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 この日の翌日から私達は、ディレンさん達と一緒にハース城を目指して歩き始めた。
 
 何日か過ぎて、私達はハース渓谷の入り口に立っていた。相変わらず渓谷は静かで、モンスターの気配はない。ここにつくまでに出会ったモンスター達がかなり手強かったことで、覚悟はしていただけにすっかり拍子抜けしてしまった。
 
「・・・元々この渓谷にはモンスターはいなかったからな・・・。元に戻ったと思えばいいのかも知れないな。」
 
 ディレンさんがつぶやく。
 
「本当に元に戻ってくれているならいいんですけど。」
 
「そうだな・・・。まだ陽も高いし・・・少し中に入ってみるか。そうすればモンスターがいるかいないかくらいの判断はつくだろう。」
 
 私達は慎重に、渓谷の中に向かって一歩を踏み出そうとした、その時、
 
「おーい!!ちょっと待ってくれぇ!」
 
 聞き覚えのある怒鳴り声に私達は振り向いた。こちらに向かって誰かが走ってくる。
 
「フリッツさん!」
 
 フリッツさんが追いついてきていた。
 
「何だよディレン、やけに早かったじゃないか。」
 
「君が遅いんだよ。宝だか遺跡だかは見つかったのか。」
 
「見つかったよ。遺跡というか・・・昔の神殿の跡だな、あれは。」
 
「神殿?」
 
「ああ、かなり小規模なもんだがな。ここからまっすぐ南に行ったところに小さな集落があるんだ。そこの村でずっと昔から信仰されていた神様らしいんだが、いつの頃からかその神殿の場所がわからなくなって、捜してくれって前から頼まれていたんだ。この間たまたま南へ帰る鉱夫達を送っていく途中で、それらしい場所を見つけたから一人で行ってきたのさ。おかげで礼金も少しはもらえたし、また次の冒険の資金に充てられそうだな。」
 
 フリッツさんはにこにこしている。この人にとって、冒険で手に入るお金も宝も、たいした価値はないらしい。冒険に身を投じている時こそが、彼にとっての至福の時なのかも知れない。フリッツさんを交えて、私達は慎重に渓谷の中を進んでいった。かなりゆっくりと進んでいったつもりだが、モンスター達に会うことがないまま、いつの間にか渓谷の中程まで来ていた。もう少し先へ行けば、ウィローと私が訓練のために過ごしたキャンプ場所に着く。
 
「相変わらず・・・静かなもんだ。今日はここでキャンプを張るしかなさそうだな。さてと・・・どのあたりがいいものか・・・。」
 
 ディレンさんが辺りを見回しながら小さくつぶやく。
 
「それなら、もう少し先に広めの場所がありますよ。」
 
「これだけの人数でも大丈夫か?」
 
「テントが三つくらいは張れますから大丈夫だと思います。」
 
「それではそこに決めるか。」
 
 キャンプ場所に着いた時、何となく懐かしい気持ちになった。カインと別れて、何とかウィローを足止めしようと私は必死でウィローと一緒に訓練したっけ・・・。ついこの間のことなのに、なんだかもう何年も前のことのような気がする。
 
 ディレンさん達も鉱夫達も、みんな思い思いの場所にテントを張り始めた。一緒についてきていたウィンガー達は、会った時から私達とは一言も言葉を交わそうとはしない。彼らとの出会いの経緯を考えれば、いくら今は胸を張れる仕事をしていると言っても、私達に好んで近づきたくない気持ちはわかるような気がした。彼らは彼らで自分達のテントを張り始めている。
 
 渓谷の中はじっとりと湿気が多く足許もしめった草だらけなのだが、このあたりだけは平らな乾いた場所がたくさんある。もしかしたら、この渓谷を抜ける人達はみんなここでキャンプを張るのかも知れない。一通り準備が終わり、焚き火を囲んでそれぞれ食事をとっていた時、フリッツさんが私達に近づいてきた。あとからディレンさんもやってくる。
 
「カイン、クロービス、とうとう北に帰るんだな。」
 
 フリッツさんが尋ねる。
 
「はい。任務は終わりましたし、向こうが気になりますから・・・。」
 
「そうか・・・。凱旋てわけにはいかないし、団長さんのこととかいろいろ大変だろうけど、せめて結婚式ぐらいちゃんと挙げろよ。でないと彼女がかわいそうだからな。」
 
「え!?」
 
 いきなり思いがけないことを言われ、私は思わず大きな声をあげてしまった。フリッツさんが『おや?』と言う表情をして、眉間に少し皺が寄ったような気がした。
 
「え、とはなんだよ?女の子を連れて帰るんだから、当然そのつもりなんだろう?それとも、あんたまさか、この彼女を何の約束もなしにただ連れて行くつもりか?」
 
「あ、いや、そういうことではないんですけど、その、そこまではまだ・・・。」
 
「おいフリッツ、そう問いつめるなよ。若者にはいろいろと事情があるのさ。」
 
 ディレンさんが取りなす。
 
「何だよ、その言い方。おやじくさい奴だな。お前は一人で歳をとってろ。俺はまだ若者の部類にはいるぞ。」
 
「私だってまだ若いつもりだがな。」
 
「だいたいなんだよ、その事情って・・・・。」
 
 言いかけて、フリッツさんは途中で小さく『あ』と叫んだ。
 
「そういえば・・・彼女は確か、この間親父さんが死んでたってわかったばかりなんだよな・・・。悪い!俺が無神経だった。」
 
 フリッツさんはあわててウィローに頭を下げた。
 
「あ、あら、そんな、いいんです。お気になさらないでください。」
 
 ウィローは赤くなっている。
 
(結婚式か・・・。)
 
 言われるまでそんなこと考えもしなかった。そこまで考えるだけの余裕がなかったのは確かなのだが、一緒にカナを出た以上、いずれ考えなくてはならないことだ。そういう意味では、今の私はかなりいい加減な奴なのかも知れない。使命があろうとなかろうと、ずっと一緒にいたいと言いながら、将来の約束など何一つ交わしていないのだから。
 
