←前ページへ



 
「今、まさにその議論をしていたところなのです。カイン、あなたもそのことについて何かつかんでいたとは、さすがですね。」
 
 そう言ってフロリア様は俺にむかって微笑むと、すぐに厳しい表情に戻って言葉を続けた。
 
「確かに・・・ナイト輝石の精錬の際に出てくる廃液は、非常に危険な液体です。その廃液は、猛毒であると共に、生物に対して様々な突然変異を起こさせてしまう・・・。しかし、そのことはナイト輝石が発見されていた当初からわかっていました・・・。したがって、ナイト輝石の廃液の取り扱いには、細心の注意を払うように命令を出していたのです。そして、それは鉱山責任者デールによって守られているはずでした。でも・・・ああ・・・。」
 
 フロリア様はそこまで言うと言葉を切り、顔を覆ってため息をついた。どういうことだ?廃液が川や湖に垂れ流しになっていると、その報告を持ってきたのは俺だ。なのにこのフロリア様の態度は・・・もうすでにそのことを知っているかのようだ・・・。その時俺の後ろで誰かが椅子を引く音がした。振り向くと、テーブルの端の席に座っていた黒ずくめの装束を着た男が席を立って、話し始めた。
 
「続きは私が話そう。私は君達が行く以前にハース城に行っており、内部に忍び込むことに成功した。そして、そこで恐るべき事実をつかんだ。統括者デールの命令により、城中の者達によって、ナイト輝石の廃液は故意に流されていたのだ!デールは以前より王宮に対して反抗的だった。奴の狙いはおそらく王国を転覆させることだ。」
 
 王国の転覆だと・・・?確かに危険極まりない廃液を垂れ流しにするということは、王宮からの命令に反している。だがだからといってそれが即王国転覆に結びつくなんて・・・。それともこの男はそれだけの証拠をつかんでいるのか。
 
 もしもこの時、俺達がカナに寄らず、まっすぐにハース城に向かっていたら、俺も同じ事を考えただろうな。デールさんがハース城を我がものにして、自分がこの国の王になろうとしていると、思ったかも知れないよ。だがな・・・カナでウィローと出会って、ウィローのお袋さんの人柄にも触れて・・・俺にはどうしても、デールさんがそんな人だとは思えなくなっていたんだ。でも信じるに足るだけの証拠を俺は持っていない。とにかく剣士団にハース城に行ってもらって、みんなと一緒にいろいろと調べれば、何か手かがりが見つかるかも知れない、デールさん本人にも会えるかも知れないって、俺はそう考えた。
 
「・・・私からも報告いたします、王女。私が王国剣士だと知っていながら、城中に入ることを拒否されました。そして・・・ハース城の外を流れる川にはナイト輝石の廃液がそのまま垂れ流しになっています。ハース城が王宮に対して反逆心を持っていることは明らかですが・・・。それがデール卿によるものかどうかまでは、はっきりと確認することが出来ませんでした。もしかしたらデール卿に何かあったということも考えられます。事の次第を見極めるためにも、一刻も早く剣士団の投入をお願いいたします!私が道中の案内をいたします。さあ早く、剣士団投入のご命令を!!」
 
 その時・・・会議室の中にいた誰もが耳を澄ませ、フロリア様の次の言葉を待った。『解りました。』という言葉が、フロリア様の口から出るのを・・・みんな待っていた。だが・・・フロリア様の口から出たのは・・・信じられない言葉だった。
 
「剣士団の投入は行いません。」
 
 抑揚のない・・・冷たい声・・・。そしてその瞬間、会議室全体がびしっと音を立てて凍りついたようにさえ、俺には感じられた・・・。
 
「報告を聞く限り、ハース城はただならぬ事態になっているようです。そんなところに剣士団を派遣して、大事な命を危険にさらすことは出来ません。しばらくこのまま静観することにします。以上で会議を終わりにします。カイン、ご苦労様でした。今日はゆっくりとお休みなさい。」
 
「で、でもフロリア様、クロービスが・・・」
 
 フロリア様は俺の言葉を聞かずに、さっさと席を立った・・・。『聞く耳は持たん』そう言っているかのように、フロリア様の背中は冷たかった・・・。あまりにも信じられないフロリア様の言葉で俺は動けなくて・・・ただ、会議室の玉座の前でひざまずいていたんだ・・・。少しして、俺の隣にレイナック殿が歩み寄ってささやいた。
 
「エルバールにおいて・・フロリア様のご意見は絶対だ・・・。カイン・・すまぬ。わしの力が・・・及ばなかった・・・。」
 
 レイナック殿が悔しそうに肩を震わせて、俺の肩に手をかけてくれた。俺達だけじゃない。会議室にいた他の大臣達も青くなって震えていたんだ。なのにあの男は・・・あのフロリア様の密偵と名乗る男は平然として立ち上がった。
 
「ナイト輝石の廃液の件は、重要機密です。どうか、お漏らしのないようお願いします。」
 
 冷たい声でそれだけを告げると、何事もなかったかのように会議室を出ていった。あの男は一体何者なんだ・・・。本当にフロリア様の密偵だとして、いったいいつハース城に潜り込んでいたんだ!?何でフロリア様は俺達が出発する時もそのことを黙っていたんだ?俺は・・・わからないことばかりだった・・・。その時、会議の間中黙っていたエリスティ公が口を開いたんだ。
 
「故意に廃液を流し続け、王宮には反旗を翻す。しかし、わからん。デールの望みはいったいなんだというのだ!?」
 
 デールさんが王国転覆を謀っているらしいと聞いて、さすがに青ざめていたよ。当然と言えば当然だよな。この国が滅びてしまったら、王位に就くことが出来なくなってしまうんだから。何とかフロリア様のあらを見つけて失脚を狙っているらしいけど、今回ばかりはどうしようもないだろうな。
 
