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第38章 王国の秘密

 
 私はこれからの寝床となる洞窟の中のホールに戻ってきた。中にはエリオンさん達とそのほか何人かの剣士達がいて、オシニスさん達はいなかった。
 
 中を見渡すと、カインはもう戻っていた。壁により掛かってぼんやりと宙を見つめている。今私は、自分が相当暗い顔をしているんじゃないかと思っていたが、カインのほうがその何倍も暗い顔をしていた。
 
「お疲れ。」
 
 私は思わずそう声をかけた。カインは顔をあげ、少し複雑な顔で笑ってみせた。
 
「確かに疲れたよ。・・・お前の顔も冴えないな。」
 
「冴えるような話題がないからね。」
 
「まったくだ。」
 
「なんだなんだ、二人して辛気くさい顔しやがって。おいクロービス、ウィローみたいないい娘を手に入れておいて、何が不満なんだよまったく。」
 
 カインが肩をすくめたところで、床に寝袋を敷いてその上に寝ころんでいたエリオンさんが起きあがって声をあげた。
 
「まあそう言うなよ。見たところウィローもこいつも恋愛に関しちゃド素人だからな。いろいろと大変なんだろう。な?」
 
 ガレスさんがエリオンさんを取りなし、私に向かってニッと笑ってみせた。
 
「そうですね・・・。今から他で経験を積んでくるわけにもいかないですからね・・・。」
 
「う〜ん・・・まあそうなんだけどなぁ・・・。なんて言うか・・・お前ら昨日から妙によそよそしいから、からかいたくていた連中が拍子抜けしてるぞ?」
 
「おいエリオン、一番からかいたかったのはお前じゃないのか?」
 
 半ばあきれたような顔で、ガレスさんが言った。
 
「ふん、俺だけじゃないよ。クロービスに彼女が出来て、しかもそれがあのウィローだって聞いて、カナに赴任したことのある連中はみんな喜んでいたんだぞ。お前だってそうじゃないか。」
 
「そりゃそうだよ。クロービスの人柄は俺なりによくわかってるつもりだし、ウィローは昔からよく知っているし、お互いいい相手を選んだなと今だって思ってるさ。だがな、だからってこいつらのことにいちいち口を出す権利なんて俺達にはないじゃないか。それにもう、ウィローは俺達が知っているおてんば娘じゃないんだ。22歳にもなってるんだし、ちゃんとした大人の女として扱ってやるべきだろう?」
 
 エリオンさんはおもしろくなさそうではあったがうなずいた。
 
「まあな・・・。なあクロービス、確かにガレスの言うとおりだ。俺達にお前らのことをとやかく言う権利はないんだが・・・やっぱり心配なんだよ。何があったか知らないが、ウィローを泣かせるようなことだけはしないでくれよ。」
 
「・・・泣かせたり・・・」
 
 しませんよと言いかけて言葉につまった。ローランでさんざん怒鳴りつけて泣かせた・・・。私が外に出たあと、ウィローが泣きながらタルシスさんやオシニスさん達に頭を下げて、ナイトメイルを買うことに決めたと言っていたと、あとでカインから聞いた。距離をおきたいなんて言いだしたのも、そのことが原因の一つになっているのかも知れない。そう考えると、私はウィローを泣かせるようなことばかりしてきたことになる。
 
「・・・そこで黙られるとものすごく不安になるんだがな・・・。おいクロービス、お前ウィローに何かしたんじゃないだろうな!?」
 
 エリオンさんの表情が厳しくなった。
 
「・・・泣かせたかどうかと言うことなら、鎧選びの時にさんざん怒鳴りつけましたからね・・・。それが嫌われる原因になっているのかどうかまではわからないですけど・・・。」
 
「・・・嫌われるって・・・どういうことだ・・・?」
 
 今度はガレスさんも不安げに私を見た。この二人は、とにかくウィローのことが心配なんだ。南大陸を旅していた頃、ウィローが言っていたことがある。
 
 
『そうねぇ、女の剣士さん達とはみんな仲がよかったわよ。でも男の剣士さん達だと・・・一番はガウディさんとグラディスさんだったと思うけど、次に仲がよかったのは・・・う〜ん・・・エリオンさんとガレスさんかなあ。』
 
『でもエリオンさん達って確か歓楽街の話ばかりしてるんじゃなかったっけ?』
 
『あははは、そうねぇ、でも女の子相手にそんな話はしなかったわよ。きっと村長が怖かったのよ。村の娘達に妙な話を吹き込むなぁ!なんて叱られそうだものね。』
 
 
 ウィローはおかしそうに笑っていた・・・。誰にも言うまいと思っていたことだが、私はこの二人だけにはウィローとぎくしゃくしている原因について話すことにした。話の都合上エミーのこともある程度までは話したが、あの宿屋での騒ぎについてだけは伏せておいた。聞き終えたあと、二人とも最初ぽかんとして、次に大きくため息をついて肩を落とした。
 
「・・・おいガレス、お前はウィローがこいつを振るつもりでそんなことを言ったと思うか?」
 
「あいつにそんな妙な知恵がついているとは思えないなぁ。本当に少しこいつと距離をおいて自分の腕を試したい、そんなところじゃないのかな。今の話を聞く限りじゃパティの妹に対するやきもちもあるみたいだし、訓練のことを反対されて反発してるってのもあるみたいだし・・・もっとも俺達が最後にウィローに会ったのは・・・もう4年以上前だから、もしかしたらそのあといろいろと経験を積んで、それなりに成長しているのかも知れないけど・・・。でもあいつがそんな奴だとは思いたくないなぁ・・・。」
 
 ガレスさんは困ったように眉間に皺を寄せ、首をかしげている。
 
「そうだな・・・。俺もあいつがそんな女だとは思わないが・・・こればっかりはあいつの心が読めるわけじゃないから何とも言えないよな・・・。」
 
 エリオンさんはそこまで言ってもう一度大きくため息をついた。
 
「なるほど、それでわかったよ。『潮騒亭』でウィローが階段から落ちた時のお前に対する態度が、助けてもらった相手に対するにしては妙に冷たかったなと思ってたんだ。だからよけいにあいつの相手はカインだと思いこんじまったんだが・・・。」
 
「まったくウィローの奴・・・自分の言ったことがどんなことかも考えないんだから・・・カナにいるうちに、もう少し男と女のことについてもいろいろと教えてやればよかったかな。」
 
