・・。最初からちゃんと、自分の気持ちを正直に言えばよかったのに・・・ずっと後悔してたの・・・。」
 
「同じことを私も考えていたよ・・・。君のことが心配だからっていう理由だけで、君のすること全部に口出しして・・・それが当たり前のつもりでいたんだ・・・。もっときちんと話し合いをすればよかったなって・・・ずっと後悔してたよ・・・。」
 
「あなたは悪くないわよ・・・。あなたがずっと私のことを心配してくれていたの知ってるわ。ここに来て訓練を始めてから、あなたが毎日カインに私のことを聞いてたのも知ってる・・・。なのに一人ですねてへそを曲げて・・・私・・・最低だわ・・・。」
 
「でもその原因を作ったのは私だよ・・・。エミーのことだって、私がもっとちゃんとした態度をとっていればあんなことにならなかったかも知れない。それに君まで巻き込んで・・・。」
 
 あの騒ぎのあと、2日ほどしてパティ達がローランを出たとランドさんから聞いた。エミーは私達がローランを出た朝に目を覚まし、1日泣いていたそうだ。気持ちを受け取ることが出来ないのに中途半端に期待を持たせて、結果として私はエミーをひどく傷つけてしまった。そんなつもりじゃなかったなんていくら言ってみたところで、何のいいわけにもならない。
 
「・・・・・・・・。」
 
 ウィローが悲しげに唇をかんだ。ウィローにとってもあの出来事はつらい出来事だったに違いない。
 
「きちんと自分の気持ちを相手に伝える努力をするってことがどれほど大事なことか、身にしみてわかったよ・・・。」
 
「そうね・・・。気持ちを言葉で伝えるって、そんな当たり前のことが理解できるようになるまで、ずいぶん遠回りしちゃったわ・・・。」
 
「遠回りか・・・。一緒に北大陸に来てから、もう10日も過ぎちゃったんだね・・・。」
 
「そうね・・・。」
 
 ウィローが悲しげにため息をついた。
 
「ねぇウィロー・・・今からでもその分取り戻せるかな・・・?」
 
「・・・取り戻せるの・・・?」
 
「取り戻せるよ。10日間、もしも私達がこんなことで仲違いしなければ一緒にいられたはずの時間、いろんなことを話せたはずの時間を・・・今からでも取り戻したいんだ。」
 
「クロービス・・・。」
 
 ウィローが涙をためた目で私を見上げた。
 
「私も・・・私も取り戻したい・・・。」
 
「・・・それじゃ、この話はもう終わりにしよう。・・・君とやっと二人きりで会えたんだから、もっと君と話したいことがたくさんあるんだ。」
 
 私達はあらためてしっかりと抱き合った。ウィローが腕の中で安心したように大きく深呼吸する。
 
「寂しかった・・・。自分が招いたことなんだって思っても、寂しくて寂しくて・・・あなたにこうして抱きしめられる夢を何度も見たわ。私ももう限界だったの・・・。よかった・・・。」
 
「私も寂しかったよ。もう二度とあんな思いはしたくない。」
 
 ずっとそばにいてほしい。ここを出ても、どこに行くことになってもずっと・・・。それが私のわがままだとわかっていても、私はウィローを手放したくない。そう言いかけた言葉を、なぜか私は飲み込んでしまった。ついさっきまで、私はウィローさえいいと言ってくれれば一緒にここを出るつもりでいたのに、もうその決意が揺らいでいる。本当にそれでいいのか、私のわがままにウィローを巻き込んでしまっていいのか・・・。自信がなくなっていた。
 
「・・・ねぇクロービス・・・。」
 
「・・・ん?」
 
「・・・ここを出るつもりなの・・・?」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 ウィローは黙り込んだ私を見上げている。あの深い藍色の瞳で。この瞳に見つめられると、何もかも話したくなってしまう。
 
「やっぱりそうなのね・・・。」
 
「・・・誰か何か言ってた・・・?」
 
 ウィローがうなずいた。
 
「みんな言っていたわ。あなただけじゃなくて、カインも一緒に出て行くつもりでいるんじゃないかって。」
 
「そうか・・・。」
 
「・・・やっぱり・・・今朝のことで・・・?」
 
「狙われているのは私達二人だからね。どちらか一人でも残れば、みんなの足手まといになってしまうよ。せっかく帰って来れたのにみんなと別れたくはないけど・・・迷惑はかけられないから・・・。」
 
「そう・・・。」
 
「ウィロー・・・。」
 
「なぁに?」
 
「・・・君は・・・これからどうしたい?」
 
「どうって・・・私は・・・あなたと一緒にいたいわ。もう離れたくない・・・。」
 
 それは私も同じだ。でも今度ばかりはそう簡単に連れて行くよと返事は出来ない。でもここで『ウィローのため』のつもりで黙り込んでしまったり、冷たく突き放してここに置いていこうなどと考えたところで、あとになって死ぬほど後悔するのは自分だと言うことを、今回のことで私はいやと言うほど思い知らされていた。一緒に行くか行かないかはこれから決めればいい。とにかく、今回のような喧嘩は二度としたくない。私は今の気持ちを正直に言うことにした。
 