 俺はもうどうしていいかわからなかった・・・。眠る間も惜しんで砂漠を歩き続け、灯台守の人達みんなに世話になって、必死の思いで報告のために戻ったというのに、フロリア様の一言で全てが無駄になってしまったんだ・・・。俺が会議室を出た時、相当落ち込んだ顔をしていたんだろうな。カーナもステラも事の次第は解らなかったはずなのに、俺を元気づけようと一生懸命明るく振る舞ってくれたよ。
 
「カイン・・・これからどうするの?」
 
 不安そうにステラが問いかけた。
 
「南大陸に戻るよ。」
 
「また行くの!?」
 
「ああ。向こうにはクロービスが待ってるんだ。俺が戻るのをずっと信じて待ってくれているんだ。あいつを裏切れない・・・!俺はこのまま南に戻る!!」
 
「それなら・・・私も行く!!」
 
 ステラのやつがそう言い出すだろうと思ったよ。でもそんなわけにはいかない。
 
「あのな、ステラ、よく聞けよ。俺はクロービスがいるから向こうに戻る。だが君達はロコの橋を渡れないんだぞ。もしも無理やり渡ろうなんてしてみろ。灯台守に殴り倒されるのがおちだ。灯台守の腕はかなりのものだぞ。それに・・・そんなことをすれば、二度とこっちに戻って来れなくなってしまうんだ!」
 
「でも・・・。」
 
「俺は一度向こうに戻るが、クロービスと一緒にちゃんと戻ってくるよ。だから・・・俺が来たことは他のみんなには言うなよ。言うなら俺が出発した後にしてくれ。みんなを巻き込むわけにはいかないからな。」
 
「それじゃ・・・必ず戻ってきて。待ってるからね。」
 
 涙をためた眼で見送る二人を後にして、俺は執政館を出た。あの時、俺がまずしなければならないことは、お前のところに一日も早く戻ることだ思ったんだ。もう昼近くなっていた。日勤の剣士達が食堂に向かう前にはここを出ないと、俺が戻ってきたことがみんなに解ってしまう。さっきの会議のことが伝わってでもいれば、みんな俺と一緒に南に行くと言い出すに違いないからな。カーナとステラは何とか説き伏せることが出来たけど、オシニスさんやセルーネさんに会ったりしたら、あの二人を説得するなんてまず無理な話だ。俺は・・・腹を決めて王宮の玄関に向かおうとした。そこに剣士団長が立っていたんだ・・・。
 
「団長・・・俺は・・・南大陸に戻ります。クロービスが向こうで俺を待っているんです。たとえ止められても俺は行きます。」
 
 剣士団長は黙って聞いていた。そして俺の肩に手をかけると、
 
「落ち着け、カイン。俺も行こう。東の港から船を出す。二人でハース城に向かうぞ。」
 
そう言ってくれた。よく見ると、剣士団長は既に旅支度をととのえていた。
 
「剣士団長・・・でも・・・!」
 
 うれしかったよ。でもそれでは団長までがフロリア様の命に背くことになってしまう・・・。剣士団長はそんな俺の不安なんてお見通しのように微笑んでくれて・・・、
 
「おっと、王女の命令に背くんだ・・。静かにな・・。」
 
にやりと笑って唇に人差し指をあててみせてくれたんだ。・・・涙が出たよ・・・。てっきりここで止められると思っていた。たとえ剣士団長と戦ってでも南大陸へ・・・お前の待つ場所へと戻る覚悟を決めていたんだ・・・。
 
 ロビーを見渡したけど、パティはその時いなかったんだ。どこかに行っていたみたいだった。もしもパティが気を利かせたつもりで、俺が戻ったことをランドさんあたりに話に行っていたりしたら大変だ。今のうちに王宮を出よう、そう思って、俺は剣士団長と二人で東の港に向かって歩き始めた・・・。
 
「この船だ。」
 
 剣士団長が指し示した船は、あまり大きくはないがしっかりとした作りで、長い航海にも耐えられるものらしかった。
 
「カイン、お前は操船の心得はあるのか?」
 
「いえ、全然・・・。」
 
「そうか。では俺が教えてやる。いい機会だからな。後でクロービスにはお前が教えてやれ。」
 
「解りました。」
 
 二人で船に乗って、俺は剣士団長に操船の仕方を教わりながら、港を出た。途中、剣士団長が話し始めた。
 
「あの密偵は・・・フロリア様が独自に派遣していたらしいが、どうも俺は信用が出来ない。だいたい、あんな男を送っていたのなら、なぜお前達が南大陸に行くと言いだした時点で、そのことを我々に説明なさらなかったのだ!?」
 
 俺がさっき疑問に思ったまさにそのことを、剣士団長も変だと思っていたらしい。そりゃそうだよな。まるで俺達のことなんてまったくあてにしていなかったとしか思えないじゃないか。出発の日の朝、涙をためた瞳で手を握りしめてくれたフロリア様の優しい瞳が・・・偽りだったなんて信じたくないけど・・・。
 
「わからぬ・・・。独自に密偵を派遣するほど、ハース城を気遣いながら・・フロリア様は、どうして剣士団をハース城に派遣しようとしないのだ!?」
 
 この時、俺の頭の中をとんでもない考えがちらりと浮かんだ。つまりそれは、フロリア様にとってあの密偵のほうが、剣士団よりも信用できる・・・。いやそんなはずはない。ではなぜ・・・。
 そんなことを考えているうちにも、船は北大陸から遠ざかっていって、やがて外海に出た。船の上で一晩過ごして、翌日の午後、遥か前方にぼんやりと南大陸の影が見えてきた頃、今の今まで青かったはずの海がどす黒い色に変わり始めた。あの小川の水のような真っ黒い色にな・・・。
 
