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第28章 ハース城陥落

 
 階段を上がりきったところには、大きな扉があった。今までに見た扉よりもはるかに大きく、そして美しく飾り立てられている。私はウィローを振り返った。
 
「入るよ・・・。」
 
「うん・・・。」
 
 扉を開けようと手を伸ばした時、階下でひときわ大きな叫び声があがった。
 
「・・・な、何なの!?」
 
 ウィローが怯えた顔で振り返る。怒鳴り合う声や剣の音が激しくなってきた。何が起きているのだろう。
 
「クロービス・・・!」
 
 ウィローが懇願するような瞳で私を見つめる。
 
「戻れないよ。今私達が戻れば、命がけで私達を逃がしてくれたテロスさん達の行為を無駄にすることになるよ。」
 
 ウィローの瞳の縁に涙がたまった。カインと別れてから今まで、いつも私は自分に言い聞かせてきた。『心を鬼にして先に進む』と。でもこの時ばかりは本当に自分が鬼になったような気がした。私達を逃がしてくれた人達が窮地に陥っているとわかっていて、それでも自分の目的を優先させるなんて・・・。私はウィローの非難を覚悟した。なんと言われても今は戻れない、それだけは確かなのだ。でもウィローは何も言わず、涙をごしごしとぬぐうと、しっかりとうなずいた。
 
 私は改めて扉に手をかけ、ゆっくりと開けた。そこにいたのは・・・邪悪な微笑みを浮かべた・・・まだそれほどの歳とは思えない男だった。派手な金色のローブを身にまとい、私達を嘲るように見つめている。
 
「ほぉ・・。王国剣士殿のお出ましか・・・。そしてその娘は・・・デールの娘だな・・・。」
 
 私達がここに来たことを、なぜ知っているのだろう・・・。剣士団のマントを羽織っている私を王国剣士だとわかるとしても、どうしてウィローのことまで・・・。男は私を見ておかしそうにクックッと笑っている。この疑問はとりあえず忘れよう。今はもっと重要なことをこの男から聞き出さなければならない。
 
「あなたがイシュトラか・・・?」
 
 男の片頬がぴくりと動き、笑みが消えた。
 
「ふん・・・!お前のごとき虫けらに呼び捨てにされるのは我慢ならぬが、ここまで辿り着いたその根性とバカさ加減に免じて、教えてやろう。その通りだ。我が名はイシュトラ。エルバール王国きっての風水術師だ。」
 
 イシュトラはそう言って胸を反らしてみせる。かなり傲慢で自信過剰な男らしいことは、先ほどから感じていたが、王国きっての風水術師と言うからにはこの男との戦いは慎重に行かねばならない。
 
「ではあなたに聞きたいことがある。なぜデールさんの名を騙った?なぜナイト輝石の廃液を垂れ流しにしている?あの廃液がどれほど危険なものか、わからないはずがないだろう?」
 
 イシュトラの顔に先ほどの嘲るような笑みが戻った。そしてわざとらしく大きなため息をつき、頭を振ってみせた。
 
「まったく・・・ここまでたどり着くほどの者ならば、もう少し頭が切れると思っていたが・・・やはり虫けらは虫けらだな・・・。我らの高尚な目的などわかろうはずもないか・・・。」
 
「高尚な・・・目的・・・?」
 
 訳がわからずぽかんとしているのを、イシュトラは私が感心しているとでも思ったのか、調子に乗ってしゃべり続ける。
 
「そうだ。その目的のためにはデールがじゃまだったのでね、やつには消えてもらった。そして、その後のハース城を私が支配して、ナイト輝石の廃液を流させたのさ。」
 
「あなたが・・・父さんを殺したの・・・?その手で・・私の父さんを・・・!」
 
 私とイシュトラの会話を聞いている間、私の制服の背中をつかんでいたウィローの手に少しずつ力がこもっていくのを感じていたが、ウィローがそうイシュトラに問いかけた時、服が破れるんじゃないかと思うくらい力がこもった。
 
「私が・・・?ふん!私がそんな汚れ仕事をするものか。一声かければいつでも私の言うことを聞く犬はいくらでもいるのでな。この手を血で汚すなど、そんなおぞましいこと、考えたくもないわ!」
 
 イシュトラは高笑いをすると、なおもウィローに向かって言い募る。
 
「・・デールの娘がこんな所まで来るとはな。おとなしく引っ込んでいればいいものを・・・。しかし、クソ真面目なやつってのは、ロクな死に方をしないもんだなぁ・・。はぁっはっはっは!!」
 
 ウィローは、怒りに肩を震わせながら、涙をためた瞳でイシュトラを睨み続けていた。
 
「さてと、そろそろ始めようではないか。私は暇ではないのでな。さっさとお前達を殺して、地下の死体置き場に放り込んでこないと、今日の仕事が終われんのだ。おい、娘、すぐに父親の元に送ってやるぞ。特別に私が直接この手でな・・・!」
 
 言うなりイシュトラは風水術『慈雨』を唱えてきた。室内でこんな呪文を唱えたりしたら、どんな暴走をするのか予測がつかないものだが、呼び出された鋭い水滴は正確に私達の頭上に降り注いだ。私はとっさにウィローを抱えて後ろに飛びすさった。ウィローは私の腕を振りほどき、イシュトラに向かって鉄扇の一撃を浴びせる。思いがけずダメージをくらったことでイシュトラは頭に血が上ったらしい。ウィローに向かって百雷の呪文を唱えた。稲妻がウィローの頭上に落ちる前に、私はウィローを突き飛ばした。代わりに私の体が雷に打たれたが、かなりの痛みがあったにもかかわらず、やはり私はかすり傷ひとつ負わずにすんだ。
 
