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第25章 譲れないもの

 
「・・・本当に・・・殺しちゃったの・・・?あの・・・聖戦竜のロコを・・・。」
 
 カインは呆然として私を見つめている。フローラの顔はこわばり、カインの腕をしっかりと掴んでいる。子供達の目に、私は一体どんな風に映っているのだろうか。
 
「そうだよ・・・。ファイアエレメンタルから借りた『クリムゾン・フレア』という力を使ってね・・・。」
 
「クリムゾン・フレア・・・。」
 
「そうだよ。もっとも、そんな名前があの力にあるなんてその時は知らなかったけどね。あとでカナの村長に聞いてわかったんだよ。」
 
「そうか・・・。」
 
 カインは少し青ざめている。その心の中に驚きと不安と恐れがあることは何となく感じた。私が火の精霊から力を貸してもらったことに驚いているのか、セントハースのみならず聖戦竜ロコまでも現れたことに驚いているのか、それとも・・・私が不殺の誓いを破ってしまったことを恐れているのか・・・。
 
「僕は・・・正直なところ、昔の『聖戦危機』についてはちょっと疑問に思うことがあったんだ・・・。モンスター達がすごく狂暴になっていたっていうのは聞いたけど、それがどうして『聖戦』と結びついたのかなって・・・。さっき父さんがクロンファンラにセントハースが現れた話をしてくれたから、聖戦竜が現れたりすれば確かにそう思うよなっては思ったけど・・・一匹だけじゃなかったんだね・・・。ロコか・・・。」
 
「それじゃ・・・ロコはもういないんですね・・・。」
 
 ちいさな声でフローラが口を挟んだ。
 
「・・・そう言うことになるね・・・。」
 
「私・・・昔よく母からおとぎ話を聞かせてもらったんです、聖戦竜の・・・。聖戦竜は3匹いて・・・セントハースは大地の竜で、ロコは海に棲む海竜・・・。そして聖戦竜の中でもリーダー格なのが空を統べる飛竜エル・バールだと・・・。」
 
「そんなおとぎ話があるのかい?」
 
 私は聞いたことがない。聖戦竜の話は、島に戻ってくる前に少しだけセディンさん達に話したことがある。もしかしたらその話からヒントを得て、おかみさんが作った話なのだろうか。
 
「さあ・・・。大きくなってから近所の友達に聞いても誰も知らなかったから、もしかしたら母の創作だったのかも知れないです。でも、私そのお話がとても好きだったんです。聖戦竜は3匹で空と海と大地のすべてを守っているって。だから私達は、この大地で生きていけることに感謝して、そして自然に対していつも謙虚な心で接しなければならないと・・・。」
 
 本当にあったのかどうかはともかく、おかみさんらしい、いい話だ。
 
「でも・・・ロコがもう20年以上も前にいなくなってしまったのなら、今海を守っているのは一体誰なんでしょう・・・。」
 
「誰なんだろうね・・・。飛竜エル・バールが配下の者でも使わしているとか・・・。」
 
「聖戦竜にも『配下』なんているの?」
 
 突然カインに質問され、自分がうっかりよけいなことを言ってしまったことに気づいた。
 
「いや、わからないけど、そんなに偉い竜なら、部下をたくさん従えていてもおかしくないじゃないか。」
 
「そうかぁ・・・。でもドラゴンがたくさんいるなんて考えただけでも怖いな。第一そんなにたくさんのドラゴンが一体どこにいるんだろう。」
 
「さてねぇ・・・。相手は神の化身だからね。我々人間になんて考えもつかないようなところに棲んでいるのかもしれないよ。」
 
「それもそうだね。ねえフローラ、ロコがいなくなっていてがっかりした?」
 
 カインはフローラの顔を覗き込みながら尋ねた。フローラはカインを見つめ、ちょっと首を傾げて微笑んでみせた。
 
「そうね・・・。私・・・聖戦竜なんて本当にいるのかどうか半信半疑だったけど、さっきのあなたのお父様のお話を聞いて、ああ、本当にいたんだなあってちょっとうれしくなっていたところだったのよ。だから・・・ロコがいなくなっていたのは・・・残念ね・・・。でも、そんな醜い姿で永遠に生きていくよりは、よかったのかも知れないけど・・・。」
 