「あなたも同じよね?これ以上距離を置くのはつらいって、言ってくれたわよね?連れて行って・・・くれるわよ・・・ね・・・?」
 
 ウィローの声が少しずつか細くなり、今にも泣き出しそうだ。
 
「迷ってるんだ・・・。」
 
「どうして迷ってるの・・・?」
 
「カインと私は追われてるんだよ。」
 
「わかってるわ。」
 
「追手を出しているのは王宮なんだ。濡れ衣だろうが何だろうが、私達は今、反逆者なんだよ。」
 
「わかってるわよ。」
 
「本当にわかってる?それがどれほど危険なことか・・・。ひとところに長くとどまることも出来ない。もちろん家になんて帰れない。いつも追手の影に怯えながらこそこそと動き回らなければならないんだよ。君は追われているわけじゃないんだから、わざわざそんな危険に飛び込むことはないじゃないか。」
 
「もう飛び込んだも同じよ。もしもあなた達と一緒に行かなければ、王宮は私を捕まえてあなた達をおびき寄せるえさにしようとするかも知れないわ。でなければ殺して見せしめにするか・・・。」
 
 反論できない・・・。フロリア様が以前のフロリア様でないのなら、その可能性がないとは言い切れない。
 
「だから、あなたのそばよりも安全な場所なんて、この世界中どこを探したってないのよ、きっと。」
 
 ウィローが微笑んだ。とっくに覚悟は決めたわよ、という笑みだ。いざというとき度胸があるのは、実は男より女のほうかも知れない。ウィローが覚悟を決めているということは、あとは私が決断しなければならないと言うことだ。
 
−−・・・くそ!じれったいな・・・−−
 
 突然頭の奥に声が響いてきて、思わず辺りを見回しそうになった。見回したところでこの浜辺には私達以外に誰もいるはずがない。この声はたぶんエリオンさんのものだ。耳から聞こえるわけでもないのに声の主がわかるというのもおかしな話だが、実際わかるのだからしかたがない。ウィローの背後に口をあけている洞窟の出口付近に、何人かの気配があることは先ほどからずっと感じていたが、やはりその中にはエリオンさんがいるらしい。さっき、身支度を整えている間中ずっと背後に感じていた視線も、多分彼なんだろう。おそらくみんな洞窟の出口のすぐ内側にある狭い通路あたりに隠れて、こちらを窺っているはずだ。最近は人の気配にかなり敏感になっていた。人と言うより、多少なりとも知能を持った生き物が近くにいれば、必ずと言っていいほど気配を感じ取れる。こんな時は便利だが不便な時のほうが圧倒的に多い。だがこの能力は、心に張り巡らせた『防壁』では防ぎようがないものらしい。人外のものとしか思えないような力が自分の中で少しずつ強まっていくことはあまり気分のいいものではないが、消し去ることが出来ないのならうまく折り合いをつけていくしか道はない。
 
 元々そんなに高くない私の声は多分あそこまでは届かないだろうが、ウィローはまさかあんなところに誰かが潜んでいるなどとは夢にも思ってないだろうから、さっきからずっと普通の大きさの声で話していた。ウィローの声はとてもよく通る。『じれったい』といらいらしているのはエリオンさんだけでなく、多分そこにいるみんなだろうと思う。ウィローの言葉に私がなんと返しているかわからないならなおさらだ。エリオンさんがいればおそらくはガレスさんもいる。さっきの態度からしてオシニスさんもきっといるだろうから、当然ライザーさんも来ていると思う。それだけで4人・・・。ウィローがセルーネさんに頼んで風呂の順番を入れ替えてもらったとすれば、セルーネさんもウィローが私とここで会う約束をしていることを知っているはずだから、きっといる。となればティールさんもか・・・。カーナとステラは言うまでもなく、もしかしたらリーザもいるかも知れない。確か風呂に入りたいと言っていたから、ウィローから何か聞いたかも知れないし、たとえウィローが何も言わなくてもカーナ達が黙っているとも考えにくい。まさかハディまでいるんだろうか。
 
 そう考えると、いったいあの洞窟の出口付近には何人の王国剣士が潜んでいるのだろう。万一ここで敵に襲われても何の心配も要らないくらいはいそうだが、敵に襲われる心配より話を聞かれてしまうことのほうが心配だ。それにそんなに大勢の人達に見られているとわかっていては、おちおちキスも出来やしない。
 
(カインは・・・いるのかな・・・。)
 
 みんなしてぞろぞろと出かけてきたのなら、カインもきっと心配で来ているだろう。みんなを止めるに止められず、困ってるんじゃないだろうか。止めて止まってくれるくらいの人達なら、最初から来ようなんて考えないだろうし・・・。
 