「・・・海の色が違う・・・。」
 
 俺は甲板から身を乗り出して思わずつぶやいた。
 
「これは・・・間違いなくナイト輝石の廃液の色だ!こんなところまで流れ出してきているなんて・・・!これじゃ海の魚がみんな死んじまうじゃないか!!」
 
 どうしていいかわからなくて、俺は思わず叫んでいた。剣士団長は黒く染まった海を悲しそうに見つめて、ただ黙っていた。そのまま船は進み続け、ハース城の近くにある湖まで船を入れたとき、剣士団長がやっと口を開いた。
 
「カイン、クロービスはどのあたりにいるんだ?」
 
「多分、ハース城内に入っていると思います。」
 
「城内に!?渓谷で待っていると言っていたのではなかったか!?」
 
「別れる時はそこにいましたけど・・・一緒にいたデールさんの娘さんがハース城に行きたがっていたんです。」
 
「確かなのか?」
 
「少なくとも、俺の目から見てあの二人が今もハース渓谷にとどまっているとは思えません。」
 
「お前が言うのなら間違いあるまい。中の様子もわからないと言うのに!!まったく向こう見ずな奴だ!カイン、急ごう!」
 
 俺達は船を桟橋につけると、ハース城に向かって走り出した。ハース城の入口には誰もいなかった。中からなにか音が聞こえてくる。これは・・・剣の音!?
 
「衛兵がいない・・!?ま、まさかクロービス達が!?カイン!突っ込むぞ!!」
 
 剣士団長の声で俺達は中に飛び込んだ。そこでは、黒い鎧を着た剣士達と鉱夫達が戦っているところだった。鉱夫達は武器らしい武器も持っていない。ただ数を頼みに衛兵達に体当たりをかけていく。どちらにつくべきかなんて判断するまでもないことだったよ。俺達は剣を抜き、鉱夫達と剣士達の間に割って入った。
 
「我が名はパーシバル!!王国剣士団の団長を務める者だ!悪しき剣士達よ!!さあ、正義の剣の裁きを受けるがいい!!」
 
「パーシバルだと!?」
 
「あ・・・あの、エルバールの武神が!?」
 
「ひっ!か、勝てるはずがねぇ!」
 
 衛兵達は口々に叫んだが、それでも死にものぐるいで斬りかかってきた。
 
「行くぞ、カイン!油断するな!」
 
「はい!」









 
 
 この二人の獅子奮迅の活躍で、イシュトラの配下の剣士達は全て武装解除された。皆ならず者や盗賊のような者どもばかりだったそうだ。その剣士達は気を失い、武器防具を取りあげられて転がされている。イシュトラが死んだことで、既に皆戦意を喪失しており、これ以上刃向かう気はないだろう。
 
「ここであの剣士達を倒した後鉱夫に聞くと、お前とウィローがここを支配している悪党を倒すために二階に行ったと教えてくれてな。剣士団長が怪我をした鉱夫の手当をしてくれている間に、俺は二階に上がってお前達と再会出来たというわけさ。」
 
「しかし・・・デールさんが3年も前に亡くなられていたとは・・・。そしてそれがフロリア様からの指示だったと・・・そんな・・そんなばかなことが・・・。」
 
 剣士団長は唇を震わせている。私達だって信じたくはない。だがイシュトラは間違いなくそう言い遺した。
 
「でもその・・・さっきの奴がウィローの父さんを殺したわけじゃなさそうだよな・・・。」
 
「うん・・。他にも仲間がいたみたいだけど・・・どうなんだろう。」
 
 その時、さっきとは別の鉱夫が、仮眠室に入ってきた。
 
「お、じゃましちゃったかな。」
 
「あ、いえ、どうぞ。みなさんも無事でよかったです。私はもう大丈夫ですから、ベッドを使うならどきますけど・・・。」
 
「あ、いやいや、大丈夫だよ。怪我は団長さんになおしてもらったし、ちょっとここに座らせてもらうかな、どっこいしょ。」
 
 鉱夫は私の反対側のベッドに腰掛けた。
 
「いや、実はあんた達の話をちょっと聞いちまってね、あのイシュトラのキザ野郎に仲間がいたかどうかって言う話なんだが・・・。」
 
「知っているんですか!?」
 
 私達は驚いて聞き返した。
 
「知っているというか・・・はっきり『あいつだ』って言い切れるわけじゃないんだが・・・。俺はデールさんが行方不明になる前からここにいる。ナイト輝石が発見された頃・・・デールさんにやたらとまとわりついている若い鉱夫がいたんだ。デールさんは厳しい人だったし、いい加減な仕事をする奴は首にしたりしたこともあったけど、俺達鉱夫をぞんざいに扱ったことなんて一度もなかった。そいつはデールさんのそんなところに惚れ込んで、ついて回ってるんだろうなと俺は思っていたんだが・・・。そいつが時たま自分の持ち場でもないところできょろきょろしていたり、黙っていなくなったりと、どうもおかしな行動が多い奴でな。何か企んでいるんじゃなかろうかと心配していたんだよ。・・・でもデールさんはそいつを信用していたみたいだったから、俺達が口出すことじゃないしな。だが・・・それから程なくしてデールさんは行方不明になり、そいつもいなくなった。」
 
