小説TOPへ 第31章〜第40章のページへ


36章 すれ違う想い 後編

 
 今、私はあの家の前に立っている。初めて来た時、なぜか懐かしさを感じた場所。もう一度訪れてみたいと思っていた場所だ。でも、今ここにはタルシスさんが住んでいる。この家に足を踏み入れることが、ウィローと私の間を決定的に隔ててしまうような気がしてつい足が重くなる。
 
(おい・・・。いいかげん観念しろよ。今さらウィローが鎧を買うことを反対するなんて出来ないぞ・・・。)
 
 カインが私を肘でつついた。
 
(わかってるよ・・・。)
 
 カインに言われるまでもなく、ウィローが鎧を買うことも、オシニスさん達の訓練を受けることも、いまさら反対するつもりはなかった。積極的に賛成して協力する気にはとてもなれないけれど、せめてきちんと風邪を治して、出来る限り大けがをしなくてすむような鎧を選んであげるくらいのことはするつもりでいた。
 
「おはようございます。」
 
 カインが先頭に立って扉を開けた。入口を入ったところには炉がしつらえてあった。王宮の鍛冶場ほどの規模ではないが、それでも鍛冶師としての仕事をするには充分な設備がある。この家は空き家だったはずだから、タルシスさんが全部準備したのだろう。今、炉には火が入っていない。炉の脇の作業場でタルシスさんがちょうど槌を振りあげているところだった。
 
「待っていたぞ!昨日着いたのか?」
 
 タルシスさんは私達を見るとさっと立ち上がり、満面の笑みで迎えてくれた。
 
「はい。すみません、もっと早く来たかったんですが・・・。」
 
「仕方ないさ。クロービスが連れてきた彼女が風邪で熱を出したってオシニスから聞いていたからな。おお、お前らも一緒か。」
 
 タルシスさんは私達のあとから入って来たオシニスさんとライザーさんに気づき、笑顔を向けた。
 
「ええ。鎧選びくらいはつきあおうかなと思いましてね。」
 
「なるほどな、そっちのお嬢さんか。う〜む・・・。」
 
 タルシスさんはウィローの頭からつま先まで眺め渡している。これだけでだいたいどのサイズの鎧が入るかわかってしまうと言うのだからすごい。鋭い視線にウィローは少し顔を赤らめて、小さな声で自己紹介をした。
 
「でもちょうどいい場所を見つけましたね。」
 
 カインが部屋の中を見渡しながら言った。
 
「ああ、ここはずっと空き家でな。そろそろ取り壊してもいいんじゃないかっていう話も出ていたらしいが、今回のことで私がしばらく住みたいと申し出て中止になったのさ。もとはなにかの学者が住んでいたらしいんだがな。」
 
「学者?」
 
「うむ。村人の話によると、何か怪しげな薬の研究をしていた学者が住んでいたと言う話だ。ところが突然引っ越してしまって、それ以降この家はずっと空き家らしい。もう20年近く前の話らしいがな。」
 
 20年前・・・住んでいた学者・・・。何だろう・・・。何かが引っかかる。この家に住んでいたのがどんな人物なのか、何となく気になる。隣に住むデンゼル先生ならもしかしたら知っているのかも知れなかったが、何となく気になるから教えてくれとも言いづらい。
 
「おかげで俺はここで悠々と鍛冶屋をやっていられるわけさ。でもただで住まわせてもらうわけにはいかないから、村の人達の包丁を研いだり、鍋釜の修理もしてるぞ。」
 
 タルシスさんはさっき槌を振り下ろそうとしていた物を私達の前に掲げてみせながらニッと笑った。なんとそれは大きな鉄鍋だった。よく見ると部屋の片隅にも鍋や釜類が整然と積み上げられている。
 
「ほ、包丁に鍋釜・・・?」
 
 カインも私もぽかんとして聞き入っていた。王宮鍛冶師などという肩書きにそぐわないようなことでも、タルシスさんはいっこうに気にかけない。
 
「そうだ。なかなかおもしろいぞ。だが、お前達が来たところでしばらくぶりに本業だな。武器と防具を出してみろ。そっちのお嬢さん・・・と、ウィローだったな、ちょっと待っていてくれないか。こいつらの武器と防具の点検をすませちまうからな。」
 
