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「まったくもう、村長ったら話をへんな方向に持っていくんだもの。」
 
 道具屋に向かう道でウィローはほっとしたように口を開いた。
 
「ウィロー、さっきはごめん。助けてあげられなくて。」
 
 大の男が3人もいて、オルガさんをウィローから引き離すことさえできなかった。こんなことでハース鉱山まで無事にたどり着けるのだろうか・・・。
 
「いいのよ。ありがとう、クロービス。仕方ないわ。あれがこの村のみんなの本音なのよ。それに、オルガおばさんはずっと昔旦那さんを亡くして、それからは一人息子のロイの成長だけが楽しみだったみたいなの。もっともそれで甘やかしすぎたから、ロイが怠け者になっちゃったんだけどね。でももう半年よ。その間何の便りもないなんて、いくらなんでもちょっとおかしいとは思うわ。心配するのは当然よね・・・。」
 
「とにかく、一刻も早くハース鉱山に着いて、調査をしないとな。」
 
「そうだね。そうすればウィローに対するみんなの態度も変わるよ。きっとね。」
 
 正直なところ、果たして本当にそうなるのかはわからなかったが、そう言わずにはいられなかった。
 
「ありがとう、二人とも・・・。」
 
 少しだけ涙を滲ませながら、ウィローが私達に微笑んだ。そのまま私達は歩き続け、道具屋の前に着いた。今日は開いている。
 
「今日はいるみたいね。」
 
 ウィローがくすっと笑いながら、先に立って扉を開けた。
 
「こんにちは。ドーラおばさん。」
 
「おや、ウィロー、いらっしゃい。」
 
 にこやかに出迎えてくれた道具屋のおかみさんだったが、私達の姿を見て顔色を変えた。よく見ると、昨日井戸端会議でカドプレパスの話をしてくれた女性だった。なるほど、あそこにいたから店が閉まっていたのか・・・。
 
「ちょっとウィロー、この人達は何なんだい?」
 
「王国剣士さん達よ。ハース鉱山まで案内してあげることになったの。」
 
「ハース鉱山へ!?まさか・・・あんたがかい!?」
 
「そうよ。」
 
 笑顔で答えるウィローにおかみさんは目を大きく見開いた。
 
「ウィロー、あんた正気かい!?今さら何しに行くんだい!?こんなこと言うとあんたは気を悪くするだろうけど、あんたのためなんだからね。あんたの父さんはあんた達親子を捨てたんだよ。もう忘れておしまい。」
 
「ありがとう、ドーラおばさん。おばさんが私のことを心配してくれてるのはわかってるわ。でも私決めたの。必ず父に会ってくるわ。」
 
 にっこりと笑うウィローの顔に強い意志が見える。道具屋のおかみさんはそれに気づいたのか、大きなため息をつくと、今度は私達のほうに向き直った。
 
「あんた達がウィローをたぶらかしたんだね!?ウィローはうちの息子の嫁にと考えていたんだ。かすり傷ひとつ負わせでもしたら承知しないよ!」
 
「ちょ、ちょっとおばさん、わたしそんなこと承知した覚えないわよ。」
 
 またも妙な方向に話が飛んだことでウィローは慌てている。
 
「だって前から言っていたじゃないか。あんたがなかなか返事をくれないから、そのうちあんたの母さんのところに話しに行こうと思ってたんだよ。エルドの奴、狩りにばかりうつつを抜かしてちっとも家業に身を入れてくれないからね。あんたみたいな器量も気だてもいい娘と結婚すれば、少しは変わるかと思ってねぇ。」
 
 ウィローのためというより、自分の都合しか考えていないような気がする。
 
「そう言えば、エルドが魔界の生物を見たって話を聞いたんだけど、その話ほんとなの?」
 
「そうそう、そうなんだよ。なんでも一つ目の馬みたいな奴がのそのそ歩いていたのを見たってねぇ。魔界なんてほんとにあるのかどうかわからないけど、怖い話だよねぇ。ほんと、世の中どうなっちまうんだろう。」
 
 どうやらウィローは話をはぐらかすことに成功したようだ。おかみさんはもうすっかり魔界の生物の話に夢中になっている。
 
「エルドはどこにいるの?詳しい話を聞きたいわ。」
 
「あの子なら、多分墓地の展望台だと思うよ。魔界の生物を見たって言ってた日から怖くて狩りに出られないらしいよ。全くそのくらいなら家の仕事を手伝ってほしいものなんだけどねぇ。」
 
 また先ほどの話が蒸し返されないうちにと、私達は解毒剤や薬草、それにテントの中の仕切布を買って店を出た。女の子が旅に加わるなら、これがないとやはりまずいだろうと思ってのことだった。
 
「さてと、エルドって奴に会いに行くか。」
 
「そうね、昨日私達が出会った展望台にいるみたいだから、そこに行ってみましょう。」
 
 私達は展望台に向かった。着いてみると、昨日私達がウィローと出会ったあたりに狩り装束の青年が立っていた。
 
「こんにちは、エルド。」
 
 ウィローが声をかけると青年は振り向いた。
 
「やあ、ウィロー。あれ?その人達は昨日村に現れたという王国剣士様じゃないか。」
 
 エルドの言葉には何となく皮肉がこもっている。さっきの道具屋のおかみさんといい、やはりこの村には、未だに王国剣士をよく思わない人達はいるらしい。最もキリーさんの話を聞いた限りでは、仕方ないことではあるのだが・・・。
 