「それよりフリッツ、君は彼らと一緒に北へ帰らなくてもいいのか?こっちにはもう大分いただろう?」
 
 ディレンさんがフリッツさんに話しかける。もしかしたら助け船を出してくれたのだろうか。
 
「そうだなぁ。俺がこっちに来たのはもう結構前だから、一度向こうに戻りたいとは思うんだけどな・・・。何だかそうもいかないみたいだぞ。」
 
「・・・どういうことだ?」
 
「この間お前達と別れて遺跡探しに行く途中、出くわすモンスターがみんな本当に手強かったんだよ。だからしばらくはこのあたりを巡回していたほうが良さそうだなと思ってさ。こんな状態じゃ、冒険どころじゃないからな。」
 
「君がそんな言い方をするのは珍しいな。そんなに強かったのか?」
 
「なんていうかなぁ・・・強いと言うより、ブチ切れてたような印象はあったな。眼の色が尋常じゃないんだ。まったく・・・殺さずに仕留めるのに一苦労だったよ。」
 
「殺さないんですか?」
 
 カインが驚いて尋ねる。わたしも驚いていた。フリッツさんは別に王国剣士ではない。モンスターを殺したって誰にも咎められるわけではないのに・・・。
 
「殺さないよ。まぁ俺は、別に王国剣士みたいな誓いを立ててるわけじゃないし、殺したって誰も文句は言わないけどな。でも考えてもみろよ。生き物を殺すってのがどれほど後味悪いことか・・・。昔まだ俺が駆け出しの頃、初めてモンスターを殺した時、目の前でそいつが少しずつ動かなくなっていくのを見ながら、ものすごく怖かったんだ。そいつの血がべっとりついた自分の剣を見て、立っていられないくらいがたがた震えていたよ。自分が死ぬかも知れないって思った時より、ずっと怖かったような気がする・・・。あんな思いはもうたくさんだ。だから頑張って腕を上げたのさ。でも絶対とは言わないよ。自分の命が危ない時は、相手が誰であろうと迷わずたたっ斬ると決めてるからな。」
 
 私自身も、島を出たあと、あの海底洞窟でモンスターを殺した。後味が悪くて、もう殺したくないと思った。誰だって同じなのかも知れない。
 
「もったいないな・・・。そういう人が王国剣士になってくれたら・・・。」
 
 カインがぽつりとつぶやく。
 
「ははは。俺は駄目だよ。人に命令されるのが性にあわなくてなぁ。一人でふらふらと好きなところに出掛けていくのが三度の飯より好きなんだから、王国剣士なんてとてもとても務まらないよ。」
 
 フリッツさんはそう言って大きな声で笑った。
 
「私も君の王国剣士としての姿なぞ想像すら出来んな。」
 
「はっはっは。そりゃそうだろうな。本人が想像出来ないんだから。」
 
「だが私は君の腕は認めている。モンスター達の目が尋常ではないというのは私も感じたよ。君がこっちに残ってくれるなら心強い。これからもあてにさせてもらうぞ。」
 
「それなら俺もお前をあてにするぞ。たまには冒険にもつきあえよ。」
 
「以前つきあったじゃないか。私の仕事は冒険じゃない。南大陸の警護だ。」
 
「ははは。まあそういうことにしておいてやるよ。」
 
 なんだかこの二人はコンビを組んでいるみたいだ。別に約束しているわけでもなくて、それぞれ自分の都合で一緒に歩いたり離れたりしているのだろうけど、気が合っているのは間違いなさそうだった。
 
「さてと、もう夜も遅い。不寝番は私達がやるよ。君達は休んでくれ。」
 
「いえ・・・。私達もやります。」
 
「ここからハースの湖まで、まだしばらくはかかる。そのあと船で2日がかりだ。船に乗るまでは体を休めておいた方がいいよ。人手は他にもあるんだ、心配するな。差し伸べられた手は素直に受け入れるものだ。」
 
 ディレンさんはそう言ってにやりと笑った。
 
「わかりました・・・。ではお願いします。」
 
 私達はテントに引き上げた。テントの中では、一足先に引き上げたウィローが眠っている。このテントに3人は寝られない。カインは私達のテントを指さし、『お前はそっちな』と有無を言わせぬ口調で言うと、自分はフリッツさんのテントを借りてその中に潜り込んだ。先ほどからずっと何か考え込んでいる。その心の中はもやがかかったようにはっきりしない。かなり思い悩んでいることは確かだが、何となく私は不安になった。
 
「クロービス・・・。」
 
 寝袋を広げて潜り込もうとした時、仕切布がするりとあがり、ウィローが顔を出した。
 
「あ、ごめん、起こしちゃった?」
 
「今日は・・ここにいるの?」
 
「いるよ。不寝番はディレンさん達が交替でやってくれるって。今日はゆっくりさせてもらうよ。」
 
「そっか・・・。よかった。」
 
「よかった?」
 
「よかったわよ。近くにいるってなんだか安心するじゃない。」
 
「そうだね・・・。」
 
「ねぇクロービス。」
 
「ん?」
 
「いつか・・・結婚式挙げられるといいわね。」
 
 そう言ってウィローは照れくさそうに笑いながら、手に持っていた仕切布の端で顔の下半分を隠した。
 
「いつか、か・・・。」
 
「そう、いつかよ。」
 
「君は・・・いつかでいいの?」
 
 私の問いに、ウィローはうなずいた。
 
「いいわよ。私も・・・今はそこまで考えられない・・・。」
 
「そうか・・・。でも村の人達はそうは思ってないと思うよ。それでもいいの?」
 
「そうよね・・・。でもいいわ。何を言われようと、まずは父さんのやり残した仕事を私の手できちんとやり遂げたい。いつになるかはわからないけど・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
 本当にいつになるかわからない話だ。この大地に・・・平和を取り戻すこと・・・。
 