「それじゃ、そいつは・・・デールさんを狙った刺客ってことか・・・!?」
 
 カインがつぶやく。
 
「俺にはそこまではわからんが・・・デールさんが亡くなっていたってことになると・・・その可能性はあるかも知れねぇな。」
 
「その人の名前は解らないんですか?」
 
「うーん・・・確か・・・お!そうだ!レクターって奴だった。」
 
「レクター・・・。ウィロー、君はその名前には聞き覚えはないよな・・・?」
 
 カインがウィローの顔を覗き込む。
 
「私は解らないわ・・・パーシバル様は何かご存じありませんか?」
 
ウィローの問いに剣士団長は
 
「いや・・・。残念ながら聞き覚えはない。だが・・・今の話を聞く限り、その男がデールさんを殺したかも知れないと言う可能性は高そうだな・・・。最も、本当にそうだったとしたら、そいつもとっくに殺されているだろうがな・・・。」
 
「そいつが殺されたって自業自得ってもんだ。」
 
 鉱夫は吐き捨てるようにそう言うと、ため息をついた。
 
「みんないろいろ言ってたけどな・・・俺はデールさんが好きだったよ。あの人はいい人だったと思うよ・・・。」
 
 ウィローがその言葉に涙ぐむ。カナの村でデールさんのいい話は何も聞けないほどだったが、やはりこうして解ってくれる人はちゃんといたのだ・・・。
 
「剣士団長・・・。お話があります。」
 
 ほんの少し沈黙が続いた後、私は腹を決めて剣士団長に声をかけた。今言わなければ、言う機会がない。鉱夫はただならぬ雰囲気を察したのか、片手をあげて軽い挨拶をすると『ちょっと外の様子でも見てくるか』と言いながら部屋を出ていった。
 
「・・・何だ。」
 
「私は・・・不殺の誓いを破りました・・・。」
 
「そのことか・・・。カインにだいたいのことは聞いたが・・・。その怪物がロコだと言うことには間違いがないのだな?」
 
「はい。」
 
「そうか・・・。お前が見ていた不思議な夢の話も、シェルノという心理学者のことも聞いたが・・・。お前自身はどうなのだ?ロコを殺したことで後悔しているのか?」
 
「あの時・・・ロコの願いを聞いてやれるのが私しかいないと判った時点で、覚悟を決めました。だから・・・そのことで後悔はしていません。」
 
「そうか・・・。判った。その件は不問に伏そう。やむを得ない事態だったと、俺には理解出来る・・・。」
 
「私は・・・このまま王国剣士として仕事を続けていいのでしょうか・・・?」
 
「当たり前だ。お前が喜んでロコを殺したのでないことくらい俺にも判る。心配するな。お前は胸を張って、王国剣士として精進を続けろ。」
 
「ありがとうございます・・・。」
 
 思わず涙が出た。もう王国剣士としてやっていけないのではないかと、ずっと不安だった。剣士団長が判ってくれたことが、とても嬉しかった・・・。隣でカインとウィローが安堵のため息を漏らす。二人ともずっと心配してくれていたのだ・・・。
 
「ん・・・!?」
 
 剣士団長が突然顔をあげ、耳を澄ませた。
 
「団長!?」
 
 カインが不思議そうに剣士団長の顔を覗き込む。
 
「何か・・・外の空気がおかしい・・。奇妙な叫び声のようなものがする・・・。異様な気配がこの城を取り囲んでいる・・・。カイン、クロービス、いつでも戦えるようにしておけ。」
 
 剣士団長は立ち上がった。いつもの威厳に満ちた団長の顔に戻っている。私達も立ち上がり剣の柄に手をかけながら、外の様子に神経を集中させた。何か・・・強い思念がこちらに向かってくる・・・。これは怒り・・・憎しみ・・・苦しみ・・・。凄まじい負の感情がこの城に向かって押し寄せてくる。そしてこれは・・・人の感情では・・・ない・・・。
 
「うわぁぁぁ!助けてくれぇ!!」
 
 城の入口から突然叫び声と共に飛び込んできたのは、さっき城の外の様子を見に行くと言って出ていった鉱夫だった。
 
「どうした!?」
 
 鉱夫は剣士団長のところに転がるようにして駆けてきた。
 
「た、た、大変だ!!この城のまわりを、たくさんのモンスター達が取り巻いているんだ!いくらあんた達が強くでも、とても戦える数じゃないよ!!ど、どうすりゃいいんだぁ・・・!!」
 
 鉱夫はパニックになっている。
 
「落ち着け!!カイン、クロービス、お前達が通ってきた鉱山に続く通路から、まずは鉱夫達を逃がそう!!」
 
 カインはぎょっとして顔をあげた。
 
「で、でもそれではハース城はモンスター達の手に・・・!」
 
「それがどうした!?人命が第一だ!生きていればいずれ取り戻せる!いいか、俺達で入口を守り、時間を稼ぐ!!行くぞ!!」
 
「は、はい!わかりました!」
 
「ウィロー、君はロイ達と一緒に逃げて!!」
 
 押し寄せてくるモンスター達の感情は尋常ではない。こんな連中とウィローを戦わせるわけにはいかない。
 
「ばか言わないで!私はあなたと一緒に戦うわ!!」
 
「すごい数なんだよ!大量のモンスターが、怒りに燃えてここを取り囲んでいるのが私には解るんだ!!危険すぎる!!」
 
「私だけ逃げるなんていやよ!私だってちゃんと戦えるわ!!」
 
「クロービス、ウィローも連れていこう!どうせいくら言ったって聞きやしないぞ!!」
 
 これ以上ウィローを危険な目には遭わせたくない。だが・・・多分カインの言うことのほうが正しい。ウィローは待っていろと言っても待っていてはくれない。さすがにこの時は、ウィローの強情さが恨めしかった。
 