「ウィロー、君、なんでこの人達と一緒にいるんだい?・・・まさか、ハース鉱山まで行くつもり?」
 
「そうよ。この人達の道案内をして、父さんにも会ってくるつもりよ。」
 
「君の父さんに?やめた方がいいんじゃないのかな。村の人達が君の父さんをなんて言ってるかわかっているのかい。」
 
「わかっているわ。さっき村長とドーラおばさんにも言われたわ。」
 
「うちのお袋に?そうか・・・それでも行くんだね。」
 
「そうよ。もう決めたの。私は行くわ。それであなたに聞きたいことがあって来たのよ。」
 
「俺にかい?俺はハース鉱山に行ったことなんてないぜ。行きたいとも思わないね。狩りをしているほうがずっと楽しいよ。もっとも、もう当分行けそうにないけどなあ・・・。」
 
「あなたが魔界の生物を見たっていうのはほんとなの?」
 
「本当だよ。あ、そうか。君達が聞きたいのはそいつのことについてなんだね?」
 
「ぜひ教えてほしいんだ。俺達はこれからハース鉱山に向かう予定だ。さっき武器屋のイアンとあそこにいたガウディさんからいろいろと話を聞いてきた。行方不明者は俺達が必ず見つけだす。」
 
 カインの言葉にエルドは私達のほうに向き直ると、
 
「ふぅん・・・君達二人だけで?」
 
疑わしそうにじろじろと見た。
 
「二人だけだからって甘く見ないでくれよ。とにかくあんたの見たのがどんな奴だったのか教えてくれ。」
 
 エルドはしばらく考え込んでいるようだったが、
 
「王国剣士なんて信用したら、手ひどいしっぺ返しをくらうのがオチだと思うがな。でもまあ、イアンとガウディさんが話をしてくれたんなら信用出来るのかもな。それにウィローもあんた達を信用してるみたいだし、教えてやるか。俺が見たのは一つ目の馬だよ。あんな奴は今までお目にかかったことなんてないんだ。あれは絶対に魔界の生物『カドプレパス』だ。やっぱり聖戦の噂は本当だったんだよ。この世はもう滅びるんだ。聖戦竜達のブレスに焼き尽くされてな。」
 
