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「母は・・・父の手紙を受け取った時から、私が北大陸に行きたいと言い出すだろうと思っていたようです・・・。村長も村の人達も、カインとクロービスが行方不明だったカナの鉱夫達を無事に連れて帰ってきてくれたことで、この二人を信用してくれましたから・・・。私も、知らない土地へ行くのは心細かったけど、でもあのまま村にいたのでは、私には何も出来ないですし、この二人が一緒だったから・・・。」
 
 ウィローの最後の言葉に、ランドさんがおや、と言うような顔をしたが、何も言わなかった。
 
「・・・もう遅い。そろそろ寝る準備をしないか?不寝番は僕らがやるから、みんな寝てくれていいよ。」
 
 沈黙を取り繕うかのようにライザーさんが空を見上げながら言った。
 
「お前らは大丈夫なのか?」
 
 ライザーさんにランドさんが心配そうに声をかける。
 
「この中で一番疲れてないのは僕達だからね。大丈夫だよ。」
 
「あ、俺達もやります。俺達もそんなに疲れてないし・・・。なあクロービス、大丈夫だよな?」
 
 カインが私に振り向いた。
 
「大丈夫だよ。ライザーさん、私達も一緒にやります。」
 
「でも君達は、今日やっと帰り着いたばかりじゃないか。」
 
「でも昼間は休めたし、大丈夫ですよ。」
 
「それなら、お前らは後番にしろ。俺達が先にやるから。」
 
「そうだな。それなら負担もそれほどじゃないか。それじゃカイン、クロービス、お願いするよ。」
 
 オシニスさんの提案で話が決まり、あとはみんなで寝る場所を作ることになった。ここは奥行きの浅い洞窟があるので、ここでキャンプを張る人達はテントを使わずにその中で寝ることが多い。だが、この中は実はけっこう冷える。夏の盛りならともかく、今の季節この中で女性が寝るのはかなりつらいだろう。そこで、洞窟にはハリーさん達とランドさんが寝ることになった。男ならちょっとくらい冷えても、小用が近くなる程度ですむ。そしてオシニスさん達とハリーさん達、それに私達が持っているテントを全部張って、そこにパティ達を寝かせることにした。ウィローも含めて女の子達はちょうど四人だ。一つ残ったテントをオシニスさん達と私達が交代で使うことができる。だが、問題は寝袋だ。パティもエミーもロゼも、そんなものは当然持っていない。結局テントを使うオシニスさん達と私達が、寝袋の中の毛布だけを使って、寝袋本体を提供することになった。準備を始めてすぐ、私は自分の荷物の中にウィローの寝袋を持っていたことに気づいた。船を下りた時に、ウィローの負担を少しでも軽くしようと、重くなりそうなものは全部私の荷物の中に詰め込んであったのだ。
 
「私の毛布も使ってくれていいのよ。」
 
 寝袋を受け取ったウィローが中の毛布を取り出そうとした。
 
「だめだよ。君は風邪気味なんだから、もう一枚毛布を掛けたほうがいいよ。私の毛布を貸してあげるから。」
 
「でも寝袋は貸してしまうんでしょう?あなたはどうするの?」
 
「マントにでもくるまれば何とかなるよ。今の季節は暖かいしね。」
 
「・・・ここはこれでも暖かい方なのね・・・。」
 
 ウィローが寒そうに二の腕をこすった。
 
「そうだよ。でも君にとっては寒いと思うから、とにかくあったかくしてね。」
 
「大丈夫よ。何とかなるわ。」
 
 ウィローは私の差し出した毛布を受け取らずにテントに入ろうとした。このキャンプ場所に来るまでも着いてからも何度くしゃみをしたかわからないというのに、ここで風邪をこじらせたらそれこそオシニスさん達の訓練を受けるどころではない。
 
「いいから!」
 
 ウィローの頑固さに少し苛立って、私はウィローの腕をつかむと引っ張るようにして一緒にテントに入った。ウィローの寝袋を強引に受け取り、それを広げて自分の毛布を中に入れた。これで中にもぐればかなり温かいはずだ。
 
「・・・これでいいよ。」
 
「ありがとう・・・。」
 
 薄暗いテントの中では顔はよく見えないが、ウィローの声にはさっきのような冷たい響きがなかった。その途端、苛立ちにまかせて声を荒げた自分が無性に恥ずかしくなった。
 
「ごめん・・・大きな声を出したりして・・・。頭は痛くない?熱は?」
 
 尋ねながら、ウィローの額に手を当てた。熱はなさそうだ。今のところは・・・。
 
「大丈夫よ。もう平気。」
 
「そうか・・・。とにかく、無理は禁物。体をこわしたら元も子もないよ。」
 
「そうね・・・。」
 
 いつものつもりでテントの中の仕切布を降ろそうとしてハッと気づいた。今日ここでウィローの隣に寝るのは私じゃない。パティか、ロゼか・・・それともエミーか・・・。
 
「仕切布はいらないね。私は今日はあっちのテントだから。それじゃ、お休み。」
 
「・・・お休みなさい・・・。」
 
 昼間の話を蒸し返すのはやめにした。今ここでその話を持ち出しても、結局平行線で終わるだけだ。とりあえず今は、口をきいてくれただけでもよしとしなければならない。出来るなら抱きしめて、いつの間にか習慣になっていたお休みのキスもしたかったけれど・・・手を伸ばしてもまたさっきのように拒絶されたらよけいに悲しくなりそうで、それも出来なかった。重い気分のままテントを出て、焚き火のそばに立っているカインのところに行った。
 
「ウィローは大丈夫なのか?」
 
「毛布をもう一枚かけたからそんなに寒くはないと思うけど、どうかな・・・ずっとくしゃみのしっぱなしだったから、安心は出来ないね。」
 
「そうか・・・。今風邪をこじらせたりしたら、訓練どころじゃないからな。」
 
「そうだね・・・。」
 
 カインは急に私の耳元に顔を寄せた。
 
(情けない顔だな・・・。結局、交渉は決裂か・・・?)
 
