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34章 再会 後編

 
「本当に・・・生きてるのね・・・。」
 
 エミーは涙に濡れた瞳で私を見上げ、そっと手を伸ばして私の頬にふれた。
 
「温かいわ・・・。幽霊なんかじゃないわよね・・・。本当に・・・生きて・・・帰って・・・」
 
 エミーは声をつまらせ、あふれ出た涙をぬぐった。それでも私の頬に触れた手はそのまま降ろそうとしない。
 
「帰ってくるって言ったんだから・・・絶対あなたは約束を守るって思ってたわ・・・。だから死んだなんて信じなかった・・・。みんな泣いていたけど、私は・・・私だけは・・・あなたを待っていようって・・・」
 
 エミーはこらえきれないようにわっと声をあげて泣き出し、私の胸にしがみついた。カインが以前言っていたとおり、そして私自身も懸念していたとおり、エミーは私を忘れてはいなかった。別れ際に私が言ったたった一言、「それなら請け合うよ!必ず帰ってくる!」その言葉だけを信じて・・・。
 
 抱きつかれて反射的に広げた両腕は行き場を失っていた。出来ることならエミーを抱きしめて、それほどまでに信じて待っていてくれたその思いにありがとうと言いたかったけれど、一時の感情に流されてそんなことをしたら、かえってエミーの気持ちを踏みにじることになる。それにウィローの目の前で誤解を招くようなことはしたくない。そしてこんな時にそんなことを考えてしまう自分がどうしようもなくいやな奴に思えて、また気が重くなる。私はエミーの両肩にそっと手を置いた。
 
「心配してくれてありがとう・・・。向こうに発つ前に受けた訓練のおかげで、予定はだいぶ延びてしまったけど、何とか生きて帰ってくることが出来たよ。」
 
 これが、今の私に言える精一杯の感謝の言葉だった。エミーが納得してくれそうな気の利いた言葉は思いつかないし、思いついても言うわけにいかない。顔を上げたエミーの瞳がふっと揺れたような気がした。と同時に周りの空気がピシッと音を立ててこわれ、そのかけらが私の心に突き刺さるような、そんな鈍い痛みを感じた。こんな感覚になる時は、たいてい身近にいる誰かが怒ったときなのだが、それは目の前のエミーなのだろうか。それともずっと後ろにいるはずのウィローだろうか。
 
「そう・・・。それじゃ厳しい訓練に耐えた甲斐もあったのね・・・。あなたはいつも訓練訓練ばかりだったけど、今回だけは感謝したい気分だわ。こうして無事に帰ってきてくれたんだから。」
 
 エミーの瞳はもう元に戻っている。そして私の腕に自分の腕を絡ませて
 
「よかったわ・・・本当に・・・。」
 
安心したようにため息をついた。
 
「おいランド、お前いったい何人連れてきたんだよ!?」
 
 あまりのことに呆然としていたオシニスさんがハッとして口を開いた。エミーが一緒だとはオシニスさん達も知らなかったらしい。
 
「3人だよ。」
 
「3人!?もう一人いるのか!?俺達はてっきりパティだけだとばかり・・・。」
 
「ん?エミーも一緒だって言わなかったか?」
 
「聞いてないぞ。だいたい昨日ここで会った時は、とにかくパティをこのままにしておけないから手を貸してくれってしか言わなかったじゃないか。」
 
「・・・そうだったっけ・・・?ああ・・・昨日は俺もかなり動転していたからな。俺の頭の中ではパティとエミーを連れてくるつもりでいたわけなんだが・・・。」
 
「まあいいさ。それじゃその3人目は誰なんだよ?どこにいるんだ?」
 
 ランドさんは辺りを見回していたが、急に顔色が変わった。
 
「おいエミー!お前ロゼはどうした!?」
 
 ロゼ・・・?確かフロリア様付きの侍女をしている、パティの友達じゃないか・・・。
 
 ランドさんの怒鳴り声に、エミーがぎょっとして顔を上げた。
 
「え?あ!ご、ごめんなさい!」
 
 エミーは慌てて私の腕をはなし、さっき飛び出してきた暗闇の中にとって返した。
 
「ロゼさん!ロゼさん!返事して!」
 
「・・・ここにいるわ・・・。」
 
 闇の中から弱々しい声が聞こえてよろよろと出てきたのは、いつか王宮のロビーで出会ったフロリア様付きの侍女、ロゼだった。でもあの時とはかなり様子が違う。髪はぼさぼさだし、服もひどく汚れていた。もっともそれはエミーもパティも同じだったのだが・・・。
 
「エミー・・・ひどいわ。いきなりこんな真っ暗なところに放り出していくなんて・・・。」
 
 ロゼは流れる涙をぬぐいながら出てきたが、たいまつの明かりを見て安心したようにその場に座り込んだ。
 
「ご・・・ごめんなさい・・・。クロービスがいて・・・私うれしくて・・・。」
 
 手を合わせて一生懸命頭を下げるエミーを、ロゼはしばらく放心したように見つめていたが、ゆっくりと私に視線を移した。その途端、瞳がみるみる見開かれ、恐怖に顔をひきつらせていく。
 
「あ・・・あなた達は・・・」
 
 座り込んだままの姿勢で、ロゼはズルズルと後ずさった。
 
「幽霊じゃないよ。ほら、ちゃんと生きてるよ。」
 
 カインが安心させるようにロゼの前にしゃがみ込み、微笑んでみせた。
 
「・・・い・・・生きて・・・いるの・・・?」
 
 ロゼはガタガタと震えながら、やっとのことで声を絞り出した。
 
「ああ。いつの間にか死んだことになっていたけど、この通り、ぴんぴんしてるよ。」
 
 カインはパンパンと鎧の胸当てを叩いて見せ、ロゼに向かって肩をすくめてみせた。それを見て、ロゼの瞳から恐怖が少しづつ消えていく。そして大きなため息を一つついて、やっと落ち着きを取り戻したようだった。
 