 タルシスさんは相変わらずの手際のよさで私達の武器と防具を点検して、ちょっとした傷などもしっかりと見つけて直してくれた。そして私の剣をしげしげと見つめ、
 
「これがルーンブレードと見抜けなかったとは・・・俺もまだまだ修行が足らんな。さすがはテロスさんだ・・・。」
 
「テロスおじさんをご存じなんですか?」
 
 ウィローが驚いて尋ねる。
 
「俺の大先輩さ。向こう見ずで大酒飲みなのが玉にきずだが、仲間思いのいい人だよ。」
 
「向こう見ずは相変わらずですけど・・・大酒飲みはしばらく前から返上です。もう歳なんだからってイアンに言われて・・・。」
 
 ウィローが言いながらクスリと笑った。私達もテロスさんが酒を飲んでいるところは見ていない。
 
「イアンというのはテロスさんの息子さんか?」
 
「ええ。私より3つ上で、おじさんの跡を継ごうとがんばっています。もっとも、おじさんはまだまだだってしか言わないけど。」
 
「ほぉ、跡継ぎがいるとは心強いだろうな。なるほど、テロスさんも息災でなによりだ・・・。それもみんなクロービス達のおかげなんだな。」
 
「私達は特別なことをしたわけではないですよ。仕事で行って・・・」
 
 言いかけて言葉につまった。仕事で行って・・・剣士団長を死なせてしまった・・・。また胸の奥がズキンと痛む。タルシスさんは悲しげな視線を私に向けた。
 
「気に病むな・・・。お前達のせいじゃない・・・。」
 
「・・・・はい・・・・・。」
 
 タルシスさんは私の剣を鞘に収めて返してくれた。その剣を受け取りながら、ふとテロスさんがドリスさんの話をしていたことを思い出した。タルシスさんもドリスさんを知っていたはずだ。
 
「タルシスさん、テロスさんからドリスさんのことを聞きました。皆さん昔は一緒に修行されていたんですね?」
 
 私の言葉にライザーさんが驚いたように顔を上げたのがわかった。
 
「・・・聞いたのか・・・。実はドリスさんは俺の先輩でな。テロスさんよりはずっと若かったが、腕のほうは引けを取らなかった。ただ独創的な考え方の持ち主で、当時の仕事仲間にはなかなか理解されなかったが・・・。」
 
「聞きました。ドリスさんの作った弓をテロスさんが持っていたんです。今ウィローが持っていますよ。」
 
「弓・・・?もしかしてあの・・・。」
 
 ウィローが差し出した弓を、タルシスさんはじっと見つめていた。
 
「やっぱりそうだ・・・。間違いない、これを作った時は、えらく半端な大きさの弓だと笑われていたんだが・・・。」
 
「でもその弓だとクロービスの弓と同じくらい矢が飛ぶんです。おかげで遠距離攻撃が楽になったくらいです。」
 
「そう、まったくその通りなんだ。だいたいこの弓は大きさを変えてあるだけじゃない。ドリスさんならではの工夫が随所に施されているんだ。だがあの当時、武器の作り方ってのはまだまだ固定観念でしかとらえられてなくて・・・。剣はこうやって作るものだ、弓はこの大きさの木をこう切ってこう削って作らなくちゃならん、そんなことばかりだ。そしてその規格に合わないことをする奴は誰にも理解されなかった・・・。今の時代では考えられないことだがな。テロスさんはそんなドリスさんの数少ない理解者の一人だったから、いつもかばっていたんだが・・・。あの時みんながもっとドリスさんを受け入れていたらあんなことには・・・。」
 
 タルシスさんはそこまで言ってハッとして口をつぐんだ。
 
「いやいや、独り言だ。気にしないでくれ。この弓は確かにすばらしい・・・。」
 
「僕にも見せてくれませんか。」
 
 ライザーさんがタルシスさんから弓を受け取り、しげしげと眺め始めた。
 
「・・・ライザーさんは、ドリスさんが武器職人だったって知ってましたよね・・・。」
 
 思いがけない里帰りの時に島の人達からもらった盾を見て、ライザーさんから聞いた話をあらためて思い出した。
 
「君の父上のレザーアーマーを修理しているところは何度か見ていたことがあるからね。その時君の父上とドリスさんが話しているのを聞いたんだよ。昔は仕事でいろいろと作ったもんだけどって・・・。」
 
「そうですか・・・。私も何度か見たことがあるけど・・・。そんな話は聞いたことがなかったです。」
 
「・・・憶えていないだろうけど、その話をしている時は、君も一緒だったんだよ。」
 
「・・・私が・・・?」
 
「そう。君の父上がドリスさんのところに行く時は、必ず僕も一緒に行っていたんだ。レザーアーマーや剣を修理してもらっている間、君を膝に乗せて押さえておくためにね。」
 
「・・・押さえてって・・・どうしてですか・・・?」
 
 尋ね返したのはカインだった。カインは私の小さな頃の話に興味津々だ。オシニスさんとウィローも聞き入っているのがわかる。
 
「クロービスは昔から好奇心が旺盛だったからね。目に入るものは何でも手にとって見たがったんだ。火の入っている炉だろうが、鍛えている最中の真っ赤に焼けた斧の刃だろうがお構いなしだったよ。ドリスさんの仕事場には他にもいろいろと危ないものがあったから、とてもクロービスから目を離すことは出来なかったんだ。」
 
