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 カインと一緒に訓練場に現れた私に、みんな一斉に注目した。ウィローはまだ来ていない。
 
「へえ、お前も今日から参加か。」
 
 ランドさんがにやりと笑った。
 
「はい。だいぶ遅れてですけど。」
 
「いやいや、そんなことはないさ。もう少しウィローと本気でやり合える相手がいればと思っていたところさ。どうだ、出来そうならやってみるか?」
 
『本気でやり合える。』
 
 つまり手加減なしでウィローの相手が出来なければならないと言うことか。ここまで来て、手加減してお茶を濁そうなどと考えていない。そんなことをすればウィローに軽蔑されるだけだ。ランドさんはにやにやしている。この人は私を試しているのだ。きちんと覚悟を決めてここに来たのか、それともまだ迷ったままでいるのか・・・。
 
「そのつもりで来たんです。手加減なしでいきますよ。」
 
「なるほどな。それではあとはウィロー次第だな。」
 
 そこにウィローがカーナ達と一緒に現れた。私を見てハッとして立ち止まる。
 
「へえ・・・鈍感男の大進歩ね。」
 
 ステラが私を見てにやりと笑った。
 
「ほ〜んと、だいぶ遅いけどね。」
 
 カーナも私を見てふふんと鼻で笑った。
 
「まあそう言うな。これでフルメンバーが揃ったわけなんだが、ウィロー、今朝はまずクロービスに君の相手をしてもらおうと考えているんだ。君はどうだ?」
 
 オシニスさんに尋ねられ、ウィローが私を見た。あの探るような視線でしばらく見つめて、うなずいた。
 
「わかりました。」
 
「よし。では今朝の一番試合はウィローとクロービスだな。」
 
 周りにいた剣士達の間から歓声が上がった。ウィローは硬い表情のまま位置につき、『よろしくお願いします』と頭を下げた。今朝戦いのあと見せてくれた笑顔も、医務室で見せてくれた微笑みも今はすっかり消え失せ、以前の表情に戻っている。今日の私の行動に疑問を持っているのか、快く思ってないのか・・・。でもそんなことはどうでもよかった。私が知りたいのはウィローの中の本当の気持ちだ。エミーのこととか訓練のこととか、そんなことは関係なしに私をどう思っているのか・・・。
 
「食事は出来たの?」
 
 私はウィローに声をかけた。完全に回復していれば食事も普通に食べることが出来たはずだが、調子が悪いのなら無理して今手合わせをする必要はない。
 
「大丈夫。ちゃんと食べたから。」
 
 普通に答えてくれるものの、表情は硬いままだ。
 
「では俺が合図を出そう。」
 
 ランドさんが立ち上がった。
 
「お互い手加減は一切なしだ。持てる力を相手にすべてぶつけるつもりでかかれ。ルールは同じだ。降伏するか逃げ出すか、先に武器を取り落とした方の負け。いいな?」
 
 私達がうなずいたのを確認して、ランドさんが叫んだ。
 
「よし、始め!」
 
 ウィローは迷わず私に向かってきた。まっすぐな瞳で私を見据えて・・・。元々ウィローの攻撃は、当たりさえすればかなりの大ダメージを与えることが出来る。その攻撃力に素早さが加われば戦力としては申し分ない。私の脚力ならウィローからの攻撃を全てかわすことは可能だが、かわして逃げてばかりいてはウィローの実力をはかることが出来ない。腹を決めて鉄扇をはじき返す。ウィローはひらりと下がってまた構え直す。いつの間にこれほどの動きを身につけたのだろう。私が一人でごちゃごちゃと悩んでいた間に、ウィローは着実に力をつけてきている。大地を守るために・・・。私と肩を並べて戦うために・・・。そして今朝、その望み通りにウィローは私を守ってくれた。
 
 私の迷いが一切ないと言えばそれは嘘になる。でも今は本気で相手をしよう。ランドさんに言われたとおり、私の持てる力をすべてウィローにぶつけていかなければ、私の思いもきっと伝わらない。攻撃をかわして間合いを取る。動きを見切ってウィローに斬り込む。ウィローはひらりとかわし、また攻撃をかけてくる。それをまたはじき返す。私の剣もはじき返される。ウィローにも私の動きはわかるのかも知れない。私ははじき返された剣を素早く引いてもう一度振り下ろした。それがウィローの肩に命中する。かなりのダメージのはずだが、ウィローは顔をゆがめたものの声さえ上げない。どれほどの決意を秘めてウィローが今ここで私と戦っているのか、あらためて思い知らされた。
 
(少し・・・追いつめてみるか・・・。)
 
 その決意を無にしないために、私はウィローをぎりぎりまで追いつめてみることにした。力や技術ではなく、精神の強靱さが試される。一番つらい攻められ方だ。このやり方に比べれば、剣を振り回しながら追いかけ回されるほうがよほど気が楽なくらいだ。
 
 剣を構えなおし、ウィローに正面から斬り込んだ。ウィローが下がる。また斬り込む。また下がる。しつこく斬り込む。ウィローが横によける。私は素早く、確実に同じ場所に剣を振り下ろしていった。同じ場所に斬り込まれれば、いくら速くても相手の動きが読める分避けるのはたやすい。だが、これほどストレスのたまる攻撃もない。避けることは出来てもまったくと言っていいほど攻撃のチャンスがないのだ。ウィローの表情がだんだんとゆがんでくる。今にも泣き出しそうだ。それを見計らって攻撃の方向を右に左に変える。ウィローの顔に安堵の色が広がる。そしてまた同じところを攻め続ける。それを何度も繰り返し、私はウィローをじりじりと追いつめていった。
 
 やがてしびれを切らしたウィローがひらりと舞い上がり、鉄扇を大きく振りあげた。振り下ろされるぎりぎりまで引きつけ、私は思いきり腰を落としてしりもちをつくふりをし、そこからまっすぐ後ろに飛びすさった。確実に攻撃があたると思いこんでいたウィローはバランスを崩して砂の中に突っ伏した。が、素早く起きあがりまた構えなおした。ここでウィローを叩いて鉄扇を落とせればそれで勝負はついた。でも私はウィローが体勢を立て直すまで待った。これは殺し合いじゃない。訓練なのだ。
 
 自分が構えなおした頃には私が余裕で立っているのを見て、ウィローはぎょっとしている。これが今の私とウィローの実力の差なのだと気づいてくれただろうか。そして私が自分の持てる力をウィローにすべて見せることが、今の私の正直な気持ちなのだと・・・わかってくれただろうか・・・。
 
