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「父さん・・・3年前に真っ先にナイト輝石の廃液を止めようとしていたのね・・・。ねぇ、クロービス、やっぱり私が言ったとおり、父さんって優しい人だったでしょう・・・?」
 
「そうだね。君の言ったとおりだったよ。」
 
 ウィローの心の痛みがそのまま私の心に伝わる。防壁が崩れるかも知れないと、今だけは考えないことにした。どれほどの悲しみが流れ込んでこようと、一つ残らず受け止めてあげよう、このときの私はそう心に決めていた。
 
「私ね、いつだったか忘れたけど、子供の頃にそうやって決めたの。周りの人が何と言おうと、私は父さんを信じていようって・・。・・ほら、子供の頃によくあるじゃない・・。何一つ根拠はないんだけど、子供心にそうやって決めて思い込んじゃうの。みんながなんて言っていても、私は、ずっとずっと信じてたわ。父さんはとても優しい人なんだって。人々のために一生懸命仕事をしているんだって。」
 
 そこまで言うと、ウィローは父親の死体に向き直った。
 
「父さん、ウィローはこんなに大きくなったのよ・・・。こうやって父さんに会いに来たのよ・・。この人がね・・・連れてきてくれたの。私のわがままにつきあってくれて、ここまで私のことを、ずっと守りながら連れてきてくれたの。」
 
 ウィローが、泣くまいと必死にこらえているのが解った。唇を血が滲みそうなほどに噛みしめ、私の背中に回された手が小刻みに震えている。その姿があまりにも痛々しくて、私は鎧の胸当てを外すと、ウィローを抱き寄せた。
 
「ク・・クロービス・・!?」
 
 突然の私の行動に、さすがにウィローは戸惑っている。が、私は構わず自分の胸にウィローの顔を埋めると背中に腕を回し、しっかりと抱きしめた。
 
「無理しなくていいんだよ・・・泣いても・・・。涙を見せることが弱いってことにはならないよ。泣きたい時は泣くほうがいい。鎧の上じゃ痛いだろうから、しばらくこうしているよ。」
 
 ウィローは私の胸に顔を埋めたまま、ちいさな声でつぶやいた。
 
「父さんに会いたかったの・・・。」
 
「うん・・・。」
 
「会っていろんなこと話したかったの・・・。」
 
「うん・・・。」
 
「そして・・・こんな風に・・・抱きしめて・・・『ウィロー、よく来たね』って・・・それから・・・」
 
 言葉を詰まらせ、そのままウィローは声を立てずに泣き出した。
 
−−父さん・・・!−−
 
 ウィローの心の叫びが、直接頭の奥に響いてくる。
 
−−父さん・・・!父さん・・・・!−−
 
 19年間焦がれ続けた父親との悲しすぎる対面・・・。なにひとつかけてやれる言葉が見つからず、ただウィローが落ち着くまで抱きしめていてやることしか出来なかった。父が亡くなった時、私はイノージェンと抱き合って思いきり泣いた。あの時そばにいて抱きしめてくれる人がいたことが、どれほど心の支えになったことか。今ウィローに何を言っても何の慰めにもならない。それならばただ黙って落ち着くまでこうしていてあげよう・・・。
 
 しばらくして、ウィローの肩の震えがとまった。
 
「クロービス・・・。」
 
「・・・ん・・・?」
 
「ありがとう・・・。」
 
「・・・・・・・・。」
 
 私は返事の代わりにウィローの背中を優しく叩いた。ウィローは大きく深呼吸するとそっと私から体を離し、顔をあげた。それと同時に、私の心の奥にずっと響いていた「父さん、父さん・・・」という声が、ぴたりとやんだ。泣き腫らしたままの赤い瞳が私に向かって微笑んでいる。
 
「もう・・・大丈夫よ。なんとか・・・落ち着いたわ・・・。私はもう泣かない。父さんの遺志を継いで、ナイト輝石の廃液を止めるわ・・・。」
 
 決意に満ちた声・・・。デールさんが殺されていたとわかった今、本来ならば私は来た道を引き返さなければならない。そして剣士団のみんなが到着するのを待って報告をする。それが私の本来の任務だ。だが・・・カインが王宮へと報告に戻ってからずっと、フロリア様が剣士団の派遣を許可してくださるとは、私にはどうしても思えなかった。それはぼんやりとした勘ではなく、確信に近いものだった。そしてウィローは、きっとここでもおとなしく引き返してはくれないだろうし、私はウィローをこんなところに放り出して行く気はない。となれば答えは一つだ。
 
