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 翌日、ディレンさんが元衛兵達を集めて昨日の返事を聞いた。
 
「どうだ?決心はついたか?」
 
 みんな最初は黙っていたが、中の一人が前に進み出た。
 
「俺は・・・あんた達と行くぞ。連れて行ってくれよ・・・。」
 
「名前は?」
 
「俺はウィンガーだ。俺は・・・昔家を出てくる時、親父とお袋に楽をさせてやりたいと思っていた。なのに今のままでは楽どころか迷惑ばかりかけることになっちまう・・・。でもあんた達の誘いに乗れば、せめて大手を振って家に帰れるようには・・・なるよな・・・?」
 
 ウィンガーは不安そうにディレンさんを見た。
 
「もちろんだ。では一人決まりだな。」
 
 二人の会話を聞いていた他の元衛兵達が次々に
 
「俺も行くぞ。」
 
「俺もだ。」
 
「俺だって・・・。」
 
と言い始めて、最後に残ったのはゲイルただ一人となった。
 
「お前はどうする?他に当てがあるのなら別に無理にとは言わんが。」
 
 ゲイルは黙って腕を組んだまま考え込んでいるようだった。
 
「もうここを発たなければならないからな。そろそろ決めてくれないか。」
 
「昨日からずっと考えていたんだが・・・。」
 
 ゲイルが話し始めた。
 
「なんだ?」
 
「本当にそれほどうまくいくと思うのか?俺達のような鼻つまみ者を仲間にして・・・。」
 
「私達の申し出を受け入れてくれるのなら、お前達はもう鼻つまみ者ではないぞ。」
 
「ふん・・・まあそれはいいさ。だが、この砂漠の中を延々と巡回し続けて行かなくちゃならねぇってのか?それはいつになったら終わるんだ?」
 
「終わりにしたければいつでもすればいいさ。ただし、そのあと古巣に戻ったりしないのならの話だがな。自分の家に帰って畑を耕してもいいし、自分の村を守ったっていいじゃないか。」
 
 ゲイルの質問は、昨日ディレンさんが話したことをもう一度繰り返しているようなものだ。きっとこの男は不安なのだ。今までと正反対の仕事に就いて、果たしてうまくやっていけるものなのかどうか、いや、そもそも自分が今までと正反対の仕事に就くことが、本当にそれほど簡単にいくものかどうか、それを疑ってかかっているようだった。
 
「不安か?今までと正反対の仕事に就くというのは・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 ズバリ言い当てられてゲイルが言葉を詰まらせた。
 
「迷っているのなら、とりあえず私達と来てみないか。道中もう少し話をしようじゃないか。」
 
 しばらくの間、ゲイルはディレンさんをにらむように見つめていたが、やがてゆっくりとうなずいた。
 
「決まりだな。さてと、出発しよう。カイン、クロービス。」
 
「はい。」
 
「君達はこれからカナ方面だよな?」
 
「そうですね。カナに一度戻って、それから北大陸に帰ります。」
 
 カインが答える。
 
「そうか。陸路か?それとも君が剣士団長と乗ってきたという船でか?」
 
「船のほうが早いですから、出来れば船で行きたいんですが・・・果たしてあの船が今も湖の桟橋にあるかどうか・・・。」
 
 それが一番の心配事だった。万一船がモンスター達に壊されていた場合、北部地方を通ってロコの橋に出るしか道はない。
 
「そうか・・・。それでは待ち合わせをしないか?」
 
「待ち合わせ?」
 
 カインと私がほぼ同時に聞き返した。
 
「そうだ。ここからカナまではだいたい5日くらいだな。向こうで何日か過ごしたとしてまたここまでくるのに5日ほどか・・・。よし、ここからカナに向かって一日くらいの場所にオアシスがあるだろう?カナからハース渓谷に向かう行程の中では最後のオアシスに当たる場所だ。あそこにしよう。私達は大陸南部に帰る人達を護衛していくから、戻ってこれるのはやはり同じくらいの日だと思うんだ。君達が無事に船に乗るまで、護衛させてくれないか。」
 