「見たのはどのあたりだったんだ?」
 
 カインが続きを促す。
 
「この村を出てずっと東に行ったところだよ。次のオアシスより少し手前だったかな。」
 
「あんたはそいつを倒したのか。」
 
「とんでもない。魔界の生物なんかに手を出したりしたら、それこそ命はないよ。早々に逃げ帰ってきたさ。」
 
「ふぅん、じゃあそいつが強かったかどうかまではわからないってことか。」
 
 カインが残念そうにつぶやく。
 
「あんたあの生き物と戦う気か?やめといた方がいいぜ。悪魔の怒りは買いたくないからな。さあ、俺の話はこれで終わりだ。あとは何にも話してやれることなんてないぜ。」
 
 エルドは展望台から遠くを見つめて、ため息をつき始めた。私達は展望台をあとにしてウィローの家に戻った。
 
「ただいま。」
 
 ウィローは何事もなかったかのように母親に声をかける。
 
「おかえりなさい。買い物は出来たの?」
 
「うん、大丈夫。あ、あのね・・母さん・・・。」
 
「なあに?」
 
 ウィローの母さんは小首を傾げて娘を見つめる。
 
「あの・・・あのね・・・。」
 
 なかなか話を切り出せない娘ににっこりと微笑みかけ、
 
「・・・ちょっと待っていなさい。」
 
ウィローの母さんは奥に引っ込むと、大きな衣装箱らしいものを抱えて出てきた。
 
「これを着ていくといいわよ。」
 
 そう言ってウィローの母さんが箱から出したのは、旅人がよく着るフード付きのローブと、着替えなどが詰められているらしい荷物袋だった。
 
「母さん・・・私・・・。」
 
「いいのよ。あなたがどこに行こうとしているのか、母さんにはわかっているわ。」
 
 ウィローの顔が涙で歪み、そのまま母子はしっかりと抱きあった。
 
「母さん・・・ごめん。私がここを出たら母さんが一人になっちゃうってわかってるのに、わがままばかり言って・・・。」
 
「剣士さん達の道案内をするのでしょう?こんなところで泣いていては足手まといになってしまうわよ。」
 
 ウィローの母さんは優しく娘の肩を抱く。
 
「さあ、出発が遅くなってしまうわ。ねぇウィロー、もしも、もしもよ・・・父さんに会えたら、私がいつまでも待っているって伝えてね。」
 
「・・・わかった。私必ず父さんに会う。そして母さんの言葉を伝えるから。」
 
 カインも私も、ただ黙って親子の別れを見つめていた。なんとかウィローを父親に会わせてやりたい。しかし父親がもしも本当に反逆者だったら・・・。
 
「ごめんね。手間とらせて。さあ行きましょう。今日中に出来るだけ進まないとね。」
 
 涙を拭きながら、先ほどのローブをまとったウィローが荷物を抱えて出てきた。
 
「本当にいいのか?俺達と一緒に来ても?」
 
 カインが念を押す。
 
「いいのよ。一度決めたんだもの。私は必ず父さんに会うわ。それじゃ母さん、いってきます。」
 
「お世話になりました。ウィローは必ず無事に連れ帰りますから。」
 
 ウィローの母さんは、家の入口に立って無言で私達を見送っていてくれた。
 
「ウィロー、君の装備はどんなのなんだ?」
 
 ウィローの家が見えなくなった頃、カインが尋ねた。
 
「私は弓と・・・これ。」
 
 そう言ってウィローが腰のベルトから取り出して見せたのは、扇だった。
 
「これ?」
 
 カインは目を丸くしている。私も驚いた。初めて見るものだ。とても武器には見えない。
 
「そう。戦用舞踏の武器よ。」
 
 そう言うとウィローは扇を片手で開いて見せた。金属がぶつかり合って共鳴するように、シャランという音をたてて扇が広がる。
 
「はい、持ってみて。」
 
 ウィローがカインに開いたままの扇を差し出す。カインは受け取った途端、
 
「お、これ結構重い。」
 
驚いて見ている。
 
「そう。これなら何とかなると思うわ。これでもこのあたりのモンスターを追い払ったこともあるのよ。」
 
 ウィローはにこにこして扇を鳴らしてみせる。薄い金属の板を組み合わせて出来ているらしい。その板同士が、扇を振るたびにぶつかり合って心地よい音をたてる。何だか眠くなってしまいそうだ。
 
「あら・・・。あんまり音させちゃいけないわね。この音で相手を眠らせることもできるから。」
 
「へえ・・。そんなことも出来るのか。確かにこれなら大丈夫そうだけど・・・。ウィロー、君は出来るだけ回復にまわってくれ。」
 
 カインの提案に、ウィローは
 
「あら、大丈夫よ。私だって戦えるわ。足手まといになりたくないのよ。」
 
納得いかないというようにカインを見つめた。
 
「いや、そう言う意味じゃないんだ。俺達はここに来るまでに南大陸のモンスターと戦ってきた。盗賊もいた。みんな強かった。怪我するたびにクロービスが回復の呪文を唱えていたんだが、それだとクロービスの消耗が速い。こいつはそのほかに攻撃もして、時には風水まで使っていたわけだからな。俺も気功は使えるが、それでもクロービスの呪文ほどの回復力はないんだ。」
 
「カイン、私なら大丈夫だよ。」
 
「いや、でもこれからハース城に向けてますます敵は手強くなると思っていいだろう。ウィローが後方支援をしてくれれば、俺達は二人とも攻撃に専念できるんだ。クロービス、お前も風水術だけなら、それほど消耗はしなくてすむだろう?」
 
「それはそうだけど・・・。」
 
 カインの気遣いは嬉しかったが、ウィローの治療術の程度がどのくらいのものなのか、見たことがあるわけではない私には、一抹の不安が拭い去れなかった。
 
「わかった。それじゃ私は後ろから弓でちくちくね。」
 
 ウィローが笑う。
 
「そうだな。ちくちくやってモンスター達を追い払ってくれよ。」
 
 カインも笑う。
 
「で、クロービスが風水でトドメを刺すの?」
 
 ウィローがいたずらっ子のように私の顔をのぞき込む。
 
「いや・・・俺達はトドメは刺さない・・・。」
 
 カインの笑みが消え、困ったような表情が現れた。
 
「え?どうして?逃がしたりしたらこっちがやられてしまうわ。」
 
 ウィローは不安そうにカインに振り向いた。
 
「俺達は・・・王国剣士だ・・・。王国剣士は入団時に、皆フロリア様の前で『不殺の誓い』をたてるからな・・・。」
 
「・・・そう言えばガウディさんも言ってたわ。そう・・・。でもこの南の地で生き延びるためには、そうばかりも言っていられないかもしれないわよ・・・。でもいいわ。私もあなた達と一緒に旅に出る以上は、あなた達に合わせるようにする。」
 
「頼むよ、ウィロー。」
 
 カインがほっとしたようにウィローの肩を叩く。私達は村の入口に向かって歩き出した。いよいよカナの村を出るときがきた。この村を一歩出れば危険と隣り合わせだ。
 
「ちょっと待って。」
 
 私は立ち止まった。
 
「なんだ?」
 
「なぁに?」
 
 カインとウィローが私に振り向く。
 
「ウィロー、今君が使える治療術は何と何?」
 
「えぇとねぇ・・・。『自然の恩恵』・・・かな・・・。」
 
「他には?」
 
「・・・・。」
 
 ウィローは黙っている。昨日、いかにも治療術が得意そうに言ったのは、私達に自分を連れて行くことを決心させるための方便だったのかも知れない。でも一つでも唱えられる呪文があると言うことは、適性が全くないわけではないと言うことだ。それならばこれから少しずつ教えていけば、上達するだろう。
 
