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「やっぱりここにいたのか。」
 
 カインがにやりと笑った。
 
「うん・・・。頭を冷やそうと思ってね・・・。」
 
「なるほど。で、冷えたのか?」
 
「多分ね・・・。」
 
 曖昧に返事をした私に、ウィローが遠慮がちに近づいてきた。
 
「あ・・・あの・・・さっきはごめんなさい。意地悪なんて言って・・・。」
 
「別にいいよ。」
 
 もっとなにか言いたかったのに、私の頭の中には何の言葉も浮かんでこない。今の私は、口から出す言葉をちゃんと頭の中で思い描いてないと、自分でも何を言い出すかわからないような気がしていた。これ以上話をこじらせるのはごめんだ。
 
「それで・・・その・・・さっきのことなんだけど、あなたとカインの持っているゴールドを使わせてもらったの・・・。ナイトメイルを買ったわ。オシニスさんは代金を払うのはグラディスさんと話してからでもいいんじゃないかって言ってくれたけど・・・高価なものなのは間違いないから、私だけ特別扱いしてもらうわけにはいかないと思って・・・。」
 
「そう・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 我ながら素っ気ない返事だ。ウィローも黙り込んでしまった。気まずい沈黙を見かねてカインが口を挟んだ。
 
「もう昼近いから、一度宿屋に戻ろう。メシを食って、ウィローは薬を飲まないとな。午後からはモルダナさんのところに行こう。」
 
 モルダナさんという名前にウィローが顔を上げた。ウィローが一番行きたかったのは、もしかしたらモルダナさんの家かもしれない。私達とちがってウィローはフロリア様に会ったことがない。モルダナさんからその人となりを聞くことが出来れば、今回のことが本当にフロリア様の手によるものなのかどうかもわかるかもしれないと考えているらしい。
 
 
 『潮騒亭』のフロアは、食事をする人達でかなり混んでいた。ローランは小さな村だが、西側の入り口から出るとすぐに港がある。優雅に船旅を楽しむ人など今はいないだろうが、離島への商人船などの行き来は今でもかなりあるので、昼になるとそこで働く人達が村の中で食事をするためにやって来るのだ。
 
「あらお帰りなさい。お昼の時間はいつもこんなものなの。二階の部屋はそのままになっているからそっちで食べたほうがいいんじゃない?」
 
 ケイティの勧めで私達は夕べ泊まった部屋に入り、そこに食事を運んでもらった。食事を待つ間に薬を作っておこうと私は階下に降りて行き、厨房の隅を使わせてらうことにした。ここにいるとフロアで食事をしている労働者達の話が聞こえてくる。みんな体のたくましさにあわせるかのように声も大きく明るいのだが、その内容はと言えば、荷物を運ぶ荷馬車がモンスターに襲われたとか、それを理由に港の荷主が物資の値をつり上げているとか、なんだか暗い話ばかりだった。熱心に話している労働者はそのことで荷主に文句をつけ、解雇されるかも知れないらしい。厨房で働く人達は皆、聞こえてくる話にため息をついている。いつもならこんな話を聞いたら黙ってはいない。王国剣士はそういったトラブルを解決するために、自分達の判断で動いてもいいことになっている。でも今、私達には何の権限もない。歯がゆい思いのまま、厨房を使わせてもらった礼を言って部屋に戻った。
 
 
「・・・なるほどな・・・。港のトラブルか・・・。気になるけど・・・今の俺達が出て行ってもよけい話がややこしくなるだけだもんな・・・。」
 
 私の話を聞き終えたカインは、食事をほおばりながら悔しげに言った。
 
「今じゃ何の権限もないからね・・・。でも王国軍の兵士はそんなこと聞いてもしらん振りなんだろうな・・・。」
 
「そういう連中だから、今のフロリア様はおそばにおいてるんだよ、きっと・・・。気の利く奴はかえって困るんじゃないのかな・・・。何でそんなことをしているのかはわからないけど・・・。」
 
 カインは眉間に皺を寄せながらかぶりを振った。
 
「でもそんな連中をおそばに置かれたら、自分の身まで危険になるのにね・・・。」
 
 あのならず者の集団が、フロリア様にだけは忠誠を誓ったなどとは考えにくい。
 
「・・・ユノ殿を当てにしてるのかもな・・・・・。」
 
「・・・でもユノ一人じゃ・・・。」
 
 不安が胸を締めつける。いくらがんばってもユノ一人で出来ることなんてそんなに多くはない。
 
「・・・お前が心配しても仕方ないぞ。あの人は自分で王宮に残ることを選んだみたいだからな。」
 
「それはそうなんだけど・・・。」
 
「王国剣士団をハース鉱山事件の見せしめのように解散させて、見るからに怪しげな兵士達をかき集めて、カビの生えたような軍隊制度を復活させる・・・。まるでこの世界全体に争いのタネをまこうとしているように見えるよ・・・。いったい何でこんなことになっちまったんだよ・・・。」
 