(・・・そうだね・・・。後で話すよ。)
 
(そうか・・・。)
 
 そこに誰かの足音が近づいて来た。
 
「クロービス、あなたの寝袋を貸してくれる?」
 
 エミーだった。
 
「いいよ。」
 
 断る理由もない。手渡された寝袋を見てエミーが首をかしげた。
 
「中の毛布はどうしたの?」
 
「ウィローに貸したんだ。風邪をひいているからね。」
 
「・・・ウィローさんに・・・?それじゃあなたはどうするの?」
 
「マントにでもくるまって寝るよ。」
 
「そんなわけにはいかないわよ。あなたが風邪をひいてしまうわ。」
 
「大丈夫だよ。私は寒さには慣れているんだ。」
 
「でも、どうしてあなたが・・・」
 
「エミー!」
 
 今度はパティが近づいてきた。なんだか怒っているような声だ。
 
「エミー、あなたは向こうのテントで寝なさい。私がクロービス達のテントを借りるわ。」
 
「あら、私クロービスに寝袋を借りてこっちのテントで寝ようと思ったのよ。いいでしょ?」
 
「いいえ。あなたは向こうで寝なさい。」
 
 パティの口調は有無を言わせない。
 
「どうしてお姉ちゃんがそんなことを言うの?」
 
「お願いだから向こうのテントで寝てちょうだい。ロゼはとても心細い思いをしているのよ。森の中でもあなたがずっとついていてくれて、とてもうれしかったって言っていたわ。だから今夜は一緒に寝てあげて。」
 
「でもロゼさんはお姉ちゃんのお友達なんでしょう?お姉ちゃんが一緒にいてあげれば・・・。」
 
「エミー!」
 
 パティの怒鳴り声にエミーはびくっとして口をつぐんだ。そして口をへの字に曲げてパティを睨んでいたが、渋々ハリーさん達のはったテントに引き上げていった。何かぶつぶつ言っている。
 
「クロービス、ごめんなさいね・・・。あなたが南大陸に行く前のことなんてあの子の頭の中には残ってないみたい・・・。あなたが生きていたのがうれしくてしょうがないのよ・・・。」
 
「・・・・・・・。」
 
 何とも答えようがなかった。
 
「・・・ねえクロービス、間違っていたらごめんなさいね。ウィローさんて・・・あなたについて来たんじゃないの?」
 
「・・・え・・・?」
 
 この質問には不意をつかれた。さっきの話の中では一言もそんな話はしなかったのに・・・。
 
「ランドが言っていたのよ。もしかしてウィローさんは、あなた達のどちらかについてきたんじゃないかって。さっきあなたが向こうで見張りをしていた間、ウィローさんも一緒にいたみたいだから、あなたのほうかなぁって思ったの。」
 
「君にもランドさんにも隠しごとが出来ないね。」
 
 さすがに採用担当官と案内嬢だ。この二人の目はごまかせない。
 
「ふふふ・・・。ランドも私も、人を見るのが仕事ですもの。他の人が気づかなくても私達にはお見通しよ。でも・・・あなたとウィローさんのことは、エミーも気づいたかも知れないわね。どうしてさっき何も言わなかったの?ことさらに騒ぎ立てるようなことじゃないとは思うけど、でも内緒にするのもおかしいわ。」
 
「・・・内緒にする気なんてなかったよ。でも昼間、ウィローとちょっともめちゃって、ずっと口をきいてなかったんだ。さっき見張りをしてた時だってろくに話も出来なかったしね・・・。」
 
「もめたってなに・・・?あ、あぁ、ごめんなさい。そんな立ち入ったことを聞いたらいけないわね。そうだったの・・・なるほどね。さっきちょっとだけあなたのこと疑っちゃった。ごめんなさい。」
 
「疑ったって・・・なにを?」
 
「あなたとウィローさんのことは何となくわかったんだけど、その割にエミーにも笑顔で接していたから、どっちにもいい顔したいのかしら、なんて思っちゃったの。悪かったわ、そんなこと考えたりして。」
 
 パティは肩をすくめながら、私に向かって拝むような仕草をした。
 
「・・・そんなことしないよ。・・・私が南大陸に行っている間に、エミーが私のことなんて忘れてくれたらと思ってたけど、それはムシのいい考えだったのかな。」
 
「そうね・・・。私もそうなってくれたらよかったのにと思ってた・・・。あなたのことをきれいに忘れさせてくれるような、別な誰かが現れてくれないかしらって・・・。でもだめだったみたい・・・。実を言うとね、ずっと前あなたとエミーが顔見知りだって聞いた時は私の妹に手を出さないでなんて言ったけど、あなたのことをよく知るに連れて、こんな人がエミーのそばにいてくれたらいいなあなんて私も思ってたの。でも仕方ないわね・・・。」
 
「・・・気持ちを返してあげられないのに、必ず帰ってくるからなんて約束しなけりゃよかったのかな・・・。」
 
「その時のことはエミーに聞いたけど・・・もしもあなたの立場に私がいたら、きっと同じことを言っていたと思うわ。あなたに責任はないわよ・・・。」
 
「いや・・・結局半端な態度を取ってしまった私が悪いのかも知れないよ・・・。やっぱり私にとってエミーは妹みたいな存在なんだ。今日改めて思ったよ。」
 
「そう・・・・。いいのよ、気にしないで。エミーのことは私が何とかするわ。」
 
「君達はこれからどうするの?」
 
「とりあえずローランに行くわ。叔父夫婦が住んでいるの。そこにしばらくいて、家に戻れそうなら戻るわ。ロゼも一緒よ。」
 
「そうか・・・。私達も一度ローランに行くから、そこまでは一緒だね。」
 
「そうね。また迷惑をかけることになるかも知れないけど・・・。」
 
「大丈夫だよ。」
 
「ありがとう、それじゃお休みなさい。」
 
 パティは微笑んで、テントに向かっていった。
 
 
「・・・あらごめんなさい。起こしちゃったわね。」
 
「いえ・・・大丈夫です。」
 
「さっきは自己紹介もしなくてごめんなさい。私は王宮の案内係だったパティよ。よろしくね。」
 
「はい・・・・・・・・・。」
 
 テントの中から声が聞こえて来たが、ウィローの声は小さくて聞き取れなかった。カインと私はオシニスさん達のテントを借りて中に潜り込んだ。ライザーさんが毛布を貸してくれたので、マントにくるまって寝ることにはならなくてすんだ。横になった途端に眠気が押し寄せ、夢も見ないで目が覚めた。ちゃんと眠れたのかどうかさえよくわからない。不寝番の交代をしようと外に出ると、オシニスさん達と一緒にランドさんが座っていた。
 