「あ、あの稲妻で傷一つつかないとは・・・な・・・何者だ貴様・・・!?」
 
 イシュトラは、稲妻に打たれながらけろりとしている私を、恐怖の混じった瞳で睨みつける。
 
「私はただの王国剣士だ!あの恐ろしい廃液を止めるためにここまで来た!今度はこちらの番だ!」
 
 私はイシュトラの前に躍り出ると、思いきり肩を斬りつけた。
 
「ぐぁっ!!」
 
 イシュトラはよろめき、背後の壁によりかかってかろうじて倒れるのをくい止めた。大きく見開かれたその瞳は、私に対する怒りと憎しみに燃えて真っ赤になっている。
 
「おのれ・・・!この私にこのような傷を負わせるとは・・・!これでも食らえ!」
 
 イシュトラは今度は『日輪照覧』を唱えた。先ほど私に突き飛ばされたウィローのところまでは届かなかったが、私の頭の上には火の固まりが容赦なく降り注ぐ。あまりの熱さに思わず叫び声を上げそうだったが、そうなればイシュトラの思うつぼだ。私はうめき声一つ漏らさぬよう奥歯をぐっと噛みしめ、床を転がってやっとのことでその場から逃れた。やはりやけどはせずにすんだが、それでも体中に痛みが残り、すぐに立ち上がることが出来ない。私の受けたダメージを確認して、高笑いを上げながらイシュトラが近づいてくる。
 
「ふぁっはっはっは・・・。なかなか楽しませてくれるではないか。だが・・・そろそろ終わりにしようか。あまり呪文を唱え続けると疲れるからな。」
 
 イシュトラがさっと片手をあげて呪文を唱えようとした。最初が『慈雨』で次が『百雷』そして『日輪照覧』。では次は『天地共鳴』か・・・。この男のことだ、私達の息の根を確実に止めるためには、どんな恐ろしい攻撃呪文でも平気で使うはずだ。このままでは頭から雷を食らってしまう。何とかこの場を逃れようと、立ち上がろうとした私の心の奥に、いきなりドスンと何かがぶつかったような衝撃が走り、どす黒い憎しみが流れ込んできた。ぞっとして振り返ると、ウィローが怒りと憎しみに燃える瞳で矢をかまえている。そのねらいはイシュトラの眉間にぴたりと合わせられていた。
 
「ウィロー、だめだ!」
 
 とっさに叫んだ私の声に、ウィローはびくっと肩をふるわせ、その拍子に矢のねらいははずれてイシュトラのこめかみをえぐり、背後の壁にガツンと鈍い音をたてて床に落ちた。
 
「ぎゃあっ!」
 
 血が噴き出した傷を押さえながら、イシュトラがよろめいてしりもちをついた。
 
「こ、こ、こ・・・この私にこのような傷を・・・・き、貴様らぁぁすぐに地獄に送ってやる!」
 
 イシュトラがもう一度呪文を唱えようとしたが、私が斬りつけた肩の傷と今の矢傷を押さえながらでは、なかなか精神統一がうまくできないらしい。呪文は途中で消え、ぜいぜいと息をしながら何とか倒れまいと壁に向かって後ずさる。その隙に私は自分に向かって治療術の呪文を唱えた。痛みがすっと引いていく。すぐに立ち上がり剣をかまえ直すと、イシュトラに一歩近づいた。その瞬間私の目の前を矢が飛んでいった。
 
「ぐっ!」
 
 矢はイシュトラの脇腹に深々と突き刺さった。続いてもう一本の矢が飛んできて、今度はイシュトラの肩をかすって背後の壁に飾ってあったけばけばしい絵にぶすりと刺さった。
 
「ウィロー!やめるんだ!」
 
 ウィローは矢をつがえたまま、目だけを私に向けた。
 
「もうこの男は抵抗できないよ。もう、いいんだ・・・。」
 
 ウィローはしばらく私をじっと見ていた。そしてかまえていた弓をおろすと、雲を踏むような足取りでゆっくりとイシュトラに近づいてきた。
 
「父さんを殺したのよ・・・。この男が・・・。」
 
 目を見開いたまま、涙のあとが頬にくっきりとついている。
 
「私達の目的は廃液を止めることじゃないか!この男を殺すことじゃない!」
 
「この男さえいなければ、父さんは死ななくてすんだのよ!」
 
 どす黒い憎しみの心が奔流となって私の心に怒濤のように流れ込み、ウィローは持っていた矢をイシュトラに向かってふりあげた。とっさに私はイシュトラとウィローの間に割って入り、振り下ろされた矢は私の腕にざっくりと突き刺さった。
 
「つぅ・・・っ!」
 
 ウィローがはっとして矢を離した。とっさに差し出した腕が利き腕でなかったことが救いだった。どちらの手でも剣を操れるが、こんなせっぱ詰まった戦いの時は、どうしても利き腕に頼らざるを得ない。
 
「クロービス・・・。」
 
 ウィローは思いがけず私を傷つけてしまったことで動転している。真っ青になってがたがたと震えながら、ただ立ちつくしていた。
 
「あ・・・あ・・・ご・・・ごめんなさい・・・。」
 
 やっと口を開いたとたん、ウィローの目から涙があふれ出た。
 
「・・・この男を殺しても・・・デールさんは生き返らないよ・・・。憎しみに流されないで・・・。」
 
「・・・・。」
 
 ウィローは答えず、血が出そうなほどに唇を噛みしめ、ただイシュトラをにらみつけた。
 
「く・・・くそ・・・お前のごとき虫けらどもに命乞いなど、誰がするものか・・・。殺せ!ひと思いにその剣で・・・さあ殺せ!」
 
「殺したりはしない。あなたの知っていることを聞かせてもらう。」
 
 私は振り向き、イシュトラののど元に剣先を突きつけた。
 
「ふん・・・。殺さないだと?ふ・・・ふはは・・ははは・・・なるほどお前は王国剣士だ。それでは不殺の誓いとやらのために私を助けるというか・・・?」
 
 苦しげに息をしながら、なおもイシュトラは嘲るような笑みを浮かべている。
 
「・・・あなたのしたことはとうてい許されることじゃない・・・。だが私は王国剣士だ。フロリアさまの前で立てた誓いを破るつもりはない。」
 
 イシュトラはいきなり声をあげて笑い出した。傷を受けて弱っているものの、その傲慢な高笑いは最初に聞いた時と同じ響きを持っていた。
 
「はは・・・はははは・・・・不殺だと?だからお前らは愚か者だというのだ。不殺だのモンスターとの共存だの、そんなものは幻想だ。お前らは実現するはずのない不可能な夢に踊らされているだけだ。」
 