「単純に長生き出来るって言うなら、それはそれでいいのかも知れないけど、死にたくなっても死ねないって言うのは・・・確かにいやかも知れないな・・・。」
 
 カインが真顔でそんなことを言うので私は少し驚いた。
 
「死にたいと思った時なんてあるのか?」
 
 カインは「へ?」というような顔で私を見て、そして笑い出した。
 
「まさか。そんなこと考えたこともないよ。でも・・・人間に限らず、生まれてきたものは死んでいくのが運命じゃないか。自分一人だけ長生きしたって意味ないよ。」
 
「なるほどね。お前もけっこう真面目に物事を考えているんだな。」
 
「僕はいつだって真面目だよ。」
 
「それはいいことだ。さてと、それじゃ続きを話そうか?」
 
「なんか引っかかる言い方だな・・・。ちょっと待ってよ。まだ聞きたいことがあるんだ。」
 
「何を?」
 
 カインはニッと笑いながら妻に視線を向けた。
 
「母さんてさ、初めて会った時から父さんのこと好きだったの?」
 
「・・・え・・・えぇ?な、何でいきなりそんなこと・・・。」
 
 妻は戸惑った顔で息子を見つめ返した。少しだけ顔が赤くなっている。
 
「だって、父さんの相方だったカインて人はすごくかっこよかったみたいじゃないか。剣も気功も剣士団長直伝だったみたいだし、女の人としては、そう言う人に惹かれるんじゃないかなぁと思ってさ。」
 
 この質問に、妻はとても複雑な表情をした。でもカインとしては、多分母親をちょっとからかってやろうくらいの気持ちしかないのだろうと思う。妻もそう思っているらしく、『仕方ないわね』というように小さくため息をつくと、ほんの一瞬遠い目をしてくすりと笑った。
 
「そうねぇ・・・。確かにかっこよかったわよ。でも父さんも同じくらいかっこよかったのよ。最初は二人とも、とてもいいお友達だったわ。それからしばらく一緒に旅している間に、母さんは父さんを好きになったの。」
 
「どうして?」
 
「どうしてって・・・人を好きになるのに理由なんていらないじゃないの。それじゃあなたは、フローラのことをどうして好きになったかなんてちゃんと説明できる?」
 
「うーん・・・。確かに説明できないや・・・。どこが好きかって聞かれても『全部』って答えちゃうしね。」
 
 聞いていたフローラの耳が赤くなる。
 
(うまくかわしたな・・・。)
 
 結婚した相手が目の前にいるのに、昔他の誰かを好きだったかどうかなんて簡単に答えられる人は、多分なかなかいないと思う。親子だからまだいいようなものの、カインはこの調子で誰にでも無神経な質問をしているのだろうか。悪気がないからいいと言うことにはならない。カインがもしフローラの前で同じ質問をされたらどうするんだろう。
 カインは小さな頃からイルサと仲がよかった。ライラが父親そっくりの静かな子供だったので、イルサはいつもカインを遊びに誘った。この二人にラスティのところのアローラが加わると、3人で10人分くらいうるさくなった。そしていたずらもパワーアップする。思春期に入るとアローラは、母親の実家がある川向うの村に住む若者と親しくなって、カイン達とは少し距離を置くようになったが、イルサとカインはいつも一緒だった。二人の間に恋愛感情があったのかなかったのか、それは私にも判らない。ともかくイルサは王立図書館の司書としてクロンファンラへと旅立ち、カインは王国剣士となってフローラと恋に落ちた。
 
「そう言うことよ。それに、女の人がかっこいい人にばかり惹かれるって言うなら、あなたは絶対フローラにふられていると思うわ。」
 
 妻がにやりとしながらカインを見た。『意地悪な質問のお返しよ』と言わんばかりだ。カインは妻を上目遣いにちらりと見て、はぁーっと疲れたようにため息をついた。
 
「・・・どうせ僕はかっこよくないよ。悪かったよ、意地悪な質問して。」
 
「母さんをからかおうなんて20年早いわよ。」
 
「はいはい、わかったよ。ねぇ母さん、母さんてさ、昔はポニーテイルだったんだね。」
 
「いきなりどうしたのよ。焦って話題を変えたいとか?」
 
「さっき聞こうと思ってて忘れちゃったんだよ。どうしてポニーテイルやめちゃったの?」
 
「あれは若い女の子がする髪型よ。母さんが今あんなヘアスタイルしていたら笑われちゃうわ。そうねぇ・・・フローラなら似合うと思うわよ。」
 
 妻は立ち上がり、フローラの後ろにまわると長い金髪をまとめてポニーテイルの形にしてみせた。
 
「ほらね?」
 
「あ、ほんとだ。そのほうがかわいいよ。今度店に出る時はその髪型でいたら?」
 
「そ・・・そう・・・?似合うかしら・・・。」
 
「似合うわよ。自分でうまく出来なかったら、私が手伝ってあげるわ。」
 
「・・・は、はい・・ありがとうございます・・・。」
 
 フローラは少し赤くなりながら頷いた。
 
「でもいくら若い子がする髪型だって言っても、僕は母さんがポニーテイルにしていたところなんて記憶にないよ。僕が小さかった頃はまだ母さんだって若かったじゃないか。結婚した人はしちゃいけない髪型だってわけじゃないよね?」
 