「・・・の時には、必ず俺にも声をかけてくれよ。絶対だぞ!」
 
「わかったよ。そんなにしつこく言わなくたって忘れないから心配するな。」
 
「わざと知らせないってのもなしだからな。」
 
「わかったってば。うるさい奴だな、まったく。」
 
「お前はうるさいくらいに言っておいてちょうどだ。」
 
 ランドさんとオシニスさんのやりとりが聞こえてきたが、途中から聞いたのでなんの話かはわからなかった。
 
「ランド、君ももう寝たらどうだ?カインとクロービスが起きてきたぞ。」
 
 ライザーさんの声でランドさんが私達に振り向いた。
 
「交代の時間か?」
 
「はい。皆さん休んでください。あとは私達がいますから。」
 
「よし、寝るかぁ。今日はめまぐるしい一日だったからなぁ。」
 
 オシニスさんが大きくのびをする。
 
「俺もさすがに疲れたな。どれ、ハリー達の歯ぎしりでも聞きながら寝るとするかぁ。」
 
「あ、ライザーさん、毛布ありがとうございました。」
 
「ああ、よく眠れたかい?」
 
「はい。なんだか横になった途端に眠くなって・・・。」
 
「そうか・・・。これからの時間ならそれほど心配いらないとは思うけど、最近のモンスター達の動向を考えると気は抜けないからね。よろしく頼むよ。」
 
「はい、任せてください。」
 
 3人が寝床に引き上げていって、私達二人だけになった。
 
「・・・さっき、ランドさんとオシニスさんは何話していたんだろうな。」
 
 カインが首をかしげる。
 
「絶対声をかけろとか何とか言っていたよね。」
 
「うん・・・。あの3人だけのことなのか、剣士団全体のことなのかわからないけどな・・・。」
 
「全体の話なら、明日海鳴りの祠に行けばわかるよ。」
 
「そうだな・・・。」
 
 さすがに夜中は肌寒さを感じる。カインは手に持った木の枝で焚き火を少しかき混ぜた。火の粉があがり炎が大きくなって、少し暖かくなったような気がした。
 
「お前はどうするんだ?ウィローのこと・・・。」
 
「どうって・・・どうしようもないよ。明日ローランに着けばタルシスさんのところで鎧を買って、明後日には海鳴りの祠で訓練を始めるんだろうね・・・。」
 
「お前が折れる気はないのか。」
 
「折れるも何も・・・ウィローは私の同意なんて必要としていないんだからどうしようもないじゃないか。さっき見張りに立っていた時も言われたよ。お父さんの遺志を継ぐための第一歩だから、本気だって。」
 
「そのことを言うためにウィローはあそこに残っていたのかな・・・。」
 
「ウィローがあそこにいたのなら言ってくれたらよかったのに・・・。森の中に気を取られていて全然気づかなかったんだ・・・。」
 
「別にそれは俺のせいじゃないじゃないか。」
 
「・・それはそうなんだけど・・・。」
 
 確かにその通りだ。ウィローの気配に気づかなかったのは、ただ単に私の未熟さのせいであってカインの責任じゃない。
 
「・・・エミーのことは何か言われなかったのか。」
 
「・・・言われたよ・・・。」
 
 私はウィローから言われた言葉をカインに話した。
 
「個人的なこと・・・かぁ・・・。確かにその言葉は痛いよなぁ・・・。」
 
 カインがため息をついた。まるで自分が言われたような顔をしている。
 
「話し合いにも何もならなかったよ。ウィローが一方的に言いたいことを言って終わりだったからね・・・。」
 
「なんだかずいぶんと頑なだなぁ・・・。う〜ん・・・。」
 
 カインは唸りながら首をかしげている。
 
「オシニスさん達の訓練は、意地だけで受けられるような生やさしいものじゃないってのに・・・いくらこっちが心配しても全然わかってくれないんだから・・・。」
 
 思わず愚痴がこぼれる。
 
「ウィローが意地だけで言ってると思うのか?」
 
「・・・さぁね・・・。でもあんな言い方をされたら、そう言いたくもなるじゃないか。」
 
 またため息が出る。
 
「なあクロービス。」
 
「ん?」
 
「それじゃ聞くが、お前は全然意地はってないか?」
 
「私は意地なんて・・・。」
 
 言いかけて言葉につまる。
 
「本当に言い切れるか?ん?」
 
 カインは言いながら、いたずらっぽい瞳で私の顔をのぞき込んでいる。
 
「・・・・・・・。」
 
 黙っている私に、カインは『そら見ろ』と言わんばかりの表情でニッと笑った。
 
「まったく・・・二人して意地の張り合いしててどうするんだよ。」
 
「そんなこと言ったって・・・。」
 
「いきなりあんなことを言い出す前に、一言くらい相談してくれてもよかったのにってか?」
 
「わかってるんじゃないか。」
 
「俺がわかったってしょうがないじゃないか。」
 
「そりゃそうだけど・・・だまって無茶ばっかりするんだから・・・。」
 
「それじゃ相談されていたとしたら、お前は賛成していたのか?」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 また言葉につまる。事前にどんな相談を受けようと、私の答はきっと同じだ。そしてやっぱり今と同じことになっていたと思う。
 