「・・・わかりました。お願いします。」
 
 思ったよりすんなりとカインがうなずいた。
 
「それでは私達は南に向かう人々を護衛していこう。」
 
「あ、待ってください、ディレンさん。」
 
 思わず私は呼び止めた。言うべきかどうかずっと迷っていたが、やはり知らせておいた方がいいと思ったことがあった。言うならば今だ。
 
「ん?」
 
「ガウディさんは・・・生きてましたよ。」
 
「そうか・・・。」
 
 ディレンさんの顔に安堵の色が広がった。きっとずっと気にしていたんだろう。でも自分からは切り出しにくかったのかも知れない。
 
「でも怪我していて・・・。ずっと治らなかったんですけど、もしかしたら何とかなるかも知れません。」
 
「君が?」
 
「確約は出来ませんが・・私に・・・考えがあります。」
 
「そうか・・・。詳しいことを聞いている時間はなさそうだな。君を信じよう。何としても・・・ガウディさんを助けてやってくれ。」
 
 ディレンさんが私の肩に手をかけ、ぎゅっと握った。
 
「全力を尽くします。」
 
 ディレンさんはうなずいて、旅支度のできあがった鉱夫達のところに歩いていった。
 
「さあ!南部の集落に向かう者は私達についてきてくれ!!」
 
 ガヤガヤと話をしていた鉱夫達は、ディレンさんのかけ声で二手に分かれた。
 
「クロービス、だったよな?」
 
 フリッツさんが私に声をかけた。
 
「はい、あなたはフリッツさんとおっしゃるんでしたね。」
 
「ははは、自己紹介もしてなかったけど、手間が省けたな。」
 
 フリッツさんは大声で笑い、手を差し出した。
 
「元気でやれよ。また会えるといいな。」
 
「そうですね。」
 
 私はフリッツさんの手を握り返した。フリッツさんはカインの肩を叩き、「あんたもがんばれよ」と言いながら握手を交わしていた。そこにランディさんが近づいてきた。
 
「クロービス、元気でな。」
 
 ランディさんが手を差し出す。
 
「はい、いろいろありがとうございました。ランディさんもお元気で。」
 
「ああ。それからウィロー、あんたの親父さんはやっぱり昔のまんまだったんだな。」
 
「はい・・・。」
 
 ウィローが少し寂しげに微笑んだ。
 
「まさか殺されていたとは思わなかったが・・・立派な親父さんだ。あんたは胸張っていればいいさ。そして早く幸せになることだな。」
 
 ウィローが涙のにじんだ目でうなずいた。そんなウィローの肩を、ランディさんは優しく叩いた。
 
「俺はこの道をずーっと南に行ったところにある、小さな集落に住んでいるんだ。機会があったら訪ねてくれよ。」
 
「はい。」
 
 ディレンさんとフリッツさん、それにあの元衛兵達何人かに導かれ、南へ向かう鉱夫達は去っていった。その他の冒険家や戦士達、そして残った元衛兵達は、ハース渓谷のモンスター達が万一暴走したりした時のために、この辺りをしばらく巡回してくれることになった。あの元衛兵達は、ちゃんと仕事をするだろうか。何とか更生してくれればいいのだが・・・。
 
 後に残ったのは、私達3人と、テロスさんにロイ、その他カナの村に家がある鉱夫が何人かと、北大陸から来たという鉱夫が少しいた。その人達と共に私達はカナを目指して歩き始めた。
 
 今日の陽射しは一段と強い。ハース城へ向かう時もこの砂漠を越えたはずだが、長いことハース渓谷の中にいて、すっかりあの湿った空気になじんでしまっていた。昨夜は呪文の練習をがんばりすぎたかも知れない。自分の歩くペースが少し落ちてきたことに気づいた。
 
「クロービス、大丈夫か?」
 
 カインが隣で声をかけてくれる。
 
「疲れてるんじゃないの?休んだ方がいいかも知れないわ。」
 
 ウィローが反対隣から心配そうに私に顔をのぞき込んでいる。
 
「いや、少しペースを落とせば大丈夫だよ。次のオアシスまではがんばらないとね。」
 
 そんな話をしている背後で、不意にうめき声とどさりと何かが倒れる音、続いてざわめきが起きた。
 
「どうしたんだ?」
 
 カインが振り向き、後ろを歩いていた鉱夫達に声をかけた。
 
「ちょっと待ってくれないか。熱射病みたいだ。」
 
 ロイの声が聞こえる。
 
「熱射病?」
 
 自分の疲れも忘れて、私は鉱夫達のところに急いだ。手をつないだままのウィローも一緒に走ってくる。鉱夫が一人、ぐったりとしている。これほど乾燥した場所で脂汗をかいていた。
 
「オアシスまではだいぶあるんだ・・・。せめて日陰でもあれば・・・。」
 
 別な鉱夫が心配そうに辺りを見回すが、オアシスとオアシスの間は一面の砂の海で、木の一本もありはしない。
 
「カイン、ちょっとだけここにテントを張ろう。とにかく寝かせて治療しないと。」
 
 カインは背負っていた荷物の中からテントを引っ張り出してとりあえずその場に張った。中に倒れた鉱夫を寝かせて水を飲ませるが、鉱夫は真っ青で、ぼんやりとうつろな目をしたままぜいぜいと息をしている。ウィローは鉱夫の隣にひざまずき、
 
「水だけではだめよ。とにかく、まず服をゆるめて、何でもいいから風を起こせるものがあればそれで仰いであげて。」
 
てきぱきと指示を出し始めた。
 
「慣れてるね。」
 
「カナではみんな熱射病の応急処置を教わるのよ。村の人でも熱射病になる人はいるの。あとは・・・あの薬草があればいいんだけど・・・。」
 
「何の薬草?」
 
 薬草なら荷物の中にいろいろ持っている。でもこんな時に役に立つようなものがあったかどうか・・・。
 
「本当の名前は知らないの。でも私は『ネツトリグサ』って教わったわ。このあたりではいつもならたくさん採れる薬草で、砂漠の中に旅に出る時はみんな必ず持って行くの。でもモンスターが狂暴になってきた頃からなかなか山に薬草取りにも行けなくて、今では貴重なものになってしまったわ。だから村を出る時も持って来れなかったのよ。」
 
「それってどんな薬草?」
 
「鮮やかな緑色よ。天日で干しても色が変わらないの。」
 
「もしかして・・・。」
 
 私は荷物の中を探り始めた。鮮やかな緑色の薬草・・・。砂漠を渡る時にはあれば重宝するもの・・・。バンドスさんはそう言っていたのではなかったか。
 
「これじゃない?」
 
 荷物の奥に入り込んでいたあの時の薬草を、私はやっとの事で引っ張り出した。こんなものをもらったことさえ今の今まで忘れていた。でももしかしたら、これが役に立つかも知れない。ウィローは私の手に握られた薬草の束を見て声をあげた。
 