 ウィローがまたひらりと飛んで攻撃をかけてきた。ウィローの戦用舞踏は、最初に見た時よりも驚くほど整理され、動きやすくなっている。これはランドさんの指導によるものらしい。剣技試験の時、ランドさんの動きが軽快で、まるでダンスのステップのようだと思ったものだ。これだけ動きやすくなって攻撃力も上がっているのに、流れるようなその美しさは変わらない。鉄扇がきらきらと陽に映えて、ウィローの瞳に映し出される。これが立合の最中でなかったら、いつまででも見とれてしまいそうだ。私は必死でその光景を頭の中から追い出した。少しでも集中力がとぎれたほうが負けだ。いくら実力差があっても、私が絶対に負けないとは言い切れない。
 
 それからどのくらい打ち合っていたのだろう。そんなに長い間じゃないと思う。だんだんと体力の差が出始めた。ウィローの攻撃に重みがなくなってきた。動きも少しずつ鈍ってきている。左腕をかばうような体制でいるところを見ると、きっとさっきの一撃が効いているのだろう。骨が折れない程度に打ち込んだつもりだが、それでもかなり腫れているはずだ。
 
(そろそろ限界みたいだな・・・。)
 
 私は思い切ってウィローに踏み込んだ。ウィローはとっさに避けようとしたが、足許の砂で滑ってバランスを崩した。体勢を立て直そうと、ウィローの気が少しだけ私からそれた瞬間、その手許から思い切り鉄扇を跳ね上げた。その衝撃でウィローは後ろに倒れ、とっさに左手を地面に着いた瞬間がくりと倒れ込んだ。左肩を押さえたまま動かない。でも気を失っているわけではないらしい。ここから見える顔は悔しさでいっぱいだ。
 
「それまで!!」
 
 ランドさんの声と共に、ウィローと私の間に鉄扇がシャランと音をたてて舞い落ちた。
 
「いやあ、迫力だったなぁ!ウィロー、善戦だったじゃないか。クロービス相手にあそこまでやれるとはなぁ。」
 
 拍手をしながら近づいてきたのはエリオンさんだった。
 
「クロービス、お前のフットワークも久しぶりに見せてもらったが、格段に進歩しているな。」
 
「ありがとうございます。」
 
 ウィローはやっとの事で起きあがり、肩で息をしている。私はゆっくりとウィローに近づいた。
 
「エリオンさんの言うとおり、善戦だったよ。」
 
 ウィローは顔を上げて、私をじっと見つめている。
 
「これが・・・あなたと私の実力の差だっていうことね・・・。」
 
「そうだよ・・・。」
 
「私はこんなにへとへとなのに、あなたはまだ平気な顔をしているわ。手を抜いていたの?」
 
「ちがうよ。ペース配分を考えていただけだよ。」
 
「ペース配分・・・。」
 
「そうだよ。私は今、別に暇なわけじゃない。この場所の警備をかねているんだ。もしも敵に襲われればそれを撃退しなければならない。いざそう言うことが起きた時、へとへとで動けませんというわけにはいかないからね。」
 
「そう・・・そうね・・・。ペース配分が大事なのよね・・・。」
 
「君は別に警備をしているわけじゃないから、体力を全部使い切っても大丈夫なことは確かだけど、それだけ力がついたのならそろそろペース配分を考えて動かないとね。」
 
「だ、だけど、そんな余裕なかったわ・・・。私はこれで精一杯だったのよ・・・。」
 
「そんな余裕をいつでも持てるように実力をつけることが一番だけど、まずは効率的な動き方だね。戦用舞踏自体には無駄な動きがなくても、バランスを崩して体勢を立て直す時とか、もう少し無駄を省いて動くことは出来るはずだよ。」
 
「・・・・・・。」
 
 ウィローが私を見た。またあの探るような目だ。
 
「・・なに・・・?」
 
「あ、い、いえ・・・そう、そうよね、無駄を省けばもう少しは・・・。」
 
「それはこれからの課題だね。それより、肩は?だいぶ痛むんじゃない?」
 
「痛むけど・・・大丈夫よ。」
 
 ウィローはそう言うと、治療術で肩を治した。その呪文は・・・。
 
「光の癒し手・・・唱えられるようになったの!?」
 
「ええ・・・。訓練を始めて・・・何日か過ぎた頃かな・・・。」
 
「そうか・・・よかったね・・・。」
 
 ウィローは少しだけ微笑んでうなずき、立ち上がった。そして服に付いた砂を落として、私に向かって頭を下げた。
 
「ありがとうございました。」
 
 私も礼を返して、浜辺の隅に腰を下ろした。ウィローはカーナ達のところに戻った。カーナとステラがしきりに何か話しかけている。どうせまた「あの鈍感男が・・・」なんて話なんだろう。
 
「なかなか見応えがあったぞ。」
 
「あのウィローって子、すごいわね。」
 
 ハディとリーザがカインの隣に座っていた。
 
「なるほどカインの言ったとおりだな。ウィローの腕はかなりのものだよ。相手がお前でなければ、勝っていたかも知れないな。」
 
 ハディは感心したようにうなずいている。
 
「そうだね。かなりがんばっていたみたいだから。」
 
「副団長から聞いたわよ。喧嘩中なんですって?」
 
 リーザがいたずらっぽく笑いながら私の顔をのぞき込んだ。
 
「そんなことまで聞いたのか・・・。」
 
「ははは、いいじゃないか。副団長が心配していたぞ。いつになったら仲直りするのかなってさ。」
 
「私としてはいつでも仲直りしたいんだけどね・・・。」
 
「しっかし・・・お前が女の子のことでそんなに悩むとはなぁ。」
 
 ハディはおかしそうに笑っている。
 
「ねえ、ここに呼んできてもいいでしょ?私もお友達になりたいし、少し話したいわ。」
 
「私はかまわないよ。ウィローが来るって言うならね。」
 
「決まりね。」
 
 リーザが駆けていき、ウィローに話しかけている。ウィローはちらりと私の方を見て困ったように首をかしげていたが、カーナとステラに後押しされるようにな形で立ち上がり、リーザと一緒に戻ってきた。
 
「連れてきたわよ〜。さ、少し座ってお話ししましょうよ。」
 
 リーザは妙に楽しそうだ。ウィローは少し照れくさそうにうなずいて、腰を下ろした。
 
「それじゃあらためて自己紹介するわ。私はリーザ。カインとクロービスとは同期入団なの。私の相方はね、ここにいるこのいかにも愛想のない角刈り男よ。ハディって言うの。」
 