「不可能かどうかなどやってみなければわからないじゃないか。あなたになぜそんなことが言い切れる?」
 
「ふん・・・。不可能なものは不可能だ。それがこの世界で実現することなどないのだからな。」
 
 イシュトラは自信たっぷりに言い放つ。これほどの傷を受けて、剣先をのど元に突きつけられているというのに、どうしてこの男はこれほどまでに尊大にしていられるのだろう。それほどの後ろ盾がいると言うことか・・・。それが誰であるのか、ほんの一瞬その面影が脳裏を駆け抜けた。
 
「どういう意味だ・・・?あなたは・・・一体誰の命令でここに来たんだ!?」
 
 私の問いにイシュトラはまた笑い出した。だがその声はさっきよりもだいぶ弱っている。早く話を聞きだして治療しなければ、本当にこの男は死んでしまうかも知れない。
 
「ふふふ・・・、それほど知りたいか?ならば教えてやろう・・・。なぜ私が、すんなりとデールの後がまに座れたか、そして外部にはデールがいるように見せかけて廃液を流し続けることが出来たか・・・。」
 
 イシュトラはそこで一度言葉を切り、私を見上げてゆがんだ笑みを浮かべた。
 
「・・・お前は見当がついているようだな・・・。」
 
 思わずぎくりとして顔をこわばらせた私を、ウィローがぎょっとしたように見たのがはっきりとわかった。
 
「ふふふふふ・・・・娘よ、お前は知らされてなかったということか・・・。この男は知っていたのだ。私の後ろ盾が誰か、そしてお前に黙っていた。ふはははははは。確かに言えぬだろうなぁ。まさか敬愛する女王陛下がその黒幕であるなどとは、なるほど口が裂けても言えぬであろうよ・・・。わぁっはっはっは・・・。」
 
 無意識のうちに、私は剣を握る手に力を込めていた。私に向けられたウィローの険しい視線から、少しでも気をそらしていたかった。
 
「女王陛下・・・・まさか・・・フロリア様なの・・・・・?」
 
 ウィローの震える声・・・。デールさんの手紙を読んで、まさかと思っていた推測が当たってしまうなんて・・・。思わず眉根を寄せて唇を噛みしめた私を見て、イシュトラは勝ち誇ったように笑ってみせた。
 
「そうだ、お前の言うとおり、すべてがフロリア様の指示なのだ・・・。この汚れきった王国をその手で消し去り、フロリア様に選ばれし者達が新たなる統治者となって新王国を建国する・・・。私はその統治者の一人に選ばれた。ここで大きな成果をおさめれば、フロリア様の夫となり新しい国の王となることも夢ではない。そして力を手に入れる。私の風水術師としての才能と、フロリア様の権力があれば、私はかつて誰もが持ち得なかったほどの強大な力を手に入れることが出来るのだ!!」
 
「ばかな・・・!そんなことが出来るわけが・・・。」
 
「ないと言い切れるか?滅ぼすのは簡単だ。この国を、聖・・・」
 
 とその時、背後の階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。
 
「カイン!!」
 
 私の後ろでウィローが声を上げる。
 
「クロービス!ウィロー!無事か!!」
 
「大丈夫だよ!!」
 
 階段を上がってきたのはカインだった。久しぶりに聞くカインの声に、懐かしさのあまり涙が出そうになるのを必死でこらえ、私は大声で答えた。だが目と剣はイシュトラから離すことは出来ない。カインは私の隣に来てイシュトラをちらりと見ると、
 
「こいつが親玉か。やったな!安心しろ、下の鉱夫達も全員無事だぞ。」
 
うれしそうにそう言って私の肩を叩いた。そんなカインをイシュトラは嘲るように見上げ、なおも言葉を続けた。
 
「ふふふ・・・愚か者がまた一人か・・・。鉱夫達なぞ助けたところでどうなる?所詮あの者どもは消耗品だ。ただひたすらに廃液を流し続けるための・・・。ひひ・・・ひひひひ・・・。」
 
 狂気じみた笑い声にぞっとした。でも本当にこの男は狂っているのではないか。でなければ王国を滅ぼすなどという大それたことが出来るはずがないことくらい、すぐにわかりそうなものだ。
 
 ・・・さっきこの男はなんと言いかけた?滅ぼすのは簡単だと・・・。聖・・・?あのあと・・・なんと言おうとしたのだろう・・・。
 
「ひひひ・・ひひひひ・・・・。無駄だ・・・。お前達がどうあがこうともう手遅れなのだ。エルバールは滅ぶ、滅ぶのだ・・。フロリア様のお力で・・・。」
 
 その言葉にカインの顔から笑みが消え、顔色がさっと変わった。
 
「な、なんだと・・・?」
 
 カインはつかつかとイシュトラに歩み寄り、胸ぐらをぐいとつかんで締め上げた。
 
「・・・おい・・・いま何と言った!?おい!!答えろ!!」
 
「ふはははは・・・・。さあ、絶望を抱いて生きるがいい・・・。この国が滅び行くのを指をくわえてみているがいい・・・!ぐぇ・・・っ・・・!」
 
 イシュトラは突然苦しそうに顔をあげ、嘔吐するかのようにのどをならした。カインがあわてて手を離したその一瞬の隙に懐に手を入れて小さなダガーを取り出すと、止める間もなく自分の胸に突き立てた。
 3人がはっと息をのんだ時には、邪悪な笑みを浮かべたイシュトラはどさりと仰向けに倒れていた。
 