「ああ!これよ、これ!どうしてあなたが持っているの?北大陸にもあるものなの?」
 
「向こうで見たことはないよ。ロコの橋の休憩所で、商人を助けた時にもらったんだ。でも今まですっかり忘れていたよ。これで熱射病が治るの?」
 
「けろっと直るわけじゃないけど・・・説明はあとよ。とにかく、これをコップに入れて水を注いで。水の量はそんなになくていいわ。」
 
 私は言われるままに小さなコップに水を注ぎ、そこに薬草を浸した。ウィローはそれを受け取ると、
 
「あんまり手はきれいじゃないけど、我慢してね。」
 
 そんなことを言いながら指先で薬草を水の中に押し込み、ひょいとつまみ上げた。そして水が滴らない程度に絞ったものを、寝ている鉱夫の口元に持って行くと、
 
「これを口に入れて。飲み込んではだめよ。ゆっくりでいいからかんでいて。」
 
 鉱夫はぼんやりとうなずき、言われたとおりに口を動かし始めた。ウィローはじっとその姿を見つめている。かみ続けているうちに、鉱夫の顔に生気が戻ってきた。
 
「どう・・・?」
 
 ウィローの呼びかけに、鉱夫は少しだけ笑顔で答えた。
 
「ああ・・・さっきよりは・・・いいかも知れないな・・・。」
 
「よかった。それじゃ、これを飲んで。」
 
 ウィローはさっき薬草を浸しておいた水を差しだした。
 
「ゆっくりよ。少しずつ少しずつ飲むの。」
 
 鉱夫は言われるままに少し体を起こして、水を飲んだ。飲み終えて横になった頃にはすっかり穏やかな顔に戻っていた。
 
「ああ・・・楽になったよ。あんた確か、デールさんの娘さんだったよな・・・。ありがとう。」
 
「よかった・・・。それじゃ少し眠ってください。今歩き始めると、また途中で倒れてしまうわ。」
 
 ウィローの笑顔に鉱夫は安心したように目を閉じた。
 
「もう大丈夫よ。」
 
 ウィローは私達に向き直り笑顔で言った。
 
「すごいな。あんなに真っ青だったのに」
 
「あの薬草のおかげよ。あれがなかったら今日は夜になるまでここから動けなかったかも知れないわ。」
 
「バンドスさんに感謝だな。」
 
 カインが言った。
 
「そうだね。」
 
「でも変ね・・・。あの薬草は、さっきも言ったようにカナではすっかり貴重品よ。なのに旅の商人がそんなにたくさん持っていたなんて・・・。」
 
「あの人達はあちこち回ってきたみたいだから、どこかで見つけたのかも知れないよ。」
 
「それもそうね。その人達のおかげであの人が助かったんだし。」
 
「いやあ、ウィロー、助かったよ。」
 
 ロイがテントから離れて私達に近づいてきた。
 
「よかったわ。でもロイ、あなただって熱射病の応急処置の仕方くらい知ってるはずでしょうに・・・。」
 
「ははははは・・・。忘れちまった・・・。」
 
 ロイは頭をかいている。
 
「もう・・・!今度はちゃんと憶えてね!」
 
「わかったよ。まさか熱射病になる奴がいるとは思わなかったから・・・。」
 
「でもカナの人でもなることはあるんだよね?」
 
「まあな。でもあいつは違うよ。北大陸から来たって言ってたからな。いつもなら船で直接向こうに戻るから、砂漠の旅なんてしたことがないんだそうだ。」
 
「向こうに住んでる人にとってはこの砂漠はかなりきついよ。私達だって剣士団でいろいろ教えてもらっていたからどうにかなっているくらいで。」
 
「それに、あんたらは体力もあるしな。中にいた鉱夫達はもうずっと外にも出られずにあの工場の中でひたすら廃液流しをさせられていたんだから、体だって弱ってくるさ・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
「おーい!もう起きられるぞ。出発しないか?」
 
 テントのほうから声がした。見るとさっきの鉱夫はもう立ち上がっている。他の鉱夫達がみんなでテントをたたんでくれていた。声をかけてきたのはテロスさんだった。
 
「大丈夫なんですか?」
 
 私の問いに鉱夫は笑顔で答えた。
 
「ああ、何とかなったよ。デールさんの娘さんに助けられるとはな・・・。実は俺、昔デールさんにけんかを売ったことがあるんだよな。」
 
「けんか!?」
 
「ああ・・・。俺がハース鉱山に入ったばかりの頃、デールさんが鉱夫を一人クビにしたんだ。すごい剣幕で怒っていて、『君の顔など見たくもない!さっさと出て行け!』てな。そいつは入ったばかりの俺の面倒をいろいろ見てくれた奴だったから、俺はデールさんに直談判したわけ。『話も聞かずに横暴だ!俺も辞めてやる!』って言ったら、いきなり冷静な顔に戻って『君が辞める必要はない』でおしまい。相手にもされなかったのさ。だから正直なところ、あの人はなんて冷酷な人なんだろうって思ってたよ・・・。でもそのあとすぐにいなくなって・・・そうなるとなんだか寂しくてなぁ。不思議な人だったな・・・。」
 
「さてそれじゃもう出発しよう。今日は行けるところまで、だな。」
 
 ロイがしんみりとした場を取り繕うように大声を上げた。
 
「そうだな。無理にオアシスに着こうと思わずに、行けるところまでと思って進めばいいさ。」
 
 カインも元気よく立ち上がった。歩きながら、ウィローが小さくつぶやいたのがわかった。
 
「冷酷な人・・・か・・・。」
 
「気にしてるの?」
 
「そうじゃないの・・・。父さんがどんな人だったのか、今の私にはわかるから・・・。でもね、他の人達には誤解されたままなんだなって・・・改めて思ったわ・・・。なんだか父さんがかわいそうで・・・。」
 
「少なくとも、一緒に鉱山から逃げてきた人達は、今はデールさんの本当の姿をわかってくれているよ。」
 
「そうね・・・。ありがとう、クロービス・・・慰めてくれて・・・。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
 夕方になって、陽がすっかり沈みかけた頃、私達は前方にオアシスを見つけた。思ったよりも進むことが出来ていたらしい。みんなほっとして、今まで歩いてきた疲れも忘れてオアシスに飛び込むように入った。木々を渡る涼しい風、その風に乗って漂ってくる水の香り・・・。やっとゆっくり休める場所に来たことで、私達もようやく緊張がほぐれた。
 