「それじゃ唱えてみて。」
 
「おい?クロービス、何だよ、いきなり。」
 
 カインが怪訝そうに尋ねる。
 
「カイン、ウィローに回復を任せるつもりなら、どのくらい治療術が使えるのかちゃんと把握しておかなくちゃ。」
 
「あ、ああ、そういうことか・・・。」
 
 ウィローは小さな声で呪文を唱えた。あまり速くはないが、少しがんばれば次の呪文を憶えることは出来そうだった。
 
「『大地の恩恵』の呪文は憶えたの?」
 
「・・・まだ・・・。」
 
「それじゃ、あと『毒の中和』の呪文も教えるよ。これだけは憶えてもらわないと、私が毒にやられた時にどうしようもなくなるから。」
 
 即効性の毒で気を失い、危ういところをライザーさんの呪文に助けられた苦い記憶が甦る。私は父から受け継いだ呪文書を荷物から取りだし、ウィローに見せた。
 
「試しに読んでみて、唱えられそうなら唱えてみて。」
 
 ウィローは少しの間呪文書を見つめていたが、やがて頷いて呪文を唱えだした。詠唱速度は遅かったが、効かないほどではない。
 
「それじゃ、何度も唱えて、速く唱えられるようになってね。」
 
「・・・ごめんなさい。私嘘ついたわ・・・。」
 
「嘘なんてついてないよ。『自然の恩恵』を唱えられるんだから。君が他の呪文を覚えられるまでは私がサポートするよ。」
 
「あとは俺達が出来るだけ怪我しないようにすればいいのさ。そのためには頑張る以外にないけどな。」
 
 カインがウィローに微笑んだ。
 
「・・・ごめんなさい。ありがとう、二人とも。」
 
 やがて村の入口に着くと、ウィローはくるりと村の中を振り返り、しばらくそのまま立ちつくしていた。
 
「この村も見納めね・・・。」
 
 寂しそうにつぶやく。
 
「すぐに帰ってこれるよ。」
 
 カインがウィローを気遣うように声をかける。
 
「そうね。ありがとう、カイン。さあ行きましょう。思ったより出かけるのが遅くなっちゃったわね。」
 
「ここからハース渓谷まではスムーズに行けば4日くらいって言ってたよな。」
 
「そうだね。そしてハース渓谷を抜けるまで1日。全部でだいたい5〜6日・・・。」
 
「スムーズに行けば・・・な。そしてその渓谷の入口には、ガウディさんの言ってたモンスターがいるってわけか・・・。」
 
 カインはため息をついた。
 
「ここで考えていてもしょうがないよ。とにかく行こう。歩き出さなきゃ。」
 
「お、クロービス、今日はずいぶんと積極的だな。」
 
「だって、せっかく新しく旅の仲間が増えたんじゃないか。暗い顔して出発したくないよ。」
 
「そうだな・・・旅の仲間か。ウィロー、これからよろしくな。」
 
「よろしくね、ウィロー。」
 
「私のほうこそ、よろしくね。足手まといにならないようにがんばるわ。」
 
 私達はしっかりと握手を交わし、カナの村から一歩外へと踏み出した。




 村を出ると、また太陽がじりじりと照りつける砂漠だ。灼熱の砂漠はどこまでも続いている。カナの村に来るまでの砂漠よりも、なお一層陽射しは強く、砂は焼けついているように見えた。道らしいものすら見あたらない。ウィローは本当にここからハース鉱山までの最短距離を知っているのだろうか。
 
「ねえウィロー、この砂漠の中に道なんてあるの?どこも同じ砂だらけにしか見えないんだけど・・・。カナの村より西側とは何だか雰囲気が違うね。」
 
「そうね。あっちはまだいい方なのよ。ここから先は本当に灼熱地獄よ。」
 
 そう言うウィローは長袖のシャツに長いズボン、どちらも体に程良くフィットして動きを妨げない。そしてその上から、ウィローの母さんが持たせてくれた、マントよりは少し短いかなと言うローブを着ていた。頭には私達のようにターバンを巻くのではなく、ストールのような大きな布で頭をすっぽりと覆い、首のところでとめてある。
 行く手にゆらゆらと立ち上るもの・・・。蜃気楼だ。その眺めに気を取られていたその時、視界の端に何かがうごめくのが見えた。
 
「何だ!?モンスターか!!・・・な、何だこいつは!?」
 
 そこにいたのは・・・確かに『モンスター』ではあったが・・・馬・・・だった。それも、一つしか眼のない馬・・・。その馬はかなり気が立っているらしく、私達を見るなり攻撃を仕掛けてきた。とっさにカインが気功を使って相手の動きを封じた。回復のためだけでなく、攻撃にも使える気功・・・。以前オシニスさんに教えてもらった時にはその区別がうまくいかなくて、私を練習台にしていた時、何度回復の代わりに麻痺させられたことか・・・。でも今のカインはその区別がしっかりと出来ている。南大陸に来てから、カインは着実に腕を上げつつある。私もぼんやりしてはいられない。
 動きを止められて馬はますます気が立っている。カインが馬の胴の部分に斬りつけて、試しに麻痺をといた。馬はいななきながら砂漠の彼方に姿を消した。
 
「な、何だったんだ・・・今のバケモノは・・・。」
 
 カインが青ざめて、一つ目馬の消え去った方向を眺めている。
 
「あれが・・・カドプレパスかな。エルドが言ってた・・・。」
 
「そうか・・・。ほんとにいたんだな・・・。一つ目の馬が・・・。」
 
 そんな話をしていた後ろで悲鳴が上がった。振り向くとウィローが、砂の中から顔を出したモンスターに襲われている。逃げられない距離ではなかったが、ウィローは突如目の前に現れたモンスターにすっかり怯え、座り込んだままの体勢でじりじりと後ずさっていた。
 
「この間の奴だ!俺がウィローを連れてくるから、お前は奴を砂から引きずり出してくれ!」
 
 カインは言うなり飛び出した。モンスターの前に躍り出てウィローを抱えると、あっという間に戻ってくる。カインがウィローを抱えたのを確認して、私は『飛花落葉』を唱えた。砂が舞い上がりモンスターの急所がむき出しになる。そこを狙って私は思いきり斬りつけた。驚くほどのダメージを与えたらしく、モンスターはあっという間に地中深く姿を消した。
 