「でもそんなこと俺達が教えたりしたら、村長にぶん殴られてるぞ。」
 
「ははは、確かにそうだ。村長はウィローのじいさん代わりみたいなもんだからな。」
 
 二人とも笑いだし、でも急に真顔になって揃って私に向き直った。
 
「で、お前はこの先どうするつもりだ?まさか『はいそうですか』と知らぬふりをしようなんて考えてないよな?」
 
「まさか。でも・・・しばらく様子を見ようと思ってます・・・。お二人が言うように、私もウィローの気持ちがそう簡単に離れたとは思えないし、思いたくないし・・・でもだからって離れたいと言っている相手につきまとうのもみっともないし・・・だから待ちます。ウィローが何か言ってくるまで・・・。」
 
「・・・結局それしかないのかもな・・・。あのガンコ娘め!」
 
 エリオンさんの口調は忌々しそうだったが、その表情は言葉とは裏腹にとても心配そうだった。
 
「あいつの頑固さは筋金入りだからな・・・。まあ、俺達も陰ながら応援するよ。表だって騒げるようなことじゃないしな。」
 
 ガレスさんは言いながらエリオンさんと目線をあわせ、ため息をついた。
 
「そうだな・・・。クロービス、ウィローを頼むぞ。あいつはいい奴だ。美人だし気だてもいいし働き者だし・・・まあその・・・頑固だわおてんばだわで苦労はする・・・いや、もうしてるか・・・でもとにかく、大事にしてやってくれよ。」
 
「はい。」
 
 この二人に話してよかった。ウィローを昔からよく知っている二人に話を聞いてもらえたことで、私の気持ちはだいぶ軽くなっていた。無論何一つ解決したわけではないのだが・・・。
 
 明日から始まるウィローの訓練には、私は参加するつもりはないが、カインに頼んで出来るだけ様子を把握しておこう。慣れない土地でまた体をこわしたりしたら、また一つ目的から遠ざかってしまう。それでなくても思いがけない風邪のおかげで何日も無駄にしているというのに・・・。
 
「どれ、そろそろ寝よう。お前らも疲れただろう?様子を見て、この場所の警備のローテーションには入ってもらう予定だから、しっかり体を休めておけよ。」
 
「はい、お休みなさい。」
 
「お休み。」
 
 やっと帰り着いた『王国剣士団』のなかで、カインと私は本当に久しぶりにゆっくりと眠ることが出来た。ウィローはどうしているだろう。私のように穏やかな気持ちで眠りにつくことが出来ているだろうか・・・。
 
                          
 
 翌日の朝、もうデンゼル先生の薬はなくなっていたので、自分で組み合わせた薬を作ってウィローと一緒に管理棟の厨房に行ったが、相変わらずウィローは口数が少なく、そのくせ探るような目で私を見つめていた。どうしたのかと聞きたかったけれど、待とうと決めたのだからと自分に言い聞かせ、黙っていた。薬を渡す時に『熱いから気をつけて』と言ったくらいだ。ウィローは今度は慎重に薬を冷まして、きれいに飲み干した。風邪はもうだいぶよくなっているので苦い薬は入っていない。すんなり飲めたようだ。
 
「頭が痛いのはどう?くしゃみとか、寒気はしない?」
 
「大丈夫よ。」
 
「体があちこち痛いとか、気分が悪いとかは?」
 
「それも大丈夫。無理してないわよ。洞窟の寝床は確かに暖かいとは言えなかったけど、その分たくさん着て寝たから。」
 
「そうか・・・わかった。」
 
「もう行っていい?」
 
 ウィローは居心地が悪そうにもじもじしている。
 
「・・・いいよ。あとは器を洗うだけだからね。」
 
 私の言葉が終わるのを待ちかねたようにウィローはそそくさと立ち上がり、夕べと同じようにさっさと厨房を出て行った。
 
「・・・さっぱりわからないな・・・。」
 
 思わずつぶやいた。ウィローの本当の気持ちが知りたい。知ることは出来る。自分の力を使えばそれはいつでも可能だ。でもそれは・・・。
 
「出来もしないのに・・・どうしてこんな力を使おうなんて考えちゃうんだろうな・・・。」
 
 この力のことを考えるたびに、自分の精神的な未熟さを目の前に突きつけられているようで気が重くなる。ため息をつきながら厨房を片づけ、管理人に礼を言って管理棟を出た。外ではもうそれぞれが食事の仕度を始めているらしい。ウィローはもしかしたらカーナ達と一緒に食事をとるかも知れない。だとしたらカインがきっと困っている。私は急いで浜辺へと戻った。カインを捜すと、ちょうど薪を運んでいるところだった。行き先を目で追っていると、オシニスさんとライザーさんがいる。なるほど、私がいなかったのでライザーさんを当てにしたのか。どうせ仕度をするなら二人単位よりも四人程度はいたほうがいい。それに一緒になるのがこの二人なら、ウィローのことを報告するのにも好都合だ。私は彼らの焚き火に近づいた。
 
「お、ウィローの薬は?もう飲ませたのか?」
 
 カインが顔を上げて声をかけてきた。
 
「うん、おわったよ。オシニスさん、ライザーさん、おはようございます。一緒に食事していいですか?」
 
「おはよう。もうカインから君達の分の食材をもらってるよ。」
 
 ライザーさんは笑顔で持っていたキャベツを掲げてみせた。
 
「ははは・・・。お前を待とうと思ったんだけど、腹がへってさ・・・。」
 
 カインはばつ悪そうに肩をすくめた。
 
「いいよ。どうせみんな一緒なんだから、二人ずつ焚き火を熾すより、四人くらいで一緒に熾したほうが薪の節約にもなるしね。」
 
「カインに薪運びをしてもらったおかげで早く火を熾すことが出来たよ。このキャベツは炒めて、焼いたソーセージの付け合わせにしようと思ったんだ。あとはパンと、リンゴがあるみたいだからそれをむこうか。あったかいものもほしいけど・・・どうしようかな・・・。」
 
