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「何でそんなこと・・・私が君を嫌ってるなんて・・・。」
 
「だって・・・だから私を連れて行きたくないんじゃないの?私ずっとあなたの足手まといで・・・あなたに迷惑ばかりかけていて・・・。だからこれ以上私に関わりたくないんじゃないかって・・・。」
 
「そんなこと・・・考えたこともないよ。」
 
「・・・嘘・・・。」
 
「嘘なんてついてないよ。私はここに残りたいから残ったんだ。君が好きだから・・・あんなところに一人で置いていくなんて出来なかった・・・。君を誰にも傷つけさせたくなかった・・・。君だけは、どうしても守りたかったんだ・・・!」
 
「・・・クロー・・・ビス・・・。」
 
 ウィローが呆然とした瞳で私を見つめている。まさかこんなことを言い出されるとは思っても見なかったのだろう。私も言うつもりはなかったのに、ひとりでに言葉が出てきてしまった。
 
「あ・・・・・そんな・・・。」
 
 ウィローが後ずさった。涙をためた目で私を見つめながら、一歩、また一歩と後ろに下がっていく・・・。
 
「ウィロー・・・。」
 
「どうして・・・・。」
 
「ウィロー・・・ごめん、こんなこと言うつもりじゃ・・・。」
 
「そんな・・・そんなこと・・・言われたら・・・私・・・・・・!」
 
 くるりと私に背を向けて、ウィローは駆けだした。そしてあっという間に墓地を抜けて村の中へと姿を消した。
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 
 私の頭の中は真っ白だった。何が起こったんだろう・・・・。ウィローは私に嫌われていると思っていて・・・私はそれを否定しようとして、思わず好きだと言ってしまった・・・。そしたらウィローは・・・いきなり駆け去ってしまった・・・。
 
「・・・・・・やっぱりこれは・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・ふられた・・・ってこと・・・なのかな・・・・。」
 
 どう考えてもその結論しか思い浮かばない。
 
「・・・まあ仕方ないか・・・。」
 
 笑おうとしたのに、顔を動かした瞬間涙が落ちた。
 
「情けないなぁ・・・。女の子にふられて泣くなんて・・・。」
 
 もしかしたら、私は期待していたのかもしれない。ハース城に向かう途中、ずっと私に寄り添っていてくれたから・・・。デールさんの指輪を、私の手で左手の薬指にはめてほしいと言ってくれたから・・・ウィローが私と同じ気持ちかも知れないと、私はきっと心のどこかで期待していたのだ・・・・。
 
「・・そんなにうまくはいかないってことか・・・。」
 
 ウィローは泣きながら駆けていった。多分家に戻ったのだろう。突然泣きながら帰ってきた娘を見て、ウィローの母さんはなんと思うだろう・・・。もうあの家に戻ることは出来ないような気がした。いっそこのまま・・・旅立ってしまおうか・・・。
 
 突然頭の中に浮かんだその突飛な考えはすぐに消えた。荷物は全部ウィローの家だ。それにカインを置いて帰れない。北へ帰る鉱夫達だって・・・。
 
「ははは・・・バカみたいだ・・・。」
 
 もう太陽は真上を少し過ぎていた。いいかげん帰らないとカインがお腹をすかせているだろうな・・・。
 
「・・・帰るか・・・。」
 
 涙をぬぐって深呼吸すると、私は展望台から降りた。
 
 
 ウィローの家に向かう坂の途中で、カインが降りてくるのが見えた。
 
「遅かったな・・・。」
 
「ウィローは・・・?」
 
「家にいるよ。いきなりバーンと扉を開けて飛び込んできたと思ったら、まっすぐにダーッと2階にあがって行っちまった。ウィローのお袋さんが追いかけていったから、今頃二人で話してるんじゃないか。」
 