「それはそうだけど・・・。」
 
 口ごもる妻の顔を見ているうちに、私は思わず吹き出してしまった。妻がポニーテイルをやめた理由・・・それが実はカインに原因があるなど、当人は何も憶えていないのだろうけど・・・。
 
「クロービス!そこで笑わないでよもう・・・。」
 
「父さんはその理由を知ってるの?」
 
 当のカインはきょとんとしている。
 
「・・・知ってるよ。ウィロー、君が話す?それとも私から話そうか?いい機会だから話しておいた方がいいかも知れないよ。」
 
 言いながら、私の笑いはなかなか止まらなかった。
 
「・・・そうね・・・。これからのこともあるから、聞いてもらいましょうか。あなたから話してよ。」
 
「ただし、私が知っているのは君が悲鳴を上げたところからだよ。」
 
「・・・悲鳴!?」
 
 カインが大きな声をあげた。
 
「そうだよ。あれは・・・お前が生まれて半年くらいにはなっていたのかなぁ・・・。」
 
「8ヶ月くらいよ。はいはいをはじめて、歯が一本だけ生えてきて、あと一ヶ月もすればもう歩くかも知れないってサンドラさんに言われていた頃だわ・・・。」









 その日は診療所が休みの日だった。休みとは言っても、それはブロムおじさんがここにいないと言うだけで、しなければならない勉強は山ほどある。私は診療室にある本を何冊か選び出し、端から順に読みながら、重要箇所をノートに写したりしていた。勉強を始めてから、もう三年以上が過ぎている。なのに未だに、憶えなければならないことは増え続ける一方だった。早く一人前の医者として診療室に座れるように、私は必死だった。
 
「きゃあ!!やめてぇ!!」
 
 突然妻の悲鳴が響き渡った。妻はカインと一緒にいるはずだ。普段は妻も私と一緒に勉強をしているが、休みの日くらいは子供の相手をしてあげたいと、今日は朝からカインと一緒に遊んでいた。はいはいを始めてから、カインの行動範囲は格段に広くなった。ちょっと目を離すと、とんでもないところで何かしらいたずらをしている。だから悲鳴が聞こえた時私は、またカインが何かやらかしたのだろうくらいに考えていた。
 
「やめてやめて!カインてば!離してぇ!」
 
「痛い!母さんすごく痛いのよ!だからやめてってば!」
 
 立て続けに聞こえてくる悲鳴に、さすがに私も腰を上げた。二人が遊んでいるはずの部屋に入ると、何と妻の髪をカインが引っ張っている。ちょっと見たところすぐにはずせそうなものだが、妻の髪の毛はカインの小さな指の一本一本にしっかりと絡みつき、くい込んでいた。しかもカインは妻が悲鳴をあげればあげるほど、遊んでもらっていると勘違いしているらしく、きゃっきゃっと声をあげて実に楽しそうなのだった。
 
「はさみを持ってくるから待ってて!」
 
 私は診療室にとって返し、はさみを持って再び妻のところに戻った。
 
「カインを抑えてて。」
 
 妻が何とかカインを抑えている間に、カインの手から5センチほどのところで妻の髪を切った。慌てて切ったので、ポニーテイルの毛先はギザギザになってしまったが、そんなことにはかまっていられない。次はカインの手から髪の毛をすべて取り除かなくてはならない。つやがあって丈夫な妻の髪の毛は、赤ん坊の皮膚などスパッと切れそうなほどだ。力任せに引きぬくことは出来ない。妻がカインを抑えている間に、私はカインの手をゆっくりと開かせ、絡みついた髪の毛を一本ずつ丁寧に取り除いていった。全部取り除くことが出来た頃には、外はもう暗くなっていた。気がつくとカインは妻の腕の中ですやすやと眠っている。
 
