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 浜辺に戻るともう全員集まっていた。ティールさんとセルーネさんの姿も見える。セルーネさんはもう泣いていなかった。いつもの表情に戻って、ティールさんと小声で何か話している。ポーラさんはセスタンさんの隣に座った。セスタンさんが心配そうに声をかけている。ポーラさんの顔はまだ涙で少し腫れていたが、でもとても晴れやかで、私はほっとした。
 
「さて・・・みんな集まったようだな・・・。」
 
 副団長が立ち上がり、みんなを一通り見渡した。
 
「カイン、クロービス、ちょっと来い。あ、ウィローもな。」
 
 カインと私はすぐに立ち上がったが、ウィローは少しだけ迷うように腰を浮かせかけたまま動かなかった。が、すぐに立ち上がって私の後ろに立った。距離を置くとは言ってもこのくらいまでなら近づいてもいいらしい。
 
「さてと、やっとこいつらが戻ってきた。みんなこいつらに直接聞き来たいこともあるだろう。だが、質問は出来るだけ俺を通してくれ。大変な思いをしてきたんだから、そのくらいはいたわってやらんとな。まあその・・・クロービスの後ろにいるこの娘のことについては、その限りではないんだがな。紹介だけはしておこう。こいつはウィローといって、ハース鉱山の統括者をしていた元御前会議の大臣デール卿の娘だ。カナへの赴任経験がある者にとってはよく見知った顔だから今さら言うまでもないが、入団して5年までの者は初対面だろうから一応言っておく。元大臣のお嬢様だなんて思ってかかるとエライ目にあうぞ。」
 
「・・・グラディスさん、どういう意味よ、それは。」
 
 ウィローが副団長を横目で睨むように見て尋ね返した。
 
「言葉通りだがな。とてもお嬢様には見えん。」
 
 副団長はニッと笑って肩をすくめてみせる。
 
「お嬢様なんかじゃないのは確かだけど・・・。」
 
「いいからほら、ちゃんと挨拶しろよ。」
 
「え・・・?・・・あ・・・!」
 
 ウィローは焦ってみんなに向き直り、深く頭を下げた。
 
「ウィローと申します。これからしばらくこちらでお世話になることになりました。昨日の朝ローランでお会いした方もいらっしゃると思いますけど、改めてよろしくお願いいたします。」
 
「おいクロービス、式はいつだ!?」
 
 誰かの声で笑い声があがった。ウィローが少しだけ顔をこわばらせる。
 
『クロービスが嫁取りかぁ。』
 
『嫁さんのほうが強そうだぞ』
 
『クロービスより弱い嫁さんなんているのか?』
 
『ありゃ尻に敷かれるな』
 
 笑い声に混じって声が聞こえてくる。何とも複雑な気分だ。
 
「おいおい、ちょっと待てよ。大事な娘を無職の男に嫁にやるわけにはいかんぞ。その話は、俺達がちゃんと元の身分に復帰してからだ。そうだな?ウィロー、クロービス。」
 
 副団長が大げさに首を振りながら私達を見た。気を遣ってくれているらしい。
 
「そうですね・・・。まずはそっちの問題解決が先です。」
 
 ウィローは黙っていたが、私も副団長に合わせて大げさに首を振ってみせた。
 
「はっはっは。副団長、まるでウィローの父親みたいですね。」
 
 オシニスさんが笑った。
 
「当然だ。子供の頃からよく知っているんだからな。ここでは俺はウィローの親代わりだ。」
 
 副団長は胸を反らしてみせる。
 
「さて・・・こいつらの向こうでの仕事ぶりについては報告を受けている。それをこれから話そう。カイン、クロービス、ウィロー、お前らはそっちに座って話を聞け。俺の話が間違っていたりしたときには教えてくれ。」
 
 カインと私はみんなが座る場所に戻って腰を下ろした。そして副団長の話を聞きながら、隣に座っているライザーさんに声をかけた。
 
(副団長には全部話してあるんですよね・・・?)
 
(あの方のこと以外は全部話したよ。君達も同じ報告をしたんだろう?)
 