 私を見つめるウィローの瞳に不安がよぎる。
 
「クロービス、あなたは・・・」
 
 言いかけてそのまま黙り込んだ。
 
「君と一緒に行くよ。」
 
 間髪を入れず答えた私に、ウィローはほっとしたように笑顔を見せた。
 
「本当に・・・?一緒に来てくれるの・・・・?」
 
「行くよ。ここに来る前に約束したじゃないか。どんなことがあっても、君のことを必ず守るって。一緒に行こう。あんな危険な廃液を、これ以上垂れ流しにしておけないよ。」
 
「ありがとう・・・。」
 
 ウィローの瞳に涙が溢れ、頬を流れていく。
 
「やだ・・・もう泣かないって決めたのに・・・。」
 
 ウィローはあわてて袖で顔をぬぐうと、少し心配そうに私を見上げた。
 
「ねえ、クロービス。」
 
「なに?」
 
「私さっきから・・・すごく悲しくて泣いたりしたけど・・・あなたの・・・あの『防壁』は・・・?大丈夫?私たぶん、あなたに向かって悲しい気持ちを全部ぶつけちゃったかも知れないわ・・・。」
 
 こんな時にそんなこと、心配しなくてもいいのに・・・。不思議なことに、あれほど強い感情をまともに受け止めたはずなのに、防壁が崩れたような感覚がない。多少揺らいでいる程度だ。だが油断は出来ない。今のうちに作り直しておけるならばそれに越したことはない。でもウィローは大丈夫なのだろうか。こんな時にいつもの通りに精神統一が出来るだろうか。不安ではあったが、せっかくの申し出を断る気にはなれなかった。きっとウィローは私に気を遣われるほうがいやなんじゃないか、何となくそんな気がしたからだ。
 
「・・・そうだね・・・今のうちに手伝ってもらおうかな・・・。」
 
 うまくいかなければ、ウィローに休んでいてもらって私一人で作ればいいことだ。
 
「それじゃ、始めましょう。」
 
 いつもと同じように、ウィローが手を差し出し、私はその上に集まった気の流れをつかもうとした。なのにその流れはいつもとは違って大きな流れにならず、つかもうとしたとたんにパッとはじけて消えてしまった。やはりうまくいかないらしい。
 
「ご・・・ごめんなさい・・・。」
 
 ウィローも自分の気の流れをうまくあやつれずに、戸惑っている。
 
「いいよ、無理しなくても。いつでも君に手伝ってもらえると思っていれば、一人で作ってもうまくいくと思うから。」
 
「いいえ、大丈夫よ。少しだけ待ってて。」
 
 ウィローは私に背を向けると、深呼吸し始めた。このフロアの中にはずっと異臭が立ちこめている。この場所は部屋の隅っこだからそれほどひどくはないが、それでもずっといると頭痛がしてきそうだ。それにもかまわず、ウィローは何度か深呼吸すると、小さな声で『よし!』とかけ声をかけて私に向き直った。
 
「ごめんなさい。もう大丈夫よ。もう一度だけ試してみて。それでだめなら私は少し休むから。」
 
「わかった。それじゃ始めようか。」
 
 ウィローはもう一度手を差し出した。その上に集まった気の流れは今度は大きくまとまっていて、最初の時と同じようにするりと私の中に入り込んでくる。こうなればもう大丈夫だ。すぐに堅固な『防壁』が出来あがった。
 
「ありがとう。もう大丈夫だよ。」
 
「よかった。」
 
 ウィローはうれしそうに私を見ていたが、ふと視線をはずし、私の隣に置かれたままのデールさんの手紙を拾い上げた。
 
「ねぇ、行く前に父さんの手紙、もう一度読んでいいかな?もしかしたら、何か重要な手掛かりがあるかもしれないわ。」
 
「そうだね。もう一度最初から、丹念に読んでみよう。」
 
 私達はあらためて手紙を開き、最初の文から順に注意深く読んでいった。
 
「この文面を読む限り・・・父さんはナイト輝石が本格的に生産されはじめてすぐに、廃液の危険性を知ったみたいよね・・・。そしてそのことを王宮に伝えた・・・。なのに王宮からは、ナイト輝石の生産を続けるようにとの命令が来ただけ・・・。この命令を出した人は・・・いったい誰だったのかしら・・・?」
 