「それじゃ・・・あなた達が亡くなったというのはデマだったのね・・・。」
 
「そのデマを誰がフロリア様に話したのか知らないか?」
 
 カインの問いに、ロゼは首を横に振った。
 
「わからないわ・・・。私達はただ、南大陸に向かった王国剣士はみんな亡くなったという話を聞かされただけで・・・。」
 
「それは誰から聞いたんだ?」
 
 カインの質問に熱がこもってくる。ロゼは勢いに押されたように、また後ずさった。
 
「ちょっとカイン、待ってよ。私達やっとここまで辿り着いたのよ。いきなりそんなにいろいろ聞かれても・・・ロゼが怖がってるじゃないの。」
 
「あ、ごめん・・・。」
 
 ロゼは青ざめて震えている。彼らがかなり遠くにいたうちから感じていたあの不安や焦り・・・それのほとんどはロゼの感情だったようだ。ランドさん達はともかく、パティもエミーもかなり怖い思いはしているのだろうが、ロゼはそれとはまた別な種類の恐怖を感じているような気がした。それは、カインに今詰め寄られたからというわけではなさそうだ。王宮で何かあったのだろうか。
 
「とにかく・・・座れるところに行かないか。喉もからからだ。おいライザー、久しぶりにお前の淹れたお茶を飲ませてくれよ。そこで詳しい話をするよ。」
 
 ランドさんの言葉に、ロゼがびくりと肩をふるわせた。それを見たパティがランドさんの脇腹を軽くつつくのが見えた。ランドさんはパティの耳元で何か言っている。パティはうなずき、ランドさんから離れるとロゼの傍らにしゃがみ込んだ。そしてロゼの耳元に口を寄せ何やら囁くと、ロゼが小さくため息をついてうなずいた。
 
(俺が悪いのかな・・・。ずいぶん怯えてるけど・・・。)
 
 カインが私に顔を寄せて囁きかける。
 
(違うと思うよ・・・。王宮で何かあったのかも知れない・・・。)
 
(あの衛兵どもがいたんじゃ何が起きてもおかしくないよな・・・。・・・あ・・・。)
 
 カインは言いかけて口をつぐんだ。立ち上がったロゼは歩くのもやっとで、両側からパティとエミーに抱えられている。ここに来るまでには、きっとエミーが支えて励ましながら逃げてきたのだろう。パティもエミーも森の中を歩き回って服も顔もすっかり汚れていたが、ロゼだけは汚れているだけでなく服のあちこちが破れていた。スカートの脇の部分は特に大きく破れていたが、たっぷりのペチコートのおかげで中が見えずにすんでいる。その姿を見れば、何が起きたのか何となく想像がつく。たとえ私との内緒話の範囲でも、カインが口にしたくないと考えたとしても無理はない。
 
「おい、お前らも来いよ。」
 
 オシニスさんに声をかけられ、私達は我に返った。
 
「クロービス、行きましょうよ。向こうでのお話聞かせてほしいわ。」
 
 エミーは戻ってくると、また私の腕に自分の腕を絡ませた。まるでそれが当たり前の行動のように、平然としている。私はと言えば、ウィローがじっと見ているようで、どうにも落ち着かなかった。でも邪険にふりほどくのも気が引ける。
 
「それじゃ、俺達も行くか。」
 
 カインに声をかけられたが、エミーと腕を組んだまま歩いていきたくはない。なんとかこの腕をはずす口実を見つけなければと考えたその時、胸の奥にちりちりと痛みを感じて、何者かの異様な感情が私の心に流れ込んできた。これは悲しみ・・・苦しみ・・・そして一番大きいのが怒り・・・。
 
「どうしたの?」
 
 立ち止まり、森の暗闇に向かって振り返った私をエミーが訝しげにのぞき込んだ。
 
「先に行ってて。だいぶ森の中を騒がせたから、モンスターたちが怒っているかもしれない。私は少しここで見張りにたつよ。」
 
「それじゃ私もいようかな。」
 
「だめだよ。本当にモンスターが襲ってきたりしたら危ないよ。」
 
「そしたらあなたに守ってもらうわ。」
 
「襲ってくる相手が一匹だけとは限らないんだよ。危険だから向こうに行っててくれないか。」
 
「エミー、わがまま言わないでこっちにいらっしゃい。クロービスが困っているじゃないの。」
 
 ランドさんはもうオシニスさん達と一緒に焚き火のところに戻っていたが、パティはまだそこにいた。その隣にロゼが立っている。パティに寄りかかるようにして、まだ震えていた。パティはエミーを睨むように見つめている。エミーはパティに恨めしげな視線を向け、残念そうに私の腕を離した。
 
「はぁい・・・。私だってクロービスを困らせたくないもの。それじゃ早く来てね。待ってるから。」
 
 エミーは名残惜しそうに手を振り、パティと、パティに支えられてやっと歩いているロゼと一緒に焚き火のほうに向かって歩いていった。
 
「どうしたんだよ?」
 
「何かあったのかい?」
 
 パティ達が遠ざかるのを待って、カインが尋ねた。カインの後ろにはハリーさん達がまだ立っている。今の私の言葉に、少し不安げだ。
 
「モンスターだ・・・。いや・・・森の獣というべきなんだろうな・・・。やっぱり怒っていたみたいだ。」
 
「近くにいるのか?」
 
 カインの手が剣の柄にのびる。
 
「そんなに近くはないと思うよ。」
 
「僕達が残ろうか?元はといえば僕達があちこち迷って歩き回ったからだし・・・。」
 
 珍しく神妙な面持ちでキャラハンさんが申し出てくれたが、私は首を横に振った。
 
「大丈夫ですよ。キャラハンさんたちは疲れているんだし、襲ってくるとは決まってないんだから、念のため少しここにいるだけです。」
 
「そうか・・・。それじゃ悪いけど頼むよ。ああ・・・腹が減ったなぁ・・・。」
 
「俺ももう限界だ・・・。お前に振り回されてくたくただよまったく・・・。」
 
 ハリーさんも腹のあたりをさすりながらとぼとぼと歩き始めた。
 
「あ、振り回されたとは心外だな。僕はみんなの安全を考えてだね・・・。」
 
「何が安全だよ。当てずっぽうに走り回っていただけじゃないか。」
 
「当てずっぽうなんかじゃないよ。カインの声が聞こえたのはホントだったじゃないか。」
 
「はいはいわかったよ。俺はもう反論する気力もないよ・・・。とにかく行こう・・・。」
 
 二人ともかなり疲れているようだった。いつもの軽妙な掛け合いも聞こえてこない。
 
「だいぶ走り回ったんだろうな・・・。あの二人があんなにぐったりするなんて・・・。」
 
 ハリーさん達の背中を見送りながら、カインが心配そうにつぶやく。
 
「森の中なんて普段は入らない場所だから、二人とも緊張していたのかも知れないよ。必要以上に音をたてないようにとか気を使ったと思うし。」
 
「そうだろうなあ・・・。でも森の中に踏み入った時点でけもの達の領域に侵入したわけだから・・・怒るのが普通なんだろうな・・・。どの程度の数がいるかまではわかるのか?」
 