 ライザーさんが並べられた食材を眺め渡しながら考え込んでいる。
 
「あったかいものですか・・・。それじゃ私はスープを作ります。」
 
 袖をまくって食材に手を出そうとした時、誰かが後ろに立つ気配がした。
 
「おはようございまぁぁぁす。おいしいスープの差し入れでーす!」
 
 朝から元気のいい・・・と言うか相変わらずのすっとんきょうな声はカーナだった。隣にウィローが立っている。
 
「ウィローがスープを作り過ぎちゃったので、よかったらどうぞぉぉぉ!」
 
「あ、あの・・・おしゃべりしながら作っていたらなんだかその・・・すごくたくさん出来ちゃって・・・だから、どうぞ・・・。よかったら・・・ですけど・・・。」
 
 ウィローが本当に作りすぎたのか、最初から私達の分も作っておいたのか、私の心にしっかりと張り巡らされた『防壁』には隙間などなく、まったくわからない。この程度のことならわざわざ力など使わなくても知ることは出来るのだが、やめておいた。別にわからなくたって困らないし、そのほうが普通なのだ。それに、へたにわかってしまうとまたよけいな口を滑らせかねない。今度はウィローは驚かないだろうが、かわりにカーナ達に不審な目を向けられそうだ。この二人はウィローに負けず劣らず勘がいい。
 
「お、ウィローのスープならいつでも大歓迎だ!よし、これで一品増えたな。おいカーナ、お前らはもう食ったのか?」
 
 オシニスさんがウィローの持つ鍋をのぞき込んでうれしそうに笑った。オシニスさんはウィローの料理のファンになったらしい。
 
「まだです。スープが熱いうちにと思って先にこっちに来たんです。」
 
「こっちで一緒に食えばいいじゃないか。ステラも呼んでこい。今はそんなに寒くないし、7人くらいなら一つの焚き火で充分だろう。」
 
「はぁぁぁい。じゃ行ってきまぁす!あ、ウィロー、あなたはここにいてよ。焚き火を始末してステラと残りの鍋持ってくるだけだから。」
 
 カーナはライザーさんと一緒に食事が出来るのがうれしいのか、飛びはねそうな勢いで駆けていった。ウィローは鍋を持ってカインの隣に座り、みんなにスープを配り始めている。
 
「クロービス、ちょっと・・・。」
 
 ライザーさんに呼ばれて、私は焚き火から少し離れたところに移動した。
 
(ウィローの調子はどう・・・?)
 
 ライザーさんが小声で話し出す。
 
(今朝はだいぶ調子がいいようですけど・・・まだ治りかけなので無理しない程度なら・・・。ほっとくと多分がんばりすぎると思うので・・・。)
 
(なるほどね・・・。それじゃ今日は体慣らし程度にしておこうか・・・。)
 
(でも副団長が最初に手合わせするって張り切ってましたよ・・・。体慣らしですむかどうか・・・。)
 
 ライザーさんが肩をすくめた。
 
(ははは・・・。副団長はウィローとは仲がよかったようだから、楽しみなんだろうな・・・。わかった、無理しない程度に何とか調整するよ・・・。君は来ないんだろう?)
 
(出来れば遠慮したいですね・・・。)
 
(そうか・・・。でも来たくなったら、意地を張らずに来るといいよ・・・。)
 
(・・・・・・・。)
 
 黙り込んだ私の肩をぽんと叩いて、ライザーさんは私から離れていった。戻ってみるとカーナとステラが来ていて、みんなもう食べ始めている。オシニスさんの隣にライザーさんが座り、その反対隣にカインがいる。カインの隣にはウィローが座っていて、カーナは当然ライザーさんの隣だ。カーナの隣にはステラがいたので、私はステラとウィローの間に割り込むような形で座るしかなかった。何となく気まずい。ウィローは私を見ようとしないし、ステラは沈んだ表情のままだ。まだ昨日のことから立ち直れていないのかもしれない。
 
 時々視線を感じて顔を上げると、ステラが私を見ている。なんというか・・・恨めしそうな・・・腹立たしげな・・・苛立っているような・・・でも私には何の心当たりもない。カインをそう言う目で見るならともかく、どうして私にまで・・・。
 
 結局食べたものがどこに入ったのかもわからないような状態で、私は食事を終えた。にぎやかだったのはカーナだけだ。ライザーさんに一生懸命話しかけて、ライザーさんは曖昧な笑みを浮かべながら時折返事を返す。その合間にオシニスさんがからかったりする程度で、あとはみんな黙々と食べ続けていた。
 
 ライザーさんがお茶を淹れはじめた。私の薬草茶とは違い、いい香りが浜辺中に漂っていく。香りにつられて他の焚き火を囲んでいた剣士達まで集まってきた。ライザーさんのお茶はおいしい。私のお茶がまずいとか淹れ方が下手だとか言われたことはないが、このお茶には絶対にかなわないなと思う。ライザーさんに言わせれば、このお茶の淹れ方も私の父から教わったのだから私のお茶も自分のお茶も大差はないよということらしいが、飲んでみると確かに違う。ライザーさんの隣に座っていたカーナは、最初にお茶をついでもらえてうれしそうだ。ステラはまだ顔がこわばっているものの、私に向けるような鋭い視線をライザーさんにまでは向けない。やはりあれは私に対して何か怒っているということらしい。
 
 一通りお茶がいきわたったところで、オシニスさんがウィローに声をかけた。
 
「ウィロー、お茶を飲んで食休みをしたら、昨日俺達が訓練をしていた浜辺まで来てくれ。君の戦用舞踏を見せてもらう。最初は副団長が相手をしてくれるらしいから、俺達も見学させてもらうよ。」
 
「は・・・はい!」
 
 ウィローはなぜか驚いたような顔で返事をした。もしかしたら、私が訓練を阻止するためにオシニスさん達に嘘の報告をしているとでも思っていたのだろうか。だとしたらなんだか悲しい・・・。もっとも、そう思われても仕方ないような態度をとり続けてきたのは確かなんだけど・・・。
 
「ふむ、いよいよだな。ウィローの相手は久しぶりだから、あの鉄扇で脳天を直撃されないように気をつけないとな。」
 
 いつの間にかお茶の輪に加わっていた副団長が大声で笑った。
 
「鉄扇てのはそんなに痛いんですか?」
 
 これまたいつの間にか輪の中に加わっていたランドさんが尋ねる。副団長はランドさんを横目で見てにやりと笑った。
 
「痛いなんてもんじゃないぞ?いくら薄いとは言え、鉄の板を何枚もたばねて、それでぶん殴られるわけだからな。斬りつけられるよりはるかにたちが悪いかもしれん。ま、剣より射程は短いから、よけやすいのは確かなんだが。でもよほどしっかりと動きを把握しておかないと、思いがけないところでぽかりとやられる。相手が子供で、しかも女の子だからと甘く見た俺が悪いんだがな。」
 