「クロービス・・・?」
 
 不安げに私を見上げるウィローに、私は精一杯の笑みを返した。とりあえずみんなのことは気にしないでおこう。みんなが心配してくれているのはわかるから、多少話を聞かれるくらいは仕方ない。聞かれたくないことを話さなければいいのだし、抱き合うところくらいは見られても、かえって仲直りしたことをアピール出来る。そうすれば少なくとも、エリオンさんやセルーネさんあたりが苛立って飛び出してきたりする事態は避けられるだろう。とにかくさっさと移動したほうがよさそうだ。
 
「ウィロー、結論を出す前に、もう一度ちゃんと話し合おうよ。」
 
「いいけど・・・でも私はもう決めてるわ。」
 
 ウィローの声に少しだけすねたような響きがこもった。
 
「本物の『海鳴りの祠』のことは聞いた?」
 
「聞いたけど・・・誰も連れて行ってくれなかったわ。あなたに連れて行ってもらいなさいって。一人で行ける時間もなかったし・・・。」
 
「それじゃ連れて行くよ。そこなら誰にも邪魔されずに話が出来るよ。」
 
 やっとウィローと二人きりになれたのだから、せめて誰の声も聞こえず、誰にも話を聞かれない場所でゆっくりと話をしたい。歩き出す前に、私は洞窟の入口を振り返った。私達が移動すれば、みんなあきらめて帰るだろう。向こうの海鳴りの祠は入り口付近に人が潜める場所がないから、覗かれる心配もなさそうだ。第一、祠までの道は一本道だ。あとをついてくるだけで目立ってしょうがない。私はウィローの肩を抱いて歩き出した。出来るだけ仲良さそうに見えるように、もう何の心配も要らないと思ってもらえるように。あとはカインと・・・多分ティールさんならみんなをなだめて引き上げさせてくれるだろう。
 
 
                    
 
 
 ちょうどこれから満潮になるらしく、祠への道はもうすぐ冠水しそうだった。所々にまだ顔を出している道を飛び石のように渡りながら、私達は『海鳴りの祠』に着いた。
 
「うわぁ・・・こんなところがあったのねぇ・・・。ずっと向こうで訓練ばかりしていたから、教えられてもどのあたりにあるのかよくわからなかったけど・・・。」
 
 ウィローは祠の入り口に立ち、中を眺め渡した。
 
「ここが元々の海鳴りの祠なのね・・・。この光がその『浄化の光』?」
 
「そうだよ。君には何色に見える?」
 
 ウィローは天井から床まで首を動かして光を眺め、少し首をかしげた。
 
「そうねぇ・・・私には白く見えるけど・・・でも少しだけ・・・金色がかっているかな・・・。」
 
「金色?」
 
 ウィローは首をかしげ、光の外に移動してもう一度光を眺めた。
 
「うん・・・。あのね、白く見えることは見えるのよ。でもまぶしいくらいの白さで、どことなく金色に輝いているような・・・。」
 
 自分の見ている色をうまく表現できる言葉が見つからないらしい。
 
「でも白ってことは、基本的には私やライザーさんと同じだね。」
 
「へぇ・・・治療術を使える人はみんな白く見えるのかな。」
 
「そうだなぁ・・・。ティールさんあたりだとどう見えるのかわからないけど・・・。でも何となくあの人なら私達と同じように見えそうな気がするね。」
 
「治療術が使える人達ってみんな穏やかで落ち着いた人が多いものね。気功の使い手は人によっていろいろ違うみたいだけど。」
 
「ははは・・・。カインが不満そうだったよ。キャラハンさんと同じだって。」
 
「ふふ・・・私も聞いたわ。納得いかないって顔してたわよ。力の強さと関係あるのかしらね。」
 
 ウィローがくすりと笑った。
 
 ハリーさんとキャラハンさんはどちらも気功の使い手だが、どちらかと言えばキャラハンさんのほうが力は強い。セルーネさんが以前よくカインに言っていたものだ。
 
『あの脳みそに花が咲いているような奴らでさえ、気功の腕はなかなかのものなんだ。お前ならすぐにでも達人になれるさ。』
 
 手厳しいなと思う一方で、何となくあの二人にぴったり来るたとえだな、などと思った記憶がある。でもあの二人が剣を抜いてモンスターを相手にしているさまを見ると、とても『脳みそに花が咲いている』人達には見えない。
 
「この光の下に立っているとすごい力を感じるわ。治療術で言うなら一番強い呪文と同じくらいなのかな・・・。」
 
「一番強い呪文て言うと『虹の癒し手』かな・・・。蘇生の呪文はまた別だから・・・。でももしかしたら『虹の癒し手』よりも強力かも知れないよ。もっとも、レイナック殿あたりが唱える『虹の癒し手』なら、この光よりも強いくらいかも知れないけどね・・・。でもこの光は病気も治すそうだから、秘められた力は計り知れないものがあるんだろうな。」
 