「ごめんなさい・・・。あなたがみんなにあんなひどいこと言われているのに、私、自分のわがままばかり言って・・・。」
 
「謝ることないよ。そんなに気にしなくても、きっと今頃は誤解も解けているよ。」
 
「そうだといいけど・・・。」
 
「大丈夫だよ。そう信じよう。」
 
「そうね・・・。」
 
 無意識に手が伸びてウィローの髪をなでる。ウィローは微笑んで、不意に仕切布を跳ね上げ、私の首に両腕を巻き付けた。その拍子にお互いの顔が近づき、一瞬だけ唇が重なる。そして次の瞬間にはウィローはさっと体を離し、仕切布を素早く下げてちいさな声で言った。
 
「お休みなさい・・・。」
 
「お休み・・・。」
 
 心臓が耳元で鳴っているみたいにどきどきする。おかげで布一枚隔てた向こうにウィローが寝ていることを妙に意識してしまい、この日はなかなか眠ることが出来なかった。
 
 
 そして2日後、私達はハース城の前に立っていた。城の周りには無数のモンスター達の足跡がまだ残っていたが、城の中も、その周囲を取り巻く鬱蒼とした森からも、モンスター達の気配は感じられなかった。
 
「きれいさっぱりいなくなってるな・・。」
 
 カインが拍子抜けしたようにあたりを見渡す。
 
「ここにそんなにたくさんのモンスター達がいたのか?」
 
 フリッツさんも不思議そうにきょろきょろしている。
 
「ええ・・・。びっしりと・・・。」
 
「へぇ・・・。そんなにたくさんいたのに今この状態だってことは、逆にいうと、そのあたりに隠れてるって言う心配はないってことだよな。あれからもう何日も過ぎてるし、きっと引き上げたんだろう。この小川の水も普通の色になってるし。」
 
 フリッツさんは足許の小川を覗き込んだ。
 
「とは言え、油断は出来んな。とにかく船に向かおう。君達をきちんと船に乗せて送り出すまでは気が抜けんからな。」
 
 ディレンさんの言葉に私達は気を引き締め、慎重に歩を進めた。だがやはりモンスター達は現れず、ハース城の前からは死角になる位置に泊められていた船は無事そこにあった。
 
「どうやら運に見放されたわけではなさそうだな。」
 
 カインがつぶやく。
 
「あれだけのモンスターがいてこの船に見向きもしなかったなんて、ちょっと信じられないな・・・。」
 
 私はこの船を見るのは初めてだ。思ったほど大きくはないが、かなり立派なものだ。だが、よく見るとあちこち修理したあとがある。
 
「カイン、この船ってけっこう古いの?」
 
「どうかなぁ・・・なんで?」
 
「いや・・・あちこち板を打ちつけて修理したあとがあるよ。・・・ほら、この舳先のところとか・・・。・・・あれ・・・?この修理跡なんか新しいよ。」
 
「・・・俺が乗ってきた時はこんなところ壊れてなかったぞ?」
 
「それじゃ壊したのはやっぱりモンスターだよね?」
 
「それしか考えられないだろうな・・・。」
 
「じゃ、修理したのは・・・。」
 
−−ガタッ!−−
 
 突然船の中から音がした。その場にいた全員が思わず武器に手をかけた。
 
「誰かいるのか!?」
 
 カインが船に向かって大声で叫んだ。返事はない。だが、またガタガタと音がして、軽い舌打ちのような音が聞こえた。そしてその次には
 
「全く・・・王宮の持ち物のくせに安物だな・・・。」
 
そうつぶやいた声と共に、船室から現れた人影・・・それはなんとあのゲイルだった。彼のあとから甲板にあがってきた若い男にも見覚えがある。多分この男がゲイルと一緒に姿を消したジェラルディンなんだろう。
 
「お前は・・・どうしてここにいるんだ?」
 
「ほお、皆さんおそろいか。ついてねぇな。あんたらと顔を合わせる前に退散する予定だったんだが・・・。」
 
「この船を直してくれたのはお前か?」
 
 カインの問いにゲイルは少しだけうなずいた。
 
「何でお前はここで船の修理などやっていたのだ?最初からそのつもりで姿を消したのか?」
 
 ディレンさんが厳しい表情でゲイルに尋ねる。
 
「まさか・・・。最初は・・・あんたらから逃げるつもりだった。」
 
「なぜだ!?」
 
「俺はあんたらと一緒にいた間中、あんたの言うとおりどこの村でも歓迎された。ついこの間まで俺に殴られたり蹴られたりしていた鉱夫達でさえ、別れ際には礼を言って去っていく。でもそれはあんたらと一緒にいるからだ。あんたらの陰に隠れ、あんたらの威光を笠に着ているだけだ。それなら今まで自分がしていたことと何一つ変わっちゃいない。あんたがイシュトラに取って代わっただけのことだからな。」
 
「だから逃げたのか?逃げてどうなるのだ?」
 
「まったくだよ・・・。逃げても何も変わらなかった。あんたらから離れてあてもなく歩いている時、ちょっとした気まぐれで旅人をモンスターから救った。うっとうしくなるほど涙ながらに感謝されて・・・。ふん!似合わねぇことしちまったもんだ!」
 
「似合わないなんてことはないさ。いったい何が不満なんだ?」
 
「選択の余地がないことだ。」
 
「あるじゃないか。別に何が何でも私達と一緒でなければならないわけではない。お前の意志でどこに行ってもいいんだ。ただひとつ、古巣に戻りさえしなければいいだけなんだからな。それとも、それをどうしても選択肢に加えたいというのか?もしもそうなら、今この場でけりをつけるぞ。」
 