「いや・・・そこまでは・・・。それにそんなにものすごく怒ってるって感じもしないんだけど・・・どっちかというと怯えているような、悲しんでいるような・・・なんだか妙な感情なんだ。」
 
「へえ・・・確かに変だな・・・。それじゃ、俺もここにいるよ。」
 
「大丈夫だよ。私一人でいいよ。少し・・・ここにいたいんだ・・・。」
 
「でも向かってこられたら逃げようがないぞ。お前一人じゃ・・・。」
 
「向かってきそうなほど強い感情じゃないと思うよ。さっきは何も感じなかったし・・・。でも大勢で森の中を歩き回ったこっちが悪いんだから、攻撃するわけにはいかないよ。なんとか怒りを静めてくれるといいんだけどね・・・。」
 
「お前の力でなんとかならないか?」
 
「それは無理だろうな。こんな時私の力なんて役に立たないよ。まぁ相手の感情の移り変わりはわかるだろうけど。」
 
「そうか・・・。」
 
「とりあえず・・・向かってくるか来ないかくらいはわかるから、私がここでしばらく見張りに立つよ。危なくなったら知らせるから、カインは先に行ってて。」
 
「そうか・・・わかったよ。向こうに行ってるから、危なくなる前に大声出せよ。」
 
 カインは元気づけるように私の肩を何度か叩いて、焚き火のほうへと戻っていった。私は森の奥の暗闇、怒りの念が発せられていると思われる場所に向かって心を集中した。それほど強烈ではないが、さっきよりもはっきりと感じる。でも怒りならわかるけれど、この悲しみや苦しみは・・・いったい何に対する感情なんだろう。
 
 
 ・・・どのくらい時間が経ったのかわからない。少しずつ悲しみと苦しみがやわらぎ、怒りの思念もだんだん小さくなって、やがてよほど心を研ぎ澄ませなければ感じられないほどになった。
 
(これなら大丈夫だな・・・。)
 
 ほっとした。とにかく目の前の危険は去ったと考えていい。そう思った時、右手に痛みを感じた。見ると私は、いつの間にか剣の柄を指先が白くなるほど強く握りしめていた。
 
(痛いわけだな・・・。)
 
 深呼吸して肩の力を抜き、剣から手を離そうとした。その途端背後に誰かの気配を感じて、私は思わず振り向いた。まだ剣の柄は握りしめたままだ、いつでも抜ける。
 
「もう大丈夫なの?」
 
 そこに立っていたのはウィローだった。私があまり勢いよく振り向いたので、驚いた顔をしている。
 
「ずっといたの・・・?」
 
 ウィローは黙ってうなずいた。まったく気づかなかった。いくら森の向こうに神経を集中していたからと言っても、これがウィローだったからよかったようなものの、もしも別なモンスターや盗賊のたぐいだったとしたら、私は今頃本当に天国に行っているところだったかもしれない。
 
「全然気づかなかったよ・・・。カイン達と一緒に向こうに行ったんだと思ってた・・・。」
 
「・・・・・。」
 
 ウィローは答えない。なんだか複雑な表情で立っている。ここで私が黙り込めばまたさっきのように気まずくなる。
 
「モンスターが怒りを静めてくれたみたいだから、もう大丈夫だと思うよ。」
 
「そう・・・。」
 
 やっぱり気まずい。今の答えに対して何か言ってもらえなければ、あとの話が続かない。でもせっかく二人きりになったのだから、昼間のことをちゃんと話し合うことが出来るかも知れない。
 
「あの・・・昼間のことなんだけど・・・」
 
「あんな人がいたのね・・・。」
 
 私の言葉を遮るように、あるいは無視するかのように、ウィローがしゃべり始めた。
 
「あんな・・・人・・・?」
 
「あんなに泣くほど心配してくれる女の人がいたなんて・・・知らなかったわ・・・。」
 
 目の前に立っているのに、ウィローは私を見ようとしない。一言一言話すたびに唇をぎゅっと噛みしめる。
 
「すごく心配してくれる女の人なら、剣士団にたくさんいるよ。セルーネさんだってポーラさんだって、君が知らないたくさんの女性剣士達もみんな私達を心配してくれていたと思うよ。」
 
 ウィローが何でこんなことを言いだしたのか、いくら鈍感と言われる私にだって想像くらいつく。それなら黙って話を聞けばいいものを、私は思わず言い返していた。せっかく昼間のことをちゃんと話し合おうとしていたのに、それを無視されたことが気に入らなかったのかも知れない。冷静に考えれば情けないほどに子供じみた態度なのだが、この時の私は我が身を顧みる余裕などなく、ただウィローが私を一方的に責めるような口調で話していることに苛立ちをおぼえるばかりだった。
 
「・・・はぐらかすつもりなの・・・?」
 
 ウィローの眉があがり、口調が厳しくなった。
 
「そんなつもりじゃないよ。エミーだってそういうたくさんの人達の中のひとりだって言いたかったんだ。」
 
「でもセルーネさんもポーラさんも、あなたと再会しても抱きついて泣いたりしないわ。他の女性剣士達だってそうでしょう?」
 
「当たり前じゃないか。今のはもののたとえだよ。」
 
「私はたとえ話なんて聞きたいんじゃないわ。そういう女の人がいたならどうして言ってくれなかったの?」
 
「言わなければならないような仲じゃなかったからだよ。」
 
 自分の口調がだんだんとげとげしくなっていくのがわかる。わかるのに止められない。
 
「そうかしら・・・?」
 
「そうだよ。エミーとはそんな仲じゃない。ただの友達だよ。」
 
「でも約束したって言っていたわ。だから信じて待っていたんだって。」
 
「それは・・・。」
 
 私は言葉につまった。何一つやましいことはないのだし、いくらでも説明することは可能だったが、今この状態でウィローが私の言葉をすべて信じてくれるものかどうか、自信がなかった。もしかしたら言えば言うほど言い訳じみてきて、信じてもらえないかも知れない。
 