 カインがぷっと吹き出した。オシニスさんとタルシスさんは大声で笑っている。ウィローは下を向いて顔を隠しているが、肩が小刻みに震えている。
 
「・・・そ・・・そうだったんですか・・・。」
 
 顔が熱くなっているのがわかる。私の好奇心は昔からトラブルを引き起こしていたらしい。多分その時、イノージェンも一緒だったんだろうと思うが、ライザーさんはそのことは言わなかった。そして父のことも『君の父上』としか言わなかった。父の名前を口に出せないことが悲しい・・・。
 
「いつだったかな・・・。レザーアーマーの修理を終えた時、ドリスさんが君の父上に聞いたんだよ。『先生は俺にまた武器を作らないのかって聞かないんだね』って。」
 
「父はなんて言ったんですか?」
 
「続けていたことをやめるからには、何かしら大きな理由があるんだろうからって。他人が聞けば些細なことかもしれなくても、本人にとってはきっと重大な意味を持つようなことなんだろうから、そんな無責任なことは言えないよって・・・そんな言い方をしていたような気がするな・・・。一言一句憶えているわけではないんだけどね・・・。」
 
 ライザーさんは話しながら、懐かしそうな瞳でずっと弓を眺めていた。帰れない故郷に今も住んでいるはずの人が作った弓を通して、昔のことを思い出していたのかも知れない。
 
「・・・僕は弓を使ったことはないからよくわからないけど、これはいい弓だっていう気がするな。大事に使うといいよ。」
 
 そう言ってライザーさんはウィローに弓を返した。受け取ったウィローは笑顔でうなずいて弓を大事そうに荷物にしまった。
 
「さてと・・・ウィローだったな。君の鎧だが・・・。」
 
 タルシスさんは手元の道具類を片づけ、作業場ではなくテーブルの椅子に座ってウィローに向き直った。
 
「なあ、クロービス、お前が着ていたレザーアーマー、あれいいんじゃないか?」
 
「クロービスのレザーアーマーか。どれ、ちょっと出してきてやるよ。」
 
 カインの提案に、私が答えるより早くタルシスさんは奥の部屋に入り、大きな箱を抱えて戻ってきた。
 
「これだ。きれいに修理して、表面にワックスも塗ったし、いつでも使えるぞ。」
 
 父の形見のレザーアーマーは、南大陸に発つ前に預けた時よりも遙かにきれいになって丁寧に箱に収められていた。
 
「どれ、着てみたらどうだ?クロービス、お前の鎧なんだから、お前が着方を教えてやれよ。」
 
 タルシスさんが勧める。鎧の着方なんて普通の人には縁がないものだ。ウィローは手に取ったレザーアーマーを見て首をかしげている。気が進まなくても知らぬ振りは出来ない。私はため息とともに立ち上がった。
 
「それじゃ説明するよ。一度しか言わないからよく聞いてね。」
 
 ウィローは睨むように私を見た。今のウィローには、私が言うことすべてが自分をオシニスさん達の訓練から遠ざけるものだとしか思えないらしい。そう思われても仕方ないかも知れないが、私が一度しか言わないと言ったのはそんな理由からじゃない。鎧の扱い方くらい一度で憶えられない人間に、王国剣士の厳しい訓練を受ける資格などないからだ。
 
 ウィローの刺すような視線を無視して、私は説明を始めた。
 
「えーと・・・こっちのひもをほどいてまずこっちから肩にかけて・・・。次に・・・。」
 
 ウィローは私の説明をひとつも聞き漏らすまいとするかのように、じっと聞きながら言うとおりに手を動かしている。
 
「・・・はい、これでいいのね?」
 
 最後のとめ具をカチンととめて、ウィローが私を見た。私は黙ったままうなずいた。ウィローの細い体に、レザーアーマーは何かひどく不釣合いに見える。それがサイズが合わないからなのか、私がウィローにこんなものを着せたくないと思っているからなのかはわからない。
 
「さてと、少しサイズを直すか。クロービスがいくら細身でも、さすがに男と女では体型も違うからな。肩幅とウェストのあたりはかなり絞らないとだめだな・・・。」
 
 タルシスさんはそう言いながら、一通りサイズを確かめて直してくれた。
 
「どうだ?少し動いてみてくれ。動きづらいなんてことないか?」
 
 ウィローは体を反らしたり屈んだり、体操でもするように体を動かした。
 
「特別動きづらいって言うことはないみたいです。」
 
「ウィロー、君の戦用舞踏ってのを少し見せてくれないか。型みたいなものはあるんだろ?そのほうが鎧の具合を見るにもいいし、これからの訓練の参考にもしたいからな。」
 
 オシニスさんの言葉に、ウィローは腰から鉄扇を取り出して、戦用舞踏の基本形をいくつか披露してくれた。戦うためのものとは思えないほど、それは優雅で美しい舞いだ。でも今は動きがぎこちない。それは言うまでもなく慣れない鎧をつけているせいだ。レザーアーマーは確かに軽いが、見た目よりも厚みがある。これならナイトメイルのほうがいい。厚みもないし、もしかしたらこのレザーアーマーよりも軽いかも知れない。でもナイト輝石の原石がもう採掘されていないことは王国中に知れ渡っている。現存するナイト輝石の鎧にどれほどの値がつくのか見当もつかない。
 