 ディレンさんの目が鋭く光り、右手が剣の柄にかかった。ぱちんと音がして、もういつでも剣が抜ける状態になっている。
 
「・・・・・・。」
 
 ゲイルは黙っている。
 
「・・・どうなんだ・・・?」
 
「・・・俺は・・・。」
 
 みんな黙ってゲイルの次の言葉を待った。誰も助け船を出すことは出来ない。逆に勝手に決めつけてもいけない。この男が自分で答えを出さなければならない・・・。
 
「俺は・・・盗賊になんぞ戻りたくない・・・。」
 
 ほっとした。私だけじゃない、私の隣でカインも安堵のため息を漏らした。この男が盗賊に戻るつもりなら、この場で縛り上げて北大陸まで連行して行かなくてはならない。でなければディレンさんの言うようにここで『けりをつける』か・・・。そうならなかったことがうれしかった。
 
「だが、あんたらに操られるのもごめんだ!俺の人生は俺のものだ!」
 
 ゲイルが叫んだ。この男はもしかしたら、ハディのように『自分のやり方』がほしいのかも知れない。自分のやり方で自分の人生を築いていきたいのに、それが見つからずに他人のやり方で流されていくのが我慢出来ないのかも知れない。ハディ・・・今頃どうしているんだろう・・・。
 
「それなら好きにすればいい。」
 
 そう言ったディレンさんの目から先ほどの鋭さは消えていた。穏やかな目でゲイルを見ている。
 
「お前が悪の道に進まないと誓うのなら、別に無理して私達と来る必要はない。ここで別れよう・・・と言っても今会ったばかりだがな・・・。船を直してくれて礼を言うよ。私はこの王国剣士達を無事に北大陸に帰さなくてはならないのでね。」
 
 ゲイルは視線を私達に移した。その一瞬、なんだかとても複雑な感情が流れ込んできた。
 
「・・・俺はあんたらに礼を言うべきなんだろうな・・・。」
 
「礼?」
 
「俺達を放免してくれてありがたいとかなんとかさ。」
 
「ありがたいなんて思ってるのか?」
 
 カインが尋ねる。少なくともこの男の今の態度を見る限り、とても『ありがたい』と思っているようには見えない。
 
「わからん。」
 
「わからないなら無理して言う必要はないじゃないか。」
 
「それでいいのか?」
 
 ゲイルの顔には意外そうな表情が宿っている。この男は、私達が彼らを放免したことに対して、感謝してほしいと思っているとでも考えていたのか・・・。とすると、カナを出てから再会したウィンガー達が私達に近寄ってこなかったのも、頼んでもいないことで偉そうな顔をされたのではたまらないと思っていたのかも知れない。当然私達の頭の中にそんな考えはつゆほどもない。でもこちらの思ったことが必ずしも相手に正しく伝わっているとは限らないのだろう。カインも私も、南大陸という未知の大地に足を踏み入れてから、ずっとあちらこちらで誤解されつづけてばかりだ。
 
「いいも何も・・・逆に、俺達はお前らに感謝したいくらいだよ。剣士団が南大陸に来ることが出来ない上に、俺達ももう北大陸に戻らなくちゃならない。でもお前達がディレンさん達と同じように、ここでこの地を守っていてくれれば少しは安心出来るってもんだ。頼むからそう簡単に死なないでくれよ。俺達は王宮に戻ったら、何とかして南大陸への剣士団の再派遣を願い出てみるつもりだが、それもかなり時間がかかると思うからな。」
 
「・・・俺はそう簡単に死なん。だがあんたらはわからんぞ。」
 
「どういう意味だ?」
 
 ゲイルは少し言いよどみ、考えを巡らせるように眉根を寄せた。
 
「・・・リーデンに気をつけろ・・・。」
 
「リーデン・・・北大陸に向かったらしいというイシュトラの手下か?」
 
「奴が本当にイシュトラの手下だったのかどうか、それも俺達ははっきりと知っているわけじゃない。だが、あの男がどれほど危険な奴かはわかる。とんでもなく残虐で・・・いや・・・あいつは・・・およそ人間らしい感情とは無縁な奴なのかも知れないな・・・。あいつがもしも本当に王宮に向かったとしたら、何が起きてもおかしくない。」
 
「・・・憶えておくよ。だが王宮には剣士団の精鋭達が数多くいる。そいつ一人が乗り込んできたとしても、そう簡単にやられはしないさ。」
 
 カインの言葉に、ゲイルは不安げな顔のまま小さくうなずき、ジェラルディンと共にゆっくりとした足取りで船を下りた。・・・リーデンというのはどれほど危険な男なのだろう。そんな男が北大陸にいると聞いただけで、私も何となく不安になった。
 
「船は出来る限り修理しておいた。もっともやったのはほとんどジェラルディンだがな。こいつは大工の心得があるそうだ。ちゃんと直ってると思うぜ。」
 
 ゲイルはカインの隣で船を指さしながら説明した。
 
「そうか・・・。ありがとう、二人とも。おかげで助かったよ。ここで足止めを食うところだった。」
 
 ジェラルディンは黙ったままだ。
 
「この次あんたらに会う時があったら・・・その時は礼を言えるかも知れないな・・・。その時まで生きていればの話だが・・・。」
 
「簡単に死なないんだろう?なら大丈夫だよ。また会えるさ。」
 
 カインはゲイルの肩を叩いた。そこにディレンさんとフリッツさんが進み出る。
 
「では元気でやってくれ。みんなによろしくとは言えないが・・・。」
 
「それじゃ、頑張れよ。また会えるといいな。」
 
「ありがとうございました。」
 
 私達はしっかりと握手を交わし、船に乗り込もうとした時、ずっと私達と口をきかなかったハース城の元衛兵達が、ディレンさん達を押しのけて前に出た。
 
「また来いよ。こっちは・・・俺達が守るから・・・。」
 
「あんたらに胸を張って礼が言えるようになりたいよ。また来てくれよ。」
 
 口々に言いながら私達の手を代わる代わる握っていく。
 
「きっとまた来るよ。」
 
 私達は船に乗り込み、カインの操船で船は湖畔を離れ、海へと続く川へ入っていった。私はカインから操船の仕方を教えてもらった。それほど難しいことはないが、やはり水の上は勝手が違う。幸い川面は穏やかだったので、練習を兼ねてしばらく私が動かすことになった。
 