「・・・どうして黙るの・・・?答えられないようなことなの?本当にそんな仲じゃないならちゃんと説明してくれたって・・・」
 
 ウィローはそこで唐突に口をつぐんだ。そして大きなため息をついて小さな声でつぶやいた。
 
「・・・何でこんなこと言ってるのかしら・・・。」
 
 それは私に聞かせたいようでもあり、自分に言い聞かせているようでもあった。
 
「私にそんなこと言う権利はないのよね・・・。ここまで連れてきてもらっておいて、その上あなたの個人的なことに口を出すなんて、しちゃいけないんだわ・・・。」
 
「個人的なことって・・・そんな言い方しなくても・・・。」
 
 背中に氷をあてられたような気分だった。まるで他人の物言いじゃないか。いや、確かに他人なんだけど、それでもお互いの気持ちはわかっていたはずで・・・。
 
 あまりのことに頭の中がぐるぐる回って考えがまとまらない。何でウィローは、今になってこんなことを言い出したんだろう。昼間の私の態度がそれほど気に入らなかったのか、それとも・・・いやまさか、そんなことが・・・でも・・・もしかしたら・・・
 
(心変わり・・・してしまったとか・・・・。)
 
 突然浮かんだ不吉極まりない考えを、私は慌てて頭から追い出した。冗談じゃない。そんなに簡単に変わってしまうような、いい加減な気持ちでウィローがここまで来たはずはない・・・。なのに不安でしかたがない。私は思わずウィローの手をつかもうとした。触れて、ぬくもりを感じて、安心したかった。ウィローの心は以前と変わっていない、すべて私の思い過ごしだと。なのに私の手はウィローに届かなかった。私が前に踏み出すと同時にウィローが後ずさったからだ。
 
「私は・・・父さんの遺志を継ぐためにここまで来たの・・・。昼間オシニスさん達にお願いしたことは、その第一歩だと思ってるわ。」
 
「オシニスさん達の剣の威力がどれほどすさまじいものか、私はよく知ってるよ。何度もあの剣を自分の体で受けたんだ。レザーアーマーの上からライザーさんの一撃を食らって、息が出来なくなったこともある。その時言われたんだ。ライザーさんが本気を出せば、鎧の上からだって間違いなく骨が折れるって。」
 
「・・・そうかも知れないわね・・・。」
 
「そうかも知れないって・・・そんなのんきなことを言ってる場合じゃないんだよ。光の癒し手だって骨折は治せないんだ。ましてや大地の恩恵だけじゃ・・・」
 
「私はあなたと議論するためにここに立っていたんじゃないの。私が本気だってことをもう一度言いたかっただけ。さっきは悪かったわ。よけいなことを言ってあなたを問いつめたりして。それじゃ、私は向こうに戻っているから。あなたがすぐ戻るからって言っておくわ。」
 
 ウィローは一気にまくし立てると、私の返事も待たずさっさと焚き火のほうに向かって歩き去ってしまった。
 
「・・・あの二人の訓練は・・・君が思っているよりずっと厳しいよ。どうしてわかってくれないんだ・・・。私は・・・ただ君のことが心配なだけなのに・・・。」
 
 去ってゆくウィローの背中に向かってつぶやいた声は、無論ウィローには届かない。さっき向かい合ってから背中を向けるまで、ウィローはとうとう一度も私と目を合わせようとはしてくれなかった。なんだか心の中まで背中を向けられたみたいで、言いようのない寂しさが募っていく・・・。
 
 重い足取りで、私はみんなのところに戻った。ちょうどランドさん達が食事を終えたところで、ライザーさんがお茶を淹れていた。見るとライザーさんの隣に食器が置いてある。さっき私が川のほとりで洗ったまま、すっかり忘れていたものだ。
 
「ライザーさんすみません・・・。食器のこと忘れてました・・・。」
 
「いいよ。僕が見つけて持ってきたから。それより見回りは?もう大丈夫なのか?」
 
「ええ。森の中も静かだし、いつもと変わりないです。」
 
「だいぶあちこち歩き回ったからな・・・。森のけもの達が怒っていたかと思ったけど、一安心だな。」
 
 ランドさんがお茶をすすりながら言った。
 
「そりゃ当然。僕はちゃんと気を使っていましたからね。」
 
 キャラハンさんが胸を張ってみせる。
 
「気を使っていた・・・?あれでか?気を使ってあれでは気を使わないといったいどうなるんだ?」
 
 ランドさんは大げさに首を振り、肩をすくめてみせた。
 
「ひどいなぁ、ランドさんまで・・・。慎重という言葉が服を着て歩いているような僕を捕まえて・・。」
 
「あーわかったわかった!今日はお前の話につきあう気力はないから、明日にしてくれ・・。」
 
 ランドさんは言いながらごろりと横になった。自分だけでなくパティの身も守りながら、なおエミーとロゼに気を配ってここまで来たのだから、一番疲れているのはこの人かも知れない。
 
「それじゃ僕も横になろう。あ〜疲れた・・・。」
 
 キャラハンさんもごろりと横になって、大きなあくびをした。ハリーさんをみるとやはり大きなあくびを連発している。疲れているのはこの二人だって同じはずなのに、なぜかランドさんのようにつらそうに見えない。そもそもこの状況で大あくびをしていられること自体たいしたものだと思う。
 
「でもこっちの話にはつきあってもらいますからね。ランドさんひどいですよ。パティのことなんにも教えてくれないんだから。」
 
 カインが恨めしそうにランドさんを睨む。
 
「だから今説明したじゃないか。」
 
 ランドさんは涼しい顔をしている。私がいない間に、カインはランドさんとパティのことを一通り聞き出したらしい。
 
「そりゃそうですけど・・・。」
 
「さっきオシニスさんに聞いてびっくりしたよね。」
 
 私はカインと、少し離れて座っていたウィローの間に腰を下ろし、話に割って入った。
 
「だよなぁ。向こうに行く前に少しくらい教えてくれてもなぁ・・・。」
 
「だってランド義兄さんは、カインさんとクロービスのことを驚かすの楽しみにしていたのよ。期待通りびっくりしてくれて、義兄さんもしてやったりってところなんじゃない?」
 
 エミーがいつの間にか私の隣に座っていた。ウィローはさっき私が腰を下ろした時にすっと立ち上がり、別な場所に移動してしまっていた。私が生きていたことをあんなに喜んでくれたエミーには申し訳ないが、今はあまり近づいてほしくない。でも話を始めてしまったことで、ここから立ち上がることも出来なくなってしまった。
 
「もう義兄さんて呼んでるんだな。エミーとランドさんが兄妹かぁ。」
 
 カインが感慨深げにつぶやく。
 
「あら、私ずっとそう呼んでるわよ。お姉ちゃんが義兄さんを紹介してくれた時からね。どうせ結婚するんだから義兄さんでいいわよねって。」
 
「ちょっとエミー!あなたもう黙りなさいよ。恥ずかしいったら・・・。」
 
 パティは顔を赤らめて必死に妹を黙らせようとしている。エミーの笑顔は相変わらず屈託がない。こんなかわいい妹が出来るなら、ランドさんも楽しいだろうな、そう考えてふと気づく。やっぱり私にとってエミーは妹的な存在でしかないのだと・・・。
 
