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「頼み・・・ですか・・・?」
 
 ドーラさんはふうっと息をつきながら、最後らしいかごをテーブルの上にどかっと置いた。そして額の汗をぬぐいながら、二つ目のかごを持ってきたところで手が止まってしまったままの私を見つめ、にっこりと微笑んだ。
 
「昔この村に王国剣士さんが常駐していた頃、村の娘と剣士さんが仲良くなって結婚するって話は割とたくさんあったんだよ。短くても半年はいるわけだから、好きになるには十分すぎる時間だよね。」
 
「そうですね・・・。」
 
「でもね、剣士さんが帰る時に結婚すると言って村を出て行った娘達の中には、結局うまくいかなくなって別れてしまう人もいたのさ。」
 
「・・・・・・・。」
 
「そういう娘達はたいてい村に帰ってきたんだけれど、帰ってくれば来たで、いろいろと噂の種になってね・・・。他の男の手がついたとわかっている娘を嫁にしようなんて、考える男もいなかったし・・・。それがわかっている娘達は、今さら家に帰れないって城下町に残って・・・結局仕事も見つけられずに、怪しげな酒場の女給や娼婦に身を落とす娘も多かったんだよ。」
 
「そんな・・・。」
 
「今は昔ほどそういうことにこだわらなくなってきたとは思うけどね・・・。だからあんたに約束してほしいんだよ。あんたとウィローがこのまま同じ気持ちを持ち続けて結婚することが出来れば、あたしは心から祝福するよ。でも・・・もしも、もしもだよ、うまくいかずに、別れるようなことになった時・・・その時は、必ずウィローをこの村に帰しておくれ。城下町に放り出して、おかしな商売をさせるようなことにだけはしないでおくれ。この村に帰って来さえすれば、村のみんながウィローのことを好きなんだから、きっとつらいことは忘れて幸せになれる・・・。」
 
 ドーラさんがぐすっと鼻をすすって、いつの間にか流れ出ていた涙をぬぐった。
 
「ははは・・・ちょっと情けないね・・・泣いたりして・・・。実を言うとね・・・あたしもその出戻り組なんだよ・・・。」
 
「・・・え・・・?」
 
「昔、王国剣士を好きになって、どうしてもついて行きたくて村を飛び出したけど・・・結局うまくいかずにこの村に戻ってきたんだよ・・・。」
 
「そう・・・だったんですか・・・。」
 
「もう何十年も前だから、今より遙かに風当たりは強くてね・・・。ほんとにいろいろ言われたよ。悲しくて悔しくて、このまま村を出て死んでしまおうかとまで思いつめていた時・・・一緒になってくれって言ってくれたのが、死んだ亭主、つまりエルドの父親なんだよ。あたしはもうその時は、お手つきだの出戻りだのと言われ続けて気持ちがすさみきっていてね・・・。せっかくのプロポーズも素直に聞くことが出来なくてさんざん八つ当たりして・・・でもあの人は全部受け止めてくれた・・・。そして『俺の嫁になればもう誰にもそんなことを言わせない』って・・・優しく慰めてくれて・・・。」
 
「優しいご主人ですね・・・。」
 
「ははは・・・なんだか照れるね・・・。でもその通りだよ。5年前に死んじまった時は悲しかったね・・・。」
 
「病気だったんですか?」
 
「・・・ハース鉱山の落盤事故だよ・・・。」
 
「鉱山の・・・?」
 
 ドーラさんはうなずいた。
 
「あの時・・・帰ってくるはずの亭主が戻らなくて・・・その時一緒に働いていたジェドっていう鉱夫が、デールさんからの手紙を持ってきてくれて・・・。」
 
 ドーラさんはまた涙をぬぐった。
 
「手紙には、事故を防ぐことが出来なくて申し訳ないって・・・デールさんの謝罪と、とんでもない大金が入っていて・・・そのお金を元にしてこの道具屋を始めたんだよ。女が一人で子供を育てながら生きて行くには、自分の家で仕事をするしかないからね。」
 
「そのジェドさんというのは・・・。」
 
「ジェドはウィローの家の近くに住んでいるよ。娘のジョスリンがウィローの友達だから聞いてみるといいよ。ただ・・・ジェドにとってもあの事故はかなりつらい出来事だったと思うから・・・あんまり無理には聞かないでおくれ。」
 