「でもそのわりに城下町では話題にならないみたいね。」
 
「モンスターの心配がなければきっと長蛇の列が出来るんじゃないかな。せっかくここにたどり着いて病気を治しても、帰り道にモンスターに襲われて死んでしまったら何にもならないからね。それなら地道に薬を飲むほうが確実だよ。完治しないまでも進行を遅らせることは出来るわけだからね。」
 
「モンスターか・・・そうなのよね・・・。モンスターさえ何とかなれば・・・。」
 
「そういうこと。」
 
「難しいわね・・・。ねぇ、あの奥にあるのが、みんなが言ってた怪しげなご神体?」
 
 ウィローは浄化の光のまっすぐ前に置かれているハース聖石を指さした。
 
「そうだよ。」
 
「・・・ハース聖石よね?」
 
「だと思うよ。」
 
「ふぅん・・・。」
 
 ウィローは『ご神体』に歩み寄って自分の手をかざし、指輪の石と『ご神体』とをしばらく見比べていたが、やがてくすりと笑った。
 
「ハース聖石は・・・こんなに大きいのね・・・。」
 
「完全な結晶体らしいよ。こんな状態で発見されるのはすごく珍しいみたいだね。」
 
「へぇ・・・。この結晶からだと私の指輪なんて何百個作れるのかしら。」
 
「見当がつかないね。この結晶がここから持ち出されて売られたりしたら、ハース聖石の値段は大暴落しそうだよ。」
 
「そうねぇ・・・こんなにたくさんあってはね・・・。でもびくともしないんだからその心配はなさそうね。」
 
 ウィローが笑い出した。
 
「ねぇクロービス。」
 
「ん?」
 
「この石は本当にご神体なのかしらね。」
 
「文献には一応そう書いてはあったけどね・・・。」
 
「ふふふ・・・納得いかないみたいね。」
 
「そりゃそうだよ。どこに行ったってご神体なんて見たことないんだから。」
 
「教会にもないのね。」
 
「ないよ。だからライザーさんも首をかしげていたよ。」
 
「・・・ライザーさんは小さい時からずっと教会にいたんですものね。」
 
「お祈りの時間は、いつも祭壇の上にあるステンドグラスに向かって手を合わせていたらしいからね。」
 
「あの教会のステンドグラスね・・・。真ん中に大きな円い窓があったわよね。」
 
「あそこから空を見て祈るそうだよ。」
 
「空だけ?それじゃ大地と海の神様は?」
 
「昔は教会自体が海辺に作られていたそうだけど・・・今は町の中にもあるからだんだん儀礼的になってきたのかもね。そのあたりは私もよく知らないんだ。興味があるならあとでライザーさんに聞いてみるといいよ。」
 
「あなたは興味がないの?」
 
「そう言うわけじゃないけど・・・私の故郷で神様を熱心に信仰している人なんてほとんどいなかったからね。よく知らないって言ったほうがいいかな。でもそんなに詳しく知りたいとも思わないから、やっぱり興味がないのかも知れないよ。」
 
 正確にはほとんどではなくまったくと言っていいほど、私の故郷で熱心に神様を信仰している人なんて誰もいなかった。父でさえ神様に対しては少々懐疑的だった。それでも強いてあげるなら・・・イノージェンの母さんだろうか。お祈りをしているところを何度か見たことがあるし、どんなものにも神様は宿っているのだから、自分にとって大して意味のないものでもぞんざいに扱ってはいけないと、よく言っていたことを憶えている。今頃どうしているんだろう。病気の具合はどうなんだろうか。あんなに心優しい人が治らない病気だなんて、やっぱり神様って言うのは意地が悪いんだろうか。ここまで連れてくることが出来れば、もしかしたらよくなるのかも知れないのに・・・。こんな場所がもっとあったらよかったのに。せめてあの北の果ての島のどこかにでも・・・。
 
「でもこの光と言い、押しても引いてもびくともしないことと言い、何かしら不思議な力が働いていることは確かよね。」
 
「そうだね。それは確かにそうだけど・・・。」
 
 それが本当に『神の力』と言うべき神秘の力によるものなのか、それとも私達には未知の強力な呪文でも使われているのかまではわからない。私としては、神の力よりも未知の呪文のほうが信憑性がありそうに思える。ウィローは首をかしげる私に振り向き、微笑んだ。
 
「本当のことなんてわからないけど・・・でもこの石を見てると心が安まるわ。これがハース聖石だって思うからそう感じるのかも知れないけど・・・。でも愛する人に贈る石って言われてるんだから、きっと邪悪なことに使われているわけじゃないわよね。」
 
「だと思うよ。それに・・・聖戦竜が本当にいるんだから神様だって本当にいるんだろうしね・・・。」
 
「そうよね。よし、決めた。お祈りしちゃおっと!」
 
「お祈り?」
 
「そうよ。昔よく母さんに言われたことがあるの。『お祈りするって言うのは、心を込めることが大事だから、そこにあるものがなんだっていいのよ』って。だから私が聞いたの。『本当に何でもいいの?』って。そしたら『ええ、そうよ。やかんでもフライパンでも何でもいいの』ですって。」
 