(でも多分買えないことはないんだよな・・・。)
 
 ずっと南大陸を旅してきて、三人で集めたゴールドや、モンスターの奇妙な落し物を売ったお金は予想以上に多かった。ゴールドは結構重いので、カインと私が二人で分けて荷物に入れてあるのだが、これを使うつもりならナイトメイルのひとつやふたつ買えないことはない。でもはたしてそのお金をウィローは受け取るだろうか。
 
「おいカイン、どうだ?俺達は今初めて見るけど、お前なら鎧をつけていない時の動きと比べられるだろう?」
 
 オシニスさんはカインに問いかけた。
 
「う〜ん・・・そうですねぇ。やっぱりぎこちないような気がするなあ・・・。レザーアーマーなら軽いかと思ったけど、けっこう分厚く作ってあるから、やっぱりよくないかも知れないですね・・・。」
 
 カインはウィローの動きを目で追いながら、厳しい顔で首をひねっている。
 
「そうだな・・・。女ってのはあちこちによけいな出っ張りがあるから、特にそう感じるかもしれん。ナイトメイルのほうがいいかもしれんな。」
 
 タルシスさんはさらりと言ったが、ウィローは顔を赤らめた。
 
「そのほうがいいと思うなぁ。着方も簡単だし。」
 
 カインもうなずいた。
 
「で、でも、そんな高いものは・・・私買えないから・・・。」
 
 ウィローが慌てて否定する。
 
「大丈夫だよ。金なら何とかなるさ。南大陸のモンスター達は金持ちだからな。けっこうたまってるよ。」
 
「だってそれは私のお金じゃないもの。」
 
「この金は、君とクロービスと俺の3人で稼いだようなものさ。だから君の物を買うのに使うなら別に俺は反対しないよ。おいクロービス、お前はどうだ?」
 
 カインが私に振り向いた。
 
「・・・私が反対する筋合いのものじゃないよ。このお金はウィローのものでもあるわけだからね。」
 
 私の言葉を聞いて、カインがにやりと笑った。そして『意地っ張りめ。素直になれよ。』とでも言いたげな視線を残し、すぐにウィローに向き直った。
 
「だそうだ。ナイトメイルの一つくらい、買えないことはないぜ。タルシスさん、ウィローに合いそうな鎧の在庫はあるんですか?これから作るってのは難しいかも知れないけど・・・。」
 
「うむ・・・とりあえず手持ちのナイト輝石はあるんだが、一から作るとなると時間もかかるしな・・・。女物のナイトメイルの在庫がまだあったと思うんだが・・。ちょっと待っていてくれ。」
 
 タルシスさんは奥の部屋に行き、少しして赤いラインの入った箱を抱えて出てきた。赤いラインは女物の防具を入れる箱だ。
 
「これだこれだ。これならかえってレザーアーマーより軽いと思うぞ。それに、着方も単純だから覚えやすいしな。」
 
 中から出てきた鎧は、カーナ達が着ているのと同じようなデザインのものだった。
 
「これは女物として作られたものだからな。ちゃんと体型も考慮してある。そっちを脱いでこっちを着てみたらどうだ?」
 
「は、はい・・・。」
 
 ウィローは何となくぼんやりしていたように見えた。まだ顔が赤い。まさか熱でも出たのだろうか。
 
「これは、どうやって着ればいいんですか?」
 
「えーと、こっちが胸当てで、こっちが背当てで、それからこれが・・・よいしょっと、肩当てだ。今は新品だからバラバラになっているが、これとこれを・・・こうして留めて、こっちに組み合わせる・・・と、ほら、これならパッとつけてパッとはずせる。荷物にしまうにもじゃまにならないし、場合によってはばらして胸当てだけとか背当てだけとかを使うことも出来るわけだ。」
 
 タルシスさんが実演しながら説明してくれる。ウィローはその手元を食い入るように見つめていた。そしてレザーアーマーを脱ぎ始めたが、私は今度は手伝わなかった。着方を憶えたのなら脱ぎ方だってわかるはずだ。ウィローは汗だくになりながらやっとのことでレザーアーマーを脱ぎ、ナイトメイルを身につけ始めた。
 