 そのエミーは私のそばを離れようとしない。お茶を持ってきてくれたりして何かと世話を焼きたがる。何かしてもらえばありがとうくらいは言わなければならないし、仏頂面で言うのもなんだからつい笑顔になってしまう。でもエミーに笑顔を向けるたびにウィローの視線が気にかかって落ち着かない。もっともウィローが私のほうを見ているかどうかはわからないけれど・・・。
 
「さてと・・・クロービスが戻ってきたところで、おいランド、王宮の様子を聞かせてくれよ。中は今どんな具合だ?」
 
 オシニスさんが尋ねる。
 
「中か・・・。まあとりあえず壁や柱は壊れてはいなかったな。そろそろ汚れ始めていたが。」
 
「ほぉ、よくその程度ですんでいるもんだ。もっと派手にぶっ壊されているかと思ったがな。」
 
「まあな。もっとも、これから先はわからん。元々あの連中は盗賊崩れみたいな奴らばかりだ。一ヶ所にじっとしていられるほどお行儀のいい奴らじゃないからな。」
 
「そうだな・・・。ところで、お前らはどこから王宮の中に入り込んだんだ?」
 
「ちゃんと正面玄関から入ったよ。」
 
「正面玄関!?よくあの門番どもが通したな。」
 
「俺もそう思っていたよ。だから最初は裏口や非常階段なんかを重点的に調べて、潜り込む隙を窺っていたんだが、なぜか今日は門の警備が手薄でな。堂々とロビーに入れたよ。中に入っちまえばこっちのもんだからな。」
 
「・・・お前らが王宮に着いたのはいつ頃だ?」
 
「昼前に着いたよ。それからずっと裏手のほうを窺っていたんだ。」
 
「正面玄関に乗り込んだのは?」
 
「いつだったかなあ・・・。もう夕方近かったかも知れないな・・・。」
 
 この答えにオシニスさんはにやりと笑った。
 
「なるほどな。それじゃ、みんなカインとクロービスに感謝した方がいいぞ。門の警備が手薄だったのは、多分こいつらのおかげだ。」
 
 オシニスさんが私達を指さす。
 
「こいつらの・・・?どういうことだ?」
 
「俺達、多分ランドさん達が王宮に乗り込む前に、王宮の玄関で一騒動起こしたんですよ。」
 
 きょとんとするランドさんに、カインが笑いながら王宮の玄関での出来事を話して聞かせた。
 
「なるほどな・・・。お前らに感謝だな。しかし・・・何が反逆者だまったく・・・!」
 
 ランドさんが吐き捨てるように言った。
 
「本気でフロリア様はクロービス達を反逆者だなんて言ってるのかしら。そんなのひどいわ!クロービス達は命がけだったのに!」
 
 エミーが本当に悔しそうに大声を上げた。
 
「まだわからないよ。とにかく情報を集めないとね。」
 
 そう言ってはみたものの、どこでその『情報』を集めることが出来るものか、見当もつかない。
 
「なぁパティ、君達は今回のことでクビになったわけじゃないって話だけど、ちゃんと仕事が出来るような環境だったのか?」
 
 カインが尋ねた。
 
「・・・剣士団が王宮から出て行ってすぐの頃は、あの衛兵達はごく普通の人達に見えたわ。あまり感じがよくないとは思ったけど・・・それは、黒い鎧とあの顔の半分も隠れるようなヘルメットのせいなんだと思ってた・・・。だから私達は今までと同じように仕事をしていたのよ。もっとも私の場合は、王宮が閉鎖されたことで案内係の仕事がなくなっちゃったから、もっぱら図書室でレディ・マリーの仕事のお手伝いをしていたんだけどね。」
 
「なるほどな。でもなんでエミーはいたんだ?一般人は入れなくなったはずだよな?」
 
「実はね、私、カインさん達が南大陸に行ったあと、王宮の図書室で働き始めたのよ。本の整理や分類が出来る人を探しているって聞いてね。レディ・マリーのお手伝いをしていれば、少しでも司書の仕事が覚えられるかと思って・・・。でも今回のことでそれも出来なくなっちゃって・・・残念だわ・・・。楽しかったのにな・・・。」
 
 エミーがため息をついた。なるほど、エミーはこの仕事で司書としての第一歩を踏み出すはずだったのだ。こんなことにさえならなければ・・・。
 
「そうか・・・。で、あいつらが本性を現したのはいつ頃のことなんだ?」
 
 カインの問いに今度はパティがため息をつきながら言葉を続けた。
 
「・・・そうね・・・おとなしかったのは最初だけだったわ・・・。だんだん言葉遣いが乱暴になってきて、昼間からお酒くさい人なんかも出始めて・・・。でも私、決めてたのよ。どうしてこんなことになったのか、王宮の中にいれば少しはわかるかも知れないから、出来るだけ情報を集めてランドに知らせようって。だから絶対に毎日仕事に来ようって思ってたわ・・・。ところがある日私達が帰ろうとしたら、あの衛兵達が出入り口に陣取っていて帰らせてもらえなくて・・・。」
 
「俺は王宮を出る時にパティを連れて行くつもりだったんだ・・・。パティにスパイのまねごとなんてさせたくなかった。でもこいつはこれでものすごい頑固な奴だから、どうしても俺と一緒に来てくれなくて・・・。でもだからってそのままにしておく気はなかったから、すぐに海鳴りの祠に向かわずに城下町に残っていたのさ。とにかく説得を続けようと思ってな。」
 
「でも城下町にいたらあの衛兵達に追い回されるんじゃないですか?」
 
「あいつらは俺達の顔まで把握してるわけじゃないから、制服を脱げばわからんさ。それに、俺の家は城下町にあるから堂々と家に帰って、表向きは『剣士団が解散になったからやめてきた』ってことにしておけば、文句を言われる筋合いもないしな。そしてパティの家に毎日行って説得していたんだが、こいつは全然聞いてくれなくて・・・。あの時はほんと、険悪な雰囲気だったよなぁ。」
 
「だって・・・あなたが『どうせもう仕事なんてないんだから、無茶しないでおとなしく俺についてくればいいんだ』なんて言うんだもの・・・。あんな言い方はないわよ。私、あなたの役に立ちたくて一生懸命だったのに・・・。」
 