(はい。)
 
 あの方というのはもちろんファルミア様のことだ。
 
(おいクロービス、あの方のことは、あとでじいさんをとっつかまえて締め上げてやるから、それまで黙っていてくれ・・・。)
 
 ライザーさんの隣に座るオシニスさんが小声で口を挟んだ。
 
(わかりました・・・。)
 
 王宮に戻ることさえ出来れば、レイナック殿にたずねることが出来る。そう簡単に話してくれないだろうが、それでも話してもらわなくてはならない。今となっては、レイナック殿だけがすべてのなぞを解く手がかりに思えてならなかった。
 
 副団長の話はしばらく続いた。私達がロコの橋を越えてから、ディレンさんに会ったこと、カナについてガウディさんの無事を確認し、ウィローと知り合い、ハース鉱山までへの道案内をかねて一緒に旅をしたこと。その後少し話が飛んだ。ガウディさんを傷つけた怪物と戦うために、温泉の東側の泉のほとりに住む老人の話から、そのまま温泉の地下に入っていったことになっている。つまり夢見る人の塔での出来事も、温泉の上空に現れたセントハースのことも、みんなには話さないでおけということか。そう言えば私の見た夢の話も最初から省いてある。私を気遣ってくれているのだ・・・。私はこの奇妙な力をいまだにもてあましている。コントロールの仕方にはもう慣れたが、もしもこの力をすっかりなくすことが出来るのなら、私は喜んでそうするだろうと今でも思う。
 
 その後、無事怪物を倒し、それが聖戦竜の一匹ロコだと知ったこと、ハース城前での押し問答の後、カインと私が別行動をとることにしたところからは、そのまま私達が報告したとおりの出来事が話された。ウィローのことはもうみんなに知れ渡っているから、そのあたりのことは隠すほうがかえって不自然になる。
 
「・・・・・・・ということで、こいつらはここまで帰ってきたんだ。ディレンが元気でいたことと、ガウディの無事が確認できたことは大きな収穫だ。だが・・・団長のことは残念だ・・・。あの時俺がもっと早く団長の動きをつかんでいればと、今でも悔やまれる・・・。だがいつまでもそのことにこだわって立ち止まっていることは出来ん。俺達にはしなければならないことがある。まずは情報を集めて、何とかして王宮に戻る手立てを考えなければならないのだ。カインとクロービスの濡れ衣を晴らし、あの怪しげな王国軍の衛兵達からこの国を取り戻さなくてはならん。」
 
「それならば方法はひとつですよ。王宮に攻め込んで奪い返せばいいんです。」
 
 オシニスさんがさらりと言った。
 
「馬鹿を言うな。ここにこうして集まっているだけで、旧剣士団が謀反を企てていると噂されている。海鳴りの祠は今、反逆者の巣窟なんだ。どんなに屈辱的な言葉だろうと、それが現実だ。その俺達が武装して城下町に入っただけで、あの兵士達の思うつぼだ。やつらに俺達を捕まえる正当な理由を与えてはならん。」
 