「おいリーザ。」
 
「あらなあに?」
 
「角刈りはいいとして、その『いかにも愛想のない』ってのはなんだよ。」
 
 ハディがリーザを横目で睨む。
 
「あら、本当のことじゃないの。いつもムスーッとしていて、挨拶だって口の中でモゴモゴだし。文句を言うなら、ちょっとは愛想よくウィローに挨拶すればいいのよ。」
 
「ちぇっ・・・言いたい放題しやがって・・・。」
 
 ハディはぶつぶつ言いながらウィローに向き直った。
 
「ウィロー、俺はハディ。カインとクロービスとは同期入団なんだ。俺の相方はこの口から先に生まれたようなおしゃべり女なんだが、悪気はないんだ。俺以外にはな。君の戦用舞踏は見せてもらった。すごいよ、クロービス相手にあそこまで粘れるなんて。もしもよかったら、あとで俺にも相手させてくれないか。」
 
「口から先に生まれてて悪かったわね。」
 
「本当のことを言われると人間てのは怒るもんさ。」
 
 聞いていたウィローが笑い出した。
 
「お二人のことは聞いてるわ。みんな仲がいいって、南大陸にいた頃よく聞かせてもらったの。私の方こそ、よろしくお願いします。あの・・・ハディとリーザって呼んでいいかしら・・・。」
 
「もちろんよ。ウィロー、よろしくね。」
 
「俺もそれでいいよ。へたにさん付けなんぞされると背中がムズムズする。」
 
 傍で見ていても、ハディとリーザは以前より遙かに親密になっているような気がする。それが恋愛感情から来ているのか、仲間として仲がよくなったのかまではわからないが、どちらも吹っ切れたような表情でいることは確かだ。
 
「さて、これでウィローと俺達も初対面じゃなくなったな。おいカイン、クロービス、向こうでのことを少し聞かせてくれないか。・・・まあだいたいの話は副団長から聞いたんだが・・・出来ればお前達から生の話を聞きたい。・・・話してくれるか?」
 
「わかった。さっきも言ったように楽しい話はないけどな。」
 
 そして私達は、しばらくの間ハディ達に南大陸での出来事を話して聞かせた。副団長はハディ達にも私の夢のことは何も言ってなかったらしいので、辻褄が合わなくならないように慎重に言葉を選んで話した。
 
「団長が死んじまったなんて・・・何度聞いてもピンと来ないな・・・。」
 
 聞き終えたハディが唇を噛みしめて肩を落とした。リーザはその隣で、ハンカチで涙を拭っている。
 
「あの時団長が一緒に来てくれなければ、俺達は多分、今ここにはいない。だが・・・本当にそれでよかったのかどうか・・・俺は未だに答を出せないんだ・・・。団長は・・・この国のためには大事な人だったんだ・・・。俺なんかよりはるかに・・・。」
 
 カインはまた涙を滲ませた。思い出すたびに後悔が彼の胸を締めつけているのがわかる。
 
「多分・・・俺がお前の立場ならきっと同じように後悔するんだろうな・・・。でも団長の立場としたらどうだ?・・・もしもお前達が死んで団長が生き残ったとしたら、きっとお前達を見殺しにしたことを生涯悔やんで生きていくことになる。団長もお前達も生きて戻ってこれるのならそれが一番だろうが、そうでなければ生き残った方はきっと、ずっと後悔することになるんだよ。だから仕方ないさ。起きたことをいつまでもくよくよしていても仕方ない・・・。」
 
 ハディは寂しそうにため息をついた。
 
「仕方ない・・か・・・。確かに・・・そうなんだよ・・・。わかってるんだけど・・・。」
 
「納得出来なくてもするしかないさ。せめて・・・団長の遺志は継いでいきたい・・・。そうじゃないのか?」
 
 ハディがカインの顔をのぞき込む。
 
「そうだな・・・。せめて団長の遺志は俺達がしっかりと継いで行かなくちゃ・・・。」
 
 カインは涙を拭うと、顔をあげた。
 
「それしかないからな。いつまでも泣いていたって団長は喜ばないさ・・・。」
 
「・・・でもガウディさんて言う人が生きていてよかったわね・・・。団長のことはセルーネさんには気の毒だったけど、せめて一つでもいい話を持ち帰れてよかったじゃないの。」
 
 リーザが涙を拭いて少しだけ微笑みながら言った。
 
「そうだね・・・。確かにそれだけは・・・。」
 
「そりゃ・・・ポーラさんが喜んでいる分よけいにセルーネさんが気の毒だけど、でもまるっきり暗い話ばかり持ち帰るよりはずっといいわ・・・。」
 
「なるほど、そう言う考え方もあるわけだな・・・。」
 
 カインが独り言のようにつぶやいた。
 
「・・・そうよ。起きたことは取り戻せないの。いくら努力してもどうにもならないわ。でもせっかくいいことが一つでもあったのなら、それをこれから先、大事にしていかないとね。」
 
「これから先・・・か・・・。そうだよな・・・。過去のことより未来のことを考えていかなくちゃならないんだよな・・・。」
 
「そういうこと・・・。前向きに行かなくちゃ。王国軍なんていうならず者の集団にこの国を任せるなんて、私はごめんだわ。絶対取り戻してやるんだから!」
 
「そうだな・・・。リーザ、おかげで気が軽くなったよ。ありがとう。」
 
「そう、よかったわ。また一緒にがんばりましょうね。」
 
 一緒にと言われて、一瞬だけカインが顔を曇らせた。
 
「うん・・・。ところでハディ、お前は今までどうしてたんだよ?それにリーザのことはこの間ここに戻ってきた時に、副団長から聞いたけど・・・。さらってきたって・・・ほんとにか?」
 
「半分はね。」
 
 リーザが答える。
 
「半分?」
 
 カインと私は同時に聞き返した。
 
「そう。私を家に無理やり連れ戻そうとしたのは・・・母だったのよ。いい加減剣士のまねごとなんてやめにして、身持ちの堅い裕福な家の男性に嫁いで、子供を産んで暮らすのが女の幸せよってね。」
 
「幸せなんて人それぞれじゃないか。そんな風に決めつけられたくはないよな。」
 
 カインは一人頷いている。カインのにとっての幸せは・・・フロリア様の元に一生仕えること・・・。でもそれを他人が聞けば、あきれられるのかも知れない。
 
「ふふ・・・そうよね。人それぞれよ・・・。でも母の言いたいこともわかるのよ。母は・・・あの家で幸せじゃなかったから・・・。」
 
 リーザが言葉を濁してうつむいた。
 
「そんなふうに言い切っちゃっていいの?人それぞれじゃないか。」
 
 リーザが顔を上げ、私を見つめて微笑んだ。
 
「そう・・・それはそうなんだけどね・・・。私の両親はね・・・家同士のための結婚だったの。父には昔好きな人がいたらしいわ。でもその時にはもう婚約が決まっていて、相手の女性は父の両親、つまり私の祖父母がお金を渡して別れさせたみたい。父は今でも悔やんでいるのよ。どうしてその時両親の言いなりになったのか、どうして家を飛び出してでもその女の人と一緒になれなかったのか・・・。母はそんな父に愛想を尽かして、私達にはそんな思いさせたくないって言ってたけど・・・。表面的な身持ちの堅さなんてあてにならないわよ。どんな人かなんて・・・。」
 