「すごいな・・・。ほとんど一撃じゃないか。お前も腕を上げたな。」
 
「うーん・・・。私の腕なのか剣のおかげなのかよくわからないけどね。」
 
「そうか・・・。お前の剣て・・・もしかしたらナイトブレードよりも、遥かにすごいものなのかも知れないな。でもそれだけのものならなおさら、使い手がヘボではどうしようもないわけだから、やっぱりお前の腕が上がったのさ。」
 
「うん・・・。あ、それよりウィローは!?」
 
 カインの腕の中でウィローはぐったりと気を失っている。私は気付の呪文を唱えた。ウィローはハッと眼を開けると私達の顔を交互に見つめた。
 
「私・・・どうしたの?突然目の前に大きなモンスターが現れて・・・怖くて動けなくて、それで・・・カインが私を抱き上げてくれたのは憶えてるんだけど・・・。」
 
 言いながらウィローの瞳から涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
 
「俺が君をモンスターの前から連れてきたのさ。クロービスが風水と剣で追っ払ったよ。いきなりあんなのが出てくれば誰だってびっくりするさ。君は俺達と違って、特別訓練を積んでいるわけではないんだからな。」
 
 カインは眼を開けたウィローを抱えたまま、安心したように見つめている。ウィローはカインと視線が合うと顔を赤らめて、
 
「あ、ご、ごめんなさい・・・。私ったらいつまでもあなたに抱えててもらって・・・。」
 
慌てて起きようとしたが、またふらりと倒れてしまった。
 
「無理しない方がいいよ。」
 
 私はそう言うと、まだカインにもたれかかっているウィローの額に手を当て、治療術の呪文を唱えた。やがてウィローはゆっくりと起きあがった。
 
「ありがとう・・・楽になったわ。でもこれじゃ・・・あなた達の足手まといだわ・・・。ごめんなさい・・・。偉そうなこと言って、何の役にも立っていない・・・。」
 
 その瞳からはまた涙がこぼれ落ちている。
 
「そんなことないよ。少しずつでいいんだよ。」
 
「そうそう。俺達だって、いきなり君がモンスターと対等に渡り合えるなんて思ってないからさ。気楽に行こうぜ。」
 
 笑ってみせる私達に、ウィローは微笑んだ。
 
「うん。ありがとう。ごめんね、泣きごと言ったりして。私も少しずつ頑張るわ。」
 
 私達はまた歩き出した。やがて夕方になり、オアシスに着いた。
 
 カインがテントを張っている間に食事の準備をしようとした私のところに、ウィローが近づいてきた。
 
「食事の支度はクロービスの仕事なの?」
 
「そう。カインはこういうの苦手だからね。」
 
「ふぅん・・・。私も手伝うわ。何もしないわけにはいかないし。」
 
「火は熾してくれた?」
 
「ばっちりよ。」
 
 振り向くともう焚き火は赤々と燃えている。人手が増えたことで食事の支度は楽になった。カナの村でご馳走になった時のように、ウィローの料理はおいしい。食事が終わって、私達は3人で焚き火を囲んでいた。
 
「でも不思議だよな。どうしてこう、うまい具合にオアシスがあるんだ?けっこう小さくて、旅人がキャンプするのにちょうどいいように作られているとしか思えないよな。」
 
 カインが首を傾げる。
 
「そうね。南大陸には不思議なことがたくさんあるわよ。カナの村だってそうよ。」
 
「何が不思議なの?」
 
 私の問いにウィローは、
 
「カナの村ってモンスターが入ってこないでしょ?何でそうなのか、あなた達はわかる?」
 
「かなり強力な結界が張ってあるよね。」
 
「クロービスはやっぱりわかるのね。呪文の使い手は大抵わかるって言うわ。でも不思議なのは結界自体よりも、誰がそれを張ったかって事よね。オアシスだってそう。結界がなければやがて砂漠に飲み込まれてしまうような、小さなオアシスばかりよ。でもこのオアシスの数は昔から変わらないの。カナの村もそうだけど、この辺りのオアシスはみんな、古代サクリフィア以前からあるって言う説まであるのよ。」
 
「そりゃすごいな。」
 
 カインが感心したようにため息をついた。
 
「だから村の中が外と違ってあんなにさわやかなのは、古代にかけられた強力な魔法のおかげだなんて言う人もいるわ。」
 
「なるほどな。でも実際は魔法なんかじゃなくて風水術のおかげってわけか。」
 
「そう言うことね。私達のようにここで生活していくしかない人間にとっては、ありがたいけどね。」
 
「こういうオアシスはハース渓谷まで続いているのか?」
 
「いえ・・・。多分この次あたりが最後よ。そのあとは砂漠の中でキャンプを張るしかないと思うわ。」
 
「そうか・・・。その次のオアシスってのは、ここから一日で辿り着けるところなのか?」
 
「もう少し先みたい。だから・・・そうね、ちょっと地図を見せてくれる?」
 
 ウィローはカインから地図を受け取ると、指さしながら丁寧に教えてくれた。
 
「そうね・・・。今いるのが・・・カナから東に出て最初のオアシスだから・・・次のところは・・・多分この辺り。」
 
 そう言ってウィローが指さしたのは、ハース渓谷より少し手前の辺りだった。
 
「ということは・・・そこに辿り着くまではしばらく水の補給もできないと言うことだな。」
 
 カインが厳しい顔で考え込む。
 
「そう言うことになるわね。明日は、重くても多めに水を汲んで、飲めるだけ飲んでから出掛けましょう。」
 
「そうだな・・・。」
 
 少しの間沈黙があったが、カインがそれを破るように口を開いた。
 
「しかし・・・南大陸ってのは本当に厳しいところだな・・・。俺達だって、剣士団のみんなにあれだけ鍛えてもらったから何とかここまで来れたけど、でなければ本当に砂漠の真ん中で野垂れ死にだ。」
 