「そうか・・・。」
 
「・・・何かしたかっていうのは聞くまでもないだろうけど、何があったんだよ?」
 
「・・・・・・・・・。」
 
「どうしたんだ?そんな今にも死にそうな顔して。」
 
「・・・・・・・・ふられた・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・・・・。」
 
 ぽかんとして固まるカイン。
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 
 黙り込む私。
 
「・・・・・・・・・・え・・・・・・・・・・?」
 
 カインは目をぱちくりさせて、やっとの事で出した声がそれだけだった。私の顔をじっと見つめている。
 
「・・・何度も言いたくないんだけどな・・・。」
 
「ほんとか?」
 
「こんな嘘ついてもいいことないじゃないか。」
 
「・・・そりゃま・・・そうだけど・・・。なんで?」
 
「何でって・・・。」
 
「わかってりゃ苦労はしないってか・・・。それもそうだな・・・。」
 
「ウィローの母さん怒ったりしていないかな・・・。」
 
「まさか・・・。」
 
「展望台から直接旅に出たい気分だったよ・・・。」
 
「・・・そう落ち込むなよ・・・。おかしいなぁ・・・。」
 
 カインは首をかしげている。
 
「何がおかしいの?」
 
「いや・・・本当にウィローがお前をふったのかと思ってさ・・・。」
 
「あの状況ではどう考えてもその結論しか出なかったよ。」
 
 私はカインにさっきの出来事を話して聞かせた。
 
「なるほどなあ・・・。うーん・・・・。」
 
 カインは腕を組み考え込んでいる。
 
「別にいいよ。君が考え込まなくても・・・。とにかく・・・家に入ろう。お腹空いたんじゃない?」
 
「あ・・?ああ、そういやそうだな・・・。」
 
 カインはまだ首をかしげながら、二人でウィローの家に戻った。おそるおそる扉を開けると誰もいない。
 
「まだ話し中か・・・。」
 
「みたいだね・・・。」
 
 胸の奥がずきんと痛んだ。言わなければよかったんだろうか・・・。好きだなんて言わなければ・・・。でもあの時途中で口をつぐむことが出来たかどうかと考えると、この上なく怪しい。おまけに言ってしまったあとで『こんなこと言うつもりじゃ』なんて弁解までしてしまうとは・・・。
 その時とんとんと足音が聞こえてきた。階段を下りてきたのはウィローの母さんだった。
 
「あら、お帰りなさい、二人とも。」
 
 今朝出かける時と同じように、ウィローの母さんは笑顔で出迎えてくれた。
 
「クロービス、少しいいかしら・・・?」
 
 笑顔を崩さず、ウィローの母さんは私に視線を向けた。なんと言われるのだろう・・・。
 
「・・・はい・・・。」
 
 まるで判決を待つ被告のような気分だった。
 
「さっきはごめんなさいね・・・。ウィローが失礼なことしたみたいで・・・。」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「・・・・・え・・?」
 
 一瞬ことばの意味が飲み込めず、私はさっきのカインのようにぽかんとしたまま聞き返した。
 
「それで・・・ウィローがあなたと話がしたいって言うの・・・。だから申し訳ないんだけれど、ウィローの部屋に行って少し話を聞いてあげてくれないかしら。」
 
「・・・あ、あの・・・。」
 
「あの子の部屋は二階の右側の部屋よ。」
 
「・・・あ・・・はい・・・・。」
 
 私は訳がわからないまま、二階に向かった。背後でウィローの母さんがカインに話しかけている。
 
「ごめんなさいね、カイン。先に食事を用意するわ。お腹空いたでしょう?」
 
「い、いえ・・・俺はまだ・・・。」
 
 そのとたんカインの腹のなる音が、ちょうど階段を上がりきった私の耳にまで届いた。
 
「あ・・・!」
 
 カインが焦って叫んだ。
 
「ふふふ・・・。我慢しなくていいのよ。少しだけ待っていてね。すぐに持ってくるわ。」
 
 ぱたぱたと足音。とりあえずカインの空腹は何とかなりそうだ。
 
「右側の部屋だっけ・・・。」
 
 二階にある部屋は二つだけらしい。私は右側の扉の前に立った。とたんに心臓が波打つ。ついさっき背を向けられた相手と、また向かい合わなければならない。私は思いきり深呼吸した。せめてさっきみたいに泣き出さないようにしなくちゃ・・・。
 
 扉をノックした。
 
「・・・誰・・・?」
 
 かすれたようなウィローの声。
 
「あの・・・。」
 
「・・・・・・。」
 
 返事がない。
 
「クロービス・・・です・・・。」
 
 妙に緊張する。
 
「・・・どうぞ・・・。」
 
 私は観念して中に入った。部屋の中は整然としている。もう少しカラフルかと思ったが、とても落ち着いた雰囲気の部屋だった。女の子の部屋と言えば私はイノージェンの部屋くらいしか知らないが、それほど大差はないように見えた。違うところと言えば、ベッドの上にのっているのが分厚い羽布団ではなく、薄い肌がけ一枚だと言うことと、壁際に置かれているピアノ・・・。私の家にあったピアノと同じような型だ。そして扉の反対側にある窓際に、ウィローはいた。こちらに背を向け、窓の外を見つめている。
 
「・・・君の母さんに聞いたんだ・・・。君が私と話したいって・・・。」
 
「うん・・・。」
 
 やっぱり声がかすれている。それほど激しく泣いたのだろうか。さっきの私の一言で・・・。
 
「・・・話って・・・なに・・・?」
 
「クロービス・・・。」
 
「あ、はい。」
 
 なぜか私はかしこまった返事をしてしまった。
 
「さっきはごめんなさい・・・。」
 
「・・・・・・・。」
 
 『さっきはごめんなさい。』この言葉は何に対する謝罪なのだろう。突然駆け去ったこと?それとも北大陸へ連れて行ってくれと頼んだこと?
 