「君が家を出て剣士団に入った理由ってのは、それだったのか・・・。ごめん、事情も知らないでよけいなこと言っちゃったな・・・。」
 
 どうやら私はまたよけいなことを言ったらしい。
 
「ふふふ・・・いいのよ。傍から見れば贅沢だって言われると思うわ・・・。自分で言うのも何だけど・・・私の家は裕福だと思う。小さい頃から充分な教育も受けさせてもらえたし、両親がそろっていて、もしも結婚すると言えば一生かけても使い切れないほどの嫁入り道具を持たせてくれる・・・。でもね、その両親は普段私達子供の前でもろくに口を聞かないのよ。寝室だってもちろん別々。広い家の中はいつだって冷え冷えとしていたわ・・・。そんな時、フロリア様の一般参賀に付き添っていたユノ殿を見たのよ。」
 
「それって・・・いつころの話?」
 
「そうね・・・。多分ユノ殿がフロリア様の専任護衛剣士になったばかりの頃だったと思うわ。あの時は・・・フロリア様の誕生日か何かだったかも知れない。バルコニーで手を振るフロリア様の横で、ぴんと背筋を伸ばして、顔はまっすぐに前を向いているのに、常に油断なく辺りに気を配っていた。携えた槍が陽に光り輝いて、すごく堂々として見えたの・・・。あの時決めたの。私も槍術を勉強して、いつか王国剣士として、あんな風に背筋を伸ばして仕事をしてみたいってね。王国剣士は立派な仕事だし、何より家を出て宿舎に住めるから、あの家にいなくていい、そう思って・・・必死に腕を磨いたのよ。父が私の頼みを聞いて一流の先生をつけてくれたわ。最も母は、どうせすぐに飽きるだろうと思っていたみたいだけどね。」
 
 リーザの槍さばきのすばらしさの裏にそんな事情があったとは・・・・。以前南地方に一緒に出掛けた時、私が見た夢・・・。あれは・・・両親の不仲に悩むリーザが、それを何とかしたくて父親に詰め寄っていたところだったのだろうか・・・。
 
「でも今回は・・・ちょっとやり過ぎよ。執事に半分脅しのようなことを言わせて・・・。私初めて本気で母と喧嘩したわ。今までは、父に愛されていないのに結婚して何人も子供を産んだ母がかわいそうな気がして、いつも母の味方をしていたけど今度のことだけは許せなかった・・・!やっと打ち込める仕事に出会えたのよ!なのに・・・その仕事場に母は土足で踏み込んで侮辱したわ。悔しくて悲しくて、『そんな母さまなんて大嫌いよ』って・・・本気で怒鳴りつけたのよ・・・。」
 
 リーザが声をつまらせて涙を拭った。きっとリーザは母親のことが大好きなんだ。なのにすれ違い、心ならずも母親を罵ってしまったことを深く悔やんでいる・・・。
 
「・・・ちょうどその時ね・・・ハディが正面玄関から家に乗り込んできて、父に直談判してくれたの・・・。そして父が母と私の間に入ってくれて、私が家を出るのを認めてくれたのよ。だから半分はハディのおかげなのよ。」
 
「なるほどな・・・。」
 
「俺は・・・リーザを止めるだけの力なんてなかったから、家に戻るって言うのなら仕方ないかと思ったんだ・・・。でもリーザが出ていったあと、猛烈に後悔して・・・。自分でも、あれほど後悔するとは思わなかったんだ・・・。だからみんなより一足先に宿舎を出てリーザの家のまわりをうろついていたんだけど、部屋に忍び込んで連れ出したってまた追いかけてこられて連れ戻されるなら意味がないからな。正面から乗り込んでいって直談判したわけさ。俺の大事なパートナーを返してくれってな。」
 
「パートナーか・・・。それは仕事上だけのか?」
 
 カインがニッと笑いながらハディの顔を覗き込む。
 
「別にいいじゃないか、そんなこと。」
 
「そんなこと・・・?」
 
 リーザの瞳が鋭くハディを捕らえ、ハディは少しだけばつが悪そうに肩をすくめてみせ、リーザに視線を走らせた。
 
「こんなに人がいるところで言いたくはないんだけどな・・・。」
 
「ふぅん・・・言えないような恥ずかしいことなのね、私達のことは。」
 
 リーザが怒ってそっぽを向いた。
 
「わかったよ・・・。・・・お前にゲンコツ食らうのはもうごめんだからな・・・。仕事だけじゃないよ・・・。俺はこいつを大事に思ってるし、他の男になんぞ絶対に渡すもんかっても思ってるけど・・・でも今はこんな時だ。自分達のことばかり考えているわけにはいかないさ。」
 
 言い終えてハディは真っ赤になっている。確かに彼の気性からして、大勢の前でこんなことを言うのはかなりの勇気がいったに違いない。でもリーザはさっきのふくれっ面はどこへやら、にこにこしてハディを見ている。
 
「へえ・・・お前がそこまで素直に自分の気持ちを人に話せるなんてすごい進歩だな。よかったじゃないか。なあリーザ。」
 
「そうね・・・。やっとここまで素直に話すようになったのよ。ハディが家に乗り込んできて一緒に行こうって手を差し出してくれた時、私うれしくて、思わず彼に抱きついたの。そしたらこの人なんて言ったと思う!?」
 
 リーザは話しているうちになぜか怒り出した。ハディが片手で顔を覆ってため息をついている。『またか』とでも言いたげな顔つきだ。
 
「なんて言ったんだ?」
 
「『わーちょっと待て!王宮を出てからずっと風呂に入ってないんだ、すごく臭いぞ!』ですって!せっかくの感動の再会が一瞬にしてぶちこわしよ!まったく男っていうのはデリカシーがないんだから!」
 
「だから何度も説明しているだろうが!本当にあの時俺は相当臭かったんだよ!だからお前の着ているきれいなドレスが汚れるかと思って気を使ったのに、いきなり平手打ちを食わせやがって!」
 
「リーザがドレス!?」
 
 カインが叫んだ。なんだかとても驚いている。私は以前、夢の中とはいえリーザのドレス姿を見たことがあるのでそんなに驚きはしなかった。
 
「そう、俺も最初見た時はぎょっとしたよ。あんなかっこすればけっこう女に見えるんだぜ、こいつも。」
 
「ぎょっとしたとは何よ。私だって家に帰れば普通の女の子なの。ドレスくらい着るわよ、まったくもう・・・。」
 
 リーザはまたふくれっ面をしている。
 
「で、ハディの横っ面を張り飛ばして、君はそれからどうしたんだ?」
 
 すっかりそれてしまった話の筋をもどそうと、カインが尋ねた。
 
「どうしたもこうしたもあるか!こいついきなり召使いを何人も呼びつけて、俺を風呂場に引きずって行かせたんだぞ!?まったく、他人に体を洗われるのなんざ金輪際ごめんだからな、俺は!」
 