「・・・できました・・・。」
 
 やっと鎧を着終えたウィローは、誰が見てもへとへとに疲れた顔をしている。
 
(また熱が出そうだな・・・。)
 
 部屋の隅っこで、私はずっと頬杖をついたままウィローが鎧を着るのを眺めていた。
 
「あら・・・これレザーアーマーより軽いくらいだわ。」
 
 鉄扇を広げて動きながら、ウィローが声をあげた。
 
「だろう?女物は軽く作ってあるんだ。男なら多少の重みはかえって安定していいんだが、女はどうがんばっても男より体力がないからな。軽いに越したことはない。」
 
 タルシスさんがにっと笑いながら言った。もしかしてこの鎧はタルシスさんが自分で作ったものなのだろうか。
 
「これっていくらするんですか?」
 
「これはえーと・・・。」
 
 タルシスさんは鎧が入っていた箱をひっくり返して、底に付いた値札をのぞき込んだ。
 
「1000Gだな。」
 
「せ・・・・・」
 
 カインはあんぐりと口をあけたきり、次の言葉が出てこない。
 
「そ、そんなに・・・。」
 
 ウィローも絶句してしまった。泣き出しそうな顔をしている。
 
「でも普通の鎧だと900Gですよね?やっぱりナイト輝石が取れなくなったからですか?」
 
 口をあけたまま固まってしまったカインの代わりに私が尋ねた。
 
「いや、そういうわけじゃないよ。女物ってのは作るのに手間がかかるんだ。だいたい考えても見ろよ。お前らが着ている鎧より軽いのに、防御力は同じなんだぞ?そういうふうに作るのにどれほど手間がかかっているか。これでもだいぶ値段を抑えているんだ。普通の武器屋に行ってみろ。1200から1500くらいとるところだってあるんだぞ。」
 
「作る手間を考えると、どうしても女物は高くなるんだよな・・・。しかし1000Gはいくら何でも痛いよなぁ。何とかなりませんか、タルシスさん。」
 
 オシニスさん達も言いながらため息をついている。
 
「う〜ん・・・たとえこの鎧が売れたって俺の懐に金が入るわけじゃないからなぁ・・・。以前なら鍛冶場で販売している武器防具類の売上は、全部王宮の収入になったんだが・・・俺は今の王宮にその金を持っていく気なんぞさらさらないから・・・。そうだな・・・あとは副団長の判断だな。ウィローを仲間として受け入れて自分で買えるようになるまで防具を貸すという形にするか、通常より安い金額で売るか、それとも・・・ただでくれるか・・・。」
 
「こ、こんな高いもの、くれると言われてもいただくわけにはいきません!」
 
 ウィローは青ざめている。
 
「それならウィロー、その鎧を着て海鳴りの祠に行けばいいさ。副団長に会って話を決めよう。」
 
「で、でも・・・。」
 
 ウィローはどうしていいかわからないと言った顔で、戸惑っている。
 
「ただでもらうわけにいかないなら、お金を払えばいいじゃないか。3人で貯めたお金は君のものでもあるんだから、遠慮することないよ。」
 
 我ながら投げやりな言い方になってしまったと思ったが、今の私にはそんな言い方しか出来なかった。
 
「そうだな。タルシスさん、お金はとにかく払っておきます。ウィローだけ特別扱いってわけにもいかないし・・・。」
 
 カインは自分の荷物の中からゴールドを取りだして数えはじめている。私も自分の荷物を引き寄せて、中を探り始めた。
 
「カイン、君の持っている分から500G出してよ。同じだけ私も出すよ。お互いの荷物の重さはあんまり変えないほうがいいと思うんだ。」
 
「そうだな。・・・しかし結構あったんだな。こんな大金を持ち歩いていたなんて、全然考えなかったよ・・・。」
 
 カインは他人事のような口調で、自分の荷物から引っ張り出したゴールドを眺めている。
 
「まあこんな重いものスリも取って行きようがないし、盗賊にも渡さなかったからね。」
 
「それもそうだよな・・・。ウィローのおかげでかえってほっとしたよ。」
 
 カインは大きな声で笑った。
 
「だ・・・だけど私・・・鎧がそんなに高いものだなんて・・・。クロービス、あの・・・あなたの鎧を貸してくれない?何とか使いこなせるように・・・。」
 
 ウィローが泣き出しそうな顔を私に向けた。
 
「でもナイトメイルのほうが軽くていいって言っていたじゃないか。」
 
「それはそうだけど・・・だめなの・・・?」
 
「だめって言うんじゃないよ。でもわざわざ使いにくい方を選ぶ必要はないじゃないか。」
 
「だってそんな高価なもの、今の私には分不相応よ。だからまずこっちのレザーアーマーを使いこなせるようになりたいの。ナイトメイルはそれから・・・。」
 
「そんな無駄なことのために私は自分の鎧を貸す気はないよ。これはありふれた鎧かも知れないけど、私にとっては大事な父の形見なんだ。」
 
「そんな言い方しなくたっていいじゃないの!この鎧があなたにとって大事なものだって、私だって知ってるわよ!だから少しの間だけ貸してちょうだいって頼んでいるのに・・・。どうしてそんな意地悪な言い方するの?私がオシニスさん達の訓練を受けることが気に入らないから?」
 