 違う。ごまかしてはいけない。これは私の気持ちに応えられないことへの・・・。
 
「・・・いいよ・・・。私のほうこそ・・・いきなりあんなこと言ったりして・・・びっくりさせて悪かったよ。」
 
「・・・後悔してるの・・・?」
 
 また妙な質問。何に対して?ウィローに好きだと言ったこと・・・。そしてウィローを泣かせたこと・・・。前者ならノーだ。でも後者なら・・・やっぱりいきなりそんなことを言うべきではなかったかも知れないと思う。そのままの気持ちを伝えよう。
 
「君に好きだと言ったことは・・・後悔していないよ。君にとってはいやなことかも知れないけど、それは私の正直な気持ちなんだ。でも・・・それで君が傷ついたとしたら・・・やっぱり言うべきではなかったかも知れないと思う・・・。」
 
「・・・私ね・・・父さんの遺志を継ぎたかったの・・・。」
 
 また話が飛ぶ。今日のウィローはおかしい。話に一貫性がないし、いつもの快活さもない。でも、私が話を聞くことでウィローが元気になってくれるのなら、いくらでも話を聞こう・・・。
 
「・・・生半可な覚悟じゃ出来ないことだって・・・わかってる・・・?」
 
「わかってるわ・・・。」
 
 相変わらず背中を向けているウィローの表情はわからない。でも決意が固いのはわかる。
 
「わかってるから・・・忘れようとしたの・・・。」
 
「・・・なにを・・・?」
 
「・・・・・あなたをよ・・・。」
 
「・・・・・・・。」
 
 この言葉の意味は・・・どう解釈するべきなのだろう・・。
 
「ハース城の地下室で父さんを見つけた時・・・父さんの手紙を読んだ時・・・これは偶然ではないと思ったの・・・。」
 
「・・・そうだね・・・。確かに・・・偶然ではなかったのかも知れない・・・。」
 
 3年もうち捨てられていたデールさんの遺体を最初に見つけたのがウィローと私だったことに、何か意味があるのかも知れないと、私自身も考えていた。
 
「あの手紙は私が見つけるべきものだった・・・。私は父さんの遺志を継がなければならなかったからあの手紙を見つけたんだって・・・そう思ったから・・・。」
 
 ウィローは一度そこで言葉を切った。そして声を立てずに肩をふるわせた。その背中を見て、私は思わず、ウィローに一歩近づいていた。
 
「恋なんて・・・している場合じゃないって思ったわ・・・。だから・・・あなたの腕の中で思い切り泣いて・・・指輪をはめてもらって・・・それを思い出としてずっと大事にしていくつもりだったの・・・。そうすればきっと・・・あなたがここを離れる日が来ても、きっと笑顔でさよならって言えると思って・・・。」
 
「・・・・・・・。」
 
 黙ったまま、また一歩ウィローに近づく。
 
「なのに・・・イシュトラの話を聞いて・・・この騒動の元凶が北大陸に・・・王宮にあるかも知れないと聞いて・・・この大地を守るためには・・・父さんの死の真相を探るためには・・・北大陸に行かなければならないって思ったわ・・・・。」
 
 ウィローが鼻をすすった。ずっと涙を流し続けているのかも知れない。私はまた一歩ウィローに近づいた。
 
「一緒にいたら・・・忘れられるわけない・・・。でもそれが出来なくちゃ私は父さんの遺志を継げないんだって・・・ずっと悩んでた・・・。」
 
 もう一歩踏み出して、私はウィローのすぐ後ろに立っていた。
 
「でも私は・・・いつもあなたに迷惑のかけ通しだったから・・・だからきっとあなたは私のことなんて疎ましく思っていると思うから、だから、北大陸に連れて行ってもらうだけなら・・・その間私が耐え切ればいいことだと思ったの・・・。連れて行ってもらえば、あとは自分で仕事も見つけられるだろうし、あなた達とは別に自分の戦いのための準備をすることも出来るって・・・。」
 
「・・・・・・・。」
 
「自分に言い聞かせて・・・・・。なのに・・・。」
 
 またウィローが鼻をすする。ごしごしと涙をぬぐう。
 
「うれしかったのよ・・・私・・・。あなたが私を好きだって言ってくれて・・・。すごくうれしかった・・・。でもこんなに喜んでいる自分が情けなくて・・・あなたを忘れるはずだったのに・・・。」
 
「・・・忘れないでよ・・・。」
 
 思わず口に出していた。
 
「・・え!?」
 
 ウィローが驚いて振り向いた。こんなにすぐ後ろに私が立っていると思わなかったらしい。あわてて後ろに下がろうとしたウィローの肩を、両腕を伸ばして抱き寄せる。以前のように泣かせてあげるためでなく、なだめるためでもなく、ただ抱きしめるために。
 
「忘れないでよ。」
 
 私はもう一度ウィローの耳元でささやいた。ウィローは抵抗する様子もなく、両手をしっかりと私の背中に回している。
 
「・・・さっき、泣きながら家に帰ってきて、ここで泣いていたの・・・。そしたら母さんが入ってきて・・・しかられちゃった・・・。父さんはそんなこと望んでいないって・・・。」
 
