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 カインが先頭に立って階段状になった下り坂を降りかけた。その途端、湿気をたっぷりと含んだひときわ熱い空気が奥から吹き上げてきた。
 
「うわ!ちょっと待て!一度戻ろう!」
 
 私達は慌てて地上に戻り、涼しい空気を胸一杯に吸い込んだ。
 
「ものすごい暑さだな・・・。想像以上だ・・・。しかもじめじめしてるし・・・。この格好じゃ入れそうにないな。どうする?」
 
「うーん・・・とにかくマントとターバンは脱いだほうがいいだろうけど・・・。でも鎧は外すわけにはいかないよ。こんな得体の知れない場所で鎧を脱いだりしたら、それこそ自殺行為だしね。」
 
「そうだよなぁ・・・。仕方ない。とにかく脱げるものはみんな脱ごう。本当なら裸になりたいくらいだけど、裸に鎧を着るわけにはいかないから仕方ないな。」
 
「裸に鎧なんて着たらアザになっちゃうよ。」
 
 カインが裸に鎧をつけたところを一瞬想像して、私は思わず吹き出した。
 
「そうだなぁ・・・まったく・・・おい・・・?何笑ってるんだよ、お前。」
 
「い、いや・・・その・・・ごめん・・・。」
 
「・・・なんか変な想像したな・・・?まったく・・・冗談に決まってるだろ!・・・ま、この暑さじゃ本気でやりたいくらいだけどな・・・まるで蒸しパンになった気分だよ・・・。」
 
「む・・・蒸しパン・・・。」
 
 今度はウィローが笑い出した。
 
「だって蒸されてるようなもんじゃないか。蒸して作る食い物って言えば蒸しパンくらいしか知らないしな。」
 
「プリンだって蒸すじゃないか。」
 
「・・・・・・プリン・・・・?」
 
「そうだよ。君がいつも食堂でおかわりしていた、プリンだよ。」
 
「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 
「もしかして・・・プリンてどうやって作るのか知らなかったの・・・・・・・?」
 
「・・・・・知らなかった・・・・・。」
 
「もっとも、本当はオーブンで焼くんだけどね、蒸したほうが失敗が少ないから、私が最初に憶えたプリンの作り方は蒸して作る方だったんだ。」
 
「や・・・焼く・・・!?」
 
「そうだよ。今度実演してあげるよ。」
 
 あんまり眼をしろくろさせているカインが何だかおかしかった。
 
「そうか・・・。材料が牛乳と卵だって言うのは聞いたけど、それがどうやったらあんな風に固まるのかどうしてもわからなかったんだよな。でもまあ、うまけりゃいいか、と思ってさ。」
 
 考えてみれば剣士団に入るまで、もしかしたらカインはプリンなんて食べたことがなかったかも知れない。牛乳も卵も、貧民街に住んでいてはそう簡単に手に入ったとは思えない。軽い気持ちで笑ってしまったが、何だかカインに悪いことをしたような気持ちになった。でも多分カインはそんなこと気にしていない。心の中でカインに謝って、せめてカナに戻ったら特大のプリンを作って食べさせてあげようと思った。
 