 もうすこし何か言うのかと思っていたが、オシニスさんはそのまま黙り込んだ。あきらめたような、悲しいような、複雑な表情でいる。
 
「ユノに頼んでフロリア様をここに連れてきてもらえばいいんじゃないのかなぁ。フロリア様が僕達についてくれれば、あんな連中どうにでもなると思うんだけど・・・。」
 
 相変わらずのんきに言ったのはキャラハンさんだ。
 
「来てくださるならいいがな、俺が見た限りでは、フロリア様ははっきりと俺達剣士団を拒絶なさっておられる。試すまでもないことだ・・・。」
 
 副団長の表情が暗くなった。
 
「そうか・・・。何でフロリア様は剣士団を嫌いになっちゃったのかなぁ・・。」
 
 キャラハンさんはため息と共に肩を落とした。さっぱりわけがわからないと言った表情だ。
 
「嫌いにか・・・。そうだな・・・なんでだろうな・・・。」
 
 副団長が独り言のようにつぶやく。
 
「フロリア様にその気があったって、ユノ殿が一緒じゃ無理なんじゃない?」
 
 皮肉めいた言い方をしたのはステラだった。
 
「どういうことだ?」
 
 副団長が怪訝そうに尋ね返した。
 
「だって私達がこんなところに追われてきたのに、ユノ殿は相変わらず王宮で仕事をしているんでしょう?あんな人は剣士団の裏切り者よ!」
 
「ばかを言うなステラ。なんでユノが剣士団を裏切るんだ?」
 
 副団長の顔が少し厳しくなる。
 
「ステラ、憶測だけでそんな言い方しないでよ。ユノが王宮に残ったのは、自分の仕事を遂行するためじゃないか。」
 
 副団長に言ったユノの言葉に嘘はないと私は思う。
 
「ずいぶんかばうのね?」
 
 ステラの瞳がきらりと光ったような気がした。ステラがユノをよく思ってないのはわかっていたが、今の彼女の瞳にははっきりとした憎悪の光が見える。
 
「ユノは仲間なんだから、そんな言い方されたらかばいたくなるよ。」
 
「仲間!?冗談じゃないわ!あんな人仲間なんかじゃないわよ!」
 
「そんな言い方ないじゃないか!」
 
 ステラがこれほどユノを毛嫌いするようになったきっかけは、間違いなく私達の訓練の時の出来事が原因だ。ステラにしてみれば、カインを悪く言う人間は誰でも許せないのかも知れない。でも私にとって、ユノは大事な仲間だ。あの時のことだって私達のためを思ってのことだったのだと、今でも信じている。自分の声が大きくなっていることに気づいてはいたが、抑えようとは思わなかった。
 
「あたしに怒らないでよ!そう言ってるのはあたしだけじゃないのよ!あたし達を王宮から追い出して、自分だけのうのうととどまっていれば、そう思われても仕方ないじゃないの!?あの人があんた達のことなんて言ったか覚えているでしょう!?みんな必死で訓練しているのに、ここで死んでくれたほうがいいなんて・・・たとえ冗談でしたなんて言ったとしたって、あたしはあの女を許さないわよ!なんでそんなにかばうのよ!?」
 
「でも間違ったことは言ってないじゃないか!あれだって訓練だったんだから!」
 
「冗談じゃないわよ!あんな・・・」
 
「二人とも落ち着け!!」
 
 ステラの言葉はオシニスさんの一喝でとぎれた。思いがけず大声を出したことと、行き場のない憎しみがステラから伝わってきて、少し気分が悪くなった。
 
「まったく・・・。おいステラ、お前はクロービスがユノをかばいすぎると言うがな、それならどうしてお前はそれほどユノを目の敵にするんだ!?」
 
 オシニスさんに怒鳴られ、ステラは言葉につまった。オシニスさんはやれやれといった風にため息をつくと、今度は私に向き直った。
 
「お前も少し頭を冷やせよ。」
 
「はい・・・すみません・・・。」
 
 私が頭を下げたのを確認して、副団長が咳払いをした。
 
「ユノは自分の意志で王宮に残った。あいつはあのならず者の中で一人で戦っていると俺は信じている・・・。だから俺達は俺達に出来ることをする。ステラ、お前がユノをどう思っていようと、それをとやかく言うつもりはない。だが、憶測だけで裏切り者呼ばわりをすることはこの俺が許さん。」
 
 ステラは悔しげに唇をかんでいたが、小さな声で『はい』とうなずいた。私もステラに向かって頭を下げた。
 
「ステラ、ごめん・・・言いすぎた。」
 
「いいのよ・・。あたしも大人げなかったわ。一応あんたより年上なのにね。」
 
「年上ったって一つじゃないか。たいして変わらないよ。」
 
「そうか・・・。そうよね・・・。」
 
 ステラはそのまま黙り込んだ。
 
「それじゃあらためてみんなに聞こう。何か質問はあるか?」
 
 副団長の問いかけに、誰も何も言わなかった。いや、言わなかったと言うより言えなかったのかも知れない。
 
「・・・それじゃ、みんな通常勤務に戻れ。」
 
「あ、副団長、俺達もどこかの警備に・・・。」
 
 カインが副団長に声をかけた。せっかく帰ってきたのだから、私達もみんなの役に立ちたかった。だが副団長は少し困ったような顔で私達を見ている。
 
「いや、お前達はいい。」
 
「どうしてですか?」
 
「お前達は今のところお尋ね者だ。王国軍の兵士がウロウロしているような場所に行かせることは出来ん。」
 
「でも郊外なら大丈夫じゃないですか。俺達にも何かやらせてください。」
 
 いつまでもここにいたところで何の役にも立てない。それでなくてもここにいる王国剣士は全員じゃない。人手はいくらあってもいいはずだ。
 
「そうもいかないみたいだぞ。」
 
 神妙な面持ちで口を開いたのはエリオンさんだった。
 
「昨日の件か・・・。」
 
 副団長が厳しい顔で返事をする。
 
「・・・なにかあったんですか?」
 
 エリオンさんと、隣に座っていたガレスさんが渋い顔でうなずいた。
 
「昨日の朝、宿屋を出てから俺達は西の山脈方面の警備に向かったんだ・・・。」









 俺達はローランの入口から南に折れて、西の山脈に沿ってずっと歩き続けた。あのあたりの山の中には未だに山賊が出やがるから気を抜けない。そこに黒装束の盗賊みたいな連中が現れたんだ。
 