「・・・・・・。」
 
 黙ったまま、私はウィローの髪をなでていた。つやつやした髪・・・風になびくたびにいつも眺めていた髪を・・・。ふわりとハーブの香りが漂う。
 
「父さんの遺志を継ぐよりも、まず私が幸せになることが何より父さんへのはなむけになるって・・・。だから、自分をごまかしたりしないで、ちゃんとあなたに自分の気持ちを伝えなさいって・・・。母さんの言う通りよ・・・。私は嘘つきだわ・・・。自分に嘘をついてあなたにもカインにも嘘をついて・・・。」
 
「君は嘘つきなんかじゃないよ。それを言うなら私だって似たようなものなんだ。さっき私は、君に北大陸には行かない方がいいと言った・・・。御前会議で証言なんてして、さらし者にされたりする危険性があるって言ったけど・・・。それは確かに嘘ではないんだけど・・・でも本当は・・・君が私と一緒にいて気詰まりかも知れないと思ってたから、私がここに残るって言ったから二人でずっと一緒にいることになってしまって、君がそれをうっとうしく思ってるかも知れないって思ったから・・・好きな女の子にそんな風に思われてるのはつらいから・・・これ以上一緒にいない方がいいかも知れないって・・・。だから君を北大陸に連れて行くことに賛成したくなかったんだ。」
 
 ウィローがクスリと笑った。
 
「・・・私達・・・同じことを考えていたのね・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
 ウィローは、自分は私を好きだけど私は自分を嫌っていると思っていて・・・私は、ウィローを好きだけれどウィローは私をうっとうしがっていると思いこんでいた。
 
「今は・・・?今も私を北大陸に連れて行くことに・・・賛成したくない?」
 
 ウィローが顔をあげて私を見つめた。
 
「今は・・・。」
 
 言葉が出てこない。
 
「今は・・・。」
 
 じっと見つめる深い藍色の瞳に吸い込まれるように、私はウィローに顔を近づけた。ウィローが目を閉じ、お互いの唇が重なる。今は・・・ずっと一緒にいたい。離れたくなんてない。うまく出てこなかった言葉の代わりに、私はもう一度しっかりとウィローを抱きしめた。
 
 
「ごちそうさまでした!」
 
 すっかり満足したようなカインの声が、部屋の中まで響いてきた。私がこの部屋に入った頃にカインが食事を始めたはずだから、ずいぶん長い間二人で話していたような気がしたが、そんなに時間はたっていないらしい。
 
「カインの食事が終わったみたいね。」
 
 少しだけ私から体を離して、ウィローが笑った。
 
「そうだね。やたらと元気な声だったもんなぁ。」
 
「ねえクロービス、カインとの約束を果たさなくちゃね。」
 
「約束?」
 
「やぁね、忘れちゃったの?プリンよ、プ・リ・ン。」
 
「あ、そうか・・・。」
 
 温泉の地下に入る時、カインにプリンをたくさん食べさせてあげると、ウィローと二人で約束したんだっけ・・・。
 
「午後のお茶の時間にでも作りましょうよ。」
 
「そうだね・・・。でも私も久しぶりだからうまく出来るかな・・・・。」
 
「あなたは蒸しプリンのほうが得意?」
 
「得意って言うほどのものでもないんだけど、最初に憶えたからね。」
 
「それじゃ、あなたは蒸しプリンね。私は焼くほう。卵と牛乳はたくさんあるから、いくらでも作れるわよ。」
 
「ははは。それじゃ、カインに言っておこう。・・・そろそろ下に降りようか。君もお腹空いたんじゃない?」
 
「あ、そう言えば・・・。」
 
 ウィローは自分のお腹のあたりをさすっている。
 
「言われたら急にお腹空いてきたわ。」
 
 部屋を出ようと扉に向かいかけた時、またふわりとハーブの香りが鼻をくすぐる。
 
「・・・この香り・・・君の髪・・・?」
 
「あ・・・これはね・・・ハーブを煎じた汁を髪を洗った時の最後に使うの。」
 
「へえ・・・いい香りだね・・・。」
 
「そう・・・?ふふふ・・・こうして近くで話すのが今日でよかったわ。昨日だったらきっと私の髪、すごい匂いがしてたわよ。ずっと洗ってなかったもの。」
 
 ウィローが鼻にしわを寄せ、髪を扇ぐような仕草で笑ってみせる。
 
「ははは。そんなのお互い様だよ。昨夜お風呂に入って垢を落としたら、なんだか痩せたような気がしたくらい汚れが落ちたんだから。」
 
 ウィローが吹き出した。
 
「いやぁね。でも・・・。」
 
 急に真顔になる。
 
「体を洗っただけで痩せるなんて、なんかいいわね、それ。」
 
 変にまじめくさって言うウィローに、今度は私が笑い出した。そしてウィローもまた笑い出し、私達は笑い声を上げながら部屋の外へと出て行った。一階へ行くと、ウィローの母さんとカインが笑顔で出迎えてくれた。
 
「話は決まったのか?」
 
 さっき聞こえた声の通り、すっかり満足した風のカインが私に声をかけた。
 
「・・・まあね。」
 
 突然さっきのキスを思い出して、ドキンと心臓がなった。カインに気づかれただろうか・・・。カインには隠すようなことでもないかも知れないけど、でもわざわざ言うほどのことでもない。
 