 言いながらウィローが笑い出した。私も思わず吹き出してしまった。
 
「やかんやフライパンでもって・・・それもまたずいぶんと大胆な発想だね・・・。」
 
「ふふふ・・・。私の母さんはね、見かけによらず大胆な行動派なの。戦用舞踏は私よりすごいのよ。でも今は・・・私が勝てるかなぁ・・・。」
 
 あの優しそうなウィローの母さんが鉄扇を構えたところなんて想像出来ないが、ウィローに戦用舞踏を教えてくれたのは間違いなくあのお母さんだと言う話なのだから、確かに見かけ通りではないんだろう。ウィローは笑顔でハース聖石に向き直り、両手を組んで祈り始めた。声に出していないので何を祈っているのかはわからない。
 
「・・・これでよし、と。」
 
 顔を上げたウィローは何となくうれしそうだ。
 
「何をお祈りしたの?」
 
「秘密。」
 
 ウィローは私に向かってにんまりと笑いながら言った。
 
「どうして?」
 
「だってお祈りしたことをしゃべったら、叶わなくなっちゃうって昔母さんに言われたんだもの。」
 
「なるほどね。」
 
 そんな話は私も昔聞いたことがある。
 
「今のお祈りはね、絶対に叶ってほしいことなの。だから叶うまでは秘密。」
 
「なるほどね。それじゃ叶ったら教えてくれる?。」
 
「そうね・・・叶ったらね・・・。」
 
 ウィローはどうしようかな、と言うように首をかしげてみせ、私を横目で見ながらニッと笑った。
 
「それじゃ期待して待ってようかな。」
 
 話しながら、私は肩にずっとかけていたクッションを下ろして、『ご神体』のすぐ脇にある寄りかかるのにちょうどいい壁面の前に敷いた。
 
「少し座ろうか?クッションは持ってきたんだよ。ゆっくり話すのに立ちっぱなしは疲れるからね。ここならまあ・・・神様も怒らないと思うから。」
 
 私はウィローと並んで腰を下ろした。
 
「ここは不思議な場所ね。暑くも寒くもないわ。」
 
 時折洞窟の入口から風が吹き込んでくるので、寒くないようにとウィローを奥に座らせたが、要らぬ心配だったようだ。そして私自身も、さっき浜辺で感じたような肌寒さを今はまったく感じない。もっともそれは、この場所のせいというよりウィローと一緒にいるからかもしれない。
 
「この浄化の光と関係があるのかも知れないね。」
 
 柔らかな白い光で満たされた洞窟内には、時折波音が響いてくる。
 
「静かね・・・。ここの波音は本当に海鳴りみたい。この音に比べると向こうは少しうるさいわよね。」
 
「そうだね。確かにここが本物の海鳴りの祠だってことがよくわかるよ。」
 
 そのまま少しの間、二人で黙って波音を聞いていた。いつの間にかウィローの頭が私の肩に置かれている。
 
「クロービス・・・。」
 
 どのくらい過ぎたのか、不意にウィローが沈黙を破った。
 
「・・・ん?」
 
「さっきの話の続きよ。私はもう決めてるの。あなたがここを出るなら私も一緒に行く。」
 
「決めてるんだね・・・・。」
 
「そうよ。決めてるの。」
 
 ウィローはきっぱりと言い切った。と言うことは、もう誰が何を言っても聞いてはくれないと言うことだ。ウィローのガンコさが筋金入りだと言うことは、今までにいろんな人達から数え切れないくらい聞かされた。でも本当にそれでいいのだろうかと、私はまだ決断出来ずにいる。
 
「一緒に行きたいわ・・・。もうあなたと離れたくない。私のわがままだって思うけど・・・でも・・・一緒にいたい。」
 
 ウィローの手が、膝においていた私の手を取った。その手を引き寄せてウィローを抱きしめる。髪からハーブの香りがふわりと漂う。離したくない・・・。もう二度と・・・離れたくない・・・。
 
「・・・・・・・。」
 
 何か言うつもりで口を開いたのに、言葉の代わりに涙が流れた。
 
「クロービス・・・。」
 
 ウィローは私の背中を、なだめるようにポンポンと優しく叩いてくれた。
 
「私が泣いているとき・・・あなたはいつもこうして慰めてくれたわね・・・。今日は私がこうしていてあげる・・・。」
 
「ウィロー・・・。」
 
「なぁに?」
 
 私の背中を撫でる手。優しい声。今朝からずっと心の奥底に抑え込んできた感情が一気にあふれ出し、私はウィローの肩に顔を埋めて泣き出してしまった。
 
「本当はずっと怖かったんだ・・・。居場所も仲間も取り上げられて、いつも背後を気にしながらあてもなく彷徨い続ける旅に出るなんて、怖くて仕方なかったんだ・・・!」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ウィローが黙ったままうなずいてくれているのがわかる。
 