「さすがに他の旅人はいないみたいだな・・・。」
 
 カインがあたりを見渡した。
 
「こっちも大所帯だからその方がいいかも知れないよ。」
 
「そうだな・・・。なあクロービス、食い物はなんとかなりそうか?」
 
「うーん・・・私達3人だけなら大丈夫だけど・・・他の人達はどうなんだろう。そこまで考えが回らなかったな・・・。」
 
「そうだよな・・・。みんな大丈夫なのかな・・・。ちょっと見てくるよ。」
 
 私の返事も待たずカインは歩き出した。
 
「大丈夫なのかしら・・・。なんだか無理しているみたいだわ・・・。」
 
 ウィローがカインの背中を見送りながら心配そうにつぶやいた。
 
「気を紛らわせるものが何かほしいのかも知れないよ・・・。」
 
 そう言う私も、何度涙をこらえたかわからない。
 
「そう・・・よね・・・。ねえ、クロービス・・・。」
 
「なに?」
 
「あの時・・・パーシバル様は・・・なんて言っていたのかしら・・・。」
 
「わからない・・・。私にも聞こえなかったんだ・・・。」
 
 父の名前が出てきたことはわかる・・・。デールさんの名前も・・・。父とデールさんは顔見知りだったのだろうか・・・。
 
『私の犯した罪は重い・・・。』
 
 あのあと剣士団長は確かにそう言っていた。あれは一体・・・。
 
「母さんなら何か知っているかしら・・・。あなたのお父様のこと・・・。帰ったら聞いてみようかな・・・。」
 
「知っているなら聞きたいけど・・・でも無理に聞き出そうとはしない方がいいと思うよ。君のお母さんは・・・19年もずっと君のお父さんを待っていたんだから、亡くなっていたって言う知らせだけでも、充分つらいと思うんだ・・・。」
 
 ウィローはハッとしたように私を見つめて、うなずいた。
 
「そうよね・・・。私ったら自分のことしか考えてなかった・・・。」
 
 そこにカインがロイと一緒に戻ってきた。
 
「ロイ、みんなの食事は?」
 
「大丈夫だよ。ハース城を出る時、俺とテロスのおっちゃんでたっぷり食料を持ち出してきたから。」
 
 ロイはにっと笑ってパンパンにふくれた荷物袋を掲げて見せた。
 
「もう一つあったけど、それは南に向かう連中にさっき渡したんだ。でもこれだけあればカナまでは何とかなるさ。まあ、とんでもない大飯食らいがいなければ、の話だけどな。」
 
「相変わらずこう言うところはちゃっかりしてるわね。」
 
 ウィローが笑った。
 
「あんたらは大丈夫なのか?」
 
「こっちは大丈夫だよ。・・・剣士団長がいっぱい持ってきてくれたからな・・・。」
 
「団長が・・・?」
 
 カインの言葉に私は思わず聞き返した。
 
「ああ・・・。俺が、クロービス達が渓谷で待ってるって言ったから、食料が乏しくなって・・・腹を・・・空かせているかも知れない・・・って・・・。」
 
 言いながらカインの声が震えてきた。
 
「団長が・・・?私達のために・・・?」
 
 うなずいたカインの涙をためた目を見た時、張りつめていた糸がぷつりと切れたような気がした。視界がゆがみ、涙の最初の一粒が頬を伝って流れると、もうあとからあとから流れてきた。
 
 もう剣士団長はいないのだ・・・。あの柔らかなほほえみも、もう二度と見ることは出来ない。最後の最後まで私達を心配してくれた、そして最後まで・・・王国の行く末を案じていた・・・。
 
「団長・・・。」
 
 その場に座り込んで、私は泣き続けた。
 
『共にエルバールを守っていこう・・・。』
 
 研修のあとの団長の言葉が脳裏によみがえる。あの時『共に』と言ったのに、団長は逝ってしまった。もっと一緒にいたかった。教えてほしいことが山ほどあった。私達はこれからどうすればいいのだろう・・・。
 