 王宮でそんな命令を出すことの出来る人物・・・。それが一人しかいないことは私には解っていた。だが・・・推測だけで口に出せるような名前ではない・・・。
 
「君の父さんは・・・王宮からの命令に背いた時点で、命を狙われていたんだね・・・。だからこの手紙はその時に書いておいて身につけていたんだろうな。」
 
「それは・・・いつ殺されてもいいようにって・・・こと・・・?」
 
 ウィローが青ざめたのが、ランプの光の中でもはっきりとわかった。
 
「・・・たぶんね・・・。この手紙は、途中まではちゃんとインクとペンを使って普通に書かれているよね。そしてこの文『私はいずれ殺されるだろう。』これは自分が殺された時のための遺書のようなものとして書いて置いたんじゃないかと思うよ・・・。」
 
「そうね・・・。この『16年前のあの日』っていうのは・・・何のことなのかしら。これが書かれたのが3年前だから、今からだと19年前・・・。父さんがここに来た年よ。その頃・・・何があったのかしら・・・。『家族を捨て、そして鉱夫達に人格を疑われてまでも、厳しく鉱山を管理する理由があった。』って・・・父さん・・いったい何があったの?何で父さんがここまでしなければならなかったの!?」
 
 ウィローが悲しみに満ちた目を父親の死体に向けた。
 
「ここからは・・・もしかしたら亡くなる間際に書いたのかな・・・。文字がかなり乱れているし、インクじゃなくて鉛筆みたいなものを使って書いたんだね・・・。ここで書いたのならその鉛筆がこの辺に転がっていてもいいんだけど・・・後から別な死体を放り込んだ連中に踏みつぶされちゃったのかな・・・。『これを読む者、願わくば私の遺志を受け継ぎ、ナイト輝石の廃液を止めるよう尽力をお願いしたい。』いまわの際まで、君の父さんは鉱山のことを心配していたんだね・・・。」
 
「父さんにとっては・・・きっと自分の命よりも・・・大事なことだったのよ・・・。父さんを殺したのは王宮から派遣された人物・・・。その人が・・・おそらく父さんのいないあとのハース城を束ねているんだわ。王宮の名の元で。そして今まで、あたかも父さんがいるかのように振る舞い、廃液を流し続けていたわけね!」
 
 ウィローが唇をかみしめた。悔しさと怒りがひしひしと伝わってくる。
 
「そうだね・・・。そして君の父さんが反逆者であるかのように見せかけていたんだ。」
 
「でも・・・何のためなのかしら・・・。それに王宮に潜んでいる邪悪って・・・。父さんにはわかっていたんだわ。王宮に潜む真の黒幕が誰なのか・・・。でも・・・書くことが出来なかった・・・。」
 
 デールさんが先ほどの私と同じ事を考えたのだとしたら、とてもここに書くことなど出来なかっただろう。
 
「・・・そろそろ行こう。この上はおそらく精錬工場に続いている。君の父さんを殺した張本人がいるかも知れないよ・・・。」
 
 その黒幕についてウィローにつっこんだ質問をされないうちにと、私は話題を変えた。それに、どの道いつまでもここにいるわけにはいかない。この下の階ほどにはここは安全であるとは思えなかった。いつ何時、あの門番のような衛兵が死体を運んでくるか知れやしない。
 