「だからそれは悪かったよ。お前の気持ちをもっと考えるべきだったと思うよ。でもなあ、俺だってお前のことが心配でしょうがなかったんだぞ?実際その次の日だったよな?お前の家にいつものように行ってみたら、お前もエミーも帰ってこないって言われたの。あの時俺がどれほど後悔したか考えてもみてくれよ。こんなことになるなら、前の日にお前をぶん殴ってでも言うことをきかせればよかったって思ったくらいだよ。」
 
「ぶん殴られたりしたらよけい言うことなんてきかないわよ。」
 
 パティが口をとがらせた。
 
「それで王宮に乗り込んだんですか?」
 
「ああ。でも一人ではさすがに無理があるからな。一度海鳴りの祠に向かったんだが、ローランの東の森でちょうどオシニス達とハリー達に会ったんだ。それでこいつらにわけを話して、ハリー達が一緒に来てくれることになったのさ。こいつらだったら、うまくいけば舌先三寸であの衛兵達を丸め込めるかと思ってな。」
 
「俺達はその時ちょうど詰所の整理に城下町に向かうところだったんだ。その程度の雑用なら、俺達二人でも何とかなるから、ハリー達にランドと一緒に行ってくれるように頼んだのさ。そして次の日、つまり今日なんだが、詰所であの衛兵達を追い払ったあとにお前達と出会ったんだ。」
 
 オシニスさんがあとを続ける。
 
「そして俺達が王宮の門番達と騒ぎを起こして、玄関の警備が手薄になったところでランドさん達がうまく中に入り込めたと・・・話を繋いでいくとそう言うことになるんですよね?」
 
 カインが尋ねた。
 
「まあそういうことだな。中に乗り込んで、俺はまっすぐに図書室に行ったんだ。中にいたのが、レディ・マリーと、パティとエミーとロゼだったんだが、レディ・マリーは本をここに残していくくらいなら、あの衛兵に殺されたほうがましだってまで言うんで・・・まあ連れ出すことは出来なかったよ。」
 
「レディ・マリーらしいですね・・・。」
 
 私は思わずつぶやいた。あの人の本にかける情熱はすさまじいとさえ思える。私など足元にも及ばない。
 
「そうだな・・・。で、パティとエミーとロゼを連れ出そうとしたんだが、あの衛兵達にじゃまされて、まあその・・・ちょいと脅かしたわけだ。」
 
「おい、まさか王宮の中で剣を抜いたんじゃないだろうな?」
 
 オシニスさんの目が厳しくなった。王宮の中で、王国剣士は常に武器を装備していなければならないが、勝手に抜くことは禁じられている。
 
「バカ。俺がそんなことをするか。玄関から出たところで囲まれたから、一番前にいた奴の肩当てをはずしてやっただけさ。それだけで気の毒なほど慌てて逃げていったからなぁ・・・。あいつらは一人ずつならそれほどの使い手じゃないのかもな。」
 
「僕もランドさんみたいにかっこよく、前にいた奴の前垂れを落とそうと思ってベルトを切ったんだけど、ズボンのベルトまで切っちゃってねぇ。腰から下がパンツ一丁になった時のあの衛兵の姿は見ものだったなあ。みんなに見せたかったよ。」
 
 キャラハンさんが妙に感慨深げに口を挟んだ。
 
「ははは、確かにあの姿は間抜けだったよな。でも俺だってがんばったぞ。ランドさんのまねをして前にいた奴の肩当てをはずしてやろうと思ったんだけど、手元が狂って胸当てがはずれちゃってねぇ。そしたらそいつが鎧の下に着ていたのが寸法の合わない服だったらしくて腹が丸見えだったんだよ。いやぁ思い切り笑ったよ。」
 
 ハリーさんが負けじと話に加わる。
 
「ま・・・確かにこいつらは役に立ったよ。それで奴らはあっという間に総崩れになったからな。だが剣の音を聞きつけて執政館の奥から別な一団が駆けつけてきてな。きりがないから逃げ出したんだが、そいつらが妙にしつこくて、あちこち走り回っていたら森の中に迷いこんじまったのさ。そこから先はみんなが知っているとおりだ。」
 
 ランドさんが肩をすくめてみせた。ハリーさん達の話は、いつもどこまでが本当でどこからが冗談なのか判断に苦しむのだが、どうやら今回は全部本当に起きた出来事らしい。
 
「私としては・・・あなたの役に立ちたかったんだけど・・・かえって迷惑かけちゃったわ・・・。意地はってごめんなさい。」
 
 パティがランドさんに頭を下げた。
 
「・・・そんなことは気にしなくていいさ。お前が無事だったのがなによりだ。」
 
 ランドさんはそう言って、すぐ隣にいたパティを抱き寄せた。
 
「ちょ、ちょっと、皆さんが見てるじゃないの。」
 
 パティは赤くなりながらランドさんの腕から逃れようとするが、ランドさんはパティを離そうとしない。
 
「いいじゃないか。今さら隠すようなことじゃないんだし。」
 
「・・・んもぅ!そう言うことじゃなくて・・・。」
 
「おいランド、ここには寂しい独り者もいるんだから、少しは気を使えよ。」
 
 オシニスさんがにやにやしながらランドさんを横目で見た。
 
「ははは、確かにそうだな。それじゃ、のろけるのはこの辺でやめておくか。」
 
 やっとランドさんから離れて、パティは赤くなったまま黙っている。
 
「ハリー、キャラハン、お前らにも迷惑かけたけど、おかげでみんな無事だったよ。ありがとう。」
 
「そんなこと気にしないでくださいよ。あの衛兵達にひと泡吹かせてやれて、俺達も楽しかったです。」
 
 ランドさんの感謝の言葉に、ハリーさん達は笑顔で応えた。命がけの脱出行さえ楽しかったと言い切るこの二人の度胸はたいしたものだ。
 
「なあパティ、でもなんであの連中は君達が家に帰れないようになんてしたのかな。まさかそんなことまでフロリア様が命令されるとは思えないし・・・。」
 
「それは・・・。」
 
 パティが言葉につまった。
 
「・・・パティ、私のことなら気にしなくていいわよ。」
 
 ずっとパティの後ろに座っていたロゼが小さな声で言った。
 
「ロゼ・・・でも・・・。」
 
 パティが不安げにロゼを見る。
 
「いいのよ。実際何事もなかったんだし。でもこんな格好でいればきっと皆さんは私に何があったのかいろいろ考えるでしょうし、黙っていればそれを肯定したことになるわ。」
 
「本当にいいの・・・?」
 
「いいのよ。私決めたの。こういうことって、何もなかったって言えば言うほど信じてもらえないものだけど、私が皆さんを信じるわ。そうすればきっとわかってもらえるわよね。」
 