「・・・あんたらも今日は少し休めよ。こっちは何とかなるよ。」
 
 ロイは小さな声でそう言うと、私達から離れていった。顔をあげると、隣でカインも座り込んでうつむいたまま肩をふるわせていた。
 
『俺が一人で戻ってきていれば・・・』
 
『団長に先に橋を渡らせていれば・・・』
 
 カインの心の中に渦巻く後悔の念が、そんな言葉を伴って私の心に流れ込んでくる。慰めの言葉など見つからなかった。やっとの事で手を動かし、私はカインの肩をつかんだ。
 
「カイン・・・。」
 
 カインは顔をあげ、じぶんの肩にかけられた私の手をしっかりと握り返し、絞り出すような声で言った。
 
「クロービス・・・俺は・・どうすればいいんだ・・・。自分がどうしたいのかも・・・何もわからないんだ・・・。どうするのが・・・一番よかったんだ・・・。」
 
「・・・・・・・・・・。」
 
「・・・ごめん・・・。こんな事お前に聞いてもわかるわけないよな・・・。」
 
「・・・私にもわからないよ。でも二人で考えていこうよ・・・。一緒に考えれば何か浮かぶよ、きっと・・・。」
 
「ありがとう・・・。」
 
 その時パチパチと木のはぜる音がした。見るといつの間にか火が熾されていて、ウィローが食事の支度をしているところだった。よく見るとウィローの目も赤い。
 
「あ、ごめん、手伝うよ。」
 
 手を出そうとした私にウィローは微笑んで、
 
「ふふ、大丈夫よ。それより二人とも顔を洗ってきた方がいいわ。ひりひりするんじゃない?向こうに小さな泉があったわよ。」
 
言いながらその泉のある方向を指さした。
 
「ありがとう。それじゃ行ってくるよ。」
 
 確かに言われてみれば、泣きすぎて顔がひりひりする。カインと私は泉に向かって歩き出した。
 
「いくら泣いても何も変わらないよな・・・。俺と一緒に来たために・・・剣士団長は死んでしまった。」
 
 何度も顔を洗って、やっと涙の腫れが引いた顔を拭きながら、カインが小さな声で話し始めた。
 
「そんな言い方しないでよ。団長のことは・・・君のせいじゃないよ・・・。」
 
「団長は・・・船に乗っていた時から様子が変だったんだ・・・。」
 
「変て・・どんな風に?」
 
 カインは、剣士団長との船での会話を聞かせてくれた。









 あれは北大陸を離れてしばらくした頃だった。じっと考え込んでいた剣士団長が突然叫んだんだ。
 
「それにしても考えられん・・!まさか・・・デールさんが廃液を故意に流すなど・・・そんなことがあるはずがない!」
 
「団長は、デール卿と面識があるのですか?」
 
「ああ・・・デールさんは、ハース鉱山に赴任する前は御前会議の大臣をされていたんだ・・・。」
 
「だ、大臣!?」
 
「そうだ・・・。デールさんは、若くして御前会議の大臣に抜擢されるほどの切れ者だった。素晴らしい方だったよ・・・。」
 
「な、なぜ・・・そんな・・・大臣を務めていたほどの人物が、ハース鉱山になど・・・!?」
 
 どう見たって左遷としか思えないじゃないか。剣士団長は俺の問いに答えず、黙ったまま前方を見つめている。俺はさらに問いかけた。
 
「剣士団長、ご存じのことがあるのなら教えてください!」
 
 剣士団長は悲しげな瞳を俺に向けると、やっと口を開いた。
 
「デールさん・・立派な方だった・・・。もう、あれから19年・・・いや、20年が過ぎる・・・。」
 
 そう言うと、一度言葉を切り、頭を横に振った。
 
「ああ・・・もう、その話は止そう。船足を速めるぞ、カイン。」
 
 船は速度を増し、ぐんぐん進んでいく。そしてそのあとはもう、何を聞いても剣士団長は答えなかった・・・。









「そうか・・・。」
 
「しかし・・・ウィローの親父さんが大臣だったとはな・・・。」
 
「私も聞いて驚いたよ・・・。」
 
「だろうな・・・。世が世なら、ウィローは俺達なんて手の届かない存在だったんだよな・・・。」
 
 カインも私と同じ事を考えたらしい。
 
「そうだね・・・。」
 
「そのウィローのことだけど・・・どうするんだ?」
 
「どうって・・・どうしようもないじゃないか・・・。鉱夫達をカナに送り届けたら、私達は王宮に戻らなくちゃならないんだから・・・。」
 
「それはそうだけど・・・いっそ北大陸に連れて行くってのはどうだ?」
 
「連れていくって・・・そんなわけにいかないよ。だいたいウィローの気持ちがわからないじゃないか。」
 
「そうか・・・。それじゃ聞いて見ろよ。」
 
 カインはさらりと言ってのける。
 
「聞いてって・・・簡単に言うなぁ・・・。」
 
 私は思わずため息をついた。カインの言いたいことはわかる。私だって言えるものなら言いたい。それでも・・・私は迷っていた。自分の気持ちが彼女に受け入れてもらえるのかどうか、それが不安なことが半分、そして後の半分は・・・自分が未だ何者なのかわからないと言う不安だった・・・。
 
「だって、まだなにもわからないんだよ。フロリア様の夢のことも、セントハースが言っていた私の為すべきことっていうのも、ロコが言っていた私の使命のことも・・・それに、父の遺した楽譜の・・・!」
 
 楽譜・・・。ウィローも同じ楽譜を持っていた・・・。途中で口をつぐんでしまった私を、カインが訝しげに覗き込んだ。
 
「どうした・・・?」
 
 私は、ウィローが、私が父から託された楽譜と同じものを持っていたことを話して聞かせた。
 
「へぇ・・・ウィローの親父さんが・・・。でもウィローの親父さんとお前の親父さんが面識があるかどうかは判らないのか?」
 
「私の父は王宮になんて縁がないはずだよ。ましてや大臣をしていたほどの人と知り合いだったとは・・・とても思えない。」
 
「でも、剣士団長はお前の親父さんを知っていたじゃないか。」
 
「それはそうだけど・・・。」
 
「ウィローを王宮に連れて行けば、何かわかるかも知れないぞ。」
 
「だから・・・そんなわけにはいかないって・・・。」
 
「お前の不安な気持ちがわからないわけじゃないが・・・とにかく当たって砕けろって言う気持ちでさ、言うだけ言ってみればいいじゃないか。」
 
「砕けたりして・・・。」
 
「ばか。言う前から諦めてどうするんだよ!お前らしくもないなぁ。もっと前向きに考えろよ!」
 
 カインは笑いながら私の肩を叩いた。
 
「前向きにか・・・。」
 
「そうだよ。お前はいつだって前向きに生きてきたじゃないか。俺はそのお前の前向きさに、どれほど救われてきたか判らないよ。」
 
「そう言ってくれるのは嬉しいけど・・・。でもやっぱり言わない方がいいかも知れない・・・。どの道、あんな遠くまで連れて行けないよ・・・。カナの誰かと結婚すれば、ウィローはずっと母さんの近くにいられるじゃないか。」
 
「カナの誰かなあ・・・。狩り好きの放蕩息子だの、怠け者だの、まともな奴なんて鍛冶屋のイアンくらいじゃないか。イアンとウィローはそんな感じじゃなかったし・・・。それに、ウィローがそう言う道を選ぶとは思えないんだよな・・・。」
 