「まったく・・・天下泰平だね。」
 
 私はカインの寝顔を見ながら思わずつぶやいた。
 
「そうね・・・。ねぇ、カインの手、大丈夫?怪我してない?」
 
 妻が心配そうにカインの手を覗き込んだ。
 
「大丈夫だよ。全然切れていないよ。」
 
「よかった・・・。」
 
「いつも気をつけていたのに・・・どうしてこんなことになったの?」
 
 カインは妻の髪の毛をいつも狙っていた。妻が動くたびに背中で揺れる毛先が気になっていたらしい。だから妻はいつもカインの動きに注意を払い、うまい具合によけていたのだ、今までは・・・。
 
「お昼寝してたのよ・・・。遊んでいるうちにカインが寝ちゃったから、私も少し横になっていたんだけど、いつの間にかカインが目を覚ましていたらしいのよね・・・。痛いと思って目を覚ました時には・・・もうさっきの状態だったのよ。油断しちゃったわ・・・。」
 
 妻は恨めしそうに、ギザギザになった自分の髪の先を見つめている。
 
「もう少しきれいに切ればよかったな・・・。ごめんね。」
 
「何言ってるの・・・。仕方ないわよ。」
 
「何で子供っていうのは髪をつかみたがるんだろうね。私も何度かやられたものなぁ・・・。」
 
「あなたぐらいの長さなら、つかまれてもすぐにはずせるんでしょうけどね・・・。」
 
「編んでおいてもだめかな?」
 
「それこそカインの思うつぼよ。つかみやすいもの、よけいに引っ張られるわ。」
 
「そっか・・・。」
 
「いいわ・・・。この髪型やめる。」
 
「やめちゃうの?もったいないな、似合っているのに。」
 
「仕方ないわ。これからもこんなことが起きないとは限らないもの。たまたま今日は大丈夫だったけど、次はカインが怪我するかも知れない。・・・そうね、ひとつに編んで、後ろでまとめておこうかな。」
 
 動くたびにさらさらと揺れる妻の髪が好きだったのは、カインだけじゃない。妻と知りあった時から、私はよくその髪の動きに見とれていたことがあった。最もカインにとっては、好きと言うより格好のおもちゃでしかなかったのだろうけれど・・・。
 
「そうか・・・。」
 
「残念そうね・・・?」
 
 妻が私の顔を見てくすりと笑った。
 
「ちょっとね。」
 
 その後、妻はいつも髪をひとつに編んで、まとめてピンで留めておくようになった。この髪型は島の人達にはおおむね好評だったらしい。
 
「おや、ウィロー、若奥さんらしくなったね。」
 
「ほお、おかみさんて感じだな、そうしていると。」
 
 外に出るたびにそんな風に言われるようになったわと、妻がよく言っていたことを憶えている。









 カインはすっかり小さくなって話を聞いていた。まさか自分が原因だったなどとは思わなかったらしい。
 
「それで父さんはさっき笑ったのか・・・。」
 
「父さんが部屋に踏み込んだ時の、お前と母さんの顔を思いだして思わず、ね。母さんは半べそで必死にお前の手をつかんで髪をはずそうとしているのに、当のお前は大喜びでいたんだから。」
 
「そっかぁ・・・。母さん、ごめん・・・。」
 
 頭を下げるカインに妻が笑い出した。
 
「何言ってるの。赤ん坊なんてみんなそんなものよ。あなたが謝るようなことなんて何もないの。」
 
「別にお前に謝ってほしくてこんな話をしたわけじゃないよ。ただ、お前も結婚なんて考える年頃になったんだから、たまにはこんな話もいいかなと思ってさ。」
 
「うーん・・・でも何だかかっこわるいなぁ・・・。」
 
 言いながらカインは横目でフローラを見た。フローラはその視線を受け止めてくすっと笑った。
 
「赤ちゃんの時のことなんて誰も憶えていないんだから仕方ないじゃないの。私だってそうよ。お店に来たお客さんに抱っこしてもらっている時に、そのお客さんの顔をひっかいたり、叩いたりして大喜びだったって、昔母が話してくれたわ。」
 
 もしかしたらそれはカインと私のことかも知れない。昔セディンさんの店に行くたびに私達はフローラを抱っこしてあやしていたが、二人ともフローラのひっかき攻撃と平手打ち攻撃には何度か遭っている。それに私は、一度だけだがフローラのおむつがずれていて、膝を濡らされたこともある。でも今は黙っておいてあげよう。
 