「それがわかれば苦労はしないよ・・・。」
 
「そうだよな・・・。」
 
 イシュトラの言うとおり、この国を滅ぼすことが目的だったとして、そのあとフロリア様はどうなさるつもりなのだろうかと考えると、やっぱり国を滅ぼすなんていうのはイシュトラに協力させるための、ただのエサだったのではないかという気もしてくる。でも、それでは本当の目的は何だろうと考えても何も思いつかない。
 
「とにかく早く食っちまうか。モルダナさんのところに行くんだからな。」
 
 カインは不安を振り払うように頭を振ると、スプーンを持ち直して食べるスピードを上げた。
 
 
 『潮騒亭』を出た頃には、日はもう一番高いところを過ぎていた。町の中心部にある広場にさしかかると、人だかりが出来ている。語り部が竪琴を鳴らしながら聖戦の話をしている最中だった。
 
「・・・飛竜エル・バール・・・。3匹の聖戦竜の中で一番の力を持ち、神竜の異名をとる彼の竜を見た者は誰もいない・・・。エル・バールが目覚めた時・・・それこそが王国滅亡の時・・・。緑なす大地は焼けただれ、大陸全土に屍が転がり・・・その間を悠々とモンスター達が闊歩する・・・。」
 
 飛竜エル・バール・・・。3匹の聖戦竜の中で一番の力を持つ『神竜』・・・。ロコはもういない。セントハースは・・・今頃どこにいるのだろう・・・。
 
「冗談じゃねぇぞ!縁起でもねぇ!」
 
 聞いていた人々の間から声が上がった。
 
「てめえ、そうやってあちこちで国が滅びるなんて触れ回りやがって、何を企んでいやがる!?」
 
 労働者風の男は語り部の胸ぐらを掴み詰め寄っている。
 
「私に企みなどありません。その昔サクリフィアでも、聖戦によって滅亡する直前今のエルバール王国と同じような出来事が起きていたのです。」
 
 語り部は動じる様子も見せない。
 
「草原を吹く風は刺すように鋭く、モンスター達が狂暴になり、時の国王は暴政をしき求心力を失い、国は乱れきっていたと・・・。」
 
「黙りやがれ!」
 
 男は拳を振りあげ、語り部を殴ろうとした。さすがに見て見ぬふりは出来ない。カインと私は人混みをかき分け、語り部と男のところに近づいていった。
 
「暴力はやめたほうがいいですよ。」
 
「何だよ、うるせぇな!」
 
 男は振り向くなり私に向かって怒鳴りつけた。
 
「村の皆さんの手前もありますし、手荒なことはやめていただけませんか?」
 
 男はにやりとバカにしたような笑みを浮かべた。
 
「へっへっへ・・・王国剣士か。今はただの反逆者の集まりじゃねぇか。おめぇらに何が出来るってんだ?いつでも相手になってやるぜ。」
 
「私は別にあなたとやり合う気はありませんよ。それよりなんであなたがこの人を殴ろうとしているのか教えていただけませんか?」
 
 反逆者という言葉に、後ろにいたカインが身を乗り出しそうになったのを片手で制した。私だって悔しかったが、今、その言葉に反論することが出来ない・・・。
 
「ふん!わかりきってるじゃねぇか。こいつらあちこちで国が滅びるなんぞと脅かしやがって!何を企んでるか知れやしねぇ!こういう連中はな、ガツンと一発脅かしてやったほうがいいんだよ!こいつらをほっといてみろ!そのうち聖戦が起きても金を出せば生き残れるなんて始まりやがるぞ!」
 
「そ、そんなことはございません!私は語り部でございます。確かに皆様から幾ばくかのお金をいただいてはおりますが、それはあくまでも私の語りに対して皆様がくださるものでございますので・・・だいたい私は聖戦を避ける術など存じません。」
 
 語り部は青ざめて一生懸命説明している。
 
「けっ!うまい言い方だな!それをどうやって信じろってんだよ!」
 
 この男は、はなから語り部の言うことなど聞く耳持たないらしい。これではらちがあかない。私は男に話しかけた。
 
「それじゃあなたはどうやったら納得するんです?」
 
「な、なんだと!?」
 
 男は不意をつかれたように私を見ている。
 
「信じないと言われても、この方が語り部だというのは身なりを見ればわかります。竪琴の腕前といい、私にはこの方があなたの言うような金目当ての怪しげな輩とは思えないんですが、あなたはどうしてそんなにしつこくこの方を責めるんですか?」
 