「それじゃ、二人とも私の娘を北大陸へ連れて行ってくれるのね。」
 
 ウィローの母さんが微笑んだ。
 
「はい・・・。でも、いいんですか?」
 
「何が?」
 
 ウィローの母さんは笑顔のまま、小首をかしげる。
 
「ウィローがいなくなったら、一人になってしまうんじゃないんですか・・・?」
 
 ウィローの母さんは少し寂しそうに微笑んだ。よけいなことだったろうか・・・。もしかして考えないようにしていたことを、私は口に出してしまったんじゃないだろうか・・・。
 
「そうね・・・。寂しくなるでしょうね・・・。」
 
 ウィローは私の後ろに立って、私の服の背中をぎゅっと握りしめている。そうだ・・・母さんだけじゃない、ウィローだって寂しくないはずがない・・・。それでも行こうと決めたのに、私はなんと無神経なことを口走ってしまったんだろう・・・。
 
「でもね・・・私はこの子を行かせてやりたい。この子は本気よ。父親の遺志を継ぎたいという気持ちも、あなたのそばにいたいという気持ちも・・・。」
 
 ウィローの母さんの切ない気持ちが伝わってくる。大事な娘を手放す悲しみをこらえて、この人は私に娘を託そうとしている・・・。私がウィロー親子に出会ってから、いったいどれほどの時が過ぎたのだろう。一ヶ月・・・は過ぎている。でもまだ二ヶ月までは過ぎていない。しかもその間ずっと一緒にいたウィローはともかく、ウィローの母さんは私のことなんてほとんど知らないんじゃないだろうか。ウィローの母さんにとって、私などはっきり言って『どこぞの馬の骨』みたいなものだ。もしもデールさんが健在なら、私みたいな下っ端の王国剣士に娘を預けようなんて絶対に思わないだろう。
 
「・・・私でいいんですか?」
 
「あらどうして?」
 
 ウィローの母さんは本当に驚いた顔を私に向けた。まるで私がとんでもなくおかしなことを聞いたような、そんな顔をしている。
 
「・・・でも私のことをほとんど何もご存じないのに・・・。大事な娘さんを・・・。」
 
「・・・そうね・・・。確かに知らないわ。」
 
「それなら・・・。」
 
「ちょっと俺は外に・・・。」
 
 立ち上がりかけたカインの肩を押し戻して椅子に座らせた。腰を浮かせた状態でいきなり押されたので、カインはバランスを崩し、ドスンと大きな音を立ててしりもちをつくように椅子に座り直した。
 
「おっとっとっと・・・!何だよ!?びっくりするじゃないか。」
 
「君もいてよ。君に関係ない話じゃないよ。ウィローを北大陸に連れて行くって言う話には君も同意してるんだから、ちゃんと聞いてて。」
 
「・・・わかったよ・・・。あいたたた・・・。」
 
 カインはおしりをさすりながらため息と共にうなずいた。
 
「ちょっと待っててね・・・。」
 
 ウィローの母さんは台所に行くと、用意されていたらしいお茶道具を持って戻ってきた。
 
「お茶にしましょうか。カインには食後のお茶ね。あなた達には食前のになってしまうけど、少し座ってお話ししましょう、ね?クロービス。」
 
「はい・・・。」
 
 みんなでテーブルに座り、ウィローの母さんとウィローが二人でお茶を入れてくれた。
 
「さて話に戻りましょうか・・・。クロービス、私は確かにあなたのことをよく知らないけど・・・。でも娘が選んだ男性なのだから間違いないと思うわ。それではだめなのかしら・・・。」
 
「あの、だめとかそう言うのじゃなくて・・・。」
 
 そう言ってくれるのはうれしい・・・。でも本当にこれでいいんだろうか・・・。
 
「それじゃ、自信がない・・・?」
 
「え・・・。」
 
 言葉に詰まる。
 
「失礼な言い方してごめんなさいね・・・。あなたの態度が何となく・・・そう思えたから・・・。」
 
「・・・いえ・・・そうかも知れません・・・。デールさんが亡くなられて・・・これでウィローまでいなくなってしまったら、あなたが一人になってしまうんじゃないかって・・・そう思っていたけど・・・本当は自信がないのかも知れない・・・。」
 
「私には、あなたもカインも立派な王国剣士に見えるわ。ガウディさんを傷つけた怪物に立ち向かうために、西の果てまで足を伸ばしたって聞いたけど・・・そこまでしてでも任務を遂行したかったのでしょう?仕事とはいえ、なかなか出来ることではないと思うわよ。」
 
 自信がない・・・。何に対して?自分がどれほどのものだというのか・・・。自分がまだ入団して一年にもならない、イアンが以前言ったとおり『ぺーぺーの下っ端』の王国剣士だから・・・。今ウィローは私を好きでいてくれるけど、その先のことがわからないから・・・。
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 
 違う・・・。そうじゃない。自信がないと言うより、私は恐れている・・・。
 
(何を・・・?)
 