「そうね・・・。行きましょう。」
 
 私は立ち上がり、あらためて鎧を装備し直した。ウィローが私を見上げて微笑んでいる。
 
「こんな形だったけど・・でも父さんに会えて、よかったと思ってるわ。ここまでつれて来てくれて本当にありがとう。」
 
 私は先ほど手紙の中に入っていた指輪を取り出した。
 
「これは、君の父さんが最後に君に渡そうと思っていた指輪だから、君がはめているといいよ。」
 
 私はウィローに指輪を手渡そうとしたが、ウィローは私に向かって左手を出して見せた。
 
「それじゃ、あなたがはめて。」
 
「わかった。どの指がいいの?」
 
「えーとね・・・。薬指がいいな・・・。」
 
「薬指?」
 
「そう、薬指よ。」
 
 まだ目は赤かったが、きっと父親からの贈り物がうれしいんだろう、ウィローはにこにこしている。
 
「でもこれは君の父さんから贈られた指輪だよ。」
 
 言いながら、私もウィローの笑顔につられて微笑んでいた。
 
「いいのよ。はめてくれるのはあなただもの。」
 
「・・・え・・・?」
 
 思わず聞き返したが、ウィローはうつむいたままだ。ランプの明かりだけでは、どんな表情をしているのかよく見えない。私は差し出されたままのウィローの左手を取り、指輪を薬指にはめた。まるであつらえたようにぴったりと、その指輪はウィローの指におさまった。
 
「ありがとう。・・・ねぇ、これ何の石なのかしら。きれいな色・・・。白いんだけど白だけじゃないような・・・不思議な色をしているわ・・・。」
 
 ウィローはランプに手をかざして、不思議そうに指輪を見つめている。私はカナの村で吟遊詩人から聞いた『ハース聖石』のことを思いだしていた。
 
「もしかしたら・・・これがハース聖石なのかな。」
 
「ハース聖石?」
 
「そう。カナで吟遊詩人に聞いたんだ。ハース鉱山で少しだけしか取れない石らしいよ。最も愛する人に贈る石だって言ってたよ。君は聞いたことない?」
 
「そういう石があるって聞いたことはあるけど・・・でもこれがその石なのかしら・・・。最も愛する人に贈る石を・・・父さんが・・・私に・・・・。でも・・・それじゃ母さんは・・・。母さんのことは・・・父さんはどう思っていたのかしら・・・。」
 
 私は先ほどの手紙を取り出してみた。最後のほうにウィローのことが書かれているが、そのさらに後にある読めない文・・・。もしかしたらここにウィローの母さんのことが書かれていたのかも知れない。
 
「そっか・・・。ここでは薄暗くて読めないわね・・・。カナに戻ったら、母さんにこの手紙を見せるわ。この指輪はもしかしたら、母さんこそが持つのにふさわしいかも知れない・・・。だって、19年間も私を育てながら父さんの帰りを待っていたのよ。それほど愛していたのに・・・父さんが母さんを何とも思っていなかったなんて、そんなことあり得ないわ。」
 
「そうだね。そんなはずはないよ、きっと。とにかくこの手紙は大事にしまっておこう。そして・・・必ず廃液の流れを止めて、カナに帰ろう。」
 
「そうね。私は必ず父さんの遺志を継ぐわ。何としても廃液を止めてみせる。」
 
 そう言って私を見上げるウィローの肩を抱き寄せ、しっかりと抱きしめた。今度はウィローは驚いた風もなく、私の背中に腕を回している。その耳元に私は小さな声でささやいた。
 
「ウィロー、この上に上がれば多分戦闘になるよ。絶対に、私のそばを離れないようにね。」
 
「大丈夫よ。私は・・・どこまでもあなたについて行くわ。」
 
 手紙を荷物の奥にしまい込み、お互いの装備を確認しあって、私は扉を開けた。
 
 そこには階段が続いていた。この上はおそらく精錬場。衛兵もいるだろう。たぶんあの門番のような横柄なやつが。
 
(説得は出来そうにないな・・・。)
 
 出来るだけ時間をかけずに相手を気絶させる方法を考えながら、ゆっくりと階段を登った。
 
 上の階につくと思った通り、まっすぐのびた通路の奥に、大きな扉を背にして黒い鎧の衛兵が立っている。あの扉の先が精錬工場か・・・。
 
(隠れる場所もないわね・・・。)
 
 ウィローが小声でささやく。
 
(この際だから、堂々と大手を振って行ってみようか・・・。どうせ戦わなくちゃならないだろうし・・・。)
 
 ウィローはにっと笑い、うなずいた。いたずらっぽい光が瞳をよぎる。私達は隠れようともせずに、まっすぐに通路を歩いていった。相手にしてみれば、まったく無防備に近づいてくる私達に驚いたのだろう。最初ぽかんとしていたようだったが、ハッとして剣を抜き、前を歩いていた私の前に立ちはだかった。
 