「そ、それはその・・・。」
 
「責めるからにはそれだけの根拠がありますよね?それを説明していただければ・・・」
 
 私が言い終わるより早く、男が殴りかかってきた。
 
「ちくしょう!もう少しだったのにじゃましやがって!」
 
 ・・・つまり金目当てと言うことらしい。さんざん責め立てて、お金を握らせてくれるのを待っていたのだろう。この男はもしかしたら他でもこんなことをしているのかも知れない。不意をついたつもりらしい男の拳は、私の顔の遙か左側で空を切った。この程度の攻撃をよけるなど朝飯前だ。私はよけながら男の手首を掴み、思い切り後ろ手にねじり上げた。
 
「あいてててて・・・!い、痛ぇよ!ちくしょう!離しやがれ!」
 
「離すのはかまいませんが、ここでこれ以上騒ぎ立てないと約束してくれますか?」
 
「わ、わかったわかった!言うことは何でも聞くから・・・!」
 
 この男に聞いてほしいのはさっさとこの場から立ち去ってほしいと言うことだけだ。私は男の手をパッと離した。男はバランスを崩してしりもちをついたが、そのまま這うようにして振り返りもせずに逃げていった。
 
「ありがとうございます・・・。正直申し上げますと恐ろしゅうございました・・・。」
 
 振り向いた私達に語り部が頭を下げた。
 
「いえ、たいしたことはしてませんから。あの男は多分他でもあんなことをやっているのだと思いますよ。それよりおけがは・・・あれ・・・?」
 
 さっきは男に気を取られていて気づかなかったが、この語り部の顔に見覚えがある。
 
「あなたは・・・だいぶ前ですが城下町にもいらっしゃいませんでしたか?」
 
「そうですね・・・。何ヶ月か前までは城下町におりましたが・・・王宮ではなぜか私の語りには理解を示してくださいませんで・・・何度かフロリア様の側近と名乗る方から警告を受けていたのですが、とうとう新しくできた軍隊の兵士達に城下町を追われてしまいました・・・。」
 
 やはりそうか・・・。この語り部は、私が城下町に出てきたばかりの頃、その語りの中に出てくる竜に興味をもち、いろいろと尋ねた人だ。でも私のことは憶えていないらしい。
 
「フロリア様の側近?」
 
 私の後にいたカインが身を乗り出した。
 
「それはどんな奴だ?王国剣士じゃないよな?」
 
「とんでもございません。あのような方が王国剣士だなんて信じたくもないような方で・・・。身なりこそきちんとしていらっしゃいましたが、・・・顔に傷のある残忍そうな方でございました・・・。」
 
 そんな『側近』は、いや、王宮に勤める者の中で顔に傷のある者などいない。まさか、ハース城から姿を消したリーデンという男だろうか・・・。人の命など何とも思っていない残虐極まりない男だと、ハース城の元衛兵ゲイルが言っていた・・・。
 
「暴力はふるわれなかったのか?」
 
 カインの問いに語り部は静かに首を振った。
 
「いえ・・・。その方はそうしたいようでしたが・・・私は戦う術など持ってはおりませんので、言うことをきいてさっさと町を出ました。でも・・・もしも一言でも言い返していたら、今頃私の命はなかったかも知れないと思います・・・。それほどに危険な雰囲気の方でございました・・・。」
 
「さっきのあなたのお話ですが・・・その話を城下町でも語っていたのですか?」
 
「はい・・・。一応おふれ通りに聖戦に関わる話のみを語っていたのですが・・・。なぜ王宮の方のお気に障られたのかまったく・・・。」
「そうですか・・・。」
 
 集まっていた人達がざわめき始めた。騒ぎを起こした男がいなくなったと思ったら、今度は助けに入ったはずの王国剣士が語り部に詰め寄っているのを見て、何事か起きたのかと不安を募らせているらしい。私達は仕方なくその場を離れた。そして語り部はまた何事もなかったように竪琴を鳴らしながら話を始めた。
 
「・・・しかし変な話だな・・・。聖戦に関わることだけを語るようにって語り部や吟遊詩人達にふれを出したのは王宮なのに、言うことをきいている語り部を追い出すなんて・・・。」
 
 カインが苦々しげにつぶやいた。
 
「でも時の国王が暴政をしき、なんて初めて聞いたよ。もしかしたらそのあたりが王宮の気に障ったのかな・・・。」
 
「ああ・・・そう言われればそうだな・・・。聖戦が起きるぞ起きるぞって脅かしてるところに、200年前の聖戦直前に国王がひどい政治をしてたなんてことが広まってしまったら、まず王宮に非難が集まるものなぁ・・・。」
 