「わかったわ・・・。」
 
 パティは決心したように私達のほうに向き直った。
 
「あの衛兵達は・・・王宮に入ってきた時から、中で働いている女の子達に目をつけていたのよ・・・。最初はおとなしかったけど、そのうち下品な言葉でからかわれたり、すれ違いざまに胸を触られたなんて言う子も出始めて、フロリア様付きの侍女達も少しずつ来なくなってしまったの。それで・・・帰れないように私達を王宮に閉じこめようなんて考えたらしいわ。みんなあいつらが勝手にやったことなのよ。でも・・・フロリア様は何も手を打ってくださらなかった・・・。」
 
「そんな・・・。」
 
 カインが悲しげに首を振る。同じ女性として、フロリア様が何ひとつ対策を講じてくださらなかったことに、侍女達が不信を募らせたことは想像に難くない。
 
「ある日王宮に来たら、一緒に働いている侍女達がほとんどいなかったんです・・・。だから私もその日を限りにやめようと思っていたのに、その日から家に帰れなくなってしまって・・・。だから私・・・怖くなって、パティのところに行こうとしたんです。パティと話をしていれば少しは気が紛れるかと思って・・・。でも・・・。」
 
 ロゼは声をつまらせ、恐怖に顔をひきつらせた。
 
「ロゼ、無理しないで。」
 
 パティがロゼに歩み寄り肩に手をかけた。ロゼは微笑んで、パティに向かってうなずいてみせたが、話すのをやめようとはしなかった。
 
「・・・乙夜の塔を出たところで・・・あの衛兵達に捕まってしまったんです。塔の入り口の前にある詰所に引きずり込まれて・・・」
 
 ロゼはそこで唇をかんでうつむいた。両手で自分の体をぎゅっと抱きしめるようにして震えている。
 
「ロゼ・・・もういいわ・・・。もうやめて・・・。」
 
 パティが泣きながらロゼの肩に取りすがった。ロゼはその手を握りしめて、首を横に振った。
 
「大丈夫よ。ここでやめることは出来ないの。最後まで言わなければ・・・だから聞いていて・・・ね?」
 
 パティはロゼの肩に顔を伏せて泣いている。エミーはロゼから顔を背けるようにして唇を噛みしめている。ウィローを見ると、目を真っ赤にしてハンカチで顔をごしごしとこすっていた。男だって聞くに耐えないような話だ。それを自分の口から話し続けるロゼの心中を思うと私まで涙がにじみそうになった。
 
「引きずり込まれる時に暴れたから服があちこち破れて、中でスカートまで引き裂かれそうになった時、すごい勢いで詰所の扉が開いて、ユノ様が飛び込んできてくださったんです。」
 
「ユノが!?」
 
 私は思わず聞き返した。
 
「ええ。そしてあっという間にあの衛兵達をなぎ払って、あの人達が動けずにいるうちに私の手を引いて外に連れて行ってくれました・・・。」
 
「ユノは・・・フロリア様のおそばにいるんだね・・・。」
 
「はい。ユノ様は・・・今までどおりにフロリア様のお側で護衛をしておられます。」
 
 この言葉に私はほっと一息ついた。
 
「ユノ様は、私が乙夜の塔を出ていくのを見て、どこへ行くのかと思ってあとをつけて来たとおっしゃってました・・・。そうしたらあの衛兵達に捕まったのをみて、急いで詰所に来たのだと・・・。そして何もなかったかどうか聞いてくださって、パティのいる図書室まで送ってくださったんです。あの方がいらっしゃらなかったら、私、今頃どうなっていたか・・・。」
 
 ロゼはそこで一度言葉を切り、何度か心呼吸した。
 
「私・・・ユノ様のこと、ずっと冷たくて取っつきにくい方だと思っていて・・・だからいつも顔を合わせていてもほとんど話をしたことがなかったんです。・・・でも、あの衛兵達の暴挙をお聞きになってもフロリア様は何もしてくださらなかったのに、ユノ様があれほど親身になってくださるなんて・・・すごくうれしくて・・・。」
 
 流れ出た涙をぬぐうロゼに取りすがっていたパティが顔を上げた。
 
「つらかったでしょう・・・。あんなことを全部話すなんて・・・。」
 
「いいの・・・。ユノ様のおかげで私は無事だったのだし、この話が剣士団の皆さんのお役に立てばと思ったから・・・。」
 
「役に立ったよ。今の話でいろいろとわかったことがある。ロゼ、つらい話をさせてすまなかったな。」
 
 オシニスさんがいたわるようにロゼに声をかけた。
 
「いえ・・・他に何かお聞きになりたいことがあれば、お答えします。私がわかることなんてそれほど多くはありませんが・・・。」
 
「・・・ロゼ、それじゃ少し話を聞かせてくれないか・・・?」
 
 遠慮がちに口を開いたのはカインだった。
 
「はい、なんでしょうか?」
 
「俺達が南大陸に向かったあと、フロリア様の様子はどうだったんだ?」
 
「最初は、いつもとお変わりなくしておられました。毎日のようにお二人の安否を気遣われて・・・。でも・・・少しずつその話をしなくなっていって・・・私達にも、いつもは気軽にお声をかけてくださっていたのに、だんだん口数も少なくなっていって・・・。」
 
 ロゼが悲しげにうつむいた。
 
「そうか・・・。なあロゼ、その・・・ちょっと聞きにくいんだが・・・フロリア様は、ずっと・・・その・・・フロリア様なのか?」
 
「どういうことですか?」
 
 質問の意味が呑み込めずロゼが首を傾げる。
 
「今王宮にいらっしゃるフロリア様と、以前のフロリア様が同じ人物とは・・・俺には思えなくてな。」
 
 カインの言葉で、みんな顔を見合わせた。詰所でオシニスさんが言った言葉を思い出す。
 
『今、王宮の玉座に座っているのは、フロリア様の顔をしてフロリア様の声で話すと言うだけの別人だ。俺にはそうとしか思えん。』
 
 本当に・・・フロリア様には偽者がいるのだろうか・・・。
 
「確かに・・・フロリア様は変わってしまわれました・・・。以前はあんな方ではなかった・・・。いつも温かい笑顔で私達に接してくださったし、何よりあの衛兵達のような怪しげな者達をおそばにおかれるようなことは、絶対にありませんでした。でも・・・だからって偽者がいるなんてことは考えられません。少なくとも私が王宮に来た4年前からは同一人物だと思います。だってそうでしょう?王宮の警備はとても厳しいわ。剣士団の方々がしっかりと警備してくださっているのですもの。その警備の隙をつくなんてどれほどの危険が伴うかわからないのに、そんな思いまでして、誰が、一体何のために、いつどうやって、入れ替わるというのですか?」
 