「ま、素直になりたくてもウィローがあの調子じゃ無理か・・・。それに、ウィローもエミーとお前のあんな仲のいいところを見たら、素直になるものもなれなくなっちまうんだろうしなぁ・・・。」
 
「別に仲良くしたくてしてるんじゃないよ。でもずっとそばから離れてくれないし、お茶を持ってきてくれたりすれば笑顔でお礼を言うのは当たり前じゃないか。ことさらに冷たい態度を取ったり振り払ったりするわけにはいかないよ。」
 
「まあそりゃそうだろうな。となると、どっちかが先に折れない限り、この冷戦状態はいつまでも続くぞ?」
 
「いやなこと言わないでよ。今日一日でもうたくさんだって言うのに・・・。」
 
「それならお前が折れろよ。」
 
「話し合いのしようもないのにどうしようもないじゃないか。」
 
 私はまだ、ウィローがオシニスさん達の訓練を受けることに賛成する気になれないでいる。こんな気持ちのまま、口先だけで何を言っても意味がない。それに折れると言っても具体的にどうすればいいのか。悪かったとか許してくれとか、謝罪の言葉を言うのは簡単だが、そもそも私はウィローに対して何一つやましいことはない。なのに謝ったりしたらいらぬ誤解を招くだけだ。
 
「・・・それじゃずっとこのままか?」
 
「・・・・・・・・。」
 
 ずっとこのままなんて冗談じゃない。でもオシニスさん達の訓練のことはともかく、エミーのことでまで腹を立てられても私にはどうしようもない。
 
「とにかく・・・。」
 
「とにかく・・・?」
 
 カインが尋ね返す。
 
「ウィローの風邪を治す。」
 
「・・・へ・・・?」
 
 カインは拍子抜けしたように間抜けな声をあげた。でも今のところ私の頭にはこれしか思い浮かばない。
 
「だって昼間もさっきもくしゃみばっかりして、あれは風邪の初期症状だよ。今のうちに薬を飲んで治しておかなくちゃ、海鳴りの祠に着いた途端にばったりになりかねないよ。」
 
 私は不寝番をする時にいつも持ってくる小さな巾着袋の中をかき回して、薬草を探し始めた。この中には紅茶やコーヒー、それに夜中に空腹になった時のためにほんの少しビスケットなどを入れてある。その一番奥に、私が父から教わったあの薬草茶の材料があった。
 
「明日の朝はこれを飲んでもらうよ。それから、出来れば明日の夜はローランの宿屋に泊まりたいんだけどいいかな?」
 
「俺はいいけど、どうして?急げば海鳴りの祠まで行けるぞ?」
 
「明日一日はこの森を抜けるために歩かなくちゃならないから、薬を飲めるのは明日の朝と、夜だけなんだよね。せめて明日の夜は宿屋のあったかいふとんでゆっくり眠らないと、いつまでもよくならないよ。本当はお風呂にも入らない方がいいんだけど、今の状態でそんなことを言っても聞いてくれないだろうなぁ・・・。」
 
 話しながら、調合してある一日分の薬草の束から、朝の分だけをより分けた。どうせこのまま朝までいるのだから、みんなが起きる少し前に煎じておけばいい。食事時にこの薬草茶の匂いをみんなにかがせるのは少し気の毒だ。
 
「なるほどな。するとウィローの決意を応援するってことか?」
 
「応援したくはないけど・・・あの調子じゃ何を言っても聞かないだろうし、だからってただ黙って見てるなんてごめんだよ。せめて体調を整える手助けくらいはするさ。そのあとの訓練はウィロー次第なんだから。」
 
「素直じゃないなぁ。」
 
「意地を張りたい時だってあるじゃないか。」
 
「ははは・・・そうだな・・・。」
 
 カインは笑って、地面にごろりと仰向けになった。
 
「ああ・・・東の空が明るくなってきたぞ。そろそろ朝か・・・。南大陸の空を見慣れていると、北大陸がなんだかどこかよその土地みたいな気がしてくるな・・・。」
 
「ずっとここにいたはずなのにね・・・。」
 
「うん・・・不思議だな・・・。」
 
 私はみんなが起き出す前に薬草を煎じた。ちょうど一回分の薬が出来上がった頃、まずライザーさんが起き出してきた。
 
「懐かしい匂いだな・・・。ウィローの薬かい?」
 
「はい・・・。あの調子じゃほっといたら今夜あたりから熱を出しますから。」
 
「僕らも、体調の悪い相手と訓練は出来ないからなぁ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ライザーさんが、黙り込んだ私をちらりと見たのがわかったが、黙っていた。訓練のことは肯定も否定もしたくない。ウィローの望むとおりにさせてやりたいという思いと、心配でどうしてもやめてほしいと思う心が私の中でぶつかり合っている。ライザーさんは私の隣で食事の支度を始めた。
 
(せっかくライザーさんに会えたのに・・・あの時の話をする時間もないな・・・。)
 
 そう・・・私はこの人にこそ頭を下げなければならないのだ。ひどいことを言ってすまなかったと謝らなければならないのだ。なのに今回の騒動でそのきっかけすらつかめないでいる。
 
 
「ふわぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」
 
 食事の用意を始めて少しした頃、長い長いあくびと共に起きてきたのはキャラハンさんだった。
 
「あふ・・・くろーびひゅ・・・ぼくもひょくじのよういてつらうよ・・・。」
 
 あくびで伸びきったあごの筋肉がまだきちんと締まらないうちにしゃべろうとするのでろれつが回らない。まあなんと言っているのかはかろうじてわかる。
 
「キャラハン、申し出はありがたいけど、その前に小川の水をたっぷり顔にかけて目を覚ましてきてくれないか。前みたいに砂糖と塩を間違われるのはごめんだからね。」
 
「ひゃ、ひゃい・・・らいじゃーひゃん・・・。」
 
 キャラハンさんはもう一度大きなあくびをして目をこすりながら、夢遊病者のような足取りで小川のほうに歩いていった。あの調子では足を滑らせかねない。
 
「大丈夫かな・・・キャラハンさん・・・。」
 
 カインも心配そうにキャラハンさんの後ろ姿を目で追っている。
 
「落ちれば音がするからすぐわかるよ。」
 
 ライザーさんはさらりと言ってのける。キャラハンさん達と一緒にいる時は、細かいことをいちいち気にしていたらきりがないのかも知れない。やがて少しずつみんなが起き出してきた頃、ウィローがパティと一緒にテントを出てきた。ウィローは自分の寝袋を持っているが、昨夜私が自分の毛布も中に入れたので重そうだ。足許も心なしかふらついているように見える。
 