 リーザが答えるより早くハディが叫んだ。この言葉にみんな一斉に笑い出してしまった。
 
「へぇ!すごいじゃないか。ガーランド家の召使いに風呂に入れてもらえるなんてなかなかない体験だぞ!」
 
 カインは腹を抱えて笑っている。
 
「そんなに臭いならお風呂に入りなさいよって私が言ったのに、あなたがさっさと私の腕を引っ張って出て行こうとするからじゃないの!」
 
「あーもう!いいじゃないか。ハディが風呂に入ったあとなら、思う存分抱き合えたんだろうが!」
 
「ば、ばか!そんなでかい声で妙な言い方するな!変な意味に聞こえるじゃないか!」
 
 ハディが真っ赤になってカインに詰め寄った。見るとリーザも顔が赤い。
 
「変な意味?」
 
 カインはきょとんとして二人を交互に見ていたが、小さな声で『あ』と叫んだ。
 
「え、えーと・・・その・・・なんだ・・・とにかく、お前らは仲直りして、王国剣士としてここにいるってことだな。」
 
「そうよ。・・・家を出る時ね、私決めたのよ。必ずこの国を私達の手に取り戻すって。だから私達のことは、この国に本当の平和が訪れてからちゃんと考えようと思ってるの。」
 
 リーザの顔はまだ少し赤かったが、笑顔できっぱりと言い切った。澄み切った、いい笑顔だった。
 
「さ、私達の話はこれでおしまい。今度はクロービス、あなたの話を聞かせてよ。」
 
「私達の話はさっきしたじゃないか。」
 
「あら、まだ全部聞いてないわ。あなたとウィローのことはね。」
 
 今度はリーザがニッと笑いながら、私の顔を覗き込んだ。
 
「別に話すようなことはないよ。」
 
「あらそうかしら?どうやって口説いたのか聞いてないわよ?」
 
 リーザはますますいたずらっぽい笑みを浮かべて身を乗り出す。
 
「いいじゃないか・・・そんなこと・・・。」
 
 言いながら私はウィローをちらりと見た。リーザの質問に、何となくばつ悪そうな顔でもじもじしている。
 
「口の重さは相変わらずねぇ。今朝会った時、すごく雰囲気が変わったなぁって思ったけど、やっぱりクロービスはクロービスね。ふふ・・・少し安心しちゃったわ。」
 
「雰囲気が変わった・・・か。それはこっちに戻ってきてからみんなに言われてるよ。自分では特別変わったって言う気はしないんだけど。」
 
「そんなことないわよ。とっても素敵になったわよ。」
 
「まあ素敵かどうかはともかく、成長したなって気はするよ。」
 
 ハディも頷いている。
 
「へぇ・・・。俺はずっと一緒にいるせいかな。今ひとつよく判らないや。」
 
 カインが首を傾げる。
 
「以前よりずっと大人になったなって思うし、何よりその言葉遣いがしっくり来るだけの一人前の男になったって言う気がするぞ。」
 
「・・・言葉遣い・・・?」
 
「そうだよ。育ちが悪そうには見えなかったが、それにしたってどう見ても一般庶民なのに、自分のことを『私』だもんなぁ。会ったばかりの頃のお前って、どこかピントがずれてるような気がしたんだよな。」
 
「ハディ・・・ほめてるの?けなしてるの?どっち・・・?」
 
「ほめてるに決まってるじゃないか。俺としてはものすごくほめてるつもりだぞ。」
 
 ハディはやたら大げさにうなずいてみせる。
 
「・・・全然ほめられてる気がしない・・・。」
 
「はっはっは!俺もこいつと最初に会った時、変な奴だなと思ったんだよな。見た目はすごくおとなしそうなのに、部屋に入ってくるなり俺の顔をじーっと見てるんだ。物怖じしない奴なのかなあ、でもおとなしくて物怖じしない奴なんているのかなぁなんていろいろ考えてたんだよ。そしたら話し言葉は妙に丁寧だし、礼儀正しいし、ますますこいつがわからなくなったよ。」
 
 カインは大声で笑っている。入団してしばらくした頃、カインからこの話を聞かされたことがある。どうも私は相当な変わり者としてみんなに認識されていたようだ。
 
「ぷ・・ふふ・・あはははは!」
 
 不意にウィローが大きな声で笑い出し、みんなの注目を浴びて慌てて口を押さえた。
 
「ご、ごめんなさい、笑ったりして。でもクロービスのこと、私も最初会った時変わってるわねって言っちゃったから・・・。みんな考えることは同じなのね・・・。」
 
「あ、そう言えば・・・。」
 
『ほら、そのしゃべり方!あなたって変わってるわよね。若い人で自分を『私』なんて言う人そんなにいないわ。目上の人と話すのでもない限りね。』
 
 カナを出て最初のオアシスで、ウィローが私に言った言葉だ。
 
「あっはっは!だいぶ言われてたよなぁ、お前。」
 
 カインがまた笑い出した。
 
 
「だいぶ賑やかだが、そろそろ休憩は終わりだぞ。」
 
 声に振り向くとオシニスさんが立っている。
 
「は、はい!すぐ行きます!」
 
 ウィローが慌てて立ち上がった。
 
「ねぇ、オシニスさん、ウィローの戦用舞踏って言うの、私も受けてみたいんですけど・・・。私じゃだめですか?」
 
 リーザが少し遠慮がちに尋ねた。
 
「ん?そんなことはないぞ。そうだな・・・槍使いは副団長とポーラさんに相手をしてもらったんだが・・・お前の槍はまた少し違うからな・・・。鉄扇の攻撃を受けてみるか?」
 
 オシニスさんがニッと笑ってリーザを見た。
 
「はい!ぜひ!」
 
「というわけだが、ウィロー、君はどうだ?リーザと手合わせしてみるか?」
 
 ウィローはリーザの携えている槍を見てうなずいた。
 
「グラディスさんの槍は棒術の六尺棒みたいな太い槍だし、ポーラさんの槍は普通の槍だったけど・・・リーザのは細いのね。細身の槍だとまた戦術も違うんでしょう?」
 
「そうね・・・。この槍はね、ユノ殿の槍と同じタイプの槍なのよ。私はあの人にあこがれて槍術を始めたから最初からこのタイプを使っているんだけど、これが一番私に合うみたいね。」
 