「それじゃ、今度カナに戻ったら一緒に作りましょう。カインがそんなにプリンが好きならたくさん食べさせてあげるわよ。」
 
「そりゃいいや。それじゃ期待してるか。」
 
 そんな他愛のない話をしているうちにも、吹き上げてくる熱気で3人とも汗だくになっていた。
 
「本当にここでもプリンが出来そうだね・・・。」
 
「だよなぁ。愚痴っていても仕方ない。とにかく準備が出来たら行こう。」
 
 カインと私はマントを脱いでターバンを外し、荷物の中にしまった。カインは薄手のタオルを取りだし、ねじって額に巻いている。
 
「クロービス、これなら汗が目に入る心配はないぞ。お前もやって見ろよ。」
 
 私もカインにならってタオルを取り出すと額に巻いた。確かにこれなら汗が顔に流れてくることを気にしなくてもすみそうだ。
 
「でもなんか間抜けだね。」
 
「ははは。いいじゃないか。誰かにみせるわけじゃなし。」
 
 でもあまり人には見られたくない。
 
 ウィローはローブを脱いでスカーフを外すと、髪が汗で顔に貼りつかないようにと、ポニーテイルをひとつに編んで革ひもで留めている。
 
「長いと大変だね。」
 
「そうなのよねぇ・・・。思い切って切っちゃおうかな。」
 
「もったいないよ、せっかくきれいな髪なのに。」
 
 ウィローの髪は、おろすと腰の辺りまである。つやつやしたきれいな髪だといつも思っていた。切ってしまうのはもったいない。
 
「そう・・・?でも色も暗いし、重そうに見えるかなと思ってたのよ。暑苦しくない?」
 
「そんなことないよ。」
 
 ウィローは照れくさそうにニッと笑った。
 
「それじゃ、切るのやめようかな。褒めてくれてありがとね。」
 
 どうやらウィローはすっかり落ち着きを取り戻したらしい。願わくばこの地下に何も出てきませんように・・・。でもきっとこの願いは叶わない。
 
「みんな準備は出来たようだな。それじゃ入るか。俺が先に立つよ。・・・クロービス、暗いからランプをつけてくれないか。」
 
「私が最後を歩くよ。後ろにも気をつけたほうが良さそうだしね。ウィローは真ん中だよ。」
 
 吹き上げてくる熱気の中を、3人で一列に並んで降りていった。先頭のカインがランプを掲げ、次にウィローで私がしんがりだった。
 
「おいクロービス。」
 
「なに?」
 
「ここがこれだけ暑いってことは・・・大当たりってことだよな。」
 
「セントハースが言ってたんだから、間違いないと思うよ。」
 
「お前はまだなにか感じないのか?」
 
「まだなにも・・・。でもモンスターの気配がないのだけはわかる。」
 
「その『火のエレメントの力』ってのはどこにあるんだろうな。その辺においてあって、手を伸ばして取ればOKなんて言うならありがたいんだけどな。」
 
「ははは・・・。本当にそうならいいけどね。」
 
 中はとにかく暑い。息が出来ないほどではないが、砂漠の暑さとはまた違う、ねっとりとした湿気が体中にまとわりついてくるような、そんな暑さだ。私達の服はあっという間に汗でびしょびしょになった。鎧のせいで濡れた服が体に貼りついて気持ち悪い。相変わらずモンスターの気配はない。でもその静けさがかえって不気味だった。
 
「カイン。」
 
「ん?」
 
「位置を替わろう。私が先頭になるよ。前にいたほうが何か出てきてもわかりやすいと思うし・・・危なくなったら、君はすぐにウィローを連れて逃げてよ。」
 
「ウィローが逃げてくれるなら逃げてもいいけど・・・」
 
「私はいやよ。」
 
 カインの声を遮ってウィローはきっぱりと言った。
 
「いやだってさ。」
 
 カインはおかしそうに笑っている。
 
「バカなこと言わないで。逃げるつもりなら最初からついてきたりしないわ。さっきは・・・あんまり驚いたから・・・だから・・・。でももう大丈夫。何が出てきたって泣いたりしないわよ。」
 
「そういうことだ。俺だってお前を見捨てて逃げる気はさらさらないからな。俺達の安全を考えてくれるのはありがたいが、今考えなくちゃならないのは別のことだ。もう少し俺達を信用してくれよ。」
 
「・・・・ごめん・・・・。でも私が前に出るよ。後ろよりは気配を感じ取りやすいかも知れないからね。」
 
「そうだな。」
 
 私が先頭になり、少しずつ奥へと歩いていった。どのくらい歩いたのだろう、やがて遥か前方にぼんやりとした明かりが見えてきた。なにやら声が聞こえてくる。いや・・・聞こえてくるのではない。心の中に響いてくる・・・。
 
≪わが・・力を・・望むか・・!!≫
 
 思わず立ち止まった私に、カインが声をかけた。
 
「おい、クロービス、どうしたんだ!?」
 
「誰かが何か言ってる・・・。力がほしいのかって。」
 
「それがその力を持っている奴ってことか!?」
 
「たぶんそうだと思う。この奥にいるみたいだ。」
 
「やっぱりその辺に置いてあるわけじゃないみたいだな・・・。」
 
「そのようだね。」
 
 私達は洞窟の奥に向かって歩き出した。そしてまた声が響いた。
 
≪そなたの・・力・・我が前に・・示せ・・・≫
 
 そしてひときわ熱い空気が充満した場所まで来ると、前方に人影が現れた。だがその人影は・・・全身を炎で包まれている!?
 