「・・・カイン・・・?」
 
「なんだよ?」
 
「ウィローに北大陸に行ってほしいと思ってる?」
 
「・・・思ってるよ・・・。ただし!」
 
 私が口を開くのを制して、カインは語気を強めた。
 
「この間の話を蒸し返すなよ。そんなつもりじゃないからな。」
 
「それじゃ、どんなつもり?」
 
 私の言い方に、少しとげがあったかも知れない。
 
『もう一つの人生ってのも悪くなかったかな』
 
 夢の中でカインが言っていたこの言葉に、私はまだ少しこだわっていた。
 
「俺はウィローに、証人として来てほしいと思ってるんだ。」
 
「・・・証人?」
 
「そうだよ。剣士団長と俺がハース城に踏み込んだ時、あの精錬場の中で起きたことならあそこにいた鉱夫達全員が証人だ。でもな、お前とウィローがイシュトラから聞いた話は、お前達二人しか知らないことじゃないか。イシュトラは死んじまったし、お前は王国剣士だ。第三者の証人として、デールさんの娘であるウィローが御前会議で証言してくれれば、フロリア様の真意を問いただすことも可能だと思うんだ。」
 
「・・・聞いていい?」
 
「ん?」
 
「フロリア様を問いただせる・・・?」
 
 カインは少し顔をこわばらせた。カインにそんなことが本当に出来るのだろうか。
 
「・・・それは俺の仕事じゃないさ。レイナック殿もいるし、剣士団長がいなければ代理として副団長が加わるだろう。あんまり当てにしたくはないがエリスティ公もいるしな・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
「・・・とにかくそう言うわけだ。だから俺はウィローに北大陸に来てほしいと思ってるよ。証人として行ったのなら、またこっちに戻ってくることは出来ると思うし・・・。お前の目から見れば、俺がウィローを利用しようとしているって思うだろうな・・・。そう思われても仕方ないと思う。でもこのことと、お前とウィローがうまくいってほしいっていう気持ちは別物だからな。それは誤解しないでくれ。」
 
「わかってるよ。でも今のところ決心がつかない・・・。」
 
「ゆっくり考えればいいさ。俺も・・・もう少しいろいろ考えてみるよ。」
 
「うん・・・。もう戻ろう。ウィローがおなか空かせてるよ、きっと。」
 
「あ、そうだよな。行くか。」
 
 焚き火のところに戻ると、もう食事の支度はできあがっていて、ウィローが待っていてくれた。
 
「お帰りなさい。」
 
 さっきからずいぶん時間が過ぎているはずだが、ウィローは遅いとも言わずに笑顔で私達に食事を分けてくれた。
 
「ごめん・・・遅くなっちゃったね。お腹空いてた?」
 
「大丈夫よ。私もあんまり食欲がないから・・・。」
 
「・・・疲れてるの?」
 
 不意に心配になった。ずっと自分のことばかりで、ウィローのことに全然気が回らなかった。
 
「そうじゃないの・・・。いろいろ考えていたから・・・。」
 
「そうか・・・。後かたづけは私がやるよ。君は少しゆっくり眠った方がいいよ。」
 
「そう・・・ね・・・。それじゃ・・・お休みなさい・・・。」
 
 ウィローは一人テントに戻っていった。ウィローの心の中はなんだかとても複雑で、どんなことを考えているのかよくわからなかった。あのどす黒い憎しみの心はだいぶ薄らいでいるものの、頑固なまでに私の中の『防壁』の周りを漂い続けていたし、そのほかにも何か・・・寂しさや悲しみと言ったいろんな感情が渦を巻いている。それともこれは・・・ウィローの心ではなくて、私自身の胸の痛みなのだろうか。カナに戻ったら・・・ウィローを母さんの元に返したら・・・私は今度こそ王宮に戻らなければならない・・・。ウィローと別れなければならない・・・。
 
 それを考えるとつらい。そしてさっきのカインとの会話に思考が戻っていく。別れなければならないのなら、黙って去るのが一番なのだろうか。いや、せめて自分の気持ちだけでも知っていてほしい。でもウィローの気持ちが私にないのなら、言わない方がいいのかも知れない。それじゃもし・・・もし・・・ウィローが私を好きだと言ってくれたら・・・私と同じ気持ちだと言ってくれたとしたら・・・私は彼女に別れを告げて北へ帰ることが出来るのだろうか・・・。
 
 
 翌朝も陽射しの強さは変わらなかったが、オアシスで一晩過ごせたことで、皆元気を取り戻していた。それからは毎日順調に次のオアシスを見つけることが出来ていたし、私は毎晩ファイアエレメントの力をコントロールする練習を続けた。そしてとうとうカナの手前、最後のオアシスにたどり着いた。明日の朝ここを出て、西に向かえばもうそこはカナの村だ。
 
 夜が更けて、私は最後の不寝番のために起き出した。カインはいつものように焚き火の前で考えこんでいる。
 
「交代するよ。」
 
「ああ。今日も静かだったぞ。」
 
「これからもずっと静かだといいね。私達が北に帰ってからもね・・・。」
 
「そうだな・・・。」
 
「ねぇカイン、ずっと君に聞きたいことがあったんだ。」
 
「ん?何だ?」
 
「ハース渓谷で私が君の夢を見たことは言ったよね?」
 
「ああ、あのことか。」
 
「・・・実を言うとね、君が言っていた言葉も・・・少しだけ聞こえたんだ・・・。」
 
「なんて言ってたんだ・・・?」
 
 私は、あの時の夢をカインに話した。そしてあの時カインがなんと言っていたかも・・・。
 
「うっかり独り言も言えないな・・・。」
 
 聞き終えたカインはくすくすと笑い出した。
 
「それで・・・お前はどうしたい?」
 
「君の本当の気持ちが聞きたい。」
 
「聞いてどうするんだ?」
 
「どうもしないよ。ただ知りたいだけだ。」
 
「好奇心か?」
 
「違うよ。私はウィローが好きだよ。自分の気持ちをウィローに言うかどうかはまだ迷ってるけど・・・ただ、この先君がウィローをどう思っているのか気にし続けるのはいやなんだ。だから聞いておきたい。それだけだよ。」
 