「・・・わかったよ。一緒に行こう!!」
 
「ロイと言ったな、君達は鉱夫達を先導して地下室から坑道に向かってくれ。それから・・・」
 
 剣士団長はロイに声をかけたあと、気を失って転がされている衛兵達に歩み寄り、何人かの頬を次々と叩いて起こしていった。
 
「お前達も死にたくなければ急げ!」
 
 起きあがった衛兵達は何が起こったかわからないようにきょろきょろしている。
 
「な、何だよ!俺達をどうしようって言うんだ!?」
 
「モンスターがこの城を包囲している!早く、鉱夫達と一緒に逃げるんだ!」
 
「お、おい、団長さん、こいつらまで連れて行くのか!?」
 
 ロイが怪訝そうに叫んだ。
 
「この者達がどんな悪行を重ねていようと、命は命だ。見捨てていくことは出来ん。おい、お前達、鉱夫達を先導して、坑道を抜けて外まで誘導する気があるなら助けてやる。どうだ!?」
 
「お、俺達も行っていいのか!?」
 
「途中で鉱夫達に刃を向けるような、愚かなまねをしないのならばな。」
 
「そんなこたぁしねぇ!俺達はイシュトラの野郎に操られていたようなもんだ。あいつがいなくなったのにそんなことしたら、たちまちこの鉱夫どもにフクロにされちまわぁ!」
 
「へっ!どうだかな。おい、途中で俺達に剣を向けたりしてみろ!ただじゃすまねぇからな!」
 
 ロイに怒鳴られ、鉱夫達は口々に、そんなことはしない、どうか連れて行ってくれと土下座する者まで出始めた。
 
「よし、それではお前達、武器庫から出せるだけの武器を持ってこい!ロイ、君達は少しでも武器が使えそうな者にそれを持たせて、坑道にいるモンスターに対抗するんだ。だが襲ってこないモンスターは放っておけ。手向かってきた者のみ相手をするようにしないと体力が持たんだろう。」
 
「わかったよ。」
 
「わしも手伝おう。なに、若い頃はよく斧をふりまわしたもんじゃ。今時の軟弱な若い者よりは役に立つぞ!」
 
 テロスさんが前に進み出てロイに声をかけた。
 
「おっちゃん張り切ってるな。頼むからぎっくり腰にだけはならないでくれよ。あんたを背負って坑道を走るなんぞまっぴらだ。」
 
「ふん!馬鹿にするな!さんざんおしめを替えてやったのを忘れたか!」
 
「憶えているわけがないだろうが!」
 
「あの調子なら鉱夫達は大丈夫だな。」
 
 私の後ろでカインが笑いながら小さくつぶやいた。ウィローもくすくすと笑っている。
 
「あの二人の掛け合い、久しぶりに聞いたわ。」
 
「いつもあんな調子なの?」
 
「そうよ。これにイアンが加わると、彼は押さえ役にまわるの。二人だけだとどこまでもエスカレートするから。」
 
「3人の掛け合いを聞いてみたいもんだね。」
 
「聞けるわよ。カナに帰ったらね。」
 
「そうだね。」
 
 その間に衛兵達は武器庫から使えそうな剣や槍、それにレザーアーマーなどを必死で運び出してきた。元々鉱夫達は武器防具を扱い慣れている人達が多いらしい。北大陸からここに来るにはハース城のすぐ近くの湖まで船で来ることが出来るが、南大陸に住む人達はモンスター達がうようよいる砂漠を越えてこなければならないのだから、当然と言えば当然かも知れない。
 
 衛兵達はついさっきまで来ていた黒い鎧を着ようとはしなかった。鉱夫達も交えて自分の体に合いそうなレザーアーマーやチェインメイルなどを着込み、それぞれが武器を持って逃げる準備が整った。
 
「ではロイ、それとテロス殿、二人に先導を頼もう。モンスター達は気が立っている。わざと挑発するようなことはしない方がいい。だが手向かってきた者については確実に倒さないと先に進めないだろう。」
 
「わかったよ。それじゃ出発するぞ!クロービス、ウィローを頼むぞ!」
 
「わかったよ!心配しないで!」
 
 ロイ達は当然のように私に向かって声をかけた。そして私も当たり前のように返事をした。ウィローを一緒に連れて行こうとしても絶対に無理だと、彼らも考えたのだろうか。私よりもウィローとはつきあいが長いのだから、彼女の性格などお見通しなんだろう。
 
「ロイ、鉱山側の休憩室の連中もつれていかないと、あそこは坑道からすぐだ。襲われる前に早く!」
 
 誰かが叫んだ。そうだ、ランディさんがいた場所・・・。あそこは坑道を抜けてすぐの場所にある。あそこにたどり着く前に、私はかなりの数のモンスターに出会った。あそこが無事であればいいが・・・。
 
「よし、行くぞみんな。おい、元衛兵!お前らは俺達の前と後ろだ。妙な気起こすなよ!」
 
 衛兵達は神妙な面もちでロイの指示に従い配置についた。
 
「鉱山の入り口で会おう。全員が外に出たあとに坑道をふさげるようなものが何かないか、探しておいてくれ!」
 
 剣士団長はてきぱきと指示を出し、ロイ達は地下室に向かって出ていった。
 
「ふう・・・これで一安心だ。」
 
 剣士団長は一息ついた。
 
「さて、それではしばらくの間時間を稼ぐぞ!」
 
 そう言うと、団長は剣を抜き、先に立って城の扉を開けた。その瞬間私は思わず足がすくみそうになった。ものすごい数のモンスターが、怒りに燃えた瞳で私達を見つめている。これほどの数のモンスター達がどうやってここに集まったのだろうと考えて、私はハッとした。ハース城に、地下から空に向かって張られていたはずの結界が消えてしまっているのだ。一度張られた結界は、その結界を張った人物本人か、その人物と同等以上の呪文の腕がなければ消すことは出来ない。あの結界を張ったのがイシュトラであるなら、彼以上の風水術師がこの城の中にいたとも思えない。ということは・・・おそらくあの結界は、イシュトラの生体エネルギーを媒体としてかけられた結界だったのだろう。であれば、イシュトラが死んだ今、結界が消えていることの説明がつく。私にはまだこれほどの呪文を唱えることはとても出来ない。イシュトラは間違いなく当代きっての風水術師だったのだ。その力がこんな邪悪なことに使われたのが残念でならない。
 