「こいつがその力を持っている奴なのか!?」
 
「そうみたいだ!力を示せって言ってる!!」
 
「よおし!!示してやろうじゃないか!!」
 
 カインは迷わずその炎の中に斬り込んでいく。私は『飛花落葉』を唱えてみた。水を含んだ風が炎を舞い上げる。ウィローは矢を何度か放ったが、矢は途中で炎に包まれ燃えてしまう。効果はない。するとウィローは、なんと鉄扇を取り出し、止める間もなく飛び出すと、炎の固まりに向かって突っ込んでいった。
 
「ウィロー、待って!危ないから・・・!」
 
 剣ならともかく、鉄扇で相手の体を直接攻撃しようと思ったら、かなり近づかなければならない。でもそんなに近づいたら、あの凄まじい炎に焼き尽くされるのがオチだ。すんでのところでウィローの腕を掴み、後ろへと引き戻すと、なんと炎がウィローに向かって生き物のようにのびてきた。私は思いきりウィローを反対側に突き飛ばして炎をかいくぐり、相手の懐に飛び込んだ。呪文を唱える余裕はない。カインと目を合わせ、二人同時に、相手の胴の辺りと思われる場所に思いきり斬りつけた。
 
≪見事な・・・ものだ・・・。≫
 
 そんな声が聞こえたような気がした。それと同時にその炎の固まりは、すうっと後ろへ下がった。
 
≪わが・・火の要素の・・力を・・得るがいい・・・。≫
 
 その言葉と共に、私の体の内側がかっと熱くなったような気がした。そして突如頭の中に呪文が浮かんだ。いや・・風水術の呪文よりもずっと短い。呪文と言うより、この力を呼び出すためのキーワードのようなものかも知れない。それと同時に、その炎の固まりはゆらりと揺らめき、すっと消え失せた。どうやら私は、またひとつ何かの『力』を手に入れたらしい。もういらないのに・・・そんなもの・・・。でもこの力を得ることが出来なければ、ハース城へ行くことは出来ないのだ・・・。
 
 さっきの炎に包まれた人影・・・。あれはもしや・・・ファイアエレメンタルだったのだろうか・・・。この世界のどこかにいると言われている火を司る精霊・・・。『泉の底の要素の力』『火のエレメントの力』そんな力を持つものが、火の精霊以外にいるとは思えない。
 
 気がつくと暑さが和らいでいた。私は急いでウィローのところに駆け寄った。
 
「ねぇ、クロービス、この呪文て・・・何の呪文?」
 
 大丈夫かと声をかけるより早く、ウィローが私に話しかけてきた。
 
「さっき、突然頭の中に浮かんだの。でもなんだろうこれ。」
 
 そう言いながらウィローが唱えた呪文・・・。それは・・・蘇生の呪文だった。治療術の呪文としては最高峰に位置する『虹の癒し手』のさらに上位呪文に当たる。単なる治療ではなく、亡くなった人を生き返らせるほどの力を持つものだ。当然誰でも憶えられるようなものではない。
 
「蘇生の呪文だよ、それ。私には唱えられない・・・。すごいなぁ。気付よりすごいよ。突然て・・・いつ?」
 
「さっきよ。あれは・・・ファイアエレメンタルだったのかしら。火を司ると言われる精霊のことなんだけど・・・。それが消える時だわきっと。でも蘇生って・・・まさか死んだ人まで生き返ったりするの・・・?」
 
 ウィローは少し気味悪そうに眉根を寄せた。
 
「そうだよ。でも別に死霊になって出てくるわけじゃなくて、ちゃんと生き返るんだよ。もちろん死んですぐじゃないと効果はないし、病気が原因で亡くなった人や、出血多量で亡くなった人には効かないんだけどね。これはね、すごい呪文なんだよ。誰でも憶えられるわけじゃないんだ。」
 
『そんなに・・・すごい呪文なの?それがどうして私に・・・。」
 
 話しながら、ウィローはしきりに腰の辺りをさすっている。私に突き飛ばされた時、転んだ拍子に腰の辺りをぶつけたらしい。
 
「ごめん・・・。痛む?」
 
「・・・うん・・・。呪文唱えたんだけど・・・うまくいかないの・・・。」
 
「打撲だと、大地の恩恵だけでは無理かもしれないな・・・。」
 
 私は光の癒し手を唱えた。ウィローがほっと一息ついて腰をさするのをやめた。
 
「治ったわ。ありがとう・・・。」
 
「元はと言えば私のせいだからね。」
 
「そんなことないわよ。あの時あなたが引っ張ってくれなかったら、私は今頃黒こげになっていたかも知れないわ。役に立ちたかったのに、かえって足を引っ張っちゃったわね。ごめんなさい・・・。」
 