 副団長は肩をすくめて見せた。つまり副団長がウィローの相手をしていたとき、何度か鉄扇で頭を殴られているということらしい。
 
「だってグラディスさんたら、にこにこして相手をしてくれるって言ったのに、ガウディさんに小声で『適当にあしらっておくよ』なんて言うんだもの。私、むっとしちゃったのよ。」
 
 ウィローはふくれっつらで抗議している。ここに来てから、なんとなくウィローが子供っぽくなったように見えるのは、きっと昔からの知り合いに会ったからなんだろう。子供のころからよく知っている相手と話すときは、誰でも子供っぽいしぐさをしてしまうものだ。そんなウィローをかわいいと思う。でもその子供っぽいかわいい笑顔は私に向けられることがない。
 
「ありゃ・・・それを聞いていたのか・・・。悪かったよ、だが10歳くらいの女の子があそこまでやるとは正直思わなかったんだよ。」
 
 副団長は両手を前にあわせて拝むようにウィローに頭を下げている。
 
「その分今日はしっかりと相手をしてやるから。お前がどの程度まで腕を上げたのか、今のお前の弱点はどんなところなのか、一度手合わせをすればわかるだろう。後の訓練はオシニス達に任せるよ。」
 
「そうね、確かにあのころは私も子供だったから身軽だったけど・・・今はなかなかそうはいかないわ。よろしくお願いします。」
 
 ウィローは笑顔で頭を下げた。
 
                          
 
 後片付けが終わって、みんな浜辺の訓練場に集まっていった。見回りの仕事がある剣士達は、残念そうに浜辺を振り返りながら出かけていった。そして私はといえば、ウィローの訓練を見る気にもなれず、洞窟の奥にある浜辺で一人ぼんやりしていた。岩壁で仕切られた向こう側の浜辺で、時折歓声が上がる。ウィローと副団長の立合はどうなっているのだろう。気になるなら見に行けばいいのに、どうしても腰を上げる気になれないでいた。
 
(うじうじと・・・男らしくないなぁ・・・。)
 
 まるで叱られてすねている子供のようだ。こんなふうにぼんやりしていても何の解決にもならないというのに・・・。ため息と共に立ち上がり、私は剣を抜いた。素振りから始めて、剣術のいくつかの型を練習してみる。これはカインに教わった。カインが読んだことのある数少ない本『剣技大全』に載っていたものらしい。
 
 クロンファンラの図書館でこの本の話が出た時、カインがとてもいい本だというのでそれじゃ貸してくれないかと聞いてみたところ、カインも私に貸してくれるつもりで捜してみたのだが見あたらないという。お世辞にも広いとは言えない宿舎の部屋で、どうやったらものを失くせるんだと尋ねたが、カイン曰く『失くしたんじゃなくておいた場所がわからなくなったんだ』と言うことらしい。どちらにせよ手元にないことにはかわりがない。南大陸に発つ前、荷物の整理をしながらカインはその本をしきりに探していた。荷物をまとめていけば出てくるはずだと言いながら、部屋中を探し回っていた。重い本は旅の友には向かないが、戻ってからでも読む機会はある。でも見つかったかどうかまでは聞いていない。
 
 しばらく練習してみたが、一人ではどうにも気が乗らない。またため息をついて腰を下ろそうとした私の耳に、誰かが洞窟を抜けてくる足音が聞こえた。
 
「ここにいたのか・・・。」
 
 洞窟の出口にライザーさんが笑顔で立っている。
 
「訓練のほうはいいんですか?」
 
「今はオシニスが見てるよ。副団長との立合のあとカインに軽く相手をしてもらって、だいたいウィローの実力の程度はわかったから、今日は体慣らしにとどめておいて明日から本格的に進めることにしたんだ。」
 
「そうですか・・・。」
 
 とうとう始まってしまった・・・。阻止するつもりはなくても、やはり訓練なんてさせたくないと思ってしまう。我ながら何とも往生際が悪い・・・。
 
「君は浮かない顔だな。気になるなら来ればいいじゃないか。」
 
「・・・そうですね・・・。行きたくなれば・・・。」
 
 ライザーさんはクスリと笑った。
 
「とても行きたくなりそうにはないようだね。一人で訓練してもなかなか気が乗らないものだから、僕が相手をしようか?」
 
「でも向こうはいいんですか?」
 
「僕は明日担当するよ。いきなり二人がかりで相手をしたりしたら体慣らしどころじゃないからね。あまりのんびりしても気が抜けてしまうけど、急ぐ必要もないじゃないか。まずはしっかりと基礎を身につけなくちゃね。」
 
「そうですね・・・。それじゃ、お願いします。」
 
「よし、始めようか。」
 
 この浜辺はそんなに広くない。でも二人なら訓練には充分だ。私達は浜辺の真ん中に立ち、剣を構えて向かい合った。
 
「行きます!」
 
 かけ声と共にライザーさんの剣と私の剣とがぶつかり合って音をたてる。一対一だ。横からオシニスさんの剣が振り下ろされる心配はないが、その分窮地に陥ってもカインの助けは当てに出来ない。でもそれはライザーさんにも同じことが言える。踏み込んで、剣を振り下ろす。かわされてまた踏み込み、相手の剣をかわす。お互いなかなか相手に攻撃を当てることが出来ない。何とか一太刀くらいは当てたいと思いながら、私の意識は少しずつ自分とライザーさんの剣に集中していった。目の前で二振りの剣が宙を舞い、ぶつかって火花が散る。もう何も考えていなかった。
 
 
 どのくらい時が過ぎたのだろう・・・。突然目の前のナイトブレードが消えた。ハッと我に返るとライザーさんが構えを解いて立っている。その途端岩壁の向こうの歓声が耳に入ってきた。
 
「向こうは大盛況のようだね。ウィローに刺激されてみんなやる気満々みたいだよ。僕らは少し休もう。今の君の相手は、僕一人ではこれが限界だな。・・・本当に・・・強くなったね・・・。」
 