「あ!ちくしょう!まだ答を聞いてないぞ!!おい!!」
 
 カインがイシュトラの体を揺さぶった。だがイシュトラは動かない。ダガーは左の胸にまっすぐに突き立てられている。ほぼ正確に心臓に向かって刺したらしい。
 
「おい!!クロービス!!こいつを・・・生き返らせられないのか!!?まだ答えてもらわなければならないことがあるんだ!!」
 
 カインは怒りに燃えた瞳で私に詰め寄った。
 
「無理だよ・・・。今のは心臓を一突きだ・・・。もう、蘇生の呪文でもどうしようもないんだよ。」
 
 カインは悔しそうに、思いきり拳で床を叩いた。
 
「ちくしょう!一体どういうことなんだ!?」
 
 私だって悔しかった。さっき無理矢理締め上げてでも、もっとこの男からいろいろと聞き出しておけばよかった。
 
「カイン・・・他のみんなは?」
 
 カインは黙って首を横に振った。
 
「そうか・・・。それじゃ、君一人でここまで戻ってきてくれたんだね・・・。」
 
「いや・・・剣士団長と二人だ。」
 
「剣士団長が・・・!?」
 
「ああ・・・。剣士団投入の許可は下りなかったけど、俺は・・・俺だけは何としてもお前のところに戻ってこようって思ったんだ。でも他のみんなを巻き込めないから、一人で戻ろうとしたら・・・剣士団長が、フロリア様の命令に背いて船を出してくれて・・・。一緒に来てくれたんだ・・・。」
 
 カインは唇を噛みしめた。
 
「そうか。でも・・・君がここに戻ってきてくれて嬉しかったよ。」
 
 カインが頷き、その瞳から涙が落ちた。
 
「ずっと心配してたんだ。君が・・・ちゃんと王宮へたどり着けたかどうか、ここにちゃんと無事で戻ってこれるかどうか・・・。」
 
「クロービス・・・。すまん・・・。俺の力が足りなかったんだ・・・。」
 
「そんなことないよ。さあ、下に行こう。」
 
 歩き出そうとしたはずなのに、なぜかガクンと体が揺れて、私はその場にしりもちをついた。
 
「・・・あれ・・・?」
 
 立ち上がろうとしたのに、足に力が入らない。なんだか視界もグニャグニャしている。
 
「・・・おいクロービス、どうしたんだ?疲れたんじゃないのか?」
 
「疲れたって言う感覚はないんだけど・・・。」
 
 なのに私は立ち上がることが出来ない。めまいもする。しりもちをついた時にウィローが私の体を支えてくれたので、何とか倒れずにすんでいたが、そうしてウィローに寄りかかったまま、体を起こすことも出来なかった。
 
「疲れたんだよ。どうせろくに休息もしてないんだろう。」
 
 カインはあきれたようにため息をついた。
 
「それは君だって同じじゃないか。あんな夜中まで歩いて・・・」
 
 しまったと思ったが遅かった。カインはぎょっとしたように私を見つめ、やがて『なるほどな』というように肩をすくめて見せた。
 
「・・・ごめん・・・。」
 
「しかたないさ。別に見たくて見てるんじゃないんだしな。でもここに来るまでに、俺は船の中でちゃんと休んだよ。だからたぶんお前のほうが疲れてるのさ。ちょっと待ってろ。」
 
 カインは私の傍らにしゃがみ込み、手をかざした。ふっと体が軽くなり、おかげでウィローに支えていてもらうという情けない状態からは何とか立ち直ることが出来た。さっき飛び込んできたウィローのあの深く暗い憎しみの心・・・。死を覚悟したイシュトラの怒りと絶望・・・。体の疲れよりも、きっと精神的な疲れなのだろう。ついさっき作り直したばかりのはずの『防壁』はすでに揺らいでいた。でも今はたとえ誰かに手伝ってもらっても、もう一度作り直すことは出来そうにない。
 
「とにかく下に行こう。休むにしても死体の隣じゃ休んだ気がしないからな・・・。」
 
 カインはイシュトラの死体を忌々しそうに睨みつけると、私の肩を支えて立ち上がらせてくれた。
 
「ごめん・・・。」
 
「謝るなよ。正直言って、お前がウィローと二人だけでここまでやるなんて思ってもみなかったんだ・・・。謝るのは俺の方だよ、お前のこと見くびっていたのかも知れない・・・・。」
 
「そんなことないよ・・・。」
 
 私の少し後ろを歩いていたウィローがカインに話しかけた。
 
「カイン・・・心配してたのよ、ずっと・・・。無事に戻ってきてくれて、私も・・・嬉しかったわ。」
 
「ウィロー、ごめんな、心配かけて。」
 
 私達は下の階に戻った。そこでは、鉱夫達がスッキリとした表情で私達を待っていてくれた。怪我をした鉱夫は、みんな剣士団長の治療術で回復してもらった後だった。ロイが私達に気づき、笑顔を向けたが、カインに支えられている私の姿を見て顔色を変えた。
 
「怪我したのか!?」
 
 その声でフロアにいた鉱夫達が一斉に私に振り返った。
 
「いえ・・・大丈夫です。たぶん疲れたんだと・・・。」
 
 ロイはほっとした表情を見せ、カインが支えてくれていたのと反対側の肩を支えて、フロアの中央まで連れて行ってくれた。床に座り込んで、やっと一息つくことが出来たが、疲れは抜けるどころかますますひどくなってくるようだった。
 
「イシュトラはどうしたんだ・・・?」
 
「さっき・・・自害しました。」
 
「そうか・・・。さんざん悪いことをしてきたんだから・・・仕方ないな。あんた達が無事だったのが何よりだ。あれからみんなで戦ったんだけど、剣士団長さん達が来てくれたおかげで逆転出来たんだ。」
 