「わかりました。」
 
「話がそれちまったね・・・。どうだい?さっきの話、約束してくれるかい?」
 
「・・・ウィローとはずっと一緒にいたいし、この気持ちが変わることなんてないと思います。でも・・・万一そんなことになった時には、必ずウィローをこの村に帰します。」
 
 言ってしまってから、妙な約束をしてしまったと思った。やっと想いが通じ合ったばかりの相手と、別れた時のことを決めておくなんておかしな話だ。でもドーラさんの真剣な気持ちはわかる。ウィローの幸せを願うという点では、私も同じだ。でもこんな約束に同意した一番の理由は・・・先のことなんてわからない、自分の気持ちが絶対に、何があっても変わらないと断言出来るだけの確信も持てなかったし、ウィローの気持ちだってもしかしたら変わることがあるかも知れない。世の中には、私などより遙かにすばらしい男性がたくさんいるんだから・・・。
 
「ありがとう。これで肩の荷が一つは降りたよ。」
 
「ひとつ?」
 
「そうだよ。あとはうちの息子のことさ。これでウィローがうちに嫁に来てくれる可能性はなくなったわけだから、誰か気だてのいい娘を捜してやらないとね。自分で見つけられるならそれが一番なんだけど、あの通りだからねえ。」
 
 ドーラさんは肩をすくめて見せながら、テーブルの上のかごに手をかけた。
 
「さ、この中にあるもの、みんな同じ値段でいいよ。好きなものを選んでおくれ。」
 
 私は並べられたかごの中を一つ一つ見て回り、見たことがない薬草はドーラさんに使い方を聞きながら、北へ戻るまでにこれだけあればいいだろうと思われる量の薬草を買った。店に戻った頃には、カインとウィローは必要なものを買い終わり、エルドと雑談をしていた。
 
「遅かったな。薬草は?全部揃ったか?」
 
「大丈夫だよ。そっちはどう?」
 
「ああ、全部揃ったよ。確かにこの店の品揃えはすごいよ。何を頼んでもエルドが即座に出してくれるからな。」
 
「そうだよ。うちはすごいんだぜ。」
 
 エルドが胸を反らしてみせる。
 
「もう狩りはやめたの?」
 
 私の問いに、エルドは照れくさそうに頭をかいた。
 
「やめたってわけじゃないんだけどな・・・しばらくは家の仕事に専念しようと思うんだ。なんだか自分が情けなくてね。」
 
「どうして?」
 
「だってさ、結局、元から『魔界』なんてものはなかったんだよな?俺がカドプレパスだと思った奴は、多分南大陸にいる野生の馬がナイト輝石の廃液で汚染された水でも飲んでいて・・・それで奇形を起こしたものだったんじゃないかと思うんだよ。それをよく考えもしないで『魔界の生物』だなんて言って騒いで・・・そのくせ確かめに行く勇気もなくて村の中でウロウロしてて・・・今思うと恥ずかしいよ・・・。」
 
「そう・・・。それじゃ、おばさんも安心ね。エルド、がんばってお店を繁盛させてね。」
 
「ウィロー、何だか別れの挨拶みたいだな・・・?まさか噂は本当なのかい?君がこの村を出るって・・・。」
 
「ええ・・・本当よ。私は明日、この村を出るわ。この人達について北大陸に行くの。」
 
「何でまた・・・そんな遠いところへ・・・。」
 
「父さんのように・・・大地のために私は戦うわ。このままこの村にいても、私には何も出来ないもの。」
 
「だってナイト輝石の廃液は止まったんだろ?サクリフィア聖戦の再来なんて、もう心配する必要はないじゃないか。」
 
「でもモンスターの狂暴化は止まっていないのよ。ハース城と同じ頃に温泉のオアシスも襲われたと聞くわ。今・・・この世界で何かが起ころうとしている・・・。そんな気がするの。」
 
「なるほどね・・・。でもそれだけじゃないよな?」
 
「どういうこと?」
 
「隠すことないじゃないか。君のことは村中の噂になってるよ。」
 
「噂・・・?」
 
 きょとんとして聞き返すウィローに、エルドは『しまった』といった顔で口をつぐんだ。
 
「噂って何?私が村を出るって言うことだけじゃないの?」
 
 エルドの態度に、ウィローが不安げに眉根を寄せてもう一度尋ねた。
 
「・・・君は多分・・・さっきお袋に聞いたよな?」
 
 エルドはウィローの問いに答えず、私に尋ねる。
 
「・・・聞いたよ。」
 
「そうだよな・・・。お袋は聞いたことを黙っていられるような性格じゃないからな。何かよけいなことも言ったかも知れないけど、悪気はないんだ。勘弁してやってくれよ。」
 
「別に何も言われてないよ。気にしなくても大丈夫だよ。」
 
「そうか・・・。」
 
 エルドは少しだけほっとしたように見えた。
 
「なんだか気になるわね・・・。」
 
 ウィローは少ししかめ面をして、エルドと私を交互に見ている。カインがさっきから何も言わないところをみると、噂の中身がどんなものなのか、想像がついているのかも知れない。
 