「そうだね・・・。でもカナの人達やこの辺りを行き来する商人達は、こんな厳しい環境で暮らしているんだものね。尊敬しちゃうよ。」
 
「ふふふ・・・。そう言ってくれるのはうれしいけど・・・。それはこの強力な結界のおかげよ。その結界を張った人に会えるのなら会ってみたいものだわ。最もこの結界が張られたのはずいぶん昔だろうから、もう死んじゃっているんだろうけどね。」
 
「そうだな・・・。その人がどんな目的でこんな強力な結界を張ったのかはわからなくとも、そのおかげでみんな安全に暮らせるなら、それに越したことはないよな。」
 
「そうね。」
 
「結界か・・・。聖戦も結界で防ぐことが出来るのならいいんだけどな・・・。そう言えば、カナの村では聖戦の噂はあんまり聞かなかったな。道具屋のエルドがカドプレパスのことを聞いた時に少し言ってたくらいだよな。」
 
「そうね。エルドは多分、ハースから来た商人の人達から聞いたのよ。北大陸では聖戦の噂があるって。なんでもどこかの町に聖戦竜が現れたとか。それを信じちゃったところにカドプレパスなんて見てしまったから、あんな風に言っていたんだわきっと。でも本当なのかしら。噂って言うのはいつでも尾ひれがつくものだから、カナの人達はあんまり信じていないみたい。それよりもハースからの連絡が途絶えていることの方が重要問題よ。村人は帰ってこないし、物資の流通もなくなってしまったら村自体が寂れてしまうしね。」
 
「そうか・・・。そうだろうな。俺達だってこの眼で見たのでなければ、聖戦竜の存在自体信じないだろうからな。」
 
 カインの言葉にウィローが目を丸くした。
 
「この眼で見たって・・・。あなた達聖戦竜を見たの!?」
 
「見たどころか・・・戦って追い払ったよ。北大陸の南地方にあるクロンファンラの町でな。」
 
 ウィローは、瞳をますます見開き、私達の顔を交互に見ている。
 
「本当に!?うわぁ・・・すごい。あなた達って、そんなに強い人達だったのね・・・。」
 
「俺達がって言うよりクロービスのほうかな。こいつが俺の肩を足場にしてセントハースの顔に突っ込んでいったんだ。」
 
 カインが私を指さした。ウィローは一瞬きょとんとしてカインの言葉を聞いていたが、
 
「そうなの!?私はてっきりカインのほうが斬り込んでいったと思ってた。そう・・・クロービスって見かけに寄らず度胸があるのねぇ・・・。」
 
 感心したように私を見つめている。私は思わず赤くなった。
 
「み、見かけに寄らないかな・・・?」
 
「あ、あらやだ。ごめんなさい。でもなんて言うか・・・クロービスってすごく静かそうなんだもの。まだ・・・若いのよね?」
 
「21歳になったばかりだよ。」
 
「やっぱりね。私よりは若いなあと思ってたのよ。でもその割に妙に落ち着いて見えるし・・・。カインは?」
 
「俺は22だよ。もうすぐ23になるけどな。君って・・・クロービスより上!?」
 
「そうよ。私はカインと同い年ね。私が23になるのはまだ先の話だけど。」
 
 カインと私は思わず顔を見合わせた。私はてっきり自分と同じくらいだと思っていた。初めて会った時の笑顔がとても子供っぽく見えたので、そんな風に思ったのかも知れない。
 
「へぇ。私より上だとは思わなかったな。」
 
「ほら、そのしゃべり方!あなたって変わってるわよね。若い人で自分を『私』なんて言う人そんなにいないわ。目上の人と話すのでもない限りね。」
 
「うーん・・・。みんなそう言うんだよね。カインにも初めて会った時言われたよ。うちは男所帯でさ。父はいつも自分のことを『私』って言ってたし、父の助手をしてくれていた人もそう言ってたから、いつの間にか私も自分のことをそう言うようになっていたんだ。」
 
「ふーん・・・。何その助手って。あなたのお父さんは何の仕事をしているの?」
 
「医者だったよ・・・。もういないんだ。半年以上前になるのかな・・・。亡くなったんだよ。だから私は王国に出てきたんだ。」
 
「そう・・・。ごめんなさい。無神経なこと聞いちゃったわ。」
 
 ウィローは慌てて私に向かって頭を下げた。
 
「いいよ。気にしないでよ。」
 
 私はウィローに微笑んでみせた。ウィローはほっとしたように私に微笑みを返すと、
 
「ねぇ、まだ知り合ってそんなに過ぎないから、こんなこというの失礼かも知れないんだけど・・・あなた達のこと教えてくれない?私のことは二人とも知っているわよね。ハース鉱山統括者デールの娘で、これから父に会うためにあなた達の道案内を兼ねてここにいるってこと。」
 