「ユノ・・・殿の・・・?」
 
「別に君は殿付けをしなくていいよ。ユノ殿って近寄りがたい美人だから、俺達がそう呼んでるだけさ。クロービスあたりは普通にユノって呼んでるしな。」
 
 カインが説明してくれた。
 
「殿付けなんてして敬遠するからよくないんだよ。普通につきあえばいいじゃないか。さん付けで充分だよ。」
 
 そうすればユノはもっと早くからみんなとうち解けられたかも知れない。そうしたら今頃ここに一緒にいたかも知れないのに・・・。
 
「お前はさんもつけないじゃないか。」
 
「つけるなって言われたんだからしょうがないじゃないか。」
 
 ウィローは黙って私達のやりとりを聞いている。
 
「はいはい、この人達はほっといて、訓練を始めましょ。ウィロー、いいかしら?」
 
 ウィローはハッとして顔を上げ、笑顔で頷いた。
 
「あ、ええ、よろしくお願いします。いろんなタイプの武器に慣れなくちゃね。」
 
「そうこなくちゃ!オシニスさん、よろしくお願いします。」
 
「よし、それじゃ行くぞ。おいハディ、お前はどうするんだ?」
 
「俺はリーザの次でいいですよ。ウィローが疲れるようなら明日でもいいし、もう少しこいつらと話をしてます。」
 
「そうか。まあ着いて間もないしな。それじゃお前はここでつもる話でもしてろ。あとで呼んでやるよ。」
 
「はい。」
 
 オシニスさんはリーザとウィローと一緒に訓練場所に戻っていった。
 
 
「いろんなタイプの武器に慣れるか・・・。王国剣士並みだな。どうせならランドさんに相手をしてもらって、入団テストにしちまえばいいんじゃないか。あれだけの腕なら合格間違いなしだと思うんだがな。」
 
 ハディがウィロー達の後ろ姿を見ながらつぶやいた。
 
「俺もそう思う時があるけど・・・今の状態じゃな・・・。剣士団自体が非合法になっちまってるわけだから、新入団員を入れるわけにもいかないんじゃないのか。」
 
 カインが何となく残念そうに答える。
 
「う〜ん・・・そうだなぁ・・・。でも今のウィローは、実質俺達の後輩剣士って位置づけだよな。」
 
 ハディが腕を組んで楽しそうにニッと笑った。
 
「なるほど、確かにそうかもな。こんなことがなければ一人や二人は俺達の後輩が入ってきてもいい時期だからな。」
 
「そういや私が入って間もない頃、ランドさんがよくこぼしてたよね。私のあとはロクなのが来ないって。」
 
「ああ、言ってた言ってた!もしかしたらお前らも俺達と同じで同期は4人きりかもな、って言われたけど、本当にそうなっちまったよな。」
 
「後輩はほしいけど、どんなのでもいいってわけにはいかないからなぁ・・・。」
 
「そう考えるとウィローみたいな力のある後輩は貴重だぞ。」
 
「後輩って決めつけないでよ。ウィローは王国剣士じゃないんだから。」
 
「そう怒るなよ。いいじゃないか、俺がそう思ってるだけなんだから。」
 
「それはそうだけど・・・。」
 
 でも確かに、もしも剣士団が解散などされていなければ、ウィローは剣士団に入っていたかも知れない。デールさんの遺志を継ごうとするなら、一人での戦いには限度がある。ウィローが剣士団の制服を着たところをちょっとだけ想像したが、けっこう似合いそうだ。
 
「おいクロービス、お前何ニタついてんだよ?」
 
 ハディが怪訝そうに私の顔をのぞき込んだ。
 
「どうせウィローのことでも考えていたんだろう。」
 
 カインがおかしそうに口を挟む。
 
「なるほどな。」
 
 ハディがくすくすと笑い出した。
 
「それよりハディ、どうやらリーザとはうまくいってるみたいだな。」
 
「まあな・・・。」
 
 照れくさそうに頭をかくハディの肩をカインが叩いた。
 
「よかったじゃないか。南大陸に行く前、お前だいぶ悩んでいたようだったから心配してたんだ。」
 
「あの時は相当煮詰まっていたからな・・・。」
 
「そういやお前ら東部巡回に行ったんだろう?親父さんに会ってきたのか?」
 
「ああ・・・。」
 
「答えは出たか?」
 
「何となくだけどな・・・。」
 
「そうか・・・。」
 
「自分が何のために剣を志したのか、それを考えてみろって言われたよ。一番大事なものは何か・・・。」
 
「一番大事なものか・・・。」
 
「ああ・・・。剣も、強くなるためのやり方も、結局はその大事なものを守るための手段でしかない・・・。なのにそれにこだわってばかりいたら、本当に大事なものを見失うことにもなりかねないって・・・。わかってたつもりでも、あらためて言われるとぐさりと突き刺さる言葉だったよ。」
 
「お前の望みは故郷の再建だったな。」
 
「そうだ。俺の一番の望みは、あの美しい海と砂浜を取り戻すことだ。村を捨てて逃げる途中、親父はお袋と俺達子供をかばって片腕を失った。そのせいで剣士としてはもうやっていけなくなっちまった・・・。あの剣さばきがもう見られないと知った時、俺は泣いたよ。でも親父は涙を見せなかった。『お前達が無事でよかったよ』って言って、俺達の頭を一人ずつ撫でてくれて・・・そして泣いているお袋を慰めていたんだ。あの時はただ、親父が無理してるだけだと思ってたけど・・・でも違うんだ・・・。そりゃ腕をなくしたこと自体は悲しかったと思うけど・・・でも親父にとって、一番大事なのは家族だったんだよ。その家族が無事だったから、親父はうれしかったんだ。今は・・・そう思うよ・・・。」
 
「なるほどな・・・。たとえ自分の腕と引き替えにしても、家族の命を救いたかったんだな・・・。」
 
「ああ・・・。だから俺は決めたんだ。とにかく今のやり方でもう少しがんばってみようって。それでもどうしても納得出来ない時は、また誰かに相談してみようかって素直に思えるよ。俺の一番の望みを叶えるためには、意地なんて張っていられないからな。」
 
「よかったね、ハディ。今は二人ともいい顔してるよ。・・・なんだかちょっとうらやましいな・・・。」
 
「そう思うならさっさと仲直りしろよ。・・・どうせすぐにここを出ちまうんだろう?」
 
 ハディは気づいていたのか・・・。だとしたらリーザだって気づいている。
 
「・・・せっかく会えたのにね・・・。」
 
「仕方ないさ。正直言うと俺達もお前らと一緒に行きたいくらいだけど・・・俺はここに残る。ここでもっと腕を磨いて、いずれ王宮を取り戻すよ・・・。だから、次に会う時は王宮だ。宿舎で待っててやるから、必ず戻ってこいよ。」
 