「気にしなくていいよ。たいしたことじゃないんだから・・・。そうか・・・ウィローは親父さんの遺志を継いで・・・。」
 
 エルドは少しの間考え込み、やがて独り言のように小さな声でつぶやいた。
 
「大地のために・・・か・・・。そうだよな・・・。俺だって狩りばかりしていた頃は動物を殺したりもしたし・・・。それを考えたら、俺も何とかこの大地に償う方法を見つけなくちゃならないんだよな・・・。」
 
「きっと見つかるわよ。」
 
 ウィローがエルドに笑顔を向けた。
 
「ふふ・・・そうだな・・・。そう願いたいよ。さてと、あと入り用なものがなければ、精算するよ。」
 
 私達は代金を支払い、買ったものを荷物に入れて担ぎ上げた。
 
「それじゃ元気でやってくれよ。あんたら、ウィローをよろしくな。」
 
「わかったよ。心配しないで。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 エルドは黙ったまま私をじっと見ている。
 
「エルド・・・?」
 
「・・・ウィローを・・・よろしくな・・・。」
 
 今の言葉が私に向けられたものであることは間違いようがない。私は無言でうなずいた。エルドの心が少しだけ痛んだのを感じた。彼は・・・もしかしたらウィローを好きだったのかも知れない・・・。
 
「昼にはまだ早いけど・・・あとはもう準備は終わりだよな?」
 
「えーと・・・武器と鎧の修理が終わって、消耗品も買って、薬草に携帯食料に・・・。」
 
「ま、戻ってからもう一度確認しよう。忘れてるものがあればまた午後から来ればいいしな。」
 
「そうだね。」
 
 家に戻ると、村人が何人か来ていた。以前広場で話を聞いた親子連れもいる。
 
「ただいま・・・。みんなどうしたの?」
 
 きょとんとするウィローに、ウィローの母さんが微笑んで説明してくれた。
 
「みんなね・・・父さんのことを悪く言ってすまなかったって、謝りに来てくれたの・・・。」
 
 村人の一人がウィロー歩み寄る。
 
「ウィロー・・ごめんな。俺達はデールさんをうわべだけで判断してして誤解をしていたんだ・・・。お前に何と言って謝ったらいいのか判らないよ・・・。」
 
「ううん、もういいのよ・・・。みんながわかってくれたならそれで・・。わたしは、それで満足しているわ。」
 
 そこに親子連れの父親が進み出た。
 
「俺は恥ずかしいよ・・。デールさんにクビにされた時、俺は確かに廃液をいい加減に扱っていた。今になって思うよ・・・。デールさんの厳しさは、鉱山管理に対する強い責任感の表れだったんだな・・・。もしも、再びハース鉱山の採掘が始まる時も・・俺達はデールさんの遺志を絶対に忘れないよ。」
 
「ジェドおじさん、ありがとう。きっと父さんも喜んでいるわ。」
 
(この人がジェドさんか・・・。)
 
 ドーラさんから聞いた話を尋ねてみたかったが、今ここでその話は持ち出せそうにない。あとでカインと相談してから、聞きに行くかどうか決めようか・・・。
 
 うなだれる父親をかばうように、娘が言葉を続けた。多分この娘がジョスリンだろう。
 
「ねぇウィロー、でもナイト輝石の廃液はもう止まったのよね。これで、きっと前のような幸せな暮らしが戻るのね。」
 
「そうね・・・。そうだといいわね・・・。」
 
 暗い声でウィローが答える。
 
「ウィロー、どうしたの?何か心配事があるの?」
 
 ジョスリンが不安そうにウィローを見つめた。
 
「ごめんなさい。何でもないの。私ね、明日からまた旅に出るの。しばらくお別れね。」
 
「旅に・・・?それじゃ噂は本当なのね・・・。でもどうして?あなたのお父さんは亡くなっていたんでしょう?ハース鉱山は閉鎖されたわ。どこに行くの?」
 
「北大陸に行くわ。まずはエルバール城下町よ。」
 
「北へ・・・そう・・・・。剣士さん達と一緒に行くのね。」
 
「うん。」
 
「あなたは・・・自分の居場所を見つけたの・・・?」
 
「・・・居場所・・・?」
 
「そうよ。家とかそういう意味じゃなくて、あなたが一番大事だと思う人の隣・・・とでも言えばいいのかな。」
 
「そうね・・・。私のいる場所は・・・。」
 
 言葉を濁してウィローがついと私に近づいた。
 
「ここかな・・・。」
 
 ジョスリンはウィローから私に視線を移し、納得したように頷いてみせた。
 
「そう・・・よかったわね・・・。うらやましいわ。いつか私も・・・そんな場所を見つけられるのかしら・・・。」
 
「きっと見つかるわよ。」
 
「そうね。」
 
 ウィローとジョスリンが微笑みあう。やがて村人達は引き上げていったのだが、ほとんどの人達がすれ違いざまに私を意味ありげに見ていく。はっきりと『睨まれている』と思えるような厳しい目で見ていく人もいた。
 
(みんなお前を睨んでいくな・・。)
 
 カインが耳元でささやく。
 
(多分噂のせいだろうね・・・。)
 
(・・・ってことは、やっぱりろくな噂じゃないんだな・・・?)
 