「貴様ら、何者だ!?ま、まさか鉱山からの地下道を通って、ここまで来たというのか!?」
 
「その通りだよ。私は王国剣士だ。そこをどいてもらおうか。」
 
「王国剣士だと!?ふん!今さら我々が王国剣士などにおとなしく頭を下げると思っているのか!?すぐに片づけてやるぜ!!」
 
 言うなり衛兵は斬りかかってきた。確かになかなかの腕だが、これならハリーさんやキャラハンさんのほうがよっぽど強い。一人を相手に二人は卑怯かなとも思ったが、今はそんなことは構っていられない。ウィローの鉄扇の一撃でバランスを崩した衛兵の剣をたたき落とすと、すぐさまヘルメットの上から、後頭部を思いきり剣の柄で殴った。ヘルメットに震動が伝わり、衛兵は昏倒した。私は剣を拾うと、さっき昇ってきたばかりの階段の隅に向かって放った。鎧を外して近くに置いてあった樽の山の中に体を投げ込む。いささか乱暴ではあるが仕方ない。それでも衛兵は気づかない。死んでいないことは確かだから、そのうち目を覚ますだろう。
 
「死んで・・・いないよね・・・。」
 
「大丈夫だよ。殺したりしないよ。」
 
「そうよね・・・。ここは・・・精錬工場の中なのね・・・。」
 
「らしいね。」
 
「ここを・・・3年前まで父さんが束ねていたのね・・・。昔母さんに聞いたんだけど、19年前、父さんは突然大臣を辞めて、ハース鉱山で働くって言いだしたらしいの・・・。その頃私はまだ小さかったから、父さんと母さんがどんな話をしていたのかまでは解らないけど・・。でも、父さんが、なんだかものすごく悩んでいたように見えたことだけ、何となく憶えているわ。」
 
「きっとすごく悩んだんだろうね・・・。」
 
「そうね・・・。そして・・・ここに来ることを選んだのよね・・・。」
 
 私達は衛兵のいた入口から中に入った。鉱夫らしき男が一人だけいる。このフロアは荷物置き場になっているらしい。ここの管理をしているのだろうか。近づいて声をかける前に、鉱夫が私達に気づいた。
 
「あ、あ、あんたらいったい誰だ!?どうやってここまで来たんだ・・・!?」
 
 明らかに怯えている。
 
「待ってください。私達は敵ではありません。私達は、このハース城から流れるナイト輝石の廃液を止めるために、鉱山を通ってここまで来たんです。」
 
「な、なんだとぉ!?まさか・・あんたら、あの地下道を通って来たのか・・!!?」
 
「そうです。」
 
「だ、だが・・・ここに来るための通路の前には衛兵がいたはずだぞ!あの衛兵が通してくれたやつなんて信用出来るか!!」
 
「ああ、あの衛兵なら・・・樽の山の中で眠ってもらっています。」
 
 私はそういって入口を指さしてみせた。
 
「眠ってもらってるって・・・。ということは・・・あんたらあの衛兵を倒したのか!?」
 
「ええ、そうよ。だからお願い。私達を信じて。ここは・・・ハース城は一体今どうなっているの!?」
 
 鉱夫はしばらく呆然としていたが、やがてごくりと生唾を飲み込むように喉を鳴らすと、辺りを窺うようにちいさな声で話し始めた。
 
「今・・この城は、イシュトラという男に支配されている。前の責任者だったデールさんが行方不明になってからのことだ。そしてイシュトラは、俺達にナイト輝石の廃液を流し続けることを強要したんだ・・・。」
 
「イシュトラ・・・。その男は・・・どこからやって来たんですか!?」
 
「それが・・・どうやら、王宮から派遣されてきたらしい。」
 
「お、王宮から!?」
 
「しっ!!大きな声を出すな!とにかく・・・上に行って鉱夫達に混ざるんだ。衛兵どもは顔まで把握しているわけではないから、おとなしくしていれば見つからないだろう・・・。あんたらが来たところで、もうどうにもならないんだ。もう俺達は・・・あんたらのような勇気を失ってしまってるんだ・・・。さあ、早く行ってくれ!!」
 
 私達は階段に向かった。王宮から派遣された男が・・・ナイト輝石の廃液を流すことを強要している・・・。その男は本当に王宮から来ているのか・・・。フロリア様の命を受けているのか・・・。だとしたら一体なぜフロリア様はそんなことをされるのだろう・・・。
 