「おはようございます。食事の用意なら私もお手伝いするわ。」
 
 パティが明るく声をかけてきた。ウィローを見ると何となく目が潤んでいて、ぼんやりしているように見える。パティに続いて食事の用意に手を出そうとしたウィローの手をつかんで額に手を当てた。少し熱い。昨夜は何ともなかったけど、このままでは夜にならないうちに熱があがるかも知れない。
 
「あ、な、なに?」
 
 いきなり腕をつかまれて、ウィローは戸惑って手をふりほどこうとしたが、私は離さなかった。
 
「熱があるよ。・・・やっぱり本格的に風邪ひいたみたいだね・・・。」
 
「大丈夫よ、これくらい。」
 
「無理して倒れたらどうするつもり?」
 
「・・・倒れたりしないわよ。」
 
 私は薬草茶の入った器を差し出した。
 
「・・・なにこれ?」
 
「風邪薬だよ。苦くても飲んでもらうよ。」
 
「大丈夫だってば。私は・・・」
 
「ウィロー。」
 
 ライザーさんがウィローの言葉を遮った。
 
「・・・はい・・・。」
 
「僕は熱があってもやせ我慢して足許をふらつかせているような相手に、本気で訓練をするつもりはないよ。」
 
 ウィローがびくっと体を震わせ、息をのむのがはっきりとわかった。
 
「昨日の君の決意が本物なら、どうするべきかは自ずとわかるはずだ。」
 
「・・・・・・・・・。」
 
 ウィローは唇を噛みしめ黙り込んだ。顔は青ざめていたが、それは今ライザーさんに言われたからだけではなく、風邪のせいもあるのだろう。
 
「・・・その薬を飲むわ・・・。」
 
 私の手から薬草茶を受け取り、ウィローは一気に飲み干した。
 
「う〜〜っ・・・。」
 
 思い切り顔をゆがめ声にならないうめき声を漏らしている。相当苦かったに違いない。
 
「今日の夜はローランに泊まりだから、あとは夜も飲んでもらうからね。」
 
「ローランに?」
 
 ウィローが顔を上げた。目に涙がにじんでいるようにも見える。薬の苦さはなかなか口の中から消えてくれないらしい。実は今回私がウィローに飲ませた薬は、カインが以前風邪をひいた時に飲んだ薬よりも数倍苦い。カインの時は、どうせ私が戻るまでに何日もあったからそれまでに治ればいいと考えていたし、何よりカインは薬そのものが苦手だったから、そんなに効き目の強い、つまり苦い薬は作らなかった。でも今回は事情が違う。これからしばらく海鳴りの祠に住むことを考えれば、治るまで何日もかけてはいられない。あの場所ではみんなテントと寝袋の生活のはずだ。治るどころか悪化する危険性もある。とにかく早く効いてくれる薬が必要だった。では効きさえすればいいのかというとそうも言えない。単なる煎じ薬とは言え、強い薬は胃を荒らすこともある。せっかく風邪がよくなっても代わりに別なところが悪くなったのでは意味がない。今朝の薬は、私なりに効き目と副作用のぎりぎりの点を見切ったものだった。
 
「そうだよ。今日の夜はローランに泊まって、明日の朝早くに海鳴りの祠に向かうよ。」
 
「そう・・・。」
 
 ウィローはローランと海鳴りの祠がそれほど遠くないことを知らない。不審がる様子も見せずにうなずいていたのだが・・・。
 
「ふわぁ〜〜おーい、キャラハン、どこだぁ?」
 
 どうやらやっとハリーさんが起き出したらしい。
 
「こっちこっち。いやぁ、やっと目が覚めたよ。」
 
 今度ははっきりとしゃべりながら、キャラハンさんが小川から戻ってきた。
 
「さぁて、やっと海鳴りの祠に戻れるのか・・・。」
 
「その前にローランに寄ろうよ。ちょっとくらい寄り道したってすぐに戻れるし。」
 
「そうだなあ。ローランのカフェでコーヒーでも飲んで、疲れをいやしてから戻りたいもんだ。」
 
「暗くなるまでに着ければいいんだもんね。」
 
 二人の声に聞き入っていたウィローが、責めるような目で私に向き直った。
 
「・・・連れて行ってもくれないつもりなの?」
 
「明日の朝行くって言ったじゃないか。」
 
「今日の夜だって着けるじゃないの。どうして?」
 
「だからそれは・・・」
 
 言いかけた私の言葉は途中で消えてしまった。いきなり背後から目隠しをされたからだ。
 
「お・は・よ・う。」
 
 柔らかくて温かい手がしっかりと私の目をふさいでいる。
 
「エミー・・・今刃物を使ってるんだよ。」
 
「あ、あらやだ。ごめんなさぁい。食事の支度の途中だったのね。」
 
 いつものエミーとは違う、妙に鼻にかかった甘ったるい声を出す。
 
「見ればわかるじゃないの。今頃起きてきて、じゃままでしないで。」
 
 パティに怒られてエミーはちょっとだけシュンとなったが、すぐにへへっと小さく笑いながら肩をすくめた。パティの叱責など慣れっこだとでも言わんばかりだ。そして当然のように私の隣に腰を下ろした。
 