「・・・意地悪にしか聞こえない・・・?」
 
「だってそうじゃないの。」
 
「それなら、もう何も言うことはないよ。好きにすればいい。」
 
 私は自分のレザーアーマーを元通り箱に入れてタルシスさんの前においた。
 
「すみませんがもう一度預かってください。ウィローに渡すかどうかは、実際にウィローの訓練をしてくださるお二人にお任せします。」
 
「おい、お前はどこに行くんだよ?」
 
 入り口に歩き出しかけた私にカインが声をかけた。
 
「外の風にでもあたってくるよ。私がこれ以上ここにいても役に立ちそうにないし、少し頭も冷やしたいしね。」
 
「待てよ。」
 
 オシニスさんが立ち上がった。
 
「ここにいたらどうだ?俺にはお前の頭に血がのぼってるようには見えないんだがな。」
 
「でも私がここにいてはウィローに冷静な判断が出来そうにないですよ。」
 
 そうだ。今頭に血がのぼっているのは私じゃなくてウィローのほうなのだ。私がここにいることがその原因の一つなら、出て行けばもう少し冷静になれるのではないかと思ったのだが・・・。
 
「お前が今ここを出て行っても何の解決にもならん。この程度のことで取り乱すようじゃ、訓練以前の問題だからな。」
 
 オシニスさんは黙ったままのウィローに、鎧を一度脱いで、もう一度着てみてくれと言った。ウィローは脱ぐ時に少し手間取ったものの、二度目に着るときにはとてもスムーズに身につけることが出来た。するとオシニスさんは、次はナイトメイルを脱いで、レザーアーマーを着てみてくれと言う。ウィローは今度はナイトメイルを脱ぐ時もスムーズに脱ぐことが出来たが、レザーアーマーを身に着け始めるとあっという間に汗だくになった。
 
 ナイトメイルは一度体にあわせて部品を組み立ててしまえば、あとは非常に扱いが簡単だ。でも構造自体が違うレザーアーマーはそうはいかない。私がナイトメイルを買ったほうがいいと考えたのもその点だ。どんな時にもスムーズに脱ぎ着出来るというのは、かなり重要なポイントなのだ。『実戦』を前提に置いて訓練を受けようとするならば、まずはそこから考えていかなくてはならない。無論レザーアーマーだって何度も脱ぎ着しているうちに慣れてくるから、素早く身につけることは出来るようになる。だがそれまでの間は?鎧の着方から始めていたのでは、いつまでたっても満足な訓練など受けることが出来るはずがない。
 
 だからナイトメイルを手に入れておきさえすれば、そのあたりの心構えについてはオシニスさん達が教えてくれるだろうと私は考えていた。それにナイトメイルならば、ウィローが大けがをする心配も少なくてすむ。治療術があるとは言え、大けがを瞬時に治そうと思えば、負担がかかるのは呪文を唱える側だけではない。かけられる側にとってもそれは同じなのだ。そんなことを何度も繰り返していたら、体をこわすことだってある。だから出来る限り、ウィローの受けるダメージが少なくてすむようにしたかった。
 
「・・・どうだ?レザーアーマーとナイトメイルの違いがわかったか?」
 
「・・・はい・・・。」
 
 少し躊躇して、ウィローは小さな声で返事をした。
 
「どこが違う?ちゃんと言ってみてくれ。」
 
「ナイトメイルのほうが・・・脱ぎ着が楽です・・・。それに・・・厚みがないので動きやすいし・・・。」
 
「・・・そういうことだ。重さだけならレザーアーマーとナイトメイルにそんなに違いはないんだ。特にクロービスが使っていたレザーアーマーは、この種類の鎧としてはかなり上等なものだ。だから軽くて丈夫ないい革を使っているし、作りもしっかりしている。でも革だけで防御力を稼ごうと思えば、どうしても厚みが出るからな。その分だけ動きは制限される。その点ナイトメイルは薄いし、構造自体が動きを妨げないように出来ているから、特に体力のない女には向いているんだよ。」
 
「実際に着てみると、ナイトメイルがいいものだってわかります。でも・・・。」
 
 ウィローはまだ迷っている。ウィローの家はハース鉱山から送られてくるお金のおかげでカナの中でもかなり裕福な方だったらしいが、暮らしぶりは質素そのものだった。1000Gなどというお金なんて、多分今まで見たことだってないんじゃないだろうか。でもウィローの気持ちがわからないわけじゃないが、今は決断しなければならない時だ。
 