 
 階段を上がると、またここにも衛兵がいる。だが今度は私達のことを鉱夫だとでも思っているのか、それほど注意を払おうとはしない。ウィローはローブのフードを目深にかぶり、髪の毛を隠している。女性としては背の高いほうであるウィローを、衛兵達はまさか女だとは思わずにいるらしい。ばれたら大変なことになる。私は剣士団のマントは着ていたが、長い間着続けていたので、かなり薄汚れていた。マントに隠れて制服は見えない。どこに行けばいいのか一瞬迷ってしまった私達を衛兵は見咎め、怒鳴りつけた。
 
「おい、そこの鉱夫二人!!さっさと持ち場に戻れ!!」
 
 衛兵はそう言うと、通路の先を指さした。私達は慌ててそちらに向かって走っていった。マントの上から腰の剣を押さえて、音がしないように気をつけながら、私達は鉱夫の中に紛れ込んだ。鉱夫達の前では、大きな機械が音をたてて動き続けている。中を流れている黒い液体は・・・間違いなくナイト輝石の廃液だった。これが精錬のための機械なのか・・・。そしてあの水はそのまま、私達が通ってきた地下の貯水槽に集められ、あの小川の水に混ざり、ハース城の隣にある湖に流れ込み・・・やがて海に出る・・・。私は背筋がぞくりとした。あの地下通路で、私達はこの廃液の匂いをかいだだけで毒に侵されてしまった。ここにいる鉱夫達は皆分厚いマスクをしているが、それでも少しずつこの臭気は体内に入り込む・・・。さっきの地下室にうち捨てられていた、たくさんの死体は、ここで死んだ鉱夫達のものだったのか・・・。あの場所は、死体置き場として使われていたのだろう。だからあの上の階にいた衛兵は、私達を見てあれほど驚いたのか・・・。私は隣にいる鉱夫に声をかけた。
 
「あの・・・。」
 
 鉱夫はギロリと私を睨むと、
 
「何だ!仕事中に口をきくと、衛兵にぶん殴られるぞ!」
 
ちいさな声でそう言ったが、私の隣にいるウィローを見て顔色を変えた。
 
「ウィロー・・!?カナの村のウィローじゃないか!」
 
 ウィローはぎょっとして顔をあげた。
 
「テロスおじさん!」
 
 テロスおじさん・・・?テロスさんと言えば、イアンのお父さんだ。
 
「無事だったのね!クロービス、テロスおじさんよ!イアンのお父さんよ!」
 
 ウィローがテロスさんの隣に駆け寄った。
 
「お前・・・どうやってここまで・・・。」
 
 テロスさんはウィローを呆然と、でも懐かしそうに見つめている。
 
「わたし、父さんに会いたくて・・・この人に無理を言って連れてきてもらったの。」
 
「あんたは・・・?」
 
 テロスさんは私を胡散臭そうに見上げた。
 
「私は、王国剣士です。ハース鉱山と北大陸との連絡が途絶えたことの原因を調査するために、王宮から派遣されてきたんです。テロスさん、ここでは一体何が起こっているんですか?」
 
「王国剣士か・・・。だが今さら何の調査だ!?だいたいここを支配しているイシュトラだって王宮から派遣されてきておるのだ。連絡が途絶えたのなら、イシュトラに聞きに行けばいいだろうが!」
 
 テロスさんは吐き捨てるようにそう言うと、もう一度私を睨んでみせた。
 
「テロスおじさん、お願い。そんな風に言わないで。そのイシュトラという人と、この人とは関係ないのよ。私達は、ナイト輝石の廃液を何とかして止めるためにここまで来たのよ。だから教えて。ここで今、何が起こっているの!?」
 
 テロスさんはウィローの言葉にしばらく考え込んでいたが、ため息をつくと、少しずつ話し出した。
 
「・・・わしだって半年前にここに来たばかりだ。それも鉄鉱石を買いに来ただけだったんじゃ。門番の奴にいきなり中に連れ込まれ、無理やりここで働かされるはめになっちまった。わしがここに来たばかりの頃に隣にいた鉱夫に聞いた話だがな、イシュトラは、デールさんが行方不明になった後、王宮から派遣されてきたそうだ。奴は鉱夫達に、ナイト輝石の廃液を地下水として流し続けることを強要したそうだ。逆らえば殺すと脅され、武器も持たない鉱夫達には為す術がなかったのだ・・・。」
 