「そういう想い出のすべてが、親にとっては宝物なのよ。被害に遭ったお客さんには気の毒だけどね。」
 
 妻がくすくすと笑いながら口を挟んだ。どうやら妻も、今のフローラの話に出てきた『客』が、私達のことかも知れないと思っているようだ。
 
「そっかぁ・・・。結婚すれば子供が生まれるもんね。僕達の子供はどんな顔してるのかなぁ・・・。」
 
 カインがニーッと笑いながら首を傾げる。
 
「・・・子供が子供を作ることは出来ないと思うけどな・・・。」
 
「はいはい、わかりました。それじゃ早く大人になるためにも、続きを聞かせてください、父さん。」
 
 カインが大げさに肩をすくめてみせた。
 
「続きか・・・。そうだね・・・。」
 
 言い淀んだ私を見つめ、カインの顔にまた不安がよぎる。
 
「父さん・・・?」
 
 カインと別れてハース城に向かい、そこで見た光景・・・。本当にここで、すべて話すべきなのかどうか・・・。でももう後戻りは出来ない。私は息子に約束したのだ。「話す」と。
 
「大丈夫だよ。ただ、父さんにとってあんまりいい思い出じゃないからね。母さんはなおさらだ。それはわかってくれ。」
 
「うん・・・。」
 
 不安げにうなずくカインの隣で、フローラが顔をこわばらせた。これから私が話すことは、おそらくこの娘が一番聞きたかった話だ。
 
「やっとハース城が見える場所までは辿り着くことが出来たんだけどね、そう簡単に城の中には入れなかったんだよ。」
 
「どうして?」
 
「城の衛兵にね、門前払いを食わされたんだ。」
 
「ええ!?だって王国剣士が仕事で行ったのに・・・。それに、ハース城を守っている人たちは、みんなフロリア様の部下だったんだよね!?」
 
「そうだったんだけどね・・・。」









「あれがハース城か・・・。門番がいるが・・・一人みたいだな。あいつがフロリア様の『手の者』なわけか・・・。」
 
 カインは眼を細めて城を観察している。
 
「手の者か・・・一体どういう連中なんだろうな・・・。フロリア様はその人達の身分も何も明かさなかったみたいだしね。」
 
「そうだな・・・。それにしても門番が一人ってのは不用心だな。それでなくても最近はモンスターの動きが活発だっていうのに。」
 
「別にいいじゃないの。私達は戦いに来たわけじゃないもの。さ、早く行きましょう。」
 
 ウィローはじれったそうに先に立って歩き出した。はやる気持ちを抑えきれないらしい。ロコを倒してからここに辿り着くまでの間中、ウィローは私とは口をきかなかった。だがその心に怒りは感じられず、どちらかというと、引っ込みがつかなくて話しかけられずにいるようだったが、それでも私は何となく自分から声をかけることが出来ずにいた。
 
「あ、待てよ。」
 
 カインが慌ててウィローのあとを追って歩きだし、私も後に続いた。少し歩くと小さな橋が見えた。その下を流れているのは、ハース鉱山のある北部山脈から流れてくる小さな川だ。
 