「王国剣士か?」
 
 話しかけてきたのは多分頭目だろう。
 
「それ以外の何に見える?少なくともお前らのような盗賊ではないな。」
 
「けっ!反逆者がえらそうな口をきくんじゃねぇ!」
 
「俺達が反逆者だとしても、お前らに言われる筋合いはない。それとも、そのいかにも盗賊ですと看板を出しているような格好で、王国軍の兵士だなんて言うんじゃないだろうな。それじゃ密偵だと言っても信じてもらえんぞ。」
 
 やたら殺気をまき散らしている割に及び腰の連中ばかりだったから、こっちも落ち着いたもんさ。鼻先で笑ってやったら顔を真っ赤にして怒り出してなぁ。
 
「よ、よけいなお世話だ!今手配中のカインとクロービスってのはお前らのことか!?」
 
「だとしたらどうするつもりだ?」
 
「きまってらあ!王宮の命により抹殺する!」
 
「なぁにが王宮の命だ!?貴様らのようなへっぴり腰のにわか兵士に俺達が斬れるとでも思ってんのか!?」
 
「うるせぇ!てめぇら、やっちまえ!」
 
 とまあ襲いかかってきそうだったから、適当に蹴散らすか、一人ぐらいとっつかまえて締めあげてやろうかと思ったんだがな。
 
「お、おい、こいつら・・・聞いてる人相と違うぞ。」
 
 後ろのほうにいた奴が言い出したんだ。
 
「な、なんだと!?」
 
「手配中の二人組は黒髪と赤毛だって聞いてるぞ。それに若いはずだ。こいつらは髪の色が違うし、それにどう見ても30近いじゃないか。」
 
 まったくよけいなお世話は奴らのほうだよ。どうせ俺達はもうすぐ30代だよ、まったく・・・。
 
「て、てめぇ!嘘つきやがったな!?」
 
「この場合見抜けないほうがバカだと思うがな。どうだ?せっかくここで会ったんだ。どうせ王国剣士は全員反逆者ってことになってるんだろうから、俺達を始末してもいいんじゃないか?」
 
「く、くそ!退け!他を探すぞ!」
 
 腹が立ったからたたきのめしてやろうかと思ったのに、さっさと逃げちまいやがった。









「お前らを探しているのがあの連中だけとは思えん。今はここにいたほうがいいと思うぞ。」
 
「あのあたりにそいつらがいたってことは・・・王国剣士がみんな海鳴りの祠にいるってことは、フロリア様はご存じないんですか?」
 
 カインの問いにエリオンさんは少し首を傾げたが、
 
「いや、多分耳には入っているだろうな。」
 
さらりと言ってのけた。
 
「そんな・・・!それならここにいたって安全てことはないじゃないですか。もしもあの衛兵達に攻め込まれたりしたら・・・。」
 
「だがここにいればほかのみんなもいる。撃退することは簡単だろう。もっとも、今までは不思議とここに乗り込んでくる奴はいなかったが。」
 
「来たところで返り討ちにすればいいだけですよ。」
 
 むすっとした顔でオシニスさんが口を挟んだ。
 
「ははは、そうだな。向こうから来たのならこちらもそれなりに応戦するしかないだろうが、出来るだけ無用な争いは避けたいからな。」
 
「そ、それはそうですけど・・・。」
 
 カインは納得いかないと言った顔で悔しげに黙り込んだ。
 
「カイン、今はこらえてくれ。時には耐えることも必要だ。お前達はここにいて、南大陸でのことを少しみんなに話してやってくれ。少しずつ、話せることだけでいい。」
 
 副団長はカインの肩をぽんぽんと叩き、なだめるように話しかけた。
 
「・・・はい・・・。」
 
 カインが泣いている。心の中で・・・。悔しくて仕方ない。それは私の思いでもある。
 
「それじゃ、お前達は今日はもう休め。ウィロー、お前は・・・そうだな、カーナ、ステラ、ウィローの寝床の面倒を見てやってくれないか。」
 
「はい。ウィロー、私はカーナ、さっきクロービスと喧嘩してたのが相方のステラよ。多分年も同じくらいよね。あらためてよろしくね。」
 
「自己紹介くらいさせてよ。あたしはステラ。さっきはちょっと頭に血がのぼってしまって、クロービスと喧嘩しちゃいました。でも普段は別に仲悪いわけじゃないのよ。ウィロー、よろしくね。」
 