「君を北大陸に連れてきたのは・・・こんな危険な目に遭わせるためじゃない・・・。でも一緒にいたいんだ。自分が今どんな立場にあるかわかっているのに、君と離れたくないんだ。大手を振って表通りを歩けないような行くあてもない旅に、一緒に来てほしいと思ってるんだ・・・!」
 
「行くわよ。どんなところにだってあなたと行くわ。そのために訓練したのよ。・・・あなたを守れるくらいに強くなりたいって思ってたけど、昼間の訓練であなたと私の力の差を思い知らされたわ・・・。でも少しは助けになれると思うの。せめて、あなたが私をかばうことなく自分の戦闘が出来るように、足手まといにならないように・・・。」
 
 泣き出すつもりなんてなかったのに・・・。こんなに情けない姿を見せるはずじゃなかったのに・・・。でも流れ出した涙はなかなか止まらず、私はしばらくの間ウィローの肩に顔を埋めて泣いた。その間ウィローは黙ったまま、ずっと私の背中を優しく撫でていてくれた。
 
「・・・ごめん・・・。泣いたりしてみっともないね・・・。」
 
「そんなことないわ・・・。」
 
「自分がこんなに情けない奴だなんて思わなかったよ・・・。」
 
「・・・そんなことないわよ・・・。怖いのは私も同じよ・・・。でもね・・・どんなに怖くても、私にはあなたがいてくれる・・・。それにカインも一緒だもの。3人でならきっと乗り越えられるわよ。南大陸ではいつもそうだったじゃない?何度も大変な目に遭ったけど、いつも3人で力を合わせて乗り越えてきたわ。」
 
 ゆっくりと諭すように話すウィローの声が、心の奥に直接響いてくるような気がした。そして、あてのない旅立ちを決めた時からずっと感じていた苛立ちや悲しみが、少しずつ溶けて流れていく・・・。
 
「乗り越えられるかな・・・。」
 
「乗り越えられるわよ。そう信じましょう。」
 
「うん・・・。」
 
 うなずいた私にウィローはほっとしたように微笑んで、不意に私の首に両腕を巻き付けて顔を近づけてきた。
 
「ねぇ、キスしていい・・・?」
 
 黙ってうなずき、唇を重ねた。どうもここに来てから、ウィローに主導権を取られっぱなしだなとふと思ったが、久しぶりに触れるウィローの唇は10日前と変わりなく温かくて優しくて・・・もう何も考えられなくなっていた。
 
(まあいいか・・・。)
 
 10日ぶりのキスをしている最中によけいなことを考えるなんてもったいない。
 
 
 
「よかった・・・。」
 
 本当に10日分取り戻せそうなくらい長いキスのあと、ウィローが小さくつぶやいた。
 
「連れて行けないって言われたらどうしようかと思ってた・・・。」
 
「どうするつもりだったの?」
 
「ついてくるなって言われてもついていく。もしも黙っておいて行かれたら、すぐにでもあなたのあとを追いかけて旅に出るわ。」
 
「・・・やっぱりね・・・。」
 
「やっぱり?」
 
「君がおとなしくここにいてくれるとは思えなかったからね。多分そう言うだろうなと思っていたんだよ。」
 
「だから連れて行っていってくれることになったの?」
 
「だからってわけじゃないよ。でも君をここにおいていっても、いつ飛び出してくるかハラハラしながら旅するくらいなら、一緒にいたほうが安心出来る。」
 
「いつ行くの・・・?」
 
「あの連中が王宮に戻って今回の失敗を報告すれば、もしかしたら別部隊が派遣されてくるかも知れない・・・。その前には出なくちゃならないから、明後日の夜かその次の日の朝くらいかな。」
 
「それじゃそれまでもう少し訓練を積んでおかなくちゃね。」
 
「ウィロー、一つだけ約束してくれないか。」
 
「なに?」
 
「君がどれほど強くなったか、昼間の訓練でよくわかったよ。でも、やっぱり心配なんだ。だから、戦闘になった時に私の前に出るのだけはやめてほしいんだ。少なくとも今朝みたいに、単身で敵のど真ん中に飛び込んでいくような無謀なことだけは絶対にしないでほしい。・・・約束してくれる・・・?」
 
 ウィローは私を見つめ、いたずらが見つかった子供のように肩をすくめてみせた。
 
「今朝のことではオシニスさんにもライザーさんにも叱られたわ。あんな時こそ瞬時に状況を見極めて一番適切な行動を取れなければならない、闇雲につっこんでいくなんて無謀なことをしていたら、命がいくつあっても足りないぞって。それに・・・。」
 