「けっこううまいじゃないか、お前。」
 
「こっちは必死だよ。」
 
「ははは。まあ頑張れよ。」
 
 この時はまだよかった。川幅はそれほど広くなかったし、風は穏やかで船の進行を妨げるようなものは何もない。だが、船が川を下り海に出た頃から、揺れが大きくなってきた。バランスをとろうとするのだがなかなかうまくいかない。その時、北に帰る鉱夫の一人がやってきて、自分は操船の心得があるからと、色々と教えてくれた。その人はハース鉱山からカナへと戻る途中、熱射病で倒れた鉱夫だった。彼はノーラスと言って、城下町では船大工だったらしい。海のモンスターが増えてきて、漁に出る船が激減してから船大工としては生計を維持出来なくなり、金になると評判のハース鉱山への出稼ぎに来ていたとのことだった。
 
「いいか?ほら、舳先がこっちを向いたら・・・。」
 
 鉱夫は舵を微妙な力加減で回す。
 
「それでもしもこっちに傾くようなら・・・。」
 
 今度は反対側にくるりと回す。
 
「あとは、帆の向きをちゃんと目的地に向かうように向けておけば、大丈夫だよ。強い風にあおられると向きが変わっちまったりするから、常に注意しておくといいよ。」
 
「すみません、助かります。」
 
 カインと私は素直に頭を下げた。カインにしても一度教わっただけだし、そのうろ覚えの操船技術を教わっただけの私ではこの船の揺れには対応しきれない。
 
「別にいいよ。あんた達のおかげで俺もしばらくぶりに家に帰れるわけだし。それより、あのデールさんの娘さん、ウィローちゃんか。さっきからずっと船室にいるみたいだけど、船酔いでもしてるんじゃないか?」
 
「あ、そう言えば・・・。」
 
 船に乗ったばかりの時は、ウィローははしゃいでずっと甲板で風に当たっていた。でも確かに海に出た頃から声が聞こえなくなった。そしてさっき『中に入ってる』と言い残したまま船室に降りていったんだ・・・。
 
「ちょっと見てくるよ。」
 
 私は急いで船室に降りた。船室と言ってもただの板の間だ。壁で二つほどに区切られているが、ベッドも何もない。ここではこのまま寝袋に潜り込んで眠るようになっているのかも知れない。だいたいここにベッドがあったとしても、こんな小さな船だ。ひとたび揺れればあっという間に床に投げ出される。
 
 その板の間の隅っこにウィローがいた。ぐったりとしたまま動かない。
 
「ウィロー?」
 
「クロービス・・・。」
 
「気分が悪いの・・・?」
 
 ウィローはうなずき、私に手を伸ばした。その時ちょうど船がぐらりと揺れ、そのまま私の腕の中に倒れ込んだ。
 
「気持ち・・・悪い・・・。」
 
「船なんて初めて乗るんだよね・・・。」
 
「うん・・・。あなたは平気なの・・・?」
 
「私は島育ちだからね。外海に出たことはないけど、島の浜辺で船遊びはよくしたよ。小さな船だと内海の中でもかなり揺れるからね、この程度の揺れには慣れてるんだ。」
 
「そう・・・。」
 
 ウィローはぜいぜいと苦しそうに息をしている。
 
「風に当たった方がいいんじゃない?」
 
「でも・・・落ちそうで怖い・・・。」
 
「それじゃ、支えていてあげるから、ほら・・・。」
 
 私はウィローを支えて立ち上がらせた。歩き出そうとしたとたん、ウィローが『うっ・・・!』と口を押さえて泣き出しそうに私を見た。
 
「もしかして・・・吐きそうなの!?」
 
 ウィローは涙目でただうなずく。もしかしたらもう今にも出てきてしまいそうなのかも知れない。
 
「ちょ、ちょっと待ってて!」
 
 私は慌ててウィローを抱き上げた。足下のふらつく状態を支えながら歩いていったのでは間に合わない。甲板に駆け上がったとたん、ぐらりと船が大きく揺れた。危うく船室に転げ落ちそうになる。
 
「お、おい!そんなに一気に舵を切っちゃだめだよ!早く、戻して!」
 
 ノーラスさんの大声が聞こえる。
 
「え!?あ、すみません!」
 
 カインが慌てて答える。この船の揺れはどうやらカインの操船ミスらしい。
 
「あ、おい!クロービス、お前も手伝って・・・」
 
「カインちょっとがんばっててよ!そんな余裕ない!」
 
 私は言うだけ言って、ウィローを甲板の風上に連れて行った。後ろでカインがあきらめたように『そのようだな・・・・』と小さく言うのが聞こえた。とまた、船が反対側にぐらりと傾く。
 
「おわーー!だからもう少し小さく切らないと・・・」
 
「あ、も、もっと小さくですか・・・・。」
 
 この船は小さく、『操舵室』などと言うしゃれた部屋はない。甲板に舵がドンと備え付けてある。そこでカインが汗だくになりながら、ノーラスさんの指示で必死に舵をまわしていた。
 
「う・・・うげ・・げぇ・・・ぐふ・・・げほっげほっ・・・・げぇ・・・・」
 
 私はと言えば、手すりから海に身を乗り出してげぇげぇと吐き続けるウィローの腰をしっかりと支えて、空いた手には水を入れた皮袋を持っていた。これはさっき、別な鉱夫が『吐いたあとには口の中が気持ち悪いからね』と言いながら持ってきてくれたものだ。しばらく吐き続けて、やっとウィローは落ち着いたらしい。手すりにしがみついてぜいぜいと息をしている。
 