 ウィローは笑顔で二人と握手を交わし、カーナ達が寝床にしている祠の一角に歩いていった。
 
「・・・カイン、私達も寝床の用意をしようか。」
 
「ああ、お前らは俺達と一緒でいいよな?」
 
 オシニスさんに声をかけられた。
 
「テントじゃないんですか?」
 
「この浜辺は見たとおりテントだらけだからね。祠の中でも女性剣士達が使っている場所と反対側の奥の方に、結構広い場所があるんだよ。僕達とあと何人かはそこで寝起きしてるんだ。君達二人が寝る場所は充分あるよ。もっとも・・・宿舎の時みたいに乾いたベッドってわけにはいかないけどね。」
 
 ライザーさんがため息をつきながら話を続ける。
 
「寝る場所があるなら充分です。」
 
 私達はオシニスさん達と一緒にその場所に案内してもらった。カインはむすっとしたままずっと黙っていたが、とりあえず荷物を降ろして寝袋を引っ張り出している。私も自分の寝袋を出したが、その時に薬草を入れた巾着が荷物からこぼれ出た。その途端、ウィローに夜の分の薬を飲ませていないことを思い出した。ずっと南大陸での話に気をとられていて忘れていたのだ。
 
「あの・・・カーナ達が寝起きしているのはどっちのほうなんですか?」
 
「ああ、ここに来る途中、右側に折れる道があっただろう?あっち側をずっと奥まで行くんだ。なんだよ、夜這いにでも行くのか?」
 
 オシニスさんはにやにやしている。
 
「ち、違います!ウィローに薬を渡すのを忘れたんですよ!だから・・・」
 
「まあ夜這いに行ってもウィローが一人でいるわけじゃないからなぁ。ほかの連中に気づかれないようにってのはなかなか大変だと・・・」
 
 オシニスさんが言い終わらないうちに、ライザーさんがオシニスさんの襟首をつかんでぐいっと引っ張った。
 
「オシニス、頼むからそれ以上しゃべるな。・・・クロービス、カーナ達がいる場所はここからそんなに遠いわけじゃないよ。ただ、道が折れ曲がってるから奥まで行く少し手前で声をかけたほうがいい。着替え中だったりするとゲンコツが飛びそうだからね。」
 
「はは、そうですね。それじゃちょっといってきます。」
 
「あ、それからウィローの訓練だけど、今日の夜薬を飲んで、明日の朝君が見て大丈夫そうなら声をかけてくれないか。でなければ訓練は中止だよ。ちゃんと体が治ってからでないとね。」
 
「わかりました・・・。」
 
 その判断を私にさせるのか・・・。出来るならウィローの訓練にはかかわりたくない。ウィローが大剣の攻撃にさらされるところなんて考えたくもないのに・・・。
 
 ため息とともに腰を上げた私にカインが声をかけた。
 
「おい、ちょっと待てよ。俺も行くよ。」
 
「なんで?」
 
「・・・ステラに用事があるからな・・・。」
 
「・・・そうか。それじゃ一緒に行こう。」
 
 私たちが歩き出した後ろで、ライザーさんがあきれたように言うのが聞こえてくる。
 
「まったく君はどうしてそう・・・」
 
「いいじゃないか。罪のない冗談だ。」
 
 オシニスさんの声はけろりとしている。確かに悪気がないのはわかるんだけど・・・今の私にはちょっとつらい言葉だった。でも仕方ない。ウィローが私に言ったことなんてあの二人は知らないのだから。
 
「時と場所を考えてくれよまったくもう。」
 
「はっはっは、そう怒るな。」
 
 その会話を背後に聞きながらカインがくすりと笑った。
 
「みんな・・・相変わらずだな・・・。こんなところに追いやられてもう少し気が滅入っているのかと思ってたけど、安心したよ。」
 
「剣士団の後釜があれじゃ、悲嘆にくれてる暇なんてないよね。あんな連中にこの国を任せておけないよ。」
 
「そうだよな・・。早いとこ何とかしなくちゃ・・・。えーと・・・ここから奥に行くんだよな?」
 
 言われたとおりの曲がり角でカインが道の奥を覗き込んだ。
 
「そうだね、行ってみようか。」
 
 この洞窟群は結構広い。あちこちに細い道が入り組んでいて、そのままにしておけば間違いなく迷子になりそうだ。実際迷った人もいるらしく、細くて行き止まりの道や、迷いやすい道には立ち入り禁止の看板とともにロープが張られている。カーナ達がいる場所は、その立ち入り禁止の場所の中でも比較的道が入り組んでなくて、さらに奥に広い場所があるところを特別に頼んで開放してもらったらしい。道に入ったところで奥に向かって声をかけると、カーナが出てきた。
 