「そんなことないよ。」
 
 ウィローは私を見つめて微笑むと、自分の腰に視線を戻してまた少しさすった。
 
「まだ痛む?もう一度呪文を唱えようか?」
 
「ううん、大丈夫。・・・やっぱりあなたの呪文はすごいなって思ったのよ。あんなに痛かったのに、もう全然痛まないの。・・・ねえ、今のは光の癒し手よね?」
 
「そうだよ。」
 
「あなたはもう虹の癒し手まで唱えられるのよね?」
 
「この間唱えられるようになったばかりだけどね。」
 
「そうよね・・・。あなたほど力のある人でも、虹の癒し手を唱えることが出来るようになるにはかなりの経験を積まないと駄目なはずだわ。私はまだ大地の恩恵で精一杯なのよ?なのにどうしていきなり蘇生の呪文なんて・・・。」
 
 ウィローの顔に不安がよぎる。分を超えた力を得てしまったことに、少し怯えているようだった。
 
「クロービス、ウィロー。」
 
 呼ぶ声に振り向くと、カインが剣を抜いたまま立っている。
 
「なに?」
 
「ちょっとこれ見てくれよ。」
 
 カインはそう言うと、以前憶えた剣技を披露して見せてくれた。その剣先から炎が飛び出し、地面を伝って行く。そこに敵がいれば、間違いなく多大なダメージを与えられる。でも風水術など使えないはずのカインが、どうやって火など呼び出せたのだろう。
 
「すごい・・・・。どうやったの!?」
 
「よく・・・わからないんだけど・・・。この剣技自体は前に憶えてたんだけど、うまく操れなかったんだ。さっきあの炎の固まりみたいなのが消える瞬間に突然・・・うまく行くような気がして・・・。でもまさか火まで出てくるとはなぁ・・・不思議だよな・・・。」
 
 一番不思議がっているのは当のカインらしい。
 
「そうか・・・。私も、そのエレメントの力って言うのを使えるようになったみたいだよ。」
 
「そうか。それじゃ目的は達したな。もう出よう。」
 
「そうだね。」
 
 
 私達は地上に出た。カインはウィローの顔を怪訝そうに見ている。
 
「顔色がよくないな。どうしたんだ?」
 
 ウィローは、自分が突然蘇生の呪文を使えるようになってしまったことを話した。
 
「すごいじゃないか。それじゃ、俺やクロービスが万一死んでも、ウィローに生き返らせてもらえるな。」
 
「バカなこと言わないでよ。それに・・・私が何で・・・。」
 
「それを言うなら俺だってそうだよ。俺は呪文なんて何にも使えないはずなのに、いきなり剣の先から炎が飛び出してきたんだぞ!?考えようによってはかなり気味が悪いよ。それに、さっきのあの火の固まりがもし本当にファイアエレメンタルなら、クロービスだってそんな精霊の力なんて使えるようになりたいと思わないよな?元々人間が使えるような力じゃないんだからな。」
 
「それは・・・そうだけど・・・。」
 
「とにかく、それぞれが何かしらの力を身につけたということだ。今の俺達に出来るのは、その力をちゃんと操れるようになることじゃないのか?」
 
「そうだね。前向きに考えようよ。ウィロー、君が蘇生の呪文を使えるってことは、もしかしたらもっと呪文を憶えるペースを速めてもうまくいくのかも知れないよ。」
 
「そうか・・・そうよね。ごめんなさい、二人とも。私も、前向きに考えるようにするわ。」
 
「よし、話が決まったところで、この場所を元通り塞ごう。知らない人が入り込んだりしたら危ないからな。」
 
 カインと私はあの岩をもう一度入口に戻した。少し奥に押し込み、簡単に動かないようにした。イアンのお父さんには悪いかと思ったが、温泉に来た客がおもしろ半分に入り込む危険だけは避けたい。
 その温泉のほうを窺ってみたが、別に冷めたということはないらしい。あの精霊は今もこの地下のどこかで、熱いお湯をこの地に供給してくれているのだろうか。
 
「騒ぎが起きていないところを見ると・・・お湯は冷めたわけじゃないみたいだな。」
 
「暑くなくなったのはさっきファイアエレメンタルがいたところだけだからね。ただ単に元の場所に戻ったんだろうな。私達があの精霊を倒せたとは思えないよ。」
 
「そうなんだろうな。とにかく・・・風呂に入ろう!汗だらけで気持ち悪い!!」
 
 カインがめずらしく情けない声をあげて、私達は温泉の脱衣場に来ていた。鎧を外して服を脱ごうとしたが、体にべったりと貼りついてなかなか脱げない。
 
「うぅ・・・気持ち悪い・・・。」
 
 カインはうめきながら必死で服を脱いでいる。やっとの事で脱ぎ終わり、汗と汚れを落としてお湯につかると、ようやくほっと一息つくことが出来た。
 
「はぁ〜・・・よかった・・・。もう一生脱げないんじゃないかと思ったよ・・・。」
 
「大げさだなあ。もしかして濡れた服って苦手なの?」
 
 カインはうんざりしたような表情で頷いた。
 
「濡れた服がべったりと貼りついたのを想像するだけで気持ち悪いよ・・・。」
 
「それじゃあがったら、荷物の一番奥にある乾いた服を着て、ここを出よう。まず東の泉のオアシスに寄ろうよ。お礼を言ってきたいからね。それからハース渓谷に行こう。」
 
「そうだな。」
 
 私達はオアシスを出て東への道をとった。そしてあの泉が湧くオアシスにたどり着いたのは、もう夕方というより夜になる時だった。以前来た時と同じように娘が歓迎してくれた。
 