 そしてロイはウィローのほうを振り向くと、
 
「ウィロー、親父さんの仇が討ててよかったな。」
 
 ウィローは黙ったまま、曖昧に笑みを返した。あの真っ黒な憎しみの心は、未だに私の心の奥にくすぶっていて、なかなか消えてくれそうにない。それはつまり、ウィローが未だにイシュトラへの憎しみを忘れかねていると言うことだ。
 
 ロイは黙っているウィローをいたわるように見つめている。怠け者の放蕩息子と聞いていたが、それほどとも思えない。私達をイシュトラの元へ向かわせるために、自分を盾にして戦ってくれた・・・。
 
「あの・・・ロイさん、ありがとうございました。」
 
 頭を下げる私にロイは照れくさそうに、
 
「ロイでいいよ。俺は多分あんたといくらも違わないぜ。そんな風に呼ばれると、何だか自分が親父になったみたいな気がするからさ。普通に話してくれよ。」
 
 そう言って頭をかいてみせた。
 
「そうか・・・。解った。ありがとう、ロイ。」
 
「ははは、気にするなよ。怪我は治してもらったし、これで久しぶりに家に帰れる。少しはお袋孝行でもしてみようかな。」
 
「ふん!やっとその気になりおったか!!この放蕩息子が!!」
 
 テロスさんがロイの頭をぽかりと叩く。
 
「いて!何だよおっちゃん、俺だって考えてはいたんだぜ。そのうちお袋孝行しようってな。」
 
「そのうちなんて言っとるうちに親は死んじまうわい!親孝行なんてものはな!!生きているうちにしなくては意味がないんじゃ!!」
 
 テロスさんはギロリとロイを睨んでみせると、私達の方に向き直り、
 
「二人ともよくやったな・・・。あらためて礼を言うよ。廃液は間違いなく止めたよ。もう流れることはない。ナイト輝石の採掘は、きちんとした製錬技術が確立するまで、中止するべきだろうな・・・。」
 
「はい。いろいろとお世話になりました。」
 
「いやいや・・・あんたらが来てくれたおかげだ。まったくなぁ、わしの脳みそまでも錆びついていたようだ。すっかり生きる気力を失っておった。どんな時でも、希望さえ失わずにいれば、必ず道は拓けるものなんじゃな・・・。若い者に教えられるとは・・・わしも情けないのぉ・・・。」
 
 テロスさんは大きくため息をついた。私は剣士団長を捜した。団長は、部屋の隅で青ざめたまま立ちつくしている。立ち上がろうとしたがやはり体に力が入らない。カインが団長を呼んできてくれた。やってきた団長を見て、テロスさんが微笑んだ。
 
「あんたが来てくれるとは思わなんだよ。久しぶりだな、パーシバル。・・・と、いまは剣士団長殿だったな。呼び捨てには出来んか・・・。」
 
「かまいませんよ。いまの私は剣士団長としてでなく、一王国剣士として、ハース城を救うためにここまで来たのです。私がカナに赴任していたのはもうずっと昔のことですから、憶えていていただけるとは思いませんでしたよ、テロス殿。」
 
「忘れるはずがなかろう。あんたはずいぶんとカナのためにがんばってくれたからな。あんたの後輩達もたいしたものだな。少々無鉄砲が過ぎるかもしれんが・・・。」
 
「ははは・・・。若い時は私もそうでしたよ。それに・・・あなたもね・・・。」
 
「それを言われるとなぁ・・・。」
 
 テロスさんは肩をすくめてみせたが、ふと思いついたように顔をあげた。
 
「あんたの相方の・・・なんと言ったか、あの男は亡くなったと聞いたが・・・。」
 
「ヒューイのことですか・・・。ええ・・・もう15年近く前になりますが・・・。」
 
「あの男もいい男だったが・・・世の中不公平じゃの・・・。あんなにいい若者が早死にして、こんな老いぼれが未だに生きながらえておるとは・・・。」
 
「・・・その言葉を聞けばあいつも喜びますよ・・・きっと・・・。」
 
 どうやら剣士団長の相方だった人は亡くなっていたらしい。15年近く前というと、フロリア様が即位されて4年ほど過ぎていた頃だが、確か剣士団長がその職に任命されたのもそのころの話だと以前セルーネさんから聞いたことがある。相方だったヒューイさんという人は、どうして亡くなったのだろう。やはりモンスターとの戦いで命を落としたのだろうか・・・。
 
「ご苦労だったな・・・。だいぶ疲れているようだが、風水術でも使ったのか?」
 
 私の向かい側に腰を下ろして、剣士団長が口を開いた。
 
「いえ・・・。ほとんど休みなしで歩いていたもので・・・。」
 
 そう答えてはみたが、このひどい疲労が体の疲れではないことを、私は何となく感じていた。では何だろう・・・。イシュトラとの戦いで、私自身が使った呪文といえば治療術が一つだけだ。瞬時に痛みを取り除くために『虹の癒し手』を使ったが、それにしたって今の私にとって、これほど疲労するような呪文ではない・・・。
 
 その時、背中を流れ落ちるような恐怖を感じてはっとした。次の瞬間にはウィローの中の憎しみがいっそうどす黒く流れ込んできたような気がした。やっとわかった。『防壁』がほどけ始めている・・・。しかもいつものようにではなく、『防壁』を織り上げている気の流れが一本ずつ抜けて闇に飲み込まれていくような、不快極まりないほどけ方だ。このままでは私の力が全部解放されてしまう。そう考えたからなのか、なんだか胸の奥がむかむかしてきた。
 
「・・・おい・・・どうしたんだ?顔が真っ青だぞ・・・。」
 
 カインが不安そうに私の顔をのぞき込んだ。
 
「・・・どこか・・・休めるところ・・・ないかな・・・。」
 
 声に出すのもやっとだった。すぐに休んで疲れを取り、『防壁』を作り直さなければ、私の心が狂気にとらわれてしまう。そう考えただけでぞっとした。
 
「この奥に仮眠室があるよ。すぐにそこに行って休んだ方がいいよ。真っ青だ・・・。」
 
 ロイも心配そうに私の顔を見つめている。カインに肩をかしてもらってやっとの事で立ちあがると、私は何とか仮眠室にたどり着き、そのままベッドに倒れ込んだ。薄れていく意識の中で、私は気づいた。気の流れを飲み込んでいくあの暗闇は、ウィローから流れ込んでくる憎しみなのだと・・・。
 