「こんな高価なものは分不相応だというわけか?」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ウィローは黙ったままうなずいた。すっかり困り果てているのがわかる。泣き出しそうな顔で、うつむいたまま唇を噛みしめている。オシニスさんの言うことはわかる、でも私達と旅している間に貯まったお金は「他人のお金」のようなものだから、はいそうですかと使うわけにはいかない、ウィローが今考えているのはそんなところだろう。でもお金の問題なんだろうか。1000Gは確かに大金だが、だからって自分の命と引き替えに出来るようなことなんだろうか・・・。
 
 オシニスさんとライザーさんはしばらくの間黙ったままウィローを見ていた。カインと私も、タルシスさんも、黙っていた。重苦しい沈黙が流れる。それを破ったのはオシニスさんの言葉だった。
 
「・・・カイン、クロービス、お前らはどう思う?」
 
 カインは顔を上げるとウィローをちらりと見て、少し困ったように小さくため息をついた。
 
「そうですね・・・もう結論は出てるんじゃないですか。一番いい物が目の前にあって、それを手に入れるための金もある。あとはウィローが自分で納得出来るか出来ないかの問題だけだと思うけど、俺に言わせりゃウィローの考えが甘すぎると思いますけどね。」
 
 カインが肩をすくめ、ウィローはますます泣き出しそうな顔になってカインを見つめた。
 
「甘すぎるってどういうこと・・・?こんな高価なものを人のお金で買おうという考えのほうが甘いじゃないの。だから悩んでいるのに・・・。」
 
「・・・俺が言いたいのはそんなことじゃないよ・・・!」
 
 カインはなおもなにか言いかけたが、開けかけた口をいきなり閉じて、またため息をついた。
 
「・・・やめた・・・。これ以上言うときつい言い方になりそうだから、やめておくよ。あと俺に言えるのは、君がここに来て鎧を買おうと考えたそもそもの理由がなんなのか、よく思い出したほうがいいってことくらいだな。」
 
「そもそもの・・・理由・・・。」
 
 ウィローはぼんやりとカインの言葉を繰り返している。そもそもの理由・・・。今のウィローがそのことを忘れているようにしか思えないのは私も同じだ。
 
「・・・なるほどな・・・。それじゃクロービス、お前の意見はどうだ?」
 
 オシニスさんがうなずき、私に振り向いた。
 
「私の・・・ですか・・・?」
 
 いきなり話の矛先が自分に向いたことで、私は少し焦って答えた。
 
「そうだ。王国剣士としてのお前の意見を聞きたい。」
 
「王国剣士としての・・・。」
 
 うまい言い方だ。王国剣士として・・・。ウィローの身を案ずるばかりのただの男としてではなく・・・。
 
「・・・カインの意見と同じです。ウィローは大事なことを忘れてる。ウィロー、君はこの鎧をなんのために買おうと思ったの?」
 
「それは・・・訓練してもらうのに鎧がないと出来ないから・・・。」
 
「・・・それじゃ聞くけど、訓練が終わったら?君はどうするつもり?もう鎧はいらない?」
 
「・・・そ、それは・・・。」
 
「鎧が必要なのは訓練の間だけじゃないよ。訓練が終わってからのほうが重要になってくるんだ。極端な言い方をすれば、訓練の間は鎧がなくたって何とかなるかも知れないよ。」
 
「どういうこと・・・?」
 
 私はテーブルの上に置かれたレザーアーマーを手に取り、胸当ての部分がよく見えるようにして、きょとんとして私を見ているウィローの鼻先に向けた。胸当ての左肩部分から中央にかけて、かなり幅の広い修理跡が残っている。
 
「オシニスさん達の訓練を最初に受けた時、ライザーさんの一撃をまともに受けて息が出来なくなった話はしたよね?」
 
 いきなり鎧を目の前に突き出され、後ずさりながらもウィローはうなずいた。
 
「これはその時の傷だよ。タルシスさんがずいぶんがんばって直してくれたけど、完全にきれいにはならなかったんだ。」
 
「確かにその傷はだいぶがんばって直したんだがなぁ。だいたいライザーの一撃をまともに受けて、胸当てが裂けなかっただけでも不思議なくらいだから、これで勘弁してもらうしかないだろうな。」
 
 タルシスさんが私の手元をのぞき込み、ため息をついた。
 
「あの時の傷か・・・。最初は手加減していたんだけどね・・・。僕も乗ってきて、つい力が入り過ぎちゃったんだよな・・・。こんな大きな傷をつくってしまって、君の父上に申し訳ないことしたよ・・・。」
 