「そうだな・・・。」
 
 つぶやいたカインがふふっと笑った。
 
「しかし・・・俺はお前のほうがすごく変わったなあと思うよ。こんな時以前のお前なら、すぐに王宮に殴り込みをかけたんじゃないか?」
 
 ハディが笑い出した。
 
「ははは・・・。そうだなぁ・・・。以前の俺ならそうだろうな。でも今は違うよ・・・。俺は一人じゃない・・・。勝手に突っ走ったりしてみろ、リーザのスペシャルげんこつが何発飛んでくるか、考えただけでぞっとするぞ。」
 
「ははは・・・そうだな・・・。いいもんだな・・・。仕事上だけでなく、心の奥までしっかり繋がってるってわかるのは・・・。」
 
 カインの言い方は何となくうらやましそうだった。・・・昔・・・カインと私がフロリア様を連れて漁り火の岬に向かった時、フロリア様とカインの間に通っていたもの・・・それがまさに『心のつながり』であったのではないかと今でも思う。でもそれをカインに言ったことはない。私がそう思うだけで何一つ根拠のないことなのだ。
 
「リーザが家に戻った時もしもあそこであきらめていたら、今頃俺は・・・ここで一人でお前らに八つ当たりしてたかもな。でなけりゃ腹いせに王宮に乗り込んで殺されてるかどっちかだ。」
 
「そうだよな・・・なあハディ、こんなこと聞いて気を悪くするかも知れないんだが・・・。」
 
 カインが遠慮がちに口を開いた。
 
「なんだよ、お前が遠慮するなんて気味の悪い。話せよ。」
 
「う・・・うん・・・。リーザはさ、あの通りいい家のお嬢様じゃないか。位はそんなに高くないけど爵位もあるし。よくお前との仲を許したなと思ってさ・・・。」
 
 ハディは別に気を悪くしたふうもなく、なるほどというようにうなずいている。
 
「まあそうだろうな。お前が疑問に思うのはわかるよ。」
 
「いきなり気が変わったからなんて言って連れ戻されたりする危険性はないのか?」
 
「俺も聞いたよ。やっぱり気が変わったからなんて言ってももう絶対に手放さないですよってな。」
 
「そうか・・・。それならいいんだけど・・・。」
 
 カインはまだ何となく不安そうだ。
 
「お前らもさっき聞いただろう?あいつの親父さんの話。」
 
「あ、昔好きな人がいてって言うあれ?」
 
「うん・・・。あいつの親父さんには昔好きな女がいて、でもその女が自分の家の使用人だったから、許してもらえなかったそうだ。でもどうしてもあきらめきれなくてずっと隠れて会っていたそうだけど、親父さんの両親がいいとこのお嬢さんとの結婚話を進めていて、とうとう親父さんは女と別れさせられ、婚約者と結婚したってわけさ。」
 
「なるほどねぇ・・・。てことは・・・自分が好きな女と一緒になれなかったから、せめて娘にはってことか・・・?」
 
「そういうことらしいな・・・。結局結婚生活はうまくいかず、自分の弱さのせいで恋人も奥さんも不幸にしたって・・・悲しそうだったよ・・・。だから好きな相手と一緒になって幸せになれるのなら、その相手が誰だろうと反対する気はないってさ。」
 
「しかしリーザのさっきの話しぶりじゃ、お袋さんは相当頑ならしいじゃないか。」
 
「お袋さんは俺に会おうとすらしてくれなかったよ。親父さんが説得するからって言ってくれたから、今回は会わずに出てきたけど、いずれ会いに行くさ。でもそれは王宮を取り戻して、剣士団が復活してからの話だ。」
 
「そうだな。まずはそれが最優先だ。」
 
「あの時あきらめないで本当によかったと思ってる・・・。だから王宮だって、必ず取り戻してみせるさ。絶対にあきらめないぞ。」
 
「あきらめないことか・・・。」
 
 カインがぽつりとつぶやいた。
 
「そうさ。あきらめないこと、それが一番だ。この先あいつには振り回されるだろうけど、これでよかったって今は素直にそう思えるからな。」
 
「振り回されるのも楽しいもんだよ。」
 
 ・・・ウィローの心が自分にあると信じられるなら・・・いくら振り回されたって楽しいのに・・・。
 
「ははは・・・そうだな・・・。お前も早いとこ仲直りして振り回されろよ。そうすりゃ仲間が増える。」
 
「そのつもりだよ。今日のうちにね・・・。」
 
「そうか・・・。」
 
 ハディは微笑んだ。今までの彼からは想像出来ないほど、優しい微笑みだった。リーザの存在が確実にハディを変えている。いつか再会する時、どんなふうにハディが変わっているか、何となく楽しみになってきた。
 
 
「ただいまぁ〜。」
 
 リーザが上機嫌で戻ってきた。後ろからウィローもついてくる。いつの間にか夕暮れになっていて、あたりはもうすっかりオレンジ色に染まっていた。
 
「お帰り。ウィローの戦用舞踏はどうだった?」
 
「すごいわぁ。結局勝負がつかなかったのよ。今までずっと試合してたけど、時間切れで引き分けですって。」
 
「へぇ・・・すごいね・・・。」
 
「ウィローはすごいわよ。でも私は全然ね。勝負がつかなかったってことはウィローと私は互角だわ。つまりあなたより弱いってことじゃないの。」
 
 リーザは鼻の頭に皺を寄せてしかめっ面をしてみせた。
 
「そうとは限らないわ。勝敗を決めるのが力の差だけとは限らないもの。射程の短さが私にとって有利に働いたと言うだけだと思う。リーザのほうが遙かに強いと思うわ。」
 
 ウィローの言葉には、リーザに気を使っているとか、謙遜しているとかいった響きは感じられなかった。ここまで冷静に自分の実力を分析出来ているのだから、きっとあっという間にウィローはもっと強くなる。実際私もリーザのほうが実力は上なんじゃないかと思う。でもウィローとリーザの実力差は、私とウィローほどには開いていない。射程の短さと素早さ・・・。この二つが今回たまたまウィローに有利に働いたということだろう。
 
「それはそうなんだけど・・・でも力が強いほうが有利なことに変わりないわ。」
 
 リーザは悔しそうだ。王国剣士として今まで一生懸命研鑽を積んできたのに、素人のはずのウィローとの立合で勝敗を決められなかったのだから無理もない。でもここでへそを曲げたり、ウィローに対してそっぽを向いたりするようなことはない。リーザはとても素直に現実を受け入れている。やはりそのあたりは育ちの良さなのだろうか。
 