(・・・あんまりね・・・。)
 
 カインは少しだけ肩をすくめてみせ、それきり何も言わなかった。
 
 昼食のあと、ウィローと私はプリン作りの準備に取りかかった。この時のためにウィローの母さんが卵と牛乳を大量に買っておいてくれた。それを半分にわけ、ウィローは焼きプリン、私は蒸しプリンを作るために、それぞれが自分のやり方で準備を始めた。カインはと言えば、ウィローと私のいる場所を行ったり来たりしながら、
 
「へぇ・・・。」
 
「ほぉ・・・。」
 
「ふぇ〜・・・。」
 
 などと間抜けな声をあげながら、卵と牛乳がプリンの元に変化していく様子を楽しそうに眺めていた。
 
 そして、それぞれあとは型に流し込んでオーブンに入れるだけ、同じく蒸すだけとなったところで、ウィローが大きな器をいくつかと、小さなプリンの型をいくつか持ってきた。
 
「はい、カイン、どれで作る?」
 
「へ?」
 
 カインはもうずっと見開きっぱなしの目をまたさらに大きく見開いて、ウィローを見つめている。
 
「ウィロー・・・そんな大きな器で作るの?」
 
「あら、クロービスはやったことない?子供の頃って小さなプリンだけじゃ物足りなくて、一度大きなプリンをドーンと作って一人で食べてみたいって思うものじゃない?」
 
「ははは・・・確かにそんなこともあったかも知れないな。」
 
 でもここまで大きな器は使ったことがないと思う。私が持ち歩いている携帯用の鍋と同じくらいの大きさだ。
 
(本当にこれで作って食べたのかな・・・。)
 
 自分の顔より大きなプリンをデンと目の前において、喜々としてスプーンを振りかざすウィローを想像して、思わず吹き出してしまった。
 
「いやぁね、何笑ってるの・・・?」
 
「い、いや、何でもないよ。それほど大きなプリンを食べたら、カインだって満足するだろうなあと・・・。」
 
「この大きさのプリンか・・・。うーん・・・食べてみたい気もするけど・・・。」
 
「小さいのをたくさん食べたほうが満足するって言うなら、小さいので作ってもかまわないわよ。どうする?」
 
「じゃあ、両方。」
 
「両方?」
 
 ウィローと私が同時に声をあげた。
 
「だってさ、今の話を聞いていたら、小さいのと大きいのと比べてみたくなるじゃないか。」
 
「君らしいな・・・。ウィロー、どうする?」
 
「それじゃ、両方作りましょうか。」
 
 結局カインの希望通り、焼きプリンも蒸しプリンも大きい器と小さい器に分けて作ることになった。大きい器は、ウィローが出してきた器の中で一番大きいものを使うことにした。蒸すのも焼くのも一度では出来ないので、まずはウィローが大きな器で、私が小さなプリンの型で、その次には逆で作ろうということになった。そしてしばらくして・・・。
 