 ライザーさんは肩で息をしてはいるが、とても『限界』には見えない。きっと私と話す時間を作ってくれるつもりでこんなことを言ったのだ。私はその好意を受け取ることにした。やっとゆっくりと話が出来る。ライザーさんは私を促すように、浜辺から少し遠い場所に腰を下ろした。私も後を追ってライザーさんのとなりに腰を下ろした。汗をかいて熱くなった体に海風が心地よい。動いて汗をかくという感覚を久しぶりに感じた。砂漠ではどんなに激しい戦闘の後でも汗など一滴も出ない。ただ喉が渇き、強い陽射しにめまいがする。
 
「皆さんのおかげです・・・。ここでしっかりと基礎を身につけていったから、向こうでたくさんの経験を積むことが出来たんです。でなければ今頃私はここにいなかったかも知れない・・・。」
 
「・・・僕も行きたかったよ・・・。いや、本当なら僕達こそが行くべきだったんだ・・・。」
 
 ライザーさんはため息をついた。
 
「でも・・・もしも行ったのが僕達だったら、ロコを倒すことも出来なかっただろうし、ハース城から鉱夫達を助け出すことも出来たかどうかわからないね・・・。多分・・・向こうへ行くのは、君達でなければならなかったんだろうな・・・。」
 
「私達でなければ・・・。」
 
「そうだよ。それが運命だったと言うことなのかも知れないね。」
 
「運命なんて・・・あるんでしょうか。あるとしたって知ることが出来ないなら、ないのと同じだとは思うけど、でもやっぱりそんなものはないって思いたいです・・・。」
 
 これはずっと前からの私の持論だ。自分の身に今まで起きた出来事もこれから起こる出来事もすべてが運命だと言うのなら、自分の望む未来を掴むために努力することなど無意味だ。ただ流れに身を任せてぼんやりしていれば、運命が勝手に先行きを決めてくれるなんて冗談じゃない。
 
「確かにね・・・。少なくとも君達は、自分達の力で活路を切り開いてきたんだ。起こってからあれは運命だったとかそうでなかったとか言っても、意味はないのかも知れないな。でも・・・君とウィローが出会ったのはやっぱり運命なんじゃないのかって僕は思うよ。」
 
「・・・・・。」
 
 本当に運命なんてものがあるのだとしたら、私とウィローの出会いもその運命だというのなら、この先私達はどうなるのだろう。いつまでも一緒にいることが出来るのか、それとも・・・。
 
(なんでこんなこと考えてるんだろうな・・・。)
 
 以前の私なら一笑に付しそうな考えだ。
 
「僕があの島で生まれたことが運命だったというのなら、イノージェンと出会ったこともまた運命だ。でもカレンと出会ったことも運命だというのなら、僕はそんな運命などない方がよかった・・・。そうすれば少なくとも、あんなにカレンを悲しませることはなかったのに・・・。いや・・・それは違うな・・・。僕がつらい出来事に出会いたくなかったって言うだけのことか・・・。」
 
 独り言のようにつぶやき、ライザーさんはくすくすと笑い出した。何となく自嘲気味な笑いに不安を覚えた。
 
「そんなことないです・・・。運命かどうかはともかく、どちらも真剣だったんじゃないですか。」
 
「真剣だったよ・・・。僕は本気でカレンを愛してた・・・。でもカレンのことで自暴自棄になった僕を立ち直らせてくれたのはイノージェンだ・・・。ははは・・・まったく情けないね・・・。こっちがだめだったからあっちで何とかしてもらおうなんて、いいかげんな奴だな、僕は・・・。」
 
「そんなふうに言わないでください。でもそんな言い方するのは多分私のせいなんですよね・・・。この間はすみませんでした・・・。ずっと気になっていたんです。ライザーさんの気持ちも考えずに自分勝手な思いばかり押しつけて、挙げ句にひどいことを言って・・・本当に・・・すみませんでした・・・。」
 
 砂の上に正座し、私はライザーさんに向かって深く頭を下げた。今の私にはそれしか出来ることがない。ライザーさんはそんな私の肩を叩いて、
 
「そんなに気にすることじゃないよ。ほら、顔を上げて。」
 
 私は顔を上げたが、正座は崩さなかった。
 
「いいんだよ・・・。君が悪いわけじゃない。僕のしたことがどういうことなのか、それは僕が一番よくわかってる・・・。なのに君に期待を持たせるような言い方をして、かっこつけて・・・みっともないことこの上ないよ・・・。」
 
「だ、だけどそれは・・・!」
 
 それは・・・。そのあとなんと言おうとしたのか自分でもわからない。でも何か言わなければならないと思った。ライザーさんが悪いわけじゃないとはっきりと言い切ることが出来るような何か・・・。
 
 でも何も浮かばない・・・。うまい言葉が出てこない。もどかしくて涙が出そうになる。
 
「そんな自分の醜い部分を、君にだけは知られたくなかったんだ。でもね、今思えば、君に聞かれてしまってかえってよかったと思うよ。」
 
「で、でも!だからってあんなにひどいことを言ったのは私が悪いんです・・・!」
 
「君の気持ちとしたらあれが当たり前だと思う。君は僕を信じてくれていたのにそれが嘘だったなんて聞いたら、僕が君の立場でもああ言いたくなると思うよ。」
 
「・・・・・・・・。」
 
「君に聞かれてしまったことで、もう自分を偽る必要がなくなった、素の自分に戻って、もう一度自分のしたことをきちんと見つめ直すことが出来たんだ・・・。おかげでこれから自分がどうするべきなのか、少しだけわかったような気がする。」
 
「どう・・・するんですか・・・。」
 
 ライザーさんは私を見つめ、少し寂しげに笑った。
 
「あの時言ったこととそんなに変わるわけじゃないんだけどね・・・。いずれ僕は島に帰る。今はこんな時だからそれがいつになるかはわからないけど・・・でも必ず帰ってイノージェンに会おうと思う。あんな昔の約束でも、僕は果たすと誓ったし、彼女が今でも信じて待っていてくれるのなら、なおさらだ。でもそのあとは・・・」
 