「ウィロー呼んでくれる?」
 
「いいわよ、デート?」
 
 カーナがにっと笑った。
 
「ちがうよ。夜の分の薬を渡すのを忘れたんだ。これから作るから、管理人さんのところに行かないとね。あそこには厨房があるみたいだからそっちで作るよ。あったかいうちに飲んですぐに眠れば、もうよくなると思うよ。」
 
「聞いたわよ。オシニスさんたちと訓練ですってね。」
 
「うん・・・。どこまでいけるかはわからないけど、本人がやりたいっていうんだから仕方ないよね。」
 
「へぇ・・・つまりクロービスはやらせたくないわけか・・・。ふふ・・・なるほどね。」
 
「なにがなるほど?」
 
「なんでもないわ。でもウィローっていい子よねぇ。よく聞いたら私と同い年みたいね。もうステラともすっかり仲良くなったわ。元々セルーネさんたちとは顔見知りだっていうけど、ウィローなら明日にも剣士団の人気者になれるわよ。誰かに取られないようにね。」
 
 カーナが今度はからかうような笑みを見せた。
 
「・・・気をつけるよ。それより、早くウィロー呼んでよ。」
 
「はいはい。あ・・・」
 
 カーナは一度奥に戻りかけ、立ち止まってカインに振り返った。
 
「・・・ステラを呼んでくればいい?」
 
「・・・頼むよ・・・。先伸ばしにしたくないからな・・・。」
 
「そうね・・・。待ってて。」
 
 すこしだけ表情を翳らせて、カーナは奥に戻っていき、程なくしてステラとウィローが出てきた。
 
「カイン・・・あたしに用事?」
 
 ステラの表情は冴えない。まあ当たり前と言えば当たり前なんだけど、いつもカーナのフォローをしている冷静なステラとは別人みたいだった。なんだかかわいそうになってくる。
 
「うん、悪いけどちょっとつきあってくれよ。ここの奥に小さい浜辺があったじゃないか。あそこに・・・」
 
「どうしても今じゃないとだめ?明日では?」
 
 カインの言葉を遮るようにステラが尋ねる。
 
「・・・だめだ。今君と話をしたいんだ。一緒に来てくれ。」
 
「・・・・・。」
 
 きっぱりと言うカインにステラは顔をこわばらせ、黙ってうなずいて後についていった。その後ろ姿を心配そうに見送るのはカーナとウィローだ。
 
「・・・はぁ〜・・・こればっかりは仕方ないわね・・・。」
 
 カーナがため息をつく。
 
「・・・向こうにいた間もずっと気にしていたんだよ。早く言わないとってね。」
 
「・・・カインて、誰か好きな人がいるの?」
 
「さぁ・・・。」
 
 素知らぬふりをしてみせたが、カーナはそんな私に向かってフンと鼻を鳴らした。
 
「・・・嘘ばっかり。あなたが知らないはずないわよね。でも、あなたは知ってたってきっと絶対に言わないか・・・。」
 
「そう思うなら聞かないでよ。」
 
「・・・でも気になるじゃないの。言っとくけど、別に野次馬根性じゃないからね。ステラは私の大事な友達だもの。幸せになってほしいわよ。」
 
「それはそうだけどね・・・。なるようにしかならないもんだよ。ステラのフォローは君がよろしくね。」
 
「それは任せておいて・・・。」
 
 あまり乗り気ではないといった風ではあったが、カーナはうなずいた。これから好きな相手にふられて戻ってくる親友を慰めなくちゃならないなんて、誰だっていやだと思う。でも今そのことを私が考えてみたところで、何も出来ることはないのだった。今私がしなければならないことは、少しでも早くウィローの風邪を治すことだ。
 