「大丈夫?」
 
 私の差し出した水を一口含んで、ウィローは海に向かって水を吐き出した。
 
「何とかね・・・。食べたものが全部出ちゃったわ・・・。あぁ・・・もったいない・・・。」
 
「少し水を飲んでおくといいよ。もしも眠れそうなら寝た方がいい。」
 
「うん・・・。」
 
 ウィローはうなずいて、手すりの内側に腰を下ろした。私も横に座り、肩にウィローの頭を寄りかからせた。
 
「ごめんなさいね・・・。あなたの足引っ張っちゃって・・・。」
 
「いいよ、そんなこと気にしないで。君が船に乗るのが初めてだなんて、実際に乗るまで考えもしなかったんだから・・・。私も間抜けだなぁ・・・。」
 
「船酔いなんて聞いてはいたけど・・・こんなにひどいなんて想像もしていなかったのよ。早く慣れなくちゃならないのにね・・・。」
 
「そのうち慣れるよ。」
 
「そうね・・・。」
 
 風がざーっと吹きすぎていく。ウィローはしばらく風を吸い込んで目を閉じていたが、やがて立ち上がった。
 
「無理しない方がいいよ。」
 
「大丈夫よ。私、中にいるわ。眠れそうなら眠るから。」
 
「そうか・・・。気分が悪くなったら我慢しないで言うんだよ。」
 
「わかった。」
 
 やっと笑顔になったウィローは、一人で船室に戻っていった。船室の扉が閉まるのを確認して、私は舵のところに行った。ここではカインがぜいぜい言いながら、舵にしがみついている。今のところ追い風だし、波は穏やかなので舵を動かすようなことはない。
 
「ウィローは?」
 
「落ち着いたみたいだよ。中にいるって。」
 
「そうか・・・。それじゃ、交代だ。いや〜・・・剣士団長はすごく簡単そうにやってたけど・・・船を動かすのがこんなに大変だとは・・・。」
 
 カインが珍しく情けない声を出している。
 
「初めてにしちゃ筋がいいよ。さすが王国剣士だな。飲み込みも早い。あとは場数を踏めばどこにだって行けるようになるさ。」
 
「ば・・・場数ですか・・・。」
 
 カインは大きなため息をついた。そのあとは私が舵の前に立ち、ノーラスさんに教えてもらいながら、操舵の仕方を夕方まで教わった。カインほど思い切りがよくない性格が幸いしたか、舵を切りすぎて船を傾けるという失態は演じずにすんだ。それでも日が沈んで碇を降ろすその時まで、ずっと舵を握りっぱなしだった私はへとへとに疲れていた。
 
 夜の間は船を無理に進めず、休むことにした。ただし不寝番はしなければならない。最近は海にもモンスターが生息している。気を緩めることは出来なかった。
 
 夜が更けて、カインと交代するために甲板へ出た。カインは剣を鞘に収めているところだった。
 
「何かでたの?」
 
「ああ・・・。まったく・・・海の中までこんな調子じゃ、安心して旅も出来ないな・・・。」
 
「ひどくなる一方だね・・・。」
 
「何か原因があるはずなんだけど・・・それがなんなのかわからないんだよな。」
 
「ナイト輝石の廃液流出が止まった時点で、もう少し改善されてもよかったはずなのにね。」
 
「うん・・・。俺も以前はそれが原因なのかと思っていたけど・・・何か他にも理由があるのかなぁ・・・。」
 
「私達の持ち帰る報告が、その原因究明に少しでも役立てばいいんだけどね・・・。」
 
「そうだな・・・。ウィローは?落ち着いてるのか?」
 
「眠ってからは一度も目を覚ましていないみたいだから、大丈夫だと思うよ。」
 
「そうか・・・。船酔いまでは計算に入れてなかったからな。考えてみりゃ船に乗るのなんて初めてなんだから、ああなるのが当たり前なんだけど・・・。」
 
「明日は大丈夫だと思うけどね。少しは揺れに慣れてきたみたいだから。」
 
「俺達の操船も相当危なっかしいしな・・・。もう少しちゃんと操れるようにならないと・・・。」
 
「まあ・・・確かにやたらと揺れるのは、波のせいばかりじゃないからね・・・。」
 
「がんばって慣れないとな。・・・さてと、俺は寝るよ。」
 
「おやすみ。」
 
 カインは船室に行きかけて立ち止まり振り返った。
 
「クロービス、さっき現れたモンスターは、船の外側にべったり張りついて甲板に這い上ってきたんだ。危うく後ろをとられるところだったよ。気をつけろよ。」
 
「わかった。」
 
 カインが船室に降りて、私一人になった。しんと静まりかえった船の上では、波の音ばかりが耳につく。カナにいた時に満月だった月はもう半分ほどになっていて、水の上にゆらゆらと踊っている。この穏やかな海の中にも『モンスター』と呼ばれる凶暴な生き物がいるのだと思うと、背中が寒くなる思いだった。
 
−−ぱしゃっ!−−
 
 闇の中から水音がした。波音じゃない。
 
−−どかっ!−−
 
 船が揺れる。何者かが船に体当たりをしているのか?
 
「冗談じゃない!底に穴を開けられたりしたら・・・」
 
 つぶやいた瞬間、月を背にして波間から躍り上がった影が甲板にどさりと落ちてきた。体が水に濡れてぬらぬらと光っている。
 
「人・・・じゃないよな・・・。体に見えるのは・・・鱗か・・・。」
 
 その影の体は間違いなく鱗でびっしりと覆われている。甲板で四つんばいになってジリジリと近づいてくるのがはっきりとわかる。そしてその心の中にすさまじい憎悪が渦巻いているのも・・・。
 
−−シャーッ!−−
 
 奇声を上げてその影は飛びかかってきた。ひらりとよけながら剣で肩に斬りつける。手応えはあるのだが、カタい鱗のせいでそれほどダメージを与えられたとは思えない。そのまま何度か影は私に飛びかかり、私は剣でかわしながら、何とかその影を海に追い落とすことは出来ないものかと考えていた。別に強いと言うほどのモンスターではない。でも暗闇のせいばかりではなく、このモンスターの正体がわからない。人の形をしているようにも見えるが、二本足で立とうとはしない。第一、体中が鱗で覆われた人間など聞いたこともない。やがてその影はひときわ低く身をかがめた。そして勢いをつけて、思い切り跳躍すると私に飛びかかってきた。ほぼ頭の上から落ちてくる影を倒そうと思えば下から突き刺すしかない。でもそれではこのモンスターは死んでしまうかも知れない。私は一瞬迷った。そして次の瞬間、肩当ての上に重い衝撃が走り、私はバランスを崩してしりもちをついた。
 
(もうだめだ!)
 