「それは確かにそうなんだが、力はいきなりつくもんじゃないぞ。地道に積み重ねるしかないんだから、それ以外の部分で改善出来るところはしていかないとな。」
 
 ハディの言葉にカインが驚いたように振り向いた。私も少なからず驚いた。
 
「な、なんだよ・・・?俺何か変なこと言ったか?」
 
「いや・・・お前の口から地道なんて言葉が出るとは思わなかったのさ。」
 
 ハディは大声で笑った。
 
「なるほどな。確かに今までの俺ならこんなことは絶対に言わなかっただろうな。そうだな・・・『力が弱くちゃ何にもならない』とか言いそうだよな。」
 
「はっはっは!それそれ!そんなこと言いそうだよ!」
 
 以前の自分をまるで他人のような言い方をするハディに、カインは膝を叩いて大笑いしている。
 
「ねえ、そろそろ食事の支度したほうがいいんじゃない?」
 
 リーザがあたりを見渡しながら言った。もうみんな訓練場から出て、それぞれ食事の支度を始めている。
 
「そうだなぁ・・・。どうせだからこの顔ぶれで作るか。ウィロー、君の都合は?カーナ達と一緒のほうがいいならそっちに行ってもかまわないぞ?」
 
「大丈夫よ。私もここで一緒に支度するわ。」
 
 カインの問いにウィローは笑顔で応えた。ウィローと一緒に食事の支度をするのも久しぶりだ。少しだけうれしかった。
 
「よし、決まりだな。今朝キャラハンさんからウィローの作るスープはうまいって聞いたんだが、作ってもらえるか?」
 
 ハディは期待のこもった目でウィローを見ている。
 
「いいわよ、私の作るものでよければ。そんなにたいした物じゃないけど。」
 
「いやいや、そんなことはないよ。おいリーザ、ウィローの作るところを見せてもらったらどうだ?」
 
「そうね・・・。ハディの作るごった煮ばかりじゃ胃がもたれそうだし・・・。私も少しは料理憶えなくちゃ。」
 
「ごった煮も作れない奴に言われたくないけどな。」
 
「ふんだ!すぐに作れるようになるわよ!」
 
 ふくれっ面のリーザをなだめながら、私達は火を熾せそうな場所に移動して準備を始めた。リーザはもうウィローにつきっきりで、スープの作り方をじっと見ている。たまに手伝っているようだが、うまくいっているのかいかないのかわからない。
 
 
 やがて出来上がった食事を食べながら、ハディは『うまい』を連発していた。リーザはそんなハディを見ながら『次は私がすごくおいしい食事を作ってみせるわよ』と胸を反らして見せていた。食事が終わったころにはすっかりあたりは暗くなっていた。夜勤の警備につくのはハリーさん達とシルフィさん達だ。
 
「さてと、明日に備えてさっさと寝るか。しかし汗でべたべただな・・・。」
 
 ハディは自分の体の匂いをかいでいやな顔をしている。相当臭いらしい。
 
「とりあえず海で水浴びでもしとけよ。心臓麻痺にならない程度にな。」
 
「そうするか。そんなに寒くはないから大丈夫だろう。」
 
 ハディがため息をつく。
 
「俺もつき合うよ。訓練場の奥に浅瀬があるから、そっちなら溺れる心配もないしな。」
 
 ハディがふふんと笑った。
 
「俺を誰だと思ってるんだ?村じゃ水泳で俺の右に出るのは親父しかいなかったんだぞ。溺れる心配なんぞ無用だ。」
 
「ああ、そうか。お前の故郷は海沿いだったんだものな。」
 
「ああ。あんなことがなけりゃ、俺はたぶん王国剣士になってないだろうな。漁師になって海に出ていたんじゃないかと思うぞ。」
 
「へぇ・・・それじゃお手並み拝見だ。おいクロービス、お前はどうする?」
 
「ハディの泳ぎは見てみたいな。私は一通り泳げるけどそんなに得意なわけじゃないし。」
 
「へぇ・・・お前泳げるのか?」
 
 ハディが意外そうな顔をした。
 
「私の住んでいたのは島だからね。近くには船着場もあったし浜辺もあったんだ。舟遊びはよくするから、おぼれないように島の子供達はみんな小さいころから泳ぎを教わるんだよ。でも大変なんだよ。泳ぎが出来る環境なんて夏のほんの二ヶ月程度の間だから、その間大人達がみんな必死で子供たちに教えるんだ。」
 
「なるほどなぁ。それじゃ汗を流す程度に行ってみるか。」
 
「そうだね。」
 
「男は簡単でいいわよねぇ。それじゃ私はお風呂に入れるかどうか聞いてこようっと。いくらなんでも水浴びはごめんだわ。」
 
 リーザが肩をすくめた。
 
「風呂は女優先だけど、管理棟の風呂場はそんなに広くないんだ。湯船は二人で入れないこともないけど、よほどくっつかいなと厳しいな。洗い場の方は広いから、交代で入れば三人くらいなら何とかなるんじゃないか?だから今日入るのが誰か聞いて、割り込めそうなら頼んでみればいいよ。」
 
 とカイン。
 
「そっかぁ・・・。まあ髪だけでも洗いたいしねえ。ねぇ、ウィロー、あなたはどこで寝起きしてるの?」
 
「洞窟の中よ。少し広い場所があるの。カーナ達も一緒よ。他にも何人かいるけど一人くらいなら入れると思うわ。」
 
「それじゃ案内してよ。」
 
「ええ、行きましょうか。」
 
「カイン、クロービス、お前らはどこだ?」
 
「私達も洞窟の中だよ。ウィロー達がいる場所とは反対側の奥に何人かいるよ。そこも一人くらいなら入れるから、一緒に行こうか。」
 
 5人で洞窟の中に入った。波音が響き渡りうるさいほどだ。
 
「これで夜寝られんのか?」
 
 ハディが心配そうに辺りを見回す。
 
「夜はそんなに波音が聞こえないんだ。風もないしな。」
 
「ふぅん・・・。」
 
 話しているうちに、洞窟の中程にさしかかった。ここからウィロー達と私達は道が分かれる。
 
「それじゃお休みなさい。」
 
「ああ、また明日な。」
 
 カインとハディが通路に向かって歩き出した。リーザもウィローの先に立って通路に入っていく。
 
「ウィロー。」
 
 呼ばれてウィローが振り向いた。他の誰かが振り向かないうちに、私はさっとウィローに近づき、耳元で囁いた。
 
(水浴びのあとで・・・洞窟の奥の浜辺で待ってるから・・・。)
 
 驚いて私を見上げるウィローに微笑み、そのまま私はカイン達の後を追った。ウィローは来るだろうか。来なければそれが彼女の答だ。来てくれたら・・・今度こそ離すものか・・・!

第40章へ続く

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