「ウィロー、カーナから聞いたと思うけど、薬を渡すから一緒に管理棟まで来てくれる?」
 
 ここでも私は、さりげなくいつものように話すことを必死で心がけていた。
 
「わかったわ。薬は今日までの分で終わりよね?」
 
 ウィローもいつもと変わりないように見える。本当にいつもと同じなのか、そう見せようとしているのかまでは判断がつかないが、今さら気にしてもしかたがない。
 
「終わりだけど、咳とかくしゃみはどう?出るようならしっかり治しておいたほうがいいよ。ここの洞窟の中は雨風はしのげるけど、ローランの東の森の洞穴と同じでかなり冷えそうだよ。」
 
「・・・そうね・・・。少し頭がいたいときはあるんだけど・・・治療術でなんとかなる程度だから・・・。」
 
「頭か・・・。あとは?」
 
「くしゃみが出るけど・・・誰かがうわさしてるのかもね。」
 
「くしゃみか・・・。噂ならきっとそこいらじゅうでされてるよ。でもそれは風邪のせいだから、甘く見てはだめだよ。それじゃ、明日の朝までにデンゼル先生にもらったレシピを見てみるよ。もしもちょうどいいのがなければ、明日ローランに行ってもう一度相談してくるから。」
 
「そこまでしなくても・・・・。大丈夫よ。治りかけだもの。」
 
「治りかけが一番危ないんだよ。明日の朝の調子を見て、オシニスさんたちが相手してくれるかどうかは私に判断してくれって言われたんだ。頼まれたことはきちんとしないとね。」
 
「・・・あなたの判断で・・・?」
 
 ウィローの視線が少し厳しくなった。
 
「そうだよ。さっきライザーさんに言われたんだ。だから早く行こう。出来立ての薬を飲んで体をあっためてから眠れば・・・」
 
 そうすれば明日からちゃんと訓練を受けられるよ・・・。そう言いかけて思わず口をつぐんだ。明日の朝具合を見て、ほんとうによくなっていれば嘘をついてまで訓練を阻止しようなどとは思わないが、今さらそんなことを言ってみたところで信用してもらえるかどうかもわからない。
 
「とにかく、行こう。」
 
 私はウィローと一緒に管理棟に向かった。ここの厨房は、小さいながらもなかなかいい設備が揃っている。管理人が医療に精通しているだけあって、薬草などを煎じるのにちょうどいいかまどもあった。私は管理人に頼み込んでかまどを使わせてもらうことにした。一回分の薬草を煎じるだけならそんなに時間はかからない。出来上がった薬を器に入れて、厨房の中にあるテーブルについているウィローの前に差し出した。ウィローは器を差し出した私の顔をじっと見つめている。探るような、不思議そうな・・・なんと形容していいのかわからないような視線だった。
 
「どうしたの?」
 
「・・・え・・・?あ、い、いえ、なんでもない。ありがとう。」
 
 ウィローは慌てて私から目をそらし、いきなり器に口をつけて薬を飲もうとした。
 
「あ、熱いよ!」「熱っ!」
 
 私が慌てて叫んだのと、ウィローが叫ぶのがほとんど同時だった。
 
「あー!ほらだから言ったのに。やけどしてない!?」
 
「だ・・・大丈夫・・・。あちちち・・・。」
 
 大丈夫という割には痛そうだ。場所が唇なので呪文を唱えようがないらしい。
 
「ほらこっち向いて。」
 
 唇が真っ赤になっている程度だから多分簡単な呪文で治るだろう。私は人差し指をウィローの唇に当てて、『自然の恩恵』を唱えた。あっという間に唇から腫れが引いて元の色に戻った。
 
「治ったよ。もう少し落ち着いて、ゆっくり飲まなくちゃ。」
 
「あ、ありがとう・・・。」
 
 ウィローは耳まで赤くなりながら、一生懸命薬の器を持ってフーフーと冷ましている。
 
(よけいなことしたかな・・・。)
 
 以前なら何とも思わなかったこんな些細なことまでも、そんなふうに考えてしまう。こんなに近くにいて普通に話しているのに、『距離をおきたい』と言われただけでウィローがほんとうにとても遠く感じる。なんだか切なくなってきて、私は立ち上がりウィローに背を向けて、薬を作るのに使った鍋を洗いはじめた。背後でウィローが薬を飲む音が聞こえる。私が鍋を洗い終わるのと、ウィローが薬を飲み終わるのが同時くらいだった。振り向くとウィローはまだ少し赤い顔でため息をついている。体を温める薬草が入っているくらいで、今日の薬はそんなに苦くないはずだけど・・・。でも世話を焼いてうっとうしがられるのもつらい。私はウィローの前に手を差し出し、器を受け取ろうとした。
 