 カインはため息と共に黙り込んでしまった。『時の国王が暴政をしき』この語りが本当のことだとしたら、フロリア様は、200年前の聖戦直前と同じ状況をこのエルバール王国にも作り出そうとしているのだろうか。
 
「でも同じ状況を作り出したからって聖戦が起きるわけじゃないし・・・。何でこんなことをなさるのかなぁ・・・。」
 
「さっき君も言ったじゃないか。フロリア様はこの国に争いのタネをまこうとしているように見えるって。」
 
「本当にそうなのかな・・・。」
 
 カインはまだ信じられないらしい。いや・・・きっと信じたくないのだろう・・・。
 
「今までのことを考えると、私にはそうとしか考えられないな・・・。実際、『潮騒亭』にいた労働者達の話を聞く限り、確実に成果はあがっているようだしね。このままではいずれ暴動が起きるかも知れない。そんなことになればほっといても王国は滅びる。別に聖戦なんて待っている必要はないんだ。」
 
「・・・本当にこの国を滅ぼすつもりで・・・。」
 
 カインが身震いした。葛藤するカインの心が伝わってくるような気がした。本当にフロリア様がそんなことを考えているのなら、自分はどうするべきなのか・・・。
 
「・・・とにかく、今はモルダナさんの家に行こう。もうすぐ着くよ。」
 
「・・・そうだな・・・。」
 
 カインは力なくうなずいた。
 
 
 木立の中を抜けると、懐かしい家の屋根が見えた。モルダナさんの家のたたずまいは、変わらずに私達を温かく迎えてくれているような気がした。玄関で声をかけると、以前と変わらない若々しい声で返事があり、モルダナさんが笑顔で迎えてくれた。
 
「まあ、カイン、クロービス。こんにちは。ずいぶんとご無沙汰でしたわね。南大陸まで行っていたと聞いたけれどお元気そうで何よりです。最近の調子はどうですか?フロリア様はお元気でいらっしゃいますか?」
 
 にこにこしている。本当に今の王宮の騒動を知らないのだろうか・・・。
 
「え、ええ・・・。最近お会いしていないので・・・。」
 
 生返事で言葉を濁したが、モルダナさんは気づいてないようだった。その足許にまとわりついているのは以前もここにいたお孫さんだ。
 
「こんにちは。」
 
 男の子は屈託ない笑顔を向けてくる。その笑顔に救われた思いで私も笑顔を返した。
 
「こんにちは。元気だったかい?」
 
「うん!ぼくはね、すごくげんきだよ。でもおにいちゃんたちは、なんだかたいへんそうだね。ぼくみたいに、いつもいえであそんでいればいいのに。」
 
 男の子はけろりとしている。子供の目には、今の私達はとても難しい顔をしているよう見えるらしい。
 
「うふふ・・そうね。その通りだと思うわ。もっと楽しい顔にならなくちゃね。」
 
 ウィローが男の子の前にしゃがみ込み、頭をなでた。
 
「そうだよね!?ねえそれじゃいっしょにあそぼうよ!」
 
 どうやら彼の狙いはそれらしい。
 
「これこれ、だめですよ。皆さんはお仕事中なんですからね。ねえカイン、クロービス、こちらのお嬢さんは・・・?以前にお会いしたことがあったかしら・・・?」
 
 不思議そうにウィローを見つめるモルダナさんに、私達はウィローを紹介した。デールさんの娘と聞いて、モルダナさんの顔に懐かしさが広がる。
 
「まぁ・・・。デール殿の娘さんでしたか・・・。デール殿はとてもよい方でしたわ・・・。亡くなられていたなんて少しも知りませんでした・・・。あなたは苦労されたのね・・・。お母様はお元気なの・・・?」
 
「ええ・・・。母は元気です・・・。」
 
「そう・・・。私はあなたのお母様にお会いしたことがあるのよ。最も随分昔だし、一言か二言言葉を交わした程度だから、憶えていらっしゃらないかも知れないけど・・・。とても美しい方だったわ。お家に戻られたら、お母様によろしく伝えてね。」
 
「はい、あの・・・。」
 
「はい、なにかしら?」
 
 モルダナさんが、私達の前に置かれたカップに二杯目のお茶を注ぐ手を止めてウィローに微笑んだ。
 
「い、いえ・・・その・・・あ、あの、お孫さんのお名前は・・・。」
 
 ウィローが何を聞きたかったのか、推測はつく。でも今のように曇りのない穏やかな笑顔を向けられて、フロリア様の今の様子についての話など、出来ようはずもなかったのだろう。
 
「ああ、この子の名前ね。ほら、お姉ちゃんにあなたのお名前を教えてあげて。」
 
 モルダナさんは、自分の隣に置かれた子供用の椅子にちょこんと座るお孫さんに声をかけた。私達と同じように目の前のテーブルにカップが置かれているが、その中に入っているのはオレンジジュースらしい。でも私達のまねをして、カップを手に取りゆっくりと口に運ぶ。その仕草が何ともかわいらしい。
 