 目を開けた時、一番最初に視界に飛び込んできたのは、真っ青なカインの顔とウィローの泣き顔だった。前にもこんな風な二人の顔を見たことがある。そうだ、あれは南大陸の西の森を出て、モンスターに襲われたあとのことだ。モンスターの心に頭の中をかき回され、大けがをした私の傷を治療するために、カインとウィローは来た道を引き返さなければならなかった。今はあのときと違って、すぐに体が動くようになった。驚いたことに『防壁』はまだ完全に崩れてはおらず、残った数少ない気の流れでようやく姿を保っている、そんな風に感じた。私は傍らで心配そうに私を見つめ続けているウィローに向かって、今出来る限り精一杯顔を動かして微笑んで見せた。
 
「ごめん・・・心配かけちゃったね・・・。ウィロー、悪いんだけどのどが渇いてるんだ。水をもらってきてくれないかな・・・。」
 
 うなずいたウィローはパッと立ち上がり駆けだした。その隙に私は起きあがり、カインに話しかけた。
 
「カイン、『防壁』づくりを手伝ってくれないか。」
 
「ああ、いいけど・・・何だよ、まだこのことウィローに話してないのか?」
 
「いや、話してあるよ。」
 
「それじゃ何でウィローに頼まなかったんだ?」
 
「わけはあとで話すよ。ウィローが戻ってこないうちに早く。」
 
「わかったよ。」
 
 カインは怪訝そうに眉をひそめながらも、素早く気の流れを手のひらに集めてくれた。私は心の中で、隙間だらけになった『防壁』を囲むようにしてカインと自分の気の流れを使って新たな『防壁』を完成させた。
 
「よし、これで大丈夫だ。カイン、ありがとう。」
 
「あ、ああ。」
 
 カインはまだ首を傾げている。
 
「今君に手伝ってもらったことはウィローに言わないでね。」
 
「何で?」
 
「あとで説明するよ。」
 
 カインがもう一度何かを言おうとした時、ウィローが水差しにたっぷりと冷たそうな水を入れて持ってきてくれた。
 
「はい、お水よ。気分は・・・どう?」
 
「大丈夫。よくなったよ。」
 
 私はコップを受け取り、ウィローがなみなみと注いでくれた水を一気に飲み干した。本当にすっきりしていた。ウィローの心から流れ出る憎しみの流れは、今新たに織り上げた『防壁』に阻まれて中に入ってはこない。ただまわりを漂っている。私は『夢見る人の塔』でシェルノさんが言っていた言葉の重さを改めて噛みしめていた。
 
『なれるまでは誰かに手伝ってもらうといいでしょう。ただ、お互いの心の中までわかってしまう時がありますから、あなたと心から信頼し会える相手で・・・出来れば呪文を使える方のほうが・・・。』
 
 カインに初めて手伝ってもらった時、彼の不安をぼんやりと感じて、相手の心がわかるというのはこの時なのだと勝手に解釈していた。でも実際には違っていたのかもしれない。私の心の中に作り上げられた『防壁』が誰かの気の流れを使って作られている場合、その部分はきっと、気の流れを提供してくれた人物の心に影響されやすいのだ。でもふつうの状態なら、その人物が泣いても怒っても笑っても、それが『防壁』自体に与える影響など微々たるものだ。ほとんど心配するにはあたらない。でもさっきのウィローは違っていた。全身全霊をかけてイシュトラを憎んでいたのだ。どんなに堅固な『防壁』を築いても、それが私の力を完全に押さえ込んでくれるわけじゃない。誰かが心に抱いた強い感情は、今までよりもずっと強く私の心に響く。ましてそれが『防壁』の一部を形作るのと同じ気を持つ感情だったら・・・。
 
 布地から糸を引き抜くように、ウィローの憎しみは自分と同じ気を発する織り糸を飲み込んでいった。このままではいけない。私自身が誰にも頼らずに100%の確率で『防壁』を作ることが出来るようにならなければ・・・。
 だがまずはウィローの問題だ。ウィローは自分の心の中にわき上がったどす黒い感情をもてあましている。今のままではウィロー自身がその闇に飲み込まれてしまうかも知れない。でも私が何を言ってやれるのだろう。父の死は未だに私の心に影を落としている。父の死が自然死であったとは信じていない。でもだからといって、誰かが父を殺したと考えたことは一度もない。でもウィローの父親は殺されたのだ。推測でも何でもなく、これは事実だ。そしてあの男はデールさんだけでなくウィローも侮辱した。同じ立場なら、間違いなく私も同じ感情を持つだろう。
 
「大丈夫なのか?」
 
 顔を出したのは剣士団長だった。その顔は真っ青で、さっきよりも何年分も老け込んで見えた。私が眠っていた間にカインとウィローから一通りのことは聞いたらしい。いつも威厳があって、背筋を伸ばして颯爽としている団長の姿しか見たことがなかった私は、これほどまでに打ちひしがれているその姿を見て胸が痛んだ。
 
「大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません。」
 
 団長はほっとした表情を見せ、仮眠室の中に入ってきた。壁に寄りかかり、腕を組んで大きなため息をついた。
 
「そんなことは気にするな。お前達が無事だったのが何よりだ・・・。」
 
 団長はそう言うと、視線を私からウィローに移した。
 
「・・・ウィローだったな。デールさんの娘さんがこんなに立派に成長していたとは・・・。あれから20年近くになるのだから当たり前か・・・。ウィロー、カインとクロービスがずいぶんと世話になったな。ありがとう。」
 