「はい、カイン、出来たわよ。」
 
 テーブルの上には、それぞれ焼きプリンと蒸しプリンがずらりと並んだ。鍋みたいに大きなプリンが二つ、あとは普通のプリンがたくさん・・・。
 
「これ四人で食べきれるのかな・・・。」
 
「大丈夫よ。母さんも私もプリンは好きだし。あなたは?作っているのを見てたら、けっこう食べるのも好きなんじゃないかと思ったんだけど・・・。」
 
「好きだよ。好きだけど・・・。」
 
 それにしてもかなりの量だ。
 
「まあ小さい方なら何とかなるかな・・・。」
 
「心配するなよ。余ったら俺が全部食うからさ。」
 
 そこにウィローの母さんが入ってきた。
 
「あらあら、ずいぶんたくさん出来たわね。それじゃ、お茶にしましょうか。」
 
「母さんも食べるわよね?」
 
「ええ、いただくわ。私もプリンは大好物ですからね。」
 
 ウィローの母さんがお茶を淹れてくれて、ちょっとした午後のお茶会が始まった。カインは望み通り大きなプリンを目の前にデンと置いて、満面の笑みで食べている。
 
「うーん・・・うまい!ウィローの作ったのも、クロービスの作ったのも、どっちもうまい!」
 
「すごい勢いだなぁ・・・。ほんとにこのプリン全部食べちゃいそうだよ。」
 
「こんなに喜んでもらえるなら、また機会があれば作りましょうか。」
 
「ほんとか!?」
 
 ウィローの言葉に、カインは目を輝かせた。
 
「それじゃ王宮に戻ったらだね。食堂のおばさんに頼んで厨房を使わせてもらおうか。」
 
「お、そうだな。それは楽しみだ。」
 
 私達の会話を微笑んで聞いていたウィローの母さんが、ポケットからデールさんの手紙を取り出してテーブルの上に置いた。
 
「・・・カインが満足してくれたところで、少しあなた達にお話があるのだけど・・・。」
 
「なに?母さん。」
 
「この手紙ね・・・昨夜も今朝も何度か読んでみたけど・・・この最後の文、やっぱり読めなかったわ。きっと・・・もう亡くなる直前だったのね・・・。」
 
「そう・・・やっぱり・・・。」
 
 命の灯が消えるその瞬間まで、デールさんは必死に何かを書き残そうとしていた。それが愛する人への最期のメッセージだったのではないかと、私達は考えていた。それを読み解くことが出来なかったことが悔しかった。
 
「でもね、あの人がここに何と書きたかったのか・・・それはわかるわ。」
 
「父さんは・・・なんて書きたかったのかしら・・・。」
 
「ふふふ・・・。きっとね、母さんのこと愛してるって書こうとしたのよ。そして・・・あなたのことを頼むってね。」
 
「母さん・・・。この指輪は母さんが持っているべきだわ。」
 
 ウィローはポケットからハース聖石の指輪を取り出し、母さんの手に握らせようとした。そのウィローの手を母さんが押しとどめる。
 
「いいのよ。昨夜言ったとおり、これはあなたが持っていなさい。」
 
「母さん・・・。ありがとう・・・。」
 
 ウィローが涙ぐんだ。
 
「・・・それからクロービス、あなたが持っていたあの楽譜のことなんだけど・・・。」
 
「・・・はい・・・。」
 
 昨日の夜、楽譜のことに話が及んだ時、ウィローの母さんは話をそらすように話題を変えた。何か知っているのだろうと考えた私の勘は当たっていたらしい。私は自分の荷物の中に入っている楽譜を出してテーブルの上に置いた。
 
「実をいうとね・・・この楽譜を書いたのが誰なのか、どうして夫がこれと同じ楽譜を持っていたのか知っているの・・・。」
 
「それを教えていただけるんですか?」
 
「・・・このことを・・・あなた達に話すべきかどうか、ずっと迷っていたのだけれど・・・。」
 
「どうして・・・?」
 
 ウィローが不思議そうに尋ねる。
 
「・・・・・・。」
 
 ウィローの母さんは答えない。何となく、まだ迷っているように見えた。
 
「母さん、どういうことなの?あの曲は・・・父さんが私に遺してくれたものよね?私は小さな頃からあの曲を聴いて、父さんがいない寂しさを紛らわせてきたわ。そしてハース鉱山でも・・・たとえ直接手を下したわけではないにせよ、父さんを殺したイシュトラを許せなくて、父さんの仇を自分の手で討てなかったことが悔しくて、ずっと私はあの男を憎んできた・・・。でも憎しみに駆られてクロービスまで傷つけて、どうしていいのかわからずにいた時に父さんの夢を見て・・・そしてハース城の父さんの部屋で、クロービスと一緒にこの曲を弾いたことを思い出したのよ・・・。そうしたらいつの間にか・・・私の心の中に染みついていた、真っ黒な憎しみの心が少しずつほどけて消えていったわ・・・。そしてわかったの。仇だのなんだのってことにいつまでもこだわっていたら・・・憎しみはいつまでもなくならない・・・。あの男が許せないことに変わりはないけど、でもあんなふうに憎むことだけはやめよう・・・ここで憎しみを断ち切ろうって・・・。そう決めたのよ。クロービスと・・・あの『Lost Memory』のおかげで・・・。」
 