「ぼくはねぇ、フィリスっていうんだよ。」
 
 言いながらフィリスは、それほど多くない前髪を掻き上げ、胸を反らしながらニッと笑ってみせた。
 
「ほらフィリス、そんな言い方しないのよ。ちゃんと『僕はフィリスです』って言いなさいと、母さまから言われているのでしょう?」
 
「だって、このあいだかあさまがよんでくれたごほんのなかで、ゆうしゃがこんなふうにじぶんのなまえをいっていたんだよ。」
 
 フィリスはどうやらその本の中に出てくる勇者のファンらしい。何でもまねしたい年頃だから、仕方ないのかも知れない。それにしてもずいぶんとキザな勇者らしいが・・・。
 
「ごめんなさいね、失礼な言い方をして。」
 
 モルダナさんが申し訳なさそうに頭を下げた。
 
「いえ、お気になさらないでください。フィリス、その勇者はきっとすごくかっこいいんだね?」
 
 私は笑顔でフィリスに尋ねた。
 
「うん!こうね、けんをもって、だーって、てきをたおすんだよ!」
 
 フィリスは椅子を飛び降り、得意げに剣を持つまねをしてみせた。
 
「君のお母さんはきっとご本を読むのが上手なんだね。」
 
「うん、そうなの!こんどおにいちゃんたちにもきかせてあげてって、いっておくからね!」
 
「ありがとう、また今度ね。」
 
「うん!やくそくだよ!」
 
 
 結局何一つフロリア様のことを言い出せないまま、私達はモルダナさんの家を出た。
 
「相変わらずだな・・・あの人は・・・。」
 
 カインがつぶやく。
 
「優しくて温かくて・・・フロリア様にとってはいいおかあさん代わりだったんだろうね・・・。」
 
「ウィロー、君の印象はどうだ?」
 
 カインがウィローに尋ねた。ウィローはモルダナさんの家を出てからずっと黙り込んだままだ。
 
「・・・誤解してたみたい・・・。」
 
「誤解?」
 
「私ね・・・、モルダナさんのこともっと冷たい感じの人なんじゃないかと思っていたのよ。とおりいっぺんの事務的な育て方をされて、それでフロリア様がおかしくなってしまったんじゃないかって・・・。」
 
「なるほどな・・・。」
 
 両親の愛に触れることもなく、冷たい養育係に育てられて・・・。もしもそうなら、話は簡単かも知れない。でも違う。フロリア様のまわりで、事務的な冷たい態度でフロリア様に接していた人がいたとしたら・・・それはきっとユノくらいだ・・・。
 
 話しながら歩いているうちに、デンゼル先生の診療所の前まで来ていた。
 
「カイン、少しここに寄っていくよ。」
 
「ああ、そうだな。ウィローの調子がよければ、今日のうちに向こうに行けるかも知れないしな。」
 
 診療所の扉を開けると中には何人か患者がいて、デンゼル先生が忙しく動き回っている。
 
「おお、君らか。待っとってくれ。こっちの患者に薬を作ってしまうからの。」
 
 私達は部屋の隅にある長椅子に腰掛けた。ここからは部屋をよく見渡せる。薬品がずらりと並んだ棚。その隣の棚には薬草の束がかごに入れておいてある。カナのドーラさんの薬草庫ほどではないが、窓の近くの風通しのいい場所に整然と並べられていた。そしてその隣にある棚には、傷薬や包帯、それに脱脂綿、ガーゼなど、おもに怪我に対して使用される備品が入っている。こんな棚は故郷の家にもあった。怪我は病気と違っていきなり起きる。血を流しながら診療所に飛び込んできた回数が一番多かったのはダンさんだったっけ・・・。材木の切り出しの最中に木が倒れかかってきたり、熊に襲われたり、原因は様々だった。
 
「すまんすまん、待たせたな。どれどれ、お嬢さんの風邪の具合はどうじゃ?」
 
 やっと他の患者達の診察を終え、デンゼル先生はウィローを自分の前の椅子に座らせた。目を見たり口をあけさせたりして一通り診察しながら、少しだけにこっと笑った。この先生がこんなふうに笑う時は、たいてい患者の容態がよくなってきている時だ。最後に内診する時だけは、カインと私はまた追い出された。でも待っている時間は前よりもずっと短かった。いいぞと声をかけられて診療室に戻った私達に、デンゼル先生は困ったような顔を向けた。
 