 ライザーさんのため息が聞こえた。
 
「オシニスが言ったような、そんな簡単にはいかないことだから、もしもイノージェンが応じてくれるなら話し合ってみようと思ってる・・・。今はそこまでしか考えられないよ。15年も過ぎて再会するなんて、初めて出会うのと同じことだ・・・。僕は今のイノージェンの顔を知らないし、イノージェンも今の僕の顔を知らない。そして僕らはもう10歳と8歳の子供じゃないんだ。25歳と23歳の大人の男と女として出会わなくちゃならないんだよ・・・。実を言うとね、イノージェンがそのことをちゃんとわかってるのかどうか、君の話を聞いて少しだけ不安になったんだ・・・。」
 
「・・・どういうことですか・・・・?」
 
「イノージェンの中では・・・僕は今でも10歳の幼なじみでしかないんじゃないかってことさ。」
 
「・・・・・・・。」
 
 そんなことはないと、言えるだけの材料が私にはない。イノージェンは、ライザーさんがいないことが今でも不思議に思えるといつも言っていた。あのころ私は、イノージェンがそれほどまでにライザーさんを深く思っているのだと単純に考えていたが、今になってみれば、本当はそうではないのかも知れないと思うことがある。じゃあどうなのかと聞かれても答えようがないことではあるのだが・・・。
 
「もしもそうだとしたら・・・ライザーさんはどうするんですか・・・?」
 
 15年は長い・・・。イノージェンは、今のライザーさんを見てどう思うんだろう。ライザーさんは王宮で働く女性達に人気があったし、町中を歩いていても通りの女の子達からあこがれの目で見つめられることが多かった。今のライザーさんを見たら、イノージェンだって一目で恋に落ちてしまうんじゃないだろうか。
 
 ライザーさんだって・・・今のイノージェンを見て、何も感じないはずはない・・・。小さい頃の赤毛は今では陽に透ける美しいプラチナブロンドになり、淡い紫色の瞳はいつもきらきらと輝いている。イノージェンの魅力はもちろん顔だけじゃないが、彼女と話したこともないような若者でも、父の診療所に来た時にたまたま出会って結婚を申し込むなどということが何度もあったほどだ。
 
「今の僕達が会って、それでお互いに対する気持ちがはっきりすれば、おのずと道も見えてくるさ。イノージェンだって・・・僕がもう彼女にとって過去の人間だってことがわかれば、あらためてまわりを見回す気になるだろうし・・・。」
 
 それは多分グレイのことを言っているのだろう。イノージェンにとってライザーさんの存在が過去のものになるならば、グレイの愛を受け入れることも出来ると・・・。でも今の言い方は、まるでイノージェンがライザーさんを思い続けていること自体が錯覚だとでも言いたげに聞こえて、何となく引っかかる。
 
「過去の人間かどうかなんて・・・わからないじゃないですか・・・。イノージェンは今でも・・・ライザーさんのことが本当に好きなのかも知れない・・・。」
 
 『本当に好きなんです』と言い切れないのがなんだか悔しい。
 
「子供の時の顔しか覚えていないような相手を?」
 
「子供の時の顔しか覚えてないけど、会えばきっと一目でわかるって・・・そう言ってましたよ・・・。」
 
「一目でか・・・。だったらいいね・・・。でもそれは物語の中だけのことさ。現実にはそううまくはいかないよ。」
 
「でも会ってみなくちゃわからないじゃないですか。会う前からそんなふうに決めつけてほしくないんです・・・!」
 
 私はいつの間にか、またライザーさんに食い下がっている。謝るつもりで話しているのに、またひどいことを言いそうな不安で、私は慌てて口を閉じた。
 
「すみません・・・。大声出したりして・・・。」
 
「いいよ。自分でも情けないことばかり言ってるなと思ってるんだ。でも今さら君の前でかっこつけて、イノージェンだけを思い続けているふりなんて出来ないよ・・・。」
 
「それじゃもう思ってないんですか・・・。」
 
 また詰め寄っている・・・。でもだんだん止まらなくなってきた。せめて大声を出したりしないよう、冷静に会話出来るようにしなければ・・・。
 
「それもわからない・・・。会ってみないとね・・・。ずっと心の支えになってくれていたことに感謝はしてるけど・・・。」
 
「それじゃイノージェンと会って、彼女にとってライザーさんが過去の人間になってしまっているとわかったとして、ライザーさんはそのあとどうするんですか?」
 
「・・・僕は王国剣士だ。今まで通りこの国を守っていくよ。」
 
「この国で生きていくんですか・・・。カレンさんのいる・・・。」
 
 しまったと思った時にはもう言葉は私の口から出てしまっていた。ここでカレンさんのことなんて持ち出すつもりじゃなかったのに・・・。どうして私はこう一言多いんだろう。どうしてわざわざライザーさんを追いつめるようなことばかり言ってしまうんだろう・・・。私は何一つ進歩していない。北大陸を発つ前のあの日、廊下で彼らの会話を盗み聞きしてしまったあの時から何一つ・・・。
 
「す、すみません!よけいなことを言って・・・。」
 
 でもライザーさんは怒るふうもなく、微笑んだまま小さくため息をついた。
 
「いいんだよ・・・。君がカレンのことを気にする気持ちはわかるからね・・・。でもいまさらカレンのことをどうこうしようなんて考えてもいないよ。・・・それこそ僕にとっては過去のことなんだ・・・。もうどうにもならない・・・。僕は彼女の背負う重荷を一緒に背負うどころか、聞いただけで逃げ出してしまった・・・。そして再会して、抱きしめてから自分の本当の気持ちに気づいてまた突き放した・・・。今の僕にはもう・・・彼女が無事に長生きして、あの街を抜け出せるよう祈ることしかできない・・・。それにね、たとえ今でもカレンを愛しているとしても、あっちがだめだったから今度はこっちなんて言う恥知らずなことは出来はしないよ。」
 
「そう・・・ですね・・・。」
 
「納得出来ないかい・・・?」
 
 曖昧な返事をした私に、ライザーさんが問いかける。
 
「いえ・・・おっしゃることはわかります・・・。あの、それじゃ、最後にもう一つだけ聞かせてください。イノージェンと会って、もしもイノージェンが今でもライザーさんを心から愛していたら、そしたら・・・どうするんですか・・・?」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「どう・・・するんだろう・・・。」
 
 長い沈黙のあと、ライザーさんは独り言のようにつぶやいた。まるで、今までそんなことは考えてもみなかったという表情だ。
 
「ライザーさんは否定したいようですけど、そう言う可能性だって絶対ないわけじゃないと思います。そりゃ私は、イノージェンの心の中まではわからないから、断言出来るわけじゃないけど・・・。」
 