 ウィローが涙をためた目で不安げに母さんを見つめている。
 
「あの曲は不思議な曲なの・・・。あなたが言うように、忘れていた記憶を呼び覚ましてくれる・・・・。」
 
 ウィローの母さんは独り言のように小さくつぶやき、そして大きく深呼吸した。
 
「あの楽譜は・・・ウィローが生まれた時、先代の国王陛下の王妃様からいただいたものなのよ。」
 
「王妃様!?」
 
 ウィローが驚いて尋ねた。
 
「そうよ。」
 
「王妃様だなんて・・・どうしてそんな雲の上の方が父さんにこの曲を・・・。」
 
「父さんが大臣に就任してしばらく過ぎたころにあなたが生まれたのだけれど、そのころ国王陛下が父さんを、陛下主催のサロンに招待してくださったの。」
 
「サロン・・・て・・・パーティーみたいなもの?」
 
「そうね。パーティーと言うほど規模が大きくなくて、身内だけの集まりみたいなものね。父さんのほかに、今はもう亡くなられたケルナー様と、あとはレイナック様も招待されていたそうよ。御前会議の中心的存在であるお二人と一緒に招待されたことで、父さんはとても感激していたわ。そしてそのとき、王妃様が・・・王妃様はファルミア様というの・・・ご自分で作曲されたと言う曲を披露されたの。その曲がこの・・・。」
 
「『Lost Memory』なのね・・・。」
 
「そうよ。あの時、国王陛下とファルミア様はあなたが生まれたことをとても喜んでくださっていたの。『信頼する家臣に子供が生まれて、その家が栄えていくのはとてもうれしい』と、そうおっしゃって・・・。そして、ファルミア様が直接父さんにこの楽譜を渡してくださったそうよ。やさしく思いやりのある子に育つようにと・・・。」
 
「そう・・・だったの・・・。」
 
 ウィローは夢見心地で話を聞いている。あの曲を作ったのが・・・先代の王妃陛下だったとは・・・。
 
「ファルミア様の音楽の才能はすばらしかったわ。あの方がもしも王家に嫁がれなかったら、王妃陛下になっていらっしゃらなかったら、きっと歴史に名を残す音楽家になられていたことでしょうね・・・。」
 
「それじゃ・・・この楽譜はファルミア様の形見のようなものですね。」
 
 カインが楽譜を覗き込みながら、感慨深げにつぶやいた。
 
「形見・・・?」
 
 ウィローが不思議そうにたずねる。
 
「いや、ファルミア様は前国王陛下のあとを追うように亡くなったからな。今となってはもう二度と手に入らないものじゃないか。」
 
「後を追うようにって・・・それいつの話?」
 
「いつって・・・フロリア様が即位される前の話だから、もう19年くらい前だよ。」
 
 どうも引っかかる。当たり前だが、城下町で起きた出来事にはカインは詳しい。だからその記憶が違っているとは思わないし、そもそもそんな大事件の起きた時期を、いくら小さくたって間違って憶えているなどと言うことは考えられない。でもその話が本当なら、私が持っている楽譜はそのころに父が手にいれていたことになる。でも本当にそうなんだろうか。
 
「ねえカイン、それっておかしくない?」
 
 ウィローも首をかしげている。
 
「おかしいって何が?」
 
「だって、それじゃクロービスが持っているこの楽譜は?そんな昔に書かれたものにしては妙に紙が新しいわよ、これ。」
 
 ウィローはそう言って立ち上がった。
 
「待ってて。うちにある楽譜を持ってきてみるから。」
 
 二階へとあがったウィローは、ほどなくして楽譜を持って降りてきた。そして私の楽譜の隣にそれを並べた。こうして見比べたのは初めてだが、確かに私の持っている楽譜のほうが紙が新しくきれいだ。そして筆跡はどう見ても同じ人物のものとしか思えない。
 
「うーん・・・確かにおかしいな。でも、ファルミア様が亡くなられたのは間違いないからなぁ・・・。あの時俺はまだ小さかったけど、親父に肩車してもらって、葬列を見送ったし・・・。」
 
「ちゃんと棺はあったの?」
 
「そりゃあったよ。前の国王陛下は質素な方だったから、派手な棺ではなかったけど・・・でもちゃんと二つ・・・。」
 
 カインは額をとんとん叩きながら、そのときのことを思い出そうとするかのように目を閉じている。
 
「その棺が空だったら?」
 
 突然発せられた思いがけない言葉に私達は一斉に振り返った。ウィローの母さんは青ざめた顔でテーブルの上の楽譜を見つめている。
 
「母さん・・・それどういう意味・・・・?」
 
 問いかけるウィローの声が震えている。
 
「言葉どおりの意味よ。カインの言うとおり、棺はちゃんと二つあったわ。担いでいる人達もとても重そうだったから、何には何かしら入っていたのでしょうけど、それが王妃様のご遺体かどうかなんて誰も見ていないもの。」
 