 ウィローは上目遣いに私を見て、少しだけニッと笑った。
 
「私が倒れた時、あなたのほうが私より真っ青だったって教えてくれたわ。約束する。あなたより前には出ないし、一人で飛び込んでいったりしないって。」
 
 安心してほっとため息をつこうとしたが、それはウィローの次の言葉に遮られた。
 
「でも絶対とは言えないわよ。」
 
「・・・どうして・・・?」
 
「もしもあなたが危険な状況に陥ったら、私はあなたを助けるためにどんなことでもするわ。」
 
「・・・・・・・。」
 
「だから、あなたも約束して。そんなことにならないように無茶はしないって。」
 
 ウィローの目に、いつの間にか涙がうっすらとたまっている。
 
「約束するよ。無茶はしない。」
 
「よかった。これで契約成立ね。」
 
「契約?」
 
「そうよ。お互い約束したんだからこれは契約なの。」
 
 ウィローがいたずらっぽくウィンクしてみせた。
 
「それじゃ違反したらどうなるの?」
 
「そうねえ・・・。違反した時の罰はこれから考えようかなぁ。」
 
「穏やかじゃないなぁ。」
 
「あら、違反しなきゃいいじゃない?」
 
「それもそうか。」
 
 顔を見合わせて思わず二人とも笑い出した。
 
「それじゃ違反しないように気をつけることにして、そろそろ戻ろうか・・・?」
 
「待って。まだ・・・ここにいたい・・・。」
 
 ウィローが体を寄せてくる。
 
「でも遅くなるよ。」
 
「お願い、もう少しだけ・・・。まだ・・・私あなたに言ってないことがあるわ。それに・・・」
 
 ウィローは一瞬迷うように言葉を切った。そしてほんの少し間をおいて、決心したように言葉を続けた。
 
「聞きたいこともあるの・・・。」
 
「・・・それじゃもう少しいようか・・・。」
 
 私だって本当は一晩でも一緒にいたい。ウィローも同じ気持ちでいてくれるんだろうけれど、でもそれだけじゃなく、何かまだ気になることがあるようだ。一つは見当がつく。『まだ言ってないこと』というのは、きっと今までのことを謝りたいと言うことなんだろうと思う。今回のことは私が意地を張っていたのがすべての原因だと思っているから、謝らなければならないのは私のほうだ。でもそれを言い出すとまたきりがないから、この件についてはウィローの気のすむようにしてもらうのが一番いい。でもそのことだけでもなさそうだ。『聞きたいこと』とは何なのだろう。とにかく先走らずに、ウィローの話を聞こう。結論を急ぐとろくなことにならない。
 
 
 暑くも寒くもない洞窟の中でも、夜が更けるに連れて多少は気温が下がってくる。今はさっきここに来た時より少し肌寒い。私がそう感じるのだから、男よりも寒さに敏感な女性だともっと寒いんじゃないだろうか。
 
「寒くない?」
 
「少しね。でも大丈夫よ。」
 
 大丈夫というわりには、ウィローはズボンの上から足をさすっている。クッションの上に座っていても足許は冷えるらしい。
 
『女にとってはね、足腰の冷えは命取りなんだよ。若い時はなんでもなくても、歳をとると一気に影響が出るんだからね。』
 
 サンドラさんがずっと昔言っていたことを思い出した。
 
「無理しないほうがいいよ。それじゃちょっとこっちに来れば・・・。」
 
 私はウィローを抱き寄せて自分の膝の上に座らせた。
 
「ちょ、ちょっとクロービス!」
 
「動かないで。今マントを掛けるから。」
 
 驚いて私の膝の上から降りようとするウィローを片手で押さえながら、羽織っていたマントをはずしてウィローの体と自分の体をすっぽりと覆った。南大陸で活躍してくれたこのマントは緻密に織り上げた布で作られているので、二人分の体温が外に逃げるのを防いでくれる。
 
「ほら、このほうが暖かいよ。」
 
「確かに暖かいけど・・・で・・・でも、恥ずかしいわ・・・。」
 
 ウィローは真っ赤になって体をこわばらせている。
 
「いいじゃないか、誰も見ていないんだし。」
 
「そ、そりゃそうだけど・・・。」
 
「こうしていれば、寒さを気にしないでゆっくり話せるよ。」
 
「そ・・・そうよね・・・。」
 
「だからほら、力を抜いてくれないと膝が痛いよ。」
 
「あ・・・ご、ごめんなさい・・・。」
 
 ウィローがやっと力を抜いて私に体を預けてきた。
 
「こうしていると・・・あなたの心臓の音まで聞こえそうね・・・。」
 
 ウィローは目を閉じて、私の胸に耳をつけている。実はウィローの体がぴったりと密着しているせいで、私の心臓はすごい速さで打っていた。これを聞かれてしまうのもきまりが悪いものだが、だからといってせっかくこうしていられる時間を無にすることはない。
 