「まあ、あなた方は・・・。夢見る人の塔へは辿り着けましたの?」
 
「ええ・・何とか。それで一言お礼を言いたくて・・・。」
 
「そうですか。もう夜になりますから、また泊まってらしてくださいね。」
 
 娘の案内で家の中に入ると、老人がにこにこと話しかけてくれた。
 
「おお、あんた方か。どうやら謎は解けたようじゃの。だいぶ顔色がよくなられたようじゃ。」
 
「はい・・・。あの時はありがとうございました。おかげさまで何とか・・・。」
 
「いやいや、礼を言われるようなことは何もない。とにかく休んでいきなされ。」
 
 私達は前回と同じ部屋に泊めてもらった。着替えをしてベッドに横になり、ほっと一息ついた。カインはベッドに腰掛けたまま、考え込むような顔をしている。
 
「ねぇ、カイン・・・。」
 
「ん?」
 
「昼間の、ウィローに言ったことだけど・・・。」
 
「厳しすぎるんじゃないかってか?」
 
「・・君って・・・本当に人の心を読めたりするんじゃないの?」
 
「ばかを言うな。俺がわかるのはお前だけさ。顔に書いてあるからな。」
 
「顔に出てるかな・・・。」
 
「他の人が見てもわからないだろうけどな。俺にはわかるのさ。さっきお前が『そんなに厳しいこと言わなくてもいいのに』って顔してたのはわかったよ。」
 
「そうか・・・。」
 
「お前・・・何か聞いたな・・・?」
 
「・・・聞こえたよ・・・。」
 
「そうか・・・。ウィローもそれだけ本気なんだな・・・。」
 
「試したの・・・?」
 
「・・・そうだよ。悪いか・・・?」
 
「ウィローが最初から真剣だってことはわかってたじゃないか。」
 
「そんなことはわかってるよ。ただ俺は・・・ウィローに覚悟を決めてほしかったんだ。」
 
「・・・覚悟・・・?」
 
「そうだよ。もしもウィローがカナに帰ると言えば、俺はどこにいてもカナまで送っていく。でもどうしてもついてくるって言うのなら、あの程度のことで怯えていられたんじゃ足手まといになるばかりだからな。いつもさっきみたいにうまくいくとは限らないじゃないか。モルダナさんの指輪は確かに役に立つけど、頼りすぎるわけにはいかないんだ。だから、意地の悪いこと言ったんだよ。もっとも、ウィローが絶対についてくるって言うことは何となくわかっていたけどな。」
 
「そういうことか・・・。」
 
「・・・怒ったのか?俺がウィローの気持ちを試すようなことをしたこと・・・。」
 
 正直なところ少しだけ怒っていたと思う。人の心を試すなんて・・・。カインは私をじっと見ていたが、くすっと笑ってベッドの上にごろんと寝ころんだ。
 
「俺は謝らないぞ。確かに人の心を試すなんてことがいいことだとは思わないけど、今回のことではそれは必要なことだったと思ってるんだ。俺達は・・・自分達の任務を遂行しなくちゃならない。そのためには俺は何だってするよ。」
 
「・・・そうだね・・・。仕方ないと思うよ。ただ・・・」
 
「ただ・・・?」
 
「・・・ウィローが、かわいそうだったんだ・・・。私達から離れたくなくて・・・必死に頭を下げているの見ていられなくて・・・。」
 
「そう聞こえたのか・・・?」
 
「・・・離れたくないって・・・聞こえたよ・・・。」
 
「・・・そうか・・。」
 
 カインはそれきり黙り込んだ。私も何となく黙ったまま、いつの間にか二人とも眠り込んでいた。そしてやはりあの夢は現れた。私が温泉の地下で得た力を使ってあの怪物を殺してしまわない限り、この夢はきっと毎夜やってくる。だがどうすればいいのだろう。あの怪物を殺せば、私はフロリア様の前で誓った『不殺の誓い』を破ることになる。王国剣士としてこのまま仕事を続けていくことは出来ないかも知れない。だが・・・あの怪物は多分黙って退いてはくれない。あれほどまでの必死の思いを無視して先には進めない。でも・・・殺したくない。不殺の誓いよりも何よりも、まったく敵意のない相手など、モンスターであろうが何であろうが、傷一つつけたくはない・・・。夢から覚めたあと、吐き気はもう起こらなかったが、様々なことが頭に浮かんできて結局私は朝まで眠ることが出来なかった。
 