 剣士団長に頭を下げられ、ウィローは驚いて自分も頭を下げた。
 
「パーシバル様、どうか顔をあげてください。助けられたのは私の方です。カインとクロービスがいなかったら、私はここにたどり着けていませんでした・・・。父に会うことも・・・。」
 
 ウィローは言葉を詰まらせた。ウィローの放つ憎しみが暗さを増したような気がした。剣士団長は顔をあげてふっと微笑んだ。久しぶりに見る、あの柔らかな微笑みだった。
 
「それにしても、クロービスと二人でイシュトラのところに乗り込んだとは・・・すごい度胸だ。たいしたものだな。」
 
 剣士団長に言われ、ウィローは赤くなって下を向いた。
 
「いえ・・・。あの、クロービスが一緒だったから・・・。」
 
 消え入りそうな声で答えるウィローを見て、団長はその視線をそのまま私に移すと、少しだけにやりとした。が、すぐにその笑みは消え、また苦悩の表情が戻った。
 
「しかし・・・・信じられぬ。だが王宮に来ていた王女直属の密偵が偽りの報告をしたとすると、すべての辻褄が合う。そして、フロリア様が、剣士団の投入を会議であれだけ拒んだ理由も・・。し、しかし、そんな・・・そんなばかなことが・・・!」
 
 剣士団長は不吉な仮説を振り払うかのように、頭を思いきり横に振ると考え込んだ。隣ではカインも青ざめている。
 
「きっと何かの間違いです・・・。あのイシュトラという男が勝手にやったことに決まっています!そうだ、フロリア様が黒幕であるわけがない・・・。そんなことが・・・あるはずが・・・。」
 
 カインの最後の言葉は小さくなり、語尾は消え入るようだった。単なる憶測ではなく、はっきりとイシュトラの口から出た言葉・・・。
 
『フロリア様の力で王国は滅びる』
 
 だが・・・どういうことなのだろう。国というものは、積み木やパズルのように一度壊しても簡単に作り直せるようなものではない。でもあの男が言っていたのはまさにそういうことだ。そしてそれを本気で信じているようだった。だいたいフロリア様は一体何のために国を滅ぼしたいのだろう。
 
「話し中すまないが・・・。」
 
 その声に顔をあげると、さっき下の階にいた鉱夫が仮眠室の入り口に立っていた。
 
「あなたも無事だったんですね。」
 
「ああ、あんたらのおかげだ。やっと解放されるんだ・・・。これまでも何度か反乱を試みた者達がいたけど、所詮武器を持たない鉱夫に勝ち目はない、皆殺されたんだ・・。あんた細っこいし、女連れだし、こんなナヨナヨしたやつに何が出来るもんかと思ってたけど、すごいよな。ありがとう。それだけ言いたかったんだ。じゃまして悪かったな。ゆっくり休んでくれよ。」
 
 鉱夫は晴れやかな顔で言うと、部屋から出ていった。
 
「ナヨナヨしたやさおとこってわけか・・・。」
 
 カインが少しだけ笑った。
 
「私もそんな風に見えるのかな・・・。」
 
「かも知れないな。帰ったらライザーさんに教えてやろう。」
 
 カインはくすくすと笑っている。
 
「そんなこと言わないでよ。恥ずかしいじゃないか。」
 
 カインはまた笑い出した。カインの顔に笑顔が戻ったことが嬉しかった。
 
「それよりカイン、君がここを出てからのことを教えてよ。」
 
「ああ、そうだな。お前達と別れてから、俺は北部山脈の中を抜けていったんだ・・・。」
 
 そう言ってカインは、私達と別れてからのことを話してくれた。









 
 俺はハース渓谷を抜けると、北部山脈を突っ切って3日ほどでロコの橋まで辿り着いた。ここまでは順調だった。休憩所に一晩泊まり次の日の明け方に橋を渡って、灯台守に事の次第を説明して馬を借りられるように頼んだんだ。
 
「そう言う事情なら馬はいつでも貸せるが・・・君は乗馬の心得があるのか?」
 
 灯台守の問いに俺は首を振った。
 
「でも何とかなると思います。乗りながら憶えれば・・・。」
 
 今度は灯台守があきれたように首を振った。
 
「乗りながら憶えられるような余裕があるとは思えんな。おい、王宮まで誰かこの剣士を乗せていってやってくれ。」
 
 灯台守の声に応えて、宿舎で休んでいた別の灯台守を誰かが連れてきてくれた。
 
「私が行こう。私なら王宮まで3日もあればたどり着ける。」
 
「ガゼルか。よし、君なら3日もかからんだろう。」
 
「あ、あの、これは俺の任務ですから、灯台守の方に手伝っていただくわけには・・・」
 
 俺はあわてて口を挟んだ。灯台守に手を貸してもらうわけにはいかないと思ったんだ。
 
「馬鹿者!」
 
 俺が言い終わる前に、灯台守の一人に怒鳴りつけられた。びっくりしたよ。
 
「君の報告がどれほど重要なものかわかっているのか!誰の任務かなど重要ではない。大事なのは、その報告を一刻も早く王宮に届けなければならないと言うことだ!」
 
「す・・・すみません・・・。お願いします。」
 
「さあ行くぞ。本来なら一晩くらい泊めてやりたいが、そうもいくまい。クロンファンラで一泊できれば十分だろう。」
 
 見るとガゼルさんという灯台守は、すでに旅支度を調えて待っていてくれた。素早い行動に俺は驚いたよ。さすがレイナック殿の直属なだけある。
 
 外に出ると、伝令用の馬はもう待機していた。ガゼルさんは馬の首をなで、
 
「よしよし・・・これからお前にはクロンファンラまで飛ばしてもらわなければならん。」
 
そう声をかけた。馬はガゼルさんに頬を寄せている。何となくうれしそうだ。それを見て俺は自分の甘さを思い知ったんだ。馬だって生きてるんだから、乗り方も知りないやつにいきなり乗られてせかされたって、ちゃんと走ってくれるかどうかなんてわからないよな。
 