「そこまで言うだけの根拠があるんですね?」
 
 カインの瞳が鋭く光った。
 
「私もはっきりと確認したわけではないわ。でも以前・・・そう、夫がハース鉱山に行くと言い出したころ、ぼんやりとしながらぽつりと独り言を言ったことがあったのよ。」
 
「・・・父さんはなんて言ったの?」
 
「・・・『ファルミア様は今のままなら安全だ』と・・・。」
 
「安全か・・・。なるほど、死んじまったら安全もくそもないわけだから、それだけでも生きてる可能性は高いってことか。」
 
「でもどうしてそんな・・・。」
 
 もう訳がわからなかった。私は城下町に出てくるまで王家の内情なんて何一つ知らなかったが、それでも剣士団に入ってからはいろいろと話を聞いた。前王夫妻が相次いで亡くなり、本来ならば王弟エリスティ公が即位するはずであったものが、権力欲の固まりでそのくせ政治手腕はさっぱりのエリスティ公にこの国を任せたら、国が滅びてしまうと懸念したレイナック殿をはじめとする御前会議の大臣達が結束し、エリスティ公が元々は先々代国王陛下の側室の子であることと、対するフロリア様が正室、つまり当時の王妃陛下の御子として即位された前王の直系の世継ぎであることを理由に、半ば強引にフロリア様即位に漕ぎつけたというものだ。当然エリスティ公の反発は相当なものだったらしい。それでも大臣達が折れないのを見て取ると、最後にはフロリア様が幼少であることを理由に後見人にさせてくれとまで頼んだらしいが、これもまた突っぱねられた。それ以来エリスティ公と、レイナック殿をはじめとする御前会議の大臣達の間には、深い溝が出来ているらしい。
 
 でも、ファルミア様が生きていたなら話は全く変わってくる。王妃陛下ならば、正室だの側室だのと言うややこしい話を持ち出さなくても、エリスティ公をさしおいて王位を継承することは可能だったはずだし、そうはならなかったとしてもフロリア様の後見人にはなっていたはずだ。なぜ王宮は・・・ファルミア様が生きていることを隠しているのだろう・・・。
 
「私も詳しいことがわかるわけではないわ。ただ、その楽譜の出所と、ファルミア様がおそらくご存命だろうと言うことだけ・・・。」
 
「そのことを詳しくご存じな方はもういらっしゃらないんでしょうか・・・。」
 
「そうね・・・。ケルナー様は何年か前に亡くなられたし、夫もパーシバル様も亡くなられた今、このことをご存じの可能性がある方は・・・レイナック様かしら。」
 
「レイナック殿が・・・。」
 
「でも聞かない方がいいと思うわ。」
 
「どうしてですか?」
 
「私が夫の独り言について聞き返した時、夫はとても狼狽していたわ。そして何も言ってない、私の空耳だと言い張って・・・。あの人がそんなに頑なになると言うことは、それは絶対に知られてはいけないことだったからではないかと思うの。あ、それはもちろん私の推測でしかないのだけれど・・・。」
 
「絶対に・・・知られてはいけないこと・・・。」
 
「だから、もしもあなた達がこのことを誰かに話す時には、本当に用心して、心から信頼できる人以外には絶対に打ち明けない方がいいと思うわ。」
 
「わかりました。」
 
「ただね、クロービス、私があの楽譜のことについて知っているのはこれだけ。あなたのお父様がどうやってあの楽譜を手に入れたかについての手がかりにはならないわね・・・。」
 
「いえ、ここまで話してくださっただけで充分です。父のことは・・・きっといつかわかると思います。」
 
 そうは言ったものの・・・つまりは新しく謎が増えただけだ。
 
「ねえ母さん。」
 
「なに?」
 
「どうしてその話を今までしてくれなかったの?」
 
「・・・ごめんなさい・・・。父さんがその楽譜をいただいてきた時、父さんとても喜んでいてね・・・帰ってくるなり私のピアノの前に座って『さあ、弾き方を教えてくれ』って言い出して・・・。せっかく王妃様から直にいただいた曲なのだから、何が何でも弾けるようになってあなたに自分が教えるんだって・・・。だからそれまでウィローには黙っていてくれって・・・。まだ首も座らないあなたの寝顔をのぞき込んで、『ウィロー、待ってろよ。父さんがちゃんとお前にピアノを教えてやる』なんて言ってね・・・。」
 
「・・・・・・。」
 
 ウィローの瞳から、涙がぽろりとこぼれた。
 
「そして母さんから基本だけ教わって、あとはずっと一人で練習していたのよ。でも国王陛下が亡くなられて、突然ハース鉱山に行くことになって・・・。でも・・・もしかしたら父さんは帰ってくるかも知れない、帰ってきて、その曲にまつわる話をあなたにしてくれるかも知れない・・・。はかない望みだってわかってはいたけれど・・・それでも私からあなたにこの話をしてしまったら、もう父さんは永遠に帰ってこないような気がして・・・。」
 