 自分の心に問いかける。
 
(自分自身を・・・。)
 
 即座に答えは返ってきた。不可解な夢。不思議な力。聖戦竜達が言う私の使命・・・。未だわからない父の死の謎。遺された楽譜・・・。
 
「私は・・・。」
 
 言いかけて言葉がのどにからみつく。ウィローは私の力を受け入れてくれたけれど・・・ウィローの母さんはどうだろう・・・。
 
「クロービス、もしかしてあなたのあの力のこと・・・?」
 
 ウィローが遠慮がちに口を開き、すぐにハッとして口をつぐんだ。よけいなことを口走ってしまったという後悔の色が顔に浮かぶ。
 
「力・・・?」
 
 ウィローの母さんが不思議そうに娘の顔をのぞき込む。もう遅い。一度口から出た言葉は、どんなにがんばっても言わなかったことになんて出来やしない。
 
(言うしかないか・・・。)
 
 言ってしまえば、ウィローの母さんの態度は変わるかも知れない。そんな薄気味悪い力を持つ男になど、大事な娘を預けられないと言われるかも知れない。でもやっぱり隠しておけない・・・。
 
「私は・・・自分が何者なのか・・・よくわからないんです・・・。」
 
「どういうことなの・・・?」
 
 ウィローの母さんは不安げな顔を私に向けた。
 
「どこから話せばいいのかな・・・。」
 
 いざ話そうとして、私は少し混乱していた。まずは何から話せばいいのだろう。どうすればうまく伝わるだろう。
 
「・・・夢の話からでいいんじゃないか・・・?」
 
 カインがぽつりとつぶやくように言った。
 
「昔から見ているあの夢・・・?」
 
「そうだよ。多分すべては・・・その夢から始まってるのかも知れないと思う・・・。」
 
「あの夢から・・・か・・・。」
 
「ま、それは単に俺がそう思ってるだけなんだけど・・・どこから話せばいいのかわからないなら、そこから話すしかないかと思ってな。」
 
「そうだね・・・。」
 
 私は覚悟を決めて、昔からずっと見続けている夢のことに始まり、セントハース達の言葉など、未だ何一つ解けていない謎を、ウィローと、ウィローの母さんに話して聞かせた。
 
「その夢って言うのは・・・夢見る人の塔でシェルノさんに話したって言う夢のことね。」
 
 ウィローが尋ねる。
 
「うん・・・。」
 
「不思議な話ね・・・。でもどうしてその夢の中の女の子がフロリア様だってわかったの?」
 
「夢に出てきたのと同じ場所が、フロリア様のお住まいのある塔にあったからさ。」
 
「そう・・・。」
 
「その夢は王国に出てきてから頻繁に見るようになったんだけど・・・最近は満月の日か、それに近い時に立て続けに見るようになってね。その他の日はほとんど見ないんだよ・・・。」
 
「・・・昨夜も満月だったわ・・・。」
 
「そうか・・・。だからか・・・。」
 
「見たのね・・・?」
 
「うん・・・。」
 
「ロコの夢だけじゃなかったのね・・・。あなたが見ている夢は・・・。」
 
「そうだね・・・。君の夢も・・・見たことがあるよ・・・。」
 
「私の・・・?」
 
「そう・・・。君が小さな頃・・・父さんを待って外に出て、いつも道の向こうを眺めていた・・・。」
 
 ウィローの顔に驚きが走る。
 
「・・・ごめん・・・。こんな話、気味が悪いよね・・・。」
 
「そんなことないわ・・・。私はいつも『防壁』作りのお手伝いをするから、あなたの力が強いことはわかってるもの・・・。でも夢見る人の塔に行ったことでロコの夢はわかったのに、その夢のことはわからないの?」
 
「この夢だけは・・・わからない・・・。それに・・・『Lost Memory』の楽譜のことも、セントハースが言っていた為すべきこともロコの言う使命も・・・。何も・・・何も判らないことばかりなんだ・・・!」
 
 苛立ちばかりが募り、私は思わず大声を出して頭を抱え込んだ。
 
「・・・・・・すみません・・・。大きな声出したりして・・・。」
 
「いいのよ。でも本当に不思議な話ね・・・。それに、あなたもあの楽譜を持っていたなんて・・・。」
 
「母さん、あの楽譜は誰からもらったものなの?」
 
 ウィローが尋ねた。
 
「・・・あの楽譜は・・・。」
 
 ウィローの母さんが言いよどんだ。何かためらっているように見える。
 
「・・・あれは・・・あなたの父さんが王宮にいた頃に、もらってきたものなのよ・・・。」
 
「王宮からもらったと言うことなの?」
 
「・・・・・・・・・・・。」
 
「母さん?」
 
 ウィローが母親の顔をのぞき込む。
 
「それより、今はあなたのことよ、ウィロー。」
 
 いつもの笑顔でウィローの母さんは答えたが、楽譜のことを話しながら黙り込んだその一瞬、ウィローの母さんの顔がこわばったことに私は気づいていた。あの楽譜のことを、何かしら知っているに違いない。
 