「・・・何よ・・・これ・・・。」
 
 先頭を歩くウィローが突然足を止め、こわごわと橋の下を覗き込んでいる。
 
「・・・なんだ、この水は・・・?」
 
 カインも足を止め、小川を覗き込んだ。
 
「どうしたの・・・?うわ!な・・・なんでこんな・・・。」
 
 カインのあとから川を覗き込んだ私が見たのは、どす黒く濁った川の水だった。
 
「なんでこんなに水が黒いの・・・?」」
 
 ウィローは青ざめた顔で立ちつくしている。
 
「方向からして、ハース城からの排水はここに流れてくるような気がするんだけど・・・何でこんなに黒いんだろう・・・。」
 
「そうだよな・・・。ハース城があっちで、この川はあちら側から流れてくるから・・・。」
 
 カインはしばらく考え込んでいたが、厳しい顔でハース城を見やった。
 
「様子がおかしいな・・・。この水はどう見ても普通の汚水とは違うし・・・。」
 
「生活排水じゃないことは確かだよね。」
 
「うん・・・。それにこの色・・・・まさか・・・!」
 
 突然全身に鳥肌が立った。カインの不安がそのまま伝わってくる。この黒い水・・・これはまさか・・・。
 
「ウィロー、この辺りの小川を流れる水が黒いなんて、今までに聞いたことがあるか!?」
 
「ないわ・・・。鉱山に勤める人達が最後に帰ってきたのはもう一年近くも前だけど、その時は誰もそんな話はしていなかったもの・・・。」
 
「黒い排水・・・。帰ってこない鉱夫・・・。」
 
 カインはちいさな声でつぶやきながら、イライラと地面をかかとで蹴っていたが、
 
「とにかく行こう!中の人々が無事かどうか、それを確かめるのが先決だ!!」
 
言うなり先に立って歩き出した。やがて辿り着いたハース城の入口には、門番らしき兵士が一人いるだけだ。黒い鎧を着込み、面頬つきのヘルメットをかぶっている。今時こんな形のヘルメットをかぶっている人なんて見たことがない。顔が半分ほども隠れて、こちらから見ると眼ばかりぎょろぎょろと光って見える。門を守るのだからある程度は怖そうに見えないとまずいのかも知れないが、それにしても印象のよくない格好だ。カインが前に出て衛兵に声をかけた。
 
「ハース城の衛兵か?」
 
「そうだ。用向きは何だ?」
 
 いやに横柄な態度だ。カインは少しむっとしたらしいが、それを抑えて話しかけた。
 
「我々はフロリア様より、ハース城の様子を調査せよとの命令を受けた王国剣士だ。ハース城が無事のようで安心している。まずは、統括者のデール氏と話がしたい。取り次いでくれ。」
 
 カインの言葉に衛兵はギロリと私達を眺め回し、フンと鼻を鳴らしてみせた。
 
「それは出来ない。何人たりともここを通さないようデール様に固く言われている。」
 
 心なしか胸を反らして見せたような気がした。
 
「王国剣士でもか?私達はフロリア様の勅命を受けているのだぞ!」
 
 カインが怒りを抑えて衛兵に詰め寄った。衛兵は面倒そうにため息をつきながら
 
「同じ事だ・・。」
 
 それだけ言うと、黙ったまま立っている。その時ウィローが進み出た。
 
「あ、あの・・・私はハース城の統括者デールの娘です。父に伝えてください。ウィローが会いに来たって・・・。娘の私だったら・・・、きっと・・・中に入れてくれるはずだわ・・・。」
 
 ウィローの声は少しずつ小さくなっていく。本当に『自分の娘だから』と言うだけの理由でデールさんが自分を中に入れてくれるのか、一番疑問に思っているのはもしかしたらウィロー自身かもしれない。
 
「わかった・・。ちょっと待っていろ。」
 
 衛兵は統括者の娘と聞いて顔色を変え、あたふたと城の中に消えた。なかなか戻ってこない。
 
「父さん・・私のこと聞いたら何て言うだろう・・。びっくりするかな・・・。」
 
 ウィローは、一人そんなことをつぶやいているが、そのつぶやきにも不安が滲み出ている。今は力を抑えているのに、じんわりとウィローの心が入り込んでくる。よほど強く不安に思っているのだろう。やがて衛兵が戻ってきた。もう最初の表情に戻っている。
 