 ウィローの母さんはハンカチで涙をぬぐい、ほぉっとため息をついた。
 
「でももう父さんは帰ってこない・・・。それは認めなくてはならないわ。でもこのことをあなたに話すとなれば、ファルミア様のことまで話さなくてはならないかも知れないと思って・・・しばらく考えていたのよ。」
 
「母さん、ありがとう。聞いてよかったわ。この曲を作ったのが誰なのかわかったし、父さんがどんな思いでこの曲を私に託したか・・・それがわかっただけでも、うれしいわ。」
 
「・・・そうなると、少なくともクロービスの親父さんがこの楽譜を手に入れた時までは、ファルミア様が生きていたことは確実だってことだな。問題はそれがいつなのかだ・・・。そして今ファルミア様はどこでどうしているのか・・・。」
 
「いつこの楽譜を手に入れたか、か・・・。島に帰ってくる直前だったのか・・・それとも、もっと前に手に入れていたのか・・・。」
 
 そしてなぜ何も言わずに楽譜を置いておいたのか・・・。あの日お墓から家に戻って・・・ブロムおじさんから王国へ行くようにと言われて・・・そしておじさんが帰ったあとで私は楽譜があることに気づいた・・・。それまでは見た記憶がない・・・。冷静に考えればおかしな話だ。私は父が亡くなってからずっとあの家にいたのだ。家から出たのは父を埋葬した時だけだ。
 
「まさか・・・おじさんが置いたのか・・・。」
 
 何でこんなことに今まで気づかなかったんだろう。そう考えればつじつまが合う。でもそれを指示したのはきっと父だろう。おじさんは父には忠実だった。小さな頃、助手というよりまるで家来のようだと思ったことさえある。いや・・・私はそれを口に出しておじさんに聞いたのだ。
 
『どうしておじさんは父さんの家来みたいに言うことを聞くの?』
 
 おじさんはむすっとした顔のまま、それでも私の頭をなでながら
 
『そのくらいお前の父さんを信頼しているんだよ。』
 
そう言ったっけ・・・。
 
 おじさんは今どこにいるのだろう。あてもなくあちこちを放浪しているのだろうか。それとももう・・・。
 
(いや、そんなこと考えちゃいけないんだ・・・。)
 
 おじさんは生きている。きっとどこかで元気にやっていると信じよう。『彷徨の迷い路』の中でそう決めたじゃないか・・・。
 
 突然ぽんと肩を叩かれ、私は我に返った。
 
「あんまり考え込むな。いくら考えたって、今いきなり全部の謎が解けるわけじゃないんだから。」
 
 カインが笑顔で、もう一度私の肩をぽんと叩いた。
 
「そうだね・・・。今は他のこと考えなくちゃね。」
 
「そうだな。とりあえず今は・・・ここの片づけか・・・。」
 
 カインが言いながらテーブルに視線を移した。あれほど大量にあったプリンはきれいさっぱりなくなっている。あとに残るは皿の山。そのほとんどはカインが食べてしまったプリンがのっていた皿だ。
 
「相変わらず君の胃袋はすごいな。お昼を食べたあとでこれだけ入るんだから。」
 
 テーブルの上を眺め渡して、私はため息と共につぶやいた。本当にすごい。私がいくらがんばったってこの半分も食べられればいい方だろう。
 
「妙な感心のされ方だな。ま、当たってるだけに反論する気にはならないけどな。」
 
 カインは私を横目で見てにやりと笑っている。
 
「でもこれだけきれいに食べてくれれば、作った甲斐もあるわよね。」
 
「そうだね。それじゃ、がんばって片づけようか。」
 
 みんなで皿を台所に運んで、それがきれいに片づいたころには、陽は大分西の山に近づいていた。その後カインと私は部屋に戻り、荷物の整理を始めていた。必要なものを買い忘れていないか、一つずつ確認していく。途中からウィローも加わって、もうすっかり翌日の旅支度が出来上がった。
 
 この日の夕食は、ウィローの母さんが腕によりをかけてごちそうを作ってくれることになった。ウィローはいろいろ教えてほしいことがあるからと、母さんの手伝いをはじめた。どうやら母親から娘へ、とっておきの料理の作り方が伝授されるらしい。手伝おうかとも思ったが、それはやめておいた。せっかくの母娘水入らずの時間だ。明日出発してしまえば、もしかしたら二度とこんな時間は持てないかも知れない。
 
「俺達はいない方がいいよな。かえってじゃまになりそうだ。」
 
 カインが肩をすくめてみせた。
 
「あら、そんなことないわ。お茶でも飲んでゆっくりしていればいいのに。」
 
「いや、もう少し外を歩いてくるよ。」
 
 まだ外は明るい。忙しく働いている人の隣でぼんやりしているのも落ち着かないので、カインと私は二人で村の中へと出ていった。
 

第32章へ続く

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