「ずいぶんと集まったものだな・・・。」
 
 団長はため息とともにつぶやいた。モンスター達はジリジリと距離を詰めてくる。私達はそれぞれ武器をかまえ、にらみ合いが続いていたが、やがてモンスター達の何匹かが飛びかかってきた。
 
「クロービス!お前はウィローを守れよ!」
 
 そう叫ぶと、カインは剣士団長と共に斬り込んでいった。同時にウィローは次々に矢を放ちながら他のモンスター達を威嚇しはじめた。私は傷をつけないギリギリのところへ、何度か『百雷』をたたき込み、少しでも近づいてくるのを遅らせようとした。剣でなぎ倒されたモンスター達を見て他のモンスター達がひるんでいる隙に、私達は再びハース城の中に飛び込んだ。そのあとを何匹かのモンスター達が追ってくる。地下通路に入る前に、再び戦闘が始まった。私はまだ、室内で風水術をコントロール出来るだけの自信はない。カイン達と一緒にモンスター達に斬り込んでいった。
 
 やっとの事でモンスターを振りきり、団長とカインが地下室へ飛び込んだ。私達も続けて飛びこもうとした瞬間、繋いでいたウィローの手が悲鳴と共にするりと離れた。驚いて振り向くとウィローのローブの裾にモンスターが飛びかかり、ウィローを引きずっていこうとしている。その瞬間今まで感じたことのない怒りと恐怖に襲われ、私はウィローの名を呼びながら剣を振りかざしてモンスター達に向かっていった。
 
 ウィローは床に仰向けに倒れたままずるずると引きずられていく。その先には何匹ものモンスターがいる。一斉に踏みつけられたりしたらそれだけで命はない。私は必死に剣を振り回してモンスター達を威嚇しながら、ウィローの腕を掴んで引っ張った。ローブの裾がぴんと張り、首のところで結んだひもがウィローの首を締めつける。私は迷わずローブの裾を踏んでいたモンスターの足に思いきり斬りつけると、モンスターが叫び声を上げながら飛び退いた隙にウィローを抱きかかえて地下室の扉に走った。モンスター達はまだ追いかけてくる。マントを引っかけて相手を倒せることを学習した彼らは、今度は私のマントを引っかけようとしているらしい。地下室の扉に辿り着いた時には、モンスター達も追いついていた。
 
「ウィロー、先に行ってて!」
 
「いやよ!あなたを置いていけないわ!」
 
 口論している時間はない。私は地下室に向かって叫んだ。
 
「カイン!受け止めて!」
 
 言い終わる前に思いきりウィローを階段から突き飛ばした。悲鳴が聞こえたがきっとカインが受け止めてくれる。ウィローは無事だ。そう信じて思いきり扉を閉めた。いずれこの扉も破られるだろう。だが私がここにいれば、多少時間を稼ぐことは出来る。みんなが逃げ切る事が出来るまで、何とか持ちこたえなくてはならない。
 
「ここは通さないぞ!」
 
 私は剣の柄をを握りなおすと、モンスター達を地下室への入口とは反対側に誘導すべく向かっていった。この時私の頭の中は真っ白だった。モンスター達と対峙する時いつも頭の中に響いていたセスタンさんの言葉も、きれいさっぱり消え去っていた。ただ、ウィローが無事に逃げるまでここを守らなければ、それだけしか考えていなかった。
 
 地下室の扉からどれほど離れただろう。追いかけっこにしびれを切らしたモンスターのうちの一匹が飛びかかってきた。それを待っていたかのように次々と飛びかかってくる。もうだめかも知れないと覚悟した瞬間、モンスター達の背後でバァン!と派手な音がした。
 
「クロービス!」
 
 地下室の扉から飛び出してきたのはカインだった。カインはぎょっとして立ちすくむモンスター達をなぎ倒しながら私の隣に立つと剣を構えなおした。
 
「このバカ野郎!無茶しやがって!」
 
「ごめん!ウィローは!?」
 
「剣士団長と一緒だ!心配するな!」
 
「そっか。よかった・・・。」
 
「ちっともよくないぞ!早いとこ、ここから脱出して団長達に合流するんだ!行くぞ!」
 
 言うが早いかカインは飛び出した。得意の剣技『地疾り剣』でモンスター達の足元を薙ぎ払っていく。カインが一緒にいると言うだけで、この絶体絶命の窮地も切り抜けられると思えるから不思議だ。私達はモンスターの追撃をかわしながら地下室の扉まで戻ってきた。モンスター達がじりじりと迫ってくる。今地下室への扉を開ければ、モンスター達は私達を押しつぶしてでも地下室へと飛び込むだろう。それだけは絶対に避けたい。
 
「クロービス、風水術を使え!」
 
「室内じゃ危なくて使えないよ!」
 
「この状況を打破できるのはお前の風水だけだぞ!?お前の腕なら大丈夫だ!自分を信じろ!」
 
 迷っている時間はないのだ。私は腹を決めて『天地共鳴』を唱えた。出来る限り力を押さえて放ったつもりだったが、それでも凄まじい音が響き渡り稲妻がモンスター達の足元に炸裂した。一番近くにいた一群れは電撃を浴びてばたばたと倒れ、残りのモンスター達は一斉に怯えて後ずさった。逃げ出す者もかなりいる。
 