「ふぅん・・・これだけの人数になると、食事の支度も大変よねぇ。」
 
 エミーは一通りそこにいた顔を眺め渡した。ライザーさんの後ろでは、キャラハンさんとハリーさんが鍋類を出し始めている。
 
「おい、今日はお前は手を出さないでくれよ。せっかく料理上手が揃ってるのに。」
 
 ハリーさんの不安げな声。
 
「おや、その言葉は心外だなぁ。僕だってなかなかいけてると思うけどな。」
 
「レシピの通りに作ればな。途中で必ずお前の『創意工夫』が入るじゃないか。お前の創作料理の実験台はいつも俺なんだ。今日だけはまともなものが食えると期待してるってのに。」
 
 以前南地方に仕事で出かけた時、何度かこの二人と一緒になったことがある。キャラハンさんの料理の腕はなかなかなんじゃないかと思うのだが、作っている途中で必ずと言っていいほど『こんなの入れてみようかな』と突飛なことを思いついて、すぐさまそれを実行してしまう。さっきライザーさんが言ったように砂糖と塩を間違えて入れる程度ならまだましな方だ。
 
「おいキャラハン、俺からも頼むよ。今日は鍋類の準備だけにしておいてくれ。人手はたくさんあるんだからな。」
 
 あきれたような顔で二人のやりとりを聞いていたオシニスさんが口を挟んだ。
 
「オシニスさんまで・・・。まあいいですよ。昨日の夜飲んだスープはすごくうまかったから、ウィローにレシピを聞いておこうかな。」
 
「おいキャラハン、せっかく聞くんだから正確に聞いてくれよ。正確にな。」
 
 ハリーさんがくどいほどに念を押している。キャラハンさんはそんな言葉を聞いているのかいないのか、にこにこしながらウィローに近づいてきた。
 
「おはよう、ウィロー。昨日の夜のスープの作り方を教えてよ。」
 
「は、はい。おはようございます。でも私の作り方なんてそんなたいしたものじゃ・・・。」
 
 あまりにも屈託ないキャラハンさんの笑顔に、ウィローのほうが戸惑っている。
 
「たいしたものだよ。あんなにうまいんだからさ。ハリーの奴がうるさいから詳しく教えてくれるとうれしいな。」
 
 キャラハンさんはハリーさんを指し示しながら大げさに眉をひそめてみせた。その仕草にウィローがクスリと笑った。久しぶりにウィローの笑顔を見ることが出来た。・・・昨日の昼間以降、私には絶対に見せてくれなくなってしまった笑顔だ。
 
「それじゃこれからちょうど始めるところですから、えーと・・・野菜はあるものを使って・・・。」
 
 ウィローはスープを作りながらキャラハンさんに説明を始めた。いくら大人数だと言っても、ある程度まで準備が進めばあとはそんなに手はかからない。特に今朝は、スープとソーセージ以外は火を使わずに食べられるものばかりにしたので、ライザーさんに少し席を外しますからと耳打ちをして私は立ち上がった。ウィローの隣に置かれたままになっている寝袋を拾って、テントに向かう。でもそのためにわざわざ立ち上がったわけじゃない。エミーの隣にいたくない。いつもの、というより、私が南大陸へと向かう前のエミーじゃない、別な誰かと話しているような気がしてちっとも落ち着かない。荷物をまとめていつでも持ち出せるようにしてから外に出ると、そのエミーが立っている。
 
「どうしたの?もう食事が出来るから向こうにいた方がいいよ。」
 
 エミーは答えず、じっと私を見つめている。
 
「・・・なに・・・?」
 
「やっぱり・・・そういうことなのね・・・。」
 
「そういうこと・・・って、なにが?」
 
「あなたがウィローさんの寝袋を自分の荷物にしまう理由よ。昨夜からそうじゃないかと思っていたけど、さっきのあなたを見ていて確信が持てたわ。私の勘ははずれてないわよね?」
 
 いつかは言わなくてはと思いながらきっかけがつかめずにいたことだったが、エミーのほうから話を切り出してくるとは思わなかった。
 
「・・・当たってるよ。」
 
「・・・そう・・・。南大陸で出会って、彼女はあなたについて来たってわけね。」
 
 エミーは妙に落ち着いている。からかうような笑みまで見せながら、ゆっくりと私に歩み寄ってきた。
 
「南大陸がどれほど遠いところか、図書室で仕事をしている時レディ・マリーに聞いたわ。そんなところからついてきてしまうほどあなたのことが好きなはずなのに、ウィローさんたら冷たいのね。さっきだってあなたに文句ばかり言っていたみたいだし。」
 
 私とウィローの険悪なやりとりを、エミーはしっかり聞いていたらしい。
 
「ウィローがここまで来たのは、私のことだけが理由じゃないんだよ。」
 
「あらそうなの?でも別に聞かなくていいわ。私にとってはそれほど重要なことじゃないから。」
 
「君にとってはそうでもウィローは一大決心をしてここまで来たんだよ。だからそんな言い方・・」
 
 いきなりエミーが抱きついてきて、言葉がとぎれた。エミーの唇が私の口を塞いでいる。私は慌ててエミーを押しのけた。
 
「な・・・!いきなり何するんだ!?」
 
「何って・・・キスしたのよ。」
 
 エミーはやっぱり平然としている。
 
「エミー、君はおかしいよ。いったいどうしたって言うんだ!?」
 
「どうもしていないわ。私は何も変わってないもの。ずっとあなたのことが好きで、ずっと待ち続けていたのよ。変わったのはあなたのほうだわ。」
 
「・・・私が・・・?」
 
「そうよ。南大陸へ行く前は、あなたは誰も好きな人がいなかったのに、今はウィローさんのことが好きで、それに・・・。」
 
「・・・・それに・・・・?」
 
「・・・前よりずっと・・・すてきになったわ・・・。」
 
 エミーが頬を染めてうつむいた。
 
「私決めてたのよ。あなたが帰ってきたら・・・もうあなたとお友達のふりをするのをやめようって。本当はね、あなたと初めて会った時からずっと気になっていたの。だから王宮のロビーでもう一度会えた時はすごくうれしかったわ。でもその気持ちを素直に出すことが出来なくて、お友達のふりをしてずっと自分の気持ちをごまかしてきた・・・。いつかあなたが気づいてくれるかも知れないって、そう願いながらね・・・。」
 