 次の日の朝、私達は早めにオアシスを出た。それでもさすがに一日ではハース渓谷の入口までは辿り着けない。手前のオアシスでキャンプを張る。そしてやはり夢は現れる。夢の内容をはっきりと受け取れるようになってから、あの怪物からの思念が日を追うごとに強くなっているのが感じられた。そして・・・翌日の午後ハース渓谷についた時、私はある決意を固めていた。
 
「カイン、ウィロー、多分二人の攻撃だと効かないと思うから、私が一人で行くよ。」
 
「お、おい、いくらなんでもそれは危険だ。いくら敵意がないって言っても・・・俺達も行くよ。」
 
「・・・それじゃ、二人とも攻撃はしないでね。」
 
「敵意がない相手を攻撃なんてしたくないからな・・・。お前一人に重荷を負わせるみたいで・・・すまないな・・。」
 
「いいよ・・・。それじゃ、カインはウィローをよろしくね。ちゃんと安全圏にいてよ。」
 
「わかった。」
 
 ハース渓谷に入ると、やはりあの怪物はいた。そして夢と同じ思念が以前よりもはっきりと流れ込んでくる。
 
≪殺して・・・。私を殺して・・・。あなたを待っていた・・・。私を・・・殺して・・・。≫
 
 期待と・・・恐れと・・・不安と・・・悲しみと・・・様々な感情が一緒になって私を見つめている。私は深呼吸して、目の前の怪物に照準を合わせ、温泉の地下で頭の中に浮かんだ呪文を唱えた。その途端凄まじい爆発音と共に、怪物の体の内側から火柱があがった。怪物は苦しがってのたうち回り、それでも私が狙いを定めやすいようにその場にとどまろうとしている。完璧に築き上げたはずの『防壁』をくぐり抜けて、その苦しみや痛みが、私の心の中にまで入り込んでくる。自分の体まで引き裂かれるような痛みを感じながら、私はもう一度その呪文を唱えた。二度目の火柱が怪物の体を内側から引き裂き、燃やし尽くす。それでもまだ怪物は生きている。怪物の痛みがそのまま私の体の痛みとなり、その苦しみが心の中に流れ込み、涙が流れた。立っているのさえつらい。それでもやめるわけにはいかない。もう一度唱えようとした時、私は後ろから肩をつかまれた。
 
「もういいでしょう?これならもう抵抗出来ないわ。殺したらだめなんでしょう?もうやめて。早く渓谷を抜けましょう!」
 
 ウィローがつらそうに怪物を見ているのが解る。私は構わず3度目の呪文を唱えた。怪物の体は内側からバラバラになり、その組織の一つ一つが燃え上がりやがて黒い炭となっていく。それでも怪物は死なない。
 
「クロービス!やめてよ!!もういいでしょう!?どうしてそこまでするの!?これでは死んでしまうわ!!」
 
「殺さなくちゃならないんだよ・・・。それがこの怪物の願いなんだ・・・!!」
 
「だって・・・!!抵抗してないのよ!敵意が全然ないんだもの!!ねぇやめてよ!かわいそうだわ!!」
 
「ここでやめるほうがもっとかわいそうだ!!この力で破壊された体はもう元に戻らないんだ!それなら・・・ここで命を絶ってやるほうが、この怪物にとっては・・・幸せなんだよ!!」
 
 叫びながら私は振り向けなかった。ウィローの顔を見たらこの決心が挫けそうだったからだ。自分を殺してくれと・・・あれほどの必死の思いを・・・かなえてやれるのが私しかいないのなら・・・それはきっと私の義務なのだと・・・そう決心して私はここまで来た。
 
「お、おい。クロービス!!本気なのか!!?」
 
「本気だよ・・・!だから・・・カイン!ウィローを連れて少し離れてて!!」
 
 私は振り向かないまま叫んだ。
 
「・・・解った。ウィロー、行くぞ!」
 
「カイン!!あなたまでそんなこと言うの!?どうしてよ!?どうしてクロービスをとめてくれないの!?」
 
「クロービスの言うとおりなんだ!!瀕死のままここに放り出していくくらいなら・・・とどめを刺して楽にしてやったほうがいいんだ!!俺はこいつを信じる!だから君はこっちに来てくれ!!」
 