 ライザーさんはすまなそうに頭をかいている。
 
「いえ、そんなことないです・・・。あの時の訓練のおかげで今の私があるわけですから、かえって父も喜んでいると思います・・・。」
 
 ウィローはレザーアーマーの傷をじっと見つめていた。こんな分厚い鎧の上からでも息が出来なくなるほどの一撃・・・。訓練だったから、息が出来なくなる程度ですんだのだ。もしも相手がモンスターだったら・・・彼らの目的は無論訓練などではないが、相手に傷を負わせることでもない。息の根を止めることだ・・・。
 
「こんな大きな傷がついたのに私の肋骨が折れなかったのは、ライザーさんが剣を振り下ろす直前に力を抜いてくれたからだよ。なぜ力を抜いたと思う?それが訓練だからだ。訓練は相手に怪我を負わせるのが目的じゃない。剣の腕を高めるためのものだ。でも実戦は違うよ。南大陸の西の森で、私が怪我をした時のこと憶えてるよね?あの時は君が治してくれた。何度も呪文を唱えてへとへとになりながら治してくれたんだってあとでカインに聞いたよ・・・。でももしも一人だったらどうする?必死で戦ってモンスターを撃退したのはいいけれど、自分は瀕死の重傷で呪文も唱えられなかったら?」
 
「だからそんなことにならないように訓練するのよ!」
 
 ウィローが腹立たしげに大声で叫んだ。
 
「どんなに訓練したって世界で一番強くなれるわけじゃないんだ!モンスターと戦うってことは、常に死と隣り合わせなんだってことを君はわかってない!今の君にとって分不相応なのは、ナイトメイルじゃなくてレザーアーマーのほうだ!そんなことにも気づけないようじゃ、いくら訓練したって自分の身を守るなんて出来るもんか!」
 
 今度こそ自分の頭にも血がのぼっているとはっきりわかった。ウィローの瞳の縁にみるみる涙がたまってくる。それでも私は怒鳴ることをやめなかった。
 
「1000Gは確かに大金だよ。でも自分の命を1000Gと引き替えに出来る?死んでしまったらそれまでじゃないか!君の命は、君の父さんの使命は、お金と引き替えに出来るようなちっぽけなものだったのか!?」
 
「わ・・私・・・。」
 
 ウィローは涙目でうつむいた。こんなふうに責めたくはなかった。泣かせたくなんてなかった。でも謝るつもりはない。
 
「オシニスさん・・・王国剣士として、これが私の精一杯の助言です。ウィロー、あとは君次第だよ。私達の言っていることの意図が理解出来ないのなら、君にオシニスさん達の訓練を受ける資格なんてない。」
 
 今の言葉で、ウィローがまた私に腹を立てても仕方ないと思った。王国剣士としてと言いながら、結局は訓練を受けさせまいとしていると思われたとしても、もういい。自分の言っていることが間違っているとは思わない。私はレザーアーマーをテーブルの上に戻し、そのまま入口に向かって歩き出した。今度は誰も止めようとしなかった。
 
 外に出ると気持ちのいい風が吹き過ぎていく。熱くなった頭を冷やすのにちょうどいい。そのまま私は歩き続け、村の北端にある小さな展望台まで来ていた。海鳴りの祠に比べればそんなに眺めがいいわけではないが、海が見えて気持ちのいい場所だ。
 
「泣いてるだろうな・・・。」
 
 一人つぶやく。ここに来るまでの間にもう頭は冷えていた。涙目のウィローの顔ばかりが浮かぶ。北大陸に来てから、ウィローの笑顔を見たのはいつだっただろう。誰かに向けたものではなく、私に向けられた笑顔を見たのは・・・。
 
「ははは・・・思い出せないな・・・。」
 
 いったいこんなことはいつまで続くんだろう。海鳴りの祠に行くまで?訓練が始まればウィローの機嫌は直るかも知れない。でも訓練を受けて実力がついたとして、そのあとは・・・。
 
「王宮に戻れるのが一番いいんだろうけど・・・どうなるのかな・・・。」
 
 カインと私はハース鉱山の騒動の首謀者としてお尋ね者になってしまっている。なんとしてもこの誤解をとかなければならないのだが、剣士団が王宮から追い出されてしまった今となっては、まずはそっちの問題を解決することが先決だ。剣士団が王宮に戻れば私達が真実をフロリア様に告げるチャンスもある。だが・・・オシニスさん達の話を聞く限り、フロリア様はハース鉱山での事件の全貌をご存じだとしか思えない。その上で私達をお尋ね者として追っているのだ。誤解だろうが濡れ衣だろうが、今の私は犯罪者だ。そんな男と一緒にいないほうがウィローのためにはいいかもしれない。
 
「どうするのが一番いいんだろうな・・・。」
 
 何の答えも浮かばない・・・。
 
 ため息をついたところで背後に足音が聞こえた。振り向くとカインが立っている。後ろにウィローもいた。
 

次ページへ→