「俺達のことか・・・。特別話して聞かせるほどのことはないんだけど・・・。」
 
 そう言いながら、カインは自分のことを話し始めたが、貧民の生まれであることや、いじめられていたところをフロリア様に助けられ、そのおかげで荒んだ心から解き放たれたこと、そしてフロリア様のために王国剣士として腕を磨いていることなどを、一つも隠さずにウィローに話して聞かせた。私は少し驚いていた。私がこの話を聞いたのは、研修から帰ってきて、みんなに歓迎会をしてもらい、さらにフロリア様と共に漁り火の岬へと行って、帰ってきてからのことだった。剣士団の宿舎でカインと初めて会った時、話の流れで出身地を聞いたが、エルバールだ、としか言わなかった。カインはすっかりウィローに心を開いているように見えた。
 やがて私が話す番になった。私は自分のことについては、北の果ての島に住んでいたこと、父が亡くなってその遺言により島を出ることになったことを簡単に話すだけにしておいた。その後王国剣士となって、顔も憶えていなかった『幼馴染み』ライザーさんに『再会』し、カインと二人、オシニスさんとライザーさんには世話をかけっぱなしだったこと、南大陸に来る前に、みんなが必死で訓練してくれて、何とかやっていけるだけの力をつけることが出来たことなどは、けっこう詳しく話したつもりだったが、話すことがあまり得意でない私は、細かい説明がうまく出来ず、結局かなりおおざっぱな話になってしまった。途中カインが何度も、あまりにも端折りすぎだと笑いながら補足してくれた。話が剣士団の先輩達のことに及ぶと、昔カナの村まで来ていた剣士達の名前があがるたびに、ウィローは懐かしそうに耳を傾けていた。
 
「そう・・・。いろんなことがあったのね、あなた達にも・・・。それに・・・カインのお父さんは、何とか頑張ってあなたを食べさせていこうとしたのよね。それにクロービスのお父さんも、自分の息子にしっかりと剣や風水を身につけさせて、一人でもちゃんとやっていけるように育ててくれていたんだわ・・・。いいお父さん方だったのね・・・。」
 
 ウィローが少しだけ顔を曇らせながらつぶやいた。19年間会ってない父親のことなど、きっと何も憶えていないのだろう。
 
「そうだな・・・。君の父さんだって・・・きっといい人だよ。この間君に、もしかしたら君の父さんが反逆を企てているかも知れないなんて言っちまったけど・・・俺もそんなはずがないって気がしてきたよ、君を見てると・・・。」
 
 いたわるようにウィローを見つめるカインの言葉に、ウィローの表情が明るくなった。
 
「ありがとう・・・。そう言ってくれると嬉しいわ・・・。そしてあなた達はクロンファンラで聖戦竜を追い払った功績で、南大陸に来ることになったというわけね。」
 
「そう言うことになるな。功績って言うのかな・・・。さっきも言ったけど、セントハースを追い払えたのはクロービスの機転に寄るところが大きいからな。」
 
「でも私の力だけじゃないよ。カインの剣技がかなり効いてたのはわかったからね。きっと二人だから追い払えたんだよ。それに・・・セントハースは本気を出していなかったって、シャーリーが言ってたじゃないか。」
 
「シャーリー?」
 
 ウィローが聞き返した。
 
「クロンファンラにいた吟遊詩人だよ。その人が、襲ってきた怪物はセントハースだって教えてくれたんだ。」
 
「でも聖戦竜を見たことがある人なんていないはずじゃないの?どうしてその人は知っていたのかしら。」
 
「聖戦竜に関する言い伝えどおりだって言ってたよ。聖戦に関する歌に真実味を出すために、かなり詳しく研究したそうだから、それで知っていたんじゃないのかな。」
 
「ふぅん・・・。」
 
 私の説明に、ウィローは何となく納得いかなそうな顔をしている。
 
「それに、報告を聞いた王宮の大臣達が、その怪物の姿形を聞いてセントハースに間違いないと判断を下したんだ。だからそうなんだろうな。そりゃあれが聖戦竜でなかったらよかったと思うよ。もしそうなら、聖戦の心配なんてする必要はないわけだからな。」
 
「でも聖戦竜でもないのにあんなに強いモンスターがいるとしたら、そのほうがもっと怖いと思うけどな。」
 
「・・・それもそうか・・・。あれから・・・クロンファンラはどうなったのかな。またセントハースが現れたりしてなければいいんだけどな。」
 
「そうだね・・・。きっと大丈夫だよ。みんな警備を強化してくれているよ。とにかく、私達はハース城に辿り着くことだけ考えよう。」
 
「そうだよな。200年前の聖戦で滅ぼされたサクリフィアに比べて、いまのエルバール王国の武具は、大きく進歩しているから・・・仮に聖戦が起きたとしても、そうは簡単に滅びるってことはないと思うけど・・・。だが、もしハース鉱山が先に落とされてしまったら、エルバールもサクリフィアと同様の運命を辿ることになるだろうな・・。そんなことになるのを黙ってみているわけにはいかない。とにかく任務だ。何としても、出来るだけ早くハース渓谷までは辿り着かないとな。」
 