「ふむ・・・だいぶよくはなってきたな・・・。今日は向こうに行くのか?」
 
「許可をいただけるのなら行きたいと思いますけど・・・どうですか?」
 
「そうだなぁ・・・。正直に言うなら、薬を飲んでいる間はこの村にいたほうがいいとは思うがのぉ・・・。」
 
 なるほどさっきの困った顔はこれか。よくなってきているとは言っても、まだ安心出来るほどではないらしい。
 
「薬は今日の夜の分飲んでもあと一日分あります。明日の夜ならどうでしょうか。」
 
「明日か・・・。そうだな・・・。一日でこれだけよくなっているのなら、明日一日安静にしておれば、まあ大丈夫じゃろう。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 ウィローは黙っている。
 
「ということなんだが・・・ウィロー、君はどうしたい?最終的には君の判断に任せるよ。」
 
 カインがウィローに声をかけた。
 
「・・・それじゃ私が行きたいって言えば連れて行ってくれるの?」
 
「連れて行くよ。ただし、向こうでの健康管理は自分でするんだぞ。クロービスは薬は作ってくれるだろうけど、向こうじゃ俺達も君の相手ばかりしていられないんだからな。」
 
 ウィローはうつむいたまま考え込んでいるようだったが、すぐに顔を上げた。
 
「・・・今日はこの村に泊まるわ・・・。明日は連れて行ってね・・・。」
 
「そうか・・・。それじゃ決まりだ。他に買う物もないし、今日は早めに宿に戻ろう。」
 
 私は少し驚いていた。ウィローがてっきり、今日のうちに海鳴りの祠に連れて行ってくれと言うものとばかり思っていたのだ。
 
「おいクロービス、何ぼけっとしてるんだよ?行くぞ。」
 
「あ、あぁ・・・うん・・・。先に行ってて。先生と少し話していくから。」
 
 私はデンゼル先生に礼を言って、明日以降のことについてのアドバイスを受けた。熱がひいても咳やくしゃみは当分残る。咳止めや鼻の通りをよくする薬草なら持ってはいるが、効率よく組み合わせるとなると、専門家の知識がないと難しい。
 
 外に出るとカインとウィローがなにか話をしている。カインが私に気づき振り向いた。
 
「お、来たな。それじゃ行くか。」
 
 私達は大通りを宿屋に向かって歩き出した。
 
「・・・あなた達は早く向こうに行きたいんじゃないの?」
 
 歩きながらウィローが、どちらにともなく話し始めた。
 
「行きたいよ。でも今朝みんなには会えたし・・・俺達のことは気にしなくていいから、とにかく早く風邪を治してくれよ。」
 
「・・・・そうね・・・。」
 
 何となく気まずい雰囲気のまま、私達は宿屋の前についた。カインが扉に手をかけようとしたが、そのままぴたりと動きを止めてしまった。
 
「・・・なんだこれ・・・?」
 
「・・・なに・・・」
 
 聞こうとした私も口をつぐんでしまった。宿酒場『潮騒亭』の扉の向こうから、異様な『気』が流れてくる。気功が使えない私でも、なにかただならぬことが中で起きているのがわかる。
 
「これ・・・なに・・・?」
 
 やっとの事で口を開き、私はカインに尋ねた。
 
「・・・何か・・・すごい『気』を発してる誰かがこの中にいるんだ・・・。しかし妙だな・・・これは・・・敵意は感じないから殺気じゃないことは確かだけど・・・でも普通の人が発するようなものじゃ・・・。」
 
「どうする?」
 
「そうだな・・・。とにかく中に入ってみよう・・・おいクロービス、お前真っ青だぞ?大丈夫か?」
 
 実を言うと、この異様な『気』を感じた時から、背中にぞっとするような冷たさを感じていた。氷のような冷たい『気』の固まりが私にまとわりついてきて、声を出すのもやっとなほどだ。扉を開けたら何が出てくるかわからない。ウィローに私のそばを離れないように言おうと後ろを振り向いた。するとウィローも真っ青な顔をしている。
 
「ウィロー・・・気分が悪いの・・・?」
 
「う・・・うん・・・。何だろうこれ・・・。喉を締めつけられる・・・。気持ちが悪い・・・。」
 
「とにかく、離れないで。」
 
 ウィローがやっとうなずいた。
 
「入るぞ。」
 
 カインがゆっくりと扉を開けた。中のフロアはまだ酒場としては始まっていないらしく、静かなものだった・・・が・・・その中に一人、椅子に座ってお茶を飲んでいる人物がいる。この異様な『気』はその人物から発せられていた・・・。
 