 エミーは急に顔を上げ、睨むように私を見つめた。
 
「その結果がこれよ!あなたはウィローさんと出会って、恋に落ちて・・・私は『お友達』のまま取り残されて・・・。そんなの・・・そんなのもういやよ!私はあなたが好きなの!この気持ちは誰にも負けない!だから私はもうあなたのお友達じゃないわ!あなたに恋する一人の女よ!」
 
「・・・でも君の気持ちには応えられないんだ・・・。何度言われてもそれは変わらないよ。」
 
 それだけ言うのがやっとだった。あまりにも強いエミーの気持ちを感じて息がつまりそうだ。エミーは言うだけ言うとにっこりと笑った。でも今の私にはぞっとするような笑みに見えた。
 
「そろそろ戻りましょ。食事を食べ損なうと森を抜けるまでに倒れそうだわ。」
 
 私の言葉など何も聞かなかったかのようにさっさと歩き去るエミーの後ろ姿を、私は呆然と見送っていた。どうしたらいいのか何も思いつかない。ため息を一つついて、とにかく食事を終わらせるために私も焚き火のところに戻った。
 
 
 キャンプ場所を出たのはもうだいぶ陽が高くなってからだった。私達王国剣士やウィローはともかく、旅などめったにしたことのない女の子3人を連れているだけで準備に手間取る。エミーはさっき宣言したとおり、何かにつけて私にまとわりついてきて、まわりがなんと思おうと一切気にするつもりはないといった雰囲気だ。それでも出発したあとは、ロゼを気遣って彼女と一緒に歩いている。先頭にオシニスさんとライザーさん、その後ろをランドさんが歩く。次がカインと私だ。私達の後ろにロゼとエミーが並んで歩き、そのさらにずっと後ろをパティとウィローが歩いている。しんがりがハリーさんとキャラハンさんだ。
 
 彼らの漫才みたいな掛け合いがここまで聞こえてくる。彼らの会話を聞いていると知らず知らずのうちに笑顔になったものだが、今の私には笑う余裕もない。いつの間にかなくなっていた寝袋について、ウィローは私をちらりと見ただけで話しかけてこようともしなかった。昨日よりもさらに頑なになったような気がする。さっきのエミーと私の会話を聞いていたのではないかと思えるほどだ。
 
(なんだか一日でやつれたみたいだな・・・。)
 
 カインが小声で話しかけてくる。
 
(10年分くらい老け込んだ気分だよ・・・。)
 
(あんまり考え込むなよ・・・。宿に着いたらいくらでも聞いてやるから・・・。)
 
 カインの言葉に少しだけほっとして、私はうなずいた。カインに言っても別に解決出来るわけじゃない。でも聞いてくれる相手がいるだけでもだいぶ気の持ちようは違ってくるものだ。
 
「きゃあっ!!」
 
 突然聞こえた悲鳴に振り返ると、森の中から異様なモンスターが出てきていた。私はとっさに矢を一本つがえ、一番近くにいたモンスターの肩のあたりに向けて放ち、すぐさま飛び出した。その時何かが担いでいた荷物に引っかかったような気がしたが、かまわず荷物をその場に落として駆けだした。モンスター達はちょうどパティとウィローが歩いていた真ん前に出てきたらしく、パティは青くなって座り込んでいる。さっきの悲鳴はパティのものらしい。ハリーさん達はもう剣を抜いて応戦している。ウィローも鉄扇を抜いてなかなかの立ち回りを見せていた。私が放った矢は、間違いなくモンスターの肩口に命中していた。たいていのモンスターはこれで逃げていくものなのに、こいつはひるむ気配すらない。このあたりによくいる、コロボックルと呼ばれているこびとのような二本足のモンスターなのかと思ったが、よく見ると少し違う。
 
「カイン、あれは、まさか・・・!?」
 
 私と一緒に駆けだしたカインにむかって叫んだ。
 
「あいつはコボルドってやつじゃないか!?南地方から南大陸まで広い地域に分布しているが、このあたりにはいなかったはずだぞ!?」
 
 名前も姿形も似ているが、コロボックルと違ってコボルドというのはとんでもなく凶暴な種族だ。あの連中なら、なるほど矢の一本で追い払えるわけがない。しかも何匹かいる。だが何匹いようが、これだけ腕の立つ王国剣士が集まっているのだから、追い払うことは難しくない。でも奴らはかなりしぶとく、剣で何度も斬りつけてやっと森の中に逃げ込んでいった。
 
「パティ!大丈夫か!?」
 
 ランドさんが真っ青になって、倒れていたパティを抱き起こした。
 
「だ・・・だいじょ・・・ぶ・・・。」
 
 と言いながら、パティは歯の根も合わないほど震えていて、まともにしゃべることすら出来ずにいる。エミーとロゼは立ち止まった場所から動かずにいたことと、先頭を歩いていたオシニスさん達が二人をガードする形で応戦していたので、怪我一つなくすんだ。問題はウィローだ。確かに善戦していたし、彼女の鉄扇の一撃で逃げ出したモンスターもいた。だが・・・顔は青を通り越して白くなっている。そして目だけが充血して真っ赤だ。立っているのもやっとで、あと一歩でも踏み出せば間違いなく倒れそうだ。
 
「ウィロー・・・?」
 
 額に手をあてるとすごい熱だ。このまま無理に歩けば肺炎を起こしかねない。
 
「・・・荷物を持つよ。ちゃんと歩ける?」
 
「だい・・じょ・・・」
 
 言い終わらないうちにウィローの体がふわーっと私に倒れ込んできた。体もかなり熱い。
 
(意地っ張り!こんな調子でモンスターを相手にするなんて!)
 