「気の毒だがデール様は、誰にも会わないと言っておられる。諦めて引き返すんだな。」
 
 衛兵はやれやれと言った顔で、また自分の仕事に戻った。ウィローの顔が一瞬こわばり、身を乗り出して衛兵に詰め寄る。
 
「本当に!?父さんがそう言ったの?娘でも?もし母さんがここにいたら妻でもだめなの!?」
 
「私に言われてもどうしようもないな。私はデール様の言葉を伝えただけだ。」
 
「そんな・・・。」
 
 ウィローの顔に絶望的な表情がよぎった。ここまで来たのに・・・目の前の建物の中に父親はいるはずなのに、会おうとすらしてくれない・・・。
 
「おい、ちょっと待て。」
 
 カインが進み出てウィローの前に立つと、なおも衛兵に詰め寄った。
 
「ここで我々を追い返すと言うことがどういうことか、わかってて言っているのだろうな!?」
 
 衛兵は、ふふんと鼻先で笑ってみせると、
 
「エルバール王宮には好きなように報告するのがよかろう。我らが恐れることは何もないのだからな。」
 
そしてまた小さく笑っている。気味の悪い声で・・・。
 
「ほぉ・・・。その言い方だと、デール氏に謀反の意志ありと解釈出来るが・・・?」
 
「・・カイン!?何を言うの!?」
 
 カインは無言でウィローを制した。カインのまわりの空気がピンと張りつめている。その雰囲気に押されたのか、ウィローはハッとして後ずさった。
 
「だから好きに報告するがいいと言っておるだろう。さあ、もう話は終わりだ。さっさと立ち去るがいい。切り刻まれたくなかったらな。」
 
「・・・切り刻むだと・・・?」
 
 カインの目が鋭く光った。切り刻むと言うことは、『殺してやる』という意味としか受け取れない。フロリア様の配下がこんな言葉を言うなんて、信じられなかった。
 
「お前達はフロリア様の配下のはずだが、人殺しまでするのか?人間を相手に『切り刻む』などと言うのは、そういう意味にしか受け取れないぞ!?」
 
「まったくうるさい奴だな・・・。」
 
 衛兵は本当にうるさそうにカインを見た。
 
「ハース城はハース城の意志で動く。そしてその進むべき道を決めるのはデール様だ。我らにとって今、王はあの方なのだ。エルバール王宮ごときの指図は受けぬ。さあ、ここまで言えば満足だろう。さっさと立ち去れ!」
 
「嘘よ!父さんがそんなことをするはずがないわ!父さんに会わせてよ!もう一度取り次いでよ!私は・・・デールの娘なのよ!父さん・・・私を無視しないでよ・・・!!」
 
 叫びながらウィローは衛兵の脇をすり抜け、城の扉を開けようとした。だが扉は開かない。
 
「父さん!開けて!ウィローが来たのよ!顔を見せて!話を聞いてよ!」
 
 ウィローは泣きながら、ガンガンと扉を何度も叩いた。
 
「何をするか!」
 
 衛兵が剣の柄に手をかけながらウィローの肩をつかみ、突き飛ばそうとした。その瞬間体が勝手に動き、ウィローの肩にかけられた衛兵の手を、私は思いきり振り払っていた。
 
「ウィローにさわるな!」
 
 バランスを崩してよろめいたウィローの腕をつかんで支えると、私は自分の背後に下がらせた。ウィローの悲しみは痛いほどに感じていたが、それでもここで騒ぎは起こせない。そんなことをすれば相手の思うつぼだ。ウィローが私の背中にしがみついて震えている。でも怖いんじゃない。泣いているんだ・・・。
 手を振り払われた時しりもちを付いていた衛兵は、忌々しそうに舌打ちをしながら立ち上がると、また元の場所に戻った。口の中でなにやらぶつぶつと言い続けている。
 
「・・・ここで・・・・し・・・まえば・・・話は・・・はや・・・の・・に・・・。」
 
『ここで殺しちまえば話は早いのに・・・。』
 
 とぎれとぎれだったが確かにそう聞こえた。そう思っているのなら、なぜ彼はそうしないのだろう。考えられることは、ここで私達を手にかけてはいけないと誰かから命じられていると言うこと。ではそれは誰か・・・。衛兵のさっきの言葉を信じるならば、それはデールさん以外に考えられない。さすがに自分の娘を手にかける気にはならないのだろうか。親としての愛情があるのかどうかはともかく・・・。
 
「つまりどうあっても我々を中に入れるつもりはないと言うことだな?」
 
 カインが衛兵に尋ねる。
 
「同じ事を何度も言わせるな。」
 
「ではひとつだけ聞かせてくれ。半年前の休暇の際に家に帰らなかった鉱夫達だが、彼らは今も中で働いているのか?」
 
「なぜそんなことを聞く?」
 
「カナの村では鉱夫達が行方不明になったと騒ぎになっている。みんな家族を心配しているんだ。そのくらいのことは聞かせてもいいだろう?」
 
 カインが怒りをやっとのことで抑えているのがわかる。
 
「鉱夫達は中で仕事をしている。金は届いているのだから文句はなかろう?」
 
「金の問題じゃないだろう!?」
 
 カインが怒鳴り声をあげた。怒りに燃えるカインの顔を見て、衛兵はおかしそうに笑った。
 
「ふん・・・。大声を出したくらいで我らがひるむと思うな。言ったはずだ。王国剣士も王宮も、今の我らには何の意味も持たない。これ以上うるさくつきまとうのなら、こちらにも考えがある。私の後ろにあるこの扉の向こうには、命知らずの猛者どもが大勢控えているんだ。ずっとこの城の中にばかりいるとな、だんだんイライラしてくるんだよ。剣を振るいたくてな・・・。」
 