「テロスおじさん・・・父さんは・・もう・・。」
 
 ウィローが涙をこらえてテロスさんを見つめる。その瞳を見て、テロスさんはデールさんの身に何が起こったのか悟ったらしい。
 
「そうか・・やはりデールさんは殺されて・・・。そうか・・・。」
 
 テロスさんの瞳から涙が落ちる。この人はもしかしたら、カナの村長と同じように、デールさんが本当はどんな人だったのか解っていたのかも知れない。
 
「ウィロー・・・すまん・・・。もうイシュトラの支配をはね返す力はわしらには残っておらんのだ・・。デールさんには申し訳ないが・・・わしらには・・もうイシュトラの支配に・・・刃向かうだけの力は・・・ないんだ・・。」
 
 テロスさんは悔しそうに唇を噛みしめると、また仕事に戻った。その心の中には、悔しさと悲しみと、自分自身の不甲斐なさに対する嘲りのような感情が渦巻いている。これ以上声をかける気になれず、衛兵達のほうを窺いながら、私達はテロスさんのそばを離れ、反対隣の鉱夫に声をかけた。鉱夫は虚ろな瞳で私達を見ると、
 
「イシュトラに逆らった者は皆殺された・・。イシュトラの配下の剣士達は、恐ろしく強く、残虐なんだ。人の命なんて何とも思っていやしない・・・。あんたらも気をつけろ。変な動きをしているのがばれたら、八つ裂きにされるぞ。あんな連中が王宮からの勅命を受けているらしいとはな・・・。まったく・・・一体どういうことなんだよ・・・。」
 
 鉱夫はまた仕事に戻った。その心の中には、生きることすら諦めたかのような冷たい静けさがあった。そのさらに隣の鉱夫に声をかけようとしたが、その鉱夫の顔を見たウィローがちいさな声で叫んだ。
 
「ロイ!あなた、カナの村のロイでしょう!?」
 
 ロイと呼ばれた鉱夫はぎょっとしたように顔を上げた。
 
「おお!ウィローじゃないか、久しぶりだなぁ・・・。まったく・・・お袋の頼みだからって仕方なく鉱山に来たのに・・・こんなことになっちまった。やっぱり来なけりゃよかったよ、こんなところ・・・。」
 