 背後でかわされる言葉を聞きながら、涙を拭って怪物を見た。もう胴体のほうは形をとどめていない。私は怪物の頭に照準を合わせた。これを破壊すればこの怪物の苦しみは終わる。これが最後になるようにと願いを込めて、あらん限りの力を注ぎ込んで私は最後の呪文を唱えた。その一撃で残っていた怪物の体は跡形もなく吹き飛び、その一つ一つが燃え上がり灰となって、風に乗り散り散りになった。
 
 そして・・・渓谷に静けさが戻った・・・。
 
 終わった・・・。やっと終わったのだ・・・。とうとう私は・・・ひとつの命の灯を、この手で消し去ってしまった・・・。言いようのない喪失感に襲われ、私は泣きながらその場に座り込んだ。その私の心にあの思念が入り込んでくる。はっきりとした言葉を伴って・・・。
 
≪あり・・がとう・・わたしを・・・苦しみから・・救ってくれて・・・。≫
 
 その『声』は、とても自分を殺した相手にたいするものとは思えないほど、優しく慈愛に満ちていた。
 
≪わたしはロコ・・・。聖戦竜の一匹です・・・。理由あって・・・こんな姿になってしまったの・・。その理由は・・・クロービス、あなたがつきとめなければなりません・・・。あなたの使命は・・・まだ続くでしょう・・・。守ってください・・・。この大地に・・・生きるものすべてを・・・。≫
 
「ロコ・・・?」
 
 聖戦竜ロコ・・・。橋の名前にもなっている・・・。そう言えば、ロコの橋を渡る時、灯台守が言っていた。ハース近くの湖でロコらしい姿を見かけたものがいるらしい、と・・・。ロコは・・・何のためにここにいたのだろう・・・。それを私がつきとめなければならない・・・。そしてそれは私の使命だと・・・言うことなのか・・・。
 そこにカインとウィローが近づいてきた。私は慌てて涙を拭った。
 
「これは、もう、再生することはないだろうな・・・・。」
 
 カインはバラバラになったロコの体を見渡して、悲しげにため息をついた。ウィローが青ざめた顔のまま私に歩み寄り、いきなり私の頬を叩いた。
 
「どうして殺したの・・・?」
 
 ウィローの瞳は怒りと悲しみに燃えている。そしてその心の中にも悲しみが渦巻いている。私は何も言えなかった。
 
「魔界の生物なんかじゃないわ!!とても・・・悲しい眼をしていた・・・敵意なんてなかったのに!!どうして殺したのよ!?」
 
 ウィローの目から涙が流れ落ちる。説明は可能だったが、何を言っても多分言い訳にしか聞こえない。その時突然カインが叫んだ。
 
「見ろ・・!!細胞が何か黒いものと同化している・・!!何だ・・これは!!?」
 
 見ると、皮膚組織に何か黒い砂の固まりのようなものがくっついている。
 
「これは・・・。ガウディさんの傷についていたのと同じものだ・・・。」
 
「ガウディさんの傷が治らない原因はこいつのせいなのか・・・。」
 
 私は試しにエレメントの力を最小限に絞って、その黒い固まりに向かって唱えた。私の指先から細い火柱が出て、その黒いものの上でバシッと火花を散らす。そして黒い固まりは皮膚組織から切り離され、ぽとりと地面に落ちた。
 
「カイン・・・。もしかしたら・・・この黒い固まりをガウディさんの傷から切り離すことが出来れば、傷が治るかも知れない。」
 
「切り離すってどうやって?」
 
「この力を使うんだ。今みたいに絞って使えば、あの傷口のまわりくらいなら何とかなるかも知れない。練習してみるよ。」
 
「そうか・・・。お前だけが頼りだな。・・・さてと、もう夕方か・・・。今夜はここでキャンプだな。・・・ウィロー、いつまでふくれてるんだ?」
 
 ウィローは涙をためたまま顔を背けている。
 
「・・・君の気持ちが解らないわけじゃないよ。俺達は王国剣士だ。不殺の誓いを立てた身で生き物を殺すってことがどういうことを意味するのかは、君よりもよく解っているつもりだし、何より敵意もなく抵抗もしない相手を執拗に攻撃して殺したんだから、君が怒るのは解るよ。」
 