「だからどうした!?脅したくらいで俺達が引き下がると思うか!?」
 
 どうやらカインの堪忍袋の緒は完全に切れてしまったらしい。
 
「カイン!だめだ、いくら言っても無駄だよ。とにかく一度引き揚げよう。」
 
 これでは埒があかない。私の言葉に衛兵は忌々しそうに私を横目で睨んだ。
 
「ふん!腰抜けどもが!さっさと立ち去れ!邪魔だ!」
 
「とにかく、このことは王宮に報告しておく。このままですむと思うなよ!」
 
 カインは衛兵に向かって怒鳴りつけると、ハース城に背を向けて歩き出した。私は肩越しにウィローを見たが、まだ泣いているらしい。
 
「ウィロー、一度戻ろう。」
 
 ウィローは顔を伏せたまま頷いた。あまりのショックに足許も少しふらついている。私はウィローを支えるようにして、カインのあとを追った。
 
 −−父さん・・・本当に・・・私達を捨てたの・・・?−−
 
 ウィローの心の声が聞こえてくる。それを確かめたかったのだろうか・・・。カナで初めて会った時、ウィローが自分の父親を信じているといった言葉を『無理に自分に言い聞かせている』と感じたのは、気のせいじゃなかったらしい。
 
 ハース城の入口から充分離れ、黒い水の流れる小川のところまで来た時、カインが歩みを止めた。相当怒っていることは、その顔を見ればすぐにわかった。
 
「くそっ!ばかにしやがって!」
 
 足許の地面を、思いきりブーツのかかとで蹴り上げると、カインは腕組みし、忌々しそうにハース城の方向を睨んだ。
 
「あの怪物のせいじゃなかったってことか・・・。」
 
「そしてモンスターに襲われたわけでもなかったってことだね。」
 
「そうだな・・・。あの中で・・・何かが起きている・・・。中に入ることさえ出来れば、もっと詳しいことがわかるんだが・・・。」
 
「何か方法はないのかな・・・。」
 
「門番があの調子じゃ、正面突破はまず無理だろうな。時間をかけるつもりなら、方法がないわけじゃないが・・・。」
 
 カインは一度そこで言葉を切り、考え込んでいたが、やがて悔しそうに頭を振った。
 
「いや、やっぱり無理だ。俺達がこっちに来てから、もう一ヶ月近く過ぎちまってる。これ以上時間なんてかけられない・・・。」
 
「そうだね・・・。」
 
 本当にウィローの父さんは、王宮に反旗を翻すつもりでいるのだろうか・・・。でも何のためなのだろう。自分の家族と引き換えにしてもいいほどの、いったいどんな得があると言うんだろう。
 
「仕方ない・・・。クロービス、とにかく急いで王宮に戻ろう。今の時点でわかったことだけでもフロリア様に報告しなくちゃならない。」
 
 カインの言葉にズキンと胸が痛んだ。王宮に・・・仲間が待っているあの場所に・・・。あれほど帰りたかった場所に帰れるというのに、私の心は重く沈んだ。北へ帰るということは、ウィローと離れ離れになると言うことだ。返事をしない私を、カインがじっと見つめている。
 
「・・・そうだね・・・。戻らなくちゃね・・・。」
 
 カインが一瞬、いたわるような表情を見せた。カインは私の気持ちに気づいているのだろうか・・・。だがカインは何も言わず、私の隣で青い顔をしたまま立ちつくすウィローに声をかけた。
 
「ウィロー、君はカナに戻れ。送っていくよ。」
 
 ウィローはびくっとして顔をあげ、涙で真っ赤になった目を大きく見開いていたが、ゆっくりと一歩後ろへ下がった。
 
「ウィロー、とにかく一度カナに戻ってくれ。俺達が剣士団を連れて戻ってきたら、何とか同行させてもらえるように頼んでみるから。」
 
 カインの声には、子供に言い聞かせるような響きがあった。ウィローはまた一歩下がり、悲しげに首を振った。
 
「私は・・・ここに残るわ。」
 
「な・・・何を言い出すんだ!?ばかなことを言うな!君をこんなところに一人で置いていけるわけがないじゃないか!!」
 
「だって、やっとここまで来たのよ!私はここから離れない!!」
 
「ここに残ってどうなるって言うんだ!?いいか?ウィロー、落ち着いて考えろ。さっきの衛兵の言葉を君も聞いただろう!?王宮に対して反逆の疑いがあるとしか思えないじゃないか!一刻も早くこのことをフロリア様に報告しなければ・・・事態はますます悪くなる一方なんだぞ!」
 
「だからこそよ!!私は・・・必ず父さんに会うわ!そのためにここまで来たのよ!私は父さんを信じているの!!だから・・・だから私はここに残る!そして何とか中に入る方法を捜してみる!」

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