「あらクロービスお帰りなさい。遅かったのね。ずっと待ってたのよ。」
 
「エミー・・・。」
 
 エミーは椅子から立ち上がり、いつものように笑顔で私に近づいてきた。でも顔色がひどく悪い。自分で気づいていないのだろうか・・・。
 
「・・・こんなところに来て、また・・・パティにしかられるよ。」
 
 動悸が激しくなってくる。言葉がスムーズに出てこない。
 
「ふふふ・・・別にいいわ。お姉ちゃんなんて関係ないもの。私はもうあなたと一緒にいるって決めたの。ちゃんと旅支度もしてきたわ。今日はここに泊まるみたいね。私も一緒に泊まるから、明日は海鳴りの祠に行きましょ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 なんと答えを返すべきか、頭の中が混乱して真っ白だった。いったい何がエミーをここまでさせるんだ・・・。何一つ約束したわけでもないのに・・・。エミーを女性として愛することはどうしても出来ないのだと何度も言ったのに・・・。
 
 そんなことを考えている間にも、エミーを取り巻く異様な『気』がどんどんふくれあがって・・・ゆっくりと私に覆い被さってくる。いくら押さえ込もうとしても、恐怖が足許からはいのぼってくる。
 
「さあ、お部屋に案内してよ。今夜からはもうずっと一緒よ。」
 
「エ・・・ミー・・・・何を・・言っ・・・て・・・。」
 
 震えて声にならない。その私にエミーはさらに近づいてくる。後ずさりたいのに足が動かない。私の背中にはウィローがしがみついて震えている。
 
「さあ、はやく。」
 
 とうとうエミーは私の前に立ち、手を伸ばして私の頬にふれた。と同時に『気』が私に覆い被さるように迫ってきた。
 
「ウィロー!クロービスから離れろ!クロービス、エミーを押さえてくれ!絶対に離すな!」
 
 突然響いたカインの怒鳴り声に、私は反射的にエミーの肩を押さえた。そのとたんエミーの背中に何か別の『気』の固まりがすさまじい勢いでぶつかった。頭の奥で何千枚ものガラスが割れるような音が響き、その破片が『防壁』を突き破って次々に私の心の中に降り注ぐ。
 
「きゃあぁぁーっ!」
 
 エミーは頭をのけぞらせ、ものすごい悲鳴を上げると、そのままガクンと私の腕の中に倒れ込んだ。私自身も目の前が真っ暗になるほどの衝撃に立っていることすら出来ず、そのまま床にしりもちをついた・・・が、実際には床の上ではなく、なにか柔らかいものの上に自分の体が倒れ込んだのがわかった。
 
「ウィロー!?」
 
 背中にしがみついていたウィローがそのまま下敷きになっている。私は慌ててエミーを押さえていた腕を片方放し、床と自分の体との間に隙間を作った。
 
「あ、危ない!ウィロー離れて!早く!」
 
 叫んだがウィローは動かない。さっきカインが離れろと言った時に離れなかったのか・・・もしかしたら離れることが出来なかったのかも知れない。ウィローもさっきからひどく気分が悪そうだった。
 
「ウィロー!」
 
 私は迷わずエミーの肩を押さえていたもう片方の手を離し、ウィローを抱き起こした。だが腕に、いや、体中に力が入らず、ウィローの上に覆い被さるような格好にしかならなかった。
 
「カ・・・カイン!何とかして・・・ウィローが・・・!」
 
 カインの返事がない!
 
「カイン!?」
 
 もう一度読んだがやはり返事がない。なにが起きているのかさっぱりわからないが、とにかく私が何とかしなければならない。ぐるぐる回る頭の中で、バラバラにはじけ飛んだ自分の『気』の流れを必死の思いでつなぎ合わせた。『光の癒し手』の呪文くらいなら何とか唱えられそうだ。呪文は声に出さなければならない。早口になろうが他人に聞き取れなかろうがまったく問題はないのだが、声にだけは出さないと相手に届かない。目の前のウィローと、自分と、そしてどこにいるかわからないがこのフロアのどこかにいることだけは間違いないはずのカインに向けて、私は今出せるありったけの力を振り絞って呪文を唱えた。
 
 もう目の前がかすんでよく見えない。手探りでウィローの頬を探し当てた。温かい。きっと赤みが差している。聞こえてくる息づかいもさっきよりも楽になったようだ。だが自分には果たして効いたのかどうかもよくわからない。心の中に突き刺さった何かの『破片』は、そのまま私の痛みとなって襲いかかってくる。体中の力が抜ける前に、私は体をウィローの上から横にずらした。それが限界だったらしい。ふっと自分の意識がとぎれたような気がした。
 