「今だ!」
 
 カインが素早く扉を開け、中に飛び込むと内側からかんぬきをかけた。
 
「ふぅ・・・。」
 
 どちらからともなくため息をついて、私達は階段を下りた。そこには剣士団長がたいまつを持って立っていて、隣にウィローがいる。たいまつの明かりでは顔色までは見えないが、青ざめているだろうと言うことはわかる。顔がひきつっていたからだ。
 
「ウィロー・・・!」
 
 駆け寄った瞬間バシッと音がして、左頬に痛みが走った。私をにらみつけるウィローの瞳からは大粒の涙がこぼれ続けている。
 
「何でこんなことしたのよ!」
 
 この時私は、てっきり私がウィローを突き飛ばしたことに腹を立てているのだと思いこみ、あわてて謝った。
 
「あ、ごめん・・・!痛かった・・!?・・・よね・・・。もうちょっと優しく降ろせば・・・。」
 
「もう!そんなことじゃないわよ!一人であのモンスターの群れに立ち向かっていくなんて・・・!あなたが死んじゃうかと思ったじゃないの!もうこんな無茶なことしないで!」
 
 ウィローは拳で私の鎧の胸当てを叩きながら、ますます私をにらみつけた。そこまで言われてやっと、ウィローが泣いていたのも怒っていたのも、私を心配してくれていたからなのだと気づいたのだった。
 
「ごめん・・・。もうしないよ。」
 
 ウィローは顔をごしごしこすって無理矢理涙を止めようとしていた。ハンカチを渡そうかとポケットに手を入れた時、階段の上の扉がドーンと音を立てた。
 
「くそっ!立ち直りの早い連中だ。扉に体当たりを始めたみたいだ。早いとこ、ここを離れよう!」
 
 カインが忌々しそうに階段の上をにらみつけた。
 
「よし、俺がたいまつを持って先導する。クロービスはウィローと一緒に真ん中だ。カイン、お前はしんがりを守れ!」
 
 剣士団長の指示で、私達は地下室から出た。来た時と同じように、そこいら中に転がる白骨死体や腐乱死体を飛び越えて、下の階へと通じる階段を駆け下りた。走りながらウィローが振り向き、小さな声で言った。
 
「父さん・・・さよなら・・・。」
 
 今度こそ何があっても離すまいとしっかりと握りしめていたウィローの手を、私はもう一度ぎゅっと握った。いまのウィローに、私がしてやれることなんてそれくらいだった。ウィローも私の手を握り返してきた。背後では扉への体当たりの音がずっと響き続けている。あの扉の内側にかけられているかんぬきは、相当太くて丈夫なものだ。それでもあれだけ大量のモンスターがいれば、いずれはそれも折れてしまうだろう。
 
 やがて私達は地下通路に出て、あの吊り橋の前まで来た。橋の向こうにたいまつが二本見える。
 
「おーい!まだ誰かいるかぁぁ!!」
 
「いるなら返事をせい!」
 
「ロイの声だわ!テロスおじさんもいる!」
 
 橋の向こう側にテロスさんとロイが待っていてくれたらしい。
 
「ロイ!テロスおじさん!ウィローよ!団長さんとカインとクロービスも一緒よ!」
 
 ウィローが叫んだ。
 
「おお!ウィロー無事じゃったか!!さあ、早く!!」
 
「カイン、クロービス、ウィロー、早く渡れ!!俺は最後でいい!!」
 
 剣士団長が橋の手前で立ち止まり、たいまつをかざして橋を照らしながら叫んだ。
 
「はい!!クロービス、ウィロー、行くぞ!!」
 
 カインが先に立ち、私がウィローの手を引きながら後に続こうとした。その時突然、背中に冷水を浴びせられたようにぞくりとして思わず立ち止まった。でも今、私達の周りに敵意を持つモンスターも人間もいない。いったい何が・・・。振り向いた私の目に、たいまつに照らされている団長の顔が映った。高く掲げたたいまつの明かりだけでは表情すらはっきりと見分けられないはずなのに、なぜか私には、いまの冷たさが団長から発せられているものだとわかった。それは静寂・・・。これほど混乱している時に、まるで明け方の凪いだ海のような、不気味なまでの静けさ・・・。剣士団長なんだから、私達と一緒になって浮き足立っているわけにはいかないのだと無理に自分に言い聞かせても、私の鼓動はどんどん速くなっていく。
 
「クロービス、早く渡れ!」
 
 団長の怒鳴り声にハッと我に返り、私はウィローに声をかけた。
 
「行ける?」
 
「・・・大丈夫よ。一緒に渡るわ。」
 
ウィローの声は震えていた。隙間だらけの足場は、足元を見ながらでなければ渡れない。そして足元を見ればいやでも目に入る吊り橋の下の闇・・・。ナイト輝石の廃液で満たされた、死の闇だ。それでもウィローは、気丈にうなずいてみせた。私はウィローの腰に手を回してしっかりと抱きかかえて渡り始めた。
 
「しっかりつかまってて。絶対に離したりしないから。」
 
 ウィローは私にしがみつき、必死で歩調を合わせている。
 
「クロービス!!」
 
 橋の中程まで来た時、突然名前を呼ばれて私は振り向いた。
 
「受け取れ!!」
 
 剣士団長が何かを私に向かって放った。たいまつに照らされきらりと光って私の手の中に落ちたそれは・・・指輪だった。
 
「剣士団長!これは!?」
 
「早く渡れ!」
 
 団長が怒鳴りながら手を振り、私達は急いで橋を渡りきった。それを確かめて剣士団長は橋の向こうで微笑んでいる。
 
「団長!早く渡ってください!!」
 
 カインが必死で叫ぶ。が、団長は動かず、私に向かって大きな声で叫んだ。
 
「クロービス!それをセルーネに渡してくれ!約束を守れなくてすまなかったと!」
 
「剣士団長!それはどういう・・・!」
 
 どういうことですかと聞く前に、私達の目の前の吊り橋は、団長の剣によって切って落とされた。
 
「剣士団長!な、何をするんですか!?」
 
 団長は高く掲げていたたいまつを顔の近くまで降ろした。顔がはっきりと見える。切り落とされた吊り橋を見つめ、その視線を私達に移して、満足げに微笑んでいた。
 
「19年か・・・。早いものだ・・・。サミルさんとデールさんの子供達がこれほど立派に成長したとは・・・。」
 
 団長は何を言っているのだろう・・・。19年前・・・デールさんがハース鉱山に赴任した年・・・。そして父とブロムおじさんが幼かった私を連れて世捨て人の島に移り住んだ年・・・。
 