「そうだね。」
 
「いろいろ話してくれてありがとう。私・・・あなた達と知り合えてよかったわ。」
 
 ウィローは、そう言って微笑んだ。
 
「そう言ってくれると嬉しいよ。さてと、夜も遅い。そろそろ寝るか。俺が先に不寝番に立つよ。あとで交替してくれ。それから・・・。」
 
 カインは心配そうにウィローのほうに向き直り、
 
「ウィロー、その・・・テントが一つしかないから、仕切布下げるけど、それで大丈夫か?あ、あの、もちろん俺達は安全だけど・・・。」
 
頭をかきながらウィローの顔を覗き込んでいる。心なしか顔が赤い。ウィローは一瞬カインの言葉の意味が呑み込めなかったらしく、ぽかんとしていたが、やがて声を上げて笑い出した。
 
「大丈夫よ。そんな怪しそうな人達だったら最初からついてきたりしないわ。私はあなた達を信じるわよ。」
 
 そう言いながら、なおもくすくすと笑っている。
 
「そ・・・そうか。ならいいけど・・・。それじゃお休み。」
 
「お休み。」
 
「お休みなさい。」
 
 焚き火のそばにカインを残し、ウィローと私はテントのところに来ていた。私は仕切布を上から下げると、下からめくれないようにしっかりと荷物で押さえた。
 
「それじゃお休み。君は朝までゆっくり寝ていいからね。」
 
「あらどうして?私も不寝番できるわよ。」
 
「いいよ。無理しないで。それよりももう少し呪文を憶えてよ。呪文書貸してあげるから。寝る前に何度か読んで、読めた分は唱えてみる。それを繰り返していけば、すぐに新しい呪文も唱えられるようになるよ。」
 
「・・・そうね。早くいろんな呪文憶えなくちゃね。それじゃちょっとだけ呪文書借りておくわ。」
 
「あ、あのね・・・。こんなこと言うの失礼だとは思うけど・・・呪文でも剣術でもそうなんだけど、うまくなるための早道なんてないんだ。地道に少しずつ憶えていくしかないんだよ。だから、自分の能力以上の呪文を無理して憶えたり唱えたりしようとしないこと。たとえ回復の呪文だって、暴走させたらどんなことになるかなんて誰にもわからないんだからね。」
 
 ウィローが怒るかも知れないとは思ったが、私は昔いつも父から教えられていた呪文習得の心得を、わかりやすく話して聞かせた。焦ったところでいい結果など生むはずがない。地道に少しずつ憶えていってもらった方が、安心できるし頼りにすることもできる。ウィローは私の話をじっと黙って聞いていたが、
 
「わかった。焦って早く前に進もうなんて思わないようにするわ。私が今確実に唱えられるのは『自然の恩恵』と『毒の中和』だから、まずはこの二つを完全に自分のものにする。でも『大地の恩恵』はもう憶えておいても大丈夫よね?」
 
そう言って微笑んでみせてくれた。私は少し安心して、
 
「そうだね。そこまでは、君ならすぐに習得できるはずだよ。焦りさえしなければね。私も大分前に『光の癒し手』憶えたけど、未だに『虹の癒し手』は唱えられないよ。最近やっと呪文を読めるようになったけど、まだ憶えるところまでいってないんだ。それと・・・『大地の恩恵』と平行して、『気付』は憶えておいてね。そのくらいなら一緒に憶えても大丈夫だと思うから。」
 
「うん。ありがとう、クロービス、色々教えてくれて。それじゃお休みなさい。」
 
「お休み。」
 
 ウィローはにっこりと笑って仕切布の向こうに戻っていった。偉そうな物言いをしてしまったが、ウィローが怒らずに私の話を素直に聞いてくれたことで少しほっとしていた。そして彼女が表面を取り繕っているわけではないことも何となく感じていた。あの素直さがあれば、きっとウィローの上達は早い。うまくいけば、ハース渓谷に辿り着く頃にはかなりレベルアップしているかも知れない。そんなことを考えながら、私はやがて眠ってしまった。
 
「おい、起きろ!交替だぞ!」
 
 カインに揺り起こされるまで、私はぐっすりと眠り込んでいたらしい。
 
「あ、ごめん。」
 
 ウィローを起こさないようにちいさな声で返事をすると、私はそっと起きあがった。武器を装備してテントの外に出ると、カインがにこにこしながら立っていた。
 
「大分ぐっすり眠れたみたいだな。」
 
「うん。ごめん。君が起こしてくれなかったら朝まで寝てたよきっと。」
 
「そんなことはいいよ。お前がこんなにぐっすり眠っていたの見たのなんて、久しぶりだからさ。いつもいつも変な夢にうなされたり飛び起きたり、気持ちの休まる暇なんてなかったんじゃないのか?」
 
「そうだね・・・。ほんと久しぶりかも知れない。不思議だね。」
 
「ウィローのおかげかな。」
 
 カインはそう言いながらにやりと笑う。
 
「さぁ・・・。どうなのかな。とにかく交替するよ。大分頭の中がスッキリしてるから、大丈夫だよ。お休み。」
 
 私は少し赤くなりながら、まだにやついてるカインをその場に残し、焚き火のそばに腰を下ろした。空を見上げると、月はもう欠け始めている。このせいでフロリア様の夢を見なかったのか、それとも本当にウィローの隣で眠ったことで、妙な夢を見ないで済んだのか、でなければこのオアシスの結界のおかげなのか・・・。今ひとつよくわからなかったが、考えてみても仕方ない。とにかく今は不寝番に専念しよう。明日からしばらくは、こんなさわやかなオアシスで眠ることは出来ない。多分・・・またあの恐ろしい夢を見るのだろう・・・。

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