 ここで死ぬわけにはいかない。覚悟を決めて剣でモンスターを突き刺そうとしたその時、
 
「ギャーッ!!」
 
 悲鳴を上げたモンスターが手すりを乗り越え、海に姿を消すのが見えた。何が起きたのかよくわからないまま、私は立ち上がり水面をのぞき込んだ。もう静まりかえっている。
 
「大丈夫?」
 
 声に振り向くとウィローが立っていた。それでわかった。さっきのモンスターは、ウィローの放った矢に射られて逃げたのだ。
 
「君だったのか・・・。助かったよ、ありがとう。」
 
 ウィローは私の肩当てをはずして治療術の呪文を唱えてくれた。二度ほど唱えて、肩の傷はきれいになり、痛みも取れた。元のように肩当てを止めながら、
 
「よかった・・・。」
 
ウィローは泣き出しそうな顔で何度もそうつぶやいていた。その顔を見ているうちに、なんだか私も泣きたい気分になって、思わずウィローを抱きしめていた。
 
「今・・・君が来てくれてよかったよ・・・。」
 
 でなければまた・・・私は誓いを破るところだった。ロコのことは剣士団長も認めてはくれたけれど、今回は事情が違う。今私が怪我をしたのはさっき迷ったせいだ。あんな場合にも、出来るだけ急所をはずして相手を倒せる程度の訓練は受けたはずだ。『とっさの判断に迷った』などと言う理由で、モンスターを死なせるなどと言うことがあってはならない。
 
 ウィローは黙って私の背中をなでていてくれた。
 
「船が揺れたような気がして・・・また酔うんじゃないかと思ったのよ。だからひどくなる前に甲板に出ておこうと思ったら、あなたが戦っているのが見えたの・・・。」
 
「でもよく弓を持ってきたね。」
 
「ええ・・・一応用心のためにと思っただけなんだけど、役にたってよかったわ。」
 
「役に立ったよ。で、気分は?まだよくない?」
 
「全然大丈夫。私も朝まで一緒に不寝番しようかしら。」
 
「危ないよ。」
 
「でも昼間から寝ちゃったから目がすごく冴えているのよね。船も止まっているからここにいても大丈夫よ。・・・だめ?」
 
「・・・それじゃ、今日は特別にね。」
 
 仕方なさそうに言ってはみせたが、実は私もウィローにいてほしかった。なんだかとても心細くて、誰かに一緒にいてほしい気分だった。ウィローは笑顔になり、一度船室に戻って本格的に鉄扇や矢筒も装備して出てきた。
 
「それじゃ、私はこっち側にいるから、君はそっちのほうをずっと見張ってて。」
 
 船の上も海の上も、しんと静まりかえっている。空には満天の星。これが「不寝番」などでなかったら、もっと楽しく会話を交わすことも出来るのに・・・。そんなことを考えながら、陽が昇るまであたりに注意を巡らせていた。
 
 翌日、クロンファンラへと帰る鉱夫達のために、私達は一度南地方の入江に船を泊めた。ここからクロンファンラまではすぐだが、念のため、私達はクロンファンラまで鉱夫達を送っていった。陸に上がってすぐ、それでよかったと思った。このあたりのモンスターが、以前にもまして狂暴化していたからだ。そして不思議なことに、常に巡回しているはずの王国剣士達に、一人も出会わなかった。何となく不安になって、私達はクロンファンラに入らず、入口で鉱夫達と別れ、すぐに船に戻った。幸い船は襲われていなかった。急いで入江を離れ、東の港へ向かって船を進める。だがさすがにこの日のうちにはたどり着けず、また私達は海の上で一夜を過ごすことになった。この日の夜はモンスターこそ現れなかったが、何か・・・得体の知れない不安が心の中に広がっていくのを感じていた。
 
 そして次の日の午後、私達は北大陸の東の港に着いた。城下町へ向かうと、門番の剣士がいない。またハリーさん達がさぼっているのだろうか・・・。東門を抜けて町の中に一歩足を踏み入れた私は、奇妙な感覚に思わず立ち止まった。
 
「どうした?」
 
 カインが怪訝そうに私を見る。
 
「結界が張ってある・・・。」
 
「結界・・・?今までもあったか?そんなの・・・。」
 
「いや・・・今まではなかったよ。だっていつも門には見張りがいたし・・・。それに・・・この結界は風水術の結界とは・・・違う・・・。」
 
「風水じゃないって・・・それじゃなんだよ・・・?風水術以外で結界を張れる呪文なんてあるのか?」
 
「判らない・・・。でもかなり強力だな・・・。これなら・・・門に見張りがいなくても、モンスター達は城下町の中までは入って来れないよ・・・。」
 
「そうか・・・。て言うことは・・・少なくともこの結界を張った人物はいい人だってことだよな。」
 
「だと思うけど・・・でも何で門番がいなくて、結界なんて張ってあるんだろう・・・。」
 
「それって・・・もしかして、クロンファンラ附近で王国剣士さんに一人も出会わなかったことと関係あるのかしらね。いつもはちゃんと門には見張りの剣士さんがいたんでしょう?」
 