「クロービス・・・。」
 
「ん・・・?」
 
「今までごめんなさい・・・。一人ですねて、へそ曲げてあなたを傷つけて・・・私、最低ね・・・。」
 
「そんなことないよ。君が悪いわけじゃない。」
 
「あなたはいつもそう言ってくれるけど・・・。やっぱり私が悪いのよ・・・。最初からちゃんと自分の気持ちをあなたに話せばよかったのに・・・。」
 
「でも君は船にいた間はずっと酔いっぱなしだったし、北大陸に来た途端具合が悪くなっちゃったし・・・。」
 
 訓練のことを聞いたあとは険悪な雰囲気になってしまって、話し合いどころではなかった。私がへそを曲げずにちゃんと理由を聞けば、10日間も無駄にすることはなかったのに・・・。
 
 ウィローは少し悲しげな顔で微笑み、ゆっくりと首を横に振った。
 
「そうね・・・。でもそれはみんな言い訳よ・・・。もっと力をつけなくちゃって思ったのは、こっちに来るよりずっと前だもの。」
 
「そんなに・・・前から考えてたの・・・?」
 
 ウィローは今度はにっこりと微笑み、うなずいた。
 
「カナを出る時から・・・いえ、違うわ、ハース城から逃げる時から、ずっと考えてたと思う・・・。でも最初はね、カインとあなたにもっといろいろと教えてって言うつもりだったの。だけど・・・北大陸へ向かう船で、あなたが不寝番をしていた時に私がモンスターを追い払ったことがあったでしょ?」
 
「うん、覚えてるよ。」
 
 あの生き物はいったいなんだったのだろう・・・。闇の中ではまるで人間がはいつくばっているように見えたが、あれもまたナイト輝石の廃液に体を冒された、元はごく普通の生き物なのだろうか・・・。
 
「あの時思ったの・・・。今までみたいにあなた達の手助けをするだけじゃなくて、あなた達と肩を並べて戦闘に参加することが出来ればって。あなたが自分の後ろにいる私をかばう必要なく自分の戦闘に専念出来れば、あなたとカインの負担はもっとずっと軽くなる・・・。でも私があなた達と肩を並べたいのなら、いつまでもあなた達をあてにして教えてもらっていては進歩がないから・・・。」
 
「・・・だからオシニスさん達に頼んだんだね・・・。」
 
 ウィローがうなずいた。
 
「あなた達がいつも話してくれるオシニスさんとライザーさんなら、きっとあなた達より実力は上だから、その人達に教えてもらえたら絶対に力をつけることが出来るって思ったわ。でも・・・。」
 
 ウィローは一度言葉を切り、大きくため息をついた。
 
「その話をあなたにしようと思って、でもどうしても言えなかった・・・。怖かったの・・・。実力がついたつもりになってのぼせ上っているんじゃないかって・・・あなたが怒ったらどうしようって、そんなことばかり考えてしまって怖くて・・・なんだかんだと自分で自分に言い訳をしながら一日伸ばしにしていたわ・・・。いつだって話すチャンスはあったのに・・・。」
 
 ウィローが言葉をつまらせた。今度は私がウィローの肩を抱いて背中を撫でた。今までずっとそうしてきたように・・・。
 
「・・・そして王宮の前で王国軍の兵士達に襲われた時、私は何も出来なかったわ。ただあなた達のあとについて逃げるのに精一杯だった・・・。あの時ほど悔しかったことはなかったわ・・・。南大陸にいた時は、少しはあなた達の助けになれているって思っていたのに、肝心の時に自分が何の役にも立てなくて、もう情けなくて・・・。だから城下町の詰所でオシニスさん達に会った時、あの時言わなければもう絶対言えないような気がして、夢中で・・・。」
 
「あの時・・・君がそんなに思いつめていたなんて、全然考えもしなかったんだ。ただ君が危険な目にあうところを見たくないってだけで・・・へそを曲げて文句ばかり言って・・・。君がどうして訓練したいなんて言い出したのか、どうして私とカインじゃなくてオシニスさん達に頼んだのか・・・私が一番先にわかってあげられなくちゃならなかったのにね・・・。あの時の私は、君のことを考えているつもりで実は自分のことしか考えていなかったんだよ・・・。ずっとつらい思いさせて・・・ごめん・・・。」
 
「あなたが笑顔を向けてくれないことがつらくて、何度もあなたに謝ろうと思ったわ・・・。『ごめんなさい。訓練なんてしなくていいから怒らないで』って。そしてしっかり抱きしめてほしかった・・・。でも出来なかったの・・・。それを言ってしまったらまた同じことの繰り返しになってしまう・・・。だから必ず力をつけようって思ったわ。あなたを守ることだって出来るくらいになれば、きっとあなたもわかってくれるって信じて・・・。でもその一方で、もしあなたに嫌われてしまったらどうしようって、それが怖くて・・・。だから今、こうしてあなたの腕の中にいられるなんて夢みたいよ・・・。」
 
「私も夢みたいだよ。君が笑顔を向けてくれなかった間は、この世の終わりのような気がしていたんだ。」
 
「この世の終わりだなんて・・・大げさねえ・・・。」
 
 ウィローがくすりと笑った。
 

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