「これじゃモンスターは来れないけど団長まで来れないじゃないですか!今ロープを渡しますから!早く・・・!!」
 
 カインは切り落とされた吊り橋を必死で引き上げ、向こう側の欄干に引っかけるための投げ縄を作り始めた。
 
「あれから・・・とにかく私は死にもの狂いで剣を振るいつづけた・・・。それは王国のためでもなく、人々のためでもなく、ただ自分のためだったのかもしれない・・・。クロービス、ウィロー、どうしても、お前達に話しておかねばならないことがある!」
 
 その時、とうとう地下室への扉が破られたらしく、猛り狂ったモンスター達の吠え声と、地鳴りのような足音が地下通路まで響いてきた。
 
「くそっ!」
 
 カインは急ごしらえの投げ縄を橋の向こう側に向かって投げた。だがうまく欄干にはまらず、投げ縄ははじき返された。カインは焦りながら縄をたぐり寄せ、また投げる。今度こそはまった!!カインは急いで自分の持っていた縄をこちら側の欄干に結びつけた。
 
「団長!早くこの縄を伝ってこっちへ!!」
 
 だが団長は動かず、話し続ける。だが吠え声と地鳴りにじゃまされてうまく聞こえない。
 
「19年前・・・私は・・・・・・に・・・・・た。それがサミ・・さ・・・・・・・デールさんは・・・・・・たが・・・・殿は・・・・だ・・・。・・・・デールさんは・・・たが・・・・あの後に・・・・・・へ・・・・・・来た・・・・。そして・・・・・・・・・・!!」
 
「聞こえないわ!!」
 
 ウィローが叫ぶ。
 
「私の犯した罪は重い・・・!」
 
 団長はひときわ大きな声で叫んだ。
 
「カイン・・クロービス、お前達はもう、立派な王国剣士だ・・・!私の・・・私の亡き後のエルバール王国を・・・頼んだぞ・・・!!」
 
 剣士団長はそう叫ぶと、たいまつを振って私達に微笑んでみせた。そしてくるりと踵を返し、モンスターの押し寄せるハース城地下へと走り去った・・・。
 
「剣士団長!!」
 
 目の前で起こったあまりの出来事にカインも私も、そしてウィローも呆然としていた。そこにテロスさんとロイが戻ってきた。
 
「早くしろ!!団長さんはどうした!?」
 
「あ、あの通路の向こうに!!」
 
 テロスさん達は私達が指さした先に視線を移したが、その顔が苦痛に歪んだ。
 
「団長さんは・・・もうだめだ!!ここにいたらあんたらまでも死んじまうぞ!!団長さんを犬死にさせる気か!!あの人はあんたらが逃げる時間を稼いでくれたんだぞ!?」
 
 ロイに怒鳴られ、私達は、地下通路をハース鉱山へ向かって走っていった。やがて鉱山の休憩室に着いた。既に鉱山の仕事は中断され、鉱夫達はそれぞれ自分の荷物を持って逃げ始めたところだった。その中にランディさんの姿もあった。
 
「おお、あんたら無事だったのか!!」
 
「早く!!ここにもモンスターが来るかも知れない!!外へ逃げましょう!!」
 
 泣いている暇などない。私達は鉱夫達と一緒に、鉱山の外に出た。鉱山の入口に着くと先に逃げた鉱夫達と衛兵達が、大きな岩を運んでくるところだった。
 
「こいつなら体当たりを食らったってびくともしなかろうぜ。」
 
 衛兵の一人が額の汗をぬぐいながら言った。
 
「よし、今のうちにここをふさぐぞ!」
 
 岩は鉱山の入口にぴたりと合わせてはめ込まれた。確かにこれなら、まず砕けることはないだろうし、どっしりとしているので倒れそうにもない。
 
「早く逃げよう!」
 
 誰かが叫んだ。誰もが一刻も早くここから逃げ出したいのだ。
 
「だがハース渓谷は危険だ!あのモンスターどもが戻ってきていたりしたら・・・。」
 
「それなら山越えだ。東側の山はそんなに険しくないから、渓谷の入り口に出られる。俺が案内するよ。」
 
 そう言った鉱夫はこの辺りの地理に詳しいらしい。彼の案内で、私達はハース城の脇道を通らず、山の中を突っ切ってハース渓谷の外に出ることにした。山に入る直前、背後でゴーッという地鳴りのような音が響いた。振り向くとそれは、ハース城の方角から聞こえてくる。
 
「あの音は何だ・・・。」
 
「鉱山からだぞ・・・。」
 
「モンスターどもの吠え声か・・・。」
 
「くそっ!モンスターどもにハース城が占領されちまった・・・。」
 
 鉱夫達も衛兵達も、口々に叫びながら涙を流していた。モンスター達は、ついにハース城を手に入れた。私達は負けたのだ・・・。ほんの少しの間、誰もが同じ方角を見つめ、モンスター達の咆哮に耳を傾けていた・・・。
 

第29章へ続く

小説TOPへ 第21章〜第30章のページへ