 
「私自身、これからどんなことが起こるかわからないのに、ウィローの助けになることなんて出来るんだろうかとか、私のことで何かあった時にウィローを巻き込んでしまったらとか、そう言うことを考えると・・・本当にウィローをこの村から連れ出していいものかどうか・・・自信がありません・・・。」
 
「クロービス・・・。」
 
 涙をためた瞳でウィローが私を見つめる。
 
「ごめん・・・。こんなことしか言えなくて・・・。でも・・・君と一緒にいたい気持ちも、君の助けになりたい気持ちも、自信がないというのも・・・全部今の私の正直な気持ちなんだ・・・。」
 
 私は深呼吸した。話はこれで終わりじゃない。もう一つ、言わなければならないことが残っている。
 
「リアナさん、ここまで全部聞いてくださった上で、もう一度お聞きします。本当にウィローを北大陸に連れて行くことに賛成してくれますか?」
 
「・・・・あなたの気持ちはわかりました。その質問に答える前に、私の話を少し聞いてくれないかしら。」
 
「はい・・・。」
 
「19年前のある日・・・夫は突然こう言ったわ。『頼む。女が出来たから別れてくれ』ってね。」
 
「お、女!?」
 
 ウィローがぎょっとして立ち上がり大声を上げた。ウィローの母さんはそんな娘にかまわず話し続ける。
 
「ふふふ・・・それがね、どこの女って聞いたらいきなり言葉に詰まって・・・。」
 
 ウィローの母さんはなぜか楽しそうだ。
 
「しばらくしてやっと、『歓楽街の娼婦だ』って言うから、それじゃ会わせてくださいって言ったのよ。どこの店のなんて言う女の人かわかれば、私が自分で会いに行くって。会ってあなたを本当に愛しているのか聞いて、もしそうなら私はウィローと一緒に身を引きますからってね。」
 
「そ、そんな・・・。」
 
 ウィローは立ったまま呆然としている。
 
「ところがちっともはっきり答えないの。だからすぐに女が出来たなんて嘘だってわかったわ。だから何でそんなことを言い出したのか問いつめたのよ・・・。」
 
「そ、そうなの・・・ああびっくりした・・・脅かさないでよ、もう・・・。」
 
 ウィローはほっと安堵のため息をつき、腰を下ろした。
 
「ごめんなさいね、脅かして・・・。それで問いつめたら・・・実はハース鉱山に統括者として赴任することになったから、頼むから別れてくれって・・・。南大陸はとても過酷なところだから、そんなところに私達を連れて行けないからって言ったわ・・・。」
 
「でも離婚しなかったのね・・・。」
 
「当たり前よ。夫が南大陸勤務になったから離婚しますなんて言う話、聞いたことないわ。」
 
 ウィローの母さんはまた笑った。
 
「でもなぜか父さんは、私達を連れて行きたくなさそうだった。でもどうしてもついて行きたいって、母さんがんばったのよ。それで結局父さんが折れて、みんなで行くことになったの・・・。」
 
「どうして父さんは・・・一緒に行こうとしなかったの・・・?母さんのこと愛してたんじゃなかったの・・・?」
 
「カナに着いて・・・村長のお世話で家を見つけて、そこに落ち着いたわ。しばらくの間は荷物の整理などでばたばたしていたけど、やっとそれも片づいて・・・明日はいよいよ鉱山に向かうという日・・・。」
 
 さっきまでの楽しそうな表情は消え、ウィローの母さんは沈痛な面持ちで下を向いた。
 
「ハース城に一度出かけてしまったら、もう戻れないかも知れないと、父さんは言ったわ。私は何度も理由を聞いたの。なぜ父さんが大臣の地位を捨ててまでもこの地に来たのか、なぜ帰ってくることが出来ないのか。歩いてもせいぜい一週間でつける場所なのに・・・。」
 
「・・・教えてくれなかったのね・・・。」
 
「ええ・・・どうしてもそれだけは教えてくれなかった・・・。だからせめて私を連れて行ってと頼んだのだけれど・・・。昨日も言ったように、それは出来なかったの。鉱山の中は空気もよくないし、子供が育つのにいい環境とはお世辞にも言えないって・・・。そんなところにあなたを連れて行くことは出来ない。だから父さんは私に・・・ウィローを頼むと・・・・。この村の人達はみんなとてもいい人達だし、村の中は思ったよりも涼しくて自然がたくさんあってとても環境がいいところだから、ここで育てばきっとウィローは元気で丈夫な子に育つからと・・・。」
 
 ウィローの母さんは一度言葉を切った。いや、切ったと言うより涙が流れて話せなくなったのだ。
 
「母さん・・・。」
 
 ウィローが母親の肩に手をかけた。ウィローの母さんはうなずいて娘の手を握り返す。
 
「だから約束したわ。私はこの村でずっとあなたを待っているから、どんなに時が過ぎても、帰ってこられる時が来たら必ず帰ってきてくださいって・・・それまで私は、この村の中であなたの無事を祈り続けているからと・・・。」
 