「さあ行くぞ。君は私の腰にしっかりしがみついていろ。全速力で飛ばすぞ。」
 
 情けないことに、俺は馬の背に乗るにもガゼルさんの手を借りなければならなかった。やっとの事で馬の背によじ登って、俺はガゼルさんの腰にしっかりとつかまった。
 
 馬は最初はゆっくり、やがてぐんぐん速さを増していった。振り落とされないようにしがみついているのが精一杯だった。クロンファンラについたのは翌日の真夜中だった。それまでガゼルさんも馬も、ほとんど休まず走り続けてくれた。クロンファンラで一晩泊まって、翌日からまた王宮に向かって走り続けた。伝令用の馬は確かに速く、モンスター達が追いかけてきても構わず走り抜ける。ほとんど手間取ることがなく、俺はお前と別れてから6日目の朝には王宮に戻ることが出来たんだ。ガゼルさんは厩で馬を休ませて、明日の朝にはここを出てまたロコの灯台に戻ると言っていた。別れる時に『がんばれよ』って俺の肩を叩いてくれたんだ。うれしかったよ。灯台の人達の行為を無駄にしないためにも、必ず剣士団のみんなと一緒にお前のところに戻ろうと思っていたんだ・・・。
 
 ロビーに入るとパティがいて、涙を浮かべて再会を喜んでくれた。
 
「カイン!!戻ってきたのね!よかった・・・。」
 
「とりあえず、だけどな。すぐにフロリア様にお会いしたいんだ。またあとでな。」
 
 俺はそう言って執政館に向かおうとした。パティはハッとしたように俺の腕をつかんで引き留めたんだ。
 
「待ってカイン、あなた一人なの!?クロービスは?クロービスはどうしたの!?」
 
 パティは真っ青だった。とにかくお前の無事だけは伝えようと思った。
 
「クロービスは元気だよ。俺達がハース城に向かうために、カナの村に住んでいるハース城の統括者の娘さんが同行してくれたんだ。その人を護衛しなくちゃならないから、クロービスはあっちに残ったんだよ。向こうにもっと王国剣士がいれば何とでもなるんだが、俺達だけしかいないんだから、仕方なかったんだ。」
 
「そう・・・よかったわ、二人とも無事で。・・・今、御前会議が開かれているの。フロリア様は会議室よ。」
 
「御前会議?ちょうどよかった。大臣方が全員いてくれるなら、手間が省けるよ。」
 
「今朝急に招集されたのよ。実はあなた達の前に極秘にハースを調べに行っていた密偵がいたみたいなの。今、その人が戻ってきたんだけど、大変なことが起きたらしいわ。」
 
「密偵・・・?」
 
「ええ。」
 
「どういうことだ・・・?あっちの様子がわからないって言うから俺達は向こうに行ったんだぞ?」
 
「そうよね・・・。私も詳しいことはわからないんだけど・・・。」
 
 パティも首を傾げている。御前会議のメンバーはほとんど全員が独自で密偵を雇っている。フロリア様だって例外じゃない。でも、それなら何で俺達が南大陸に行くことになった時に、その話が出なかったのか・・・。何となく妙な感じはしたけど、その密偵が俺達の行動まで知っているとは思えなかったから、とにかくすぐにでも御前会議に出なくちゃと思ったんだ。
 
 執政館の入り口に立っていた先輩に挨拶をして、俺は会議室へ向かった。会議室の前で警備をしていたのは、カーナとステラだった。二人とも、俺を見て涙ぐんでいたよ。ここでもお前の消息を聞かれて、パティにしたのと同じ説明を繰り返して聞かせた。
 二人に会議室の扉を開けてもらって中に入った。剣士団長とレイナック殿が俺を見て満面の笑みで出迎えてくれた時はうれしかった。またここでも、お前のことを聞かれたけどな。お前が俺の隣にいなかったから二人とも青ざめていた。パティやカーナ達にしたのと同じ説明を繰り返して、二人ともやっと安心したようだった。多分この先会う人ごとに聞かれるんだろうとは思ったけど、みんな俺達のことを心配してくれているんだし、何度でも同じ説明をするつもりだったんだ。
 
「なるほどな・・。それでは非常事態だ。単独での行動もやむを得まい。さあ、カイン、席につくがよい。会議に加わってもらおうではないか。」
 
 レイナック殿は笑顔で俺を席に促してくれた。
 
「カイン、よく戻った。二人とも無事で何よりだ。」
 
 剣士団長も心からほっとしたように出迎えてくれた。席につこうかと思ったけど、その前にどうしてもフロリア様に聞いておきたいことがあった俺は、無礼を承知でフロリア様の前に進み出たんだ。
 
「フロリア様、無礼をお許しください。報告の前に一つだけお聞きしたいことがあります。」
 
「こ、これ!誰もお前の発言など許しておらぬぞ。さっさと席に着くがよい!」
 
 小さな声で、俺の後ろから忌々しそうに声をかけたのが誰なのかなんて俺は気にしなかった。許すも許さないもあるか。これほど大変な時に。
 
「そなたこそ黙らっしゃい!カルディナ卿、この者は命がけで南大陸へと出向き、今報告を持って必死で戻ってきた者ですぞ!さあカイン、話を続けるがよい。」
 
 レイナック殿が取りなしてくれて、カルディナ卿とやらは押し黙ったよ。名前は聞いたことがある。政治手腕はそれなりだが権力欲の強い俗物だって誰かが言っていたやつだよな。
 
「では続けます。フロリア様、ナイト輝石を原石から精錬する際に、廃液が出るはずです。その廃液は、ハース城でどのように処理されているのですか?」
 
 切り口上で俺は一気に話した。あの小川を流れていた黒い水・・・。あれはナイト輝石の廃液に間違いない・・・。会議室の空気が一瞬凍りついたように感じた。その中で、フロリア様だけがいつものように落ち着き払って俺をじっと見つめていた。

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