「可能性か・・・。確かにないわけじゃないね・・・。もしもそうなったら・・・いや、それはないような気がするな・・・。」
 
「そんなに決めつけないでください。会ってみなければわからないってさっき言ったじゃないですか・・・。私は、イノージェンにも、ライザーさんにも、幸せになってほしいんです・・・。だから、可能性だけは・・・否定しないでください・・・。」
 
 いつの間にか涙声になっていた。ライザーさんの言う『どうすればいいかわかったこと』というのは、希望を捨て去ることだったのか。カレンさんのことはとっくにあきらめていたのだとしても、イノージェンにはずっと会いたいと思っていたはずだ。
 
 だとしたら・・・そんな考え方になってしまったのは、やはり私のせいなんじゃないだろうか。つらくてつらくて、でもどうにもならない危うい状態の時に、あんなに否定的な言葉をいやと言うほど投げつけられて・・・考え方が負の方向に傾いてしまったとしても無理はない。
 
「幸せにか・・・。」
 
「そうです。みんな・・・幸せになってほしいんです・・・。だから・・・そんな絶望的なこと、考えないで・・・ください・・・。」
 
 みんなに幸せになってほしい。みんな幸せになりたい。なのにどうしてうまくいかないんだろう。ひたすら幸せを願って、一生懸命努力しているのに、幸せになれる人となれない人がいるのはどうしてなんだろう。
 
「ありがとう、クロービス。心配してくれてうれしいよ。でもね、幸せの基準なんて人それぞれ違うものじゃないか。その人が自分を幸せだと思っていれば、他の誰かから見て不幸せに思えても、別にかまわないと思うよ。だからそんなに気にしなくていいんだよ。」
 
 涙をこすりながらうつむいた私の頭を、ライザーさんが優しくなでてくれた。こんなふうに髪をなでる優しい手を、父の手ほど大きくはないが、でもとても優しい温かいその手を、ずっと前から知っているような気がした。小さい時もこんなだったのだろうか。私が泣き出すたびにこうして、頭をなでて慰めてくれていたのだろうか・・・。
 
『ほらクロービス、泣いていないで、川向こうの森に花を摘みに行こうよ』
 
 突然脳裏に声が響いた。記憶の遙か彼方の隅っこに、泣きじゃくる私の頭をなでながら抱きあげてくれる誰かの顔が見える・・・。ぼんやりとしているが、きっとこの人がライザーさんだ。そして私は『アイダーといくの』なんて舌っ足らずなしゃべり方をしながら、喜んでついていったのだろうか・・・。
 
 不意にライザーさんの手が私の頭を離れた。
 
「ははは・・・小さい頃はよくこうして君をなだめていたものだけど、こんな立派な大人になってから頭をなでたりして悪かったかな。」
 
「そんなことはないです。何となく、思い出しました。いつも泣いていると、ライザーさんが私をなだめてくれていたんですね・・・。」
 
「君はたいてい僕の後ろをついて歩いていたからね。君に一番近いところにいたのはいつも僕だったんだよ。イノージェンもほとんど一緒だったけどね・・・。」
 
「ライザーさん・・・。」
 
「ん?」
 
「ライザーさんは今・・・幸せなんですか?」
 
「僕が・・・?」
 
 ライザーさんは少し驚いた顔で私を見つめ、そしてくすりと笑った。
 
「どうかな・・・。まだ・・・わからないんだ・・・・。」
 
「それじゃ、考えてみてください。イノージェンとのことは、まだ何もわからないじゃないですか。だから希望を捨てるような考え方だけはしないでください。前みたいに約束してくれなんて言いません。でも、考えてみてください。お願いします・・・。」
 
 私は頭を下げた。地面に額がこすり付き添うなほど必死で下げた。わからないのなら、どちらにも転ぶ可能性があるのなら、あきらめてほしくない。そしてあきらめない限り、希望はある・・・。
 
「考えて・・・か・・・。そうだね、考えてみるよ。だから顔を上げてくれないか。」
 
 私は顔を上げた。きっと涙でべっとり濡れて腫れているだろう。ライザーさんは私の肩に手を掛け、優しく微笑んだ。
 
「考えてみるよ。少しずつね。」
 
「はい、ありがとうございます。」
 
「礼を言うのは僕の方だよ。本当に君には、いつも助けられてばかりだね・・・。」
 
 少しだけほっとして、私は顔をハンカチで拭った。案の定べっとりとしていて頬のあたりがヒリヒリした。こんなことで自分がライザーさんに投げつけた言葉を償えたとは思わない。でもこの人はいつだって私のことを助けてくれた。私自身が憶えていないほど昔から。だから、どうしても幸せになってほしい。それが必ずしもイノージェンと結ばれることではないのかも知れないが、でもこの人にとっての幸せを見つけてほしかった。
 
 
「おや、ここにいらしたのですか。長旅の疲れは取れましたか?」
 
 不意に聞こえた声に顔を上げると、管理人が洞窟の入口に立っている。
 
「ええ、今日一日はゆっくりしようと思って。」
 
「そうですか・・・。」
 
 管理人は立ち去ろうとせず、私たちの顔を交互に見つめている。
 
「・・・ライザーさんでしたね、あなたは治療術師としてもかなりの腕前と聞いております。そちらの黒髪の・・・クロービスさんとおっしゃいましたか、あなたも確か治療術の腕前は相当なものだそうですが・・・。」
 
「は、はい・・・。あ、いや、相当かどうかまでは・・・。」
 
 何も考えずに返事をしてしまってから、私は慌てて否定した。
 
「かなりの腕前などと言われると恐縮ですが・・・僕達は二人とも治療術は使えますよ。それがなにか・・・。」
 
 ライザーさんが怪訝そうに管理人の顔を見て立ち上がった。私も一緒に立ち上がった。
 
「それじゃ、おふたりとも海鳴りの祠にいらっしゃいませんか?」
 
「え・・・?」
 
「海鳴りの祠って・・・ここでは・・・。」
 
 きょとんとする私達に管理人はにっこりと笑った。
 
「ここは確かに海鳴りの祠といわれておりますが、元々この名前は、あの岩壁の向こうにある祠につけられたものなんですよ。」
 
 管理人はそう言って、西側にせり出した岩壁を指差した。わずかながら足場があり向こう側に行けるようにはなっているらしいが、北大陸西側の海岸に続いていると思われるその場所に、あまり広い場所はなさそうだなと興味を持たずにいた。
 