 ウィローの母さんは鼻をすすって涙をぬぐった。
 
「それから私は・・・毎日一度は展望台でハースの山々を眺めることにしたの。鉱山のある山を見つめながら、ずっとあの人の無事を祈っていた・・・。わかっていたのよ、『帰って来れないかも知れない』のではなく、『帰ってくることは出来ない』のだと。でも、それでも万に一つの可能性にかけて、鉱山で働いている人たちが戻ってくる日には、村の人たちと一緒に村の入り口で待ってもみたわ。でもあの人は帰ってこなかった・・・。」
 
「父さんがもうずっと帰ってこないってこと・・・母さんは知っていたのね・・・。」
 
 ウィローの母さんは小さくうなずいた。
 
「ウィロー、ごめんなさいね・・・。あなたにそれを言うことは出来なかったの・・・。あなたが父さんに捨てられたのではないかと思っていたことはわかっていたわ。でも私も、あの人がどうしてそれほどまで思いつめて鉱山へと行ったのかわからないから・・・。説明のしようがなかったのよ・・・。」
 
「わかるわ・・・私にも・・・今ならわかる・・・・。」
 
 ウィローは泣きながらうなずいている。
 
「この村で父さんを待ち続けたことを後悔していない。それは本当よ。村の人たちはみんな優しかったし、何より毎日成長するあなたの笑顔が何よりの励みだった・・・。でも・・・。」
 
 ウィローの母さんが顔を両手で覆った。こらえきれずに嗚咽がもれる。
 
「でも・・・女としては・・・一人の女としてはどうしてもあの人について行きたかった・・・そばにいて、あの人の苦しみを少しでも分かち合いたかった・・・。死んでしまったなんて・・・もう会えないなんて・・・。どうして・・・!」
 
 沈黙が流れた。ウィローは泣き続ける母親にすがって一緒に泣いている。私も涙が止まらなかった。カインを見ると真っ赤になった目をごしごしこすっている。これほどの思いで夫を送り出したというのに、イシュトラにすべてを踏みにじられた・・・。もしもウィローの母さんがあの場所にいたとしたら、誰よりもあの男を憎んだのはもしかしたらこの人だったかも知れない。でも今の彼女の心からは憎しみの感情はわいていない。むしろただただ悲しいだけ・・・。たとえ二度と会うことが出来なくても、愛する人はあの場所に必ずいるのだという心の支えをいきなり失って、ウィローの母さんの心は悲しみの中に沈んでいた。
 
「・・・ごめんなさいね、ウィロー・・・。こんなことを言うなんて・・・私は母親失格だわ・・・。」
 
「そんなことない!母さんは私の自慢の母さんよ!父さんも母さんも、私誇りに思うわ!そんな言い方しないで!」
 
 ウィローがまた泣き出す。
 
「カイン、クロービス、ごめんなさい、取り乱したりして・・・。」
 
 ウィローの肩をなだめるように叩きながら、ウィローの母さんが私達に振り向いた。涙をぬぐって背筋を伸ばし、また話し始める。
 
「ねぇ、クロービス・・・私は・・・同じ思いを娘にはさせたくないの・・・。もしもあなたがこの子を連れて行ってくれなければ、きっとこの子はいつまでもあなたを待っているわ。そうしたらこの子は、何も出来ない自分にただ苛立ちながら、無為な人生を送ることになる・・・。夫が帰ってこなくても、私には娘がいてくれたけど、あなたを待ち続ける間、この子には何もないのよ・・・。たった一人で誰かを待ち続ける人生なんて、自分の娘に送らせたくはない。それなら、いくら自分が寂しくても、我が子には悔いのない人生を生きてほしいと思うわ・・・。」
 
「母さん・・・。」
 
 ウィローが涙で顔をくしゃくしゃにしながら母親に抱きついた。
 
「ではクロービス、改めてあなたからの質問の答えを言うわ。私は娘が選んだあなたに娘を任せます。それからカイン、あなたにも迷惑をかけることになってしまうかも知れないけれど、あなたの出来る範囲でかまわないから、娘に手を貸してあげてほしいの。そしてクロービス・・・出来るなら娘を・・・ウィローを幸せにしてあげて・・・ね・・・。」
 
 やっとの事でそこまで言って、ウィローの母さんはまた泣き出した。カインは立ち上がり、ウィローの母さんの前に立って頭を下げた。
 
「今までウィローにはたくさん助けてもらいました。今度は俺の番です。出来る限りの手助けはします。」
 
「カイン・・・ありがとう・・・。」
 
 ウィローが母親に抱きついたままの姿勢で少しだけ顔をあげた。私もカインの隣に並んで、そっとウィローの母さんの肩に手をかけた。はっきりとした答えを聞けた今、やっと迷いが吹っ切れたような気がする。
 
「わかりました・・・。ではウィローをお預かりします。」
 
 『幸せにします』とは・・・まだ言えなかった。言いたかったけれど言えなかった・・・。
 

第31章へ続く

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