 カインは言葉につまり、考え込んだ。その厳しい警備の隙をついて、私達はフロリア様を漁り火の岬へと連れだした。そのことをここで言うわけにはいかないが、それを考えれば可能性はゼロではない。とはいえ、偽者がそうそういつまでも全ての人達を騙しおおせるとは思えない。ほんの少しの癖や仕草でも、偽者であることがばれる可能性は大きい。だからといってちょこちょこ入れ替わるなどということができるはずはない。本物が戻れば、全てが露見してしまう。・・・本物が、戻れば・・・。
 
 ここで私は一つの可能性に気づいて愕然とした。つまり、本物が偽物と協力していたら、それは不可能ではない・・・。いや、でもまさか・・・。
 
「そうだよな・・・。ありがとう、ロゼ。疲れてるのにすまなかったな・・・。」
 
 ロゼは小さく微笑んだ。カインはまた腕を組んで考え込んでいる。
 
「さてと・・・こっちの話はこれで終わりだ。おい、そろそろそっちの美人を紹介してくれてもいいんじゃないか?誰が連れてきたんだ?」
 
 ランドさんがウィローをちらりと見た。
 
「カインとクロービスと一緒に、南大陸のカナから来たんだ。ハース鉱山の統括者だったデール卿の娘さんだよ。」
 
 ライザーさんが答える。
 
「デール卿の・・・?」
 
 ランドさんだけでなく、そこにいたみんなの視線が一斉にウィローに注がれた。
 
「ウィローと申します・・・。」
 
 ウィローはそれだけ言って頭を下げた。
 
「ウィローか。俺はランド、よろしくな。ま、さっきからさんざん名前が出てるからもう知ってるだろうけど、俺はここにいるオシニスとライザーと同期入団なんだ。ところが俺だけあぶれちまって、採用担当官をずっとやってる。」
 
 ランドさんは笑顔でウィローに話しかけた。採用カウンターで最初に見たあの優しい笑顔だ。ウィローはほっとしたように顔をほころばせ、『よろしくお願いします』と小さく言って頭を下げた。
 
「俺はハリー。ランドさん達とは一年近く遅い入団なんだ。こっちにいるこのキャラハンと・・・フガッ!」
 
 ハリーさんが言い終わらないうちに、キャラハンさんがハリーさんの口をいきなり塞いだ。
 
「おいハリー、自己紹介くらい自分でするよ。君にお株を奪われてなるもんか。ウィロー、僕はキャラハン、このハリーと同期入団で、入ってすぐにコンビを組んだんだ。よろしくね。イテ!」
 
 今度はハリーさんが、自分の口を覆っていたキャラハンさんの手をつねった。
 
「なんだよ!いきなりつねることないじゃないか!」
 
「お前が俺の口を塞ぐからだ!」
 
「君が勝手に僕を紹介しようとしたからじゃないか!」
 
「それは話のついでというもので・・・」
 
 言い争いはそこまでで終わった。オシニスさんのゲンコツが二人の頭に炸裂して、どちらも「イテ!」と叫んだからだ。
 
「まったく・・・こんな時くらいおとなしくしてろ!」
 
 あきれたようにため息をつきながら、オシニスさんはハリーさん達の後ろに腕を組んでたっている。
 
「おかげで話の腰が折れちまったぞ、まったく・・・。」
 
 ランドさんが頭をかきながら、私達に視線を戻した。
 
「で・・・お前達が二人でここにいるって言うことは・・・剣士団長は・・・もういないんだな・・・。」
 
 いきなり心臓に剣が突き刺さったような気がして、現実にひき戻された。カインと私はただ黙ってうなずくことしかできなかった。
 
「向こうで何があったのか教えてほしいところだが・・・オシニス、ライザー、お前らは聞いたんだな?」
 
「一通りはな・・・。」
 
 オシニスさんが小さな声で答えた。
 
「なるほど・・・。それじゃ、俺はあとでお前らに聞くか・・・。」
 
「今話しても大丈夫ですよ・・・。簡単にですけど・・・。」
 
 私はランドさんに言った。ハース城での出来事だけなら、話すことは出来そうに思えたし、また、パティやエミー達に聞かれても差し支えないと思えた。それに、そのことを話せば、ウィローがここにいる理由もわかってくれるだろう。
 
「そうか・・・。頼むよ。せめて剣士団長に何があったかだけでも、聞かせてくれ・・・。」
 
 私達は、カナについてウィローが案内役を買って出てくれたところから始めて、途中を飛ばしてハース城に乗り込んで鉱夫達を連れて脱出したところまでを話した。ただ、デール卿の手紙の内容については、カナに住む家族のことが書かれていたとだけ、そしてイシュトラの最後の言葉も、ただハース鉱山乗っ取りを企んでいたのだとだけ話すにとどめておいた。本当の話をパティ達に聞かせることは出来ない。ランドさん達には、海鳴りの祠に着いてから本当のことを話せばいい。
 
 話し終えた時には誰もが涙を流していた。あの脳天気なハリーさん達でさえ、二人で抱き合って大泣きしていた。
 
「そう言うことか・・・。それじゃ、えーと・・・ウィローか、君は・・・。」
 
 ランドさんは涙をぬぐい、ウィローに話しかけたが言いかけて途中でやめ、ウィローの顔をじっとのぞき込んだ。ウィローは戸惑ったように顔をこわばらせたが、目をそらそうとはしない。
 
「・・・親父さんのことをもっと知りたくてここまで来た、というところかな・・・。違ったかい?」
 
「いえ・・・おっしゃる通りです・・・。」
 
 本当は『死の真相を知りたくて来た』のだが、ウィローも私達が今の話の中で重要な部分を伏せて話していることに気づいてくれたのだろう。何も言わずにうなずいてくれた。
 
「なるほどな。でもかなり勇気がいったんじゃないのか?ずっと住み慣れた村を離れてここまで来るっていうこともそうだし、この二人は王国剣士とはいえ、君にとっては知り合って間もない若い男だし、お袋さんやカナの村長達は反対しなかったのかい?」
 
 ランドさんの問いかけにウィローは首を振った。

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