「だったら!!どうしてさっきクロービスを止めてくれなかったの!?」
 
「ウィロー、君はまだ俺達と知り合って間もないよな。それでも、クロービスが喜んであの怪物を殺したわけじゃないことくらい、解っているんだろう?」
 
「・・・でも・・・!!」
 
 ウィローは納得しかねると言った顔でカインを見つめている。
 
「南大陸に来てから、こいつはずっとあの怪物が送ってくる夢に悩まされ続けていたんだ。そしてこの間夢見る人の塔に行ったことで、その謎が解けて、夢の全貌が見えた。あの怪物が必死の思いで自分を殺してくれと頼んでいるんだ。そしてその願いを叶えることが出来るのは、こいつしかいないんだよ。それがどういうことかわかるか!?」
 
 ウィローは黙っている。
 
「俺は・・・クロービスがどれほど悩んだかわかる。どれほど苦しんでこの結論に達したかわかる。だから俺はこいつの判断を信じる。たとえ・・・君だけでなく、剣士団の仲間全員がこいつを非難したとしても・・・俺だけはこいつを信じて、こいつの弁護にまわるよ。」
 
 カインの言葉を聞いているうちに、涙が流れてきた。カインは私を信じてくれている。私をわかってくれている。それが何よりも嬉しかった。
 
「カイン・・・ありがとう・・・。でもウィローが怒るのは無理ないよ。わかってくれって言ってもなかなか難しいかも知れない・・・。」
 
「お前が自分の考えていることを、うまくまとめてちゃんと説明出来るような奴だったら、きっとこんな誤解はないんだろうけどな。お前口べただからなぁ・・・。」
 
「それは持って生まれたものだから・・・どうしようもないけど・・・。」
 
「とにかく、今日はここでキャンプを張ろう。」
 
 カインの声で私達は準備を始めた。ウィローは一応食事の支度を手伝ってくれたものの、黙ったまま、眠るまでとうとう一言も口を聞かなかった。
 
「ウィローはすっかりおかんむりだな・・・。」
 
 カインが困ったようにため息をつく。
 
「仕方ないよ・・・。最初に会った時にモンスターを殺さないで、なんて言ったのに、抵抗もしてない相手を殺したんだから・・・。」
 
「でもわかってもらわないとな。これからの道中一緒に歩いていけないぞ。」
 
「そうだね・・・。時間が過ぎるのを待つよ。それしかないと思う。」
 
「そうだな・・・。ウィローだってわかってないわけじゃないんだろうしな・・・。」
 
「うん・・・。」
 
 それきり二人とも黙り込み、焚き火の中で木がはじけるパチパチという音だけが妙に耳についた。沈黙の中で、私はまたあの怪物のことを考えていた。あの怪物は確かに自分を『ロコ』と言った・・・。
 
「あのね、カイン・・・。」
 
「ん?」
 
「・・・あの怪物は・・・ロコだったみたいなんだ・・・。」
 
「ロコ?ロコって・・・聖戦竜のか!?」
 
「そう。橋の名前にもなっているあのロコさ。灯台守の人が言っていたよね。ハース近くの湖でロコらしき姿を見かけた人がいるって。」
 
「あ、ああ・・・そう言えば・・・。でも、ロコってのは聖戦竜の中でも一番美しい竜と言われているんじゃなかったのか!?さっきの怪物はどう見ても・・・その・・・美しいとは言いかねると思うが・・・。」
 
「確かにね。でも自分で名乗ったよ。ロコだって。」
 
「そうか・・・。何でこんなところにいたんだろうな・・・。それは言わなかったのか?」
 
「それは・・・私が自分でつきとめなければならないらしいよ。私にはまだまだ使命があるとも言っていた・・・。何のことなのかはわからないけど・・・。」
 
「使命か・・・。王国剣士としての使命とはまた別の、お前自身の使命ってことなのかな・・・。」
 
「かも知れない・・・。」
 
「俺は・・・お前みたいにテレパシーもないし、呪文も使えないけど・・・でも、お前に何か使命があるって言うのなら、何としてもそれを果たすための手助けはするよ。だから一人で悩むなよな。」
 
「うん・・。ありがとう。」
 
 カインの言葉が嬉しくて、また涙が滲みそうだった。
 
「明日はいよいよハース城だね。ウィローのお父さんは・・・ちゃんと話を聞いてくれるかな・・・。」
 
「うん、城が心配だな・・。モンスターにやられていなければいいが・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
「それよりお前もう寝ろよ。今日くらいは・・・ゆっくり眠れるといいな。」
 
「そうだね・・・。それじゃあとで交替するよ。」
 
 この日はとうとう夢を見なかった・・・。次の日は一日かけてハース渓谷を抜け、その出口で再びキャンプを張り、ハース城が見える場所までたどり着いたのは、ロコを倒してから2日後の午後のことだった。

第25章へ続く

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