「・・・え・・・・?」
 
 ウィローは指が白くなるほど器をしっかりと持ったまま、ぼんやりとした瞳で私を見ている。
 
「器を洗うから出して。」
 
「え・・・?あ、ああ・・・器ね・・・。」
 
 ウィローはのろのろと器を差し出した。
 
「気分が悪いの?今の薬にはそんなに強いものは入ってないはずなんだけど・・・。」
 
 心配になってくる。デンゼル先生からもらったレシピを自分なりに改良したわけだったのだが、ウィローの体質に合わなかったのだろうか。
 
「ち、違う!あ、あのね、そんなにかまわないで。それより、薬は飲んだからもう戻るね。」
 
「一緒に行くよ。この器を洗ってから・・・。」
 
「あ、いいのいいの。自分で帰れるから。それじゃ!」
 
 言うなりウィローは立ち上がり、ほとんど飛び出すように管理棟を出て行った。
 
「・・・いくら何でもそんなに毛嫌いしなくたっていいじゃないか・・・。」
 
 思わず愚痴がこぼれた。ため息をつきながら洞窟の中に戻る途中、カーナに出会った。
 
「ウィローが赤い顔して走ってきたけど、どうしたの?」
 
「まだ赤かった?熱でも出たのかな・・・・。あ、それとも薬のおかげで体があったまったせいかな・・・。」
 
 私のこの答えにカーナはあきれたようにため息をつき、
 
「あのねぇ、そんな意味じゃないってことくらいわかるじゃないのまったくもう・・・。あなたってホント、自分のことには鈍感よねぇ・・・。」
 
 言い終えてもう一度大げさにため息をつきながら肩をすくめてみせた。
 
「鈍感も何も、ウィローは今風邪をひいているんだよ。熱が出たのでなければ薬のせいかなと思うじゃないか。」
 
「ふうん・・・。まあいいけど・・・ねえクロービス、あなたウィローのことほんとうに好きなの?」
 
「何でそんなこと聞くの?」
 
「あら、純粋な興味よ。でも聞いたことをほかでしゃっべったりはしないわよ。私が知りたいだけ。」
 
「人に話すようなことじゃないよ。」
 
「あ、そう。」
 
 もう少ししつこく聞かれるかと思っていたのに、カーナはあっさりと引き下がった。まあそれはそれでいいんだけど。
 
「それより、ステラは戻ってきた?」
 
「戻ってきたわよ・・・。ついさっきだけどね。」
 
 とたんにカーナの表情は暗くなる。
 
「そうか・・・。」
 
「ステラを慰めているところに、ウィローが赤い顔して飛び込んで来たのよ。入ってくるなり隅っこに座り込んで泣き出しそうな顔してるし、ほかの人達も気を使って黙っているし、なんだか今日は暗いのよねぇ。ステラが落ち込んでるのはわかるとしても、ウィローのほうは何があったのか知らなかったからあなたに聞きたかったのよ。それでここで待っていたわけ。」
 
「なるほどね・・・。それじゃ、さっきの質問に私が答えたら、それをウィローに教えるつもりだったの?」
 
「内容によるわね。」
 
「そっか・・・。」
 
「本当に何かあったの?」
 
「・・・ウィローが何も言わないなら私も言えないよ。」
 
「それって何かあったって言ってるのと同じよね。私も不思議だったのよ。ウィローはあなたについてきたって聞いていたのに、そのわりにはお互い妙によそよそしいから、みんな戸惑ってるわよ。」
 
「そんなこと言われてもどうしようもないじゃないか。人生にはね、予測不可能なことがいろいろと起こるものさ。」
 
 カーナがニッと笑った。
 
「語るに落ちたわね。つまり思いがけないことが起きて、あなたとウィローは今のところ冷戦状態ってことなのね。」
 
 あたっているだけに何も言い返せない。よけいなことを言わなきゃよかったと、いつも言ってしまってから後悔する。
 
「わかったわ。もう詮索はやめておく。早いところ氷が溶けるといいわね。」
 
「・・・・・・。」
 
 黙っている私を見つめながらカーナはもう一度ニッと笑って、そのまま洞窟の奥へと戻っていった。
 
「氷ね・・・なるほど、確かにそうだな・・・。」
 
 しかも特大の、ふるさとの島のさらに北方に浮かんでいる氷山から切り出してきたようなカチカチの氷だ・・・。
 
「溶けるならいいんだけどね・・・。」
 
 一人つぶやき、私はカインのところに戻った。
 

第38章へ続く

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