 心の中で舌打ちをしながら、ウィローの肩から荷物を降ろした。
 
「ひどそうだな。」
 
 オシニスさん達も心配そうにウィローの顔をのぞき込んでいる。
 
「皆さん先に行っていてください。私達は後から行きます。今日の夜はローランに泊まるつもりだから、明日海鳴りの祠に向かいます。」
 
「おいクロービス、ウィローの荷物を貸せよ。全部俺が持つよ。お前のはどうした?」
 
「あ、私のは、さっき走り出す時に何かに引っかかったような気がして、その場に落としたんだけど・・・えーと、どこだっけ・・・。」
 
 辺りを見回すと、私の荷物はエミーの足許に落ちていた。
 
「あ、あそこだ。」
 
 その荷物の前に立ちつくすエミーの顔が蒼白だ。モンスターが怖かったのかと思っていたが、その心から感じ取れるのは、とまどいと、怒りと、おそれと・・・後悔・・・?
 
(なんだこれ・・・?)
 
 思念感知の能力は私の中ですっかり定着し、『防壁』作りにカインやウィローの手を煩わすことはもうなかった。そしてどんな強い感情が入り込んできても、それがそのまま『防壁』を破壊することにならないように、うまくコントロールすることもおぼえた。その私の心がとらえたエミーの感情は理解しがたいものだった。とまどいとおそれはわかるとして、なぜ彼女は怒り、また後悔しているのか・・・。
 
「これか。よし、俺が全部持つから、お前はウィローをおぶってやれよ。その調子じゃまともに歩けやしないし、早いとこ森を抜けないと、今夜もキャンプ場所に逆戻りすることになっちまうぞ。」
 
 カインは素知らぬふりで私に話しかけてくる。わざと大声で言っているのがわかる。さりげなく私とウィローの関係をみんなに知らせようとしているのかも知れない。ウィローは何とか自力で立とうとしているが、体に力が入らないらしい。悔しげに顔をゆがめて唇を噛みしめている。
 
「無理するからだよ・・・。今日中に森を抜けるから、おぶっていくよ。」
 
 返事は待たず、私はウィローを背負った。背負いながらふと思った。さっき倒れた時、自分に向かって倒れ込んできてくれたことに私はほっとしている。私にもたれかかるよりも地面に倒れることを選ばれたら、あまりにも悲しい。
 
 カインに頼んで私のマントを出してもらい、ウィローの背中を覆って出来るだけ体温が逃げないようにした。あとはとにかく急いでローランに着くしかない。ここまでひどくなってしまっては、宿屋で休んだ程度ではよくならない。あの村には確か腕のいい医者がいたはずだ。
 
「それじゃ、俺達は先に行くよ。ローランに寄ってドーソンさん達とタルシスさんに話をしておくから、向こうに着いたらまず詰め所に寄れよ。」
 
「はい、わかりました。」
 
 エミーは例によって私と一緒に残ると言い出すかと思っていたが、黙ってみんなと一緒に歩いていった。少しほっとした。今はウィローのことだけ考えていたい。
 
 カインと私はゆっくりと歩き出した。背中のウィローは苦しそうだ。先に進むことばかり考えて走ったりしたら吐いてしまいかねない。そんなことになればますます体力が落ちてしまう。私は一度背負ったウィローを降ろした。カインに荷物を開けてもらって吐き気止めを取り出し、水と一緒にウィローに差し出すとウィローは何も言わずに受け取って飲み込んだ。
 
「少しだけ休もう。体力が落ちている時はかえっておぶったりするとつらいかも知れない。」
 
「気功でも使ってみるか?」
 
 カインも心配そうにウィローをのぞき込んでいる。
 
「いや・・・あんまり効果はないと思うよ。今一時的に疲れを取ってみても、風邪を治して体力をつけないと、結局は同じことなんだ。それに、ローランに着くまでまともに戦えるのは君だけだから、そっちでがんばってほしいんだ。回復ならこの状態でも何とかなるけど、動きはどうしても鈍くなるからね。」
 
「なるほどな・・・。よし、何が出てきても心配するな。お前はウィローを守ることと、回復することだけ考えてくれればいいよ。」
 
「風水術が使えそうなら使うから、少しはあてにしてもらってもいいけどね。」
 
「そうだな。」
 
「ま、この狭い森の中じゃ、研修の時みたいにうまくいくかどうかわからないけど・・・。」
 
 両脇に森の木々が迫るこんな狭い道で、呼び出した火を暴走させたりしたらそれこそ大変なことになる。それが水だろうが稲妻だろうが危険度は同じだ。
 
「何言ってんだよ。忘れたのか?」
 
 カインがクスリと笑った。
 
「なにを?」
 
「お前ハース城の中で風水術を使ったじゃないか。」
 
「あぁ・・・あれは、たまたまうまくいっただけで・・・。」
 
「そんなわけあるか。あんなせっぱ詰まった状況の中で成功させたんだぞ!?お前の呼び出した稲妻は正確にモンスター達の頭に落ちて、そのおかげで俺達は助かったんだ。もっと自信を持てよ。俺はしっかりあてにさせてもらうぞ。」
 
「あてにか・・・。そうだね・・・。」
 
「なんだよ情けない答だな。」
 
「いやでも、そのあと・・・」
 
「う・・・」
 
 ウィローの声で私達は話をやめた。
 
「ウィロー?」
 
 ウィローの息づかいが少しだけ落ち着いてきている。この分なら出発出来るかも知れない。
 
「立てる?」
 
 ウィローはうなずきゆっくりと立ち上がった。でもそこから一歩を踏み出す気力は残ってないらしい。私はウィローに背中を向けて中腰になった。
 
「ほら、おぶっていくから。」
 
 ウィローは何も言わずに私の背中にもたれかかってきた。今何かしゃべったら吐きそうなのかも知れない。
 
(ずっとこう素直だったらいいのにな・・・。)
 
 口に出せない愚痴を心の中でつぶやきながら、私達はローラン目指して歩きはじめた。
 

第35章へ続く

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