「・・・なぁ、クロービス。お前がここに残るって言いだしたあと、お前、俺に聞いたよな?俺がここに残る気はないのかって。」
 
「うん・・・。」
 
「正直に言うよ。あの時、ほんの一瞬だけ・・・俺は迷った。」
 
「・・・・・。」
 
「もしもお前の申し出を受ければ、もう一つの人生が開けるかも知れないと、考えたのは認めるよ。でも俺には出来なかったんだ・・・。」
 
「どうして?」
 
「あの時も言ったけど・・・ハース城の前で俺は、あんなに取り乱しているウィローをさらに傷つけるのを百も承知で、あの門番にデールさんが謀反の意志を持っているのじゃないかと聞いた。」
 
「うん・・・。」
 
「任務のため、フロリア様のため、そう考えたらウィローの悲しみも苦しみも、俺にとってはそれほど重要なことじゃないと思えたんだよ。」
 
「そんな・・・。」
 
「そんな俺がもしもウィローと一緒にいたとしても、いずれ俺は彼女を傷つけるばかりだよ。」
 
「それで・・・王宮に戻ることを選んだんだね。」
 
「そうだな・・・。俺の心の中には・・・もうフロリア様がずっと住んでいるんだ。本物には手が届かないけど・・・でも心の中にいてもらうだけなら、誰にも迷惑はかけないからな。あの方のお側近くに仕えることで一生を終えられたら、それで本望だよ・・・。あの方のために俺は今まで生きてきた。これからも、その生き方は変えられないよ。・・・これが俺の答えだ。納得してくれたか?」
 
「うん・・・わかったよ。ごめん、こんなこと聞いて・・・。」
 
「いいよ、俺も、口に出したらなんだかすっきりしたな。」
 
「ねぇ、カイン、一度聞こうと思ってたんだけど・・・。」
 
「何だ?」
 
「君は・・・フロリア様以外に好きになった女の人はいないの?」
 
「フロリア様の他にか・・・。そうだなぁ・・・昔つきあった女は何人かいたけど・・・。」
 
「ふぅん・・・。つきあった女の人なんていたんだね。」
 
「そりゃいるさ。俺だって普通の男だからな。何だよ、意外か?」
 
「意外って言うんじゃないけど・・・でもフロリア様のことは?」
 
「フロリア様は俺の大恩人だよ。俺の人生に目的を与えてくれた人なんだからな。だから昔、俺を助けてくれた女の子がフロリア様だったと知ってから、俺はフロリア様に忠誠を誓おうと心に決めたんだ。でもそのころは、まさか自分がフロリア様に対してこんな気持ちを持つようになるなんて夢にも思わなかったよ。相手は女王陛下だからな。」
 
「それもそうか・・・。それじゃいつからそう思うようになったの・・・?」
 
「いつからかなぁ・・・。俺みたいな一般庶民がフロリア様を見ることが出来る機会なんて、せいぜい毎年の誕生日の一般参賀くらいのものだったから、毎年出かけていくようになったけど・・・。年を追うごとにあの方はどんどん美しくなっていって・・・いつの間にか毎年その日の来るのが楽しみになって・・・。いつだったかな、フロリア様が風邪か何かで一般参賀が中止になったことがあったんだよ。楽しみにしていたのに顔を見られなくて、俺はずっと落ち込んでいた。そしてその次の年、元気な顔を見ることが出来た時にはすごくうれしくて・・・涙が出るくらいで・・・。もしかしたらその時はもうフロリア様のことが好きだったのかも知れない。自分で気づかなかっただけでさ・・・。」
 
「それじゃ、それからはもうフロリア様一筋か・・・。」
 
「そうだな。それ以来他の女とつきあう気になれなかったことは確かだから、そうかも知れない・・・。」
 
「じゃあ剣士団に入って挨拶に行った時はうれしかった?」
 
「うれしかったよ。すごくうれしかった。でもあのあとあんなにつらくなるとは思わなかったな・・・。」
 
 不意に思い出した。入団したばかりの頃、私は無神経にカインに問いただしたのだ。
 
『フロリア様が好きなの?』
 
 あの時のカインのつらそうな顔・・・。
 
「手の届く場所にあの方がいるってことが、あんなにつらいなんて思わなかったよ・・・。今はもう慣れたけどな。」
 
「そうか・・・。ごめん、立ち入ったことばかり聞いて・・・。」
 
「いいよ。この間も言ったじゃないか。ずっと一人で抱え込んでいるより、口に出したほうがすっきりするんだ。でも誰にでも言えるようなことじゃないし、自分から口火を切れるようなことでもないからな・・・。だからお前がいろいろ聞いてくれてなんだかうれしかったよ。」
 
「そう言ってくれると私もうれしいな。君の役に立てたみたいで。」
 
「お前には感謝してるよ。」
 
「ありがとう。そう言ってくれて。・・・遅くなっちゃったけど、もう寝てよ。あとは私がいるから。」
 
「そうだな、それじゃお休み。」
 
「お休み。」
 
 カインと交代してしばらくすると、ウィローが起き出してきた。
 
「どうしたの?」
 
「うん・・・眠れなくて・・・。」
 
「ずっと起きてたの?」
 
 少しどきりとした。さっきのカインとの会話を聞かれていたのだろうか・・・。
 
「ううん・・。今カインがテントの入り口を開けた音で目が覚めちゃった・・・。」
 
「そうか。明日からもう少し静かに開け閉めするように言っとかなくちゃね。」
 
「ふふふ・・・そうね・・・。あの・・・ね・・・少しだけここにいていい?」
 
「いいよ。」
 
 ウィローは私の隣に座った。そして黙ったまま、焚き火の炎を見つめている。寝る前に感じたあの複雑な感情は、今はそれほど強く感じない。
 
「さっきね・・・夢を見たの・・・。」
 
「夢・・・?」
 
「昔ね・・・私が小さかった頃・・・多分あれは、父さんがハース鉱山に向かう前の晩のことだと思うわ。家のピアノの前に座って、不器用な手で一生懸命『Lost Memory』を弾いてくれたの・・・。」