 
「・・・ふぅ・・・・大丈夫か?」
 
 声に顔をあげると、いつの間にかカインが私の横に座っていた。その顔は真っ青だった。脂汗を流しながら肩で息をしている。
 
「カイン、君は・・・!?」
 
「さっきはごめんな・・・。返事したくても声も出なかったんだ。お前の呪文のおかげで、やっとこれだけしゃべれるようになったよ。」
 
 カインは言いながら大きなため息をついた。
 
「ウィローは!?」
 
「大丈夫だよ。お前の呪文で何とかなった。・・・さっきのは俺の判断ミスだ。もっと早くウィローをお前から離しておけば、巻き込まずにすんだんだが・・・。」
 
「巻き込むって・・・何だったの・・・?いまのは・・・。」
 
「あとで説明するよ。それより、立てるか?」
 
 立ち上がろうとしたがまだ力が入らない。
 
「・・・やっぱり無理か・・・。」
 
「エミーは・・・どうしてる?」
 
 顔を動かせば多分わかるのだろうが、その力すら出てこない。
 
「エミーは・・・無事だよ。呼吸も安定しているし、顔色もよくなってきてる。まあうまくいったってことだな・・・。」
 
「どういうこと?」
 
 カインは答えずカウンターに振り向いて、あっけにとられているケイティ親子にグラニード先生の家からパティを連れてきてくれるように頼んだ。そして私の隣で気を失っているエミーを、空いている部屋に運ぶように頼んでくれた。私達の部屋から、出来れば一番遠い部屋へと。ケイティは慌てて飛び出していき、宿屋の主人はすっかり驚いた顔をしながら私の傍らにしゃがみこみ、エミーを抱きかかえて二階へと上がっていった。
 
「はぁ〜・・・とりあえず一段落だな・・・。部屋に戻りたいけど、さすがに今は俺も力が入らないし・・・。二人は持ち上げられないし・・・参ったな・・・。」
 
 カインがぜいぜいと息をしながらそう言っているのは聞こえた。とりあえず自分の意識があるらしいことを妙に客観的に確認して、なんだか変な気分だった。もうそろそろ夜の開店時間になる。いつまでもここにこうしているわけにはいかない。
 
 
「・・・こんばんは・・・。」
 
 宿屋の玄関から聞き覚えのある声が聞こえた。
 
「あ・・・ランドさん・・・。」
 
 カインの声でその声がランドさんだということはわかった。エミーを迎えに来たのだろうか。
 
「どうしたんだよ?ケイティからエミーが潮騒亭にいるって聞いて来たんだけど、何が起きたんだ?王国軍の兵士達が襲撃にでも来たのか!?」
 
 ランドさんの声は緊迫している。フロアの床に3人して転がっているのだから無理もない。
 
「・・・いえ・・・違うんですけど・・・とりあえずクロービスとウィローを部屋に運んでもらえませんか。」
 
「あ、ああ・・・。どれ・・・クロービス、悪く思うなよ。ウィローを先に運ばせてもらうぞ。」
 
 ランドさんは言い訳めいた言い方をしながら、『よっ』とかけ声をあげた。ウィローを抱きあげたんだろう。『ご案内します』というケイティの声と共にぱたぱたと階段を上がる音が聞こえ、やがてすぐに戻ってきた。自分の傍らにランドさんがしゃがみこむ気配がする。
 
「おい、クロービス、俺がわかるか!?」
 
 やっとのことで声のしたほうに顔を向けた。自分としてはうなずいたつもりだが、伝わったかどうかはわからない。次の瞬間視界がぐるりと回った。どうやらランドさんの肩に担ぎ上げられたらしい。そのまま私は二階に運ばれ、昨夜泊まったのと同じ部屋のベッドにどさりと下ろされた。
 
「・・・俺はエミーの様子を見てくるが・・・また来るから少し今のことを説明してくれないか。」
 
「わかりました。でもとりあえず俺も一眠りします。もう眠くて眠くて・・・。」
 
 言ってるそばからカインは何度もあくびをした。さっきカインがありったけの気のかたまりをエミーに向かってぶつけたことだけは私にもわかる。でも何の訓練も受けてない、ましてや若い女の子の体にそんなことをしたら、下手をすれば内臓破裂だって起こしかねないと聞いたことがある。エミーはぐったりしていたが、苦しそうではなかったとカインが言っていた。むしろ気をぶつけられたあとのほうが呼吸も落ち着いていたらしい。カインは何か『別のもの』に向かって気をぶつけたのだ。それはおそらく、エミーを取り巻いていたあの異様な気の流れ・・・。私とウィローにからみついてきた不気味な・・・あれはいったい・・・。
 
 だんだん頭の中に霞がかかってくる。私も限界らしい。
 
「・・・て・・・けよ・・・。」
 
「はい・・・・。・・・み・・・せん・・・・。」
 
 ランドさんとカインの会話が聞こえてくる。でも途切れ途切れでほとんど聞き取れない。部屋の扉がパタンと閉まったのと同時に、私の意識も途切れた。
 

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