「あの向こう側にある小さな祠が、元々海鳴りの祠と呼ばれていたのですが・・・こちら側の洞窟群の中に波音が反響するさまが、まさに『海鳴り』のように聞こえるものですから、いつの間にかこちらのほうが観光名所として有名になってしまったのですよ。本元の海鳴りの祠は、今ではすっかり忘れ去られています。」
 
「ということは、そのもともとの海鳴りの祠も波音が響いたりするのですか?」
 
「こちらほどではありませんが、波音が響くたびに遠くの海鳴りのように聞こえますよ。一度いらっしゃいませんか。私はそこの掃除をしにこれからいくところなのですよ。」
 
 奇妙な申し出だと思ったが、この管理人が私達に協力してくれていることは間違いない。とりあえずライザーさんと私は一緒に行くことにした。浜辺を岩壁伝いに進んでいくと、人が一人ずつやっと通れるくらいに足場が狭くなる。満潮の時には完全に水をかぶるらしいが、通れなくなるほどではないそうだ。
 
 
 その祠は岩壁を西側に回りこんだすぐそこにあった。入り口もそんなに広くないと思ったが、中もそれほど奥行きはない。だが、波音を響かせて本当に遠くからの海鳴りのように聞こえてくる。向こう側の洞窟群の中に響く音は、これと比べると少しうるさいくらいだ。そして私達の目を引いたのは、祠の奥に置かれた大きな白い岩と、その岩の前に差し込む光だった。
 
「ここは・・・何かを祀ってある場所なのですか?」
 
 管理人が笑顔でうなずいた。
 
「ここには古代サクリフィアの神々が祀られていると伝え聞いております。この白い石板がご神体ということなのでしょうね。」
 
「石板・・・?」
 
 近づいてみると、その岩は正面から見るとかなり大きいが、厚みはそれほどない。確かに岩と言うより石板だ。その土台には、やはりあまり厚みのない茶色っぽい石が使われている。これもまた石板と言ったほうがふさわしいかも知れない。私はその土台よりも、白い石板に目を留めた。これは・・・もしかして・・・。
 
「・・・・・・・・・。」
 
「クロービス、どうかしたのか?」
 
 思わず石板を覗き込んだ私に、ライザーさんが怪訝そうに尋ねた。
 
「これ、もしかしてハース聖石ではないですか?」
 
「お気づきになられましたか。もっとも、あなたは少し前まで南大陸にいらっしゃったのですからご存知でも当たり前ですね。おっしゃる通りこの石板は、ハース聖石と呼ばれるものです。」
 
 ご神体であるハース聖石を撫でてみた。表面は『板』と言うほど平らではないが、とてもなめらかで傷一つない。これ一枚が一つの結晶であるらしかった。ハース聖石は貴重な石だ。こんな大きな結晶となれば、どれほどの値がつくかわからない。北大陸の人達にとってはそれほどなじみのない石ではあろうが、好事家の間ではかなりの高値で取引されることがあると、カナの村で聞いた。
 
「でもこんなところにぽつんと置かれていて、盗まれたり破壊されたりする危険性はないんですか?」
 
 ここは神の領域と言うことになるのだろうが、盗賊達にとっては儲けになるのならそんなことはお構いなしだろう。だが、管理人は平然としている。
 
「大丈夫ですよ。試しにそのご神体を持ち上げてみてご覧なさい。」
 
「こ、これをですか?」
 
「大丈夫ですよ。神罰など下りませんから。」
 
 私はライザーさんと二人で、ご神体の両側から持ち上げようと試みた。厚みもそんなにあるわけではないし、大きいと言っても男二人なら楽に持てる程度の大きさなのに、その岩はまるで土台となっている石に吸い付いたようにびくともしなかった。
 
「・・・なるほど、これでは持ち去りたくても出来ませんね。」
 
 額に浮かんだ汗を拭いながら、ライザーさんが尋ねた。
 
「そう言うことです。実際に何度か盗賊に襲われているのですが、未だに無事ですからね。」
 
「でも管理人さんが危険じゃないですか。ご神体を持ち去れない腹いせに殺されたりすることだってあるかも知れませんよ。」
 
「斬りつけられたことはありましたよ。」
 
「ええ!?」
 
 こんな物騒な話をしているというのに、やはり管理人は平然として笑顔すら浮かべている。
 
「ここまで案内させられて、ご神体が動かない腹いせにばっさりとやられましてね、ここに転がされたんです。」
 
「そ、そんな・・・それじゃどうやって・・・。」
 
「・・・まだ気がつきませんか?」
 
「え・・・・?」
 
「お二人とも、さっきご神体を持ち上げようとしてかなり力を使われたはずですね。息も切れていたし、疲れたはずですけど今はいかがですか?」
 
 言われて気づいた。腕が痛むほど力を入れてもご神体はびくともしなかった。その痛みと、息切れ、そして疲れ、どれもすべて体から消えている。
 
「・・・あ、まさかこの光・・・!?」
 
 ライザーさんが叫んで天井を見上げ、ぎょっとして目を見開いた。ご神体の前に差し込む光が、天井に出来た割れ目から差し込んでいるものだと私達は決めてかかっていた。私も天井を見上げたが、そこには割れ目などない。この光は何もない暗い天井から地面までの間に、ぽっかりと浮かんでいるのだ。
 
「やはりそこに光が見えるのですね・・・。」
 
「管理人さんには見えないんですか?」
 
「残念ながら、私には呪文の適性もないし、気功の訓練も受けたことがありません。そこの場所にいれば傷も病も治るのはわかるのですが、光はまったく見えないのですよ。残念ですね・・・。そこに確かに光があるとわかっているのに見えないなんて・・・。」
 
「この光は何なんですか?」
 
「・・・文献には『癒しの光』とか、『浄化の光』とか出てきます。これがそうだと思います。」
 
「・・・文献・・・?」
 
「管理人さん、あなたは何者なんですか?本当にここの管理人をされているだけなんですか?」
 
 ライザーさんの目に、厳しい光がよぎった。

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