 弾きながら父さんが私に向かって話しかけてくるの。
 
「ウィロー・・・父さん、明日から遠いところで働くんだ。・・・しばらく会えないかもしれないけど、元気で暮らしてくれよ。ウィロー・・・やさしい子に育つんだ・・・。人は皆・・・大人になるにつれ、様々なことが起きて・・・いつしか純粋な心を失ってしまう。自分以外の人のこと・・・生き物のこと・・・大地のこと・・・。いつまでも思いやれる・・・そんな人になってほしい・・・。ウィロー・・・お前にこの曲を贈るよ。もし何かつらいことがあって・・・人を憎んだり・・・恨んだりすることがあった時・・・そんな時は・・・この曲を静かに弾いてごらん。子供の頃の純粋な気持ちやかけがえのない思い出。そんな大事なものほど・・人はすぐに忘れてしまうけど、だけどお前は・・この曲と共に、きっといつまでも純粋な気持ちを失わずにいることが出来るよ・・・。さよなら・・・ウィロー・・・・。」
 
 父さんはそう言って私にむかって微笑んでくれた。次の日の朝、私が目を覚ました時にはもう・・・父さんはどこにもいなかったの・・・。









「私が聞いた言葉が・・・本当に父さんが言った言葉だったのか・・・それとも私が聞いたと思い込んでいる言葉なのか・・・わからないわ。父さんが家を出たのは私が3つの頃のことだもの・・・。でもね・・・もしかしたらこの夢は、父さんが見せてくれた夢なのかも知れないって思ったのよ・・・。」
 
「君の父さんが?」
 
 ウィローはうなずいた。
 
「憎しみに駆られてイシュトラを殺そうとした私に、あなたは言ったわ。『憎しみに流されないで』って。でもあの時、あの男が本当に憎くて仕方なかった・・・。そしてその感情のままに私が振りあげた矢は、イシュトラではなくあなたを傷つけてしまった・・・。」
 
「でも君が治してくれたじゃないか。」
 
「私だってわかってたの?」
 
「だって私が目を覚ました時、君のいた場所の床に刺さっていた矢が落ちていたよ。お礼も言ってなかったね。ありがとう。」
 
「そんな・・・私がつけた傷だもの。治すのは当たり前よ・・・そんな風に言われたら・・・私・・・。」
 
 ウィローの頬を涙が伝っていく。私はただ黙って、ウィローの肩を優しく叩いた。
 
「君の父さんは・・・きっと君に、憎しみを捨ててほしかったんだよ・・・。だからそんな夢を見せたのかも知れないね・・・。」
 
 ウィローは涙を拭きながらうなずいた。
 
「さっきね・・・夢を見たあと、あなたと一緒にピアノを弾いたことを思い出したの・・・。父さんのいた部屋で、あなたと一緒に弾いたあの曲を思い出したら・・・本当に私の中の憎しみが、あのメロディーの中にほどけて流れていってしまったような気がするわ・・・。」
 
 ウィローが言うように、私の『防壁』の周りを漂っていた憎しみが、ずっと薄らいできている。完全に消え去ったわけではないが、ウィローが自分から憎しみを捨て去ろうとしていることは確かなようだった。
 
「君の家にもピアノがあるんだよね。」
 
「ええ。昔は居間にあったけど、今は私の部屋にあるわ。」
 
「また一緒に弾こうか。」
 
「そうね。」
 
 ウィローがうなずいた。
 
「また・・・一緒に・・・。」
 
 ウィローが独り言のようにつぶやき、少しだけ表情がかげったような気がしたが、その意味は私にはわからなかった。
 
「もう寝た方がいいよ。明日からまたしばらく歩きだからね。」
 
「・・・・・・・。」
 
 ウィローは動かない。黙ったまま焚き火を見つめている。
 
「・・・・ウィロー・・・?」
 
 少し待ってみたが返事がないので、私はウィローの顔をのぞき込んだ。
 
「どうしたの・・・?気分でも悪いの・・・?」
 
 ウィローはハッとして私を見上げ、
 
「あ・・・あの・・・・。」
 
 何か言おうとしているようだが、唇が震えるように動くだけで言葉になって出てこない。
 
「・・・なに・・・?」
 
「いえ・・・何でもないの・・・。お休みなさい・・・。」
 
「お休み。」
 
 ウィローはゆっくりと立ち上がると、テントの中に戻っていった。その後ろ姿がなんだかとても心細そうに見えて、思わず立ち上がって抱きしめそうになったのをやっとの思いでこらえた。今はそんなことをしている場合じゃないんだと自分に言い聞かせ、深呼吸して座り直した時、
 
 −−クロービス・・・−−
 
不意に呼ばれたような気がして振り返った。でも誰もいない。涙が滲みそうになるほどの切ない声・・・。今のは・・・ウィローの心が・・・叫んだ声なのだろうか・・・。それとも、私のウィローへの思いが聞かせた幻聴だったのだろうか・・・。
 
 涙が一筋、頬を伝った。ウィローと別れたくない・・・。離れたくない・・・。でも、ここにとどまるわけにはいかない。私は王国剣士だ。自分の任務を果たさなければならない。ましてや北大陸へ連れて行くなど、到底出来ることではない・・・。ウィローはカナにいれば幸せなのだ。優しい村人達に囲まれて、母さんの元で暮らし、やがて村の中の誰かと結婚して、子供を産んで・・・それが一番の幸せなのだ・・・。そう自分に言い聞かせているそばからまた涙が落ちる。お前はそれでいいのかと、もうひとりの自分が叫んでいる・・・。
 
 そんなやりきれない気持ちを抱えたまま、私達は翌日の夕方とうとうカナの村にたどり着いた。
 
 

第30章へ続く

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