 ウィローの言葉にカインが頷いた。
 
「そうだな・・・。とにかく王宮に向かおう。何が起こっているのか、この眼で確かめないと。」
 
「それじゃ、俺達はここで。」
 
 城下町まで一緒に来た鉱夫は3人だった。
 
「お疲れ様でした。」
 
「いやいや、あんた達のほうがお疲れ様だよ。ここまで俺達を無事に連れてきてくれて、本当に感謝しているよ。」
 
 そのあと、鉱夫達は口々に自分の家の場所を教えてくれて、落ち着いたら訪ねてくれ、また機会があったら会いたいからねと言ってくれた。
 
 鉱夫達と別れ、私達は商業地区に入っていった。町に入ると、何となく活気がない。閉めている店が多く、開いている店にも客の姿がほとんど見えない。
 
「様子がおかしいな・・・。」
 
 カインが油断なく辺りを見回す。
 
「・・・王宮へ急ごう!」
 
 私達は王宮への道を少し早足で歩いていった。
 
 やがて王宮の門が見えてきた。ここには門番がいる・・・が、王国剣士ではない。黒い鎧・・・。ハース城にいた、ならず者の剣士達と・・・同じ色の鎧・・・。
 
「なんだ、あいつら・・・?」
 
 カインも怪訝そうに見つめている。
 
「王国剣士さんじゃないわよね・・・。まるでハース城の衛兵みたい・・・。」
 
 ウィローも不安そうだ。
 
 門番は王宮に入ろうとした私達の前に立ちはだかった。
 
「待て!王宮に何の用だ!」
 
「俺達は王国剣士、カイン・クロービス組だ!ハース城調査の任務から帰還したばかりだ。お前達こそ何者だ!!」
 
 カインが黒騎士を怒鳴りつける。私達の名前を聞いた騎士はぎょっとして中に入ると、何人かの応援を呼んできた。
 
「貴様らがカイン・クロービス組か!!お前達にはフロリア様より見つけたら即刻処刑するようにとの命令が下っている!皆の者、かかれ!」
 
 言うなり黒騎士達が斬りかかってきた。
 
「なんだと!一体、どういうことなんだ!?」
 
 わけがわからないまま、戦闘になった。この騎士達はかなり強い。そう、ハース城の衛兵達と同じくらい・・・。いや、それ以上かも知れない。それでも何とか腕や足にキズを負わせ、とりあえず動けないようにすることは出来たが、それもやっとだった。
 
「お・・・おのれ・・・判っているのか・・・!?お、お前達の行為は・・・フロリア様への反逆なのだぞ!」
 
 黒騎士の一人が悔しそうに叫ぶ。
 
「なんだとぉ!?バカを言うな!何で俺達が貴様らに殺されなくちゃならないんだ!?だいたいフロリア様がそんなことをおっしゃるわけがない!」
 
「お前達の罪状は反逆罪だ!前剣士団長パーシバルと共謀して、ハース鉱山をモンスター達の手に渡したことが何よりの証拠だ!」
 
「ばかを言うな!あのままでは鉱夫達も衛兵達も殺されるところだったんだ!鉱山などより人命が第一じゃないか!」
 
 カインの言葉に衛兵がにやりと笑ったのがわかった。
 
「つまり罪を認めたな?お前達は人命尊重という言葉を隠れ蓑に、ハース鉱山を乗っ取り王国転覆を謀ったイシュトラという風水術師の甘言に乗り、ハース鉱山をモンスター達の手に渡したのだ。これは国家への重大な裏切り行為だ。おい!もっと応援を呼んでこい!こいつらを生きてここから出すな!フロリア様に首を届ければ、たんまり金がもらえるぞ!」
 
 何を言っても揚げ足をとられるだけだ。話し合いにはなりそうもない。
 
「カイン!とにかく一度引こう!これじゃ話も出来ないよ!」
 
「だがな・・・!!」
 
 カインはなおも言いかけたが、王宮の奥からどやどやと黒い鎧の騎士達が応援に出てきたのを見て、仕方なく頷いた。
 
「あ、くそ!おい!待ちやがれ!!」
 
「深追いするな!!城下町へはあんまり行くなって言われているじゃないか!!」
 
 背後で騎士達の言い争う声が聞こえる。やっとの事で王宮から出ると、私達は商業地区の裏通りで一息ついた。
 
「いったい・・・どういうことだよ!?何で・・・俺達が反逆罪に・・・。そんな・・・そんな命令をフロリア様が出されたなんて・・・。」
 
 カインはすっかり青ざめている。私の頭の中もすっかり混乱していた。これではハース鉱山の真相を問いただすどころではない。その罪のすべては私達と剣士団長に着せられている。そして王宮に王国剣士がいない・・・。南地方で誰にも出会わなかったのは・・・このせいだったのだろうか・・・。
 
「とにかく・・・詰所に行ってみよう。誰かいるかも知れないよ。」
 
「そうだな・・・。」
 
 私達は、裏通りを通って詰所の裏手に出た。そっと表のほうを窺うと、そこにも黒騎士がいて、詰所の中に向かって何か叫んでいる。それを受けて詰所の中から怒鳴り声が聞こえてきた。
 
「やかましい!貴様らに指図されるいわれはない!こっちは忙しいんだ!とっとと失せやがれ!」
 
 声と共に、詰所の入口から黒騎士達に向かって、ブンとうなりをあげてナイトブレードが振り下ろされた。
 
「ひぃっ!!」
 
 黒騎士は慌てて後ずさる。
 
「おい!!俺達に刃向かうとどうなるか、わかってるんだろうな!!」
 
 別な黒騎士が詰所の中に向かって声を荒げる。が、先ほど斬られそうになった騎士が怯えた様子で叫んだ。
 
「お、おい!やめておけ!!こいつらは・・・あの『疾風迅雷』だぞ!!」
 
「な、なに!?く、くそっ!!引け!!」
 
「何で貴様らがそんな呼び名を知っているんだ!?」
 
 詰所の中から聞こえてきた怒鳴り声が誰なのか・・・私達にはわかっていた。黒騎士達が走り去るのを待って、私達は詰所の中に飛び込んだ。
 

第33章へ続く

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