 ロイは自嘲気味にそれだけ言うと、大きなため息をついてまた仕事に戻ろうとした。そのロイの腕をつかんで、ウィローは必死に詰め寄る。
 
「ロイ!廃液を止めないといけないわ!今でも海に、大地に、恐ろしい水が流れているのよ!お願いよ。協力して!」
 
「悪いな、ウィロー。廃液を止めることは出来ないんだ。逆らったら殺されちゃうんだからな。誰だって命は惜しいさ。君達もおとなしくしてろよ。」
 
「ロイ・・・。ねぇ、そんなこと言わないで。私の父さんもこの廃液を止めようとして殺されたわ。だから私はその遺志を継ぎたいの・・・。協力して!ねぇ、ロイ!」
 
 ウィローが叫んだ時、衛兵がこちらに気づいて近づいてきた。
 
「ほら!!仕事している振りしてろ!!」
 
 ロイに言われ、私達はとりあえず隣の鉱夫達と同じような動きをしてみせた。
 
「何を騒いでいる!?」
 
「騎士さんよぉ、たまには外に出してくれよぉ。」
 
 ロイはわざと大きな声で衛兵に声をかける。私達から気を逸らしてくれているらしい。衛兵はロイの言葉に嘲るような笑い声を上げた。
 
「ふぁっはっはっは・・・。外に出たいか・・・?諦めるんだな。おまえ達は死ぬまで、ここで廃液を流し続けるのだ。さあ、さっさと持ち場に戻れ!!」
 
 衛兵はそのまま離れていった。
 
「いつまでもここにいられないわ・・・。ロイ、廃液を止めるのは私達が何とかする。そのイシュトラはどこにいるの?」
 
「あいつは2階だよ。俺達の後ろの通路の奥に衛兵が何人かいるだろう?あの後ろに階段があるんだ。そこを上がってからのことは知らないけどな。」
 
「それじゃ・・・少しだけ協力してくれませんか?私達が二階に上がるために、衛兵の気を逸らすだけでいいんですけど・・・。」
 
「行くつもりなのか?あんた正気か!?わざわざ殺されに行くことないと思うけどな。」
 
 ロイはあきれたような視線を私に向けた。
 
「それでも・・・行きます。行ってイシュトラを何とかしない限り・・・この廃液は止まらないんですよね・・・。」
 
「まあそうだな・・・。あんた、名前はなんて言うんだ?」
 
「クロービスです。」
 
「そうか・・・。クロービス、何か火をつけられる道具はないか?」
 
「火ですか?」
 
「ああ、おれの今やっているこの工程は、火が出るとえらいことになるのさ。ドカーンとな。」
 
 ロイはそういうと、にやりと私に向かって笑ってみせた。そこにそっとテロスさんが近づいてきた。
 
「いま・・・この列の鉱夫達を説き伏せてきた。ロイのところで何か爆発させればあいつらの注意がこちらにそれる。その間にあんたらは二階にいけ。そして・・・イシュトラを倒してくれ!」
 
「それじゃ・・・そこに直接火をつけても大丈夫ですか?」
 
「直接って・・・どうやって!?」
 
「風水術を使います・・・いや、ファイアエレメントのほうがいいかな・・・。」
 
「おい・・・あんた何者だよ!?ファイアエレメントっていえば、火を司る精霊だぞ!?」
 
 ロイは驚いて私の顔をまじまじと見つめている。
 
「ええ・・・詳しく話している時間はないけど、そこに向かって火をつければいいんですね?」
 
「あ、ああ・・・よし、それじゃ、あんたとウィローは火をつけたらすぐに後ろに向かって走れ。あとは俺達が何とかする。」
 
「わかりました。」
 
「ロイ、ありがとう。」
 
「いいってことよ。さあ、早く!」
 
 私はロイのいた場所に向かってファイアエレメントの呪文を唱えた。私の指先から飛び出した小さな炎は狙いどおりの場所に落ち、ものすごい爆発音がフロアに響き渡る。その瞬間、私達は階段へ向かって走り出した。衛兵達は凄まじい音に何事かと集まってきたが、後ろのほうにいた衛兵が私達の姿に気づいた。
 
「おい!!なぜ上へ行こうとする!?取り押さえろ!!貴様ら、一体何者だ!?」
 
 斬りかかって来た一人を剣でなぎ払う。だがその音に気づいた衛兵達が次々とこちらに向かって走ってきた。その衛兵達に向かって、ロイとテロスさんを先頭に鉱夫達が押し寄せてくる。
 
「ウィロー、早く上へ行くんだ!!」
 
 ロイが衛兵に殴りかかりながら叫んだ。
 
「ウィロー行ってくれ!イシュトラを・・・!イシュトラを倒すんじゃ!ぐ、ぐわああ!」
 
 テロスさんは衛兵に殴りかかろうとしたが、逆に足払いをかけられて転んでしまった。一瞬立ち止まった私達に向かってロイはなおも叫び続ける。
 
「さあ・・!!ウィロー・・行くんだ!!ぐずぐずするな!!」
 
 そのロイの上にも衛兵達が容赦なく襲いかかる。みぞおちを殴られ、ロイがのけぞった。
 
「グ、グフ・・!!ウィロー・・・早く・・行け!」
 
 それでもロイは私達に向かって叫び続けることをやめない。
 
「・・・・みんな・・・ありがとう・・!!」
 
 ウィローが叫んだ。
 
「おとなしくしろ!くそっ!貴様ら、こんなことをしてただですむと思うな!!」
 
「黙れ!お前らの言いなりになるのはもうたくさんだ!」
 
 衛兵達と鉱夫の怒鳴りあう声、鎧がぶつかる音や剣を抜く音。
 
「みんな・・・死なないで・・・。」
 
 絞り出すようなウィローの声。すべてが私の胸に突き刺さる。もう後戻りは出来ない。デールさんの名をかたりナイト輝石の廃液を流し続けた男『イシュトラ』。その男を倒すために、そしてナイト輝石の廃液を止めるために、私達は二階への階段を駆け上がった。

第28章へ続く

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